2022/3/28, Mon.

 [農業] 集団化に際しては、スターリンの唱えた「階級闘争激化論」(社会主義に向かって進めば進むほど階級闘争は激化し、階級敵に対する抑圧は強化されるとする主張)が、農民に対する抑圧を正当化する役割を果たした。穀物調達が進まないのも、自発的な集団化が進まないのも、階級敵(この場合はクラーク)の穀物隠匿や妨害のためであるとされ、問題が生じるたびに新たなクラークが見出だされた。
 ソヴェト政権が農民に対してこれほど過酷に対応したのは、歴史的にロシアでそうだったように、農村部における統治機関は広大な領域に薄く展開されざるを得なかったこととも関係していたと思われる。一九三〇年代半ばになってさえ、人口四~五万人の平均的な農村地区にソヴェトの有給の職員は約一〇〇人しかおらず、そのうち地区中心地で働くのは四〇人で、残りの六〇人は地区内の村ソヴェトで働いていた。地区には平均してそれぞれ約二〇〇〇人の住民をもつ村ソヴェトが約二〇あったから、単純計算で村ソヴェトに有給の職員は三人ずつしかいなかったことになる。この他に無給の村ソヴェトの代議員や党(end33)員集団がいたことを考えても、農村の統治機構は極めて貧弱であり、それが故に、農民の一切の抵抗を封じ込める過酷な対応が必要と考えられた面があったと言えよう。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、33~34)



  • 七時台におのずと目がさめた。ねむっていたのは四時間程度。あまりにもはやい。しかしさくばん寝るまえに深呼吸をしていたために、めざめはかるく、からだもまとまっていた。とはいえさすがにみじかいので目を閉じながら待機していたが、二度寝をもたらすねむけはやってこない。八時半でおきあがった。こんなはやい時刻に離床したのはかなりひさしぶりのことである。これを機に朝方の生活に転換したいところだ。水場に行ってきてアレグラFX一錠を飲み、顔を洗ったり小便を捨てたりしてくると、きょうもさいしょに書見することにした。レベッカ・ソルニットを読み終わったので、きのうからトーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(新潮文庫、一九六九年)の下巻にはいっている。なかなかおもしろい。下巻は第六章からなのだが、それが三〇〇ページくらいあり、つづく第七章が三八〇ページくらいでそれで全篇終了なのだが、下巻からいっそう筆が乗っているようにもかんじられる。これまでにも話者はたびたび語りのとちゅうで顔を出してきてはいたが、下巻のはじめのうちはそれがさらにひんぱんになって皮肉をさしむけたり、話者が語りをパフォーマンス的に演じているようにかんじられるところもあった気がする。ぜんたいにやはりユーモラスな感触がぽつぽつ手にのこるもので、意図してかせずにか、滑稽さをもたらす微細点がたびたびしこまれている。このとき読んだ範囲でついにナフタが出てきた。上巻のカバー裏のあらすじによれば、「独裁によって神の国を樹立しようとする虚無主義者ナフタ」ということで、ここだけ読むと要素盛りすぎでしょみたいな人間像になっている。セテムブリーニの同宿人で、古典学の教授で当地の高校でおしえているという設定。ふたりのあいだで思想や人間性や国際政治などについて高尚な議論が綿々とかわされるのにハンス・カストルプがときどき口をはさむ(そのあいだヨーアヒムの発言はない)。
  • 一〇時まで読み、瞑想した。きょうは寝床からみあげた空に雲が一滴もみあたらなかった青の快晴で、気温もたかく温暖である。風は砂漠をしずかに吹いて砂の表面をふっとわずかにさそいあげるような、かわいてかるいながれとしてときおりやってきて、カタカタという音をどこかに生みながら、部屋のなかというよりはこの家じたいをとおりすぎていくようにかんじられる。しかし終盤ではもっと厚くなり、とおくちかくでうねっているのがききとられ、家に直接あたってはこないが窓外ちかくの草を鳴らしているのももちろんわかり、巨大な蛇がすばやく這いまわっているような調子であたりにうごきの気配を撒いていた。一〇時二五分くらいまで静坐。
