2022/7/8, Fri.

 ひたむきな都会の歩行者が知っている、ある捉え難い状態がある。孤独にひたっている状態とでもいえばよいだろうか。その暗い孤独には、夜空に星が煌めくように思いがけぬ出会いが散りばめられている。田舎の孤独は地理的なものだ。すなわち完全に社会の外側にいて、その孤独は地理によって生々しい説得力をもつ。そこでは人間以外の事物との交歓さえ生まれる。一方、街では見知らぬ人びとが織りあげる世間によってわたしたちは孤独になる。見知らぬ者たちに囲まれ、自らも見知らぬ存在となってゆくこと。行き交う人びとに自らを重ね、それぞれの抱える秘密を思いつつ押し黙って歩いてゆくこと。それはもっとも飾り気のない贅沢のひとつだ。未知のままのアイデンティティと、そこに秘められた無限の可能性。この都会暮らしの徴は、家族や共同体的な目算からの自由を求める者、あるいはサブカルチャーアイデンティティの探究者を解き放つ。それは一歩身を引き、冷静の感覚を研ぎ澄ませた観察者の状態であり、熟慮や創造を行なう者に適した状態だ。憂鬱と疎外感と内省は、少量であれば人生のもっとも精妙な愉楽となりうる。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、310; 第十一章「都市――孤独な散歩者たち」)




