2022/8/9, Tue.

 総合病院の慈善病棟でほとんど死にかけたものの、今は少しはましになって何とかやっています。あそこはまったくとんでもないところで、病院に関して何か噂がお耳に入っているのだとしたら、たいていそれはほんとうのことです。わたしは九日間入院し、一日14ドル24セントの請求書が送られてきました。慈善病棟だというのに。そこを題材にして、「Beer, Wine, Vodka, Whiskey; Wine, Wine, Wine /ビール、ワイン、ウォッカ、ウィスキー。ワイン、ワイン、ワイン」というタイトルの短編小説を書き、『アクセント』に送りました。送り返されてきました…… 「あまりにも感情むきだし。多分、そのうち、きみの作品の良さが一般読者にも理解してもらえることだろう」
 何を言いやがる。こちらから願い下げだ。[…]
 それはともかく、わたしの作品を一度も掲載したことがないと同封の手紙に書いていましたね。『ストーリー』の1944年3月4月号はそちらの手元にあるのでしょうか?
 そう、わたしはもう三十四歳です。六十歳になっても成功していなかったら、あと十年やってみるだけなのです。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、24; ホイット・バーネット宛、1955年2月27日)




 目覚めて携帯を見ると六時半だった。ずいぶんはやいがそこをもう覚醒とさだめ、鼻から息を吐いてからだを稼働させる。いっぽうで腹や眼窩やこめかみや頭蓋を揉んだり。意識をとりもどしたときには布団のしたのからだがすこし汗ばんでおり、きょうも暑くなりそうだとおもわれた。六時五五分に起床。カーテンをあけるとやはり空は青く、雲もみえない。じぶんがまさかゴミ出しをできる時間に起きるようになるとはおもわなかったが(ゴミは八時までに出すようにという規定になっている)、めんどうくさいのでプラスチックゴミはためておくことにした。戸棚に入れておいて来週出す。洗顔や用足しをしたあと椅子にすわって水を飲みつつ、パソコンがつけっぱなしだったのでそのままLINEをのぞいてみると、(……)がきのうあげた”(……)”の音源について、ボーカルに気になるところはないかと(……)がたずねていたので、その場で聞き、数年ぶりにこんなにはやく起きたわと前置きながら気になることはないとこたえておいた。そうして蒸しタオルで額や目をあたためてから布団にもどり、ウェブをちょっと見たあと過去の日記の読みかえし。一年前の八月九日はずっと屋内にいたようだがたびたび風に意識をひかれている日で、われながらずいぶんしずかな文を書くなとおもった。また、"Top 10 eyewitness accounts of 20th-century history"というGuardianの記事を読んで気になったなまえをメモしている。The Diaries of Harry Kesslerというのはあらためて調べてみるとAmazonにあり、二巻にわかれているようで、前半はKindleでもあるが後半はなし。ハードカバーだと一八〇〇〇円とかして阿呆だが、ペーパーバックはどちらも三〇〇〇円くらいだった。プルーストからの書抜きもよいとおもうものがいくらか。プルーストの書きぶりってやっぱりなにかじぶんと似たものをおぼえるというか、じぶんが今後さらに修練していくべきもひとつの方向としてはこのタイプなんだろうなとおもった。その後読んだ2014/1/26, Sun.では(……)で(……)兄弟と会っている。なつかしい。ふたりとも元気にしているのだろうか。書きぶりとしてはたいしたことはないが、道中の電車内、以下の一段がちょっとおもしろかった。

 正面の席に座った男性はスーツを着た身体を気だるげに座席に投げ出した。生まれてから五十余年は経つだろうその頭頂は端的にはげており、申し訳程度に髪が残った左右側頭部のあいだを細く貧弱な毛の束がつないでいた。いわゆるバーコードであった。特徴的なのは頭のみならずその顔で、ひとつには、鼻が非常に大きいにんにく鼻だった。もうひとつには口が斜めにゆがんでいて、そのせいで常にすねているような表情に見えた。丸々とした輪郭が露わになった顔を見ていると突如としてアンパンマンを連想し、そうするともう年をとってひねくれた顔のアンパンマンにしか見えなくなった。


