2022/7/25, Mon.

 これらのアメリカの郊外住宅地は自動車のスケールで構築され、生身の人間の身体では対処できないレベルで拡散している。庭園や歩道やパサージュや山野のトレイルが歩行のためのインフラといえるのとまったく同様に、現代の郊外とハイウェイと駐車場は自動車移動のためのインフラにほかならない。自動車はアメリカ西部においてロサンゼルスの甚大な規模のスプロールを可能にしたが、これは正確には郊外 [サバーブ] とはいえない。従属する対象としての都市性 [アーバニティ] が不在だからだ。アルバカーキ、フェニックス、ヒューストン、デンバーといった都市には、胃のなかをただよう半分消化されかけたスナック菓子のような、密度を保った都心がかろうじて存在しているが、そのほとんどの領域は公共交通が(仮に存在していても)用をなさず、徒歩移動が不可能なまでに拡散している。これらのスプロール地域は人びとが歩くことを想定しておらず、実際に人が歩くこともほとんどない。その理由はさまざまに指摘できる。たいていの場合、郊外住宅地のスプロールがつくりだす空間は歩く面白みを欠き、分節単位が大きいために時速三マイルの移動では感覚を鈍麻させる繰り返ししか感じられない(時速三〇マイル、時速六〇マイルの移動とは事情が異なる)。郊外住宅地の多くは湾曲する道路とクルドサック(袋小路)を採用しているが、これらは移動距離を劇的に拡大する。[フィリップ・] ラングドンが例に挙げるカリフォルニア州アーバインの区画設計では、直線距離で四分の一マイルの目的地に到達するためには一マイル以上を徒歩もしくは自動車で移動しなければならない。それに加えて、徒歩移動が一般的でない状況においては、ひとりで歩こうとする者はなにか奇異で異質な振舞いをする(end425)という居心地の悪さを感じることになるだろう。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、425~426; 第十五章「シーシュポスの有酸素運動――精神の郊外化について」)




 六時台後半あたりにいちど覚めたおぼえがある。そのとき扉をあけてアパートのそとに出ていく気配が聞こえ、たぶんまだ出勤ではなくゴミを出したのだとおもうが、もう活動しているのか、はやいなとおもった。その後ねむりをつづけ、七時台にもめざめたが、八時のアラームで正式に起きた。携帯の振動を止め、深呼吸しながら腹や頭蓋やこめかみを揉み、八時一〇分で起き上がった。紺色のカーテンをひらく。晴れの日。洗面所に行って顔を洗うとともに小便をして、マグカップに水を一杯用意。かたわら濡らしたタオルをレンジであたため、水を飲むとそれを額から目にかけて乗せて刺激する。終えると寝床にころがり、まずきょう(……)くんの授業であつかう現代文の文章を読んだ。多和田葉子内田樹。たぶんきょうは前者だけだとおもうが。いやわからん。ふたりとも言っていることはむずかしくなく、要は言語をとおした他者との関係から自己をとらえなおす式の文脈のはなしだが、じぶんでは理解できてもじゃあそれを高校生が腑に落ちるようにうまく噛み砕いて説明するとなると、それはむずかしい。抽象的なことばを抽象的なままにとらえ、そのニュアンスを理解するだけの読みの積み重ねがないうちは、とにかく身近の具体的なことに置き換えなければこういう評論のたぐいはしっくりこないだろうが、適切な具体例をおもいつくのはむずかしい。出たとこ勝負だ。前回はそれでけっこううまく行ったが。パフォーマンスを高めるべく心身をととのえておく。
 そのあとポール・ド・マンロマン主義と現代批評 ガウスセミナーとその他の論稿』を読んだ。九時半前まで。踵をつかって太ももをよく刺激してほぐす。この時点ではまだエアコンを入れなくてもたいして暑くなかった。レースのカーテンもあけて窓から青空が見えるようにし、そとのあかるさをとりこむ。窓の下半分は磨りガラスなので寝転がっていれば向かいの保育園の二階からも見えない。空は薄雲がはたはたと散っているのみでジュースのように濃い青さが充実している。
 九時三二分から椅子にうつって瞑想した。このくらいで一〇時の十分前かなとおもって切るとまさしく。コンピューターを立ち上げて通話の用意。LINEにホイットマンの訳文を貼っておき、ChromebookのほうでNotionのきょうの記事をつくっていると三人来たので開始。(……)
 一二時一分で退出し、またちょっとゴロゴロして太ももをほぐした。ゴロゴロすることの重要性を再体感している。ゴロゴロしながら脚を揉むのがやはり楽だし最強である。本も読める。このとき読んだのは(……)さんのブログだが。食事中もあわせて一九日と一八日だったかを読んだ。一二時半前には寝床から背をはなして身を起こし、食事へ。キャベツと大根とキュウリを生サラダにこしらえ、シーザードレッシングをかけたうえからハーフベーコンを乗せて、そのほか豆腐とニッポンハムのナン。カレーとチーズとソーセージがはさまっている。きのうおとといは胃の感じがよくなかったが、きょうはわりとだいじょうぶそう。食べるとながしはいったん置いておいて、きょうのことをメモ帳にすこし書き、それから洗い物をした。昨晩のプラスチックゴミも鋏で切ってビニール袋に入れ、もうわりといっぱいだったので縛ってしまった。今日の夜、帰宅後に出しておく。袋は透明もしくは半透明といわれていて、このビニール袋だと透明度が低い気がするが、まあいちおう透けてりゃいいだろうと。なかがプラスチックゴミだとわかればよかろう。そのあときょうのことをここまで綴って一時四九分。四時半か五時前の電車で労働に行く。それまでに二三日の記事をせめて終わらせたいがゴロゴロもしたい。あとワイシャツもまたアイロンをかけないと。休みの日にぜんぶやろうとおもっているのだがいつもわすれてしまう。