  • 「ことば」: 1 - 9
  • 「英語」: 426 - 457


―――


 八時ごろにいちど覚醒。ふたたびまどろみにはいり、つぎに目覚めて身をちょっと起こし、机の端に置いてある携帯に手を伸ばしてみてみると、八時五一分だった。夢見。ひとつには、(……)と遭遇するもの。たぶん東小金井とかそのあたりと認識されていたようだが(現実のそことはまったく似ていないが)、ある駅を降り、あるいていると、カラフルな服装をしてギターかなにか背負った男が前方にいる。あるいはこちらを追い抜かしていったのかもしれない。じぶんのほうもギターかなにか持っていたようだ。時刻は夜で、雨が降っていた記憶があるが、それにもかかわらず傘を差していたおぼえはない。しばらく行くと男は道端のなにかの店、たとえば焼き鳥とかメンチとか、そういう惣菜をちいさな窓口で売っている下町の店みたいな、そんな店のまえに止まって買い物をしている。とおりすぎると、あれ? まさか、みたいな声がきこえて、みれば(……)だった。その後の帰路をともにすることに。じぶんは家に帰っているとちゅうで、現実の生活の変化が夢にも反映されたらしくこの家というのは実家ではなくてどこかのアパートなのだが、(……)もこの町のアパートに住んでいるという。もしかしておなじ物件かもしれないとおもう。そのほかにもうひとつべつの夢があったとおもうのだが、それはわすれてしまった。(……)と会うまえに踏切りをとおったおぼえがあり、そこの景色があいまいながらなんとなく印象にのこっている。
 寝床にとどまったまま深呼吸をしてからだをととのえていく。かたわら各所を揉みもして、九時半直前に床を立った。カーテンをあけてそとのあかるみを部屋にとりいれる。きょうも曇天だが、午後にはたしょう、希薄ながら陽のいろも生まれた。洗面所に行って顔を洗い、冷蔵庫から二リットルのペットボトルをとりだして、机上に置いてある真っ黒なステンレス製マグカップに一杯そそぐ。椅子にすわってそれを飲みつつ、ウェブをみた。きのうもまた書きものに一段落つけてあいまいに休んでいるうちにねむってしまったので、コンピューターはつけっぱなしだった。しばらくすると布団のうえにもどり、あおむけになって読書をする。チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)。ブコウスキーは頻繁に批評家連中とか、さいきんの詩人とかに文句をつけている。そのけなしかたとか、自虐のしかたとか、あと手紙のとちゅうでなんだかよくわからないことをいいだすさまなどがおもしろい。ニュー・クリティシズムの動向とかはブコウスキーにとっては気に入らなかったもよう。旧来の詩、詩とはこういうものであるというイメージや先入観念をもっていて、それにもとづいてじぶんの詩や文章を酷評してくる批評家とかに文句をつけている。規則とか押韻法とか、そんなもんどうでもいいじゃないかという感じの言いぶりで、型を解体するというよりははなからそれにかかずらわない、型を無視してかかりたいような雰囲気で、それだけ取るとかなり単純素朴で直情的なかんがえとみえるが、しかしそれだけともおもえない。ブコウスキー自身はおそらく、だいぶさまざまな詩人や文学を読んでいる印象だ。
 一〇時半ごろまで読み、椅子にうつると瞑想をした。三五分から。さいしょはしばらく深呼吸。深呼吸においては吐く息をなるべく行けるところまで吐ききるというのが大切だと再認識した。そうしてからだがいくらかやわらかくなったあと、静止する。深呼吸ですじをやわらげておけば静止も楽になる。瞑想をはじめるまえに窓外では保育園で太鼓をたたいたりしていた。たぶん夏祭りイベントがちかぢかあって、その出し物の練習をしているのではないか。それで瞑想はしずかな環境でやろうと耳栓をつけたのだが、書見中にはマイクをつかって、震度六の地震が発生しました、立っていられないほどの揺れです、と二度くりかえし、まだ揺れています、まだ揺れています……だんだん揺れがおさまってきました、という声もきこえた。地震が来たときにそなえた訓練なのだろうか、わからないが、マイクの声は女性の保育士で、しかしかなり棒読み的で、気のないような声だった。
