2021/7/8, Thu.

 『ペリフュセオン』は全五巻からなる。創造し創造されない自然については第一巻で、創造され創造する自然は第二巻で、創造され創造しない自然は第三巻で論じられたうえで、第四巻と第五巻が、創造せず創造されない存在をあつかう構成となっている。偽ディオニシオス文書でいうなら、第一巻から第三巻は、神から発するイデアを経て被造物にいたる肯定神学あるいは下りの道(カタファティケー)に、四巻と五巻は、神の痕跡である世界からもういちど創造者へ(end209)と回帰する否定神学(theologia negativa)もしくは上りの道にあたることになる。
 肯定的な道にあっては、神は存在し、真理であり本質であると語られる。だが正確にいえば、被造物についても述語されるこうしたことばは、神については比喩的にのみ語られるのであるから、神はむしろ、存在を超えたものであり、真理を超えたものであると語られなければならない。神がたとえば知恵ある者であるとは、比喩的な意味で語られる(のちにスコラ哲学者たちは「類比的」に、と主張することになるだろう)にすぎない(次章参照)。
 存在を超えた神のありかたは「無」とも言われる。神については、どのようなカテゴリーもほんらいの意味では当てはまらず、上りの語り(アポファティケー)にあってはそうした述語づけのいっさいが否定されてゆくことになるからである。だが、神が非存在であると語られるとき、神は「その語りがたい卓越性と無限性のゆえに」いみじくもそう語られるのだ。神が無であると言われるのは、神がむしろ「存在以上のもの」であるからである。ボエティウスが主張していたように、神が無から世界を創造したと言われるとき意味されているのも、存在は、すべて「神の善性の力」によって非存在から造られたということなのである(第三巻第五章)。

このことば〔無(nihil)という語〕で意味されているのは、人間の知性であれ、天使のそれであれ、どのような知性によっても知られていない神の善性の、語りがたく、とらえがたく(end210)近づきがたい明るみであると思われる。それは本質を超えており、自然本性を超えているからである。それは、それ自体において考えられる場合には存在していないし、存在しなかったし、存在しないであろう。すべてのものを超越しているので、どのような存在者においても考えられないからである。それは、けれども、存在者たちへの語りがたい下降をとおして、それが精神の眼で見られる場合、ただそれだけが万物において存在しているのが見いだされ、現に存在し、存在したし、存在するであろう。(第三巻第十九章)

 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、209~211; 第13章「神性への道程 神はその卓越性のゆえに、いみじくも無と呼ばれる ――偽ディオニシオス、エリウゲナ、アンセルムス」)



  • 一二時の離床。覚めるとこめかみと眼窩を揉み、布団をどかして脹脛もいくらかマッサージしておき、まもなく起き上がった。きょうはまたほの暗い象の肌のような色の雨降りである。いつもどおり、洗面所とトイレに行ってきてから瞑想。淡い雨音のなか、近間で鳥が一匹、チュン、チュン、とみじかめの声を絶やすことなくつづけているのが耳にきわだつが、まわりにこたえるものもなく、鳥じしんにも交わす調子がなくて定時の義務のように黙々と鳴きつづけており、ひとりのようだ。遠くからは雨に濡れた大気層をとおって、ホトトギスの鳴きやウグイスの谷渡りや、さらにまたトンビがピーヒョロロロ……といっているのがうっすら聞こえてくる。トンビの鳴き声には、なぜかわからないがなにかしら好ましいような、慕わしいような、こころ惹かれるようなものがある。
  • 上階へ行き、母親にあいさつして食事。昨晩の牛肉の残りをおかずにして米を食うなど。母親は買い物に行くと言う。父親はきのうから山梨に行っていて不在。新聞を見るに、一面で四度目の緊急事態にはいる予定とおおきくつたえられていた。八月二二日までとあったか。オリンピックは無観客の見込みが高そう。けっきょく、緊急事態とオリンピック開催がかさなってしまい、当初目論まれていた意味づけは拡散せざるをえないだろう。
