2022/8/22, Mon.

 わたしは基本的にいつでも"一匹狼"だ。生まれつきであれ、精神を病んでいる者であれ、どういうわけか人の中にいるのが苦痛で一人でいる方が楽なやつであれ、そんなやつらが必ずどこにでもいる。あなたは愛さなければならないという言い方にはもううんざりで、愛が命令になると、憎しみが快楽になるとわたしには思え、あなたに何が言いたいのかといえば、わたしはむしろ穀潰しをしている方がましで、あなたに訪ねてきてもらったとしても何の解決にもならないし、とりわけわたしが酔っ払って真っ赤(end139)な目をしていて、何をする気にもなっていなかったりしたらもうどうしようもない。わたしはもうすぐ四十七歳で、三十年間飲み続け、先はもう長くはなく、病院への通院を繰り返している。憐れんでもらおうなどとは少しも思っていない。(……)
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、139~140; ダレル・カー宛、1967年4月29日)




 アラームが鳴るまえに覚醒して携帯を確認すると七時半だった。目をつぶって音が鳴るまでまたまどろもうかともおもったが、わりともうあたまがはっきりしていたのでそうならず、息を吐きつつ腹を揉んだりしはじめる。腹はここ数日か一週間くらいでかなりやわらかくなった。いぜんのような浅いでこぼこの凝りがすくない。からだぜんたいとしても、瞑想をまた拡散式でからだを感じるタイプのものにもどし、ようするになにもしない非能動性のやりかたにもどし、かつそれとおなじような意識でストレッチをしばしばやるようになってからだいぶやわらかくなっている。肉体のほぐれレベルがかなり底上げされた。
 アラームはあらかじめ設定を解除しておき、お腹まわりのほか脚とか耳のまわりとか頭蓋とか各所かるくこまかく指圧してまわり、八時六分にからだを起こした。寝床で座布団に乗ったまま、まえにゆるく投げ出された脚の脛とか太もも側面とかを揉む。合蹠もこのときもうやっていたかもしれない。カーテンをあけると曇り空だが、昼を越えてのちにひかりのいろもたしょうみられた。洗面所に行って洗顔したり用を足したり、出るとうがいをしたり水を飲んだり。蒸しタオルも顔に乗せ、きょうは寝床にもどらずもうここで瞑想してしまうつもりだったので、そのまえにもうすこし血をながそうと屈伸したり背伸びしたり、胎児になったりプランクしたりともろもろ。そうして八時四八分から椅子のうえであぐらをくんで静止した。なかなかわるくない安定感。窓外の保育園では保護者のあいさつの声や子どもの泣き声うなりなどが聞こえる。目をあけるとちょうど九時二〇分だったので、三二分座ったことになる。それから脚を揉んでわずかにあったしびれを解消し、またちょっとからだをうごかすと食事の支度へ。一〇時から通話なのでそのまえに食べておきたかったのだ。もう食料はだいぶすくなく、サラダの素材もキャベツ、大根、タマネギ、トマトしかない。トマトはのこしておこうとおもい、ほか三つだけだと物足りないし大根とタマネギの辛みがちょっとつよくなってもしまうので、最後に一個のこっていた絹豆腐を手のひらのうえでちいさく分けてくわえた。飴色タマネギドレッシングをかけてハムを乗せる。もうひとつにはこれものこり一個になっていた冷凍のハンバーグを電子レンジで加熱して食す。むしゃむしゃやっているうちに一〇時がちかづき、食べ終わったのがちょうどくらいで、食器類を流しにはこんで置いておき、それらが去った机の左側にChromebookを置いて資料など出して、それでZOOMにログインした。すでにみな来ている。通話時のことはあとで。きょうは前回こちらが欠席のときにつぎの担当をきちんと決めていなかったということで雑談の回になったが、おもしろいはなしはいろいろあった。(……)
