2022/7/19, Tue.

 娼婦たちはほかのいかなる女性よりも厳格な規制のもとにおかれてきた。そのさまは、まるで彼女たちが身を躱 [かわ] してきた社会的な軛が、法に姿を変えて彼女たちを追い回しているようだ。(いうまでもなく、娼婦の客は法的にも社会的にも規制を受けることもなかった。以前の章で採り上げたベンヤミンブルトンを考えてみればよい。彼らが娼婦との関係を書くとき、文化人の社会的地位や夫に値する男性という立場を失う心配は不要だった。) ヨーロッパの多くの(end398)国では十九世紀のあいだを通じて、売春が許される状況を限定することによってその規制が試みられた。そしてこの施策は、しばしば女性が出歩くことのできる状況を限定することにつながっていった。十九世紀において女性は都会生活の暗所に向きあうにはあまりにかよわく純粋な存在とみられることが多く、公明な目的もなしに出歩くことは評判を落とすことにつながった。そのため、女性たちは買い物という行為によって自分が売り物ではないと示し、自分たちの振舞いを正当化した。商店は安心してぶらつくことのできる半公共的な空間を提供していた。なぜ女性は遊歩者 [フラヌール] になることができなかったのか、という問いに対するひとつの答えとして、彼女たちは商品として、あるいは消費者として都市の商活動から十分に身を引き離すことができなかったからだ、ということがある。店仕舞いの時間を過ぎれば、彼女たちが街をさまよう猶予もお終いになるのだ(このことは、夕方以降しか自由な時間を持てない働く女性にとって非常に難儀なことだった)。ドイツでは風紀取締班は夜ひとりでいる女性を訴追した。ベルリンのある医者によれば、「通りをぶらつく若い男の考えていることは、世間的にまともな女は夜ひとりでいるところを人に見られるようなことをするわけはない、ということだけである」。皆に見られる存在であること、そして自立した存在であることは、その時代にはなお性的な不道徳性と等価に捉えられていた。これは三千年前とまったく同じで、女性のセクシュアリティがいまだに地理的・時間的な居場所による規定を被るものとされていたということだ。ドロシー・ワーズワースとフィクションにおける彼女の姉妹のようなエリザベス・ベネットが、田舎歩きに出ていったことでひどく叱責されたことを考えてみればよい。あるいはイーディス・(end399)ウォートンの『歓楽の家』のヒロイン。ニューヨーク暮らしのヒロインの社会的地位は、小説の冒頭、一杯のお茶のために男の家にひとりで入ったことで危険に曝され、さらに夜、ほかの男の家から出てくるところを見られたことで回復し難く崩壊するのだ(法が「いかがわしい女性」を統制する一方で、「品行方正な女」はしばしば互いに目を光らせていた)。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、398~400; 第十四章「夜歩く――女、性、公共空間」)




 覚めると七時半ごろだった。デスクライトがついたままで、布団もからだのうえにかかっていなかったので、またあいまいなかたちで眠ってしまったのだった。とはいえ昨晩はもう寝るつもりでシャワーも浴び歯磨きもして、エアコンも消していたのであまり問題はない。布団をかけておらずとも寒さも感じず、喉がカサカサしているということもなかった。そこがおのずと正式な目覚めになり、深呼吸したりからだの各所を揉んだりしながらゴロゴロしているあいだに八時四五分にいたって離床。きょうは保育園に子どもたちが来ているのがきこえる。洗面所に行って顔を洗い(と書いていて、いま洗濯機のなかでおどっている洗い物のなかに洗面所のタオルを入れ忘れたのに気づいた)、出ると黒いマグカップに水を一杯そそいでからだに水分を補給して、寝床に舞い戻る。マルクス・ガブリエルと中島隆博の『全体主義の克服』はおとといもう読み終えていたが、つぎになにを読むかが決まっていない。それで今朝は寝床のかたわら、枕のうえに置いてあったChromebookを取り(ほんらい枕のある位置には二つ折りにした座布団を据えている)、(……)さんのブログやじぶんの過去の日記を読んだ。(……)さんのブログの七月一三日付には夏目漱石虞美人草』の記述がいくらか引かれていたが、それらがおもしろかった。以下の三つ。

