2022/12/4, Sun.

 あるときぼくは、こんな状態にはふだん全く理解のないマックスに、次のことをほとんど完全に確信させることに成功しました――つまりぼくの状態はたえずひどくなるばかりで、だれも、たとえぼくをどんなに愛して、ぼくの間近に坐り、ぼくの眼を見つめて励まし、いやぼくを抱擁する(これはもう愛情からというより絶望からですが)としても、ぼくを救うことはどうしてもできないということ。ぼくは成りゆきに任せる他なく、それがぼくにも一番好ましいことで、その他のことは人間に可能なかぎりの間耐えられるだろうということです。ぼくらは、二人だけでしたが、当時ドブルジィホヴィツというプラハ近郊の美しい所へハイキングし、そこに泊りました。ある午後すっかり雨に降りこめられ、ぼくはマックスの部屋のソファに横たわり(ぼくらは二部屋借りていました。というのは、ぼくは一人きりの部屋に眠らなければならなかったのです。あなたはそれをもしかすると勇気と考えられるかもしれませんが、臆病にすぎないので、その推論は、床 [ゆか] に寝ておれば落ちることのないと同様、ひとりでおれば何事も起り得ない、というのです)、全くぼんやりしていましたが、眠りこむこともできず、さりとてまた眼をあけていようとも思いませんでした。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、250; 一九一三年一月二九日から三〇日)




