2022/12/19, Mon.

 (……)ただお便りが来ないことに対しては、ぼくの以前からの神経過敏は変りません。ぼくには信頼感が全く欠けています。ただ良く書いている時だけ、それがあるので、そうでないと世界はその巨大な歩みを全くぼくとは反対に進めるのです。ぼくはいつもお手紙の来ないありとあらゆる理由を考え、百度も考え直しますが、それは丁度なにかを探すとき絶望して百度もおなじ場所を探し回るのと似ています。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、317; 一九一三年三月二八日)



  • いますでに二六時、もしくは二〇日の午前二時。きょうは勤務だったので。勤務前はやはりこれから電車に乗ったり仕事用のかっこうになって公的な役割を果たすぞという意識があるのか、からだの全域がたしょう緊張につつまれる、もしくは体内いたるところにそれが混ざってあるような感じで、二度目の食事を取ったくらい(つまり三時)からそんな調子だった。とはいえもう心身はだいぶよくなってきてはいるので、それでオタオタすることもない。ヤクを飲めばどうにでもなるという割り切りもある。勤務の日はもうふつうに三錠で行けば良いではないかというこころにもなっており、きょうもじっさいそうした。つまり(……)駅に着いて電車に乗った時点で、はやばやとブーストの一錠を飲んでしまった。安心して不安なく、ここちよくはたらけることがなによりだ。それで勤務じたいはつつがなく、ほがらかとすら言ってよさそうな気分でできたのだけれど、帰りの電車に乗れば左の肩がめちゃくちゃこごっていることに気づく。気づくというか、明確に意識しきってはいなかったが、勤務の終盤からそこにそれがあることは感じていたのを、職場からはなれてひとりになると意識がうけとめて浮き彫りにしてきたのだ。なかなか強力な呪力をもった霊に乗られ取り憑かれているかのような重さであり、痛いというのとはちょっとちがうけれど、ぐにゃぐにゃした鈍い導管が肩から背や腕のほうまで筋肉中をとおって余計ものとなっているような感覚で、なにしろこごっている。首の側面からもしかしたら後頭部までもそれが波及しているようだったが、左だけそうなるというのはやはり骨格になにかしらゆがみがあるか、姿勢に問題があったりするのだろう。しかし勤務中はじぶんのからだをうまく観察するような意識の余裕はもちろんない。帰りの電車内では深呼吸をしたり、手のひらや手首をさすってみたり、直接肩周りや上腕三頭筋のあたりをさすってみたり、瞑想じみて静止したりして、ある程度はかるくなったがほぐれきらない、溶けきらない。(……)で乗り換えたあとだったかそれか着く直前だったか、こりゃやっぱり胸鎖乳突筋の問題じゃないかとおもったので、その起点にあたるとおもわれる耳の付け根、背後にあたる位置の骨をさすったりもして、それも一定の効果があるようだった。しかし胸鎖乳突筋をほぐすのだったら椅子の背もたれに後頭部をあずけてあたまを左右にころがすのがいちばん効果的な気がする。あと手のひらをこすりあわせてあたためたなごころをやわらかくするのが地味に大事で、肩や上背など背面が全体的にすこしほぐれてかるくなるようだし、手があたたかいとなにかおちついて精神的にもよい。さらには手がほぐれているとあたまがしゃっきりするという、これもたしかな体感としてある。そのためなのか、寝覚めもよくなった。まあそのわりに覚めてから寝床でだらだらながく過ごしてしまってはいるが。
  • きのう日記の読みかえしをサボったので、きょうは朝の寝床で、またその後もあわせて去年の一二月一八日(土曜日)の記事を読んだ。(……)の結婚式があった日で、ながいいちにちを過ごしており、必然記述もながく豊富になっており、なかなかおもしろかった。おおいが、式のようすをずらっと引いておく。しかしそのまえに往路の(……)駅ホームからながめた風景の記述。こういう景色があったなということ、好天のなかであたりの風景に、ある種むさぼるような目をむけつづけたこの時間があったということ、それをよくおぼえており、よくおもいだせる。じつに天気のよい正午ごろだった。あったあった、たしかにそうだった、こういうものを見たというその感覚、そして記述におうじてもちろん不完全ながらその像がよみがえってくること、そのことじたいにおどろきのてざわりがふくまれている。

(……)陽のあたっているばしょにたちつくして電車が来るのを待った。目のまえの線路帯にはススキなのかそのたぐいの植物がたくさん群れて生えており、おだやかな茶色というか希薄化されたカラメルソースもしくは鼈甲飴のような色を穂にうつしだしており、ひかりを透かしたり露があるのかところどころに点として溜めたりしているそれらが微風にさわさわと、しばしばおどるようにこまかくうごめき、視線をとおくのほうへふればべつのホームで電車を待っているちいさなすがたのひとびとが、あるものは停止しあるものはゆっくりあるきながらゆれ、あるものは立ち止まったままなにかこまかく動作しているのがてまえのススキとおなじくひとつの風景と化している。さらにさきの空は青さをたたえつつ不定形のおおきな雲も抱いているが、上端をホームの屋根にくぎられながらはるかかなたで空間全体の背景となっているそのひろき天空は、果てしない距離のむこうで超越的な平面にえがかれた巨大な絵図のようにしかみえず、このばしょが天と宇宙にむけてどこまでもひらかれているのではなく、その壁画にかこまれつつまれているようにかんじられる。ホーム間を移動するための通路をなかにおさめて横にほそながく宙にかかった駅舎は白い壁のうえに一面さらにひかりを塗られており、鳥が三匹、青空にあらわれると、いのちをもった皿のようにしてときおりひらめきつつ複雑に交錯しながら駅舎のうえを飛び去っていった。太陽はややひだり寄りの天頂から陽射しをそそいで額があたたかく、同時に線路のレールもひかりによって凍てついたように純白を詰めてかがやくので、その反射線まで顔にとどいているような気もされて、風が吹けば肌がつめたいけれどそのなかにぬくみも消えずのこってとどまり、ながれがやめばまたあらわれる。ススキの群れに再度目をおとせばてまえ側のその縁の地面にはオオバコのたぐいか、カエルの轢死体めいてぐしゃりとつぶされ貼りつけられたようなかたちの緑の草が根づいていて、そのうえをススキの穂影がゆらゆらと何本もふるえてあそぶ。

父親とおさない男児のふたりがひだりがわ、ホームのいちばん端のほうまで行って来たる電車をながめるようすだった。鼻面の青い電車がやってきて入線するその顔をこちらもながめ、顔が目のまえをすぎるとホームじょうにかかって待っているひとをすっぽりつつみこみながらながれていく幅のある帯状の影がじぶんやほかの客を通過していくのを見た。(……)

  • 結婚式の経緯はながいが、いろいろ書いてあっておもしろい。「先頭に立つような人間じゃないんだが」とか、「官僚のやりかたが板についてやがる」とか、「ぶっちゃけたはなし、こんなもんを書いているというのも説明しづらいし、これを書いているからといって金にもなににもならないのだから、一般的な社会人として世間に揉まれてきた人間にはわりと言いづらいというか、じつにくだらぬいかにも無駄なことに精を出してあそんでいるようにおもわれるのではないか」とか、「いいひとぶるのはそこそこ得意である」とか、はしばしでまずまず習熟した皮肉や韜晦のいろをしめしているのがちょっと笑える。

