2022/12/16, Fri.

 あなたはぼくの嘆きについて書いています、「わたしはそれを信じませんし、あなたも信じてはいないのです。」 この考えは不幸であり、ぼくにその責任がないわけではありません。ぼくが嘆くことにおいてある熟練に到達したことは否定できません(残念ながら最も十分な理由があって)、そのため心ではそれほど思っていないとしても、嘆きの調子はぼくにとって、街の乞食とおなじく、いつも自由自在といっていいのです。しかしぼくは、あなたを納得させるという、四六時中のぼくの義務を認識しており、そのため機械的に空っぽな頭で愁嘆し、もちろんそれで逆効果を得るのです。「あなたはそれを信じない」で、その不信をまた真実の嘆きにまで及ぼすのです。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、301; 一九一三年三月九日)



  • 起床はきのうと同様一〇時過ぎ。寝床ではいつもどおり一年前の生活を読み返す。山梨に出向いて祖母の葬儀に参加している日。なかなかおもしろかった。

一二時半すぎにみな着座して、一二時四五分くらいからアナウンスがはいり、式をはじめるまえに故人の思い出をという趣向で、情感たっぷりにゆっくりとかたる女性スタッフの声で祖母がどういうひとだったかとか、どういう暮らしをしていたかとか、子どもたちからのメッセージとかが読み上げられた。この女性スタッフは息をすこしふくんだ声色にしても、ふつうの発音からややずれた妙なイントネーションのつけかたにしても、いかにも泣かせにきているというかんじで、こちらなどはひねくれたつめたいこころの持ち主なのでかえって鼻白んでしまうというか、押しつけがましさをかんじるのだけれど、(……)さんなどはここでもうすでに涙ぐんでいたとおもうし、ほかのきょうだいもそうだったかもしれない。直接の子どもだからふしぎなことではない。となりの兄も、もしかしたらこの時点で多少なみだをもよおしていたかもしれない。式のさいちゅうも、べつにわざわざ横をむいてはっきり確認したわけではないが、なんどかなみだをおぼえているような気配だった。こちらはほぼそういった哀感はなく、祖母にむけてかんじる情といってとにかくおつかれさまでしたというおだやかないたわりのそれだけだったのだが、それでもみんなで遺体のまわりに花をおさめ、棺が閉ざされてこれから出棺、というときにはすこし瞳が熱くなるのをかんじた。しかしそれだけ。とはいえ焼香のときなど、じぶんなりに誠実な追悼の意をこめてゆっくりとていねいにやったつもりではある。女性スタッフの読み上げについてもうひとつ気づいたのは、いぜん一度目のワクチン接種のときに接種してくれた女性の言語使用について書いたのとおなじことで、ことばを発している主体ではなくそれを聞いているわれわれの行動を先行的に代弁するかたちで誘導する、という話法が見られた、ということだ。具体的な文言をわすれてしまったのだけれど、たとえば、庭で植木をいじっていたすがたがいまも目のまえに浮かんできます、みたいなかんじで、聞き手の主体にぞくしているはずの動詞を話者じしんが代弁的に断言してしまうということで、そこから生じる収奪感については九月一七日の記事でふれたのと同様だ。「目のまえに浮かんできます」だと主体収奪のかんじはさほどなく、話者が主語として「わたしたち」を想定しており(厳密に文法的にいえば「目のまえに浮かんできます」の主語は「庭で植木をいじっていたすがた」なのだけれど、ここでは「目のまえに浮かんできます」を主体による行為に準ずるものと措定している。ほんとうのところ、主体を場として記憶像が展開されるというこの自発動詞のありかたは、分類としてはおそらくいわゆる中動態にぞくするものなのだとおもう)、いわばスタッフが聞き手の集団のなかにみずから一員としてはいりこもうとこころみながらその集団の総体的な動詞を代表として述べている、とかんがえることもできるが、じぶんが耳にとめたじっさいの文言は、「目のまえに浮かんできます」のような自発の意味ではなくて、もうすこし主体性のつよい動詞だったので、収奪の感覚もそれにおうじてはっきりとしたものだった。九月一七日の記事に書かれてある分析の一節をかりれば、「じぶんの「わたし」が他者によって言語的に先取りされ、奪われ、まぎれもなく「わたし」に属する述語であるはずなのにそこに「わたし」がいない、ということになる」。日本語が主語を明示せずともなりたつ言語なので、そのあいまいな中間領域のなかでこういう同化的な収奪が可能となる、というのもまえに書いたとおりだろう。じぶんの動詞を他人によって勝手に決められた、という感覚があるわけだけれど、そこで発話者が「わたし」か「あなた」を明示しなければならないときには、そういう混線的な収奪感は生じないはずだ。いうまでもないが、こういう同化 - 収奪の話法も、聞き手を感動(感涙)へと誘導するためのレトリック・演出である。したがって、じぶんはそこにやはり一種の押しつけがましさを発見する。