 この作者は趣なき会話を嫌う。猜疑不和の暗き世界に、一点の精彩を着せざる毒舌は、美しき筆に、心地よき春を紙に流す詩人の風流ではない。閑花素琴の春を司どる人の歌めく天(あめ)が下に住まずして、半滴の気韻だに帯びざる野卑の言語を臚列(ろれつ)するとき、毫端(ごうたん)に泥を含んで双手に筆を運(めぐ)らしがたき心地がする。宇治の茶と、薩摩の急須と、佐倉の切り炭を描くは瞬時の閑(かん)を偸(ぬす)んで、一弾指頭(いちだんしとう)に脱離の安慰を読者に与うるの方便である。ただし地球は昔しより廻転する。明暗は昼夜を捨てぬ。嬉しからぬ親子の半面を最も簡短に叙するはこの作者の切なき義務である。茶を品し、炭を写したる筆は再び二人の対話に戻らねばならぬ。二人の対話は少なくとも前段より趣がなくてはならぬ。

     *

 自分の世界が二つに割れて、割れた世界が各自(てんで)に働き出すと苦しい矛盾が起る。多くの小説はこの矛盾を得意に描く。小夜子の世界は新橋の停車場(ステーション)へぶつかった時、劈痕(ひび)が入った。あとは割れるばかりである。小説はこれから始まる。これから小説を始める人の生活ほど気の毒なものはない。
 小野さんも同じ事である。打ち遣った過去は、夢の塵をむくむくと掻き分けて、古ぼけた頭を歴史の芥溜(ごみため)から出す。おやと思う間に、ぬっくと立って歩いて来る。打ち遣った時に、生息(いき)の根を留めて置かなかったのが無念であるが、生息は断わりもなく向(むこう)で吹き返したのだから是非もない。立ち枯れの秋草が気紛の時節を誤って、暖たかき陽炎のちらつくなかに甦えるのは情けない。甦ったものを打ち殺すのは詩人の風流に反する。追いつかれれば労らねば済まぬ。生れてから済まぬ事はただの一度もした事はない。今後とてもする気はない。済まぬ事をせぬように、また自分にも済むように、小野さんはちょっと未来の袖に隠れて見た。紫の匂は強く、近づいて来る過去の幽霊もこれならばと度胸を据えかける途端に小夜子は新橋に着いた。小野さんの世界にも劈痕が入る。作者は小夜子を気の毒に思うごとくに、小野さんをも気の毒に思う。

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 謎の女の云う事はしだいに湿気を帯びて来る。世に疲れたる筆はこの湿気を嫌う。辛うじて謎の女の謎をここまで叙し来(きた)った時、筆は、一歩も前へ進む事が厭だと云う。日を作り夜を作り、海と陸(おか)とすべてを作りたる神は、七日目に至って休めと言った。謎の女を書きこなしたる筆は、日のあたる別世界に入ってこの湿気を払わねばならぬ。


