2022/7/12, Tue.

 ドイツが生んだ偉大な芸術家ヨーゼフ・ボイスは、金言あるいはマニフェストのように「誰(end363)もが芸術家である」という言葉を発していた。わたしは、誰もが芸術をつくるべきだ、という意味だと考えていたが、ボイスはもっと基本的な可能性を語っていたのではないかといまでは思う。つまり、誰もが観客ではなく参加者になることができる、誰もが意味の消費者ではなくその生産者になることができる、ということだ(これはパンク的なDIYカルチャーの〈ドゥ・イット・ユアセルフ〉=汝自身でなせ、という信条を支えるものと同じだ)。誰もがそれぞれの生と共同体の生をつくりだすことに参画できる、ということ。これは民主主義のもっとも高邁な理想にほかならない。そしてごくふつうの人びとが言葉を発することができ、壁に隔てられることもなく、権力者に介入されることもない場所である街頭は、民主主義のもっとも大事な舞台だ。媒体 [メディア] と調停 [メディエイト] とが同じ語根をもつのは偶然ではない。現実の公共空間における直接の政治的行為は、他人同士が無媒介の交流を行なおうとするときの唯一の手段ではないだろうか。そしてこの手段は、文字通りのニュースとなることを通じて、メディアの向こう側の観者に手を伸ばす。行進と街頭のお祭り騒ぎは民主主義の示威行動として好ましい部類に含まれる。もっとも自己中心的で快楽主義的な表現であっても、人びとに大胆さを失わせず、公然とした政治的利用のために街路を開けた場所に保つという役目を果たすのだ。行列、デモ、抗議、蜂起、都市革命。これらはすべて、日用のためではなく、表現あるいは政治的な理由によって公衆が公共空間を移動することに関わっている。その意味において、これらは歩行の文化史の一部なのだ。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、363~364; 第十三章「市民たちの街角――さわぎ、行進、革命」)



  • 日記読み: 2021/7/11, Sun.