その後、式は一時を待たず一二時五五分にはもう開始された。坊さんが入場するので一同は合掌。坊さんはあざやかなオレンジ色の袈裟(でいいのかわからないが、ようするに着物)のうえにもういちまい身につけており、あれはつながっていたのかどうだったか見逃してしまったが、それとおなじ色おなじ柄のおおきくてながい頭巾様のものをあたまにかぶせていた。色はまあなんというか、雨の日に砂地にできたあさい水たまりのなかのような色というか、黄の色味がかなり弱いくすんだ黄土色というかそんなかんじで、そのうえに、なんのもようなのか眼鏡をかけていても視認できなかったのだけれど、とおくから見たかんじでは木とか雲のようなあいまいなかたちの色が諸所にさしこまれており、ぜんたいとしてむかしの日本の風景画めいた雰囲気に見えた。僧侶は曹洞宗の人間らしかった。ということは、只管打坐の修業をすませてきた人物のはずである。退場後に兄が、意外にけっこう若そうだったね、と声をかけてきたが、あとで聞いたところではこれは(……)くんの同級生だったらしい。だからたぶん四〇てまえくらいか? 読経で気になったのは、こちらの地元の(……)で読んでもらうときよりも、日本語として意味のわかるぶぶんがおおかったのではないかということがひとつ。読経のあいまに声をしずかにおさえて、すこし独り言でなされる語りのような調子になるパートが何回かあったのだけれど、そこでかたられた文言は、なんとなく参列者にも意味が理解できるような日本語を意図的にふくんでいるのではないか、とおもわれた。内容としては要するに無常観の表明みたいなことで、月は水に印をきざんですぐになくなり、露は地に落ちてかたちをうしなう、みたいな比喩的なイメージなど。そういうしずかなパートというのは、(……)の読経ではなかった。(……)が何宗だったかおもいだせないが(真言臨済だったか?)。とはいえ厳密にいえば、読経のあいだにはさまるパートというのはあったのだけれど、それは住職とその息子とふたりで読むときは息子のいわばソロパートにあたる箇所で、彼が立ち上がってなにか巻物のような文書を目のまえにひろげてもちながら口上を述べる、というものなのだが、(……)のやりかたではそのときも読経にちかい節回しはあるのにたいし、この日見た坊さんのばあいにはかんぜんに読経とはべつものの、もっとふつうの会話などでのイントネーションにちかい語りの様相になっていた。あと、いくつかあったそのしずかなパートのいちばんはじめには、オンキリキリなんとかみたいなことを冒頭に言っていたのだけれど、これ真言じゃない? とおもった。真言はべつに真言宗にかぎったものではないのだとおもうが。というかふつうのサンスクリット語のお経と真言でなにがちがうのかそもそもわからんが。あと、しずかなパートのうちの一回で、「エェェェェェェェェエエエイ!!!!!」とたっぷりとしたクレッシェンドで声のボリュームをたかめていきつつ、手を(線香かなにかもっていたかもしれない)正面の祭壇にむけて突き出しながら叫ぶ、ということをやっていたが、葬儀でこういうことをやる坊さんもあるというのはときおり聞いたことがある。読経のあいだ退屈でうとうとしていた老人がこの叫びでびっくりして目をさます、などというはなしもよくあるはずだ(こちらもこの日、けっこうねむいようで、読経はながかったし、しばしば目を閉じて休みながら聞いていた。むかいの前列に座っていた男性のひとりもだいたい目を閉じていたし、母親があとで言っていたところでは、(……)くんも寝てたよ、とのことだ)。ほか、ふさふさした動物の尾みたいな白い毛がついた棒を左右に振ってなにかを祓うような動作をなんどかはさんでいたが、これも地元では見ない。

