2019/11/15, Fri.

 また予防的暴力の理論も受け入れ難い。暴力からは暴力しか生まれず、その振り子運動は時がたつにつれて、静まるどころか、大きくなる。事実、今日の暴力は、ヒトラーのドイツで優位を占めたものから枝分かれしたということが、多くの兆しから考えられるのである。もちろん遠い過去にも、最近にも、そうしたものがなかったわけではない。しかしながら、第一次世界大戦当時の、理性を欠いた大虐殺の中でも、敵との間の相互理解という特徴は生き延びていて、囚人や無防備な市民への慈悲の痕跡、協定の潜在的尊重といったものは生き残っていた。信仰心のあるものはそれを「神へのある種の恐れ」とでも言うことだろう。敵は悪魔でもうじ虫でもなかった。ナチの「神はわれらのもとに[ゴット・ミット・ウンス]」以降すべてが変わった。ゲーリンクのテロリズム空爆に対抗して、連合軍は「じゅうたん爆撃」を行った。一国民や一つの文化の破壊は可能であることが示され、それ自体、統治の道具として望ましいことが提示された。奴隷的労働力の大量搾取はヒトラースターリンの学校で学んだものだが、それは戦後ソビエト連邦に里帰りし、何倍にも増殖した。ドイツやイタリアからの頭脳流出と、ナチの科学者に追い越されるのではないかという恐怖が合体して、核兵器が生み出された。大難破後のヨーロッパから逃げ出した、絶望したユダヤ人の生き残りたちは、アラブ世界の真ん中にヨーロッパ文明の孤島を作り出した。それは驚嘆すべきユダヤ主義の蘇生であったが、新たな憎悪の口実にもなった。大敗北以降、ナチの静かな四散は、地中海や大西洋や太平洋に面した十以上の国々の軍隊や政治家に、迫害と拷問の技術を教えることになった。多くの新たな独裁者たちは、引き出しにアドルフ・ヒトラーの『わが闘争』を入れている。それはおそらくいくらかの修正か、どこか名前を変えることで、また新たにタイミング良く出てくる可能性がある。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、240~241)


