2022/8/18, Thu.

 (……)タイプライターにまっさらな紙を差し込みながら時々考えることがある……おまえはもうすぐ死ぬ、わたしたちはみんなもうすぐ死ぬ。死ぬのは今それほど悪くないことかもしれないが、せめてまだ生きているうちは、自分の中の創作の泉がまだ涸れていないのならその水を使い切って生きるにこ(end85)したことはなく、どこまでも誠実でいるなら、トラ箱に放り込まれることも十五回や二十回はあるだろうし、何度か失業したり、一人か二人、妻と別れることもあるだろうし、もしかすると通りで誰かを殴ったり、時々公園のベンチで眠ったりすることもあるだろう。そして詩を書くということになれば、キーツやスウィンバーン、シェリーのように書こうなどとあれこれ思い煩うこともないだろう。もしくはフロストのように振舞おうなどと。強強格、字数、あるいは語尾が韻を踏んでいるかどうかなどあれこれ思い煩うこともないだろう。厳しく、ありのままに、そうでなければ、言いたいことを確実に伝えられるどんなやり方ででも、ただ書き記したいだけだ。(……)
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、85~86; ジョン・ウェブ宛、1962年10月後半)




 目覚める。部屋は薄暗い。そとの保育園から門がひらくときの電子音や子どもや保護者や保育士らの声が聞こえてきたり、カーテンの向こうからのあかるみの漏れ具合だったり、じぶんのからだの感覚だったり、そういったところからたぶん九時ぐらいかなと推しはかる。そうして携帯をみるとじっさい九時過ぎだった。布団をからだのうえで半端につぶしつつ鼻から深呼吸。しかしからだはたいしてこごっていない。すでにわりと通気がなめらかではある。腹をちょっと揉んだりするともうすぐに起きてしまうことにして、九時二五分にからだを起こした。カーテンをあける。このときはまだ雨がしとしと降っていたとおもう。空は雲でおおわれていたし空気は灰の気味がつよく、よくみなかったがしたの道路も濡れていたとおもう。洗面所に行ったり水を飲んだりして、寝床にもどるとChromebookで日記の読みかえし。きのうサボったので一年前の八月一七日と一八日をまとめて。熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』からの引用がおもしろい。また、プルーストからはしたのぶぶんが目にとまった。

519~520: 「しかし、彼の恋はじつは肉体的な欲望の範囲を越えたひろがりをもっていたのであった。そこにあってはオデットの身柄さえ、大した場所を占めてはいなかった。彼の目が机の上のオデットの写真に出会うとき、または彼女が訪ねてくるとき、彼は肉体としての顔、または印画紙の顔と、彼のなかに住みつづけている苦しい不断の混乱とを、同一のものとは思いかねるのであった。彼はほとんどおどろきに似た気持でひとりつぶやくのだ、「これが彼女なのだ」、あたかも突然目のまえに、自分の病気の一つを、(end519)とりだして見せつけられ、それが自分の苦しんでいる病気とは似もつかないものだと知ったときのように。「彼女」、それは一体何か、と彼は自分にたずねようと試みた、というのも、ある人間の現実がとらえられずに逃げさってゆくという懸念のなかで、その人間の神秘にたいするわれわれの疑問をさらに深めさせるのは、恋が死に似ているからであって、つねにくりかえしいわれるように、ほかの何かに漠然と似ているからではないのだ」

 目にとまったのはたんに「ある人間の現実がとらえられずに逃げさってゆくという懸念のなかで」というように、「逃げさってゆく」ということばがつかわれていたからで、というのも『失われた時を求めて』の、第何章だったかわすれたがアルベルチーヌとの恋愛事情を主としたあたりは「逃げ去る女」という題がついていたからで、第一巻で語られるスワンの恋愛がそこで展開されるテーマやことの消息をあきらかに先取りしている、予告的に提示しているということがこの一語にも見て取られるとおもったからだ。ついでにいうとこれはきわめてレヴィナス的なテーマでもあるはずで、じっさいレヴィナスじしんも『失われた時を求めて』をじぶんの他者論と関係づける方向で論じていたとおもうし(その文章じたいを読んだことはないが)、ちょうどこの日引かれていた熊野純彦の本の記述をみてみてもつうじるぶぶんがふくまれているようにおもえる。
 翌一八日にメモされていたプルーストのなかからはつぎの箇所。

581~582:

 (……)そしてこのことがスワンにわかって、彼が、「これはヴァ(end581)ントゥイユのソナタの小楽節だ、きくまい!」と心につぶやく以前に、早くも、オデットが彼に夢中になっていたころの思出、この日まで彼の存在の深いところに目に見えない形でうまく彼がおしとどめていたあのすべての思出がよみがえり、それらの思出は、恋の時期をかがやかせていたあの光がまた突然さしてきたのだと思いこみ、その光にだまされて目をさましながら、はばたきして舞いあがり、現在の彼の不幸をあわれみもしないで、幸福の歌の忘れられたルフランを狂おしげに彼の耳にひびかせるのであった。
 「ぼくが幸福だったとき」、「ぼくが愛されていたとき」といった抽象的な言葉を、彼はこれまでしばしば口にして、それで大した苦痛を感じなかったのは、彼の理知が、過去から何も保存していないものをいわゆる過去の精髄だと称して後生大事に残していたからなのだが、そうした抽象的な言葉ではなくて、いま彼が見出したのは、あの失われた幸福の、特別な、蒸発しやすいエッセンスを、ことごとく永久に固定しているものなのであった(……)

