2022/12/14, Wed.

 先だってあなたは、ぼくの伯父の手紙に関連して、ぼくの計画や見通しについて質問しました。ぼくはその問いに驚き、いまあの知らない男の問いをきいて、また思い出しました。もちろんぼくは全く計画をもたず、全く見通しもありません。未来へとぼくは歩いていくことができず、未来へ倒れこむ、未来へ転げこむ、未来へよろめきこむ、そ(end290)れならできますが、一番よくできるのはじっとねていることです。しかし計画や見通しは本当になにもありません。ぼくは工合がよければ、全く現在のことでみたされ、工合がわるければ、もう現在を呪いますから、まして未来のことなどは!
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、290~291; 〔一九一三年二月〕二八日から三月一日)



  • 実家での朝。まだ明けないくらいの早朝からめざめて、さいしょに時間を確認したのは七時四〇分ごろだった。しかし起きられず、まどろみつづけて、九時台も確認したが心身がはっきりしきらず、まどろみながらも手のゆびを伸ばしたり深呼吸をしたりして、一〇時四五分ごろにようやく起き上がることができた。それいぜんにカーテンをひらいていたが、九時くらいからしたの窓枠にふれて太陽がガラス内にあらわれはじめ、天気はまっさらな快晴、風が吹くと林のほうから飛ばされてきた枯れ葉が窓のなかをななめに通過していくのがみられ、群れのうちで五指型の葉がひとつ、過ぎたとおもったら風にあおりかえされてきて、渦を巻くようになんどか楕円をえがきながらおくれて去っていった。正午まえまでふくらはぎをほぐしながら寝床でだらだら。ウェブをみて、一年前の日記も読み返す。きのうは読みかえしをサボったので二日分。アパートで読むのと、文章にしるされているのとおなじ実家の部屋で読むのとでは、読みかえしの読み味もまたすこしちがう。一二日の記事をまだ記せていないが、昨年の一二月一二日に父方の祖母が亡くなっていた。一四日には山梨から一時帰ってきた父親に、経緯を聞いている。

その他、とくだんのこともなし。とおもったが、父親が帰ってきて祖母の亡くなるまでの経過についてかたられたのがこの夜だったはず。去年だか二年前くらいからからだがかゆいということをうったえていた祖母だが、それは胆嚢から胆汁を通過させる胆管がつまったことでなんとか性黄疸とかいうものになり、それでからだの内側から、内臓からかゆくなるという症状だったらしい。それにかんしてはなにか体内に器具を入れるとかで一時解決したのだが、多少再発したりとか、その器具をプラスチック製からべつのものに変えるとか、そういうこともあったようだ。またいっぽうで、先日から脚が痛いということも言い出して、その原因は脚の付け根の動脈に血栓ができてしまっていたからで、血管がまったくふさがったわけではなくかろうじてほそいながれがのこってはいたのだけれど、微々たるものだから、脚はもう黒いようになってしまっていたのだという(血栓ができたのは、黄疸関連で器具を入れるにあたって、ふだん飲んでいた血液のながれを促進する薬を止めていたのが影響したのだろう、ということらしい)。ただ、年齢もあり、またからだのなかがどこももうボロボロということもあって、手術はできない。だから薬でなんとかするしかないという状況だった。そうして一二月一〇日にまた説明があるからときょうだい四人そろって聞きにいったところ、さいごの手段としていわれていた脚を切断するということももうできないくらいの状態だとはなされたと。切ったところで、血流が弱すぎるということなのか、切断面がうまくふさがらず膿んでしまい、そこがまたわるくなって、細菌なんかが体内にまわって死にいたってしまうだろう、という見通しが説明されたらしかった。