2020/8/16, Sun.

 ラインハルト作戦の三つの絶滅収容所に続く四番目の恒久的施設として位置付けられるのが、マイダネク絶滅収容所(正式名称は「ルブリン強制収容所」)である。
 マイダネクはルブリン中心部から南東に四キロと近く、ラインハルト作戦の三つの収容所と異なり、隠蔽された施設ではなく広大な敷地のなかにあった。もともと、巨大な強制収容所と捕虜収容所の複合施設であり、その機能を引き継ぎながら絶滅収容所としても活用されたからだ。
 この地には、一九四一年初めから少数のポーランド人技師と作業員などによって収容所の建設が行われていた。だが、七月二〇日にルブリンを訪問したヒムラーは、グロボチュニクに対してマイダネクの地に強制収容所と捕虜収容所を併設した複合収容所の建設を命じる。(…………)
 独ソ戦の進行にともない、ソ連軍捕虜の収容が続々と行われると同時に、チェコ人・ポーランド政治犯、ドイツからも収監されていた囚人が送られてきている。結局収容所は、八月末になりようやく一部が完成する。
 秋になると、ルブリン・ゲットーからのユダヤ人が数千人単位で二度にわたって送られてくる。一二月にはルブリン要塞監獄からも七〇〇名のポーランド政治犯、税を滞納したポーランド人農民四〇〇名が連行されてきた。一方で、年末までに五〇〇〇名のソ連軍捕虜が飢餓・虐待・寒さのために死亡している。
 一九四二年四月になると、ユダヤ人と政治犯を含む一万二〇〇〇名がスロヴァキアから、五月には大ドイツ国家領域から囚人が送られてきた。この段階で一四四のバラックに四万五〇〇〇名が収容され、ベルリン中央でも基幹強制収容所と位置付ける、巨大な複合収容所となっていた。
 さらに、オランダ、ベルギー、フランス、ギリシアから、そしてポーランドからもユダヤ人の強制移送が行われる。一九四二~四三年のあいだに総計一三万人が収容された。給養・衛生状態など生活環境が破局的に酷く、赤痢で死亡する人が非常に多く出てきた。
 その最中、ポーランドの抵抗運動組織によると一九四二年一〇月半ばから、グロボチュニクの命令によって、ラインハルト作戦と並行してガス殺がはじまった。ここにマイダネクは強制収容所、捕虜収容所としてだけでなく、絶滅収容所としても機能するようになったのだ。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、192~194)



  • 一時台に覚醒。クソ暑く、汗だくで、気づかないうちに肌着のシャツをまくって腹と背を露出していた。しばらく呻いて、一時二七分に離床。陽射しの質感はあまりない曇天だがとにかく暑い。からだをちょっと伸ばしてから上階へ行って顔を洗ったりうがいをしたりする。それからうどんや天麩羅などで食事。父親は自治会の役目か何かで出かけていった。テレビは『開運!なんでも鑑定団』。佐久間六所および佐久間晴岳という親子の掛け軸が取り上げられ、一五万円の値がついていたが、これは秋田藩佐久間象山係累なのだろうか。と思っていま検索してみたのだけれど、そもそも佐久間象山は画家ではなく学者思想家の類だし、秋田藩でもなくて長野は松代藩の人である。それで気づいたのだが、こちらの念頭にあったのは佐久間象山などではまったくなく、秋田藩の小田野直武のことだった。この二人に共通点はまったくないと思うのだが、なぜこのような勘違いをしたのだろう? わからんが、「佐久間」という名の「佐」の字が秋田藩主の「佐竹」家と無意識のうちに結びつき、それで小田野に繋がったということはあったかもしれない。ほか、ナスカ土器二点(正確にはそのうちの一方はナスカ文明よりもあとのなんとか文明のものだったらしいが)が出されて二〇〇万の値がついたりもしていた。新聞は書評欄の入口に森本あんりという人のアメリカ・ピューリタニズムについての研究書が紹介されていて、ちょっと気になる。
  • 風呂洗い。父親がシャワーを浴びたので壁や蓋がめちゃくちゃに濡れている。なぜあんなに濡れるのかまるで理解ができない。それで蓋は浴槽にもどさずに洗い場に立てておくことにしたので、その旨母親に伝えておいて自室に帰り、緑茶を飲みつつウェブを回ったりここまで文を書いたりした。今日は本当は立川に出て図書館に行ったり靴やバッグを探したりしようかと思っていたのだが、寝坊のためにすでに時間が遅くなってしまったし、なにしろクソ暑いのでやめにして家に籠る。
  • 八月一一日に録音した"D"の演奏について説明文を作る。

