2022/7/7, Thu.

 娼婦を除けば、街を自由にさまようことが許された女性はほとんど存在しなかったということ。そして、女性が街をさまようことがそれだけで娼婦とみなされるのに十分な振舞いだったということ。こうしたことはあらためて検討するに値する問題を孕んでいるが、ここでは街路、そして夜の彼女らの有り様についてコメントするにとどめる。ほかのどのような歩行者にも増して、街路と夜は彼女らが自然な住人となる領域だった。二十世紀以前には女性が自らの楽しみのために街を歩くことは滅多になく、娼婦は自らの経験したことをほとんど記録に残さな(end300)かった。十八世紀は娼婦を題材とした有名な小説がいくつか書かれる程度には明け広げな時代だったが、ファニー・ヒルの高級娼婦生活は屋内が舞台だし〔ジョン・クレランド『ファニー・ヒル』〕、モル・フランダーズのそれはあまりに事務的にすぎる〔ダニエル・デフォー『モル・フランダーズ』〕。しかも、いずれも男性作家の手によるもので、推測が入り込んでいることが否定できない。しかし、街角を仕事場にする者の複雑な文化は現代と同じく当時も存在していたに違いなく、街にはそれぞれに治安と男性的欲望の経済が描きだす地図があった。その種の活動領域を局限しようという試みは数多い。ビザンツ時代のコンスタンチノープルには「娼婦街」があり、東京には十七世紀から二十世紀にかけて遊廓が、十九世紀のサンフランシスコには悪名高いバーバリー・コースト地区があった。世紀の変わり目のアメリカでは多くの街に歓楽街があり、そのうちでもっとも知られたものはジャズの発祥の地ともいわれるニューオーリンズのストーリーヴィルだ。けれども、売春はこうした地区からさまよい出してゆく。売春にかかわる女性の数も莫大だった。ある専門家は、ロンドンの人口が百万だった一七九三年にその数は五万にのぼったと推測している。十九世紀の半ばごろには、ロンドンでもっとも高級とされた地区にもその姿があった。社会改革運動家ヘンリー・メイヒューの報告にはロンドンの公園や遊歩道で商売する女性にくわえて、「ヘイマーケットとリージェント・ストリートをまわる娼婦」も指摘されている。
 二十数年前、ある売春の研究者は次のように指摘した。(end301)

売春からみえる街の風景は、〈縄張り [ストロール] 〉、すなわち女が客引きするだいたいの領域から構成されている。……娼婦はこの〈縄張り〉を移動しながら客を誘ったり引っ張ったりし、あるいは無聊を慰め、動くことで体を温め、さらには(警察から)姿を隠すのである。こうした街並みの一部にはいわば公園のような、誰でも入れる領域があることが多い。女たちはここで二人から四人くらいのグループをつくり、お喋りをしたり冗談を言いあったりする。……同じ〈縄張り〉で仕事をすることによって、違法でときに危険でもあるこの仕事に必要な注意深さを補うのである。

 娼婦の権利擁護を唱えたドロレス・フレンチは、自身も街角に立った経験もふまえて、街の女 [ストリート・ウォーカー] たちは「娼館で仕事をする女はあまりに多くの規制やルールに縛られていると考えている」と報告している。その一方、街路は「誰もを平等に受け容れる……。彼女たちは、自分たちがまるで放牧場に解き放たれたカウボーイか危険な任務を帯びたスパイのように感じている。自分たちがいかに自由か、ということを自慢する……自分自身以外には従うべきものが誰もいないのだと」。ここでも、自由と民主制と危険という、街路で行なわれるほかの活動と共通のフレーズが登場する。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、300~302; 第十一章「都市――孤独な散歩者たち」)




  • 日記読み: 2021/7/7, Wed.

