2022/7/23, Sat.

 (……)ここまで、この本でみてきたのは野山や都市における歩行者の生き様だった。その限りでは歩くことの歴史といえども都会と田舎の歴史であって、おまけ [﹅3] として小さな街や山を加えたものに過ぎない。その意味からすれば、アメリカ人の大多数が郊外住宅地 [サバーブ] に暮らしているという、あらゆる国の(end418)歴史を考慮しても初めての事態を合衆国国勢調査が明らかにした一九七〇年という年は、この黄金時代の墓標に刻むにふさわしいかもしれない。郊外ではかつての野山や市街にあった麗しい自然や都会的な愉楽は失われ、郊外化の波によって日常生活のスケールや肌理は根本的な変化を被った。その変化はたいていの場合、徒歩移動にとって好ましいものではなかった。そして、この変容は地上の風景だけではなく内面にも及び、それ以来、平均的なアメリカ人が時間や空間や自らの身体を知覚し、評価し、使用するやり方はそれまでとはまったく異なるものとなった。徒歩はいまでも自動車や建物を結ぶ、あるいは屋内における短距離の移動手段ではあるが、文化的な営みや愉しみや旅として歩くこと、あるいは歩きまわる [﹅5] ことは姿を消しつつあり、それとともに身体と世界と想像力が取り結ぶ古く奥深い関係性も失われつつある。生態学の言葉を使うならば、歩くことを〈指標生物〉と考えるのがいちばんよいのかもしれない。指標生物は生態系の健全性を知るための手掛りで、その危機や減少は系がかかえる問題を早期に警告する。自由な時間、自由で魅力的な空間、あるいは妨げられることのない身体、そうしたさまざまな自由や愉しみにとって、歩くことはひとつの指標生物なのだ。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、418~419; 第十四章「夜歩く――女、性、公共空間」)




 九時台のうちにいちど覚めたが、起床にいたれずふたたびまどろみ、一〇時を越えてから覚醒。深呼吸をしながらみぞおちと臍のあいだをよく揉んでおく。起床したのは一〇時五〇分ごろだった。ひさしぶりに七時間いじょう滞在したが、やはりそのくらい寝たほうが心身にとってはよい気がする。二時半現在、からだはまとまっていておちつきがあり、やる気もそこそこ感じられ、安定感がある。起き上がると紺色のカーテンをひらき、洗面所に行って洗顔。水を飲むとともに濡らしたタオルをレンジで加熱し、また顔を蒸しておいた。それから寝床へ。Chromebookでウェブをみる。レースのカーテンもひらいてよりあかるさをとりいれるようにしておいた。窓の下半分は磨りガラスになっているので寝転がっていればそとからすがたはみえない。それでも平日は向かいの保育園の二階に子どもたちがいてときどきこっちを見ていたりもするから、ちょっと恥ずかしくてレースのカーテンは基本閉ざしているが、きょうは土曜日なのでかれらの声もきこえない。まったく子どもらがいないわけではないとおもうが。寝床にいるとちゅうでもう洗濯してしまおうと起き上がり、洗濯機のうえに置いてあったまな板や皿を冷蔵庫のうえにどかして、したに敷いてあったタオルからキャベツの滓などを払って洗濯機へ。背後のニトリのビニール袋に入れてあった汚れ物も一枚ずつとりあげて振りながら洗濯機に入れていき、スイッチを入れてスタート。水がそそがれだす。しばらくしてから止まるので、もどっていた寝床からまた立ち上がって、エマールとワイドハイターを回し入れた。そうして洗濯機を稼働させてまたしばらくごろごろし、一二時を越えてそろそろ活動をはじめることに。屈伸をしたり上体をひねったりしてから椅子について瞑想。一二時二二分か二四分からはじめて、四七分までだったとおもう。まあまあ。わるくはないが、もうすこしやりたかった。洗濯はあと数分で終わるところだったのでまた屈伸したりかるくスクワットしたりで待ち、終わると干しにかかった。天気は良いほうで、雲もわだかまってときおり陽がかげることもあるけれど、空に水色もじゅうぶん見えてひかりはまぶしく宙をながれる。風もそこそこあって吊るしたものを左右にかたむかせる。座布団二枚もまた出しておいた。それから食事へ。いつもどおりキャベツを大雑把な細切りにして皿に盛り、キュウリはちいさめに切ってその小丘のうえに散らし、トマトを櫛形に切り分けて周囲に配置して、レモン風味のシーザードレッシングをかけた。ハーフベーコン五枚をそのうえにてきとうに乗せる。そのつぎに冷凍のハンバーグをひとつ木製皿に取って電子レンジであたため、そのあいまにもう椅子に腰掛けて野菜を食べはじめた。その他きょうは米ではなくて、ニッポンハムのナンとか包みピザを食べることにした。ハンバーグのあとにやはりレンジで熱してもぐもぐやる。そうしつつコンピューターでウェブをみたり、Notionを準備したり。ティッシュで手を拭きながらナンを食ってしまうと洗い物を放置せずすぐにかたづけて、昨晩洗って置いておいたプラスチックゴミも鋏で切るものは切ってビニール袋におさめておく。小便をしてデスクにもどるときのうの記事をわずかに書き足してはやばやと仕上げ、ネット上に放流。それから立ってまた体操的にからだをほぐしたのち、きょうのこともここまで記せば午後三時が目前にひかえている。


     *


 そのあとはとちゅうで寝床に逃げて休憩しながらも、夜までホイットマンの詩を訳した。月曜日の通話であつかうのだが、番がまわってきたのだ。『草の葉』の冒頭、いちばんさいしょの、"ONE'S SELF I SING"という詩で、参照している岩波文庫の訳(旧版・一九六九年)だと、「「自分自身」をわたしは歌う」という題になっている。夜歩きからもどってきたあともちょっとだけ変更したりして、いちおう仕上がった。気になる箇所がまだないではないが。したに原文、岩波訳、こちらの訳をならべて載せておく。

  ONE'S-SELF I SING

One’s-self I sing, a simple separate person,
Yet utter the word Democratic, the word En-Masse.