 携帯を見たのは八時。半分起こしたからだをもどし、布団のなかで深呼吸をしたり、手や腕をさすったりする。肩甲骨のあいだがかたまっているのが感じられ、そうするとやはりからだがいくらか不安げな感じを帯びる。起き抜けに不安をおぼえることが過去にもくりかえしあり、意識がまだはっきり覚醒しきっていないから無意識的なものがかかわっているのだろうかとおもっていたが、からだの面では背骨の問題だったのだろう。そして同時に、左の手首と腕の内側がこごっているのも感じられ、そこをさすると背中が反応するのがわかるから、やはりここはなにかしらつながっている。左の手首はもともと右よりかたくて、親指を腕の内側に押しつけるストレッチをしても、右は楽勝でつくのに左はかたくてなかなかつかず、さまたげがあって痛い場合もあり、これはむかしからそうなのだ。中高時代にギターをやっているあいだにすじを痛めたのだとおもう。それがずっとつづいているのだけれど、肩甲骨のあいだでも背骨の左側のほうがなにかしらひっかかりをおぼえるというのは過去に観察されており(胎児のポーズで左右に揺れたときとか、その場あるきをしているときとか)、手首と背のこのかたよりもたぶん相応しているのだろうとおもう。朝の冷えこみはさすがにそろそろ冬のものとなっており、布団のしたにいるぶんにはたいしたことはないが(それでもまだいちまいしかかぶっておらず、毛布を活用していない)、肌がそこから出るとなかなか冷たい。八時半ごろに正式な覚醒。そうしていつもどおりからだをやわらげながら一〇時までだらだらした。あいだウェブをみたり、じぶんの日記を読みかえしたり、(……)さんのブログを読んだり。ひさしぶりに二〇一四年の記事も読んだが(四月一三日の日曜日)、やはり文体というか語り口じたいがぎこちなくてわざとらしく、恥ずかしくてまともに読む気にならない。ざっとながすだけになってしまう。
 天気はいちおう水色と薄陽の色が見えていたが、雲もおおく、水色がおおわれる時間もあって、きもちよく晴れきらない。しかしシーツを洗うことにした。だがそれは瞑想をしたあとだったはず。寝床から起き上がるといつもどおりリセッシュを布団に撒いたり水を飲んだりし、きょうはあたまのうしろに組んだ両手をあてて前傾し、背面を伸ばしたり。問題の肩甲骨付近はこれで伸びるが、伸ばしゃそれでOKというものでもない。とはいえたしょう背がかるくはなる。瞑想は一〇時六分からはじめて、そんなに座っていないだろうとおもいながら目をあけたが、それでも二〇分だからわるくはない。寝床でも胎児のポーズをやっておいたから背中はけっこう楽だった。瞑想を終えて座布団や枕を窓外に出し、それでふつうの洗濯はきのう済ませたしシーツも洗おうとおもったのだ。布団から剝ぎ取って窓をあけ、バタバタやろうとするものの、ちょうどしたの道にひとが通るところだったのでいったん待って室内で背中を伸ばし、それから柵のうえでバサバサやって塵を宙にゆだねる。そうしてたたむと洗濯機へ。洗いはじめると食事だが、水切りケースの一段目(格子状になっているほう)が先日からけっこう汚れてきていたので、まずはそれを洗うことに。プラスチックゴミを始末し、皿やまな板などをそとに出して、箸やスプーンも出した皿のうえに一時置いておき、ケースをながしにもちこんで流水をあてながら、もうだいぶつかいふるされて針金もいくらかびよんと伸びだしてきている金束子でこする。内側をこすってOKとおもい裏返してみるとそちらのほうがむしろかなり汚れていたので、裏面もよく洗う。二段目のケースに汚れた水が溜まり、そこに一段目の底の裏がくっついたままでいるので汚れるのだろう。それから食事の支度。れいによってキャベツと白菜と豆腐を切ってサラダに。シーツを洗ってガタガタいっている洗濯機のうえで野菜を切り、両手ですくいあげて大皿に乗せていく。ごま油&ガーリックドレッシング。なんかけっきょくこのドレッシングがいちばん飽きが来ないような気がする。サラダをこしらえるとすぐにまな板や包丁は洗ってしまい、また昨晩タレつきの冷凍の唐揚げをあたためて食うのにつかった椀が、そのタレで汚れていたのを洗剤を混ぜた水につけっぱなしにしてあったのでそれもかたづけ、そうして即席の味噌汁をつくるために電気ケトルで湯を沸かし、味噌汁の椀に少量そそいだのこりはマグカップへ。食事。ウェブをのぞきつつ野菜をむしゃむしゃ食う。味噌汁まで飲むと、きのう買ってきたチョコレート味の蒸しパンもひとつ食った(二つ入り)。そうして洗い物を済ませて、まもなくシーツの洗濯が終わったのだけれど、さきにちょっと文を読みたい気がしたので、「ことば」ノートから基本的に毎日読むようにしているTo The Lighthouseの一節を読んだ。それからシーツを干す。天気はやはりあまりふるわず、西南の方面に雲が湧いていて陽の光がこころもとないが、洗ってしまったからにはしかたがない。物干し棒にひろげて留めて、もどるとそのまま音読をつづけた。ぶつぶつ無声音で文を読んでいるあいだ、また両の手や腕をさすっていたのだが、そうするとやはり肩とか背のあたりが軽く、またあたたかくなってきておちつくようだ。左手首の内側、血管が二本ならんで浮かび上がっているそのあたりがいちばんなんかクリティカルなポイントのような気がした。ここが問題の背骨のあれにいちばん通じているような気がする。右はといえばそこまででもないんだよな。とはいえ両手両腕ともさすっていると、いろんなところに反応はあり、たとえば首の横のすじ(おそらく胸鎖乳突筋)とか、鎖骨のあたりとか、頭蓋のほうにまでときには波及する。実家にいたころ風呂にはいったときに束子でからだをこすっていたけれどそれとおなじで、あのときはとくに足の裏や側面をこすると、同様にいろんなところに波及したものだが、手や腕もおなじなのだろう。足の裏をこすったときも首のあたりにあきらかに対応していることが感じられて、さいしょのうちはかなり敏感というかなかなかこすれないような感じだが、数日やれば慣れてくる。そして応じて首の反応も弱くなっていくわけだが、そうするとからだもたしょう落ち着いたようになっていたはずで、あれはいわゆる自律神経がととのったということなのだろう。また足の裏だけでもこするようにしたほうがよいかもしれない。
 音読中に目に留まったのはしたの項目。

544

 なおもふたつの光の粒のきらめくのを魂は眺める、ふたつの小さな星が見えるように、(end34)と。やがて光は揺らいで、消えかかる、あたかも一羽の蝶の翅のさやぎのように、と。
 詩の結びはしかし老境の最果ての、その手前あたりに留まる。人は夕日の中を逍遙している。
 とはいえわたしはまだ、夕べの野を歩んでいる、沈みかかる日輪ばかりを道づれとして、おお、眼よ、睫の捉えたその分なりとも、飲みつくすがよい、世界のこの黄金に燃える余剰のうちから、と。
 夕映えの豊穣から、せめて睫に掛かる分を、というこころになるだろう。睫の一言に、老いた眼精の、残照をわずかに仰ぐ姿が見える。
 ゴットフリート・ケラーの一八八三年の詩「夕べの歌」である。ケラーは一八一九年生の、九〇年没であるから、当時六十四歳、死の七年前の作になる。老年の感覚の機微はうかがえる。睫から眺める、とは絶妙な表現と思われる。ただし、病いを得た高年の読者は、しばし息苦しさにうなされるかもしれない。
 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、34~35; 「3 晩年の詩」)

