2022/8/20, Sat.

 (……)おそらくわたしの気骨に似て、確かに、わたしは意気地なしで妬み深い黄色です。わたしは黄色でわたしは不屈でわたしは疲れてうんざりしきっていてわたしは酔っ払っていて、そして人生は屁のように雲散霧消して行き、わたしはその中を歩き続ける。[D・H・]ローレンスが自分の牛の乳を搾っていたことを考え続け、彼の相手のフリーダのことを考え続けていて、わたしは馬鹿者です。わたしは工場や檻の中や病院にいたやつらがどんな顔をしていたのか考え続けています。やつらの顔を哀れに思ったりはしません。みんな一緒で見分けられないだけです。風に吹かれて揺れているベリーのたくさんの実のように、誰かの彫像にひっかけられたたくさんの鳥の糞のように。(……)
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、120; ヘンリー・ミラー宛、1965年8月16日)




 六時ごろにいちど覚醒した。布団にうつった記憶がなかったのだが、しっかり布をかぶってねむっていた。ただしエアコンがドライでつけっぱなしだったので喉がすこし乾いていた。みぞおちのあたりが間歇的にちくちく痛んだのは、深夜にものを食ってそれからさほど経たないうちにねむってしまったからだろう。姿勢を横向きにしてやりすごし、さらに寝ると七時台。さらに寝て八時五〇分かそのくらいに目覚め、ここを正式な覚醒とさだめた。掛け布団をのけ、布団のうえでごろごろしながらからだの各部を揉む。でこぼこを均して通行をよくするような感じ。揉むといってもぜんぜん押しこまず、軽い。きょうは土曜日で保育園に来る子どもはすくないが、それでもすこし声はある。ペラペラ、と建物のまえでおとなたちといる女児の声が聞こえて、靴下か靴かなにか履かされていたようだが、そのペラペラ、はそういう一語というよりは、ペという音とラという音をつなげてためしてみたというようなおもむきが発語にあって、口調もじつにあどけない、舌足らずの、そうであるがゆえに言語を習得するためはっきり発音して練習しなければならないかのようなトーンだった。床をいちどはなれたのは九時三二分。カーテンをあけると雲混じり。洗顔や小用、飲水や蒸しタオルを済ませる。そうしてもどるとChromebookでウェブをみるとともに一年前の読みかえし。きょうも二〇一四年の分はサボった。一年前の八月二〇日金曜日では、「往路に出たころには頭上に雲がおおく、二時にベランダから見たときにすでに雲がわだかまっていた西空からさらにひろがりだしたようで、いまだ青さがのこっているのは東のとおくのみであり、道を行くうちにカナカナが一匹、林から鳴きだしそれについでむかいから風がはじまるとそのながれが間をおかずスムーズに厚くふくらんでいき、耳の穴のまえでバタバタ鳴るくらいになったので、涼しくて佳いがどうも雨の気配だな、とおもっていると、風がおさまったあとからはたして、はやくもぽつりぽつりと散るものがはじまって頬に触れてきた」という一文に、なかなかやってんなとおもった。なめらかに書いていやがる。この推移をこれだけ着実にひろって一文でながすか、と。寝転がったとちゅうからレースのカーテンもあけて空をちょっと見えるようにしておいたが、電線をかけられた天上は薄雲が混ぜられたり塗られたりはたはたまぶされたりと白っぽい部分もおおいけれど、水色もまた敷かれてはいて、弱められたその青さはメロンのまろやかな果肉のようでもあるが、それよりもさらに、カットしたものを食べたあと表皮の内側とのさかいにさいごにのこったあの部分をおもわせるような淡色だった。
 一一時過ぎに起き上がり、洗濯をもうはじめた。あと洗いものも昨晩放置したまま気づかないうち布団にうつっていたのだが、これは洗顔後、うがいをするまえにかたづけておいた。洗濯機をまわしだし、屈伸などしてから瞑想。一一時二五分から五七分まで。まあまあ。からだはよほどほぐれやすくなった。瞑想中はじぶんがじぶんでしかありえないということがにんげんに課せられた絶対的孤独であり一種のトラウマであり、キリスト教の原罪観念がほんのちょっとだけわかったような気がする、というようなことがあたまにめぐったが、いまはそれを詳しく書いている余裕がないのでまた機会が来たらそのときに。現在四時一八分で、そろそろ出勤に向けた準備をはじめなければならないので。瞑想後は食事。サラダとハンバーグひとつとナンにソーセージのはさまったチーズドッグ。食後はしばらく音読し、そのあともうシャワーを浴びたんだったか。洗濯物は、空が一面白くなって空気のいろあいがひややかになってきたからあやしいなとおもいながらも、それでも気温は高いだろうからと集合ハンガーとバスタオルだけ出していたのだけれど、シャワーから出て髪をかわかすさいにカーテンを分けて窓をあけてみるとぱらぱら来ていたのでとりこんだ。
 その後、書きもの。きのうの往路帰路をさきに書いてしまいたかったのでそれから。きょうもまたトイレとかなにかの行動で立ったついでとか、あいまあいまに屈伸とか背伸びとか開脚とかをよくやる。けっきょくそのようにしておりおりからだをすこしずつやしなうのがいちばんのメンテナンスだ。あと瞑想とストレッチ。ストレッチも、どこかのタイミングでやった。シャワーあとか? 書きもののとちゅう、三時過ぎには豆腐をひとつ食った。そうすると味噌汁も飲みたい気がされて、具がまったくないのもなんだしとおもって豆腐をもうひとつあけて手のひらのうえで一六分割し、椀に入れて味噌と湯をそそいだ。きのうの往路帰路は無事書き切ることができて、きょうのことをここまで記せば四時二五分。まあわるくはないが、一四日以降のことが書けない。きょうも労働だし。労働後はどうせ駄目だろうから、あした一日でできるだけがんばるほかないが、(……)くんの訳文添削のしごともある。
 食事中には(……)さんのブログを読んだが(八月一五日分)、したで昇龍拳みたいなことやっているのにはさすがに笑う。