あと、イギリスがロックダウンを解除すると。デルタ型が蔓延していていまも一日二万人くらい感染者が出ているのだが、死者はおおくて二〇人くらいだから重症者の爆発的増加は避けられるだろうと見込んで、国民の閉塞感を緩和するほうを取ったと。ジョンソンは、感染対策は国民ひとりひとりの判断にゆだねると言って、マスク着用とかイベント開催の規制とかもなくなるらしいのだが、もちろん、まずいのでは? という声もある。イギリスはもう国民の八割が一回目のワクチン接種をすませて、六割は二回目もすませているとか。しかし、おなじページにちいさな記事で、ファイザーのワクチンだとデルタ型にたいしては感染抑制力が三割くらい下がるという報告もあったので、まだまだつづくはず。全世界でもっともはやくワクチンの普及に成功して余裕をぶっこいていたイスラエルでもまた感染が増えているらしいし。

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帰り着くとしばらく休んで食事。夕刊の追悼抄にまた立花隆が出ていた。なにかのことについて文章だか本だかを書くなら、その一〇〇倍の情報をインプットしないと、と言っていたという。また、記者が、どれだけ勉強しても果てがなくて絶望的な気持ちになりませんかと訊いたところ、いや、大海の水をすべて飲み干そうとはおもいませんよ、ニュートンも、私は広大な砂浜でたまたまきれいな貝殻をひとつ見つけたにすぎないと言っていた、でも世界のひろさを知っているかどうかで、人間の成熟みたいなものがちがってくるんじゃないですかね、と語ったらしい。この言には同意する。みずからの矮小さを知ることが知性と思考の第一条件であり、それを受け入れることが倫理と行動の第一条件だとおもう。

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レス・バック/有元健訳『耳を傾ける技術』(せりか書房、二〇一四年)より。

  • 181: 「つまり、彼女たちの人間性や主体性を否定することなく、ジェンダー的、人種的に意味づけられた風景として都市の複雑性を考えることがいかに可能なのかということだ」
  • 182: 「レンズがただ一方通行にまなざしていると考えるのは間違っていると私は思う。これらの写真の中の人々は見返している。彼ら/彼女らは私たちを見つめ返しているのだ。この意味でカメラは通りに面した窓のようである。窓の中から通りが見える反面、通りからも窓の中が見えるのだ。おそらく窓はレンズに少し似ているのだろう。私たちが都市を歩くときにはお互いの視線を避けるかもしれないが、これらの写真が示しているのは目と目による一種の承認である」
  • 184: 「写真を撮ることであれ人々の物語を収集することであれ、敬意を持ちながら耳を傾けることの価値こそ、社会学が必要としていることの一つだと私は思う。バリーのような人が耳を傾けられ、あるいは気づかれることは稀であり、ある意味でそれは特別なことである。同時にこの写真について確かなのは、それが被写体を英雄的な姿に描こうとしていないということだ」
  • 187: 「ペルーの詩人セサル・バジェホはある詩の中で次のように問うた――「私たちは毎秒のように死ななければならないのか?」と。もちろん、これらの写真に素描されている生は、日常の中で過ぎ去っていく幻の生である。日常の中で過ぎ去っていく生を記録したところで、それはつまらないものだといわれるか、バカにされてしまうかもしれない。だが実際には、それこそこのようなプロジェクトの倫理的価値が見いだされる部分なのではないかと私は思う。その写真は生者への碑銘のようなものなのだ」

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  • 「ことば」: 1 - 9
  • 「英語」: 409 - 425
  • 「読みかえし2」: 863 - 865 / 866 - 872