じきに式がはじまるころあいになって、案内がはじまったので、それにしたがってエレベーター横の本殿のほうにつづく通路にはいっていく。木造の建物のなかにうつり、あたまのあたりに鴨居というか横柱がとおっている通路のとちゅうでストップ。新郎側の人間と新婦側の人間とで左右に分かれてならぶのだが、はからずもじぶんが新郎側の先頭になってしまい、しまったな、はやばやと来るんじゃなかった、ほかのひとびとにゆずってようすをうかがってからはいるんだった、とおもった。先頭じゃん、と(……)も言うので、先頭に立つような人間じゃないんだが、ともらすと、貴重だぞ、あんまりできる経験じゃないというのでそれはそうだがと同意。しばらく待っていると、こちらが立っていたのは通路の交差点(T字型)だったのだが、ひだりにひらいたほうの廊下から和装の(……)がやってきたので、あ、と気づき、どうも、とかわした。ここで? こんなにはやく会うとはおもわなかった、と三人で笑う。着物姿の女性スタッフになんやかんや言われたりよそおいをととのえられたりしている(……)に、緊張してる? とほうってみると、いや、ぜんぜん、という返答があった。もういろいろあっというまで、緊張してるような暇がない、とのことだった。そうしてまたしばらくしてから式の開始へむかう。まずさいしょに(……)と新婦、そして親族方が発って廊下を移動していき、そのあとからわれわれがつづく。はじめに手水というか手を清めてもらうということで、移動していった先に巫女がひかえており、彼女らが柄杓で汲んだ水を手に受ける。荷物があるかたは片手だけでもかまわないということだったので、こちらも右手のみに受けた。手を拭く用の紙をわたされてぬぐい、すぐ脇にあったゴミ箱というか紙を捨てる用の容器に捨てて、さきへすすむ。横から本殿にはいるかたち。中央をあけて祭壇にむかって左右に席が用意されていて、新婦の関係者が祭壇をまえに見てひだりがわ、新郎のほうは右側につくということだった。本殿につうじる入り口はひだりがわにあったので、われわれははいって奥のほうにすすんでいき、親族関連をのぞいてはこちらと(……)だけが前列に、(……)とそれいこうの参列者は後列にじゅんばんにすわっていった。椅子は簡易的枠組みに紫色の布を張ったというか巻いたというかそういうたぐいのちいさなもので、たとえば釣りをやる人間なんかが似たものをつかって護岸なんかですわりながら竿を持ち糸を垂らしているイメージがあるがああいうもので、したがってなんとなくたよりないようで、じぶんなどは立つときにも毎回ちょっと縁のあたりに手をふれてわずかな支えをもとめてしまったし、すわるときにも尻のすわりが決まらないようですこしばかりもぞもぞした。そこへ行くにひだりとなりの(……)は起立をもとめられれば両膝のうえにまるめて置いていた拳をそのままに脚のちからだけでざっとすばやく立っていたし、すわったあとも尻をうごかしたりはせず安定感があって、さすがバスケットボールをやっていた体育会系、活力的である。めのまえには台のうえに酒をそそぐためのさかずきや、あれはがんらいの正式な熨斗ということか、ひろめの三角形の紙にしなびた貝の薄片みたいなものがふたつ(ふたつともおなじ種類なのではなく、べつの見た目)くっついたものが置かれてあった。こちらの位置から見ると台のむこうはスペースがあけられた中央部分で、みぎてにあたる祭壇に正面からむかったばあいのまた中央あたりの左右に新郎と新婦の座がもうけられており、ふたりはむかいあうかたちでそこにつく。こちらがわにすわるのが新郎で、じぶんの席から行くと右ななめまえのところに(……)のうしろすがたが見えることになる。そこからひだりて、本殿がそとにひらかれているそのてまえには司会進行役の宮司でいいのか、男性スタッフがひかえており、そばにはまたのちほど新郎新婦がそろってすわることになった席があり、みぎての祭壇のほうにも、あとで玉串を奉納した台があった。正面のスペースをはさんでむかいがわには、われわれと同様、新婦側の関係者が前後二列になってならんでいる。司会進行役の指示にしたがって立ったり座ったり、あわせて礼をしたりするわけだが、序盤にけっこう立ってあたまをさげる時間があった。とくに祝詞を読んでいるあいだがながく、立ち上がって祭壇のほうをむいてずっとあたまをさげているとつかれてくるというか、バランスがすこしゆらいできたので、まあそんなに角度をつけなくてもいいだろうというわけで首のかたむきをゆるくして、顔を伏せるくらいに調節してがんばった。祝詞はかしこみかしこみ~、みたいなことをたびたび言っているあれだが、それを述べる神職男性の声はちいさく、たよりないようですらあって、おもおもしいというかんじではまったくなく、これはほかの発言者も同様だった。つまり司会進行役にしても、このひとはまあふつうの発声だったがことさらに声を張ったりはせずにしずかな口調だったし、のちに宮司なのかなんかえらい立場らしい神職が出てきて祝いのことばを述べたときも、ずいぶんしずかな声で、フレーズの終わりがひっこんで聞き取れないことすら何度かあった。(……)のほうは祭壇にむかって誓詞奉上をおこなったわけだが、これは着物のふところにおさめておいた紙をひらいて読み上げるかたちで、あとできいたところでは礼をしたときにこの紙が落ちそうになってちょっと動揺していたらしい((……)が目撃してそう言っていた)。(……)の読み方はけっこう早口で、いかにも事務的というか散文的なするするとした調子で、やはり役人だなと、官僚のやりかたが板についてやがるとおもったが、せっかくの神前だしもうすこし雰囲気を出してゆっくりと、重みをそえてたっぷり読めばいいのにとおもった。ほかに主な段取りは、三献の儀と、伴奏付きの二種類の舞いと、指輪交換あたり。音楽がやはりよかったですね。さいしょの新郎新婦入場からして参道のほうからなんにんかの雅楽隊をともなって、笙だかひちりきだかわからんが幽玄ということばをおもわずつかいたくなるような笛の音とともにはいってきたわけだが、その後音楽隊は祭壇まえの舞台の脇の見えないところにはいり、そこからときによって音を出していた。舞いは二種あって、たぶん四人の巫女が踊ったものがさきだった気がするのだが、あまり自信はない。しかし三献の儀の直後にそれがおこなわれたはずなので、たぶんそうだろう。巫女のかっこうは一様にあざやかなオレンジ色の履き物(というのはつまりズボンとかボトムスにあたるぶぶん)で、黒い髪をうしろでひとつに結わえて垂らしている。たしか三献の儀のつぎに四人の巫女が榊だかなんだか玉串をもってゆっくりまわったり腕をつきだしたりと舞いを見せた(とおもったが、手に持っていたのは榊や玉串ではなく、菊なのかなんなのかわからないが黄色い花のついたものだった)。もうひとつは蝶に扮した巫女ふたりが舞うものだったのだが、このときの風体は虫に扮しているわけなのでまあ奇態といえば奇態で、あたまには額のあたりに巻き物をするとともに頭頂にはやはり黄色い花が見られ、背にはおおきな蝶の翅を模した色つきの装備を背負っており、翅は左右それぞれ五枚に分かれていて、色の順序はわすれてしまったが赤・緑・黄・青・あと一色なにかだった(オレンジっぽい色とか、中間的なものだったかもしれず、あるいは紫だったかもしれない)。からだの前側には胸のところにおなじように五色に区分された胸掛けというかなんというか、首からさげるかたちの板状の装飾具があって(とくに根拠のあるイメージではないのだが、ちょっと中央アジア遊牧民とか、あるいはアイヌのひとびとをおもわせるようなかんじ)、色の種類は背後の翅とおなじだが、順番がちがっていた。着物の色もふたりでちがっており、けっこうあざやかで、紫とか緑とかだった気がするのだけれどそれももうおぼえていない。音楽でよかったのはとりわけ弦楽器で、すがたも見えないし雅楽でつかわれるのは琵琶のたぐいなのか知らないのだけれど、一気に弦をじゃらっと鳴らすときの音色がなにしろよかった。あれはギターにはないひびきかただろう。西洋楽器には出せない音、とまで言えるのかどうかわからないが、そう言いたくなるようなかんじだった。単音を聞くときにはまるみをおびていて、クラシックギターの質感にちかいのだけれど、音楽の冒頭や終わりなどでなだれるように和音をかなでたときはまたそれともちがい、記憶のなかでいちばん似ているような気がする音色は、Pat Methenyが『Unity Band』のたしか三曲目の冒頭でなんかへんなかたちの特殊なギターをつかっていたとおもうのだけれど、そこでおなじようにじゃらっと鳴らされていた和音。ただあちらのほうがもっときらびやかだった気がする。Wikipediaをみたが、これはピカソギターというやつだ。四二弦らしい。ぜんぶで四つの弦部にわかれているといい、写真をみたかんじではネックが三本ある。さらにボディ下端のほうにも弾ける箇所があるのだ。もうひとつ、舞いの伴奏のなかで印象的だったのは、なんの楽器なのかわからないのだが(太鼓のたぐいだとおもうが)、やたらとひびく低音を出すものがあったことで、これはふたつめの、蝶の舞いのときにはじめて導入されていた。ブゥン、とかブォゥン、みたいなかんじの、砂の地面で鳴らされればすこし埃を立てそうな太い低音で、雅楽でこんな音つかわれんの? というのが意外だったし、どちらかといえば、クラブのフロアで鳴っていそうなとまでは言わないものの、打ち込み系の音楽でむしろつかわれそうな音じゃない? という印象で、やや尾を引いて這うようなそのふくよかさに、さいしょのなんどかはちょっとわらってしまいそうになったくらいだった。三献の儀は、兄も東郷神社で神式の結婚式をあげたわけだけれど、そのときもおなじものをやっていたおぼえがある。巫女がふたり中央のスペースに登場して、新郎と新婦にそれぞれ酒をつぎ、ふたりがそれを飲み干すという儀式だが、ひとりの巫女が全面に箔を貼ったような金色の薬缶的なかたちの容れ物を持って酒をそそぐ役、もうひとりはさかずきをわたしたり回収したりする役目だった。まずはじめに新郎が一杯飲み、つぎに巫女らはふりかえって(ふりかえるときの回り方もそれぞれさだめられているとおもわれ、どちらがどちらだったかわすれてしまったが、新郎から新婦のほうにふりかえるときとその逆とで、ふたりともかならず同一の回り方でいっしょにふりかえっていた)新婦のほうに行き、ここで新婦は二回つづけて飲んだ。それで察せられたのだが、三献というからにはさかずきは三つあるわけで、それぞれを新郎と新婦がたがいに口をつけて飲むのだと。すなわち、さかずきに1・2・3と番号を振るとして、新郎1→新婦1・2→新郎2・3→新婦3というじゅんばんで交わされていたとおもう。とおもいながらも、さいごはたしか新郎にもどって終わっていたような気もするし、これでは交代がみじかすぎるというか、もっとながくやっていたような気もする。それに三で統一するのだから(酒をそそぐときも巫女は一回、二回、とそそぐそぶりを見せつつ三回目でじっさいに液体を出していたし、飲むときもさかずきを二度口にもっていくふりをしてから三度目で飲み干す、というやりかただった)ひとつのさかずきにたいして三度ふれるのが形式的にきれいなはず。そうしたばあいにどういうじゅんばんになるのか、いまパターンをかんがえてみながらも解がみえずにあきらめたのだが、とちゅうまではさかずきふたつずつをつづけて飲みながら、さいごはたしか新婦が一回飲んで、新郎にもどってきて一回飲んで終わり、となっていたはず。

