2020/1/25, Sat.

 ヒムラーは一九四四年八月、アイヒマンユダヤ人絶滅政策の成果に関する報告を求め、絶滅収容所によるもの四〇〇万人、SS特務部隊によるもの二〇〇万人、計六〇〇万人との報告を受けていた。ヒムラーはこの報告に不満で、もっと多いはずだとして、独自に統計専門家に調査させたようであるが、九月半ば~一〇月半ばになって、ユダヤ人殺害の即時停止を命令した。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、171)


 今日も今日とて一二時四〇分まで、寝床にじくじくと生えた粘菌の様態に留まった。カーテンの向こうの真っ白な空を眺めて、空間にあるかなしか広がった光の感触を瞳に吸収しながら意識を定かにしていき、そうしてようやく起き上がるとダウンジャケットを持って上階に行った。階段を上っていると、ゆっくり静かに歩いていて気配が感じられなかったためだろうか、仏間から出てきた父親がこちらの姿を行き当たって、びっくりした、と少々動揺してみせたので、笑みを浮かべておはようと挨拶した。食卓には既に父親の分の食膳が用意されており、椅子に就いてものを食べはじめたその背後でこちらは寝間着を脱ぎ、ゆっくり畳んでジャージに着替える。それからトイレに行って膀胱を解放したあと、台所に戻ってくるとフライパンに炒められてあった葱やハムのソテーを皿に盛り、電子レンジに突っこんだ。さらに米と野菜スープをよそって、三品を食卓に並べて席に就き、新聞を読みながら食事を始めた。新型肺炎の潜伏期間は一四日間との情報が、おそらく初めて紙面に現れていた。専門家の試算では、今回の肺炎の感染規模はSARSの一〇倍にも上ることになるだろうとの話で、マジかよと言わざるを得ない。武漢市以外にも周辺の一三市が既に封鎖されており、行政はペストやコレラの際と同程度の警戒レベルで動いていると言うが、武漢市に入って調査していた専門家が、市内の衛生状態の劣悪さや住民の防疫意識の低さに驚き、これは駄目だと早々に市を離脱したと言うから、もはやどうにもならないのかもしれない。
 テレビは『メレンゲの気持ち』を映していた。柳亭小痴楽という落語家がゲストで出演していたので、食事を平らげてからも椅子に留まって少々番組を眺めた。落語家とか噺家という人種には多少の興味を持っているのだ。この人は三一歳と言うからこちらと同年代の若さだが、ファンは平日の夜にもかかわらず彼の噺を聞くために長蛇の列を作るほど多く、とりわけ「今風」の外見も相まって女性人気も高いようで、わかりやすく「ポップな」落語を話して受けているとのことだった。最近同じく人気で話題の講談師、神田松之丞などと「成金」というユニットを組んでいると言う。
 柳亭小痴楽の出番が終わったところで席を立ち、食器を洗った。それから洗面所に入って鏡を見ると、今日はさほど髪の毛が暴れていなかったので整髪ウォーターは掛けずに、ドライヤーで梳かすのみに留め、髭を剃りたいと思ったのだが充電中なのか所定の場所にシェーバーがなかったので、そのままゴム靴を履いて風呂場に踏み入り、浴槽を洗った。仕事を終えて出てくると、父親はソファで眠っており、母親がその上にジャンパーを掛けてやっていた。こちらは一旦下階の自室に戻り、コンピューターを点けて各種ソフトを立ち上げておいてから、急須と湯呑みを持っていつも通り茶を用意しに行った。すると台所の母親が、ちょっとこれに塩を振ってと言うので何かと思えば、猪肉を下拵えしているのだった。手に嵌めたビニールが汚れてしまってものを掴めないため、こちらを呼んだのだった。それでボウルに入った赤い肉に塩を振り、それを受けた母親は肉を搔き混ぜて、一切れ手に取って鼻に近づけながら、あんまり臭くないねと言っており、確かに特別生臭いような臭気は鼻に触れてこなかったが、それは冷凍されていたためかもしれない。こちらはその後、緑茶を用意して自室に帰り、Evernoteで前日の記録をつけるとともにこの日の記事も新規作成して、一時三九分から今日の日記を綴りはじめたのだが、途中、神田松之丞の名前を書きつけた際に、彼の芸はどんなものなのか見てみようという気持ちが湧いてyoutubeにアクセスし、二、三、講談を眺めた。かなり熱量と勢いが籠められた芸だった。それから関連動画に出てきた「太田松之丞」という番組の動画も眺めてみると、これは太田光と神田松之丞がお悩み相談を受けるという体で、相談とはまったく関係のないフリートークをしっちゃかめっちゃか散らかすようなものなのだが、これが結構面白くて時間を使ってしまった。神田松之丞という人はやはり噺家だけあってトークのリズムが軽妙で、喋りながら頭のなかで次々に主題を連想的に思いついているらしいことが話しぶりの推移の仕方からわかり、普段から喋っているから声質もまとまっている。その番組の第二夜の途中まで視聴したところでインターネット回線が一時的に悪くなって動画の再生が停まったので、それを機に日記に復帰し、ここまで記すともう三時が目前になっている。
 三時四分から今度は前日、二四日の記事を拵えはじめた。ぴったり三〇分間書き進めると、the pillows『Rock stock & too smoking the pillows』を流し出して、間髪入れずに運動である。いつも通りまずは屈伸を繰り返し、それからベッドに乗って合蹠のポーズを取り、身体を腰から前に傾けて顔を伏せ、股関節の筋を伸ばして刺激したまましばらく姿勢を固定させた。次に両脚を前方に伸ばして前屈、そして「コブラのポーズ」もやったあと、腰上げを行った。尻に掛けて身体の背面の筋肉をがちがちに緊張させた状態で耐え、姿勢を崩して肉体を固化から解放すると、今日は新たにスクワットを行ってみることにした。スクワットと言うか空気椅子と言うべきだろうか、横に開脚して膝を曲げ、身体を沈めた状態で静止し耐えるという、これもシンプルなトレーニングだが、いざやってみると相当にきつく、早々に脚が震えはじめていくらも姿勢を維持することができない。休みを入れながら確か二度行ったのではないか。それから例によって「板のポーズ」及び「舟のポーズ」を行うのだが、これも休憩を挟みながらこなすところ、ただ休んでベッドにだらりと寝転がっているだけなのも手持ち無沙汰なので、合間に一年前の日記を読み返すことにした。一つの日課の時間のあいだにもう一つの日課を嵌入するというこれは新しい試みであり、かくして日課の時間記録が初めて二重化されることになったわけである。一年前の日記には、新聞記事を読んで抱いたものだが、「まるでどんな社会状況下であっても少数派というものを弾圧するように人間のなかにプログラミングされた心性が存在しているかのようだ」という述懐が記されてあり、別に特段に面白い発想ではないと思うのだが、何故だかちょっと印象を刺激した。

