2019/11/6, Wed.

 最も無防備だったものの運命を語る決心をするには、自分自身に暴力を振るう必要がある(これは有益なのだろうか)。ここでもまた私は自分のものではない論理に従わなければならない。正統なナチにとって、ユダヤ人が全員殺されるべきなのは、明白で、自明で、明確であったに違いなかった。これは教義であり、公理であった。もちろん子供もそうであった。そして特に妊娠した女がそうだった。将来の敵を産ませないためだった。しかし彼らの果てしない帝国内のあらゆる町や村を、激しい勢いで襲撃する中で、なぜ瀕死のものの扉まで破ったのだろうか。なぜ瀕死のものたちを、遠くで死なせるために、躍起になって汽車まで引きずって行ったのだろうか。ポーランドまで、道理に合わない旅をさせ、ガス室の入り口で死なせるために? 私の列車には、九十歳代の、死に瀕した老女が二人いたが、彼女らはフォッソリの収容所の病室から連れ出されたのだった。一人は旅行中に死んだ。娘たちが付き添っていたが、何もできなかった。そのまま死なせるか、ベッドで殺してしまう方が、より簡単で、より「経済的」ではなかっただろうか? 彼女の臨終の苦しみを、列車の集団的な死の苦しみの中にわざわざ入れるよりも。ここで本当にこう考えざるを得なくなってしまう。第三帝国では、上から押しつけられた選択、最良の選択は、最大の苦しみを与えること、肉体的、道徳的苦しみを最大限にもたらすことであった、ということである。「敵」は単に死ぬだけではなく、苦しみながら死ななければならなかったのだ。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、137~138)