結婚式本篇で記憶にのこっているのはそのくらい。終えると退場。披露宴へ移行するわけだが、ロビーにもどってくるとしばらく待ってから上階にのぼり、控え室でじゅんびがととのうまで待機。ロビーにはいってエレベーターのまえにあつまったとき、係の女性(年かさのベテランらしきひとで、廊下で待っていたとき(……)の着物をなおしたり、また本殿でも新婦の着物の裾がめちゃくちゃボリューミーになっているのを補助して持ち上げたり、新婦が立ちつづけるときには布をまとめて新婦に持たせたりしていた)が、階段で行けるかたは階段でも、と言ったので、群れを迂回して階段のほうに行き、さっさとのぼっていってしまおうかとおもったのだが、ふたりがついてこなかったのであがりはじめずにとどまった。どうもまず親族がさきにあがっていくのがただしかったようで、さきの女性の発言も親族たちにむけて言われたものだったのかもしれない。どうする? 階段で行く? ときいてみると、ひとびとのようすをうかがっていた(……)が、ステイ、とこたえたので、ステイ、とこたえかえしてその場で待った。エレベーターにはとうぜんそんなに一気に乗れるわけでもなく、何人かずつあがっていって、われわれはさいごの一回で乗ったが、そのとき新郎友人として呼ばれたもう三人といっしょになった。このうち(……)は高校がおなじなので面識があったが、(……)とつれだっていたもうひとり((……)というなまえだった)は(……)の中学の同級生なので知らず((……)も中学((……))から(……)といっしょ)、さらにもうひとりは何者なのかまったくわからなかったが、たぶん大学時代に交友があったひとなのだろうか。(……)というひとはわりとチャラいというか、茶髪で、髪型にしても顔のかたちや雰囲気にしてもポルノグラフィティのボーカルにちょっと似ているとこちらはおもったのだけれど、帰り道でそれを言うと同意はもらえなかった。このひとは女好きぶりをアピールしていたというか、テンション高くそういうはなしをしていたが、それについてはあとでふれることになろう。もうひとりのほうは対照的に黒くみじかい髪の坊っちゃんというかんじのひとで、ものしずかで地味であり、披露宴でも左右とたいしてはなしもしていなかったとおもう((……)がちょっとやりとりしていたし、(……)によれば逆側のとなりの知らないひととも多少はなしていたらしいが)。知り合いのないところにひとりだけ呼ばれて孤立気味だったとおもわれ、退屈だったのではないか。エレベーターで一階のぼると廊下をたどって控え室へ。テーブルがいくつかと壁に沿って椅子がたくさん用意された洋間的な一室で、QRコードを読み取って披露宴の席次や料理表を確認するようになっており、また飲み物が供された。部屋のひとつの隅で女性スタッフが注文を受けて用意していたのだが、烏龍茶をもらった(……)は(ちなみにこちらはオレンジジュース)壁際の椅子についたあと、その女性スタッフについて、かわいい、とうれしそうに笑みを浮かべて言った。泣きぼくろがたまらない、とのこと。女性のなまえは(……)さんで(名札をつけていたので(……)はそれを目ざとく読み取ったのだが)、彼女には(……)氏ものちに目をつけ、披露宴の場では欲望を表明することになる。(……)は、コロナウイルス状況になって町にかわいいひとが増えた、それはみんなマスクをつけるようになったからだ、と言った。つまり、鼻からしたが露出しているとさほど見目麗しいとも見えないひとでも、目元だけ見えているばあいにはきれいに映ることがおおい、ということのようだ。それはいいことだ、女性からしてもそういうことはあるとおもう、おたがいにうれしいことだ、みたいなことを(……)は言った。いわゆるところの目の保養、というようなことだろう。われわれは室の隅の壁際に三人ならび、(……)と(……)氏もおなじならびにはいっていた(もうひとりはどこに行っていたのか知らない)。ここで(……)が(……)氏にたいして、われわれの情報を多少説明していたようだ。すわってはなしているあいだに、(……)から、いまふだんなにしてんの、ときかれたので、まあたいしたことはしてないけど、と前置きつつ、塾講師としてはたらきつつ、あとはまあ読み書きだよね、とこたえた。それいじょうくわしい説明はしていない。書いてる? ときくので、まあいちおうまいにち書いてはいるけど、とかえすが、書いているといっておおかたこの日々の記録につきてしまうし、ぶっちゃけたはなし、こんなもんを書いているというのも説明しづらいし、これを書いているからといって金にもなににもならないのだから、一般的な社会人として世間に揉まれてきた人間にはわりと言いづらいというか、じつにくだらぬいかにも無駄なことに精を出してあそんでいるようにおもわれるのではないか。その点、(……)にはもうすこしはなせるという感覚があるというか、読み書きをはじめていらい(……)とは二〇一六年七月までほぼ会っていなかったが(たしか二〇一四年の元日にいちどだけ会った記憶がある)、(……)とは二〇一六年いぜんも二、三回くらいは会っていた気がされ(また、その後も二〇一八年の末にもいちど会ったわけだ)、そのときにじぶんはいま文学なんてものにはまってしまってこういうことをやっている、とはなしたことがあったのだとおもう。そのうちの一回の別れ際、(……)駅の北口広場で植え込みの段にすわってはなしているときに、世間一般のみちゆきとはかなりずれた、リスクのある生き方をえらんでしまったとおもうが、みたいなことをもらしたこちらに(……)が、いや、堅実だとおもう、ということばをかえしたことがあったのをおぼえているのだけれど、そのことばの意味はいまだに理解できていない。(……)からはまた、おれのベースまだ持ってる? ときかれたので、持ってる、とわらえば、さしあげます、とのことだった。ベースアンプももってる、とつけくわえたが、(……)はアンプも貸してくれたことはわすれていたようだった。もう楽器はまったく弾いておらず、ジャズベースも埃をかぶっているとのこと。ちなみに(……)はこの時点ですでに酒を飲んでいた(カンパリといっていて、語じたいは知っているが(たとえば寺尾聰に”渚のカンパリソーダ”という曲がある)、カンパリがいったいどんな酒なのかなにも知らない)。