 遅くなってすまんが、"D"について説明を。

【総括】
 何も準備をしていなかったので下手くそですまんが、ジャカジャカやっているアコギが入ると全体的にこんな感じになるよ、というのは示せたと思う。遊んだり練習したりで録音の時点ではすでに握力が尽きており、コードをきちんと押さえられるほどの手指の筋力が失われてしまった体たらくだった。終盤などは音が鳴っていない箇所も多く、そこが聞き所だ。

【コードについて】
 その場で音源と合わせて響き方を確認しながら和声構成およびポジションを決めた。大きく変えたのはまずAパートのCadd9をCM7にしたことで、なんかこっちのほうが響きが良いような気がしたのだ。あとBパートのCadd9もCsus2にしたのだが、これは要するにルートと5度以外に3度と2度(EとDの音)が両方入っているか2度のみかという話で、sus2のほうがすっきりして歯切れが出るのではないかと思った。反対に、間奏後3サビ冒頭の静かな部分(「思いきり飛び込んでみなきゃきっと(……)」)では響きに広がりを出すために、Csus2ではなくてCadd9にしても良いのかもしれない。
 サビを中心として全体にテンションや7度を削った箇所が多いが、これもなんとなくトライアドにとどめて響きを詰めたほうが良いかなと思ったものだ。ただ、7度のあるなしに関してはわりとどっちでも良い気はする。いずれにしてもこれはアコギが弾いているフレーズをコード譜にするとこうなるよという話なので、ほかの楽器はもちろん多少音を足したり変えたりしても良いだろう。
 サビのカッティングはすべて開放弦を使わずに3フレットから9フレットの範囲で弾いているのだけれど、これは開放弦を挟むとカッティングが難しくなること、また、やはり響きを固く詰めて密な刻みの感触を出したほうが切れの良いカッティング感が生まれるかなと思ったことが理由である。しかしそのせいでバレーコード(一本の指で複数の弦をまとめて押さえる手法で、セーハともいう)がひたすら続くことになってしまい、それによって指が疲労困憊して死に至り、握力が消滅したので、正式版ではもうすこし楽なポジションに変えたほうが良いかもしれない。
 サビの三周目から四周目に移る部分ではEmのあとにDを足してわずかな変化を導入しているのだけれど、クソみたいにありがちなやり口でもあるし、これはどちらでも良い。
 2サビ後の間奏の最後(「いつかなんて来ない(……)」の前)のコードはGM7に回帰する原案があまりはまらないように思われたので、A7のままsus4と3度を行き来する案にしてみたが、音源ではうまく弾けておらずわかりにくくなっていると思う。A7sus4→A7→Amという推移になるので、おわかりだと思うがD→C#→Cという半音下降が生まれることになるわけだ。

【曲構成について】
 構成といっても大きく問題なのは、①1サビから2Aへの移行、②上述した2サビ後の間奏、また③3サビ本篇への入り(「軽く飛び越えて」のあと)、④3サビの繰り返しに入る前(「自分も誰かもよろこぶことがきっとある」のあと)、⑤3サビから最後のAパートへの移行をどうするか、というあたりだと思われ、要するに各部のあいだのうまい繋ぎ方を定めなければならないという一言にまとめられるだろう。
 今回の録音時点で仮に変更したのは①1サビから2Aへの移行部分で、オルガンソロをEmで締めたあとに、Fの刻みでクレッシェンドしつつそのままF#→Gと半音上昇する感じでやってみた。こちらのイメージとしては、2Aの冒頭のGでブレイクし、一周目は(ギターに関しては)高めの音域のコードを長音で鳴らし、ゆるやかに静かに推移していく、という展開を考えていたのであのように弾いたわけだが、TDがまとめてくれた"(……)"の音源は大まかにはこちらのイメージと合致している。実際の録音では、2小節目のDsus4(コード譜に反映させるのを忘れていたが、ここはDとDsus4のあいだを行き来せず、一小節すべてDsus4)がなぜかよくわからんが妙な響きになってしまっており、3小節目のAmもコードチェンジをミスって小節頭に鳴らせなかったのだが、後者に関してはTDが修正してくれている。
 ただ、この高いポジションでのコード白玉はむしろエレキギターの役割なのかなという気もしていて、2A(の一周目)はブレイクして静かななかにアコギのジャカジャカいう刻みだけが残って、ほかの楽器はだんだんとその上に少しずつ装飾を加えていく、という感じでも良いのかもしれないといまは思っている。
 あと、イントロをつけるか否かという問題もあると思っていて、現音源ではカットされているけれど、以前のピアノの導入がそのままあっても普通に良いのではないかとこちらは思っている。

