2021/12/16, Thu.

  • 書抜きのストックがなくなってしまってやばい。
  • この日は祖母の葬儀で山梨まで行ってきた。一〇時ごろに出る予定だったので余裕をもって七時半にアラームをかけておいたのだが、けっきょく起床は八時半。瞑想もサボる。飯を食ったりもろもろすませたり身支度をすればもう出る時間でたいしたこともできない。コンピューターをつけてNotionにこの日の記事をつくることすらしなかった。
  • 車。ちょうど二時間くらいかかるわけだが、二時間も車に乗っているのはまったく苦痛である。一〇時八分にともかくも出発。天気はよかった。いくらか薄雲まじりではあったものの、水色がひらいており陽射しもまぶしかった。(……)をわたるさいにも深緑色の川のおもてにたばねた蜘蛛の糸をながしたような、ねばりをおびているかのように緩慢な波紋のすじがひかりに浮き彫りにされて浮かびあがっていた。とにかく車におしこまれて長時間ゆられるのがつかれてしかたがないので(発車してまもないころから、はやくもいくらか気持ちわるくなってもいた)、できるだけ心身をととのえようというわけで、ガムを一個もらって噛んだあとはだいたいずっと目を閉じて休んでいた。母親はなんとかかんとか雑談を吐いたり、ナビが高速をしめしてしまうとかいってルートがあっているのか疑問をもらしたりしていた。それでも(……)から(……)を越える道で無事山梨へ。(……)もうねうねしていてなかなかたいへんなのだが、そこにいたるまでの道でもけっこうガタガタしていたり左右にゆれたりすることがあって、気持ち悪さを刺激されることしきりだった。しかしなんだかんだいっても目を閉じてじっとしていればもうしぜんに血と生気がぜんしんにめぐるからだになっているので、峠にいたるまでのあいだにけっこうからだはととのって、峠あたりからはもう目をあけていたのだけれど、たいして気持ち悪くはならなかった。しかしとにかく起きてそう経たない時刻からずっと座っているから脚がこごったり尻がつかれたりしてじつに居心地が悪い。車という乗り物はまったくもって退屈だとおもう。せまいところに押しこまれてずっと座っていなければならず、気ままにちょっと立つことすらもできないし、景色もたいして見えやしないし車内にうごきも生まれない。疲労そのもの。移動時間が短縮されるだけのしろもので、つまり便利なだけの道具であり、そしてこの世でいちばん退屈でつまらないのはただ便利なだけの存在である。なんの余剰も官能性もない。こんなものが文明の利器とみなされているのだから、この世界の文明などたいしたことがない。しかしなにびとも利便性に打ち勝つことはできないのだ。それにしても、車にひきかえて電車というのはまったくゆたかな空間である。なにしろ他人がいて周囲に身体の揺動と行き交いがあるし、走行音も雑多で音楽的だし、座席もまあ車よりははるかにましで、またゆれの感覚もなぜだかわからないがここちよく、目を閉じてまどろんでいればかなりきもちがいい。空間も比較的ひろく、立っていることもできるしその気になればあるくことすらでき、本を読むこともできる。すばらしい。
  • (……)を越えて(……)にはいったあたりでは、脚をうごかしたい、はやくあるかせてくれともらしていた。それで坂をくだっていき、(……)駅の北口につづくほそい道にはいって停まると、うろついてくるといって降車。時刻は一二時直前で、兄がそろそろ着くころあいだった。陽の射している道をゆっくりあるいて(道のむかいは木々が伸び上がっていたり、またツタみたいな植物が表面をざらざらと覆った石壁に水がちょろちょろとしずかにながれおちていたり、そのほかむかしながらといった雰囲気のふるびた食事処とかタクシー事務所とかがすこしあったりする)脚をやわらげつつ北口のてまえまで行くとそのままもどってきて、脚をうごかしたことで尿意がかさんでいたので、車のそとに出ていた母親にトイレに行ってくるわとのこした。北口周辺はほぼなにもないので公衆トイレもみあたらなかったのだが、南口はそれよりはひらけているようだし、たぶんそちらにあるだろうとおもったのだ。それで北口からはいり、通路を行って、エレベーターに乗ればすぐだったのだがそのてまえで階段に曲がってしまい、けっこうな段数を下りていってそとへ。階段を出て目のまえにはなにもなかったのだが、細道をわたってさらにロータリーのほうに下りていくと売店があり、その横にエレベーターで改札のほうまでさっさと上がっていくためのガラス張りの建物があって、これはまだ比較的さいきんにできたばかりなのだとおもうが、そのビルの脇にトイレがあったのではいって用を足した。そうするとちょうど正午くらいで、もう兄が来ているだろうとおもいながらビルにはいってエレベーターであがり(このときすこしだけ高所恐怖をおぼえた)、通路を北口へひきかえして車へ。兄にあいさつ。そうして出発し、斎場へ。