 書見の合間に順手懸垂。プロテインも飲む。23時頃だったろうか、上の部屋でまたコツコツやりだしたのだが、そのコツコツがこれまでとちょっと違うテイストだった、杖で床を叩いているような、あるいはまな板をフロアに直接置いてそこで野菜をトントン切っているような、そういうタイプの音よりももう少し鈍く、またこれまでにないリズムだった。それで、あれ? これやってんじゃないか? セックスしてんじゃないか? と思った。だったらさすがに「うるせえ!」と叫ぶのはためらわれる。それでこれに関しては見逃すことにしたのだが、音はその後もしばらく続き、しかもいったんおさまったと思ったらしばらくしてまた再開されるなどして、だんだんとイライラしてきたものだから、最終的に、ベッドの上でジャンプしながら右手に持ったスリッパで天井をスパンと叩くという抗議をおこなった。静かになった。

     *

 いま二七日の午後四時一〇分。この日のことであと書いておくべきというかおぼえているのは職場での会議のことだけ。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 

―――――

  • 「ことば」: 1 - 10
  • 「英語」: 731 - 746
  • 日記読み: 2021/8/20, Fri.

(……)そのあと洗濯物をたたむ。二時にベランダから取り入れたときにタオルはたたんでおいた。そのさい、ベランダの日なたのなかでしばらく陽光を浴びて肌に吸ったが、西をふりあおげばそちらは雲がおおくわだかまって混雑しており、太陽もそのなかにあってほとんど一秒ごとにあたりのあかるみがうすれてはまたもどって、という時間もあった。ひかりが照ったときはからだがすべてつつまれてさすがに暑く、強力な、どんな対象からも水をしぼりだそうとするような苛烈な熱射であり、きのうは晴れのわりにもうけっこう涼しさがあった印象だけれどきょうは一時季節がひきかえしてまた夏めいていた。

往路に出たころには頭上に雲がおおく、二時にベランダから見たときにすでに雲がわだかまっていた西空からさらにひろがりだしたようで、いまだ青さがのこっているのは東のとおくのみであり、道を行くうちにカナカナが一匹、林から鳴きだしそれについでむかいから風がはじまるとそのながれが間をおかずスムーズに厚くふくらんでいき、耳の穴のまえでバタバタ鳴るくらいになったので、涼しくて佳いがどうも雨の気配だな、とおもっていると、風がおさまったあとからはたして、はやくもぽつりぽつりと散るものがはじまって頬に触れてきた。(……)

