2020/9/18, Fri.

 (……)日常語では、あることをこうむることに快楽を覚える者(そうでないとしても、ともかく、このこうむることの共犯者である者)を定義するのに、かれはあることを「自分にしてもらう」(ただ単に、あることがかれにたいしてなされる、ということではない)と言うことからわかるように、主体における作用者と被作用者の一致は、動きのない同一性の形態をもつのではなく、自己触発という複合的な運動の形態をもつ。そこでは、能動性と受動性がけっして分離されず、しかも、あるひとつの自己[﹅2]のうちにあって両者が一致できずに区別されたものとしてあらわれるというような仕方で、主体は自己自身を受動的なもの(あるいは能動的なもの)として立てる――あるいは示す――のである。その自己[﹅2]とは、自己触発の――能動的にして受動的な――二重の運動において、残りのもの(resto)として生まれるものである。このために主体性は主体化であると同時に脱主体化でもあるという形態を構造的にもっているのであり、このためにそれはその本質においては恥ずかしさなのである。赤面とは、あらゆる主体化において脱主体化をあらわにし、あらゆる脱主体化において主体について証言するところの、その残りのもの(resto)にほかならない。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年、150)



  • 一二時過ぎに覚醒し、まどろんだり首を揉んだりしているうちに一時を回って正式に離床。洗面所に行って顔を洗い、うがいと用足しを済ませて上階へ。母親は仕事なのか姿が見えず、父親がひとりでソファに就いて書類を読んでいる。上階の洗面所にも入りドライヤーを使って髪を梳かし、食事は豚汁や鮭やカボチャの煮物。ものを食う一方で新聞から国際面の記事を読むが、父親がかけているラジオ(TBSラジオ『たまむすび』)の音声に乱されてあまり集中できない。食後は皿と風呂を洗って、もう食道は問題ないと思うのだが、一応今日も緑茶は控えて何も持たずに自室に帰った。コンピューターの準備を待つあいだに携帯で美容室に電話する。ここ数日何度か電話してもそのたび休みでつながらなかったのだが、今日は無事にYさんが出て、いつが空いているかと訊けばけっこう埋まっているらしく、来週の金曜日ではと言う。二七日の日曜日までに切りたいと言って迷っていると店主に替わって、二六日の土曜日でも良いと言うので、ギリギリのタイミングではあるが土曜のほうが勤務が短いしそうするかと決断し、一時に予約した。その後FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだしてここまで短く記述。さしあたり今日やりたいことは四つ。昨日の日記を完成させること、一六日の記憶をメモしておくこと、六月二九日以降過去の日記をいくらかでも進めること、そして教室会議の計画文書を作ることである。
  • そういうわけで昨日のことを記述し、さしてかからず終えると投稿、さらにそのまま一六日のこともメモすれば時刻は四時前、寝床に移って脹脛を柔らかくする。五時を回って上階に行くと、父親が鍋を拵えていた。こちらは洗濯物を少々畳むが、この天気では仕方ないけれど大方まだ乾ききっていなかったので、扇風機の風を当てるようセットしておき、そうして昨日のキムチ鍋の余りを摂取する。
  • 五時四〇分から教室会議計画案を作成した。五〇分で終了。おおまかな形に過ぎないが、会議の目的・全体の流れ・アンケートの質問案・会議時配布文書構成案という区分でまとめた。そうして着替えて身支度を済ませたあと、コンピューターを持って階段下の室に行き、Evernoteで作った文書を印刷する。父親のコンピューターに繋がったハブ的なUSB接続器具からプリンターのケーブルを抜いて自分のコンピューターに挿し入れ、準備が整うのを待つ。ドライバーのインストールだかが即座に終わらず、これ間に合うかなと危惧されたものの、歯磨きをしながら待っているあいだに無事終わったので計画文書を二部印刷した。それをクリアファイルに入れてバッグに収め、そうして出発である。
  • 当然ながらもはや蟬の音は生まれず消え去って、かわりに鳴るのは凛々とした虫の声であり、どこから発するともなく遠く近く全方位から聞こえるごとく道の上を満たしているのは、響きが空間を構成する気体そのものになったかのようなひろがり方である。空は雲が全面にかかっているらしく薄墨色に曇ってなんの形も見られない。十字路前で坂から下りて出てくる人があり、サラリーマンの姿で片手に鞄を提げているそれはHさんだったかもしれない。すれ違ったあとに煙草の匂いが感じられ、坂に入ってからもほんのすこしなごっていた。
  • この時刻でも意外とまだ蒸し暑くて肌は汗を生む。路上には街灯に照らし射られたこちらの影が、のっぺらぼうの様相で濃く密に浮かび上がる。駅の階段通路に入るあたりで秋虫の声が頭上から大挙して降り落ち、かなり騒がしくて痺れのようなざらつきを耳に与えてきた。気温がやはり高めなのか階段には羽虫がけっこう飛び交っている。ホームに入るとベンチにバッグを置いてハンカチで汗を拭い、そうこうしているうちに電車がやって来た。
