2022/8/11, Thu.

 ……ところで、編集者はわたしに付き合って一本だけビールを飲み、作家は飲もうとはせず、それでわたしは二人のために飲みました。わたしたちはヴィヨン、ランボーボードレールの『悪の華』について話し合いました(実にフランス的な夜になったようですが、わたしの訪問者たちは二人ともBの作品のタイトルをフランス語で言うことにとても用心深かったです)。わたしたちはJ・B・メイ、ヘドリー、プーツ、カルドナ=ハイン、そしてチャールズ・ブコウスキーについても話し合いました。わたしたちは論駁し合い、中傷し合い、堂々巡りをしました。とうとう疲れ切って編集者と作家が立ち上がりました。わたしは寝そべったまま、二人に、従者とイヌホウズキギムレットとほのかな光、明けの明星のあやすような光に会えてよかったと言い、彼らは去って行き、わたしは新たなビールの栓を抜き、現代的なアメリカの編集主義の粋さ加減にこ突かれ……もしもこれが文章というもので、詩ということになるのなら、わたしは蠕虫下しをお願いしましょう。二十年間にわたって書くことでわたしは47ド(end38)ル稼ぎ、それは一年あたり2ドルということになり(切手代、紙代、封筒代、インクリボン代、離婚費用とタイプライター代は入れずに)、それで特別なたわごとの特別なプライバシーへの資格が与えられ、そしてもしもわたしが卑小で下劣な詩を売り込むために出版物の神々と握手しなければならないのだとしたら、不採用の嚢に包まれる至福を選ぶことでしょう。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、38~39; ジェイムズ・ボイヤー・メイ宛、1959年12月13日)




 覚めると七時半過ぎだったかそのくらい。七時三六分だったか。早起きである。しかも二度寝せず、そのまま本式な覚醒に移行する。布団はからだの横に乱雑に押しのけて、鼻で深呼吸する。しばらく呼吸して血をめぐらせたあと、腹なり首なりこめかみなり、頭蓋なり眼窩なり腰なりからだの各所を揉みほぐす。空気に暑さはさほどないが、それはまだ時間がはやいからだろう。腰を揉むために横を向くと紺色のカーテンの端がすこしだけずれてそのしたのレースがのぞくとともに、そこに接した白壁のうえにはあかるみがわずか漏れて浮かんで、その縁が、窓枠が至近距離に投げたものなのか、こんどは薄影に画されている。紺色のカーテンのうえにはかがやきをこめた塩の粒みたいな白い粒子がおびただしく貼りつけられて、あるいはまぶされて、砂のようにざらざらしているが、それは表のカーテンの繊維をとおして朝のひかりに触れられているレースの白さが透けているものだろう。きょうは保育園の子どもたちの声は聞こえない。山の日だからだろう。
 八時二〇分ごろ起床した。洗面所に行って顔を洗い、小用を足し、うがいをする。ガラス製のマグカップの底に、ある種の勾玉とか宝石のなかに生まれそうな白っぽいなにかの汚れがついていたが、これはきっと昨晩歯を磨いたあと口をゆすいだときに、口内から漏れた歯磨き粉が内側をつたって落ちていき、溜まったものだろう。そのあと水を飲んで、浄水ポットからペットボトルにあらたに足しておくと、蒸しタオルを顔に乗せて熱を感じ、寝床にもどった。バッテリーのすくなくなっているChromebookでウェブをちょっと見てから日記の読みかえし。まず一年前の2021/8/11, Wed.。母親のようすに典型的な日本文化論の証例をみて考察している。瞑想についての考察も。きのう書いたこととおなじ方向であり、言っていることはまあそうだなという感じ。「べつにことさらに観察しようとしなくとも、停止状態においては意識の領野がクリアになるからそのひろがりのなかにおのずからつぎつぎと感覚はたちいってくるし、現象学方面で共有されている基本的前提にしたがって意識がつねに志向性をもっていて一度にあるひとつのものしか志向できないとしても、意識それじたいのはたらきにまかせれば、おびただしく無数の生滅のあいだをその志向性はたえまなくうつりわたっていく。だから、イメージとしてはひろがった空間にあちらから知覚刺激がはいってくるというかんじなので、「観察」という語をつかうよりもむしろ「検出」(detect)とでもいったほうがいいような印象で、イメージをより具体的にすればレーダーということになるだろうし、またべつの比喩をつかえば、『HUNTER✕HUNTER』に「円」という念能力があるけれどまあああいったかんじだ(もちろん漫画のようにすごく遠くのものを感じ取るようなことはできないが)」とあるが、「検出」というのはたしかに実感としてよくあてはまる表現だ。感知=検出といった感じか。井上究一郎プルーストからは「そうしたすべての文学的な気がかりからまったく離れた境地で、しかもそんな気がかりとはいっさい無関係に、突如としてある屋根が、石の上のある日ざしが、ある道の匂が、私の足をとめさせるのであった、というのもそれらが私にある特別の快感をあたえたからであり、またおなじくそれらが、私に何かをとりだすようにさそっているのにどう努力しても私に発見できないその何かを、私が目にするもののかなたにかくしているように思われたからであった」という一節をうつしておいたが、これはよくわかるなとおもった。だいたいこれとおなじような意識へのひっかかりをまいにち得て書いているようなものではないか。
 日記の読みかえしを終えると九時半をまわっていた。起き上がる。椅子についてまた水を一杯飲む。さきほど浄水ポットからうつしたばかりなので、まださほど冷えていない。九時五〇分から瞑想した。鼻から深呼吸をしばらくつづける。かるいちからでゆっくり吐いていって呼気のうごきが止まったあと、がんばって腹にちからを入れて耐えるのではないが、しばらくそのまま停止するような感じになる。それをくりかえしているうちに呼吸からちからが抜けてきたので、吐くことをやめて静止に移行した。からだのあちこちを見たり感じたりしているうちにだんだんほぐれてくる。切ると一八分。さいきんあまりながく座っている気にならない。二〇分程度で満足してしまう。
 それから食事へ。飯を食うと言っても冷蔵庫のなかの食えるものはもういぜん母親と(……)さんが来たときにもらったナス二本しかなく、それを食うしかない。もうけっこう時間が経ってしまったのでわるくなっているのではないかと危惧しつつ冷蔵庫のなかのビニール袋からとりだしてみると、やはりやわらかめの感触になっており、皮の表面もちょっとしなびたようになっていたり、茶色くなったりしている。ともかく切ってみても、なかのいろも茶味がかったところがおおく、種なんか黒くなっていてわりとグロテスクなので、これだいじょうぶかなとおもったが背に腹は変えられん、よくなさそうなところは除きつつ薄切りにして、椀で水につけて灰汁を抜いた。そのいっぽうで味噌汁も飲もうとおもって電気ケトルで湯を沸かす。これも(……)くんにもらったワカメはもうないし、具は皆無、ボトルの味噌にせめてもの情けとして鰹節をくわえ、麺つゆもほんのすこしだけ垂らしただけである。湯が沸騰しても椀がナスで空いていないのでまずそちらをザルにあけて椀をゆすぎ、味噌など入れて熱湯をそそいだ。そうしてナスは木製皿に乗せて電子レンジへ。とりあえず三分。席について味噌汁をすすりつつURLメモをみているうちにレンジが回りきったが、いちどみてみるとまだかなという気がしたのでもう二分ほど追加で熱した。それから鰹節をぜんたいに振り、醤油をかけて食す。まあ皮がちょっとごきゅごきゅいう食感で、ことさらうまくはないが食っても問題はなさそうだった。しかしこうしてみるとカップラーメンをさいきん買う気にならず、なんか腹にも健康にもわるそうだし……とかいう気持ちでスーパーに行っても籠にくわえていなかったのだけれど、やっぱりひとつふたつ買っておけばこういうときに役には立つな。飯を食っているあいだは鷲崎健とその兄の鷲崎淳一郎というひとが動画つきラジオで歌っている映像をみていた。鷲崎健というひとはアニメ界隈のイベントの司会者とかをよくやっているひとで、むかしアニメをけっこう見ていた一時期に関連動画もちょっと見ていて知ったのだけれど、このひとがじぶんのラジオでアコギをつかって弾き語ったり、ゲストに呼んだ声優とかに伴奏をつけて歌ってもらったりしていて、それがけっこうよくて、ああこういうのやれたら楽しいだろうなあとおもっていたのだった。兄のひとは照明業者をやっているらしいが、このひとがゲストに呼ばれたときはむかしの日本のブルースとかをやっていて、上田正樹とありやまじゅんじの曲もじぶんはここではじめて知り、こういうのできたらいいなあとおもったのだった。それでこの兄弟が歌っている場面をまとめた動画がニコニコにあってそれをひさしぶりに見たのだけれど、やはりかわらず、ああこういうのできたらいいなあ、とおもう。じぶんの音楽演奏にかんしてはもうほんとうにアコギでブルースとか弾き語れるようになりたいという、ほぼそれしか望みはもうない。バンドもまあ楽しそうではあるが、ことさらやりたいとはおもわない。エレキギターめんどうくさいし。エレキを弾くとしてもやっぱりジミヘンとかレイ・ヴォーンみたいな、ブルースロックみたいなやつがいちばんやりたい気がする。アコギをがんばるとして、じぶんで歌うのもよいし、伴奏してだれかにうたってもらうのもよい。ほんとうはTuck & Pattiみたいなことできればめちゃくちゃ楽しいのだろうけれど、あんなレベルには一生かけてもとても行けない。
 食後はわりとすぐに皿を洗った。プラスチックゴミもかたづけ。いま入れていた袋があふれそうになっていたので、もうすこしちいさめの袋をもうひとつ用意してそちらにちょっと移し、古いほうはしばってしまう。これでふたつ、縛ったものができている。それからここまできょうのことをまず綴れば一一時四五分。洗濯もナスと味噌汁を用意したあとにもうはじめていて、すでに終わっているのでこれから干す。