 読んだのは国際面のインド関連の記事。モディ首相という人は、ヒンズー至上主義団体の出身らしく、何と言ったか忘れてしまったが件の団体がモディ政権下で勢いづいているようで、イスラーム教徒に暴力を振るって死に至らしめるような事件も起きているらしい。原理主義とか至上主義とかの危険性はあらゆる宗教(政治的宗教も含めて)に付き纏うものなのだなと思う。以前、南アフリカ付近でアルビノの人が迫害を受けているという記事を読んだ時にも思ったが、まるでどんな社会状況下であっても少数派というものを弾圧するように人間のなかにプログラミングされた心性が存在しているかのようだ。

 また、数日前から続く読書の流れで、三宅誰男『囀りとつまずき』についても散歩中に思い巡らせたことを書きつけており、これも大した整理ではないが、「蒐集家」という概念には何かしらの魅力をうっすらと覚えたので写しておく。

 白さを帯びた緑葉を見やりながら小橋を渡り、坂を上って行きつつ三宅誰男『囀りとつまずき』のことを考える。話者は己の「自意識」をも、刻々と動き変化するその流動性すらをも客体化し、観察―分析―記述の対象にしている、ここに何かしら考えるべきことがあるような気がしたのだ。彼が自分自身を観察する時、その存在は見て、書く主体と、見られ、書かれる主体とに分裂しているわけだが、この「分裂」という語はこの場合、何かそぐわないような感覚があって、むしろ「二重化」とでも言ったほうが良いのかもしれないと考えた。そのうち、書き、見る主体としての話者はどのような様態にあるのか? 著者であるMさんが東京に来た時だからもう二年と数か月前、二〇一六年のことになるけれど、初めてこの作品を読んだ時には、話者はほとんど視線だけの存在と化している、ものを見る機械、あるいは機能となっているとMさんと話したものだが、テクストに即して本当にそうした整理の仕方で良いのか。話者の「自意識」あるいは「内面」(ありきたりで、かつ様々なニュアンスが付き纏う不正確な語だ)は、話者自身に属しているというよりも、この作品ではほとんど世界に属している、世界の一部となっているような気がする。その点でこの書物は、おそらく明確に「私小説」的でありながら、いわゆる伝統的な、「普通」の「私小説」とは一線を画しているのではないかという気もするのだが、こちらは伝統的な「私小説」をほとんど読んだことがないからそれもよくわからない。文体についてはどうだろう? 濃密な形容と長い修飾を伴うあの文体それ自体が、世界の微細なニュアンスを搔き分けて/書き分けて蒐集する装置となっているようにも思われる。そうして蒐集された差異=ニュアンスの欠片が、各々の断章ごとに統合されてまた一つの差異=ニュアンスを形成し、それらの集合が全体として差異の百科事典のようになっている。とすると、この話者の身分というか肩書として適しているのは、「蒐集家」という呼称ではないかという気もするのだがどうだろうか。

 ほか、一年前時点での衆参両議院の議席分布も載っていた。その後、七月に参院選があったので、そちらの勢力図は変わったわけだが、これも一応、転記しておく。

 【衆院自民党282▽立憲民主党・無所属フォーラム68▽国民民主党・無所属クラブ38▽公明党29▽共産党12▽日本維新の会11▽社会保障を立て直す国民会議7▽希望の党2▽社民党市民連合2▽未来日本2▽無所属10▽欠員2
 【参院自民党・国民の声125▽立憲民主党・民友会・希望の会27▽国民民主党・新緑風会27▽公明党25▽日本維新の会希望の党15▽共産党14▽無所属クラブ2▽沖縄の風2▽無所属4▽欠員1