 (……)兄弟とは駅ビルで飯を食ったりCD屋や本屋に行ったり喫茶店に行ったりしている。「誤って二つ注文してしまったというマルグリット・デュラス『北の愛人』をNさんがくれると言うのでありがたくちょうだいした」とあるが、これはいまだに読んでいない。「コンビニで二万円をおろし、残高は七万五千円となった」というのでいまよりも金はない。このとき行っている「本屋」というのは(……)のはずで、このころはまだ(……)に(……)がはいっていなかったとおもう。(……)も(……)の進出を受けてけっこうたいへんなのではないか。売上げも落ちただろう。こちらじしん、(……)にはもうほとんど行かなくなってしまったし。海外文学の棚とかまえに比べるとだいぶ縮小したはず。二〇一四年のこのときは、ムージル著作集の八巻九巻を購入しており、「これで松籟社ムージル著作集はすべて手元にそろった」という。『特性のない男』もそろそろぜんぶ読みたいな。
 日記の読みかえしを終えたあとはカフカの書簡を読み、八時四五分くらいでふたたびからだを起こした。屈伸をしたり、背伸びをしたり、開脚をしたりと肉体をほぐしてから、椅子のうえに座って瞑想。はやく活動したい欲があったので、一五分ほどでみじかく終えた。そうして食事へ。キャベツは半分に分けたうちのいっぽうがきのう尽きたので、ラップにつつんでおいたもう半分をとりだして皮をいくらか剝がし、細切りに。豆腐も賞味期限があしたまでだが三つ四つのこっているのでサラダにつかうことにして、手のうえでこまかく分割したのをキャベツのうえに乗せる。その他ダイコンやタマネギをスライスしたり、実家からもらってきたキュウリを半分輪切りにしてならべたり、ハーブ風味のサラダチキンをさいごに乗せたり。ナスももらったやつがあってもうけっこう時間が経っているのでさっさと食わないとやばいのではないかという気がする。サラダのほかにはおとといサンドラッグで買った冷凍の唐揚げをいくつか食う。コンピューターをまえにしながら食事を取って薬も一錠服用しておくと、ちょっと経ってからトイレに行って腸のなかみをケツから吐き出させた。室を出ると流しに持っていってあった洗い物もかたづける。洗濯機のうえに水切りケースを置いてそこに洗ったものを置いていく。終わったあとにスポンジもぐしゅぐしゅつぶして水分と泡を吐き出させ、まだ日なたはできていないけれど窓のそとに置いておいた。そうしてながし台の内側や排水溝のカバーや中蓋を金束子でこする。それで一〇時半くらいだったのではないか。きょうは医者に行かなければならず、そのまえに(……)で役所の手続きセンターに寄って保険証を受け取る必要もあるが、医者は午後三時から六時までやっているのでまあ四時かそのくらいに行けばいいんではないか。とりあえずきょうのことを現在時まで書こうとおもってとりかかり、とちゅう立ち上がってまた体操めいたことをしながら綴るといま一一時一六分。シャワーを浴びる。