 とりあえず以上。

【追記】
 「軽く飛び越えて」後のギターや絡みが決まっているとTDは評価して気に入っているようだが、あそこは何かを狙っていたわけではなく、握力が死んでうまく弾けないなか、ともかく最後まで頑張らなくては……という一心で適当に弾いていたらああなっただけで、何も意図はなかったのでそもそもどういうことをやったのかこちら自身は覚えていないし、決まっているのか否かもよくわからない。

  • スピッツ『フェイクファー』を流して歌いながら上記を書くともう四時を回っていた。slackに投稿しておくと運動に入り、屈伸をしたり脚の筋を伸ばしたり背を反らせまた腰をひねったりしたあと、五キロのダンベルで腕の肉も温める。その後、歯磨きをしながら昨日の夕刊を覗いてみると、三面に閣僚四人が靖国神社を参拝したという報があり、そこに衛藤晟一沖縄・北方相および高市早苗総務相の言が紹介されていた。いわく、「衛藤氏は、中国や韓国が反発する可能性について問われると、「国の行事として慰霊しているわけで、中国や韓国から言われることではない」と強調した」らしく、また、「16年も参拝した高市氏は「国家、国民を守るために命をささげた方に感謝の思いを伝えるのは、一人の日本人として続けていきたいことだ。これは決して外交問題ではない」と語った」と言う。そこで思ったのだけれど、まず衛藤氏の理屈について言うならば、彼は自分の参拝行為を「国の行事」として位置づけているわけなので、ということは、彼はひとりの私人ではなくて国家の中枢を担う内閣の一員として国家の意志を代行する行いとして参拝をしていると理解できないだろうか。衛藤氏の発言がもしそういう意味だとすれば、先の戦争に対する国家的評価やその歴史的位置づけと密接に関連するはずの一国家の「慰霊」行為を、たとえば「中国や韓国」といった他国が一国家として批判したり、それに対して意見を述べたり、ときに「反発」したりすること自体は、その内容はひとまず措いても行為としては問題がないように思うのだけれど。つまり、中国や韓国から「反発」されるいわれはないとする彼の主張の根拠になっている「国の行事として慰霊している」という認識は、反対に、中国や韓国が日本に批判を向ける理由として立派に成立するもののようにこちらには見えてしまうのだが。あるいは衛藤氏の発言は単に、我々閣僚の「慰霊」行為はうちの国のなかだけの問題なので他国からどうこう言われる筋合いはない、というくらいの意味なのだろうか。
  • 次に高市氏の発言に関して述べると、彼女は衛藤氏とはまったく反対に、靖国神社への参拝は「一人の日本人として」の行為に過ぎないと言っており、「これは決して外交問題ではない」とすら断言している。だから彼女からすれば、自分の参拝行為(衛藤氏の言葉で言えば「慰霊」行為)は一私人としての行動であって国家的意志を表すものではないので、他国から(一国家として)抗議されるいわれはない、ということになるのではないだろうか。「現職閣僚」として四人で同日に参拝している点を考えるに果たしてそういう理屈が成り立つのかどうかにも疑問はあるけれど、こちらの興味を惹いたのは、閣僚内でも靖国神社を参拝するという行為の意味合いがまったく一致しておらず、相互に矛盾した言い分になっているということだ。なぜなら、高市氏が参拝行為は「決して外交問題ではない」と明言しているのに対して、衛藤氏は「国の行事として慰霊している」と言っているわけで、こちらの理解では「国の行事」(国家的行為)とはまさしく(完全にではないとしても)「外交」の領分に属するもののように思われるからだ。したがって、図らずもというかなんというか、この矛盾にこそまさに国家的意志の不在がまざまざとあらわれる事態になっていると思う。つまり日本国は、「現職閣僚」が靖国神社を参拝するという「慰霊」行為においてすら、国家総体としての(すくなくともその時点の政府としての)公式的な意味づけを確定させることができておらず、その点をなあなあに放置したまま閣僚個人に任せてなんとなく済ませている、ということが観察されるように思われる。
  • 上記まで記したあと、家事をするために上階へ。父親がケンタッキー・フライドチキンを買ってきてくれたと言う。自治会の用事かと思っていたところが、どうも祖母を見舞いに行っていたらしい。のちほど夕食中に動画を見せてもらったが、車椅子に座った祖母は元気そうで、表情は明るくしっかりしていて顔色も良いように思われた。夕食の支度は母親が進めていたのでこちらはアイロン掛けをすることに。『笑点』が過去の放送を振り返っている様子や(石原さとみがゲストに来て、各人の後ろを回りながら、「~~さん、勇気を出して!」とか呼びかける役目を務めた会だった)、その後の『真相報道 バンキシャ!』を眺めながら布を伸ばす。『バンキシャ!』はコロナ禍でも海に出向いたり公園で花火をしたりして遊んでいる若者らに話を聞いたり、都市を離れて田舎で自作の小屋暮らしをしている人を紹介したりしていた。