目を閉じながら聞いていると、やはり鳴らしもの、鉦の音というのがたいしたもので、おおきなやつ(あのでかいやつも鉦といってただしいのかわからないが)を打ったときに倍音が一挙にふわーっとひろがっていき、ながくまっすぐ伸びたそのさきで読経の声とからんでふるえるさまなどなかなかたまらないものがある。ちいさなやつのキーンとひびくほそい倍音もよい。読経のあいだに焼香がおこなわれるわけだが、これもはじめて見る、回し香炉というやつがもちいられていた。キャスター付きの台座のうえに香炉がひとつ乗っていて、それを移動させて座ったまま順番に焼香するというかたちで、足が悪い老人とかにはよいだろうし、ほかのひとにしてもこれは楽でよいのではないか。焼香は三回やるという方式がもっとも一般的に流通している気がして、じぶんもまえはそれにあわせてそうしていたが、この日はゆっくりいちど撒くのみですませた。親族の焼香が終わると一般の会葬者の焼香で、これは回し香炉ではなく、こちらから見て左手のほうに、親族席との境のようにして焼香台が用意されてあったので、参列したひとが順次そこに出てきて焼香し、左右の親族席の端についていた(……)さん(喪主)と(……)さんが起立して礼をかえす。このときの(……)さんの立ちすがたが背すじを伸ばし胸も適度に張って、足もかかとをあわせつつ靴先をそれぞれ四五度くらい左右にひらいてじつにぴしっとしたものだったので、さすが元警察なだけあるなとおもった。

  • したの一段もおもろいやんけという感じ。いろいろごちゃごちゃ書いてあるのがやっぱりおもしろい。そしてそのなかで出現する風景描写。すばらしい。建物のそとに出てあたりや空をながめる記述の推移におうじて、読んでいるこちらのうちにも瞬時に視界がひろがったかのような、外気にふれたかのような開放感が生じる。