     *


 シャワーを浴びた。浴びるとともに洗濯もはじめる。ハーフパンツや肌着を脱いで全裸になり、いま着ていたものもふくめて洗濯機に入れ、水が溜まっていくあいだは全裸のまま背伸びしたりして待ち、洗剤を投入してスタートさせると浴室へ。湯を浴びてからだをさっぱりさせ、出てくるとつかったばかりのフェイスタオルも洗濯機にくわえようとおもったが、すでに洗いを終えてすすぎの段階にはいっていたのでそれじゃあだめだとビニール袋に入れておく。服を身につけてドライヤーで髪の毛を乾かし、日記を書くべきところだが音楽を聞きながら書抜きをしたい気持ちだったのでそちらをやることにして、James Farm『City Folk』をながした。このアルバムの一曲目の”Two Steps”、どことなくRadioheadっぽさを感じる曲だが、これをおもいだしてあたまのなかにメロディがながれていたため。そうしていま読んでいるマックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)の記述をうつしていく。とちゅうで洗濯が終わるといったん立って干しに。きょうは風がつよい。陽射しもいかにも燦々という感じで照って陰るときがなく、レースのカーテンはつねにあかるみをかさねられている。洗濯物を干したついでに寝床でストレッチをした。合蹠・前屈・胎児のポーズ・コブラのポーズのセットをふたまわり。それでそうとうほぐれたからだで椅子にもどり、書抜きをつづけ、そのうちに日記にうつろうとおもっていたがつづけてしまい、せっかくなのでアルバムが終わるまでやるかということでそのようにして、一〇曲目の終わりと書き抜く文の終わりが切り良く合わなかったので自動再生がはじまったが、よくあることでそれはさいごの曲をもういちどくりかえすだけである。それなので一曲送ってみるとはじまったのはChick CoreaChristian McBrideBrian Bladeがやる”Work”で、『Trilogy 2』にはいっているライブ音源だが、これがさすがにすごかった。とくにBrian Blade。聞くべきライブだ。しかしこのChick Coreaもすでにこの世にいない。そうして切りをつけてイヤフォンをはずして立ち上がると窓の外の洗濯物が強風に押されてひっきりなしにかたむき泳がされており(ハンガーが棒とこすれあう音か、あるいは集合ハンガーの洗濯バサミがたがいにふれあう音か、カチカチパチパチという音もたびたび聞こえるとともに、風のながれじたいもうなりをあげる)、その影がカーテンにうつってひかりの白さのなかで波をえがいているが、落ちやしないだろうなと窓をあけてみてみると、洗濯物はだいじょうぶだったものの、洗い物のあとに出しておいたスポンジがなくなっていた。身をちょっと乗り出してしたの道を見下ろしてみれば落ちている。それで部屋を出て拾いに行った。建物入り口を出ると陽をさえぎるものもなくて熱をつめこまれた空気がとたんにからだじゅうを包囲する。スポンジを拾うと目をほそめながらすぐにもどった。階段をのぼるあいだここでも風がおおくながれるけれど、そのなかにも熱気がこめられている。部屋内に帰るとスポンジは流しの縁にもどしておき、またちょっと背伸びとか脚のすじを伸ばしたりとかしてからここまで加筆。二時九分。腹が減ったが半端な時間だ。


