2020/1/24, Fri.

 ヒムラーが、軍需産業に本格的に乗り出す気になるきっかけとなったのは、一九四二年一月、フォルクスヴァーゲン社が労働力不足から軽金属鋳造工場の建設に収容所囚人を使用することをヒトラーに願い出て許可されたことにあったようである。この代償としては、軍用自動車四〇〇〇台の優先的提供が提示された。この申し出は大歓迎されたようである。建設工事は四月初めに八〇〇人、あるいは一二〇〇人の囚人労働力によって開始された。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、150)


 一時一〇分までまさしく惰眠を貪る。驚愕すべき体たらくである。呻き声を上げながら何とか起き上がり、上階に行くと、母親は仕事で不在、無人の居間のなかでジャージに着替えた。ダウンジャケットを羽織って冷蔵庫を見ると昨晩の牛肉炒めの余りが皿に盛られてあるので、それを取り出して電子レンジに突っこみ、一方でガス焜炉では大鍋のスープを火に掛ける。物々が温められているあいだにトイレに行って放尿し、戻ってくると米もよそって、三品をテーブルに並べた。座って食事を始めながら新聞から確認するのは新型肺炎関連の報である。昨晩Mさんから、今回の肺炎の潜伏期間は九日間とやたら長いことを聞き、そこで初めてその事実を耳にしたのだったが、この日の新聞を眺めてみてもやはりそうした情報は伝えられていない。一面には武漢市が封鎖状態に入ったことが報じられており、さらに武漢市周辺の黄岡という都市と、名前は忘れたがもう一市も同様に閉鎖されたという話だった。頁をめくって関連記事を追うと、武漢市内では二二日から公共の場でのマスク着用が義務付けられており、違反した人には刑事責任を問うという状況になっているとのことである。確か三面には、過去の大規模な同種の感染症、すなわちSARS重症急性呼吸器症候群)およびMERS(中東呼吸器症候群)との比較が表に示されていたと思う。それによればSARSの致死率はおよそ一〇パーセント、MERSの方は三五パーセントと甚大で、対して今回の新型肺炎は今のところは致死率三パーセントほどと比較的低いものの、いつウイルスが変異するかもわからないし、楽観視はまったくできない。社会面の方の記事も読み、そうして席を立つと既に一時四〇分を過ぎていたと思う。食器を洗い、洗面所に入って後頭部に整髪ウォーターを吹きつけて寝癖を整え、それから台所のカウンターの上に乗っていたガム(「AQUO」)を一粒貰って、もぐもぐ噛みながら風呂を洗った。
 自室に帰ってコンピューターを点け、各種ソフトを立ち上げておき、準備が整うのを待つあいだに緑茶を用意しに行った。首を左右に傾けて筋を和らげたり、肩を回したりしながら茶を注いで、戻ってくると啜りながらインターネット各所を回り、そうして二時一三分から、放置してあった一八日の記事を書きはじめた。前日、二三日の記事も早々に完成させてしまいたかったが、そろそろ一八日の分に始末を付けないといけないだろうと判断したのだ。やはり書くことが多くなるからと言って後回しにしてしまうのはよろしくない。結局、記憶も薄れてしまって多くのことを割愛することになる。そういうわけで大幅な省略を挟みながら打鍵を進め、それでも完成までに一時間掛かって、三時一六分に至った。一九日から二二日までの記事は既に仕上げてあるので、これでようやくブログに新記事の投稿を進めることができる。cero『Obscure Ride』を流して歌いながら、ブログ及びnoteへの発表作業を進めていたが、二〇日まで投稿したところで面倒臭くなってきたので、書いてあればいつでも投稿はできるのだからと一旦そこまでで切り、この日の記事を綴りはじめて、現在三時五一分に至っている。
 それから運動に入った。BGMはいつも通り、the pillows『Once upon a time in the pillows』。最初にまず屈伸を繰り返して脚を少々ほぐし、それからベッドに乗って、今日は先に「コブラのポーズ」を行った。この姿勢も、腕を完全に伸ばすのが良いのか、それとも肘を曲げ気味にして身体を支えるのが正しいのか、インターネット上の記事によって模範の姿が違っていてよくわからない。その後、足の裏を合わせたいわゆる「合蹠のポーズ」や脚を前に伸ばしての前屈を行って下半身を和らげたあと、例によって休みを挟みながら「板のポーズ」や「船のポーズ」を取って腹から腰の周りを温めた。運動に切りをつけると四時半に至っていた。
 それから食事を取りに上階に上がった。品物は少々余っていた野菜スープと、ひきわり納豆を添えた米である。納豆には小葱を刻んで入れ、二品を卓に運んでものを食った。合間、新聞は読まなかったと思うし、窓外を観察した覚えもなく、どうもただ黙々と食物を口に運んでいたらしい。「カンタン酢」がもうほとんどなかったので納豆に充分な量を注ぐことができず、粘りの強い質感になった。
 食後、緑茶を持って自室に帰り、四時四六分から読み物に触れはじめた。一年前の日記には『囀りとつまずき』の分析が記されているのだが、別に大した観察ではなくそこから面白い読解を導き出すこともできてはいないものの、何が何回出てきているということを列挙してみせる「数え上げ」の身振りの、その執念性と言うか徹底性みたいなものにちょっと驚きはした。