 瞑想は一一時一分まで。二五分ほど。からだはよくほぐれた。そうしてもう食事を取ることに。食い物がもはやほとんどなく、キュウリ一本と大根ののこり、あと冷凍のハンバーグ一個だけなのでそれらを食べるほかはない。キュウリはまな板もつかわず片手で持って皿のうえに浮かべながら包丁でてきとうに切断し、大根はスライスした。あとサラダチキン(ハーブ風味)も一個のこっていたので、それも大皿に乗せる。大根にはイタリアンドレッシングをかけ、キュウリにはマヨネーズ。いっぽうで木製皿にハンバーグのさいごのひとつを乗せて電子レンジで加熱。そうして食事。机の正面にはパソコンが置いてあり、その左に青いランチョンマットが敷かれ、食べ物の皿やマグカップはそのうえに乗せる。
 食べ終えるとすぐに洗い物。プラスチックゴミの袋はきのうの夜にひとつしばってしまったので、もういちまいべつの透明か半透明の袋が必要である。それでさがすとニトリのなにかの品(たぶんカーテンか)の袋があったのでそれをつかうことに。洗い物のまえにそのへんに干してあった豆腐のパックなんかのプラゴミを始末した。パックのたぐいは鋏でかなりこまかく切って嵩をめちゃくちゃ減らしているのだけれど、これリサイクル的にOKなのかな、なにかさまたげにならないのかなとおもっていま検索してみたところ、多摩市のホームページのQ&Aでは、あまり細かくはしないでくださいとあった。リサイクルをする前段階にまず選別→圧縮→梱包という作業があって梱包されたものをリサクルセンターに送るらしいのだが、選別はひとの手と目でおこなうのであまり細かいとそこでたいへんだし、圧縮梱包においてもこぼれ落ちてしまうと。(……)市がおなじ方法でやっているのかわからないがそう変わりはしないだろうから、あまり細かく切るのはやめようとおもった。四分割くらいが妥当か?
 皿などを洗ったあとは椅子にもどって音読。さいきんは「ことば」ノートもはじめた。いぜん、項目ごとになんどもくりかえし読みまくってしぜんと暗唱できるくらいにしようともくろんだことがあったが、それだとやはりめんどうくさくてつづかない。今回はほかのノートと同様、一項目を一回ずつ読んでいる。それを毎日くりかえすだけでよかろう。暗唱したいとかいうこざかしい欲望は不用だ。「英語」ノートも読みすすめ、それで一二時半くらいになったとおもう。席から立って屈伸や上体ひねりなどおこなう。屈伸をすると目と床がちかくなるから、髪の毛やこまかなゴミがたくさん落ちているなというのがよくわかり、こうして気づいたときにその場で掃除してしまうのがいちばんよいのだろうがこのときはやる気にならずに放置した。良い道具もない。やはり雑巾だとちょっと大変だ。クリーナーのたぐいを買うほかないか。それかハンディモップみたいなやつかな。そのあと立ったまま椅子に伸ばした足の先を乗せて、脚の側面から裏にかけてのすじをほぐした。窓のほうではレースのカーテンが生まれはじめた日光の白さを差しこまれ、波型の、というかむしろ山型の影がその上下に描かれながら、エアコンの吹き出す風によってしずかにふるふるゆれている。ここまで記すと一時四九分。さきほどカーテンをよけてそとをのぞいたところでは、空は青くなっており、ひかりも相応に道に照っていた。そろそろヤクがなくなるので、きょうはこのあと医者に行く。そのためにはまず実家に帰って再発行された保険証を取ってこなければならない。きのうの夜に母親にその旨連絡しておいた。両親は不在らしく、テーブルのうえに出しておくということ。不在ということは実家の鍵を持っていかないとはいれないから、それをわすれないようにしなければならない。その後(……)の(……)クリニックに行き、ヤクをもらい、ついでにおなじ駅の反対側にある図書館で期日前投票ができるので、参院選の投票も済ませてくるつもり。いま背中や脇腹がこごっていたので立ち上がって背伸びをしたり、そのまま左右にかたむいてからだの側面のすじを伸ばしたりした。レースのカーテンはあいかわらずあかるみを帯びており、白さはさきほどよりもより広範囲にひろがって下端のほうまで余波を伸ばしたように見え、そちらの影がいくらかうすくなったが、山型のその影は風を受けた襞のうごきによってところどころ上下に揺動し、わずかにへこんだり突出したりしている。ストライプのはいっている布の表面にはそのむこうのガラスにほどこされた斜め線の格子模様が透けてうつり、あたかも裏側にほそいワイヤーでつくられたネットがかかっているかのような見え方で、窓の左右は濃紺色のカーテンが寄せられており、裾にむかってわずかに線を曲げ下端でちょっとふくらんださまはまるで気取ったポーズを取ったにんげんのようだが、ストライプにひかりと影にネットの線と模様がいろいろはいったレースの脇で、紺一色に深くたたずんでいるその色は、それじたいがひとつの堅固な物質であるかのごとく鮮やかである。