 まず文体がずいぶんたいしたものだなと。さいきん青空文庫中島敦をちょっと読んでいて、先日「山月記」を読んだあといまは「李陵」の冒頭を行っているのだが、中島敦の文も漢語をふんだんにふくんで格調高く、リズムが実にしっかりとととのっている。「山月記」も「李陵」もむかし新潮文庫かなにかを持っていて二、三度読んだはずだし、前者は中学の国語でもとりあげられていたはずだが、あらためて「山月記」を読んでみると冒頭の一段落からして、こんなにしっかりしていたのかとおもった。とにかくリズムがよく、かっちりさだまっており、文末の散らし方などもうまくて、一文一文を追っているだけで快楽がある。「李陵」も同様で、こちらの好きなこまかな描写などそこにはなく、ときたまわずかな抒情味を添える風景要素が出てくるのみで、たいはんはことごとの経緯、すなわち物語を語る語りの文体なのだけれど、漢語をはしばしに仕込んだその語りがじつに堂々たるものでおもしろい。漢文を読んでいた時代の教養あるにんげんはやはり違うなと。中島敦は三十何歳かで若くして亡くなったのだが、かれがこの文体でながながとした大河的な長篇歴史小説を書いていたらけっこうすごいことになったのではないか、歴史にのこる傑作になったのではないかとおもったくらいだ。イメージとしては日本版ユルスナールというか。じつに古典的な小説をじつに古典的なかたちで、反動的なまでに堂々と格調高くやり尽くすという。
 『虞美人草』の夏目漱石にも中島敦とはまたちがったかたちだが、やはり漢文漢詩を豊富に吸収した時代の選良的な文章という感想をいだくもので、こういうのを見ると漢文的教養というのは武器だなあとおもう。いまの時代にやっても受けるとはとてもおもえないが。ところで何年かまえに、『吾輩は猫である』のパロディというか、それを下敷きにしたようなもので文藝賞だったかなにか取ったひとがいたとおもうが(読んでいないのでよく知らないのだが)、あのひとはその後作家活動はしていないのだろうか? うえの引用のひとつめでは、「閑花素琴の春を司どる人の歌めく天(あめ)」なんてかっこうよい。あと、「ただし地球は昔しより廻転する」なんていうつなぎかたも、ともすればつまらなさにながれそうだが口調のためかうまく行っているようにおもうし、ふたつめの引用の、「甦ったものを打ち殺すのは詩人の風流に反する。追いつかれれば労らねば済まぬ」もよい。「労る」ということばのえらび。ロラン・バルトをおもいださせる。それらを措いてもぜんたいをとおして、文調はやはりすぐれており、中島敦の威風堂々とはちがっていわば典雅さと洒落っ気がたしょうながれるようだが、そうした方面でまた巧みである。
 (……)さんが直接ふれていたのは三人称の語りのなかにこのようにたびたび書き手が顔を出してくるのがおもしろいということだったのだけれど、さいしょの「この作者は」という部分を読んだときに、これはふつうに書き手がじぶんじしんをそういう言い方で示しているのだとおもうけれど、語り手が作者や書き手を対象化して、語り手のたちばから批評をくわえてみせるような小説もありうるのだなとおもった。やりようによってはライトノベルのあとがきとかによくあるような、登場人物が作者についていろいろ会話するくだらないメタフィクションになってしまいかねないだろうが。あと、三つ目の引用部では、書き手がじぶんじしんへの指示を「筆」にたくしているのがおもしろくおもった。べつにめずらしい用法ではないはずなのだが、小説の語り、語り手と書き手の関係という面からすると、これもなにか活かせるものがふくまれているのかもしれない。
 じぶんの日記は一年前の2021/7/19, Mon.と、2014/1/12, Sun.を読んだ。一年前からはニュースの情報が目にとまる。「ワクチンを打つと磁石がくっつくようになるとかいう噂」なんて、そんなのあったなあ、と。

上階へ行き、食事。きのうのお好み焼き的なものがあまっていたのでそれだけ。新聞は二面。ワクチンにかんするデマ情報がネットをかいして全世界にひろまっているために接種がすすまないとの記事。これはきのうかおととい、テレビのニュースでも触れられていた。そのなかに、ワクチンを打つと磁石がくっつくようになるとかいう噂がふくまれていて、いやこれはギャグだろとおもわず笑ってしまったのだけれど、ほかには不妊になるとか遺伝子が組み替えられるとかいった医学的不安から来るものや、ワクチンを介してチップがからだに埋めこまれて政府に管理されるという陰謀論めいたものまでいろいろあるようだ。それで米国でも接種がすすまず、先月から今月までで接種をすませたひとの割合が八ポイントくらいしか増えていないとかで、バイデンが、SNS企業にたいして、彼らはひとを殺しているとかなりつよい口調で非難を表明したらしい。TwitterなりFacebookなりもそれぞれ一定の対応は取っているようだが。ほか、政府の大学改革の方針が出るとかいう話題。生活費支援や能力におうじた高給を導入するよう大学側にうながし、改革にとりくむ大学には支援金を配分するとか。

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ふたたび新聞を読みながら食べる。今度は国際面。ドイツ西部やオランダやベルギーあたりの洪水の報。数日前から出ていたが、ドイツでの死者が一五〇人を越え、メルケルは一八日に現地入りしたと。ベルギーでも死者は二七人をかぞえている。この地域では洪水はめったに起きないらしく、半世紀以上暮らしているという土地の古老らしき老婆によれば、前回おおきな洪水が起こったのは四五年くらいまえだと。今回の災害を地球温暖化や気候変動とむすびつけてかんがえる向きがとうぜんつよく、ドイツはおりしも九月に総選挙をひかえていてメルケルがそこで引退するわけだが、いま緑の党が勢力か支持率で第二党についているところ、今後の情報発信やひとびとの環境への関心によっては与党を超えるのではないかとも見られているもよう。