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 九時ごろに正式な覚醒。昨晩はれいによって疲れのためにシャワーと歯磨きをできず、意識を消失。四時ごろだったか、四時五一分だったかにいちど覚めたおぼえがある。しかしそのときに消灯したのだったか、すでに消灯はしていたのだったかは記憶がない。いずれにせよ九時に覚めると寝床で深呼吸をしつつ腹を揉んだりこめかみを揉んだり頭蓋を揉んだり。起きてすぐにみぞおちから腹から下腹部にかけてをひろく隅々まで揉みほぐしておくというのは、やはりなんだかよい。九時三八分に立ち上がった。紺色のカーテンをあけるとレースと外気の白さが目を撃つが、しかしきょうの天気は晴れではなくて曇り、もしくは雨のようだ。このあと本を読んでいるあいだや瞑想中に聞こえた車の走行音には、水のひびきがふくまれていた。洗面所に行って顔を洗い、デスクについて冷たい水を一杯飲む。冷蔵庫で冷えた水はつめたいので一気にごくごく飲む気にならず、すこしずつ口をつけるので、そのあいだはコンピューターをまえにしてウェブをみている。あと、ここで昨晩できなかった歯磨きもした。そうしながらきのうの帰路にスマートフォンで読んでいた昨年七月一一日の記事のつづきを読んだ。(……)くんと『アメリカン・ユートピア』を観に行った日。この映画について、書いたときにはおぼえていることをけっこうたくさん書けたなという感じがあったとおもうのだが、いざ読みかえしてみるとそこまででもない。もっとたくさんおぼえて、もっとたくさん書きたかった。よい感想か、するどい批評か、ただしい鑑賞か、益する視点か、すぐれた文章か、そんなことはどうでもよい。できるだけのことを記憶し、できるだけのことを記録したい。
 一〇時をまわって寝床にもどる。というかそのまえに、ブコウスキー書簡集を読み終えたからあたらしく読む本をえらぶ段があり、小説も読みたいなとおもいながらも、高田瑞穂『新釈 現代文』というちくま学芸文庫の本をえらんでしまった。図書館で借りた『ベアト・ブレヒビュール詩集』は、なんかいいかなという気になった。ブコウスキー書簡から書き抜くところもたくさんあってたいへんだし。読むだけならよいのだが、書抜きの手間もかんがえると図書館で借りる本はまいかい一冊か、せいぜい二冊にとどめないとたいへんだろう。
 小説を読まねばというおもいもありつつまたひとが文章を読んで解説するたぐいの本をえらんでしまったのだが、中島敦がちょっと気になっているので、かたわら青空文庫で読もうかとおもっている。併読がうまくない人種なのでできるかわからないが。高田瑞穂のこの本は大学入試の現代文の読解について書いたもので、だから受験参考書のたぐいではあるのだが、教養主義的なむかしの学者の書いたものなのでしっかりしている。読み取りの細部にはたしょうひっかかりがあったり、作者の内面や意図や「共感」を説明において重視する姿勢は古臭さをおぼえるが、初版は一九五九年だというので不思議ではない。構造主義を通過していないということだろう。たんに問題の解説とかだけではなく、現代文とはどういうものなのかとか、筆者が述べている問題をいままでじぶんの生活のなかで具体的に意識したことがなければ、文章の理解度は格段に変わるとか、それはまああたりまえのことなのだけれど、だから現代文がわからないというのはさまざまなことにたいするあなたがたの問題意識や関心がいかにも希薄なことの証左なのだとか、大学受験生にたいしてよりおおきな理解や見通しをあたえるようなきちんとしたことを述べたりもしており、かつそれらが論脈としてうまくつながって説得的に語られるようになっていて、なかなかよい本なのではないか。こちらが塾でおしえている高校生とかにも読んでほしいが、ただこちらが接するようなレベルの学生の大半はこれを読む程度の能力の関心ももたない。
 こういう種類の本を読んでしまうというのはまえからいっているようにけっきょくじぶんの関心がただテクストを読むだけではなく、どのように読むのか(読むべきなのか?)、ひとはテクストをどう読むのか、他人はどのように読んでいるのか、という点にもあるからで、だから文学理論とか批評の本なんかも読んでしまうわけだが、まえまえからずっとおもっているのは、ほんとうにテクストを一文一文こまかく見て、読み取れることやわかることや感じられることなどをぜんぶ書いたような読みの本が読んでみたいということで、それはじぶんでもそういうことをやりたいともおもっているのだけれど(いわば窮極的な、アルティメットな読みの欲望というか)、そういう本はない。そこまでこまかくやるとなると、注釈、もしくは研究ということになってしまうだろう。ただ、そういうことを注釈や研究としてではなくて、エッセイとしてやったようなものが読んでみたいのだ。その点で、ロラン・バルトの『S/Z』はやっぱり画期的なすごい本だったのだなとおもう。ああいうことを、あれとはまたべつのやりかたでやってみたいのだが。
 一一時半過ぎまで読んだ。窓外では保育園の子どもたちが太鼓の音にあわせて声をあげたり、わっしょい、わっしょい、と掛け声を唱和したりしているのが聞こえていた。夏祭りイベントの練習ではないか。まえに今年も夏祭りイベントの練習がはじまります、さわがしいですがご容赦くださいみたいなお知らせがはいっていて、七月一五日くらいの日付が書かれてあったような気がするのだが。一一時四〇分から椅子にすわって瞑想。瞑想とは身体のことであるという認識をあらたにした。精神や意識はどうでもよろしい。からだを感じることだ。呼吸に集中する方法もあるし、道元だって調身・調息・調心ということをいっているわけだが、静止方式においては意外と呼吸は第一の感受対象にはならない。なにもしないことを旨とするかぎりでは、それはただ放置された自動作用として見え隠れしつつそこにあるだけだ。静止的な瞑想において主に感得されるのは、まずもって肌の感覚である。皮膚の表面の感覚と、そのしたのすじや内臓などの感覚で、つまり内外の触覚こそが瞑想にあって感じられるべきからだだとおもう。マインドフルネス方面のいわゆるボディスキャンはこれをより意識的に、システマティックにやろうとした技術だろう。ボディスキャンにおいてはたぶんあたまからはじまってだんだんとおりていってみたいな順序が設定されているとおもうが(白隠禅師の「軟酥の法」もこれとおなじだとおもう)、べつにそのように整序的にやる必要はない。むしろ、意識の志向性は、身体の一所にとどまったり明確な順序を構成したりせず、肌内外のあらゆる点やあらゆる方向に拡散しながら、ゆびのようにしてからだをなぞっていく。そうしてときにはとまったりときには飛んだりしながらいろいろなところに意識をむけ、また意識をむけた部分の裏でそのほかの身体領域のうごめきをも総体的になんとなく感じているうちに、なぜか皮膚やすじがゆるんでくる。これはじっさい物理的に変形しているはずで、ぴくぴくこまかくうごいたり、筋肉が伸びたようになるのがあきらかに感じ取れてわかる。ただそれはストレッチをやったときのように、いかにも伸びるというほぐれかたとは違う。柔軟は伸縮の問題であり、そこには弾力と密度がのこる。瞑想はより細密な芯からほぐれるような感覚であり、肉のなかの風通しがよくなって窮屈さから解放されるようなありかたである。
 正午まで二〇分。そうして食事。食い物がもうメンチカツ二つとベーコンしかないのでそれを電子レンジで熱して食うしかない。醤油をかける。食いつつ一年前の日記を読んだり。すぐに平らげるととりあえず食器は流しにはこんで皿に水を溜めておき、洗濯もしたいがさきにシャワーを浴びたい。しかし腹が落ち着くまで待とうときょうの記事をつくったりなんだりして、本文もここまで記した。いまは一時半直前。きょうは晴れ晴れとした天気ではなく、いまは降っていないようだけれど洗濯をしたところでなかに干したほうがよさそうなのだが、どうもこれから数日かっきり晴れる日はなくてぐずぐずつづくようなので、乾きがわるくともきょう洗ってしまうに越したことはない。