  • 到着。降りるとほかのひとびともあつまっているところで、あいさつをしながらなかへ。ロビーでもあいさつしつつ、芳名帳というか芳名カードみたいなものを記入し、香典とともに受付へ提出。すると引換券をわたされたのでポケットに。あいさつは兄がさすが一流企業の社会人だからそこそこ愛想よく如才なくやっていたが、こちらはあまりあたまがまわらなかったので、もちろん笑顔は浮かべて愛想は良くするもののたいしてはなさずひかえめにとどめた。「(……)」(祖母の家から坂をあがっていって折れてすぐにある、むかしはなんらかの商店をやっていたのだろう家を親戚界隈ではこう呼ぶのだが、この家と祖母の続柄が具体的にどういうことなのかいつまで経ってもおぼえられない)のおじさんおばさん、すなわち(……)さんとその奥さんとちょっとやりとり。ふたりとももう八〇てまえくらいか。そんなに面識はないのだが、もうけっこうまえ、たしかパニック障害で休学していたあいだのような気がされるのでもしそうだとするとそうとうまえで、二〇一〇年ということになるが、どこかの夏に父親と祖母の家に帰省したさい、この店にあいさつにいったらいまバーベキューやってるから寄ってけ寄ってけということになって、いわれるがままに中庭みたいなところに行き、そこで肉をちょっとだけ食ったおぼえがあるのだけれど、とうじのじぶんは体調も悪くて不安障害まっただなかだからふつうをよそおってふるまうだけでもむずかしいありさまで、まごつきながらともかく多少でも食うさまを見せておくものだろうというわけでちょっと食べたのだけれど、肉がまだかんぜんには焼けきっていなかったのをともかく口に入れて、そのせいか精神的なものだったのかわからないが帰ったあとに腹が痛くなってねむれず、夜に便所に立って祖母に心配されたおぼえがある。しかし休学中ではそのくらいのこともできたかどうかあやしいので、休学が明けつつもまだまだ体調が悪かった大学三年次のことだったかもしれない。そのバーベキューのときにはおじさんの息子が帰ってきており、このひとはわりと田舎のヤンキー的な雰囲気のひとでけっこうチャラそうだったりオラオラしているような印象だったが、かれと多少やりとりをした。こちらが車の免許をもっていないと知ると信じられないみたいな大仰な反応をかえし、ぜったい取ったほうがいい、ないとはなしにならんみたいなかんじでめちゃくちゃすすめてきたのをおぼえている。こちらの家のあたりだと腐ってもいちおう東京なのでギリギリどうにかなるが、(……)あたりだとたしかに車がなければどうしようもないだろう。
  • (……)さんはぎょろついたおおきな目のカエルみたいな顔をしているひとで、そんなにあかるかったり声がおおきかったりするわけではないのだが、わりと威勢はいいほうである。たいして奥さんは、彼女もあかるくてけっこうにぎやかなほうではあるだろうけれど、目がほそくてにこやかな顔で、素朴でやさしげな調子もある。ほか、(……)さんや(……)さんにあいさつしたり、(……)に声をかけたり。(……)は(……)さんの次男で年齢はこちらの一個うえ、先天性ではないらしいのだが生まれたときになんらかの要因で知的障害を負ってことばをしゃべれない。そのうちに祖母の顔を見たらとすすめられたのでホールにはいって祭壇のまえの棺のところに行き、窓をあけて死に顔を見た。おだやかだったと聞いており、それはそうなのだけれど、それよりも意外と凛々しいような顔をしているという印象のほうがつよかった。祖母といえば柔和でやさしげな表情のイメージがもっぱらで、遺影の写真もそうだったのだが、目を閉じて口をむすんだ遺体の顔を見ると、もっと端正できりっとした顔つきをしているな、という印象だった。五人そだてあげたわけだからね、できた人間、偉大なひとですよ、と兄がいう。死に顔を見るときに手をあわせていたら、(……)さんが、(……)くんえらい、そうだよね、ほんとはここでもこうやって手をあわせなきゃだめだよね、と言ってきた。