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 九時ごろにいちど覚めて、ややあいまいな意識のまま深呼吸をつづけてだんだんと覚醒へ。一〇時ちょうどに離床。昨晩はまたしても疲労のためにシャワーも浴びず歯磨きもしないままにねむってしまった。椅子についているうちにいつか意識をうしなっており、そのまま四時前をむかえていたのだ。しかたがない。紺色のカーテンを閉ざしていると部屋は暗いが、その端をちょっとめくるだけで、空気のいろは曇り空のそれなのだけれど、白さが目にあかるく刺激をあたえる。紺色の、暗い色でひかりをよくさえぎるカーテンにしたのは正解だったなとおもう。そとでは保育園の子どもたちがさわがしくにぎやかにやっているが、きょうは七夕なのでなんらかのイベントでもやっているのか? という雰囲気だった。ちがうかもしれないが。起き上がると洗面所に行って顔を洗い、いつもどおり椅子に座って水を飲む。コンピューターをつけてウェブをみながらすこしずつ飲み、それから寝床にもどると書見。チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)。104だかからはじめて、いま132まで。それで一一時を過ぎた。きのうにひきつづき、瞑想をサボってしまう。
 書見をきりあげると、きのうながしに放置してしまった洗い物を洗ってかたづける。まな板や大皿、包丁に箸にスライサーはあいかわらず、洗濯機のうえにタオルを引いてそこに置いておくかたち。それからコンピューターでNotionを準備したりした。曇天ではあるものの、部屋で干してもなんだかんだけっこう乾くということがわかっているので、洗濯をしようとおもっていた。しかしそのためには洗濯機のうえのやつらをどかさなければならず、したがって洗うよりさきに洗濯したほうがよかったのかもしれないが、食事を取ることに。洗濯機のうえでキャベツを切り、きょうは先日買ったトマトやキュウリも食おうとおもってキャベツはやや少なめに、大根をそのうえにスライスして大皿に乗せると、トマトとキュウリもてきとうに切ってキャベツの縁にならべるようなかたちにした。キャベツ大根のほうにはイタリアンドレッシングをかけて、トマトとキュウリはマヨネーズ。そのほか冷凍のハンバーグを木製皿にひとつ入れて電子レンジで加熱。あとで一枚だけのこっていたマルゲリータピザも、のこしておいてもあれだから食ってしまおうとおもっておなじようにあたためて平らげた。トマトは味が濃くてなかなかうまい。キュウリもほそくせず一本をゴロゴロといくつかに分けただけだから、厚みがあってバリバリした食感でよい。冷凍のハンバーグもちょっと味は濃いけれどしっかりしていてなかなかおいしい。これはなくなったらまた買ってもよいかもしれない。
 それで食器類はいったんながしに置いておき、洗濯機を稼働させた。洗っている合間は一年前の日記を読んだり、音読したり。(……)さんのブログも食事中に読んだ。洗濯が終わると干す。バスタオルをとりあげたところで天気はだいじょうぶかなと窓辺に寄って顔を出すと、左手だから南のほうには灰色を帯びた雲が湧いていてあやしげな雰囲気だが、反対の右方には雲がべたつきながらも青さも見える。手をつきだしてみても落ちてくるものはない。Yahoo! の天気情報をみてみるときょうの東京は晴れ一時雨とかで、一二時から一八時の降水確率は五〇パーセントとなっていたものの、雨雲レーダーのほうをみれば(……)市付近はぜんぜん雨が発生しないようだったので、これならだいじょうぶそうだと判断してそとに干した。タオルの靴下をつけた円型ハンガー、バスタオル、きのう着たワイシャツ、肌着のシャツとパンツ。あと、きのうカーテンレールに吊るしたままにしていた洗濯物も、起きてすぐのころにたたんでかたづけておいた。部屋干し特有のあのなまぐさいような感じがマジでなぜかぜんぜんない。
 それからまたちょっと英語記事を音読。BGMに草田一駿 [そうたかずとし] 『Flumina』をながしたのだけれど、これはなかなかよいアルバムだとおもう。そのあとここまで記して二時過ぎだが、さきほどから陽が出てきてレースのカーテンがあかるんでいるので洗濯物にはよいだろう。肌とからだにはいくらか暑いが。しかしそう書いているあいだにもまた陰ってまたあかるんでと行き来がいそがしい。いま窓に寄ってみてみたところ、雲が大小散っているものの空はおおむね水色なので、雨が降ることはなさそう。曇天を抜けた感じがある。


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 歯磨きしながら以下の二記事を読んだ。なかなかおもしろい。


 小麦は第二次世界大戦後にはじめて日本に導入されたもので戦前にはなかったと参政党は主張している。このまま信じた支持者もいたが、批判や嘲笑の声があがると「古代の日本にあった品種はグルテンが少ない健康的なものだった。グルテンが多いパン小麦がアメリカから持ち込まれたのは戦後だ」と擁護する者が何人かいた。擁護しようとして更にまちがった主張になっているが、彼らはこうして自分を納得させながら参政党を支持しつづけてきたのである。