Of physiology from top to toe I sing,
Not physiognomy alone nor brain alone is worthy for the Muse, I say
 the Form complete is worthier far,
The Female equally with the Male I sing.

Of Life immense in passion, pulse, and power,
Cheerful, for freest action form’d under the laws divine,
The Modern Man I sing.


     *


  「自分自身」をわたしは歌う

 「自分自身」をわたしは歌う、素朴でひとり立ちの人間を、
 それでいて「民衆とともに」、「大衆のなかで」という言葉も口にする。

 頭のてっぺんから足の先までいのちの営みをわたしは歌う、
 顔つきばかり脳髄ばかりを「詩神」は愛でず、そっくりそろった「人体」こそ遙かに遙かに尊い宝、
 「男性」とひとしく「女性」をもわたしは歌う。

 底知れぬ情熱と脈搏と活力に溢れる「いのち」をそなえ、
 奔放な行動にふさわしく神聖な法則に従って造られた、陽気で、
 「新しい人間」をわたしは歌う。


     *


  わたしは歌う、〈自分自身〉を

 わたしは歌う、〈自分自身〉を、単純で、ひとりきりの人間、
 だが同時に、〈民衆の〉、〈大衆とともに〉、そんな言葉も口にしよう。

 わたしは歌う、頭頂からつま先まで、命のことわりを、
 〈詩神 [ミューズ] 〉の寵 [めぐ] みにふさわしいのは顔貌、頭脳ばかりにあらず、そう、ひとつ揃いのまったき〈すがた〉こそ、はるかにすぐれてあたい持つもの、
 わたしは歌う、〈男〉とおなじく、分け隔てなく〈女〉をも。

 はかり知れない情熱、脈動、活力にひたされた〈生命〉のひと、
 ほがらかで、自由そのものの振る舞いに向けて聖なる法によりつくられたひと、
 わたしは歌う、そんな〈今の世の人間〉を。


