2022/7/21, Thu.

 しかし女性は参政権を勝ち取った。公共空間と性をめぐる議論は、最近の数十年間では女性と体制ではなく女性と男性の間で交わされるものになった。フェミニズムの主要な主張は屋内での交渉事に向けられ、住宅、職場、学校、さらに政治機構の変革を達成した。社会的もしくは政治的な目的のために、あるいは実用や文化のために公共空間にアクセスすることは、都会でも田舎でも日常生活を構成する重要な要素なのだが、女性に対しては暴力やハラスメントへの恐れによって制限されている。この主題についてのある専門家の言葉を引けば、女性が日常(end403)で経験するハラスメントは、

女性はすっかりくつろぐことがない、ということを裏書きする。そして性的な存在という自分たちの立場を意識させ自分が男性の手の届くところにいるのだと思い出させる。それはわたしたちが平等な存在だと思ってはいけないということのリマインダーであり、ともに公共圏を参画しつつ自らの権利で好きな時に好きな場所に行き、安全を感じながら自分たちの望むものを追求しているのではないのだという事実を突き付ける。


 金銭目当ての犯罪の対象となったり、報道で犯罪に触れて都会や見知らぬ住人に不安を抱いたり、若者や貧者や無秩序な場所を恐れたりすることは男性も女性も変わりはない。しかし性的な背景をもつ暴力で第一に狙われるのは女性であり、都会のみならず郊外や田舎でもあらゆる年代、あらゆる経済的な立場の男性がその暴力の担い手になる。そして、女性が日常生活の一部として公共空間で遭遇する非礼な言動、攻撃的な交渉、発言、視線、脅迫といったものにはそうした暴力への可能性が潜んでいる。レイプへの恐怖は多くの女性を自分の場所に、すなわち屋内に押し止める。怯えながら自らのセクシュアリティを防護するという自己の意志よりもむしろ物質的なバリアにふたたび依存するのだ。ある調査によれば、アメリカ人女性の三分の二は夜間に近所を出歩くことに不安を感じている。また別の調査によれば、イギリス人女性の半数は日が暮れたあと、ひとりで外出することが不安で、四〇パーセントはレイプの被害者(end404)となることを「とても憂慮して」いる。
 この自由の欠如にわたしがはじめて打ちのめされたのは、キャロライン・ワイバーグやシルヴィア・プラスと同じように十九歳のころだった。郊外住宅地のはずれで過ごした幼少期のころは、子どもがまだそれほど厳重な視線に守られていたわけではなく、わたしは町や野山で自由に遊んでいた。十七歳のときにパリに脱出すると、声をかけてきたり、通りでいきなり手を握ってきたりするような男が大勢いたが、わたしには恐ろしいというよりは鬱陶しく思えた。そして十九歳でサンフランシスコの低所得層の多い界隈に引っ越した。それまで住んでいたゲイの多いエリアに比べると通りは物寂しく、昼間感じていた危険が夜にしばしば現実のものになってしまうということを肌で知った。もちろん、界隈の貧しさや夜の闇だけがわたしに恐怖を感じさせたのではない。たとえば、ある午後フィッシャーマンズワーフのあたりで見なり [原文ママ] のよい男性につきまとわれ、胸の悪くなるような性的な誘い文句を延々と聞かされたことがあった。ついて来るな、と向き直って罵ると男はわたしの言葉に心底驚いた顔をして、おまえにそんな言い方をする権利はないといい、わたしを殺すと脅した。似たような経験のなかで、この一件はただその脅しの重みによって記憶に刻まれている。自分には戸外で人生や自由や幸福を追求することが本当の意味では許されていない、ということの発見にわたしは人生でもっとも打ちのめされた。世界にはわたしの性別のみを理由にわたしを嫌い、傷つけようとする他人が大勢いて、性はあまりに容易に [修正: 原文は「容易が」] 暴力へ転化してしまい、そういったことを個人的な問題ではなく社会的な問題だと考えている者はほとんどいないという発見でもあった。夜には出歩かず、(end405)体の線を隠すような服を着て髪は隠すか短く切る、つまり男のような格好をすること。