2022/8/16, Tue.

 それならばわたしはこの賞がわたしの喉元から刃先を遠ざけ続けるようなことにならないようにと願うばかりだ、そうなってしまうかもしれないが。それでも乾いたダリアを血まみれにさせたのはわたしよりもましな男たちだ。わたしは自分自身やほかのあらゆるものの上にもう少しだけでも光をあてられるものをこれからも叩き出せることを願っている。
 狂気から必死で逃れようとすることだけではなく、もちろん、このこともまたアーティストの目的のひとつだ。概して、あることに関してどれほど悲観的、分析的、もしくは厳密になろうとも、闘いはどこか気高いもので、いつでも死は完全には切り離せず、(end81)泣いたり笑ったり怒ったりする中で、わたしたちは愛のベッドでの自分たちの愛や夜のかけらや墓石以外に、刻み目や道のり、何かしがみつけるもの [﹅8] を少しは築き上げて来たと考えずにはいられない。[…]
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、81~82; ジョン・ウェブ宛、1962年9月14日)




 七時半ごろに覚醒。やや暑い。布団を半端にどかして呼吸しながら腹や胸をさする、もしくはこする。肋骨をさすってあたためるとなんだかおちつくしわりときもちがよい。腰のほうなどもよくさすりながらゴロゴロすごし、八時二五分ごろ離床した。紺色のカーテンをあけるときょうも曇天。それでも朝のあかるみが薄暗かった部屋にしみるので、レースのほうも半分ひらいて空をときおりみやりながら、すこしのあいだ布団のうえで脚をさすった。そうして洗顔や用足し、飲水や蒸しタオル。布団に帰るとChromebookでウェブをみまわり、過去の日記の読みかえし。一年前の八月一六日はカブール陥落がつたえられた日。

帰宅後やすんでから零時をまわって飯を取ったが、夕刊を見るに一面でアフガニスタン首都カブール陥落、政権崩壊とおおきくつたえられていたので、マジかよ、すごいことになったなとおもった。時間の問題という印象はあったものの、こんなにはやいとはおもわなかった。タリバンの戦闘員が大統領府に侵攻してすみやかに制圧したらしく、ガニ大統領の執務室を占拠したといい、その執務室なのか、府内の一室に銃をたずさえた髭面の戦闘員たちがあつまって我が物顔に座ったり立ったりいるなかで、役人なのかなんなのかひとりだけワイシャツにスーツの格好の男性がなんともいえないような表情で立ってたたずんでいる写真が載せられてあった。アル・ジャジーラが制圧のようすを中継したらしい。ガニ大統領は飛行機で国外逃亡。行き先はウズベキスタンだとかタジキスタンだとか。カブールにタリバンがはいったあと戦闘はほとんど起こらなかったようすだといい、治安部隊が展開していたのだけれど彼らはほぼ投降するようなかんじでタリバンを止めず、事実上の「無血開城」になったとのことだった。この翌日の朝刊で読んだ情報もここにもう付加しておくと、二五歳のある治安部隊員は上官から、もうタリバンが勝つから戦っても無駄だ、抵抗するなという指示をあたえられて、その言にしたがい、銃などを黙って手渡したとのこと。そのひとは、みんな戦おうとしないのにじぶんだけ戦っても意味がない、と言っていた。アフガニスタン政府の治安部隊は三〇万人おり、タリバン側は一〇万人規模なのだけれど、じっさいにはそういうかんじで投降したりたたかわずに敗走したり積極的にタリバンを支持したりしたケースも多かったようで、それは兵隊だけでなく、場所によっては州知事が花束をわたしてタリバンをむかえて州都を明け渡す、というところもあったらしい。アフガニスタン政府の求心力が相当に低かったということだろうし、またつよい権力を得そうな側につこうとする、長いものに巻かれる式の魂胆をもった役人もたくさんいたということなのだとおもうが、住民らは女性の自由や娯楽などを制限したり逆らう市民を公開処刑したりしたかつての極端なイスラーム主義支配が復活しないかととうぜんおびえており、難民もすでに数多く出ているわけだし、またカブールの空港には国外脱出をこころみるひとびとが殺到して飛行機によじのぼるという騒ぎになったり、その騒動のなかで銃撃があって五人くらい死んだりしたという。タリバン側は国外に逃げる市民を止めはしないと言っており、また平和的な権力の移行を望むこと、そして住民の生活と安全を守らなければならないという意志を表明しているものの、果たして、と。バイデンは米軍撤退の意向を崩さず、米兵の臨時増派を六〇〇〇人に増やして大使館員も退避させようとしており、ほかイギリスなども同様に大使館を閉めるか縮小するかのうごきにむかっているようだが、そんななかロシアとトルコは駐在をつづける見込みで、この二国はおそらくタリバン政権を承認することになるのだろう。