 一一時四五分起床。一〇時頃に既に意識は覚醒していたのだが、目はひらいても身体を起き上がらせる力がどうしても身に寄ってこず、青空に輝く太陽の光を時折り瞳に取り入れながら長々と怠けることになった。この睡眠というものはもう少しどうにかならないものなのか。睡眠こそが人間の最大の敵ではないのか。ようやくベッドから離脱すると、コンピューターを点け、ブラウザを立ち上げてTwitterを覗いてみたところ、ダイレクトメッセージが届いており、誰かと思えばNさんだった。急だけれど今日の夜、通話できないかと言う。こちらもそろそろ彼女とまた話をできればと思っていた頃合いだったので、ちょうど良い、渡りに船である。返信はひとまず措いておいて上階に行き、食事を取っている母親に挨拶をして、ジャージに着替えた。台所に入ると、フライパンにはトマトソースか何か赤いものを絡めた鯖が焼かれており、玉ねぎやベーコンの入ったスープもあった。冷蔵庫を覗けばそのほか、前夜の麻婆豆腐の残りが少量と、廉価なピザが何切れかあったので、それぞれ取り出して麻婆豆腐は電子レンジへ、ピザは三切れを取ってオーブントースターへ突っこんだ。加熱のあいだに米とスープをよそって卓へ運び、麻婆豆腐が温まると持ってきて椀の白米の上から注ぎ掛けた。そうして食事を始め、ピザもまもなく焼けたので取ってきた。隣のKさんの宅が昔あった敷地に、草取りの人足が二人、来ていると言う。先般、こちらが顔を合わせて、車を停めるのにうちの土地を使っていいと言っておいた人たちだろう。母親は彼らに、リポビタンDと、蜜柑を一つずつあげたと言う。良いことだ。
 食事を終えると母親の分も含めて皿を洗い、それから風呂も洗いに行って、出てくるとそろそろ母親は仕事に出る時間である。こちらは下階に下りて自室から急須と湯呑みを持ってきて引き返し、古い茶葉を流しに捨てると、テーブルの端で急須に新たな茶葉を入れ、一杯目の湯を注いだ。それから台所に行って冷蔵庫を開け、昨日母親が買ってきた素甘が一つ残っているのを頂くことにして、プラスチックパックを取り出し、薄いビニールに包まれたピンク色の素甘をポケットに入れ、それから卓の端に戻って急須に茶を注いだ。さらに、二杯目三杯目の分の湯を急須にまた注ぐと、茶葉が直線的に落ちる液体に乱されて縦横無尽に踊り回るのが見える。そうして急須と湯呑みをそれぞれ手に持ち、階段を下りて自室に帰った。TwitterをひらいてNさんに、勿論良いですよと返信を送っておき、それからこの日の日記を早速書き出して、ここまで記せば一二時三八分。
 「彷徨いを生業として幾星霜前世の恋を諦めきれず」という一首を拵えた。(……)キリンジ "グッデイ・グッバイ"の流れるなか、屈伸や開脚をして下半身の筋をほぐした。肩もぐるぐる回しておき、次の"イカロスの末裔"に入ってからアンプのノブをひねって音量を徐々に絞っていき、音楽を止めると前日の日記を書き出した。Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』から聞いた三曲の感想を綴り、その後の生活も記述して、文章のなかの自分を寝かしつけることができると、ちょうど二時に至っていた。それからまず、イタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』の記事をブログとnoteに投稿し、これは大した内容の感想を書けたわけでないのでTwitterには通知を流さず、そうしてさらに、一四日の日記もインターネット上に放流した。そうして二時を過ぎたので洗濯物を入れなくてはというわけで室を抜け、階段を上がっていくと、ベランダに続くガラス戸の向こうから黄金色の柔らかな光が洩れている。戸を開けてスリッパを床に落とし、吊るされたものを取りこみながら大気に向かって肌を張って押し広げると、もうかなり清冽な、熱のない空気の感触が頬に訪れる。太陽の光が眩しくないのはもうそういう季節だということか、それとも西の林の樹冠に差し掛かるところだからか、あるいは視認はできないものの、光の前に淡い雲が挟まれているのか。
 ソファの背を置き場所にして、タオルや肌着を畳んで整理していくあいだ、南窓の外、眼下では近所の家の敷地に生えた樹の、もう葉を強い臙脂色に変えたのが緩い風を受けて僅かに震えている。畳んだタオルはまとめて洗面所に運んでおき、下着の類はソファの背の上に並べて、それから面倒臭いがアイロンも掛けるかというわけで、台を出して器具のスイッチを入れた。アイロンが温まるのを待つあいだに、母親の肌着やジャージを畳み、それから台の前にしゃがみこんで、あるいは膝立ちになって、母親の白い薄手のシャツの皺を取った。そのほか、ハンカチやエプロンにもアイロンを掛けていくその目の前、炬燵テーブルの上には、荒庸子というチェリストのコンサートのチラシがあって、見てみれば一二月二一日土曜日に文化センターで行われるらしい。ちょっと行ってみたい気もしたが、当該日はあいにく、「G」のメンバーでの会合がある。そういうわけで断念しつつ作業を進めて、終えると器具のスイッチを切り、台を部屋の隅に立て掛けておいて自室に帰った。椅子に腰を下ろしてここまで書き足せば、もう三時が目前となっている。
 毎日の読み物を消化することにした。それで一年前の日記をひらき、相変わらず本文はないので冒頭のカロリン・エムケからの引用のみ読んで、次に二〇一四年二月二一日金曜日の記事も読んだ。この頃はまだ体調が万全でなく、もうよほど良くなってはいるけれどもそれでも未だ不安障害の圏域内にいるようで、この日は精神安定剤を追加して、ふわふわとした感覚を味わいながら労働に臨んだらしかった。過去の日記を二日分読むと、次にMさんのブログの一一月九日の記事を読んだ。時折り小さな笑いを漏らしながらゆっくりと読み、読了すれば三時二五分、出勤前に腹をいくらか埋めてエネルギーを補給しておくことにして、上階に行った。冷蔵庫から廉価なピザの残りと、前夜の味噌汁の余りが一杯入った椀と、同じく前夜の余りである紫白菜や隼人瓜の生サラダを取り出す。味噌汁は電子レンジへ、ピザはオーブントースターへ、そのほかにまた玉ねぎとベーコンのスープも飲むことにして火に掛けて、サラダをドレッシングと共に卓に運んだあと、台所で肩を回しながら品物が加熱されるのを待った。温まったものそれぞれを持って卓に運ぶと、椅子に座って食事を始めた。新聞は国際面をひらき、そのなかからまず、香港で刑務所職員一〇〇人が臨時の警察として働かせられるという記事を読んだ。しかし、香港警察は三万人の勢力を誇っており、そこに一〇〇人程度足したところでさして変わらないような気がすると言うか、いかにも少ないという印象を禁じ得ない。思い過ごしかもしれないが、何だか、妙な感じがする。次に、アメリカの議会下院で行われている弾劾決議に関連した公聴会の報を読んだ。駐ウクライナ臨時大使と書いてあったか、テイラーという名前の職員だったと思うが、その人が、対ウクライナに関しては正規の外交ルートとはほかに、ジュリアーニニューヨーク市長などを通じた裏のルートがあるように見えた、と証言したらしい。最後に、米国とトルコの大統領同士の会談の記事を読み、相変わらずのドナルド・トランプ自画自賛ぶりに皮肉な笑みを浮かべつつ、ものを食った。食事はピザをまず貪り、玉ねぎとベーコンのスープを飲み、冷たい生サラダを先に平らげて、最後に温かな味噌汁を啜って腹を熱で埋めた。それから席を立つと台所で食器を洗い、階段を下りながら途中で薄水色のワイシャツを取って部屋に戻ると、ワイシャツはベッドの上に投げ出しておき、洗面所に歯ブラシを取りに行った。口のなかに棒を突っこみながら戻ってきて、歯を磨きながらインターネット記事を読んだ。一つ目はもう古いものだが、ジョナサン・ヘッドBBC東南アジア特派員「【ロヒンギャ危機】 ロヒンギャ武装勢力の真実」(https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-41605519)である。

 「アタ・ウラー氏と広報担当者は明確に、民族国家主義運動を自認している」。タイ・バンコクの安全保障アナリスト、アンソニーデイビス氏はこう指摘する。
 「国際的なイスラム教聖戦主義や『イスラム国』(IS)、アルカイダと、何も実質的につながっていない。自分たちの闘争の目的は、ラカイン州内のロヒンギャの権利回復だという認識だ。分離主義者でもなければ、イスラム教聖戦主義者でもない」
 しかしながらミャンマー軍は、アタ・ウラー氏の組織[ARSA(「アラカンロヒンギャ救世軍」)]を「外国の支援を受けた、ミャンマー国民に対する陰謀」だと巧みな印象操作に成功した。大量のロヒンギャバングラデシュへ逃げたことは、ミャンマーではほとんど報じられていない。

 「バングラデシュの態度が今後の展開を大きく左右する」と、アンソニーデイビス氏は言う。
 「国境を閉鎖し続けるかもしれない。あるいは、バングラデシュ系にせよ外国系にせよ、ロヒンギャがいなくなった空白にイスラム過激派が入り込んでくるくらいなら、ARSAに最低限の支援を提供するかもしれない。

 次にさらに山本貴光イスラエルの超天才が示す「歴史を学ぶ価値」」(https://toyokeizai.net/articles/-/311847)を読み、その途中で口内を掃除し終わったので洗面所に口を濯ぎに行き、そのついでに洗面台の内側が汚れていたので、手近にあった網状の布を取り、石鹸を擦りつけて掃除したが、あまり綺麗にはならなかった。