 三宅誰男『囀りとつまずき』は今のところ六一頁まで読み直してメモを取った。まず、この作品にはそれぞれの断章の冒頭あるいは結びにおいて、文末に「~である」「~がある」の形が使われることが多い。冒頭の「である」が今のところ六回、結びの「である」も六回、冒頭の「がある」が三回、結びの「がある」が四回、それぞれ出てきている。また、『亜人』でも多かった「まなざし」の語はこの作でも多く、今のところ二〇箇所。『亜人』と違うのは、話者が他人の「まなざし」にも自分の「まなざし」を差し向けているところだろう。しかし、あくまで現在のところではあるが、話者が誰かと正面から「まなざし」を交わし合うことはないようで、彼が他者の「まなざし」を見る時は、いつも横から追うような形になっていると思う。固有名詞は現在、「アジア」、「ガーナのファンティ族」、「英国」、「日本」の四つ。話者は日本人ではあるらしいが、日本のどこに住んでいる人間なのかは断定できない(どこであっても良いような記述になっている――と言うことはつまり、読者がこの作品の記述と自らの生活とを重ね合わせられるようにひらかれている?)。時系列は不明。断章群が総体としてどれくらいの時間の幅に収められているかもわからないが、三七頁に、「大震災二年後の夏」と書きつけられているから、少なくともここでは二〇一三年が明示されている。テーマとしては文化批評・社会批評のような側面があるのも特徴で、また、「自意識」に関する観察、考察も結構出てくると思う。文末はほとんど現在形で終わっており、体言止めも時折り使われるが、過去形で終わることは極端に少ない。今のところ目についたのは、二二頁の、「見出される顔に死者と生者のべつがない、すでに常世ともつかぬ地を踏む足どりだった」の一節。また、直接話法の括弧が今のところまったく見当たらないのも特徴である。鉤括弧自体は使われているのだが、それは一つの命題を提示するものだったり、展覧会の名前を示すものだったり、ある種の映像媒体のジャンルの分類だったりするのみで、「声」を括って際立たせるものではない。おそらくこの作品では、「声」は直接話法の括弧を伴わず、すべて地の文のなかに溶け込まされているのではないか。

