2022/7/24, Sun.

 運転免許と自動車を手中にすることは、現代の郊外住宅地に暮らすティーンエイジャーにとって重大な通過儀礼だ。子どもは自動車を手に入れるまで家に残されるか、運転できる両親(end423)に依存することを余儀なくされる。ジェーン・ホルツ・ケイは自動車の影響を論じる『アスファルト・ネーション』のなかで、徒歩で暮らすことが可能なヴァーモントの小さな街と、徒歩では生活ができない南カリフォルニアの郊外で暮らす十歳の子どもたちの生活を比較した研究を紹介している。戸外には出かける先も冒険する場所もほとんどないカリフォルニアの子どもたちは四倍ちかい時間をテレビに費していた。ボルチモアの成人を対象とした最近の研究からは、犯罪ニュースをセンセーショナルに流すローカルテレビ局をよく視聴する人ほど不安を強く感じる傾向があるという結論が示されている。家にとどまってテレビを視ることは外出への意欲を減退させていた。本書の冒頭に引用した『ロサンゼルス・タイムズ』の電子百科辞典の広告の文言――「雨の日にも図書館まで歩かなければアクセスできなかった百科事典。お子さまにはそんな苦労をさせたくない。クリック一つで知のすべてをお約束します」――は、徒歩圏に図書館がなく、遠くへ歩いて出かけることをそもそも許されていない子どものためのものだったのかもしれない(幾多の世代にとって、学校へ歩いてゆくことは世界にひとりで出てゆくという成長における大事な最初の一歩だったが、それも同様に一般的とはいえなくなってきている)。テレビ、電話、家庭用コンピュータ、そしてインターネットは郊外住宅地にはじまり、自動車によって加速された日常生活の個人化の完成をもたらす。世界へ出てゆく必要性を減少させ、公共空間や社会状況の悪化に対して、抵抗ではなくむしろそこから引き下がることを可能にするのだ。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、423~424; 第十五章「シーシュポスの有酸素運動――精神の郊外化について」)




 一〇時五分に起床。きのうは夜歩きしたことでほどよく疲れ、二時四〇分には消灯したのでなかなかよい感じの睡眠時間。起き上がるといつもどおり顔を洗ったり水を飲んだり。寝床にもどるとChromebookでウェブをみてだらだらした。
 食事も例によってキャベツとキュウリとトマトを切ったサラダにシーザーサラダドレッシングをかけた。その他のこっていた冷凍のハンバーグ二個をおかずにして米を食べる。天気はそこそこの晴れ。ひかりがあったので昨晩つかったバスタオルと座布団だけそとに出しておいた。バスタオルがおおきく横に押されて水平気味に浮かぶシルエットがレースのカーテンに映っていた。
 その後もまただいぶだらだら過ごしてしまい、たいしたことはやっていない。ストレッチや体操はしてからだをあたため、瞑想も四時前から二〇分弱座って、音読したくらい。きょうはほんとうは本屋に出て農工大の過去問を買ったり、(……)くんにすすめる参考書を見繕おうかとおもっていたのだが、コロナウイルスの感染者も急激に増加しているとなると、いまさらではあるが街の人混みのなかに出るのもなんとなく気が引けるようで、またたんじゅんに億劫でもあるのでとりやめにした。いま六時二〇分だが、しかしあとで夜歩きにはまた出たい。きょうあとやるべきはきのうのことをできるだけ綴ることと、ブコウスキー書簡の書き抜きと、ホイットマンの詩の確認と、同様にできればエマソンの文章を読んでおくのと、あしたあつかう現代文の文章を読んでおくことくらいか。腹が減った。ストレッチとかプランクとか、あとスクワットをするさいに口から息を吐きながらやっているのだが、そうするとやはり血がめぐってからだが活発化するので、腹も多少減るようだ。


