2022/8/15, Mon.

 アトランタで電気のコードの先がほとんど見えなくなってしまったことがあった。切り取られて電球もついていなくてわたしは橋の上の掘っ建て小屋で暮らしていた。家賃は週1ドルと25セント。凍てつく寒さの中で必死に何かを書こうとしていたが、たいていは何か飲むものなしではいられなくて、ふるさとのカリフォルニアの太陽の光から遠く離れ、ちくしょう、少しは温まらなければとわたしは思い、手を伸ばして片手で電線を掴んでみたが、電気は来ていなくて、外に出て凍りついた木の下に立って霜で覆われた窓ガラスの向こうのあたたかな室内をじっと見つめていると、食料雑貨店主が女性客にまるまる一個のパンを売っていて、二人はその場に十分ほどいて他愛もない話をし、そしてわた(end58)しはやつらを凝視しつつ、くそくらえ [﹅5] !と悪態をつき、凍てついて雪に覆われて白くなった木を見上げると、その枝という枝はわたしの名前など知るよしもない空以外どこも指していなくて、それがわたしに告げたのだ。わたしはおまえを知らないし、おまえは何者でもない取るに足りない存在だ。そこでわたしはどう思ったのか。もしも神がいるのなら、神がやるべきことは、わたしたちを苦しめ、未来の世界でちゃんとやっていけるかどうかを試すことではなく、今まさにこの時わたしたちのためにいろいろ何でも助けてくれることではないのか。未来はただ悪い予感がするだけだ。シェイクスピアがわたしたちに教えてくれた。そうでなければわたしたちはみんなそこに向かって飛んで行くのではないか。しかし人が全世界を一瞬にして把握できるのは、その口の中に銃の先を咥え込んだ時だけだ。そのほかのことすべてはあてずっぽう、憶測でたわごとでパンフレットだ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、58~59; ジョン・ウェブ宛、1961年1月後半)




 またしてもシャワーも浴びず、歯も磨かないうちにいつの間にかの意識消失ですよ。いちど覚めて消灯したのが何時だったかもおぼえていないが、たぶん三時ごろだったのではないか。そうして朝の六時台に覚めた。疲れでねむってしまうためにおもいがけず実家にいたころよりも格段に早起きになっている。鼻から深呼吸をつづけたり、腹や肋骨周辺や頭蓋を揉んだり。きのうはさすがにながく外出していたためにかなり疲れたとみえて、頭蓋がそうとう固くなっていた。あたまをほぐすのはけっこうたいへんだ。そうして七時一五分だかに離床。こんなにはやく起きたのはひさしぶりのこと。洗面所に行って顔を洗ったがきょうは尿意を感じていなかったので放尿しなかった。出るとガラス製のカップで口をゆすいだり、うがいをしたり。そうして冷蔵庫のつめたい水をステンレス製の黒いマグカップにそそぎ、そうするとペットボトルの水が尽きたので、浄水ポットから足しておく。蒸しタオルは昨晩帰宅後にやろうとおもってレンジで熱したままわすれていたので、それを出してあらためて濡らし、加熱する。そうして額をあたためると寝床へ。Chromebookをひらき、ウェブをちょっと見たあと日記の読みかえし。2021/8/15, Sun.と2014/1/31, Fri.。ほぼまいにち着実に、むかしの日記をいちにちずつすすめられている。よろしい。二〇一四年の日記は、やはりこの前日から記述がすこしましになっている気がする。ぎこちなくかんじられる部分が減って、リズムができているような。したはさいごの二段落。一段落目で遭遇しているのはしたのなまえをわすれたが(……)なんとかだ。やんちゃなほうの男子。(……)の南側の裏、中学校のちょっとてまえの家。二段落目でいっしょに帰っているのは、すこしのあいだおもいだせなかったが、(……)だ(「(……)」というなまえだが、この漢字で合っていたかわからない)。かれはだいたいいつも無表情で淡々としており、ちょっと独特の雰囲気やペースを持っていた男子で、その家はこちらの実家から坂をあがって出口で右に折れる細道をくだったすぐのところにあったので、何回かいっしょに帰ったり出くわしたりしたことがある。中学を卒業して高校に行ったあとも遭遇したことがあり、アニメのイラストを描きたい、専門学校に行くとか言っていたはずだ。じっさいたしか専門に進学したのだったとおもう。

