2022/7/20, Wed.

 一八七〇年代までのフランス、ベルギー、ドイツ、イタリアでは、娼婦が客引きできる時間帯が制限されていた。フランスの売春規制はとりわけシニカルで、営業は認可制とされ、警察には許認可および無許可営業の禁止という両面から女性を統制する権限があった。どんな女性も性産業の行なわれる時間と場所で客引きをするだけで逮捕される可能性があり、一方、登録された娼婦はそれとは違う時間や場所に現れるだけで逮捕される可能性があった。女性はいわば昼行性と夜行性に分断されていたのだ。ある娼婦は「レ・アルで朝の九時に買い物をしたために連行され、露店の店主に話しかけたこと、および免許に指定された地区から逸脱したという廉で告発された」。この時代、風紀警察は理由の有無にかかわらず労働者階級の女性を逮捕するようになっていて、ノルマのために通行人の女性をまとめて検挙することもあった。はじめ、男性は娯楽のようにして女性の逮捕を見物していたが一八七六年には警察の取り締りが度を過ぎるようになり、居合わせた者が止めに入って逆に逮捕されることも起きている。連行された若く、多くの場合貧しい未婚の女性や少女が無実と判明することはほとんどなく、多くはサン・ラザール刑務所に投獄された。高い塀のなかの暮らしは寒さと栄養失調に苛まれ、不衛生、過労、私語も禁じられる悲惨なものだった。釈放されるのは彼女たちが娼婦として登録す(end400)ることに同意した場合だった。認可された売春宿から逃げ出した女性にはそこへ戻るか、あるいはサン・ラザールに送られるかという選択が迫られた。そのようにして女性は売春業をやめさせられるのではなく、むしろそこへ追い込まれていた。逮捕されたことに向き合うよりも自殺を選ぶ者も多かった。娼婦の人権擁護に大きな足跡を残したジョゼフィン・バトラーは、一八七〇年にサン・ラザールを訪問している。「刑務所の大勢の者がどんな犯罪をおかしたのかと尋ねると、禁止されていた通りを禁止されていた時間に歩いていたというのだった!」
 上流階級出身で教養があり、進歩的な環境で育ったバトラーは一八六〇年代にイギリスで施行された伝染病予防法に対する有力な反対者となった。敬虔なキリスト教徒だった彼女がこれらの法律に反対したのは、国が売春業を統制することによって逆にそれが暗黙に許された生業となること、およびそうした法律はダブルスタンダードなものだったという理由からだった。女性は、売春に関するごくわずかな嫌疑によって収監や「外科的レイプ」ともいわれる検査によって罰される可能性があり、性病が発見されれば監禁のような状態で治療を受けることになった。一方で男性は咎められることもなく同じ病気を拡散し続けていた(近年でもエイズと売春の絡みで同じような施策が検討の俎上にあがり、実施に至ることもある)。法律は軍の保健対策として起案されたもので、兵士は一般大衆より高い割合で性病を罹患していたという事情があった。国にとって女性よりも男性の健康や自由や人権の方が大きな価値があるという手前勝手な認識が背景にあったようだ。キャロライン・ワイバーグより酷いケースも数多くあり、少なくともひとりの女性(三人の子を持つ寡婦だった)が取り調べを苦に自殺している。家の(end401)外で歩くことは性的な行動の証左とみなされるようになり、女性の場合はそうした行動が罪とされたのだ。合衆国は法律面ではそこまで酷くなかったが、似たような状況になる場合もあった。一八九五年に、リジー・シャウアーという名の労働者階級の若いニューヨーカーが娼婦として逮捕されている。理由は、暗くなってからひとりで出歩き、ふたりの男に道を尋ねたためだった。彼女はロウワーイーストサイドの叔父の家に向かっていたが、その時間と行為は客引きのサインと解釈され、彼女は医学検査によって「よい娘」と判明してようやく釈放された。彼女が処女ではなかった場合は、性的な嫌疑と夜道の一人歩きの組み合わせによって有罪とされた可能性が十分ある。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、400~402; 第十四章「夜歩く――女、性、公共空間」)




 この朝は一〇時くらいに起床。労働のために二時くらいには出る必要があった。いつもよりはやい鍵開けをたのまれたのだ。(……)さんが学校からそのまま来るかもしれないと(とはいえきょうが終業式なので、そのまま来る可能性はひくいとのことでもあったが)。前日の怠惰な心身がつづいており、正午くらいまでゴロゴロ過ごしたおぼえがある。そうなると出るまでにもういくらもできることがないのでかえってあきらめにおちつき、日記はいいやという気になって、ものを食べて瞑想し、ワイシャツにアイロンをかけたり洗い物をかたづけたりゴミを始末したりした。食事は冷凍のボロネーゼ。ワイシャツは真っ白いやつに座布団二枚をかさねたうえでハンディスチーマーをあてて皺を殺し、したは真っ黒なスラックスにした。きょう履いてみてあらためて腰回りの余裕がありすぎるなと実感した。マジでゆびが数本分入るほどのすきまをつくれる。もうすこし筋肉をつけて太りたいところだが。しかしそれにはもっと米を食ったり、米でなくとももっとたくさんものを食って運動しないと駄目だろう。体重をはかっていないのでわからないが、ことによると五二キロくらいまで減っているかもしれん。