 まずはじめの一行にあるa simple separate personのseparateがくせもので、分離された、切り離されたという意味だが、二行目の内容とあわせると、単純だけれどこの世にひとりしかいないこの自分自身、というニュアンスのようにおもわれた。そういう単独の、個としての存在が、個としてのじぶんをうたいながら同時に大衆や集団をも歌い、それとともにあると。ただ、「この世にひとりしかいない」とか、唯一の、というときに、それがゆえにかけがえのない価値や独自性を持つという含意にはしたくなかった。じっさいseparateにはそれほどつよくなさそうではあるものの、「独自の」、ほかと共有されない独特の、という意味もありうるようだ。ここではしかし、その唯一性を称揚しているわけではなく、単にじぶんじしんの単一性、単独であることを述べているとかんがえる。岩波文庫の「ひとり立ちの」という訳は、ほかから切り離されて他に支えられずそれ自身のみによって独立自存しているという意味を取ったものだろう。たんに事実としての個であることを述べたかったこちらは、さいしょに「ただひとりのみである人間」という訳にした。しかし散歩から帰ってきたあとにうーんとおもって「ひとりきりの」に変えたのだが、これはこれで、日本語で「ひとりきり」というと孤独のニュアンスが出すぎるきらいがあって、完全にしっくりきてはいない。
 またタイトルおよび冒頭のひとことを「わたしは歌う、〈自分自身〉を」という倒置にしたのは、たんに岩波文庫とちがうふうにしたかったということもあるが、原文がOne's-self I singなわけで、目的語のOne's-selfがまえに出てきているからこれを強調したいはずである。とすれば日本語の文としては、それをうしろに送る倒置のほうが強調感が対応するのではないかという判断もある。ただこの目的語の先頭化はもうひとつ微妙な問題をはらんでもおり、あとでまたそれについて触れるとおもうが、One's-selfとIを同格として読む余地もあるのではないかということだ。自分自身であるわたしは歌う、もしくは自分自身としてわたしは歌う、という理解である。
 三行目、physiologyは、人間の身体生命をつかさどるはたらきとしての生理、もしくは生理学である。岩波文庫はこれを「いのちの営み」としている。これにならって、生の理というわけだから、理、すなわち「ことわり」だろうとシンプルに決定した。原文で三行目のはじめにあるofもよくわからんのだが、sing ofととらえるしかないのではないか。aboutとおなじような用法だろうと。ここにははじめ、「くまなく」を入れて「くまなく命のことわりを」としていたが、ないほうがすっきりするかなとおもって最後にカットした。
 そのつぎの行はここだけ固い調子になってしまったが、worthy for the Museの含意をかんがえるのに苦戦した。岩波文庫は、「顔つきばかり脳髄ばかりを「詩神」は愛でず」。直接的には、詩神にとって価値があるということだが、詩の女神たちにとって価値をもち、詩人らにうたわせるに足るもの、というようなことだろうとおもう。岩波の「愛でる」を参考に、寵愛、ということばが出てきた。それではじめ、「〈詩神〉の寵にふさわしいのは」と音読みにしていたところ、この字で「めぐみ」とも読めることを知り、のちに検討して訓読みにすることに。
 真ん中にいれた「そう」はI sayに対応したものである。カンマがないから間投詞的な気味は弱いし、文法的にもふつうにthat節がそのあとに来ているが、まあわざわざI sayといっているから強調的に、またリズムを置くものとしてひとことはさんでもよいだろうと。そのあとのthe Form complete is worthier farもなかなかむずかしいところだった。まずFormをどうすっかなあというのがたいへんである。文脈としては、詩神に愛されうたわれるような価値をもつのはすぐれた顔立ちとかあたまの知力とかだけではなく、人間のどんな部分であれうたうにあたいする、総体としての人間そのものがうたわれるべきものなのだ、ということだとおもわれ、したがって意味合いとしてはさきのphysiology from top to toeに類同する。formはいろいろな訳語になるひろいことばだが、そのもっとも基盤となる意味としては、かたち、形態、形相、体つき、目にみえるあらわれ、というような感じだろう。岩波はこのうち「体つき」の面の意味をとって「人体」としたのだろうが、それだと身体、肉体の面にことが寄りすぎるような気もする。ここではもっとひっくるめて本質的な人間としてのあらわれ、みたいなことではないかと。formの根源を三語に還元すれば、かたち、すがた、あらわれ、だろう。このなかでここの訳にどれを選ぶかといったら、まあ「すがた」かなと。いちおうもうひとつ傍証というか助けがあって、岩波文庫に付されている「初版の序文」を見直してみたところ、「男や女たち、そして大地とその上に住むすべてのものたちとは、ありのままの姿でとらえられるべきであり」という一節がある(26)。この「ありのままの姿」の「姿」が原文でformなのかはわからないが、詩人みずからこうも言っているわけだし、そこをここと対応させてかんがえてもよいだろうというわけで、「すがた」に決定した。さあそうしてもこんどはcompleteをどうするかがまた難事ではある。完全な、欠ける部分のない、とただいうよりは、ひとつの「すがた」としての統一性が大事なのではないかとかんがえた。それはphysiology from top to toeにもふくまれているニュアンスで、すでにここを読んだときに感じられていたはずである。あたまのてっぺんから足の先まで人間のどこにおいても命のことわりがはたらいており、それらが有機的に統合されて「一」を形成している、その「一」を訳にもりこみたいがために、「ひとつ揃いのまったき」となったのだ。つづくworthier farもくせものはくせもので、意味じたいはより一層価値があるというだけのことでかんたんなのだが、これをこの一行のながれとトーンのなかでどう言うか? farを「はるか」とはしたかった。もともと距離的な遠さから来ている語なので、日本語としてもそれがぴったりだろう。worthierはかんがえるうちに、「価値」からまず、「値打ち」の語が出てきた。これでおおかた、「はるかに値打ちを持つ」くらいが決まったわけだ。しかしどうもリズムがうまくない。「はるかに」と「値打ち」のあいだになにかほしい。また、「値打ち」よりも「価値」の訓読みから出てくる「あたい」のほうがこの一行のトーンには合うのではないか? ともおもった。「あたい」はひらがなにひらくか、「価」「値」「価値」のどれかにルビを振るかで検討したが、けっきょくひらくことにした。鯔背な女性の一人称みたいに見えるが。その後、語調の面を満たすものとして、「すぐれて」を入れて仕上がった。「価値」にたいしてあまり優れるどうのといいたくないが、「すぐれて」という用法なら単に程度の甚だしさをいう副詞のかたむきがつよい。そのつぎの行は「男とひとしく」でもよいのだが、「分け隔てなく」をつかいたくなってしまった。