 これも同様のはなしで、「いま彼が見出したのは、あの失われた幸福の、特別な、蒸発しやすいエッセンスを、ことごとく永久に固定しているものなのであった」という一節がさいごにあるけれど、『失われた時を求めて』の最終章は「見出された時」というタイトルだったはずである。そこでじぶんの文学を製作するという野心をあきらめかけていた話者は、たしかひさしぶりに行ったゲルマント家で嗅いだ糊のよくきいたタオルのにおいだったり、馬車がうしろから来るのにおどろいて舗石につまずいたときの感覚だったり、そういう偶然の知覚刺激からかつての記憶がまざまざと、ひじょうに明瞭によみがえってくるのを体験し、そこにいままで見出されずにいた真実があるとかんじて、歓喜とともにじぶんがとりくむべき主題を確信し、ついにこれから作品を書く、というところで小説は終わっていたはず(したがって、そのようにして書かれた作品がこの『失われた時を求めて』だ、というふうに読めるような構造になっている)。いわゆる無意志的記憶のテーマで、話者もしくはプルーストのかんがえは、理知によってある意味侵され変形をこうむってしまう意志的な記憶ではなく、まったくの偶然によって予測不可能なかたちでもたらされるそうした記憶にこそ過去の真実のすがたがあらわれている、というものだが、『失われた時を求めて』という小説はタイトルがまさしく明言しているように、はじめからさいごまで記憶の喚起というテーマによってつらぬかれている。そのなかにほかにいろいろ雑多なものがふくみこまれて、バルトがいうところの民族誌的な小説、あるいは一共同体における百科事典のかたむきをもった小説になっていると言ってよいだろうが、最終章でしめされる無意志的記憶の到来はもちろん、第一巻でコンブレーの記憶を縷々綿々と語りはじめるその端緒となる、れいのゆうめいなお茶にひたしたマドレーヌの挿話と相応しているし、そうした突発的なできごととしての相はうすいとしても、そもそも小説のはじまりからして不眠の夜にベッドにいるあいだにむかし過ごしたいろいろな部屋のことが想起される、というはなしがつらつらつづくのだ。そうした無意志的記憶のテーマと、逃げ去る女(他者)というこの小説におけるおおきなふたつの主題が、「スワンの恋」のなかですでにいくらか展開されている。
 一八日はまた往路帰路のことをよく書いていて、こいつなかなかやってんなという感じで、いまおれこんなに書けないかもしれないぞとおもったが、たぶんそうでもないのだろう。書きぶりや文体は変わっていないはずだし、むしろ余計にしつこくなっているかもしれない。それにしてもこんなふうに書いちゃってていいんだろうかという疑問をまた感じた。帰路のさいごの記述とか、演出しすぎではないか? と。日常の、身のまわりのありふれたもののことをこんなに比喩とイメージにまみれさせて、いかにも文学的に書いてしまってよいのだろうか? と。いちおうそのように感じたから、もしくはその場でそういうことばがおもいついたから、もしくは記憶をたどってそのとき感じた具体性をとらえることばをさぐっているときにそういう文や表現が出てきたから、そう書いているのだけれど。
 日記の読みかえしを終えたあとはGuardianにアクセスして、ウクライナの状況を概観した記事を読んだ。もうひとつ、Andrew Roth in Moscow and Pjotr Sauer, “‘I don’t see justice in this war’: Russian soldier exposes rot at core of Ukraine invasion”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/i-dont-see-justice-in-this-war-russian-soldier-exposes-rot-at-core-of-ukraine-invasion)という記事も。前線にいた兵士のひとりがそこで見聞きしたできごとやじぶんたちがおこなったことを証言した記録を発表した、というもの。このひとはもともとロシアにとどまって逮捕されるつもりでいたのだが、支援者の説得におうじていまは国外亡命したらしい。証言録からの抜粋を紹介したらしき記事もあったが、それはまだ読んでいない。
 床をはなれると一一時すぎ。また水を飲んだり、からだをちょっと伸ばしたり。そうして瞑想。よろしい感じではある。からだの各所の微細なうごめきをよく拾い、かんじる。そとからは保育園の園庭の木にとまっているものか、セミの鳴き声が聞こえつづけている。しかし脚がしびれるのでやはりながくはつづけられず、一七分ほどで切った。それでもいぜんにくらべるとよほどからだがまとまるようになっている気がする。そうして食事へ。サラダをこしらえる。キャベツはのこっていたのをぜんぶ切ってしまったのでもうなくなった。レタスもあとほんのすこし、大根はそこそこで、豆腐は三個一セットの木綿豆腐のうちひとつしかのこっていない。豆腐をサラダにくわえるのはなかなかよい。いずれにしてもきょう、買い出しに行かなければならない。いま三時半まえでひかりが出ており、たまにはあかるいうちにそとをあるこうかともおもったけれどどうなるか。冷凍のメンチカツもさいごにのこっていたふたつを食ってしまい、冷蔵庫のなかみはかなり乏しくなった。
 食事を終えると皿はいったんながしでつけておいて、すぐに音読をはじめたんだったかな。胃のあたりとか後頭部とか眼窩とかをこまかく押しながら口をうごかす。そうしてたぶん一時くらいに立ち上がり、ちょっと屈伸とか開脚とかしたのち、便所でクソを垂れ、それから食器類を洗った。洗濯もするつもりだった。しかしこのときはまだひかりもほとんど見えていなかったし、雨が止んだとはいえ曇りがつづくものだとおもっていたから、部屋内に干せばいいやとおもって急ぐこともなく、まずはシャワーを浴びることに。全裸になって浴室にはいるとまず髭を剃った。いちど浴槽内にはいってシャワーから水を出し、それで顔を洗ったり顎の無精髭に水気をつけたりしておくとともに髪を濡らしてうしろにむかってかきあげ、そうしてふたたびそとへとまたぎ越して鏡のまえに立ち、シェービングフォームを顔に塗るとジレットの剃刀で剃る。各所剃り終えると剃刀を洗い、浴槽内にはいってまたシャワーから水を出してそれでもって顔をゆすいだ。その後湯を混ぜてあたたかくし、からだをながしたりあたまを洗ったり。済むと扉をあけはなしておき、しばらく浴槽内にとどまりながらフェイスタオルで髪の毛やからだをぬぐい、ちょっとしてから室前の足拭きマットのうえに降り立つとそこでもしばらく拭いたり背伸びしたりして肌表面の水気を蒸発させた。そうしてバスタオルでしあげると、服を身につけて髪をかわかす。つかったバスタオルはまだ行けそうだったのでハンガーにつけて出しておく。このとき明確に陽射しがあらわれており、空は雲が割れて白さが散り、そのなかに濃い青さがひろくそそがれていた。洗濯へ。準備してはじめさせ、洗っているあいだはまた音読したのか? きょうのことはまだ書き出していなかったとおもうのだが。きのう洗ったものたちはたたんでおいた。そうして洗濯物をひかりのなかに干すときょうの記述にとりかかり、ここまで記して三時三七分。