 「とはいえわたしはまだ、夕べの野を歩んでいる、沈みかかる日輪ばかりを道づれとして、おお、眼よ、睫の捉えたその分なりとも、飲みつくすがよい、世界のこの黄金に燃える余剰のうちから」ってかっこうよすぎでしょとおもうのだけれど、ケラーというのはわりと興味があるといえばある。しかしそのわりに日本ではぜんぜんなまえをきかない。海外文学好きのなかでもケラーが好きですとかいっているにんげん、いまいないでしょ。スイスのゲーテとか言われていたひとのはずで、たしかあちらではけっこう国民作家的なあつかいなのではなかったか。『緑のハインリヒ』というのがゆうめいで、これは岩波文庫に何巻かではいっていたはずだが、ただしもう相当に古い訳だったとおもう。こちらの興味というのはまあこういうロマン派的なのが好きだということもあるのだけれど、あとヴァルザーがケラーめっちゃ好きだと言っていたことで、『緑のハインリヒ』はすばらしいと言っていたはずだし、じぶんは過去に読者のことをかんがえなさすぎた、ほんとうはもっとひとびとのために書くべきだったのです、もしいまやり直せるとしたら『緑のハインリヒ』みたいなものを目指すでしょう、とかも言っていたおぼえがある(カール・ゼーリヒとの対話のなかで)。だからたぶん古典的な長編小説みたいな感じなのだとはおもうが。あと、ゼーバルトも、まさしくヴァルザーもとりあげたエッセイ集である『鄙の宿』(だったよな?)でケラーも取り上げていた(ヘッベルやルソーも)。たしかそこに書いてあったんだとおもったが、ケラーというひとは背が低くて、自他ともにみとめる醜男で、好きな女性がいたのだけれど、そのひとのなまえを紙いっぱいに書きまくってページを埋め尽くしたんだったか、それかそのなまえの群れでもって絵をつくるみたいな、おもいあまって偏執狂的なことをやっていた変態野郎だったらしい。
 音読後はきょうのことを書きはじめて、ここまでで一時二四分。手や腕をさすったので指はかるいが、書きはじめはやはり緊張が身に兆す。


     *


 うえを書いたあといったん寝床に逃げる。シーツはまだいれないので、たたんであった敷き布団をひろげただけのうえに、出しておいた座布団は回収してそれを腰のしたに。ごろごろしながら(……)さんのブログを読む。いま一一月二九日まで。したの保坂和志のはなしって、もしかして、ムージルのいわゆる「可能性感覚」とつらなるものなのだろうか。

日本の水際対策が議論されるたびに思うのだが、たとえば、いわゆる(浅薄なほうの)リベラル勢が、日本の水際対策の甘さを非難している場面をときどき見るのだが、そしてそういうときに決まって比較対象としての台湾を持ち出すのだが、仮に武漢でコロナが蔓延していたあの時期に、日本が台湾同様、中国からの新規入国をほかのどの国よりもはやく制限する厳格な措置を出していたら、同じ(浅薄なほうの)リベラル勢はそれを支持しただろうか? そうではなくてそんな(非人道的な?)措置は即刻撤回するべきだと政府を非難したのではないだろうか? このことを考えるたびに、保坂和志が『魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない』で書いていた、原発事故にかんするマジでクソ本質的な一節を思い出す。