 さいごの連もまた難しかった。まずこのさいしょのOfはなに? という疑問がまたある。二連目のofはsingにつなげてかんがえるしかなく、ここもそう取れなくもないが、意味合いからすると三連目の一、二行目はぜんぶThe Modern Manにつらなる修飾なのだろうと。The Modern Man of Life ~ ということで、そういう生命をもった人間、と。二行目はあきらかにThe Modern Manを説明するものと見える。ただそうかんがえたときに、句としての修飾のまえにCheerfulだけが単体でひょっと置かれているのも意外と泣かせどころなのだが、ところでこの三行をじっくりみてみれば、The Modern Manにぜんぶ収束してそれをわたしは歌うと宣言する構造なんだろうなととらえられるけれど、ふつうに読んでいったときに、一、二行目までの時点では、これらの修飾がThe Modern Manに行くのか、それともIにつうじるのかはわからないのではないかとおもった。というか、三行目にいたってThe Modern Manが出てくるまでは、読み手や聞き手は、ここでいわれていることをIの説明として取ってしまうのではないかという気がしたのだ。充実した生命の、陽気な、最大の自由にむけて形成された人間として、わたしは歌う、と。くわえて、三行目はThe Modern Man I singというかたちで、The Modern ManとIが接し合っている。ここで、上述した同格説が浮上したわけである。じっさい、詩人たるIもまたThe Modern Manのひとりであることはまちがいないのだろうし、このさいごの行を、The Modern Manとしてわたしは歌う、ととってもおかしくはないようにおもわれる。となれば、それまでの行も同様だったのではないか。わたしはわたし自身として歌い、また女性として男性として歌い、The Modern Manとして歌うと。目的語と同格が二重化しているかのようなニュアンスを日本語の訳に完全に反映させるのは無理だろうが、しかしすこしでもそれをもりこみたい。そうかんがえたときに、「わたしは歌う、~~を」と基本のかたちを倒置にしておいたのは僥倖だった。つまりこの三連目において、二行目のさいごを「~~なひと」という言い方で終えれば、「~~なひと/わたしは歌う」というつながりかたになり、この「~~なひと」と「わたし」が同格であるかのような感じがちょっと出せるからだ。そうして方針はさだまった。一行目はまあこんなものだろうが、ほんとうは「情熱、脈動、活力」という名詞の連続からはじめたほうが文調がはまるような気はした。しかしそれだとうまくまとめられないので断念。また、passion, pulse, powerもpでそろえているわけだから、日本語でもできれば三語の発音をちかくそろえたほうがよいのかもしれないが、「情熱」を「熱情」にひっくり返して「脈動」とちょっと合わせるにしても、せいぜいそのくらいしかできないのであきらめる。そして、行の終わりは「〈生命〉の」で切っていたのだけれど、どうもはまらないので、のちほど、二行目にあわせて「ひと」を置いてしまうことにした。しかしここはまだもどす余地がある。
 二行目は難関だった。まずcheerfulだけがここに置かれているのがむずかしくて、じっさいにはThe Modern Manにかかるわけだが、日本語の語順だと、どうしてもそのあとのfreest actionにつながっていると読めるかたちになってしまうのだ。「陽気な」とか「ほがらかな」とか、「な」で終えると特にそうなる。そこで「ほがらかで」にして読点をはさみ、まだしも分離感を出したが、これでも完全ではない。「あかるさに満ち」のように動詞をくわえればより確実になりそうな気もしたが、ピンとこないし、このへんが落としどころとあきらめ、するとfor freest actionがまたむずかしい。もっとも自由な行為のために、神聖法、まあ要は神と取ってよいだろうが、そのもとにつくられたと。意味合いとしては、神によって人間は自由に行動するべく形成された、そのような権利をあたえられたというように、古き良き健康的な人権思想のうたいあげとおもえるものだが、「もっとも自由な行為」とかそのままいったってどうもはまらない。いっぽう、このfor freest actionの含意をかんがえるに、ひとつにはいま述べたように、人間は最大限自由に行動することができる、そのためにつくられた、ということなのだろうが、もうひとつ、freest actionを実現するために、この世に体現するために、というふうにも、こちらは感じてしまった。そうなると、freest actionにaもtheもついていないし、actionsでもないことも気になってくる。理念的なひびきがあるのではないかと。もっとも自由なおこないをおこなうことによって、ひとはそれを他者にひろめ、具現化し、世に体現する。そういうイメージをかんがえるうちに、actionに「振る舞い」をあてられるではないかと気づいた。そしてこの日本のことばにはふたつの意味がある。つまり、「~~のように振る舞う」という用法と、「~~を振る舞う」の用法である。前者は単に行為し行動するの意であり、後者は食事などのなにかを他人にあたえたり、それでもってもてなしたりすることである。「振る舞い」の一語が持つこの二義性を、さきのイメージに合わせて訳すことができるのではないかともくろんだ。みずから自由に振る舞うことによってそれをひろめていくことは、他者に自由を振る舞うことであり、そのようなかたちでfreest actionは具現化されると。さあ、そして、freestの訳語を決めなければならない。もっとも自由な、最大の自由、最高の自由、至上の、とか、最大限に、できるかぎりとか、最大級のいいかたをならべてみてもピンとこない。そこでおもいきって、「自由そのもの」といういいかたを取った。「自由そのものの振る舞い」とすれば、自由そのものに振る舞うことと、自由そのものを振る舞うことと、両方の意味をふくめることができるだろう。そこそこ踏み込んだ訳になっているとおもう。しかしはじめは、もう一歩踏み込んで、「自由そのものを振る舞うがため」とかんがえていたのだ。しかしこれだと、はっきり「を」と言ってしまうから、与えること、もてなしの意にかたむいて、単に行為するという側面が薄れてしまう。いまの日本語だと、行為・行動の意味での「振る舞う」は、まずまちがいなく「~に」とか、どんなふうにという修飾がまえに来てつかわれる。つまり、目的語を持たない自動詞としての用法に限定されているということである。こちらの感覚では、「自由そのものを振る舞う」でもギリギリ両方カバーできそうな気もするのだが。しかしそこまで行くとやはり踏み込みすぎて、じゅうぶんに二重性があらわせないだろう。
 さいご、The Modern Manはふつうに行くなら「現代の」だが、いままさしくこの現代において「現代の」とかいうと、いろいろ夾雑的な意味やイメージがまとわりついてなんかなあと感じたので「今の世」にした。