     * 


 便所に行ってクソを垂れた。そのあと洗濯物を干す。陽はよく照っており、きょうも風がつよい。きのうよりつよく、はげしいといってよいほどで、風が建物にぶつかったり道の空中を行ったりするうなりがしばしば走り、洗濯物もそれにひっきりなしにおどらされておおきくうごき、カチャカチャと音を立てる。洗濯物を干したあとはシャワーを浴びた。湯を浴びるまえに髭剃りもして顔をさっぱりさせる。出るとからだを拭き、肌着とフェイスタオルはいったん空になっていたニトリのビニール袋に入れておき、バスタオルはもういちどつかうつもりでハンガーにかけ、洗濯物の列の端にくわえた。ドライヤーであたまを乾かすとAmazon Musicをちょっと見て、そのあとギターをいじりたくなったので部屋の角に置いてあるケースから楽器をとりだしててきとうにもてあそぶ。いや、そのまえに手の爪を切ったのだった。ギターを弾くにしろ、キーボードを打って文を書くにしろ、爪が伸びてきていてすこしわずらわしくなっていたので。いままでは寝床のうえであぐらをかいて切っていたが、今回椅子に座り、机のうえにティッシュを一枚置き、イヤフォンをつけて"バックビートに乗っかって"を聞きながら切った。目を閉じて音楽を聞きつつ(じきに"WALKING IN THE RHYTHM"にうつる)やすりがけもして、それからギターを弾いたのだった。ぱっとしない。あまりうまくはまらない。後半、声をちょっと出して弾く音とユニゾンでハミングしはじめたあたりですこしだけよい感じになってきたが、まもなく終いにした。腰が疲れたのでギターをしまったついでに寝床にころがってしまい、そうするととうぜんのようにしてストレッチをはじめる。胎児のポーズをやったり、あおむけの状態から下半身をもちあげて尻の筋肉をほぐしたり、合蹠したり前屈したりいろいろ。立って背伸びしたり、上体をひねったり、足を背後にひっぱりあげたりもした。それでだいぶからだがほぐれて二時二〇分くらいか。そろそろ日記にかからなければならない。きょうのことをまずここまで書き足して二時四〇分。


     *


 それからきのうのことをさきに書くことにした。往路帰路のことだ。印象がおおかったので、わすれないうちに書きたい気持ちがあったのだ。そうして二時間。四時半過ぎにいたるとけっこうからだが固くなってきて、寝床に逃げることを強いられた。しかも合間に立ってちょっとからだを伸ばしたりしていたのに。二時間しかつづかないとはわりとはなしにならんが、とはいえ肉体のほぐれレベルはむかしにくらべると雲泥の差なので、復活は容易である。寝床ではカフカ書簡を読みすすめ、あいまにまた胎児になったり、下半身をもちあげて腰のあたりを伸ばしたりしておく。洗濯物も入れた。風がとにかく吹き荒れていたし、陽もかげってきたので。三時くらいからやや曇ってきたとはいえ空気はあかるくひかりもあったし、風があれだけ吹いていたにもかかわらず、洗濯物はからっとかんぜんに乾いたという感触ではなく、ほんのわずかながら水の気配がのこっているような手触りだった。集合ハンガーは入れただけでいちおうまだ吊るしておき、肌着などはたたんでしまう。純然たる空腹である。なにしろナスと味噌汁しか腹に入れていない。もう食い物がないわけだが、スーパーに行ってもろもろ買い込んで荷物を提げて帰ってくるのがめんどうくさくおもわれたので、もうきょうは近間のコンビニでてきとうになんか買って済ませようとおもった。そうして五時半ごろに起き上がり、きのうの帰路のことをいくらか足して切りをつけると、洗ったTシャツをさっそく着て(Tシャツがこれしかないのが不便なのでもう一、二枚ほしい)、黒ズボンを身につけて、めんどうくさかったので財布と鍵だけ持って部屋を出た。六時前だった。道に出ると風がやはり吹きつのっており、とたんに髪の毛が乱されて額に前髪の感触がこすれる。一軒だか二軒いったさきでは家屋の横の小庭に家族が出て、なんだかわからないがなにかやっていた。行きはよく見なかったが帰りに目を向けたところ、少女ふたりは台のうえになんだかわからないがなにかならべていたようで、テラス的な場所で椅子に座っている父親らしき男性は、よくわからなかったがバーベキューの準備をしていたのかもしれない。空には雲が湧いているが、水色もよく見えて、風はことさらに涼しいというわけではないけれど、陽射しもほぼなくなってだんだん晩夏にちかづいている暮れ方のさわやかさがあった。たまには違う道をとおるかとおもっていつも曲がるところからひとつ手前の路地に折れる。正面が西になるので、太陽の色が建物を越えた向こうに部分的に見え隠れする。おもてに出ると左折。信号のないみじかい横断歩道で止まり、左右をみていると停まってくれる車があったので、片手を顔のまえにあげて礼をしめしながら道を渡った。また左折して南に向かうと風は街路樹の足もとに無造作にあつまったネコジャラシなどの下草をもすくいとるようにして振動させ、草たちはみなきれいに一方向になびいたり、突き出したネコジャラシだったら鍋をかき回すお玉のようなうごきにかき乱されたりもしている。南の空には雲が乱雑にただよって灰色含みのガムっぽいものもあり、首を曲げれば頭上ちかくはもっとひろくかかっているが、ひかりを通過させるすきまはおおく、地上にも薄暗さは生まれず、南につどったもののうちあかるみにふれて白さを高めているものは晴天に乾ききった洗濯物のようなさわやかさで理想的な歯のように白く、それに目を惹かれながらあるいていると右手に生まれた家屋のすきまからは黄橙色の西陽が射しこみ、顔を向ければ雲の間を二列、横に走って充満させたかがやきがある。コンビニのまえに置かれている広告旗も土台から横倒しにされており、旗は無残にぐちゃっとかたちをうしなっているし、入り口の反対側にあるもう一本のほうも土台を揺らしながら布をおそろしく痙攣させていた。
 入店。スプレーボトルにはいったアルコールを手に吹きつけてこする。籠を持ち、店内をまわる。とりあえず夕食のメインを決めようとおもって壁際の冷蔵棚に行き、なんか麺でも食いてえなとおもっていたら半日分の野菜が取れるあんかけ焼きそばとかいうものがあるのが目にとまり、これでいいかと即決した。その他おにぎり、サンドウィッチ、チョコビスケット、冷凍の唐揚げと焼き鳥などをあつめ、会計へ。野菜がぜんぜんない。店員は黒髪を両側で結わえていわゆるツインテールにした若い女性で、やや翳のあるような雰囲気であり、外界にたいしてうっすらとした敵意をいだいているのか、もしくは不安をいだいているのか、しごともはたらきたくてはたらいているわけではなさそうだが、手の爪に黒っぽい青のマニキュアを塗ったかのじょの年齢がよくわからないというのは、もう女性の一〇代二〇代に見分けがつかない歳にじぶんもなってしまったということなのか。マスクをつけているのでわかりづらいということもあるだろうが。
 荷物を提げて店を出るとレシートをたたんでポケットに入れ、財布にも釣りをおさめ、帰路へ。風はかわらず吹きつのり、街路樹のしたにあるネコジャラシたちは、こんどは左右の極までいたらないうちにもどってしまう半端なメトロノームのように往復的にふるえている。通りをわたり、来たときとは違う路地にはいった。すすめば公園の端のまえに出る。道をはさんでその隣ではひろい敷地が白い壁にかこわれて、ホームかなにかなのか建設中であり、とちゅうまでできあがってカバーにつつまれているその建物が、部屋部屋をならべた廊下のように見えたが、ひかりの暖色をかけられて、まさしくつくりものなのだけれどつくりものめいたつやを帯びており、道の伸びるずっと向こうにはちいさなすがたのマンションもおなじ色をあたえられている。公園内には犬を連れたひとびとが何組も見られ、あるひとはあるかせて、あるひとはベンチに座り、ひとりの男性などはじぶんが座ったその横に二匹の子犬を乗せていた。そこに、公園のそとを行くこちらのまえに犬連れの家族がもうひとつあらわれ、小学生時分の子どもがふたりに母親らしきひと、そしてその母親らしきひとの四人連れで、子どもは園内を見て犬がいるねー! と言い、じぶんたちのも連れてなかにはいっていった。座席とテーブルめいたものがある小規模なあずまやみたいな場所では男子がふたり、よくみえなかったが卓上でなにかを回して遊ぶようなことをしていた。ピンク色のものが見えて、ベイブレードみたいな、現代の独楽のたぐいかとおもったのだがわからないしたぶんちがう。そうして公園を過ぎたところで右手には路地がとおるが東方向にあたるそのさきでは建物がやはり西陽を受けており、すすみながら左を向き返せば家並みの奥にあかるみのもとは見えないけれど白雲がひかりにもちあげられるようにして白くなっている。風はいつまで経ってもやまず、変わらずつよい。
 部屋にもどると冷蔵庫に入れるものは入れ、エアコンをドライでかけたが汗もほとんどかかなかったのでTシャツは脱いでたたんでおき、ズボンを脱いでハーフパンツになると椅子の背にかけておいた黒い肌着も着直した。そうしてさっそく食事。焼きそばをレンジで熱し、そのあいだによだれ鳥とレタスのサンドウィッチを食べはじめる。あんかけ焼きそばがあたたまると机上に出して箸でかきまぜ、付属の辛子と米酢をくわえて、(……)さんのブログを見ながら食べた。そのほかおにぎり。野菜がぜんぜんない。あいだにLINEものぞいて一五日についてはなしあわれているのにちょっと参加したり。そうして洗い物は箸と焼きそばの容器だけですくないからさっと済ませて、きょうのことを加筆した。いま八時前。道を行きながらうえのようなことごとを見聞きしているあいだ、はやく帰ってそれらを書きたいとばかりおもっていた。とくに乾ききった洗濯物のような雲の白さ。こんなにも世界を記録したいと駆られているにんげんもそうそういないのではないか。