 また「50代以上の人間は必要ない。50歳以上の人は生きてる意味はない。コロナに罹って高齢者が死んでも、そんなのは役割」と参政党が主張したとき、ある高齢の支持者は自分のことではなく悠々自適な老後を送る層について語ったものと解釈していた。

 おかしな主張に辟易として参政党から離れていった人がいる。いっぽうで、おかしな主張と自分の考えに折り合いをつけたり、個々の主張の内容はどうでもよく参政党の存在そのものを大切に思う人々が残った。これが参政党の現状と言ってよいだろう。

 支持者に共通しているのは「損ばかりしてきた」感覚だ。就職氷河期リーマンショックなどのあおりをくった怨嗟が支持者から漏れる例が多い。うまいことをやった上の世代と勝ち組と呼ばれる同世代から、人としてまともに扱われないまま生きてきたというのだ。前出の高齢者は、自分はバブル景気の恩恵さえ受けられず、いまの生活がみじめなのは失われた30年の影響で「上級国民」は許し難いと恨みを抱いていた。

 1980年代までなら正社員として終身雇用の会社勤めをしていたり家庭を築いていただろう幅広い階層を想像してもらいたい。こうした社会と経済が瓦解して、損ばかりの人生を強いられた人々が民族意識を鼓舞されて逆転を夢見るのが参政党なのだ。

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 山本太郎とれいわ新選組は、東日本大震災が与えたショックや原発事故による不安感をきっかけに不満を噴出させた層を取り込むことで成り立っている。彼ら不満層は当時の既存政党を支持できず、政党からも見捨てられていたため、山本太郎の反原発運動が政治に参加するきっかけになり拠り所にもなった。

 山本太郎が政治活動をして10年、れいわ新選組が結党されて3年、パフォーマンスを繰り広げるものの何ひとつ成果をあげられないまま現在に至った。それでも政党が消滅しなかったのは、不満層がアイデンティティーを維持するための居場所として同党が機能していたからにほかならない。

 だが参政党が活動をはじめた以上、れいわ新選組に留まる理由がなくなった人がいても不思議ではない。参政党はれいわ新選組と違い、損ばかりさせられてきた人々に向けてストレートにメッセージを発し続けているのだ。

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 山本太郎が獲得した不満層と、参政党が集めた損ばかりしてきた人々の本質は同じだ。違いがあるとすれば、参政党支持層の基盤をかたちづくっている損ばかりしてきた人々のほうが考え方が素朴であったり、報われなさが甚だしい点だ。

 これは左派やリベラルが弱者や困窮者を切り捨てて政治的で独自な正義を追求したこととも関係している。山本太郎とれいわ新選組に見切りをつける人が現れたのも、前述の人物のように背に腹はかえられなくなったからだ。左派やリベラルの名札をつけても報われなかったのである。

 素朴な人々にとって反原発運動とその後の政治の季節は、俗世とかけ離れお高くとまった近寄り難いものだった。彼らはコロナ禍の混乱とともに拡大した陰謀論や、他人の言いなりになりたくない人々の反マスク、反ワクチン運動で政治的な一体感をはじめて経験したのだ。

 すると彼らに参政党が門戸を開いたのである。

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 そして参政党の行く末を考えるとき参考になるのがNHK党の在り方だ。

 世の中のバグを修正するのが政治家だ。いっぽうNHK党の立花孝志は社会や制度のバグを見つけてパフォーマンスに利用することで支持層を引きつけてきた。つまりバグのありかを指摘するだけで何も仕事をしていない。だが特定の層はバグを見つけてパフォーマンスをする立花を我らの味方と信じて票を投じる。世の中は何ひとつ変わらず、そもそもNHK解体論すら一歩も前進していないうえに、支持者たちの境遇が改善されることもない。

 NHK党の支持者は、自分たちが嫌いな相手や侮辱したい対象を立花孝志がふざけてなぶりものにしてくれることを政治だと思っているのだ。

 このように何ひとつ成果をあげられなくても政党を存続させられるのだが、ありとあらゆる正義の味方を装うため支持層を置いてきぼりにしたことが山本太郎とれいわ新選組の失敗だったろう。反原発も反ワクチンも、もしかしたら経済政策さえも支持層が求めるもの“そのもの”ではなかったのではないか。

