2022/8/10, Wed.

 わたし自身についてですが、詩の世界に足を踏み入れるには、かなり歳を取っていると見做されるはずです。今年の8月16日で三十八歳になり、気持ちも見た目も振る舞いも、それよりもうんと年老いています。自ら招いたことですが、およそ十年間のブランクがあって、それでというわけではありませんが、惨めで落ち込むことも多く、その後この二年ほどは詩に取り組んでいます。わたしは無駄に費やした途方もない時間を振り返って、まったく何ひとつとして得るものはなかったと考えるような人間ではなく、あらゆるものに、敗北の中にさえも音楽が聞き取れたりするのですが、慈善病棟のベッドで一命をとりとめたことで、少しのんびりする気にさせられ、改めて考える好機を得たのです。すると何たることかわたしは詩を書いていました。(……)
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、28; 『ノーマッド』の編集者宛、1958年9月)




 九時半ごろに覚醒。布団のしたのからだがやや汗ばんで暑いので、きょうもよく晴れた夏日だろうと感じる。その布団をぐしゃっとてきとうに足のほうに追いやっておき、あおむけで鼻から深呼吸をおこなった。うごかずにしばらく息を出し入れしているうちにからだがある程度ほぐれてくると、腹とか頭蓋とか各所を揉んだり、また静止して呼吸のみをつづけたり。そうして一〇時にいたる直前に起き上がった。カーテンをひらくとやはり快晴。エアコンをドライでつける。洗面所に行って顔を洗う。夜のシャワーをまたサボったので、髪の毛は、そこまで脂ぎってはいないものの、ボサボサである。小便を放って出ると流しの隣の靴箱のうえに置いてあるガラス製のマグカップ(持ち手だけあざやかな濃青)で口をゆすいだりうがいをしたりして、タオルを濡らして電子レンジに放りこんでおくと椅子について水を一杯、ゆっくり飲んだ。それから加熱されたタオルをしばらく顔に乗せて、熱を皮膚のしたに浸透させると寝床にもどる。ウェブをちょっと回ってから過去の日記。一年前の日記の冒頭の書抜きは熊野純彦の以下の記述。

 他者が、〈他者〉だけが、その「他性 [﹅2] 」(altérité)がけっして私のうちに回収されない〈他なるもの〉である。つまり形而上学の「運動の終点」となる「卓越した意味で他なるもの [﹅5] 」である。レヴィナスにあって形而上学とは、この「〈他なるもの〉にむかう渇望」なのである。「形而上学的な渇望」は、「完全に他なるもの [﹅8] 」をめざしている(同 [21/30 f.] )。それは、「接触よりも貴重な隔たり」(195/274)をもたらすことになるだろう。そのかぎりでは、〈他者〉という〈絶対的に他なるもの〉をめぐる経験は、とりあえずは [﹅6] 跨ぎこせない〈隔たり〉の、あるいは到達しえない〈遠さ〉の経験にほかならない。
 そのゆえに、〈他者〉とは「所有しえないものである」(175/245)。私は、私とは完全に〈他なるもの〉を、所有することができない。あるいは、絶対的にへだたっているもの、無限に遠くにあるものを所有しえない。だが、なぜ「絶対的に」あるいは「無限に」(infiniment)なのだろうか。
 レヴィナス自身が注意しているように(cf. 42/58, 82/116)、ことがらのこの消息には、アンセルムスを先蹤としデカルトへと継承された、「神の存在論的証明」の議論構造とつうじあうものがある。私より「完全なもの」という「観念」は、私をはみ出してしまっている。私より完全なものはじつは観念ではなく、むしろ私がそれについてなんらかの観念をもつ完全性のいっさいをそなえたもの、つまり「神」そのものにほかならない [註56] 。
 おなじように、「〈他者〉は、他者について〈私〉がもつことのできる観念 [﹅2] のすべてから、(end72)絶対的に溢れ出てしまっている」(86/121)。レヴィナスによれば、他者の観念は〈私〉という「有限のうちにある無限、最小のうちにある最大」(42/59)にほかならない。だから、他者をめぐる「観念」はじつは観念 [﹅2] ではなく、「渇望」(désir)である、とレヴィナスはいう(82/116)。渇望されるのは、〈私〉から無限にはみ出してゆくもの、「〈他者〉、つまり〈無限なもの〉(l'Infini)」(82/115)なのである。他者は、私によってとりつくされることがない。他者とはつまり、私にとって [﹅5] 〈無限〉である。
 レヴィナスによれば、「無限の無限性を測るものが渇望である」(56/79)。というのも、他者への渇望とは、「〈渇望されるもの〉の所有によって癒やされるような渇望ではなく、渇望されるものが満足させるかわりに引き起こすような、〈無限〉の〈渇望〉である」(42/59)からである。その意味では、「渇望とは、測定することがまさに不可能であることによる測定である」(56/79)。「私のうちなる他者の観念 [﹅11] を過ぎこして〈他者〉が現前するしかたを、われわれはじっさい、顔と称する」(43/60)。あるいは、「渇望によって測られる測りえないものが、顔(visage)なのである」(56/79)。
 「無限の観念」は空虚なものではない。それは他者が存在する「存在の様式」、あるいは存在することを超えている様式、「無限の無限化 [﹅3] 」(l'infinition de l'infini)というしかた、〈他者〉が私にとってあらわれるしかたである(cf. 12/23)。つまり、他者が〈顔〉としてあらわれ、他者についての私の観念を溢れ出てゆく様式なのである。(end73)
 測りえないもの、際限(ペラス)をもたないものを、ひとは所有することができない(二・4)。いつまでも、あるいはどこまでも〈渇望〉されるにとどまるものを、私は所有しえない。かくして、「〈他者〉――この〈絶対的に他なるもの〉――が所有を麻痺させる。〈他者〉は、顔のうちに〈顕現〉することで、所有に異議をとなえる」(185/259)ことになる。(……)

 註56: Cf. R. Descartes, Œuvres tome 6 (Adam/Tannery), p. 34 f.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、72~74; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)