     *


 その後布団に移動して休息。カフカの書簡を読みながら脚をほぐした。カフカは一九一三年の二月くらいからだんだん本性をあらわしてきたというか、自己卑下の度合いが増して切れるようになってきている。それでフェリーツェとのあいだにも齟齬が生まれているようで、このみじめなじぶんがあなたにとって嫌になったとしたらそのときははっきりと言ってもらいたいのですが、しかしあなたのやさしさはあなたの率直さを越えています、ぼくは同情を欲しません、あなたの破滅につながるようなそんな同情によってあなたを苦しめたくはない、あなたにとってぼくが障害になったときに、あなたは果たして同情心を克服することができるでしょうか? 最愛のひとよ、ここではっきりと答えてください! みたいなことをうったえかけたりしている。カフカがじぶんはフェリーツェを苦しめるだろうし、現に苦しめているとたびたび表明するのは、かれの性向や文学への献身が世俗の一般的なにんげんのそれとはそうとうにことなっているので、要は恋人や夫婦が送るようなふつうの暮らしを暮らすことはぜったいにできないということだとおもうが(絶対的に孤独でなければ書くことはできないとカフカは表明しているし、ここまでかれとフェリーツェがじっさいに顔を合わせたのはさいしょにマックス・ブロートの家でたまたま会ったそのいちどのみでしかない)、それならさっさとカフカのほうから身を引いてしまえばよさそうなものである。ところがなぜかわからないのだが、カフカはフェリーツェに惚れこんでいる。惚れこんでいるといってかれ特有の表現や文調によって、それは恋愛というよりはなにかしら宗教的な神への献身めいたニュアンスをおもわせないでもないのだが(ぼくは完全にあなたのものです、という断言をカフカはなんども書きつけている)、カフカがなぜそこまでフェリーツェに執着したのかはよくわからない。どうもさいしょに会ったそのときにビビッときたみたいなことのようではあるのだけれど、要するに一目惚れなのか? しかしかのじょに惚れたとして、うえのような認識をカフカはもっているから、だからかのじょとともにあることができないというのはかれにとってさいしょから自明のはずなのだ。カフカがフェリーツェにはじめて会ってから一か月か二か月かわからないがそのくらい置いたのち、いったいなにをもとめてかのじょにはじめの手紙を送りつけたのかよくわからず、不可解である。さいしょはふつうに仲良くなりたい、恋愛関係にはいりたいということだったのか。それにしても一九一三年くらいになってくると、カフカはまるで嘆きや自己卑下をひたすらに語りつづけたり、じぶんが世間一般的な意味ではまるで無能な、これいじょうなくみじめな人間であり(とはいってもかれは労働者災害保険局にふつうにつとめていたわけだし、いくらか信憑性がうたがわしいとはいえグスタフ・ヤノーホの本だったかにはかれが職場の掃除婦にひじょうに丁重に振る舞って尊敬めいた念を受けていたというエピソードもあったはずだ)、とてもふつうの(家庭)生活など持てるはずがないということを証明したいがために、フェリーツェという相手をもとめたかのようにすら見える。とはいえいっぽうでフェリーツェがかれの「最愛のひと」だったのもまちがいないようで、カフカはかのじょをじぶんのいるこのみじめさの領域のなかにひきずりおろしたい、みたいなことも言っている。だから愛するフェリーツェがじぶんとおなじ世界を生きてくれるよう欲しつつも、それは不可能なことだとわかりきっているという葛藤のなかにいるのだろう。そこからうえに触れたような、じぶんの存在が邪魔だったらはっきりそう言って離れていってくれという相手へのうったえかけが生じてくる。じぶんじしんから離れていくことはできないのだ。それにしてもこういうはなしをしているときのカフカの書きぶりは、フェリーツェがじぶんにたいしてどう感じるかということを先取りするような気味があって、じっさいフェリーツェはだいぶ困っていただろうとおもうのだけれど、カフカはかのじょがどうおもうかをみずから前もって明晰に分析して、積極的に代弁してみせるような調子で、それはおそらくけっこう当たっていたとおもうのだ。だからこそいやらしい。そんなふうに言われたらこたえるほうはいったいどうこたえればいいのか、途方に暮れるだろう。あいてを身動きとれないように包囲して窮屈なところにかためてしまうような語り口。