 そうして日記を読みながら「板のポーズ」と「舟のポーズ」をこなして身体を温め終えると、食事を取りに上階に上がった。米が確か残り少なかったはずで、それでカップうどんを食べることにしたのだ。CGCが出している安っぽい味のものである。それに湯を注いでティッシュ箱を容器の上に置いておき、ほか、昨晩食べなかった大根とシーチキンも温め、さらにもう少し腹を埋めようということで、生キャベツも食べることにした。柔らかなキャベツの皮を一枚ずつ、何枚分か剝いでいき、それを重ねて包丁で千切りにして、大皿にこんもりと盛った。そうして卓に就き、摂取に掛かる。確かこの時既に夕刊が取られてあって、一面に伝えられていた新型肺炎関連の記事を読んだと思うが、フランスやオーストラリアでも感染者が発見されたという情報が新たに発表されていた。また、今回のコロナウイルスの潜伏期間が一四日間にもなるという情報をどこかのタイミングで読んだ覚えがあるのだが、それも多分この記事に書かれてあったのではないか。
 ものを食べ終えてもすぐに立ち上がる気力が起きず、椅子に留まってちょっと瞑目した。母親は、過去の法事の際に寺にいくら寄付したのかを記した紙を探して引出しを探っており、そうしながら、二月一日に予定されている法事について、一三回忌だっけ、と二、三回訊いてみせる。祖父の一三回忌ではなくて、今回は祖母の七回忌なのだ。二〇一四年に亡くなったからそれから六年で七回忌でしょ、と一度答えたのだが、母親は何故かそのあとも同じ質問を繰り返すのだった。やりとりをしながら瞑目したこちらの耳には、母親が手に持ってかさかさ動かす紙の響きと、父親が何か作業をしている階段下の室から昇ってくるラジオの音声及びマウスのクリック音が届いていた。
 その後、立ち上がって台所に行くと焜炉で猪肉が煮られていて、灰汁が多量に発生していたので取り除いたのが確かこの時だったと思う。皿を洗ってからだったか洗う前だったかは覚えていない。あるいは皿洗いの時ではなくて、その後、自室から急須と湯呑みを持ってきて緑茶を注ぐあいだのことだったかもしれない。いずれにせよ、灰汁をお玉に取るとやはり結構独特の、鼻に強いような臭気が多少香った。緑茶を持って自室に戻ると、引き続き読み物に触れた。まず読んだ二〇一四年六月三日の記事では、古井由吉『蜩の声』を読んだために彼の文章に触発され、文体や語り口においてその真似を試みており、無論大したものではないけれど、多少の雰囲気は醸し出されているかもしれない。次にfuzkueの「読書日記」を一日分読んだ。東京駅のなかの描写、「駅の中に入る前にコーヒーを買ってサンドイッチを買って、中に入ると、スクランブル交差点を凝縮したような動きというのか、多方向にそれぞれ真っ直ぐに歩く、入り乱れる運動が演じられていて「これは大変だ」、と思った」という一節のなかの、「スクランブル交差点を凝縮したような動き」、「多方向にそれぞれ真っ直ぐに歩く、入り乱れる運動」という部分がいくらか感覚を刺激した。
 さらにMさんのブログにも目を通す。松本卓也や木澤佐登志の論考からミシェル・フーコーの発言がいくつか紹介されていたのだが、それを読みながら、フーコーという人間の思考のキレはやはりやばいなと、以前にも抱いたことのある感嘆や称賛や憧憬をふたたび持った。流石だと言うほかはない。とにかくできる限り早くフーコーを読まねばならない。

 フーコーは、この「父の〈否〉」から四年後の一九六六年に、「外の思考」という重要な文学論を発表しています。彼はこの論文のなかで、近代のはじめにヘルダーリンとサドによって切り開かれ、のちにニーチェマラルメ、さらにはアルトーらによって探究された文学が、いずれも「外(dehors)」、すなわち言語によって表現できるものの外部との関係によって可能になったと主張しています(フーコー 二〇〇六c、三一〇頁)。これは驚くべき主張です。というのも、ふつう、現代文学が可能になる条件は、「内面」の発見――人間におこる出来事を、特にその人物の内面に何が起こったのかに注目して記述すること――だと考えられているからです。ところがフーコーによれば、現代文学はそのような「内」の発見ではなく、「外」への移行によって可能になったというのです。
 (松本卓也『創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで』)

 一八五〇年頃に起こるのは、実際には、ある一つの手続きがその姿を変えたということにすぎません。それも、検閲や抑圧や偽善にかかわる手続きではなく、強制的で義務的な告白にかかわる非常にポジティヴな手続きが、その姿を変えたということです。一般的に、以下のように言うことができるでしょう。すなわち、西欧において、セクシュアリティとは、黙されるものでも黙されるべきものでもなく、逆に、告白すべきものである、と。
 (木澤佐登志「ビューティフル・ハーモニー」第5回「バロウズフーコー(後編その1)――コレージュ・ド・フランス、1975年」)

 「真理は、語る者においては確かに現前しているが不完全であり、自分自身に対して盲目であって、それが完成し得るのは、ただそれを受け取る者においてのみである。」
 (同上)