 読みかえしてみると、これってじぶんが毎日毎日飽きもせずしこしこと生および世界を書き記していることそのものだなとおもった。にんげんの欲望はすべてそうなのかもしれないが。ここでいう〈他者〉が要するにじぶんにとっては記述対象であるこの世界である。〈おなじように、「〈他者〉は、他者について〈私〉がもつことのできる観念 [﹅2] のすべてから、(end72)絶対的に溢れ出てしまっている」(86/121)。レヴィナスによれば、他者の観念は〈私〉という「有限のうちにある無限、最小のうちにある最大」(42/59)にほかならない。だから、他者をめぐる「観念」はじつは観念 [﹅2] ではなく、「渇望」(désir)である、とレヴィナスはいう(82/116)。渇望されるのは、〈私〉から無限にはみ出してゆくもの、「〈他者〉、つまり〈無限なもの〉(l'Infini)」(82/115)なのである。他者は、私によってとりつくされることがない。他者とはつまり、私にとって [﹅5] 〈無限〉である〉の一段落など、まさしく、という感じ。〈測りえないもの、際限(ペラス)をもたないものを、ひとは所有することができない(二・4)。いつまでも、あるいはどこまでも〈渇望〉されるにとどまるものを、私は所有しえない。かくして、「〈他者〉――この〈絶対的に他なるもの〉――が所有を麻痺させる。〈他者〉は、顔のうちに〈顕現〉することで、所有に異議をとなえる」(185/259)ことになる。(……)〉というのは、すべてを書き記したいという欲望がことのはじめから不可能をさだめられており、挫折と失敗を運命づけられているということに相応する。〈「私のうちなる他者の観念 [﹅11] を過ぎこして〈他者〉が現前するしかたを、われわれはじっさい、顔と称する」(43/60)。あるいは、「渇望によって測られる測りえないものが、顔(visage)なのである」(56/79)〉という点もおもしろい。〈他者〉=世界という変換とこの〈顔〉の説明にしたがって、「世界の顔」という概念を特殊なものとしてかんがえてみるのもおもしろそうだ。
 あとはれいによって風景描写などだけれど、「食後に椅子についたまま南窓のそとをぼんやり見やれば、そとはひどくあかるく、濁りない青空のもとでひかりがどこまでもあまねく染みとおっており」という一節をここまで読んだだけで、なにも念を入れたことばづかいではないのに、なにかしら快楽を感じてしまった。「濁りない青空のもとでひかりがどこまでもあまねく染みとおっており」。これだけでもう微小ながら官能性をおぼえてしまった。
 二〇一四年のほうも一月二七日月曜日を読む。過去の日記について、「二〇一二年の日記は既にすべて削除した。あれらはまごうことなき塵芥だったので躊躇はなかった」といっており、それで、そういえば二〇一二年にもいちおう日記は書いていたのだったか、とおもった。たぶんそんなにまいにち書いていたわけではないとおもうのだが。本式にはじめて毎日しこしこやるようになったのが一三年の一月なので。その一三年中の日記にかんしては、「二〇一三年の日記はそれよりはいくらか書けているので今現在の心情としては正直迷うところだが、あと一年書いたらすべて削除する心づもりでいた。実際にどうなるかは一年経ってみないとわからないが、むしろ一年後にはそれらをゴミであると言って躊躇なく切って捨てるくらいの実力を身につけていなければならないのだ」と表明しており、じっさいぜんぶ削除してのこっていない。ブログタイトルにしているとおり、のこっているのは二〇一四年の一月五日からである。
 また、本文のあとに以下のような描写文をふたつ載せている。

 川は穏やかに流れ、薄青く伸びる雲の色を映しだしていた。ほとりに盛り上がる丘の斜面に街は広がっていた。整然と積み上げられた石の上に建てられた家々はみな一様に瓦屋根をかぶり、川に面した張り出しからは埠頭に停まる二隻の木船が見下ろせた。無人の船は笹の葉のように細長い体と低い屋根を持ち、時折り風が起こす静かなさざなみに揺られていた。細い桟橋の足下では野菜を洗う人々の姿がそこここに見られた。岸に近い浅瀬では苔むした川底の緑と映りこんだ木々の緑とが混ざり合い、陽光が落ちると深緑色の水面がきらきらと輝いた。
 狭く重なりあうようにして建てられた家々のあいだをのぼってゆくと石畳の通りに出た。道の片側には隙間なく家々が立ち並んでいたが、もう片側には城砦のなごりをとどめる石壁が人間の頭より高くそびえていた。長い年月を経て茶色く変色した石壁はある箇所は削れ、ある箇所は崩れていたが、古い時代の堅牢さをなお保っていた。道の脇には何をするでもなくただ座ったり、歌を歌ったり、野菜や着物や細々とした細工品を売る人々がいた。蛍草の形をした電灯が灯るまでもうしばらくの時間があった。

 青い帽子をかぶったその農夫は荷車を引いていた。年のころは六十というところだろうその額には深い皺が刻まれていたが表情に苦悶はない。背後の車には体の大きさの何倍にも膨れ上がった量の枯れ草が積み上げられ、車体が見えないほどだったが、彼はそれを苦もなく運んでみせていた。折り重なる枝葉の褪せ切った茶色を除けばそれは羽を大きく広げた孔雀が悠然と行進してくるようにも見えた。