―――


 いま午後一〇時半過ぎ。六日の記事を書き上げたので投稿しようとはてなにログインしたところ、よく読まれている記事みたいなところに安倍氏銃撃で死亡という見出しがあってさすがにおどろいた。まだ読んでいないのだけれど。実家に保険証を取りにもどったときにポストから夕刊をとって、その一面に安倍晋三参院選の活動で奈良で演説しているさいちゅうに銃撃されたもよう、病院にはこばれたという記事があったので、そこでもおどろいていたのだけれど、なぜなのか、負傷しただけだろうとおもいこんでおり、死ぬとはまったくおもっていなかったので死亡の報にはおどろいた。この現代日本で政治家の暗殺が起こるとは。そういう感想をいだくようなあたまが前提となっていたのだろう。つまり、「暗殺」にまではならないと。この件を受けていっぽうでは、たとえば原敬とか浜口雄幸とか、おなじように暗殺された過去の「偉大な」首相と安倍晋三をなぞらえてならべ、祭り上げる保守派の動向が生まれるだろうし、もういっぽうでは反安倍を標榜していた方面のなかで、ついにやったか! みたいな、下手人をたたえるような発言がTwitterとかでなされるはずで、そこでまたはげしい悶着が起こる。なにを言うにせよかんがえるにせよ判断するにせよ、まずは情報をできるだけ慎重に詳しくあつめることと冷静さがなによりも重要なのだが、冷静さが最重要というあまりにも正しいけれど紋切型の正論がちからを持てる世ではない。


―――

警察は現場にいた奈良市に住む無職の山上徹也 容疑者(41)を殺人未遂の疑いでその場で逮捕しました。

警察によりますと、現場では長さおよそ40センチ、高さおよそ20センチの手製の銃が押収されていて、調べに対し山上容疑者は容疑を認めたうえで、「特定の団体に恨みがあり、安倍元総理大臣がこれとつながりがあると思い込んで犯行に及んだ。元総理の政治信条への恨みではない」と供述しているということです。
また、安倍元総理大臣が奈良県を訪れることについては「自宅などでホームページを見て把握した」と供述しているということです。

     *

防衛省によりますと、山上容疑者と同姓同名で生年月日も同じ人物が2002年8月から3年間、海上自衛隊に所属していたということです。
2002年12月まで長崎県佐世保教育隊で必要な教育を受け、その後、2年間、広島県呉基地を拠点とする護衛艦「まつゆき」の乗組員だったということです。

そして、2004年4月から広島県江田島市にある第1術科学校に所属し、2005年8月に退職したということです。また、この人物は任期があらかじめ定められている「任期制自衛官」だったということです。
「任期制自衛官」は3か月間の教育期間を経て、海上自衛隊の場合、およそ3年間を1つの任期とする自衛官で、
▽教育期間には小銃の射撃や分解についておよそ30時間学ぶほか、
▽部隊に配属されたあとも年1回以上、射撃など小銃の取り扱いについて教育を受けるということです。(……)

安倍晋三元首相が奈良市内で参院選の応援演説中に銃撃された事件で、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された山上徹也容疑者(41)=奈良市大宮町3=が容疑を認めていることが捜査関係者への取材で明らかになった。特定の宗教団体幹部の名前を挙げ、「この幹部を狙うつもりだった」という趣旨の不自然な供述をしていることも判明。この幹部は現場にはいなかったとされ、奈良県警は事件に至った詳しい経緯を調べている。

Abe suffered two bullet wounds to his neck during the attack, and also suffered damage to his heart, doctors said.