 勤務からの帰路では、「生活のなかでいちばんおちつき安息や自足をかんじる瞬間というのは、寒い季節はのぞくけれどそとをあるいていて風のながれに触れられるときではないかとおもう」といつもながらの言。二〇一四年の記事は二月にはいってついたちのものだが、「日記を読みかえすと言葉がどれもこれも空虚に思われてしかたがなかった。書いたときにはうまく書けたと思った文章でも、三日も経てばもう何の価値もなくなったように見えてしまう。そこからしばらくのあいだは自分なりに試行錯誤しながら欲求不満の日々を送り、ある日突然、今日は書きたいように書けたという手応えを得る。そして三日経つとまた欲求不満におちいる、そんなことを数ヶ月ずっとくり返して来たような気がする」と屈託している。
 日記を読みかえしたあともなにかちょっとだけ読んだ気がするのだけれどわすれた。一〇時にいたって離床。背伸びをしたり屈伸や開脚をしたりして、一〇時九分から椅子のうえに乗って瞑想をした。けっきょく呼吸を意識するもしないも、静止するもしないも、そのときのからだの感じにしたがえばよいのではないかとおもった。それできょうはさいしょに深呼吸をすることはせず、かといってなにもしないような状態にとまろうともせず、なんかしぜんな感じの呼吸と持続にまかせる。二〇分ほど。それからまたちょっと背伸びしたりとかして食事へ。キャベツ、セロリ、トマト、大根、ハムのサラダ。セロリはおおかた葉っぱの部分に軸がちょっとだけついたのがのこっていたのをつかいきる。葉っぱもさきのほうはもう黄色くなっていたし。その他冷凍のメンチカツ一個とシュウマイ二粒。米は食わず。
 食後は食器類を洗い、洗濯。そのまえに窓辺にかけてあった洗濯物たちをハンガーから取ってたたみ、始末した。それから水が溜まっていく洗濯機のまえでパンツ一丁のかっこうになって背伸びをしながら待ち、溜まって洗剤をいれるとじぶんが履いていたパンツもさいごにくわえて蓋を閉じ、浴室へ。きのうは用無しの日でいちにち部屋にこもっていたにもかかわらず、夜半あたりから急激に疲労におそわれて、またシャワーを浴びられなかった。それなのでここでからだを清潔にし、済ますとまたフェイスタオルで全身ぬぐったあと扉の陰でちょっと待って体表面の水気を蒸発させて、バスタオルであたまを拭くと肌着とあたらしいハーフパンツを身につけた。ドライヤーであたまを乾かす。それから歯を磨いたりなんだりしていると洗濯が終わったので干す。天気はよくはないものの、窓をあければ大気に熱はあり、風もときおり高いうなりを立てることがあった。予報を見ても降ることはなさそうだ。というか、三時前には出かけるのでもとよりそうながく出しておくつもりはなかったが。それで一二時半ごろ。きょう着ていくシャツとハンカチにアイロンをかけたのがさきだったか否かわすれたが、外出まえに太ももをほぐしておきたいという気になったので、寝転がって踵を太ももにちょっと押すようにすべらせて肉をやわらかくした。胎児のポーズもあいまにやったり。そのあいだに読んでいたのはハイパートレーニング英語長文3で、Unit6まで行ったのだったか。つぎの(……)くんの授業までにできればぜんぶ読んでしまいたい。また、添削もしなければならない。ところで横になっているあいだに気づいてシフトを確認したが、職場は一八日から休みが明けて再開するのだけれど、こちらの勤務はその翌日一九日からなのだ。休みは一七日までだとばかりおもいこんでいたので、ちいさくすくわれた気がした。そうして一時をまわって起き上がり、ここまで記すと二時を越えた。どうも胃の感じがよくない。そこから来ているのだろうが喉に詰まるような感覚もあったので、みぞおちやそのしたあたりをよく揉んでみるとけっこうすっきりはした。そろそろ準備をして出かけなければならない。
 