 では参政党はどうだろうか。

 小麦粉は健康の敵という参政党だが、同党からパン店の経営者が立候補している。牛乳は体に悪いと言いつつ、党首の神谷宗幣は遊説先でコンデンスミルクを使ったかき氷を食べている。それでも支持層が問題視しないのは、小麦や牛乳が敵なのではなく彼らに損ばかりさせる相手のほうが大問題だからだ。オーガニックや自然派であることは、誰かを批難し殴り自分を慰めるための道具にすぎないのである。

 参政党はひたすら損ばかりさせられてきた層のため社会や制度にジャブを打ち続けるだけで、山本太郎とれいわ新選組のように少なくとも10年は党を存続させられるだろう。支持基盤が求めている言動を絶やさなければ更に延命できるはずだ。

 だがそれだけだ。参政党の公約は彼らの報われなさを救うだろうか。たぶん何も変わらないまま次の10年が経過するのだ。

Aさんの義父母が党員になった参政党は神谷宗幣氏、松田学氏、渡瀬裕哉氏、篠原常一郎氏、赤尾由美氏によって2020年に結成され、「先人たちが守ってきたこの国を、次の世代へ引き継ぐために」「身近なコミュニティ活動から始める政治参加」をモットーに活動する民族主義的傾向を帯びた政治団体だ。

二人は民族主義に傾倒して党員になったのかというと、そうではないらしい。

これまでにAさんの義父母は、Aさん宅に届いた接種券を捨てたほか、ワクチンの害を訴求するチラシをポスティングしたり、佐賀市長選に出馬した細川博司医師の反ワクチン運動を支援してきた。そして反ワクチンの立場を鮮明にしている武田邦彦氏が、2021年12月に次期参院選全国比例区の候補者として参政党に擁立されたことが発表されると同党に急接近した。

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参政党の街頭演説に集まる人々は演説者を前にして密集するにも関わらずノーマスクの人たちばかりである。地域地区ごと行われている支持者の集会では「ワクチン接種をして死亡」「接種者からシェディング(毒素などが伝播・暴露)」といった反ワクチン派特有の言葉が飛び交い、これらを党として容認していると参加者が筆者に証言している。

(……)

参政党支持層は突如出現したのではなく、Aさんの義父母のみならず反ワクチン派から相当数が参政党支持に回ったと言ってよいだろう。

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2000年代以降のトピックであるアンチ生活保護、自己責任論、上級国民論、煽り運転の犯人追及現象、N国党支持を振り返ると「うまいことをしている連中と割を食っている自分」とする被害者意識が感じられる。この善と悪で自他の線引きした他罰的な姿勢の背景に、「危機に瀕しているのに何もできない自分との葛藤」があるのではないか。

アンチ生活保護を例に考えてみる。生活保護は税金を原資にしていて、元はと言えば自分の稼ぎだと彼らは考えている。自分は労働して稼いでも税金を取られて苦しい生活をしているのに、あいつらは生活保護で楽をしている。これが「うまいことをしている連中と割を食っている自分」の構図だ。

だが裏を返せば、労働して稼いでも苦しい生活をしている自分は生活保護を受ける人々と紙一重であり、いつ生活保護を受けざるを得なくなるかわからないのである。上級国民論やN国党が掲げるNHK解体論では特権的な人々と自分との間にある格差、煽り運転では教養がなく品位に欠けた富裕層と自分との間にある格差の問題がある。だが、いずれも現実を直視して問題を我が事として考えるのが苦しいため「自分とあいつらはまったく違う」「あいつらが悪い」とレッテルを貼ったうえで善悪の線引きをして攻撃対象にした。

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ここに参政党が民族主義と反ワクチンを掲げて登場したことで、コロナ禍に不満を募らせる層のうち左派のれいわ新選組に共感できなかった人々の感情と葛藤の預け先ができたと言える。参政党には民族主義があるが国民主権党には平塚正幸氏しかなく、参政党には民族主義のロジックがあるが神真都Qにはロジックがなく、この違いはあまりに大きい。

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よく似た大衆迎合路線をとったものの支持者獲得に失敗した例が、のちに日本維新の会公認で出馬する長谷川豊氏の「人工透析患者は殺せ」論だ。