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 その他たいしたことはなし。この日になにをしていたのかよくおぼえていない。きのうにひきつづいて夜歩きに出たことくらい。行くまえにGoogleで地図をみながらルートを検討。昨晩あるいた踏切りを越えたさきの西方面はけっこういい感じなのだが、まだきのうのことを記せていない時点でもういちどたどり、記憶が混ざってしまうのは避けたい。それでまあ反対側の、北から東にかけてをまわってみようかなと目星をつけた。(……)の実家がある通りに出て東に向かい、てきとうなところで南に折れてもどってくる想定。地図をみるに通りのとちゅうには「(……)」という店があり、そこからちょっと行ったところに(……)通りというものがあって、それをまっすぐ南下すればちょうど「(……)センター」に行き当たり、先日あるいた(……)通りの始点にいたる。ここで曲がるか、それかもうすこし行って信号の表示の書かれてある辻で南にはいり、(……)通りのとちゅうあたりに合流するかと見通しを立て、八時五〇分に部屋を出た。かっこうはきのうとおなじく肌着の黒いシャツにジャージ。靴はスニーカーのたぐいではなく、フォーマルとカジュアルのあいだの半端者みたいな茶色のもので、私服時にいつも履いており、もうだいぶながく履いていてけっこうボロいのだがかるくてあるきやすい。靴底も減らない。あたらしい靴を買ったとしても散歩につかいつづけるかもしれない。道に出るとひとまず西方向へ。昨晩は素通りした角で折れて(……)通りにはいる。まもなく道の向かいに公園があるが、高校生くらいか若い男女がなかにいるようで声が聞こえていた。直進して(……)通りに当たると右折。小学校の敷地に沿って行く。門のうちからは自転車をともなったものが数人出てきたが、あきらかに小学生ではなく、子どもと保護者らしき二人連れもある。学童とかか? 学校を過ぎると唐揚げ屋があって、こんなところに唐揚げ屋なんてあったのかとおもった。荷物をアパートに運んだ日にこの通りをあるいたとき、(……)がふれていたような記憶がかすかにないでもないが。そうしてまもなく表通りにいたったので右折し、ただまっすぐあるく。急がず、風のながれを浴びながら、東へ一路、歩をかるく踏んでいく。和食器の店があったり、バーのたぐいがあったり、安いヘアサロンがあったり、暗い公園があったり。「(……)」はいがいにすぐやってきて、おもったよりもちかいな、一時間くらいの散歩を見込んでいたが、これだとみじかくなってしまうかもしれないとおもった。そこを区切りのようにしてそれからさきは道路もちょっと幅が狭くなり、道沿いの建物もおおかた住宅になってあたりはしずまり、車の走行音がとおくからつたわってくるなかに風のながれが肌を涼ませ庭木を揺らし、みあげれば空は晴れきっているともみえないが雲はうつらず青さをはらんで展開している。たぶんここが(……)通りに曲がる角だなという、目印もない、住宅のあいまの薄暗い辻にいたったが、ここで曲がるとやはり短い気がしたので信号のある交差まで行こうと道をつづけ、いたればここも信号があるにはあるが所詮は裏路地のたぐいでひと気も車もなくてものさびしいようななかに、学校らしき敷地があった。それに沿って南下。そのまま(……)通りのとちゅうに出るとおもっていたのだがそれは勘違いで、また学校らしき建物と敷地のまんなかにぶつかり、とはいえ右が西で家のほうなのでてきとうにそちらにすすんでいこうとまよわず曲がると、前方の道端に犬を連れた女性が止まっていて、背後のこちらを確認すると犬をうながしてあるきだした。このころにはウォーキング・チルがはたらいて歩調は相当ゆっくりになっており、心身もしずまりおちついてちからが抜けていたのだが、この散歩の女性はたびたび犬にあわせて道端に止まっており、のろのろ歩いていると、あ、またいるな、ということをくりかえしたものの、追いつくことはなかった。ずっとひたすら西にすすんでいったのだが、じきに突き当たってしまい、どうするかなとおもいつつ右に曲がり、ひとつめの路地に折れようとしたところがその奥がめちゃくちゃ暗くて明かりのないようだったのでひるんでやめ、もう一本さきの路地をはいっていくと道がそこそこうごいて、どちらに行くのかわからんなとおもいながらゆだねていると、出た通りの右方にセブンイレブンが見える。きのうも来た場所で、ここに出るのか、とおもった。それならもうあとは近い。左折すれば家に近いほうだろうとすすみ、角まで来るとマッサージ店があり、その方向からみるのははじめてだったから気づかなかったがそのさきの通りに踏み入ればここは(……)通りである。こういう位置関係なのかとおもった。だんだんと周辺の地理配置が把握されてきている。そこから自宅はもうすぐそこなので、ぶらぶらあるいて帰還。
 九時四〇分だった。五〇分の道行きだったことになる。そのくらいあるけばわるくない。しかしこれだけあるいてきても腹が減ったという感じが起こらない。散歩後にかぎらずさいきんは腹が減ったなという感覚を明確に得ることがなく、どころか、パニック障害の嘔吐恐怖は措いても、この前日などは夕食のときに反発感さえあったのだが、寝床にころがって踵で太ももをマッサージしているうちに下腹部で内臓がうごいてちょっと空腹感が出てきて、やっぱり太ももを揉むのって大事なんだなとおもった。それで食事。翌日が燃えるゴミの回収日なので出してもよかったのだけれど、ゴミ箱をあけて袋を見るに木曜日までもちそうだったので今回はいいかと見送った。その他エマソンを読んだり、ポール・ド・マンをちょっと読んだりして、三時二〇分だかに消灯した。