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  • 「ことば」: 1 - 9
  • 「英語」: 470 - 487


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 日本会議(ニッポンカイギ)は1997年5月30日に「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」を統合して結成された日本最大の改憲右翼団体であり、会員数3万8000人を擁し、全国47都道府県すべてに本部、区市町村に242の支部を持っており(『アエラ』2015年8月31日号)、「草の根」の「国民運動」を展開しています。
 日本会議の前身の一つ「日本を守る会」(1974年4月結成)は生長の家創始者である谷口雅春新宗教神道系の宗教団体を中心に結成され、1975年に「昭和50年を祝う国民の集い」を開催して右翼的国民運動を展開し始めました。一方「日本を守る国民会議」(1981年結成)は、1978年に石田和外・元最高裁長官の呼びかけで発足した「元号法制化実現国民会議」の延長線上に、右翼的な学者文化人や経営者を中心として再出発したものです。
 したがって、前史を含めると、日本会議の右翼的国民運動はすでに40年の歴史を持っており、ホームページによれば、その実績として、①元号法制化、②皇室奉祝運動、③教育「正常」化と歴史教科書編纂、④戦没者追悼行事、⑤自衛隊PKO活動支援、⑥憲法改正提唱などを挙げています。この国民運動の特徴は政治運動と直接的に呼応していく点にあり、日本会議と連携する「日本会議国会議員懇談会」(平沼赳夫会長)には自民党を中心に、民主党、次世代の党、維新の党など超党派の281人が(前掲『アエラ』)加盟しています。
 また、日本会議神社本庁と密接な関係があり、日本会議の副会長に神社本庁総長・田中恆清(石清水八幡宮宮司)、同じく顧問に神社本庁統理の北白川道久(元・伊勢神宮宮司)が就くなど、多くの神社関係者が日本会議の役員を務めています。そのため、神社本庁が1969年に組織した「神道政治連盟」(神政連)は今では日本会議と緊密に連携し、靖国神社行事の国家儀礼化、選択的夫婦別姓制度の導入反対、皇室と日本文化の尊重などの運動に取り組んでおり、「神道政治連盟国会議員懇談会」には303人(2015年8月現在)の国会議員が参加しています。
 極めて重大なのは、安倍政権が「日本会議政権」と言っても過言ではないほど、切っても切れない関係になっていることです。2015年10月に発足した第3次安倍改造内閣の閣僚20人のうち少なくとも12人が「日本会議国会議員懇談会」のメンバーであると見られ、「神道政治連盟国会議員懇談会」の参加者17人と合わせると、実に政権の9割(20人中18人)を右翼改憲勢力が占めていることになります。(……)

