2022/12/13, Tue.

 その代り午前はすばらしいものでした。まだ朝オフィスに行くときは、すべてがぼくにはひどく厭わしく退屈で、別に時間が遅くもなかったのに、途中突然少しの距離を走りはじめましたが、それもただ世界の厭わしさを少しでも動かし、それでもっと耐え易くするという目的のためでした。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、280; 一九一三年二月二〇日から二一日)



  • いま午後九時一七分。きょうは実家に帰ってきている。きのう労働があり、さらに今週はあしたも夜から一コマだけ勤務なのだが、その時間に合うように(……)から電車で行くとなると帰宅ラッシュとかさなって死ねるし、かといって一時限分はやく出勤して時間をつぶしているのもめんどうくさい(そうしようかともおもったのだが)。だったら、ちょうどきょう医者に行って薬をもらってくる用があったので、そのついでに実家に帰り、一泊させてもらい、ここから出勤すれば往路の電車での消耗も避けられて楽ではないかとおもったのだ。そしてなにより風呂にはいれる。実家を出ていらい、風呂にはいちども浸かっていない。きょうこれからである。医者には四時半くらいに着いて、待合室にはいっていくとだれもいなかったので(ちょうど診察しているひとがひとりだけいたが)、とうぜんすぐに終わり、五時には(……)駅にもどっており、実家に着いたのが五時半くらいだっただろう。荷物がおおくなってもめんどうなのできのうとおなじスタイル、ジャケットなしでベストまでの仕事着のうえにモッズコートで防備をかためるかたちで来たが、それをしたはジャージ、うえはユニクロの薄いタートルネック(地味なビリジアンみたいな色)と、無印良品らしきパーカー(わずかに藍の色味が混ざっているようにみえなくもない黒のもので、フードの左右から紐が胸へと垂れている)に着替えさせてもらい、仕事着は三つに分けて(ワイシャツ、スラックス・ベスト・ネクタイ、モッズコート)居間の物干し棒に吊るしておいた。母親のはなしをなんだかんだと聞いたあと、いったん自室にさがり(階段下で父親にあいさつ)、ゴロゴロしながらウルフの『波』をほんのすこしだけ読みすすめたのち、腹が減っていたので六時半くらいには食事へ。いろいろ食わせてもらった。ひさしぶりににんげんらしい食事をしたわと、そこまでのことではないのだが、そういう冗談を二、三度口にした。にんげんらしさはともかくとして、一食の量とバリエーションとしてはアパートにいるときとはくらべるべくもない。炊飯器で炊かれてあたたかいままの米を食ったのもだいぶひさしぶりだ。メニューは米、キノコや野菜や芋のはいった豚汁、ゴロゴロとした小粒の唐揚げ、レンコンやらなにやらの煮物(これはきのうの余りだったようだが、酸味がやや前面に出つついろいろ混ざっているような味でうまかった)、紫大根らしきものをシーチキンで和えたもの、あと父親が床屋からもらってきた鹿肉の燻製や、みかんや漬け物と品目たっぷり。鹿肉の燻製は味がかなりしょっぱいのだけれどうまかったので、くれるよう頼んでおいた。さいしょに汁物や米を椀によそったりして卓にはこんでいるあたりでは、ちょっと緊張があるような、亡霊に取り憑かれているような重さが肩から肩甲骨のあたりににじんでいて、ようするにそれがこちらのいうところの嫌な感じだが、食いだしてみれば問題なくたくさん食べて満腹になることができた。きょうは朝覚めてから、きのうの疲労がのこっていたようでなかなか起き上がれず、まどろみながらも布団のしたで深呼吸をながくやっていたのだけれど、やはり覚醒起床時に深呼吸をやっておくとその後のからだの楽さがちがう。からだぜんたいが弾力的になって柔軟性が増すから、たくさんものを食べても苦しくならない。肉体の容量が増えるような感じ。さいきんは深呼吸をやっていなかったから腕や手首がこごっていたり、ものを食ったあとにからだのなかがうごめいて落ち着かなかったりしていたのかもしれない。いちにち一回、覚醒起床時の習慣とするだけでもけっこう変わってきそうだ。できれば寝るまえとかにもういちどやればよいのではないか。あとそのように朝に呼吸でからだのベースをつくっておくと、その後の日中もからだがほぐれやすくなり、三回とか五回とか深呼吸をしただけで肩がすっと下がっていくぶん楽になったりする。そういう点でも大事だ。アパートから(……)駅まであるくとちゅうの信号待ちで、そうして数回のみの呼吸をやって活力をたもっていた。きょうはリュックサックにパソコンなども入れてきていつもより荷物が重かったし。