     *


 あと書いておきたいのは夜歩きに出たこと。夕食を取ったあとだった。一〇時一〇分ごろから一一時過ぎまで、ちょうど一時間ほど。ホイットマンを一篇訳したので、きょうはしごとしたな、これでいいかという感じがあり、また自作の執筆もそうだろうが翻訳はかなり精神力をつかい、相応に心身も緊張するようで、あたまが痛くなりそうな、意識や視界が外縁からせまく押され縮まっているような、そんな閉塞感があったので、やはりそとをあるいて心身をリラックスさせひろげなければ駄目だとおもい、散歩をすることにしたのだ。うえは真っ黒な肌着のまま、しただけハーフパンツからジャージに替えたかっこうで行くことにした。ポケットには鍵しか入れず、ほかに財布も携帯も時計ももたない。ルートは、(……)駅横の踏切りを越えたことがないので、そこを渡って、(……)駅まではさすがに行かないにせよ(……)南のあたりをあるいてみようかなとなんとなくおもっていた。それで部屋を抜け、道へ。しかしさっそく気まぐれで踏切り方面とは逆に踏み出し、おもてに出ると西にむかい、交番のある角で車のない隙に信号を無視して通りを渡って右折した。方角としては北になる。いつもはそのさきの角で左折するが、そのまま直進してみることにした。このあたりは住宅がならんでいるだけの裏道でひと気もなく、しずかななかに風がながれて、肌着いちまいだけだといかにも薄っぺらくてたよりないというか、ひとにみられるのが恥ずかしいような気もするが、しかしその薄さゆえにうごく夜気が肌に直接ふれてくるかになめらかで、ひたされるようでここちよかった。通りの行き当たりに、「(……)クリニック」とかいう医院があった。なんのクリニックなのかは知らない。そこからてきとうに左に曲がり、道にはこばれるままに行っていると、裏ではけっこう向きがうごくので方角はすぐにわからなくなる。じきに一本とおった通りに出た。右方のさきが車の行き交う表通りになっており、そこにセブンイレブンがみえる。そちらへ向かっているとうしろから自転車が二台連れ立ってきて、セブンだ、といっていた。暗いので年齢もわからないが男性ふたりで、口ぶりからするとここにセブンイレブンがあるのを知らなかったようなひびきだったのだが、友だち同士チャリで散策でもしていたのだろうか。表に出て、ここは(……)の実家がある通りじゃないか? とおもった。左折してすすめばもとの方角にもどることになるし、そのうちあのへんに出るのではとおもっているとそのとおり、見覚えのある空間になった。そこでまた曲がり、知った方面にもどる。とちゅうにスーパー「(……)」があるが、じぶんが行くのは(……)ばかりで、こちらにはまだいちども買いに来たことがない。しかし位置関係としてはどちらに行くのもそう変わらず、アパートからだとさきほど直進してクリニックに当たった道を左折して(……)通りに入り、行き当たればそこがこのスーパーのある(……)通りである。向かいにピザーラのある交差部から左に行けばいつも行っている(……)、右に曲がればこの(……)のほうになる。スーパーのまえを過ぎていき、下水からあがるものなのかときおり卵の腐ったようなにおいを感じつつ進み、ピザーラの角に来るとこっちはまだ行ったことがないからと右に折れて裏にはいった。とはいえ、そこが駅を出ていつもあるかないほうに通じているだろうとはわかっていた。寺の塀に沿ってすすむとすぐに左折できるので、こっちが駅だろうと曲がり、左側に真っ暗な敷地の寺とそこにならび立つ樹木、右側にいつも風景としてみていたマンションがそびえる道をあるいた。やや幅広の裏通りで、向かいからは自転車に乗った男と女性の連れ合いが来て、寺の樹々はこずえをざわつかせる。駅前のこのマンションをすぐ間近から見るのははじめてだが、道に沿って楕円を立てたようなかたちの植木がひたすらならべられ、その向こうはさらにこちらのあたまくらいまではありそうな高さの垣根が壁をなしている。垣根のところどころには白色灯が設置されており、その奥に切り立っているマンションの部屋は、ベランダを見るかぎりどれもなるほどそこそこ広そうで、おのおののベランダは縦横に太く引かれた線のあいだをくりぬいた長方形のくぼみのようになっており、配置やおおきさは整然としていて、奥行きはわからないが横はたっぷりとスペースがとられて余裕がありそうだ。なるほどそこそこ金のある人間はこういうところに住むのだな、とおもった。このマンションは数階ごとにいろがすこし変わっており、(……)および(……)くんとさいしょにアパートに来たときだったかそれを指して、これが階級差別ですよ、ヒエラルキーがあるんだ、おなじマンション内でも上流と下流がもうけられていて、あらあなた何色に住んでるの? わたしはいちばんうえの何色ですよ、みたいなことになっているにちがいない、なんでわざわざはっきり色分けたんだよ、なんて残酷なデザインなんだ、せめてもうちょい区切りをこまかくするとかすればよかったのに、などと笑いながらはなしあったものだ。
 (……)駅前を過ぎ、事前の想定どおり踏切りを越えた。そこに地図があったのでちょっと見たが、すぐそばの敷地は(……)病院、その向こうは(……)の敷地がやはりひろがっていて、(……)ってこんなにちかかったのかとおもった。(……)さんもメールでこのあいだ行きましたと書いていたが、たしかにこれだったら(……)よりも(……)で降りたほうがたぶんはやい。踏切りからまっすぐ伸びている道の右側を行った。左側には歩道があるが、こちらは白線のみで明確なものはなく、なにか建設中なのか白い壁がつづいたり、帰りに駅のホームからいつも見上げている灯火のそろったマンション、さきほどのマンションとは反対側のそれだが、そのマンションらしき敷地があったりする。向かいの歩道には街路樹としてサルスベリが設置されており、どれも紅色の花を不規則によそおってゆらしていた。