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 ところで、参議院で安保関連法案が審議中であった2015年8月11日、この法案を支持し早期成立をめざす立場から「平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム」なる会が381人の呼びかけ人・賛同者で設立されました。このフォーラムの声明文は基本的に安倍政権の主張をなぞったものに過ぎませんが、「平和安全法案は戦争を抑止するためであり、『戦争法案』ではない。にもかかわらず、『徴兵制に行き着く』などとあり得ない危機を煽るのは、無責任であり、非現実的である」と安保法制反対の行動に起ち上がった人びとの声を封殺する態度を示しています。このフォーラムの設立呼びかけ人のメンバーを見ると、日本会議会長の田久保忠衛と代表委員の長谷川三千子が名を連ね、ほかにも櫻井よしこ大原康男中西輝政渡部昇一改憲派の学者文化人、安保法制合憲を唱えた憲法学者百地章西修ら、「いつもの」顔ぶれが並んでいます。

 神道政治連盟(神政連)の国会議員懇談会(安倍晋三会長)で配られた冊子が、保守的キリスト教の価値観に基づくLGBTへの偏見に満ちていると批判を浴びている。6月13日に行われた同懇談会の席上、参考資料として配布された冊子は『夫婦別姓 同性婚 パートナーシップ LGBT 家族と社会に関わる諸問題』と題し、それぞれのテーマで連盟が招いた講師による講演録を収めたもの。
 神政連は全国の神社を統括する神社本庁の関係団体で、その理念に賛同する国会議員263人が所属。そのほとんどが自民党選出の議員で、保守系団体「日本会議」国会議員懇談会との重複も多い。歴代政権では安倍内閣の閣僚20人中19人、菅内閣20人中18人、岸田内閣20人中17人が属するという蜜月ぶり。
 問題とされているのは「同性愛と同性婚の真相を知る」と題した、弘前学院大学宗教主任の楊尚眞(ヤン・サンジン)氏による講演。この中で楊氏は、講演の目的を「性的少数者を卑下したり、軽んじることでは」ない、「性的少数者の人間としての尊厳や人格を尊重しなければ」ならないとしながらも、海外の研究結果を引き合いに「同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく後天的な精神の障害、または依存症」「体の性は男と女の二つしかなく、性的指向、性同一性・性自認、性表現の性差は全て精神領域の範疇」「LGBTの自殺率が高いのは社会的な差別が原因ではない」と断言。「同性愛擁護者や左翼活動家が同性婚合法化や差別禁止法の制定等によって」目論んでいるのは、「包括的性教育により性は男女だけでなく多様な性があることを主流にし、社会を性愛化した先にある」「伝統的家族制度の解体、キリスト教等の反同性愛宗教、性規範の解体」だと主張している。
 神政連の担当者によると、性的マイノリティをめぐる問題について「本質的な理解を深めるため」、昨年10月に連盟の機関誌「意(こころ)」(215号、現在はサイト上から削除)=写真=への寄稿を依頼したのが契機。同誌には講演と同じ「同性愛と同性婚の真相を知る」と題して、楊氏による文章が掲載されている。その中で楊氏は、「同性愛を好感的に表現している映画や動画、BL/GL漫画に興味を抱き、同性との性行為を経験することによって同性愛者になることも」ある、「同性婚合法化は、公共の福祉、即ち、他者の権利に反することになり、憲法で保障されている表現・学問・思想・言論・信教の自由が侵害される」「環境の被害者となるのではなく、自然の摂理の中で生まれた人間がその摂理に従った生き方を取り戻して行くことが幸福な人間の姿」などと持論を展開。

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 在日大韓基督教会の牧師でもある楊氏は、2010年に同大学へ赴任。現在は唯一の宗教担当者として礼拝の司式やキリスト教関連の講義を担当している。本紙の取材に対し同氏は、「現在はコメントできる心境ではない」としながらも、「事実を歪曲して報じられた。選挙期間中、自民党を攻撃するために講演の一部を切り取って『差別的』と糾弾された」と反論。講演の内容は一個人の主張ではなくアメリカなどの研究で証明された「事実」に基づいており「差別の意図はない」、「あくまで個人的な研究であり、学内で同様の考えを披露したことはない」と主張した。
 同じ在日大韓基督教会の関係者によると、かねてから楊氏の神学的立場は原理主義ファンダメンタリズム)であり、以前にも性的マイノリティをめぐる差別的な言動で糾弾された経緯もあるという。なお、略歴に列挙された多数の著書について本人に尋ねると、いずれも自費出版であり、日本では聞き覚えのない「ダキュピア出版社」に至っては出版社ですらなく、韓国の印刷サービス業者であることが判明した。