 二〇一四年のほうは祖母が一時やばくなったそのつぎの日。文章はもちろんたいしたものではないが、それでも以下の一段におもしろみをおぼえた。過去があったというだけで、そのときそこにいたにんげんのようすが書かれているというだけで、なにかおもしろいのかもしれない。このおもしろみはまた、「~~した」でそろえられている文末のリズムにもよっているだろう。その単純過去の連鎖がおそらくは要するに、物語の原理となるリズムである。この時期はガルシア=マルケスに心酔しているので、文末に現在形をつかうことはほぼなかった。このリズムによってこのときのじぶんはおそらく、実存的なじぶんとははなれた語り手としてのじぶんになっている。もちろんそれはいまもそうだし、どんな文章を書くにしてもそうだが、いまのほうがよほど文とじぶんの距離はちかい。あるいはそうであるかのように感じられる書き方になっている。

二時半にもなると陽は傾きはじめ、風も吹いていくらか肌寒かった。母の車に乗って病院へ向かった。祖母は変わらずうつろな瞳ではあるが、昨日より顔色がよかった。点滴もつけられており、このぶんだとまたしばらくはもつのかもしれないと思われた。明日が従妹の成人式で晴れ着を見せにくるというし、明後日はこちらの誕生日なので少なくともそれまではもってほしいという願望が無根拠な確信に変わり、もつにちがいないという気がした。途中で祖母の姉の娘(一昨日と昨日に来たIさんの妹)であるSさんが見舞いにやってきた。控えめな人らしかった。時折り軽くどもる癖があった。ベッド脇に置いた丸椅子より前に出ようとせずやや遠くから祖母の顔を眺めていたのは遠慮していたのかあるいは病人に近寄りたくなかったのかわからないが、それでも最後には青あざだらけの祖母の手を握った。四時を過ぎて辞去した。駐車場で隣の車から出てきた人物は毎年九月に地元の祭りの一環としておこなわれる子ども相撲の行司をつとめていた人だが、記憶のなかの姿よりもずいぶん年老いていた。黒々とした髪が灰色に変わっていた。