じきに準備がととのって披露宴会場にひとびとは移動したのだが、じぶんはこのときトイレに立っていて、もどってくると廊下で例のベテランの女性がもうご案内しはじめておりますと言ってきたので控え室のほうにもどれば、(……)がこちらのバッグを持って出てきたので礼を言って受け取り、会場へ。宴がはじまるときにいろいろと説明があったが、(……)という神社は伊勢神宮の東京支社というかそういうものとして建てられたものらしく、日本ではじめて神前での結婚式(近代的な意味での、ということだろう)がおこなわれたのがここで、それはのちの大正天皇のものだったという(情報に正確を期するためにWikipediaを見たところしかしこの認識は誤りで、大正天皇じしんは皇居の賢所で結婚式をおこない、一般市民がそれとおなじような結婚式をやるためにこの神社をつかいはじめた、というはなしだったはず)。宴の会場となった室はひろい直方体の部屋で、頭上は格天井(ごうてんじょう)といわれていたがようはこまかく格子状に組まれた天井となっており、またシャンデリアも明治に舶来してきたものと言っていたかとにかく年代物らしく、ほんじつはこの建築の雰囲気もまたいっしょに味わっていただければとおもいますと進行役の女性スタッフは述べていた。もともと加賀前田家の藩邸だったかなんだかわすれたがその一室を移築した部屋なのだともあった。いまさらだが、部屋の名は「(……)」だった。左右にひとつずつ、部屋の両端付近をのぞいてながいテーブルがずっとつづいて走っており(ひだりが新郎側関係者の卓で、右が新婦関係者の卓)、入場口からとおいほう、すなわち上座にあたるはずのいっぽうには新郎新婦が飾り付けされた台もしくは卓をまえに座し、そのうしろにはひだりに狩野派のなんとかが描いた絵のかけられた床の間があり、右側には付書院があるといわれていたが、このあたり、新郎新婦のほうに行く機会はあったのにちっとも見なかった。入り口にちかいほうの端、その隅では女性がひとり琴を弾いていて、さらにその脇で進行の女性スタッフがマイクを持ってしゃべったり、ほかのスタッフも何人かひかえていたようだった。琴の女性は絶え間なくずっと弾いていたわけではないが、それでもBGMとして演奏をになったばめんではかなりながくやっていて、なかなかたいへんなしごとだなとおもった。

席にはそれぞれ新郎新婦からのお礼の気持ちとして、時世にあわせて感染対策セットというか、ハンドスプレーやマスクや除菌シートがおさめられたビニールのパックが置いてあり、そこにメッセージのしるされたカードもふくめられていた。こちらのものには(……)から、ウェブ招待状の返答としてもらったメッセージはとてもうれしかった、妻も、これを読むと(……)さんがいいひとだっていうのがわかるね、と言っていたよ、とあったが、いいひとぶるのはそこそこ得意である。返答メッセージもたしかにけっこうていねいに書いたおぼえがある。こまかい内容はわすれたが、いちどつくった文がフォームの字数制限を越えてしまって、ちょっとけずってなんとかおさめた記憶がある。ほか、食事でつかわれた朱塗りの箸と、乾杯にもちいられたなまえ入りの枡もきょうの記念品としてお持ち帰りくださいということだった。