 ほとんど春といってもいいくらいの暖かさで吹く風のなかにも冬の香りは見当たらなかった。たまには違う道を歩こうと思って裏道へ入り、塾の生徒の家の前を通るとそいつがいた。受かった、と開口一番報告するその声にしかしいつもの騒がしさはなく、いくらかの戸惑いとそれよりも大きな安堵がうちに含まれているように思われた。塾とはちがって敬語なのは親に聞かれるかもしれないとの配慮らしかった。別れて中学校の脇の坂をおりて街道よりも下の住宅街を抜けた。アパートや家々のなかにそれと外見上はほとんど変わらずあるスナックは午後三時だというのに営業中の札をつるし、なかからは過度なビブラートとエコーがかかった男性の粘つく歌い声が洩れて聞こえた。坂をのぼってうしろを振りかえると西南の空一面に太陽の白光が広がり、山がその下で青く薄く透きとおっていた。
 都立高校推薦入試の発表日であり、教室内の空気は受かったものと落ちたもので悲喜こもごもだった。昨日のように不安もなく、労働は支障なくこなした。今日までで退職し新しい職場へと移っていく同僚がいるので、その送別会も兼ねて飲み会が企画されていたが、はじまるのは最後の時限が終わったあとであり、そこまで待ってはいられないのでやめる同僚にきちんと挨拶はして帰宅させてもらった。我が家からほど近くに住む生徒と帰路をともにした。勉強のやりかたなどについて相談を受けたり、人生の先達ぶっておせっかいな助言などをしていると、少しの沈黙のあとにつらい、という声が聞こえた。闇に溶けそうなほど小さな声だった。結果はどうあれあと一か月の辛抱だった。星のよく見える澄んだ夜空だった。


 過去の日記を読み終えると(……)さんのブログ。そのあと食事中も読んで、最新の八月一三日分まで一気に追いついた。さいきん冒頭に引かれている木村敏の記述はどれもおもしろい。したのさいごの引用にある「生きているということは自らを絶えず環境との境界として生み出し続けていること」というのはめちゃくちゃよくわかるような気がした。ほんとうにわかっているのかわからないが、なぜかすごく納得感がある。

 個体の生命の「不連続性」に対して、「生命そのもの」を「連続的」と表現することは適当ではないでしょう。そこには連続的に持続するなにものも存在しないからです。連続・不連続というのは、実在の存在者についてのみ語りうる概念です。「生命そのもの」は実在(リアリティ)ではなく、「生きている」という現実(アクチュアリティ)として捉えなければなりません。それで窮余の策として「非・不連続」などという表現を使いました。このリアリティとアクチュアリティという二つのカテゴリーの重要性については、のちに立ち入ってお話しすることにしたいと思います。
 「けっして死なない生命そのもの」の非・不連続性に対して、「個々の生きもの」のもつこの不連続性を、通時的な次元で「死」と呼ぶとするなら、同じ不連続性は共時的次元では「他」と呼ばれることになるでしょう。ここではこの「他」は、人間的「他者」だけでなく、自分以外のあらゆる生きものを含んでいます。こうして、ある意味で「死」と「他」は等価だといえます。共時的観点で視野に入ってくる自分以外の生きものに自分自身の「死」をみるような精神構造が、いわゆる「輪廻」の思想を生んだと考えることもできます。
木村敏『からだ・こころ・生命』 p.39-40)