     *


 そのあと寝床にうつってとりあえず胎児のポーズをとったところ、そこからストレッチをおこなうながれになった。合蹠とか座位前屈とか、あるいはプランクをやってぷるぷるふるえてみたり、また前後に開脚してふくらはぎを伸ばしたりなど。胎児のポーズと合蹠と背伸びがいちばんなんというか安息する気がする。とくに前者ふたつは臥位というか身を低くしておこなうためか、姿勢をとってとまっているとなかばねむるような感じになってきてここちがよい。瞑想をやっているときの感覚にちかい、というかやはりストレッチもそういうふうにやるのがよいのかもしれないという契機がまた来ている。肉を伸ばそうとするのではなくて、姿勢をとってじっととどまり、呼吸もしぜんにまかせて、からだを感じる、という。そうするとじわじわ肉が伸びてほぐれると同時に、身の輪郭がぜんたいとして統合されてくるような感じになる。
 それで四時半くらいになった。ふつうに腹が減ったので、一四日に(……)家から帰るさいに一個だけもらったチキンラーメンを食うことに。電気ケトルで湯を沸かし、あと豆腐もひとつきりのこっているのでそれも食ってしまおうと冷蔵庫をあけたところで、レタスと大根があるのだからどうせならこいつらで貧相なサラダもつくって食うかとおもいなおし、レタスをちぎって大根をスライスし、手のひらのうえで切った豆腐をばら撒くだけの簡易な一皿を用意した。あとベーコン。チキンラーメンをいれた椀に湯もそそぎ、食す。さらにそのあと、椀をゆすいで湯をもういちど沸かし、味噌汁も飲んだ。具がなにもないのでまあベーコンでも入れるかとながいのを一枚取って素手でちぎって椀に入れた味噌のうえにくわえ、そこに熱湯をそそいでかき混ぜる。そうしてウェブを見つつエネルギー補給をすると洗いものもすぐにかたしておき、きのうのことを書き出したのが六時くらいだったはず。洗濯物はカーテンからひかりがうしなわれ、保育園の上空にかろうじて集束していた西陽のきらめきもみえなくなった時点でとりこんでおいた。きのうの記事にかたをつけるときょうのこともここまで足していま七時すぎ。さきほど席を立って小便をするついでにまた屈伸したり背伸びしたりとやったが、窓の向こうからは回転しつづけていたセミの声はとうぜんもう消えて、ちょっとリーリーいう感じの、玉のこすれるようなひびきを帯びた虫の音があらわれており、どうも秋めいているなとおもった。実家の部屋で聞いていたのとおなじ声だ。