 事故発覚直後に冷却剤を投入しておけばこんな大事故にはならなかった――という、東電や管内閣の対応の悪さに対する批判がある。あの時点で冷却剤を投入して本当に事故が収束していたとしたら、原発の必要性についての議論はきっと今みたいには本気で起こらなかった。問題はここだ。
 菅直人(か誰か)がもしも冷却剤の投入を強行して(それが成功して)いたら、事は原子炉が一基(か二基、か三基)廃炉になっただけで終わり、電力不足という現実だけが残った。
「管は冷却剤投入を強行したが、あんなことしなくても、東電の技術力をもってすればあの事故は早晩収束させることができた。」
 という論陣を張る勢力が大声をあげ、
「復興のこの大事なときに管は深刻な電力不足を引き起こした。管はA級戦犯だ。
 浜岡原発を止めろ? 冗談じゃない! あれほどの大地震・大津波に遭っても、福島は結局大丈夫だったじゃないか。」(何でもかんでも「戦犯」というのはやめてほしい。「戦犯」という言葉には「太平洋戦争で負けさえしなければ」という底意が響く。)
 ということになっただろう。福島第一原発以前の流れを考えてみれば、これ以外にはありえなかった。
(…)
 もしあのとき、菅直人(か誰か)が冷却剤投入を強行して、事が収束していたとしたら、
「もしも冷却剤を投入していなかったら大事故になった。」
 ということを、社会全体に理解させる力量は、菅直人にもその周辺にもなかったことは明白だし菅直人にそれだけの力が万が一にもあったとしても、原発推進勢力の圧倒的なプロパガンダによって砕け散っただろう。
 事が未然に終わったり、小さく収まっているかぎり、人は何が起きうるのかを理解しない。
 これは人間としての認識のあり方の宿命なのか。
保坂和志『魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない』より「どの政府ももう何もしない」)

 中国事情。

 (……)ひとつ書き忘れていたことがあった。(……)さんから聞いたのだが、食堂のスタッフたちは現在、食堂の空きスペースで寝泊まりしたり車中泊をしたりしているらしい。写真も見せてもらったのだが、たしかに食堂にあるプラスチック製の硬い椅子の上に、掛け布団ぐるぐる巻き状態で横になっているおっちゃんの姿があったりして、は? マジで? とびっくりした。こちらはてっきり寮の空き部屋かなにかを大学が提供しているものとばかり思っていたのだが、いやいやこれ普通にえげつなくないか? と思った。彼らは少なくとももう二週間以上このような生活を送っていることになるわけだが、寝泊まりもそうであるけれども入浴などどうしているのだろう? 風呂に入ることもできない状態で働いているのだとすれば食堂の衛生面の問題もあるわけだし、もうちょっと大学がなんとかしてやれよと思う。あまりにもかわいそうだ。部屋も入浴の機会も与えてやることができないのであれば、せめて給料だけでも普段の倍ぐらい出してやれよと思うのだが、ブルーワーカーの扱いなんて知ったこっちゃないというのが率直なところなのだろう。学生らのたびたびいう「日本人は冷たいですか」は、たぶん、東京の駅で道に迷ったとき、見知らぬ歩行者に声をかけても対応してくれないみたいな、そういうレベルの話だと思うのだが、こちらの思う中国人の冷たさ、というか他者に対する引くくらいの無関心は——もちろんそれは社会構造によって内面化することを余儀なくされている無関心であるのだが——こういうところだ。たぶん学生たちと彼らの待遇の話になっても、引くくらい驚いたり同情したりする学生は少数で、大半はいちおう同情は示しはするけれども心中ではどうでもいいと考えるだろうと思う。

 (……)さんもたいがい口が悪いと言っているが、したの夏目漱石の文は読みながら爆笑してしまった。とくに、「代助から見ると、この青年の頭は、牛の脳味噌で一杯詰っているとしか考えられないのである」というのと、「代助はこの青年の生活状態を観察して、彼は必竟(ひっきょう)何の為に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さえある」。じつに淡々とした調子でひどいことを言う。