 これはとうじ図書館で借りてきたなにかの写真集を見て、中国だかどこだかたぶんシルクロード方面のものだったとおもうが、そこにあった写真をもとにして記述の練習をしたものだ。とくにおもしろくはないが一四年のじぶんにしてはがんばっているのではないか。ガルシア=マルケスにとらわれている日記中の文章よりはリズムや文のバランスがちゃんとしている。それでもひとつめはやはりただの羅列で有機性がないので退屈である。ふたつめはさいごの比喩がいちおうのオチにはなっている。たしかこの農夫の描写は、とうじすでにバルトの『偶景』を読んでいて、それみたいなふうにしたいとちょっと意識していたような記憶がある。
 日記の読みかえしを終えて起き上がると一一時半前。背伸びをしたり、屈伸をしたり、左右に開脚して膝のうえに手を乗せながら上体をひねったりする。そうして椅子のうえでの瞑想へ。さいしょはまた深呼吸をしばらくつづける。荒川修作みたいなことを言うようだが(それは(……)さんからむかし聞いたはなしで、荒川修作についての講演かなにかを見にいったときに、生前かれの知人だったひとが、われわれこうあるいていて一歩一歩踏みますよね、でもその一歩一歩をちがうものだなんておもってないじゃないですか、荒川はこの一歩とこの一歩をまったくちがうものとして感じている、そんなひとだった、と語っていたらしい)、ひとつひとつの呼吸はそれぞれ別物であり、ひとつの呼吸はつぎの呼吸と様相がかなり違うということがけっこうわかってきた。たんじゅんに、リズムとか、長さとか、ひっかかるばしょとか、からだの抵抗の度合いとか。したがってそれは流動的・流体的なもので、絶えず変容しながらつながっているもので、だからあまねくあてはまるベストな呼吸のやりかたなどないし、方法論というのはたかだか目安と枠組みと静態的な構造でしかなく、ひとつひとつの呼吸をあらたにはじめなおしえがきなおしていくというのが息を吐いて吸うということで(つまりそれが絶えず再開される構造化ということのはずで、ロラン・バルトが「構造」と「構造化」を区別して後者を好んでいたのはそういうことなのだとおもうが)、その行って帰るうごきはまさしく道を行っているような、道行きという感覚が比喩的に相応し、だからそれはまいにち道をあるくときにきのうの道ときょうの道とあしたの道がおなじ道にならないのとまったく同様なのだけれど、呼吸が生成変化するものであるのと同様にじぶんの身体や精神や外界のすべても瞬間ごとに刻々変容しているもので、瞑想において呼吸だけに注力したり注視したりしてじぶんが呼吸と化したかのような感じになるというのは、ひとつの方向としてはあるだろうしじっさいそういうことも起こるのだろうが、しかしどちらかといえば排するべき狭隘さではないかという気がされて、呼吸はあくまでみずからの存在をささえる軸であり、そこを媒介点・通過点(ありがちな比喩で言ってみれば「窓」)として外界の変容をも知覚的にとりいれていくというのがあるべきありかたなのではないかというか、事実、呼吸に意識を向けることでじぶんの心身に焦点が合うとともに、おのずからその現在地のなかにエアコンの低く浅く波打つ稼働音とか、窓外で車の走り過ぎていく音とか、虫がいるのか空気のながれに触れたなにかがうごくのかわからないが部屋のうちで微細に立つ気配とかがはいってくるわけである。流体的に生成変化している世界と流体的に生成変化しているじぶんじしんとをふたつながら感じ取り、それらをひとつながりの相互連関的な流動性として統合的に認知するというのが、いわゆる主客合一ということなのだろう。ただそのためには理屈として、世界からもじぶんからもはなれてその二面を俯瞰できる位置に身を置かなければならない。意識の深まりをきわめた修行者においてそういうことはじっさいに起こるのだろうけれど、じぶんはそれをあまり信用していないし、それをことさら目指したいともおもっていない。また、うえでは「相互連関的」と言い、じっさいそういう側面もあるとはおもうものの、世界とおのれの統合はどちらかといえば並存というありかたが支配的なのではないか。「相互連関」はいまだ人間的な意味の領域を抜けきっていないというか、もし真に「主客合一」があるのだとしたら、そこでの認識(それはもはや認識ですらないのかもしれないが)は主には並存を見ることになるのではないか、とおもうのだが。あるいは、「連関」といって因果の気味をつよくするよりは、相互嵌入、とでもいうか。とはいえ、「嵌」の字は嵌めこむことだからかたちと固さを志向するもので、流動性のイメージにそぐわないが。
 それでしばらく呼吸をつづけたあとに静止したが、ゆっくり息をしてからだがほぐれると呼吸にたいする身体の抵抗がかなりすくなくなり、操作感が希薄になるから、意識して吐くのも自然にまかせるのもほとんど変わらないような感じになる。いままで能動性を解除しきってなにもしないという状態が瞑想の本義であるとおもってきたのだけれど、そうではないのかもしれないという気がしてきた。たしかに能動性にかたむくのは避けるべきだろうが、かんぜんな非 - 能動性というのも違う気がして、というかそれを意識するととたんに非 - 能動性をめざす能動性が生まれるというおなじみのパラドックスはやはりそうそう逃れがたいもので、だからそのあいだをたゆたっているのがよいバランスなのではないかという気がしてきた。こと呼吸にかんして言うならば、ことさら吐くのではないけれど操作をまったく停めるのでもなく、ほんとうにほんのすこしだけ吐く力を入れる、みたいな。
 こういう、瞑想とか呼吸法とか実践的な身体技法をおこなっての体感や、そのとき感じたりかんがえたりしたことをじっさいの修行者や宗教者はあまり書かない気がするのだが。そんなこと言って、そもそもそういうひとびとのテクストをほぼ読んだことがないのだけれど、しかし毎回の座禅や瞑想の感じを詳細に記録している実践者はいないのだろうか。いるのだろうが、そういうテクストをどこかで読めないのだろうか。とはいえ宗教者にとって、やはり言語はしょせん言語にすぎず、かれらにとっての体験はことばのそとにはるかに超越したものなのだろうか。言語の不十分に直面し、それに信を置くことができないのだろうか。それならそれでよい。しかし神秘方面にちかいような体験のみならず、それを言ったらそのへんの石ころであれ砂であれ、すべての個物がそうである。言語はものにいたれず、かれらが届くのはせいぜい概念とイメージだけだ。じぶんは書けるだけのことは書きたい。うえに記したようなことを散文でもって詳細に分析し、しょせんは形態可できないようなことがらをそれでもできるところまで形態可しようというくわだてをおこなうのは、もっぱら哲学者ばかりだろう。文学もまたすこしちがうやりかたでそれをおこないはする。哲学者はみんな個と普遍の関係をかんがえてきたし、たしかに個をたすけとして普遍を探究しようとするだろう。しかし、個別性の頂点において普遍性を花開かせようとこころみるのはひとり文学のみである。とはいえそれも文学のなかのメジャーな動向というわけではない。二〇世紀の前半にはなぜかそれが一連の作家によっておこなわれた時期があり、じっさいそこでそのような方向はおおかたやり尽くされているともいえる。ウルフ、ジョイスプルーストムージルなどのことである。プルーストにせよムージルにせよ、あんなものが主流の舞台に上がるわけがないとしかおもえないのだが、ところがそれが注目され、評価され、二〇世紀の文学における最高峰として歴史に刻まれ、いまもいちおうは、読まれつづけている。それらを読むにんげんは圧倒的な少数派ではあるだろうが。プルーストとかじぶんは好きだけれど、冷静になってみると、あんなものがおもしろいおもしろいなどといってひろく読まれる世界など、わりと気が狂っているとおもう。読まれるわけがない。はじまって一〇ページか何ページだったかわすれたが、ずーっとベッドにいるときのことやそこに去来する回想や思念しか語ってないんだぞ? そんな小説がひろくおもしろいとおもわれるはずがなく、だから雑誌掲載をいちど拒否したアンドレ・ジッドはむしろ正しかったのではないかという気持ちにすらなってくる。ところがそれがなぜか歴史にのこる作品とされてしまったし、実際上もそうなっているし、じぶんもそのうちのひとりではあるがおもしろいなあと言って読むにんげんもたしょうはおり、あの大長編を読み通したことそれじたいを鼻にかけるスノッブもいるだろうし、高尚な文学作品としてありがたがるひともいる。とはいえ今現在、文学においてウルフやプルーストムージルのような、それぞれのやりかたで極端に個別性を追究するむきがふくまれているようなものは、流行っていない。それらが流行ったことなどいままでなかっただろうし、今後も流行ることはないだろうとしかおもえないのだが、ところが二〇世紀モダニズムというのはなぜかそれをやってしまい、かつおおきな評価を得ていたらしい。なんという過剰な時代なのか? 意味がわからないのだが、しかしとうじそういうものがすばらしいとされたとしても、いまわざわざそういうものを書こうというにんげんはほとんどいない。個別性の追究は二〇世紀の戦前でほぼ終わった。その後ヌーヴォー・ロマンが一時的に復活させただけだろう。哲学のほうではジル・ドゥルーズがいて、かれは界隈ではいまも大人気だし、ニーチェだってそうだろう。かれらがすくなくとも界隈では大人気の時代に、しかし個別性だの生成だの、そういうものを追究したテクストや作品はちっとも書かれていないはずだ。不思議なようではあるけれど、とはいえドゥルーズ研究者がドゥルーズの語っていたことを体感できるかといったらかならずしもそうではない。いっぽうで体感を大切にする宗教的実践者はその体感や体験を言語のそとに追い払って神秘化する。けっきょくのところ、ムージルはまったく継承されていないということだ、すくなくとも「合一」のムージルは。「静かなヴェロニカの誘惑」はやりすぎでほぼ暗号みたいなものだが、「愛の完成」のほうは、あれくらいの抽象度で具体的な舞台設定が基盤になっていれば、いまでも似たようなことをやる余地はある気がする。まあ、いまさらそれやって、だからなんになるの? という疑問はあるし、とにかく個別個別特殊特殊で行けばいいわけでもむろんないが。
 瞑想は二〇分ほどだった。そのあとは食事だが、もう食べ物がすくない。サラダと唐揚げくらいで、サラダをこしらえたらタマネギ少量しかなくなった。冷凍の唐揚げは夜のためにかろうじて二個のこす。食事中は(……)さんのブログをひらいたのだが、引かれていた木村敏の記述がおもしろく、タイムリーというか、うえで述べたようなこととあきらかに軌を一にしたテーマを説明している。