 通話を終えたのはちょうど一時ごろ。また屈伸したりして、食器も洗って水切りケースにかたづける。湯を浴びる段である。ひかりのいろがカーテンに見えていたので、そのまえにきのういらい吊るしっぱなしだった集合ハンガーやハーフパンツなどを出しておいた。そのほか肌着類は寝床から起き上がったさいにもうたたんでしまったのだった。あと、屈伸をしていると目が床にちかくなって、そうすれば髪の毛やこまかなゴミが無数に散ってまたいかに汚れてきているかがまさしく目に見えてあきらかなので、五分か一〇分だけでいいから掃き掃除をしようとおもい、扉の脇の角に立てかけてあるニトリで買った箒とちりとりのセットを手に取り、入り口のほうからいくらか掃いた。扉のまえの、床から一段あさく下がっていて靴を履くスペースのことを建築用語でなんというのかいつまで経っても知らないのだが、あそこからして埃がよくたまっており、角のほうなどちょっと蜘蛛の糸のようにかかってもいたので、そのへんから箒をうごかしてあつめ、毛先にまとまってついた埃のかたまりもゆびで取って処理し、ある程度あつまるとゴミ箱に捨てる。そうして扉前から椅子のしたあたりまで、たしょうきれいになったところできょうはもうこれでいいやと切ると、ちょうど一〇分が経っていた。一時一七分から二七分のことである。毎日このくらいですこしずつ部分的に掃除していければそれがいちばん良いのだろうが。
 その後、湯浴み。肌着を脱いで貧弱きわまりない上半身をさらしたところで陽のいろを見たので、出しておくかと窓辺のものをそとの物干し棒に移し、それから全裸になって浴室へ。からだとあたまを洗う。終えるとシャワーを止め、扉を開け、浴槽内で立ったまましばらくフェイスタオルでからだをぬぐう。このフェイスタオルがやはり濡らしてみるとけっこうくさく、生乾きのときに立つようなにおいをふくんでいて、しかしこれは実家から持ってきたタオルでもう古めだから、実家でつかっていたときにもおなじにおいを発していたような気がする。長年の雑菌が根を張って溜まっているのではないか。エマールとワイドハイターに漬けておけばたしょう改善するだろうかとおもい、きょう勤務から帰ってきたあとに気力があったらそうして一晩漬けてみることにした。浴室内、浴槽外の便器まわりも髪の毛がたくさん落ちて汚れているのが気にかかっていたので、ここも目のついたときにちょっとだけやればよいのだというわけで、トイレットペーパーとのこりとぼしいルック泡洗剤をつかってすこし拭き掃除をした。そうしているうちにからだは乾く。室から出ると足拭きマットのうえで扉の陰にかくれながらちょっと背伸びして、バスタオルであたまを拭く。服を身につけるとドライヤーであたまを乾かし、いまつかったバスタオルもハンガーにつけて出しておいた。一枚三回くらいはつかえる気がする。実質あたま拭くだけだし。
 そうすると二時ごろ。ひとつきりのこっていたチーズドッグで出勤前のエネルギーを補給。電子レンジであたためたものを箸でパックからとりあげてかじる。食うと音読した。ものを食ったあとに腹を揉みながら音読するのがなんかいい感じで半習慣化している。二時半ごろまで。四時半かそのあとの電車で勤務に出向くので、猶予はもうすくない。ほんとうはきのう聞いたBill Evans Trioのことなどを出かけるまえに書いてしまいたかったが、それは無理だなと判断。そうしてきょうのことを書き出したのだが、どうもねむい。これは睡眠がみじかかったうえにチーズドッグを食ったときに二錠目のロラゼパムをキメたから、たぶんその作用でもあったのだろう。あと食後の臓器負担とか血糖値の変化とかもあるかもしれない。それでなかなかしゃきっとせず、たびたび立って背を伸ばしたりスクワットの姿勢でとまったり、腰をひねったりとやったのだが、最終的にけっきょく屈伸を念入りにやるのがいちばんあたまが晴れた気がする。脚をうごかすということだろう。それでここまで記すと四時三分。もう身支度をして出かけなければならない。