じきに開宴。女性スタッフによる会場の説明などがあったあと、新郎新婦入場。そうしてさいしょに(……)があいさつしたのだったか否かわすれた。さいごのあいさつをしていたことはまちがいないが。新郎新婦それぞれの経歴やなれそめの説明があり、そのあとのスピーチは三人、さいしょは(……)が(……)にはいったときのさいしょの上司だったらしい(……)という女性。まあわりとまとまったあぶなげないスピーチというかんじ。(……)がとうじやっていたしごとの説明、またかれがだれよりもはやくから出勤し、そしてだれよりもおそくまではたらいていたというまじめさのアピールなど。(……)氏は部署がかわっていまは文化振興方面のところにおり、美術館を担当しているらしく、さきほど新郎新婦の共通の趣味ということで美術館巡りというのがいわれていましたが、あとで、ただの(とここで笑いが起こった)、ただのというか招待券ですね、チケットをお贈りしたいとおもいますので、ぜひおふたりで、と言って笑いを取っていた。そのつぎが新婦側で、新婦がはたらいている(いた)会社の副社長だという老人がスピーチ。このひとは声や口調なんかは年の功というものか堂々としていてわるくなかったのだけれど、はなしの内容は冗長で、まとめかたも下手くそだった。新婦が会社にとても貢献してくれていたというお決まりの賞賛までは問題なかったのだが、そのあと、新婦が多忙な夫を支えたいということで退職を申し出て(この理由には日本女性的な美徳をかんじた、というようなことを副社長は言っていた)、しかし会社としてはしょうじきかのじょのような優秀な人材をうしなうのは困るので社長とともに慰留をはたらきかけ、それでながめの休職というあつかいにして、いつからだったかわすれたがまたはたらくことになっている、という経緯がかたられたのだけれど、そのはなしいる? という印象だったし、それを説明するにしてももうすこしなめらかに要約することは可能だっただろうと。そういうことをだらだらはなしているうちに時間をつかってしまい、ながくなりすぎたなということを当人も自覚したらしく、ほんとうは餞のことばを用意してたんですけど、二分くらい、はなそうとおもっていたんですけど、これをさしあげます、さきほどの(……)さんは、美術館のチケットをプレゼントするとおっしゃってましたが、わたしはきょうのこの日の、このすばらしい会場でね、このばしょを味わいながら披露宴をおこなう二分、二分をプレゼントしますので、なにかどこかで二分つかってください、というかんじでしめくくっていたのだけれど、なにいってんのこいつ? というかんじ。こちらの周囲のひとびとも、中盤あたりからはなしなげえなあ、というかんじの表情や雰囲気をかもしだしていた。三人目は乾杯の発声をまかされた男性で、これは(……)のいまの上司らしく、(……)の役人なわけだけれど、それにしてはずいぶんざっくばらんな、剽軽なようすだなという印象で、まずもって冒頭のあいさつを述べたあとからして、いまちょっとトイレに行ってまして、息が、息があがってしまって、とはあはあいいながら笑っていたし、その後も二、三度そのネタを持ち出して、はなしぶりも軽い調子だった。このひとはあとで新郎新婦の席にでむいたときも、われわれのばしょまで聞こえるくらいおおきな声でわらっていたし、ほかの同僚連中たちもわりと威勢よくやっていた印象があり、役人とはいっても堅苦しくないのだなと、かなり気楽でにぎやかなのだなとおもった。酒のはいった宴席だからまあそれがしぜんだろうが。(……)

そうして乾杯がおこなわれて会食へ。そういえば式のときはそそがれた酒をいちおうぜんぶ飲んだが((……)がその後だいじょうぶ、とこちらを気づかって、ぜんぶ飲まなくてもいいんだよ、と言ってきたが、知ってる、いちおうぜんぶ飲んどいた、とこたえた)、この披露宴のときは一口だけにすませた。体調ももはや問題ないわけだし、そろそろ酒というものに手を出しはじめても良いかもしれない。食事はいちおうメニューが携帯に画像としてのこっているわけだけれど、ガラケーなのでズームにも手間がかかって面倒くさいし、写すのも面倒くさいので一覧は割愛する。記憶にのこっているのは伊勢海老かなにかでかいエビをそのまま器につかったグラタンや、刺し身や、ステーキ肉。量はだいぶあったなという印象で、かなり満腹になった。いちどデザートまで出てこれで終わりだなとおもってトイレに行ったところが、もどってくるとなぜかステーキが出ていて、それからまだしばらくつづいたのだった。あとできくと、デザートだとおもったシャーベットはお口直しだったという。しかしメニューを見たかぎりではそこまでで終了のように読めたのだったが。まあなんでもよろしい。席はこちらの右となりが(……)で、さらにその右が(……)であり、ひだりとなりはちょっとあいていて、そのさきに(……)側の親族席があったのでこちらとは交渉がなかった。椅子の間隔はややはなれていて、声を張るのも面倒くさかったのでそれほどはなしはせず黙々と食っていると、それを見た(……)が、文豪みたいと言っていた。むかいは(……)氏、その右は(……)で、テーブルのまんなかには感染対策で透明なしきりがもうけられてあり、むかいとはなすためにはやはり声をいくらか張らねばならずに面倒くさかったし、そういう状況で初対面のひととたのしく会話をできるほどのスキルや積極性もこちらにはないので(……)氏とはなすつもりはなかったのだけれど、そのうちにあちらから声をかけてきて、中学の同級生でだれだれというのは知っているか、という問いがよこされた。というのは、我が(……)中は(……)小出身の子どもと(……)小出身の子の二種類がかよっていた学校で、(……)氏は(……)中のほうに行ったわけだけれど小学校は(……)小なので共通の知人がいないかという調査だったのだ。それであいてがあげてくる名をきけばなつかしいものもあるので、知ってる知ってる、とわらっていくらかはなし、そのうちの何人かの情報や思い出を提供したりしたが、おおむねはなしはそれにとどまった。この日はなぜか声がかすれ気味だったというかあまりうまく出なくて、ざわめきに満ちたこの宴会場ではしきりがあることもあってこちらの小さい声ではスムーズにとどかず、身を乗り出してしきりちかくまで顔を出したうえでさらにやや声を張らねばならなかった。(……)氏は酒を飲むにつれてだんだんと顔が赤くなりテンションもあがってきて、先述の(……)気に入りの女性スタッフ(……)さんにかれも目をつけて、いっちゃう? いっちゃう? みたいなことを言ったり、なんども酒をたのみつつ、(……)に、もっとたのまなきゃ、回数をかさねなきゃ、俺もうアイコンタクトできるからね、あっちをみればむこうもこたえてくれるからね、などと言っていた。しかしけっきょくべつに声をかけるとかそういったことはなく、われわれの身分(すなわち、(……)は離婚者、(……)は妻帯者、こちらはフリー、(……)もフリー)を確認しつつ、このあといっちゃう? いくでしょ! 五反田とか、みたいなことを言っていたが、それはようするに風俗かキャバクラかわからないが、そういう店に行くということだったようだ。終宴後、われわれ三人はさっさとさきに出てきたので、かれがこのあとめくるめく夜の愉楽へとじっさいにくりだしたのか否か知らない。じぶんはキャバクラも風俗店のたぐいも行ったことがないが、(……)と(……)は、性的サービスの店はわからないがキャバクラはしごとのつきあいや接待なんかでなんどか行ったことがあるらしい。(……)はガールズバーも行ったと言っていたが、ガールズバーとキャバクラがどうちがうのかよくわからない。(……)はキャバクラはだいたいおもしろくない、はなしつまんねえなとおもったらじぶんのことをペラペラはなすようにしていた、と言っていた。かれからすればフィリピンパブがいちばんおもしろかったという。あいての女性に日本語をつかわせず、英語の練習になるから、と言って英語ではなすようたのんでいたと言っていた(しかし(……)に英語をつかう機会があるともおもえず、なぜその練習をしたかったのかはわからない)。(……)氏にはなしをもどせば、(……)によるとかれはこの一〇月で結婚したばかりの新婚なのだという。そのくせうえのようなことを言っているわけだが、そうはいいながらも、店はともかくじっさいにすすんで浮気をしそうな人間にはみえなかった。とはいえこの日はじめて会った人間なのでなんともいえない。(……)はといえばよくわからない男で、一見してあかるくにぎやかな性質であり、あとで新郎新婦との写真撮影に行ったときにはかれらの背後から身をかがめつつ新婦にいろいろはなしかけてからんでいたし、見てくれもとくにわるくはないから恋人がいてもちっともおかしくはないのだけれど、どうもそういうにおいが薄い気がする。(……)と性という主題にかんしてはおもいだすことがひとつあって、高校時代のことだが、なにかのおりにかれがじぶんは自慰をできないと言っていた記憶があるのだ。やろうとしても気持ち悪くなってしまう、だったか、具体的な文言はわすれたが、こころみてもうまくできない、みたいなことをもらしていた気がする。それはたんなる思春期特有の性への潔癖さだったり、またそれをよそおう気取りだった可能性もじゅうぶんにあるが、その記憶とおもいあわせてなんとなく、もしかしたらかれは同性愛者なのではないか、という印象をえないこともない。たぶんそんなことはないのだとおもうが。

