2022/2/20, Sun.

 いかにも、わたしは愛に生きた女性を呼んだ。しかし呼ばれて、ひとりだけが来るわけはない。貧しい墓の中から若い娘たちも来てそこに立つはずだ。呼んだからには、その声の届く先をどうして限ることができるだろうか。没した者たちはいまでもなおこの世を求めているのだ。さて、夭逝の子たちよ、この世でただ一度摑んだものは、多くの体験と同等なのではないか。運命を幼少期の凝縮以上のものと思わぬがよい。君たちはしばしば恋する相手をも追い越したではないか。至福の疾駆を求める息となり、無へ向かって、開かれた境へ翔け抜けようとして。

 この世にあったということは、大したことであるのだ。君たちはそのことを知っていた、娘たちよ、窮乏のうちに没したかに見える君たちも。そこかしこの都市の、最悪の裏町にあって、吹出物に覆われ、汚物からも隔てられていなかった君たちこそ。彼女たちの誰にとっても、存在と言えるものを持ったのは、生涯にわずか一時間、おそらくまる一時間にも足らず、時間の尺度では測れぬ、時間と時間とのはざまほどの間にすぎなかった。そこにすべてが、存在に満ちた血脈が集まったのだ。ただしわれわれは、隣人が微笑みな(end205)がらしかし請け合ってはくれなかったことを、あるいは妬んで言わずにおいたことを、とかく忘れる。この上もなく明らかなはずの幸福がそれでも、われわれがそれを内で変化させるのを待ってようやく、われわれの前にあらわれる、その機を明らかに挙げて示そうではないか。

 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、205~206; 「22 ドゥイノ・エレギー訳文 7」)