     *


 現在帰宅後の午前零時三三分である。勤務後はつかいものにならんからなにも食わずなんだったらシャワーも浴びずにさっさと寝るのが吉だとこのあいだおもったわけだが、きょうは屈伸をよくしたためかそこそこ気力がのこっていて、ものを食べる気になった。といって、サラダである。キャベツと大根とひとつだけのこしておいたトマトとタマネギでこしらえる。そのほか職場からもらってきた菓子。帰宅後は扉をくぐってマスクを始末し、手を洗うと、まだ服をかえないうちに先日しばっておいたプラスチックゴミの袋をかかえて(五つもあった)、アパート横のゴミ出し場に持っていった。ごわごわした感触の古びたネットのなかに入れておく。そうしてもどるとワイシャツやスラックスや靴下を脱ぎ、上半身裸のハーフパンツすがたになって、うえに書いたようににおいのよくないタオルを漬け置きしてみるかと洗面所で洗面器に水をそそいで、そこにタオルを入れるとともにエマールとワイドハイターを少量ずつくわえ、ちょっと揉み洗い的にうごかしておいた。それで制汗剤シートでからだを拭う。気力がのこってはいても疲れているのはまちがいないし、ものを食うと消化のためにからだに負担がかかるからそれで一気にねむくなり、またシャワーを浴びることができないまま死ぬ可能性もおおいにあるのでその対策である。自宅について休息にはいったのは一一時半ごろだった。零時一二分に布団から起き上がって食事へ。いま零時四三分。気力がいちおうあるとは言い条、べつにわざわざ勤務後にがんばる必要もないのだけれど、さっさと寝れば良いのだけれど、というこころもちで、しかしいま飯を食ってしまったいじょうすくなくとも二時間くらいは横になれないから、このあとどうするかな、という感じ。食事中は一年前の日記を読み、食後もしばらく。あいかわらずプルーストの感想もしくは分析。

書見はプルーストをすすめる。第三部「土地の名、――名 [﹅] 」はバルベックとかヴェネツィアとかフィレンツェにたいするあこがれからはなしがはじまって、じっさいにその土地をおとずれたことのない話者は伝聞でえた情報やじぶんの想像などからひきだされたさまざまなイメージや観念をその土地のなまえに付与してしまい、固有名詞のそれぞれがほかとはまったく異なった唯一個別の存在として話者のなかでふくらみ、現実のその街よりも現実的な(現実の街はとうぜん、ほかのさまざまの街と共通した要素をもちあわせており、比較可能なのだから)、言ってみれば観念的実在性みたいな性質をもってあこがれをかきたてる、みたいなはなしなのだけれど(ただ、話者が固有名詞にこめるイメージは伝聞情報のほかに、その名詞の発音の響きじたいによってひきだされることもしばしばあるようで、655~656の一段落ではその例が列挙されており、そのなかからさいしょのふたつを挙げておくなら、「たとえば、赤味をおびた高貴なレースをまとってあんなに背が高い、そしてその建物のいただきが最後のシラブルの古い黄金に照らされているバイユー Bayeux、そのアクサン・テギュが黒木の枠で、古びたガラス戸を菱形に仕切っているヴィトレ Vitré」というかんじなのだけれど、語の発音(の全体または一部)から視覚的イメージをひきだすというこの性質は第一部「コンブレー」でもすでに話者が見せていたもので、そこではまず、幻灯にあらわれたジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバンの「ブラバン」は「金褐色のひびき」(17)といわれているし、また、ゲルマントの antes というシラブルは「オレンジ色の光」(288)を放射するものなのだった)、これはこの小説中、すくなくともこの第一巻をとおして何度もくりかえし方々にあらわれているテーマで、第一部では話者はゲルマント夫人にたいしてそのような観念的実在化をほどこしていたし、また初恋のあいてジルベルトにかんしてもそのような志向はあったはずだ(「メゼグリーズのほう」へでむいた散歩のとちゅうにはじめてジルベルトと遭遇して以来、おさない話者はその父親であるスワンの名(「ほとんど神話的なものになったスワンというその名」)を耳にしたいという欲望をつよく持ち、家族の口からその名を発音させようと目論むのだが(241~242)、ジルベルトおよびスワンの名にたいするフェティッシュな欲望と、家族にそれを口にさせようという画策は、パリはシャン=ゼリゼにてジルベルトと再会し恋心をつのらせたあとの第三部でそっくりそのまま反復されている(695~696))。また、第二部「スワンの恋」でも、話者のそれとすこしことなってはいるものの、嫉妬に狂ったスワンはおもいがけない道筋でオデット(の浮気)のことをおもいださせる語やなまえにかんして、「ひどい打撃をくら」ったように苦しんでいる(607~608)。第三部では序盤もしくは前半で、上述したもろもろの土地にたいするあこがれと観念的実在化の作用がかたられながら、そのあこがれによって興奮しすぎたために旅の出発を目前にした話者はたおれてしまい、医者から旅行の禁止を言い渡されて憧憬の土地にむかうことができず、パリに残ってフランソワーズに同行されながらシャン=ゼリゼで遊ぶほかない、という説話的展開が見られるのだが、そのシャン=ゼリゼで話者は初恋のジルベルトと出会ってその遊び仲間になるいっぽう、彼が家に帰ってからジルベルトについて想像しこころのなかにいだくイメージと日々シャン=ゼリゼで現実に目の前にするときの彼女の実像との差異もしくは乖離というテーマ(第一部でゲルマント夫人にたいしてすでに見られた心的作用で、もっともこの第三部のジルベルトにかんしては、前者とはちがって幻滅や失望は明確ではないが)がかたられるわけで(675~677)、だから第三部のなかばからは、物語としては話者のむくわれない恋やジルベルトとの関係がかたられつつも、固有名詞や観念と現実、という前半のテーマが引き継がれて考察される、という構成になっている。

