2021/12/10, Fri.

 「川」は、「家系」や「巨木」にも増して豊かに「分岐」の劇を演じてみせる。作品『欣求浄土』には、水源との遭遇を直接の目標として家を出る彷徨は認められないが、すでに諸々の交通機関の乗り継ぎが彼の軌跡を幾つかの「分岐点」で折りまげているし、また目的地に近づくにしたがって迫ってくる谷が、最終的には分れ道での選択を彼に強いるのだ。すでにみた『沼と洞穴』の「どの谷津 [﹅2] に入って行けばいいのか」という迷いは、「分岐」を前にした藤枝的「存在」の基本的な身振りを示している。藤枝的風土にあっては、至るところで道は二股にわかれており、そこで分岐する道は、多くの場合、川の支流にそって奥へと伸びてゆく。「章は朝早く家を出て二俣 [﹅2] を経て山に入り、横川の上流にある……」とか、「彼等は天竜中流を大湾曲部で横断し、長いトンネルをくぐって二俣 [﹅2] に入り……」とか、「遠州森町から太田川に沿って上行し、……渓谷を巻くように幾曲がりしながら登って行くと、……」といったさりげない地誌学的な説明が、藤枝的彷徨にあって川が演ずるであろう役割の重要性と、たどるべき道程の幾重にも分岐するさまとを明確に物語っているだろう。本流から支流への遡行、そして上流部分での新たな分岐とが、藤枝的風土における彷徨者の足どりを決定しているのだ。「巨木」から徐々に「河川」へと移(end162)っていった彼らの関心が、なお一貫したものであるのは、川が演じてみせるこの豊富な「分岐」との戯れゆえなのである。たとえば『山川草木』はこんな書きだしで始まっている。

 私は遠州に住んでいるが駿河生まれだから、この両方を流れる川に親しみを持っている。遠州灘に注ぐ天竜川、太田川、菊川、それから駿河湾に入る大井川、瀬戸川、安倍川と云った類である。もちろんこれらは河口での名前で、例えば安倍川は中流中河内川と藁科川をかかえこんでいるし、その藁科川だってのぼれば玉川としか云わぬから、奥へ入ればいちがいに安倍川と云っても土地の人には通じない。そのうえこれらの川はみな、水源に近い山中まで深く遡れば、京丸、黒法師、不動、大無間、小無間と云った南アルプスの山々をめぐって毛細管のように分岐し、末端で互いに結合している。つまり彼等は最上流ではお互いに水を分けあっているのである。

 冒頭で列挙される河川の名と、遡るに従って変化する呼称を列挙してゆくさまにはいかにも藤枝的な頑迷さが感じられる。それは「斎田捨川という愚な批評家を不愉快にする」ためだという不可解な注釈がそえられているが、この斎田某が「私小説」否定論者のサイデンステッカーのもじり [﹅3] であると聞かされれば、この執拗な列挙の意味もなるほどとうなずける。だが、重要な点は、藤枝静男によるこのアメリカの日本文学研究家の断言に対す(end162)る反論が、たんなる反論を越えて藤枝的「作品」の基本的な構成要素の一つとして提示されているという事実であろう。「毛細管のように分岐し、末端で互いに結合し」あっているという河川の地理的特質にこだわりつづけている限りにおいて、藤枝はサイデンステッカーへのポレミックな姿勢を、言葉ではなく、意味とフォルムとの葛藤によって形象化しているといえる。そうした作業を発条として、彼は、河口で海へと注ぐ瞬間に河川がまとう多様な表情を、水源における分岐という一元性へと変質せしめているのである。
 だが、ここで注意しなければならぬのは、藤枝が水源への遡行に言及しながらも、その想像力が戯れているのは、「起源」でも、「始原」でも、「生誕」でもないという事実である。彼にとっての「家族歴」が、祖先への郷愁や過去への執着によっては支えられておらず、ただひたすらその分岐する瞬間への関心によって支えられていたように、ここでも問題なのは、水源における水滴生成の神秘ではいささかもないのだ。たとえば「瀬戸川の水源までのぼりつめたいという欲求は十余年前からあったが、もう気力が失せた」と告白する藤枝は、しかし自動車でなら到達しうるその地点まで足を運び、彼を惹きつけたものが二股に分れる水の流れにほかならぬことをあからさまに告白している。

 瀬戸川の水源と大井川支流伊久美川の水源とは、標高約九〇〇メートルの高根山にある。高根神社の境内から湧き出る水がふたつに分れて、ひとつは伊久美川となり、ひと(end163)つは宇嶺の滝となって七〇メートル落下して瀬戸川となるのである。