 例えば、私たちが日々交わすメールやチャット、検索の記録やスマートフォンの使用履歴、クラウドに保存しているファイルの中身、スマートウォッチで計測している歩数や脈拍をはじめとする各種生体情報、過去の医療情報などを、まとめて管理するアルゴリズムがあるとしたらどうか。
 このとき、そのアルゴリズムは私のことを私以上に知ることになるだろう。しかも、同じようにアルゴリズムに自分のデータを委ねる人が数十万、数百万人といれば、統計的な比較検討も可能になり、そこからさまざまな事実が判明するかもしれない。その膨大なデータは人間ではとても扱いきれず、コンピューターで動くアルゴリズムでこそ処理できるものだ。これは絵空事ではなく、技術的にはすでに実現可能である。
 (……)
 だが、これまで人間が担ってきた仕事が、より効率的で疲れを知らないアルゴリズムで実現できるようになったらどうか。一方では、こうしたテクノロジーの恩恵を受けていっそう大きな力を得るホモ・デウスが現れ、他方には疎外され、無用の人となったホモ・サピエンスが取り残される。新たなカースト制が生まれ、ホモ・サピエンスは、かつての奴隷のような立場、自分たちが使役してきた動物のような立場に置かれるのではないか。

 部屋に戻ってくるとBill Evans Trio『Portrait In Jazz』を、"Someday My Prince Will Come"から流しながら服を着替えた。ジャージの上着を脱いでワイシャツを身につけ、次にズボンも脱いで紺色のスラックスを履いて、それから水色の地にドット模様が付されたネクタイを締める傍ら、Bill Evansの明快なピアノ演奏に耳を送っていた。そうして紺色のベストを羽織って準備はOK、コンピューターの前に立ち、もう青いように薄暗くなった部屋のなかで、白く際立つモニターを見つめながら打鍵を始めた。日記を綴っている途中、『Portrait In Jazz』が終わって"Israel"が始まり、『Explorations』のやつだなと手指を動かす傍ら耳をやっているうちに、これはちょっと凄い演奏なのではないかと感じられた。その次の曲が、『Explorations』ならバラードの"Haunted Heart"だったはずが、聞き覚えのないものだったので、プレイヤーがランダム再生にでもなってしまっていたかと思って見たところ、今しがた流れた"Israel"は『Explorations』のものではなくて、『Trio '65』の音源だったので驚いた。そもそもライブラリはアルバム名がアルファベット順に並んでいるのだから、『Portrait In Jazz』の下に『Explorations』があるはずもなかったのだ。それで、このアルバムの面子は誰だったか、Gary Peacockが参加している盤が一枚くらいあったはずだが、それがこれだったかと調べてみたところ、Chuck IsraelとLarry Bunkerのサポートで、Chuck Israelという人は今までScott LaFaroに比べると全然地味で印象に残らないベースだとしか思っていなかったが、ここでその評価を改めて、きちんと聞いてみなくてはなるまいなと認識を新たにした。六一年の奇跡のトリオ以外にも、Bill Evansの作品はなかなか侮れないものがあるものだ。
 出発前に音楽を聞くことにして、椅子に腰を据えてヘッドフォンをつけ、背筋を伸ばして肉体の動きをじっと止めながら、Bill Evans Trio "All Of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』)を聞いた。二回連続で流して耳を傾けた。一聴してみても、Paul Motianのドラムが、五九年の『Portrait In Jazz』でのプレイに比べて、明らかに自由度が高くなって進化していることがわかる。この音源のピアノソロは三段階に分かれており、第一段階はドラムがブラシを使って繊細なスネアの扱い方を聞かせるパートで、ここでは、LaFaroが例によって蠢いてはいるものの、演奏はまだ比較的落着いたものになっている。次の段階はドラムがスティックに持ち替えて以降の前半部で、段々と演奏は盛り上がりを見せてくるが、ここではベースはまだ二分音符以上を基調として音価を長く取っており、ビート感は緩やかである。そして、Motianのシンバルワークにも力が入り、ベースが一拍に一音を刻んで正式なフォービートを奏で出す後半部が最後のパートだが、ここに至ると演奏は本格的に活気づいて、Evansも流麗に走りはじめる。どの場面でもEvansのピアノはとても几帳面である。彼には形式主義者的な面が強くあると言うか、形式的構成に対する感覚がほかのピアニストとは比べ物にならないくらいに優れているという印象を覚える。ソロだけではなく、ベースソロの裏のバッキングにおいてさえその構築感覚が表れているように思われ、リズム的に単調な振舞いは取らず、丁寧に流れを整えて歌うようなコンピングになっている。やはり非常に折り目正しいピアノではあるだろう。ただ、その折り目正しさ、紳士的な形式性があまりにも高度に飛び抜けているので、異質性を感じさせるほどなのだ。対してPaul Motianのプレイは几帳面からは程遠い。ドラムソロを聞いてみるとやはりキックの踏み方が奇妙で、わざわざリズムの取りづらい微妙な箇所にバスドラムを差しこんでおり、それによって上層部の流れを恣意的に、ほとんど故意に乱しているような感じを覚える。上と下との音の取り合わせ方がちぐはぐなのだが、これはやはり何かしらの効果を狙って計算されたものと言うよりは、おそらく彼特有の生理から出たものではないかと推測され、だとすればMotianのリズム的構成感覚というのは、ほかのドラマーとは全然異なった種類のものなのではないだろうか。
