一〇九五年に、教皇ウルバヌス二世が聖地エルサレムの奪還を訴える。翌年から一二七〇年までつづいた、十字軍のはじまりである。結果的に教皇権の衰微へとつながることにもなった十字軍の遠征は、トマスの世紀には、のちに「十三世紀ルネサンス」とも「十三世紀革命」とも呼ばれることになる文化を育んだ。当時は圧倒的に先進文化圏であった、イスラムとの交流の果実であり、東方がつたえていたギリシア文化がふたたび流入した結果でもある。(end219)
西方の哲学的思考にとって歴史的な意味をもったのは、それまで論理学的な著作の一部のみ知られていた、アリストテレスの諸論攷が、その周到な註釈とともに紹介されたことである。なかでも、アヴィケンナ(イブン・シーナ)とならんで、アヴェロエス(イブン・ルシュド)は、厳密なアリストテレス註釈家であり、ヨーロッパ世界のアリストテレス受容に決定的な影響を与えた。トマスも、アリストテレスをたんに「哲学者」と呼び、アヴェロエスを「註釈家」と称する、当時の慣習にしたがっている。トマス自身が「アヴェロエス派 Averroista」と名ざして批判した一群の神学者が、一般にラテン・アヴェロイストと呼称されることになる。
(熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、219~220; 第14章「哲学と神学と 神が存在することは、五つの道によって証明される ――トマス・アクィナス」)
- 一一時起床。きょうは起きるまえによく脹脛をマッサージした。それからいつものように水場に行ってきて、瞑想。天気は水っぽいような曇りで気温も低め、涼気が、ながれるというほどではなくとも窓からおとずれて肌に触れるのをかんじていると、窓外で葉の音がはじまって、まもなく雨だと聞きわけられた。さいしょは粒が葉を打つかための音が合間をひろくはじけていたが、鳥の声を聞いているうちにいつか繁くなったようで、薄くほどけて拡散していた。
- 食事は煮込み素麺。ついにガスコンロが機能不全におちいったらしい。たしかに電池を入れて点けようとしてもすぐに消え、ピーピーいう音もひっきりなし。そのせいで素麺がとちゅうになってしまい、いくらか固まったという。缶のガスを差しこんでつかうポータブルコンロが用意された。素麺はくたくた。それを食べながら新聞を見るに、解説面で中国共産党一〇〇周年の近状が載っている。まあめあたらしい情報はない。習近平が第二の毛沢東として強権を握っており、香港はやばく、台湾も第二の香港にならないか警戒している、というようなはなしだ。それから国際面へ。おなじ中国だと、科学フォーラムみたいなところでひとりの学者が、福島産の農産物について、除染処理されており、放射性物質の検査もなされて安全性が確保されていると発言したのにたいしてネット上で批判が噴出しているという話題があった。四月二七日に広州市だかでやった講演でそういう発言があったらしく、その動画がフォラームのページかなにかに載せられてあったのが批判を受けて削除されたという。批判のなかには、「精神日本人」だとか、安全性を宣伝するべきではない、という声があったらしい。「精神日本人」とか、まったくしょうもないなとおもう。中国や韓国などは、事件当時から福島産の野菜は汚染されて安全性があやしいみたいな判断をくだして輸入を停止し、一〇年以上その公式見解を変えていないらしい。
- アフガニスタンにトルコが介入をつよめているという報もあった。もともとカブールの空港を五〇〇人くらいのトルコ兵がまもっていたらしいのだが、米軍撤退後もそれが継続される見込みだと。米国は歓迎。米国とトルコのあいだは、トルコの反体制派弾圧などで近年あまり良くなかったようだが、アメリカとしては自国が撤退したあとも治安維持を担ってくれたりアメリカの影響力を取り次いでくれたりという期待をしているはずで、ありがたいところだろう。ただ、タリバンはトルコが居残るのも反対しており、おなじイスラームの国なのでいままではあまり敵視してこなかったようだが、トルコが介入をつよめるほどにタリバンの敵になって攻撃されるというリスクもある。また、北部のウズベク族地域にタリバンが攻勢をかけてもいるらしく、ウズベク族がトルコに助力をもとめればそこでも敵対が生じる。タリバンはいまや全土の半分を支配下におさめているらしい。