  • じきに着座。親戚筋のつく椅子は祭壇にむかう通路の左右に分かれて二列でならんでおり、こちらと兄はその右側の後列。じぶんの席から見ると右側にはだれもおらず、左に兄、(……)くん((……)さんの息子)、(……)ちゃん(おなじく娘)。一列の席数はたぶん八席だったとおもうが、われわれのまえの列は左から(……)さん、(……)さん、こちらの父親、母親、(……)くん、(……)くん、そして続柄がわからないがなんらかの親戚であるらしい老婆、おなじく関係がわからないが体格のいい禿頭の男性(あとで聞いたところでは、このひとは近所の寺の坊さんだとかいったが、祖母とどういうかかわりがあったのかはわからない)。正面、通路をはさんでむかい側の面々は、前列の左端が(……)さんで、(……)さんもたしかそちらがわにいたはず。そんなにこまかく見なかったが、前列にはほか、「(……)」の夫婦と、高年の男性三人がいた。このうちひとりは(……)さんというひとで、もうひとりは(……)さんというひと。このふたりは近所のひとで、むかしからずっとつきあいがあるようで、父親が山梨に行ったさいにはよく野菜をくれるのだけれど、多少親戚としての血もまざっているのかもしれない。そのあたりの詳細はわからない。(……)さんは脚を悪くしているようで、立っているとけっこう難儀そうで、姿勢もすこしかたむいており、あとで火葬場に行ったときなど、立っていなければならない場面では呼吸を荒くしながら耐えていた。あゆみもややぎこちなく、ゆっくりと足を出さなければならない。(……)さんのほうは真っ白な髪がそこそこ残っていて壮健そうなようすで、マスクをつけていてもほそい目が弓なりに曲がってにこやかに笑っているのがよくわかる。このふたりとははじまるまえに兄や母親といっしょにいちおうあいさつを交わした。あとのひとりは誰だったのかわからない。というかあとひとりいたというのは勘違いで、むかいの前列にいた男性は(……)さんと(……)さんと(……)さんだけだったかもしれない。後列は(……)くん、(……)、(……)さん、その息子の(……)くん、と(……)さんの一家と、(……)さんと(……)さんの奥さん。この女性ふたりは火葬場にはついてこず、葬儀までで帰宅したようだ(スタッフが、火葬場には行かず散会する方はいらっしゃいますかとたずねたときに、手をあげていた)。とちゅうで人数をざっとかぞえたときに、こちらの列は四人、前列はそれぞれぜんぶ埋まって八名、むかいの後列は六か七で二六、七人ではないかと計算したので、たぶんむかいの前列に記憶にのこっていないひとがまだいたはず。あれだ、(……)くんがたぶんどこかにいたのだ。父親の同級生で、もともとこの日両親は彼の夫婦と飲み会をやる予定だったのだが、こういう事態になってしまったのでとうぜんとりやめ、この(……)くんというひとは祖母をじぶんの母のようにおもってくれていたということで、それで親戚筋のほうに入れたと火曜日に父親が言っていた。だからむかいの二列のどこかにいたか、それかこちらがわの前列のいちばん右にいたあの男性が坊さんではなくて(……)くんだったかもしれない。どうも風貌にあまり区別がつかない。ただ、彼をくわえてもたぶんまだひとりふたり抜けがあるはず。
  • 一二時半すぎにみな着座して、一二時四五分くらいからアナウンスがはいり、式をはじめるまえに故人の思い出をという趣向で、情感たっぷりにゆっくりとかたる女性スタッフの声で祖母がどういうひとだったかとか、どういう暮らしをしていたかとか、子どもたちからのメッセージとかが読み上げられた。この女性スタッフは息をすこしふくんだ声色にしても、ふつうの発音からややずれた妙なイントネーションのつけかたにしても、いかにも泣かせにきているというかんじで、こちらなどはひねくれたつめたいこころの持ち主なのでかえって鼻白んでしまうというか、押しつけがましさをかんじるのだけれど、(……)さんなどはここでもうすでに涙ぐんでいたとおもうし、ほかのきょうだいもそうだったかもしれない。直接の子どもだからふしぎなことではない。