 一〇時まえまで読んで起き上がった。椅子にすわり、瞑想にはいった。九時五八分から。なぜか長く座れて、一〇時四三分まで。保育園では子どもが泣いていたり、あらたな子どもが送り届けられて門が開く音が聞こえたりする。車がおもての通りを頻々ととおって路面をこすり、大気をゆらしてつかのまの風を生んでいる。泣き声以外にもなんやかやとにぎやかに、子どもらのしゃべっている声が、入り混じって判然とせずときおりわずかに語が浮かびあがるだけのかたちで聞こえるのは、きょうは窓を開けているのだろう。天気は曇りで、レースのカーテンがつやのないさめざめとしたような白さに染まっているのが、さきほど見た記憶で目を閉じた視界のなかにイメージできる。雨が降っているのかどうかはわからない。あからさまな稼働音を一時休止していた冷蔵庫が、背後でみずからスイッチを入れたかのようにウイー……という持続音をまたはじめた。エアコンはドライでつけており、その音はいまはほとんど聞き分けられない。越してきて以来、飛行機の音を耳にすることがないなと気がついた。実家の部屋で座っていたときにはたびたび空を行く飛行機のうなりが遠くからつたわってきたものだった。ここにあるのはもっぱら車の擦過音である。一〇〇年前からわれわれの文明の主戦力となってひさしい窒息的な窮屈さの味気ない乗り物。目を閉じてじっと座っているうちにからだはあちらこちらでほぐれ、肉やすじの結合がほどけてすきまが生まれるような感じがする。ながく座っていれば肌が内から熱を帯びてもくる。まったくうごかないでいるのに発熱するとは不思議なことだ。静止において、このじぶんとしての孤独がたしかなかたちで知られるような気がする。この「孤独」ということばに、叙情的な意味はすこしもふくまれていない。個としての感覚がきわだつということだ。フローベールが書簡中に述べた何について書かれたのでもないテクスト、地球がただその内的な力のみによって宇宙空間に浮かんでいるように、なんの支えもなしにそれじしんのみによって成り立ち存在しているテクスト、そのようにしてこの時空のなかに浮かび、持続しているような感じがする。これまでの過去が背後にうっすらと望見されながら、このばしょとこの瞬間にいたっているおのれのからだのあることを感じる気がする。この瞬間の個を感じることには同時に、いつか来たる老いと死の望見が不可避的にふくまれている。死はいつ来てもおかしくはないはずだが、「いつか」という漠然とした未来としてしか、いまここのじぶんには引き寄せられない。だからそれは時間的な距離の多寡とはべつの水準にある。ことによると、それはたんに現在ではない、「いまここ」をはなれたものという意味でしかなく、だから「いつか」とは「未来」ですらないのかもしれない。しかしその「いつか」は望見というかたちで、もしくは引き寄せというかたちで、草や石の隙間にすぐさますがたをかくしてしまうトカゲの尻尾のように、その裾をこのじぶんに一抹混ぜ、混ぜつづけてくるような気がする。うごかず止まっているじぶんは風化されゆく石であり、室内の空気となかば混ざりあった気体的な肉である。砂の柱がひとつぶひとつぶくずれていくように、絶えず物質化へ向けてこぼたれていくたんなるひとつの結合である。個体ですらなく、個物になることいたることを身体は欲しているのかもしれないが、ここにおいてからだはつかのま、なかばのかたちでそれを先取りしているのかもしれない。そしてじぶんはあたまのなかで文を書く。それらを感じながら、あたまのなかで文を書く。
 静止を解くと食事および洗濯へ。ニトリのビニール袋がいっぱいになるほどに溜まっていたタオルや肌着やら衣服などの洗濯物をひとつずつつまみあげて洗濯機のなかに入れていく。洗濯機のうえに置いてあったまな板とか大皿とかは冷蔵庫のうえ、電子レンジのまえにいったん避難させておいた。そうして稼働をはじめさせると水がそそがれるので、そのあいだに昨晩買ってきたエマールの詰替え用の袋を開封し、もともとあったボトルにそそぎこんでいく。水が溜まったところでエマールと、ワイドハイターもキャップでてきとうに計って落とし、蓋を閉めて洗濯を開始させた。食事は安っぽいバーガーひとつと冷凍の大盛りミートソースパスタ。それぞれをレンジで加熱し、ウェブを見ながら食べた。天気を調べるときょうは雨になるらしい。窓に寄ってカーテンをちょっとめくってみても、物干し棒のうえにすでに水滴が見られ、したの路上や宙を見るにぱらぱら降っているようだ。室内に干すほかしかたがない。それで洗濯が終わるとおのおのハンガーにとりつけてカーテンレールにかけたが、数がおおいのでいかにも鬱陶しい。曇天をさらに塞がれて部屋内は薄暗いので、正午にもかかわらずデスクライトを灯した。洗い物はいったん漬けておいて、Notionを用意したあとにきょうの記事をここまで記せば、一時をまわったところである。うえの部分を書くとちゅうでフローベールのことばをもとめてブログを検索したところ(フローベールが言っていたあの比喩みたいだなというのは瞑想のさなかにすでにおもっていたのだが、正確なところがおもいだせなかったのだ)、2019/10/10, Thu.にもとめる部分が引用されていたのだが、この日はまた辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』で『城』を読んでおり、感想や分析がなかなかよく書けていてけっこうおもしろかったので、それもしたに引いておく。