 わたしはいま、目的意識と価値意識が医療と医学を成立させたと言いました。目的論と価値観、このふたつは、客観的であることを至上命令とする自然科学が一貫して拒否してきたものです。ということは、医療と医学はその誕生のはじめから、いわばその「母斑(あざ)」として、自然科学との不協和の刻印を帯びていたということではないのでしょうか。生と死の問題を反目的論的・没価値的な自然科学の枠内で論ずるのは、場違い以外のなにものでないでしょう。生と死の問題に触れるとき、医学をその生誕以来ひそかに養い続けてきた隠れた哲学、つまり生の目的と価値をめぐる思索が、はじめてその姿を明るみに出すのです。
 彼自身医学者でもあり哲学者でもあったヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼッカーは、《生命そのものは決して死なない。死ぬのは個々の生きものだけである》といいました。この「生命そのもの」とはなんでしょう。
 地球上に生命が発生して以来の数十億年に、無数の生物個体が生まれ、一定の時間を生き、そして死んでいきました。個々の個体だけではありません。多数の種が誕生し、死滅しました。生物の進化はそういった不連続によって構成されています。しかし、最古の生命体以来現在のわれわれに至るまで、すべての生物は「生きて」きました。あるいはまた、視点を歴史的・通時的な次元から空間的・共時的な次元に移すなら、現在の地球上に棲息しているあらゆる生物は、単細胞生物から高等な動植物に至るまで、すべて「生きて」いるのです。この「生きている」ということは、たんなる抽象的な普遍性ではありません。それは個々の生きものが、生殖を通じて子孫に手渡してゆく「生命の基本的な現実(アクチュアリティ)」なのです。ですからそれは、実在(リアリティ)としての進化や生態が帯びている「不連続性」の埒外にあるわけです。「生きている」というアクチュアリティのこの「非・不連続性」、それをヴァイツゼッカーは「生命そのものは決して死なない」と表現したのです。
 この「生きること」あるいは「生きていること」そのものLeben als solchesを、「生きているもの」Lebendesを見るのと同じ視点からみて、意識の対象として——ノエマ的に——構成することはできません。それはちょうど、ハイデガーが「あるということ」としての「存在そのもの」Sein als solchesを、「あるもの」としての「存在者」Seiendesから区別して、これを「存在論的差異」と呼んだのと同じ事態です。わたしたちの周囲に、あるいは意識の中に存在しているのは、机だったり山だったり、あるいは幼いころの思い出だったりしますが、それらはすべて「存在者」です。それらの存在者が存在しうるのは、それらがわたしたちの内部あるいは外部のどこかに「ある」からなのですが、この「ある」ということそれ自体は、実はここにあるとかあそこにあるとかいえるものではないのです。存在そのもの、あるということそれ自体は、存在者としてはどこにも存在していません。
 それと同様に「生命そのもの」も、生きものとしてどこかに生きているものではありません。生きているといえるのは、個々の生きもの、あるいは複数の同種の生きものによって構成されている「種」だけなのであって、「生きているということ」 が地球上のどこかに生きているわけではありません。だからそれは死ぬこともありません。それを、ある不思議な生命的実在であるかのように、あるいはなんらかの存在者であるかのように考えたり、それをリアリティとして認識しようとしたりするところに、いわゆるアニミズム神秘主義の落とし穴があります。生命そのものは、あらゆるアクチュアリティがそうであるように、対象的認識作用を絶対的に超えています。
 しかしわたしたちは、認識対象に理性の光を当ててこれを照らし出そうとする通常の認識、プラトン以来西洋の認識論を支配し続けてきた知覚ないし表象とは違った、もっと「盲目的」ではあるけれど、ある意味ではもっと確実な——「体感的」と呼んでもよいような——感知のしかたを知っています。盲人が全身で周囲の情勢を感じとり、それによって確実に世界を捉えているように、この身体感覚はわたしたちの実践的な行為や行動と切り離しがたく一体となって、通常の認識が対象化しえない世界の「肌理(きめ)」、世界のアクチュアリティをわれわれに教えてくれます。西田幾多郎が「行為的直観」と呼んだものは、「直観」という依然として視覚優位の用語の不適切さを別とすれば、ほぼこの非対象化的・非ノエマ的な体感を指しているものとみなしてよいでしょう。
 行為的直観あるいは身体感覚によってわたしたちが捉えている世界の姿が、対象から一定の距離をとって光の媒体のもとでこれを見る理性的認識よりも確実なのは、それがそれ自体、われわれの「生」そのものに直結しているからにほかなりません。この「確実さ」は、科学が理想としているような精密さからはほど遠いものです。それはむしろ、それによってのみわたしたちの生命が保証され、生存が安全になりうるような、実践的な確実さです。その原型は、アメーバが直接に環境と接触し、その原形質を移動させることによって、環境との接触面で有益な物質を摂取し、有害な物質を回避する行動に見ることができます。もっと複雑化した動物の行動も、つねにそのつどの感覚と一体になって、ひたすら「生きる」という目的のみに向かって方向づけられています。脳や神経系統、とくに感覚器官の高度に発達した人間のような動物でも、その例外であってよいはずがありません。
 人間の場合には、やはり高度に発達した「自己意識」と呼ばれる能力のために、この生存への方向づけそれ自体も経験可能となっています。ただ、わたしたちの経験があまりにも豊富な対象知覚によってすみずみまで満たされているために、対象知覚とはまったくその様態の違うこの生命への方向づけそのものについての経験は、いわばそれらの対象知覚にまぎれ込み、そのなかに埋没していて、通常はそれとして取り出すことができません。なんとか取り出そうとしても、それはたちまち意識内の表象対象に姿を変えてしまうのです。この意識化による変質をまぬがれるためには、意識の「ノエマ面」すなわち意識対象の面に向けられた注目を一時停止して、その「ノエシス面」すなわち意識作用の面それ自体を注意深く感知する必要があります。つまり「意識されたもの」だけに注目するのではなく、「意識するはたらき」それ自身をさらに意識するような、一段高次の意識をはたらかせる必要があります。そうすればこのノエシス面の感触は、上に述べた直接的・体感的な感覚として、あるいは西田のいう行為的直観として、わたしたちの経験の重要な一部になっていることがわかるでしょう。
 (木村敏『からだ・こころ・生命』 p.38-43)