  • その往路のことを書こう。きのうの出勤とおなじくらい、四時半あたりの電車になるかなとおもっていたのだが、起床時に呼吸をくりかえしたためにからだが活力的で、もうはやめに出かける気になった。午前ははやい時間には雨が降っていたようだし、さだかに記憶している空も真っ白だったが、午後からひかりがレースのカーテンにあらわれて、それにさそわれたこともある。きのうからなごった疲労をふりはらえず寝床でだらだら過ごし、起床は正午になってしまったが、ちょっと体操をしたのち、食事を取ってWoolfの英文を読み、湯を浴びて身支度し、三時くらいにアパートを発った。路地は水たまりをのこすほどではないが、まだ全面濡れている。風もつめたく駆けてくる。南に向かえばすぐ公園がある。それがまだ全容見えず、家屋にかくれてほそく、手前の角の木やそのむこうにのぞく反対側の端の木々のみ見えだすと、黄色い葉に満ちたとおくのそれから、あちらでもながれがあるようで、ぱらぱらぱらぱらと砂のように、間断なく、宙に舞うもののとぎれる時をつくらずに、色の粒となった葉っぱがあれよあれよと、おどろくほどの抵抗のなさでこぼれていく。ちかくなればいちばん手前の角にあるひともと、こちらのこずえは黄ではなくてカラメルソースの褐色だが、これも同様につぎからつぎへと、あまりにもかるく軽々しいように、無音で葉っぱを手放していた。このまま一気に落ちきる時節のようだ。雨後ということもあるだろう。
  • 黄色いこずえからの舞い落ちをなごりおしいようにふりかえりながら右へ折れて、老人が戸口に出て背を丸め気味になにやらやっている細道を抜ける。するとちいさな車道をはさんでかなた、西空には太陽が出現して、空は一面の淡い水色に雲は残骸も気配もなくし、わたれば目の前の駐車場が西陽の照射につらぬかれて、ここもくまなく濡れているから、海面のような電撃的なかがやかしさが、まさしく太太しい稲妻の軌跡のように地面に貼りつき視界を襲って、その脇を行くあいだ強烈な純白は位置を変えつつ寄りついてくる。東西にまっすぐ走る南の車道に接する角のコンビニも、駐車場をおなじく濡れひからせている。そのなかをななめに横切っていると、まわりをあるいているひとびとや、歩道を通過していく自転車の影が、チーズのようにほそながく引き伸ばされて推移していくが、踵に目を落とせばじぶんの足もとからももちろんおなじ細さが伸びている。空はどの方角を見ても直上を見上げてもただ淡青がひろがっているばかりのあっけにとられるような晴れ方で、その一色平面に視線と意識をひらけば、しぜん気分もあかるくなる。車道沿いを西へとすすんでいると、とちゅうで右側からちょっと出ている庭木の葉も、緑は緑で水気がのこっていたのだろう、常緑特有の締まり方でつややかだし、接した赤の葉もくっきり対照して鮮明だった。線路をわたってさき、空き地のてまえには中華料理屋がある。そのさらにてまえ、なんでもないような半端なところでふと右をみおろすと、ハクセキレイが一羽ちょこまかしているのが、細身の印象があるこの鳥にしてはずいぶん丸々と太った、重そうなからだのやつだった。まだあかるいこの時間に来てみれば空き地の草っ原は緑よりはむしろ、最前の緑列を越したむこうに何色ともいいがたい、冬場の茎草のあの色としかいいづらいが、気の抜けたような肌色まじりの薄褐色というか、その色をした雑草の柱たちが一様にならびひろがっており、ススキの穂がそのうえにあたまを抜いて浮かんでいるので、緑はむしろすくなくて、すぐ近く、フェンスをはさんで目のまえのそれしかみえないくらいだ。病院の建物は一面をすべて日なたとし、側面にあたるもう一面は角の接合線でくっきり分かれて陰の領分、上端を越えたむこうにはやはり無雲の淡青色で、日の色を帯びた面の端にはそこに立った木が風にゆらされてその影が、ゆらゆらうねってうつりこんでいる、そうした光景のぜんたいが、うつくしいとしかいいようのないこの天気の時間を証ししている。過ぎれば道沿いにはほぼ裸となった木がならび、そのあいだの地面は緑の雑草と茶色い落ち葉が混淆している。木のほうはといえばその落ち葉のみなもとだろうが、枝にかろうじてのこっている葉はどれも茶ではなくて熟れた林檎かザクロのような赤さ、ある種の鳥の羽根とか甲虫の背とかをおもわせるかに、そこそこ大ぶりのすがたでいちまいいちまい吊るされていた。
  • きのうと同様、(……)に寄って小便をする。出てすすめばまもなく(……)通りの交差地点だ。横断歩道に引っ掛かったので立ち止まり、息を吐きながら空に目を振ったり、まえをとおりすぎていく車の波をながめたりする。すぐ目のまえにガラスが来れば立ち尽くしているモッズコートにマスクすがたのじぶんの像が、一瞬生じてはすぐにながれて、黒塗りの車だったりすると窓の上下の車体のほうまで一挙にあたりをうつしこんで、じぶんのすがたもより十全になり、いっぽうでボンネットのうえには対岸にそびえるビルのかたち色などが、湾曲にしたがいぐにゃりとゆがんだ変形態で、まぜこぜになって過ぎていく。