 門野は只へええと云ったぎり、代助の光沢(つや)の好(い)い顔色や肉の豊かな肩のあたりを羽織の上から眺めている。代助はこんな場合になると何時でもこの青年を気の毒に思う。代助から見ると、この青年の頭は、牛の脳味噌で一杯詰っているとしか考えられないのである。話をすると、平民の通る大通りを半町位しか付いて来ない。たまに横町へでも曲ると、すぐ迷児になってしまう。論理の地盤を竪(たて)に切り下げた坑道などへは、てんから足も踏み込めない。彼の神経系に至っては猶更粗末である。あたかも荒縄で組み立てられたるかの感が起る。代助はこの青年の生活状態を観察して、彼は必竟(ひっきょう)何の為に呼吸を敢てして存在するかを怪しむ事さえある。それでいて彼は平気にのらくらしている。しかもこののらくらを以て、暗に自分の態度と同一型に属するものと心得て、中々得意に振舞たがる。その上頑強一点張りの肉体を笠に着て、却って主人の神経的な局所へ肉薄して来る。自分の神経は、自分に特有なる細緻(さいち)な思索力と、鋭敏な感応性に対して払う租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵(てんしゃく)的に貴族となった報(むくい)に受ける不文の刑罰である。これ等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為れた。否、ある時はこれ等の犠牲そのものに、人生の意義をまともに認める場合さえある。門野にはそんな事はまるで分らない。
夏目漱石「それから」)

 ただここの箇所は笑えるだけでなく、はなしがじぶんの神経にうつったあとの、「自分の神経は、自分に特有なる細緻(さいち)な思索力と、鋭敏な感応性に対して払う租税である。高尚な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。天爵(てんしゃく)的に貴族となった報(むくい)に受ける不文の刑罰である」という一節はいかにも夏目漱石という感じでやはりうまいなとおもった。漢語をふんだんにもちいた比喩の凝縮感と、そのぎゅっと締まったところにさらに「である」という、硬くて重い文末を三度かさねてみせるリズムのとりかた。ふつうこんなふうにやるとぼってりとしてしまう気がするのだが、夏目漱石のばあいはなぜかそうならず、ここではかろやかとまではいかなくとも、うまく、かっこうよくながれているように感じられる。すばらしい。
 きょうはめずらしく比較的はやばやと寝床から起き上がり、椅子についてまた腕をさすりながら二九日付まで読んで、そうしてここまで加筆して二時一九分。ひかりはレースのカーテンにやどったり引いたりで、明暗が波を打っている。シーツはもうすこし出しておきたい。きょうはあと二六日いこうをやっつけでかたづけて、きのうの外出時のことも書けたらいいかな。ブランショの読書会は読めていないのがみんなおなじなようで、望みどおり延期になった。一月になりそう。


     *


 いま午後一一時。籠もった日なので特段のこともない。ブランショの読書会が延期になって、あたらしい日付は一月の見込みなので間が生まれ、そうなるとまたこれはむずかしいしいったん置いておいてべつの本を読もうかなという気になり、先日買った斎藤兆史『英語達人列伝』(中公新書)をえらんだ。かるいものを読もうと。近代日本の英語偉人たちの学習法とかエピソードを紹介するたぐいの本で、さいしょは新渡戸稲造。冒頭にカーライルの『衣服哲学』と新渡戸じしんが書いた『武士道』の英語原文が引かれていて、新渡戸のほうはまだしも、著者の斎藤もいっているように、カーライルの文のほうは「大学院生でも音を上げるだろう」(8)というたぐいのもので、Consideringからはじまる従属節がひたすらつづいたあとでダッシュをはさんでようやく主節がくるという構成で、従属節ながすぎだしそのなかもやたらこまかく区切ってわかりづらいのだけれど、新渡戸稲造はこれを一八歳時点で「スラスラと読みこなしていた」(8)というからふざけやがって。かれが一五歳で入学した札幌農学校も外国人教師陣が「ほとんどの科目を担当し、当然のごとく英語で講義を行った」(9)というが、北大図書館に保存されている生徒の受講ノートをみると訂正はすくなく、「学生たちは一六、七歳にして、みな外国人教師の講義をほぼ正確に書き取る能力を持ち合わせていた」(9)と判断されるらしいからクソエリートどもが。たいがいにするがよい。おれは来月で三三歳だが、そんなことぜったいにできないぞ。こういうのを読むと、「ことば」と「読みかえし」ノートだけでなく、また「英語」ノートの音読もしたほうがいいかなあというまよいも生まれる。
 日記は二六日と二七日をかたづけて投稿することができた。二八日もほんとうはやりたかったのだけれど、からだがついていかず。これからできるか? しかしあした労働だから無理をしないほうがよい。(……)大の過去問も読んでおいたほうがよいし。二回目の食事は一回目とまったくおなじものを食ったが、夕食には煮込みうどんをこしらえて一〇時前くらいに食した。きのうスーパーに行ったときは鍋スープのたぐいを買わなかったから、麺つゆと味の素だけで味つけ。それだけでもわりと満足できるし、毎度スープ買ってても金がかかるので、麺つゆと味噌でどうにかしたほうがよいかもしれない。夕食後には燃えるゴミも出しておいた。ゴミ箱からビニール袋を取り出し、するとけっこう余裕があるにはあるのだが、もう出す。冷凍庫に入れてあるラップにつつまれた生ゴミも合流させる。このあいだ実家から食い物をもらってきたときのジップロックの小袋があったので、一部それに入れて密閉した。ゴミ出しはほんとうは朝におこなわなければならないのかもしれないが、起きられないのでゆるしてほしい。この季節なら生ゴミもそんなにすぐ溶けないだろうし。