それなので、実質、もうなるべく苦しまないようにいろいろな投薬をしながら死を待つほかない、という状況だとそうはなされて、とはいえいますぐどうということではないのでその日はいったん帰り、じゃあこれからどうするか、ほんとうなら「(……)」にもどりたかったが、もっと設備のととのった施設にうつさなければならないか、と今後のことをはなしあっていたところが、一二日になって容態が急にわるくなったのできてほしいと連絡があり、かけつけた。そのときはもうくるしそうな呼吸をしており、また意識もあやふやで、声をかければいちおう反応は見せるものの、こちらをたしかに認識しているのかもあやしそうだったと。とはいえいちどもどることになり、(……)の家にいたところ、午後にまた連絡があってふたたびかけつけ、そのまま看取ることになった。さいごはしぜんに、だんだんと呼吸がちいさくなっていって、くるしそうなようすもなく息を引き取ったという。とつぜんのことではあったが、子どもら四人全員でたちあうことができたのはよかっただろう。ねむるように逝き、死に顔もおだやかだったというのでそれもよかった。脚を切るかもときいていたから、そうならないですんだのもよかったとおもったとこちらがいうと、父親は、それもそうだがいまは脚を切断してもサポートが充実していてわりとふつうに生きているひとはけっこういるから、じぶんとしては切ることになってもそれでいのちがつなげるならそうしてもらいたかった、ただ(……)さんは、いや、わたしは切ってほしくないと反対していたが、と笑っていた。

  • 一三日にはなかなかよい描写があった。

(……)ポンプが石油を汲むのを待つあいだ、開脚してからだをひねりながらあたりに目をやると、東の坂道に接した木立のうえではトンビが一匹たいらになりながら青い宙を切ってまわり、風は林を鳴らしつづけて、黄色オレンジ緑の葉群が明暗をふるわせながらこまかくうねって揺動するそのうえを、つぎつぎとはがされこぼれていく葉っぱたちがスローモーションの雨のように、こずえの鳴りに比して緩慢すぎるようなゆるやかさでながれおちていく。

  • 時間がおそくなったのできょうも瞑想をサボってしまう。手をちょっと振っただけ。上階に行くと両親ともいない。母親は九時半からしごとと聞いていた。父親はどこに行ったのか知らない。玄関のトイレに出るとそとに車はあったが、気配がないからあるきにでも行ったのか(午後一時のいま、ちょうど帰ってきて上階をあるく音がつたわってきた)。冷蔵庫のなかみはさくばんのうちにざっと確認しておいた。食事はひじょうにひさしぶりだが、かつてのようにベーコンと卵を焼いて丼の米にのせて食うかというわけで調理。米も釜にさいごの少量がのこっていて具合がよい。あとはきのうの汁物のこれもさいごのあまり。フライパンに油を垂らしてベーコンと卵を落とし、丼に米をはらい、焼けるとそのうえへ。汁物も熱してよそって卓へ。紙の新聞を読みながら食事。ページをめくっていっておおまかにみてから読みたい記事にもどる。一面には中国がいわゆるゼロコロナ政策の事実上の撤回のうごきのひとつとして、移動情報を追うアプリの運用を停止したとあった。省をまたぐ移動なんかはリスクがたかいからこれを利用して制限していたり、感染の経路を追うのにも役立っていただろうが、もう停止。二面にも関連記事あり。(……)さんもブログでつたえているが、共産党コロナウイルスが弱毒化したという宣伝に躍起になっているようす。感染者を洗い出すための大規模PCR検査もやめてしまったので、北京市だったかのいちにちの感染者数の発表はピーク時の二割くらいになったというが、実態を反映していないだろうと。
  • もうひとつ、ドイツで政権転覆をもくろんだ極右勢力が、全国で二八六の民兵組織をつくって動員しようとしていたと。政権奪取がなったあかつきには民兵組織は逮捕とか処刑とかをになう予定だったらしい。かんぜんにテロリズムの計画だが、逮捕されたなかには右派政党の連邦議会議員や、判事や軍や警察の出身者もいたというからそうとう来るところまで来ている。かれらは「ディープ・ステート(闇の政府)」が国家をあやつっていると信じており、じぶんたちであらたな正義の政府をつくることをめざしていたというから、Qアノンの影響力がつよい。極右的な思想の持ち主とQアノン方面に影響された陰謀論者が混ざったような勢力だろうと。ここでもディープ・ステートか! とおもった。