となりの兄も、もしかしたらこの時点で多少なみだをもよおしていたかもしれない。式のさいちゅうも、べつにわざわざ横をむいてはっきり確認したわけではないが、なんどかなみだをおぼえているような気配だった。こちらはほぼそういった哀感はなく、祖母にむけてかんじる情といってとにかくおつかれさまでしたというおだやかないたわりのそれだけだったのだが、それでもみんなで遺体のまわりに花をおさめ、棺が閉ざされてこれから出棺、というときにはすこし瞳が熱くなるのをかんじた。しかしそれだけ。とはいえ焼香のときなど、じぶんなりに誠実な追悼の意をこめてゆっくりとていねいにやったつもりではある。女性スタッフの読み上げについてもうひとつ気づいたのは、いぜん一度目のワクチン接種のときに接種してくれた女性の言語使用について書いたのとおなじことで、ことばを発している主体ではなくそれを聞いているわれわれの行動を先行的に代弁するかたちで誘導する、という話法が見られた、ということだ。具体的な文言をわすれてしまったのだけれど、たとえば、庭で植木をいじっていたすがたがいまも目のまえに浮かんできます、みたいなかんじで、聞き手の主体にぞくしているはずの動詞を話者じしんが代弁的に断言してしまうということで、そこから生じる収奪感については九月一七日の記事でふれたのと同様だ。「目のまえに浮かんできます」だと主体収奪のかんじはさほどなく、話者が主語として「わたしたち」を想定しており(厳密に文法的にいえば「目のまえに浮かんできます」の主語は「庭で植木をいじっていたすがた」なのだけれど、ここでは「目のまえに浮かんできます」を主体による行為に準ずるものと措定している。ほんとうのところ、主体を場として記憶像が展開されるというこの自発動詞のありかたは、分類としてはおそらくいわゆる中動態にぞくするものなのだとおもう)、いわばスタッフが聞き手の集団のなかにみずから一員としてはいりこもうとこころみながらその集団の総体的な動詞を代表として述べている、とかんがえることもできるが、じぶんが耳にとめたじっさいの文言は、「目のまえに浮かんできます」のような自発の意味ではなくて、もうすこし主体性のつよい動詞だったので、収奪の感覚もそれにおうじてはっきりとしたものだった。九月一七日の記事に書かれてある分析の一節をかりれば、「じぶんの「わたし」が他者によって言語的に先取りされ、奪われ、まぎれもなく「わたし」に属する述語であるはずなのにそこに「わたし」がいない、ということになる」。日本語が主語を明示せずともなりたつ言語なので、そのあいまいな中間領域のなかでこういう同化的な収奪が可能となる、というのもまえに書いたとおりだろう。じぶんの動詞を他人によって勝手に決められた、という感覚があるわけだけれど、そこで発話者が「わたし」か「あなた」を明示しなければならないときには、そういう混線的な収奪感は生じないはずだ。いうまでもないが、こういう同化 - 収奪の話法も、聞き手を感動(感涙)へと誘導するためのレトリック・演出である。したがって、じぶんはそこにやはり一種の押しつけがましさを発見する。
  • その後、式は一時を待たず一二時五五分にはもう開始された。坊さんが入場するので一同は合掌。坊さんはあざやかなオレンジ色の袈裟(でいいのかわからないが、ようするに着物)のうえにもういちまい身につけており、あれはつながっていたのかどうだったか見逃してしまったが、それとおなじ色おなじ柄のおおきくてながい頭巾様のものをあたまにかぶせていた。色はまあなんというか、雨の日に砂地にできたあさい水たまりのなかのような色というか、黄の色味がかなり弱いくすんだ黄土色というかそんなかんじで、そのうえに、なんのもようなのか眼鏡をかけていても視認できなかったのだけれど、とおくから見たかんじでは木とか雲のようなあいまいなかたちの色が諸所にさしこまれており、ぜんたいとしてむかしの日本の風景画めいた雰囲気に見えた。僧侶は曹洞宗の人間らしかった。ということは、只管打坐の修業をすませてきた人物のはずである。退場後に兄が、意外にけっこう若そうだったね、と声をかけてきたが、あとで聞いたところではこれは(……)くんの同級生だったらしい。だからたぶん四〇てまえくらいか? 読経で気になったのは、こちらの地元の(……)で読んでもらうときよりも、日本語として意味のわかるぶぶんがおおかったのではないかということがひとつ。