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 アクチュアリティactualityというのは、英和辞典を引いてみると「現実」「現実性」などの訳語がまず出てきますが、それと同じ訳語をもっているリアリティrealityと比べると、一つの非常に顕著な特徴によってそれとは違った意味をおびていることがわかります。つまりアクチュアリティには、リアリティと違って、「現在」とか「目下」とかの時間的な意味が強いのです。アクチュアルという言葉は、「行為」「行動」を意味するラテン語のactio(英語ではact)から来ていて、現実に対して働きかけている現在進行中の行為、あるいはそのような行為を触発している現実に関していわれる言葉です。これに対してリアリティのほうは、やはりラテン語で「もの、事物」を意味するresから来ています。ということは、それは主として対象的に認識可能な事物側の事実存在(実在)を表すわけで、認識が完了して事実が事実として確認されなければリアリティとはいえません。ただ、一般に使われている用法では、リアリティの中にときどきアクチュアリティが混じり込むことはあるようです。たとえば、遠く離れた出来事といまここでの観察との同時性を表す「リアル・タイム」などという言いかたが、そのひとつの例でしょう。
木村敏『からだ・こころ・生命』 p.41-42)

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 いわゆる調整音楽を構成するすべての音は、このようにしてそれぞれが他の音との関係を「内在」させ、その音自身が他の音との境界であることによってはじめて、音楽全体のなかでしかるべき位置と意味を与えられるのです。この事態は、Aと非Aの差異と関係そのものがAをAとして成立させるという、あるいは、Aはそれ自体Aと非Aの差異もしくは関係であり、Aと非Aの境界であるという、「非アリストテレス的」な論理のかたちで表現することができます(…)。そしてこの論理構造は、ハイデガーが彼のいう「存在論的差異」の構想のなかで、「存在それ自体」と「存在者」との差異こそ「真の存在」だと考えた存在論的な構造と同型なのです。
 これとまったく同様に、あらゆる生きものはその周囲の環境と接触し、他の個体たちと接触することによって生命を保っています。生きものの存在の意味は、生き続けること、生命を保つこと以外にありえません。この意味が実現されるということと、生きものが生きているということとは同じひとつのことであり、生きものが生きているということそれ自体において、生きものそれ自身が自分自身と環境世界との関係になっているのです。
 「生きる」ということは、生きものがそれ自身と環境世界との境界であることを意味しています。そしてこの意味を実現するために、生きものはその有機体を構成する個々の器官を道具として、環境世界とのそれぞれの局面での部分的な相即を維持し続けるわけです。
木村敏『からだ・こころ・生命』 p.47)

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 生きものがそれ自身と環境世界の境界であり、生きているということは自らを絶えず環境との境界として生み出し続けていることだとすれば、生きものに関して内部と外部を区別したり、外界からのインプットと有機体からのアウトプットを考えたりはできないことになります。つまり一般に考えられているのと違って、生命現象は「閉鎖系」だということになります。マトゥラーナバレーラが「オートポイエーシス」の概念を提唱したとき、もっとも受け入れにくかったのがこの「閉鎖系」という考え方でした。しかし、「閉鎖」と「開放」を対立する二つのカテゴリーとして考えること自体に問題がありそうです。境界には、内部と外部の対立がないのと同様に閉鎖と開放の対立もないはずです。生きものは絶えずそれ自身を環境との境界として生み出し続けている、これが「オートポイエーシス」と呼ばれる事態の本来の意味なのでしょう。
 ライプニッツの「モナド」が窓をもたないという一見理解しがたい表現も、モナドそれ自体が窓であるという解釈によって解決するでしょう。モナドそれ自体が世界との境界であり窓であるのなら、窓がさらにその窓をもつ必要は毛頭ないからです。
木村敏『からだ・こころ・生命』 p.47-48)