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 その後出勤までのあいだは二三日分を書いたのだったか? そうだ、二三日の記事はこの日で終わらせたのだった。ほか、音読もちょっとだけ。三時くらいからゴロゴロしたおぼえがある。このときは一年前の日記を読んだのではなかったか。あと(……)さんのブログも読んだかもしれない。一年前、2021/7/25, Sun.からはまず、「水場に行ってきてから瞑想をした。相当に暑い。大気にふくまれている熱気が濃く、身のまわりでわだかまっている。しかも草がすれあう音も立たないからそとに風もないようすで、はいってくるものもなくて熱が停滞している」という部分に読みの進行がいったんとまった。なんということのない記述だが、「しかも草がすれあう音も立たないからそとに風もないようすで、はいってくるものもなくて熱が停滞している」という一文がなぜかかなりよく感じられたのだ。リズムと漢字ひらがなの配分の問題だろうか。またこの日は(……)くんにメールをおくっていて、かれが心身の調子をおおかた回復させて小説を書き出したということを受けて、「また、小説を書きはじめたということで、こちらも自分にとって大きなよろこびです」、「(……)くんが小説を書きはじめるということはかんがえていなかったので、驚きましたが、いざそう言われてみればなにも不思議なことはありません。(……)くんは、あきらかにそうするべき人間だと思うからです」、「その選択と決断を、全面的に支持します」などといってめちゃくちゃ後押ししている。じぶんのことについては、作品をつくらなければならないのに日記に追われるまいにちで一向にできないと述べており、先日おなじく(……)くんに送ったメールにもおなじことを書いたわけで、一年前といまと言っていることも営みの状況もまったくおなじなわけで、マジで進歩ねえなとおもった。また、「自分は二〇一三年の一月から読み書きをはじめました。二〇一八年中は一年間、鬱症状で死んでいたので、実質七年半ですね。先日、その年数をあらためて意識するときがあったんですが、七年半じゃまだぜんぜん短いな、と、自然にそう思いました。いままでだったら、七年半も書きつづけて俺もなかなか大したもんだ、と感じていたと思うんですが」とのこと。その七年半はいま八年半になったわけだが、たしかに、八年半程度じゃまだまだぜんぜんだなといまもおもう。年月のながさは措いても、日記しかつづれていないということをふくめ、いろいろな面でじぶんはまだぜんぜん駄目だなとおもう。
 その他ニュースなど。