読経のあいまに声をしずかにおさえて、すこし独り言でなされる語りのような調子になるパートが何回かあったのだけれど、そこでかたられた文言は、なんとなく参列者にも意味が理解できるような日本語を意図的にふくんでいるのではないか、とおもわれた。内容としては要するに無常観の表明みたいなことで、月は水に印をきざんですぐになくなり、露は地に落ちてかたちをうしなう、みたいな比喩的なイメージなど。そういうしずかなパートというのは、(……)の読経ではなかった。(……)が何宗だったかおもいだせないが(真言臨済だったか?)。とはいえ厳密にいえば、読経のあいだにはさまるパートというのはあったのだけれど、それは住職とその息子とふたりで読むときは息子のいわばソロパートにあたる箇所で、彼が立ち上がってなにか巻物のような文書を目のまえにひろげてもちながら口上を述べる、というものなのだが、(……)のやりかたではそのときも読経にちかい節回しはあるのにたいし、この日見た坊さんのばあいにはかんぜんに読経とはべつものの、もっとふつうの会話などでのイントネーションにちかい語りの様相になっていた。あと、いくつかあったそのしずかなパートのいちばんはじめには、オンキリキリなんとかみたいなことを冒頭に言っていたのだけれど、これ真言じゃない? とおもった。真言はべつに真言宗にかぎったものではないのだとおもうが。というかふつうのサンスクリット語のお経と真言でなにがちがうのかそもそもわからんが。あと、しずかなパートのうちの一回で、「エェェェェェェェェエエエイ!!!!!」とたっぷりとしたクレッシェンドで声のボリュームをたかめていきつつ、手を(線香かなにかもっていたかもしれない)正面の祭壇にむけて突き出しながら叫ぶ、ということをやっていたが、葬儀でこういうことをやる坊さんもあるというのはときおり聞いたことがある。読経のあいだ退屈でうとうとしていた老人がこの叫びでびっくりして目をさます、などというはなしもよくあるはずだ(こちらもこの日、けっこうねむいようで、読経はながかったし、しばしば目を閉じて休みながら聞いていた。むかいの前列に座っていた男性のひとりもだいたい目を閉じていたし、母親があとで言っていたところでは、(……)くんも寝てたよ、とのことだ)。ほか、ふさふさした動物の尾みたいな白い毛がついた棒を左右に振ってなにかを祓うような動作をなんどかはさんでいたが、これも地元では見ない。
  • 目を閉じながら聞いていると、やはり鳴らしもの、鉦の音というのがたいしたもので、おおきなやつ(あのでかいやつも鉦といってただしいのかわからないが)を打ったときに倍音が一挙にふわーっとひろがっていき、ながくまっすぐ伸びたそのさきで読経の声とからんでふるえるさまなどなかなかたまらないものがある。ちいさなやつのキーンとひびくほそい倍音もよい。読経のあいだに焼香がおこなわれるわけだが、これもはじめて見る、回し香炉というやつがもちいられていた。キャスター付きの台座のうえに香炉がひとつ乗っていて、それを移動させて座ったまま順番に焼香するというかたちで、足が悪い老人とかにはよいだろうし、ほかのひとにしてもこれは楽でよいのではないか。焼香は三回やるという方式がもっとも一般的に流通している気がして、じぶんもまえはそれにあわせてそうしていたが、この日はゆっくりいちど撒くのみですませた。親族の焼香が終わると一般の会葬者の焼香で、これは回し香炉ではなく、こちらから見て左手のほうに、親族席との境のようにして焼香台が用意されてあったので、参列したひとが順次そこに出てきて焼香し、左右の親族席の端についていた(……)さん(喪主)と(……)さんが起立して礼をかえす。このときの(……)さんの立ちすがたが背すじを伸ばし胸も適度に張って、足もかかとをあわせつつ靴先をそれぞれ四五度くらい左右にひらいてじつにぴしっとしたものだったので、さすが元警察なだけあるなとおもった。