 一年前の記事のあとは二〇一四年六月二日月曜日のどうでも良い文章も読み返してブログに投稿しておき、その後fuzkueの「読書日記」及びMさんのブログを一日分読んで、五時半を迎えた。多分この時、上階に上がって靴下を履くとともに居間のカーテンを閉めたのではないか。数分の間断を挟んで五時三三分からふたたびMさんのブログを読んでいるのは、おそらく歯磨きをしたのだろう。そうして着替えて灰色のスラックスとベストを身につけ、黒のジャケットも羽織り、六時一〇分まで日記を綴ることにした。目を閉じて記憶を掘り起こしながら一五分ほど打鍵して、出勤に向かうことにしてコンピューターを停止させた。
 書き忘れていたが、仕事着に着替える前に腰上げを行ったのだった。ベッドの上に仰向けに寝転がり、両膝を立てた姿勢から腰を上方に持ち上げてそのまま静止するというシンプルなポーズだが、これがやはりかなり利くもので、the pillows "サードアイ"が流れるあいだずっと耐えていると、背の裾や尻の筋肉が相当に刺激された感覚があった。
 上階に上がるとコートを身に着け、緑色のチェックのストールを巻いて出発である。玄関を出ると同時に、ワゴン車が道を走ってきて、Hさんだなと見た。実際その車は道の少し先の家の前に停まって、歩いていくとちょうど奥さんが車から降りてきたので、こんばんはと挨拶を交わした。空気は湿ってはいるものの、大して冷たくはなかった。風も吹かず、公営住宅の敷地の境に生えた芒も、揺れず傾かず、天に向けてまっすぐぴんと立っている。歩きながら、現実感の薄さと言うか、空間や事物とのあいだに距離があるような感覚が淡く滲んでいることに気がついたが、これはあるいは単純に、日中曇りの室内で陽を浴びることなく過ごしてきて、もうよほど暗いなかに出てきたためだろうか。坂へ曲がる頃には慣れてきた、あるいは治ってきたようだった。
 坂道をゆっくり一歩ずつ上がっていく足取りが、腰上げを行って背を温めたためか、随分と確かである。空気は流れると言うほどの動きもなく、微かな揺らぎが顔の表面に感じられるのみだった。坂を抜けて駅に着き、階段に掛かると通路の屋根との隙間から見える空は端的な闇、純然たる暗黒で、上がって見下ろせばその暗闇を敷き詰められたなかに光が少々混ざって黒さを希釈しており、そのもとで線路が緩く曲がりながら伸びていくのが浮かび上がったその先では、また闇のなかに呑みこまれている。ホームに入るとベンチは埋まっていたので立ち尽くして目を閉じながら電車を待った。横から、寒いな……という微かな独り言が聞こえたが、しかしこちらの感覚では全然寒くはなかった。腰上げのおかげだろうか。電車が来ると乗って座り、青梅までのあいだは確か瞑目していたと思う。
 今日はメモを取ることもなくすぐに降り、ホームを行きながら自分が妙に落着いていることに気がついた。動作が自ずとゆったりと、鷹揚になっているのだ。現実感が、家から最寄りへの往路では薄まっていると思ったのだが、ここではむしろ強いのか? と疑問を抱いた。時間の進行が遅くなったかのようにも感じられ、明鏡止水的と言っても良いのかもしれない心中の静まりだったが、しかしだからと言って充実しているわけでなく、むしろ空虚さの感触が僅かに滲まないでもなかった。駅を出て職場に行くまでのあいだも、一瞬一瞬の分節が細かく密になったかのように感じられた。
 この日の労働は一コマだった。相手は(……)くん(中三・国語)、(……)さん(中三・国語)、(……)くん(中三・社会)である。予習するべきことはあまりなく、以前読んだ国語の文章を多少読み返しておくくらいで済んだのだが、手帳にメモを取っていると(……)くんがトイレに行くために通りかかり、作文用紙はあるかと訊くので肯定した。推薦入試のための練習をするのだろう――それにしては始めるのがだいぶ遅いが――、何枚か欲しいと言うので、片面四〇〇字詰めの枡目を両面に印刷した用紙を五枚コピーしてホッチキスで留め、トイレから戻って席に就いた彼のところに行って渡してあげた。わざわざホッチキスで留めてくれて、と(……)くんは謝意を表したので、外したかったら外しても良いと言うと、大切に使いますと答えるので笑った。
 そのほか自習席にいた(……)くんと日本史について多少話したり、(……)くんに高校の志望動機について作文を書くに当たっての助言を与えたりしていた。彼は(……)志望である。既に一回書いた文章を室長が持ってきて、どう思うと訊いてきたのだが、題目に志望動機と卒業後の進路と指定されているのに、志望動機の方は僅か数行で終わっている始末なので、やはりバランスとしてはなるべく半々くらいに近づけたいところだろうとまずは評価を下した。(……)くんの席に行って直接彼にその点を伝え、さらに、あとはとにかく具体性が大事なので、もう少し詳しく高校でどのようなことを学びたいか書かなければならない、向こうは当然、何故ほかの学校でなくてほかならぬ自校を志望してきたのかという点を知りたいわけなので、そこを上手く書けると説得的になるのではないかとアドバイスを与えた。その点、(……)は簿記などの専門資格を習得することができる。タブレットでホームページにアクセスし、ふたたび(……)くんのもとに行き、見たかと訊くと見たと言う。まさしく簿記の資格を取りたいのだと言う。作文を瞥見したところ、彼の家はコンビニをやっているらしいのだが、おそらくはそれを継ぐ、というような見通しでいるのではないか。それで、高校側が売りにしている資格取得なども取り入れて書けると良いかもしれないねと落として、自分のスペースに戻った。