     *


 それから一三日の記事を投稿したのだったか? わすれたが、七時半ごろには寝床にうつって休息にはいっていたとおもう。そこではGuardianの記事をふたつ読んだ。Pavel Filatyev, “‘They turned us into savages’: Russian soldier describes start of Ukraine invasion”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/they-turned-us-into-savages-russian-soldier-describes-start-of-ukraine-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/they-turned-us-into-savages-russian-soldier-describes-start-of-ukraine-invasion))という、朝に読んだ記事でふれられていたウクライナ前線でたたかった兵士の証言録を抜粋したものと、Gaby Hinsliff, “Stop drinking, keep reading, look after your hearing: a neurologist’s tips for fighting memory loss and Alzheimer’s”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/science/2022/aug/17/stop-drinking-keep-reading-look-after-your-hearing-a-neurologists-tips-for-fighting-memory-loss-and-alzheimers(https://www.theguardian.com/science/2022/aug/17/stop-drinking-keep-reading-look-after-your-hearing-a-neurologists-tips-for-fighting-memory-loss-and-alzheimers))。合蹠とかもまたすこしやった。そうして九時ごろになると起き上がり、ではない、八時四〇分ごろに起き上がって、椅子のうえでこの日二度目の瞑想をおこなった。それでからだのすじがいくらかやわらぐと買い出しに出向くことに。肌着のシャツとハーフパンツを脱いで、いつものTシャツと黒ズボンにきがえる。窓をあけて手を伸ばし、雨をさぐったが手にふれてくるものはないし、眼下の道もまったく濡れていない。財布とビニール袋だけ入れた空虚なリュックサックを背負い、マスクをつけて部屋を抜けた。道に出ると右へ。夜にスーパーに行くときは南側の、公園のほうの裏道から行くのではなくて、北方面から向かうことがおおい。車の来ない隙に通りをわたり、西に折れる。空気は涼やかだがながれはたいしてありはしない。視界の上端に月をおもわせるいろがみえたがそれは正面奥にある家の二階に灯ったあかりのいろで、頭上をあおいだり振り向いたりしても月のすがたはなく、空が晴れているのか曇っているのかも街灯が邪魔してよくわからないが、背後のとおくにひとつきらめいたものが足をとめてもうごかないのは、あれは星だなと見た。通り沿いの学習塾の室内はまだ電気に満たされていて、二階にあたるその室を通りがかりに見上げるとスタッフらしきひとが椅子についていてこちらを見かえしたようだった。横向きの道にあたって右折し、車がないので向かいにわたるとすぐ目のまえが豆腐屋の脇にある細道の入り口だったので、たまにはここから行くかとそのまま入った。夜気は涼しく、汗はとぼしい。葉っぱがいちまい路上に落ちてまるめた褐色の背を街灯にさらしながら浅い影をもらしていたが、夜道で葉っぱをみるとけっこうちかづかないかぎり虫などの生きものなのか葉っぱなのかの見分けがつかない。あるくうちに空が青いなと気づいた。あまりあかるくもないこの路地からだと夜空のいろが明白で、そう濃くはないけれど青みがぜんたいにわたっているのがよく見えて、もしかすると雲が希薄になじんでいるかともおもったけれどくすんでいるのは月がないためらしく、なめらかなひろがりのなか星が方々にちょっと散っているので晴れたらしいなと判じられた。おもてに出るとマスクで口を覆う。通りの対岸のさき、寺を越えたむこうには駅前のマンションが長方形のひかりをまばらにならべており、そのてまえに黒々としたなにかがあるのは寺の敷地の木々である。二車線の通り沿いにいったん南へすすむとコインランドリーがあるが、きょうはなかに客のすがたはひとつもなく、白いひかりに白い壁に白いテーブルと衛生的に無害ぶったあかるさの空間だけがそこにある。行く手の横断歩道で信号が変わって車がとまったので、こちらもそこに達しないうちに車道に出て横切った。そうすればそこがスーパーのまえである。横断歩道のほう、角にちかいほうの入り口から入店し、手をアルコール消毒して籠をもつ。野菜から。リーフレタスやトマトをすぐに入れる。ふつうのレタスよりリーフレタスのほうが嵩もすくないわりに高いのはなぜなのか。キャベツも確保。棚のまえに行くとゴロゴロならべられたやつらのなかにひとつ、すでに外側の葉をはがされて薄緑のみずみずしさをさらしているものがあり、おおきくて芯もきれいだったのでこれでいいのではと取ってみたところ、葉の表面にちょっとぽつぽつ茶色が点じられていたので、それで剝いだひとはやめたのだなとおもった。べつにそれでもよかったのだけれどもうちょい探ってみるかとべつのやつを見分していると、やはりおおきくてがっしりした楕円形で芯のいろが白っぽくてきれいなやつがあったので、剝がしてみてこれだなと決定した。そこにそなえつけられている薄手のビニール袋におさめて籠に。このビニール袋はいつもプラスチックゴミを入れて出すのに再利用している。重宝である。その他セロリとかドレッシングとか豆腐とかもろもろ。パプリカは今回は見送り。安くて何日か食をまかなえる野菜というとやはり大根とタマネギかなということでそれらは買った。スライスしてつかうのでなんかけっこうもつ。さいごのほうでたまにはアイス食うかとおもって壁際の冷凍食品のケースからながれて別の辺のガラスケースに移行して、ジャイアントコーンを取ったあとにもうひとつなにかとおもっていると、キャップをかぶってイヤフォンをつけた茶髪の若い女性がやってきてこちらの見たかった扉のまえに立ち、なかなかはなれなかったのでいったんこちらがはなれた。それで距離をとって動向をうかがっていたがけっこうじっくり見ていてうごかないのでならいいやと会計に。いつもの白髪混じりのおじさんである。名は(……)という。あきらかにベテランで、レジはこのひとがひとりで回していることもおおい。会計を済ませて台でリュックと袋にものを詰めると退店。
 横断歩道をわたってそこの路地へ。風というほどのものはやはり感じられないが、クリーニング屋の上方ではなにかがカタカタ鳴っており、いつもそうして空気のながれに鳴っているのだが、なにがうごいているのかわからないし確認したこともない。とちゅうにある小公園の草が刈られてきれいに消え、壇と土が露出していた。ネコジャラシなどが旺盛に生えて敷地のさかいをはみだしていたのだが、それらが一挙になくなって、植え込みや垣のようなものはのこっているけれどなかが見やすい。聞こえてくるのは地元で聞いていたのとおなじ、色気のないハンドベルをしゃらしゃらふり鳴らしているかのような虫の声で、秋の感がちかい。右手、すなわち南をみやりながらあそこに雲があるなと、屋根にほとんど接した低みに、機関車のえがいた煙のごとくあいまいに引かれた横線をみとめたが、すぐにこずえによってかくされてしまう。それで反対側に首をふると北の空は青さがより濃く、そこにもあった雲がこちらは白さとかたちがくっきりと映っていてうわっ、とおもった。よくこねたパン生地をてきとうに、半端にちぎったりまるめたり伸ばしたりしたような雲である。裏路地出口付近にある一軒の白サルスベリはすこしまえに花の層をうすくして貧相なよそおいになっていたのにまた花期をむかえて復活し、白さがふくらみなおして枝先によっては葉叢をかくす盾のようにすらなっている。その向かい、道の右側にはいくらかまえから切れかかっている街灯がひとつあり、不安定な呼吸をつづけてひかりをうしないそうになっているが、あかりが減衰したときのその電灯の濃褐色はちょっとあぶらを帯びたゴキブリの背羽のようないろだなとさいしょに見かけたときからおもっていた。いちどおもてに出てわたるとまた細道。このあたりでようやく風が出てきて、道と家にかたどられて正面から来る今夜はじめての風に肌をさらしながら足がゆるみ、公園前に出てみあげれば北東方面の空に雲がまたくっきり映っているのだが、あれがさきほど見たパン生地とおなじ雲なのか、かたちと配置もぜんぜんちがっているしわからない。アパートは公園から北にほんのすこしあるいたところである。この道でもまえから風がながれて涼しく、その質感を惜しむように、すこしでもながくそれを浴びていたいというようにゆっくり踏んで帰った。
 ポストには「真相」とかいう政治団体のチラシがはいっており、中国共産党は世界にたいする最大の害悪でありその存在を終わらせるために署名をつのっているとか、コロナウイルス拡散の責任を中共にとらせようとか、中共は臓器売買をしているとか、詳しく読まなかったがそういうことが書いてあった。こういう組織もあるんだなあと。中国共産党を敵視する勢力というか、右派といってよいのかわからんがそちらの方面のひとは、だいたい「中共」と略して呼ぶ気がするのだが、あれはなんか批判したり軽んじる意味合いがふくまれているのか? 買ってきたものを冷蔵庫に入れたり服をかえたり手を洗ったり。そうして食事へ。洗濯機と冷蔵庫のうえでサラダをこしらえる。おおきなキャベツはふたつに分割してラップをかけて保存する。買ってきたばかりのセロリもさっそく使用。これも二本はいっているうちの四分の一くらいをつかい、あとは半分にしてラップにつつんでおいた。セロリの香りはじつによい。官能的ですらある。じぶんが官能的というばあいはたいていべつに性感をいっているわけではなく、ひろい意味でのエロスのことで、こころ惹かれるような感じというか、胸がどきどきするような感じということだが。セロリのにおいには胸がどきどきするような感じがわずかばかりふくまれている。サラダのほかは冷凍のパスタとアイスを食した。
 その後の夜はカフカ書簡の書抜きをしたくらいであとはだらだら休むなど。きょうは気温も低かったし、汗もほぼかかず昼に湯を浴びていらいからだが汚れた感じもあまりなかったので、シャワーはあしたの日中でいいやと横着した。もうわりと昼間に湯を浴びる習慣になってしまっている。歯は磨いた。ほんとうはこの日のことを書いてしまいたかったのだが、気力が湧かず。夜更かしして四時半就寝。