 読み物の時間を取ったのは五時半までである。出勤に向けてそろそろ着替えておくことにして、中村佳穂『AINOU』を流し出し、部屋の扉を開け放って、廊下に吊るしてある衣服とストーブの前とを行き来しながら、ジャージを脱いで仕事着に変身した。今日は黒の装いである。着替え終わるとゆっくりとした足取りで洗面所に行き、歯ブラシを取って、コンピューターの前で何やら作業をしている父親の横を通って部屋に戻ると、口内を掃除しながらUさんのブログを読んだ。「思索」: 「覚え書き、思索が表現する一般性に関する(1)」(http://ukaistory.hatenadiary.com/entry/2020/01/20/054918)である。

 「(……)論理が所与とされることなく、論理が全くない可能性を前提とし、それが背景にあるからこそ、その不安に応答する形で、論理は光る。育てなければならないのは、論理についてよく知る者でも、論理に則ることが上手な者でも必ずしもなく、論理がなぜ必要であるのかを強く自覚する者である」
 「「何を根拠にそう言うのか」という問いは、何らかの命題に思索を還元しなければ納得しないという偏見の賜物である。根拠から始める思索は、一つの思索の賜物である」
 「私自身を超えた、存在論的経験を言い得ようとしたときの、精一杯の失敗例」
 「矮小化せずにはいられない思索が、自ら自身の言葉において、完全に取りこぼしている狂気の予感を、再発見すること。(……)肥沃で捉え難い狂気に、言葉で整合性を与えることで、現実よりも現実的な渇望を予感させる言葉」