そのうちにサルスベリをそばで見たくなったので渡る。渡れば目前は病院の敷地で、病棟なのか否か、最上にひかりのともっている窓がひとつあり、入院棟だとしても個人部屋ではなさそうだったが、あそこにはいって入院暮らしのひともいるのだろうかとおもい、その生を一抹想像するようなこころになった。サルスベリが植えられてあるのは自転車レーンの部分だが、いまは人通りもないのでかまわずはいりこんでちょっとながめながら行く。じきに病院の敷地は終わり、(……)など文化施設の区画になる。「(……)」の文字が見えたので、ここにあったのかとおもった。そのあたりになると右手、道路の向かいには背の高いビルがならびだし、煙草を吸いながらその角を曲がって裏にはいっていくひとがいたりする。前方の突き当たりは二車線の広めの道路になっており、車の行き交う音がだんだんとちかくひびきだす。出るととりあえず左に曲がった。それでそのうちまた左に曲がれば長方形を描くようにして来たほうにもどれるわけだが、すぐそこに焼肉店の(……)があったのに、みおぼえがあるなとおもった。ここは高校の卒業式のあとだったか、それか卒業前、もしくは卒業してすぐのころだかに、クラスの連中と来た店ではないか? まえにもいちど書いたおぼえがあるが、その席で好みの女の子のタイプだったか、恋愛するならみたいな、そんなはなしになって、おなじテーブルに座っていた(……)さんがわたしは? みたいなことをちいさく言ってアプローチじみたことばを送ってきた記憶があるのだが、ライトノベルの主人公よろしくこちらはそれを聞き流したか、なんかてきとうにごまかした。しかしこの記憶じたいがかなりうっすらとしたものなので、女の子にモテたいもしくはモテたかったというこちらの欲望によって都合よく脚色された偽記憶の可能性もある。とはいえやはり卒業後の打ち上げでいった(……)のキャンプ場では、夜にじぶんがひとりでそとの石だか柵だかに腰掛けていると、酒を飲んでいくらか酔った(……)さんがとなりに来て、よさげな雰囲気になったこともあった(じぶんは優等生なので飲酒はしていなかった)。めぐりあわせがなにかちがえばかのじょと恋愛関係にはいる生もあったのかもしれない。ちなみにこのあいだ(……)の見送り会に行ったときに(……)が(……)にむかって、(……)さん結婚したね! とかいっていたようなおぼえがあるので、たぶん結婚したのだろう。(……)は高校時代ずっと(……)さんのことが好きで、そのくせ一年にひとりくらいの交替ペースでべつの女子と付き合っていたのだが、(……)さんはほかにも数多くの男子から恋慕されていた。ちなみにクラスメイトの(……)、合法的に女性のおっぱいを揉みたいとのたまって卒業後の進路にレントゲン技師をえらんだあの馬鹿は(その後ほんとうにレントゲン技師をやっているのか知らないが)、恋情というよりは欲情の目をかのじょに向けており、(……)さんは胸がおおきいほうの女子だったので、ひそかに「ホルスタイン」というあだ名をつけていた。
 それで、この(……)がどうもあの店だとすると、たしかむかしはこのへんに市役所があったはずだと記憶がたぐりよせられて、じっさいちょっとすすむと道端に石碑があって、確認してみるとやはりここにむかしは市庁舎があったということが書かれていた。さらに前進して交差点にいたればそこに地図看板がある。みてみると、この道路沿いを背後、北にずっとあるけば、あああのへんに出るのかというのが理解された。高校時代の登校にいつも通っていたルートのとちゅう、なつかしき(……)ビルやカプセルホテルのあたりである。そこを曲がって東へ一路、さきほど来たのとは敷地をはさんで反対側を(……)方面へもどる。このあたりでだいぶ心身がおちつき、ここちよくなっていた。やはり夜にひとりでしずかななか風を浴びながらゆっくりあるくこと、これが自由の定義であると。(……)には二〇二〇年の一月だったか渡辺香津美村治佳織のデュオコンサートを母親とともに見に行ったのだが、そのとき(……)のいとこ(というか叔父叔母)の家からあるいてここまで来て、帰りもてくてくあるいてもどったおぼえがある。道のりはずっとひたすらまっすぐだったから、いま行っている道を逆方向にずっと行けばいとこの家のあたりにいたるのだろう。病院前まで来ると建物は奥にあり、道沿いには草が生い茂った土地がひろがっていて、入院患者があるいたりするのだろうが、風がその草ぐさを揺らし、空もひらく。あれも病院の土地なのか否か、細い丸太棒とワイヤーで画されたひろい空き地がつぎにあり、そこで空をみあげればいかにもひろく、空というのは夜だととりわけひろく迫力をもつ気がするが、雲がおおかたを覆いつつところによって統一を乱し、へらでちょっと触れたように青さがわずか差されているのが、時のながれるさまをそのままうつしとった写真であるかのようだった。
 その後左折すればさっきの踏切りだなとわかっていながら、方角としては家のほうだからと直進し、どこかで踏切りをわたればもう近いとおもっているとあらわれたので踏み越えて、そうして出た通りをみるにこれは「(……)通り」の端だろうなと察せられたので、変わらず直進しててきとうなところで左にはいればアパートだ。サンドラッグとローソンがそのうち出てくるのではとおもっているとまさしくその位置で、だんだんと周辺の地理的配置が理解されてきた。サンドラッグも過ぎてここだなという角で曲がる。ながくあるいているうちに歩調はだんだんゆるくなっていて、このころにはだいぶゆっくりとちからが抜けており、こころもしずかにおちついていた。マジで精神安定剤をちょっと飲んだくらいのおちつき効果はありそうなのだが、あるきながら、ランナーズ・ハイにたいして、ウォーキング・チルという概念を提唱しようとおもった。公園には飲んできたあとの男女みたいなひとが三人くらいいた。よく見えないが、たぶんさほど若くはなく、中年くらいだった気がする。