 "All Of You (take 1)"を聞き、それについてメモを取っておくともう五時を回ったので、出発することにした。コンピューターをシャットダウンし、バッグを持って、廊下に吊るされたスーツの上着を腕に掛けて上階へ向かった。階段は真っ暗で、手探りでスイッチを点けて上に上がっていき、バッグを置くと上着を身につけて、そして居間の三方のカーテンを閉めた。それからトイレに行き、ほんの少量だけ排便すると出てバッグを持ってきて、玄関の電気を点けて外に抜けた。隣の土地の端には、刈り取った草を入れたビニール袋がいくつも並び、積まれていた。ポストに寄って夕刊を取って戻り、玄関内の台に置いておくと明かりを消して、戸口をくぐって鍵を閉めた。
 空気はかなり冷えていて、上着とベストを着ていてももうだいぶ寒く、道の正面を見通しても西の山際に残光すら見えず、空は雲を一滴も許さず澄み静まって、硬質な青さが渡りひらいている。十字路から坂道に入って上っていけば、道の端だけでなく中央付近にも葉が落ちているその散らばり方に、季節の進みが見られた。闇の奥から虫の音が、遠く小さくしずしずと湧き、出口近くまで来れば向かい風が寄って、耳が痛くなりそうな冷たさで、頬にも冷気の擦れる刺激が点じられた。横断歩道を渡りながら、駅前の楓が枝先の下から赤く染まっているのを見たが、しかしこれは実は、先日は気づかなかったが紅葉しているのでなく、信号の赤いライトが反映しているだけなのだった。それでもその色合いは、まさしく秋に触れられた葉のそれである。立ち止まり見上げて、その梢から赤さが消えて緑に戻る瞬間を見届けてから、階段に向かった。
 ホームのベンチには先客に中年の女性が一人あって、黒いタイツに包まれた脚を前に振ったり引いたりして、寒さに耐えているようだった。ベンチの反対側の端に腰を掛けて手帳にメモを取っていると、女性は電話を始めて、その声がやたらと大きく、まるで酒に酔っているかのような口調だった。散歩してきて帰るところだとか言い、寒さを訴えている。それを聞くともなしに耳に入れながらペンを動かし続け、電車が来て乗りこめば目の前に(……)さんがいて、目が合ったがすぐに逸らされてしまった。一応会釈をしておいて、車両の端に移って立ち、揺れに妨げられながら紙に文字を記していって、青梅に到着するとちょっと待ってから降り、ホームの黄線に沿って歩いて階段へ向かった。
 職場に着くと、今日はまだ室長の姿は見えない。会議でマネージャーと戦ってくるとか先日話していたが、何について戦うのかは聞かなかったか、あるいは聞いたかもしれないが忘れてしまった。座席表を見ると、今日の担当の生徒は、(……)(中三・英語)に(……)くん(中三・英語)、それに初顔合わせの(……)さん(中一・英語)である。確認すると奥のスペースに行き、ロッカーに荷物を収め、席に就いてまた手帳に文言を書きつけた。奥の区画では授業のない生徒たちの雑談の声が聞こえており、(……)くん、(……)、(……)くんの三人だなと話し声から聞き分けた。こちらは視線を手もとに落としてメモを取っていたのだが、すると、(……)くんが近くを通る際にちわ、と声を掛けてきて、これは今までになかったことである。それから(……)くんと(……)の二人も同じように挨拶してきて、一年生の(……)はちょっとふざけたような感じだったが、席に戻る時にもまたもう一度掛けてきた。このような振舞いにどういう意図があるのかは不明である。この三人は、先日自習席に並んでいた時にも、何かこちらのことを噂していたような雰囲気を醸し出していて、妙な視線を感じたりもしたのだが、一体何を言われているのか。しかし、多分悪く思われているのではないようなので、それならそれで構わない。
 五時四五分に至るとタイムカードを通して準備を始めたが、ほかの講師らも準備をするので、生徒情報をまとめた棚の前やコピー機の周りに人の行き来が多く、そのあいだで動き回るのが煩わしかったので、席に就いて手帳にメモを取りながら同僚たちが準備を終えるのを待った。そうして必要なプリントをコピーしたりしたあと、入口付近で出迎え見送りである。そして、授業に入る。(……)さんは初めて当たる生徒だったので、初めましてと挨拶をした。単語テストは勉強してきたと言うのでやらせてみたが、しかし勉強が不十分だったのか、なかなか上手く思い出せずに苦戦して時間が掛かってしまったので、途中で打ち切らせてもらった。授業本篇で扱ったのはLesson 7のGet 2、canを使った疑問文・否定文の単元で、ワークの問題は基礎的な方の一頁はまったくミスなく解けていた。それに加えて、やや発展的な方の一頁から、大問を一つだけ解いてもらったが、ここでのミスもTheを抜かしたり、His sonのsonを抜かしたりというものだったので、まあ特段の問題はないのではないか。
 (……)くんは単語テストの勉強はしていなかったようだが、それでもできるかもしれないと言うのでやらせてみたところ、確認もあまりせずに見事にほとんど正答していたので、自分自身での学習がどうやら進んでいるようだ。今日扱ったのはWould you like ~ほか、会話文の表現と、Lesson 6 USE Readの単元。USE Readの本文を全然確認できなかったのが心残りだが、独力で解き進める実力はある。ノートも結構充実させることができた。
 (……)は授業時間がかなり進んでも現れなかったので、今日はサボりなのではないかと思ったところが、授業が半分以上過ぎてからようやくやって来た。それで残り時間もあまりなかったので、まず単語テストの紙を使って分詞の後置修飾の文を二つ確認し、それをノートにも記録してもらったあと、分詞の問題を一頁解いて終了である。彼にしては結構真面目にやっていたような印象で、こちらが見ていないあいだも一応ワークを解き進めてはいたし、ここにisがあるのが何でなのかわからないとか、ここにaがあるのが何でなのかわからないとか、そういった質問も寄越してみせた。