帰路は徒歩。疲労感がなかなか濃かった。きょうは日中は晴れて夜になっても気温が高かったようで、あるくうちに汗と熱がこもってワイシャツの裏の肌が湿ったし、ポケットに突っこんだ左手の手首で腕時計がその裏の肌に汗を溜めるのがわずらわしいのでそれを外して胸ポケットにおさめる、という行動を取るくらいには蒸し暑かったのだ。白猫は不在。室外機にもいない。空には雲が豊富に湧いて夜空に煙色をひろげていたが、もうだいぶ満月にちかづいた月がその裏にあってもものともせずにひかりをはなって赤とか黄のほそい光暈を微妙にまといながら白いすがたをあらわにし、そのために雲のかたちも白さも容易に見て取られた。

     *

ハムエッグを焼いて米と食す。新聞はアフガニスタン情勢。バイデンは米軍撤退延長も示唆と。アフガニスタン内にいる米国人の退避が終わるまでだということ。米国とタリバンのあいだで、すくなくとも米軍の撤退期限としてさいしょにさだめられていた九月一一日までは、タリバンがカブールにて空港までの道を妨害せず国外に出たい市民の安全な通行を保証する、という合意がとりきめられたということなのだが、じっさいには現場の連中は妨害行為などをおこなっているもよう。また、各地で反タリバンのデモが起こり、タリバン側がそれに発砲して何人か死者が出ている。元第一副大統領で暫定大統領だと自称しているなんとかいうひとは交渉というよりも徹底抗戦のかまえでひとびとにも呼びかけているらしく、まだたたかいが起こる可能性があると。ガニ大統領が逃げたのはアラブ首長国連邦だったらしいが、国内にもどれるようタリバンと交渉しているらしい。いっぽうでタリバン政権樹立のうごきはすすんでおり、元の政府の高官とかれらのあいだではなしあいがもたれている。幹部があきらかにしたところでは、民主的な体制にはならず、過去のタリバン政権のときと同様、シャリーアにもとづいた政治になり、最高評議会が設置されて最高指導者がその議長に就任するだろうと。タリバンはいま最高指導者(三代目だったか?)のもとに三人の副官がおり、ひとりはカタールに常駐して交渉を担当していた穏健派(創設者の義弟)、もうひとりはわすれたが、あとひとりは創設者の息子で、このひとだったかふたりめだったかどちらかがなんとかハッカニというなまえで、そのひとの名をとってハッカニ・ネットワークというテロリスト組織というかたぶん不定形な集団みたいなものがあるらしく、だからとりわけ米国などはもちろんその影響力でテロ活動が活発化するのではないかと危惧している。