山上容疑者は「宗教団体のメンバーを狙おうとしたが、難しいと思い、安倍元総理を狙った」と報じられてきたが、この宗教団体は、旧・統一教会(世界平和統一家庭連合)である。かねてより霊感商法や集団結婚で話題になってきた新興宗教だ。

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なぜ山上容疑者は、統一教会安倍氏と接点があると考えたのか? 統一教会系の政治団体国際勝共連合」は、1968年に創設された保守系グループであり、自民党保守系議員とも密接な関係があると言われる。ネット上では、かねてより安倍氏勝共連合の関係が取り沙汰されてきた。

統一教会と敵対関係にある日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」では、昨年9月12日、旧統一協会系の天宙和連合(UPF)の集会に安倍氏がオンラインで出席し、「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」と発言した模様を報じている。

保守系政治家の雄であった安倍氏統一教会との接点は、かねてより永田町関係者では公然の秘密だった。たとえば安倍氏と近いある参議院議員の場合は、「統一教会丸抱え」と言われるほどの密接の関係にあり、統一教会幹部も「あの議員はうちの票で当選できている」と認めるほどだった。

いわゆる“統一教会”は、「世界基督教統一神霊協会」として1954年、教祖の文鮮明(ムン・ソンミョン)氏が創立しました。その後日本でも活動を始めた、キリスト教系の新宗教団体とされます。

しかし、教団をめぐっては悩みにつけこみ、不当に高額な壺や印鑑などを買わせる「霊感商法」との関連が取りざたされたほか、教団の決めた相手と結婚する「合同結婚式」や、教団名を隠した「信者勧誘」などが1980年代以降、社会問題化しました。

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長年、被害者の救済にあたってきた「全国霊感商法対策弁護士連絡会」代表世話人の山口広弁護士に聞きました。山上容疑者の母親が入信した1990年代の教団について、「当時は(教祖の)文鮮明からの毎月何億円という指示が繰り返し来るわけですよ」と言います。

「そうすると“統一教会”としては物品を売っている、あるいは献金を集めるだけでは間に合わなくなるので、信者が持っている不動産を担保に、金融機関からお金を借りさせるわけですよ。今も強烈に覚えていますが、20億(円)くらい取られた人がいました」

中には、自己破産する信者も少なくなかったといいます。

一度教団を離れてから数年後に戻るケースも多くあったといい、「やはり心の底の中では何か嫌なこと、不幸なことが起こると、離れたせいじゃないかと。罰が当たったんじゃないかという感覚を持つんですよ。それで結局(教団に)戻ってしまう」と山口弁護士。

田中 [富広] 会長が会見で強調した「今は変わった」という主張について、山口弁護士は「今も続いていますよ、今も続いています。私どもとしては深刻な被害の相談を、今も受けています」と明かしました。

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去年9月、教団と創始者が同じ友好団体が主催する行事に、安倍元首相はビデオメッセージを寄せていました。

「およそ150か国の国家首脳、国会議員、宗教指導者が集う希望前進大会で世界平和をともにけん引してきた盟友のトランプ大統領とともに演説する機会をいただいたことを光栄に思います」と、教団の指導者が進める世界平和運動に賛意を示していました。