  • 国際面では、コロナウイルスのためにLos Angelesでホームレスがかなり増えているという報を読んだ。LAにはSkid Rowという地区があって、これは日本語でいうところの「ドヤ街」だというのだが、Skid Rowってそういう意味だったのか。メタルのバンドにあるので語だけは知っていたが。ボーカルのセバスチャン・バックがやたらハイトーンを出してすごいやつだ。そのSkid Rowにテント暮らしのひとが増えていて、四六〇〇人くらいホームレスがいると記事にはあったとおもう。Skid Rowだけでなく、ほかのなんとかビーチみたいな地域にもテントが増えているらしく、やはりコロナウイルスによって家賃がはらえなくなったりして家をうしない、そういうところにながれこんだひとが多いようだ。
  • 食事を終えると腕や首を揉んだりしながらちょっとゆっくりしたので、すぐ一時くらいになってしまった。テレビは『昼めし旅』とかいう番組を映していて、場所は埼玉県秩父市だった。この番組はBGMに洋ロックがつかわれていた。音量が小さくてあまりよくは聞こえなかったが、Eaglesの"Try And Love Again"がながれたのは確実だし、The Beatlesもたぶんつかわれていたとおもうし、あと、たぶんElvis Presley当人ではなかったとおもうが、そのあたりの五〇年代から六〇年代くらいのロックンロールもながれたときがあった。秩父も映っている視界の縁を山が画しており、あたりのようすも家々のあいだに畑地がたびたびはさまったりしており、鄙びたかんじで、風景の感覚が我が家のほうとほぼ変わらない。
  • 食器と風呂を洗って帰室。緑茶を飲みつつ一服していると、あっというまに二時をまわってしまった。例のごとく、寝転がって書見へ。レス・バック/有元健訳『耳を傾ける技術』(せりか書房、二〇一四年)のつづきである。第五章が「ロンドンコーリング」という題で、著者のつとめるロンドン大学ゴールドスミス校社会学部のオフィスがあるビルの屋上からロンドンの音を録音したプロジェクトについて冒頭述べられ、それから二〇〇五年七月七日に起こったロンドンの爆破事件後の情勢を踏まえながら、街の音(たとえばパトカーのサイレンなど)を聞くとはどういうことなのか、音はどういう意味をはらんでいるのか、などが説明されるのだけれど、こういうの俺もやりたいなとおもった。サウンドスケープの録音を。週にいちどくらい街に出て、どこでも良いのだけれど駅前とかにしばらく滞在し、音を録っておき、そのとき見聞きしたものを記述した日記に合わせてブログにあげる、という。とくにめあたらしいことではないが、じぶんもやりたい。スマートフォンを入手すればたぶんかんたんにできるのだろうが。あと、五章にはいるまえのページで「音景」ということばが出てきて、これはsoundscapeをただ訳しただけの語なのだろうけれど、じぶんのなかにいままでこの語がなく、これはいいなとおもった。五章では註にその「サウンドスケープ」概念の提唱者であるマリー・シェーファーの著作も示されており、邦訳が平凡社ライブラリーにはいっていることをはじめて知ったので、これは買う。『世界の調律 サウンドスケープとは何か』というやつだ。
  • 三時過ぎまで読み、その後ストレッチ。さらに手の爪を切り、ひさしぶりに歌をうたった。ストレッチ中からすでにうたっていたのだが。Oasis小沢健二cero小沢健二は『犬は吠えるがキャラバンは進む』をながしたが、このソロファーストは九三年の発表。小沢健二は六八年生まれなので、二五歳くらい。九三年で二五歳でソロになってさいしょのアルバムのさいしょの曲を、よく"昨日と今日"のあんな地味なかんじにしようとおもったな、とおもった。フリッパーズ・ギターを聞いたことがまったくないのだけれど、そのころからすでにそういう色合いがあったのだろうか?