  • 葬儀にくわえて初七日の法要もまとめてすませるということで、読経はながくつづき、焼香も二度おこなわれた。待つあいだは目を閉じていたり、一般客が焼香するときにはいちおうそちらをむいてたびたびあたまをちょっとかたむけて会釈をしたり、あるいは反対の祭壇のほうを見ていたり。祭壇もそれなりに目をむけて観察はしたのだけれど、とくにめずらしい特徴もなかったし、描写がめんどうくさいので省く。式は二時くらいまでおこなわれたはず。終わると坊さんがちょっとはなし。いつも若くて、会うたびに何歳になりました? ってきいても、とてもそんな歳にはおもえないな、このまま一〇〇歳まで長生きされるんだろうなとおもっていたので、今回急に訃報をきいて、わたしもとても残念なんですけど、というようなこと。あと、良寛のことばをなにか引いていた。なんだったか? おもいだせなかったのでいま検索したらすぐに出てきたが、「花、無心にして蝶を招き、蝶、無心にして花を訪れる」というやつだ。しかし、どういう意味合いで、どういう文脈でこれが引かれたのだったか、それもおもいだせない。戒名の説明にまつわってだったか? 戒名は、「(……)」だったのだが、はじめの「なんとか院」のところがおもいだせない。そこの意味合いを言うときに、良寛が引かれたのかもしれない。
  • 終えて僧侶を合掌で見送り、そのあとは花を棺におさめて出棺へ。花をおさめるまえだったか出棺まえだったか、喪主からのあいさつとして(……)さんがものした。祭壇前のマイクのところまで行って第一声を発する時点からやや泣きの気配がまざっていたが、しかしとちゅうですこしことばを詰まらせることはあったものの、感極まってなみだをあふれさせることはなく、細部はふるえながらもぜんたいにおちついたようすでしずかにことばを置いていき、朴訥な調子でしゃべりきっていた。棺を霊柩車にはこぶのはみんなでやることがおおいとおもうのだが、このときは台車に乗せてスタッフがはこんでいった。発つまえに引換券を引き出物にかえ、親族たちは車へ。霊柩車は、兄が、ずいぶん地味なやつなんだねと言っていたが、うえに金色のおおきな飾りとかがついている一般的なイメージのやつではなく、全面真っ黒の、飾り気のない車だった。何台もの車がそのあとを追っていく最後尾にわれわれもつづく。とちゅう信号にやられてまえを行く列が見えなくなってしまったのだが、道なりなので問題がなかった。ついてみれば火葬場は、(……)じいさんのときにもたしかに来たなと、おぼえのある場所だった。車を降りると焼き場に棺をはこぶために男手がもとめられていたので兄とともに率先して駆けつけ、みなで棺を持ってはこぶ。そこでさいごの別れとしてふたたび読経のなかで焼香。そうして窯(といってただしいのか?)に入れて扉が閉ざされる。窯に入れてがしゃーんと内扉が閉まるときとか、外側の両開きの扉が真っ黒な点とか、いかにも終わり、お別れ、ということの典型的な表現だというかんじがあって、安直で下手くそな小説につかわれそうな印象。そうして控えの部屋で焼き終わりを待つ。部屋にうつったところで二時半くらいだったおぼえがある。ひとまずトイレに行った。そうして部屋に出ると、ソファ席のほうに老人方、座敷になっているほうに主に孫世代や若いほうがあつまっているようすだったので((……)くんはひとりだけソファのほうにくわわっていた)、じぶんも靴を脱いで座敷にあがり、ひとつのテーブルの隅に。兄や母親もそちらにはいり、あとは(……)さんと(……)くん。こちらのひだりとなりが(……)さん、そのむこうの側面に(……)くん、むかいに兄と母親という位置取りで、(……)くんがもっとはなしそうなものだとおもったのだが、(……)さんがあいだにいたからか、こちらとはなす機会はあまりなかった。トイレで放尿していたときに彼があとからはいってきて(彼はあいさつの一声がなぜか「まいど」なのだ)、眼鏡あたらしくした? ときかれたので、いやまえはかけてなかったんですよ、コンタクトはぜったい目にいれたくない、こわくて、などとちょっとはなしたくらい。あとは帰り際に、また、と声をかけてきたので、またいずれ、なにかの機会に、と交わした。