 食後はこの日のことを記述し、そうすると現在時に追いつかないうちに一時半をむかえてしまい、二時半ごろには労働に向けて出る日だからもう猶予がないなと打ち切った。そうしてシャワーを浴びたり歯を磨いたり。ワイシャツは淡いパープルピンクみたいないろのやつが、アイロンをかけていないのだけれど見た感じそこまで変でもなかったので、めんどうだしアイロン掛けはサボってこれを着ようとなった。形状記憶というかノーアイロンのやつなのだろう。そうしてリュックサックに荷物をこめたりして身支度。パソコンを入れたのは(……)くんに英語の訳文を添削してほしいといわれていて、もしかするときょうすぐにやることになるかもしれないとおもって持っていくことにしたのだ。そのあたり先日の勤務後に(……)さんに相談してみたところ、お盆休みに入るまえに添削してほしいということだったら、事務給をつけるので教室奥でパソコンをつかってやってもらってかまわないとゆるされた。それか、ぼくもう持ち帰って勝手にやろうかともおもってますけど、というと、(……)さんは苦笑しつつも、そのばあいもこれくらい時間がかかったというのは事務給でつけたいとおもいますとのことで、じつに良心的である。本社からは人件費減らせという圧力をつねに送られているとおもうのだが。(……)さんはそのへん、じぶんでも講師らにおりおり事務給をすくなくするようにもとめていたのだが、(……)さんはほとんどそういうことがない。講師のしごとをせかしたりしない。金はたしょう余計にかかるだろうが、講師にとってはたらきやすいのはたしかだ。そしてこちらも本社の意向なんぞ知ったこっちゃねえ、おれの好きにやらせろとおもってあまりいそぐつもりがない、どころかサービス残業でもふつうにやってしまうタイプなので、(……)さんとはわりと馬が合うと言ってよいだろう。(……)さんと合わなかったわけではないが、ただかのじょのときはこちらとは合っても、ほかに合わない講師はそこそこいた。そのあたりはやはりこちらが、たしょう下手に出たり、あいてをサポートするような姿勢を見せたりして、まあいってみれば取り入るのがそこそこうまかったということなのだろう。とはいえ(……)さんは本社の意向であるとはいえ事務給を減らしたいというのはあきらかだったし、時間外業務のようなことを講師にやられても困るというか、正確にはその事実を知らされると困るという感じだっただろうから、こちらもかくれて時間外業務をわりとばんばんやりながらも(まあかくれきっていないこともあったし、ふつうにわかっていたとおもうのだが)、そのことを(……)さんにわざわざ知らせるようなことはしなかった。室長の立場なので、こちらからそういうことを言ってしまうと、なにか本社の調査でもはいったときに、時間外労働を知っていたのに放置したとして責任を問われるかもしれないと、いちおうそんなおもんぱかりをいだいた事情もある。しかし(……)さんはなんかもうそのへんいいかなというか、(……)くんにかんしてもうえのように家でやってもいいすか? みたいなことを聞いたり、まえもやってたんですけど、とか言ったり、もうかのじょのまえでおおっぴらにのこって掃除したりとかしている。だからもし調査がはいったらたぶん室長責任問われるのだけれど、なんかまあいいかなと。そういうふうにできてしまうゆるさがある。べつに本社の意向に対立したいわけではないとおもうが。
 出発は二時二〇分ごろ。アパートを抜けると左へ。とうぜんながら暑い。すぐにマスクをずらしてわずかばかりの通気を確保する。公園ではセミが鳴きしきっているなかにひと気はなく、砂のうえにひろく延べられた日なたをこずえの影が縁で削り、地面をはさんで向こう側の入り口ちかくにはピンクのサルスベリがはなやいでいた。右折してあぶられながらすすみ、はさまった車道を越えてまた裏道を前進する。おとといと同様正面の西空にかたち成しながらも希薄な雲が積まれていて、白と淡青と空色の青が入り混じって、地上は熱射だがあちらは涼しげな風情、右手に立つ家の二階ベランダには布団などが干されているがそれがもちあがるほどに風はとおり、ここでも紅色のサルスベリが咲いて揺れている。陽射しは熱く、漬けられるようではあるが、そこまで重みを感じない。たまに猫がいる小公園の、縁で茂った緑葉どもがひかりをはじきネコジャラシなど群れてはみ出しながらふるふる揺らいでいるそのまえをとおりながら、しずかだなとおもった。風は頻々と走り周辺の庭木がさわぎもするが、いかにも昼下がりのしずけさがただよっており、ひともつかの間おらず、ひとり自転車で過ぎていくのみで、あかるいひかりにとらえられて停止したかのような時空だとおもった。それもおもてに出るまでのことである。横断歩道でじりじりやられながらちょっと待ち、わたると細道へ、この時間では右の塀から申し訳にもならない細さの影すら出ていないが意に介さず、一面の日なたのなかを両手をポケットに突っこみながらまっすぐあるいた。駅にはいるまえでマスクを口もとにもどす。
 改札をくぐると向かいのホームへ。階段通路を行くにのぞく青空は淡い水色、砂のうえを箒でなぞったような無数のすじが雲となって引かれ混ざっているさわやかさで、ホームに下りる階段にかかればそこからみえる西方の空には建物の間にややもくもくと丸まった雲が、しかしやはりひかりにつぶされてぺちゃんこになったかのような希薄さでそこにある。ホームにはいるとちょっとすすんでベンチへ。余裕を持ってきたので待ち時間は多かった。首をまわしたり、深呼吸をしたり、手帳を見たり、風の音を聞いたりしていた。風はつよい。正面、駅のそと、すぐ脇にならんだ木々を通過し、響きをおおきくふくらませてはまき散らしている。駅前の高層マンションのベランダ、整然と区切られて隣や上下との境が太く、そびえたつ巨大な壁にいくつももうけられた直方体の窪みとしてなにがしかにんげんではない生き物の巣のようなところを感じさせるそこにも揺れる洗濯物がいくらかあり、マンションの左で果てまで抜けた空に赤と白を組み合わせて積んだレゴブロックのような塔、電波塔かなんなのか立っているあれは、先日気づいたのだけれど位置関係からして、高校時代の通学路とちゅうでちかくを通っていたものだ。
 乗車。扉際。待ち、降車。きょうは乗り換えに猶予がないので遠回りせず、すぐそこの階段をのぼる。ポケットに両手を突っこんだまま脚はひろげて一段飛ばしで、しかしいそがずのぼり、乗り換え先のホームに移動。いや、猶予はたしょうあったんだったか。いずれにしても乗り、いちばん端の区画につき、携帯とイヤフォンを出してFISHMANS『宇宙 日本 世田谷』をながしだした。じきに発車。ヤクは出るまえにブーストしてきたのでほぼ問題ない。緊張が皆無ではないが音楽にも耳が行く。じぶんがいまつかっているイヤフォンはDENONのたしか二〇〇〇円もしなかった安物で、カナル型ではあるものの遮音効果はそこまででなく、会話ははじけても車内のアナウンスはふつうにはいってきて聞こえるレベルだ。それでも目を閉じて音楽のなかにいれば周囲のこともあまり気にならず、電車内にいることを半分わすれたような瞬間もあり、二曲目の"Weather Report"で〈I sing weather, I sing weather〉(といっているのだとおもうのだが)がくりかえされるあいだ、電車に乗っていることを感じさせるのは揺れと身をわずかにかたむけさせる減速の余波くらいしかない。"Weather Report"はわりと前半にある、〈台風の夜は風が吹きつづけて/紙吹雪をまき散らすこともあるさ/風にのっかってね 風にのっかってね/紙飛行機を飛ばしつづけることもあるさ〉の箇所がけっこう好きなのだけれど、そこが〈なんだか夢のあることだと信じてます〉で締められるのがやはりちょっと困惑を呼ぶもので、どういうことなの? ということもあり、これでいいの? ということもあり、またいいかたもちょっとだけリズムにはまりきらないような感じになっているし、佐藤伸治の詞とボーカルはところどころでこういう困惑を呼び起こすつかみがたさを発揮する。それがすごい。