 「精一杯の失敗例」。これが大事なのだな、と思う。サミュエル・ベケットの有名な言葉を思い出させる語だ。より良く、より上手く、より精一杯、(そしてもしかすると、永久に?)失敗し続けること[﹅8]。あるいはおそらく、「成功」してはならないのではないか。
 書き忘れていたが、服を着替える前にふたたび腰上げを行った。中村佳穂『AINOU』の一曲目、"You may they"が流れているあいだずっと、仰向けで腰を浮かせた状態で耐え続けたのだった。この曲は二分三八秒の短いものなのだが、それだけの時間でもずっとこの体勢を取っていると、痛みとはちょっと違うのだが、肉が引き攣るような絞られるような苦しさが腰に宿るのだった。
 Uさんのブログ記事を読んでふたたびやたらにゆっくりとした足取りで洗面所まで行き、口を濯いでくると、日記を書きはじめた。電車は六時四八分発だった。従ってその二〇分前、六時二八分頃までは活動に充てることができる。そうして打鍵をしていると、六時一五分頃になって父親が廊下から呼んできた。もう行くのかと訊くので肯定すると、買い物に行くから乗っていけばと提案してくる。そうは言っても、まださすがに職場に行くには早かった。しかし一応部屋を出て上階に行き、もう行くのかと訊いてみると肯定が帰り、両親はうろうろと外出の準備をしている。ストーブの前に立って脚を温めながらこちらは、俺はじゃあ電車で行くと伝えておき、室に帰還して六時二七分まで二四日の日記を書いた。
 そうしてコートとストールとバッグを持って上階に行き、確かここで居間の天井の電灯が点いていたので、人がいなくなるのにそんなに明るくしておく必要はあるまいとそれを消して、光源を食卓灯に変えたのだったと思う。それから便所に入って僅かに排便し、出るとコートを纏い、首元もストールで防備して出発した。昨日に比べると空気は格段に冷えているように感じられた。公営住宅前に差しかかったあたりで大気の揺動に向けて感覚をひらいてみると、やはり前日よりも動きが多く、流れるものがあり、顔の表面に摩擦感がひりついてくる。坂に入ってまもないうちは林の底を這っている沢が近いので、茂みの向こうから軽くささやかな水音が昇ってくるのだが、その音そのものやそこから想起される水のイメージだけでも寒くなるかのようだった。木の間に覗く空は、一面砂を敷き詰めたような灰色である。道の両端に帯を成す落葉の縁取りは坂を上っていくにつれて段々と細く、薄くなっていき、三種が入り乱れたその褐色もこの時間では暗がりに沈んであまり明らかに立って来ない。街灯は樹々の緑の合間に埋めこまれて、監視する目玉のように光の触手を伸ばしてきた。
 駅は無人で、人影はこちらのものだけだった。ホームに入るとベンチの上に何か黒いものが放置されて静止しており、あれは何だと訝って近づきながら、鼠の死骸か? と一度は思ったのだったが、さらに近づくと像が定まった。しかし、その正体は何なのかよくわからなかった。ややいびつな丸さのボール状の真っ黒な物体で、そのボールから先が細くなって尖った角のような部分が一つ突出している。一見して爆弾を連想した。テロにしてもこのような田舎の駅を狙う必然性は一つもないし、まさかそんな馬鹿げたことはないだろうと思いながらも、正体が不明なので一応離れておき、今から来る電車の乗務員に知らせようかどうしようか迷った。わざわざ知らせて電車の運行を遅らせるほどのこととも思えない。それで青梅行きが到着すると、乗務員には知らせずにひとまず乗り、扉際に立って揺られながら、一応青梅の駅員に報告しておこうと判断を下した。近くの席には赤子を連れた夫婦が座っており、こちらの横の車両の隅にはベビーカーが置かれてあった。女児は母親の膝の上に乗せられながらスマートフォンか何かを見ているようだった。
 青梅に着いて降り、ゆっくり行っていると一番線にも電車が着いて客が降りてきて、階段を鷹揚に下りているこちらの横を次々と抜かしていく。改札を抜けて窓口に近寄ると若い男性の駅員がやって来たので、最寄り駅の名前を言い、ホームのベンチの上に、何か、妙なものがありまして、と伝えた。みょ、妙な、と相手は怪訝そうに受けるので、何か丸い、黒いボール状のもので……とこちらは説明し、まあそんな、多分やばいものじゃないと思うんですけど、と笑って表情をほぐし、一応お知らせしておいた方が良いかと思いましてと事情を告げた。それに対して駅員は駅名を確認し、有難うございましたと礼を言うのでこちらも頭を傾け、そうして駅を出て職場に向かった。
 教室奥のスペースに入ってロッカーに荷物を入れたりコートを脱いだりしていると、(……)くんが作文を持ってやって来て、添削してもらいたいと言う。一つは彼のもの、一つは(……)くんのものだった。了承し、テーブルに就いて、まず(……)くんのものから読み、赤いボールペンでところどころ線を引いてコメントを書きつけていった。テーマは「社会人にとって必要なものは何か」というようなものだった。荒井くんはそれに対して英語力と回答していた。文章全体の構成は概ね問題ないように思われたが、細部で説得力に欠ける箇所がいくつかあったのでその辺りに注釈を入れて例となる代案も与えておき、続いて(……)くんの作文の方に取りかかった。彼の書いたテーマは、「「平和」とはどういうものか、また高校生活を通して「平和」実現のためにできることは何か」というようなやや難しいと思われる主題で、彼はそれに対してまず、人々が謙虚さを持つということが大事なのではないかと答えていたが、「謙虚」の「けん」には言偏を忘れていたし、「きょ」の方は平仮名で書いている有様で、ほかにも明らかに漢字がわかるであろう言葉を平仮名で書いている例が散見されたので、基本的な点としてそこはいちいち直しておいた。「謙虚さ」について掘り下げるのは、中学生にしてはなかなかの着眼点である。しかし、その具体的な例として、自分は友人のからかいに苛立つことが多かったが、皆を先生だと思って対応するようになった、そうしたらからかわれても全然気にならなくなった、というようなことを綴っており、これはちょっと奇妙で面白いが、「謙虚さ」を表す例として適切なのかどうか不明だし、端的にあまりよく意味がわからない。二点目に彼は物事を俯瞰して見ることが大事だと主張しており、これも中学生にしてはなかなかしっかりしたことを言うものだが、ここでも「俯瞰」は平仮名で記されてあった。そして、肝心の「俯瞰」の意味合いについてもいまいち説明が足りなかったし、「高校生活を通してできること」に関しても案が弱く、「高校生活」との関連も見えなかったので、そうした事々を指摘したコメントを書いておき、添削を終えると紙を持って、教室の角のスペースに溜まっていた二人のところに行き、書きつけた改善点を口頭でも説明した。