- 母親はしごとへ行った。皿を洗い、次いで風呂洗い。きょうは茶もカルピスもつくらず、氷を入れただけの冷たい水を持って帰室。LINEにログインして返信。一一日に(……)くんおよび(……)さんと映画に行くところが、(……)は夜の部がなくなって昼の一二時からのみになっていたと。そうすると(……)さんは来れない。じぶんが欠席するか(……)さんが欠席するかだろうと言っておき、(……)。
- そうするともう一時過ぎだったはず。約束された安息の地であるベッドにあおむけでころがり、ウェブを見てから書見にはいった。レス・バックの『耳を傾ける技術』をひきつづき。ほんとうは(……)さんの『双生』も併読しようとおもっていたのだけれど、二冊を並行して読む気にならず、やはりじぶんに併読は向いていない。読書の本線はひとつでないとなんだかやりづらい。それなのでまずはこの本を読む。第五章の「ロンドンコーリング」を終えて、結論の章にはいった。ジョージ・オーウェルの人種主義にかんするエッセイが紹介されている。オーウェルの友人だった評論家が、彼の葬儀がなされたときの日記に、ジョージは本心では反ユダヤ主義者だったのに、ユダヤ人が多数葬儀に参列するくらい彼らにとっても魅力的だったのは興味深いことだみたいな文言を書きつけているらしく、それで反ユダヤ主義者オーウェルの疑惑があるらしいのだけれど、じっさいにはオーウェルはむろん人種主義を批判するエッセイをいくつも書いている。彼が言っているのは、人種主義をたんに誤っているとか馬鹿げているとか批判するだけでは不十分で、なぜひとびとが人種主義に惹きつけられてそれを支えにしてしまうのかを理解しなければならない、ということで、そのためにはまず、なぜ私は人種主義に魅力を感じるのかという問いをおのれにたいして真摯に差し向けなければならない、ということのようだ。だからオーウェルじしんも、植民地帝国主義の二〇世紀に生まれてそこで育ち生きた存在として、人種主義までは行かないにしても、人種主義的感情をおのれのこころのなかにかんじることがあったということだろう。そしておそらく、じぶんは何かしらそういう種類の感情からいついかなるときもまったく無縁だと断言できる人間は、この世にほぼいないはずである。そう断言できる人間の大半は、おのれにたいして盲目であるにすぎないのではないか。おのれにたいして目をひらこうとした人間としてオーウェルがいうのは、人種主義を批判する文章の多くが駄目なのは、自分たちは完璧に合理性に立脚しており非理性的な人種主義とは無縁でそれにおちいることなど絶対にありえないという確信を無条件に前提しているからだ、ということだ。これは、ドナルド・トランプを生んだ二一世紀のアメリカに完全に当てはまる洞察ではないだろうか? こういうところに彼の政治的リアリズムと言うべきものがあらわれているような気がして、やっぱりオーウェルも読まなきゃならんなとおもった。
- 書見のあとにストレッチをちょっとだけやった。すこしだけでも、なるべく毎日肉を伸ばしたほうがやはり良いだろう。二時くらいだったか携帯を見ると職場から連絡がはいっていて、(……)。
- 上階に行くと、ポータブルコンロで素麺をあたためつつ米を磨いだ。素麺は水気を吸いまくって汁がなくなっており、ややかたまっていたので、水と麺つゆを足さざるをえない。丼に全部そそいで部屋に帰ると、(……)さんのブログを読みながら食す。でろでろである。麺がぶつぎりにちいさくまとまっているのでつかみにくく、すこしずつしか箸で取れない。ブログは七月八日分。過去の日記から以下のようなはなしが引かれていたが、これはじぶんもそうだなとおもった。意図してそうふるまっているわけではないのだが、じぶんで言ったことにじぶんで勝手に笑ったり、冗談めいたことを口にしながら、そのとちゅうで笑いはじめてしまうことがけっこうある。じぶんのばあい、それは照れ隠し的な意味合いが大きいのかもしれないが。