 『城』の一七九頁では、Kが会いに行った村長が、官房長クラムからKに寄せられた手紙を取り上げて自らの「解釈」(179)を披露し、Kが測量技師として採用されたことを知らせるものだと思われていたこの手紙が、その実意味のあることはほとんど何も言っていないのだ、ということを解き明かしてみせる。この手紙に関しては以前の感想でも既に取り上げて、文言の真意について思い巡らせるKの熟考(148)は、作者カフカが自分自身のテクストを自ら読み解きながらその射程を押し広げている自己解釈にほかならず、そこにおいてカフカは言わば自分自身の批評家と化しており、作品の言語のなかで読み手としてのカフカと書き手としてのカフカがほとんど一致しているという論を述べたが、一七九頁では村長の口を借りて第二の自己解釈、つまりは意味の更新が導入されている。それは上で触れたように単なる更新と言うよりは、意味の無効化、空無化と言うべき所業なのだが、しかしこれはあくまで村長が考える手紙の一つの「解釈」に過ぎないこともまた確かだ。カフカの小説ではこのように、複数の「解釈」だけが乱立して、そのなかのどれが正解なのか、真相はいつまで経っても明らかにならないのではないだろうか。曖昧模糊とした不確定性、あるいは風に触れられてざわめく無数の葉叢の震えのような意味の揺動がそこにはある。
 手紙の意味を無に帰して、我々は測量技師など必要としていないと口にする村長の主張に対してKは、彼が到着したその晩に、シュワルツァーという執事の息子が、フリッツという名の城の下役の元に電話で照会し、「私が土地測量技師として採用されたという知らせをもらったのです」(179)と指摘してみせる。ここで物語内の過去の事実と、村長の発言とのあいだに明確な矛盾が発生する。発生する、と言うか、このことは物語の前の部分、一三六頁に既に書きこまれていたのだから、作者カフカはここで読者にそれを想起させ、自ら矛盾のありかを指し示してみせているのだ。しかし、作品中に矛盾が生まれようともカフカは怯まず、それを少しも問題とせず、後付けの強引な理屈によって前の記述の意味を書き換えてしまう。カフカの作品は、ほとんど矛盾が生まれることを前提として書き連ねられているかのようだ。その葛藤は、弁証法的に止揚され解決されるのではなく、水平的にずらされ、新たな意味体系のなかへと移行させられるのだが、その新たな秩序のなかでもいずれふたたび矛盾が発生してしまうのだ。この横滑り、意味の脱臼はいつまでも続く。カフカの小説は意味と意味との絶え間ない闘争である。そこでは対立する意味のどちらか一方が勝利を収め、敗者が退けられて勝敗と優劣の関係が確定されるのではなく、意味は絶えずずらされ、書き換えられて、闘争ははぐらかされる。