 本文の引用も。682: 「三時になれば、フランソワーズが校門まで私をむかえにきていて、それから私たちは、光でかざられ、群衆が雑踏している街路、バルコンが太陽によって家から切りはなされ、まるで金色の雲のようにもやもやして、家々のまえに浮かんでいる街路を通って、シャン=ゼリゼに向かって歩きだすのだ」というのは、うわ、この光景わかるな、とおもった。しかしバルコニーがこんなふうになっている風景などみたことはない。それでもこういうことだろうなというイメージがじぶんのなかに喚起される。この日はやたらたくさん写しているが、目にとまったのはもうひとつ。

703~704: 「ボワはまた、複雑で、さまざまな、そしてかこいでへだてられた、小さな社交場のよりあつまりであって――ヴァージニアの開墾地のように、幹の赤い木、アメリカ槲などが植わっている農園風の土地を、湖 [ラック] の岸のもみ林につづけたり、しなやかな毛皮につつまれた散歩の女がけもののような美しい目をして突然足早にとびだしてくる大樹林のつぎにもってきたりして――それは女たちの楽園 [﹅6] でもあった、そして――『アイネーイス』のなかの「天人花 [ミルトゥス] の道」のように――彼女たちのために全部一種類の木が植えられたアカシヤ [﹅4] の道には、有名な美人たち [﹅4] が足しげく訪れてくるのであった。あたかも、おっとせいが水にとびこむ岩のいただきが、おっとせいを見に行くことを知っている子供たちを遠くからよろこ(end703)びで夢中にさせるように、アカシヤ [﹅4] の道に着くよほど手前から、まずアカシヤの匂が、あたり一面に発散しながら、遠くから、強靭で柔軟なその植物の個性の、接近と特異性とを感じさせ、ついで私が近づいてゆくと、アカシヤの木々のいただきの葉むらが、軽くしなだれて、その親しみやすいエレガンスを、そのしゃれたカットを、その布の生地の上質の薄さを感じさせ、その葉むらの上には、羽をふるわせてうなっているめずらしい寄生虫の群体のように、無数の花が襲いかかっているのが目にとまり、ついには、アカシヤというその女性的な名までが、何か有閑婦人の甘美な魅力を思わせて、そうした匂、葉むら、名のかさなりが、社交的な快楽で、私の動悸をはげしくするのであった」