  • 部屋を出て父親にあいさつをしつつ階上へ。ジャージにきがえる。南窓のむこうでは近所の家屋根が快晴のひかりにおそわれて板状にうちのばされたきらめきやかがやきを乗せており、てまえの一軒は平らでひとつながりのすべらかな白さだが、(……)さんの家の屋根ではこまかな襞におうじて白さは粒と転じかたよりをもち、極小の起伏を無数にたたえた川の水面の、ただしその起伏のまま揺動を禁じられて凍りついた様相にひかりが乗ったかで、その白点の集合は素材とかかわりなくいろそのものによってざらざらとした質感を目にあたえるのだった。
  • きのうのカレーをつかったドリアが冷蔵庫にあったがそれはのちほど出勤前にまわすことにしてきょうもハムエッグを焼いた。そのほかやはりさくばんのあまりもので、キャベツやニンジンや大根などを細くしてまとめたサラダ。胡麻だれ的なドレッシングをかける。新聞をみるに一面でバイデンがポーランドを訪問し演説したという報が載せられてあり(二三日からヨーロッパに行ってベルギーとポーランドを訪問)、プーチンにかんして、この男を権力の座につけていてはならないと激しく弾劾し、ロシアは民主主義をにぎりつぶそうとしている、自由を愛する国々は今後何十年にもわたって結束をかためなければならない、などと述べたとのこと。権力の座うんぬんという発言にかんしては、ロシアの体制変更をもとめたものではないかという反応がひろがって物議を醸したとかいい、ホワイトハウスは、大統領の発言はプーチン政権の変更をもとめたものではなく、ロシアのちからによるウクライナ侵略はゆるされないという趣旨のものだと釈明に追われたというのだが、ふつうにことばどおりに読めばプーチンは大統領をつとめていてはならないと言っているのだからその職はかれではなくだれかほかの者がつとめるべきだということになるし、バイデンだってさすがに暗殺しろとかは言わないにしても、プーチンがなんらかのかたちで排除されたらありがたいとおもっているに決まっているだろう。アメリカには諜報機関だってあるのだから、裏では人員が暗殺をねらってうごいているのかもしれない。プーチンだってそれを警戒して、さいきんはどこかに移動して身をひそめていたはず。
  • ロシア軍は東部攻略を中心とする方針に転換したところだが、攻撃は各地にもおこなわれており、西部リビウでは石油貯蔵施設がねらわれたり、またハリコフでは原子力研究施設がまた攻撃されたという。攻撃のために電源復旧や不発弾の処理ができていないらしい。各地でウクライナ市民を避難させると称して強制的に連行してもいるらしく、マリウポリでは病院関係者や患者がそうされたと。
  • 父親はため息をもらすような調子で外出準備をして、山梨に出かけていった。食事を終えると台所に皿をはこび、乾燥機のなかの食器を戸棚にもどして、ハムエッグを焼くのにつかったフライパンに水を入れて火にかけてから洗い物をした。そのまま風呂洗いも。洗濯機に残り湯をくみこむためのポンプのさきのほうを小型ブラシでこすっておいた。その後もう使い古してスポンジがひび割れているブラシをつかって浴槽を洗い、出てくると白湯を一杯持って帰室。Notionを準備し、ここまできょうのことを記すといまちょうど正午になっている。きょうは労働のために三時ごろには出る。きのうのことをいくらかでも書きたいがどうか。
  • 「英語」: 282 - 300
  • 「読みかえし」: 602 - 610
