2021/12/9, Thu.

 『欣求浄土』とは、作品の言葉が持つ重さと存在感とを、その最も聞きとりにくいつぶやきやささやきに至るまで、それとは異質の環境に譲り渡そうとする試みにほかならない。だが藤枝は、いつもながらの思い込みから誰もが現代文学の特異な相貌を彫琢する手段と信じこんでいる沈黙志向者の、あの饒舌による沈黙の構築にはいささかも加担したりはしない。彼は、フォルムが作者の意図を遥かに越えた意味作用の磁場で、言葉と親しく戯れ、語りあうことを無意識のうちに肯定する書き手だという意味で、秀れて現代的な沈黙の具現者なのである。『一家団欒』は、われわれが玩味し、咀嚼し、反芻してもなおつきることのない余韻によってばかり感動的なのでなく、不意に、「家族歴」が、同時に「巨木」でもあり「川」でもある藤枝的風土を作品の細部そのものに語らせているが故に、読むものから言葉を奪う圧倒的な美しさを示すことになるのだ。
 それは、どういうことか。「家系」と「巨木」と「川」とは、いずれも「分岐」すると(end158)いう共通の性質を持っているが故に、藤枝的「存在」を惹きつけてやまないものなのだ。
 代々「魚宗楼」に継承されていた淫蕩の血から身を遠ざける章の父親が、「分岐」そのものを生きた存在であったことは、すでに『硝酸銀』に触れつつみたとおりである。十代のなかばで父母の家を捨て、住み込みの書生となって薬学の修業を積み、やがて養子にもらわれた先で妻を迎え、その妻に「魚宗楼」へ行くことを禁ずる父親とは、文字通り「派生」する枝 [﹅] であり、「分岐」する支流 [﹅2] なのである。そこに、淫蕩の血の記憶をわずかにとどめつつも、新たに「薬学」から「医学」へと発展する堅固で太い幹が枝から分れたのだから、「魚宗楼」の側で新たに「分岐」した枝を伸ばしてゆく一族について、章は多くのことを知りえない。「淫蕩の血」がさらにこまかい支枝をつくっていったとき、そこに明らかに存在していたはずの幾人かの容貌は、「男狂いの故に父の嫌悪を買い、そしてそのため彼女は生涯章の父の手によってその存在を章たちの眼から覆い隠されてしまった」という『冬の虹』が語る叔母の一人のように、藤枝的「存在」の視界の外に追いやられ、血縁関係を確かめる手段も奪われてしまう。だが、父親は、みずから「分岐」したことの責任を果たそうとするかのように、「魚宗楼」が伸ばすことになるだろう幾つかの枝の派生ぶりを、一冊の備忘録に書きつけているのだ。
 「章はまたこの備忘録によって、自分の見識らぬ二人の叔母がこの世に存在していることを知った」りする。また『硝酸銀』の少年章は、「自分の従妹が美しい芸者であること」(end159)を何の前触れもなく知らされ、床に入って蒲団の中で「一種の甘い気分に浸ってい」くのだが、「この叔母と従妹とを、章は再び見ることはなかった」。「分岐」すること、それは同じ家系の一族と疎遠となり、血縁を薄め、どこかで繋がっていながら実際には何を共有しつつあるのかを忘れてゆくことにほかならない。藤枝的「存在」が「母」ではなく「父親」に異常な執着を憶えるのは、多様化し希薄化する自分を覚悟の上であえて「分岐」してみせたのが、まさしく「父」その人であったからにほかならない。
 巨木を見に行く藤枝的「存在」たちの視線がいやおうなく吸い寄せられているのは、きまって幹が幾つかの枝に分れる部分である。『空気頭』の松の大木は「幹は地上五米ばかりのところでふた股に分かれている」し、『土中の庭』の高野槙の大木も「地上約四メートルのあたりで二股に分かれ」ていたし、『木と虫と山』の「将軍杉という一〇〇〇年ばかりのやつ」も、「根元から三メートルばかりのところで双生児的の二股に分かれてそれぞれ天を突きあげている」のだし、『天女御座』の御座の松も、「幹とほぼ同大の枝は低いところから分れて」明らかに分岐の相を示している。この「分岐」という現象が巨木に特徴的であろうと思われるのは、同じ『天女御座』の宇刈の松が、「老松にしては珍しく主幹が上から下まで直立して」と描写されているからである。
 それ故、藤枝的「存在」が巨大な樹木に惹きつけられるのは、それがたんに途方もなく大きいからでも、それが耐えぬいた時間の長さに対する愛着からでもなく、それが文字通(end160)り二股に「分岐」しているからなのだ。章の父が、その若年の独立によって、「魚宗楼」に流れる血を、今後はあいまみえることのない二つの枝に分けたように、それぞれが自律的な成長過程をたどっているからなのだ。
 (蓮實重彦『「私小説」を読む』(講談社文芸文庫、二〇一四年/中央公論社、一九八五年)、158~161; 「藤枝静男論 分岐と彷徨」; 「Ⅳ 分岐するものたち」)