 そのあと、なんか電車内で音楽聞くのもうずいぶんやっていなかったけど、なんかいいなという気になってきて、だったら"バックビートに乗っかって"を聞きたいとおもって三曲目を待たず六曲目に飛び、たのしんだ。というか、さいしょはそのうちにカフカ書簡を読もうかなというあたまだったのだけれど、音楽に触れているうちになんかいいなという気になってきて、きょうは本を読むより音楽を聞こうとなったのだった。とちゅう、(……)についたときに目を開けて、線路沿いの道にどこの国旗か知らないが赤と黄色の看板をもった飯屋があるのを見たり、その奥が高い建物の真っ白な壁で埋まっているのを見たりしてなんらかの印象をえたのだけれど、なんだったかわすれてしまった。じきに"WALKING IN THE RHYTHM"に移行。〈歩くスピード落として/いくつかの願いを信じて/冷たいこの道の上を/歌うように 歌うように 歩きたい〉っておれじゃん、とおもった。この二曲は帰路にも聞いたのだけれど、"WALKING IN THE RHYTHM"はマジでさいしょからさいごまで四つのコードで成り立った四小節をひたすらくりかえしつづけていてループされるその基底には変化がないはずで、それでこんな曲ができるんだからとんでもねえなとおもった。本式のイントロもしくは歌にはいったあたりでは、ドラムは8ビートと16の合いの子みたいな感じでたしょうこまかく入れながらときおりオープンハットをエイトビート裏にはさむパターンをやっており、ベースはいつもながら這ってうねり、ギターは裏拍でウンチャ、ウンチャ、とやる基本のカッティング、鍵盤はきれいな音で小節頭に滴下するという感じで、みんななにも凝ったことやっていないし不思議なことはなにもないのだけれど、それが絶妙にはまっており、くわえてピアノの音色のうつくしい冷たさと、ボーカルの意外にもおさえられた、ほそくつぶやくような声色があいまって、たしかに冷感を生んでいてよい。
 さきに帰路を書くが退勤は九時四〇分ごろ。駅にはいるとちょうど電車が行くところだったがいそがず階段のとちゅうで発っていくのをおくり、ホームに出るとベンチへ。つぎの電車が来るまでとくべつなにをすることもなかった。首をまわしたり。そうして来ると立ち上がって先頭のほうに行き、電車の一番端に座る。行きに音楽を聞いてなんかよかったので、電車で移動中は本を読むでもなくただ休むでもなく音楽聞くのよいのでは? たのしいのでは? とおもって帰りもそうすることにした。それで"バックビートに乗っかって"と"WALKING IN THE RHYTHM"を聞き、そのつぎにBill Evans Trioの"All of You (take 2)"をながした。手持ちのイヤフォンでは出先でジャズを聞くのに適しているとはとてもいえないがべつによい。みんなもうだいたいワイヤレスとかノイズキャンセリングとかをつかっているのだろう。ジャズはFISHMANSより音にすきまがあるからアナウンスなどがはいってきやすいが、ふつうにたのしめるくらいには聞こえる。不思議なもので携帯の音質だからけっこう音空間は狭いし、細部まではっきりみえるというものではないが、Motianがブラシでスネアをべしゃっとやるときとか、家で聞くよりもちょっと粗野な響きがして、それがかえってなんかよかったりもした。EvansとLaFaroのふたりは、これはやっぱりちょっともうとんでもないなと。右のEvansにしろ左のLaFaroにしろ、その音のうごきかた、軌跡が、ほとんど畸形的なものにおもわれて、シャーロック・ホームズに「踊る人形」というのがあるけれどああいうひとがたがぐにゃぐにゃと、非人間的な異様なうごきでダンスをしているかのようなイメージが湧き、しかもそれがときにふれあい、交錯するわけである。LaFaroにそういう流体性は似合うとしても、Evansなんて聞いた感じぜんぜんぐにゃぐにゃなんてしておらず、整然とした配置、かっちりときれいなつらなりをさしこむことをひたすらくりかえしているようなものだから、不思議だ。
 そのうちに(……)へ。立ち上がり、重めのリュックサックを背負って電車を降りて、階段へ。(……)線ホームへ向かう。目があまりよくないのでかなりちかづかないと上方に表示されている電車の発車時刻がわからない。一〇時二八分発で、いまはまだ二〇分ごろだった。それなので階段をおりていくと電車はまだ来ておらず、ひとびとはホームに雑多にならんでおり、とうぜんながらこちらとおなじワイシャツすがたのひともおおい。ひとびとがならんでいるのとは反対側をとおって先頭のほうへ。ホームのいちばん端で柵にもたれながら煙草を吸っているらしき男がいた。来た電車に乗るとすばやく席を取っていくひとびとを尻目にはじめから座る気などないから入った口の脇に立ち、手すりを持って、首を回したり眼窩を揉んだりしながら発車を待った。じきに発って、しばらく揺られると(……)に着く。降りたつのは屋根のない範囲である。目のまえには段下に草が群れてみどりしている。あっという間だったなというか、電車に乗って数十分移動してきたという感覚がなく、おおげさにいえばほとんど不連続に時空を越えてきたかのようで、ほんとうに音楽のなかにいるうちにいつの間にかここに来ていた、という感じが立った。改札のほうへあるきだすときょうもまえからゆたかな風が吹いてきたのでマスクをはずしてそれを吸う。視界の右上にみえる月は淡い雲の繭につつまれて生気をうしなった顔のように白く、見たことのある白さだなとおもいながらもなかなかおもいあたらず、片栗粉のそれだろうかとおもったがさだかでない。線路が伸びていったさき、踏切り周りの灯りはほのかに赤みをはらみながらひとかかえある河原の石のようなおおきさにひろがり、輪郭をにじませている。改札を抜けてそとに出ると月はまた見られるが、さきほど白かったはずのものがここでははやくもすこし黄色をふくんでいるように見えたのでおどろいた。細道をまっすぐ。歩が遅く、ひとに追い抜かされる。通りを渡って裏へ。背は濡れ、すずしい夜ではない。空には雲のあいまいな、くすんだ白さがよくひろがり、はなはだしく延焼した炎のような、あるいはむしろ火事が終わったあとの焼け野原のようで、すきまにひとつきり星の針が刺されていた。裏道を行くあいだ右に首を曲げて月をたびたびみやったが、つねに雲にまもられてかたちをおぼろにしたそれはスライムじみた原生生物の核や梅の種のようである。風はある。路地の終わりちかくにある一軒でいつもベランダのあたりがカタカタおとを立てるのは建付けの問題なのか、それとも樋や配管のおとなのか、このときは一定のリズムでトッ、トッ、と鳴り、四つ打ちのキックめいて、あいだにいちどトトッ、となって八分裏すら正確にはさんでいた。余分な荷物がはいっているきょうのリュックサックはそこそこ重い。疲労であゆみはのろい。アパートの入り口をはいり、階段をのぼったところにある柱に虫が一匹くっついているのに行き当たり、一瞬ゴキブリかとおもったがフォルムとうごきのなさからしセミだなと見直した。わずかにななめにかたむいたすがたでまったくうごかない。暴れられるとびっくりするからと放っておくことにして、そのまえをしずかにとおりすぎて部屋の鍵をあけた。