―――――

  • 「ことば」: 1 - 10
  • 「読みかえし1」: 254 - 267
  • 「英語」: 716 - 730
  • 日記読み: 2021/8/17, Tue. / 2021/8/18, Wed.


 2021/8/17, Tue.より。

 これにたいして、顔はその裸形にあって、たしかになにかをかたっている。しかも、つねに [﹅3] かたっている。指さきそのものには指示する意味が宿ることはないが、「まなざしの身ぶり [﹅8] 」(ビューラー [註76] )は、他者の注視している対象がなんであるかを示すことができる。無表情な顔も、無関心を、あるいは不機嫌をかたる。なにものもかたりかけない顔とはすでに死に絶えた顔であろう。生きて目のまえにいる他者の「顔は生きた現前であり、顔とは表出〔表情〕なのである」(61/86)。デスマスクですらときに、穏やかさや苦悶をあらわしている。つねになにごとか [﹅5] をかたりつづける顔は、それに対面する〈私〉にたいしてなにものか [﹅5] を訴えつづけている。「〈私〉が問いただされること、おなじことだが、顔における〈他者〉の〈あらわれ〉を、われわれはことばと呼ぶ」(185/260)。
 他者の顔とは「〈他者〉が有する絶対的な剰余」(le surplus absolu de l'Autre)(98/139)である。他者は、顔において端的に〈他なるもの〉であることをあらわす。つまり、あるものとして〈あらわれ〉ることで、同時にその〈あらわれ〉を超え、そのあらわれとは〈他なるもの〉となってゆく。他者は顔の裸形において現前し、かつ現前しない。それは、(end93)世界がその裸形においてはみずからと密着しつづけ、みずからとのいかなるずれ [﹅2] 、ことなり [﹅4] をも示さず、したがって一滴の意味も分泌しないのと対照的な、裸形の〈顔〉のありようであるといわなければならない。
 意味とは存在の余剰、あるいはずれ [﹅2] であった。〈もの〉にはそれ自体としては剰余がない。あるいはそれ自身として余計なもの [﹅5] は存在しない。裸形の世界には意味が宿っていない。裸形の身体の全体は意味が貧困であり、指さきも一義的な意味をもってはいない。ただ、〈顔〉だけがそれ自体として、それ自身の剰余であり、そのものとして意味している [﹅6] 。顔のみがほんらい裸形でありえ、コンテクストなく意味しうる。それは、顔が不断にすがたを変え、〈かたち〉を解体してゆくからである。顔は〈かたち〉を超えたところに〈あらわれ〉る。顔はたえず〈かたち〉を変え、一瞬まえの顔のかたちとのずれ [﹅2] とことなり [﹅4] をつくりだす。そのぶれ [﹅2] が、あるいは直前の〈かたち〉からの遅延 [﹅2] と余剰が意味である。「〈他〉として現前するために、〈同〉に適合的なかたちを解体するこのしかたが、意味すること、あるいは意味をもつことなのである」(61/86)。