  • 一一時二〇分ごろの離床。覚醒は一一時ごろで、起きるまえに寝床のなかで足の裏をあわせた姿勢をとりながら深呼吸していたのだけれど、そうするとからだはかなりかるくなる。瞑想はサボった。きょうは曇りと晴れのあいだくらいの天気で、多少の陽の色合いも見えて空気の質感はけっこうあたたかい。食事はタイカレー。新聞からはきのうにつづいて岡本喜八についての記事を読んだ。本人がいちばん気に入っていると公言していたのが、一九六三年の、『江分利満氏の優雅な生活』という作品だったという。Wikipediaによれば山口瞳原作、直木賞受賞。岡本は戦時中の特攻訓練のきびしさや死への恐怖を、じぶんの周囲のすべてを喜劇的なものとしてながめるという態度で乗り切っていたといい(本人談)、それで映画も喜劇的なものなのだけれどそのなかに反戦感情や悲哀がこめられているという。『江分利満氏の優雅な生活』は一見戦争をあつかった映画ではないのだが、戦中派世代のサラリーマンの戦後の生活をえがくなかで反戦性がかえって浮かび上がるようになっているらしい。ほか、自伝的映画で有名作らしい『肉弾』というのがおもしろそう。『近頃なぜかチャールストン』(一九八一年)というのも、本人は『肉弾』の続編として位置づけていたらしいが、「ヤマタイ国」という国の大臣を自称するホームレスたちと不良少年のたたかいをえがくみたいなものらしく、おもしろそう。
  • 国際面にはフランス大統領選にかんして、共和党が候補として選出したヴァレリー・ペクレス(Valérie Pécresse)という女性が急伸し、模擬投票的なかたちの支持率調査でマクロンを越えたとあったので、共和党ってそんなに人気あるの? とおもった。第一回投票ではマクロン、ペクレス、マリーヌ・ル・ペン、エリック・ゼムール(ちなみに彼はさいきん、演説会かなにかのとちゅうで攻撃を受けて負傷したと数日前に報じられていた)という順番だったが、決選投票でペクレスがマクロンを上回ったという。ながい歴史と伝統を踏まえた政党のちからということなのか。マクロンはもういやだけれど、極右を大統領にするのはさすがにありえないというひとびとが共和党にながれたということだろうか。いずれにしてもたぶんこれでル・ペンが大統領になる事態は避けられるのではないか。そうであってほしいが、ただ、ゼムール支持者が戦略的にル・ペンにながれて糾合したばあい、まだわからない気もするし、このさきなにかがある可能性ももちろんある。
  • きょうの日記をうえまで記し、その後きのうの日記もさらさらと書いて完成。たぶん二時ごろだったか。ベッドにころがってウェブを見つつ、(……)さんのブログや安部雅延「仏大統領選で人気急騰「超過激な極右候補」の正体 政治経験ゼロ、イスラム移民排撃するゼムール氏」(2021/12/9)(https://toyokeizai.net/articles/-/474088(https://toyokeizai.net/articles/-/474088))を読んだ。ゼムール支持者の具体的な発言、かんがえかたが注目される。けっきょく、治安と経済がどうにかならないと観念が生きることはできないということなのだろう(テキシエ氏はそれとはすこしちがって、たんにイスラームを見下してフランスの優位性を強固に信じている人間のようだが)。

 ゼムール氏の反移民発言への反応の大きさを見て、ほかの大統領候補者も口々に治安問題を語り出した。ほかの候補者が移民問題への言及を避けてきたのは、移民問題は同国が敵視する人種差別、宗教差別に触れることになり、誰もが触れたくないテーマだったからだ。
 次期大統領選で有力視され、治安対策で国民の期待度が最も高い極右・国民連合(RN)党首、マリーヌ・ルペン候補(53)でさえ、移民問題への言及はトーンダウンしていた。
 支持基盤を拡大し続けるRNは、移民排撃が売りだった父親のジャン=マリー・ルペン氏の時代と違い、政権政党をめざすために穏健化。弱者救済という左派の主張に似た政策を出して、今や移民にも寄り添う政党になりつつあるからだ。結果、移民にいら立つ国民の関心はゼムール氏に向かうことになり、慌てて移民問題を取り上げている。

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 パリ南郊に住む夫婦ともに建築家のポワリエ氏は「事務所の周りで何度も車の窓ガラスを割られ、パソコンや家の鍵の入っていたバッグを盗まれた」「いったいこの国は誰のものか分からない」「フランスは移民受け入れ政策に失敗したのに、差別はよくないと建前だけを言う政治家は、国民の不満や不安に応えていない」として、夫婦ともにゼムール氏に投票すると言っている。

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 筆者がインタビューした仏西部ブルターニュ地方で老後を過ごすゼムール支持者のテキシエ氏(70)は移民へのいら立ちを露わにする。
 「彼らは政治が不安定で内戦を繰り返し、貧困が蔓延する中東から先進国のフランスに逃げてきたくせに、フランスの制度や価値観を学ぼうとしない。その一方で彼らの国の貧困や内戦の原因となっているイスラム教の生活習慣や考えを維持している。実に愚かで、彼らを受け入れたフランスに対して無礼だ」と批判している。

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 ゼムール旋風によって、次期大統領選をにらんだ政治議論が高まる中、極右を嫌悪するフランスのメディアは、今のフランス国民の状況を踏まえ、中道右派LRのバレリー・ペクレス氏に注目している。
 彼女は中道右派政党初の女性公認候補で、学歴を重視するフランスでは名門ビジネススクール、HEC経営大学院と政治家・官僚を輩出する最高学府、国立行政学院(ENA)を卒業している。ちなみに、日本在住の経験を持つ知日派だ。
 ペクレス氏がLRの公認候補に選ばれた背景には、申し分のない高学歴に加え、彼女が高等教育・研究相や予算相、パリ首都圏イル=ド=フランス地域圏知事など政治経験豊富な女性政治家という点だ。
 さらにフランスでの伝統的価値の基盤であるカトリック教の背景を持ち、2013年に施行された同性婚合法化と同性カップルの養子縁組合法化に反対する大規模なデモにも彼女自身参加した背景を持つ。
 ユダヤ人のゼムール氏がフランスのイスラム化の脅威を強調している中、LRの支持基盤の1つであるカトリック教徒も同様の危機感を持っており、ペクレス氏は十分に移民対策に取り組めるという密かな期待感もある。

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 ゼムール旋風が吹き荒れるフランスだが、メディアは移民と治安の関連性を切り離すことに必死だ。連日、ゼムール氏を「ファシスト」「独裁者」として超危険人物のように報じているが、今はSNSの時代なので、フランスの右旋回は止まる気配がない。さらに政治家の実行力に不満を持つ若者は多く、コロナ禍で医療機関の不足に十分に対処していないとマクロン政権批判も高まっている。
 前出の建築家のポワリエ氏は「とにかく、政治家は約束したことを実行し、目に見える形で結果を出さなければ価値がない」と言い、「耳当たりのいい理想主義や観念論に終始する左派政治家の言説は説得力がない」と言い切る。