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  • 「ことば」: 1 - 10
  • 「英語」: 571 - 585
  • 「読みかえし1」: 183 - 189


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 (……)さんのブログ。夕食前から最中にかけて三日分読んだ。

 さて、興味深いことに『差異と反復』のドゥルーズは、超越論的愚かさを論じる際に、一種の人間中心主義に訴えている。ドゥルーズによれば、人間のみが、愚かに=創造的になれるのである。曰く、「愚かさは、動物性ではない。動物は、動物を愚かな存在にさせないそれ特有の形式によって保護されている」。この、動物の「それ特有の形式」とは、いったい何だろうか。ドゥルーズの歩みにおいて、人間を他の動物から区別する議論は、最初期のテクスト「本能と制度」(一九五五年)を嚆矢とする。そこで、リセ教師時代のドゥルーズは、動物たちに比べ、人間を「本能がない」と特徴づけ、それゆえ人間は多様な「制度」をつくることができるのだ、という考えを示していた。こうした区別は、おそらく『差異と反復』に至っても失効していない。先の引用での、動物が有する「それ特有の形式」は、本能を指していると考えられる。すなわち、動物は、思考のパターンが本能的に有限であるためにいつでも賢い、つまり、わけの分からないショックから保護されているのであり、本能から外れて愚かに=創造的になることができない。他方、人間は、思考において有限性を欠如しており、ゆえに、無限に愚かに=創造的になれる。以上の対比は、ラカン理論を想起させる。人間の〈欲望する思考〉は、埋められない《欠如》をめぐる無限の試行錯誤であり、それが、本能の欠如に相当する。大文字の《欠如》、すなわち、私の(性の)拠り所の不在をめぐり続ける不安、それは、死の不安である。ドゥルーズの区別に従うならば、おそらく動物はこうした不安に悩まされておらず、狂気を呈することもないし、そして、《欠如》をカバーする対象a、さらにサントームとしての芸術作品をつくることもないだろう(3-5)。
 人間は、思考において本能的な有限性を欠如しているがゆえに、大文字の《欠如》をめぐり続ける愚かな存在である——という、いわば〈負の人間中心主義〉は、空虚な《存在=出来事》の経巡りによって万象を媒介する構造主義ホーリズムの世界と、ぴったり相関する。人間のトラウマと世界のトラウマが、ストレートに相関しているのである。けれども、本稿では後ほど、ドゥルーズにおいて〈負の人間中心主義〉の圏外を示す、別の動物論に賭けようとする。第1章で例示したように、ドゥルーズは、動物への生成変化をたびたび勧めていた。なぜ、動物になれと勧めるのだろうか。それは、人間的な愚かさから外れることを狙っているのではないだろうか。かといって、動物の本能的な賢さのうちに閉じるのでもないのだとしたら、どうだろう。ならば、本能的な賢さと不可分であるだろうともうひとつの愚かさ、〈動物的な愚かさ〉というテーマが、浮上してくるはずである。
(千葉雅也『動きすぎてはいけない』p.294-296)


 したは2022-07-21から。

 (……)(……)さんの投稿は劣悪な労働環境を訴える長文だった。仕事は毎日7時半から21時まで。時給は15元(約300円)。昼休みなし。食事も住居もなし。それでも毎日この仕事をもとめてやってくるひとがたくさんいる。55歳以上の人間は新規採用しない。もともと採用していた人間でも60歳になれば解雇する。国家の規定では定年は男性65歳女性60歳であるし、現代人の寿命を考えれば55歳も60歳もまだまだ若い。にもかかわらず彼らはこのような劣悪な条件の仕事すら手に入れることができない。老後のことを考えるとおそろしい。薬局では解熱剤を購入することができない。コロナ対策の検温をごまかす連中がいるかもしれないからという理由なのだが、その薬を本当に欲している人間はいったいどうすればいいのか。どこにいくにしても72時間以内のPCR検査陽性の証明書が必要だが、PCR検査を実施しているのは午前は7時から10時まで、午後は5時半から8時半までで、お昼休憩すらない環境なのだから当然受けにいく暇もない。つまり、どこにも出かけることなどできない——と、だいたいそのような感じで、いやこれ普通に地獄やんけ、というレベル。なんでそんなところを研修先に選んだのだろうか。