  • その他宮崎駿吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』をタイトルだけ借りたオリジナルの脚本で、新作長編を発表すると。八一歳だという。もう引退したものだとおもっていたが、長編はもうつくらないという言を一七年に撤回していたらしい。
  • 食後は皿洗い。フライパンに水を汲んで火にかけ、食器乾燥機のなかをまずかたづける。スペースをつくるとつかった食器を洗ってそこへ。沸騰したフライパンも湯をながしてキッチンペーパーできれいに。汁物の鍋をつづけて洗い、さらに炊飯器の釜も洗ってもうあたらしく米を磨いでおく。右手が流水にさらされて芯から冷えるなつかしの感覚である。午後七時に炊けるようにタイマーをセット。風呂はどうも父親が洗ったようだったので(洗濯機につながるポンプがかたづけられていたし、蓋をめくってみても水がのこっていない)、OK。洗い物いがいにも家事を済ませておくかとおもって、アイロン掛けをすることに。こたつテーブルのうえに載っていた座布団をどかし、アイロン台を端に乗せ、アイロンもコンセントにつないで準備。やりはじめるまえにミカンを一個食って、さきにいったん自室にもどってきのう医者で入手したヤクを一錠飲んでおいた。そうしてあがってくると服を処理。ハンカチや、父親のズボン(沼に生えた苔みたいにくすんで薄汚れたような褪せた緑で、まだこれ履いてんのかとおもった)や、シャツを何枚か。床においた座布団のうえに膝をついてやっていると正面の南窓からあかるい昼間の空気がみえるのはなつかしの風景ではある。風があり、近所の家並みをいくつか越えて川沿いに立っている一本の緑木が、この時期でもふさふさと繁っているこずえを陽射しのなかでうねうねうごかし、それにおうじて葉っぱにやどったきらめきがちらちらふるえてこずえは全体、緑と白との入り乱れた混合となり、そのさらに向こう、あいだの空間は見えないものの川の対岸をおりなす樹壁も風を分かち合っておなじふるえかたをしているから、前景と後景の距離が消え去ってひとつのつらなりとなったようにみえる。左の東窓からは林に接したあかるい道でゆっくり犬の散歩をしている老婦人などが、レースを透かしてときおりみられる。風が吹けば林はだんだんとしのびよってくるような持続のうなりを立てて、南窓にいちど、大量の落ち葉が浮遊してあらわれ、くるくる回転するうごきがひかりをはじいて返すから葉っぱというより金属の箔が舞っているかにおちこちの宙が万華鏡めき、舞台の最前に出て観客にアピールするごとくガラスまで迫ってくる一、二枚もなかにある。
  • アイロン掛けを終えると一二時半。湯呑みに白湯をそそいで自室へ。ベッドの縁にすわってスツール椅子のうえにパソコンを乗せるのがやはりかつてのスタイルだが、ベッドの縁はアパートに買った椅子よりも座りごこちがわるい。きのうさいしょに寝そべったときにはスプリングの感覚がたいそうひさしぶりだったから、あれ、マットレスあたらしくしたのかな、こんなに弾力あったかなとおもったが、もちろん新調したわけではない。アパートの敷き布団が薄っぺらくてちゃちなのだ。白湯をちびちび飲みつつ音読。Woolfの英文とかを。それから高めの白いテーブルにパソコンをうつして、立位でここまで記した。一時三八分。ときおり手から腕にかけてをさすったり、一時打鍵をやめて手を振ったり。手をぷらぷら振ると腰のほうまで波及があって肉がほぐれて楽になる。肩周りがゆるまって首がめちゃくちゃまわりやすくなるのもすごい。そういえばきょう覚めたとき、右腕のほうは問題ないのに、やはり左だけ肘のあたりがつめたくなっていた。


     *