 そうして授業終了。入口近くで生徒の出迎えや見送りをこなしているあいだ、教室の外に出て溜まっていた(……)がこちらを見ながら、投げキッスを撒き散らすような振舞いを取ってみせて、その滑稽な様子を受けても表情を微塵も動かさずに固い視線を送りつけていたところが、その無感情ぶりが面白かったようで相手が笑い出したのを機に、こちらもちょっと顔を緩めてしまった。その後、電話が掛かってきたので出ると、(……)くんの母君で、室長を要求されたが彼は面談中だった。終わってから折り返す形にしましょうかと尋ねると、何時くらいになりますかと問われたので、八時頃にはお掛けできるかと思いますが、と受けて、それで相手も納得したようだったので通話を終えた。しかしそうは言ったものの、本当に八時までに面談が終わるかどうか心許なく、場合によってはこちらからまた電話を掛けて時間を変更させてもらうようかと思われたので、片づけをしたあとも奥のスペースに残っていると、お誂え向きに八時前に面談が終わったので安心して室長に報告し、八時までに終わらなかったらどうしようかと思ってビビってましたよ、と笑った。
 それで退勤すると、駅前の電話ボックスの付近に(……)兄弟がいた。外にいた(……)の方はこちらに気づかない振りをしながら近づいてきて、至近に来てからあたかも今気づいた、というような振舞いを取ってふざけ、電話ボックスのなかにいた(……)の方はガラス戸を叩いて、出られずに閉じこめられてしまったかのような振りをしてやはりふざけた。その(……)がテレフォンカードを持っていたので、今時テレフォンカードを用いて公衆電話で連絡をするなんて珍しいと思って、テレフォンカード、と指摘すると、うち、貧乏なんでスマホ買えないんですよ、と彼は言った。親に迎えを頼んだらしい。俺も貧乏だから、スマホ買えないんだよ、ガラケーだよと返すと、でも先生の家、結構大きいじゃないですかと言うので――彼らとは家が近く、自宅前にいるところに出くわしたこともあるのだ――、だってあれは俺の力じゃないから、と笑った。そうして別れ、駅構内に入ってホームに上がり、今日は寒いし温かいものを飲むかというわけで、ショコララテという品を購入し、ベンチに座って熱を胃のなかに取りこんだ。たかが一四〇円かそこらの自販機の飲み物だから当然だが、大した味ではなかった。飲み干すと席を立ってダストボックスにボトルを捨てて、手帳を取り出しペンを操りはじめた。左方には一人、男子高校生が座っていたが、そのあとからもう一人、硬派めいた髪型の友人がやって来て、マジで寒い、と言って寒気の強さをこぼしていた。右方の自販機の前にはサッカークラブの少年たちが大挙して集まり、筐体をばんばん叩いて騒がしくふざけながら飲み物を購入していた。
 奥多摩行きがやって来ると、三人掛けに乗りこんで、引き続きメモを取り、最寄りに着くと降りてホームを行きながら、月はないかときょろきょろ見回したり振り仰いだりして、すると後方に人の気配が感じられて振り向けば、電柱に隠れるような素振りを取る人影がある。どうも(……)兄弟らしく思われたが、ひとまず無視をして進み、階段を上っていくと頂上付近の壁に黄色っぽい蛾の、広げた手のひらくらいはありそうな巨大なものが止まっていた。頂上に着くと背後から気配が上ってきたので立ち止まり、わざと転ぶ振りをした(……)に、めっちゃでかい、と言って蛾を示すと、気持ち悪、と言って近づくので、やめとけ、やめとけ、と制止して階段を下りはじめた。迎えは結局来なかったらしい。適当に雑談をしながら階段を下り、通りを渡って連れ立って坂を下りていくと、先生高校どこだったんすか、と訊かれるので、もうないよと答える。どのくらいのレベルかという問いには、立川高校に行けない奴らが行く、みたいなと答えると、めっちゃ頭いいじゃないですかと大袈裟な反応があった。続いて大学についても訊かれたので、教えられねえよと濁していると、バカ田大学ですかと言うので笑い、名前は似ている、とヒントを漏らしてしまった。早稲田、と続くのににやにや笑みを返し、相手が合点しそうになったところで違うよ、と否定して、勿論東大に決まってんだろ、と根も葉もないことを言うと、林修じゃないですか、と返って、そこで林修の名前が出たのが何故かちょっと面白くて笑ってしまった。兄弟は、林修は東大ではないとか、いや東大だ、とか争いはじめたので、林修のことはもうどうでもいい、とこちらはぶった切り、すると先生何でそんないい大学出たのに、塾で働いてるんですかと手厳しい質問が来たので、いや、俺にも色々事情があるんだよと適当にはぐらかした。その後、部活は何だったかと訊かれたのに、軽音楽部、と答え、バンドをやっていたと言うと、何かそんな感じする、と返るので、嘘でしょ、そんな感じないだろと疑った。こちらは世間一般に流通しているバンドマンのイメージにはそぐわない人間だと思う。ギターを弾いていたよと続けると、X JAPANですかと言うので笑ったが、いや、そう言えばX JAPANもやっていたなと思い直してそう言った。"Silent Jealousy"とか"紅"とか、正式に披露した機会はなかったはずだが、練習の際には遊び半分でちょっとやったりしていたものだ。すると、それは意外だわ、という反応が返った。
 坂を下りきったところで兄弟と別れ、冷えた夜道を辿って帰宅した。帰宅後のこと、着替えをしたり食事を取ったり、といった場面の行動についてはあまりよく覚えていない。自室で着替えるとすぐに食事に上がりはしたはずだ。食事はトマトソースを絡めた鯖や、厚揚げや、竜田揚げだった。入浴時のこともあまり覚えていない。短歌を頭のなかで拵えていたはずだ。それで風呂から上がって部屋に帰ったあとは、「罪と罰の綯い交ぜになった泥濘に足を浸して出られぬ運命[さだめ]」と、「断食をせずにはおれぬ孤独から産まれた御子を伏して崇めよ」の二つの歌をTwitterに投稿した。風呂から出た時点で多分九時半くらいだったのだろうか? 九時四九分から読書時間が記録されているが、この時にはWeb論座の香港関連の記事二つを読んだ。一つ目は、清義明「平和的デモは役立たないとあなた達が教えてくれた 連続インタビュー 香港の「一般意志」 【2】民主派団体 民間人権陣戦副代表・黎恩灝」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019111200003.html)。