     *


 いま零時二九分。湯を浴びたあと。髭を剃ろうとおもっていたのだけれど、いざ鏡のまえに立ってみるとめんどうくせえなあというきもちがまさり、億劫さに屈することになった。髭を剃るのはマジでめんどうくさい。伸ばしまくってマルクスとかエンゲルスとか伊藤博文とか葉加瀬太郎とかBeard Papaみたいになりたい欲求もないし。湯を浴びるまえに寝床でゴロゴロしていたのだが、そのあいだにふだんつかっているほうではなくブログ用のgmailをのぞいたところ、noteでサポートしてくれた「(……)」さんからメールが来ていたのでおどろいた。サポートのメッセージに返信したときに、これも縁ということでアドレスをおしえるので、なにか聞きたいことがあるときなどはメールをください、歓迎いたしますと送ったのだけれど、ほんとうに送ってきてくれるとはおもわなかった。ありがたい。文面は以下。

(……)

 さいきんは文章を書くのがたいへんなところでもあるし、さしあたりお礼とよろこびだけつたえるみじかい返信を送り、正式なものはしばらくかけて綴ることにする。ひとまずの返事はいまもう書いた。

(……)


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  • 「ことば」: 31, 9, 24, 1 - 5
  • 「読みかえし2」: 543 - 550
  • 2021/12/4, Sat. / 2014/4/13, Sun.


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Guardian staff, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 284 of the invasion”(2022/12/4, Sun.)(https://www.theguardian.com/world/2022/dec/04/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-284-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/dec/04/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-284-of-the-invasion))

Ukraine is slapping sanctions on 10 senior clerics linked to a pro-Moscow church on the grounds they agreed to work with Russian occupation authorities or justified Moscow’s invasion, the security service said on Saturday. The announcement is the latest in a series of steps against a Ukrainian branch of the Orthodox Church linked historically to Moscow. The Orthodox Church in Russia itself backs the war.

Eighteen Ukrainian diplomatic missions in 12 countries have received bloody packages, including animal parts, in what Ukraine has described as a “campaign of terror and intimidation”. Oleg Nikolenko, a spokesperson from Ukraine’s foreign ministry, said the packages were simultaneously sent from one European country, which he could not disclose while the investigation was ongoing.

The west should consider how to address Russia’s need for security guarantees if Vladimir Putin agrees to negotiations about ending the war in Ukraine, the French president, Emmanuel Macron, said. He said Europe needed to address Putin’s fear that “Nato comes right up to its doors”, and the deployment of weapons that could threaten Russia, as Europe prepares its future security architecture, Reuters reports.

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Daniel Tilles, “Russia’s war offers chance for Poland and Ukraine to reconcile over WWII massacre, says Polish PM”(2022/7/12)(https://notesfrompoland.com/2022/07/12/russias-war-offers-chance-for-poland-and-ukraine-to-reconcile-over-wwii-massacre-says-polish-pm/(https://notesfrompoland.com/2022/07/12/russias-war-offers-chance-for-poland-and-ukraine-to-reconcile-over-wwii-massacre-says-polish-pm/))

Russia’s war offers an opportunity to finally achieve reconciliation between Ukraine and Poland over the massacre of ethnic Poles by Ukrainian nationalists during World War Two, said Polish Prime Minister Mateusz Morawiecki on the anniversary of the tragedy.

On 11 July, Poland commemorates the Volhynian massacre of 1943 to 1945, during which up to 100,000 Poles were killed in an ethnic cleansing operation led by the Ukrainian Insurgent Army (UPA). Today, most Poles regard the event as a genocide, but this is denied in Ukraine.