 今日も快晴の午前で、目を開けて窓を見やれば南の空で膨張する太陽が、視界に白い引っ搔き傷を生じさせ、瞳を刺してくる。一〇時五〇分に至ってベッドを抜け出すことができた。昨晩は三時前に床に就いたから睡眠時間はおおよそ八時間、悪くはないがもう少し減らしたいところだ。コンピューターに寄ってEvernoteなど各種ソフトを起動し、今日の記事を新規作成していると、空っぽの腹がぎゅるぎゅる鳴って、途端に便意が高潮しはじめたので慌てて部屋を抜け、尻に圧迫を感じながら階段を上がって便所に入った。糞を垂れて出てくると居間でパジャマを脱ぎ、adidasの灰色のジャージに着替える。外では近所の屋根が光を浴びて、瓦の襞の一つ一つに隈なく白さを溜めている。それから冷蔵庫を覗くとスライスした玉ねぎと青紫蘇を添えられた蛸があったり、ケンタッキー・フライド・チキンの残りがあったりして、また調理台の上にはソーセージと卵のソテーが残されており、焜炉の上の大鍋には餃子を入れた鍋風の野菜スープが拵えてあった。母親は今日は確かM田さんと食事をしに行っているはずで、家に連れてくるかもしれない可能性を思って、もし連れてきても出せるように作っておいたものか、あるいは単純に帰りが遅くなりそうだから夕食のために早めに仕立てておいたものか。いずれにせよ早速これを頂くことにして火に掛けて、その他電子レンジで温めるものは温め、炊かれたばかりで新しい白米もよそって卓に運んだ。米・スープ・ソテー・チキン・蛸と五品が並んで豪勢な朝食である。席に就くと新聞を引き寄せ、香港で引き続く抗議活動に際して様々な立場の街の人々の声を拾った記事を読みながらものを食べる。その他、アメリカの制裁措置に対抗してイランが中部の施設でウラン濃縮を再開したとの報も読み、皿を空にすると水を一杯飲んで、それから食器を洗った。チキンが乗っていて脂っぽくなった小皿に洗剤を少々垂らし、網状の布[きれ]でよく擦って洗っていく。流したものを乾燥機のなかに収めておくと、そのまま背後に振り返って浴室に向かい、風呂も洗った。そうして居間に出てくると、卓の端に食いかけの枝豆チップスとかいうものがあったので頂くことにして、それを持って自室に帰り、緑茶を用意するために急須と湯呑みを持って道を引き返し、注いで戻ってくるとチップスを食いながらひとときだらだらとした。そうして一二時ちょうどからこの日はまず、過去の日記の読み返しを始めた。しかし一年前、二〇一四年二月一一日ともに特段に言及しておくべき事柄は書かれていない。それからfuzkueの「読書日記」も一日分読んだあと、Richie Kotzen『Mother Head's Family Reunion』をバックに流して、手帳からドイツ史の知識などを学びはじめた。前日も学んだ八九頁から九〇頁、及び八三頁から八四頁を復習し、新しく六四、六五頁も学習して三五分ほどである。一九三三年三月の全権委任法については、ひとまずリチャード・ベッセル『ナチスの戦争』の記述を典拠として三月二四日に成立したものと捉えているのだが、今読んでいる對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々』では三月二三日と記されていて(3)、以前も書いたけれどこの法律の成立時日は資料によって何故か一日の相違があってどちらが正確なのかわからない。インターネット上の情報のみならず、プロの学者の書いている本でも上のように記述が分かれており、一体どちらを取ったら良いのかわからないので、いっそのこと三月二三日もしくは二四日とまとめて覚えることにした。
 手帳からの学習を終えるとトイレに立って放尿し、戻ってくるとRichie Kotzen "Special"を流して歌ったあと、この日の日記を書きはじめた。ここまで記せば一時一六分を迎えている。
 それからコンピューター前の椅子に腰を下ろして一時間打鍵を続け、二時一六分に至ったところでどうも身体がこごっているなと気づかれたので、一旦日記作成を切って肉体をほぐすことにした。cero "Yellow Magus (Obscure)"を流して歌いながら屈伸を重ね、前後左右に開脚をして身体もひねって背筋を伸ばしたあと、このひねるという運動が腰回りを柔らかく和らげるのに大事な感じがしたので、両手を天へ向かって掲げながら上体を左右にひねることを繰り返した。それでだいぶ身体が軽くなったところで時刻は二時半前、洗濯物を取りこみに行くことにした。部屋を出て階段を上がり、ベランダに出れば林の樹冠に接した太陽が眩しい光を瞳に突きつけてくる。吊るされているものを室内に入れ、ガラス戸は開け放ったままにしておいて風を取り入れながら、タオルを畳み、肌着や寝間着も整理した。そうして自室に帰るとふたたび日記作成に邁進し、三時半を迎えたところで前日の記事を仕上げることができ、cero "POLY LIFE MULTI SOUL"を流しながらインターネットに記事を投稿した。今しがた人が帰ってくる気配がしたので母親が帰宅したのかと思いきや、重い足取りは父親のものである。家の前に車が停まってもあったし、今日ももしかして休みだったのだろうか。
 食事へ上がった。父親はトイレに入っていた。冷蔵庫を覗くと、モヤシなどのサラダが少量とケンタッキー・フライド・チキンのコールスロー・サラダがあったので取り出し、そのほか豆腐とゆで卵を用意した。電子レンジで温めた豆腐に鰹節を掛け、その他の品とともに卓に運ぶと父親がトイレから出てきたのでおかえりと告げた。スーツ姿だったので、休日だったわけではないようだが、何故これほど早く帰ってきたのかは不明である。こちらがものを食べているあいだに父親は下階に下り、ジャージに着替えて上がってくると今日も仕事あるのと訊くので肯定した。こちらは夕刊から、朝刊に引き続いてイランの低濃縮ウラン生産拡大の報を読み、ものを食べ終えると台所に移って皿を洗った。その頃には父親は家の外に出ていた。こちらは下階へ戻ってPeter Beaumont, "WWII: eighty years on, the world is still haunted by a catastrophe foretold"(https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/sep/01/world-war-two-eighty-years-on-world-still-haunted-by-catastrophe-foretold)を読みながら歯を磨く。英文記事は二〇分ほどで読了した。

・division: 〔陸軍の〕師団◆独立した作戦を遂行できる、複数の旅団(brigade)から構成され、軍団(corps)より小さい部隊。
・lackluster: 艶のない、精彩を欠いた
・prefigure: 予想する
・run the gamut of: 全範囲に及ぶ、全域にまたがる
・obsolete: 時代遅れの; 廃れた
・baffling: 不可解な、当惑させる