高級な界隈に引っ越すこと。タクシーを使うか車を手に入れること。複数で移動すること。エスコートしてくれる男性を確保すること。そうしたわたしが受けた忠告は、すべて古代ギリシアの壁やアッシリアのヴェールを現代版にしたもので、わたしと男性の振舞いをコントロールして自分の自由を確保することは社会ではなくわたし自身に課された責務だといっている。自分の町に親しみ上手に社会に適応している多くの女性は、無意識に控え目で群れをつくるような生活をしているのだということもわかった。ひとりで歩くという願望は、彼女たちの心からすでに失われているのだ。しかしわたしにはまだそれがある。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、403~406; 第十四章「夜歩く――女、性、公共空間」)




 いちど覚めると七時四五分くらいだった気がする。最終的な起床は九時四〇分くらい。ゆめをみた気がするが、わすれてしまった。きのうもゆめをみており、それはなぜかいまだにほんのすこしだけおぼえている。現実のものとはちがうのだがアパートのそとに出てまたはいるさいに一階の住人(男性)のようすを大窓越しにみかけるとか(現実には一階に住居はない)、階段をのぼっていって最上にいたると図書室めいたものがあるとかで、図書室には女児がふたりだかいたような気がする。そとに出たさいに建物前の道をみとおすカットもあったが、道沿いに樹々がおおいうえ果てに青々とした林が壁なしており、陽炎の立ちそうな夏の道の感だったが、このあたりは地元の風景をおもいださせる。(……)あたりの線路北側の細道をおもいおこさないでもない。
 まどろみながら深呼吸をつづけて起き上がると、紺色のカーテンをひらいた。ひらくにも洗濯物をカーテンレールにかけてあるのでそれを一時取ってどかさなければならず、わずらわしい。天気はあいまいな曇りで、その後正午を越えると雲がちながら陽射しも見えてあたらしく洗ったものを出したのだけれど、午後四時現在曇りのいろが濃く、ばあいによっては雨が落ちてきそうな雰囲気でおちつかない。洗面所に行って顔を洗った。昨晩のシャワーのときに、水が湯に変わるのを待つあいだ、壁の取りつけ部に差しこんで固定したシャワーから出てくる水をすくってひたすら顔を洗っていたのだけれど、単純なはなし顔をなんども洗うというのは目によいかもしれない。それで疲れた目がすこししゃきっとして楽になったような気がしたのだ。それで今朝もよく洗っておき、水を黒いステンレス製のマグカップについで一杯飲むと、寝床の臥位にもどってポール・ド・マンを読んだ。『ロマン主義と現代批評 ガウスセミナーとその他の論稿』である。おとといから読み出したところ。第一章の「ロマン主義をめぐる現代批評」をさいごまで読み、第二章もほんのすこし。第一章はルネ・ジラールが欲望の三角形説にもとづいて分析する小説の時間性(「黙示録的形態の時間性」(34)と総括されているもので、物語は媒介者によって喚起される欲望から自己欺瞞や錯誤におちいった自己が、その終結部においてそれらを解除し真理を手にすることでかつての自己を消滅させる、というパターンをもつ、というようなはなしらしい。ド・マンの説明を引けば(34)、「ここでは、錯誤そのものと真理とを根源的に切断する出来事を通じて、錯誤から真理への移行が起こるのである。過去を誤謬の廃墟に変える真理の発現を契機として、ここでは、真正さとはまったく無縁の過去と完全に誤謬から解かれた現在とが分離される」)では不十分で、文学におけるふたつの自己(「経験的自己と文学的自己」(38))、すなわち実存者であり経験的主体としての作者自身と、作品を生み出し、作品にあらわれる本来的な作者(もしくは話者?)