おにぎりと多少の菓子が出たのでそれをつまむ。その他兄や(……)さんとちょっとはなしたり、(……)とたわむれたり、(……)さんが(……)をトイレに行かせたくて苦労しているところにかれがこちらのほうをしめしたので、俺といっしょにいく? 連れションしようぜ、連れション、などといって同行し、(……)を便所に連れていくのを手伝ったりなど。(……)さんもいっしょに薄暗いトイレにはいり、(……)のズボンを脱がせてやって排尿をうながすのだが、(……)はなぜか小便をしているあいだ顔を振り向き気味にこちらのほうをずっとむいていて、それにつられてからだもちょっと横向きになるので、おまえそれじゃあはずれちゃうじゃん、まえ向きな、まえ、と壁のほうを指したのだけれど、(……)はやっているあいだずっとこちらのほうを見ていた。かれの用足しが終わってふたりが出ていくとじぶんも小便を捨てておき、もどってまた着座。スタッフによってうどんが配られたあたりで、そとに走りにいったりとうろついていた(……)くん(漢字はたしか(……)だったとおもうのだが、自信がないのでカタカナで記しておく)が、退屈しているようでだれかあそんでー、と言っていたので、ちかづいていき、こんにちはとあいさつしてその横に座った。俺のことおぼえてる? ときくと、おぼえてないというので、何年かまえにいちどだけあそんだけど、わすれちゃったね、と受け、ちかくにいた(……)くんが、(……)だよ、とこちらのなまえをいうのにあわせて、(……)です、と自己紹介しておいた。いま小五? じゃあ一一歳? ときけば、ついこのあいだの一〇日だかで一一歳になったというので、おめでとうございますとかえす。あとどれくらいで終わるの? とはやく帰りたいようすだったので、骨拾いってのがあって、いま焼いてるじゃん? で、骨になって出てくるから、それをみんなで箸でひろって壺にいれんのよ、そうしたら終わり、などと説明すると、つまんな! と男児はいうので、つまんなくはない、と笑った。ひとの死をまえにしたときの神妙さとか、曾祖母をうしなったかなしみとかはなかったようである。会う回数もそこまではなかっただろうし、かなしみをおぼえるほどの馴染みをつくれてはいなかったか。その後、うどんが配られはじめたので受け取って、(……)くんにもこれもらっときな、うどんだって、と渡し、じぶんの分ももらって、するとそろそろ焼き終わるという気配になり、そのまえにうどんなどを車に入れておこうとみんなそとに出はじめたのでこちらもそれに同じる。時刻は四時前、周辺にもはや陽の色はないが、すっきりと晴れた水色の空が白のつめたさを帯びはじめつつも墓地や林のかなたにあかるくそそがれている。それでおもいだしたが、葬儀場を出るときの天気が夢想的なくらいの良さで、山梨まで来るときには淡い雲もやや見られていたのだけれど、そのときにはもはや雲は一滴もなく、空中にまざり拡散した陽光の粒子があたりの空間をおおいつくしてけむらせるようにかすませるように大気を平等に色づけており、死ぬにも生きるにもおくるにもよさそうなうつくしき好天だった。火葬場の四時には山あいの空気がもうややつめたかったが、そとに出たままで待機していると、(……)くんが、(……)の家のほうはなんかタヌキとか出るんだっけ? などときいてきたので、さいきんは見ないですけど、こどものころとか見かけたことありますね、あと林をくだっていく坂があるんですけど、そこに猫じゃないとおもうんだけど、なんか夜にとおるといますね、とかえす。まえになにか写真を見せてもらったことがあるというので、鹿じゃないですか、とおもいあたった。家のすぐそばの林から鹿が顔を出したのを母親が激写したことがあったのだ。(……)くんは数年前になにかの折りでいちどだけ顔をあわせ、状況をまったくおぼえていないのだがかれの運転する車に乗ったことがあって(何台かに分かれて墓参りに行ったのか?)、そのときの風貌は髪もややもじゃもじゃしており髭もけっこう生やしていていってみればヒッピー風というようなものだったと記憶しているが、この日はみじかい髪をややなでつけた風で髭もなく、ずいぶんまじめな見た目になったな、という印象だった。そのほか、(……)くんがお菓子ぜんぶもらった! とたくさんのものがはいった袋を提げて意気揚々としているのに良かったねと笑ったり、母ちゃん(つまり(……)さん)と帰ったら野球をすると約束したと楽しみそうにくりかえすのに、どこでやんの? とか((……)さんの宅のまえ)、母ちゃん野球やってくれんの? アクティヴだな、とかおうじたりしつつ待つ。しかし(……)さんは、(……)くんが言い回っているのに、そんな約束してないよと困惑していたが。かれは野球はとにかく好きらしい。

  • したも風景描写。すばらしい。

その後、(……)駅までおくってもらって降車。車で帰ると苦痛なほどにつかれるので、ひとり電車で帰るのだ。兄も電車だが、あちらは(……)までおくってもらうというので別れ。年末に子どもを連れてくるかもとのこと。駅内にはいって改札を抜け、ホームの先頭のほうへ。時刻は四時半。みあげれば枝ぶりの黒い影を空にきざみこみつつこずえの先端のほうはやや溶けあったようになっている裸木の列から鳥が飛び立ってうろつき、そこから横にひろがっている西の空はほとんど青味もかんじとれない黄昏前の白い澄明さにまっさらで、夾雑物はひとひらもなく、みつめていれば眼球表面をうごめき行き交う微生物のすがたすら見えてきそうなほどきれいになにもなく、ただ色のみがそこにはあるのだった。溶けこむようなあいまいな雲がいくらかさざなみめいてゆるくながれており、ほのかな薔薇色がそれにふれる瞬間もあったが、分刻みで暮れがすすむとともにやがて無色におちついた。