  • 四時半くらいからきょうのことを記し、ここまでつづって五時一四分。
  • 上がってアイロン掛け。テレビはなにか不倫を題材にしたドラマを映していた。アイロン掛けを終えるとすぐにもどり、ギターをいじってあそんだ。まあまあ。似非ブルースの合間に、Oasisの"Married With Children"をジャカジャカやるなど。とにかくコードストロークがきれいにできないのではなしにならない。基礎をおろそかにしてきたからだ。そこをきちんとやらないとどうしようもないが、正直あまりずっとジャカジャカやる気は起こらず、すぐ似非ブルースに逃げてしまう。爪を切ったばかりの状態で弾いたので、あとで左手の指先がすこし痛くなった。
  • それから七時半くらいまでまた書見してから夕食へ。麻婆豆腐を米にかけて喰らった。夕刊にハイチの大統領暗殺の報が載っていた。朝刊にもすでに載っていたが、夕刊には情勢が事実上の戒厳令にはいったという情報が足されていた。武装勢力が大統領の住居だかに押し入って殺害したらしい。ハイチは近年政治が機能不全だったというか、たしか選挙もおこなわれていないみたいなことが書いてあった気がするのだが、それで大統領は強権的だと批判を受けていたと言う。一〇日現在の新聞には、実行犯には外国人がふくまれているとの情報があった。八日か九日時点でも、下手人はやとわれた外国の傭兵であるみたいな政府側の発言が載っていたはず。
  • 夕食後はなにをしたのかわすれた。一一時くらいにいたって風呂にはいるまえ、母親が車に置いてあるティッシュを取りに行ってくれないかというので、サンダル履きで鍵を持ってそとに出る。非常にこまかい雨がひろがっており、空間はかすんで街灯のあかるみが宙に浸潤し、ぼんやりと霧がかった様相になっている。そんななかでむかいの家の屋根だけがかための音を立てていたが、これはその裏にある林の樹々が水気をあつめて粒にしながら落とすからだろう。湿るのを気にせず無防備に車にむかい、扉の取っ手についているボタンを押して開ける。それでティッシュ箱を取り、持ってもどるとそのまま風呂へ。
  • 風呂をあがると腹が減ったので夜食に冷凍の鶏肉と白米を食べた。あとは(……)レス・バックのメモを取って七日の記事を完成させたことくらい。The Black Crowes『Shake Your Money Maker』なんていうのをひさしぶりにBGMとしてながした。なんだかんだ言ってもこういう音が好きな性分だ。コードを弾いたときのギターの音の質感が良いとおもう。これはたぶん、レスポールなのだろうか。やや粉っぽく、密に詰まりながら拡散するかんじというか。あと(……)をチェックし、この翌日に返信しておいた。
  • レス・バック/有元健訳『耳を傾ける技術』(せりか書房、二〇一四年)より。
  • 193: 「その政治性がどうあれ、知識人が日常生活から切り離されてしまうことは、職業的な危機だと思う。だが、これは特に左派の知識人にとって大きな問題なのだ。なぜなら数ある政治運動の中でもとりわけ私たちは、人々を気にかけ、その尊厳を認め、その声に耳を傾け、そのニーズを考慮し、彼ら/彼女らを結束させ、その自由と幸せを勝ち取ろうとすることに誇りを持っているのだから……人々が世界を見、感じ、経験するままに彼ら/彼女らを認識する仕方が分からなければ、私たちは決して彼ら/彼女らが自分たち自身を認識したり、あるいは世界を変えようとしたりすることを手助けすることはできないだろう。たとえ資本論を読んだとしても、ストリートの記号が読めなければそれは役に立たないのである」: Marshall Berman, Adventures in Marxism (London: Verso, 1999), pp. 168-9.