 それから授業の準備を始め、棚に仕舞われてあるボードからプリントなどを取り出していたのだが、すると(……)くんがまたやって来て、もうちょっと、と言うので、ちょっと待っててねと一旦受けて、授業準備が終わってからもう一度彼らのところに行った。すると(……)くんが、集団討論はどんな風に話せば良いかと訊いてくる。司会役の人間などを決めずに自由に話し合いなさい、というような形式で課されるらしいのだが、集団討論などこちらはやったことがないので、コツも何も知ったことではない。それなので適当に、まあどういうポジション取りをするのかによるよね、自分から率先して司会みたいな役目を引き受けに行くのも良いし、聞きに回るのも良いけど、その時の周りのメンバーの様子を見極めて位置取りをしなきゃいけないから、その点が難しいかもね、とか何とか言ったあと、でもまあ、自分から積極的に思ったことを言っちゃうのが手っ取り早いんじゃないですか、私はこう思いますって、それで、あなたはどうですか、って次に渡していく、と落とした。そのほか、(……)くんはどうもやはり緊張し、不安がっているようで、面接は、内容はそんなに上手く言えなくても大丈夫ですよねと訊いてくるので、まあ正直な話、失礼な言い方になっちゃうけれど、君たちはまだ中学生なわけだ、試験官の方も中学生にそんなに高度な発言を求めているわけじゃない、だから何か鋭いことを言おうとするよりも、堂々と言えるかとか、はっきりと喋れるかとか、そういった様子や振舞いの方を見るんじゃないかなと、これも面接官の評価ポイントなどこちらに知ったことではないのだが、適当にそう答えた。このあいだも言ったけれど、相手の質問を受けて、きちんと考え、伝えようとする、そういう意志や意欲を見せることが大事じゃないかな、と。(……)くんからは、なるべく長く喋った方が良いんですかという質問が来たが、これも学校側の実際の事情などこちらの知ったことではないし、一概には言えないだろうとしか言えない。しかし、上に書いたことの繰り返しになるが、長さよりもやはりきちんと考えて答えようとしているか、という点が大事になるのではないかと伝えた。その後、(……)くんに対して、まあ僕も小六の頃からだったかな、そのくらいからいるよね? 君は? ……小六あたりからまあ見させてもらっているわけだ、で、このあいだ久しぶりに授業で当たったけれど、さすがに中学三年生にもなると、やっぱり顔つきが……と話していると、(……)くんが途中で介入して、塾だとめっちゃ静かだよね、学校だとはっちゃけてるのに、うるさくして怒られたりしてるよね、などと(……)くんをからかいはじめた。お前、友達のからかいに腹を立てていたって作文には書いていて、そのくせ自分からは相手のことをいじりからかうって、作文に書いた謙虚さはどこに行ったんだという話なのだが、(……)くんはそれに対して、さあ、よくわからない、とか、お前、そういうことは本当言わない方が良いよ、などと返して、何故か対立の様相を呈してきたのでこちらは笑い、何で喧嘩しはじめたんだよ、仲良くしろよと双方をいなして、俺が言いたかったのは、やっぱりだいぶ大人びて来たなと思った、ってことですよとまとめた。あとはまあ、やっぱり気楽にやることですね、と言い、まだ推薦だし、それにまあ別に、落ちたとしても、死なないんで、全然人生終わらないんで、と気を軽く臨むよう促すと、それはそうですね、という反応があった。それじゃあ、もう明日なんで、体調を崩さないように、それだけ気をつけて、頑張ってくださいと残してその場を離れたあと、授業である。
 今日の相手は(……)くん(高二・英語)及び(……)くん(高三・英語)の二人だったので、楽な仕事である。(……)くんは学校の予習で教科書の文章を和訳すると言うので、辞書を利用するよう渡して進めてもらいながら、時折り一緒に読んで確認するという進行を取った。英語力は、うーん、という感じである。語彙が全然足りない、と言わざるを得ないだろう。授業の最後の方で、あなたはこの先の勉強の目標は何かあるの、と訊いてみると、いや、俺は(……)大学に入れればもういいっすよ、と言う。彼は(……)の学生なので、エスカレーター式に上がれるわけである。ただそれでも学内試験は受けないといけないということで、それが四月と九月と言っていたのではなかったか? それに受かれさえすればあとはもう、試験が変わろうが何だろうが関係ないっす、と言うので笑い、まあでもそのためには、日々の学習をきちんとこなしていくしかないわけですね、と落とした。
 (……)くんは今日も英文法のワークから整序問題を見開き一頁分やってもらい、そのあとは日本史を自習する時間とした。本番がもういよいよ迫ってきたこのタイミングだが、(……)くんは英語に対する意欲はむしろ下がっているような印象で、難しい問題ができなかったりすると、こんなの出ないよ、と決めつけて掛かり、まあ確かに試験に出るか出ないかで言ったら多分出ないとは思うのだが、学べることをできだけ学ぶぞという意欲がないのは少々残念ではある。