  • いま午後一時直前だが、したはさきほどとちゅうまで読んだ(……)さんのブログ(一二月一一日)から、中国事情。

男尊女卑やフェミニズムの話にもなる。別れた彼氏となんだかんだで復縁する可能性もあるんじゃないのというこちらに対して、そもそも男はしばらくいらないと答えた彼女の発言がきっかけ。中国の若い世代におけるフェミニズムの広がり、本当にここ数年でものすごく感じる。金先生から以前、上野千鶴子の本が若い世代の女子のあいだでけっこう読まれているという話を聞いたことがあるし、卒論に取り組んでいる学生からも彼女の名前をたびたび聞くことがあるわけだが、四年前五年前の学生とはそのあたりの意識が全然違う。(……)さんは中国の男はだめだといった。中国だけじゃないアジアはだめだと続けた。ヨーロッパにくらべて100年遅れていると続けたが、こちらの私見では、欧米もたいがい、特にアメリカなんていまだにごりごりのマッチョ思考の持ち主ばかりじゃんと思う。男だけに責任があるわけでもない、社会の構造のせいで男たちがそんな考え方になってしまう、だからといって古い考え方をする年寄りたちが死ぬのを待っているだけというのは嫌だ、いますぐ社会が変わってほしい、と、だいたいにしてそのように(……)さんは続けた。

     *

(……)アジアで男尊女卑というとやはり儒教の影響が挙げられるわけだが、中国の場合、そうした価値観を一人っ子政策がブーストしまくったという背景は確実にあるよなと、この手の話を聞くたびにいつも思う。卒業生の(……)さんだったと思うが、これは彼女から直接聞いた話ではなくルームメイトの(……)さん経由で聞いた話だが、母親が酒に酔うたびに彼女に向けて、わたしは本当は男の子がほしかった! 女の子なんていらなかった! というみたいな、めちゃくちゃ気の毒できついエピソードもあった。