上階へ行って食事。カレーと、きのうの素麺のあまりを煮込んだもの。新聞は三面にタリバンの動向が報じられていた。タリバンの支配地域はアフガニスタン全土の五五パーセントまで増えており、地域によってアメとムチをつかいわけていると。北部クンドゥズ州のある町では住民の訴えを聞き入れて増税をとりやめたり、いままでの相場よりも高い報酬でなんだったか掃除かなにかの求人を出したり、住民に呼びかけて相談を受けつけたり、そういうサービスを提供するそぶりを見せているが、べつの町では女学校を焼き払ったり、女性の服装を規制したりして統制していると。女学校を焼くのはマジでゆるせん。知の機会と可能性をうばうたぐいの弾圧はマジでムカつく。しかもそれが女性にむけられたものであるだけに。タリバンを支持する国民は一割程度しかいないもよう。ただ、アフガニスタン国内にはアル・カーイダ系の戦闘員が五〇〇人残っていてタリバンは彼らと関係をたもっているらしく、アフガニスタンがふたたび「テロの温床」にならないかと各国は懸念している。ビン・ラディンのあとの世代のアル・カーイダ系の連中がタリバンの保護をもとめるのではないかとか、米国の撤退が勝利と喧伝されることで欧米にひそんでいる過激派を刺激しないかとか、危惧される可能性はいろいろあると。中露は基本的には傍観のかまえで、上海協力機構は、アフガニスタンの和平はアフガニスタン人同士の話し合いによってしか実現できない、と声明を出したらしい。だから、タリバンが勢力をとりもどしても介入しない、つまりタリバンの邪魔はしない、というわけだろう。タリバンの側でも、ロシアにたいしては国内の過激派は一掃すると言い、中国にたいしても新疆ウイグル自治区イスラーム主義者を支援することはないと明言し、テロリストが流入したり活発化したりするのではないかという両国の懸念にこたえている。

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風呂のなかでは湯船で停止して調身をはかる。きちんと停まることができれば、それが一〇秒であろうと価値のあることだ。藤田一照が『現代坐禅講義』のなかで、坐禅をしてなにかを得たり特殊な心身状態になったりすることに価値があるのではなく、時間やら義務やらなにやらに追われてつねにせわしない生活のなかでそれでもなにもせずただじっとすわるという時間を取れたことそれじたいに価値があるのです、みたいなことを言っていたが、それはそうだなとおもう。ひとにはあらゆる物事から離れて原子的に独立自存する時間としての自由が必要なのだ。その自由とは停止と無行動のことである。

ひとはたいていのばあい、なにかしらのながれのなかにいる。それは時間のながれであったり、社会のおおきなながれであったり、日々の生活のながれであったりいろいろあるわけだが、まずなによりも行為と行動のながれである。ひとはそれらのながれの、単にそのなかにいるというよりも、たいていのばあいはそれに呑まれており、かつ呑まれながされていることを意識しない。というか、それいがいのありかたや時間をあまり定かに体験しない。ふつうに過ごしていて、ながれのなかに埋没せずそこから浮かび上がり、ながされることに抵抗する、というよりは(完全にではないにしても)それと無関係になる時間の、いかにとぼしいことか。いま目の前にあるものたちをじぶんがいかに見ていないか、ひかりの色を見る時間が生のなかでどれだけあったか、風の音を聞いた経験がいかにすくないか、だれしもじぶんに問えばあきらかに実感するのではないか。