     *


 一五日はひさしぶりに(……)もまじえて「(……)」の連中と会うのだが(その前日の一四日にも会うが――さらにその前日の一三日には(……)くん、(……)くんと会うことになっており、なかなか盛りだくさんで、いまから日記を書くことがおもいやられる)、(……)がサイフォン式のコーヒーを飲む店に行ってみたいと言ったり、(……)が昼から新宿で飯を食おうと行って店のURLを貼ったりしており、こちらはパニック障害が再発して外食がやや不安なので飯屋はもちろんいいが飲み物を飲むだけとかにするかもしれないとつたえておき、しかし最終的に予約時間を決める段になって、はやく起きられないしむしろ昼食後から合流すればいいのかとおもってそのように申し出た。昼飯後、夜には花火をやるらしいのだけれど、それまでの時間はコーヒーを飲みに行くほかなにも案がないようだったので、美術展でも行くか? とおもって展覧会を調べてみたところ、まあそんなにみんなで行きたいようなものはなかったのだが(新宿なら、まえにいちどしか行ったことがないが、損保ジャパンのビルがあるとおもってそれをまず見てみたところ、スイスのプチ・パレという美術館の展示がやっており、パリがいちばん華やかだったころとかいって要するに一九世紀末から二〇世紀初頭くらいの近代絵画をとりそろえているらしく、ふつうに見てみたかったが、月曜日は休みらしかった)、なかにキース・ヴァン・ドンゲン展という文字を見つけ、これたしか集英社版の鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』に載っていた挿絵の画家じゃなかったっけとおもって調べてみるとそのようだった。しかしじぶんはどちらかというとこのひとの絵よりも、集英社の単行本版にはさまっていた栞に描かれていたスケッチのほうが好きで、マドレーヌ・ルメールとかいったかなとおもってこれも検索してみるとぴったりそのなまえで、われながらよくおぼえているなとおもった。Wikipediaによればルメール夫人はプルースト本人とも親交があり、『楽しみと日々』の挿絵を描いたといい、ヴェルデュラン夫人のモデルのひとりだといわれているらしい。『失われた時を求めて』の栞にあった花とか道化とかのデッサンというか、線画というかスケッチというかそういうやつは、美術方面に詳しいひとからは注目されるようなものではないのかもしれないけれど、こちらにとってはじっさいかなりよくて、かのじょのそういう線画のみをあつめた画集があったらちょっとほしいとおもうくらいにはよかった。『楽しみと日々』の挿絵もそういうやつなのだろうか。
 あと行きたいとおもった展示は、東京都写真美術館の「アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真」というやつとか。まあなんでも行きたいが。せっかく(……)まで出てきて都心もちかくなったし、もっとひょいひょい行けばいいのだが。まあいまはコロナウイルスもまた拡大中だし行きづらいが。あと、出かけると書くことが莫大に増えるのでそれで気が引ける部分も確実にある。