ただたんに悩ましい問いをうったえかけてくるといういやらしさにくわえて、あなたの答えやかんがえはわかっているということを鋭く分析してみせつつも、しかしあくまで答えはひらかれたものであるとして相手の返答をもとめる、そういうなかば自己完結したかたちのそなえる二重のいやらしさがある。フェリーツェからすると、たぶんなんと答えてもカフカに反駁される道が待っているはずだ。かのじょとしては、はっきり、もしあなたがいやになったらわたしはあなたを捨てるとも、同情心からつきあいつづけるともとうぜん言いづらいだろう。かといって同情ではないと言ったところでカフカはぜったいに信じない。それはフェリーツェのほうが誤りを真だとおもいこんでいるだけなのだと言うにちがいない。カフカはフェリーツェとともにいることを夢見ながらも、かのじょにとってじぶんは結局のところ害にしかならないからほんとうは関係を(いますぐにではないとしても)終わらせるべきだという葛藤のなかにいて、その終わりの保証をあいてにもとめている(と同時におそらくは決定的なその答えをいわないでほしいというこころもあるかとおもわれ、だとすると、フェリーツェがそれを言えないからこそカフカは問いを差し向け答えをもとめることができるわけだ)。フェリーツェのほうも、どの方向であれ決定的なこたえをあたえる(すなわち、判決をくだす)ことができない宙吊りの葛藤状態に固定されることになる。だからカフカはみずからの葛藤を書きつけることによって、手紙をとおしてフェリーツェにもそれを感染させたかのようなのだ。フェリーツェはしょうじきかなり戸惑い、相当にめんどうくさくおもい、負担を感じたのではないかとおもう。そもそもかのじょがなぜカフカとの文通をつづけようとおもったのか、さらにはいまだほとんど手紙のうえでしかことばを交わしていないこの奇妙なあいてと恋人という関係を持つことになぜ同意したのか、じぶんにはそれがまったくわからない。めちゃくちゃめんどうくさいとおもうし、端的に言ってわけがわからないあいてだとおもうのだが。その点はカフカじしんももちろん明確に自覚していたはずで、一九一三年三月二日から三日にかけての夜に書かれた手紙には、かれの性質にふれて、「ぼくの本性である混乱、いやむしろ単調な曖昧さ」(294)という一節がみられる。さすがに正確な自己形容だとおもう。
 三時くらいまで読み、起き上がるときのうの往路帰路のことをさきにつづって、それでもう四時だったので出かけることにした。肌着のシャツやハーフパンツを脱いで、いつもながらのTシャツと黒ズボンに着替える。リュックサックに本やらパスポートやら用意して出発。腹がかんぜんに空で、肉体がうすく頼りなくなったような感じであり、そんな状態で夕刻に向かいだしてもまだまだ分厚く粘るこの陽射しと熱気のなかを行ったらばあいによってはくらくら倒れかねないとおもったので、アパート脇の自販機でポカリスエットを買って、あるきはじめるまえにいくらか飲んだ。ふつうになにかしら食えば良いのだが、ものを食ってすぐに電車に乗るのが怖かったので。しかしのちの電車内でのようすからすると、むしろかんぜんに空腹のほうが良くないのかもしれない。血糖値も下がるだろうし。スポーツドリンクを飲むと下宿の入り口から右方向、いつもとは反対に行っておもてに出た。いつも通る道だと日陰がすくないような気がしたので、まだしもありそうなルートを取ることにしたのだ。しかしその細道にたどりつくまでのあいだ、まずもってアパートに面したすこし幅広の通りには遮蔽がなにもなく、太陽は正面の西空から我が物顔で唯我独尊に照りつけ、息苦しいようになりながらすすみ、車道をわたってようやくいくらかかくれることができた。そこから裏のまっすぐつづく細道に折れてみると、おもったほどではなかったがやはり左にならぶ家々からところどころ陰がはみ出しているので、そこをたどるようにして前進する。日なたにさらされざるをえない間もあり、あたままでかくれない日陰もあり、家並みのすきまから日輪が目を射ることもあり、まぶたをほそめたり片手を額にかざしたりがたびたびである。右手の家は照射を浴びて、とちゅうにある美容室ではピンクのサルスベリが花をふくらませて、ちいさくながらとりどり揃えられたほかの植木もあわせて色あざやか、まえに停まったオレンジ色の自転車もその色をつやめかせるとともに、タイヤを屋根のようにとちゅうまでカバーしている金属部分がひかりを集束させていた。(……)通りに出るまえで陰をもとめて左に折れたが、すすむといつもつかっている裏道につうじたので、しまった、こっちからだと駅前に向かってまっすぐ伸びる細道、日なたに全面おおわれて逃げ場のない道にはいってしまう、とおもった。