  • 音読した。三〇分ほど。それからベッドにころがって脚を揉みつつ(……)さんや(……)さんのブログを読んだ。(……)さんのブログに蓮實重彦の『表層批評宣言』の一節がひかれているが、そのなかで「わたくし自身をも含めて」ということばづかいがされていて、蓮實重彦はこのころから「わたくし」という一人称をつかっていたんだなとおもった。ネット上にころがっている早稲田文学川上未映子との対談記事で、一人称というのはどうもつかいたくなくて、論文なら「われわれ」と言うのがならいだけれど、もうそんな、「われわれ」なんて歳でもない、古井由吉さんの小説を読むと一人称の回避のしかたがけしからんほどうまくてまったくほれぼれする、どうしたもんかとおもっていたところに川上さんの『わたくし率 イン 歯ー、または世界』を読んで、これをまねちゃえ、っておもって、それで「わたくし」と書いちゃったんですよ、とかはなしていた記憶があるので、比較的さいきんつかいはじめたものだとおもっていた。

 われわれの知覚や思考は、原理的に私たちの外部にあると知覚し思考する対象に向けられています。通常はそうした外部対象をさらにいかに細かく分離(分ける)できるかが、理解(分かる)することの基礎であるのです。仏教の教説に対しても、迷いと悟り、悟りと修行、修行と迷い、生と死、仏と衆生という区分をして考えるのがわれわれの思考です。これは知識として「縁起」を理解しようとしているのであり、それが「現成公按」巻冒頭第1文で示されていることだと言えます。
 しかし、私たちを含み決して客観的に分離することができない、実際の「相互影響しあう世界の実相」である「縁起」の世界にすでにいることを踏まえると、第1文で示された仏教の教説も、私たちの局部的な知識にすぎないことになり、教説の区分自体の独立性が無くなってしまうのです。それが第2文で示された「まどひなく、さとりなく、諸仏なく、衆生なく、生なく、滅なし」です。私たちは自分たちがすでにその一部である世界全体を思考できず、知覚することができません。特に知覚としては無であり闇であり、それを無理に思考しても、それは結局、さらに「生命の実物」の現実から離れた、勝手なでっちあげを各自の思考において行ってしまうことに過ぎなくなるのです。そのようにして、第1文と第2文、言い換えれば、「私たちの思考」と「仏のさとり」とを接続する方法は無いことになるのです。しかし道元禅師は、両者の性質の差を踏まえながら、その両者をともに「実現」していく方法があると考えました。それが「現成公案」、「公案の現成」であって、第3文に示されたことがらでした。
 そのように考えると、「仏のさとりとわれわれの思考とが接続できる場所」という先回の私の翻訳は、「接続できる」という点が翻訳として不正確であることがわかります。「接続する」という言い方は、「仏のさとり」を客観的なものと見て、私たちの独立した主体を残したまま、そこに働きかけようとしているからです。求められるのは、「仏のさとり」にすでに内在している私たち、しかもそれを知覚できない私たち、ということを認めながら、好悪、善悪といった「思考」の分別をしてしまう私たちのありようをも否定せず、その両者をともに実現することです。それが「仏道」であると第3文で言われます。これが坐禅修行の眼目となるわけです(「公案(按)」の本義は、奥村老師によれば、縁起による全体性の世界〔公〕と思考による個別の世界〔案=按〕を示すとされます。つまり「現成」と「公案(按)」とは、全体と個別の総体を示す、同義語と解釈されています)。
 「私たちの思考」では、それまで存在していない(と信じる)ものに「成ろう」とし「成らせ」ようとする方向性を持ちますが、一方「仏のさとり」では、世界の実相としてすでに私たちを包含している「現在ある世界」に私たちが(私たちという個別性が解体されるかたちで)「ある」ことそのものを認めることを主眼とします。ですからこの両者をともに実現することは、「あることに成る」というありようを目指すことになります。それは外部的、対対象的に動く動きではなく、内部的であり、かつ、対対象的であることをやめるような働きとして実現していきます。これが「現成」であり、「公案(按)」であることです。