     *


 六日の日記をやっつけでかたづけるとそのあとは寝床で休んだ。ウェブを見たり、カフカ全集を読んだり。そのあいだにウェブで、筋肉をマッサージするのはじつはあまりよくなくて、揉むと筋繊維が破壊されて固くなってしまう、揉むよりはさするほうがいいという情報をみかけて、ええそうだったの、おれめっちゃ揉みまくってたけど、とおもった。これがほんとうにそうなのか否か、健康情報もいまやポスト・トゥルースの時代、玉石混交でなにが真かちっともわからないが、とりあえずそれを信じることにしてじゃあこんどからさするかとおもった。どっちにしろ血流が良くなりゃなんでもよい。ただ太ももとか脚を揉むのは気持ちがよいのでやってしまうが、あまりちからを入れないようにやさしくやろう。カフカ全集(マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年))は読了した。フェリーツェへの手紙の一巻目は一九一三年の五月の終わり間近までが収録されているが、そのすこしまえからカフカの自己卑下というか、最愛のひと、あなたはぼくといっしょにいることはできないだろうし、できたとしても不幸になるだけでしょうみたいなことを言う傾向がはげしくなって、ほとんど毎回のようにそういうことばかり言っており、カフカはフェリーツェにもそれをみとめてもらいたがっているというか、あなたはこの点をじゅうぶんに理解しなかったと非難めいた口ぶりもときにあるし、ほとんどフェリーツェのほうから別れを明言してほしいかのような調子で、それとほぼ同義のこともどこかで書いていたとおもう。それは要するに、じぶんがかのじょと交際していても苦しみをあたえることにしかならないのだから、関係を終わらせるのがほんとうだろうというあたまから来るものだとおもわれ、しかしいっぽうでカフカはなぜか知らないがフェリーツェを熱愛しているので、「フェリーツェ、あなたと別れたら、ぼくはどうなるでしょう? ぼくがあなたに共感しないと思うのですか? その場合、ぼくの生命がなにか意味があるとお思いですか?」(348)などとも書きつける。この両極端に分裂したはげしい葛藤は手紙のあいてであるフェリーツェをもそのなかに巻きこまずにはいないというのはおとといだかに書いたとおりで、別れると言っても別れないと言っても正解にならない状況に追いこまれたフェリーツェは、いきおい、返事をなかなか書かなくなり、沈黙でもってこたえることになる。したがってこの巻に収録されたさいごの手紙、一九一三年五月二七日付のそれのはじまりは、「では、これで終りなんですね、フェリーツェ、この沈黙であなたはぼくを追い払い、ぼくにとってこの世で可能な唯一つの幸福に対する希望に終末を与えるのです」(355)という訴えとなる。そのひとつまえ、五月二五日のみじかい手紙は、「とんでもない、一体あなたはどうしてぼくに書いてくれないのですか? 一週間一言もありません。本当にひどいことです」(355)ともっと素朴に率直な非難のことばになっており、ここを読んでまた、おまえはストーカーか、とおもってしまった。しかしいっぽうでおもしろいのは、序盤から後半にかけてはおりおりわけのわからないようなことを言いながらも、つねに丁重な調子を保っていたカフカが、自己卑下の度合いを深めるこの巻の終盤にかかるにつれて、むしろ妙なかたちでの自信を持ったようになったり、なにか積極性を得たようにみえることだ。とくにベルリン訪問以降にそうなっている印象で、これまではじめの邂逅をのぞいては手紙のうえでしかことばを交わしたことのなかったふたりは、一三年の三月後半にカフカがなぜか唐突にベルリン行きを決意したことで、かなりみじかい時間だったようだが、ようやく顔を合わせることになる。その後、聖霊降臨祭、五月一〇、一一、一二日あたりには二度目のベルリン訪問も果たされ、なんとカフカはこのときフェリーツェの家族と会いすらしたらしい。そのときのことについては、「皆さんについてぼくは大変混乱した印象を受けました。それは皆さんがぼくについて完全に諦めた様子をはっきりみせられたせいでしょう。ぼくは自分をとても小さく感じ、皆さんは顔にひどく宿命論的な表情を浮べて、ぼくの周りに巨人のように大きく立ちはだかっていました(……)では、皆さんはどうして、大変親切でお客好きなのに、ああした態度をとったのでしょう? ぼくは大変醜い印象を皆さんに与えたにちがいない(……)」(349)といつもながらの堂に入った自己否定を述べている。ところがこのすこしまえからカフカの態度はかえって妙に決然としたようになってきて、板についた職人芸のおもむきすら感じさせる見事な自己卑下の繰り言によってフェリーツェとのあいだにもそれまでになく齟齬がおおきくなっているようで、いぜんだったらいわなかっただろうし、いったとしても詭弁をつけくわえることでそのニュアンスをまぎらわせていたような、非難めいたことをより率直に書くようになっている。たとえば四月二六日の手紙には(「ぼくがあなたに書く時間がないのですって、フェリーツェ?」(336)とはじまっているので、かのじょのほうからもそういう文句が来たようだが)、「ぼくは今なにも決定的なことは言いません。というのは、あなたから新しい手紙を受取るたびに、あれほど堅く確信していても改めてぼくは迷うのです。しかしもしそうであるとすれば、それはあなたがこれまでにぼくを失望させた、そもそも失望させることのできた本当に唯一つの点だったでしょう。なぜなら、ぼくは最悪の場合ですらいつもあなたから卒直さを期待していたからです」(336)と言っている。意味の内実がいまいちはっきりしない発言だが、「あれほど堅く確信していても改めてぼくは迷う」というのは、おそらく、じぶんたちがともにいることは不可能であるということをたしかに理解していながらも迷ってしまう、ということではないか。カフカからするとフェリーツェが決定的な決断(ふたりの関係に判決をくだすことば)を表明してくれないがためにそうなり、その状態が引き伸ばされるので、かのじょに「卒直さ」が欠けていることを指摘し、「失望」を口にすることになる。うえの発言に直接つづけて、カフカはつぎのように書いている。「あなたがいつかぼくと別れるとしても、ぼくは驚かないでしょう。あなたはぼくをすぐに見抜くことができなかった。それは不可能でさえあったのです」。これはもう事実上、別れをもとめる宣言であり、じぶんを理解してくれなかったという恋人への非難でもあるが、カフカじしんはおそらくこれを非難として述べているつもりはなく、あらかじめわかっていたこと、予想されたこと、とうぜんのこと、つまりたんなる事実として述べているのではないかと推測する。わるいのはかのじょではなくじぶんだという強硬な自己完結すら、そこにはふくまれているだろう。おなじ手紙の末尾近くではこう述べる。「あなたは以前もときどき短かい手紙を書いてきたし、ぼくはそれで幸福になり満足でした。しかし最近の手紙は違っています。ぼくのことはもうあなたにはそれほど重要でなく、もっとはるかにひどいことですが、あなたがぼくに自分のことを書くのは、あなたにとってもうどうでもいいことなのです」(336~337)というわけで、確信をもってフェリーツェの心情を断言してすらいるのだ。ほかにもたとえばベルリン行きの計画について、二日後の手紙では、「けれどもあなたはぼくに、聖霊降臨祭にベルリンに行き、あなたに会うことを認めるべきでしょう。この旅行はあまりにも確かな計画だったので、それを変えることはぼくの全生涯をねじ曲げることになりましょう」(338)とじつに大仰なことばで要求している。その直前には、「これだけは言えますが、ぼくは手紙が来ない場合、人間の交際には無限に多くの可能性があり、あなたがぼくに(最善の場合でも)抱いている無関心は、ぼくを見捨てる理由にはならないだろうということを、手紙であなたに説明する決心をしました。そして提案したいと思ったのは、またSie(貴方)と呼びあうことにしてもいいし、お手紙を、ぼくの手紙をあなたのところに残すことを条件にお返ししてもいいのです――しかしだからといってぼくを見捨てる必要はないでしょう」と述べている。カフカはだからここではフェリーツェとの交際を、これまでよりよそよそしいものにもどしながらもまだ維持するつもりでいるらしいが、いぜんはあきらかに、われわれがともにあることは不可能だ(だがともにないことも不可能だ)とかんがえて、それを認めるようあいてにも要請していたはずの人間が、ここに来て妥協案を「決心」するにいたっている(段落を変えたそばから、「もちろんぼくの決心は全く堅固ではありませんでした」とも言っているが)。二度目のベルリン訪問のあとは、フェリーツェの父親に手紙を書くという企図になんどかふれている。これはもともとベルリン行きのまえに口にされていたことで、いわく、「ぼくの「すばらしい」考えとはつまり次のようなことです――あなたが同意するなら、第一にぼくがこれまであなたには言えなかったことすべて、第二には、あなたは十分真剣に受取ってくれませんでしたが、ぼくがすでにあなたに言ったり書いたりしたことすべてをお父様に話そうということ。これがぼくの計画です」(343; 五月四日)という。五月七日の手紙で、「もちろんお父様にお話をするというのは思いつきにすぎず、実行はできません、それは夢だったのです」(344~345)と即座に前言をひるがえしており、すごすごと消沈したようなその撤回ぶりはちょっと笑うが、フェリーツェの父親に手紙を書くというのはこの「計画」が復活したものだとおもわれる。前言撤回を見るにフェリーツェがあきらかにそれを拒否したにもかかわらず、カフカはかれ特有の執着的な熱意でもってこれを推し進めようとしていたようなのだ。いずれにせよ、はなしをもとの地点にもどすと、おもしろいのは、かれが自己否定を重ねるにつれて、むしろことばや態度が決然とし、その立場がつよまっていくようにみえるということである。フェリーツェは元来、快活で率直な女性だったようだ。職場で出世していたり、家事も担っていたらしいのを見ると、エネルギッシュなひとだったのだろう。しかし、そのおなじひとが、ベルリンでカフカと会ったときにはそうではなかったらしい。「ぼくと一緒にいるとき、あなたが変るということ(この変化はぼくの名誉どころか、ぼくの恥辱と解釈されるべきでしょう)、このいつもは自信のある、頭の回転の速い、誇り高い少女であるあなたが、弱々しい無関心に襲われること」(353~354)とカフカはふれているからだ。したがって、まるでカフカとフェリーツェの性質や立場がしだいに逆転したかのようなのだ。もともとはカフカがフェリーツェをひたすらに賛美し、信仰者の熱心を見せ、ほとんどひざまずかんばかりの丁重なようすで、みずからを下位に置いていた。ところが、かれがそのこと、じぶんは途方もないほど下の領域におり、われわれはほんとうはともにあるべき存在ではないのだということをフェリーツェにもみとめ、理解してもらいたいと望んだとたんに、かれの立場はむしろ上昇する。フェリーツェがそれをみとめ、理解することができず、カフカの要求を満たせないからである。それでいてカフカじしんは、じぶんが否定性の権化だということをうたがっていない。この確信がきわめて強固な基盤となってカフカを支え、反対にフェリーツェからはちからを吸収するかのように足場をうばい、かのじょを葛藤と揺動の苦しみのなかに追いやることになる。カフカは自己をふくめたおおくのことに自信を欠き、不安に襲われてばかりいるにんげんだが、じぶんが無価値で空虚であること、なおかつ書くべき存在であること、みずからが文学から成り立っているということについてだけは、絶対的な確信をもっている。書かないかぎり、じぶんは無価値だ(そして書いたとしても、ほぼ無価値だ)という認識は、かれにおいてつねに変わることのない真理である。しかし現実には、内外のさまざまな障害にさまたげられてなかなか書くことができないし、書けたとしてもうまく行くことはまずなく、できあがったものもたいした価値を持っているとはおもえないので、かれはいつも不安と不快とむなしさのうちにおとしこまれることになる。そこからのがれるには、書き、書きつづけ、ひたすらにかさねられる失敗のなかでほんのつかの間の恩寵を待つしかない(「繰返しそれを試み、繰返し失敗し、繰返し自分に立ち戻らなくてはなりません」(335)――ここでいっている「それ」とは、直接には、フェリーツェにたいして「真実に明瞭に」書き、「なんとかあなたにぼくの胸の鼓動 [﹅15] を伝え」、かのじょにじぶんのことを理解してもらう、ということだが)。したがってカフカは、書くために生きるのではなく、まごうことなく生きるために書いていた作家のひとりだろう。