     *

プルーストは「スワンの恋」を終えて第三部にはいった。スワンの恋はわりとしずかに、自然に嫉妬や恋情がうすれていって醒める、みたいな終わり方になっていて、こんなかんじだったかとおもった。そこにカンブルメール若夫人の魅力が介在しているというのはまったく記憶になかったところだ。コタール夫人とのやりとりはなんとなくおぼえがあったが。「スワンの恋」が終わって第三部がはじまると、そのいちばんさいしょから、わたしが夜に起きていままで過ごしたことのあるさまざまな部屋をおもいだしているとき、そのなかでコンブレーの部屋といちばん似ていない部屋はバルベックのグランド・ホテルの一室で……というはなしがかたられており、だからこれは第一部「コンブレー」と直結し、そこから順当にすすんでいる展開で、したがって第二部「スワンの恋」とはほぼ関係がなく、第二部全体が非常にながながとした迂回のように見えるもので、なんでわざわざあいだにながながしいスワンの恋の物語をはさんだのかな? とその必然性に疑問が生じる。まあ、プルーストにあってはそういうことはわりとどうでも良いのだが。もちろんこの「スワンの恋」ははるかのちにかたられる話者じしんのアルベルティーヌへの恋に前例として先行するというか、話者はそこにおいてスワンがオデットにたいしておもったことかんがえたことやろうとしたことを多くの面で反復するとおもうのだけれど(その核心はむろん、「占有」の欲求である)、そのくりかえしとひびきかわしとがあるにしてもこのタイミングで? ということはある。ただまた、話者とスワンの類同性というか彼らがいわば同族であるということは、アルベルティーヌを待たずにすでにあらわれてもいて、つまりスワンの恋はおさない話者と母親との関係にはやくも部分的に反復されており、そのことは明言されている(50: 「私がさっきまで感じていた苦悩、そんなものをスワンは、もし私の手紙を読んで目的を見ぬいたとしたら、ずいぶんばかにしただろう、とそのときの私は考えていた、ところが、それは反対で、後年私にわかったように、それに似た苦悩がスワンの生活の長年の心労だったのであり、おそらくは彼ほどよく私を理解することができた人はなかったのだ、彼の場合は、自分がいない、自分が会いに行けない、そんな快楽の場所に、愛するひとがいるのを感じるという苦悩であって、それを切実に彼に感じさせるようになったのは恋なのであり(……)」、また、500~501: 「彼はオデットの姿を見かけても、彼女がほかの男たちとともにしているたのしみをこっそりさぐるようなふりをして怒らせてはという心配から、長居をする勇気はなかった、そしてひとりさみしく帰宅して、不安を感じながら床につくのであったが――あたかもそれから数年後、コンブレーで、彼が私の家に晩餐にきた宵ごとに、私自身が不安を感じなくてはならなかったように――そうしたあいだ、彼にとっては、彼女のたのしみが、その結末を見とどけてこなかっただけに、無際限であるように思われるのであった」)。スワンは話者の、言ってみれば先行者、先達、先輩のようなものである。

     *

638~639: 「スワンがふとしたはずみに、フォルシュヴィルがオデットの恋人であったという証拠を身近にひろうとき、彼はそれにたいしてなんの苦痛も感じないこと、恋はいまでは遠くにあることに気づき、永久に恋とわか(end638)れていった瞬間があらかじめ自分に告げられなかったことを残念がった。そして、彼がはじめてオデットを接吻するに先だって、いままで彼のまえに長いあいだ見せていた彼女の顔、この接吻の思出でいまからは変わって見えるであろう顔を、はっきり記憶のなかにきざみつけようと努力したように、こんども、彼に恋や嫉妬を吹きこんだオデット、彼にさまざまな苦しみをひきおこし、そしていまではもうふたたび会うこともないであろうあのオデットに、彼女がまだ存在しているあいだにせめて心のなかでなりとも最後のわかれを送ることができたらと思った」

647: 「私にとって、海の上の嵐を見たいという欲望にも増して大きな欲望はなかったが、それは美しい光景としてよりも、自然の現実の生命のあらわな瞬間としてながめたいという欲望であった、言いかえれば、私にとって何よりも美しい光景とは、私の快感に訴えようとして人工的に工夫されたのではないこと、必然的であること、変えられないことを、私が知っているもの、――つまり風景の美とか大芸術の美とかいったものでしかなかったのであった。私の好奇心をそそったもの、私が知りたくてたまらなかったものは、私自身よりももっと真実だと私に思われたものだけであり、大天才の思想とか、自然が人間の関与なしに勝手にふるまっている場合の威力とか美しさとかを、すこしでも私のために見せてくれる価値をもったものだけなのであった」

651~652: 「それからは、単なる大気の変化だけで、私のなかに、そうした転調を十分ひきおこすことができるようになり、そのためには、もはや季節のめぐりを待つ必要がなかった。というのは、一つ(end651)の季節のなかに、しばしば他の季節の一日が迷いこんでいることがあるが、そうした日は、その季節に生きているような気持をわれわれにあたえ、その季節特有のよろこびをただちに喚起し、欲望させ、われわれがいま抱きつつある夢を中断してしまうものなのであって、そうした日は、幸運 [﹅2] のマーク入り日めくりカレンダーのなかに、他のページからはがれたそのマーク入りの一枚を、その順番がめぐってくるよりも早いところかおそいところかにはさみこんだようなものだ」