 ゴロゴロしたあと三時台後半に起き上がり、ちょっと体操的にからだをうごかしたり、ワイシャツを一枚アイロンかけしたり。薄紫色のやつ。座布団のうえでハンディスチーマーを当てて皺をぶち殺し、きがえて身支度。帰りにもしかしたらスーパーに寄って買い物する気力が湧くかもしれないとおもい、リュックサックをえらんだ。けっきょくそうならなかったが。部屋を出る直前、マスクをつけようというところで、歯を磨くのをわすれたのではないかと気づいたのだが、舌で歯にふれてみたり口臭を確認してみたりしてもあきらかに磨き済みの感触である。いつ磨いたのかおもいだせなかったのだが、いつのまにかやっていたらしい。それでマスクをつけてそとへ。陽は照っており、道に出るとすぐさま熱気がからだをつつみこみ、服から肌から細胞ぜんたいをひたす勢いでななめに照射され、熱によって身の回りの空気が狭苦しく詰まったようになる。郵便局に寄って記帳をしたかったので、表に出ると右折。暑い暑いとおもいながらも陽射しを避けるすべがない。あるきながら右手にひらく路地をのぞけば、まっすぐながくつづく果てにはマンションのすがたがあったり、なにか建設中の敷地の囲いからクレーンの首が突き立っていたり、それらをいだく空はうっすらとした雲を浸透的にふくみながらも青さが清涼で、路地の空間もどこかあかるさをはらんで、つつましいつやめきを知っていた。郵便局に向かうと幼子と親の連れ立ちが入り口をくぐるところで、子どもはひといないねー! とか口にしていた。追ってこちらも入り、手を消毒し、ATMは老婆がつかっていたので濡れた両手を揉みながらそのへんの壁際で待ち、壁に貼られている広告のたぐいをみているうちに老婆のすがたが消えていたので機械にちかづき、通帳を挿入して五万円を引き出した。そうして退出。暑気のなかで印字された情報を確認し、しまうと来た道をもどる。正面が西になる。したがって太陽は向かいから揚々とかがやきを降らせてあたりは撒き散らされた液体どころか浅い冠水じみた日なたにまみれ、まぶたは細まることを強制される。こんなところをいつまでもあるいてられんとアパートのある角で裏に曲がり、するとまだしも道に陰がはみ出しているからすくわれる。そこからいつものルートで最寄り駅へ。保育園ではすでに迎えがはじまっていて門前に自転車の保護者や幼児のすがたがいくらかあったが、公園にはにんげんのすがたがひとつもなく、砂のうえを風が通るなかにセミの声だけふくまれていて、しかしやはり地元とくらべるとよほど薄くて軽い。右折し、また正面から来るひかりのなかをくぐり抜けていく。路地の出口前にある一軒に郵便局が来ていて赤い小型バンが道に止まってひかりをはじいていたが、ひらいた戸口からはやたらおおきい笑い声が出てきて、みれば配達員がゲラゲラ笑っているのだけれど、チエコ! とか、ススム! とか、その家の婦人に向けてなにやらなまえを向けていて、どういうやりとりなのかわからなかったが気安い間柄のようだった。婦人は礼を言い、配達者は退出する。
 通りを渡って裏にはいれば脇の屋根のうえをひかりはすべり、右手には塀内にサルスベリを一本そだてた家があって、湧き返る雲のようにおおきく乗り出した枝葉の群れは、もうだいぶ白さで埋められており、かるいながれにふわふわとたわむのをみている間にも花びらがはらはら剝がれて宙をすーっとながれて落ちる。マスクは口からずらしていた。日陰はじきにとぼしくなる。公園の草木はひかりをよそおっていかにも旺盛に緑をあかるませている。汗をかきかき表まで来て、横断歩道を待って渡ると細道へ、右側が塀で陰があるのでそこをたどったものの、所詮かろうじての狭さに過ぎず、その内を踏んだところであたまや上体にかかるものは避けられない。駅に着くとようやく屋根が生まれた。改札を抜けて階段通路でホームを渡り、もうまもなく来るところだったので座らずに立ち尽くしてちょっと待ち、乗車。この日は出るまえに薬を追加してきたのでどうということもない。心身の感じはあきらかに楽である。そのうちに(……)に到着して、降りると近場ではなくひとつ向こうの階段口まであるき、そこからあがってべつのホームへ。階段をおりるとちょうど来た電車からひとびとが吐き出されてくるところで、端に寄って身を薄くしつつ右手をまえにさしだしながら対向者によけてもらった。そうして先頭車両へ。きょうは車両端に立つことに。携帯とイヤフォンを出してFISHMANSの『ORANGE』を耳にながした。そうして手すりをつかんだまま目を閉じ、発車を待つ。発車時とかその後しばらくはやはり多少緊張するが、やばいという感じが生じることはまずなく、とちゅうで目をあけて左手の運転席からとおして見える風景に目を向けたり、音楽に耳を向けたりする余裕もあった。線路を横から見るのではなく、線路上から並行的に景色をながめる機会はそうなく、駅の屋根などが左右で推移していくのが新鮮でおもしろい。音楽では、"感謝(驚)"がやはり最高だとおもった。これいじょうのれるポップソングはない。スタジオ版はライブよりテンポが低くてすこしゆったりした感があるが、そんなことは関係がない。
 (……)に到着。手帳をちょっと見てから降りて職場へ。(……)
 (……)
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 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 退勤は一〇時半前。駅前の自販機でチョコレートとバームロールを買い、なかへ。電車の先頭車両に乗り、さいしょのうちは目を閉じていたのだが、そのうちに携帯で(……)さんのブログを読んだり、じぶんのブログの一年前の記事を読んだりした。だから2021/7/25, Sun.はうえで読んだのではなくて、このときに読んだのだったか。どちらでもいいが、ついでにその前日、2021/7/24, Sat.も読んでおいた。(……)につくと降りて、乗り換え。終電のひとつまえ。その時間でもそれなりにひとはいる。扉際で立って、(……)へ。吐き出されて改札を通り、帰路を行く。疲労感はつよい。
 帰ったあとは手を洗ったり着替えたりして、寝床で休息。英文記事を読んだ。ウクライナの状況を知ろうとおもってGuardianにアクセスすると、トップにミャンマーで民主派活動家が四人処刑されたという記事があったので、どこでもどうかしているなとおもい、それも読んだ。一時前に起きて食事。ふつうに野菜と味噌汁を食い、買ってきた菓子も食ってしまったのだが、勤務後の夜は腹が空の状態がかなり続いたあとだし、時間からしても胃腸によくないので、果物をちょっと食うだけとかにしたほうがよいかもしれない。腹にものを入れてしまったらすぐに寝ることもできないし。食後はさすがに疲労が高くて眠気も重く、椅子についたままちょっと意識をうしないかけたりする。二時をまわってなんとかシャワーを浴び、歯磨きも。そのあと寝床に移り、寝るまえにと脚をマッサージしていたのだが、いつか意識を失っていた。