     *

Morawiecki, meanwhile, caused some controversy by suggesting in his speech that Germany, which was occupying Ukraine when most of the massacres took place, was ultimately responsible for them.

“Who ruled these lands then? Germany. They were the masters of the life and death of Poles, Ukrainians and Jews. Germany is also responsible for the Volhynian crime – let us recall this,” said the prime minister.

That claim is “a typical example of bending history to the needs of contemporary politics”, wrote Piotr Zychowicz, deputy editor of the right-wing Do Rzeczy weekly and author of a book on the Volhynian massacre. “The OUN/UPA was responsible for the genocide in Volhynia” and “the Germans often helped Poles attacked by Ukrainian nationalists”.

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The massacres – which took place in eastern Galicia as well as Volhynia – were an ethnic cleansing operation aimed at ensuring that after World War Two Ukraine could assert sovereignty over areas that had previously been part of Poland. Most of the victims were women and children.

11 July 1943 – known as “Bloody Sunday” – was the most violent single day, with UPA units leading attacks on dozens of town and villages, killing Polish inhabitants and then burning settlements to the ground.

A 2018 poll by SW Research for Rzeczpospolita found that 72% of Poles regard the massacres as genocide. Two years earlier, Poland’s parliament had passed a resolution recognising it as such.

Many in Ukraine reject the description of the events as a genocide. They also point to anti-Ukrainian actions – including violence – by Poles and the Polish state before and during the events of 1943 to 1945.


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Jennifer Robinson and Keina Yoshida, “Her right to speak versus his reputation: how courts around the world are getting this wrong”(2022/10/21, Fri.)(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/22/her-right-to-speak-versus-his-reputation-how-courts-around-the-world-are-getting-this-wrong(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/22/her-right-to-speak-versus-his-reputation-how-courts-around-the-world-are-getting-this-wrong))

In the opening essay in The Right to Sex titled “A conspiracy against men”, Oxford philosophy professor and essayist Amia Srinivasan explains how in the United Kingdom only “0.23 per cent of rape reports led to a false arrest, and only 0.07 per cent of rape reports led to a man being falsely charged with rape”. Srinivasan concludes that “a false rape accusation, like a plane crash, is an objectively unusual event that occupies an outsized place in the public imagination”. She also explains that the myth of the false rape accusation is “a predominantly wealthy white male preoccupation”.

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The debates in the wake of MeToo have not been over whether alleged perpetrators can be named in court (clearly they can be), but rather about whether newspapers and survivors can name those alleged of abuse online or in newspaper articles before any court proceedings have commenced. Many have argued that doing so amounts to “trial by media” and “violates the presumption of innocence”.

Men’s rights groups have argued that the naming of men online in relation to allegations of sexual assault, rape or abuse violates the presumption of innocence. They have even claimed that online movements such as #IBelieveHer (or #YoTeCreo in Spanish) violate this legal presumption. This is a basic misunderstanding of the principle. As Srinivasan explains, this is a “category error”, since “the presumption of innocence does not tell us what to believe. It tells us how guilt is to be established by the law: that is, by a process that deliberately stacks the deck in favour of the accused.” She explains that believing women operates therefore “as a corrective norm, a gesture of support for those people – women – whom the law tends to treat as if they were lying”.

Freedom of speech or expression is a fundamental human right and the cornerstone of a democratic society. International human rights law is clear that free speech can only be subject to restrictions that are necessary in a democratic society – and this includes “for respect of the rights or reputations of others”. Human rights courts have explained that free speech also admits a degree of exaggeration or even provocation – and speech that may be offensive. In other words, free speech should be the starting point, and it should be limited by libel and privacy laws only where that is strictly necessary.

     *

In recent years, the United Nations has reminded states and governments that women’s human right to live a “life free from gender-based violence is indivisible from and interdependent with other human rights, including … freedom of expression, movement, participation, assembly and association”. There is also mounting recognition that freedom of speech is an equality issue. The UN and regional human rights bodies have recognised that every woman is entitled to the free and full exercise of her civil, political, economic, social and cultural rights, including freedom of expression, and they recognise that violence against women prevents and nullifies the exercise of these rights. Yet too often we see courts fail to recognise a woman’s right to speak, her right to equality and to be free from violence, and the broader context of the need to protect.