 あと、なんの脈絡もなく急につぎのような嫌悪を表明している。インターネット上でなにかげんなりするようなことばづかいを目にしたのだろうか。

「自己満足」ということばの醜悪さ。ある活動をおこなうそのひとじしんがじぶんのおこないについて(誇らかにであれ自虐的にであれ)言うならばともかく、誰か他人の行為について、肯定的にであれ否定的にであれ、そのことばをつかって規定することに非常な傲慢と破廉恥をおぼえる。あたかも人間がなにかをするにあたって、その意味や意図やひろがりや感じ方として満足するか否かしかないかのような(ひとがなにかをするにあたって満足する/させることこそが目的であるかのような、かならず満足しなければ/させなければならないかのような)、理解の基準としてその行為が「自己満足」であるか否かしか存在しないかのような、そのすくいようもなく貧しい還元ぶりに嫌悪をかんじる。ほとんど「自己責任」とおなじくらいに腐った複合名詞だとおもう。主述に分解されていればまだしもゆるせるかもしれない。つまり、じぶんじしんで満足できればそれでいいってことでしょ、というようなかんじで、文のかたちになっていればすこしは醜悪さが減じるような気がしないでもない。しかし、「自己満足」という四文字に固定され名詞化されていると(タームもしくはワードになっていると)、もうそれだけで、その標語性にうんざりするような破廉恥さをおぼえる。