いつ、そういう性質をえたのかはわからないが、いつのまにかおのずからそうなっていた。たぶん二〇一六年か一七年あたりからそれまでとくらべてけっこう社交性が身についてきたとおもうのだけれど、その根幹はおそらく端的によく笑うようになったということだとおもう。職場ではだいたいいつもへらへらしている。あと、生徒が宿題をやってこなかったり、教材を忘れたりしたときも、怒ったり注意したりするのではなくてだいたい笑っている。戦略的にそうしているわけではなく、しょうがねえなというかんじで自然と破顔してしまう。それは講師としては甘いのだろうが、宿題をやっていない程度のことで気色ばんだり厳しく叱ったりするのも正直阿呆らしい。もちろんやってくれたほうが良いとはおもうが。知識をつけたり学力をあげたりということになると、どうしたって塾の時間だけでは圧倒的に足りないので。
(……)ところで、じぶんの冗談に対して自分自身で笑うというのは、相手の反応がみえないオンライン授業だからこそというのももちろんあるのだが、対面でもわりとそんな感じで、この癖をはじめて自覚したのは、有吉弘行が再ブレイクを果たしたころ、彼の毒舌がどうして茶の間に受け入れられているのかを分析したちょっとした芸能記事の中に、彼は冗談を口にしたあとだれよりもまずじぶんが明るく笑うというようなことが書かれていて、それを読んだときはじめて、あ、おれもそうだ、と思ったのだったし、それを自覚して以降、たとえば(……)におけるまったき〈他者〉らとコミュニケーションをとり関係を打ち立てるにあたって、より自覚的にそうなるようになっていったとはいえると思う。じぶんが先に笑うことで、これは冗談ですよというコンテクストをまず言葉の通じにくい〈他者〉に伝えることができるし、大笑いできるほどこちらはいまあなたを前にしてリラックスしていますよというメッセージにもなる。(……)
- そののち食器をかたづけに行って、歯磨きと着替え。きょうも余裕を持って出ることができた。人間にとってもっとも大事な生の要素は余裕である。雨がかすかに散っていて、微風というほどですらない空気のながれにも抵抗できずなされるがままにかたむいて虫のように交錯している。空は真っ白であり、山もその浸食でなかば靄に消されていて、空の白さがひとつぶひとつぶ剥がされて落ちてくるような慎ましい雨だ。十字路付近の木立ちから、ホトトギスがしきりに鳴きをあげていた。
- わりと自由の感触があった。あしたは朝からの勤務なので、それをおもえばきょうの猶予はさほどないのだけれど、時間がないというかんじが薄く、なにかに縛られていない。悪くない感覚だった。坂道の右側を縁取る壁の茂みにヤマユリを見たとおとといの記事にしるしたわけだが、あらためて見てみれば茂みというほどではなかったなとおもった。壁からいくらか草が生えだしているそのなかにひとつ咲いているだけだ。そのうえは木立ちになっているのでもっと茂っているが。のり面、というのだったか、壁はおおきな格子状に区切られており、格子の目をつくっている縦横の太い線はコンクリかなにか石方面の材なのだろうがそれじたい巨木の根みたいな色と質感で、それにかこまれた四角形のへこみには網状のフェンスみたいなものが埋めこまれてあるが、果たしてそれが機能を果たしているのかさだかではなく、葉っぱがおびただしく溜まったり草がおかまいなしに生えて見えなくなっているところもある。いちおう土が崩れてこないようとどめているということなのか。
- ホトトギスがずっと鳴きつづけており、その声が道についてきた。駅のホームに行くとベンチについて瞑目。鳥声や車の音を聞きながら電車を待つ。左右にながれてからだを過ぎていくものもややあり、あるいてきた熱がおさまればわりと涼しい。ホトトギスはやはり鳴いていた。
- 勤務。(……)
- (……)
- (……)
- (……)
- 退勤は九時まえ。電車で帰る。帰路に特段の記憶はない。帰宅後についても大した印象はのこっていない。食事は天麩羅だった。夕刊にはハイチの大統領暗殺の報があったはず。翌日が朝からの労働で六時半に起きるつもりだったので、とうぜんはやく寝るべきなのだが、けっきょく二時四〇分の就床になった。そのまえにこの日のことをいくらか綴ったが、やはり疲労感のために大して書けず。しかし浮かび上がってくる記憶を簡易なメモにしたためてはおいた。正式に文を書く気力がないときはそれだけでもしておくのがやはり良いかもしれない。