 (註76): K. Bühler, Ausdruckstheorie, 2. Aufl., Fischer 1968, S. 205.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、93~94; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)

     *

519~520: 「しかし、彼の恋はじつは肉体的な欲望の範囲を越えたひろがりをもっていたのであった。そこにあってはオデットの身柄さえ、大した場所を占めてはいなかった。彼の目が机の上のオデットの写真に出会うとき、または彼女が訪ねてくるとき、彼は肉体としての顔、または印画紙の顔と、彼のなかに住みつづけている苦しい不断の混乱とを、同一のものとは思いかねるのであった。彼はほとんどおどろきに似た気持でひとりつぶやくのだ、「これが彼女なのだ」、あたかも突然目のまえに、自分の病気の一つを、(end519)とりだして見せつけられ、それが自分の苦しんでいる病気とは似もつかないものだと知ったときのように。「彼女」、それは一体何か、と彼は自分にたずねようと試みた、というのも、ある人間の現実がとらえられずに逃げさってゆくという懸念のなかで、その人間の神秘にたいするわれわれの疑問をさらに深めさせるのは、恋が死に似ているからであって、つねにくりかえしいわれるように、ほかの何かに漠然と似ているからではないのだ」

 2021/8/18, Wed.より。

 それでは、他者の〈顔〉は私にどのように呼びかけるのであろうか。〈ことば〉は普遍的なものであり、ことばによって世界をものがたるとは「贈与によって、共有と普遍性とを創設すること」(74/104)であった(三・5・B)。他者のことばは、だから、世界を占有することを私に禁じている。「顔は、所有に、私の権能に抵抗する」(215/298)。顔は、他方また、「《なんじ、殺すなかれ》(tu ne commettras pas de meurtre)という、最初のことば」(217/301)である、とレヴィナスは主張する。(……)
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、95; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)

     *

(……)新聞はアフガニスタンの続報。タリバンは四月に米軍が正式に撤退を表明して以来、政府役人や各地の部族長とかと水面下で交渉をすすめていたといい、身の安全を保証するかわりに「無血開城」を飲ませて取ったという地域もけっこうあったらしい。とにかくアフガニスタン政府が信頼と正当性をえられていなかったということが大きかったのだろう。治安部隊員も複数の民族から成っていて、国への忠誠が薄かったとか。米国が各種支援や投資をおこなったにもかかわらずうまくいかなかった、さまざまな面で失敗した、責務を果たさなかった、みたいなことをバイデンは演説で述べてガニ大統領を批判したらしく、米国としてはむろんそういうふうに、われわれはやることをやったのだと言いたいだろう。じっさい、ガニ大統領はなんというか統治に意欲がないというか、やるべきことをやらないみたいなようすも見られていたらしいし、今回も駐留米軍トップが戦力の集中を助言したにもかかわらず反対に拡散させて、その結果タリバンの速攻をゆるしてしまったわけで、国外逃亡をしたこともあって(しかもそのさいに多額の現金をもちだしたもよう、とも伝えられている)元側近のひとりは「売国奴」などと呼んでいるらしいが、そういうもろもろを読むかぎりではたしかにガニ大統領の行動がむしろ積極的にタリバンを益したようにすら見えてくる。

     *

出勤は五時過ぎ。晴れてきたので林から湧くセミの合唱が厚くなっていた。空はふりむいたさき、市街のある東南方面をのぞいてすっきりとした水色をたたえており、雲が追いやられたそのあとに化石のような月が淡く浮かんでいる。路上にはこまかな葉や植物の屑が無数に散らばって、アスファルトとともに濡れて色を鈍くしながらほぼ同化している。公営住宅まえまで来ると雨後でやわらかな湿りをはらみながらもさわやかな風がながれてここちよく、十字路沿いの木々の列はそのてっぺんに横薙ぎの陽がかかってあかるんでいる。坂にはいると太腿の筋肉のうごきをたしかめるようにしながらゆっくりのぼっていった。やはり太腿をうごかすと血がめぐってからだがあたたまるようで、よほどゆっくり踏んでいてもじきにやや熱がこもり、マスクの裏の息もすこし苦しくなる。出口付近まで来て片側が木立でなくなれば、右手の斜面へは夕陽のオレンジ色が悠々ととおり、坂上の一軒をつつみながらその窓にひかりを凝縮させるとともに、斜面上にたちならんだ竹の、見上げる高さの先端から雑然と草にかこまれた根元までこちらもまとめてつつみこんでいた。

五時の太陽は北寄りの西空にあらわに浮かんでいるが駅の階段通路をのぼるときにはちょうど薄雲にひっかかっていて、漬けられるというほどの暑さは避けられた。ホームにはいるとしかし、柱のたすけでひかりに当たらない日陰をさぐって立ち、短時電車を待つ。沿道から一段下がってひろがっている線路区画の端、むかいの壁には草が群れて茂っており、そこは北側だからひかりは当たらず緑色もややかげっているのだけれど、そのかげりを背景にして線路のうえの宙には羽虫が琥珀色めいた点となってふらふら飛び交い、沿道に立った柱にまつわる蜘蛛の糸も水中の蛸のごとく大気のながれにゆらぎながらその身のすべて一挙にではなく一瞬ごとにことなる部分に微光をやどしてすがたをあらわに浮かべている。そのかなた、太陽のそばにはしぼり伸ばされたようにひらたく長い雲がふたつ引かれて、下腹を白くつやめかせていた。