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 一時半のあとには皿を洗い、歯磨きもふたたびした。シャワーをさっと浴びたあとに、いま着ていた下着もふくめて洗濯。このすこしまえにレースカーテンに薄光がやどっているのが見えて、意外と晴れているのかとつかったバスタオルをそとに出しておいたが、洗濯が終わったころにはひかりは消えまた空がよどんだいろに満たされていたので、雲行きがあやしいしやっぱりぜんぶなかに干そうと判断した。それでハンガーにそれぞれ吊るしてカーテンレールにかける。洗濯ばさみで肩を留めることもピンチで棒にはさむこともしなくてよいのでその点は楽だ。エアコンはドライで入れておいた。
 音読。きょうはあまりガンガン読めるという感じではない。口もそんなによくうごかない。それでも英文をそこそこ読んだ。音読のとちゅうからBGMとして、生活向上委員会『ライヴ・イン・益田』をながしていた。Coltraneのカルテットみたいな感じの日本のジャズ。七六年の録音らしい。なかなかよい。ピアノの明田川荘之 [しょうじ] というのは、西荻窪の「アケタの店」の創立者で、この店の名はきいたことがある。音源のなかではCecil Taylorばりにガンガン叩いていてよかった。その後書抜きにうつったのだが、この音源が終わったあとにながれだしたのがラテン風味の音楽にちょっと粘りのあるギターが乗っているやつで、初期のSantanaっぽいなと、初期Santanaなんてほとんど聞いたことがないのだがおもってみてみると、まさしくそうだった。『Ultimate Santana』というベスト盤のなかの、"Oye Como Va"。"僕のリズムを聞いとくれ"という邦題になっており、ゆうめいらしい。六二年にTito Puenteがつくって出し、Santanaは二枚目でとりあげていると。Tito Puenteはまえに一枚だけもっていたおぼえがある。それでSantanaのこのベストアルバムもながそうかなとおもっているうちに曲が終わってまたべつのランダム再生に移行したところ、ここでながれたやはりラテン風味のピアノ音楽がよく、これはなんだとみてみるとRuben Gonzalez『Introducing』というものだった。ぜんぜん知らなかったのだが、レジェンド的なキューバのピアニストらしい。Buena Vista Social Clubにも参加しているもよう。ヴィム・ヴェンダースが撮ったドキュメンタリー、ブックオフで買って実家にあるのだけれど、見ていない。このときながれたのは三曲目の"Tres lindas cubanas"という曲で、ききおぼえがある気がしたのだが、これはたしかおなじくキューバ出身のピアニストであるFabian Almazanがファーストアルバムの八曲目あたりでとりあげていたのではないか? 『Introducing...Ruben Gonzalez』はかなりよい。すばらしい。きもちがよい。よい音楽に遭遇した。Amazon Musicの自動再生機能はけっこうわるくない。Coltrane風の日本ジャズからラテンに飛んでいるわけだし。生活向上委員会にはラテン要素もないし、ギターもふくまれていないのに、なぜSantanaにつながったのかよくわからないが、そのランダム感にはむしろ意義がある。
 書抜きはレベッカ・ソルニットの『ウォークス』を三箇所やり、そのあと『マラルメ詩集』を終わらせた。ブコウスキー書簡集にまで取り組むちからはなく、からだがつかれた感じがあったので、五時くらいで立ち上がり、屈伸したりしてから小便に行き、そのあと布団に避難した。さいしょのうちは目を閉じて脚をほぐしながら詩篇を五行くらいかんがえたが、それいじょうつづかないのでChromebookをもってきてウェブ記事を読んだ。あと高田瑞穂の『新釈 現代文』も。そのあとちょっとねむくなったので、意識を落としはしないが目を閉じて休む時間をつくり、まどろみいじょうに本格的に沈まないように注意し、六時四〇分くらいに復活して床をはなれた。それからここまで加筆して七時一五分。食い物がないので面倒くさいが買いに行かなければならない。きょうじゅうにおとといときのうの日記も終わらせたいところ。