―――――

  • 「英語」: 556 - 570
  • 「読みかえし1」: 170 - 182




わたしは基本的にいつでも"一匹狼"だ。生まれつきであれ、精神を病んでいる者であれ、どういうわけか人の中にいるのが苦痛で一人でいる方が楽なやつであれ、そんなやつらが必ずどこにでもいる。あなたは**愛さなければならない**という言い方にはもううんざりで、愛が命令になると、憎しみが快楽になるとわたしには思え、あなたに何が言いたいのかといえば、わたしはむしろ穀潰しをしている方がましで、あなたに訪ねてきてもらったとしても何の解決にもならないし、とりわけわたしが酔っ払って真っ赤(end139)な目をしていて、何をする気にもなっていなかったりしたらもうどうしようもない。わたしはもうすぐ四十七歳で、三十年間飲み続け、先はもう長くはなく、病院への通院を繰り返している。憐れんでもらおうなどとは少しも思っていない。(……)
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、139~140; ダレル・カー宛、1967年4月29日)

     *

[ロバート・ヘッド宛]
1967年10月18日

 […]反戦の詩についてだが、わたしはうんと昔、反戦が広く支持されたり、はやりには思われていない時に、それを表明していた。第二次世界大戦の時で、共鳴してくれる者は誰もいない状況だった。インテリやアーティストから見れば、いい戦争と悪い戦争があるようだ。わたしからすれば、悪い戦争しかない。わたしは今も戦争反対で、ほかのとんでもなくいろんなことにも反対だが、ちょっと別の状況のこともよく覚えていて、それは詩人やインテリたちが季節のようにどれほど目まぐるしく変わるのかということで、わたしの信念や立場の拠り所は自分自身の中にしか、自分がどういう人間なのかというところにしかなくて、今抗議している者たちの長い行列を見ても、わたしは彼らの勇気がどこか俗っぽさ半分の勇気でしかなく、通じ合える仲間うちだけでもて(end145)はやされることをやっているということがよくわかり、そんなことは誰でも簡単にできることなのだ。第二次世界大戦下、わたし [﹅3] が檻の中に放り込まれた時、そんなやつらはいったいどこにいたというのだ? あの頃は誰もがひたすらおとなしかった。わたしは人のふりをしている獣を信頼しないよ、ヘッド、それに大衆も大嫌いだ。わたしは自分のビールを飲み、タイプライターを叩き、そして待つ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、145~146)

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 (……)酔っ払って、人生はほんとうに身の毛がよだつほどひどい、人も、社会の仕組みも、最後には死が待ち受けていることも、何もかもがめちゃくちゃだと、わたしが彼に言えば、彼はきっとこう答えることだろう、「どんな契約 [﹅2] にもサインなどしていないじゃないか、ブコウスキー、人生は美しくなければならないなどという」。そしてそれから彼はふんぞり返って、唇を(end161)ちょっと舐める、彼は自分の舌と唇とちんぽこで生計を立てていて、最高に美しい女に世話をしてもらいながら、髭は伸ばし放題、ブルージーンズを穿いてでっかい尻でぶらぶらうろつき回っている。敬服されるべきことで、そして、狭い意味では、それは蔑まれることにもなる。(……)
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、161~162; ハロルド・ノース宛、1969年2月26日)

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 (……)文学教授たちがここにやって来て、わたしの金玉を舐めるが、彼らはみんな似たり寄ったりで、威張っていて、バカで、ヒョロヒョロと背が高く痩せていて、**人生と厳しく向き合っているかのような作品**を書こうとしている。くそっ。一年のうち三ヶ月を費やしてとんでもない長編小説に取り組み、ベッドにいるわたしを起こして自分たちの書いた詩を見せ……タフガイが主人公の……六パックのビールを一緒に飲み、わたしをじっと見つめるが、わたしがどうしてこんなに太って、くたびれ果て、擦り切れてボロボロで、不健康で、腹を立て、やる気がなくて無関心なのかまるでわけがわからない。あるいは違うタイプのやつらもいて、カリフォルニアの海辺で暮らし、ルイジアナにも家を持っている金持ちの俗物たちで、「家庭は人を貧しくさせ、創造の泉を涸らせてしまう」などとほざき、あなたから来た手紙をもとにしてモダンな長編小説とやらをでっち上げ、あなたが手紙を返してくれと言ってもそれには応えず、それというのもあなたにとってそれが生活の糧になるからだ。あなたは家賃を払うだけ。ついているではないか。そこで家賃が払えるようにさせておき、その一方であのくだらないやつらは**英語の1や2の講義**で学生たちにいったい何を**教えている**というのか? 死ぬほどおぞましい内容に違いない……食事にありつけなかったことなど一度もなく、へべれけになって床の上に倒れ込んだこともなく、はたまたまったく世に認められず、火をつけずにガスを三時間もつけっぱなしにしたこともないあの手の博士野郎ども……学生たちに何を教えるというのか???? 何を**教えられる**というのか? 何もない。だから、それゆえ、誰も彼もが自分を**クールでインテリで聡明**なように見せるが、それは外面だけのことでしかなく、内側からは何ひとつとして実らなかった何世紀もの歳月が生み出す魚の腐ったような嫌な臭いが。[…]
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、162~163; ハロルド・ノース宛、1969年2月26日)