  • うえまで書いたあとはベッドにころがって、(……)大学の英語の過去問を確認。職場からコピーしてきたものを持ってきていたのだ。きょう(……)くんの授業があるので。長文ふたつを読んでみたかんじ文章のかたさとしてはさほどではなく、ほかは語彙や文法などの問題だし、これなら(……)くんも合格水準をふつうに取れるとおもう。(……)大学のほうはいままだきびしそうなのだが。そちらの長文を例にして文章の読み方でもないけれど、まあこういう点に着目するとすこしは読みやすくなるかもしれないということをまとめたり、あとは今後二か月ほどでなにをやればいいかということを記した文書をつくって渡そうかなとおもっているのだけれど、果たしてそこまでのやる気が出るかどうか、余裕があるかどうか。二時に達すると中断して上階へ。洗濯物を入れるようだろうとおもっていたが、父親がすでに入れたらしくベランダにつづくガラス戸のまえに吊るされていたので、タオルやら肌着やら寝間着やらをたたむ。そうしているあいだに父親がなかにはいってきたのをみれば、黒いキャップ型の帽子をかぶっており、湯を沸かして台所でなにかやっている。パジャマをたたむために袖をつかんだりしてうごかしながら南窓のむこうに目をやるに、そとはまだまだあかるく良い天気で、ただ風は盛んでときどきつよく吹いては音響をもたらし、おびただしい数の葉を空中に散乱的に吐き出させている。寝間着は仏間に置いておき、タオルを洗面所に置きにいくついでに父親の手もとをのぞくと、なにやらちいさな容器に白い固形の物体がはいったのに湯をそそいでいたようで、なんなのそれときいてみると、ハッカだという。蜂が病気にならないようにつかうとかなんとか。食い物かとおもったと言い置き、部屋から湯呑みを取ってくると白湯をおかわりして、もどって立ったまま(……)大の過去問のつづきを読んだ。楽勝。そのあと音楽をききながら手首をふろうかなというわけで、Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』さいしょの三曲とともにぷらぷらやる。いいかげんあたらしい音楽聞けよとおもうが、”Autumn Leaves”のあの天衣無縫をまた聞きたくなってしまった。”Come Rain or Come Shine”を聞くに、やはりコードを打たれたときのそのあざやかさと響きに快をおぼえてしまう。”Autumn Leaves”のテーマを聞いて、Evansの音はずいぶんかっきりと、枠のなかにぴったりはまりこんだような音だなとあらためておもった。四角い感じがするのだけれど、だからといって角張ったかたさはなく、むしろ推移はなめらかで流麗である。ステレオ版のほうは三者かけあいの間奏部のさいごで、Evansがソロにうつるまえにとコードを打ったあと、Motianがブラシを置いてスティックに持ち替えている音がちいさくはいっているのが地味に好きだ。モノラルのほうは冒頭からLaFaroがあばれていて、連打や上昇のさいごにハーモニクスを一音いれているんじゃないか? ときょう気づいたが、そのあいだはテンポがステレオのほうよりわずかはやいように聞こえていたのだけれど、間奏にはいると、冒頭のLaFaroのフレーズがいくらか減速したためか、むしろステレオよりももったりしているように聞こえだし、ピアノソロにうつるといくぶんはやくなった気はしたが、それでもステレオより遅いような気がする。Evansの速弾きにはすげえなという箇所があるのだけれど、モノラルなのでステレオよりもはっきりとまえに出て聞こえないのが残念なところだ。聞いているあいだ気分はあかるく、ソロのメロディをあわせて口ずさみたくなってしまうが、無声音で口をうごかすにとどめる。ここまで書き足して三時一二分。勤務に出発するのは六時四五分くらいで良いからけっこう時間はあるのだけれど、行くまでに飯をつくっておくつもりなのできょうあとどうしようかなという感じ。また、もともときょうの勤務後にそのまま帰るつもりだったのだけれど、リュックサックもけっこう重いし、もう一泊させてもらってあしたの昼間に帰ればいいかなという気になってきている。風呂ももういちどはいれるし。