  • きょうはスーツのときに履くあたらしい靴を買いにいくつもりだった。というのも、いまの革靴はもうかなりボロくなっていて、一八日に(……)の結婚式に出席することになっているのでさすがにこれではまずいとおもっていたからだ。母親も図書館に行くからと例によって送ってくれるというので、四時半に出ようといい合わせておいた。それでうえの記事を読んだあとはストレッチ。Oasisをながして念入りにやり、その後歯をみがいたりきがえたり。歯磨きのあいだやそのあとに、部屋にもってきてあった新聞をすこしだけ読んだ。新聞でいえばきのうの夕刊の訃報抄に色川大吉と入江一子という洋画家がとりあげられていて、ふたりとも生涯現役みたいなかんじで老年まで活動したというのですげえなと感銘を受けた。じぶんはどうしても、ひとつのことを死ぬまでつづけるというありかたにロマンティックなあこがれをいだくところがある。色川大吉は七〇年代だか八〇年代には水俣病の調査団体の長をつとめて現地にかよいつめたらしい。教え子によれば研究室でそだったふつうの研究者ではまったくなく、徹底的な現場主義だと。戦争中に部下を特攻におくりだしたことをずっと苦にしていたといい、戦後の人生はおまけみたいなもので、こわいものはなにもないとよく口にしていたらしい。享年は九五か九六歳だったようだが、九〇を越えても書き物をしたり、読書会に参加して打ち上げにも出たりしており、訪問介護を受けてはいたらしいが死ぬ一週間まえまできちんと椅子にすわってなにかを書いていたという。死因は老衰。入江一子というひとは日本の女性画家のパイオニア的な存在らしく、歳を取ってからもシルクロードを旅して絵をえがき、一〇五歳で亡くなったというがこのひとも一〇〇歳を越えても個展をひらき、やはり死ぬ直前まで絵筆をにぎっていたらしい。
  • 四時半に出発。いつもどおりのかっこうで、リュックサックには図書館の本を入れていた。母親の車の後部に乗りこむ。まず地元の分館に寄り、そのあと「(……)」にも寄りたいということだった。あした父親が山梨かあるいは祖母の病院に行ってきょうだいたちと会うので土産としてもなかを持たせたいと。大通りから図書館につづく細道に曲がると踏切りがあって、ちょうどいま遮断機が下りていたので車は停まった。線路をはさんだむこうがわには老婆がひとりおり、両手を杖に乗せて背をまるめたからだをそれにあずけて立っており、あるくのがなかなか難儀そうなようすだがかたわらにはキャリーバッグ的な黒い荷物をともなっていて、老婆がからだを微妙にうごかすのにおうじて街灯のひかりをはじく杖の表面を白さがゆっくりと、血管のなかを緩慢にながれる髄液のように上下に行き来していた。踏切りがひらかないうちに老婆はできるだけ道の端に寄ったが、それはわれわれの車をさきにとおしてくれるという意思表示で、遮断機があがってからもじっさい彼女はすぐにうごかず、その横をとおりぬけていくさいに母親は会釈をしつつクラクションをちいさく鳴らした。そうして図書館着。駐車場に停めると、南側を正面にするかっこうとなり、母親が図書館にはいったみじかいあいだはフロントガラスのさきに見える空間をただながめていたが、近間に立っている一本の緑樹、街灯をかけられた一部だけ緑が若やいだようなあかるい色に浮かびあがっているそのこずえを見るに空気にながれはすこしあるようだった。待っているあいだにもう一台車がやってきて、こちらの右手におなじく南側をむくかたちで停まったが、車が停まるさいに正面になげかけられていたライトのうすい色が、街灯を浴びている木とはまたべつの一本、日暮れにほぼはいりかけた曇天の空気のなかに沈みこもうとして(こちらが眼鏡をかけていなかったこともあり)たんなるくすんだ緑色の靄めいたあつまりとなっている木のうえに気のせいのようにひらめいていた。その直後に母親はもどってきて、右手の車から降りたひとにこんにちはとあいさつをしていたが、それは図書館の職員と勘違いしたからで、乗りこみながら図書館のひとじゃなかった、ともらしていた。こちらはなんとはなしにすこしだけむなしいこころもちになっていたというか、それはたぶん、また一日が終わっていくのだなあみたいな感慨だったようだ。そこからさらに、風景や空をながめるときにはしばしばあることなのだが、じぶんもそのうちに死ぬんだなあという終わりへのおもいは容易に生じて、道(とりわけ夜道)をあるいているときにもよくそれを意識するけれど、おそらくは日常の生活のせわしないようなながれの拘束からひととき離脱して現在の瞬間が前面化されるとともに、転じてそのいつか来たる終わりである死へもおもいがただようということではないか。そういうふうにその場で自己分析しながら、中島義道ニヒリズム方面の著作でむかし書いていたことをちょっとおもいだした。彼はたしかマンスフィールドの「幸福」の冒頭、バーサ・ヤング(というなまえだったとおもうのだけれど)がもう三〇歳にもなったのに人生のふとした瞬間に舞い上がるような幸福感をかんじて走ったり踊ったりしたくなってしまう、みたいな記述を引きつつ、じぶんはこういう幸福をかんじてもそれがつかの間のものであってながくはつづかないのだというおもいが直後に自動的に湧いてきて、生まれた幸福感をすぐにみずから終わらせてしまう、みたいなことをどこかで書いていたとおもうのだけれど、これはもしかしたら中島義道ではなくてなにかの小説の一節とか、あるいは(……)さんがむかしブログに書いていたとか、ことによるとじぶんがじぶんで過去の日記に書きつけた心理分析だったかもしれない。こういう精神のうごきかたをおもいだしながらもしかし、じぶんのいわばメメント・モリはそれともまたちがうのだよなとおもっていた。図書館を出るととうぜんすぐにまたさきほどの踏切りにかかるわけだが、老婆がまだそこにいて道の端に立ちつくしたままだったので、あるけないのだろうかとおもった。つかれてしまって休んでいたのか、それともなにかを待っていたのか。街道に出て曲がると五時を越えて暗みはじめた空気のなかで定期的に設置されている街灯の白さや、信号の青緑や赤、また対向車のライトの白さやあるいはおなじ車線を行くまえの車たちの背部の赤色灯がフロントガラスから見える空間のそこここをところせましと満たしていて、さびれきった商店街ではあるものの左右にかろうじて明かりをひろげている店もいくつかはあり、腐っても街道というわけだろう、いくらかつやめいたあかるさの宙ではあった。すこしすすんで、「(……)」の店舗横にはいる。母親が買い物をしているあいだは例によってなにもせずにただ窓から見える景色をながめていた。やはり南をむいたかっこうで車は停まっており、敷地のさきは土地がくだっているから宙がひらいてかなたの風景が見えており、果てにある山はふたつか三つはおりたたみをなしているようなのだけれどその肌はわずかに青さをはらんだような黒っぽさに一面ならされて遠近の山稜の重ね目がほとんど見分けられず、そのうえの空は西陽の色を二、三滴垂らして混ぜたようなかろうじての赤味をはらみつつ雲につつまれた白さのなかでそれも雲なのかあるいはのぞいた空の地なのか、水っぽいような青さのすじが山の端からほんのわずか浮かびあがった位置でたよりなくふるえながら横に一本引かれてあって、そういう風景を目にしたその一瞬だけ感動か感傷のような心境がぽつりとひとつ点じられたが、それいじょうつづくことはなかった。