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  • 「読みかえし1」: 142 - 169


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 Tシャツと真っ黒なズボンにきがえて窓をあけ、手を出したり道路のいろを見て雨が降っていないことを確認した。そうしてエアコンを消し、デスクライトも消して、Mobile Wi-Fiも電池がもったいないので電源を切っておき、クラフトコーラの缶を持ち、財布とビニール袋しかはいっていないリュックサックを背負った格好で八時過ぎに買い物に出た。アパート脇のボックスに缶を捨て、道へ。夜に買い物に出るときはわりといつもそうだが、右に折れる。車はよく通るがそこまでおおきな通りともいえない、半端な車道に沿っていく。車がないうちに向かいにわたってしまい、すすめば「(……)」という塾がある。階上の室内に目をやってみると蛍光灯のあかりのしたでワイシャツすがたのひとが机についてなにかやっていた。ほかに人影は見えなかったが、一階部分には自転車がいくつか停まっていたので、フロア奥に生徒もいたのではないか。横道にあたってここでも横断歩道を待たず車の来ないうちに渡り、右に折れる。夜気は涼しく微風がながれ、焼き鳥屋の軒先に下がる提灯がちいさく弱くうごいている。角にある駐車場の敷かれた砂利のうえを斜めに踏んでいき、(……)通りへ。はいってすぐ、まっすぐ前方につづいて見通される道の両側に街灯がおおいなとおもった。提灯のようなかたちの籠型の囲いのなかに白い灯りがおさめられて浮かんでいるのだが、通りの左側などその白灯がずいぶん間近くいくつもならんで奥に向かってつらなっているのが見えて、ほとんど一軒ごとにまえに置かれているのではないかというくらいだが、地元とくらべるとずいぶん間隔がせまく多いなとおもった。さしてにぎわう場所でもないが、家に帰るひとの通りは多いのだろうし、さすが都市部だから治安に配慮しているのだろう。すすんでいって車道に行き当たると、向かいの角にはピザーラがあって、いま配達のバイクが一台帰ってきたとともに店員がふたり出てきてうちのひとりは箒かなにかもっていたが、バイクの周りをうろついてなんとかやりとりしただけで店にもどった。すこしジャズっぽいしずかなピアノの音がうすく聞こえ、これはまえにも聞こえたことがあるのだけれど、あれはまさかピザーラの店でかかっているBGMなのだろうか? 左に折れていくと風がながれ、街路樹がふるえるとともに周囲でパチパチというおとが二、三、聞こえて、葉が落ちた音かともおもったが、雨が散りだしたのではという気配もあり、風のながれかたやあたりの雰囲気もいかにもそれっぽい。通りの対岸にあるのが目的地のスーパー(……)で、向かいのガードレール沿いに数本ならぶ街路樹の、夜のなかで色を深めた緑に満たされたこずえのあいまに建物おもてを横にながく灯った白々とした明かりが見える。ジョギング中のひととすれ違い、道沿いのコインランドリーをのぞけばここもおなじ衛生的な白いあかるさの店内にきょうはだれもひとがいなかった。空の籠だけがいくつか置かれてある。そのさきのクリーニング屋は閉店したようでなかは店の体をなくしており、そのあたりまで来ると風とともに雨粒の感触が肌に触れて、やっぱりはじまったのかとおもった。横断歩道を渡って入店。手を消毒し、籠を持って回る。キャベツに大根、バナナにニンジン、豆腐、冷凍のハンバーグにナンとかピザブレッドとかレンジで温める系の食い物、ハーフベーコンにサラダチキンとどんどん入れて籠を重くしていき、野菜も買うしハンバーグとかも買うから弁当のたぐいはなくてもよかったのだけれど、マグロ丼を食うかという気になってそれを最後に乗せた。そうして会計へ。白髪の男性のところへ。きょうはレジは空いていた。平日の八時過ぎくらいは空いているのか。それか電車のタイミングの関係か。たびたびありがとうございま~すという声を出す白髪のこのひとは「(……)」というなまえであることをきょう名札で確認した。読み込んでもらい、機械でもって会計を済ませ、整理台にうつってリュックサックとビニール袋に品物を詰め、退店。さきほどはじまっていた雨が降りにいたっており、横断歩道をわたりながらマスクをはずすとアスファルトのにおいが立ち、それに混じって熱も浮かんでくるのか肌のまわりに温みがただよったが、スーパーに冷房がかかっていたためかもしれない。裏路地にはいる。雨は着実に服を濡らすが、そこまで大降りではなく、ことさらには急がない。とはいえ周囲の庭木は風にゆらぎつつ音を立てるし、車が来ればヘッドライトのなかにわずかにかたむいた白線が、細いワイヤーを切れ切れに貼ったように刻まれるし、次第に降り増しても来て、ビニール袋を右手に提げながらたしょうは足をはやめてしまう。おなじく傘をもたない犬の散歩の婦人がいた。路地を抜けると横道がはさまり、そこもさっと渡ってまた裏へはいったころにはふつうの降りになっており、シートの敷かれた空き地のまえにかかるとサー……という響きがひろがっていかにもだが、走るのはもちろん早歩き程度の気も起こらない。あたまに触れてみてもそこまで濡れてはいなかった。