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  • 四時から飯の支度をした。煮込みうどんを食おうというわけで野菜類を切って鍋にどんどん入れていく。あいまのこまかなプロセスはわすれたが、冷蔵庫にいろいろ素材があったので、すこしずつ雑多につかった。ゴボウもあったのでちいさなブラシでゴシゴシやって土を落とし、そのブラシについている皮むき用の突端でジャーッといくらか皮も細く削っておき、輪切りにしたあと椀の水にさらす。そうしてしばらくしてから追加。味付けはベースにした麺つゆのほか、味醂、味の素、それに鍋の素があったので(寄せ鍋と鶏塩鍋の二種類あって、小袋にスープがはいっている種の品)、寄せ鍋のほうを二袋入れるとこれでなかなかちょうどよい具合になったのでOKとした。豆腐と生麺のうどんをくわえれば完成。いっぽうで冷蔵庫内には小松菜らしき菜っ葉がビニール袋にはいって大量にあったので、こいつをゆでて和えるかとてきとうにとりだし、フライパンに湯を沸かすと半分に切ったうち軸のほうをさきに投入。おくれて葉部分のほうもくわえて箸でたまに混ぜつつゆでて、洗い桶の水に漬けておいた。うどんが終わったあとそこからまとまりをつくってつまみあげ、両手でぎゅっと絞ってから切りわける。それをパックに入れていき、醤油とからしとマヨネーズをくわえると箸でよくかき混ぜた。醤油の味がちょっと薄かったが辛味はそこそこ利いていたし、マヨネーズがはたらいているからよいだろうと。
  • それで食事。五時二〇分くらいだったとおもう。新聞を読みつつ食ったがなんの記事を読んだか覚えていない。といいつつひとつおもいだしたが、まあひさしくふれていない紙の新聞だし、いつもGuardianしか見ていないからたまには国内の情報も読んでおいたほうがいいかとおもって政治欄をひらいたのだ。岸田首相が防衛費増額のための財源確保(増税?)にこだわっており、高市早苗は反対というか慎重姿勢をしめしており、なにかの席で岸田といっしょになったさいにちょっと物言いをつけたものの、岸田は自説をゆずらず、ということがあったと。こまかいところをもうかんぜんにわすれてしまっているが(いまは一二月一八日の日曜日である)。あと、復興特別予算みたいなものがあって、岸田首相としてはそれを防衛費に充てたうえで特別予算のほうは期間を延長して、被災地支援の総額は変わらないというかたちを取りたいらしいのだが、これも復興のための金を軍備にまわすということで反発があるだろうと党内からも懸念が寄せられていると。
  • そうして飯を食っていると父親が階段下からあがってきたので、うどんと和え物だけつくって、米も炊いたけれど、米に合うようなおかずはやってないから頼むとつたえておくと、魚を焼くという。それから父親はこちらの向かいに座って、それでおまえ、まだ帰ってくる気はないの、と問うてきた。なぜか父親のなかではこちらはいったん実家に帰ってきてそこから仕事に通うべきだというあたまがわりと確固としているようで、そのようにすすめられるのはこれで三回目なのだが、じぶんとしてはぜんぜんそこまでの段階ではない。それに体調全般としてすこしずつ良くなっているという実感もあるので、そのようにつたえておいた。まああちらとしては、過去に二度、それなりの底まで行ったすがたをみているし、とくに二〇一八年のときはちょっと発狂じみたところまで行って、さらにそのあと鬱状態におちいってながく死んだから、またそういうことになりはしないかとやはり心配なのだろう。なったらなったでしかたがないが、いまのところは実家にもどらなければならないような状態ではあるまい。父親はまた、まえにじぶんも、自立しろとか、結婚して家庭を持てとか言ったけれど、いまはもうそんなことかんがえてないから、と述べて鷹揚なおとなのこころをしめしてみせた。そう言われたというのはたしか、父親が母親にクソみたいな言動をはたらくのにキレて起こした悶着のうちの二度目のときだった気がする。