     *

Abe had a security team with him, but it appears the gunman was still able to get within a few metres of Mr Abe without any sort of checks or barrier.

Photos circulating in the aftermath of the shooting showed the suspect standing just behind Mr Abe as he gave his speech.

     *

In 2014, there were just six incidents of gun deaths in Japan, as compared to 33,599 in the US. People have to undergo a strict exam and mental health tests in order to buy a gun - and even then, only shotguns and air rifles are allowed.

     *

Chinese Foreign Ministry spokesman Zhao Lijian said his country was shocked by the attack.

He added that "this unexpected incident should not be associated with Sino-Japanese relations" and had no comment when asked about Chinese social media reaction.

Comments gloating over the attack on Mr Abe have dominated Chinese social media, and have also surfaced on Korean platforms.

China and South Korea have historically had complicated and fraught relationships with Japan. Abe, known for his military hawkishness, was unpopular with citizens of both countries during his term in office.


―――


 一首: 「くだらない明日ばかりをふるいわけ悼んでやろう寿司でも買って」


―――


 医者には三時半くらいの電車で行くことに。というのも、診察は午後六時までである。実家の最寄りである(……)から(……)までを調べると、五時二六分発に乗らないと間に合わない。そして(……)から(……)までで調べるとだいたい一時間はかかるから、三時半あたりの電車に乗らなければ間に合わないわけだ。実家に着くのは五時まえ、余裕がないので保険証を回収し、本もすこしだけリュックサックに入れてすぐに発つことを見込んだ。
 出発までは日記を書いたり寝床で休んだり。二時半ごろから転がりはじめ、ちょっとだけ休んでストレッチをし、三時ごろに身支度をはじめた。ここで『マラルメ詩集』をほぼ読み終わり、あとは解説だけとなった。服装はれいによって赤褐色を基調とした幾何学的な図柄のTシャツに、ポリエステル素材のさらさらした真っ黒なズボン。リュックサックに財布や携帯、本を入れて出発。実家の鍵もわすれずに持った。部屋を出て鍵を閉ざし、左手の階段から下りて建物を抜けると、道には日なたがおおくひろがりひかりも空中をとおってあたまやからだに触れてきて、熱気がなかなか分厚く重い。建物を出ると左、つまり南方に折れた。ちょっと行くと(……)公園があり、小学生の子どもたちがあつまってにぎやかにいろいろやっている。そこを右に折れるのがいつものルートで今回もそうし、住宅のあいだの細道を抜けると横向きに車道がひとつはさまる。そのあいだも陽射しは旺盛で、道端で植えられているナスなど、紫は濃くて実もまるいけれど、みずみずしいというよりは乾きの感触を目にあたえてくる。車道の向こうにはまた裏道がつづくが、その左側の家屋根がひとつ、切られたような斜めの面にひかりを敷かれてまっさらに、表面の模様もわからず余計にまっすぐに、かがやきの色だけになっていた。裏路地にも日なたは多い。ときおりはさまる蔭もじゅうぶんではないが、それを拾いつつ行く。空は青さがあらわながら雲があつまり、群れというほど統率も斉一もなくかたちおおきさともバラバラな個体が目的もなくおのおの気まぐれにあつまってきた風情で、なかに灰色をふくんだものや見事におおきな艦船級もあり、風が庭木をそよがせて涼気がやや身にふれつつも、青空と白雲のかたちを見るに片手で額にひさしをつくって太陽光を目にふせぎ、それらすべてがいかにも夏らしい。とはいえここのところの曇天とくらべ、さわやかな暑さだった。陽にさらされながら行って出た横断歩道で風が吹き、左右にながく伸びていく通り沿いにならべられた街路樹が濃緑の葉をふるわせる。渡って細道をすすむとさきほどの艦船級とおなじものか、駅前のマンションそばに下腹をさらした牛のようなカメのような、巨大な雲が浮かんでいた。