     *

  • 横断歩道をわたるとそのまま(……)通りにはいってまっすぐ西へ。あいまにはさまるちいさな路地の入り口に信号と白線がつくられたところとないところがあり、いったいどういう基準で設置されているのかわからない。この日はたびたびそこで赤に止められたが、車がまったく来なくても強いてわたろうとせず、息を吐いたり空をみあげたりして停止に待った。左に車道をはさんだ向かいがパン屋である一箇所では、正面をわたったさきは(……)保育園、そのまたむかいは(……)の、いわば耳の部分にあたる上端の左右をななめに切り落とされたようなめずらしいかたちのビルが建っており、そのうえの空はあらためてみてみてもぽかーんとしてしまうような、ひかりの満ち満ちてかえって薄まったような淡水色だった。じきに道のとおくにモノレールの線路が高みを横切っているのが見えはじめ、そこを電車がとおればあいだ、道路沿い左側のビルに色とすがたがあいまいに反映しているのも目にはいる。そのへんまで来ると先日(……)や(……)くんとともに夜歩いた区画であり、交差点で右に折れてまっすぐ行けば駅にあたる。エスカレーターをつかわずとちゅうの階段で高架歩廊へ。正面にあらわれる駅併設のホテルは四角く整然とくぎられた窓にほとんどかくしがかかっているものの、二、三、蛍光灯の白さがのぞく部屋もあった。駅南口からまっすぐ出てくると突き当たりになるビルのまえでは、パチンコ屋の客引きをする女性店員あいてになにやらしゃべりかわしている男がいる。駅からは続々とひとびとが出てきて、コンコースにはいれば波の度は増し、緊張はどうかなと自動的に腹をさぐるような意識になるが、変化はかんじられないようだった。改札を抜けると(……)へ。ではない、まず先発の(……)に下りたのだ。そこの(……)側に(……)が停まっていたが、なかをみるとけっこう混んでいて、第一車両の隅もすでに埋まっていたので、これはちょっと乗ると苦しそう、そういうわけで後発のほうにうつった。そうするとそちらは発車時点にいたっても隣が埋まらないくらいなのでなかなか過ごしやすい。音楽はひさしぶりにFISHMANSの『宇宙 日本 世田谷』をながした。
  • (……)に着くと降りて、ホームのベンチにリュックサックを置き、イヤフォンと携帯を分離させてかたづける。携帯のほうはモッズコートのポケットに入れておいた。腕時計もそこにはいっている。ちなみにこちらと同時に降りた女子高生、こちらの座った列の反対の端にいた子だが、かのじょは寝過ごしてしまったのか、降りても出口にむかわず向かいにやってくる電車に乗るようなそぶりでその場にとどまっていた。しかし起きて携帯をいじっていたようにおもうのだが? リュックサックを背負い直すとエスカレーターに向かい、のぼってトイレへ。小便を捨てるとハンカチで手を拭きながら出てきて改札をとおる。左に折れて医者に向かう。階段をおりて駅を出ると、きょうは線路沿いから行ってみようかなという気分になったのでまっすぐすすむ。ここにいたっても空はほぼ薄青さ一色、ひらかれた平滑面をカラスが数羽、鳴き声をほうりながら黒点として大雑把に群れなして飛んでいくのがみられ、ただし雲がないわけではなく、低みに水っぽい帯が引かれているものの、どの方角をみても下端に沈んでばかりいて、それよりうえはなべておおぞら、だからビルや家屋にかくれたむこうから湧いてにじみ、染まったような薄雲だった。医者に着く。階段をのぼっていく。けっこういるのではとおもっていたが待合室にはいってみれば無人、受付にあいさつして保険証や診察券を出し、熱をはかってもらう。そうしてソファ席につくと診察室のなかからはなしごえが聞こえたのでひとりだけ先客があるなとわかった。母親に、いま医者に来たがだれもいないのですぐに終わりそうと送っておく。