  • 196: 「人類学者であり映画監督だったジャン・ルーシェはかつてこのように述べた。「私にとって……撮影する唯一の方法はカメラを持って歩くことである。そしてそれを最も効果的なところに持っていき、即興のバレエを演じるのである。そうすると、カメラそれ自体が、被写体となる人々と同様に活性化するのだ」」: Jean Rouch, 'The Camera and Man', in Paul Hocking (ed.), Principles of Visual Anthropology, 2nd ed. (Berlin & New York: Mouton de Gruyter, 2003), p. 89.
  • 199: 「時代に属している音に耳を傾けることから始めるのはよいと思う。現代に耳を傾けてみよう。さらに、周囲の音に耳を傾けてみよう! 未来という非 - 歴史を想像するために耳を傾けよう。そして新たなやり方で聞くことができるようになろう。私たちを新たな可能性に開いていく新たな聞き方で。変化を止める力はなくとも、人は変化そのものに耳を傾ける。大事なものとつまらないものを区別する力がなくとも、人は何にでも、あるいは問題となるものには何でも耳を傾ける。時としてそうした想像力は、変化の速さそのものの中で聞き取られることがある。――ローレンス・グロスバーグ」: Lawrence Grossberg, 'History, Imagination and the Politics of Belongin', in Paul Gilroy, Lawrence Grossberg and Angela McRobbie (eds), Without Guarantees: In Honour of Stuart Hall (London and New York: Verso, 2000), p. 160.
  • 200~201: 「ある時私たちはタワーの上でジョンの音声装置を合わせると、思いもかけないものが録音された。ニュークロスが怖いくらいに静かで、ほぼ完全に静寂となったの(end200)だ。ビルの一二階から子どもたちの笑い声や速足で歩く警察馬の神秘的な足音を聞いたことはそれまでになかったし、さらには不安を駆り立てるような完璧な静けさも経験したことはなかった」
  • 202: 「結局のところ音とは振動の知覚である。私たちの耳が移動の振動を感じ取るわけだ。国際都市ロンドンに耳を傾けることは、それを見ることとは違う。その理由の一つは、人種や人種主義は差異の視覚的な文法によって動いているからである。だが皮膚の視覚的な働きの中で見失われてしまうような出会いの中にある様々な人々の存在を、聞くことは受け入れるのだ」
  • 352: 註13: 「音は拷問や尋問に用いられた。独房の囚人たちは音楽を大音量で聞かされ続け、強い光の点滅が浴びせられた。その時の音楽は、メタリカの「エンター・サンドマン」といったヘビーメタルから、テレビの恐竜人形劇『バーニーと仲間たち』で歌われる「あなたが好きよ」までにわたるものだった(Jon Ronson, The Men Who Goats (Basingstoke and Oxford: Picador, 2004), pp. 130-1 を参照)。さらに恐ろしいことに、キューバグアンタナモ基地に拘留されたイギリス人モアザム・ベッグは彼の伝記の中で、女性の叫び声をずっと聞かされ続けたことを書いている。Moazzam Begg, Enemy Combatant: A British Muslim's journey to Guantanamo and Back (London: The Free Press, 2006), p. 161 を参照。
  • 207: 「ロンドンの鉄道警察は二〇〇五年の七月から八月にかけて反テロリズム法のもとに六七四七人を足止めした。足止めされた人々を民族別に整理すると著しい違いが分かる。アジア系の人々が二三九〇人(全体の三五パーセント)、白人が二一六八人(全体の三二パーセント)である。ロンドンではアジア系住民は人口の一二パーセントであり、白人は六三パーセントである [註15] 。つまりアジア系の人々は白人に比べ五倍の割合で警察に止められるということだ」: 註15: Vikram Dodd, 'Asian Men Targeted in Stop and Search', The Guardian, 17 August 2005.