 駅にはいると向かいのホームにわたる。きょうは陽が暑いのでホームの先端のほうまで出ず、すぐそこのベンチに腰をかけた。それでしばらく瞑目に待ち、来た電車に乗車。扉際に立って待つ。やや緊張あり。(……)に着いて降りると、(……)に寄ってクッキーと、あと母親が好きなPomme d'amourというリンゴのチョコレートを買っていこうとおもっていたのだけれど、時間がなさそうだったので断念。乗り換え。先頭車両に行くがこの時間はひとがおおく、扉際に立つほかはない。あきらかに緊張しているなと感じられたので、無理せずにヤクをブーストすることに。リュックサックを下ろし、財布からパッケージを出して一錠押し出すとマスクをずらして口に入れ、ちいさなボトルで水も飲んだ。そうして扉際で手すりにつかまり立ったまま目を閉じてなりゆきを身にまかせる。さいしょのうちは緊張しているが、やばいことにはならず、じきに薬が効きはじめてあきらかに眠くなる。こちらの左、車両のいちばん端には自転車をともなったバイカーがふたりいた。乗務員室との境となる壁のまえに愛機を置き、両側の扉ちかくにひとりずつ詰めているが、こちらの左にいたひとりはたびたび反対側の男性のところに行ってなんとかはなしていた。(……)だったかでかれらが降りたので隅っこが好きなじぶんとしてはそちらにうつるほかなく、また手すりをもって瞑目のうちに立っていたが、ねむくて意識が重く、あたまもちょっとかたむくくらいだ。(……)で近間の席の端があいていたので座った。
 (……)に着くとホームを行き、しばらく立ち尽くして乗り換えを待つ。向かいのホームはようやくかたちを成してできかかっている。その向こうには一台電車が停まっており、さらにさきは小学校で、ボールがポーンと宙に飛び上がったり、声のさざめきが聞こえたり、小学生たちがあそんでいるが、電車にかくれてそのすがたは見えづらく、校庭の端、ここから見ていちばん手前の一画にあるブランコも座部を吊るす左右の線が前後に揺れるのみでそれを揺らす子どもらは見えず、(……)とちがってこちらでは空がもっと曇っていたが、薄陽がもれるあいだには、ブランコの吊り具はうしろに、つまりこちらのいるほうにかたむいたそのときだけひかりをむかえて白銀となる。
 乗り換え電車に乗ると座らず。どうせまた眠くなるだろうしと扉脇に立った。そうして到着を待ち、実家の最寄りで降りる。ホームをあるいて、自販機の横を過ぎると向き直り、茶を二本買っていくことにしてSUICAで購入。それぞれ片手に持って両の手をふさぎつつ駅を抜け、街道を東へ向かって細い坂に折れた。この坂はさいしょのうちは左右の階段のあいだに傾斜面がとおったかたちになっており、ちょっと下りると左は白い柵のむこうに林のなかの窪地めいた場所がひろがって、柵のそばには細身の竹が何本も立っており、なかの一本は顔のあたりにもその葉を垂らしてくる。そのあたりから頭上も樹冠になるから足もとの傾斜や段には苔が豊富に生し、抹茶の粉を厚くふりかけたような風合いだ。ふつうの坂にかわっても苔やら乾いて薄色になった竹の葉やらが路面のいたるところにあって、日陰になっているけれど蚊とか小蠅のたぐいはおもったよりも多くなかった。出口ちかくで曇り日の薄いひかりと空のいろが復活すると、足もとのざらついた灰色の路面はなにか象とか蛇とかの皮膚のような質感になった。
 実家に着くとポストをチェック。夕刊がはいっており、それを持ってみながら階段をのぼったが、一面に安倍晋三が演説中に銃撃されたかという報があっておどろいた。帰宅後に知ったが、安倍はこれによって、午後五時頃に命を落とすことになる。鍵を開けてなかへ。手を消毒し、居間へ。無人。母親の書き置きがあり、見れば、服は洗っておいたから持っていきたいものがあれば持っていっていい、その他飲み食い自由にとのことだった。しかし時間がないのですぐに出なければならない。服というのは炬燵テーブルの端に置いてあったが、まあべつにもういいかなというたぐいのものたちではある。それなのでハーフパンツ二着だけ持っていくことにして、保険証の封筒のなかにはいっていたいらない紙みたいなものにメッセージを記しておいた。五時まえに来ました、医者が六時までなのでもうすぐ出ます、茶を二本買ってきて冷蔵庫に入れておいたので飲んでください、服はハーフパンツだけもらっていきます、からだに気をつけて、というような感じ。喉が乾いていたので台所で水を飲む。こちらがふだんつかっていたコップは戸棚にしまわれていたのでそれを出し、ここで一杯、あとでもう一杯飲んだ。それから階段を下りて自室へ。持っていく本を選ぶ。(……)の授業であつかっている電気工事士の資格テキストは持っていくとして、千葉大学の過去問は(……)くんが本命の志望校を(……)大に変えたようなのでまだいいかなと置いておいた。隣室にはいっていくらか選ぶ。文庫と新書。マルクス・ガブリエル関連の新書とか、『レイシズムについて』とか『ショアーの歴史』とか。そうして荷物を整理し、上階に上がってもう行くことに。
 家を出るとさきほど来たルートでまたもどることに。したがって右手、東に向かい、木の間の坂道にはいる。薬をブーストしているためにからだが重く、坂をのぼっているとそれが余計にかんじられる。脚が重く引っ張られるかのよう。うえの道に出ると車の隙をついてすぐに通りを渡り、最寄り駅までぶらぶらゆるやかにあるく。空を見上げれば水色ののぞくほつれた穴も二、三みられるけれどそれだけで、おおかたは雲におおわれており、灰色もしばしばふくまれていて雨の気配をおもわせぬでもない。駅にはいるとホームのベンチに座って休息。線路のまわりには明るい緑のちいさな草が群れなして立ち上がり色の浅瀬をかたちづくっており、向かいの石壁のうえは沿道で、右にむかってだんだんとゆるやかにくだっていく傾斜になっているが、その壁に接してピンク色が散っているのはオシロイバナか、右のほうには白い花がこまかく群れて点描をあつめているところもあった。正面の沿道、さらにその向こうの段上には梅の木が三本だか一所にならんで、こずえが旺盛にふくらみ一本ごとの分かれがさだかならないくらいであり、ホームにいる身には微風がふれてくるけれど梅の葉はもっとも外側ですらほとんど動こうとしない。電車到着のアナウンスがはいると立ってさきのほうへ。丘や林の樹々は変わらず充実した緑に統一されており、五月中が六月くらいにはもうその青さにまとまっていたはずだ。曇天のもとで揃いを見ると濃緑色がしっとりとする。