 そうしてBill Evans Trioの音楽を流しながら着替えである。服を着替えているあいだのことはよく覚えていない。廊下に吊るしておいたはずのワイシャツがなくなっていたので不思議に思いながら階段途中に掛かっていたものを取ったのだが、これはあとで聞いたところでは母親が新しいワイシャツを買ってきてくれたとのことだったので、古いものもおそらくその際に店の方で始末してくれたのだろう。
 そうして仕事着に着替えると時刻は四時半、残った時間で音楽を聞くことにした。一九六一年六月二五日のBill Evans Trioが演じる"All Of You (take 3)"と"All Of You (take 1)"、それに『On Green Dolphin Street』の二曲目である"How Am I To Know?"を聞いたのだったが、ヘッドフォンで耳を閉ざして椅子にじっと座っていると睡気が差して、意味を成さない無秩序なイメージの流れに巻きこまれ、まともな聴取にならなかった。意識が完全に落ちるわけではないが、音楽の方に向かず空転するばかりで、従ってこれといった印象も残すことができなかった。三曲を流すと五時直前になったので、立ち上がって窓のカーテンを閉め、明かりを落として上階に上がった。食卓灯を点しておき、居間の三方の窓のカーテンも閉める際、南窓から畑にいる父親が見下ろせて、それまで耕運機か何かの類を動かしていたのを既に止めたようだった。それから玄関に向かい靴を履き、鏡の前に立つと父親が入ってきて、もう出るのかと訊いたので、首もとを弄りながら肯定を返し、じゃあ行ってくると告げて出発した。
 櫛型の半月が今日も南にすっと立って浮かび、空に雲は、本当に一雫すらもなく、縹色の清明さに隈なく統一されたなかに正面の端、西の山の際には残光が仄かに乗って香っていた。空気は冷え冷えと冴えて、昨日よりも寒いようで、おそらく今秋一番の気温の低さではなかったか。虫の音が林から幽かに湧いてくる横を通り、坂の付近まで来ると風が向かいから厚く吹きつけて、上着があっても肌身を冷たく圧迫する。坂に入れば樹々に遮られるだろうと見込んで折れればその通りで、しばらく安んじながら上っているとしかし、後頭部で筋が張っているかのような引っ掛かりが微かに感じられた。静寂に浸されたなか、道の端に木の葉が一枚落ちて地に当たる音が立った。そこそこの勢いで落下したようで、思いの外に固く定かな音だった。
 坂を抜けて通りを渡り、駅の通路に入ってホームに下りつつ南を見上げれば、青さに浸りきった空にあるのは本当に月のみで、視線を留める縁[よすが]となるものがほかに何も見当たらない。駅のベンチには先客が二人あった。こちらは一番端に座って手帳にメモを取っていると、奥多摩行きがやって来て降りた客らが去ってまもなく、二人は連れ立ってホームの先へ立っていったが、その時僅かに聞こえた発語が日本語ではなかったように思われて、気づかなかったがもしかしたら外国人だったのかもしれない。こちらは冷風に吹かれつつ、メモ書きを続けた。
 電車が来て乗りこんでみると結構混んでいて、最初は扉際に就いてバッグも棚の上に乗せたが、七人掛けの中央が空いていたのでそこに移り、振動に揺られながら引き続きペンを走らせた。平日の暮れ方なのに何故あれほど混んでいたのだろうか。紅葉が近くなって、奥多摩の方に行く山歩きの客が増えたのだろうか。よくも見なかったが、高年層だけではなくて、右方には若い男女の姿もあった。
 青梅に着いてもすぐには降りず、周りの人々が去っていくなか、変わらずメモを留め続ける。青梅に着いた電車は方向を転じて、奥多摩行きに変わる。家に帰る途中のサラリーマンたちが乗ってくる。静寂に満たされる車内に人々の息遣いや衣擦れの音があちらこちらから立つ。切りの良いところまでメモを取ると降りて、右手にバッグを提げ、左手はポケットに収めながらホームを歩き、通路に入れば角のスピーカーから甘ったるいような感傷的なメロディが流れ出していた。