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 (……)朝飯前のことだが、うるさいことばかり言うやつの役回りをわたしにはさせないでほしい。そんなものとはかけ離れた存在だ。わたしは言いたいことを言ってい(end165)るだけで、いつだってそうしている。白癬に冒された自分の心を自由に転がすだけだ。どんな時でも自分の心を自由に転がせようということは、うんと昔、ニューオリンズの路地裏で5セントのキャンディバーをしゃぶって暮らしていた時に心に決めた。これは「馬鹿者」になるということではない。あるいはもしかしてそうなのかもしれない。いずれにしても、午前二時にここでこうしてビールをぐい飲みしながら、タイプライター・デスクの上に置かれた死んだ両親から誕生日の贈り物としてもらった二つに引き裂かれたデスク・ランプに挟まれ、座り込んで気が変になるようにと与えられたタイプライターを打ち、スリフティのドラッグストアで19ドルで買ったラジオから流れるひどいピアノ・ミュージックを聞いていると、わたしは喋っていて、今夜また仕事を辞めたばかりで、ここに帰って来て同封した詩のひどい行を三、四行削除しようとしていて、気がつくともう十一本も(ビールのボトルを)飲んでしまっていて、ははは、何を喋っていたのかな?
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、165~166; パロマピカソ宛、1969年後半)

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ラファイエット・ヤング宛]
1970年10月25日

 […]このタイプライターから逃げ出すためにわたしは酒を飲んだりギャンブルをしたりしなければならない。ちゃんと動いてくれるこの老いぼれマシーンを愛していないということではない。いつ向き合えばいいのかを知り、いつ離れればいいのかを知ること、それがうまく付き合うコツだ。わたしはプロの [﹅3] 作家になりたいわけではまったくなく、自分が書きたいことを書きたいだけだ。そうじゃなかったら、すべてはやっても無駄なだけ。気高いことを言っているようには思われたくない。気高いことでも何でもなくて、どちらかと言えば、ポパイ・ザ・セーラーマンの世界だ。しかしポパイはいつ動けばいいのかわかっていた。「規律」について話し始める前のヘミングウェイもそうだった。パウンドもそれぞれが自分の「仕事」をすることについて語っていて、それはくそみたいなたわごとだったが、わたしは自分が工場や屠畜場で働き、公園のベンチでも眠り、**仕事**や**規律**というのは汚らわしい言葉だと知っているので、彼ら二人よりもついていた。彼らが何を言いたいのかわたしにはわかるが、わたしに言わせれば、それはまるで違うゲームの話なのだ。ちょうどいい女のようだ。その女を相手に一日三回、週に七日、おまんこをやり続けると、それ(end179)ほどよくはなくなってしまう。どんなことでもきちんと調整されなければならない。もちろん、わたしには忘れられない女が一人いる、彼女とはそんなふうにことが運んだ。もちろん、わたしたちはワインを飲んでいて、ひもじい思いをしていて、死ぬことや家賃のこと、鋼鉄のように冷たい世間を思い悩む以外やることは何もなく、だからわたしたちはうまくいったのだ。(ジェーン。) しかし今やわたしはこんなにも年老いて醜く、女性たちが現れることはもはや滅多になく、だから相手にできるのは馬とビールだけ。そして待っている。死ぬのを待っている。タイプライターを叩きながら待っている。二十歳なら生意気でいかした野郎に簡単になれる。わたしはいつでも自分なりに精神薄弱だったのでそうはなれなかった。今のわたしは以前よりも強くも弱くもなったが、喉元にカミソリの刃を押し付けていて、**決心するのかしないのか**瀬戸際の状態だ。しかもわたしは人生をそれほど愛していないときている。たいていいつでも汚いゲームにしかすぎなかったからだ。生まれたところで死ぬ手配がついている。わたしたちはボウリングのピンでしかないのだ、我が友よ。[…]
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、179~180; ラファイエット・ヤング宛、1970年10月25日)

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 詩をもっと同封した。貯蔵作品の山を作って自分の詩でこの世界をぶっ飛ばそうとしている。そうだよ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、202; ウィリアム・パッカード宛、1972年10月13日)

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 (……)立派な態度などくそくらえだ。そんなものはわたしとは縁がなかった。わたしは酒を飲み、女とやって、酒場で気が触れ、窓ガラスを叩き割り、自分の本音をとことんぶちまけ、生きてきた。わけなどわかるはずがなかった。わたしは今も必死で取り組み続けている。まだものにはできていない。たぶんそうなることはないだろう。わたしは自分の無学を愛してすらいる。黄色いバターがべっとり塗られた自分の無学の腹を愛している。自分のおぞましい魂をタイプライターの舌で舐め尽くしてやる。わたしは芸術などまったく追い求めてはいない。まず求めるのは娯楽だ。わたしは忘れたい。わたしは酔っ払って、ワインのせいでぐるぐる回るシャンデリアを見つめ、大声で叫びたい。わたしは望む。つまり、わたしたちが関心を持たれる [﹅7] ようになってからも、芸術をうまく取り込める [﹅5] なら、それは結構なことだ。しかし神聖にしないようにしよう、トゥララ、トゥララ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、204; デヴィッド・エヴァニエ宛、1972年後半)