     *


 この日のことももうおぼえていないが、勤務中のことですこしだけ。(……)
 (……)
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  • 日記読み: 2021/8/10, Tue. / 2014/1/27, Mon.


 2021/8/10, Tue.より。

 他者が、〈他者〉だけが、その「他性 [﹅2] 」(altérité)がけっして私のうちに回収されない〈他なるもの〉である。つまり形而上学の「運動の終点」となる「卓越した意味で他なるもの [﹅5] 」である。レヴィナスにあって形而上学とは、この「〈他なるもの〉にむかう渇望」なのである。「形而上学的な渇望」は、「完全に他なるもの [﹅8] 」をめざしている(同 [21/30 f.] )。それは、「接触よりも貴重な隔たり」(195/274)をもたらすことになるだろう。そのかぎりでは、〈他者〉という〈絶対的に他なるもの〉をめぐる経験は、とりあえずは [﹅6] 跨ぎこせない〈隔たり〉の、あるいは到達しえない〈遠さ〉の経験にほかならない。
 そのゆえに、〈他者〉とは「所有しえないものである」(175/245)。私は、私とは完全に〈他なるもの〉を、所有することができない。あるいは、絶対的にへだたっているもの、無限に遠くにあるものを所有しえない。だが、なぜ「絶対的に」あるいは「無限に」(infiniment)なのだろうか。
 レヴィナス自身が注意しているように(cf. 42/58, 82/116)、ことがらのこの消息には、アンセルムスを先蹤としデカルトへと継承された、「神の存在論的証明」の議論構造とつうじあうものがある。私より「完全なもの」という「観念」は、私をはみ出してしまっている。私より完全なものはじつは観念ではなく、むしろ私がそれについてなんらかの観念をもつ完全性のいっさいをそなえたもの、つまり「神」そのものにほかならない [註56] 。
 おなじように、「〈他者〉は、他者について〈私〉がもつことのできる観念 [﹅2] のすべてから、(end72)絶対的に溢れ出てしまっている」(86/121)。レヴィナスによれば、他者の観念は〈私〉という「有限のうちにある無限、最小のうちにある最大」(42/59)にほかならない。だから、他者をめぐる「観念」はじつは観念 [﹅2] ではなく、「渇望」(désir)である、とレヴィナスはいう(82/116)。渇望されるのは、〈私〉から無限にはみ出してゆくもの、「〈他者〉、つまり〈無限なもの〉(l'Infini)」(82/115)なのである。他者は、私によってとりつくされることがない。他者とはつまり、私にとって [﹅5] 〈無限〉である。
 レヴィナスによれば、「無限の無限性を測るものが渇望である」(56/79)。というのも、他者への渇望とは、「〈渇望されるもの〉の所有によって癒やされるような渇望ではなく、渇望されるものが満足させるかわりに引き起こすような、〈無限〉の〈渇望〉である」(42/59)からである。その意味では、「渇望とは、測定することがまさに不可能であることによる測定である」(56/79)。「私のうちなる他者の観念 [﹅11] を過ぎこして〈他者〉が現前するしかたを、われわれはじっさい、顔と称する」(43/60)。あるいは、「渇望によって測られる測りえないものが、顔(visage)なのである」(56/79)。
 「無限の観念」は空虚なものではない。それは他者が存在する「存在の様式」、あるいは存在することを超えている様式、「無限の無限化 [﹅3] 」(l'infinition de l'infini)というしかた、〈他者〉が私にとってあらわれるしかたである(cf. 12/23)。つまり、他者が〈顔〉としてあらわれ、他者についての私の観念を溢れ出てゆく様式なのである。(end73)
 測りえないもの、際限(ペラス)をもたないものを、ひとは所有することができない(二・4)。いつまでも、あるいはどこまでも〈渇望〉されるにとどまるものを、私は所有しえない。かくして、「〈他者〉――この〈絶対的に他なるもの〉――が所有を麻痺させる。〈他者〉は、顔のうちに〈顕現〉することで、所有に異議をとなえる」(185/259)ことになる。(……)

 註56: Cf. R. Descartes, Œuvres tome 6 (Adam/Tannery), p. 34 f.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、72~74; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)

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(……)食後に椅子についたまま南窓のそとをぼんやり見やれば、そとはひどくあかるく、濁りない青空のもとでひかりがどこまでもあまねく染みとおっており、山の麓あたりの一画で緑が活動的にうねっているが、その緑もひかりに射抜かれてあざやかなかるさにはなやいでおり、しかも視界のなかに見える周辺のどの緑もそのおなじはなやぎの色に浸されていて、あるのは色種の差異ではなくおなじ緑の明暗の襞にすぎず、その高度な斉一性の達成はすごかった。

そういえば目覚めたときにも白いレースのカーテンがさらにひかりの白さにひたされていて、その凝縮的な純白がカーテンの襞におうじて偏差をつくってところどころに溜まってきらきらするものだから、海面みたいだなとおもったのだったが、同時にその白光領域となったカーテンのうえには窓外でネットにやどってそだっているゴーヤの葉や蔓の影も映ってはいりこみ、風に絶えず触れられる本体をまねてふるふると立ちさわいでいた。

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(……)新聞、夕刊一面には名古屋入管で三月に死亡したウィシュマ・サンダマリの件で出入国管理庁が調査結果報告を発表し、常勤医がおらず非常勤の内科医が週に二日二時間しか時間をとらない体制だったとか、現場の職員が内規に反した対応をしていて幹部まで情報がいっていなかったとか、そういった問題点・改善点を指摘したと。調査の主体として他機関が記されていなかったので、たぶん管理庁じたいによる調査および評価なのだとおもうのだけれど、第三者にはいってもらわなくて良いのだろうか? 同時にテレビでもこの件のニュースが報道されたが、それによれば、入管所内でのサンダマリ氏のようすを映した映像を遺族に開示すると管理庁は表明したらしい。いままでずっと渋っていた対応である。遺族は会見し、ウィシュマ氏の妹が、姉が最初の死亡者でも最後の死亡者でもない、いつになったら医療体制は改善されるのか? と訴える映像がしめされていた。ほか、「日本史アップデート」で中世以降の日朝外交について。対馬の宗氏が国書を偽造して日本政府と朝鮮との仲介をしていたことが近年あきらかになっているという。江戸幕府が朝鮮と国交をむすんだときも宗氏が文書を偽造して家康が下手に出て朝鮮との友好を望んでいるかのようによそおい、朝鮮側の返答も辻褄が合うようにいじったという。室町時代以来ずっとそういうことをやっていたようで、足利義政の時期に多数の「偽使」をおくっていたこともわかっているらしい。朝鮮がある時期から通常の日本からの通行を禁止したらしいのだけれど、対馬にとっては朝鮮との往来は死活問題だったので、なんだかんだと理由をでっちあげて偽の使節をおくって通行を維持し、朝鮮側もそれが虚偽だと薄々気づいていながらも黙認していたらしき節があるらしい。近年になって宗家にのこされていた史料として多数の印鑑が見つかり、そこに諸大名のものとか将軍のものとか、果ては朝鮮国王のものまでふくまれていたので偽造は確定だと。宮内庁が保存している朝鮮から豊臣秀吉にあてられた一五九〇年の国書におされた印とその朝鮮国王の印璽を比較してみると、朱の部分まで完璧に一致したので、したがって秀吉のときからもう対馬が偽造していたということになる。仲介役がそういうふうに勝手な都合で文書改竄をして双方の意思疎通がさまたげられたのが朝鮮出兵をまねいた一因だと、宗氏の責任をただすような終わりになっていた。

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(……)一週間くらいまえからすでにそうだったとおもうが、窓外の音響を聞くかぎりではもう夜はわりと秋をおもわせるかんじで、大気のなかに生まれた小さな渦そのものといった風な回転式の色気のない虫の声がひとつ、これは息ながくつづいてとぎれてもちょっと間をおいてまた伸びだすそのうえに、言ってみればエイトビートのような定期的なリズムでチリチリ鳴く虫が何匹かいてかわるがわる勤勉につとめをはたしている。しずかなので、室内の家鳴りらしき音や、微細な虫が天井のむきだしの蛍光灯にカンカンあたっているらしい音やらが聞こえ、また窓のすぐそとで羽虫がカーテンから漏れる明かりにつられてうろついているようで、ときおり翅をバタバタやってゴーヤの葉のあいだをブンブン移動しているらしき音も間近く耳にさしこまれて、虫はとりたてて好きではないのでカーテンと網戸をはさんだすぐそこにそれがいるとかんがえるとちょっとからだに緊張をかんじた。