2016年9月、フジテレビの局アナからフリーランスになった長谷川豊氏は保険診療を食い潰しているとして「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」と題した一文を発表した。はてな匿名ダイアリーに掲載された「保育園落ちた日本死ね」をタイトルの参考にしたという長谷川豊氏の発言から、福祉や医療などの恩恵を受けている高齢者、貧乏人、病人、障害者への憎悪を噴出させようと意図したのはあきらかである。

この発言を支持する者もいたが批判が圧倒的に上回り、長谷川豊氏は番組を降板させられただけでなくメディアから追放された。長谷川豊氏は翌年の衆議院議員選挙で日本維新の会公認で出馬するも落選し、出馬した彼だけでなく公認候補にした党に真意を問う声があがった。

人工透析患者は殺せ」論の1ヶ月前、NHKの貧困特集番組に登場した女子高生が贅沢であり浪費癖があるのではないかとネット上に批判が渦巻く騒動があった。さらに4年前の2012年にはお笑いコンビ「次長課長」の河本準一氏の母親に生活保護の不正受給疑惑がもちあがって、片山さつき議員などが不正受給にかぎらぬ生活保護抑制を強く訴え、生活保護バッシングとも言える騒動に発展した。

だが2021年にタレントのDaiGo氏がホームレスや生活保護受給者への差別につながりかねない主張を展開すると、厚労省が「生活保護は権利」と周知するまでもなく批判の声が沸き起こっている。これは2016年頃から「うまいことをしている」のは生活保護受給者とする構図が揺らぎはじめ、東池袋自動車暴走死傷事故が発生した2019年になるとうまいことをしているのは勝ち組として逃げ切ろうとする上級国民と目されるようになっていたのと関係しているだろう。

右派ポピュリズム政党の日本維新の会がコロナ禍の不満勢力を獲得できなかったのは、反ワクチンを訴えなかったからだけでなく同党が長谷川豊氏やDaiGo氏のように勝ち組の不満を回収する「うまいことをしている連中」と目されていたからではなかったか。対して参政党は反ワクチンの立場を明らかにするだけでなく、日本人が労働して稼いだ金を外国人が収奪していくと主張して素朴な弱者層を獲得しようとしている。


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 歯磨きをしているあいだ、部屋のそとで、扉をドンドンと二回叩いて、ごめんくださいとかいう声がなんどかきこえたのだが、隣かその隣くらいで我が部屋ではないようだった。こちらの部屋に用なら、ベルがあるのだからそれをつかうはずだし。声は女性のもので、あたらしく引っ越してきてあいさつをしているか、それか逆に退去のあいさつかという雰囲気があった気がする。しかし不確かな印象なのでどうか知れない。
 歯磨き後は書抜き。西脇順三郎訳『マラルメ詩集』(小沢書店/世界詩人選07、一九九六年)。とちゅう、四時か五時くらいで洗濯物を取りこみ、たたんだ。書抜きもしばらくやるとからだがこごった感じがあって布団に逃げ、Chromebookでウェブをまわって休息。そうしながら脚を揉んで活力をたぐりよせる。「読みかえし」の音読もちょっとやり、じきにからだがほぐれてきたので起き上がってストレッチもおこなった。合蹠に座位前屈など。そうしてデスクにもどって書抜きのつづき。『マラルメ詩集』はいまメモしてある分まではすべて写し終えた。ブコウスキー書簡もそうだが、図書館で借りている本なので優先してさっさと書き抜いておかなければならない。レベッカ・ソルニットの『ウォークス』も二箇所写して毎日の日記冒頭に据える記述のストックを稼いでおき、最後にブコウスキー書簡集からも一箇所だけ写して切り。そうしてここまで書くと七時二二分。そろそろヤクがとぼしいのであした実家に行って再発行された保険証をもらい、そのあとに医者にも行くことにした。その旨母親にSMSでつたえておく。ついでに参院選期日前投票も済ませてきてしまおう。
 書抜き中のBGMはさいしょ草田一駿 [そうたかずとし] 『Flumina』をつづけていたところ、それが終わるとAmazon Musicはブラウザ版でも自動再生機能がついたようで、なんかいい感じのメロウな女性ボーカルがながれだし、これなんだとみてみるとyuga "loose" という曲で、『言葉のない夜に』というアルバムのものだった。あきらかに良い音楽だったのでアルバム冒頭からながす。そうして検索し、Wikipediaをみてみたところ、「石橋凌原田美枝子の長女だが、両親の名は余り積極的には公表していない」とあり、妹は石橋静河という女優らしい。石橋静河というなまえはどこかでみたことがあるような気がしたのだがわからず、画像を検索してみるとああこのひとかというくらいのものである。このひとかって言ったって、なにに出ていたとかどこで見たとかいう印象があるわけでもなく、じつのところこのひとかというほどに顔を認知していたのかもうたがわしいのだが、出演映画を見てみると三宅唱の『きみの鳥はうたえる』があったので、たぶんさいきん読んだ蓮實重彦の『見るレッスン』のなかでなまえが出てきていたんじゃないかと推測した。父親の石橋凌も検索してみると、ああこのひとかという感じ。『言葉のない夜に』はよろしい。こういうような曲たちを一本で弾き語れたらきもちがよくておもしろいんだろうが。
 あと書抜き前に七月二日の記事をしあげて三日とともに投稿したのだった。きょうじゅうに四日分もどうにかしたいができるかどうか。記述をきのうまで追いつかせるのはちょっと厳しい気がする。