     *

 カフカの小説は、物語が進行するごとに矛盾点がどんどん増えていくかのようだ。先の感想に綴ったように、一七九頁においてKは、一見すると彼の採用を知らせている官房長クラムの手紙は実質的には意味を持たないと主張する村長に対して、下級執事の息子が城に問い合わせて、Kが測量技師として雇われたという報を受け取ったのだと指摘してみせる。「村長さん、あなたはこのことをどう説明されますか」と挑発的な投げかけでもってKは台詞を締めくくっているのだが、それに対して村長は、「きわめて簡単です」と、まったく動揺せずに自信満々に応じてみせる。しかしそれに続けて繰り出される彼の言い分は奇妙なもので、城とのあいだの「電話が伝えてくれるただ一つの正しいこと」は、城の人間たちが「たえまのない電話をかける」ことで生まれる「ざわめきや歌声」のような響きだけなのであり、「そのほかのものはまやかし」なのだと言う。また村長は、城の役人がともかくも与える返答は、仕事に疲れ切った彼らが単なる気晴らしで、「ただの冗談にすぎない返事」を答えているだけなのだとも主張する。ところがそれに対してKが、「私はこの電話の話というものをたいして信用していませんでしたし、まさに城のなかで経験したり獲得したりすることだけがほんとうの意味をもつのだ、といつでも考えていました」と応じたすぐあと、「いや」と村長は否定し、「そういう電話の返事にはほんとうの意味があるんですよ」と述べる。「城の役人が与える知らせが、どうして無意味なはずがあります?」と彼は反語的に問いかけるのだが、これは先の発言と明らかに矛盾しているように見える。前の部分では、役人の電話にはほとんど何の意味もないようなことを言っていたはずなのだ。しかし反語のあとに続けて村長は、「つまりこうした言葉はみんな公務上の意味はもっていません」、そうではなくて「個人的な意味」を持っているのだと意味秩序の新たな分類を導入する。これはまったくもって嫌らしいような、うねうねと蠢いて手から逃れる鰻のように詭弁じみたやり口なのだが、それを受けて文章を遡ってみると、確かに彼は前の箇所で、電話越しの役人たちの返答が完全に「無意味」であるとは言っていないのだ。縺れた論理の隙間に僅かにひらいた抜け道を、針の穴を通すようにしてくぐり抜けて記述の意味を攪乱してみせるこの振舞いは、言わば法を骨抜きにする悪徳官僚の手口である。
 さらには第六章に移ると一八四頁から一八五頁において、「橋亭」のおかみは、フリーダのみならず、自分も過去にはクラムの「恋人」(185)だったという新事実を明かしてみせ、彼女が今身につけている「ショール」(184)も「ナイトキャップ」も、実はクラムからの贈り物なのだとKに話す。しかし、おかみはこれよりも前の対話のなかで、 「クラムにほんとうに会うなんていうことは、あなたにはできっこありません。(……)というのは、わたし自身だってできないんですもの」(165)と言っていなかったか? 「クラムはけっして村の人とは話さない」のではなかったのか? 一六七頁では彼女は、「クラムについてはわたしは今でも何一つ知らないのです」とも述べている。それなのに彼が使者を送っておかみを呼びにやり、自分の「恋人」として贈り物を与えたというのは、明らかに矛盾しているように思われる。一体どちらの証言が真実なのか?
 このように、カフカの作品は物語が進むにつれて新たな矛盾点が次々と露わになっていく。と言うか、カフカの書きぶりは、ほとんど矛盾を生み出し世界を混濁させるためにこそ文を書き連ねているかのような印象すら与えるものだ。彼はその矛盾点を放置したまま、一所に留まり滞留することなく続々と新しい言語を紙の上に刻みつけていく。時に気まぐれな手つきで理屈を捏ねて、意味の辻褄を合わせようとするが、しかしそれによってまた新たな矛盾が発生する。修繕の作業が同時に別の箇所をほつれさせてしまうのであり、彼の織物[テクスト]において、繕うこととほつれることとは表裏一体の事態と化している。従って、通常の文学的基準からすると、カフカの小説は明らかに失敗しているのだろう。しかし実のところ、彼はその破綻的な失敗によってこそ、逆説的に彼の文学を成功させているのだ。どういうことか? カフカの言語世界の様相は迷宮的であり、通路の壁が膨大な数の鏡で埋め尽くされて光が複雑怪奇に乱反射する迷路のようなもので、無数の鏡像のなかで読者は困惑の淵に落とし入れられ、真実に辿り着けずに自らの位置を見失って途方に暮れるほかはない。互いに互いを打ち消し合って矛盾と葛藤を重ねる意味の乱反射によって、カフカの小説は全体としてはほとんど何の意味をも成さず、確定的なことを何一つ証言してくれない。そこに存在するのは、執筆行為の主体であるはずの作者をも予想も出来ない方向に強引に引っ張っていく自走的・自律的な言語運動の痕跡のみであり、それによって描かれるのは、まるでやんちゃな子供の落書きのような、あるいは風邪を引いた幼児が発熱のなかでうなされながら体験する悪夢のような、壮大な言語迷宮だけである。つまり彼は、何か明確なものを書くことに失敗しており、その小説は総体として何をも言い伝えることがないが、しかしかえってその破綻によってこそ、カフカは目的語を排除した純粋形態としての書くことを、書くという行為の自動詞的様態をほとんど完璧に体現しているのではないか。ここで想起されるのは勿論のこと、カフカの『城』から遡ること七〇年前に、ギュスターヴ・フローベールが恋人宛の書簡のなかに書きつけた例の有名な文言だが、あの名高い「なんについて書かれたのでもない書物」という命題、「ほとんど主題がない、あるいはほとんど主題が見えない書物」を書きたいというフローベールの悲願を、それから七〇年を越えてフランツ・カフカは密かに受け継ぎ、意図してか意図せずにか、実現してしまったように思えるのだ。


 ぼくが素晴らしいと思うもの、ぼくがつくってみたいもの、それはなんについて書かれたのでもない書物、外部へのつながりが何もなくて、ちょうど地球がなんの支えもなしに宙に浮いているように、文体の内的な力によってみずからを支えている書物、もしそんなことが可能なら、ほとんど主題がない、あるいはほとんど主題が見えない書物です。(……)
 (工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、101; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年一月十六日〕金曜夕)