- レス・バック/有元健訳『耳を傾ける技術』(せりか書房、二〇一四年)より。
- 235: 「ニッコロ・マキャベリは四〇〇年前に、「君主は恐怖をたきつけるべきである。そうすることで、愛されはしないにせよ、憎まれることはない」と書いている。現代の君主たちが非難されるかどうかは議論の余地があるが、恐怖によって同意を獲得することには一つの代償がある。つまりそれは人種主義を解き放ち、それに活力を与えてしまうのだ。その時、多文化的出会いの土台は崩されてしまうのである。ベンジャミン・バーバーはこのようにいう――「本当の敵はテロリズムではなく恐怖なのだ。そして結局、恐怖が恐怖を打ち負かすことはないのである [註57] 」」: 註57: Benjamin Barber, Fear's Empire: War, Terrorism, and Democracy (New York: W. W. Norton and Company Inc, 2003), p. 32. (邦訳=ベンジャミン・R・バーバー『予防戦争という論理――アメリカはなぜテロとの戦いで苦戦するのか』鈴木主税・浅岡政子訳、阪急コミュニケーションズ、二〇〇四年)
- 241: 「クラッシュの曲やマンチェスター・ユナイテッドのプログラム冊子が「悪い奴らの手」の中にあると、それはイギリスへの愛着や多文化を表す証拠ではなく、隠れたテロリズムとなってしまうわけだ。これは、人種主義の怒りはいまや「違うのは半分ほどで部分的にはなじみ深い人々という大きな脅威に向けられている」と論じるポール・ギルロイの議論と呼応するものだ」
- 242: 「ジョージ・オーウェルがいうように、「ナショナリストはみな過去を変えられるという信念に取り憑かれている」のである。だが、過去を変えることはできず、それに向き合うか、それともそれを捨て去ることしかできない」
- 244: 「「私たちに語りかけてくるのはいつも大きな出来事、都合の悪いこと、尋常ではないことのようだ。派手な一面の記事や大きなヘッドラインばかりである」とジョージ・ペレクはいう。「脱線したときにはじめて鉄道が存在し始め、乗客が命を落とせば落とすほど、電車の存在感が増す。日刊 [デイリー] 紙が語る全てのことは日常的 [デイリー] ではない」
- 246: 「社会学の仕事とは、蔓延している一般的な認識――それは「テロとの戦い」についてかもしれないし「移民政策」の姿勢についてかもしれない――に疑問を投げかけ、他者の声を聞き取り、それを真剣に考察することである。エドワード・サイードはかつてこのように述べた。「知識人とはおそらく一種の対抗的記憶になりうる。良心が社会的な問題から目をそらしたり眠り込んでしまわないようにする対抗的言説を紡ぐのである。(……)」」
- 251: 「こうした生の痕跡はぼんやりとしているし、またそうした痕跡を残す人について知ることがなかなかできないのは事実である。だがそれは、すべてが失われてしまうということを意味しない。実のところ私は、文化や社会生活などを理解することは究極的にはできないという優雅な宣言を読み飽きているのだ。私はこうした率直な敗北宣言の中に何の価値も見いだせないのである。私にとって大事なことは、真理に対して真剣な努力という礼儀を払うことである。そして、社会的な存在は謎めいてうつろいやすいが、それを戯画やステレオタイプに貶めてはならないということなのだ」
- 253: 「このような批評からは、少なくとも二つの、おそらく意図的ではない結果が導かれるだろう。一つ目は経験的な研究に背を向けるということで、それは抑圧的な勢力のための「データ収集家」の役割を拒否することでもある。もう一つは、マイノリティの経験を説明する記述がただの「良い話」になってしまい、より複雑な問題やその人々に不利となる事柄が全て削除されてしまうということである」