  • 小松菜だけ切ってと母親が言うので、アイロン掛けを終えると台所に立って菜っ葉を切り分け、三つの小鉢に配分する。そうして帰室。久しぶりにアコギをいじった。弾いているあいだの音を質にかかわらず録って記録しておこうと思っていたのだが、アンプを用意してコンピューターに繋いだりするのが面倒臭くて結局やっていない。やる気が起こったらやれば良いだろう。今日は序盤はあまりうまく弾けなかったが、だんだん流れるようになってきていままで弾いたことのないフレーズもいくらか出てきたような気がする。
  • ギター遊びに満足すると食事へ。鶏肉や天麩羅や青紫蘇風味のうどんなど。ロシアの兄夫婦は行楽に行った帰りにチャイコフスキーの家に寄ったとかで、母親の携帯を借りて写真をいくらか閲覧した。クリンとかいう町にあるらしい。新聞を読みつつ黙って飯を食うと皿を洗い、緑茶を持って帰室。Fabian Almazan『Alcanza』を流して音読。久しぶりに「記憶」ノートのほうも読めた。そうしてヨガのやり方などを調べたあと、入浴へ。
  • そういえば音読後だかいつだったか、歯ブラシを取ってくるために廊下に出ると暗いなかで素足に触れるものがあり、一度目は何かものが転がっていたのかなと気に留めなかったのだが、進むとまた触れてくるものがあったので、ちょっとビビってこれはたぶん虫だなと判断し、洗面所の明かりを点けてみればやはり床の上に小さめのゴキブリがあらわれた。なぜかすでに死にかけみたいな様子で、裏返った体勢で苦しそうに震えのたうっており、物陰にすばやく逃げることもできないようだったので、急がず用を足して歯ブラシを用意すると虫をまたぎ越して部屋にもどり、「キンチョール」の缶を持ってきて追い打ちをかけておいた。始末が面倒臭かったのでそのままひとまず放置。
  • 風呂場では入湯前にからだをほぐしたのだが、脚の付け根や股関節が日々なかなかほぐれないのでうまいやり方を探ったところ、合蹠した姿勢で両手を膝のあたりに置き、脚を左右にというか下にというか押し広げる方法が一番良いなと定まった。あとはやはり「胎児のポーズ」。「胎児のポーズ」は力の入れ方によって太腿の筋をほぐせるし、姿勢を変えれば腹筋も刺激できる。
  • そろそろいい加減に髪を切りたい。何か新しい髪型を試したい気持ちがあるのだが、整髪料を使ってセットしなければならない髪型は面倒臭いし、たぶん結局はいまのまま短くするだけに終わるだろうと思う。
  • 心身のペースを減速させ、現在の純粋持続に対する感覚を養うために、また瞑想を習慣化したほうが良いかもしれないという気が生じてきた。やるとしたら起床後と就寝前の一日二回で良いだろう。とにかく生を急がず、自分自身と一致しながら暮らしたい。
  • Amazon Musicスピッツ『名前をつけてやる』を流しつつ、昨日の日記にメモした英文記事を「あとで読む」ノートに移していく。#2 "日曜日"に、「晴れた空だ日曜日 戦車は唾液に溶けて/骨の足で駆け下りて 幻の森へ行く」という一節があるが、このなかの「戦車は唾液に溶けて」はなかなかすごく、思わず耳に残った。
  • それから何をしようかなあと迷いながらひとまず八月七日の記事を覗いてみると、書き足すことがそんなになさそうだったので、この日の日記を綴る気になった。そうは言ってもしかし、仕上げるまでに一時間四〇分もかかり、完成に至ったころには二時を回っていた。投稿時にはスピッツの作品をリリース順にたどるのをやめて小沢健二『So kakkoii 宇宙』を流してみたのだが、#1 "彗星"の開幕から彼特有の歌唱のダサさに磨きがかかっているなという印象で、小沢健二という人は昔の作品からだいたい一貫して歌に関しては独特の「ヘタウマ」的な感触があると思うのだけれど(1stアルバムがたぶん一番それが薄かったのではないか?)、歳を取ってそれがさらに顕著になっているような気がした。ダサさというのはたとえば、発声・発音のニュアンスとか歌声に対する力の入れ方とかアクセントの配分とかだ。おそらく彼以外にはなしえないであろう絶妙なダサさと言うほかはなく、楽曲自体はもろもろ賛否はあるとしても一定以上の質で洗練されていることは否定できないはずなのに、それと歌の野暮ったさの組み合わせはほとんど矛盾的なまでの不調和を生んでいて、こういう結合は物珍しい。
  • 腹が減ったので夜食を取りに行き、取り置きしておいたゴーヤの炒め物と白米を用意し、また五個入りの小さなクリームパンから三つをティッシュに包んでポケットに入れると帰ってきて、一年前の日記をひらきながら食べはじめた。2019/7/18, Thu.の冒頭には岩田宏ショパン」の第八部全篇が引かれていて、この詩句は読み返すたびにすばらしいすばらしいと言いながらそのときの日記に転載しているのだが、今日読んでみてもやはりあまりにもすばらしいとしか思えず、この世で最高の詩篇のひとつではないかとすら思う。こんな言葉の連なりをこの世界に生み出したいと心から思う。