食事中、みぎの(……)から(……)の質問がつたえられてきて、いわく、じぶんが高校のころと変わったとおもう? というものだったので、ああそりゃもう、めちゃくちゃ変わったね、とこたえた。どういうところがいちばん変わった? と問いがつづいたので、もぐもぐやって口のなかにあった料理を飲みこんでから、社交性、とかえした。人並みに社交性が身についた、と。(……)は、ああー、みたいな反応で、それはたしかにそうかもしれない、と言っていた。

新郎新婦のもとには二度でむいて、しかしいちどめはでむいたそばから新婦のお色直しだったか、あるいは(……)が一時退場だったかわすれたが、そういうながれにはいったのですぐに退散した。その後ふたたび写真を撮りに行った。まあいちおうこちらもはいって、みなで新郎新婦のうしろにならび、会場をまわってパシャパシャやりまくっているカメラマンにたのんで撮影。このとき(……)がいろいろはなしたり、(……)も多少新婦ともやりとりしていた気がするが、じぶんはつねのことで一歩引いてただ黙然とひかえてそれを傍観する、というかんじで、新婦とことばをかわしたのはさいごに帰っていくときのあいさつのみである。ほかに披露宴で印象にのこっていることはもうさほどなく、あとはさいごの、新婦からの手紙や、新郎の父親のスピーチくらいである。常套のことで終わりごろには新郎新婦の親が室のいっぽうの端(出入り口のほう)に出てきてならび((……)のほうは父親だけで、かれの親はたしか離婚したのだったか?)、もういっぽうの端に新郎新婦が立って、(……)がマイクを持って新婦が親にたいして感謝などを述べる手紙を読んだ。親たち三人は感涙していた。それから贈り物としての米俵(新郎新婦が生まれたときの体重分の重さになっているという)をかかえもったふたりはいっしょに親のところまであるいていき、(……)の父親がしめくくりのスピーチ。感涙していたのでちょっと息をととのえてはなせるようになるまで時間がかかったのだが、こんな人間なんで、たいしたスピーチはできません、と冒頭にことわりながらも、おおげさになりすぎず、冗長すぎもせず、ぜんぜんかたくるしくなく砕けていながら子どもらへの応援の情がこもったかんじの、なかなかわるくないスピーチだったのではないか。拡散もしすぎず、一、二度笑いも取っていたし、とちゅうでたしょう詰まったときに、なにを言ったらいいのかわかりませんけど、ともらしていたけれど、それもこのひとの個性のなかに統合されて問題とならなかったというか、そうは言いながらもぎこちなくテンパっているというかんじは全篇にわたってなく、堂々たるものだった。メッセージの主眼はとにかくふたりでいろいろと、なんでもはなしあってほしい、そうすればうまくいくとおもう、われわれもできるだけサポートする、ということで、(……)父は俺みたいなのがこんなこと言っちゃいけないけど、というような卑下の文言をはさんでいたが(食事中にわれわれのところにあいさつに来たときも、おれがこんなだから、と言っていた)、その自己卑下は具体的にどういう意味なのか、「俺みたいなの」とはどういうことなのかは知れない。離婚したとして片親になってしまったことを言っているのか、もっとひろく、ふだんから性格的にてきとうで駄目な人間だとかそういうことなのか。わからないが、(……)は大学のころだったかに父親にたいする、嫌悪とまでは行かなかったとおもうけれど、なんらかの反発とか忌避感とかをもらしていたおぼえがあるので、親子間でたしょうの悶着とかなんらかの事情とかがあったのかもしれない。父親がスピーチを終えて、さいごに(……)当人があいさつをしたが、即興でしゃべれないもので、と言って原稿をとりだし、それに沿いながらたしょうその場で補足しているような雰囲気のあいさつで、読み上げはここでもやはりやや早口の、役人風の調子だった。

終わると退場。廊下に出ると新郎新婦およびその親がならんで待ち受けているのであいさつ。鯛をかたどったちいさな饅頭をもらった。(……)には、とにかくからだに気をつけて、とか、まねいてもらってありがとうございましたとか、そんなようなことを言ったとおもうが、それを見て横から(……)が、意外とちゃんとしたこと言ってる、ともらしていた。(……)のまえに、その父親がまずいたのだ。礼を言ったあとに、スピーチ、うまかったとおもいます、と告げたのだけれど、(……)に横からすぐさま突っこまれて、うまかったじゃない、すばらしかった、とやつはかさねてきたが、うまかった、だとたしかにちょっと失礼というか、いわゆる「上から目線」的にひびくおそれがあったかもしれない。せめて、お上手でした、とか言えばよかったかもしれない。新郎のあとに新婦にも礼を言い、(……)を指しながら、ご存知でしょうけどとにかくまじめなので、まじめすぎて無理をしないように、いたわってあげてください、とか言った。その後新婦の両親にもあいさつするが、ここではなにを言えばいいのかおたがいにわからないので、とおりいっぺんのあいさつでおさめる。

  • 帰路は電車内で吐きそうになってだいぶ苦しんでいる。これを見るにこのころからパニック障害再発のきざしはあったんだなというか、きざしとまでは言えないというか、むしろじぶんではもう治ったとおもっていたけれど、やはり治りきってはいなかったんだなと、問題のないからだにはなっていなかったんだなとおもった(まあ、ほんとうに問題のない、健康万全な心身なんてありゃしないだろうが)。この逆流性食道炎的な症状というのはかなりむかしからあるから根が深いようで、要因はなんなのかいろいろあるのだろうしよくわからないが、ひとつにはやっぱり心理的なものがあるとおもう。すなわち緊張によってからだがそういう方向にかたむくのはあるなと、ここさいきんの体感からおもう。パニック障害の再発として来た吐きそうな感覚とか、喉の詰まるような感覚、背や胸の芯が収縮するような感覚、それらとも関係しているなと。