 電車に乗って(……)へ。乗り換えて着席。(……)へ。降りるとホームから上がり、改札を抜けて医者のあるほうへ。腹が減ってきていた。ロータリーのむこうにあるパン屋とか、居酒屋とか、めし処が目につく。医者のビルにつくと階段をのぼっていき、待合室にはいってあいさつ。保険証と診察券を出し、保険証がコピーされるあいだ立ったまま待ち、返却されると体温測定。前髪をあげて額を出し、体温計を受けたが、今回は大丈夫ですというだけでなにもいわれなかった。そうして席について待つ。『マラルメ詩集』の西脇順三郎の解説を読む。ぜんぜん待たなかった。先客は三人くらいいたがだれも呼ばれるとすぐに出てきて、そのあとつぎのひとが呼ばれるまでの間もはやい。BGMはラテンアメリカ風味のパートがはさまる映画音楽みたいなものがながれていたが、どことなく聞き覚えがある気がした。ゆうめいなイージーリスニングか、それかわからないが『ライオンキング』とか、ああいう劇団四季とかでつかわれていたような曲ではないか。じきに呼ばれたので本をしまい、重いリュックサックを持って診察室へ。はいるとこんにちはとあいさつして、革張りの椅子にゆっくり腰掛ける。体調はどうですかと問われるので、かなり落ち着きましたねとこたえ、いま毎日一錠で飲んでいるが、家にいる分にはそれで問題ない、ただ電車に乗るときはやっぱりまだ緊張するのでそこで飲むようにしている、とはなした。勤務はいま週三くらいでしたっけ? というので、そうだが、こういうことになったので週二に減らしてもらっていると。それで職場までは一駅二駅? というのには、(……)にいるんですけど、そこから(……)に出て、でそっから(……)なんで、と笑う。そうか、(……)でしたか、じゃあけっこうありますねと医師も笑う。(……)から(……)は一駅ですから、まあなんとかなるかなみたいな感じで、ただ乗り換えたあとがやっぱりまだけっこう緊張するので、だいたいそこで追加してます、と。勤務を終えたあとの帰りはどうですかというので、帰りは飲まないと言えば、医師はそうですかと、それならだいぶいいなみたいな反応を示し、前回はひさしぶりだったので二週間分にしましたけど、よさそうなので、今回は四週間分出しましょうか、と来た。こちらはちょっとおどろき、基本一日一錠ですから、実質八週間分弱ですか、と返すと、まあそうなりますね、いいんじゃないでしょうか? 多くてまずければすくなくしますけど、と来る。多くてまずいことはないしやりやすいので、いや大丈夫です、じぶんで調節しますとこたえてそれではやばやと面談は終わった。
 つぎに来るときはあたらしい保険証になっているはず。待っているあいだ受付のひとがこちらを呼んで、ご存知かもしれませんがいまの保険証が今月で切れますので、とはなしてきたので承知していることを示し、(……)市のほうで国民健康保険ですか、加入しますので、ありがとうございますと受けておいた。また、八月一一日から一七日まで休診という掲示があったので、ばあいによってはこことかぶるなとおもい、手帳に日付をメモしておいた。会計のさいにも受付の女性から、来月一週間夏休みですので、とリマインドされた。
 そうしてビルをくだり、出るととなりの薬局へ。処方箋と保険証を出し、番号の書かれた紙を受け取って席に。ここでも本を読みながら待った。じきに呼ばれて会計。ひさしぶりにつかって体調はどうですかと女性が聞くので、体調はまあ落ち着いてよくなりまして、いま一日一錠で飲んでまして、ただ電車に乗るときに緊張するもんですから追加するんですけど、そうすると眠い、と笑った。そうして金を払い、礼を言って退出。薬局のまえでリュックサックをおろして荷物を整理し、手帳にはさんでおいた参院選の投票用通知ハガキをとりだして、それをポケットにつっこんだかあるいは片手に持ったまま駅へ。線路沿いをもどる。あいかわらずひろく雲がかった空だが駅舎のむこうの西空には太陽のすがたがちいさくあらわれオレンジ色が見えており、駅舎によってそれが見え隠れするものの、階段にはいって通路にのぼると脇の窓から空のその一画がとらえられて、まえを行く女性が娘らしい幼女になかば注意をうながすような、なかばじぶんで気になって首を曲げるようなそぶりをしていた。駅の反対側の高架歩廊に出れば西空はあらわにひろがって、西陽はのしかかるような雲の裾で埋めこまれたごとく収束し、光線はほそく、あたりにその色もあきらかには波及しない。西から北や頭上にかけては境やかたちのさだかではないなだらかな雲の集合がほとんどすべてを覆い尽くし、巨大な鳥の翼が世界をつつんでねむらせにかかっているかのようで、円型歩廊を行きながら反対側に目をふれば東は東でもっと色濃く青に濡れた雲が低みまで迫っているけれど、こちらでは町と雲のあいだにかろうじてすっきりとした淡色がみられた。