さっき折れずにあっちで寺のほうから駅に向かえばよかった、と。それで横断歩道を渡ると細道にははいらずに右折し、スーパーのまえをとおりすぎて寺の塀に沿って行き、角で左に曲がってもういちど左折すれば、そこは右をマンション、左を寺にはさまれた道で、高い建物もそびえ道のうえに塀内から木々も張り出しているので日陰はほとんど道幅をすべて埋めるいきおいであるきやすい。寺院の敷地でこずえは多く、ミンミンゼミやツクツクホウシの鳴きがこのへんではいちばんさわがしいくらいに立って降り、頭上を覆う葉叢の緑は青空を向こうに敷かれながら風にこまかく揺動し、それじたいが鳴き声であるかのような震え方だった。駅のすぐそばまで来ると樹冠は消え、ほんのわずかにじみだしたような淡雲のみ引かれたまっさらな空があらわにひらき、マンション横の小広場にはここもこずえの影が地にふるえつつ、それにかこまれたような路面が液体じみた純白光をやどしてつよくはねかえしている。そのまぶしさもしかし数歩すすめば角度の変化でうすれて、路面はただの路面となった。
 駅にはいって向かいのホームへ。立ち尽くして数分待ち、乗車。扉際で待って(……)で降り、いつもどおりひとの殺到する間近の口は避けて、ホームの向かい側にうつって(こちら側はいま降りたひとがおおいため)ひとつさきの階段口に移動した。上がると乗り換えに行きかけたが、そのまえに保険証をもらうのだったとおもいだして足を止めて方向転換、改札に向かっていき出ると、大通路を北口方面にすすむ。人波はそこまでの規模ではない。屋根があるほうがいいかなとしたに下りずに高架歩廊をたどったが、べつの改札から出たほうが目的地にはちかかった。電気屋のはいったビルの脇からエスカレーターをくだり、手続きセンターへ。はいって消毒液を手に受け、こすりながら職員を横にともなった発券機のところに行くと声をかけられたので、保険証をもらいに来たんですがというと女性職員が発券してくれ、そのちいさな用紙をもらって席へ。リュックサックから失効証明とパスポートを入れたクリアファイルをとりだしただけの待ち時間で即座に呼ばれた。あいては線の細めな男性職員(線の細さにかんしてはひとのことを言えず、むしろこちらのほうが細かったかもしれないが)。失効証明は先日つかったのでもういらないのだとおもうがいちおういっしょに出すとあいてはそれを確認し、七月三一日で失効ですかね、ご家族のかたもいっしょに、というので、あ、じぶんがこの(……)で、と扶養者のほうを指し、それで先日発行、というか加入をもうしまして、きょうはそれを受け取りに来た感じです、と説明すると、調べてみますねと職員は言って、パソコンをカタカタやりだした。そのあいだあいてをじろじろ見ているのも気が引けるし、てきとうに周囲に目を向けたり、いま座っているカウンターの脇に置かれてある封筒とか広告とかをぼんやり見ながら待つ。姿勢はなぜか背を伸ばして椅子に座り、両手をまるめて太もものうえに置くような、ぴしっとした感じになっていた。もうできているのでいま持ってきますね、というわけで職員は席を立ち、返却された書類をリュックサックにおさめなおしているともどってきた。保険証はけっこう薄いカードで、ほんのすこし湾曲しているくらいの薄さであり、それをおさめるビニールケースもいっしょにもらえた。しかしいままでつかっていた保険証はもっと厚めのしっかりしたカードだったので、これが社会保険国民健康保険の格差か……とおもった。さらにむかしは保険証はもっとおおきくて、やはりスリーブ的なものにはいっていた記憶があるが。
 それで受け取るものを受け取ると退出。カードをフィルム的なケースにおさめて財布に入れ、ついでにポカリスエットをまたすこし飲んで道へ。このしたの道のほうが高架歩廊が屋根になるからむしろ日陰がおおかった。駅舎まで来ると駅ビル内は冷房がかかっているだろうとガラス戸をくぐり、フロアからエスカレーターへ。地階から二階につづくこのエスカレーターはなぜかスピードがやたらとゆっくりなのだが、乗っているあいだ、ちょっと緊張をおぼえた。あまりたしかな地面に乗っておらず、半端な領域で宙吊りになっているのが不安なのだろう。このくらいなら問題ないが、東京駅とかにあるようなながいエスカレーターに乗るときは怖い。モスクワの地下鉄のそれも馬鹿長くて、あれがいままで乗ったエスカレーターのなかでいちばん怖かった。