  • 車内では瞑目。降りると他人に抜かされながらだらだらと階段や通路を行き、駅を出るとすぐ脇に大きな身体の女性がいたが、それが(……)さんではないかという気がした。何年か前の生徒である。その名前を思い出せたことに自分でちょっと驚くが、あまり目を向けず顔も見なかったので本人かどうかは不明だ。
  • 職場に着くとさっそく(……)さんに教室会議計画案を渡し、神様、との称賛をいただいた。多少ポイントを説明して気になったことはあるかと訊くと、質問に対する回答の参考に例を挙げたほうが良いのではと言うので、確かにそうだなと同意した。その他いくらか話し合ってから授業。今日は(……)さん(高三・英語)に(……)くん(中二・国語)が相手だが、授業のあいだのことは何もメモされておらずまったく思い出せない。
  • 一〇時前に退勤。(……)先生と一緒になったけれど今日は話しかけず(もうずいぶん前だが、彼女が入ってまもないころに二回くらい並んで帰ったことがある)、黙々と前を行った。ホームの自販機前に止まったところで彼女はこちらを抜かして過ぎていく。飲み物を迷っていくつか自販機を見回った挙句、「ポンジュース」を選んだ。炭酸がもしかしたらまだ食道や胃に悪いかと思ってコーラを控えたのだが、しかしオレンジジュースも胃液を増やすのではなかったか? 胃に冷たい液体が入っていく感触を注視するほかに何もせず息をつきながらジュースを飲み、その後は瞑目で電車を待った。車内でも同様である。
  • 最寄り駅を出て坂道にゆっくりと歩を踏みながら、落ちている葉が蛾の大きいのが伏した姿のようで見分けがつかないなと思っていると靴先から跳ねるものがあり、本当に蛾が混ざっていた。道は乾いており端には茶色に近づいた薄色の葉が集まっている。木の実はまだ見られない。風もなさそうだけれど、弾けて擦れるような分離の音を静かに立てながら葉枝が頭上から落ちてきて、一度は頭頂に乗ったときもあった。それくらい歩速が遅いわけだ。
  • 平坦路を行くあいだ、カマキリに二度遭遇した。色は緑でなくて白っぽく、まだ生まれたばかりなのか小さくて一見すれば小枝だが、わずかながら影が落ちているのでからだを路面から浮かせているのがわかり、それでカマキリと判別された。ゴキブリらしいすばやい動きの黒い虫も途中で見られて、けっこう虫が多く出ているのはやはり気温の影響か。コオロギらの声はこれも雑音のない夜道だからそう感じられるのか、往路よりもしずしず控えているようで、抑制されたきらめきというごとき叙情性を思わせた。
  • 帰宅後はベッドで脚をほぐしつつ休息したあと食事へ。父親はソファで歯磨きをしており、母親はその周りでうろつきながら洗濯物をたたむなど。父親は酒を飲んだようで最初はまたテレビに反応してなんとか漏らしたり唸ったりしていたのだが、こちらが席に就いて食べはじめるとその種の声をほぼ上げなくなった。途中で母親が、もううるさいからと言ってテレビを消してくれたのもありがたい。その後両親とも居間を去ったが、そうして訪れた自分ひとりの静けさというものはやはり非常に落ち着き、心身に馴染むものだ。
  • 入浴ののち、そろそろ大丈夫そうだったので茶葉を少なめに抑えてあまり濃く出ないようにしながら緑茶を用意。帰室後は一時四〇分から書抜き。やはり常態として呼吸を見つめるというか、呼吸(と言って吸気は除いて大方呼気のほうだが)に志向性を向けるようにして、それを媒介にしながら(経由しながら)心身の感覚や現在時を捉えるというのが肝要なのではないのか。実際、呼吸に視線を向けて行動の連れ合いにすると、直線投射的な目的意識に飲まれることはなくなり、落ち着いて物事を進められるのは確かだ。書抜きのBGMはBrad Mehldau Trio『Live』。それから今日のことを記録して、そして就寝前にジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年)をいくらか読んだらしい。


・読み書き
 14:18 - 14:38 = 20分(2020/9/18, Fri. / 2020/9/17, Thu.)
 14:53 - 15:51 = 58分(2020/9/16, Wed.)
 17:41 - 18:31 = 50分(教室会議案)
 25:43 - 26:38 = 55分(巽 / 新聞)
 26:40 - 27:12 = 32分(2020/9/18, Fri.)
 27:26 - 27:47 = 21分(2020/6/29, Mon.)
 28:30 - 29:12 = 42分(カラー: 117 - 141)
 計: 4時間38分

  • 作文: 2020/9/18, Fri. / 2020/9/17, Thu. / 2020/9/16, Wed. / 教室会議計画案 / 2020/6/29, Mon.
  • 巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』(松柏社、二〇〇〇年): 書抜き
  • 読売新聞2020年(令和2年)6月30日(火曜日)朝刊: 7面
  • ジョナサン・カラー/富山太佳夫・折島正司訳『ディコンストラクション Ⅰ』(岩波現代選書、一九八五年): 117 - 141

・音楽