 ほか、中国事情。

 北門に向けてまっすぐ歩く。まもなくはじまる(……)くんの半社会人生活にからめてお金の話になる。中国人が金銭に対するこだわりが強いというのは一種のステレオタイプだと思っていた、しかし実際にこうして現地で暮らしてみるとステレオタイプでもなんでもない事実だと分かった、ただそう考える理由もいまでは理解できる、社会補償や福祉があまりにとぼしいからだ、特にコロナ禍でそのことが部外者のじぶんの目にもはっきりと見えるようになった、と、だいたいにしてそのようなことをいうと、(……)くんは突発性難聴で入院したときの経験をひいて、ほんの数日入院しただけで一万元(約20万円)もかかった、保険で出たのはそのうちわずか三千元のみ、母親は現在レジ打ちの仕事をしているがその給料と年金と合わせて毎月五千元しかもらっていないと語った。だからなにかあったときに備えてお金はためておかなければならないというので、医療費が高くついて首がまわらなくなるなんてそこだけ切り取ってみればやっぱりアメリカみたいだなと思いつつ、これも常徳におとずれてまもない頃に、たしか(……)ではなく(……)から聞いた話だったと思うが、中国では幼稚園の学費(?)がものすごく高いらしいねというと、(……)くんは力強く肯定した。これだけたくさん土地があるのだし、日本ほど騒音問題に敏感でもないお国柄であるし、幼稚園をガンガン作って値下げ競争させれば、少子化対策にもなるし雇用の創出にもなるだろうに、どうしてそうならないのだろうと不思議だとこぼした。(……)くんもその理由はよくわからないふうだったが、小学校や中学校の義務教育に比べると幼稚園の費用はやはり馬鹿高いらしく、日本でいう保育園みたいな公的なアレがあるのかどうか知らないがとにかく、毎月の給料が5000元かそこらで子どもを育てるなんて絶対に無理だ、一人だけでも厳しいのに二人も三人も産んで育てろなんてめちゃくちゃだといった。ネット上には少子高齢化がこのままもっと進めばいいという声もあるという。そうすれば国が本腰を入れて福祉や教育をもういくらかマシなものにするはずだと考えてのことらしい。


 せっかくはやく起きたからといつもよりそとのあかるさをとりいれることにして、カーテンの左半分はレースもまくって紺色の一枚といっしょにまとめて留め具にとめていた。空はやや希薄ながら水色。窓ガラスの上部は斜めに交差する格子線がはいっており、その向こうに物干し棒がまず走り、そうして電線が何本も空を背景に微妙にちがう角度でかかって、おのおのどこかへとつづいていくさきのみえない道か線路のようであり、なかの三本のとちゅうには接続具なのか白い球体、正確には球ではなくておそらく開口しており、だから小人がかぶるためのヘルメットのようにもみえたが、その白い表面が朝のひかりをわずかに塗られて点となったつやを乗せていた。寝床をはなれたのは九時台後半。椅子にすわって瞑想をはじめたのが九時五〇分。鼻から深呼吸をしばらくやって、それから静止。呼吸をじゅうぶんにやってからだをあたためておくと姿勢がかなり安定する。ちょっとおどろくくらいにしずかな瞬間もときに生じる。からだの感じを見つめ、このくらいかなと顔をこすって目をひらくと一〇時一四分だった。そうして屈伸したり背伸びしたりしてから食事へ。キャベツ、セロリ、レタス、トマト、ハムのサラダに冷凍のメンチカツとパック米。セロリは二本入りのものだとおもっていたら太めのやつが一本はいっていた。これはこれでよい。下端のほうはちょっとだけ切り落として除き、きょうは軸を刻む。キャベツが覆われるくらいにおおくなったのをばら撒く。メンチカツはソースをかけてそれをおかずに米を食うだけだが、なんかうまいなとおもった。食事中はひとのブログを読み、済ますと流しに置いた洗いものはまだかたづけず、きょうのことを書きはじめていま正午をまわったところ。流しを始末し、シャワーを浴びる。きょうはあと、日記をどれだけかたづけられるかが勝負、そういう日だ。