     *

  • 覚めたのは八時四五分ごろで、布団のしたで横になったりあおむいたりしながら、深呼吸をしたり手をさすったり指を伸ばしたりしているうちに九時を越えていた。そこで起き上がる。首をゆっくりとまわす。肩も。そうして左手にあるカーテンをひらき、雲の存在をゆるしていない青空を窓ガラスのむこうに出現させる。またたおれるとChromebookでウェブをみたり過去の日記を読んだり。一〇時過ぎまで。寝床をはなれるとまず冷蔵庫からペットボトルを取って黒いマグカップに水をそそぎ、半分ほど飲むとトイレに行って小便をした。顔も洗う。起き抜けの冴えない顔を鏡にうつしたところでおもいだしたが、きょうだったかきのうだったか、じぶんのあたまが禿げている夢をみた。髪の毛がすべてなくなったわけではなく、前髪やそのちかくをセットするかなにかしていると、頭頂付近とのあいだに毛がまったくなく白っぽい肌色の頭皮がかんぜんに露出している帯状領域(左右の端までずっとつづいている)がはさまっていることに突如として気づき、まわりの毛をつかって隠そうとしても隠せない、というもの。トイレを出るときょうも洗濯するか否か? とパソコンをつけて天気予報をみた。するとあしたは雨らしかったので、ならばやはりきょう洗濯しておいたほうがよいだろう。洗うものはすくないが。じぶんは洗濯がわりと好きらしい。好きもクソも洗濯機にまかせるだけだから楽であり、じぶんがするのは干すのと取りこんでたたむことだけであって、戦前から戦後すぐのように手づから洗わなくてはならないとなっていたら、とうぜん好きどころではなくうんざりしていただろう。日曜日に(……)および(……)くんと会ったときにも、掃除はいっこうにやる気にならないが洗濯はけっこうやっているというはなしになったが、(……)はこちらとは逆に掃除は好きだけれど洗濯は苦手だという。干すのがめんどうくさいようだ。おれは干すの好きだね、窓をあけて外気にふれるのが好きだ、とこちらは受けた。
  • それでニトリのビニール袋にはいっているタオルや肌着を洗濯機に入れて注水し、冷蔵庫のうえに置いてある、手が濡れたときに拭く用でつかっているタオルや、洗面所のタオルもくわえておいた。稼働させはじめると椅子について瞑想。一〇時二七分から。きょうもさいしょにしばらく深呼吸をつづけて、いいかなというところで静止にうつる。きのうと同様左側の背後からは洗濯機がガーガーいったりそのあいまに波立つ水音をはさんだりし、右手にはエアコンが温風をおくりだすひびきがひろがっていて、そのひびきが窓外の物音とのあいだにはさまる遮蔽となり、保育園の子どもが泣いている声やゴミ収集車の放送などがいくらか弱められて届く。ゴミ収集車の放送の声はすこしまえのものと変わって、いぜんよりも年かさの女性の声になった。まえのもいまのもいかにもニュートラルというか、事務的な、特徴を見出しづらいような女性の声音だが(しかしなぜ女性なのか?)、声が変わったのは年末仕様ということなのかもしれない。年末年始についてふれる文言がはいっていたはずなので。それ用に録っておいたべつの音源ということではないか。
  • しばらく静止してからだがじわじわほぐれていくのを感じたのち、きょうもさいごにまたいくらか深呼吸して、そうして目をひらくと一〇時五二分からちょうど二五分間。洗濯機の残り分数欄には14の表示があった。水切りケースのプラスチックゴミを始末して、脱水にはいってガタガタやっている洗濯機のうえでキャベツを切る。揺れに手のうごきをみだされて指を傷つけないように、ゆっくり気をつけて野菜を切る。その他イタリアンレタスと豆腐をあわせて、胡麻油&ガーリックドレッシング。まな板などを洗い、すると洗濯が終わるところだったので待って干しにかかる。数はすくないのですぐ終わる。そうして即席の味噌汁を用意して食事にはいり、ほかにさくばんののこりである唐揚げをおかずに米を食った。一食前とメニューがまったく変わらない。
  • 皿洗いを済ませると白湯を飲みつつ音読。一二時半くらいまでか。そのあたりでそろそろきょうのことを書きはじめたかったのだけれど、一食目から唐揚げを食ったためかからだがなかなかととのわず、本式に文を書く準備がまだできていなかったので、うえのように引用だけならべておいてお茶を濁し、椅子についたままウルフ『波』をしばらく読んだ。きのうやったみたいに精読めいたことなどしていては時間がいくらあっても足りないし、いつまで経っても読み終わらないので(文学作品を読むとはほんらいまさしくそういうことなのだが)、さっさっとさきにすすんでいこうとおもったのだけれど、しかしどうしても対応している語の出現とか、各人の性質のあらわれとか気になってしまう。そこでひさしぶりにメモ方式というか、気になった部分を手帳にかたっぱしからメモしておいて、いつになるかわからないがいずれ書き抜きとともにひとつずつ写していき、そのときなにかわかることがあればそれでいいやというやりかたにおさめることにした。もちろんいざ書き抜きのときに、メモ部分までやる気にならなくてもそれはそれでよい。それで冒頭から一章(?)のさいごまでページや行番号をいくつもメモ。いま前線は50くらいまで行っているけれど、大雑把には、バーナードのみならず「揺れる」ものへの言及は各人けっこうおおいなという印象で、またタイトルにもなっている「波」の語もおりおり出てくる。あとは「輪 [リング] 」。「揺れる」のたぐいを動的志向とするとして、人物のうちでそちらに分類されそうなのはバーナードと、あとジニーがたぶんもっとも動的人物で、じぶんでもわたしは動く、わたしは踊る、とか、わたしの体は足もとへとさざ波立つ、とか言っている。あとたぶんかのじょは火とか炎とも象徴的にむすびついている。それにたいしてどちらかというと固着的・固定的にみえるのは、ひとまずルイとネヴィルかな。そうした印象の由って来たる語をあとづけるのはめんどうくさい。いずれ機会があれば。
  • ただまあすこしだけ記しておくと、ジニーはおそらくなによりも「踊る」にんげんである。「地面の割れ目を走る炎のように、わたしは跳ねる。動く。踊る。わたしは動くのを、踊るのを、決してやめない。子供のころ、生け垣で揺れてわたしを怯えさせたあの葉のように、わたしは揺れ動く。暖炉の炎がティーポットのうえでちらちら踊るように、わたしはこの縞模様の、人間味のない、つや消しの、黄色い幅木のついた壁を横切って踊る」(46~47)とじぶんでも言っているし、その直前にスーザンも、「ジニーは踊る、ジニーはいつも踊る、ホールのあの嫌な模様タイルのうえで」(45~46)と証言している。ジニーはまたテニスの試合を終えたあとに、「でも額が、目の奥が、激しく脈打つから、何もかもが――ネットも草もすべてが踊っているのよ。あなたたちの顔も蝶みたいに飛びまわる。木々も上へ舌へジャンプしているみたい。この宇宙に動かぬもの、不変のものなどないんだわ。あらゆるものはさざ波立つ、踊る」(50~51)と疲労のなかで述べているから、かのじょの「踊る」性質はじぶんのアイデンティティにとどまらず、宇宙論的に拡大されてうごきやまぬ世界という認識をみちびきだしている(そこで「踊る」とならんで、「さざ波立つ」がつらねられていることも注目するべきだろう)。こういう発言を受けてさいしょのほうを見返してみると、ことのはじめからやはりジニーは動的志向をもったにんげんとして提示されているのだ。まず10ページ、六人がみじかくセリフをならべるパートのさいごにあたるが、つぎのようにある。