     *

帰路は徒歩。職場を出ると、すぐに月があらわに浮いているのが目にはいる。夜空は晴れ渡って暗い青味があきらかであり、月だけでなく星もすがたをあらわし散っており、裏道から家々と線路のむこうの森のほうを見たときには空と梢の境も明白で、壁かおおきくもりあがりながら凍りついた波のように鎮座している木々列の、葉叢の襞の明暗もけっこう見てとれるくらいだった。夜道はもはや秋である。虫たちの音響にしても大気の肌触りにしてもそうだ。いつもの家のまえまで来て白猫はいるかと上体をかがめてみたものの、車のしたから出てくるものはない。それでさいきん不在だなとすすめばきょうはべつの一軒の隣家とのほそい隙間で壁に取りつけられた室外機のうえにちょこりと乗って、手足もからだに吸収されたような格好でしずかにたたずんでいた。いぜんもいちどだけここにいるのを見かけたことがある。ちかづいて手を伸ばしてみるものの、ねむいようすであまり反応をしめさない。道の端からだとぎりぎり手がとどかないくらいで、触れるにはその家をかこむごく低いブロックの段に乗らなければならないが、そこまでするのもなんだし、ねむいようだから放っておいてあげようときょうはあきらめて去った。

月は半月をすこし越えてふくらんだほどで、割れた恐竜の卵の殻が埋めこまれたようでもあり、巨大な親指がその先だけ夜空の開口部から顔を出しているようでもあり、街道と裏の交差部まで来るとあたりの街灯のあいだにのぞくからとおくの道の同種の電灯がひとつ見えているかのようでもあるが、いずれにしても黄の色味は街灯のそれよりもつよく、楕円のなかはなめらかである。ガードレールのむこうの下り斜面の底で、高く伸び上がる杉の木々にかこまれた沢がおもったよりも水音を増していた。道端にはユリのたぐいが生えていてここ以外にもいくつか見かけたが、どれも例外なくことごとくほそながい花部をくたりと曲げて垂れ下げており、死がもうすぐまぢかまでせまっていることを知った抑鬱のなかでしずかな苦悶の顔をかくしつつうなだれながら斬首を待っている囚人のようだった。木の間の下り坂にはいればジージーいっている夜蟬の気配はもうひとつきり、あとはコオロギの種なのか存在じたいがもっと大気にちかいかのように淡い声を回転させる虫が大半で夜気は秋めき、ひだりの木立の暗がりの先から川の音が、ひとつ下の道を越えてさらに斜面をくだればそこにあるからとおくないとはいえそれにしてもずいぶんそばでながれているかのようにうねりひびいてもちあがってくる。坂が終わるあたりでは視界がひらけて近所の家々のならびが見渡せるが、あいだに暗闇を満たしてしずまっている家並みのなかにともった街灯の白円はなにかを表示する暗号のようであり、暗号といってしかしそれがつたえるのはかくされた意味ではなくて道であって、つまり家を沈めた黒い海のなかに浮かぶ灯火がすきまのひろすぎる破線のようにして地上のそれとはことなり夜のあいだだけあらわれるもうひとつの道をつなぎつくっているように見えるのだけれど、一歩踏んですすむごとに街灯の位置関係は変化するから、その道もかたちや向きや角度をあらたにして絶えずむすびつきなおしては変成しつづける魔法の道のように映るのだった。

     *

581~582:

 (……)そしてこのことがスワンにわかって、彼が、「これはヴァ(end581)ントゥイユのソナタの小楽節だ、きくまい!」と心につぶやく以前に、早くも、オデットが彼に夢中になっていたころの思出、この日まで彼の存在の深いところに目に見えない形でうまく彼がおしとどめていたあのすべての思出がよみがえり、それらの思出は、恋の時期をかがやかせていたあの光がまた突然さしてきたのだと思いこみ、その光にだまされて目をさましながら、はばたきして舞いあがり、現在の彼の不幸をあわれみもしないで、幸福の歌の忘れられたルフランを狂おしげに彼の耳にひびかせるのであった。
 「ぼくが幸福だったとき」、「ぼくが愛されていたとき」といった抽象的な言葉を、彼はこれまでしばしば口にして、それで大した苦痛を感じなかったのは、彼の理知が、過去から何も保存していないものをいわゆる過去の精髄だと称して後生大事に残していたからなのだが、そうした抽象的な言葉ではなくて、いま彼が見出したのは、あの失われた幸福の、特別な、蒸発しやすいエッセンスを、ことごとく永久に固定しているものなのであった(……)

     *

589: 「また、音楽家にひらかれている領域は、七つの音の貧弱な鍵盤ではなくて、際限のない、まだほとんど全体にわたって知られていない鍵盤であり、そこにあっては、鍵盤を構成している愛情、情熱、勇気、平静の幾百万のキーのうちのいくつかが、わずかにあちこちに、未踏の地の濃い闇によってたがいにへだてられ、それらのおのおのは、ちょうど一つの宇宙が他の宇宙と異なるように、他のキーと異なっているのであって、それらは、数人の大芸術家によって発見されたので、その人たちこそ、彼らの見出したテーマと交感しあうものをわれわれのなかに呼びさましながら、どんな富が、どんな変化が、われわれの空虚と見なし虚無と見なす魂のあのはいりこめない絶望的な広大な闇のなかに、知られずにかくされているかをわれわれのために見せてくれるのだ、ということを彼は知るのであった。ヴァントゥイユはそうした音楽家の一人であったのだ」


―――――


Samantha Lock, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 176 of the invasion”(2022/8/18, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/18/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-176-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/18/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-176-of-the-invasion))

A Russian strike on Kharkiv killed at least seven people and wounded 16 others, Ukraine’s state emergencies services said. Ukraine’s president, Volodymyr Zelenskiy, said a block of flats was “totally destroyed … We will not forgive, we will take revenge.”