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 通話時のことを記す。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)


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 (……)さんのブログより。

 ひとつのテーゼとして言いましょう——人間は認知エネルギーを余している。
 自由に流動する認知エネルギーのことを、精神分析では、本能と区別して「欲動」と呼びます。人間の根底には、哺乳類としての本能的次元があるにはあるでしょう。だけれど、それが実際にどう発動するかといえばひじょうに多様であって、欲動という流動的なかたちに変換されているのです(……という仮説なのです)。
 これはフロイトが言っていることですが、欲動の向かう先は一対一対応ではなく、自由で定まっていません。だからこそ、性的な対象も最初の段階では定まっておらず、異性を欲望するようになるという大多数の傾向は、もともと本能的にあるにはあっても、人間の場合は欲動のレベルでそれを固め直すことになります。本能のレベルに異性愛の大きな傾向があるにしても、欲動が流動的だから、欲動のレベルにおいてたとえば同性愛という別の接続が成立することがありうるのです。性愛のことだけでなく、何か特定のものに強い好みを持ったりとか、そういう自由な配線が欲動の次元で起こるのです。
 本能的・進化論的な大傾向はあるにせよ、欲動の可塑性こそが人間性なのです。
 欲動において成立する生・性のあり方は、たとえそれが異性愛のようなマジョリティの形式と一致するにしても、すべては欲動として再形成されたものだから、その意味においてすべてが本能からの逸脱です。つまり、極論的ですが、本能において異性間での生殖が大傾向として指定されていても、それは欲動のレベルにおいて一種の逸脱として再形成されることによって初めて正常化されることになるのです。
 そのように欲動のレベルで成立するすべての対象との接続を、精神分析では「倒錯」と呼びます。したがって、人間は本能のままに生きているということはなく、欲動の可塑性をつねに持っているという意味で、人間がやっていることはすべて倒錯的なのだということになります。こういう発想は、正常と異常=逸脱という二項対立を脱構築しているわけです。我々が正常と思っているものも「正常という逸脱」、「正常という倒錯」です。本能的傾向と欲動の可塑性のダブルシステムを考えるというのがここで言いたいことです。すべての人間を倒錯的なものとして捉える発想は、ジャン・ラプランシュという精神分析家が示しています。
(千葉雅也『現代思想入門』)