     *


 さて、いま八月二三日火曜日の午後一〇時一五分である。この日からすでに一週間経っている。やっつけでなるべく手短にかたづけたいとおもうが、この日は三時ごろから(……)で(……)の三人と会った日である。三時に駅通路の壁画前で待ち合わせて合流。前日だか前々日に(……)からLINEで、今年は七月四日の(……)の誕生日に祝うのをわすれており、それに気づいたのでこの日プレゼントをあげたいと伝えられていた。(……)にでも行ってなにか服を買い、そのほかみんなでケーキを食べようかとのことだった。こちらはこちらでなんか買ってやるかとおもったが、(……)がLINEで、わるいことをした、一六日当日に会ったときに謝ろうとおもうと言ってきたのには、もう事前に言っといてもいいとおもうけどね、と受け、誕生日は偏在するって言っときゃいいんじゃない、誕生日は神とおなじで偏在者だから、って、とてきとうなことを返しておいたのだが、それにしたがってかのじょは夜のうちに((……)は一四日から(……)家に泊まっていた)謝ったようだ。もうわれわれくらいになれば誕生日なんて一年のうちいつ祝ったってよいのではないかとおもう。
 それでまず(……)へ。電気屋のうえ。エスカレーターであがっていき、入店して(……)にあげる服を見繕う。ジャケットをあげたいと(……)は言っており、そのへんの品を見分して(……)もたしょう羽織ったり。しかしいい感じのサイズがないということで、(……)くんがオンラインで注文することになった。大阪のほうの店舗で受け取る設定にして、ちょうどきょう(二三日)、(……)は閉店時間ギリギリにゲットしたようだ。そのほか(……)が会社の株主総会で受付をやることになったらしく、かのじょもジャケットをちょっと見る。さいちゅう、女性物はやっぱ色味がたくさんあっていいなあともらしていると、ズボン(あいかわらずボトムスのことを「パンツ」という気になれない)がならべられた棚にひとつ、ビリジアンみたいな真緑のやつがあって、このあいだ駅前であのいろのズボン履いてるひと立て続けにふたり見たわ、とはなしたのだけれど、このあと街に出ているあいだも各所で同色のズボンやトップスなど身につけたひとをほんとうに何人も見かけて、たぶんぜんぶで八人くらい見かけたとおもうのだけれど、見つけるたびに、またあの緑だ、またあの緑着てるひとがいる、とみなに笑いながら報告した。
 その後駅にもどって、駅ビルの地階でケーキを買うというので、こちらはこちらで(……)の「(……)」で買ってこようといったん別れ。店に行き、土産などにけっこうよく買っている品だが(……)にはクッキー詰め合わせである「プティガトー」を買うことにして、そのほか(……)家にもついでになにかやるかとおもい、甘いものというよりなにか日々の食事とか料理につかうようなものにしようということで見分し、牛肉のしぐれ煮とかでもよかったがここはひとつ味噌をあげてつかってもらうかということで、いくつかならんでいるなかから赤だしのやつをとりあげた。後日(……)から礼が来たのでどんな感じだった? と聞いてみたところ、「濃くて奥行きがある味わいだ。鱈と野菜を赤味噌で煮込んだのだがはっきりした味で、ご飯が進む」とのこと。さいごにこのあとモノレール下に行くからそこでみんなで食えばよいのではとおもって、高野フルーツパーラーのちいさな粒のチョコレートがたくさんはいった袋もくわえて会計。紙袋を提げてもどる。もどるというか、駅ビルの地階へ。携帯に連絡が来ているかもしれないとはもちろんおもっていたが、あえて見ずにフロアをてきとうにうろついて合流できるかどうか試すことに。それでガラス戸をくぐってすすんでいると、しかしわりとすぐに見つかった。ケーキはすでに購入済みだったのでモノレール下広場へ。