車内は暗く、端のほうには蔭が満ちており、じぶんのからだを見下ろせばズボンもモッズコートも地味な色合いのものなので何色なのかもその二色の差異もほとんどわからず、足先は暗さのなかに埋没している。もういちどかなたの風景に目をやれば、いちばんてまえのすぐちかくには家屋根がふたつほどのぞいており、そのひだりには木もあるけれど、そこから川向こうの集落を越えて山影までやはりひとつの平面上の区切りのようにしか見えず、特に集落から山まではおなじ退屈な青暗さに統一されていた。もどってきた母親も、もう真っ暗になってきちゃったねという。ふたたび出発して、(……)の図書館に向かってもらう。(……)の五叉点から坂をくだっていくと、いくらかうねる道に沿って立っている木がどれも黄や赤によそおいを変えていて、もはや暮れきってたそがれた空気のなかでその色がながれながら目につく。下りて行き当たる広い道路の角にはいまはよくわからないちゃちな回転寿司店みたいなものがあるようだが、ここの店はこちらが子どものときからたびたび入れ替わっていて、いっときはカードゲームのカードを売る店舗になっていたこともあり、遊戯王だかマジック・ザ・ギャザリングだかをちょっとやっていた子どもの時分に、一回か数回だけはいったことがある。とうぜんレアカードが高額で売られていたわけだが、あんなものはぼったくり商売である。そこから東へ。車内にはRoberta Flackのベスト盤かなにかがかかっていたのだが、(……)がちかくなってきたあたりではじまった一曲が、これ完全にSadeじゃんというものだった。もちろん影響関係としてはSadeRoberta Flackなどを踏まえているわけだが、それにしてもSadeだった。そのときこちらのあたまのなかでもっとも参照されていたSadeというのは、おそらくは"The Sweetest Taboo"だったとおもう(じぶんは『Lovers Live』しかほぼ聞いたことがないので、その版)。
  • (……)前、図書館のビルのすぐしたでおろしてもらった。しかし腹がかんぜんに空だったので、まずは食事を取るため、横断歩道をわたって(……)に行かなければならない。それで信号を待ったが、そのあいだ見上げると、ロータリーのうえをとおる円形歩廊のなかにほそい月が浮かんでおり、空もまだいくらか青っぽさをのこしつつおおきな穴を満たしていた。通りをわたって入館し、フードコートへ。手を消毒。客はすくない。高校生のカップルがてまえに一組いたのと、奥のほうにも女子高生らがいくらか見えたくらい。すすんで曲がったさきもガラガラで、フロアの端のほうにひとり男性がついていたが、このひとは飯を食うでもなく、おおきめのリュックサック的な荷物をまえに置きながら顔を伏せてスマートフォンをいじりつづけていたようだ。(……)で彩り野菜のちゃんぽんを注文。あたらしく見る品だったので。会計して呼び出しベルを受け取り席にもどると、持ってきた『ボヴァリー夫人』を読みながら待つ。ベルはいきなりふるえて音を出すのでいつもびっくりする。品物を受け取って席にはこび、食事。さいしょにスープをちょっと飲んだのだが、トマトのにおいがけっこう立っていて、イタリアン的な風味を少々かんじたのだけれど、マッシュルーム的なキノコもはいっていたようだし、バジルではないかとおもわれる鈍い緑色の粉末のたぐいもほうぼうに見られたので、これはたぶん意図されたものだとおもう。野菜はほかに、レンコンやさつまいもなんかが目立ち、けっこううまかった。スープもほとんどのこさず飲んでしまった。健康にはわるいのだろうが、たまに汁物のスープを飲み干したくらいで死ぬわけでもない。とはいえ空腹のところに塩分と油分を一気に取ったのでからだには負担だろうとちょっと息をつき、それからコートを着直して膳を返却棚へ。退出。トイレへ。フードコートを出たところには時計のベルトなんかをなおす店があるのだけれど、そこの主はいつも暇そうにしており、このときも座ったままあたまを落として居眠りしていた。便所にはいると先客がひとりあり、小便器はふたつしかないのでそのとなりに立つ。こちらも小便を出すまでにけっこう時間がかかるタイプで、このときもべつに緊張もしていないのに膀胱のうごきがのろかったが、となりの男性はさらに苦労するからだのようで、はあはあいいながらちょっとずつ絞り出すように、きれぎれに排泄していたようだ。さきに用をすませて手をあらったところで、ハンカチをズボンの尻に入れてくるのをわすれたことに気がついてしまったなとおもった。
  • 退館し、また横断歩道をわたり、階段をのぼって図書館へ。ものを食って満腹になったそばから公共施設にはいるということですこし緊張をかんじていた。むかしの嘔吐恐怖のなごりである。用としては借りていた本をかえすとともに読んだけれど書抜きの終わっていない三冊はもういちど借りるというそれだけのことだったのだが、新着図書を見ておきたい気もして、はいるとちょうどカウンターは先客が返却しているところだったのでさきにフロアをあがって新着棚を見に行った。前回来たときに注目したのとおなじ本もおおかったが、あたらしく目にとまったものとしては、新潮クレスト・ブックスから出ているタナハシ・コーツの本があった。『ウォーターダンサー』という題だったか? 彼のデビュー長編らしく、冒頭をすこしだけ瞥見してみたかんじ、なんとなくよさそうな雰囲気だった。あと、現代メキシコを代表する女性作家のひとりだという書き手(グアドループみたいななまえだったはず)の、赤い魚なんとかみたいな作品もあって、冒頭のエピグラフでふたりの作家が引かれていたのだけれど、右側のことばはわすれたが左側の一行は高行健だった。メキシコのひとが中国作家を引くなんておもしろそうではないかとおもったのだが、いま検索してみたら高行健天安門事件を機にフランスに亡命していまはフランス国籍らしい。二〇〇〇年にノーベル文学賞。あともうひとつ、フローラなんとかいう一八四〇年くらいに亡くなったイギリスの女性作家の本があって、このひとは晩年に子ども時代の生活の回顧録をつづってその三部作が後年にのこる作品になったと著者紹介にあったのだが、この本はそのうちの二冊目で、なんとかいう田舎にうつってそこでの人間模様や生活をえがき物語る作品だったとおもわれ、どうも興味を惹かれた。フローラ・トンプソン『キャンドルフォード』というやつだ。亡くなったのは一八四〇年ではなくて一九四〇年(四七年)だった。田舎の自然をえがくみたいなやつはどうしても気になるところがあるのだが(マリ・ゲヴェルス『フランドルの四季暦』なんかもそうで、あれは擬人法や美麗な表現を多々おりまぜながらマジでひたすら自然や天象を記述しまくるというなかなかたいした本だった)、この本は表紙がきれいな絵柄で雰囲気もよく、出版社は朔北社といっていままで注目したことがなかったけれど、うしろのほうの広告ページを見ると中村妙子訳のロザムンド・ピルチャーの名があったので、たぶんこういう女性作家の作品にちからを入れている会社なのかなとおもった。ほか、中公新書の『ミャンマー政変』もあって、この本もわりと気になっていた。