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284~285: 「一方もうすこし先に行くと、文字通りの浮かぶ花壇となって、おしあうように密生し、まるであちこちの庭のパンジーが、蝶のように、その青味をおびた、つやのある羽を、この水上の花畑の透明(end284)な斜面に休めにきていたかのようであった、この水上の花畑はまた天上の花畑でもあった、なぜなら、この花畑は、花自身の色よりも、もっと貴重な、もっと感動的な色でできた、一種の土を、花々にあたえていたからであり、またこの花畑は、午後のあいだ、睡蓮の下に、注意深くだまって動く幸福の万華鏡をきらめかせるときも、夕方になって、どこか遠い港のように、沈む夕日のばら色と夢の色とに満たされるときも、次第に色調が固定する花冠のまわりに、その時刻にもっとも奥深いものとの調和、もっとも逃げさりやすいものとの調和、もっとも神秘なものとの調和――すなわち無限なものとの調和――をいつまでも失わないようにたえず変化しながら、睡蓮を中天に花咲かせたように思われたからであった」


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 (……)さんのブログ、八月八日付より。

 わたしはいま、目的意識と価値意識が医療と医学を成立させたと言いました。目的論と価値観、このふたつは、客観的であることを至上命令とする自然科学が一貫して拒否してきたものです。ということは、医療と医学はその誕生のはじめから、いわばその「母斑(あざ)」として、自然科学との不協和の刻印を帯びていたということではないのでしょうか。生と死の問題を反目的論的・没価値的な自然科学の枠内で論ずるのは、場違い以外のなにものでないでしょう。生と死の問題に触れるとき、医学をその生誕以来ひそかに養い続けてきた隠れた哲学、つまり生の目的と価値をめぐる思索が、はじめてその姿を明るみに出すのです。
 彼自身医学者でもあり哲学者でもあったヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼッカーは、《生命そのものは決して死なない。死ぬのは個々の生きものだけである》といいました。この「生命そのもの」とはなんでしょう。
 地球上に生命が発生して以来の数十億年に、無数の生物個体が生まれ、一定の時間を生き、そして死んでいきました。個々の個体だけではありません。多数の種が誕生し、死滅しました。生物の進化はそういった不連続によって構成されています。しかし、最古の生命体以来現在のわれわれに至るまで、すべての生物は「生きて」きました。あるいはまた、視点を歴史的・通時的な次元から空間的・共時的な次元に移すなら、現在の地球上に棲息しているあらゆる生物は、単細胞生物から高等な動植物に至るまで、すべて「生きて」いるのです。この「生きている」ということは、たんなる抽象的な普遍性ではありません。それは個々の生きものが、生殖を通じて子孫に手渡してゆく「生命の基本的な現実(アクチュアリティ)」なのです。ですからそれは、実在(リアリティ)としての進化や生態が帯びている「不連続性」の埒外にあるわけです。「生きている」というアクチュアリティのこの「非・不連続性」、それをヴァイツゼッカーは「生命そのものは決して死なない」と表現したのです。
 この「生きること」あるいは「生きていること」そのものLeben als solchesを、「生きているもの」Lebendesを見るのと同じ視点からみて、意識の対象として——ノエマ的に——構成することはできません。それはちょうど、ハイデガーが「あるということ」としての「存在そのもの」Sein als solchesを、「あるもの」としての「存在者」Seiendesから区別して、これを「存在論的差異」と呼んだのと同じ事態です。わたしたちの周囲に、あるいは意識の中に存在しているのは、机だったり山だったり、あるいは幼いころの思い出だったりしますが、それらはすべて「存在者」です。それらの存在者が存在しうるのは、それらがわたしたちの内部あるいは外部のどこかに「ある」からなのですが、この「ある」ということそれ自体は、実はここにあるとかあそこにあるとかいえるものではないのです。存在そのもの、あるということそれ自体は、存在者としてはどこにも存在していません。
 それと同様に「生命そのもの」も、生きものとしてどこかに生きているものではありません。生きているといえるのは、個々の生きもの、あるいは複数の同種の生きものによって構成されている「種」だけなのであって、「生きているということ」 が地球上のどこかに生きているわけではありません。だからそれは死ぬこともありません。それを、ある不思議な生命的実在であるかのように、あるいはなんらかの存在者であるかのように考えたり、それをリアリティとして認識しようとしたりするところに、いわゆるアニミズム神秘主義の落とし穴があります。生命そのものは、あらゆるアクチュアリティがそうであるように、対象的認識作用を絶対的に超えています。
 しかしわたしたちは、認識対象に理性の光を当ててこれを照らし出そうとする通常の認識、プラトン以来西洋の認識論を支配し続けてきた知覚ないし表象とは違った、もっと「盲目的」ではあるけれど、ある意味ではもっと確実な——「体感的」と呼んでもよいような——感知のしかたを知っています。盲人が全身で周囲の情勢を感じとり、それによって確実に世界を捉えているように、この身体感覚はわたしたちの実践的な行為や行動と切り離しがたく一体となって、通常の認識が対象化しえない世界の「肌理(きめ)」、世界のアクチュアリティをわれわれに教えてくれます。西田幾多郎が「行為的直観」と呼んだものは、「直観」という依然として視覚優位の用語の不適切さを別とすれば、ほぼこの非対象化的・非ノエマ的な体感を指しているものとみなしてよいでしょう。
 行為的直観あるいは身体感覚によってわたしたちが捉えている世界の姿が、対象から一定の距離をとって光の媒体のもとでこれを見る理性的認識よりも確実なのは、それがそれ自体、われわれの「生」そのものに直結しているからにほかなりません。この「確実さ」は、科学が理想としているような精密さからはほど遠いものです。それはむしろ、それによってのみわたしたちの生命が保証され、生存が安全になりうるような、実践的な確実さです。その原型は、アメーバが直接に環境と接触し、その原形質を移動させることによって、環境との接触面で有益な物質を摂取し、有害な物質を回避する行動に見ることができます。もっと複雑化した動物の行動も、つねにそのつどの感覚と一体になって、ひたすら「生きる」という目的のみに向かって方向づけられています。脳や神経系統、とくに感覚器官の高度に発達した人間のような動物でも、その例外であってよいはずがありません。
 人間の場合には、やはり高度に発達した「自己意識」と呼ばれる能力のために、この生存への方向づけそれ自体も経験可能となっています。ただ、わたしたちの経験があまりにも豊富な対象知覚によってすみずみまで満たされているために、対象知覚とはまったくその様態の違うこの生命への方向づけそのものについての経験は、いわばそれらの対象知覚にまぎれ込み、そのなかに埋没していて、通常はそれとして取り出すことができません。なんとか取り出そうとしても、それはたちまち意識内の表象対象に姿を変えてしまうのです。この意識化による変質をまぬがれるためには、意識の「ノエマ面」すなわち意識対象の面に向けられた注目を一時停止して、その「ノエシス面」すなわち意識作用の面それ自体を注意深く感知する必要があります。つまり「意識されたもの」だけに注目するのではなく、「意識するはたらき」それ自身をさらに意識するような、一段高次の意識をはたらかせる必要があります。そうすればこのノエシス面の感触は、上に述べた直接的・体感的な感覚として、あるいは西田のいう行為的直観として、わたしたちの経験の重要な一部になっていることがわかるでしょう。
 (木村敏『からだ・こころ・生命』 p.38-43)