 「わたしは燃えたったり、ふるえたりするのよ」とジニー、「日だまりから日陰に、出たり入ったりして」
 (10)

  • これは「~したり、~したり」の作中における二番目の登場である。さいしょにこの言い方をもちいたのは、きのうの記事に書いたとおりスーザンだった。ただしかのじょが言及していたのはじぶんのうごきではなく、じぶんのまわりでさえずり飛び回る「小鳥たち」(9)の動向であり、それにたいしてジニーが自己の性質規定としてこの並列表現をもちいつつ、動の意味をつたえているのが注目される点かもしれない。バーナードよりもさきに、ジニーはじぶんの揺動性を言明しているのだ。かのじょがこう言ったそのつぎの行から、「さあ、みんないなくなった」(10)というルイのことばをはじめとして、括弧内の文章がながくなり、状況が設定されて物語が正式にはじまることになる。その最序盤でルイはジニーに不意打ち的にキスをくらわされるわけだが、そのさいのジニーの自己描写を見よう。

 「わたしは駆けていたのよ」とジニー、「朝食のあと。見えたの、生け垣の穴のところで葉っぱが動いているのが。「あれは巣に小鳥がいるのね」って思った。それで葉をかき分けて見たの。けれど小鳥なんていなかった。葉っぱは揺れつづけていた。こわくなって駆けだしたの。スーザンもロウダも、道具小屋でおしゃべりしてるネヴィルとバーナードの脇も駆けぬけた。どんどん早く駆けながら泣いていたわ。なにが葉っぱを揺らしていたの? なにがわたしの心を、わたしの足を動かすの? それでここに駆けこんできたら、ルイ、あなたが木みたいにまみどりで、枝みたいにじっとして、目を見開いてた。「死んでいるのかしら?」と思って、それでキスしたのよ。ピンク色のワンピースのしたで、胸がドキドキしてたわ、なにもそこにいないのに、ずっと揺れてたあの葉っぱのように。ほら、ゼラニウムの匂いがする。土の匂いがする。わたしは踊る。波立つ。光の網のようにあなたにおおいかぶさる。ふるえながら、あなたに身を投げる」
 (12)