 どんなにあなたが絶望をかさねても
 どんなに尨大な希望がきらめいても
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は……
 どんな小鳥が どんなトカゲや鳩が
 廃墟にささやかな住居をつくっても
 どんな旗が俄かに高々とひるがえっても
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は……
 あやまちを物指としてあやまちを測る
 それが人間ひとりひとりの あなたの智恵だ
 モスクワには雪がふる エジプトの砂が焼ける
 港を出る船はふたたび港に入るだろうか
 船は積荷をおろす ボーキサイト
 硫黄を ウラニウムを ミサイルを
 仲仕たちは風の匂いと賃金を受け取る
 港から空へ 空から山へ 地下鉄へ 湖へ
 生き残った人たちの悲しい報告が伝わる
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は!
 ふたたび戦争 かさねて戦争 又しても戦争
 この火事と憲法 拡声器と権力の長さを
 あなたはどんな方法で測るのですか
 銀行家は分厚い刷りもののページを繰る
 経営者はふるえる指で電話のダイヤルをまわす
 警官はやにわに駆け寄り棍棒をふりおろす
 政治家は車を下りて灰皿に灰をおとす
 そのときあなたは裏町を歩いているだろう
 天気はきのうのつづき あなたの心もきのうそのまま
 俄かに晴れもせず 雨もふらないだろう
 恋人たちは相変わらず人目を避け
 白い商売人や黒い野心家が
 せわしげに行き来するだろう
 そのときピアノの
 音が流れてくるのを
 あなたはふしぎに思いますか
 裏庭の
 瓦礫のなかに
 だれかが捨てていったピアノ
 そのまわりをかこむ若者たち
 かれらの髪はよごれ 頬骨は高く
 肘には擦り傷 靴には泥
 わずかに耳だけが寒さに赤い
 あなたはかれらに近寄り
 とつぜん親しい顔を見分けるだろう
 死んだ人は生き返らない 死んだ人は
 けれどもかれらが耳かたむける音楽は
 百五十年の昔に生れた男がつくった
 その男同様 かれらの血管には紛れもない血が流れ
 モスクワの雪と
 エジプトの砂が
 かれらの夢なのだ そしてほかならぬその夢のために
 かれらは不信と絶望と倦怠の世界をこわそうとする
 してみればあなたはかれらの友だちではないのですか
 街角を誰かが走って行く
 いちばん若い伝令がわたしたちに伝える
 この世界はすこしもすこしも変っていないと
 だが
 みじかい音楽のために
 わたしたちの心は鼓動をとりもどすと
 この地球では
 足よりも手よりも先に
 心が踊り始めるのがならわしだ
 伝令は走り去った
 過去の軍勢が押し寄せてくる
 いっぽんの
 攻撃の指が
 ピアノの鍵盤にふれ
 あなたはピアノを囲む円陣に加わる。
 (『岩田宏詩集成』書肆山田、二〇一四年、170~175; 「ショパン」; 「8 モスクワの雪とエジプトの砂」; 『頭脳の戦争』より)