 すこし奥のほうへ。といってもぜんたいのながさからするとたぶん半分くらいの地点か? そこにちょっと段もしくは壇のようになったところがあるので、そのうえに陣取る。(……)は持ってきたシートを敷いて座り、男どもは地べたにそのまま座る。周囲にはベンチがふたつだかあって、そこにもときどきメンツが変わりながらひとが座っていた。こちらはさっそくアコギをとりだしていじってあそぶ。いつもどおり似非ブルースをてきとうにやるだけ。(……)くんももってきていたのでてきとうにあわせたり。ケーキも食す。皿とか器がなかったのでケーキ(たしかマロニエの品だったはず)がはいっていた紙箱を解体して分割し、それに載せる。こちらがもらったのはモンブラン。さっさと食い終わっていると(……)が水がほしいというので、こちらも喉が乾いていたし、おれが買ってこようかと言って一〇〇円玉をもらい、すぐそこに見えていた(……)のFamily Martへ。一〇〇円で買えるやつがあるとのことだったが、見てみるとたしかに九六円だかのがあって、霧島連山の水ともうひとつなんだったか、新潟あたりのものだったかわすれたが、それぞれ硬水と軟水のやつがあったのでこれでいいやと二本取り、それを持って帰ってどっちがいいと選択肢をあたえた。(……)が取ったのは軟水のほう。
 (……)は五時半ごろには(……)を出るというはなしだったが、なんだかんだけっきょく六時すぎまでいた。そのあいだこちらはほぼずっとギターであそんでおり、(……)が(……)に英語の発音をアドバイス、かのじょはこのあいだこちらが歌って録った音源を聞いていいかたを確認し、ここはどんな感じかとかきかれればこちらもそれにこたえる。そうしてひととおりその確認が終わると(……)は帰ることになり、駅まで見送りに。別れを交わして三人になったあと、どうするかということで、こちらがいまだに大皿とおおきめの木製皿と椀の三つしか食器をそろえていないことを知った(……)は食器見に行こうよと言ったが、そういう気分でもなかったのできょうはいいよとことわった。ふつうにまたモノレール下でも行って駄弁っていられればそれでよかったのだ。そういうわけで「(……)」で寿司を買ってそとで食うことに。店に移動。もろもろ省略するが買ってまたモノレール下広場に踏みこみ、とちゅうにあった段(さきほどの場所とはちがい、もっと手前で、ここは昨年の七月に(……)くんと『アメリカン・ユートピア』を見たあとにもたむろしてかれがバレないようにと喫煙したばしょだが)の階段に腰掛けて食す。海鮮ちらし丼。しかしここは(……)の従業員出口そばで、勤務を終えたらしきひとがよくとおったので、邪魔になるからと食べ終わるとすぐに移動。それで(……)に行くことに。ふたりとも行ったことがないという。こちらもいぜん(……)と行ったいちどだけだが、なんか植物がたくさんあって、ホールもあって、とはなす。それでまたFamily Martに寄ってから行き、あがってみると広場にやはり植物がたくさんあり、座席もたくさんそろえられている。すでに宵にはいっていたのでそんなに混んでいなかった。座席にはじゅうぶんな空きがあるというかむしろひとのいない席のほうが多い。たしか池があったはずと言ってあるいているとあったので、そのまえのながいベンチに座ることに。まわりには草木がたくさんあるのでリンリンリンリン秋の虫が鳴いており、敷地内は薄暗く、われわれが座ったベンチは足もとから間接照明の灯がもれだしており、池の水には向こうにある店舗の看板などのひかりといろがうつりこんで、ロケーションとしてはクソロマンティック&センチメンタルみたいな感じなので、カップルで来たらいいだろうね、あの池にうつってるひかりを見てきれいだねーとかいいながら愛を語らうわけでしょう、と皮肉る。
 そこで駄弁ったりギターを弾いたり。さいきんは(……)がてきとうにお題を出して(……)くんがそれを即興で表現するということをよくやっているらしく、このときも「夏の夜」とか「砂漠」とかかのじょがいうのに(……)くんがすぐにてきとうにバッキングやフレーズをつくって曲にしていた。こちらは「果たしてわれわれはここからどこへ行けるのだろうか」という似非哲学者みたいなタイトルを即座に提出し、(……)くんは応じて短五度をはさみつつ四度進行をくりかえしだしたので、しばらく聞いてキーをさぐり、つかんだあとこちらも乗っかった。ペンタに沿っててきとうにやるだけ。(……)くんがふつうにジャストで八分を弾きつづけているのに、なぜかわりとはやい段階でシャッフルで弾きだしてしまった。だいたいのところうたいながらアドリブしたのだけれど、あとで(……)が携帯で録った音源をおくってきたので聞いてみたところ、まあまあうまくやっている気がする。これはふたりに聞いてOKだったらブログにあげてお聞かせしよう。こんな感じでたのしくあそんでいる。



