2020/3/28, Sat.

 ナチ政権は敗北という現実を受け入れず、正反対の行動に出た。現実を直視するという選択肢は、クラウス・フォン・シュタウフェンベルクによるヒトラー暗殺が未遂に終わったことで失われた。彼は一九四四年七月二〇日に東プロイセンのラステンブルクにある独裁者の司令部で暗殺を試みたのだった。前参謀長ルートヴィヒ・ベックも含めた保守的な将校や関係者たちは、迫り来る壊滅的な敗北の予想に深く動揺し、狂信的で妥協を知らない総統と側近を退陣させて和平交渉を行い、破滅的な状況から救えるものを少しでも救おうとした。すなわち、戦って殺して死ぬ以外に何の戦略もなく、大規模で破滅的な最後の戦いで燃え尽きる以外に何の目的もない政権にとって代わり、急速に悪化した戦況を収拾するための戦略を追求することが、一九四四年七月の爆殺計画の目的だったのだ。それは甘い望みだったかもしれないが、一九四四年七月の陰謀失敗は深刻な結果をもたらすことになる。陰謀者たちは一網打尽にされ、裁かれ、殺された。そしてヒトラーが将校団に払っていた敬意の最後のかけらは消え失せ、不信と偏見は最悪なまでに強まった。ヒトラー暗殺失敗によって、ナチ政権の破壊的な急進主義を抑制する可能性は露と消え、比類なき流血がそのあとに続いた。一九四四年七月にヒトラーが命拾いしたせいで、戦争の最後の、もっとも残忍な年に、さらに数百万の人間が事実上命を落とすことになったのである。
 (リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』中公新書、二〇一五年、192~193)



  • 午後二時四〇分までずっと昏睡の魔に取りこまれており、九時間三〇分もの長きに渡って寝坊に耽った。
  • 久しぶりにギターを弾く。弾くと言っても例によって、Eのキーで適当にブルースめいたフレーズを弄ぶばかりである。書見の背後にはRichie Kotzenの『Bi-Polar Blues』を流していたが、このあたりの現代風に垢抜けたブルースをギター一本で弾き語れるようになりたいと夢想している。先日の「(……)」の会合でアコースティック・ギターを弾いたのが意外なほどに面白かったので、安いもので良いからアコギを一本手もとに置いて遊べるようにしたいという欲求が高まってきた。ギター一本だけで色々な曲を弾きながら歌えるようになったら、きっととても楽しいだろう。
  • 夕食にはピーマンと玉ねぎと牛肉を合わせた炒め物を拵える。料理の傍ら、ラジカセで小沢健二『刹那』のCDを再生した。
  • 九時頃に自室の天井が鳴ったので、風呂に入れという合図かと思って上がっていくと、そうではなくて、ロシアの兄夫婦がビデオ通話を掛けてきたのだった。タブレットの画面にMちゃんの姿が大きく映っているのに手を振ってやると、幼児は例の「うしゃーしよ?」みたいな、意味の窺い知れない奇妙な発語をして嬉しそうに笑う。階を上がってきたついでに湯浴みも済ませてしまおうというわけでこちらはまもなく風呂に行ったが、三〇分ほど浸かってから出てきても通話はまだ続いていた。Mちゃんはこちらの姿を目にするとやはり、音声形式のみを纏って意味の彼方に浮遊している謎の言語を何度も繰り返し発話するのだった。
  • Ward Wilson, "The Bomb Didn't Beat Japan... Stalin Did"(https://foreignpolicy.com/2013/05/30/the-bomb-didnt-beat-japan-stalin-did/#)を読む。いわゆる「原爆神話」――広島及び長崎への原子爆弾投下が日本に降伏を決断させて戦争を終結に導き、ひいては多数の人命を救うことになったのだという「常識的」歴史観――に対する簡明な反駁となっているこの論考は以前にも二度ほど読んだことがあるのだが、もう一度改めて読み通し、頭に入れたい重要な情報を「記憶」記事の方に追加しておこうと思ったのだった。


・作文
 28:04 - 28:10 = 6分(28日)
 28:11 - 28:23 = 12分(17日)
 計: 18分

・読書
 16:44 - 17:31 = 47分(熊野)
 17:50 - 19:37 = 1時間47分(熊野)
 19:41 - 19:54 = 13分(「英語」)
 22:22 - 23:33 = 1時間11分(「記憶」)
 26:06 - 27:08 = 1時間2分(Wilson)
 28:23 - 29:02 = 39分(熊野)
 計: 5時間39分

・睡眠
 5:05 - 14:40 = 9時間35分

・音楽