  • まずもってはじめからジニーは「駆けていた」。運動のうちにあったわけだ。なぜなら、「葉っぱが動いている」のに目を引かれ、しらべてみるも、原因がわからず「揺れつづけて」いる葉っぱにおそれをいだいて走り出したからである。なにかが「葉っぱを揺らし」、またなにかが「わたしの心を、わたしの足を動かす」。ルイと遭遇してキスしたあとは、その胸は「ずっと揺れてたあの葉っぱのように」躍動している。そして、「わたしは踊る。波立つ」という、さきほど46~47で確認されたのとほとんどおなじ自己宣言が、ここにすでにあらわれているのが見て取られる。かのじょの語ることばは、ひたすらに、動きの意味に満ち満ちている。
  • キスをされたルイのほうはといえば、ジニーにいわせれば「枝みたいにじっとして」いたのだから、動きと踊りの申し子であるジニーとはまったく対照的に、かのじょが「死んでいるのかしら?」とおもうほどに固定的な状態だったということになる。そのまえにあるルイじしんの発言中には、それをかんぜんにはっきりと示す語、つまり「じっとして」と最大限に齟齬なく交換できるような語はみあたらないが、たとえば「ぼくだけが花たちといっしょに壁ぎわにつっ立ってるのさ」(10)や、「生け垣の陰で、ぼくはイチイの木のようなみどり色だ。髪の毛は葉っぱでできてる。地球のまんなかまで、根を張っている」(11~12)というあたりが固定と不動の意味をつたえる記述としてもっとも有力な部分だろう。なぜだか知らないがかれはじぶんを「木」や「茎」や「葉っぱ」など植物としてイメージしており、その根が「地球のまんなかまで」通じているいっぽう、かれのまわりにある「花たちは暗いみどり色の水面を、光でできた魚のように泳いで」(10~11)いたり、かれには「ゆらゆらゆれるラクダたち」(11)が見えていたり、「ずしん、どしん」と「ぼくのまわりで踏み鳴らす音や、揺るがす音」(11)が聞こえていたりする。だから印象としては、動的存在のただなかで地中の果てまでつながれて不動のままにたたずんでいる、という像がおもいえがかれる。そこに突如として闖入してきたのが炎の踊り手ジニーであり、だからかのじょがルイにキスをした結果、「首筋に衝撃が走」り、「すべてがこなごなに砕かれ」た(12)というのは、動くものが動かないものへと衝突めいてはげしくふれたさいに発生した破砕のできごとということになろう。象徴的にジニーを炎、ルイを植物と措定することができるなら、それはとうぜん火が草を焼くイメージともなる。
  • したがってこの小説の説話面の本格的な開始地点は、まずその直前にジニー(動)→そしてルイ(不動)→ジニーによるルイへの接触(動と不動の衝突・破砕の発生)というながれでかたちづくられており、つづけてそのできごとを目撃したスーザンもまた「ブナ林」にむかって「駆けて」(13)いき、そのスーザンをみかけたバーナードもかのじょを「追っかけて」(13)行ったわけだから、「わたしは駆けていたのよ」(12)というジニーの疾走がルイとの接触後、スーザンに転嫁されたようなかたちを取り、疾走の連鎖を生みながらバーナードをも巻きこんだということになる。もっとも、バーナードの時点では「ぼく、追っかけていくよ」、「うしろからそっと行って」(13)と言っているだけなので、かれがさきのふたりとおなじくらいの疾走感で「駆けて」いたとはおもえない。ジニーの運動エネルギーは人物のあいだをわたって連鎖的につたわるうちに、尋常に減退していったわけだ。
  • こんなことをやっているうちにまたもう三時前にいたってしまったので、いま洗濯物を入れた。


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  • 「ことば」: 40, 31, 9, 24, 1 - 5
  • 「読みかえし2」: 635 - 639
  • 日記読み: 2021/12/16, Thu. / 2014/4/18, Fri.