新着棚の確認を終えるといちおう書棚もちょっと見ておこうかなというか、腹とからだがまだこなれていないかんじがあったのでそれを待ちながら本を見ようとおもって哲学方面に行き、チェック。このあいだ来たときには気づかなかったのか、何冊か目新しい本があった。精神分析あたりや宗教、神話なんかも確認。青土社の神話シリーズは読みたい気がする。あと、たしか岩波書店だったとおもうが、宗教の歴史シリーズ。その後、中公新書のほうも見分。興味を惹かれるものはまあ多くあるし、なんだかんだいっても新書レベルの本をガンガン読むというのは基礎としては有力なのだろうから、いろいろ読みたい。理系というか、いままでぜんぜん読んだことのない自然科学方面の書もこのあたりからふれていくのがよいのではないか。そうして本を見ているうちに、たぶんそうなるのではないかとおもっていたのだけれど、便意がもたげてきたので、トイレに行って糞を垂れた。ハンカチをわすれてきたのが悔やまれるがしかたなく石鹸もつかって手を洗い、そうして出るともうよいだろうということで下階にもどり、カウンターに寄って職員に返却を申し出た。こちらの三冊だけもういちど借りたいんですが、と言って予約がはいっていないか確認してもらい、なかったのでそのまま再度貸出。礼を言って本を受け取り、リュックサックにおさめて退館。
  • 駅へ。高架歩廊のうえから見上げる空はさきほどの青みをもはやうしなって、直上は黒く塗りたくられて月は埋没したのかすがたが見えず、星の気配もうかがえず、左をむけば東の低みは灰色っぽい色にうすれており、てまえのマンションが似たような色合いなので輪郭線が埋まっている。駅にはいってホームに下り、立ちつくしてちょっと待つ。胸を張って背を伸ばしながらゆっくり息を吐き、腰の裏のすじを伸ばそうとこころみた。電車が来るとすわり、まだからだが落ち着いていないかんじがしたのでしばらく瞑目。ときどき瞬間的に緊張が生じるが大過なく、(……)にいたったところで目をあけて書見をはじめた。『ボヴァリー夫人』。帰りの電車内でも読んだが、けっこうおもしろいというか、満足感のある読書だった。『ボヴァリー夫人』は物語や書いてあることとしてはわりと退屈で、エンマがシャルルとの結婚生活におもったほどの幸福や高揚をえられず失望し、夫にいらいらしながらこの世のどこかにあるにちがいないロマンティックな風土にあこがれ懊悩するというだけなのだけれど、そこに書かれてあることばのひとつひとつを意味や表象に変換していくというだけでなにか充足するところがあり、小説を読むのってやっぱりおもしろいなあというかんじがあとにのこった。フローベールのばあいはとくに着ているものとか部屋のようすとかをけっこうこまかく描写するので、そのあたりがとりわけそう。また、細部でひじょうにささやかではあるがよいことばづかいもおりに見られる。
  • (……)まで書見。つくと本をしまい、リュックサックのなかからケースをとりだして眼鏡をかけた。降りて階段へ。改札を抜けたところで財布に金がなかったのではとおもって見てみるとそうだったので、ATMで五万円をおろした。残高は(……)ほどだった。靴を買いに行くまえに、せっかく街に出てきたし多少あるくものだろうというわけで、図書館にむかうことに。リサイクル資料を見ておこうとおもったのだ。北口広場に出ると老人の演説の声がきこえ、あたりにはティッシュを配る高年者たちが何人か立って手を差し出しているが、その差し出し方はみんないかにもひかえめで、あまりとおるひとのからだのそばまで手をちかづけてこないのだった。護憲団体らしく、演説の声は、われわれは中国に武力で対抗するのではなく、憲法九条の平和の精神で、みたいなことをうったえていた。高架歩廊をすすんでいき、歩道橋をわたってさらにさきへ。風がときおり吹いてつめたい。通路をすすんでいるとモノレール線路下の広場がひだりにのぞくが、そこにはイルミネーションがもうしつらえられており、うえからしたまですべて真っ青な電飾でととのえられぷつぷつとかすかに泡立つようにひかっている樹氷めいた立ちすがたがいくつかならんでいて、この飾り方は毎年のことである。図書館のビルにはいるとしかしリサイクル資料は出ていなかったので、しかたないとすぐにひきかえした。来た通路をとんぼ返りする。のろのろあるいているこちらを抜かしていく周囲のひとには、そのあたりのビルでしごとを終えて引けてきたらしくフォーマルなすがたの男女がおおく、みんなてくてくとすみやかにあるいていく。時刻は六時半か七時前くらいだったのではないか。前回は(……)のなかのABCマートで靴を買ったのだけれど、今回は(……)にでも行ってみるかというわけで、歩道橋前で右に折れた。そうしてビルにはいり、入店。なんだかんだいっていつも本屋に行くときにジャズがかかっているのを耳にしながら素通りするだけだったので、はいるのははじめてである。靴が目当てなわけだけれど、ジャケットとかコートのほうをさいしょにちょっと見て、けっこうかっこうよいコートなんかあったが五万くらいするので買えない。それから靴がならべられた棚のまえへ。見分していると女性店員がふたり、それぞれ、サイズお出ししますので、ぜひお声かけくださいと声をかけてきた。それからまたちょっと見て、これかなという黒いやつに目星をつけ、ふたりめに声をかけてきたひと(灰色のスーツで、しょうしょうウェーブした髪型で、たぶんうしろでちょっとむすんでいた?)にむかって手をあげながらすみませんと言い、こちらの試着をとたのんだ。サイズはよくおぼえていなかったので、ひとまず26.5と言っておいた。それでしばらく待ち、持ってこられたものを履く。店員は足を置く台を出してくれて、そのうえに紐を解いて靴が置かれるので足をさしこむと即座に紐をむすんでかたちをととのえてくれる、という段取りだった。26.5だとゆるすぎたので、したのサイズを持ってきてもらい、それでおなじように履くとぴったりだったが、ふたつしたのサイズ、25.5だといった。鏡にも映してみて問題なさそうだったので、それに決定。スムーズに決まって楽だった。じつのところもう一足、エナメルみたいな光沢をもった濃い黒塗りの、あれもローファーといってよいのか、紐や段差などなにもついておらず飾り気のないシンプルな細身の品も気になっていたのだけれど、そういうやつをスーツで履いている男性をいままで見たことがないものだから、奇をてらわずに無難に行くかというわけでそちらは言及しなかった。会計。二万円。会計はレジカウンターまで行かず、試着のさいにすわった台のところでおこなわれ、店員がレジのほうに行って精算しお釣りなど出してくるというかたちだった。紙袋に入れてもらって、出口へ。女性店員が袋をもってそこまで見送ってくれたので、礼を言って品物を受け取り、退館。この女性には既視感があったというか、だれかに似ている気がしたのだけれど、ひとつにはおととし(……)さんが職場の長だった時期に補佐として一時期いた(……)さんという女性をおもいおこした。ただそれはたんにちょっとうねりのかかった髪型が似ていたというだけのことで、雰囲気はまたすこしちがう。もうひとつには大学時代に半年間だけはいっていたバンドサークルでかろうじてすこしだけ仲良くなった(……)さん(たしかそういう名字だったとおもうのだが)をおもいおこさせるところがないでもなかった。