 授業を終えて生徒たちを見送る際に、(……)さんに、先生、今日はいつから、と訊かれたので、先ほどのコマのみだと答えると、それだけのためにわざわざ来るのも、と笑われた。(……)先生なんか、朝からずっといるんだよ、と背後の女性講師について言及されて、いや……まあ、その……とかもごもご口ごもって上手く言葉が出てこなかったのだが、どう思うの、と追及されたのに対して、いや、凄いなって、とあまりにも単純で簡単な言葉がようやく出てきて、皆笑った。僕だったら生きてられないな、って、と続けると、身体がね、年齢的にね、と(……)さんに言われたので、ついに俺も年齢をいじられる歳になったかと思いながら、その通りです、と追従した。彼女を見送ったあと、(……)先生に、実際朝からずっとはマジで凄いですよと声を掛けると、私も死にますよという返答があり、聞けば土曜日は大体毎週朝から晩まで働いているらしいので、本当に、お身体に、お身体にはお気をつけて、と礼をしておいた。
 それから片づけをしたり、ペーパーと洗剤を使って机を拭いたりしているあいだに同僚たちは帰っていき、面談をしている室長以外にはこちら一人となった。面談は(……)くんの一家が相手だったようだ。会見はなかなか終わらなさそうだったので、先に失礼することにしてこちらも退勤し、駅に向かった。改札をくぐる時、先ほどの不審物についてその後の経緯を訊いてみようかとちょっと思ったが、まあ良いかというわけで素通りし、通路を辿ってホームに行った。電車は一〇時五分なので、まだ三〇分以上待ち時間があった。今日は土曜日で普段乗る電車は少々時間が早くなっており、間に合わなかったのだ。ホームには人が全然いなかった。温かいものでも飲むかというわけでホットココアを買って、ベンチに座りながら飲み、その後は手帳を出してメモを取っていた。奥多摩行きが来ると乗ったが、三人掛けは、こんな遅くまで行楽していたのだろうか、山登りの格好をした年嵩のグループが占領しており、酒を飲んでいるようで臭気が漂っていたので今日は遠慮することにして、二号車の前方の方へ歩いた。座ると左方には三人並んで掛けた人々がおり、一人は女性、二人は男性で、男性のうちの一方は髭をもじゃもじゃに生やした風貌で、もう一人はよく見なかったがそれより歳上の、もう高年に近い頃合いと思われた。若い方の――と言って複数いる子供の話などしていたので、こちらよりも歳上だろうが――男性と女性、そして男性同士は面識があるが、高年男性と女性は付き合いがない、という間柄のようで、主に年若の男女が会話をする合間に高年男性が質問をして口を挟む、という構図になっていた。それを耳に入れながら手帳に今日のことを記録し、じきに発車して、最寄り駅に着くと、まだかなり幼い女児と母親の二人連れもこちらと同時にホームに降りた。見かけない母娘だったし、女児の方はこんなに遅い時間に連れ回すにはまだまだ幼すぎるように思われた。それでも彼女は元気で、母親に繰り返しジュースをせがんでおり、母親はいくらか粗雑な口調で金ない、金ないから駄目、と受けていたものの、駅舎を抜けてからホームの方で自販機の取り口に飲み物が落ちる音がしたので、結局買ってあげていたようだ。
 今日は肉屋の横の坂から下りることにして、東へ向かった。微妙な頭痛の感覚が兆していたので、母親の風邪が感染ったかと警戒した。保安灯が間歇的に縁取る街道沿いを行き、ゆっくりと、しかし歩幅をやや広くして木の間の坂道を下りて帰宅すると、洗面所に入って石鹸を使ってしっかり手を洗った。風邪予防でもあり、まださすがに大丈夫だろうが、新型肺炎を恐れてのことでもある。洗いながら猪肉はどうだったかと台所の母親に訊くと、うーん、という反応があり、やっぱり固い、と言うので、母親はあまり好きではなかったようだ。
 自室に下りて着替えてくると、その猪肉をおかずにして食事である。肉の盛られた皿にはほかに、コーンがふんだんに添えられてあった。ほかのメニューは野菜スープと米に、小松菜か何かだったのではないか。酒を飲んで顔を赤くした父親が、落語番組を見ていたが、それに出演している演者たちは多分、第一線で活躍し人気を博している人々と比べると格が落ちる水準の者たちだったのではないか。こちらも多少目を向けながら、やはり神田松之丞とか、柳亭小痴楽とかは何だかんだ言って凄いのだなと思った。まずもって声質の整い方や声色の使い分けからして違うのだ。HMさんが使っていた言葉で言えば、松之丞や小痴楽には、〈艶がある〉ということになるのだろう。番組を見ているあいだ一人、何とか言う女性の噺家が出ていたが、この人は凄まじく品のない下ネタをひたすら捲したてるだけで、驚愕するべきつまらなさだった。
 食後、確か風呂は母親が入っていたのだったと思う。緑茶を持って一旦自室に帰ったはずだ。そうして一〇時五一分から小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』を読みはじめており、一一時を回って読了しているが、この本は正直大して啓発的ではなかった。ラカンによる患者の診察が言語によって記録されているのは多少興味深いかもしれないものの、Mさんにはあげなくても良いかもしれない。
 その後、入浴に行った。湯のなかでこめかみや後頭部、目の周りを揉みほぐして頭痛を解消しようと試みた。実際こめかみはかなり固い感触になっており、押すと反発感があるような感じだった。その後、意識が危うくなって、正気を取り戻すと見事に頭痛は溶けて流れ去っていた。出ると尿意が高潮していたので下階のトイレに寄って爆発的に放尿し、自室に戻るとヘッドフォンをつけてBrad Mehldau『10 Years Solo Live』を流し出し、ベッドに乗って脚のマッサージをした。本当かどうか知らないが、脚は第二の心臓、とか言われるようで、長生きしたけりゃ脹脛を揉みなさい、とかいう本も出版されて結構売れていたはずだ。脹脛を念入りに刺激してほぐすと身体全体が軽くなるのはこちら個人としても過去に経験がある。そういうわけで身体を労ることにして音楽を聞きながら二〇分ほど、両脚をマッサージし、それから二四日の日記を綴った。一時を越えて完成、(……)そうして二時前からロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』の記述を読書ノートに写しはじめた。その合間に「倒錯 ロラン・バルト」でインターネットを検索すると、桑田光平、塚本昌則、石川美子三者の論文が出てきたので、それぞれダウンロードして保存しておいた。