 そのあとまたブルースをふたりでやってけっこう盛り上がったのだけれど、とちゅうで警備員がすみません、と声をかけてきて、敷地内での楽器演奏はご遠慮くださいと注意されたので、すいませんと謝って終了し、そこからはてきとうにくっちゃべった。こちらはきのうだかおとといだかBBCで読んだDhaka Muslinのはなしをしたり。それは(……)が履いていた花柄のロングスカートに足もとの間接照明があたって透けていたからである。
 それでもってわりとはやく、八時台のうちだったかとおもうが、帰ることに。帰路はわすれた。家についてもまだ九時を過ぎたばかりだった記憶がある。



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  • 日記読み: 2021/8/16, Mon. / 2014/2/1, Sat.


 2021/8/16, Mon.より。

帰路を先につづると、この日はあるいた。もともとあるく気分になっていて、傘を持ったのもそのためである。夜空は全面雲に占められているので星はむろん見えないし乱れのない灰色の一様性につつまれているのだが、その色は硬いわけでもなく粘土というような停滞感でもなく、方角と高さによっては青味がほんのかすかながら透けてかんじられるような気もされ、浸透的なひろがりかただった。裏通りにはいってまもなくぱらぱら散るものがはじまり、その後帰宅までずっと散ってはいたようだが、降るという段階にまでいたらず、傘を差すほどのことではなかった。白猫は車の下に不在。裏道を往路とおなじくかなりだらだらあるきながら、きょうは道がながいとかんじられ、それはひさしぶりに外出してあるいたこともあろうし勤務の疲労が足を覆っていることもあろうが、その道のながさが苦ではなく、心境と齟齬を生まずに調和しており、こころおちつくようだった。しかしとりわけおちついたのは街道の終わりちかくで微風が生まれてそれに顔をなでられたときで、生活のなかでいちばんおちつき安息や自足をかんじる瞬間というのは、寒い季節はのぞくけれどそとをあるいていて風のながれに触れられるときではないかとおもう。