八時半ごろで退店。寒風のなかを駅へてくてくあるく。(……)は(……)に住んでいるといい、総武線だったかなんだかわすれたがひとり別方面へいくので別れ。(……)とじぶんは新宿へむかう。だから総武線に乗ったのはむしろわれわれのほうだ。(……)はいま(……)に家を建てて住んでいるらしい。すごい。たいしたものだ。車内ではならんで腰掛けて上述のようなことをはなし、新宿でおりた。ホームを行きながら、おれはもうさいきん、書くことにつかれてきたよともらす。まえはさ、まだレベルがひくかったから書けることもすくなくて、翌日には終わってたんだけど、いまもう書けることが増えちゃったから、一日出かけたりするとその日のことを書くのに三日くらいかかる、と笑い、(……)も笑う。で、その日を三日かけて書いてるあいだに、つぎの日とそのつぎの日のことはわすれるんだよね、だからこの一日だけめちゃくちゃながくなって、つぎの日とそのつぎはぜんぜんすくない、みたいな、と。それじゃあそこをどう書くことを選択していくかだね、いいじゃん課題があって、まだまだレベルアップできるじゃん、みたいなことを(……)はいったが、そういうはなしでもあまりない。ともあれ、ホームをうつる通路のとちゅうで別れ。便所に行ってから(……)のホームにあがって特快に乗った。そしてここからさきがなかなかにたいへんでながい夜であり、近年まれに見るながき帰路となったのだが、ようするに電車内で気持ち悪くなったのだ。というか、カラオケを出たあたりから喉に空気があがってくるなということはかんじていた。これはむかしから、飲み会のあとなどによくなっていた症状で、ジュースとか飲み物のたぐいをたくさん飲んだためになるとおもっていたのだが、しかしそのわりにきょうはそこまで飲んだつもりもない。とはいえ、控え室でオレンジジュース、その後披露宴のあいだは烏龍茶をそこそこ(減っているとそのそばからスタッフが注ぎにきて補給するので、手持ち無沙汰なときなどつい手を伸ばして口にはこんでしまった)、そしてさいごにコーヒー一杯、というくらいには飲みはしたのだけれど(あと、カラオケのジンジャーエールがあった)、それでこうなるか? というのは疑問だった、が、じっさいなったからにはしかたがない。たぶんこれは飲み物をたくさん飲むというよりは、それによって胃液が一時的に過多になることで起こる現象ではないかとも推測しており、だから酸性の柑橘ジュースとかカフェインとかが主要な作用因なのかもしれない(烏龍茶だって茶であるからにはカフェインを含んでいるだろう)。くわえてこの日は食べた量もおおく、満腹だったわけだ。理屈はともあれ胃や腹のあたりが内側から圧迫されて、空気や胃液か唾液かなんらかの液体が喉の奥にあがってきたり溜まったりして気持ち悪く苦しい、という症状が発生した。片手でつり革をつかんで立ったまま瞑目に休んでいたのだけれど、そうしているうちにだんだんと症状が進行してきて、ことによったらこれは吐くなとおもわれたので、(……)で降りて休むことにした。ちょっと休憩してからだが楽になってから安心して帰ろうとおもったのだ。(……)で降りる直前にはひさしぶりに嘔吐恐怖によるはげしい動悸がからだを打っていたが、とはいえ全盛期ほどの衝撃はもらわず、降りるとベンチにすわり、寒風のなか『ボヴァリー夫人』を読みはじめた。この時点が九時二〇分くらいだった。じっとしていれば消化もすすむしからだも休まって楽になるだろうとおもって気にせず本を読みすすめていたのだが、ところが事態はむしろ逆行し、鈍い破裂や擦過のような音を立てながら食道内をただよいのぼる逆流的な空気の発生はいっこうにやまないし、どちらかといえば苦しさがましてきた。おかしいなとおもいつつ、とりあえずトイレに行って出すものでも出してみるかというわけでベンチを立ち、エスカレーターをあがって改札のほうに行き、便所にはいって個室をおとずれた。それで下半身を丸出しにして便器に腰掛け、排便しようとしたのだが、そこでみぞおちのしたから下腹のあたりまでさわってみるとおどろくほどに硬く張っており、したがってこれは腸にガスがたまりまくってそのうえの胃が圧迫されるために空気がのぼってくるのではないかと推測した。となれば事のしぜんとして腸内をかるくすれば圧迫はなくなって平常にもどるだろうというわけで、腹を各所もみほぐしながら便通を待ったのだけれど、これがいつまで経ってもやってこなかった。どういうこと? とおもった。腹は張っているのにマジでぜんぜん便意の気配がなく、おならもかんぜんに出ないではないがほとんどない。マジでそうとうながい時間、たぶん三〇分いじょうがんばって出そうとこころみたのだけれど、ついにむりだなとあきらめて、まあいちおう腹を揉んでたしょうほぐれたことでもあるしとともかく帰ることにした。しかしそのあいだも悪心というかいやなかんじはつづいているわけである。ホームにもどって電車に乗り、すわったが、むしろ胃が圧迫されないように立っていたほうがよかったのでは? とおもった。そうおもいつつ気持ち悪さをかんじながらも、まあこれで耐えてみようと目を閉じ、ゆられているあいだもすこしでも肉や内臓をほぐそうとワイシャツのすきまに指を入れて、みぞおちのしたあたりを揉んでいた。そうするとまあいちおう耐えられないことはない。そうしてなんとか(……)までいたって降車。乗り換え。(……)行きは席があまり空いていなかったので、扉際に立ったが、立っていれば腸がしたからもちあげられず重力にしたがうはずだから楽かとおもいきやぜんぜんそんなことはなく、悪心はやまずかなり気持ち悪かった。唾液とも胃液ともつかないものが頻繁にあがってくるのをひたすら飲み込みかえしつづける時間。じきに席が空いたのですわったが、そうしてもむろん楽にはならず、しかしこのあたりではもうわりとあきらめにいたっていたので、なるようになれと抵抗せずやや横をむいてかたむけたからだをぐったりと席にゆだねるようなかんじだった。それで目を閉じて苦しみながらなんとか(……)へ。ここでさいごの乗り換えがあるわけだが、なにしろ寒かったし、発車まで一〇分かそこらあって、そのあいだを嘔吐恐怖に苦しみつつうごかず待っているのが耐えられないとかんじ、それだったらまだからだをうごかしていたほうがいいわとおもったので、あるいて帰ることにした。そうして駅を出たのだけれど、とにかく寒い。この日はマフラーももってこなかったし、マジでめちゃくちゃ寒かった。あるいているうちに死ぬのではないかというのは言い過ぎだとしても、あたまもちょっとふらふらしたし、家にたどりつくまでにたおれるのではないかというかんじ。ものすごく寒かったのはたぶん食事から時間が経って(カラオケ内ではじぶんはジンジャーエール一杯だけでほかになにも口にしなかった)胃が空になっていたり、血糖値が下がっていたりということがあったのだろう。それでほんとうに、文字通りにからだをガクガクとふるわせ痙攣させながら日付替わりのまえのつめたい夜道をひとり黙々とあるいていった。体温をあげなければやばいとおもって、もうべつにそとだし吐いても問題ないというわけで気にせず息をおおきく吐き出し、深呼吸をしながらあるいていったのだが、そうしているうちにかえって悪心がやわらいできた。それでかんがえたのだけれど、今回のような症状には、体温低下などで内臓のうごきが停滞したということが要因としてあったのではないか。茶を飲んだあとに顕著なのだけれど、飲まないときとくらべてからだの変化がわかりやすいのは空腹になったときで、緑茶を飲んだあとに消化がおわって腹が空になると、緊張したりからだがたよりなかったりふるえたりちょっと気持ち悪いようなかんじがあったりということは目立つ。したがって、一時的な胃液の過多とカフェインなどによる緊張作用と、さらには血糖値や体温低下による内臓停滞が相互に因果をなしつつくみあわさってこういうことになるのではないかとおもったが真相はしれない。ともかくもとにかく息を吐きながらがんばればなんとかなりそうだったので、体温をがんばってあげながらあるきつづけた。月を見ている余裕などありゃしない。