 このことは、内部的であることを徹底させているという意味で「自受用三昧(じじゅうゆうざんまい)」と呼ばれます。すなわち坐禅において現成されるありさまです。このようなありさまを目指す場合に、「私たちの思考」もまた、外部的ではなく内部的に、主体の対象への働きかけではなく、主体と対象とのあいだで働く働きかけそのものへの着目へと重点をシフトすることになります。外部的で対対象的である思考から、内部的で対対象的であることを放下する思考へ。(……)

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 坐禅という行為を言葉で理解し表現しようとすると、必然的に坐禅を矮小化し、限定し、貧しいものにすることになるのです。そんな言葉のトラップに南嶽や馬祖のような本物の禅者が無自覚なはずがありません。「思いでは思うことができず、言葉では言うことができないことをやるのが坐禅である」という澤木興道老師の言葉があります。坐禅という行為は思いや言葉という有限の入れ物には収めることができないのです。しかし、そういうどうやっても無理なことをやってしまうのがわれわれ人間というものです。そのことで思い出すのは、詩人のまどみちおさんの「そもそもアリや菜の花ちゅう名前自体、人間が勝手につけたものですよね。われわれが社会生活をする上では名前がなくちゃ困るけれど、名前で呼ぶことと、そのものの本質を感じることは別なんじゃないでしょうか。なのに『あ、チョウチョだ。あれはモンシロチョウか』と思った瞬間たいていはわかった気になって、その対象を見るのをやめてしまう。どんな存在も見かけだけのものじゃないのに、人間はその名前を読むことしかしたがらないんですよね。本当に見ようとは、感じようとはしない。それはじつにもったいないことだと思います。」(『いわずにおれない』集英社be文庫)という指摘です。「坐禅とはこういうものである」という理解は、それがたとえ正しいものであっても、その理解と坐禅そのものとは天地懸隔なのです。その「こういうもの」は坐禅の一面ではあっても全面ではない以上、その理解の範囲にとどまって、坐禅を「本当に見ようとは、感じようとはしない」とすれば、「それはじつにもったいないこと」です。坐禅という行為の当体はいつでもその理解以上のものだからです。これはチベット語の表現らしいのですが、坐禅は「『ここ』と言って指を置くことができない」ことなのです。指を置いている「ここ」は確かに「それ」の一部ではあるのですが、「ここ」以外の指の置かれていない領域が無限に広がっているからです。「それ」のどこに指を置いても事情は同じです。このたとえの「それ」が坐禅の実物であり、指が言葉にあたります。

  • 一時くらいからなにをしたのだったかわすれたが、どこかで洗濯物は入れにいった。いつの間にか曇って空が白くなっており、そのくせ風はつよくたびたび吹き盛るので、あまりかわいていないのではとおもっていたがやはりそうで、バスタオルはいいかなという手触りだけれどふつうのタオルやほかのものはどうもしゃきっとしないので、母親が帰宅したあとにファンヒーターであたためてもらうことにしてハンガーからはずしてそのまえに設置しておいた。あと、タマネギとネギの味噌汁をつくったのだった。ほんとうはおかずも一品やりたかったがあまりよい材料がなかったし、猶予もそんなになかったので断念。
  • 三時すぎに出発。徒歩。きのう買った贈呈用の菓子の紙袋をふだんのバッグにあわせてもった。それなので両手ともふさがって、からだの左右に荷物を提げるかたち。空は文句なしのかんぜんな曇りに移行しており、ひかりの感触もなく幾層か塗られているようでよどみ、ばあいによっては雨がまた来てもおかしくないとおもわれる風情、もしそうなったら贈呈品が濡れてしまうからまずいが傘はもたなかった。みちを行くと坂道の入り口あたりに白と橙褐色の混ざった猫が一匹いて、こちらがすすんでいくあいだにちょっと移動してみちばたのガードレールのもとにたたずんだ。ちかくなるとたちどまって数瞬のあいだみつめてみたが、逃げるようすも、かといって寄ってくるようすもない。さきをすすもうと足をうごかしはじめたと同時に猫はんにゃあああ、とながい鳴き声を出して駆け出して、ガードレールの端からそのしたの花壇に下りることのできるあいまいなほそい坂にはいっていったが、こちらも坂道にはいりながらふりむいてみると、そこにもう一匹、黒い猫がいて二匹は相対しているのだった。つがいなのか、それとも求愛して関係をつくっているさいちゅうなのか、とおもった。