 帰宅すると食事。サラダと豆腐とマグロ丼。その後、あたたかいものがほしかったので、(……)くんにもらった味噌とワカメをつかうときが来たというわけで、このあいだニトリで買ったお椀を取って味噌汁をつくる。いちおう水でいちど洗っておき、電気ケトルで湯を沸かして、ちょっと置いたあと蓋をあけたまままた沸かし、カットワカメとボトル型の味噌を入れたところに熱湯をそそいだ。箸でかき混ぜてコンピューターの横に置き、温度が下がるのをちょっと待ちながら飲む。薄かったので味噌を足した。オーケー。その後は洗い物をして、音読。興が乗って、芝健介『ホロコースト』からの引用をぜんぶ読んでしまった。ショアー関連の本ももっと読みたい。読んでいるあいだはだいたい腹を揉んでいて、みぞおちからそのしたから臍まわり、左右まで全般的に揉むのだけれど、なんかよい。そのあと日記を書こうというわけで、一〇日の記事にとりかかったところが、Bill Evans Trioを聞いておもったことを書くのになぜか苦戦し、ぜんぜんさらさら書けず、予想外に時間がかかってしまった。やっぱりなんかうまいこと言ってやろうみたいな、そういう邪念があってあれなのだろうか。さいごでサン=テグジュペリのことばになぞらえていかにもな感じにもしてしまったし。ともかくそれを書いたあとはさっとながして仕上げ、投稿。音読をしているさいちゅうにふと、(……)さんと同様はてなブログを限定公開にして、noteのほうに不都合な部分は除いたかたちでまいにちの日記を投稿していけばよいのではないかという案をおもったのだけれど、ただ現状こちらのはてなブログを読んでいる人間なんてほぼいないわけで、検索エンジンにも載らない設定にしているから新規流入もまずないはず。読んでいるひとがだれかにおしえなければたどりつけないはず。(……)くんがいずれしごとをくれるみたいなこともこのあいだ言っていたし(そんなにすぐではなく、あるとしても何年か先だろうが)、もしほかのばしょでなにか書いたりしてそれをブログと接続されるとまずいとなったときには限定公開会員制にすればよいが、まだそこまでではない。ただいっぽうで、noteにいまは「風景」というカテゴリをつくり、日々の記述のなかから風景っぽいところだけピックアップしてあげているのだけれど、これをやっぱりもうまいにち日記をあげるかたちにして、不都合なところを除くというよりさらに絞って、まああげてもいいかなという部分だけあげるというふうにやってみるか? という気になった。まえにもnoteに日記はあげていたわけだが。それがだんだん嫌になったので今回もあしたになればまた気が変わっている可能性もあるが、とりあえず一〇日分はそのようにして音楽の感想とか短歌とかをあげておいた。これまで記事タイトルは「風景: 209」という感じだったが、日記と位置づけたからにはタイトルは日付にするのが本義である。したがってはてなブログのほうとおなじ、「2022/7/10, Sun.」。日記ブログを標榜しながらも、記事に日付ではないタイトルをつけるブログが世にはおおすぎる。邪道である。日記ブログの質はまずその点でおおかたふるいわけられると見てよい。日記ブログだと言っていながら日付以外の文言をタイトルとしているブログは、本文を読むまえに、その時点でほぼつまらないと判断してさしつかえない。なかに貴重な例外もあるが。
 その後きょうのことをここまで書いて一時二五分。きのうのこともほんとうは書きたかったが、あしたにゆずるべきだろう。あと、九時ごろに携帯をみると職場から着信がはいっていて、電話が来るということはおおかた勤務追加の相談なのだが、あしたはもうかんぜんに休みのつもりでいたので、あしたはとかいわれたら面倒くさいなとおもって音読に逃げてショアーについての記述を読みまくり、一〇時二〇分ごろになってようやく折り返したところ、あしたではなくてもともと一コマはいっていたあさってを二コマにできないかということだった。それならよかった。了承。二日連続ではたらくのはやっぱり避けたい。いまは電車に乗るのもけっこうたいへんだし。一日はたらいたら一日休む、これこそが二一世紀の標準とするべき人間の生活である。さっさと全世界的にそうなってほしい。というかほんとうはもちろん、週一日も義務的な労働をしなくてよいようになってほしい。義務的な労働の意義もむかしよりははるかにみとめるようにはなっている。単に金を稼ぐということ以外に、じぶんなりの現場を持ちそこでひととかかわり共同体や権力や人間について学び、個々の行為を実践する経験を積むということである。人間にはそれがあったほうがよい。しかし義務的な労働がなくても、本人の意思次第で、べつのかたちでそのような現場と実践をもつことはできるだろう。


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  • 日記読み: 2021/7/12, Mon.