しかしこれもたぶん、もしじっさいに目にしたらべつに似ていないのだとおもう。雰囲気のほうはわりと似たかんじだったかもしれず、この店員のひとはていねいな快活さで、にこやかにさばさばしているようなかんじだった。こちらの一学年うえだった(……)先輩はしたのなまえの読みを変換して「(……)さん」もしくは「(……)さん」というあだなで呼ばれており、こちらは文化祭でこのひととおなじバンドで東京事変もしくは椎名林檎をやった。ギターがじぶん、ベースが彼女、キーボードに(……)みたいな、(……)がついたなまえの同学年男子がいて、ドラムとボーカルにもう記憶がないのだが、このキーボード男子ともすこしだけ仲良くなり、一回だけ彼の家に泊まったこともあった(それこそ文化祭のときだったか?)。文化祭のまえにも一度ライブハウスでこのサークルの内輪のライブがあって、そのときもやはり東京事変をやり、"林檎の唄"と"入水願い"をやったことだけはおぼえている。文化祭では"丸の内サディスティック"をやったことはまちがいないのだが、椎名林檎まわりはむしろもしかしたらその一曲だけだったかもしれない。しかしほかになにをやったのかはまったくおぼえていない。一度目のライブの時点ではたぶんまだ(……)さんやキーボード男子とは組んでおらず、おそらくこのライブでそこそこ弾ける人間として彼らの目にとまって、それでいっしょにやろうということになったのではないか。さらにいまおもいだしたが、文化祭でやったメンバーのまえにべつのバンドでaiko "ロージー"なんかをあわせたときがあり、ここですでにキーボードは(……)のつく彼だったので、さきに親交をもったのはかれのほうだ。aiko "ロージー"を披露する機会があったのかどうかはおぼえていない。そのときのベースがなまえはもうわすれてしまったが、すこしもじゃっとした髪の目がほそい男子で、このひとがいろいろ弾ける人間だったので、文化祭のときのドラムはもしかしたら彼だったかもしれない。ボーカルはいまでいえばややゆるふわ系みたいな女子がやっていて、もうひとり女子がいたような気がする。このバンドが"林檎の唄"などをやったときのそれとおなじだったのかはもはやわからない。おなじだったとしたらじぶんがこのサークルにいたあいだに持ったライブの機会は二回、べつだったら三回あったのかもしれない。ただ、たしか"林檎の唄"はこちらがサークルにはいってからの初お披露目だった記憶があるので、やはりたぶん二回しか演奏はしなかったのではないか。(……)さんにはなしをもどすと、彼女とは学食なんかでときどき交流して、ほんのすこしだけいい雰囲気になりかけたような瞬間もあったような気がしないでもないのだが、それは偽記憶かもしれないし、いずれにせよたいした親密さにはたっしなかった。ひとつたしかなのは、とうじこちらが好きだったdbClifford『Recyclable』のCDを貸したままじぶんはサークルをやめたので、それはかえってこずじまいになったということだ。サークルは二年次の春にはいって文化祭までの半年間でやめてしまったのだが、(……)さんにかぎらず、とうじのじぶんにもっと気力と社交性があったらおもしろい関係をきずくことができていたのかもしれないなとはおもう。いかんせん、心身がよくなかったのでしかたがない。文化祭の直前にパニック障害を発症したのでいずれにせよ無理だったわけだけれど、発症前からたぶん文化祭でやめようというあたまはあったとおもう。とにかく通学に時間がかかって遅い時間までいるのもむずかしかったのだ。おおくの大学生は家がとおくても大学付近にたまり場となるひとの家を見つけてそこに泊まって入り浸るのだろうし、せっかくの大学生なのにもっといろいろあそんだり街を練り歩いたり恥をかいたりしておかなかったのは損失といえなくもないが、とうじのじぶんにはそれができるほどの体力気力がとてもなかった。
  • 本屋に寄りたい気がしないでもなかったが、行けばまた時間をつかうしべつにいま買うものもないしとおとなしく駅へ。シャツとか上着もほしいにはほしいので、見るだけ見るかとおもって駅舎にはいるとそこから(……)の(……)に立ち寄った。ひととおりまわって、多少なりともほしいとおもうものはいくつかあるが、いかんせん高い。それに駅ビルの店の服のかんじというのにもう飽きてきたところもある。いちばん気になったのはLeeの大柄なジャケット的な上着というのかジャンパーというのかそういうやつで、白と黒の二色があり、白のほうにけっこう惹かれたのだけれど、二万六〇〇〇円だったし、こういうかんじのやつだったらわざわざここで買わなくても古着屋とかにあるんじゃないの? とおもったし(とはいうものの、古着屋じたいをぜんぜん知らないし、よく行く店もない)、そもそもコロナウイルスがおさまってきたとはいえ、べつに俺そんなあそびいかねえしというわけで見送り。ほかにもいろいろあったがいかんせん高く、真っ黒の厚手の上着とかかっこうよかったのだけれど、見れば七万円いじょうしてこの世はいったいどうなってんねんというかんじ。
  • あと普段履きの靴ももうだいぶきたならしいので新調したかったのだけれど、貧乏人は帰るわとおとなしく引き下がった。ここ一、二年、服をほぼ買っていないし、生活基盤をかんぜんに依存しているために貯金も多少はあるので、べつに買ってもいいのだけれど。改札内にはいり、ホームにおりる階段の脇にある「(……)」という店で夜食用におにぎりをふたつ買って(紅鮭とチキン南蛮)、電車へ。おにぎりはパックのままで袋に入れてもらわなかったので、お手拭きといっしょに紙袋のなか、靴のはいった箱のうえに乗せておき、また書見した。地元についても中断せず、乗り換えをはさんで最寄りまで。降りるとぜんぜんあつくなどないのになぜかコーラでも飲むかという気になっていたので、駅を出て自販機のある東へ。ペットボトルがほしかったのだけれど、三つ見ても缶しかなかったので、一〇〇円でそれを買って林のなかのほそい坂道をおりた。左右に茂みが厚く、頭上もおおかたは樹冠におおわれていて陽がとおりづらい場所なので、きのうの雨の水気がまだのこってじめじめしており、足もとは濡れたあとのなかで落ち葉がしなしなとちからなく希薄化している。そんな道だと何本か設置されている街灯のひかりの切れ目がわかりやすく、意外にとおくまでとどいてけっこうな範囲をおおっているなと見られるが、道のしたのほうまで来るとおびただしい落ち葉の群れがはじまり、ほとんどすきまなくつながって絨毯をなしているようなぐあいだった。
  • 帰宅するとコーラを飲みながらたぶんさっそくきょうのことを綴ったはず。帰ったのは八時半ごろだった。はじめにすこしは休んだかもしれないが、一一時まで書いて入浴へ。風呂のなかでは多少の詩片があたまに浮かんだのだけれど、かたちにする気にはならなかった。出てくるとおにぎりを食べ、その後もまた日記を書いたり休んだり。「千葉雅也×宮台真司が語る、性愛と偶然性 「そこで経験する否定性を織り込んで生きていく」」(2021/11/28)(https://realsound.jp/book/2021/11/post-889298.html(https://realsound.jp/book/2021/11/post-889298.html))を読んだ。

