2021/3/30, Tue.

 だれが、今なお構造主義者でいるだろうか。ところが彼はそうなのである。すくなくとも次の点においては。たとえば、一様に騒がしい場所は構造をもっていないように彼には思われる。なぜなら、そのような場所では、沈黙か発言かをえらぶ自由がもはやまったくないからである(彼はバーで〈うるさすぎて、話ができませんね〉と隣客になんど言ったことか)。すくなくとも構造とは、わたしに二つの項を提示し、わたしはそのうちのひとつの項に好きなように印をつけ、もうひとつの項は追いはらうことができる、というものなのだ。したがって結局は、構造とは自由の(ささやかな)担保なのである。(……)
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、172; 「構造と自由(Structure et liberté)」)



  • 覚醒してしばらくしたのち、一一時五四分に起床。今日はカーテンを開けた向こうの空が白い曇りだった。水場へ行き、「アレグラFX」を服用。用を足したあとうがいもいくらかしてそのまま上階へ。ジャージに着替えて髪を整えたりまたうがいをしたりして、屈伸をくり返して脚をほぐす。食事は豚肉とネギのソテーなど。新聞はいつものように国際面。米国バイデン政権の人権問題重視の姿勢について。ドナルド・トランプ政権によって失われた国際社会からの信頼を回復させようとバイデンはつとめており、たとえば中国に対してもウイグル自治区の件で口出しをしているが、それでかえって中露を中心に「内政干渉」を嫌う国家たちを結束させてしまう側面もあると。ロシアだか中国だか忘れたが、サウジアラビアとも接近していて、皇太子だかと会談して国内問題への干渉を認めないという方針で一致したらしいし。米国はもともとカーター政権あたりからいわゆる「人権外交」というものをやってきたらしいのだが、一方でイランでは介入によって革命を招いたりもしているし、アフガニスタンしかりイラクしかり、民主主義を大義名分にして余計なことや汚いことを色々やってきたというのもよく言われるところだし、それは一定の事実でもあるのだろう。とはいえ口出ししようが放っておこうがどうせ中露ほかの権威主義諸国は手を組むはずだし、すくなくとも中国の件で黙っているというわけにはいかないだろう。どこか一国でもものを申しておくところがないとマジで中国の覇権が確立してしまうだろうし、それができるのはいまのところやはり米国しかない。
  • 食事を終えると食器を片づけて風呂も。母親がメルカリでZARAの薄手のコートを買ったのだが、丈がやたら長くてどうも、という話があった。それなら俺が着ようかと皿洗いのときに口にして、あとで身につけてみることに。風呂を洗い終えると緑茶を用意して帰室。Notionを準備。(……)
  • 三時を過ぎて音読。コンピューターをデスクにもどし、ハードディスクをつないでSade『Lovers Live』を流しながら「英語」。四時くらいまで。デスクの前に立ち、主に手と指を曲げて伸ばしながら読んだ。というのはこのあとギターを弾こうと思っていたからだ。それで音読に満足して切りをつけると隣室へ。気づいていなかったが、母親がそこにいて兄のベッドの上に寝転がっていた。ギターをケースのなかから取って自分の部屋にもどり、爪弾く。Aブルースを適当に。いつもどおりである。まあまあ。最初のうちはあまり流れなかった。途中、FISHMANS "いかれたBABY"の進行で長くコードストロークを続けていたのだが、そうしているうちになんとなく頭と指が楽器を弾く行為になじんできたような感じがあった。やはりコードストロークの練習というか、かたちの定まった曲を弾く練習もしなければならない。ひたすらおなじ進行でくり返しているだけでももちろん一回ごとに違いがあるし、ただジャカジャカやっているだけでもわりと面白い。アコギをやろうというのだから、何のひねりもなく単純なかたちでただコードをかき鳴らしているだけでも聞いた者に気持ちが良いと思わせることができなくては駄目だろう。そのあたりの基礎力はこちらにはまだ全然ない。ピックを使うべき曲もピックでなければできない曲もあるだろうが、なるべくピックを介さずにおのれの手指だけでなんでも弾けるのが望ましい。Wilko Johnsonスタイルをアコギできわめるみたいな。たぶんKeziah Jonesがわりとそういう感じだと思うのだけれど。
  • 五時まで。ギターを片づけるとそろそろ食事の支度などをしに行く頃合いだが、その前に今日のことだけすこし記しておくかとコンピューターの前へ。しかし、二、三日くらい前からスペースキーが変になっていて、押せはするのだけれどもどりが悪いというか、キーが適正の高さまで浮かび上がらずなかば沈んだままになっている状態だったのだ。もともと前から利きが悪いというか押しにくい感じだったのだけれど、それを解決することに。とりあえず、何か入りこんでいるのではないかとカバーをはずしてなかを見分。しかし目立った夾雑物はない。掃除してからカバーをもどしてみたが、むしろ先ほどよりも悪くなって、押すとなかなかもどらずずっと入力が続くようになった。それでまたはずして調べたところ、スペースキーの下は真ん中に入力のためのやわらかいボタンがあり、左右はこれがキーをもどす仕組みらしいが、白いパーツを二つ組み合わせた(漢字でいう国構えみたいな外側の枠組みのなかにもうひとつ四角いパーツが嵌めこまれてそれが前後に動くようになっている)部品が配置されていて、調べるとこのうち左のほうの稼働が悪くなっていることが判明した。外枠を手前側からちょっと持ち上げると応じてなかの部分も互い違いになるように持ち上がり、通常は指を離せばすぐ自動的に落ちてもどるのだが、左のそれは持ち上げるとそのまま止まってもどらないのだ。動かしたときの感触も、右のものよりもあきらかに重く、鈍く、なめらかでない。それでその稼働をどうにかできないかとピンセットを使ってパーツを探ったり、取り外してパーツ自体や周辺部を拭いたりしていたのだが、改善は見られない。仕方ないから右側のものと取り替えるかと決めた。スペースキーを押すのは左手の親指なので、左のほうがうまく動くようになればどうにかなるだろうとの頭だ。それでパーツを取り替えてカバーをもどすと見事に解決した。何の問題もない状態に復元している。そして思ったのだが、これはもしかするともともとパーツが逆に設置されていたのかもしれない。以前も一度、何かのときにスペースキーを外したことがあったのだが、そのときに間違えて右のものと左のものを逆に取りつけてしまったのではないか。そのために利きが悪くなっていたのかもしれない。
  • この日もあとはひたすらだらだらした感じで、読み物も書き物も全然していないし、覚えていることも特にない。