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Ukrainian military officials have claimed a “turning point” in the battle to retake the southern region of Kherson, saying they will use western weapons to liberate by September the first major city captured by Russian forces. Sergiy Khlan, an aide to the administrative head of the Kherson region, said in an interview with Ukrainian television on Sunday: “We can say that a turning point has occurred on the battlefield. We are switching from defensive to counteroffensive actions.”

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Another school in Mykolaiv was almost completely destroyed overnight, according to the city’s mayor. Oleksandr Syenkevych stated that “the ceilings between the first and second floors were destroyed, classrooms were damaged”. Five people have been wounded, including a teenager, in shelling on the city in the last 24 hours.

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One of the Russian-imposed officials in Ukraine’s occupied Zaporizhzhia region has said that a referendum on the region joining the Russian Federation will most likely take place in September, alongside a similar one in occupied Kherson.

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Nearly half a million Ukrainian children are going to school in the European Union, according to the European Commission’s department of migration and home affairs. A total of 492,647 Ukrainian children had been integrated into the national school systems of the European Union, the department said.


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Myanmar’s junta has executed four prisoners including a former politician and a veteran activist, drawing shock and revulsion at the country’s first use of capital punishment in decades.

Junta-controlled media reported on Monday that four men, including Phyo Zeya Thaw, a rapper and former lawmaker from Aung San Suu Kyi’s party, and the prominent democracy activist Kyaw Min Yu, known as Jimmy, had been executed. They were accused of conspiring to commit terror acts and were sentenced to death in January in closed trials.

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Following reports of the executions, demonstrators in Yangon held up a banner which read “we will never be frightened”.

Another banner was hung on a bridge in Yangon bearing a warning that the junta should “be ready to pay for the blood debt”. Text underneath read: “RIP Zeyar Thaw, Jimmy, Hla Myo Aung and Aung Thura.”

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A total of 14,847 people have been arrested since the coup, while 11,759 remain in detention, according to the advocacy group Assistance Association for Political Prisoners (AAPP) Burma, which monitors arrests and killings.

According to AAPP Burma, 76 prisoners have been sentenced to death since the coup, including two children. A further 41 people have been sentenced to death in absentia. Before the executions on Monday, Myanmar had not carried out capital punishment in more than 30 years, according to the UN.

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Phyo Zeya Thaw, 41, was arrested in November when about 100 police and soldiers raided a housing complex in Yangon. Before entering politics he was an activist and rapper. In 2000 he released the country’s first rap album, having founded the hip-hop band Acid. His lyrics, and their thinly veiled criticisms of the previous military regime, captured the anger and frustrations of a generation of young listeners.

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Kyaw Min Yu, 53, a veteran activist, was arrested in an overnight raid in October. He was a prominent leader of the 88 Generation Students Group, which led pro-democracy uprisings against the military, and was imprisoned in 1988 for his role in the protests. He was released in 2005 but jailed again from 2007 until 2012.