 いまやすべてが明瞭となったかにみえる。あえて確認しなおすまでもなく、藤枝的風土における「家族歴」と「巨木」と「河川」とは、同じ一つの相貌におさまるべき小説的な細部なのである。あるものは墓の下の窪みで動こうともせず、あるものは天をめざして魁偉な表情を誇り、またあるものは大地を迂回し貫流しながら海への道を急ぐかにみえながら、藤枝静男の想像力にあっては、意識的であると否とにかかわらず、間違いなくひとつの「分岐」を生きるフォルムとして、作品の全域にその磁力を波及させているのである。
 (蓮實重彦『「私小説」を読む』(講談社文芸文庫、二〇一四年/中央公論社、一九八五年)、161~164; 「藤枝静男論 分岐と彷徨」; 「Ⅳ 分岐するものたち」)



  • 九時半くらいに意識がさだかなものになり、しばらく寝床にとどまってからだにちからが寄ってくるのを待ったあと、一〇時八分で離床。五時間四七分の滞在。きょうの天気は晴れ寄りで、陽射しのあかるさが寝床にも居間にもあったものの、空はぜんたいに淡い雲が固着するように混ざってもいて、ひかりは屈託なしの白さとはいかない。起きた直後に(……)の結婚式のことをおもって祝儀袋を買ってきて用意しなければとかんがえたのだが、そこでおもいだしたことに、コロナウイルス対策で有人受付をもうけないとかで、祝儀をいただけるばあいは振込みでというはなしだったのだ。それでやばいやばい、機会を見つけてさっさと振り込んでおかなければとおもったのだった。
  • 水場に行ってきて瞑想は二〇分ほど。食事には芸もなくハムエッグを焼いた。あと大根の味噌汁。カキフライがあまっていたのであとでしごとにいくまえに食べることに。新聞はたいして読まず。記事をチェックしたくらい。母親は一一時二〇分には出るといい、何度も、洗濯たのむね、じゃああとたのむねと言っていた。父親はあるきに行っているらしい。帰宅後に山梨に行くよう。皿と風呂を洗って帰還。ウェブをすこしだけ見たあと、きのうの記事をつづった。一時ごろ完成。はてなブログの投稿欄によれば引用もふくめて二万字を越えていた。引用をカットすればたぶん一万五〇〇〇字くらいか? そのくらいの量の記事を翌日の午後一時でしあげることができたわけだから、なかなかすばやいしごとぶりでわるくない。
  • それから洗濯物をとりこみにいった。まだ陽はあってベランダにふれており、白さとともにおだやかなぬくもりがただよっていて、ベランダにもたくさん散らばっているかわいて黒ずんだような枯れ葉が微風をうけてかさかさと床にこすれる音を生む。タオル類をたたんではこび、帰ってくるとここまで記述。二時直前。きょうは五時に出るよう。まずは授業の予習をしておかなければならない。
  • 授業の予習はすぐに済んだ。それから『ボヴァリー夫人』をちょっと読み、ストレッチ。三時すぎに音楽をききながら深呼吸してからだをほぐそうとおもい、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』をひさしぶりにながすことに。イヤフォンでききながら静座して呼吸したが、からだはかるくなるものの、意識はいがいと明晰にならないというか、ちょっとねむかったのだろうか、音楽のほうはあまり整然ときこえてこず、散漫だった。二曲目("Alice In Wonderland")のベースソロあたりまではわりとはっきりしていたのだが。"All of You (take 1)"までながして切ると四時まえだった。上階へ行き、カキフライをあたためて米に乗せて醤油をかけ、即席の味噌汁ももって帰室。食べながら、またその後の歯磨きのあいだ、(……)さんのブログを読んだ。さいしんの九日分に以下のエピソードがひかれていて笑った。とくにさいごの「伝説のエピソード」はおもわず声を出して笑ってしまった。

堤ではチワワをつれたババアふたりとすれちがった。以前もすれちがったことがある。チワワはコビィの姿を見るなり、歯をむきだしにてギャンギャン吠えはじめた。あんなに敵意剥き出しのチワワを見るのははじめてだ。そのわきを多少興奮しながらではあるもののさっと通過するコビィの姿を見て、あれ、あれいちばん賢い犬やに、とババアはいった。この子はあかん、脳味噌ちっさいからアホや、と続いた。たまらずふきだした。彼女らのやりとりをやはり聞いていたらしい母も笑った。コビィのことをアホ犬だのなんだのいうことはこちらもよくあるが、小型犬の飼い主がその小型犬全般を生物学的に全否定する言葉をごくごく自然な口調でさらっと言ってのけるのはやはり面白すぎる。年寄りのああいう酷薄さはだいたいツボに入る。(……)の祖母が、たしか動物ものの映画の予告編を見ていたときだといっていたと思うが、死んだ飼い主の中に横たわっている棺桶をのぞきこんだ主演の犬がくぅ〜んと鼻を鳴らすシーンを見て、あれま! 犬畜生でもこんな情あるんかん! と声をあげたという伝説のエピソードをひさしぶりに思い出した。

  • あと、標準語のアクセントについて、こちらに朗読音源をたのもうかとあったが、そのくらいの手伝いはむろんやる。
  • 勤務時のことへ飛ぶ。(……)
  • (……)