     *


 椅子から立ち上がって流しのまえに行き、食器類を洗って水切りケースにかたづけた。排水溝のカバーや中蓋というか物受けも金束子でこすっておく。流し内の表面も。もう金属臭はぜんぜん立たない。それから洗濯機を準備。ニトリのビニール袋に溜まった汚れものをひとつずつつかみあげてなかに入れていき、スタートして水をそそがせる。そのあいだにもうなくなっていたエマールのボトルに詰替用容器からあらたな液体をそそぎうつす。そうして洗剤を投入するとさいごにじぶんがいま着ていたパンツも脱いでくわえておき、蓋をしめて稼働させると浴室にはいった。湯を浴びる。蛇口をふたつひねって、出てくるものがちょうどよい温度になるまでのあいだはシャワーから出る水で顔をなんども洗う。とくに額のあたりを。そうしてあたたかい湯でからだを流し、首のあたりや耳のうしろなどをこすったりし、からだとあたまをそれぞれ洗うとシャワーをとめて、扉をあけておいてフェイスタオルで全身の水気をぬぐう。それから室前の足拭きマットのうえに出て、扉で身を隠すようなばしょだが、そこでちょっとまたからだを拭いたあとに全裸で背伸びしたり首をまわしたりした。そうしているうちに体表面の水気がけっこう蒸発するので、バスタオルで水気を取ったのはほぼあたまだけで、ぜんぜん濡れなかった。バスタオルはもういちどつかうつもりでハンガーにとりつけて窓辺にかけておき、肌着とハーフパンツを身につけてドライヤーで髪をかわかす。もうもさもさ伸びているので乾きがわるい。マグカップに水を一杯そそいで歯磨きをしていると洗濯が終わったので、口をゆすいでうがいしたあとに干す。天気はほぼ曇りといった感じで空は白いが、もれだしてくるあかるみが宙にみえないわけでなく、窓をあけて洗濯物を物干し棒にピンチでとりつけていると大気にも熱のこもりがかんじられる。風はとぼしい。ないとすら言ってよい。
 それからとりあえずすでにしまえていた八月七日分の記事を投稿することに。ブログに投稿し、そのなかから全部ではないがnoteにも投稿しておく。起きたあとの一段落とか、飯の用意したり湯を浴びたりしているところとかもふくめてしまったが、そんなもんおもしろがるにんげんいないだろうし、字数が増えても読まれないだろうし、むしろ読んだ本の感想とかにしぼったほうがよいのかもしれない。そのあとここまで足して一時四四分。八月八日いこうはさすがにもうおぼえていないから、だいたいやっつけになるな。


     *


 いま八月二一日の午後九時一九分で、この日のことはもうあとなにもおぼえていない。


―――――

  • 日記読み: 2021/8/15, Sun. / 2014/1/31, Fri.

それにしても二〇一六年のじぶんが書抜きしている部分を読んでみるに、やっぱりプルーストの心理解剖ぶりとかその叙述とかってなかなかすごいものだなという感が立った。えがかれているのはメロドラマ的恋愛心理の典型といえばそうなのかもしれないが、やはり分析が詳細にわたるためなのか読んでいても俗悪という感触をうけず、真実味をおぼえさせられる箇所がおおい(全体としてみれば陳腐な心理だとしても、個々の内容のつなげかたとその順序、つまりはひとに理解(や説得や共感)をあたえるまでのながれのつくりかたがうまいのではないか)。スワンが理知的な人間という設定になっているので、けっこう自己分析とか自己相対化をしているのだけれど、じぶんのある感情に評価や判断をくだして、さらにまたその評価や判断を対象化して今度はそれにたいして評価や判断をくだしたりべつの感情をおぼえたり、といったかんじの人間の思考の絶え間なさととめどなさと堂々めぐりとがよくえがかれているようにおもう。スワンはじぶんの恋情が狂ったようなものであるとか、それによってじぶんが不幸になったり苦しんだりしているとか、その恋情もいずれおさまって終わるときが来るだろうとか、じぶんで明晰に認識しているのだけれど、そういう理性的な自己分析をしてもだからといってそれが解決になるわけではなく、オデットへの恋と嫉妬によって苦しめられていることをよく知っていながら恋をやめることはできず、それどころか恋情がなくなって終わることを恐れている。しかし恋によって苦しめられつづけるのもまたつらいので、偶然にオデットが死ぬかじぶんが死ぬかしてこの恋愛状況全体がだしぬけにいっぺんになくなることを他方では夢見ている、という状態で、じぶんで不幸になることを明確に知りながらもしかしそのことをやめることはできず、そちらにむかっていくしかない、というのがスワンのいわば悲劇性なわけだけれど、それはいかにも理性的な主体の醒めた悲劇というかんじで、知らずにあやつられる悲劇(オイディプス)ではなくて知っていながら(むしろ積極的に)あやつられる悲劇という点で、『白鯨』のエイハブ船長の悲劇性をおもいおこさないでもない(積極性の度合いはスワンとエイハブとでけっこう違いがあるだろうが)。