 図書館のあるビルにはいるが図書館にははいらず、その手前に多目的室があるのでそこへ。こちらのまえを行っていたひとのだいたいもおなじ目的で、列になった。なかにハガキ裏側の記入を済ませていないひともけっこうあって、そのひとたちははいってさいしょのスペースで記入することになる。手を消毒して待ち、職員にハガキを見せて記入してあることを示すとなかに通され、さいしょのスペースを見回してちょっと止まったが、受付はあちらだと案内されたので進み、そこでハガキを提示。スタッフの女性はこちらが期日前投票の理由として転居に丸をつけていたのにちょっとまごついて、その向こうにいたパソコンをまえにしている男性に聞いたり、こちらももともとこの住所にいたんですけどいまこっちに引っ越しましてと、ハガキの上部に付されてあった転送表示を示したりして、なんか明確な可否がなかったのだがそうしているうちにより詳しいというか、こういうことが起こったときに対応する役目らしいワイシャツスラックスの役所員風男性があらわれて、大丈夫、問題ないということを言ったので進行した。投票用紙を受け取るとき、その男性は脇から、すみません、おまたせしましたと声をかけてきた。(……)
 それで終了し、スタッフにありがとうございましたを声をかけて退出。たかだか紙に文字を書いて箱に入れるだけのことなのに、スタッフらはかならず投票を終えたにんげんにはおつかれさまでしたとねぎらいのことばをかける。すくなくとも身体的には疲れるような行為連鎖と時間ではない。スタッフのなかでは比例の投票用紙を渡す役目の、記入台のあいだの角に座っていた高年男性が、朗らかな感じでよかった。そうして駅にもどり、電車に乗って帰路へ。電車内ではまた書見。『マラルメ詩集』は読み終わっていたのか否か? もうブコウスキーを読んでいたのかな。ヤクでねむかったためかよくおぼえていない。(……)につくと(……)線に移動し、きょうもあえて(……)についたときに改札からいちばん遠い位置に降りるほうの端の車両に乗った。ひとびとの最後尾から距離をはなしてひとりでゆっくりあるいていくのが好きなにんげんである。電車はかなり混んでいる。満員までは行かないが、扉前のスペースで周囲をかこまれてつり革をつかまざるをえない。たしょうの緊張がないでもないがヤクを二錠飲んでいるので問題はない。やはり電車内では森田療法的になにもせずゆだねる方針が良い気がする。
 駅につくと降りて、ホームには風が通り、向かいのホームのさらに向こうでマンションが縦に整然と灯をつらね、自販機を見るとおとといもそうだったとおもうがなぜかほとんどの品が売切れになっている。三つだかある自販機のうちでゆいいつ、カフェオレとか果物のジュースとか、カップやパック型の飲み物を売っているものだけ売切れの点灯がほぼない。駅を出ると細道をとおり、スーパー(……)に寄って買い物することに。もう野菜とか食い物がなにもなかったので。そろそろ面倒くさくなってきたので詳細ははぶくが、こちらがキャベツを見ているときに、なんとか荒っぽい声をかけてきたやつがいて、なんと言ったのかわからなかったのだが、見れば七〇代くらいのおっさんで、あたまはかんぜんな禿ではないものの坊主みたいな短さだったとおもうが、眼鏡をかけており、こちらがリュックサックを背負って通路にいたので通りづらかったようでそれを注意されたのだとおもうが、からだをまえに、つまりキャベツのゴロゴロ乗っている棚のほうにかたむけてどいたつもりを見せ、老人がとおるさいにすみませんと言っておいたが声がちいさくて聞こえなかったかもしれない。この老人はあとで会計の段にも、ならんでいる列にはいるときに、(……)! レジふたつじゃすくねえぞ! とおおきな声で文句をつけており、なかなかの度胸である。いかにも化石的な頑固おやじという感じ。ふだんだったらこういう偉そうな人種は可及的速やかに滅べばよいとおもうこちらだが、このときはヤクをふたつ飲んでいたためなのか、特にいらだちをおぼえなかった。それにまあじっさいレジ二つでは回りが遅いから増やしてほしいということは、ならんでいるほかのひとも感じているだろう。それでスタッフはなにかボタンを押して、お客様がレジでお待ちです、というアナウンスが店内にながれ、店員のだれかがやってきてもうひとつ会計口が増えることになる。きょうこちらが当たったのはこれまで当たったことのない眼鏡の男性だった。黄色い服を着ており、店内をまわって品出しをしているところは見かけたおぼえがある。会計をすませて整理台にうつると、こちらなんて気が弱いものだから、さきほどの頑固老人が店員を急かしたのに影響されて、じぶんもさっさと品物の袋詰めをすませて場所をつぎにゆずらなければならないのではないかというこころになり、しかしじっさいにはけっこうもたもたやっているのだけれど、持ってきていたビニール袋にもろもろ詰め終えて店を発とうとあるきだすと、頑固な禿のおっさんはこちらより前にレジを通過したはずなのに、整理台のいちばん端を陣取ってまだ居残っていたので、いやおっさんそれはいいんかいとおもった。じぶんにやさしく他人にきびしいタイプのにんげんか?
 帰路について特段の印象は蘇ってこない。帰ると布団のうえで休みつつブコウスキー書簡を読み、それから食事。ねぎ塩チキン弁当というのを買ったのだ。そのほかいつもどおり野菜と豆腐。あとおにぎりも食った。スーパーでは前回買っていい感じだった冷凍のハンバーグと、おなじシリーズのメンチカツも今度は買っておいた。そしてこの夜もまたしても休息中に意識を失ってしまうというパターンにおちいってしまった。とはいえシャワーは済ませていたし、まあよい。日記も前日、七日分まで終わらせることができた。書抜きはできなかったがしかたあるまい。ブコウスキー書簡を読んでいてそういう気になったが、大切なのはやはり毎日書くということ、書くという時間のなかにはいり、そこにとどまることだ。とどまるのがむずかしい。心身的にたいへんだからだ。このような、意を尽くしていないたんなる記録としての文章でも、やはりけっこう負担はかかる。しかし毎日、できる範囲で、着実に書くこと、文をつくること、ことばを落とすこと、それだけだ。死ぬ日まで。それいがいにじぶんの本源的な望みはない。