 授業に特段の問題はない。(……)くん相手に色々と質問を投げかけて、三権について確認した。今日の生徒は三人とも都立推薦入試を受けると言うので――入試日程は一月二六日及び二七日である――、その準備やあるいはまさしく試験本番で忙しいだろうというわけで、宿題はそれぞれ少なめにした。
 来週は月曜日と金曜日のみに勤務が減っていたところ、退勤間際、出口付近まで来たところで、(……)先生が三〇日の木曜日に入れないと室長に言い、それを受けた室長は、大丈夫、F先生が入ってくれるから、と声を掛けてきた。三〇日ですか……三〇日は残念ながら……と顔を顰めながらこちらは、用事ないんですよねえ、と落として、勤務要請を受け入れた。二九日に「(……)」での会合があって、その翌日なので日記に追われて忙しいだろうが、一コマのみなのでそこまでの負担にはならない。(……)先生がすいませんと言うので、いやいや、全然良いですけどと受けて退勤した。
 駅舎に入って改札を抜け、ゆっくりとした歩調で通路を辿ってホームに上がり、奥多摩行きの二号車に乗りこんだ。扉を閉めようかとボタンに手を掛けながら背後を振り向き、後続者があるかどうか窺っていると、例の、最寄り駅で降りた途端にいつも通話を始める中年男性が、すみませんと呟きながら乗ってきたので、扉を閉めるのは彼に任せた。三人掛けは彼が入ったのでこちらは前の方に進み、適当なところで七人掛けの端に腰を下ろし、コートのボタンを一つ外し、内側に手を突っこんでジャケットの隠しから手帳を取り出すと、往路のことを記録した。最寄り駅に電車が停まる間近までペンを動かし続け、それから立って手帳とペンをバッグに仕舞うと、ボタンを押してホームに降りた。降り際に閉じるボタンを押して扉はすぐに閉めておいた。
 駅舎を抜けると車の流れがちょうど途切れたところだったのでそそくさと通りを渡り、木の間の下り坂に入った。空には雲がいくらか淀んでいるようだったが、星も一つだけ覗いていた。
 家に帰り着いてなかに入ると、両親が居間で出迎えてくれた。挨拶をしてさっさと自らの塒に帰り、コンピューターの電源を押し、TwitterやLINEにアクセスしながら服を着替えた。そうして上階に上がり、夕食の用意である。鍋には新たな野菜スープが拵えられてあった。そのほかのおかずは餃子が四つと、大根とシーチキンの煮物があったのだが、後者は食べなかった。野菜は何かあったような気がするが、よく覚えていない。スチームケースに入った南瓜が調理台の上に置かれてあったので、それは食事を支度しながらつまみ食いした。席に就いて食べはじめると、テレビは『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』を映しており、長渕剛が出演してちょうど歌唱を披露しているところだった。いや、歌唱を披露していたのは食事を運ぶべく皿や椀を持って、台所と食卓のあいだを何回か往復しているあいだのことだったかもしれない。いずれにせよ、長渕剛のパフォーマンスに関しては、特に印象に残ってはいない。番組が終わったところで母親が、つい見ちゃった、早く寝ようと思ってたのにと言ったので、こちらはその発言を拾って何故早寝しようと思ったのかと訊けば、風邪を引いているからと言う。実際、声が少々嗄れたようになっていた。それでこちらは、新型肺炎じゃないだろうなと思わず口にして、そこから少々中国から始まって世界を騒がせている新型肺炎について父親とともに話した。その傍ら夕刊でその件の続報を追ったが、何と伝えられていたかは覚えていない。感染者が一二〇〇人超と報じられていたのは、これはこの文章を書いている今日、二五日の夕刊を読んだ記憶のはずで、この前夜、二四日の時点ではまだ八〇〇人程度と言われていたのではなかったか。
 その後、母親は風呂に行った。こちらは食事を終えると母親の分も合わせて食器を洗い、緑茶を用意して塒に帰還した。そうしてインターネット記事を読んだはずだ。まず、井出留美「なぜ日本は米国産余剰トウモロコシ数百億円分を購入決定すべきでなかったか *追記あり」(https://news.yahoo.co.jp/byline/iderumi/20190826-00139874/)。「米国には、余剰農産物を国が買い上げ、必要とする人に活用できる法律がある。1954年に制定された、農業貿易開発援助法である」「米国では、1967年に世界初の「フードバンク」が誕生している。フードバンクとは、まだ食べられるにもかかわらず、賞味期限接近などの様々な理由により、商品としては流通できないものを引き取り、食料を必要な人や組織へとつなぐ組織のことである」と言う。
 続いて、「阪田雅裕さんに聞いた(その1) 民主主義と立憲主義を破壊する集団的自衛権容認のプロセス」(http://www.magazine9.jp/article/konohito/10994/)及び「阪田雅裕さんに聞いた(その2) 解釈の変更で「骨抜き」にされる憲法9条」(http://www.magazine9.jp/article/konohito/11122/)。