 しかしながら、スワンはちゃんと気づいていた、自分がこうして懐かしんでいるのは落ちつきであり、平和であって、それは自分の恋にとって都合のよい環境ではなかったろう、と。オデットが自分にとって常に不在の、常に自分が未練に思う想像の女であることをやめるとき、彼女に対する自分の気持が、もはやソナタの楽節が惹き起こすのと同じ不思議な不安ではなくて、愛情や感謝になるとき、また二人のあいだに正常な関係がうちたてられ、それが彼の狂気や悲しみに終止符をうつとき、そのようなときにはおそらくオデットの生活にあらわれるもろもろの行為が、それ自体としてはさして興味のないものに思われることだろう――ちょうどこれまで彼が何回となく、そうではないかと疑ったように。たとえばフォルシュヴィルあての手紙を透かし読みした日がそうだった。スワンはまるで研究のために自分に細菌を接種した者のような明敏さで、自分の苦しみをじっと考察しながら、この苦しみから全快するときは、オデットが何をしようと自分にはどうでもよくなるのだろうと考えた。しかし実はこのような病的な状態のなかにあって、彼が死と同じくらいに怖れていたのは、現在の彼のすべてが死んでしまうそのような全快であった。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へⅡ』(集英社、一九九七年)、212)


 彼女の行先が分からない場合でも、そのとき感ずる苦悩を鎮めるためならば、オデットの存在と自分が彼女のそばにいるという喜びだけがその苦悩の唯一の特効薬なのであるから(この特効(end239)薬は、長い目で見れば、かえって病状を悪化させるが、一時的には痛みを押さえるものだった)、オデットさえ許してくれれば彼女の留守中もその家に残っていて帰りを待ち、魔法や呪いにかけられたようにほかの時間とまるで異なっていると思われたそれまでの数時間を、彼女の帰宅時間によってもたらされる鎮静のなかに溶けこませてしまえば、それで充分だったろう。けれども彼女はうんと言わなかった。それで彼は自分の家へ戻ることになる。道々彼は、無理にもさまざまな計画を作り上げ、オデットのことは考えまいとした。そればかりか家に帰って着替えながら、心のなかでかなり楽しいことをあれやこれやと考えるのに成功さえした。ベッドにはいり、明りを消すときには、明日は何かすばらしい絵でも見に行こうという希望に心が満ち満ちていた。けれども、いざ眠ろうとして、習慣になっていたので意識さえしなかった心の緊張をゆるめたそのとたん、ぞっとするものが不意に湧き上がり、彼はたちまち嗚咽しはじめた。なぜこうなったのか、その理由さえ知りたいとも思わずに、彼は目を拭うと、笑いながら自分に言うのだった、「あきれ返った話だ、ノイローゼになるなんて」 それから彼は、明日もまたオデットのしたことを知ろうとつとめなければならないし、なんとか彼女に会うためにいろいろ力になる人を動かさねばと思うと、ひどい倦怠感を覚えずにはいられなかった。このように休みない、変化のない、そして結果も得られない行動が必要だということは、あまりに残酷なものだったから、ある日腹にでき物ができているのに気づいた彼は、ことによるとこれは命とりの腫瘍であり、もう自分は何ものにもかかわる必要がなくなるのではないか、この病気が自分を支配し、もてあそび、やが(end240)て息の根をとめてしまうのではないかと考えて、心の底から嬉しくなった。事実このころには、自分でそれと認めたわけではないにしても、よく彼は死にたくなることがあったのだが、それは苦痛の激しさを逃れるというよりも、むしろかわり映えのしない努力をつづけたくなかったからであった。
 (239~241)