  • とくになにをするでもなく瞑目のうちに待ち、呼ばれると重いリュックサックをともなって診察室へ。問答はたいしたものではない。どうですかとさいしょにきかれるので、ちょっとずつよくなってきたような気がするとこたえて、先週今週(つまりきのう)の労働に向かうまでのようすをつたえる。あちらからは、仕事中に発作になることはありませんかと聞かれたので、号令のときだけは声が出なくなったり動悸がしたりするが、それはいま回避して(と笑い)、ほかのひとにやってもらっているとはなし、それをのぞけば発作というほどのことはない、やりとりのなかでちょっと緊張したり、鼓動が高まったりはありますが、とこたえた。まあいちおう順調とみてよいだろう。そういうわけで変わらず薬を出してもらい、礼とあいさつをのこして退出し、まもなく会計して受付の女性にもきちんとお礼を言って、ビルをくだってとなりの薬局へ。そういえばさきに診察を受けていたひとりというのは(……)と呼ばれていたとおもうが、二〇代後半かあるいは三〇代、じぶんとおなじくらいかとおもわれる女性で、ながくはない髪の裾をちょっとピンク色に染めており、服装も弱い柄のコートにあれはコートの裾だったのかなかに着たものの裾だったのか、下端がちょっと豹柄になっていて、声は低めでもったりしており、はなしぶりもちょっと輪郭がゆるいようなけだるげな語調で、医者でも薬局でも職員あいてに微妙にフレンドリーなようなひとことをやりとりのあいだわずかにさしはさむのだった。薬局でこちらが座っているそばでさきに薬を受け取っていたので会話を盗み聞きしたところ、睡眠薬のたぐいをもらったようだが、二種類をあわせてつかったところ、ねむれるようにはなったのだけれど夢遊病みたいになってしまい、じぶんはおぼえていないのだが彼氏がいうには起きてうごいていただったか、あとは起きたらなぜか枕がびしょびしょになっていたときがあって知らないうちにシャワーを浴びたようだとか、そんなことをはなしており、それで今回は薬を減らしてもらったらしかった。


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  • いま一二月一五日木曜日の午後一一時二一分だが、この日のことはあとはべつにいいかな。実家についてからもたいしたことはなかったし。夕食後は日記をいくらか書き、そうしているうちに母親が風呂から出たことを察知し、階段したの父親も風呂空いたぞーと呼びかけてきたので、入浴に行った。ちなみに夕食はひさびさに居間の食卓でこたつテーブルにならんではいった両親と空間を共有しながら取ったが、テレビをまわしながらもおもしろいのがやっていないといいつつなんだかんだぺちゃくちゃとこちらに近況などをしゃべってくる母親のとなり、父親はイヤフォンをつけてタブレットでじぶんのみたいものをみており、口の上下に白っぽい無精髭がついた顔が酒を飲んで赤くなっているあたりや、番組をみて神妙めいた表情でうなずきをくりかえしているあたりなど、実家にとどまっていた数か月前となんら変化していない。そして風呂に浸かったのは実家を出ていらいはじめてのことなはず。存在が洗濯される。浴槽のなかにはいっていったときに、それほど熱い湯でもなかったのに、皮膚がすべて溜まっている湯にしずんで浸透されるその刺激がひさしぶりにすぎたので、きもちよいというよりはなにかしら苦しいような表情に顔がうごいた。だが風呂はよい。たっぷり時間をかけてはいらせてもらった。たびたび述べているが、真にひとりになれる時間、つまりなにものからもはなれた自由の時刻とは、いまのところこの世に風呂と音楽と夜歩きだけだ。瞑想ですらひとりにはなりきれない。音楽はやっぱり相当な程度でひとりになれるね。この世のどこにも存在しない時空に行ける。ほんのつかの間だが。ほんとうに形而下の現世、つまりそのときの身の回りの時空をわすれてべつのばしょに行ける。べつの場所って要するに録音されているその複製音源のなかというだけのことだけれど。それも遮音性のたかいイヤフォンやヘッドフォンのおかげにすぎないのだが、しかしこの世のどこにも存在せずそこにしかない、音楽がながれているそのあいだしか存在せず数分後には消えてしまう場のひらきがあることはもちろんまちがいのないところですよ。そこでこちらはひとりだし、あちらにあるのも音楽だけで、ときにその彼我のあわいが消え去る瞬間ももしかしたら生じているのかもしれない。おもえばむかしからじぶんは音楽になりたい、音楽のなかに溶けて一体となりたいという欲望をいだいていた。むかしといって数年前だけれど、電車のなかでいまと変わらずBill Evans Trioの”All of You”なんかを聞きながら、これをすべてのこらず記憶しこれとかんぜんに一致したいとおもってひたすら集中していたものだ。そのときは呼吸や舌のうごきや唾液すらが邪魔だった。いまはべつに音楽を聞くときに一体になりたいとか、じぶんよ消えよとはおもっていない。


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  • 「ことば」: 40, 31, 9, 24, 41 - 43
  • 「読みかえし2」: 617 - 622