としての自己の関係を分析できないというようなはなしで、その関係に特有の時間性とは、「はじまりの部分に存在していた予見、起源への回帰という円環運動にとらえられるこの予見が徐々に明るみになっていく動き」(42~43)であり、そのパターンは「解釈的(interpretive)あるいは解釈学的(hermeneutic)」という語でまとめられている。ジラールの議論の要約はわかりやすいのだが、それを批判してド・マン自身のかんがえを述べる段になるとどういうことを言っているのかいまいちよくわからなくなる。ジラールの理解において物語やそこでの主体は錯誤から真理へと超越しなければならないのに対し、ド・マンははじまりの時点にすでにふくまれていたものを解釈することによって、終わりははじまりの意味を理解することになる、したがってはじまりは終わりにおける解釈によって起源とされる、という円環的な構造もしくは動態を小説に見ている。もっともおおざっぱなその対比は理解できるが、よりこまかい点になるとうまくつかめない。
 ともあれ本を読んだりウェブを見たりして過ごしたあと、一一時過ぎに起き上がり、椅子のうえで瞑想へ。一一時二五分からはじめて四九分までだったか。さいきんはよりいっそう、これでも二〇分しか経っていないのか、という感覚を得るようになってきている。体感としてはもっとながく座っているようにおもえるのだ。静止中に短歌をふたつ形成した。なんということもないようなものだが。そのあと食事へ。食い物はもはや豆腐(「絹美人」)に冷凍のチキン揚げがほんのすこししかない。それらを用意し、あとは(……)くんがくれたワカメと味噌を椀に入れ、電気ケトルで沸かした湯でもって味噌汁をこしらえるだけ。きょうはスーパーに行って野菜を買ってこなければならない。このあいだはキャベツ大根にくわえてニンジンを買ったが、スライサーが千切りにできるものならともかくそんなにこまかくできないので、そうするとニンジンは生サラダにくわえてもあまりピンとこない。やはりキュウリとトマトだ。調理環境も一向に用意していないが、どうせコンロがひとつしかなくてフライパンも鍋もそうおおきなものをつかえない、たいしたことはできないので、補助テーブルもたいしたものでなくて折りたたみ式のちょっとしたものにして、たんにものを置くための用途のみにつかい、切ったりなんだりはぜんぶ洗濯機のうえでがんばればよいのではないか。あるいは実家にあったような、電子レンジでやるスチーマー的なものを買ってもよい。そこに野菜と肉を突っこんで加熱して、醤油などをかけて食うだけでもけっこううまいはずだ。いずれにしてもまずは洗ったものを置いておくための器具を入手することが先決かな。
 食事中から洗濯をはじめ、食後、一八日の日記を書き終えてから干した。先述のようにひさしぶりにそとに出すことができたのだが、モニターやちいさな文字ばかりをまえにしている目に染みるひかりはながくつづかず、空も空気も白く褪せてきたのでさきほど四時半ごろに取りこんでしまった。それでもそこそこ乾いてはいるが。座布団や足拭きマットも出していたがじゅうぶん陽にあてられず。日記は一八日と一九日分にかたをつけることができ、きょうのことはこれで現在に追いついたので、あとはきのうのことを書ければさしあたりよい。しかしいまは疲れたので寝転がりたい。


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 いま九時二二分。きのうの記事を書き終えて投稿した。よろしい。たしか七時前くらいからはじめたとおもうので、あたまから書きとおして二時間強というところか。よくみなかったが、はてなブログの投稿欄の右下には八〇〇〇字だか九〇〇〇字くらいの表示があったとおもう。ただ、レベッカ・ソルニットの引用もあるのでじっさいにはそれよりもうすこしすくない。ペースとしては一時間で三〇〇〇字から四〇〇〇字くらいとおもわれ、これはたぶんここ数年変わっていない。きのうの記事は手がとまるような部分もなかったし。これからスーパーに行って野菜や食料を買ってこなければならない。エアコンはとめて、窓をあけている。それでも汗はそこまで出ず、からだが熱を帯びない程度の夜だ。すこしまえまでは風の気配がときおり厚く湧いて、レースのカーテンが網戸に引き寄せられたり揉まれたりしていた。いまもその痕跡がすこしのこったままである。