     *


 (……)さんのブログ。何日の分だったかわすれたが、したの一幕はさすがに笑った。

食事も後半にさしかかった頃だったと思うが、ひとがたくさんいると(……)さんが言い出した。周囲を見渡してみると、なるほど、けっこう繁盛しているなという感じ。すると突然、あ、わかった、今日は特別な日だから、と言い出したので、あーなるほど、そういう流れに持っていきたいわけね、とその時点ですべて察した。今日は七夕だからと続けたのち、完全に忘れていましたけどとつけくわえてみせるそのつけくわえかたが、たとえカタコトの外国語であったとしても、いまのはわざとらしい! いまのはしらじらしいぞ! と突っ込みたくなるくらい下手くそだった。こちらとしては食事はもう今回きりでいいというか、ここから関係をさらに発展させたいみたいな気持ちは皆無なので、中国における七夕がどういう意味をもっているのかについてはまったく知らないふりをして、あー今日は中国の七夕なんですね、としらばっくれた。すると、日本と中国ではちょっと七夕の意味が違いますからと意味深に笑って食い下がってみせるので、これが恋愛ゲームだったら選択肢①「どう違うんですか?」②「日本では短冊にお願いごとを書きますよ」③「おれとおまえで今夜彦星と織姫を演じよう!」のいずれかひとつを選ぶところであるけれど、こちらは④「ていうか(……)ーさん、蛇食ったことあります?」をチョイス! これがフラグクラッシャーとして名高い男の伝家の宝刀、屋久島の縄文杉を根本からぶち折るほどの威力で放たれる大外刈りゼロ式や!

 ほか、以下のふたつ。ひとつめの場面のさいご、「セルフレジに待機している店員は読み込みをただ待っているこちらのスマホの画面をのぞきこんで横から無理やり画面をタップしまくろうとするし」というのは、日本だったらぜったいありえないよなあ、とおもって興味深く、引いておくことにした。

步步高ではレタス、パクチー、トマト、豚肉、鶏肉、冷食の餃子を購入。精肉コーナーにははじめて見る顔のおばちゃんがいたのだが、この肉をくれと指差して伝えると、トングを使わず素手で肉をつかんでビニール袋に放り込むので、うわマジ不衛生だな、勘弁してくれよ、とちょっと思った。有人レジは一台しか稼働していなかったのだが、微信で支払いをするのであればセルフのほうにいけとうながされた。步步高の店内はなぜか携帯がちょっとつながりにくく、そのせいで何度も読み込みを重ねる必要があるセルフレジはけっこう時間がかかってうっとうしい。セルフレジに待機している店員は読み込みをただ待っているこちらのスマホの画面をのぞきこんで横から無理やり画面をタップしまくろうとするし(連打しても意味ねーよ!)。

     *

プロテインを飲んだのち、今日づけの記事の続き。1時になったところで中断。作業中はずっと七尾旅人の初期音源を流していた。『ひきがたり・ものがたり vol.1蜂雀(ハミングバード)』に収録されている「線路沿い花吹雪」(AppleMusic上では表示が「線路沿いの花吹雪」になっている)は当時くりかえし聞いた記憶がある。これはたしかクラムボンによるカバーアルバムにも収録されていたはず。「荷物をつめてゆく/ほとんどはおいてゆく/変われやしないわ/おちてゆけば」とか「ちょうちょの羽/わたしもほしい/それをこちらに投げつけな」とか、このあたりの歌詞もすごく好きだった。歌詞とクラムボンで思い出したが、もうずっと以前、それこそ十年くらい前になるのかもしれないが、クラムボンのミトがウェブインタビューでアニソンとかボカロとかをやたらと持ちあげていて、たぶん当時流行っていたボカロ曲だと思うのだがその曲の歌詞がすごい、何度もくりかえし読んではじめてそこに隠された意味が理解できる、これに比べたらポップスやロックなんて全然だめだみたいなことをちょっと尋常でない熱量で語っており、であるから原田郁子にもふわっと雰囲気だけの歌詞ではなくこういうものをこそ書かなきゃいけないと伝えてそのせいでギスギスするほどだったみたいなことを言っていたことがあった。当時その記事を読んだこちらはそこまでいうのであればどんなもんかチェックしてみようと思い、インタビューのなかで言及されていた楽曲を流しながら歌詞を読んでみたのだが、クソで、なんといえばいいのだろうか、というかもはや記憶にすら残っていないほどのクソだったのでアレなのだが、簡単にいえば物語風になっている歌詞だったんだと思う、で、その物語のなかにも明示的に言及されていない謎があり、おなじ作曲者による別の楽曲をきけば(読めば)その謎も解けるみたいな、たぶんそういう造りになっていたんではなかったか、クソだったのではっきりおぼえていないが。要するに伏線とその回収という、あたまの弱いオタクどもが手を叩いて絶賛する構造にあますところなく回収されて余剰のない、クソの称号を冠するにすらおよばないそういうタイプの歌詞で、あのな、おれたちはそういう歌詞を中学生時代にBUMP OF CHICKENで十分に経験しているでしょうというのがこちらの率直な感想であり、それがあって以降、ミトのことをじぶんはかなり下に見るようになっている。

 うえでけちょんけちょんにけなされているミトおよびボカロ曲だが、ここまでいわれていると逆に気になってしまい、くだんのインタビュー(ちなみに、「クラムボン・ミトが語る、バンド活動への危機意識「楽曲の強度を上げないと戦えない」」(https://realsound.jp/2015/03/post-2808.html(https://realsound.jp/2015/03/post-2808.html))というものだった)を検索してつきとめ、ざっと読んでみたところ、「カゲロウプロジェクト」のひとの名をあげていて、ああ、カゲロウプロジェクトか、とおもった。とはいうものの、こちらはこれをなまえだけ知っているのみでじっさいに聞いたことはない。なぜ知っているかというと、実家にいたころ読んでいた読売新聞の下部広告にけっこう出ていたからだ。メディアミックスというか、おなじ世界観で小説と音楽を両方つくるみたいなやつだったはず。それで検索して、たぶんいちばんゆうめいなのだとおもわれる”カゲロウデイズ”という曲を視聴してみたが、たしかにこれはぜんぜんおもしろくなかった。(……)さんのいうとおり、物語仕立てになっているが、すこしもおもしろくなかった。物語仕立てになっているJ-POPということでこちらがおもいだしたのは、ポルノグラフィティの”カルマの坂”くらいなのだけれど、あっちのほうがまだおもしろかったような気がする。スタンダードに、ふつうに正統的に物語をかたっていたはず。ミトの該当発言を引いておくと、以下のとおり。