      *


 この日はその後、(……)に移動して(……)に行き、ロラゼパムをぜんかいと同様一日二錠わりあてで二八日分、処方してもらった。行きの電車内ではすこしやばくなって薬を追加。(……)駅から医者に行くまでのあいだと、医者からもどってくるまでのあいだに見た空や雲やひかりの風景をたしょうおぼえていないこともないのだが、一週間弱時間が経つと記憶も粗くなるしやはり書く意欲も削がれるので割愛する。雨がぱらついてはいた。差すほどではなかったが。というか傘はもってこなかった。線路の北側にある駅前のマンションの一面に淡い西陽がかかったさまが行きと帰りでちがっていたのとか、駅からもどるときに西の果てにみた雲のかがやかしい純白とか、駅のホームで帰りの電車を待つあいだに鳩が電線のうえを行き来しながら翼をかたほうもちあげて身をひねり、くちばしでからだをつくろっているようすとか、図書館のはいっているビルのガラスが一面に空を反映してもっとも淡い種の白と水色と緑を混合したようないろになり、円形の高架歩廊上を行くひとびとのすがたがそのまえをとおるときにはくっきりしているがビルの範囲を抜けてその向こうにあるほんものの空を背景にするとあたりを覆う雲のあかるさのためにかえって暗み、姿形の細部がみえなくなるとか、印象にのこっているのはそういったことだ。


―――――

  • 日記読み: 2021/8/9, Mon. / 2014/1/26, Sun.

(……)新聞は一面でオリンピックの閉会をつたえている。国際面を見るとベラルーシ関連の記事。「トリブーナ」というスポーツ専門のニュースサイトが「過激派」に認定されたというのだが、その理由が、オリンピック参加後にポーランドに亡命した例のクリスツィナなんとかいう陸上選手のインタビューを掲載し、そこで彼女への帰国命令には政権中枢がかかわっていたみたいな指摘をしたからということで、それだけのことでスポーツメディアを「過激派」認定するなどただのアホである。どうしようもない政府だ。しかし、ここ二年くらいで(もっとさかのぼるならむろんドナルド・トランプいらい)、世界中マジでどこでもやばいかんじになってきているという印象を禁じえない。

     *

きょうは風がゆたかで、起きたときにも部屋に厚いながれがはいりこんできていて、比較的涼しかった。風呂洗いを済ませて出てくると窓外の空気の色が落ちておさえられており、空も白雲がひろくはびこって雨の気配だったので、これはもうだめだなとおもってタオルを入れ、網戸で全開になっていた窓もそれぞれ閉めて開口をだいぶほそくしておいた。とはいえ雨はその後降ったのか降らなかったのか、明確に気づかれたときはいまのところなく(いま午後四時直前だが)、ついさきほどちょっと通ったような音を聞いたが風の音かもしれない。二時半ごろに書見を中断して上階のトイレに行ったときも、便器に座れば背後の上部にあたる細窓から、それは横開きの窓ではなくて上端がわずかにずれてひらくだけのものでだからほとんどひらいておらず風のとおり道はほそかったのだが、そこからながれがはいってきて床まで降りて足先のほうまで撫でるくらいだった。

入浴中、窓外に風の音を聞く。一〇時か一一時ごろだったはずだが、まだまだ盛んで、林の樹々が一面に葉を鳴らしているひびきがおりおりに厚くふくらんで寄せ、ほとんど絶え間なくつづくものの、それでいて浴室内で湯に浸かっている身にはあきらかに触れてくる涼しさがないので立ち上がって窓に寄り、ほそい隙間のまえに顔を置いたところ、そうすれば網戸のむこうのかたいような闇のなかで街灯をさしこまれながら旗はばたばた揺れており、たしかにながれこんでくるものが肌に触れて涼しい。