結婚して家庭を持てはともかくとしても、自立して生活しろというのはふつうに社会的正論で、親も実家もいつまでもあるわけでなし、こちらもだらだら依存しつつもむろんそうしたいとはいちおうおもっていたし、むしろ家を出るのをここまで延ばしてきたのだから世間的水準に照らしてかなり甘ったれてきたと言って良いとおもうのだが、それでもそういうことを言ってくれるというのは、たぶん父親も、今回またパニック障害が回帰したということを聞いて、こちらには世間一般のような勤務形態を取った人生、まああえていうなら「ふつうの人生」は無理なんじゃないかという認識をもったのではないか。それはじぶんのほうもあらためて実感したことだ。週五日、フルタイムではたらくようにじぶんの心身はできていない。できていないし、ふつうにそんなにはたらきたくはない。健康で生きてくれればそれでいいともこの席で父親は口にしていたので、まあそういうことなのだろう。ありがたい言ではあるし、その点もまたこちらが同意するところで、とりあえず心身がわるくない状態で読み書きをつづけられれば、あとはだいたいなんだってよい。その最低ラインがクリアできればひとまず良いし、最悪読み書きができなくても、そこそこ健康で生きていさえすればまあそれでもよいかな、という感じだ。経験したことを書かなくとも、本を読まなくとも、日々のささやかな経験だけでそれなりにたのしめる感性はすでにじぶんに身についているだろう。
  • (……)
  • その他、まあおおざっぱに見て八万強稼げればギリギリだろうが、それだとさすがにギリギリなので、一〇万あればどうにか、というところだろう、で、週三ではたらくとだいたい八万いくらになる、とりあえずは体調をもどしてまたそのペースに復帰して、くわえてわからんがネット上で文章かなんかのしごとでもできればやって、わずかばかりの副収入をどうにか得られれば、とあてのない展望を述べてはおいた。はなしの終わりに父親は台所のほうにうつりながら、まあ人生なにがあるかわからんから、とにかく健康でやっていければそれで、というようなことを言ったので、こちらも応じて、人生なにがあるかわからんという点におおきく同意し、これからさき友だちになるひとが助けてくれたりするかもしれないしね、とあてのない夢想を言っておいたが、その逆もあるからなと父親は返し、へんなやつと知り合って、巻き込まれて人生駄目にしたりとか、と言うので、それはたしかにそうだ。
  • あとは勤務時のことを書いておけば良いのだが、れいによって時間も経って記憶もうすれ、めんどうくさくもなっているのですこしにしたい。家を発ってすぐ、東の坂にはいるてまえで、あれはたぶんそこの街灯が切れていたのだとおもうが、空間がずいぶん真っ暗で、道の脇はすぐ林だし、さすがの暗さだ、ここまでのかんぜんな暗さは(……)のほうにはない、ひさしぶりに体験する暗さだ、とおもった。それでいえば来るときに最寄り駅からくだる坂の入り口付近も同様である。ひさしぶりにあるいた(……)の裏道も、やたらしずかな感じがした。べつに路地の左右に家屋がならんでときたまひとや車がとおって、というのはアパートまわりとそう変わるともおもえないが、やはりこちらのほうが、気配がなにか静謐で、おもての街道から車のながれる音が届いてこないではないものの、遠くから救急車のサイレンがつたわってくることもないし((……)ではそとに出て救急車やパトカーのサイレンを聞かない日はないのではないかというくらい、その音に遭遇する)、左手の線路のむこうに林の壁が黒々とわだかまっていながら風もなくて響かないのもしずけさの印象に寄与しているのかもしれない。
  • この日の勤務は実家から行ったわけだから、往路に電車に乗るときよりもダメージはすくなかったはずなのだが、煮込みうどんを丼いっぱい食ったためか授業をはじめるとやりとりのうちにちょっと喉が詰まって苦しくなったので、ヤクを追加することになった。なかなかうまくいかないものである。(……)