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Russia has targeted Ukraine’s main port of Odesa – through which grain shipments would take place – with cruise missile strikes, barely 12 hours after Moscow signed a deal with Ukraine to allow monitored grain exports from Ukraine’s southern ports. “The enemy attacked the Odesa sea trade port with Kalibr cruise missiles,” Ukraine’s operational command south wrote on Telegram, raising doubts about the viability of the deal that was intended to release 20m tonnes of grain to ward off famine in large parts of the developing world.

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Ukraine’s defence ministry has urged citizens in Enerhodar, a key area seized by Russia, to reveal where Russian troops are living and who among the local population was collaborating with the occupying authorities. “Please let us know as a matter of urgency the exact location of the occupying troops’ bases and their residential addresses … and the places of residence of the commanding staff,” it said on Saturday, adding that exact coordinates were desirable.

The governor of Zaporizhizhia has said that Russia is keeping 170 people captive in the Zaporizhizhia oblast, the Kyiv Independent reports. According to the governor, Oleksandr Starukh, Russian forces have abducted at least 415 people in the southern region since 24 February – the day Russian forces invaded Ukraine – and at least 170 individuals are still being kept captive.

The UNHCR says 3.7 million Ukrainian refugees have received temporary protection status in the European Union. In a new report released Friday, the UNHCR cited that 3.7 million Ukrainians have registered for Temporary Protection or similar national protection schemes in Europe.

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The former deputy secretary of Ukraine’s Security Council has been suspected of high treason, the Kyiv Independent reports. According to a report released on Saturday by the Ukrainian State Bureau of Investigations, Volodymyr Sivkovych is suspected of collaborating with Russian intelligence services and managing a network of agents in Ukraine that spied on behalf of Russia.

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Hungary’s nationalist prime minister Viktor Orbán called for US-Russian peace talks to end the war in Ukraine, lashing out at the European Union’s strategy on the conflict. In a speech in Romania on Saturday, the 59-year-old rightwing leader also defended his vision of an “unmixed Hungarian race” as he criticised mixing with “non-Europeans”. Orban has condemned Russia’s invasion of Ukraine in February, but maintains an ambiguous position on the conflict.


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 政府が22日に閣議決定した安倍晋三元首相の国葬を巡っては、国民の間でも賛否が割れている。日本近代史を研究している中央大の宮間純一教授(39)に国葬の歴史や今回の政府対応について聞いた。(我那覇圭)

 —国葬とは何か。

 「国が国費で営む葬儀のことで、最初の例は太政官制で右大臣を務め、1883年に死去した岩倉具視にさかのぼる。85年に内閣制が始まってからは閣議決定で対象者が決められ、1926年に公布された国葬令という勅令で法律上、位置付けられた。軍人の山本五十六らが国葬されている。47年に国葬令が失効した後は、67年の吉田茂元首相が最後だ」

 —どんな目的があったのか。

 「戦前には国をまとめ、国民を統一する狙いで、天皇から賜る形で行われた。国や天皇に対する功績があった人が選ばれ、国葬が決まれば公に異論は唱えられなくなった。(戦死した)山本五十六は、まさに国民のかがみとして奉るために行われた。現代の日本の民主主義とは本来、相いれない儀式だと考えている」

 —安倍氏国葬をどうみるか。

 「戦前と同一視はしないが、歴史を検証しないまま、突き進む岸田文雄首相の姿勢に危うさを感じる。今回、内閣主導で進めているため『内閣葬』と呼ぶ方が正確だが、国葬という名称にする以上、少なくとも国民の名において営むことを明確にすべきだ。それには国葬のあり方や対象者の基準などを国会で議論し、安倍氏が当てはまるかどうか検討すべきだ。首相はその手続きを排除している」

 —政府は国葬に否定的な世論に配慮して、国民に喪に服すように求めない方針だ。

 「国葬とは根本的に反対派も巻き込む儀式で、喪に服さなくて良いならそもそも国葬にする必要もない。職場によっては黙とうなどを求められる可能性もないとは言えない。反対派との分断を生むだけでなく、内心の自由を侵害する恐れも否定できない」