 しかし、警察の暴力に対抗したということはあるのだろうが、それでもここまでプロテスターが過激化していったというのはなぜなのか。最近の世論調査でも、4割以上の香港市民が過激化する抗議運動を支持しているという調査結果が出ていた。この背景はなんなのか。前回のインタビューでも取り上げた2016年の若者の騒乱は暴力的だと世論から批判を浴びていたのが、なぜここまで支持されるようになったのか。
 「6月9日のデモが重要なターニングポイントでしょう。6月9日に民陣が呼びかけたデモには百万人が集まりました。しかし香港行政府は全くこの要求を受け入れなかったのです。そして、6月12日に逃亡犯条例の改正案を立法会で通過させようとしていました。この時、たくさんの『勇武派』の人が命を捨てる覚悟で、立法会に突入をはかり議事を止めました。もし勇武派がいなければ、逃亡犯条例の改正案はこの時点で通過したでしょう」

 「市民は賢明です。百万人の平和なデモは結局無視され、勇武派の過激行為でやっと撤回になりました。それで市民が勇武派の反抗を理解するようになって支持し始めたのです」

 11月には香港の大規模な地方選挙があるが、この地方選挙は民主派勢力が圧勝となるだろう。この地方議員というのは、間接的に行政長官選挙にも影響があるのもポイントだ。香港基本法に基づき、行政長官を指名する「選挙委員」の1200人には地方議員も含まれる。行政長官選挙はこの1200人が1人1票をもつ。黎氏によれば、選挙委員の民主派の勢力は約300人おり、これに地方選挙で上積みができれば、選挙委員の過半数分の600票に近づくわけで、行政長官の指名に大きな影響を与えられるということなのだ。

 そしてもう一つ、同じシリーズの、清義明「私たちは150年アイデンティティを奪われてきた 連続インタビュー 香港の「一般意志」 【3】チャイナ・レイバー・ネット編集委員 區龍宇氏」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019111200006.html)。

 この逃亡犯条例改正案反対運動が起きた6月から何度か私が香港に訪れて、一番衝撃を受けたのは、7月21日の抗議だった。
 第二回インタビューで取り上げた民間人権陣戦主催の昼間のデモは平和裏に行われたが、この夜は荒れた。若者の一部は夜になると、ガスマスクとヘルメットを装備して、デモの行われた香港島の各所で破壊活動と道路封鎖を行い、それから押し寄せたのは、信じられないことに中国中央政府出先機関である駐香港連絡弁公室(中連弁)で、そこをプロテスターは襲撃したのである。

 「若者達は二つの傾向に分かれています。ひとつは、開かれた政治傾向をもつグループ。自分たちを本土派だと言っていても、移民達やマイノリティーに対する攻撃はしません。暴力的なこともあまりしたいとも思ってないグループです」
 「もうひとつは、暴力的で、言葉も差別的なものを使うグループです。面白いのは、インターネットでのやりとりやデモの前線の様々な場面で、二つのグループの間に意見の相違が発生することです。どこかである人達が暴力的なことを行う時、必ず別の人が出て『駄目だ! やめて! そこまでだ』などと止めていたりします」