     *

"Top 10 eyewitness accounts of 20th-century history"の記事で紹介されている本はどれもおもしろそうで、メモしておくと、The Russian Revolution by Nikolai Sukhanov、The Diaries of Harry Kessler、The Diaries of Wasif Jawhariyyeh、Dateline: Toronto, 1920-1924 by Ernest Hemingway、The Devil in France by Lion Feuchtwanger、The Inner Circle: A View of War at the Top by Joan Bright Astley。あとはプリーモ・レーヴィの『これが人間か』と、ソルジェニーツィンの『収容所群島』と、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』(英題だと、The Unwomanly Face of Warとなっているが、名詞句を主述形式に変換したこの邦題は何気にファインプレーではないか)があがっている。とりわけ気になるのはHarry KesslerとWasif Jawhariyyehの日記で、そのつぎがJoan Bright AstleyとLion Feuchtwangerか。Harry Kesslerというのはドイツの外交官らしく、"eternally inquisitive"なひとであり、"Kessler got everywhere and met everyone from Bismarck to Josephine Baker. A diplomat as well as a dandy, he understood politics as well as art and cared for both (earning the moniker the Red Count). And he wrote brilliantly."とのこと。Wasif Jawhariyyehはオスマン帝国治下のエルサレムに生まれたキリスト教徒アラブ人で、英語とフランス語とトルコ語をはなし、クルアーンについても地元のイスラーム教師にまなんだといい、"he was his city’s Harry Kesssler: a poet and musician open to all, living in a world with ever-diminishing space for such eclectics."とのこと。

     *

八月七日の記事を終えたので投稿しようとはてなアカウントにログインすると、話題の記事ページに「韓国情報機関と日本の極右団体が「不当取引」 韓国テレビ局があす報道へ」(2021/8/9)(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210809002600882(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210809002600882))という記事を発見。以下が記事全文。

【ソウル聯合ニュース】韓国MBCテレビの調査報道番組「PD手帳」は9日、韓国情報機関の国家情報院(国情院)と日本の右翼団体の間で不当な取引があったことを確認し、10日の番組で関連映像や内容を報じると予告した。
 制作陣によると、国情院で25年間海外工作員として勤務した情報提供者が、番組側に対し「国情院が日本の極右勢力を支援しており、独島と旧日本軍の慰安婦問題を扱う市民団体の内部情報を日本の極右勢力に流出させるのに協力した」と明らかにした。
 番組側はこのインタビューに基づき、日本の右翼団体が韓国の独島、慰安婦関連の市民団体の動きを事前に把握し、弾圧する未公開映像を入手したと説明した。
 また、「7カ月間の追跡取材で国情院の多くの関係者が驚くべき事実を告白した。国情院が訪韓した日本の右翼関係者を接待し、北の重要情報を彼らと共有した」と主張した。
 制作陣は国情院から支援を受けたとされる代表的な右翼関係者として、安倍晋三前首相と近い関係にあることが知られるジャーナリストの桜井よしこ氏を挙げた。
 番組は10日午後10時半から放送される。

     *

223: 「夏になると、反対に、私たちが帰ってくるとき、日はまだ沈んでいなかった、そしてレオニー叔母を部屋に見舞っているあいだに、傾きかかる日の光は、窓にふれ、左右にしぼった内側の大きなカーテンとその留紐とのあいだに突きあたり、割れ、こまかい枝にわかれ、濾過されてから、簞笥のレモン材の生地にこまかい金のかけらの象眼をちりばめながら、森の下草にさしこむときのような繊細さで、部屋を斜に照らした」

230: 「どの小道にもなんの足音もきこえなかった。どこかよくわからない木の高さを二分してとまった、姿の見えない小鳥が、この一日を短く感じさせてやろうと思いついて、声を長くひきながら、あたりの静寂をさぐっていたが、返ってくるものは、どこからも一様の反撃、静寂と不動とを何倍かにする反撥ばかりなので、その小鳥は、早く過ぎさせようと苦心した時刻を、永久に停止させてしまったかのようであった」

232: 「しかし、私はそんなさんざしのまえで、目には見えないがそこに固定しているその匂を吸って、それを私の思考のまえにもってゆこうとじっと立ちつくしていたにもかかわらず、思考はその匂をどうあつかったらいいかを知らず、私はいたずらにその匂を失ったり見出したりするばかりで、さんざしが若々しい歓喜にあふれながら、楽器のある種の音程のように思いがけない間を置いて、ここかしこにその花をまきちらしている、そんなリズムに一体化しようとする私の努力はむだであった、しかもさんざしの花は、おなじ魅力を、つきることなくたっぷりと、無限に私にさしだしながら、連続して百度演奏してもそれ以上深くその秘密に近づくことができないメロディーのつながりのように、その魅力をそれ以上に深く私にきわめさせてくれないのであった」