 ここまで書いて一時だが、案の定、消化がだんだんはじまったりあと血糖値のためか、からだもあたまも重くなったようで、あくびが湧くようになってきた。


     *


 午後四時、出勤前。ワイシャツにアイロンをわざっと(というのはいいかげんに、とか、大雑把に、という意味で、母親がつかっていたことばだが、たぶん祖母から受け継いだものではないか――とおもっていま検索してみたところ、高崎市のページがいちばんうえに出てきて、「「わざっと」は、「少しばかり」という意味のおらほうの言葉です。「わざっとだけど、とっときなィ(=少ないけど、受け取ってください)」というように使われます」という説明の文があった。母親も祖母も群馬にかかわりなどないはずだが)かけているうちに四時半の電車は間に合わなそうになったので、五時前のもので行くことに。いちおうそれでも準備時間に余裕がすくないがどうにかなりはする。きがえてリュックサックを背負い、部屋のそとへ。道に出るとひとのすがたが多く、一軒か二軒横の家では父親と中学生くらいの娘ふたりがそとに出て、父親の指示で娘がしゃがみこみ草に手を伸ばしているようすだったし、自転車や徒歩でとおるひとも何人かある。公園の木で鳴いているセミの声は距離を置いているうちはもうずいぶんおとろえたなと聞こえるのだが、間近まで来るとそれでもいくらか厚く降り、とはいえあたりの空気感はもはや晩夏から秋にわたりつつある風情で、風ともいえないくらいの微風に黄色くなりかかった葉が容易にはなれてそとの道にながれ、黄や黄緑や褐色など、落ち葉がいくつも散らばっている。右方、西へと曲がれば太陽は正面である。きょうは雲が多くひかりのもとはそのなかに埋まりながらも片手を眉にあてなければならないくらいのまぶしさは送られ、もちろん暑いには暑いがやはり盛夏のてざわりではない。西空では純白をまもる巨大な雲の左右に、これもおおきめのかたまりがふたつならび、陽射しのまばゆさによって表面をすこし青く濡らしながらも消えかかっているとちゅうかの薄さで、空と雲の層のちがいがあきらかならない。道を渡って裏路地をすすむ。ときおり見上げながら行っていると、小公園を過ぎたあたりで駅前マンションのうえにそびえてひろびろとした雲があらわれ、その下腹はひかりを裏に受けて隅をのぞけばぜんぶ青灰色に染まっているが、ばかでかいブルーギルのようなシルエットだから下腹というより側面というべきなのだろう。上部の左端だけがかわいた白さをあかるませ、まわりのほかの雲もおなじようになかを薄青くされている。駅につづく細道に陽はかげってたいした暑さはなかった。
 駅舎にはいるとホームを移る。この時刻だとひとがそこそこいてベンチも空いていないので、立ったままながれを浴びて数分、来た電車に乗って(……)へ。すでに音楽をながしはじめていた。James Farmの『City Folk』。着くときょうは乗り換えにさほど時間がないので手近の口から人中にはいってあがっていき、(……)線のホームに移動、端に行けばこの時刻の電車はおもったよりも空いている。もっと帰宅客がいるものだとおもっていたが。席について瞑目。ヤクのせいで耳をふさいでいるとねむくなってきて、まともに音楽を聞くことはできない。それで路程の半分くらいでイヤフォンははずして素の耳で瞑目したが、そうすると車内の音や気配や空気があらわになるから、ちょっと緊張して、腹をさぐってみればみぞおちのしたというよりへその上端あたりがややかたくなっており、喉にちいさなものが詰まったような感覚もある。やはり腹のこのあたりをよく揉んでやわらかくしておいたほうがよいのだろう。
 (……)に着くとさっさと職場に行った。帰路のことをさきに。退勤は一〇時をまわったあたり。駅にはいると改札をとおってすぐにある多目的トイレにはいり、クソを垂れた。そうしてホームに行き、いちばん端の車両に乗って着席。もうひとり中年のサラリーマンが端の一画に座っていたが、発車前に出ていった。帰路もはじめのうちは音楽を耳にながしていたが、やはりねむけがまさっておもしろくないのでじきにイヤフォンをはずして、瞑想じみた無動の休息へ。(……)に着くと起きて箱を出て、階段をのぼってすでにしまった店舗のまえを移動。時刻はすでに一一時ちかかった。(……)線ホームに下りていくのにこちらが踏むのは階段だが、横のエスカレーターでは老女がふたりくだっていて、かたほうがもうかたほうに寄り添って、あいての鞄や肩あたりに手をかけてくっつくようにしている。ホームに下りてからもそのままの姿勢でふたりはすすんだが、支えがなければあるけないということではなくたんにとても親しいだけのようで、ねんごろな別れのことばを交わしていた。いつものように端の車両に行って乗り、扉際に立つと片手で手すりを持って目をつぶる。立ったままからだのちからを抜いて静止のうちに揺られて待ち、(……)で降りれば目のまえにはマンションの灯がならんでいる。からだの芯にちょっと疲れと苦しさがあった。それは家を発ってからずっと水を飲んでいなかったので水分が足りないのではないかとおもい、ホームをすすんで自販機まで来るとポカリスエットイオンウォーター250mlを買って、その脇のベンチについて携帯で(……)さんのブログをチェックしながらその場で飲み干した。ボトルを捨てて帰路へ。駅を出るとそこにある「(……)」という寿司屋の側面、格子状の小窓から白さが見えているが、いつもはここにこんなひかりはない。