 この日はなんとなく、もう出かけるまえに薬の二錠目を服薬してしまった。それで一時五〇分前に部屋を出て、道へ。きょうもおとといと同様、雲の捺しつけられたようにうすく混ざった空ではあるのだが陽射しもあり、あたまからすっぽり熱気に漬けられる。とはいえ風もあって、中和まではとてもいかないけれど熱をたしょうは散らし、やわらかな質感を肌にもたらしてくれる。公園のまえまで来るとならぶ樹々の濃緑のこずえがそれにさわいで鳴りを吐きだしていた。厚く持続する葉鳴りをひさしぶりに聞いた気がした。右手に折れて太陽をまえにしながら細道を行く。脇の一軒からラフなかっこうの男性が出てきて、停まっている自転車に乗り出した。おもてに出る角には野菜がいくらか植えられてあるが、狭く接した緑のなかでなんの葉っぱか顔を覆えるくらいありそうなおおきなものが目にとまり、その表面は陽をふんだんに浴びるだろうからいかにもかわいて葉脈の刻みもくっきりしている。向かいにわたってまた裏にはいり、午後二時前の檻のような太陽の降りそそぎを浴びながら道を行った。前方から小学生が数人自転車で来て、先頭にいた女子があ! とおどろきのおおきな声をあげて、雑草の散らばった電柱のもとあたりをしめしながら、バッ! ター……じゃなくって、カーマキリー! ……こどものカマキリ、と男子らにおしえていた。こちらもつられてそのへんにじろじろ視線を向けたものの、眼鏡もかけていないしこどもでは見えようはずもない。とちゅうの公園に猫のすがたはみあたらなかった。二車線の道路まで来ると横断歩道を通過して、駅へとつうじるまっすぐでほそい路地を行く。こども向け英会話教室みたいなものがとちゅうにあるが、そこからからだのおおきな茶髪の女性(肌もいくらか茶色っぽいようにみえたが)が出てきて、建物の脇で煙草に火を点じ、一息ついていた。駅からはちょうどひとびとが出てきたところで、正面、路地を出たさきを左へとぞろぞろながれていくさまが見える。着いて改札をくぐると階段通路をのぼりおりして向かいにうつり、そのへんのベンチに腰をかけた。脚を組んでうしろにもたれ、目をつぶっていると、駅前の敷地に立った木が風の走りにさわられて、ヘヴィメタルのライブでふりまわされるあたまのようにこずえを乱しながらさらさら持続音を生んでいるのが聞こえて耳や気分によい。うしろの壁からは、そのむこうに照射されているのだろう太陽の熱気がつたわってきた。
 来た電車に乗って扉際で瞑目し、(……)へ。階段をあがってホームを転じる。(……)行きが来るまで数分あった。立ったまま鞄から携帯やイヤフォンを出してFISHMANSの『ORANGE』をながしはじめた。電車に乗ると席に座り、瞑目。すでに二錠飲んでいるので心身はおだやかではあるが緊張はないわけではなく、喉をつきあげたりひっかかるような感覚もとおくちいさめではあるけれど生じはする。からだをうごかさずにそれを見て受け止めるようにする。覚悟を決めてからだをじっとうごかさずにとどまり、抵抗したり操作したりしないというのがポイントなのだが、なかなかむずかしい。それでもそのうちに薬の効果がまわってきたようでねむくなり、緊張もより溶けて拡散した。それでややまどろみつつ過ごし、(……)に到着。そのまえに目をひらいて身を起こし、ちょっと背伸びをしたりして、一息ついてから降車し、駅を抜けて職場へ。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 退勤は九時前。八時五八分の電車に乗車。瞑目のうちに到着を待つ。しかしヤクを二錠飲んで労働後だから眠気が生じ、意識を明確にたもったまま静止する感じにはならない。(……)に着くと降り、乗り換え。きょうもあえて降りたときに改札からいちばん遠い端に出るほうを選ぶ。最後尾からひとりで行くのが好きである。それで(……)に降りると、ホームの脇は青緑色の柵のむこうに草ぐさが伸びたり群れたりしていて、風がながれてゆれるそれらは化学的なペンキ色の柵よりよほど充実した緑を身に詰めている。自販機をチラ見しながらホームをとおって駅を抜け、細道とちゅうの一機でコーラのボトルを買った。そうして車道をわたり、来るときもとおった裏道を反対側からたどる。マスクは口からずらしている。空は雲がかりで月はみえない。風はおりおりやわらかいものの、涼しさを生まずなまあたたかい。ウォーキングをしているカップルがいた。細道のとちゅうで前方を横から出てきて、かたほうがかたほうのからだに手をまわしたりしながらさっさとあるいていくのをながめつつ、こちらはのろのろ足をはこぶ。からだは疲れているが気分はしずかにおちついている。公園にあたってアパートのある道にはいる角で、脇の家からなにか叫びがもれだした。公園には座っているひとがひとり見え、道には自転車など、通行がちらほらある。
 部屋に着くと手を洗い、エアコンをドライでつけて着替え。寝床でしばらく休む。ウェブを見たのだったか、それとも青空文庫中島敦の『李陵』を読んだのだったか。いずれにしても一一時過ぎで起き上がり、瞑想。二〇分。やはり、これでも二〇分にしかならないのか、という感覚を得た。その後の飯はカップラーメンでかんたんに。あと、職場を出たあと(……)駅前の自販機でチョコレートを買っていたのでそれを食ったり。疲れを押して一八日の記事を綴った。通話時のことをのぞいて終了。投稿しようとしたがそうだ通話中のことがあったとおもいだし、それならあしたでいいだろうと判断して、そのあとはウェブを見たりシャワーを浴びたり歯を磨いたり。(……)三時ごろにはねむりたいとおもっているのだが、けっきょく三時四五分になってしまった。四時台にかからなかっただけまだよいが。