ーーただ、アニソンともアイドルとも違うクラムボンとしての言葉のありようがあるわけですよね。それを維持しながら、言葉の強度をどう意識して強めていくのか。

ミト:…難しいですね。言葉の強度とは考えてなかったと思うんですよ。単純に、わかりやすく人に伝えられるようにって考えてたのが、今回郁子さんと私のやりとりだったと思うんですね。リスナーが1回歌詞を見ただけで、もういいや次の曲、じゃなくて、2回も3回も見て、あ、こういうことだったのかな、って膨らますことができるような。そういう楽しみ方を、ことJ-POPやJ-ROCKというフィールドでちゃんと広げなきゃダメだなと思うし。実際若い子だったら、カゲプロ(カゲロウプロダクション)のじん(自然の敵P)氏だったり、米津玄師氏だったり、ああいう今のボカロPの子たちの歌詞って、3コーラス目までで小説一冊分ぐらいの聞き応えがあるじゃないですか。<設定厨>の極みですよ、ああいう人たちは。そこに対抗しようとは、正直僕たちは思えないです。言葉の強度というか鍛錬の仕方、筋トレの仕方がケタが違うので。あれはたぶんずっと残ると思うんです、じん氏とかの歌詞っていうのは。あんなに小説としてしっかりまとまった1曲のポップ・ソングなんて、この世には存在しないと思うんで。ただ、僕らがやっているのはそこまで難しいことじゃない。単純に、伝えたい言葉がちゃんと届くように、日本語として。それが重要だと思ったのが今作なんです。だから今回ようやくスタート地点に立てた。これから先、やっと強度を求める段階になれるのかも? ぐらいでしかない。

 「ああいう今のボカロPの子たちの歌詞って、3コーラス目までで小説一冊分ぐらいの聞き応えがあるじゃないですか」といっているが、こちらはまったくそんな「聞き応え」をかんじなかった。かれはまた、ボーカロイド曲の歌詞についてつぎのように述べている。

ーーその、歌詞のモードが変わった、これはうかうかしてるとついていけないと思った、90年代とも00年代とも違う言葉のモードに気づいたのはやはりボカロがきっかけですか。

ミト:やっぱりボカロですよ。絶対ボカロ。確実にボカロからすべてが変わりました。じん氏が出てきたのが09年、10年ですか。あのころ僕らは『2010』を出したんですけど、ちょっと恥ずかしくなっちゃったところがあって。彼らの歌詞が凄すぎるから。もう……ボカロの音楽が凄いのは、徹底的に歌詞ですよ。実は音楽の構造はーー極端なことを言いますけどーーそんなに面白いと思ったことはない。トラックメイカーとしてkz君とかtofubeats氏とか八王子P君とかnishi-ken氏とか、あのへんの人たちはずば抜けて凄いと思います。ただ僕は音楽の構造というより、メロディとリリックの究極の密接な関係ってところに(ボカロの)魅力を感じてたんで。だから柴(那典)君の書いたミクの本(『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』)は、納得できるところもあったんですけど、ミクの魅力を伝えるという意味ではもっとできたんじゃないかなと思って。

     *

ーー情報量が凄かったということですか。

ミト:そう! 想像力をかき立てるというかね。2行ぐらいの歌詞なのに、なんでこんなにいろんなものを想起させるんだろうっていう。あの歌詞は異常ですね。

 すくなくとも”カゲロウデイズ”を聞いたかぎりではこちらはすこしも想像力をかき立てられなかったのだけれど、ミトがこういっているのはたぶん、そこに聞かれることばだけでは世界観とかそのなかでのことがら(の位置づけ)がすんなり理解できるようにはなっていない、いわゆる意味深な歌詞がよい、ということなのだろう。ただ、それは徹頭徹尾意味深なだけで終わってしまってはならず、(ある程度いじょうの)こたえがなければならない。そこでは楽曲にえがかれる「世界観とかそのなかでのことがら(の位置づけ)」がどういうものかという問いにこたえがあると想定されており、ただそれがいまは開示されていない、と理解されるのだろう。だから、その作者は「<設定厨>の極み」といわれるし、歌詞じたいにはあらわれていない「裏設定」のようなものまでつくりこまれていて、それがじっさいに楽曲で語られている世界観を支え、成り立たせているのだ、と理解されているはず。ミトじしんはクラムボンの音楽について、「でも郁子さんの声は、特定のアニメに対してのイメージを限定させるため、あるいは象徴させるための声ではなく、いろんな漠然としたものを想起させるものなんですよ。でもアニメにほかのものを想像させる必要なんて、ないんです。クラムボンの音楽はすごく想像力をかき立てるし、俳句みたいに少ない音数でいろんなものを表現できるけど、そういう音楽はアニメにはいらないんです。想像力いらないんです」と言っており、うえの引用のひとつめでは、「単純に、伝えたい言葉がちゃんと届くように、日本語として。それが重要だと思ったのが今作なんです。だから今回ようやくスタート地点に立てた。これから先、やっと強度を求める段階になれるのかも? ぐらいでしかない」とも言っている。いっぽうでは強烈に「想像力をかき立てる」、たった「2行ぐらいの歌詞なのに」さまざまなことを喚起させるボーカロイド曲を称讃しながら、たほうでは(インタビュアーがまとめた文言でいえば)「曖昧だから想像力を喚起する」「クラムボンらしさ」を自己批判し、アニメの音楽には「想像力いらないんです」と断言している。この間の消息は一見矛盾しているようにおもえるのだが、たぶん、いままでのクラムボンの歌詞や音楽は、ただ意味深なだけで終わってしまい、そこに(ある程度いじょうの)こたえが用意されておらず、ただただ意味が拡散していくだけだった、とおもっているのではないか。それでいまはまず、アニメ曲のように、聞き手に想像力を要請せず、「単純に、伝えたい言葉がちゃんと届くよう」な詞の楽曲を構築しなければならない。それを経て「これから先、やっと強度を求める段階になれるのかも」しれない。この「強度」をそなえた歌詞・楽曲というのがかれがいうボーカロイド曲のことである。だからこの「強度」とは、意味深でいちど聞いただけではよくわからず、即座にこたえが開示されないけれど、しかしつくりこまれた設定によってじつはこたえは用意されてあって、リスナーはなんども聞くことでそれに到達できるような様相、ということであり、そこでいわれる「情報量」というのは、最終的にこたえに収束していく意味がたった「2行ぐらいの」みじかい一節にどれだけ担わされているか、ということなのだろう。したがって、かれが想定しているのは、正解を手にしている教師としての作者が作品をとおして解明可能な謎を出題し、生徒としての受け手はそれにこたえることをたのしみ、努力する、というモデルにあてはまる関係だとおもわれる。だとすればそれは保坂和志がクソつまらんといって批判していた図式そのものだし、こちらもそれがおもしろいとはおもわない。じっさいに”カゲロウデイズ”の歌詞をしらべて見返してみても、まず〈8月15日の午後12時半くらいのこと/天気が良い/病気になりそうなほど/眩しい日差しの中/することも無いから/君と駄弁っていた〉からはじまり、猫をおいかけた〈君〉がトラックに轢かれ、〈血飛沫の色〉が〈君の香りと混ざり合ってむせ返った〉あと、二連目は〈8月14日の/午前12時過ぎくらい〉にうつっており、〈落下してきた鉄柱〉に〈君〉がつらぬかれてまた死んだのち、三連目では〈何度世界が眩んでも/陽炎が嗤って奪い去る。/繰り返して何十年。/もうとっくに気が付いていたろ。〉と語られており、その後〈君〉のかわりに話者じしんが死ぬことをえらんだらしき描写らしきものがあり、〈実によく在る夏の日のこと。/そんな何かがここに終わった。〉と連が閉じられて、さいごに〈目を覚ました8月14日のベッドの上/少女はただ/「またダメだったよ」と/一人猫を抱きかかえてた〉としめくくられる。だから大枠として、永遠にくりかえされるタイムループのなかにとらわれているという世界設定はあからさまだし、意味深長どころか見え透いている。そしてそんなことは『涼宮ハルヒの憂鬱』ほかがすでにいくらでもやっていただろうし、時期的にもっともちかいところでは『Steins; Gate』が高度にドラマ化している(Wikipediaをみてみたところ、『Steins; Gate』のゲームが発売されたのは二〇〇九年、アニメが放送されたのは二〇一一年四月から九月、”カゲロウデイズ”が発表されたのもおなじ二〇一一年の九月である)。世界の構造は見え透いているのだから、「想像力をかき立てる」意味深さがあるとすればその対象は、世界内の細部か、あるいは世界構造のさらなる原理など、語られていない外部しかないが、この歌詞を読んでみて(ほんとうは聞かないといけないのかもしれないが)それらを探究したくなるような魅力をそなえたことばなどひとつも見出すことができない。そもそも世界設定にせよ、〈君〉の死に方にせよ、〈病気になりそうなほど/眩しい日差し〉などという比喩にせよ、ひとつひとつのことばのつかいかたにせよ、すべてが紋切り型の範疇で、特殊なものはなにもない。あるのは世界設定と物語だけで、おもしろくもないその物語が語られきっていない、というだけのはなしだ。それがミトのいっている「言葉の強度」の内実だとおもわれ、かれのかんがえによればそれは「ケタが違う」レベルの「鍛錬の仕方、筋トレの仕方」によって獲得されたものらしい。しかしくりかえすが、ここにおもしろかったり、すばらしかったり、なにかしらの「強度」をそなえているとかんじられる「言葉」などひとつもない。なにより、この曲の歌詞には余剰がない。余剰がないのに「想像力をかき立てる」というのもいまいちよくわからないのだが。たぶん「想像力」ということばにおもうものがこちらとはちがっているのだろう。余剰はないが、余剰のないその構造のなかにところどころすきまがあいており、そこが「想像力をかき立てる」ということかもしれない。その「想像力」が向かうさきはしかし、あくまでもその構造内のかくされてみえない部分でしかなく、「想像力」がそれいじょうにひらいていくことはないだろう。
 ここまでうだうだ書いてしまったが、こちらはクラムボンの音楽を聞いたことはいちどもない。あと、めちゃくちゃどうでもよいが、じぶんのなかではクラムボンものんくるEGO-WRAPPIN’がなぜか微妙に混同しあっている。ものんくるだけは『RELOADING CITY』をなんどか聞いたので判別できるが。吉田沙良はまた、二〇一八年の一二月だったか翌一九年の一月だったか、(……)さんにさそわれて渡辺翔太というジャズピアニストを飯田橋に見に行ったさい、そこにゲストで出ていたのでなまで歌を聞いたことがあるけれど、とうじは鬱様態からようやく回復しつつあったころで感受性はまだ鈍りきっていたので、これといった印象がのこっていない。