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 きょうの日記を書いたあと寝転がったのは五時ごろだったはず。Guardianの英文記事を読んだり、ウェブをちょっとみたり。英文記事はKate Mikhail, “Seven simple steps to sounder sleep”(2021/9/18, Sat.)(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2021/sep/18/self-and-wellbeing-seven-simple-steps-to-sounder-sleep-kate-mikhail)というやつだが、じぶんはなんだかんだいって自己啓発的なマインドセットの持ち主なので、ライフハックだのウェルビーイングだのみたいな記事を読むことがけっこうある。とくになぜか英語記事でよく読む。日本語だとうすっぺらくおもえる内容も多いが、英文だと英語の勉強にもなるからそれでよいのだろう。天下のGuardianだからもちろん文章はちゃんとしているし。このときも寝転がりながら、意味がぱっとわからず調べた単語がふくまれている段落を「英語」ノートのほうにコピペしていった。それいじょう編集するのは臥位だとやりづらいのであとにゆずって読む。まあ内容はどうということもないし、こういう自己啓発的記事を読んでも、じゃあじっさいそれを実行するかというとそうでもない。とくに睡眠方面はいつまでたっても変わらず永続的な夜更かし族である。しかしこの記事とおなじSelf and wellbeingというカテゴリをさらっていって、URLをメモしておくノートにいろいろメモってしまった。このようにしていわゆる「あとで読む」ばかりが膨大に溜まっていって、しかしじっさいにはぜんぜん読めないでいる。
 六時ごろに起き上がり、椅子につくとさきほどコピペした英文に番号をつけ、調べた単語をそのしたに意味や発音とともに付しておくという作業をおこなった。それですこしずつ音読していくかたちで英語力を向上させようととりくんでいるわけだが、じっさいこれはけっこう益になったとおもう。外国語を身につけるには口をうごかすのがいちばん。といってじぶんはしゃべる機会がまったくないので、会話と聞き取りができる自信はないが。そのあと瞑想した。開始の時間もわすれたし、終わりは確認しなかった。でもたぶん二〇分くらいだったのではないか。そう、終わってから小便をしたのだったか水を飲んだのだったか、ちょっとしてから、何分までやったか見忘れたなとおもってパソコンの右下をみると六時五五分だったのをおぼえている。それからきのうの日記にとりかかり、うえに記したように九時過ぎに終えた。
 九時二二分のあとは屈伸とか背伸びとかをすこしやって、黒い肌着を脱いで制汗剤シートで汗をぬぐった。Tシャツと黒ズボンに着替え。あけていた窓はいちおう閉めて鍵をかけておき、Mobile Wi-Fiは電源を切って充電器につないでおく。リュックサックに財布とビニール袋だけ入れて出発。扉をあけて通路に出たとたんに風のながれが肌にふれてくる。ここは二階で、じぶんの部屋は端なので出てすぐ右が階段、その前から三階につうじる階段のまえまでの辺、すなわち通路の端は壁がとちゅうまででなかばからはひらいており、隣の一軒家の屋根や家々にくぎられた空がみえる。ceroの"Orphans"のメロディを唐突におもいだしてあいまいに口のなかで鳴らしながら階段を下り、出ると雨がぽつぽつ降っていた。それでクラフトコーラの缶を捨てると段をもどって部屋を開け、すぐ脇に立てかけてある傘を取ってふたたびそとへ。しかしすぐ差そうとおもうほどの降りではなく、いらなかったかもしれないなと片手にもてあました。