Russia has replaced the commander of its Crimea-based Black Sea fleet after explosions rocked the peninsula this week. Russia’s RIA news agency cited sources as saying Igor Osipov had been replaced with Viktor Sokolov. If confirmed, it would mark one of the most prominent sackings of a military official in the war so far.

Chinese troops will travel to Russia to take part in joint military exercises “unrelated to the current international and regional situation”, China’s defence ministry has said. Other countries will include India, Belarus, Mongolia and Tajikistan. In July, Moscow announced plans to hold “Vostok” exercises from 30 August to 5 September.

     *

Ukraine has not lost any US-supplied Himars rocket launchers, the Ukrainian defence minister, Oleksii Reznikov, said in contradiction to Russian claims. Ukraine has received at least 20 of the US-made launchers, and has used them to attack Russian ammunition depots, command posts, and air defences.

     *

The first wartime shipment of UN food aid for Africa reached the Bosphorus Strait on Wednesday under a UN-backed deal to restore Ukrainian grain deliveries across the Black Sea. Marine traffic sites showed the MV Brave Commander taking its cargo of 23,000 tonnes of wheat across the heart of Istanbul bound for its final destination in Djibouti, Ethiopia, next week.

     *

Russia foresees a 38% rise in energy export earnings this year due to higher oil export volumes, coupled with rising gas prices, according to an economy ministry document seen by Reuters. Russia’s earnings from energy exports are forecast to reach $337.5bn this year, a 38% rise on 2021.


―――――


Andrew Roth in Moscow and Pjotr Sauer, “‘I don’t see justice in this war’: Russian soldier exposes rot at core of Ukraine invasion”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/i-dont-see-justice-in-this-war-russian-soldier-exposes-rot-at-core-of-ukraine-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/i-dont-see-justice-in-this-war-russian-soldier-exposes-rot-at-core-of-ukraine-invasion))

Filatyev, who served in the 56th Guards air assault regiment based in Crimea, described how his exhausted and poorly equipped unit stormed into mainland Ukraine behind a hail of rocket fire in late February, with little in terms of concrete logistics or objectives, and no idea why the war was taking place at all. “It took me weeks to understand there was no war on Russian territory at all, and that we had just attacked Ukraine,” he said.

At one point, Filatyev describes how the ravenous paratroopers, the elite of the Russian army, captured the Kherson seaport and immediately began grabbing “computers and whatever valuable goods we could find”. Then they ransacked the kitchens for food.

“Like savages, we ate everything there: oats, porridge, jam, honey, coffee … We didn’t give a damn about anything, we’d already been pushed to the limit. Most had spent a month in the fields with no hint of comfort, a shower or normal food.

“What a wild state you can drive people to by not giving any thought to the fact that they need to sleep, eat and wash,” he wrote. “Everything around gave us a vile feeling; like wretches we were just trying to survive.”

     *

He railed at length against what he called the “degradation” of the army, including the use of dated kit and vehicles that left Russian soldiers exposed to Ukrainian counterattacks. The rifle he was given before the war was rusted and had a broken strap, he said.

“We were just an ideal target,” he wrote, describing travelling to Kherson on obsolete and unarmoured UAZ trucks that sometimes stood in place for 20 minutes. “It was unclear what the plan was – as always no one knew anything.”

     *

As frustrations grew on the front, he wrote about reports of soldiers deliberately shooting themselves in order to escape the front and collect 3 million roubles (£40,542) in compensation, as well as rumours of acts of mutilation against captured soldiers and corpses.

In the interview, he said he had not personally seen the acts of abuse carried out during the war. But he described a culture of anger and resentment in the army that tears down the facade of total support for the war portrayed in Russian propaganda.

Most people in the army are unhappy about what’s going on there, they’re unhappy about the government and their commanders, they’re unhappy with Putin and his politics, they’re unhappy with the minister of defence, who has never served in the army,” he wrote.

Since going public, he said, his entire unit has cut contact with him. But he believed that 20% of them supported his protest outright. And many others, in quiet conversations, had told him about a grudging sense of respect for the patriotism of Ukrainians fighting to defend their own territory. Or had complained about mistreatment by Russia of its own soldiers.

“No one is treating veterans here,” he said at one point. In military hospitals, he described meeting disgruntled soldiers, including wounded sailors from the Moskva cruiser, sunk by Ukrainian missiles in April, shouting a senior officer out of the room. And, in ZOV, he claimed that “there are heaps of dead, whose relatives have not been paid compensation”, corroborating media reports of wounded soldiers waiting months for payouts.


―――――


Pavel Filatyev, “‘They turned us into savages’: Russian soldier describes start of Ukraine invasion”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/they-turned-us-into-savages-russian-soldier-describes-start-of-ukraine-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/17/they-turned-us-into-savages-russian-soldier-describes-start-of-ukraine-invasion))


―――――


Gaby Hinsliff, “Stop drinking, keep reading, look after your hearing: a neurologist’s tips for fighting memory loss and Alzheimer’s”(2022/8/17, Wed.)(https://www.theguardian.com/science/2022/aug/17/stop-drinking-keep-reading-look-after-your-hearing-a-neurologists-tips-for-fighting-memory-loss-and-alzheimers(https://www.theguardian.com/science/2022/aug/17/stop-drinking-keep-reading-look-after-your-hearing-a-neurologists-tips-for-fighting-memory-loss-and-alzheimers))