宮台:でも、『オーバーヒート』を読むと、やっぱりゲイの界隈は良いなと思いました。というのも、ノンケのハッテン場はもっとノイジーというか、いろんなことが面倒なんです。対面して、まず言い訳から入ったりする。ゲイのハッテン場はもっと手順が自動化されていて、迷いなく突き進める感じがしました。それが没入度を高めるんでしょうね。

千葉:決定的に違うのは、やっぱり男女関係だと性行為を行うときに、擬似であっても瞬間であっても恋愛的な仕立てが生じますよね。男同士だとそれが全くいらなくて、純粋にスポーツなんです。あるのは流動的なただの肉体関係で、ハッテン場という呼称に反して、誰も発展可能性を求めて行かないわけです。もしも瞬間的であれ恋愛的なことが起こり続けていたとしたら、おそらく人にとってなにか大事なものを毀損しているようなやましさがあるかもしれないけれど、ゲイのハッテン場はおそらくそういうのが出てこないんです。

宮台:すごく面白いです。80年代後半のノンケのナンパの時空では多くの場合、疑似恋愛や瞬間恋愛があって、「この人とずっと付き合い続けたらどうなるのかな」という想像とともに行きずりを楽しみました。そこが醍醐味でもあったんだけど、90年代に入ると疑似恋愛モードが失われ、単にお互いの寂しさを紛らわすためにただやっている感じの寂しい時空になります。だから、この小説に描かれているようなエロス的な没入が滅多になくなった。ゲイ界隈にはそうしたロマッチックな発展可能性とは、全く違う充実があるんだなあと思いました。そこがこの小説を読んで、僕の体験と引き比べて強く印象づけられたところです。