それでなんとか生きて帰ることができ、手をあらって部屋にもどって服を脱いでジャージとダウンジャケットを身につけると、なにはともあれ体温をあげなくてはやばいというわけで、エアコンをつけて布団のなかにもぐりこみ、横向きになってからだを丸めた状態でひたすら深呼吸した。さいしょのうちはマジでガタガタふるえていたのだけれど、じきになんとかそれが弱くなってきたのでたすかった。とにかくずっと気持ち悪くてかなりたいへんな帰り道だったのだけれど、それでもいがいと肉体的な疲れというのはそこまでおおきくはなく、精神的な消耗もむかしにくらべればはるかにうすかった。電車に乗っているあいだも、悪心じたいはあるにしても、そこからくる不安というのはかつてとくらべれば微々たるもので、むかしは今回の比ではない。からだがなんとかなったところで風呂にはいらなければならないのだが、この状態で風呂に入ったらふつうに死ぬなとおもわれたので、ちょっとだけなにか食べて体温や血糖値やエネルギーを補給することに。それでなんだったか、残り物か米かなにかをすこしだけ食った。それで気持ち悪さが再燃しないのもふしぎだが、だからやはり一時的な胃酸過多なのではないか(とはいえ、腹のなかがすこしひりつくような感覚はあったが)。なぜなのかわからないが、胃酸がおおくなりすぎると、空気があがってくるということではないか(ということはつまり、逆流性食道炎のバリエーションということか? バリエーションというか、その症状そのものかもしれないが)。ともかくそういうわけで、その後無事に風呂にもはいり、ようやくこの一日を終えることができた。

  • 一〇時から通話だったので八時半にアラームをしかけてあり、それでつつがなく覚醒。九時頃まで深呼吸したり手をさすったりしてからだを起こしていく。それから過去日記を読みはじめていたが、ふくらはぎをほぐしていると便意が圧迫的になってきたので、九時二〇分ごろいちど立ってトイレへ。朝起きてすぐクソが出るというのはよいことではある。それだけからだがあたたまって体内がうごいているということだからだ。カーテンをあけるまえには端からもれだしているひかりの白さが、こりゃ曇りのもんだろとおもっていたのだけれど、あけてみればさにあらず真っ青な晴れ空で、となれば数はすくないが洗濯をしてしまう。母親も洗濯が好きで、いちにち二回洗うこともしばしばあったはずだし、じぶんで「アライグマのように」洗濯をしているともよく言っていたが、その血もしくは習慣をこちらも受け継いでいるのかもしれない。洗濯機をうごかしはじめると、もうすこし脚をやわらげたかったので布団のうえにもどり、あとしばらくだけ日記を読んだ。九時四五分くらいに立って、通話前にものを食ってしまおうときのうからつづく煮込みうどんの鍋をあたため、椀に盛って着席し、日記を読みながら食す。もう一品はチョコレート風味の蒸しケーキで、ちいさなふたつ入りのそれをもしゃもしゃやっているうちに一〇時が来たのでZOOMにログインするも、まだだれもいなかったのでもしゃもしゃつづけながら日記をみていると、まもなく(……)さんがやってきた。口のなかにものを入れてもぐもぐしているさいちゅうなので声を出さずにあたまのうごきであいさつし、笑いながら、あと一口なんで、と言ってさいごの片をもしゃもしゃやって食べ終わる。(……)


     *

  • 出勤路へ飛ぶ。出たのは四時ごろ。アパートから出て建物のまえでモッズコートのポケットに入れていた腕時計を取り出してみると四時五分だったおぼえがある。あるきだしてまもなく、公園が見えてくると、視界の奥のほうにあたる敷地の縁で木がいっぽん、西陽を浴びて、葉ののこったこずえをまとめて黄色くしているのがあらわれて、端のほうに黄緑もうかがえるような気もしたが、その黄色の斉一がもともとの葉の色なのか、それとも太陽の色が浸食した結果なのか、見分けがつかない。おもてへ向かって折れる。細道のとちゅうの一軒のまえには女子中学生がふたりいて立ち話をしている。過ぎれば郵便配達のバイクとすれちがい、またべつの一軒の戸口には年かさの婦人が来ていて、その家の知り合いに里芋をあげたところらしく、なかにいるざらついた声の高齢婦人は、いい里芋だね、とか洗ってあるじゃんか、とか言っていた。
  • おもてに出ると道をわたり、南へすすんで東西一線の車道沿いへ。空は晴れわたっている。太陽がのぞいてひかりが目にかかってくる瞬間のあったおぼえもないが、首をぐるりとまわして各方をみても雲をみつけられない淡青の、醒めた白さに向かいつつあるまっさらなひらきで、コンビニまえをとおりすぎつつ左の車道を越えてかなたに目を送れば、ちいさな電波塔をつないでわたる電線がよわい傾斜でまっすぐえがかれているのが明晰に浮かび上がっており、いちばんうえ、先端からはしる一線はしたのものより細いらしく目にとまりづらいのだが、それでもやはり空のまえに浮かび上がってみせている。街路樹のある歩道を行って、(……)通りにあたる角までくると、そこはあたらしい建物をつくっているさいちゅうらしくシートをかけられた盛り上がりが、淡い西陽をふりかけられていた。
  • この日は草の空き地にたいした印象はない。とおもったが南側をとおりすぎて渡り、病院脇から裏に向かっていくとちゅう、道をはさんで右手になった空き地の縁にトラックがあり、作業員の男も二、三人出張っていて、トラックの荷台にはオレンジ色だったかとおもうがなにかのおおきなタンクのようなものが載せられてあり、どうやらそこから配線が出ているのが道路のほうでなにかの機械をともないながら待っている男のそれにつながっているようで、荷台にいるひとがブルンブルンいう音をなんどか立てたすえ、ゴゴゴゴゴゴという稼働音がはじまるとともに道のうえには機械から細長い水流が放射されはじめたので、あれは原動機だったのかとおもった。裏通りのほうにうつる。とうぜんといえばとうぜんだがモッズコートのしたがベストまでの装いではもうなかなか寒い冬の空気で、その寒さが身に影響をおよぼすのに気を取られたり、ときどき手をさすってあたためたり、あるくからだじたいに意識を向けたりしていて、あまりまわりの印象をひろわなかったようだ。しかし、「(……)」の裏、建物前のスペースに黒塗りのクラウンが停まっていて、めずらしいなと横目をむけながら過ぎたあとに、そっちの界隈(政治かヤクザかわからないが)のひとではないよな? こんなところに、と疑問しつつ(……)通りの横断歩道に出ると、こちらのまえで信号が変わるのを待っている灰色髪の年かさの背が、薄鼠色のスーツに革靴のそこそこ良さそうな身なりで両手をスラックスのポケットに突っこんで、脚のあいだはわずかにひろめに堂々と立ちつつ寒さに耐えて身を揺らしているそのすがたが、信号が変わってもやはり堂々とした調子でずんずんあるいてコンビニのほうへ渡っていったのだが、そっちの人間にみえないこともないような気がされた。
  • もういま二四日の午後八時前になってしまったし、この日の通話や勤務のことは割愛だ。もったいない精神を殺して書かない勇気を持とう。


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  • 「ことば」: 40, 31
  • 日記読み: 2021/12/18, Sat.