2021/3/31, Wed.

 『S/Z』においては、〈読みうる/書きうる〉という対立関係が提示された。〈読みうる〉ものとは、わたしには再びそのように書くことができないであろうテクストである(今日、バルザックのよ(end173)うに書きうるものだろうか)。〈書きうる〉ものとは、自分の読書規範を完全に変えるのでもないかぎり、読むのに苦労するテクストである。そして今、わたしは思い描いている(わたしのもとに送られてきたいくつかのテクストをみて思いついたのであるが)。おそらく、テクストの第三の存在があるのだろう、と。読みうるものと書きうるものの横に、〈受け取りうる〉もののような何かがあるのだろう。〈受け取りうる〉ものとは、ひっかかって読めないものであり、燃えるようなテクストであり、あらゆる真実らしさの外部でたえまなく生みだされてゆくものであろう。その機能――書き手によって明白に引き受けられている機能――とは、書かれたものにかんする金もうけ主義的な制約に異議を申し立てることであろう。こうしたテクストは、〈出版できないもの〉という考えに導かれて武装しており、つぎのような返答をもとめているのだろう。あなたが作りだしているものをわたしは読むことも書くこともできません。でも、わたしは〈受け取る〉のです。まるで火のように、麻薬のように、なぞにみちた崩壊のように。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、173~174; 「読みうること、書きうること、そしてその先には(Lisible, scriptible et au-delàs)」)



  • 一〇時頃に覚醒した。晴天。陽射しも生き生きとして熱い。いつものようにこめかみを揉んだり頭を左右に転がして首筋をやわらげたりして、一〇時半過ぎに起き上がる。コンピューターを点けておいて水場へ。「アレグラFX」を飲み、用を足したりうがいをしたり。そうして部屋にもどり、瞑想。一〇時四三分から五九分まで。良い感じ。心身がうまくチューニングされている。昨晩は就床前にもやってそれが眠りにわりと良かった気がするので、またなるべく時間を取っていきたい。目をひらくと、一六分しか経っていないという感覚だった。
  • 上階へ。母親は勤務。父親に挨拶。ジャージに着替えて屈伸など。昨日あたりから暑くなってきているので、上は半袖の格好。洗面所で髪を整えまたうがいをしたのち、食事。天麩羅や鮭など。新聞はいったんページをめくっていって目ぼしい記事をチェックし、それから一面にもどってミャンマー関連を読んだ。日本がインフラ整備などの支援を停止する可能性、と。国軍からの新たな依頼は受け入れないことに決め、いま進行中の事業にかんしても、ミャンマー国民への影響を勘案しながら停止や縮小を検討し、交渉の材料にすると。鉄道整備とか、ヤンゴンの下水道整備とかがすすんでいるらしい。欧米とは違って経済制裁は課さないと。日本は主要国で唯一国軍とのパイプを有しているのでそれを活用して交渉に当たるというのだが、その「パイプ」がどういったものなのか、どういう歴史と経緯でそれが構築されたのかは知らない。
  • 皿洗いに風呂洗い。南の窓外は空間がすべて鮮やかな光に満たされており、(……)さんの家の魚の幟も横にまっすぐ浮かび上がって爽やかに、気持ち良さそうに風に泳いでいる。帰室するとコンピューターをデスクから外し、ベッド縁に腰掛けてLINEをひらいた。「(……)」まわりで諸々。このあいだ会ったときに五月に(……)のいる大阪に行こうという話が出ていたのだが、その話がすすんでいたので返信しておく。ゴールデンウィークに行くことになりそう。コロナウイルスの第四波とやらが来ないか心配だが。大阪に行くのならどうせなので(……)さんにも会いたいので、一日独自行動をしたいと言っておいた。
  • それからNotionを用意し、ここまで記して正午をまわったところ。今日は三時には出る必要がある。そうして帰りはおそらく一一時を越える気がする。クソ長い。それなのでWoolf会には残念だが欠席の連絡を入れておいた。
  • この水曜日もかなりだらだらしている様子。だいたいのことは忘れた。労働への行き帰りは歩いたはず。(……)帰りは予想通り一一時過ぎになったはず。帰宅してからLINEを見ると、Woolf会は、ほかのひとも体調が悪かったり都合が悪かったりして今回は休みになっていたので良かった。