阪田
 (……)「集団的自衛権の行使が可能」と解釈を変えることで何ができるようになるのかというと、朝鮮半島かどこかで有事になったときに、自衛隊を送って戦闘に加わる、ということです。

南部
 これまで、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」であって、9条2項が禁ずる戦力には当たらない、というのが政府の一貫した答弁でした。解釈変更で集団的自衛権の行使を可能にするというのは、その「必要最小限度」の概念を非常に膨らまそうとしているとも言えますね。

阪田
 どこまでを「必要最小限度の実力」に含めるのか。それは、個別的自衛権の枠内ならばまだ議論の余地があると思うんです。しかし、急迫不正の侵害がない、つまり、およそ外国からの武力攻撃がない状態での「自衛権」行使というのは、まったくこれまでの議論の外にあるもの。いくら「必要最小限度」の範囲を広げたところで集団的自衛権の行使容認には至らないというのが私の理解です。

阪田
 特に、憲法解釈を変えるとすると、当然多くの法律を改正したり、新しく制定したりする必要が出てきますが、これはもう閣議決定をしない限り、絶対にできません。政府のトップの組織というのは総理ではなくて内閣であり、各省庁がその下で分担管理をしているということなんです。法令の執行については各省の大臣が第一義的には最終責任を負いますが、そのさらに上に立つのは総理ではなく内閣なのです。

阪田
 集団的自衛権の本質とは何かといえば、先にも申し上げたように外国での戦闘行為です。日本に海外からの武力攻撃があった場合は、個別的自衛権で対応可能なわけですから。その外国での戦闘行為が憲法上可能なのかという議論をすることなしに、具体的な事例を想定して並べ立てることに何の意味があるのか。集団的自衛権は行使できるという結論が出て、その上でそうした議論をするなら、「集団的自衛権の行使として、どこまで何をやれるのか」を考える上で有効と言えるかもしれませんが、現段階ではまったく無意味としか言いようがありません。

阪田
 (……)そもそも集団的自衛権の行使が可能かどうかという話ができていないのに、「その後」の議論を進めている。(……)

阪田
 (……)9条がこれまで、何の歯止めになってきたかといえば、前回も触れたように「海外での武力行使はできない」ということ。自衛隊は合憲だとされている今、それ以外はありません。
 ここでいう「武力行使」というのは、国際法で許されている範囲内の武力行使、言ってみれば「適法な武力行使」です。それを超えた、例えば侵略戦争のようなことは、どの国だってできない。全世界的に許されません。実態はともかく、少なくともどの国も「侵略戦争だ」と言って武力行使はできないわけです。
 となると、9条が持つ意味というのは、「国際法上は適法な海外での武力行使」に歯止めをかけているということだけ。解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認したら、それもできるようになるわけで、そうしたら9条はいったい何の歯止めになるんですか、ということです。

編集部
 条文こそ残っていても、もはや何の意味もない存在になってしまうんですね。

阪田
 もちろん、これまでにもPKOへの参加や、周辺事態安全確保法などで、相当きわどい部分はありましたよ。それでも、9条が海外での武力行使を禁じている関係で、「(他国の軍隊の)武力行使と一体化しない」ことを条件としたり、武器の使用を制限したり、一定の歯止めにはなっていた。それがなくなれば、「一体化していない」とか面倒なことを言わなくても、少なくとも憲法との関係では地球の裏側にだって部隊を送って戦闘をすることができるようになるわけで、これは日本がずっと掲げてきた「平和主義」とはだいぶ違うんじゃないかということですよね。

 一一時に至って入浴に行った。結構長く浸かって出てきたあと、(……)一時二一分になってようやく前日、二三日の日記を記しだした。何を書くことがそんなにあったのか、思いの外に時間が掛かって、完成する頃には二時四五分を見ていた。記事をブログに投稿したあと、小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』を四〇分弱読み、インターネットを回って四時を越えたあたりで就床した。


・作文
 14:13 - 15:16 = 1時間3分(18日)
 15:34 - 15:51 = 17分(24日)
 17:57 - 18:11 = 14分(23日)
 25:21 - 26:45 = 1時間24分(23日)
 計: 2時間58分

・読書
 16:46 - 17:29 = 43分(過去の日記; ブログ)
 17:33 - 17:39 = 6分(「わたしたちが塩の柱になるとき」)
 22:33 - 22:59 = 26分(井出; 阪田)
 27:00 - 27:36 = 36分(小林)
 計: 1時間51分

・睡眠
 3:45 - 13:10 = 9時間25分

・音楽