  • 勝海舟全集』がほしい。せっかく日本国に生まれたのだし、日本の近代の人物とかそれ以前の時代の文章も読みたいし読まねばならないとも思うのだが。
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年)を書抜き。80ページに「ステファン・タナカや姜尚中もいうように、今日わたしたちが「東洋」として認識している概念は、実際には一八八〇年代に活躍した徳富蘇峰白鳥庫吉といった植民地主義者が、すなわち西欧型近代国家をめざす日本的主体が日本以外のアジア諸国を、とりわけ中国に象徴される過去の歴史を攻略するために編み出した準拠枠にほかなるまい」とあるのだが、この点はおそらくかなり重要なポイントなのではないか? というのも、「東洋」という概念はおそらくのちにおいて「大東亜」へと繋がっていくのではないかと思われるからだ。特に確かな根拠はないのでもしかしたら違うのかもしれないし、この推測が一応正しいとしてもそんなに単純に線的な発展過程であるわけがないだろうが、とはいえ「東洋」の誕生、そしてそこからさらに「大東亜」へと向かっていくかもしれない歴史の調査というのは、相当に重要な仕事のひとつであることは疑いないだろうと思う。たぶん似たようなことはすでに誰かがやっているはずだと思うのだけれど、こちらの学習の手始めとしてはまず福沢諭吉明六社とか、江華島事件とか、大久保利通清朝の関わりとか日清戦争とか、当時のいわゆる日本主義者(三宅雪嶺高山樗牛や、陸羯南なんかもそうなのか?)たちの言説とか、もちろん韓国併合とかについて調べなければならない。江戸後期(水戸学)以降の日本的ナショナリズムの歴史というものもめちゃくちゃ重要な研究対象だろう。
  • 書抜きを終えるとベッドに移って清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年)。読みながら触発されて自分の頭のなかにもイメージや詩片が生じるので、それらを手帳にメモしつつ言葉をたどる。この日読んだなかで気になった言葉は二つ、87にある「繖形花」と、92の「乳かくし」。「繖形花」という語は初見ではなくて過去にも見かけたことはあるが(たぶんWikipediaで何かの花の記事を読んでいたときだと思う)、そういやこんな言葉あったなと珍しく映った。「繖形花序」というのは、「無限花序の一。花軸の先に、柄をもつ花が放射状につくもの。サクラソウ・セリ・ニンジンなどにみられる」らしい。「繖」という字は唐傘を意味するらしいので、花の集団が傘のように広がっている形ということだろう。「乳かくし」はブラジャーのことだと思うのだが(「桃色のヅロースや、レモン黄のシュミーズ、白の乳かくしなどが、そこらいつぱい、レビュウガールのたまり場でゞもあるやうにぬぎちらしばらまいてある」という一節に出てくる)、そもそもブラジャーのことをべつの単語で言うという発想自体がこちらになかったし、しかもそれが「乳かくし」などというクソ単純で直接的な言葉だったのでちょっと驚いた。


・読み書き
 14:45 - 15:05 = 20分(作文: 2020/8/16, Sun.)
 15:05 - 16:17 = 1時間12分("D"についての説明)
 17:03 - 17:47 = 44分(作文: 2020/8/16, Sun.)
 20:51 - 21:11 = 20分(記憶)
 21:11 - 21:45 = 34分(英語)
 23:32 - 24:02 = 30分(作文: 2020/8/16, Sun.)
 24:22 - 26:04 = 1時間42分(作文: 2020/8/7, Fri.)
 26:32 - 26:49 = 17分(2019/7/18, Thu.)
 27:05 - 27:16 = 11分(2020/8/16, Sun.)
 27:16 - 27:50 = 34分(巽)
 27:50 - 28:34 = 44分(金子: 68 - 93)
 計: 6時間38分

  • 作文: 2020/8/16, Sun. / "D"についての説明文 / 2020/8/7, Fri.
  • 「記憶」: 102 - 105
  • 「英語」: 237 - 257
  • 2019/7/18, Thu.
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年): 78 - 80(書抜き)
  • 清岡卓行編『金子光晴詩集』(岩波文庫、一九九一年): 68 - 93

・音楽