  • 「読みかえし」: 490 - 491
  • 六時まで夜ふかしをしたため、起床は一二時半すぎとさすがにおそくなってしまった。しかし滞在で言ったら六時間半ほどだから平常ではある。きょうの天気は曇り。陽の色はまるでなく、白けた薄暗さに寄っている。瞑想ははぶいて上階へ。ゴミを始末し、急須から茶葉も捨てておく。食事はさくばんのあまりもの。マグロかなにか魚のソテーや、白菜などを炒めたものである。食卓に食べるものをそれぞれはこび、椅子につくと食べはじめながら新聞をチェックした。一面にはきのうニュースでみかけたバイデンの発表の内容がつたえられている。現時点でプーチンが侵攻の決断をくだしたと確信している、というやつだ。米当局者のはなしによると、国境付近の軍隊のうち四割からはんぶんくらいは攻撃態勢をとっているという。東部でも親露派による砲撃が増えているらしく、かれらはウクライナ政府軍に攻撃されていると主張しているようなのだが(親露派が攻撃すれば政府軍はじっさい、たしょうの反撃くらいはするとおもうが)、これは攻撃の口実をつくるためのロシアの古くからのやりくちであるというのが米国のかんがえだ。国境地帯で工作してなにかしらの騒乱を起こし、ロシア系住民の保護を名目に進軍するというのが順当にかんがえられうるシナリオらしい。
  • テレビは録画された有吉櫻井の『夜会』。山崎育三郎というミュージカル俳優が出てキーボードを弾きながらたにんに曲をうたわせたりじぶんでうたったりしていたが、さすがにミュージカルのひとだけあってふつうのはなしごえからしてしっかりしているし、うたったときの声質やその太さひびきかたもきわだっていた。食後は母親のぶんもあわせて食器を洗い、風呂場へ。洗剤がそろそろとぼしい。つかっているのは「ルック」だが、詰め替えでずっとおなじ容器をつかいつづけているので、たぶん射出機構のなかがちょっとこわれているか汚れているかしているのだろう、洗剤がなかなか出てこずうまく飛ばない。ひとまず水を足してかさ増しすることで対応しておいた。出ると緑茶をつくって帰室。ウェブをちょっと見つつ茶を飲み、それから「読みかえし」。きょうはひさしぶりにOasisの2ndをながした。みじかく終えて便所に行き、クソを垂れると、白湯を一杯コップに入れてきてここまで記述。もう三時をまわっている。
  • いま八時。さきほど、きのうの日記までしあげて投稿できたのでよかった。さいきんはだいたい数日のおくれが発生してしまい、満足に書けないやっつけしごとをまじえつつ休日に一気におくれをとりもどすというパターンになっている。それでもまあ書けていればひとまずよいのだが、やはりできればこのながれを断ち切りたい。
  • 五時をまわると上階に行ってアイロン掛けをおこなった。母親はすでに台所にはいってジャガイモのソテーの準備をしている。こちらがまだアイロンをかけているあいだ、五時二〇分ごろにすべてしあがったらしく、はい、これでおしまい、と言っていたので、なかなかすばやくて勤勉なしごとぶりだなとおもった。それからしばらくしてじぶんもアイロン掛けを終え、シャツやズボンを階段のとちゅうに配置しておき、じぶんのワイシャツは自室外のスペースにもちかえって吊るしておく。夕食までのあいだになにをしたのかおぼえていないし、この日でおぼえているのはあと父親が帰ってきたこと、ギターをいじったこと、風呂を出たさいに北京オリンピックの閉会式がテレビに映っているのを目にしたこと、書抜きをしたことくらいだ。書抜きのうしろにはNina Simone『Feeling Good: Her Greatest Hits And Remixed』というアルバムをながした。diskunionのジャズ新譜ページをみていたら載っていた最新のベストアルバムで、こちらはぜんぜん知らないが著名らしいDJらによるリミックスもはいっているというのできいてみたが、二枚組でながいし今回はリミックス音源までたどりつかなかった。ながし聞きのかぎりでよかったのは”Black Is The Color of My True Love’s Hair”、”Ain’t Got No / I Got Life”、”Love Me or Leave Me”、”Strange Fruit”あたり。”Love Me or Leave Me”は作法としてはジャズで、ピアノトリオでの弾き語りなのだけれど、Simoneのソロのフレーズの組み方はよくきくジャズのそれというかんじではあまりなくてちょっとおもしろかった。五〇年代とか六〇年代のジャズのやりかたの基本というのは要するにバップで、六〇年代はまたちょっとちがうものがあるとしても、モダンジャズはわりと音を均等に詰めていくことがおおい音楽なのだが、ここでのSimoneのソロはそういうバップ的なながれかたよりも緩急がおおきく、空白をひろくあけたかとおもえばしばらくこまかいフレーズを詰めこんでまた休む、というふるまいを特徴的にもちいていたし、ちょっとクラシカルな雰囲気の、指練習的なフレーズをおもわせる整然としたひとつながりもあった。Nina Simoneはイメージとしてはめちゃくちゃブルージーな印象だし、じっさい歌や音楽はあきらかにブルースのながれだが(Bessie SmithやBillie Holidayを踏まえている)、この曲のピアノソロのかんじは、たとえばModern Jazz Quartetというなまえをあたまに浮かばせるようでもあった(といってMJQもそんなにきいたことがないが)。検索すると五六年だったかの『Little Girl Blue』というアルバムにはいっているらしかったが、しかしもうひとつ、六五年だったかの『Let It All Out』でもこの曲をやっているようで、ベスト盤に収録されたのがどちらの音源なのか確認していない。前者はJimmy BondとAlbert Tootie Heathのリズムで、ベツレヘムレコードから出したとあった。
  • 書抜きは『ガンジー自伝』を終わらせて、いま読んでいる松戸清裕ソ連史』にはいった。書抜きを切りにしたあと、午前一時ごろに日清のカップヌードルを用意して夜食。からだにわるいとはわかっているし、あしたは午前から通話もひかえているのでさっさと寝るべきなのだけれど、どうしても夜をすごしたい気持ちがあって、そうするとエネルギーがからっぽのからだでいるのもさむいしふるえるしでなにか食べたい。上階に行くときついでに下階の洗面所に置かれてあるトイレットペーパーの芯がたくさんはいった袋をもっていき、雑紙用の紙袋に始末しておいた。入浴中には排水溝カバーから髪の毛をとり、網目のあいだにこびりついた洗剤の滓らしきものをこすってきれいにしておいた。夜食を取ったあとはしかしせっかくエネルギーを補給したのにかえってからだが重くなるようで、布団をすこしかぶって書見をしているうちに意識をうしなっていた。めちゃくちゃ空腹だったところに塩気のつよいものを入れたからかえって負担になったのではないか。気づくと三時二七分だったのでそのまま就寝。