 ときとして彼は、朝から晩まで家の外にいるオデットが、路地や広い道路で何かの事故に遭って、苦痛もなしに死んでくれたらと考えた。けれども彼女がかならず無事に戻ってくるので、人間の身体がこんなに柔軟で強靭であること、それをとりまいてさまざまな危険があるにもかかわらず(ひそかにオデットの死を願って、危険を数えあげるようになって以来、スワンは無数の危険がころがっていると思っていた)、いつもこれをことごとく巧みに防止し、その裏をかくものであること、こうして人間が毎日、ほぼなんの咎めも受けずに、欺瞞の仕事や快楽の追求に耽っていられることに、すっかり感心してしまった。そしてスワンは、あのマホメット二世、ベルリーニの描いたその肖像画が彼は好きだったが、そのマホメット二世の気持を自分の心のすぐ傍らに感じるのだった。この人物は、自分の妻の一人に狂気のような恋を感じはじめたと思ったので、ヴェネツィアの彼の伝記作家がナイーヴに伝えるところによると、自分の精神の自由をとり戻すためにその妻を短刀で刺し殺したのだった。それからスワンは、こんなふうに自分のことしか考えないのに腹を立てた。そして彼がこれまでに覚えた苦悩にしても、彼自身がオデットの生命をこれほど軽視している以上、なんの同情にも価しないもののように思われるのだった。
 (307)


 「(……)ね、オデット、こんな時間をいつまでも長引かせないでおくれ。これはぼくら二人にとって拷問だよ。その気になればすぐ片がついて、きみは永久に解放されるんだ。ね、そのメダルにかけて、いったいこれまでにこういうことをやったかどうか、言っておくれ」
 「だって、知るもんですか、わたし」と彼女はすっかり怒って叫びだした、「ことによったらずっと前、自分でもしてることが分からずに、たぶん二度か三度したかもしれないけれど」(end320)
 スワンはありとあらゆる可能性を検討していた。だがこうなると、あたかも頭上の雲のかすかな動きと私たちをぐっさり突き刺すナイフの一撃とが何の関係もないように、現実は可能性とおよそ無関係なものになる。なぜならこの「二度か三度」という言葉が、生きたままの彼の心臓に一種の十字架を彫りつけたのだから。奇妙なことに、この「二度か三度」という言葉は単なる言葉にすぎず、空中で、離れたところで発音されたものなのに、それがまるで本当に心臓にふれたかのように心を引き裂き、毒でも飲んだようにスワンを病気にさせることができるのである。スワンは知らず知らずにサン = トゥーヴェルト夫人のところで耳にしたあの「こんなにすばらしいものは、回転テーブル以来見たことがございません」という言葉を考えていた。いま彼が感じているこの苦痛は、彼がこれまでに考えたどんなことにも似ていなかった。それは単に、このとき以上に何もかもすっかり信用できなくなった瞬間でさえ、こんな不幸にまで想像を及ぼすことは稀だったから、というだけではない。たとえそのようなことを想像したときですら、それはぼんやりとしていて不確かで、「たぶん二度か三度は」といった言葉から洩れるような、はっきりとした、特有の、身震いするようなおぞましさを欠いており、はじめてかかった病気と同じように、これまで知っているどんなものとも異なったこの言葉の特殊な残酷さを持ってはいなかったからだ。にもかかわらず、彼にこういった苦痛のすべてを与えるこのオデットは、憎らしい女に思えるどころか、ますます大切な人になってゆき、それはあたかも苦痛が増すに従って、同時にこの女だけが所有している鎮痛剤、解毒剤の価値も増加してゆくかのようだった。彼は、まるで(end321)急に重病と分かった人に対していっそうの手当をするように、もっと彼女に心をかけたいと思った。彼女が「二度か三度」やったと語ったあのおそろしいことが、もう繰り返されるはずのないものであってくれと願った。そのためには、オデットを監視する必要があった。よく言われることだが、友人に向かってその愛人の犯したあやまちを告げると、相手はそれを信じないために、ますます相手を女に近づける結果にしかならない。だがもしその告げ口を信じた場合は、さらにいっそう相手を女に近づけることになるのだ! それにしても、いったいどうやったら彼女をうまく保護できるだろう、とスワンは考えた。たぶん、ある一人の女から彼女を守ることくらいはできるだろうが、しかし何百人という別の女がいるのだ。そして彼は、ヴェルデュラン家でオデットの姿が見えなかった日の晩、他人を自分のものにするなどという絶対に実現不可能なことを欲しはじめたあのときに、どんな狂気が自分の心を通り過ぎたかを理解した。(……)
 (320~322)