 言っていることじたいはまあそんなにたいしたことではなく、カフカについてよくいわれることをくりかえしているだけに過ぎないようにおもえるが、文章のながれをこまかく追っている点や、比喩をつかった総括などの書きぶりはけっこうおもしろかった。さいごの段落の、「このように、カフカの作品は物語が進むにつれて新たな矛盾点が次々と露わになっていく。と言うか、カフカの書きぶりは、ほとんど矛盾を生み出し世界を混濁させるためにこそ文を書き連ねているかのような印象すら与えるものだ。彼はその矛盾点を放置したまま、一所に留まり滞留することなく続々と新しい言語を紙の上に刻みつけていく。時に気まぐれな手つきで理屈を捏ねて、意味の辻褄を合わせようとするが、しかしそれによってまた新たな矛盾が発生する。修繕の作業が同時に別の箇所をほつれさせてしまうのであり、彼の織物[テクスト]において、繕うこととほつれることとは表裏一体の事態と化している」というところなど、うまくまとめているとおもう。ただそのあと、「従って、通常の文学的基準からすると、カフカの小説は明らかに失敗しているのだろう。しかし実のところ、彼はその破綻的な失敗によってこそ、逆説的に彼の文学を成功させているのだ。どういうことか?」といっているのはあまりおもしろくない。逆説はもうよろしい。この点では(……)さんの、失敗のかたちの特有さにこそカフカのあたらしい特異性があるという見方のほうがおもしろい。しかしそれにつづき、「カフカの言語世界の様相は迷宮的であり、通路の壁が膨大な数の鏡で埋め尽くされて光が複雑怪奇に乱反射する迷路のようなもので、無数の鏡像のなかで読者は困惑の淵に落とし入れられ、真実に辿り着けずに自らの位置を見失って途方に暮れるほかはない。互いに互いを打ち消し合って矛盾と葛藤を重ねる意味の乱反射によって、カフカの小説は全体としてはほとんど何の意味をも成さず、確定的なことを何一つ証言してくれない」とイメージをもちいて書いているここはおもしろい。ところがさいご、「そこに存在するのは、執筆行為の主体であるはずの作者をも予想も出来ない方向に強引に引っ張っていく自走的・自律的な言語運動の痕跡のみであり、それによって描かれるのは、まるでやんちゃな子供の落書きのような、あるいは風邪を引いた幼児が発熱のなかでうなされながら体験する悪夢のような、壮大な言語迷宮だけである。つまり彼は、何か明確なものを書くことに失敗しており、その小説は総体として何をも言い伝えることがないが、しかしかえってその破綻によってこそ、カフカは目的語を排除した純粋形態としての書くことを、書くという行為の自動詞的様態をほとんど完璧に体現しているのではないか」という結論にいたるのはまたもやじつにありがちでおもしろくない。ロラン・バルトの言い分をカフカに適用しているだけ。ただしそのなかの、「風邪を引いた幼児が発熱のなかでうなされながら体験する悪夢のような、壮大な言語迷宮」という比喩はすこしよい。カフカの小説が書くことの自動詞的軌跡であるという説はある程度合っているとおもうが、それをフローベールのことばに適切に接続できるのかどうかはよくわからない。


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  • 「英語」: 532 - 555


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 この日のあとの時間はかなりなまけてしまった。書抜きはけっこうやったのだが(岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)とブコウスキー書簡)、書きものはこれいじょうできず。きのうの記事をさっさと終わらせたいとおもっていたところがあとまわしにしてしまい、そうして気づけば夜にいたっており、日付替わりも目前にすれば外出しなかったとはいえからだも相応につかれているから文を書くというほうに心身がむかわない。つねにコンスタントに日記を書いて記述上の生と記述外の生との進行をほぼ一致させたいとおもっているが、むずかしいものだ。ストレッチや瞑想をよくやってからだをなめらかにしたからといって、かならずそちらに邁進できるわけではない。効果は高いが。あしたは水曜日、ということは発泡スチロールを出せるのではないかとおもいだして、転入手続きをしにいったときにもらったゴミ捨てカレンダーを見てみると、やはり製品プラスチックの回収日だった。それで机や椅子を組み立てたあとに不要となった発泡スチロールを砕いて詰めこんでおいた袋(縦にかなりながい筒型で、巨大なわたあめをおもわせないでもない)を深夜にアパートの脇に出しておいた。道からみると建物の横には自販機が置かれ自転車が数台とめられるちいさなスペースがあり、ゴミもそのへんに出す。てまえのほう、自販機の左側にはゴワゴワとした感触のネットが壁にとりつけられたかたちで地面に下がって野ざらしになっており、燃えるゴミなんかはそのなかにつつんでおくが、その奥、階段の裏にあたる位置にちょっとくぼみがあって、そこにもなにか籠とかが置かれてあるので、まあこのへんに置いておけばだいじょうぶだろうと小型ロケットのような発泡スチロールの集合をそのあたりに置いてもどった。ペットボトルや缶類は自販機の脇にリサイクル用ボックスがふたつあるので、キャップとラベルを取ったうえでいつもそこに入れている。ほかの住人も同様だろうが、こちらのように出るたびいちいち入れに行くのではなく、袋にまとめておさめたのをボックスの足もとに置いておく者もいる。