  • (……)けっきょくはやくほどほどに読む練習をしたところでその程度の実力しかつかないし、細部までたしかな読みができるようになるはずがなく、じつのところスピードだってあがりはしない。はやく読めるようになるには、復習できちんと隅々まで精読して、わからない単語を洗い出しておぼえたり、文章のどこをとりあげても意味が出てくるようにしたり、そこに書かれていることをきっちり細部まで理解するという学習が必要なのだ。だから典型的に逆説的なことに、英文をはやく、楽に読めるようにしたければ、時間をかけて隅から隅までじっくり読んで理解し、そこから学べることをできるだけ学び、身につけなければならない(文章を細部まできっちり理解したら、あとはくりかえし読んでそれをじぶんのなかに定着させるだけである。『ハイパートレーニング』の著者も、各題につき一〇回ずつ音読しろと書いていた)。そんなことはちょっとかんがえれば当たり前のはずなのだけれど(だってそうしないと語彙や知識が身につかず、英文をそのままで理解できるようにもならないわけで、つまり負荷をかけて経験値を得なければレベルが上がらないのだから)、生徒はなぜかはやく読むためには、はやく大雑把に読む練習をすればよいとおもっているようなのだ。そんな小手先のテクニックで通用するほど文章を読むというのは楽なことではないし、受験だってそうだろう。とはいえ出された長文の全域を完璧に訳せるようにするというのはさすがに困難だから、どこか一段落だけでも、さいしょとかさいごとかでもいいし、わからない単語が多かった一段だけでも良いので、ここだけはどの単語を聞かれてもわかる、どの文を問われても訳せる、というような状態をつくるのが肝要だろう(そしてそのためにはとうぜん時間をかけねばならず、最低でも三回から五回くらいは読まなければならないだろう)。そのように、ちいさい範囲で良いので、ここはOK、一〇〇パーセントとは行かなくとも、九五パーセントくらいはOK、という箇所をその都度つくれば、それがじぶんのストックとなる。かさねているうちにそのストックがほかとつながったり、溜まったり、ストックできる範囲がひろがったりする、と、これがじぶんの勉強のしかただったとおもうが、たぶん一般的にはそれは完璧主義に傾斜しすぎで、だいたいのひとは六割くらいの理解度や記憶度や定着度でつぎに行き、けっきょくさいごまで六割くらいのほどほどのちからで済ませるのだろう。もちろん本人の目標や意欲や能力によってはそれでもぜんぜんかまわないのだが、ただ基本的に生徒は、この一ページは完璧、というような一ページを持ったことがないというか、それをつくるという発想がはなからないようなので、ちいさい範囲で良いのでそれをつくらせる、そういう実感をえさせるというのは大事ではないかという気がする。
  • あとこの日もう一泊して行こうかなととちゅうまでおもっていたが、なぜかだんだんやはり帰ろうという気持ちに傾いたので、勤務後はアパートに帰った。実家からもらってきたのは鹿肉とか、でかいニンジンとか、あとチョコまみれのカントリーマアムとか。米も炊いておいたので、帰宅後の飯にしようと塩と味の素のおにぎりをふたつつくり、プラスチックのパックに入れて輪ゴムで留めて、それも入れてきた。リュックサックにはパソコンとかがあってあまり入りそうもなかったので、玄関の戸棚で紙袋をさぐったところ、ちょうど良いサイズのものがなく、いま雑紙を入れるのにつかわれはじめたらしいButter Butlerの袋がいちばん良かったので、それをいただいていくことに。その袋にもろもろ詰めて、片手に提げて(寒いのでじっさいには持ち手の紐のあいだに腕を通し、手はモッズコートのポケットに入れていたが)職場に行ったり、帰路をたどったりした。つくった煮込みうどんはわれながらなんかうまくできたなとおもったが、母親からも翌日好評のメッセージがとどいた。


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  • 「ことば」: 40, 31, 9, 24
  • 日記読み: 2021/12/13, Mon. / 2021/12/14, Tue.