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反ワクチン派や陰謀論者がどこまでワクチン害悪論や陰謀論を理解しているかわからないとしても、神真都Qでは幹部が語る陰謀論を理解できずキャッチーな単語をキーワードとして記憶したうえでひたすら復唱している人々がいる。

神真都Qの陰謀論は突飛なもので、思いつきの継ぎはぎにしか感じられず、常人には理解して納得するのは難しい。しかし理解できないなら賛同できないはずだが、理解していないにも関わらずサタニスト、DS(ディープステート)、ビック(拉致して処刑すること/されること)、豆腐船(拉致されたワクチン推奨派や医療関係者を処刑する船)といったキーワードを羅列して理解しているつもりの構成員が少なくない。

このため彼らのオープンチャットや集会では、キーワードの理解に齟齬が出たり、内容がわからず使用するため合いの手くらいの意味合いになっているケースが珍しくない。

神真都Qの構成員にとってはこれで十分で、互いが尊重され一体感を共有することが重要なのである。そして社会で尊重されず一体感を得られる場所がない人たちのなかに、ものごとの内容を理解するのが不得意でキーワードを復唱するほかない人たちがいるのだ。

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ことはゴミの捨てかただけではない。昭和の時代、子供が住宅街の道路で遊ぶのは珍しくな [か] ったがいまどきは迷惑な「道路族」とされる。インターネットは地上波テレビと違いプロバイダーや回線を選択して契約しなければならず、スマホもまた同様にさまざまなコースから最適なものを選ばなくてはならない。パワハラやセクハラの概念も年々更新されている。これらに失敗したときの、世の中の不寛容度も高まっている。

完璧で後ろ指をさされるところがないと胸を張れる人がいるいっぽうで、程度の差こそあれ意識や行動をアップデートできない人もいる。アップデートできない程度が大きかったり、アップデートに失敗したことでつらい状態にある人や、アップデートに疲れた人がいて、身の置き所を現実の社会ではなく反ワクチンや陰謀論に求める例があるのを理解しておきたい。

冒頭で「素朴な人々」について触れたが、 考え方などが単純で多面的に情報を処理できないのが素朴さである。神真都Qに流れた人は反ワクチンの主流派より「さらに素朴」な人々なのだ。


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 その後の夜は特段のこともないか。また書きものをつづけ、気づいたら一〇時半だか一一時だかになっていた。もうこんな時間か、とおもった記憶がある。そこからようやく食事。キャベツやらキュウリやらトマトやらの大皿と、冷凍のハンバーグを食ったはず。そののちまたいくらか日記を記したのだったか? 一時くらいになって湯を浴び、ちょっと休んでまた書けたら書こう、きょうじゅうにできるだけ書いておきたいとおもっていたところが、いつか布団のうえで気を失っていた。しかしこの日はシャワーも歯磨きももう済ませていた。