―――――

  • 日記読み: 2021/8/11, Wed. / 2014/1/28, Tue.

夕食後に皿を洗っていたとき、父親が風呂から出てきて母親とやりとりをするのだが、話題は寝室のガラス戸を開けないでくれみたいなことで、父親がきょう、天気もいいし風を入れなければとおもってたぶんベランダにつづく戸だとおもうがそれをあけはなしておいたところ、母親にはそれが嫌だったのだ。なぜ嫌なのかというと、見られるから、ということで、それにたいして父親はとうぜん、だれに見られるとおもってんの? と疑問を投げかけるのだけれど、その問いを聞きながら皿を洗っているこちらはそう問うても無駄だ、と心中独語していた。こちらもべつのことがらではあるが、いぜんに母親とおなじようなやりとりをしたことがあり、そのとき母親の心理傾向や世界認識を考察してそこそこ理解したからだ。彼女はじっさいに誰かに室内を見られることではなく、だれであれだれかに見られるかもしれないというその可能性が発生していることじたいが嫌なのだ。現実的にかんがえてみるに、ベランダへつづく戸をあけっぱなしにしておいても、両親の寝室内をのぞける可能性があるのはせいぜい隣家の(……)さんが庭に出たときくらいである。あとはやや遠いが(……)さんのところからもしかしたら見えるか、というあたりか、(……)さんやその子が(……)さんの家の脇を抜けるときにでも見えるか、というくらいで、その場合にも位置関係上、ほぼ見えはしないのではないかとおもう。地面からいくぶん高くなっているベランダがてまえにはさまってもいるわけだし。だから現実的な実現可能性としては誰かに寝室内を見られるということはあまりなさそうだし、あったとしてもほんの短いあいだのことにすぎないとおもうのだが、母親は、おそらくどんなに可能性が低かろうと、それが可能であるというその状態そのものが嫌なのだろうと想像する。というか、彼女にとっては、戸があけっぱなしになっていてだれかが覗くことが可能な状態になっているということとじっさいに覗かれるということがほぼおなじなのだとかんがえても良いのかもしれない。そこにじっさいの行為主体が発生するか否かはおおかた無関係である。したがって、このとき父親の問いをさしむけられても母親は、こたえとなる固有名詞を出しはせず、それどころか明確な返答をなにもしないで黙り、それからはなしをなにかべつの話題にそらした。だから、彼女が見られることを恐れているのは具体的な他人ではないのだ。

ここからわかるのは、母親にとっては一種の抽象的な視線としての他者のようなものが観念的に存在しており、それが彼女の心理や意識のなかに強固に内面化されているということではないだろうか。それをまたいわゆる「世間」といいかえてもあまりはずれたことにはならないはずだが、言ってみれば母親はこの不可視の視線としての他者につねに監視されているかのような感覚で生きているのかもしれない。そして、その他者のまなざしは母親にとって、つねに恥の感覚を惹起させ、彼女をある種罰したり、叱ったり、それではいけないと戒めたりするような意味合いを持っている。こうした考察はいぜんも書きつけたことがあり、だからそのときもおもったのだが、おそらくルース・ベネディクトが述べた「恥」の文化としての日本というのはこういうことなのではないだろうか。『菊と刀』をじっさい読んだことがないのでわからないのだが、日本人は(西洋社会にくらべて)世間的規範を内面化してまわりからどう見られるかを気に病む傾向がつよい、という紋切型が、現実のかたちとしてまざまざと母親の言動にあらわれていることにちょっとした驚きをおぼえないでもない。そういう日本文化論は、とりわけじぶんくらいの世代になるとどこまで有効なのかやや疑わしい(とはいえある程度のところまではたしかに有効ではあるだろう)とおもっているところに、(こちらの観察と想像と理解が正当ならば)非常に典型的な例証がひとつ現前しているからだ。寝室内をのぞく現実の他者が発生しそうもないという点に付言しておけば、そうした現実の他者が仮にあらわれたとして、そのひとがどう感じどうおもうかということも、母親には関係がないわけである。これもいぜん同様に記したことだが、寝室(汚れて散らかっているから、と母親は言っていた)やじぶんの生活を恥ずかしいものだとおもっているのは、じっさいには他者ではなくて母親じしんなのだろう。母親自身が、自己束縛的な規範でもって、室内が汚れているのは恥ずかしいとじぶんじしんにたいして感じているのだが、みずからがみずからにむけているその価値判断を、抽象的な視線というかたちで他者に投影しているものだと推測される。しかしここではなしは微妙な部分にさしかかることになる。その「自己束縛的な規範」が、他者(世間)に属するものなのか、母親じしんに属するものなのかがあまり明確に判別できないからだ。部屋が汚れているのは恥ずかしいというこの一価値判断(およびそこから順当に導き出される、部屋を掃除していつもきれいに保っておかなければならないという一規範)が、母親が生まれて暮らして育つあいだに彼女のなかにインストールされたものであることはたしかだろう。だからそれは外部(他者・世間)から彼女のなかにはいってきて根づいたものなのだが、なんというか母親はそれをみずからがみずからに主体的・意志的に課している規範として引き受けられているようには見えない。かといって、それをじぶんには関係のないかんがえかただとしてしりぞけたり無視したりすることもできていない。それはたしかに母親のなかにあるかんがえや観念なのだが、母親はそれをじぶんの統制下に置けてはおらず、むしろ母親のほうがそれに縛られ、統制されることでいくらか苦しめられている。そして母親はおそらく、こうした状況全体をあまりさだかに自覚していないとおもう。家庭内の整頓にかんする規範観念がじぶんにほんとうに適合しているものなのかどうか、ほんとうにじぶんはそれに同意しているのかどうか、それはじぶんじしんのかんがえなのか、たとえばそういう問いを持ったりすることはおそらくない。そして、母親はその規範に忠実に同調して熱心な掃除に邁進し、その命令を十全に果たすこともできず、やはり人間であるから怠けてしまったりほかの事情があったりして室内を十分にきれいにはできず、そうして規範を守れていないということに、大げさにいえば罪の意識をかんじるのだ。これが内面化ということばが意味する状態のひとつの内実だろう。もとの地点にもどると、「自己束縛的な規範」はまずはむろん他者(世間)に属するものだった。そしてそれが母親のなかにはいりこんで定着したのだが、だからといって母親がそれをじぶんのものにできているか、それが母親に所属(あるいは従属)しているかとかんがえると、どうもそうとはおもわれない。したがってそれは侵入的なものであり、イメージとしては一種の異物のようなものとして母親の内部に巣食っているのではないか。イメージをより比喩的にして、それを(月並みではあるが)ウイルスのようなもの、と言ってみても良いのかもしれないが、それがみずからのうちに吸収されきらないものとしてあり、じぶんの思考を規定したりじぶんを多少操ったりしていくらかなりと苦しみの原因になっているということを、母親は明確に対象化できず、それにおそらくはっきりとは気づいていない。さらに微妙なのは、母親のうちに根づいたこの観念と、現在の「世間」一般が一致しているかどうかが問題とはされない、ということだ。この観念は外部の「世間」からもたらされたものではあるのだが、しかしそれはまた母親のうちにはいって固化したものでもあって、だから「世間」から(完全にではないかもしれないが)分離されてもおり、したがって母親は、今度はみずからのうちに根づいたその観念でもって「世間」を見るようになるとおもわれる。「世間」的認識や常識とはこういうものであるというかんがえが無意識的に前提化されてしまい、いま現在の「世間」や社会一般とか、目の前の具体的な他人がどういうかんがえや認識でいるのかということがたしかに見分けらることがない、ということだ。だからときに、じぶんがかんがえている「世間」と現実のそれとのあいだに乖離や齟齬があっても気づけない、ということが起こりうる。