 職場に着くと奥のスペースに行き、ロッカーに荷物を入れて、上着は着たままでちょうど良さそうだったので脱がず、席に座って五時四五分直前までメモ書きをした。それから準備に入る。今日当たった相手は、(……)くん(中一・英語)と(……)くん(中一・英語)の中一コンビに、(……)くん(中三・英語)である。(……)くんは小六の時に中学受験対策を担当したことのある生徒で、中三になって高校受験を迎えてふたたび戻ってきたという次第のようだ。それで室長に、昔いた子ですよねと訊いてみると、高校には内部進学をするのでなくて外に出たいという希望なのだと言う。それで内申点が必要なので、学校に合わせて進めてくれと言われたが、彼の学校の教科書に合わせた教材はないのではないか? 棚を探ってみたものの、見たところなさそうだったので、ひとまず授業開始を待って、チャイムが鳴ると入口近くで出迎え見送りを行った。途中で、新入会生の親と弟が訪れてきた。室長のデスクのところで何か手続きをするようだったので、椅子を勧めた。子供が背もたれ有りの椅子に座って親が立っていたところを、隣の椅子から印刷用紙の入った段ボール箱を退かして、こっちに移ってあげたら、背もたれがなくてすまんけどと子供に掛けて、母親の方には座ってくださいと背もたれ有りの椅子を勧めておいた。
 そうして授業である。(……)くんは休みだった。(……)くんはcanを扱い、問題はなく、単語でほんの少しわからないものがあったくらいだ。宿題も、先週は教室が休みだったので二週間分まとめて出したのをやってきていた。もしかしたら答えを写したかもしれないが、ひとまず良い。(……)くんはやはり彼の学校に対応したワークは教室にはなかったので、適した教材を注文してもらって届くあいだの繋ぎということで、今日は学校でやっている単元を聞き、分詞を演習することにした。彼はスペルミスがやたらと多い。boyをdoyにしていたり、playingをplaingと綴っていたりと、中一生がやるような実に初歩的なミスばかりを犯していて、それがとても多いので、もしかしたらやや学習障害気味の傾向があるのかもしれない。分詞の文法の理解自体もそう悪くはないのだが、運用がぴたりと嵌まりきらない感じで、やはり細かいミスが多く、進行形と絡めて出題されたりすると難しいようだ。
 授業後はまた出迎え見送りを行い、それが済むと片づけをして、さらに室長が面談中だったので、休憩時間中に発生した案件を連絡ノートに記しておいた。退勤する頃には面談は終わっていたのでデスクに戻った室長に、書いておいたことについて報告し、そうして職場をあとにした。駅に入ってホームに上がると、今日は何も飲み物は買わずにベンチに就き、メモを取りつつ電車が来るのを待つ。奥多摩行きがやって来ていつもの三人掛けに乗ると、同じ車両内には大学生らしい若い男女、女性二人と男性一人とが通路を挟んで向かい合って座りながら談笑していた。話は、アルバイト先のコピー機を壊してしまったとか、そういう類の他愛もないものである。こちらはメモを続けながら到着を待って、最寄りで降りると電車が滑り出していくとともに向かい風が寄せてきて、風がよく湧く日だなと思った。月は西に寄って、夕刻には縦に直立していた姿を右方に傾け、船のように傾きながら白々と、はっきり夜空にひらいている。駅を抜けて通りを渡ると木の間の坂道を下りていく。沢の音はもう平常の高さに戻ったようだった。平らな道に出ても風が流れて路傍の林の上の方から静かな鳴りが降りてくる。
 帰宅するとさっさと下階に下りて、服を着替えながらコンピューターを用意し、メモは行き帰りのあいだに大方取れたのでTwitterなどを覗くとすぐに食事に行った。台所に入るとケンタッキー・フライド・チキンの残りが僅かにあり、そのほか大雑把に刻んだキャベツのサラダが皿に盛られていた。欠片の大きさと不揃いさから見て、これはおそらく父親が用意したものではないか。ほか、スチーム・ケースのなかに薩摩芋があったのは汁物を温めているあいだに立ったまま食ってしまい、オーブントースターにチーズの乗った厚揚げがあったのも熱して皿に移し、米をよそって卓に運んだ。食事中、テレビは映し出される番組にせよCMにせよすべてが子供騙しと言うかまったくくだらぬもので、と言って目をあまり向けなかったので細かな内容はわからないが音声からだけでもそれがわかるありさまで、酒を飲んで顔を赤くした父親がソファに凭れて欠伸を漏らしながら別に熱心でもなく目を向けているのを見て、こんなものを見ているのだったら本の一つでも読めば良いのにと思った。本当に、何故あのような退屈で、全然つまらず、内容空疎でまったくもってくだらないコンテンツが日本全国に放映されるに至っているのだろうか? この世界は狂っているに違いない。