     *

宮台:『サブカルチャー神話解体』(1993年)で書いたけれど、性愛的なコミュニケーションの享楽はまさに偶然性にあります。例えば、テレクラには早取り式とフロント式があるんだけれど、マニアは早取り式を好むんですね。フックを連打してカチャッとつながるんだけど、どこにつながるのかは完全なる偶然。僕の場合は「早取りくん」というハイテク機器を使っていたので、さらに偶然性が高くて、0.1秒遅れたら違う人間とつながっていたという感覚を生きていました。90年代に入るぐらいまでは、その偶然性が、若い世代から主婦や中年男まで含めて、間違いなく享楽の種だったんですよ。

でも、以降になると、0.1秒遅れていたら他の人と出会っていたはずだという偶発性が、トラウマティックな傷だと感じられるようになり、『サブカルチャー神話解体』でも紹介したように心を病んでしまう女も出てきました。必然性を探す人たちが若い世代から増えたのですね。そうした期間を挾んで、90年代後半からの25年間は、統計的にも僕のリサーチから見ても、男女とも性的に退却していきました。長く一緒にいることから始まる性愛が衰退し、ナンパやテレクラが盛り上がった短期間が過ぎると、偶発性が有害だと感じられて、偶発的な出会いに心を閉ざすようになったのですね。千葉さんの教え子の学生さんたちは、偶然性の享楽についてどのように受け止めていると思われますか。

千葉:どうでしょう。エロスはリスクとともにあるものじゃないかと言えば、それなりに受け止めてくれるとは思いますが、彼らがどういう生き方を選ぶかは、やはりかつてと比べてはるかに無難なものになっているように思います。

宮台:若い世代になるほどそうでしょうね。統計リサーチによると、こんなにも経済的に苦しくなったのに、大学生の生活満足度はどんどん上がってきています。社会学でいうところのアスピレーション・レベル、つまり願望水準が下がっているからです。願望しなければ、がっかりもしないというわけです。

     *

宮台:フラットな生活をつまらないと言われるのが「つらい」。そういう若い人になりきって千葉さんの小説をもう一度読むと、性的な身体性や肉体性が想像の埒外である人は他人事だと感じ、それを想像できる人は、羨望や嫉妬を掻き立てられるんじゃないかと思いました。「千葉っていうのは頭がいいだけじゃなく、性的にも幸せじゃねえか」と。

千葉:ははは、すごく単純なルサンチマンですね。

宮台:そう。単純すぎるルサンチマンがこの十数年、驚くほど蔓延している。そうした状況を考えると、千葉さんの小説はある種のアジテーションで、「お前らそれでいいのか?」と挑発している感じがしました。そこで改めて質問したいのですが、そうした時代にこうした小説を書くことの意義についてはどう考えておられますか。

千葉:僕の小説をゲイ小説として捉えた時に重要なのは、昨今は性的に多様な人がいるので社会的包摂の権利をより公的に認めていこうとする流れがありますが、そうなった時に忘却されるのがビート的セックスであったり、偶然性のエロスなんです。難しい問題ですが、例えば同性婚を認めようというアジェンダがあって、それを邪魔しようとは思わないけれど、無批判に同性婚を良いものかのように扱うのはやめてくれと考えています。アメリカにも同性婚批判の文脈はありますし、国際水準の議論として疑問を向けるのは当然のことです。同性婚という形で結婚を規範化されたときに、何が失われるのかは示そうとしていますね。

宮台:同感します。僕もナンパや不倫を奨励しつづけてきました。結婚つまりマリッジは、人類が定住するようになってから、財産の保全と配分と継承のために作られた制度で、以前は交尾つまりメイティングしかなかった。子供を作ったら3歳ぐらいになるまで一緒に暮らし、その後は別の相手とメイティングしてまた子供を作るというのが普通でした。現在は、これだけ多くの人が財を剥奪されて貧乏になっているんだから、「結婚なんてどうでもいいじゃん」という考え方は、ゲイの側からも主張してほしかったところです。ゲイの界隈で、同性婚の権利はそれほど重要なのでしょうか?

千葉:ゲイ界隈には、一方ではマジョリティ同様に結婚の権利を求める人も多いわけですが、同時に、「結婚なんてどうでもいい」と、独自の生き方にプライドを持つ価値観も存在してきました。でも、いま表に出ているリベラルな傾向の人たちは同性婚の権利を主張するのが当然であるかのように見せている。しかし、表には出てこないような層ーーたとえばネットにエロ動画を上げているようなゲイアカウントを見ていると、状況はそんなに単純ではないと思います。

宮台:社会学者として言えば、もちろん機会の平等はあった方がいい。だから、ノンケができることは、ゲイもできていい。でも「ノンケと同じことをしなければいけない」ということはない。統計をみると、小学生から大学生まで9割が将来は結婚したいと言っています。これだけ性的に退却していて、いろんなスキルも不足しているのに、9割も結婚できるわけがありません。そうした現状をみても、同性婚は認められていいけれど、いつかは結婚したいという規範を自明に内面化していることはすごくおかしい。だからこそ千葉さんがそのような意見を持っていることに勇気づけられます。

千葉:ミシェル・フーコーが今生きていたら同性婚をどう言ったかわからないですが、フーコーは、いかにゲイとして生きるかは発明し続けるべきことなのだ、と言っています。小泉義之さんが『群像』に『オーバーヒート』の書評を書いてくださったのですが、それがまさにフーコーを踏まえたものでした。フーコーが書いた「恋人がタクシーで去るとき」という素敵なエッセイがあって、ゲイセックスの最高の瞬間は、恋人がタクシーで去っていくときで、永遠の結合とは逆であり、そこにもっとも美しいものを見るというんです。『オーバーヒート』は、言ってみればパートナーを信じ直すという話なのですが、小泉さんはフーコーのエッセイを文字って、「恋人とタクシーに乗るとき」というタイトルを付けてくださった。なかなかエモいと思ったんですけれど、でも今はなかなかそういう価値観が通用しない時代なのかな。

宮台:フーコー的な「不可能性を前提にした美学」についての感覚は、この30年くらいどんどん通じなくなってきたと思います。ところが最近、急に若い人たちにこういう話が通じるようにもなっていて、僕のゼミも大盛況になっています。「もはや可能性の追求の中には未来の実りはないんだよ」という考えを一貫して話してきているんだですが、彼らにその感覚が通じるようになりつつあるのは、願望水準の引き下げとは別の、従来の生き方への諦めがあるからかもしれない。彼らの世代が頑張っても、父親と同程度のポジションに付くのは難しいのが象徴的ですが、ゼミ生をみると「それをしたところでなんぼのもんじゃい」という見切りがあり、見切りの果てにそれでも生きる意欲を見つけようとしていると感じます。

千葉:ニヒリズムが深まるところまで深まったってことですね。そうなったらユーモアにいくしかない。となると、近年はネオリベラリズム的な偶然性の増大に脅かされてみんなが安定志向に向かっていたけど、いよいよとなったら諦めるしかないので、徹底的なニヒリストになって、再びなりすましあるいはユーモア的な二重の生を生きるようになりつつあるのかもしれないですね。

  • 三時ごろにちからつきてだらだらし、四時二一分に就床。