 それで時刻は一〇時を回り、Nさんとの約束は一一時からだったので、それまで音楽を聞こうというわけで、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から"Waltz For Debby (take 1)"を流した。とても朗らかかつ優しげで、人間味の香る温かさに溢れた曲。そのような楽曲としての魅力はたっぷりなのだが、演奏としては、このトリオにあっては尋常のものではないかという気がした。Bill Evansはいつもの通り非常に明快に整っているものの、深く打たれるほどの驚きをもたらすような瞬間はない。Scott LaFaroのベースソロは、この人にしては落着いており、もっと速く細かく弾くことも勿論できるはずなのだが、優しげな曲調に合わせて綺麗なメロディを奏でることに注力したか、穏やかな展開に終始していて、それがほんの微かに固いような印象を与えないでもなかった。終盤、回帰してきたテーマでのピアノのコード押印は歯切れ良く、Evansのタッチの強固さが窺える。
 もう一度続けて聞いた。改めて傾聴してみて気づいたが、ここでのEvansのソロは細かく音を詰めて駆けるフレーズがおそらく一度も出てこなかったと思う。このテイクでは安易に速弾きに走らず、優しさや穏和さを表現することに心を尽くしたのだろう。実に明朗に、落着きながらも鮮やかに歌っており、二回目を聞いてみると、この曲にあっては彼のそうした姿勢を尊重するべきだと思われた。ベースソロも、三連符の駆け下りが僅かに出現するのみで、あとのフレーズは八分音符以上に細かくはならない。彼もEvansの穏和さに合わせたか、あるいは意識せずとも自ずと和合するように誘われたか、傍若無人と言うか、お構いなしに我が道を行くことが多いようなイメージのLaFaroとしては、調和的な振舞い方である。終わりのテーマにおいて鮮烈な印象を与えるコードプレイに関しては、二度目を聞いてみても同じ感触を得て、鋭いとすら言ってしまっても良いほどにここでは力が籠められているように聞こえ、この曲に一貫して底流している優しさのなかで終幕直前のこの箇所だけが僅かに逸脱しているようにも思えるのだが、何故そこでEvansはそのように強く主張するような振舞いを取ったのか、彼の意図がどこにあったのかはわからない。
 それで音楽を聞きメモを取ると約束の一一時が近づいたので、隣室に移ることにして、コンピューターを運び、それからヘッドフォンと電源ケーブルも追って持っていった。電源ケーブルをコンセントに接続し、ヘッドフォンも直接コンピューターのジャックに繋ぎ、Skypeにログインして、短歌を考えながらNさんが現れるのを待つ。「Waltz For Debbyとともに夜が更けてあの子は眠る」と、第四句まではまとまっていたのだが、最後の一節がどれを考えてもありきたりになってしまい、定まらないのだった。そうしているうちにNさんがログインしてきたので挨拶し、Yさんは寝ているか何かで連絡がつかないようだったので、先に二人で話していましょうということで通話を開始した。冒頭近く、何か、鼻声じゃないですかと言われたのだが、声が低めでややざらついていたのでそのように聞こえたのだろうか。特に風邪を引いたりはしていないですよと答えると、前に話した時はテンションが高かったと思うんですけど、と来たので、前回、そういうことも話しましたねと思い出し、その頃と比べると落着きましたねと現状を述べた。
 序盤にはまた、最近はTwitterで文学談義の相手を募集したりしないのかと問われたので、最近は全然やっていないですねと答えると、何かそういう、時期があるんですかと問いが続くので、うーん、と考え、あるかもしれないですねと曖昧に受けた。――最近、二〇一四年の日記を読んでるんですけど、そうすると、承認欲求に対する強い嫌悪感が表明されているんですよね。で、その気持ちは今もまだ、わからないではないわけです。つまり、人に認められるために書くとか、繋がるために書くなんてくだらない、という単純な気持ちが一方ではあるんですけど、もう一方では、当時ほどそういった感情を厭悪するということはなくなって、まあ多少そういう気持ちがあってもいいじゃないかと緩く落とす感じですね。でも今は、まあわりと元に戻ったと言うか、一人でやろうじゃないかと、ただ黙々とやろうじゃないかと、そんな気分になってますかね。
 ――他人に認められるっていうことも、まあそんなに焦る必要はないっていうか、もし仮にこの先本当に死ぬまで文章を書き続けられるとしたら、どこかで誰かに認められることはきっとあると思うんですよね。だから、今すぐにそんなに評価を求めなくてもいいなって思うようになりました。つまりはまあ、どうせ歴史に残るのだから、全然焦ることはない、と。そのように誇大妄想的な大言壮語を吐きながら一人で爆笑しているとNさんは、死んだあとでもいいんですか、と問うたと思うが、それに対してどのように答えたのかはよく覚えていない。その直後に、まあそんなこと言っておきながら、ほとんど誰にも見向きもされずに終わるかもしれないですけどね、と冷静に執り成しておいた。しかしまあ、自分は一応、一〇〇年後、五〇〇年後、一〇〇〇年後の読者を想定していると言うか、別にそのことをそんなに真剣に考えているわけではないけれど、今の人間たちが紫式部日記などを読んで、西暦一〇〇〇年くらいの日本人は――非常に特殊で特権的な立場の日本人だが――こんな生活をしていたのか、と興味深く思うのと同様に、一〇〇〇年後の人々がこの詳細な日記を読んで、西暦二〇〇〇年頃の日本人はこんな生活を送っていたのだなあと興味深く思ってくれればいいな、とちょっと妄想しないわけでもない。ただ、あまり広く読まれるものにはならないかもしれないが。堀越孝一という歴史学者が『パリの住人の日記』という本を出して、一五世紀のパリ住民の日記を取り上げていて、結構前からちょっと読んでみたいと思っているのだが、まあそんな風な、歴史学者の対象になるようなニッチな文章として読み継がれていくかもしれない。あるいは勿論、それすら叶わずに歴史の堆積のなかに埋もれてしまうかもしれない。それならそれでまったく構わない。
 Nさんと二人で話していた通話前半は、本の話をしている時間が多かったと思う。こちらがカフカを読んでいたのに触発されて、彼女もカフカを読んでみたと言った。読んだのは『変身』と『判決』で、新潮社の決定版全集を借りて触れたらしい。『変身』が面白かったと言うので、『変身』はカフカのなかではきちんとまとまっている方ですよね、何故か知らないけれど、うまく書けちゃっている、と評価を下し、カフカのなかで一番有名で広く読まれているのもあれなんじゃないですか、まあわかりやすいですからね、ある朝目覚めたら虫に変わってしまっていたっていう、舞台設定としてわかりやすく奇妙でしょう、というようなことを述べた。次に読むなら何がいいですかね、というようなことをNさんは尋ねて、こちらが考えていると、やっぱり『城』ですか、と続くので、『城』は『変身』なんかに比べると滅茶苦茶ですけどね、それが面白いとなるか、何だこれ、となるか、どちらかって感じじゃないですか、と答えた。彼女はこちらが筑摩書房世界文学大系カフカを読んだ際の感想文も読んでくれたと言った。『判決』の感想で、母親について考察しているのが印象に残りましたと言うので、母親についてそんなに書いてましたっけと訝ると、自分には全然ない観点だったので、印象深かったのかもしれませんと返った。あの作品の母親って、ほとんど何の情報もないですからね、とこちらは受けて、二年前に死んだってことぐらいじゃないですか、わかっているのはと指摘した。『判決』に関しては、感想のなかで一応一番力を尽くしたとは思うが、――でもやっぱり、ちょっと結論がわかりやすくなっちゃいましたよね、ゲオルクが自殺するのは――いや、死んだとは書かれていないので、身投げに走ったのは――両親への彼の愛を証明するためだってことなんですけど、わかりやすいですよね、まあでもあれが今の僕の限界ですね。