     *

風呂のなかでは瞑想的に静止し、それで再認識したのだけれど、瞑想というのは徹頭徹尾身体的な技法もしくはありかたなのだ。「瞑想」という語は目を瞑ってものを想うというわけだし、また悟りとかのイメージともむすびついているので、ものをかんがえたり、あるいは逆になにもかんがえない状態を目指すだったり、なんらか特殊な精神状態を志向するものだとおもわれがちな気がするが、じぶんの理解ではまったくそんなものではない。それはあくまで身体のことがらなのであって、だから「瞑想」というより「座禅」といったほうが、たぶん用語として実態にちかいのだろう。それはまず第一になにもしないこと、行動を停止することである。第二に、瞑想というのは、その停止状態においてじぶんの身体を感じつづけることだと理解した。そのときに感じつづける対象となる身体とは、まず主には皮膚の感覚である。からだの表面に無法則に生起してはまた消えることをくりかえす無数の感覚(かゆみだったり痛みだったり、風呂場であれば汗が肌をながれていく感覚だったり、ひっかかりだったり、熱感や涼感だったり)をそれぞれにひろいあげて感覚し、認識しつづける。べつにことさらに観察しようとしなくとも、停止状態においては意識の領野がクリアになるからそのひろがりのなかにおのずからつぎつぎと感覚はたちいってくるし、現象学方面で共有されている基本的前提にしたがって意識がつねに志向性をもっていて一度にあるひとつのものしか志向できないとしても、意識それじたいのはたらきにまかせれば、おびただしく無数の生滅のあいだをその志向性はたえまなくうつりわたっていく。だから、イメージとしてはひろがった空間にあちらから知覚刺激がはいってくるというかんじなので、「観察」という語をつかうよりもむしろ「検出」(detect)とでもいったほうがいいような印象で、イメージをより具体的にすればレーダーということになるだろうし、またべつの比喩をつかえば、『HUNTER✕HUNTER』に「円」という念能力があるけれどまあああいったかんじだ(もちろん漫画のようにすごく遠くのものを感じ取るようなことはできないが)。その皮膚感覚からはじまって、さらに体表面ではなくてからだの内側の感覚(筋肉の動きとかそれがほぐれていく感覚とか内臓がうごめくかんじ(空腹時はマジでよくうごく)とか呼吸のそれとか、単純な存在感覚とか)も検知され、そこからさらに拡張的にじぶんのからだをはなれた外界の気配とか音とか空気のながれとかに意識はひろがってゆく。皮膚感覚をふくめた体感覚はきわめて無数で多種なので、非常におおげさないいかたをすれば、瞑想をしているときというのは、みずからの身体がひとつの小宇宙と化すようなもので、その世界のいたるところで起こっている出来事を俯瞰的に見守っている神のような視点に立っている(じっさいには座っているわけだが)といえなくもない。とはいえ、いま便宜的に「皮膚感覚からはじまって」と述べたけれど、じっさいの時間においてさいしょにかならず皮膚感覚にたいして意識が集中されるわけではなく、さいしょのうちにまず外の世界の物音に耳が向いたりとか、それはそのときどきでさまざまである。ただそのなかでも皮膚の感覚が根本的なものなのではないかとじぶんは個人的におもっているし(その根拠は特にない)、またじっさい、どこからはじまるにしても座っているうちに最終的にはじぶんの身体やその輪郭がまとまる、という感じを得るだろう。

ところで瞑想中にあるのはもちろん身体だけではなくておのれの精神もそこに絶えず存在しているわけだが、こちらのほうはといえばなんでもいいわけである。なにかをかんがえていてもいいし、かんがえていなくてもいい。あたまのなかで思考とか独語とか記憶とか表象とか想像とかがとどまるということはふつうに生きている人間においてありえない(あるとしてもせいぜいながくて五秒くらいではないか)。藤田一照が『現代坐禅講義』のなかにたしか他人のことばとして書きつけていたが、人間のそういう精神の作用というのは恒常的な「分泌物」である。つまり唾が出るとかそういうこととだいたいおなじものだということで、これは卓抜な比喩である。だからなにかをかんがえないようにしようとかそういう意図は無駄で無理なものであり(だいいち、そこではすでに「なにかをかんがえないようにしよう」とかんがえている)、精神のほうは端的にどうでもよいというか、ただそこにあってたえずうごいているものとしてただそこにあらしめているだけでいいというようなかんじだ。だからいってみればそれも、じぶんからはなれた外界のもろもろの物事がじぶんの意志とは無関係にそれじたいで勝手に生滅しているようなものとして認識されて、たとえば窓のそとで鳴いている虫の声とおなじ平面にあるものとして同列にとらえられる、ということなのかもしれない。

     *

298~299: 「そうしたすべての文学的な気がかりからまったく離れた境地で、しかもそんな気がかりとはいっさ(end298)い無関係に、突如としてある屋根が、石の上のある日ざしが、ある道の匂が、私の足をとめさせるのであった、というのもそれらが私にある特別の快感をあたえたからであり、またおなじくそれらが、私に何かをとりだすようにさそっているのにどう努力しても私に発見できないその何かを、私が目にするもののかなたにかくしているように思われたからであった」


 2014/1/28, Tue.より。この一段だけまわりとちがって、ひとつの雰囲気やリズムを帯びながらそこそこ書けているようにみえた。

 樹上から照らす陽が林に敷きつめられた落ち葉や枯れ草のひとつひとつに宿り、常ならば特に美しいとも思わないそれらが色彩豊かに描かれた写実画のようにたしかな美を含んで見える、そんな日だった。乾いた枯れ葉の茶であれ、頭上を覆う常緑樹の緑であれ、風雨にさらされてところどころが色あせた竹の深緑であれ、申し訳程度に不揃いに置かれいくらか朽ちかけてもいる木の階段の根元の苔むした薄緑であれ、自然の色はそこにただあるだけですべて必然を持っているように思えた。