  • おにぎりと多少の菓子が出たのでそれをつまむ。その他兄や(……)さんとちょっとはなしたり、(……)とたわむれたり、(……)さんが(……)をトイレに行かせたくて苦労しているところにかれがこちらのほうをしめしたので、俺といっしょにいく? 連れションしようぜ、連れション、などといって同行し、(……)を便所に連れていくのを手伝ったりなど。(……)さんもいっしょに薄暗いトイレにはいり、(……)のズボンを脱がせてやって排尿をうながすのだが、(……)はなぜか小便をしているあいだ顔を振り向き気味にこちらのほうをずっとむいていて、それにつられてからだもちょっと横向きになるので、おまえそれじゃあはずれちゃうじゃん、まえ向きな、まえ、と壁のほうを指したのだけれど、(……)はやっているあいだずっとこちらのほうを見ていた。かれの用足しが終わってふたりが出ていくとじぶんも小便を捨てておき、もどってまた着座。スタッフによってうどんが配られたあたりで、そとに走りにいったりとうろついていた(……)くん(漢字はたしか(……)だったとおもうのだが、自信がないのでカタカナで記しておく)が、退屈しているようでだれかあそんでー、と言っていたので、ちかづいていき、こんにちはとあいさつしてその横に座った。俺のことおぼえてる? ときくと、おぼえてないというので、何年かまえにいちどだけあそんだけど、わすれちゃったね、と受け、ちかくにいた(……)くんが、(……)だよ、とこちらのなまえをいうのにあわせて、(……)です、と自己紹介しておいた。いま小五? じゃあ一一歳? ときけば、ついこのあいだの一〇日だかで一一歳になったというので、おめでとうございますとかえす。あとどれくらいで終わるの? とはやく帰りたいようすだったので、骨拾いってのがあって、いま焼いてるじゃん? で、骨になって出てくるから、それをみんなで箸でひろって壺にいれんのよ、そうしたら終わり、などと説明すると、つまんな! と男児はいうので、つまんなくはない、と笑った。ひとの死をまえにしたときの神妙さとか、曾祖母をうしなったかなしみとかはなかったようである。会う回数もそこまではなかっただろうし、かなしみをおぼえるほどの馴染みをつくれてはいなかったか。その後、うどんが配られはじめたので受け取って、(……)くんにもこれもらっときな、うどんだって、と渡し、じぶんの分ももらって、するとそろそろ焼き終わるという気配になり、そのまえにうどんなどを車に入れておこうとみんなそとに出はじめたのでこちらもそれに同じる。時刻は四時前、周辺にもはや陽の色はないが、すっきりと晴れた水色の空が白のつめたさを帯びはじめつつも墓地や林のかなたにあかるくそそがれている。それでおもいだしたが、葬儀場を出るときの天気が夢想的なくらいの良さで、山梨まで来るときには淡い雲もやや見られていたのだけれど、そのときにはもはや雲は一滴もなく、空中にまざり拡散した陽光の粒子があたりの空間をおおいつくしてけむらせるようにかすませるように大気を平等に色づけており、死ぬにも生きるにもおくるにもよさそうなうつくしき好天だった。火葬場の四時には山あいの空気がもうややつめたかったが、そとに出たままで待機していると、(……)くんが、(……)の家のほうはなんかタヌキとか出るんだっけ? などときいてきたので、さいきんは見ないですけど、こどものころとか見かけたことありますね、あと林をくだっていく坂があるんですけど、そこに猫じゃないとおもうんだけど、なんか夜にとおるといますね、とかえす。まえになにか写真を見せてもらったことがあるというので、鹿じゃないですか、とおもいあたった。家のすぐそばの林から鹿が顔を出したのを母親が激写したことがあったのだ。(……)くんは数年前になにかの折りでいちどだけ顔をあわせ、状況をまったくおぼえていないのだがかれの運転する車に乗ったことがあって(何台かに分かれて墓参りに行ったのか?)、そのときの風貌は髪もややもじゃもじゃしており髭もけっこう生やしていていってみればヒッピー風というようなものだったと記憶しているが、この日はみじかい髪をややなでつけた風で髭もなく、ずいぶんまじめな見た目になったな、という印象だった。そのほか、(……)くんがお菓子ぜんぶもらった! とたくさんのものがはいった袋を提げて意気揚々としているのに良かったねと笑ったり、母ちゃん(つまり(……)さん)と帰ったら野球をすると約束したと楽しみそうにくりかえすのに、どこでやんの? とか((……)さんの宅のまえ)、母ちゃん野球やってくれんの? アクティヴだな、とかおうじたりしつつ待つ。しかし(……)さんは、(……)くんが言い回っているのに、そんな約束してないよと困惑していたが。かれは野球はとにかく好きらしい。