九時に至ってニュースに映ったあとも、父親が報道を見ながら文句を呟くのが鬱陶しく、浅ましく思われて、家でテレビの前に安穏と座って酒を飲みながら世に対する不平を撒き散らすことほどみっともなく醜い人間の姿はない。別に様々な物事を批判すること自体には何も問題はないのだ。ただ、父親の場合、彼の反応は批判/批評精神の産物と言うよりは、単なる感情的な反射の類なのであって、得た情報からさらに進んで物事を調べてみようという探究心も、自分の考えや意見を検討して練り上げようという吟味の心も持ち合わせていないのが浅ましい――とそんなことを考えながら食後の食器を洗い、風呂に行った。九時一〇分だった。窓外で風が林を揺らす音を聞きながら一五分かそこら浸かって、出てくると下階に戻り、急須と湯呑みを持って上がってきた。緑茶を用意していると、ソファでうとうとしているような父親に対して母親が、人に言っておきながら自分だって寝てるじゃんと笑いかけるのだが、それに対して父親は、ふざけんなよ、ババアと返して、その後も何度もババア、ババア、と呟いていた。まったくもって浅ましいとしか言いようがなく、お前は本当にそれで良いと思っているのか? 今まで六一年だか六二年だか生きて経験を重ねてきたその末の帰結がそうした態度で本当に良いと思っているのか? と問いを投げかけたくなるものだ。一方母親は母親で、明日が燃えるゴミの日だと、こちらが了解を返しているのに何度も何度も告げてくるのがとても鬱陶しい。二分ほどのあいだに四回くらいは聞かされたのではないか。そうした母親の振舞いを見ていると、もういくらか惚けてきていて、自分が言ったことも忘れてしまうのではないだろうなと疑うこともある。
 緑茶を持って下階に帰ると、インターネット記事を読みはじめた。「竹山博英・小野正嗣対談 プリーモ・レーヴィ生誕一〇〇周年」(https://dokushojin.com/article.html?i=6161)、「<沖縄基地の虚実13>収入、市財政の3% 現状無視の“神話”」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-283984.html)、板橋拓己「変調するドイツ政治:難民危機とポピュリズムのなかで」(http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2010/2017-04_003.pdf?noprint)と読んで時刻は一〇時二〇分、そこからフランツ・カフカ「判決」についての感想を拵えようと読書ノートを元に打鍵を進め、零時を越えた頃、一通り仕上がったのだが、まだ細かいところの文言の調整が残っている。しかしやたらと眠く、疲労感が差して仕方がなかったので、修正は翌日の自分に任せることにして、寝る前の読書もせずに珍しく零時二〇分には床に就いた。


・作文
 12:57 - 13:16 = 19分(6日)
 13:16 - 14:16 = 1時間(5日)
 14:39 - 15:31 = 52分(5日)
 15:39 - 15:45 = 6分(6日)
 22:30 - 24:11 = 1時間41分(「判決」について)
 計: 3時間58分

・読書
 12:00 - 12:13 = 13分
 12:14 - 12:48 = 34分
 16:04 - 16:24 = 20分
 21:44 - 22:22 = 38分
 計: 1時間45分

・睡眠
 3:00 - 10:50 = 7時間50分

・音楽

  • Richie Kotzen『Mother Head's Family Reunion
  • Richie Kotzen, "Special"(『Get Up』: #10)
  • cero, "Yellow Magus (Obscure)", "Elephant Ghost", "POLY LIFE MULTI SOUL"
  • Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)", "All Of You (take 1)"
  • Bill Evans Trio, "How Am I To Know?"(『On Green Dolphin Street』: #2)
  • Bill Evans Trio『The 1960 Birdland Sessions』