 「ステレオタイプとは、魔術も熱狂もいっさいなしに、くり返される言葉である、――あたかもそれが自然であるかのように、あたかも、奇跡的にくり返される言葉も事情がことなれば何回でも使えるかのように、あたかも真似することがもはや真似とは感じられないかのように。それは厚かましくも粘りつこうとし、自身のしつこさに無知であるような、遠慮のない言葉である」(86~87)

 三度繰り返される「あたかも」のうち、二度目のものにのみ読点が付属している。これが翻訳者の独自的な判断なのか、原文を尊重した結果なのかはわからないが、この位置だけに読点を挟みこんだことによるリズムの変化――〈減速〉、あるいは〈一呼吸〉――はなかなか素晴らしいのではないか。

 「もっとも一貫したニヒリズムは、おそらくマスクのもとに[﹅7]あるものだ、――制度や、順応的な言説、外見上の合目的性にたいして、内在する[﹅4]ある種の仕方によって」(90)
 「あらゆる語りはオイディプスへとみちびかれるのではないか? 物語るとは、いつでもその起源を探すこと、〈掟〉との確執を語ること、愛と憎しみの弁証法のなかに入ってゆくことではないか?」(95~96)
 「おおかたの読書は倒錯していて、分裂をはらんでいる。子供が母親にはペニスがないことを知っていながら、同時にペニスがあると信じるように(フロイトがその利得を示したエコノミー)、同様に、読者はたえずこう言うことができる、――こんなのは言葉でしかないことをよく知ってるんだ、それにしても[﹅29]……と(私はこれらの言葉があるリアリティを表明するかのように感動する)。あらゆる読書のなかでも、もっとも倒錯的なのは、悲劇の読書である。その結末が分かっている[﹅11]物語が語られるのを聞いて、私は楽しみを得る。私は知り、そして知らない。私は自分自身を前にして知らないかのように振舞う。私はオイディプスの正体が明かされること、ダントンはギロチンにかけられることをよく知っている、それにしても[﹅6]……。その結末を知らないドラマチックな物語と比較すると、こういう読書では、楽しみは減少するが、歓びは増大する(今日、マス文化において、〈ドラマチックなもの〉は大いに消費されても、歓びはない)」(96~97)
 「歓びと恐怖の近接性(同一性?)」(98)
 「私のなかを言葉が、微細な句が、常套句の切れ端が、通りすぎていって、どんな文[フレーズ]もかたちづくられることはなかった[﹅20]、(……)それは私のなかに、その表層の流れをとおして、決定的に非連続なものを構成していた。この非=フレーズ[﹅5]は、フレーズに近接する力を持たなくて、フレーズの前に[﹅2]存在していたであろうものとも、まったくことなっていた。それは――永遠に、素晴らしく、フレーズの外に[﹅7]あるものだった」(100~101)
 「〈文[フレーズ]〉はヒエラルキー的である。それは隷属を、服従を、内的な制辞を含んでいる。そこからフレーズの完結が生まれる。どうしてひとつのヒエラルキーが開かれたままでありえようか? 〈フレーズ〉は完結している。それはまさに、――完結しているこの言語でさえある。実践は、それゆえ、理論とはことなる。理論(チョムスキー)のいうところでは、フレーズは権利上無限である(無限に触媒作用をおよぼす)。しかし実践はつねにフレーズを終えるよう強いる。「すべてのイデオロギーの活動は構成的に完結した言表の形式のもとに呈示される」。このジュリア・クリステヴァの命題もまた裏返して考えてみよう、――すべての完結した言表はイデオロギーとなるリスクをおかす」(101~102)
 「作家[エクリヴァン]と呼ばれる者は、おのれの思考、情熱、想像力を、フレーズによって表現する人ではない。フレーズを考える人[﹅9]なのである。〈フレーズを=考える人〉(すなわち、かならずしも思索家ではない。またかならずしも文章[フレーズ]家でもない)」(103)
 「歓びのテクストが倒錯的であるのは、それがあらゆる想像しうる限りの合目的性――楽しみの合目的性さえ含む[﹅12]――の外にあるからだ(歓びは楽しみに無理強いしない。歓びは退屈させるようにみえることさえある)。(……)歓びのテクストは絶対に自動詞的だ。そうはいっても、倒錯だけでは歓びを定義するに充分ではない。倒錯の極致が歓びを定義するのだ。つねにズレてゆく極致、極致の空白の、動きやすい、予見しがたいもの。この極致が歓びを保証する。ほどほどの倒錯は、たちまち卑小な合目的性の戯れをもてあましてしまう、――威信だとか、見せびらかしだとか、ライバル関係だとか、演説だとか、自己顕示[パレード]だとか」(105)

 一時間四七分のあいだ書き写しを行ったあと、三時四〇分に至って活動を中断し、明かりを落としてベッドに入った。


・作文
 13:39 - 14:55 = 1時間16分(25日)
 15:04 - 15:34 = 30分(24日)
 17:52 - 18:27 = 35分(24日)
 24:38 - 25:08 = 30分(24日)
 計: 2時間51分

・読書
 15:54 - 16:06 = 12分(2019/1/25, Fri.)
 16:49 - 17:29 = 40分(2014/6/3, Tue.; ブログ)
 17:39 - 17:50 = 11分(「思索」)
 22:51 - 23:04 = 13分(小林)
 25:53 - 27:40 = 1時間47分(バルト; メモ)
 計: 3時間3分

  • 2019/1/25, Fri.
  • 2014/6/3, Tue.
  • fuzkue「読書日記(167)」: 12月11日(水)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-01-18「夕立が恵みではない今世紀コンビニでビニール傘を買う」; 2020-01-19「いっさいが過去でしかないかがやきを蘇生するため星座をつくる」
  • 「思索」: 「覚え書き、思索が表現する一般性に関する(1)」(http://ukaistory.hatenadiary.com/entry/2020/01/20/054918
  • 小林芳樹編訳『ラカン 患者との対話 症例ジェラール、エディプスを超えて』: 156 - 170(読了)
  • ロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』: メモ: 86 - 105

・睡眠
 4:10 - 12:40 = 8時間30分

・音楽