  • そうしてちょうど四時ごろにふたたび焼き場のほうへ。台のうえに骨壷と骨が用意されてあったので、みなでならんで、ふたり一組で両側から箸をつかい、いまや骨と化した祖母の存在の断片を壺に入れていく。こちらは(……)さんとあたった。選択をあちらにゆだねようというわけで、箸を受け取るとどうしましょうかとようすをうかがったが、あちらもどれにしようかとつぶやきながらも、すぐにじゃあこれ、とちいさなやつに箸のさきが寄ったので、そこにすみやかにあわせて箸先を寄せ、いっしょに壺へとおさめた。みんながそれぞれおこなうと、あとは業者の男性がのこりをやってくれる。骨を入れ、台のうえにのこった粉も小箒できれいにあつめて壺にうつすあいだ、男性は、しっかりしてますね、何歳だったんですか?(九一) それじゃあしっかりしてますね、けっこう内臓がちゃんとしてるとかえって燃えないことがあるんですよ、火がとどきにくかったりしてね(祖母は内臓はボロボロだったので、うまく燃えたようだ)、などとはなしていた。
  • そうしてさいごに(……)さんがひとこと述べて終了。散会。おのおの車へもどる。われわれ三人はなぜかおのずと車を出す番がさいごになり、去っていくひとびとにありがとうございましたと声をかけて別れることをくりかえした。このとき、(……)くんなど(……)さんの一家と、(……)さんに(……)くんとはすぐちかくでことばをかわせたのだが、(……)の(……)さんとその子ふたりはすこしはなれたところでもう車に乗ろうとしていたのを、声をかけにいこうかとまよいながらもまあいいかとめんどうがって捨て置いてしまったのだが、きちんとあいさつしにいっておいたほうがよかったかもしれない。子どもふたりはほぼ面識がないにしても(幼少時いらいではおととしだかに祖母が九〇になるのを祝ってあつまったときに、二〇年ぶりくらいに顔をあわせたその機会のみだ)、(……)さんはそこそこ会っているわけだし。くわえて母親によれば、(……)さんは長男の嫁にあたるたちばなのにあまりそれにふさわしくふるまうことができないみたいなことをもらしてもいたというので(LINEなんかでもそう聞いたようだし、先日電話がかかってきていろいろ愚痴りあったようだ)、承認の意味でもきちんと礼を言っておいたほうがよかったかもしれない。
  • われわれも出車して帰路へ。職場に土産というか、急遽休むことになってしまった詫びとして、「(……)」でなにか買っていくつもりだったので寄ってもらった。母親と兄も降りて、おのおの買うという。入店。(……)
  • その後、(……)駅までおくってもらって降車。車で帰ると苦痛なほどにつかれるので、ひとり電車で帰るのだ。兄も電車だが、あちらは(……)までおくってもらうというので別れ。年末に子どもを連れてくるかもとのこと。駅内にはいって改札を抜け、ホームの先頭のほうへ。時刻は四時半。みあげれば枝ぶりの黒い影を空にきざみこみつつこずえの先端のほうはやや溶けあったようになっている裸木の列から鳥が飛び立ってうろつき、そこから横にひろがっている西の空はほとんど青味もかんじとれない黄昏前の白い澄明さにまっさらで、夾雑物はひとひらもなく、みつめていれば眼球表面をうごめき行き交う微生物のすがたすら見えてきそうなほどきれいになにもなく、ただ色のみがそこにはあるのだった。溶けこむようなあいまいな雲がいくらかさざなみめいてゆるくながれており、ほのかな薔薇色がそれにふれる瞬間もあったが、分刻みで暮れがすすむとともにやがて無色におちついた。
  • やってきた(……)に乗り、着席して瞑目。めちゃくちゃに、ひたすらにつかれていた。さいきんおぼえがないくらいの疲労感だったのでとにかく休む。(……)までずっと。あたまがまえに落ちた時間もたびたびあったとおもう。乗り換えるとだいぶ回復していた。ここでは席があいていなかったので扉際に立ってやはり目を閉じながら待ち、とちゅうでわりと気力がもどってきたので『ボヴァリー夫人』をとりだして読んだ。そうして(……)まで行き、さらに乗り換えて地元へ。さむい夜道をあるいて帰宅。
  • 休息。食事はもらってきたうどんがさっそく茹でられた。稲庭うどんで、なかなかうまい。食後の夜は日記をすすめることに邁進。一一日から一四日までしあげて投稿し、きのうの一五日のことも多少つづった。一一日にやたら手間がかかったので、ほかの日はわりとやっつけしごとだが。