  • 道中、みちばたでユキヤナギが花をつけて白さをひろげはじめているのをみかけた。この時季にみる花ではユキヤナギがいちばん好きかもしれない。梅や桜もときによってふつうにきれいだとはおもうし、とくに桜などそれはそれでおもしろみもあるが、ユキヤナギのほうが目にしたときにこころひかれるというか、ちょっとうれしくなるようだ。とりわけ旺盛に繁茂して野放図に八方へとひろがり伸びたモジャモジャのドレッドヘアーみたいになっているのが風にゆらいでいるのをみるのが好きである。ユキヤナギの花はひじょうに微小でぷちぷちとしたかんじのつきかたをしており、単体でみるとあまりにもシンプルなかたちをしているそのたんじゅんさがまずよいのだが、それが無数に群れてつらなりいくつも房をなして、びしゃーっとまきちらされた飛沫のように豊穣かつ無秩序な様相を呈するあのすがた、たんじゅんさのきわめてたんじゅんで愚直な集積が奇矯な複雑さに転じているあの過剰なありかたがすばらしい。
  • (……)のとちゅうで裏道にはいり、ひだりに折れてみちの北側に二軒目の家では庭にモクレンらしき樹が立っており、それがいまピンクともむらさきともいいがたいどちらも混ざったいろあいの花をひらいているときで目にあかるく、花弁はおおきな貝殻をくみあわせたようでもあり、またところによって桃紫がみえところによっては白い面となっているすがたは花というよりはぶぶんぶぶんで皮を剝がれたりつけたままだったりの果物のようでもある。ただ、みちをもっとさきまでいったところにあるハクモクレンの記憶と比して、花のかたちがすこしちがうようにもみえて、あれはモクレンだとおもっているのだがほんとうにそうなのかなという疑問も湧いた。なにかがすこしだけちがう気がするのだが。そのハクモクレンはといえば、この日とおるともうピークをまわって花がいくつも地に落ちており、すぎざまにあしもとに目をやれば白い花弁の端やあるいはおおかたが火に炙られたようにアーモンドいろに焦げているれいの様態がころがっていた。木のしたに高年の男性がひとりいて、たぶん花びらを掃除していたのだろうが、家のひとだろう。なかなかたいへんだとおもう。
  • この往路も(……)に寄ってトイレを借りた。みちを二〇分くらいあるくとだいたい小便がしたくなる。施設裏手のみちからみえる(……)の枝垂れ桜は、ついせんじつまでまだうっすらといろをただよわせるのみで花ひらいてはいなかったはずだが、この日もう開花してほそい水流のような薄紅のいろの落下となっていた。それはそれでわるくはない。ただ、この枝垂れのすこしひだり、線路のむこうでそのしたに一軒の小家を置いているべつの桜が林の縁に顔を出しており、その花のほうが薄紅のいろみに白さがおおく、やや甘いようで浮遊感がつよいので、じぶんとしてはそちらのほうが好みのようだ。
  • 労働(……)。
  • そういえばこの日は勤務後はめちゃくちゃ疲れたかんじがあったし、労働中から疲労感はあって、パフォーマンスもあまりよくなかったようにおもう。なんか座席をはなれてものをコピーしに行ったりするときなど、その移動時の感覚でどうも疲れているなというのがわかるような。これはまずたんじゅんに、睡眠がみじかかったというのがおおきいのだろう。起きたときには明晰でいちにちの序盤は支障をかんじなくても、やはり後半になってくるとからだがもたないわけだ。あとはたしか出勤前の瞑想もできなかったはずなので、それもたしょう影響したとおもう。