     *

(……)ほかに興味深かったのは(……)がさいきん中国人に聖書をおしえているということで、それをもっとうまく説明したいという意欲でもって中国語の勉強もけっこうがんばっているらしく、聖書の内容を中国語で説明できんの? ときいたら、わりとできる、と言っていたので、それはすげえなと受けた。また、中国人のひとが聖書とかキリスト教をまなぼうとするきっかけってどういうかんじなの、っていうのは、中国共産党ってキリスト教を弾圧してるじゃん? だからそのひとたちが中国に帰ったらやばいじゃん、っておもったんだけど、と聞いてみると、日本に来ているからにはやはり中国社会に馴染めずに違和感をいだいて、なにかをもとめて日本に来ているというひとがわりと多いといい、いまの中国は拝金主義というかとにかく金を稼ぐという価値観がけっこう支配的らしく、貧富の格差も相当になっていて、そういうなかで適合できずほんとうに大事なものはなんなのかとか、やはりまあ実存的疑問をいだいて聖書をまなんでみたい、という動機のひとがあるようで、じっさいに聖書をいっしょに読んでおしえてみると、ここに書いてあることはほんとうにそうだとおもう、わたしのおもいやかんがえとまったくおなじことが書かれている、という反応がかえることがけっこうあるという((……)の体感としては、日本人におしえてどうおもいますかと意見をもとめても、そのひとの自由だとか、好きにすればいい、まあいいんじゃないですか、とかいうこたえがかえることがおおく、このじぶんがどう感じるかどう思うかというのを明確に述べないことがおおいのにたいし、中国人は、わたしはこうおもう、こうかんじる、ここに書いてあることにわたしはとても賛成だ、といったことをはっきりと言明する傾向があるようにおもう、とのことだった)。そういうはなしを聞いているとちゅうでこちらは笑ってしまったのだが、というのは、共産主義というのはもともとは貧富の差をなくしてみんな平等な社会をつくろうという思想だったはずなのに、共産主義を標榜しているはずの現在の中国ではむしろ金を稼ぐことが支配的目標になっており、そのために中国が批判している資本主義社会とおなじくらいかもしかしたらそれ以上の貧富の格差も生じており、そこに堪えられないひとはもっと大切な内面的価値のようなものをもとめてほかならぬその資本主義国に脱出してくる、という状況全体の矛盾やアイロニーがおもしろくおもえてしまったからで、そのことを説明すると(……)も、いやほんとに、矛盾してるよね、と同意していた。

     *

Ronald Purser, "The mindfulness conspiracy"(2019/6/14)(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2019/jun/14/the-mindfulness-conspiracy-capitalist-spirituality)も読了。マインドフルネスから一時ひらいて、ネオリベラリズム一般のイデオロギー的支柱もしくは原理(すべてを原子的な個人の領域に還元するとともに市場および資本の論理に従属させるので、社会変革の活動としても集団的なものを好まず、その領域をないがしろにし、たとえば環境問題(ゴミによる環境汚染などで、いまでいえばプラスチックによるそれ)にせよ個々人の行動によってのみ状況を変えられるというテーゼを強力に主張して消費者ひとりひとりの責任を問ういっぽうで、プラスチックを大量に生産したりつかったりしているはずの企業の責任は不問にふされたり、あまりひかりをあてられなかったりするというわけで、この原理のもとではスピリチュアリティとか精神的・感情的なことがらもやはりおなじように孤立化・個人化させられて、社会的・外的な要因が考慮されないまま、個人の努力やとりくみや生活改善によって精神的・感情的問題も解決できるとされてしまう、というのが筆者の論旨であり、とうぜんそこからはその裏面として、じぶんの精神を涵養しおちついたこころをえようとしたり感情マネジメントとかを実践しないのはそのひとが悪い、というかたちでまさしく「自己責任」の論理が精神領域にも適用されてしまうというわけだろう)を概説するぶぶんはけっこうおもしろかったのだけれど、ほかの箇所はだいたいきのうの記事に要約したような内容をほぼそのまま何度もくりかえすような記述になっており、具体的な事例や現場を詳述したりとか、もうすこし掘り下げるようなことをしてほしかった感はある。