公園方面とは逆側に出て角を抜け、車が来ないので向かいにわたって左折、つまりは西に向かう。少量の雨だがそれでも熱されたアスファルトが水を受けたときに立ち上がるあの夏特有のにおいがマスクをとおして鼻にふれる。T字部分まで来ると角には交番があるが車がないのを良いことに赤でもかまわず渡り、歩道を右折。風もながれず、道沿いにいくらか設置された街路樹はふるえず、雨粒がぱちぱち打つほどの音すら立たない。砂利の駐車場がある角から左折して、小公園のそばまで来れば樹々がいくらか鳴りを生じるそのなかに雨音もたしかに聞こえるが、いずれとぼしくかすかなもの、Tシャツから出た腕に水気が点じられるのがむしろ好いくらいだ。公園の外縁、入り口横の茂みの足もと、葉っぱが溜まっているところからガサガサ音が立ち、風にうごかされたのかとおもったがどうやらそうでなく、黒くちいさななにかがそこにいたようだ。カブトムシとかかなとおもったが音の感じがもうすこし、リスとかそういう小動物をおもわせる気配だった。まっすぐな通りを西方向へてくてく歩くうちにおのずと空に目がいって、雲がひろく靄をなして白濁気味の夜空だがところどころにそれからのがれる深みもみられ、とはいうものの靄を割って川になるほどくっきりはかたちなさず、透ける沼沢めいた相だった。比較的広い車道((……)通り」)にあたって左に折れながら、その濁り空が果たしてこれから雨を落とし風を駆けさせるほどの力をもつやいなや、そんな雰囲気でもないしわからんなとうかがうに、向かいの寺院敷地ではこずえが風をふくんで鳴らされ、こちらがわでもにわかに走るものがあって街路樹がゆれるとともに腕への点も増えはしたけれど、結局つづかず、水を受けた肌が背後から風にふれられるのが涼しくてきもちよかった。コインランドリー内には客がひとり。もとクリーニング屋はおもての半分はシャッターをかんぜんに閉め、もう半分はなかばひらいたところに閉店のお知らせを貼っており、なかがみえるがもうものがなにもなく、フローリングらしき明褐色の床があるのみだった。横断歩道にいたるとボタンを押し、ちょっと待って渡ればそこがスーパー(……)。
 傘立てが出ていないので持ったままはいるほかない。手を消毒し、籠を取って手近の野菜コーナーから回り、キャベツやらキュウリやらトマトやらを確保。豆腐も入れていき、このあいだ買ってけっこううまかったニッポンハムのチーズナンとかも買うことにした。そのほかドレッシングやハーフベーコンやパンや冷凍のハンバーグと買う品がだいたいかたまってきたが、今回あらたに電子レンジで食える米を買った。五個セットのやつ。そろそろ米食いてえなとおもったのだ。冷凍のハンバーグとかを食うにしても、やはり肉があれば米といっしょに食いたい。ほか、「ちょびチキ」という冷凍のこまかな揚げチキンが先日買って重宝だったのでまたほしかったのだが、冷凍食品の棚にみあたらず。このあいだはたしかピックアップされているのを買ったのでどこにあるかわからず、そのころには籠もいっぱいで重かったのでまあいいやと会計にむかった。白髪の男性。客はすくなくレジにもこのときにはこのひとしかおらず、ひととひとのあいだにすきまがおおくて閑散としているこの場末じみた雰囲気はきらいではない。ここの(……)はBGMがよくて往年のソウルっぽいやつとか、Dee Dee BridgewaterとかChaka Khanでは? みたいなやつとかがながれるというのはいぜんも記したが、きょうも、たぶんそのものではなかったがこれDonny Hathawayじゃ? というような古き良きソウルのたましいが奏でられており、そんなもんをながすスーパーなんぞほかに知らんぞ。(……)はぜんぶそうなのか、この店舗の特徴なのか? だれがBGMのチャンネルを決めているのか? 