 ――『城』も今回、五年ぶりくらいに再読したけれど――翻訳は以前とは違うものだけれど――あれもまあ変な小説ですよ。でも、二〇一四年の日記を読み返していたら、ちょうど前回『城』を読んだ時のことがあったんですけど、非決定性の文学、とか言ってたみたいなんですよね、それで今回読んでみてもまた不確定性がどうのとか言っているので、俺の読み、進歩してないじゃんって思いました。何が真実なのかわからないんですよね、Aという情報があるとして、それと反対の非Aがある、あることがAだと思っていたら、実は非Aだった、ところがそれがあとでまたAに戻る、みたいな感じで、両極のあいだを行き来するような感じで、どちらの地点にも確実に至ることができない、それをまあ、不確定性の煉獄に囚われる、とかいう比喩的な言い方で表したわけですけど。まああのあたりは多少は面白く書けたかな、と話した。
 最近の日本の現役の作家とか読みますか、とNさんは訊いた。ほとんど読まないですね、とこちらは答え、本当は読んだ方が良いんでしょうけどね、と挟みながら、でも文芸誌も全然読まないですからねえと受けた。何故だかわからないけれど、あんまり手が伸びませんね。Nさんは最近、文藝賞の受賞作品を読んだと言う。何という人の何という作品かは忘れてしまったが、確かに最近、文藝賞の結果が発表されていたのを、図書館で表紙だけ見かけたとこちらは笑った。Nさんによればその作品が、カフカっぽいとか評されているらしいのだが、こちらは懐疑的な姿勢で、でもまあ、カフカっぽいって言われるものは大体カフカっぽくないですからねと皮肉気に受けると、Nさんはそうなんですかと意外そうな声を出すので、カフカっぽいって言われるのって、大体夢みたいな感じだとか、奇妙だとか、幻想的、みたいなことでしょう、でもカフカの本質――などという強い言葉を使ったかよく覚えていないが――と言うか、カフカらしさみたいなものって、そういうところではないかなと思うんで、カフカっぽいって言うなら、やっぱり破綻してないといけないんじゃないですか、などと適当なことを話した。しかしその作品は、磯崎憲一郎が評価していたらしくて、その作者の人と磯崎が対談したなかの一節をNさんはSkypeのチャット画面上に貼りつけてくれたのだが、よく覚えていないもののそこでは、「~と言った」みたいな表現をわざわざ「~と私の口が動いた」みたいな書き方をしているところがあって磯崎はそこに着目して、この小説は普通の小説とは違った世界認識の仕方をしているなとそう感じたのだ、みたいなことが言われていた。Nさんの印象としても、冷静さみたいなものが作品全体に通底しているようで、なかなか面白かったと言う。磯崎が評価しているということは、結構カフカっぽいのかもしれませんねとこちらは受けて、磯崎憲一郎カフカ路線ですから、と言うと、Nさんは、路線……? とそこの言葉遣いに引っ掛かったらしく疑問の声を漏らしたので、路線って言うか、要はカフカがやっていたようなことを自分なりに取り入れて発展させているということですと補足説明をした。
 その後、對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々』を話題に取り上げて、刑務所付神父ハラルト・ペルヒャウのささやかながら素晴らしい行動力と有能さに感服し、あの時代環境のなかでそんな風に行動できるのはやっぱり本当に凄いですよ、そうした歴史に大きく名が残るわけではないけれど確固とした自分の信念に従ってなすべきことを行った小さな人々がいたということに、やはり感動しました、というようなことを話しているところに、Yさんがやって来た。お久しぶりですと挨拶し、大学編入のレポートは通ったんでしょ、と訊くと、無事通過して、明後日が面接を含んだ二次試験だという話だった。緊張は、あまりしていないということだった。まあ普通に受け答えできれば普通に通るだろうというような感覚らしかったので、余裕がありますね、やっぱり人間余裕が大事ですよとこちらは受けた。
 Yさんが加わってから、序盤になされた会話の話題をあまりよく覚えていないのだが、何かのきっかけでこちらがNさんに、恋バナはないんですかと向けた時があった。大学に入ったらどんな生活になるかと、Yさんが期待を示したところからの流れだったかもしれない。Nさんに恋バナは特にないらしかった。恋人が欲しいという気持ちも大してないようだったが、ただ、衣服を着飾った姿を見せる相手はちょっと欲しいと言う。自己完結できる時もあるんですけど、化粧したりとか、ファッションにこだわったりとか、やっぱり見せる人がいないと微妙かな、と思ってしまう時もあるとのことだ。そういう発想は全然なかったなとこちらが受けると、Fさんは自分のなかで完結してそうですもんねとNさんは判定するので、服に関してはそうかもしれないですねと落とした。(……)
 そのほか、ジャズの話も少々した。Bill Evansをまだ聞いていますかとNさんに尋ねたところ、『Greatest Bill Evans』という紫色のジャケットのベスト盤を聞いていると言うので、その場で検索をしてみた。以前も言っていたけれど、"Valse"という曲が一番好きで、その次に収録されている"The Dolphin (Before)"という曲も同じくらい好みだということだった。この二曲をこちらはどちらも知らなかったが、あとで調べてみたところ、前者はどうやら『Bill Evans Trio With Symphony Orchestra』に入っており、後者は『From Left To Right』に収録されているようだ。最近は音楽を聞く時間を取っているけれど本当に面白い、もっと前からこのように聞きこむ時間を取っておけば良かったとこちらは話し、その後、"All Of You"は聞きますかとNさんにまた尋ねたところ、本当に好きですよね、凄く聞いていますよねと笑われてしまった。ほとんど毎日聞いている。Bill Evansのような往年のジャズレジェンドのみならず、現代のジャズも面白いのだが、ただ、インターネットを検索してみてもやはり大した感想を書き綴ったサイトはないですねとこちらは言い、それなので、自分が読み応えのある感想文を書きたいとは思っていると表明した。それから、James Franciesの"My Day Will Come feat. YEBBA"を、歌が滅茶苦茶上手いので聞いてみてくださいと勧めて、Youtubeに上がっていた音源へのリンクを貼りつけた。
 その他、夢の話やNさんが行った白秋祭の話などもあったが、もう気力が乏しくなってきて、詳細に記述するのが面倒臭くなってきたので割愛させてもらおう。通話は二時頃になって終了した。その後は自室に戻って、高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』を読んだ。四四頁までのあいだで、『判決』の語りが主人公ゲオルクのパースペクティヴに常に沿っており、読者が彼の視点と同一化して物語を読むような工夫を施されているということが考察されている。一貫してゲオルクの視点から提示される語りは「いかにも公平無私のようにみえ」(44)るのだが、その実、「ゲオルクは客観性を装いながら、常に自分のことのみを語って」おり、「読者は、論理的で矛盾のない行動をとるゲオルクに、いつのまにか荷担していることになる」と言う。これは重要な指摘だと思われ、こちらも『判決』を読んでそれについて考察をものする時には、ゲオルクの立場のみに寄りすぎた読解をしてしまったようだ。まさに、「文学のなかにカフカがこっそりと仕掛けた罠」に見事に嵌まってしまったらしい。この指摘自体はそのように確かに重要性を孕んでいると思うのだが、それに続く著者の具体的な読解の手つきのなかには、論理の繋がり方がいまいちよくわからない部分や、果たして本当にそこまで読みこめるのだろうかと思うような点が散見されるものの、それらをいちいち、揚げ足を取るように細かくあげつらうことは面倒臭いのでここでは控える。四時一七分まで書見をして就床した。


・作文
 12:25 - 12:38 = 13分(15日)
 13:12 - 14:00 = 48分(14日)
 14:33 - 14:58 = 25分(15日)
 16:11 - 16:36 = 25分(15日)
 計: 1時間51分

・読書
 15:03 - 15:25 = 22分
 15:41 - 16:03 = 22分
 21:49 - 22:12 = 23分
 26:25 - 28:17 = 1時間52分
 計: 2時間59分

・睡眠
 2:30 - 11:45 = 9時間15分

・音楽