細道を行くとスーパー(……)のなかからは七〇年代アメリカの女性ボーカルグループかなというような、軽快な音楽が聞こえてくる。夜道をひとりでしずかに行っていると、物思いの種などがなければ、そうしてあるいているじぶんの現在に焦点が合い、いまこのときのじぶんや、ここまで来ているじぶんというものが意識されることが多い。ありていにいえば、おれももう三二年も生きちまってこれからどうすんのかなあ、とおもったりするわけで、年下の若者らにたいしてじぶんのことをおっさんだとわざわざ言ってみせることはないし、まだ若いといえばいえなくもないけれど、無疵の若さではない。現在が意識されるとほとんどつねに、同時に反転的に死のこともおもわれて、だからといってそれに不安やおそれをいだいたり、悩んだり、じぶんはいつ死ぬのかとかんがえたり、死ぬまでになにをやりたい、やらなければとおもったりするわけではない。ただ死のこと、じぶんが死ぬということをおもうだけで、それいじょうのことはない。死はいつか来たるものである。しかしそれがいつ来るのか、どのように来るのかはわからず、来たところでその実態も、他人の死からして肉と自己の消滅に帰結するらしいとおもわれてはいるが、じつのところさだかではない。それゆえ死とはまさしくもっとも純粋な到来そのもののようでもあるが、しかし、こういうとき、現在を媒介にして死をおもうとき、なんだかもう死んでいるのとおなじであるかのような、そんな感じがありはしないか、とおもった。そうはいっても現に生きてあるいているわけだけれど、道や路面や家や街灯や夜空や宙やら、周りのものものに、すでにじぶんがいなくなったあと、この世から消えたあとのすがたを見ているようなこころになるのだ。おなじことは古井由吉が、『野川』か『白暗淵』かほかのものかわすれたが、どこだかに書きつけていたはずである(かれはいっぽう、松浦寿輝との対談で、「生前の眼」ということを言ってもいる。じぶんが生まれるいぜんに世を生きて死んだ無数のひとびとの眼が、じぶんが天気などものを見る目のなかに不可避的にふくまれている、というようなはなしだ)。死のことをおもうとハイデガーの理屈をかんがえることも多い。といって『存在と時間』など読んだことはないが、ひとは頽落した気晴らしの非本質的な生のなかで死の必然性とまともに直面し、それによっておのれの本質的な生を見出すというれいの論である。ハイデガーのばあい、究極地たる死から反転的に照射されたいまここの生は、けっきょくのところ民族や国家のような共同性のなかでこそその雄々しい本質を展開することになっていたはずで、それゆえにナチズムと親和してしまったのだろう。ハイデガーにとって死とまともに出会うまえのひとの生は端的な頽落であり、だから出発点は死のほうにある。そこが本質的な生の開始点である。ひるがえってそのようなヒロイズムを避けるためには、死をおもうことではなく、いまここの陳腐な生を陳腐な生としてまともに見ることからはじめなければならないのではないか。現在の生をおもうことは二極反転によってすぐに死をおもうことに転じるが、そこからさらにひとは、死の照射力によるなんの英雄化もなしに、陳腐な生へともどってこなければならない。往復の契機がなければならない。ハイデガーは死から生の本質へと一方通行である。あるいは、生の本質へといたったのかもしれないナチスの小英雄たちが、死をもおそれぬ行動に駆り立てられてそちらに向かっていったとするならば、死との遭遇からはじまって生を鞭打ち、そののちまた死へと回帰していくべつの往復を見るような気もする。この往復を、逆転させなければならないのではないか。
 横断歩道のある車道まで来たところで、路面が打ち水でもしたように濡れていることに気づいた。渡って裏にはいっても同様で、知らなかったがはたらいているあいだに雨がとおっていたらしい。ところによっては道のゆがみにちいさな水たまりすらできている。リュックサックを背負って両手は空なので左右のポケットに突っこみながらあるいており、前方に伸びては消えていくじぶんのほそい影も、手の先を消してどことなく不遜げなゆれかたである。空は一面に曇っており、夕方からさらに雲が増えてなじんだらしい。満開だった白サルスベリはまたふくらみをこぼしはじめていて、その向かい、道の右側にある消えかけの街灯はあいかわらずチャバネゴキブリの背の色や琥珀色を見せながら、いっそう不安定に呼吸し喘いでいる。アパートのある路地まで来ても路面はやはり濡れていて、ときどき靴の裏でジュッジュッという響きがもれるくらいには水気があった。


     *


 いま八月二七日の午後六時だが、この日の記事にもどってきてみれば意外と書いてある。勤務中のこともほんとうなら書きたいところだが、この日だれにあたったのかすらもうほぼわすれているし、断念しよう。通話中のはなしも詳しく書くのはめんどうくさいが、いくらかは書いておこうかな。(……)
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 (……)
 (……)
 (……)


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  • 「ことば」: 1 - 5
  • 「英語」: 747 - 761, 762 - 770
  • 日記読み: 2021/8/22, Sun.