  • 208: 「私たちの時代にパトカーのサイレンが果たす役割の一つは、戦争と緊急事態が続いているという感覚を維持させ、不安を煽ることである。不安に満ちた都市を生み出すのは爆破犯だけではない。むしろそれは、爆破犯をめぐる思考に関心を持ち、人々の不安に付け込む政治家やジャーナリストによって生み出されるのである」
  • 214: 「こうして、様々な出来事と場所に政治的な著作権が与えられるようになる。つまり、それらが"彼ら"と"私たち"のそれぞれの列の中に組み込まれるのだ。そこでは政治的な関わりと傷がそれについて語る人々の利益の中に取り込まれ、あるいはそれに限定されるわけである。こうした政治的な著作権はいつもそこまではっきりと表現されるわけではないが、社会学的に注意を払っていればそれを自分たちの特権的な財産だと主張する規範や概念を暴き出すことができるだろう」
  • 216: 「死者を神格化することは称えることではない。むしろそれは死者の記憶を傷つけることにもなる。神格化されてしまうと、亡くなった人々には超人のような英雄的美徳が与えられることになる。だが本当は彼ら/彼女らもまた、私たちと同じように善悪合わせ持ち、強くもあり傷つきやすくもあったはずなのだ。したがって神格化は死者たちの人間性の記憶を検閲してしまうのである」
  • 218: 「 [二〇〇五年] 七月七日の事件がすぐに7/7と呼ばれたのは偶然ではない。時計は文字通りリセットされたのである。まさにそれが過去の抹消につながるという点で、そのことに異議を唱えることは重要である。アメリカの対外政策における優先事項だけでなく、イギリスにおける多文化状況の国内的な議論についても、9/11以前のことは無視されている。厳然たる真実であるが、ロンドンは今回と同様これまでにも爆破事件を経験してきたのである。私は第二次世界大戦中のナチス爆撃機によるロンドン大空襲のことをいっているわけではない」
  • 219: 「過去一五年の間に"未遂に終わらなかった"爆破事件は二一を数える。そのうちアイルランド共和軍が一一、白人至上主義者が三、攻撃的なジハード主義者が七であった」
  • 222: 「示唆的なことだが、一九九九年の釘爆弾事件の後には、多文化主義の終焉に関する議論は起こらなかった。なぜ起こらなかったのだろう。それは人種主義者は定義上「イギリス育ち」だという考えが暗黙の裡に受け入れられているからだといえるかもしれない。たとえ軽蔑的なとまどいがあるにせよ、白人という多数派の中にファシズムが存在するのは当然だとされる。その一方で弱者の権威主義はモラルの崩壊だと受け取られ、それによって多文化社会の可能性やアイデアそのものが吹き飛ばされてしまうのである。この一見反対に見える暴力の形式には実のところ類似性がある。これらの政治的レトリックは共通点がなさそうだが、その中心部分には純潔を求める心情と、都市において多様な人々が入り乱れることへの嫌悪があるのだ」
  • 223: 「この行為に対するネーミングもまたイデオロギー的論争のテーマとなる。イスラムの文脈では自殺は罪であり、暴力的なジハード運動に共感を示すイスラム主義者にとって自爆犯 [スーサイド・ボマー] という概念自体が侮辱とみなされる場合もある。その結果、イスラム系のメディアや反人種主義の左派活動家の中には、「人間爆弾」という表現を好むものもある。この表現であれば、自殺という概念を避けながら殉教という倫理とレトリックを(受け入れないまでも)暗黙に認めることができるからだ」
  • 226: 「チェタン・バットによれば、ジハード運動に惹かれた若いイギリス人の経験の中心にあるのは、自己の再創造という日常性を超えた行為だという。彼がよく知る人々は、自分自身の日常文化を捨て去り、意志の力によって自らを再形成する。これはサミュエル・ハンチントンが予告した「文明の衝突」ではなく、文化横断的な翻訳、そして社会的・文化的境界線の攪乱という叙事詩である」