好きな店員がいるのか? スーパーマーケットのBGMなんてだいたいがヒット曲のインストアレンジとか、しょうもないようなフュージョンとか、無害ぶっていながら知らぬ間に脳内を侵食しているような洗脳的なやつだとおもうのだが(サイードが『知識人とは何か』のなかでそんなような意味で、スーパーマーケットのBGMめいた、とかいう比喩をつかっていたおぼえがかすかにあるが)。日本国の日々の生活に密着した文化状況がそんな壊滅的な様相をていしているなかでDonny Hathawayのたぐいをながそうというのだからその抵抗と反骨のこころをわれわれは買うべきである。というか、全国津々浦々のスーパーはすべていますぐそうするべきではないのか? 『Live!』の"What's Goin' On"をまいにちかけるべきではないのか? あれを耳にすれば客たちはおおく気分がよくなって滞在時間とリピート率があがるぞ。
 会計をすませるといっぱいになった籠を台にうつして、リュックサックとビニール袋に品物を詰めた。なまものと冷凍などつめたい系はビニール袋に。そうしてふくれたのを片手に、傘をもう片手にして退店。雨は結局やはり盛らず、車のいない隙に横断歩道をさっさか渡ってマスクをずらしながら裏にはいったころには肌にもふれず、ほぼ消えていた。ビニール袋は重い。だいぶ充実しており、手指に食いこんでくる。とちゅうの狭い公園に猫のすがたはなかったが、そこを過ぎると前方に黒い影があり、アパートの脇で塀のところまでいったとたんにすっと黒さがなくなったのは、ちかづいてわかったが電柱とのわずかなすきまをとおりぬけたもので、猫らしい影はさらにむこうの一軒の駐車場にはいり曲がっていって、そのまえまで来ればもはや暗がりに溶けていて所在が知れない。細道の出口ちかくの一軒に白いサルスベリが咲いており、塀からはみだした枝先はところどころ白さの集合で埋められるほど、だいぶはなやかに重りながらいま風にふわふわと揺動し、足もとにはすでに幾多の花びらが饐えた色で散らかっていた。わたってまだつづく路地にはシートを敷かれた空き地があるが、そのまえに来てもかすかな打音すら聞こえないから雨はかんぜんに止んだらしい。階上のベランダで洗濯物をいじるか取りこむかしているらしき人影があった。
 部屋に帰ると手を洗い、ともあれ暑いとエアコンをドライでつけて、買ってきたものを冷蔵庫におさめると服を脱ぎ、上半身裸で食事の支度をした。キャベツを切ったり大根をスライスしたりキュウリを切ったりドレッシングをかけたりベーコンを乗せたり。そのほか冷凍のハンバーグと唐揚げを熱し、米もさっそくあたためて肉とともに食った。まあまずくはないがやはり炊飯器がほしい。調理がどうこうよりさきにひとまず炊飯器を入手するべきだ。食い終えるとそのままウェブを見ていたが零時前に切りをつけて洗い物をかたし、それからきょうの日記を書き足してここまでで一時九分。ひさかたぶりで現在時に追いついた。やはりどうしても目がしょぼしょぼする。なんとかならないものか。視神経の良い養生法を見つけなければ、もっと歳が行ったときに読み書きができなくなってしまう。とおもっていま、濡らしたタオルを電子レンジで熱したのを目のうえに乗せるというスタンダードなやつをやってみたが、なかなかよさそう。小学生のころにかよっていた床屋のおじさんが泡を立てて顔を剃ったあとこのように、鼻だけのこしてタオルで覆って顔全体を蒸してくれたのをおもいだす。これをまいにち、おりおりやったほうがよいかもしれない。


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 その後はだらだらと夜更かし。六時ちかくの就床になってしまった。からだによくない。


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  • 「ことば」: 1 - 10


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 洋々と大空のした時がゆき春はすべてを色に変じて

 永遠の影踏み遊びをくりかえす夕陽の赤にとらわれたもの