2022/12/24, Sat.

 (……)ぼくの主要目的は、数時間自分を自己苛責から解放すること、ぼくが捉えようとすると文字通り飛んでいってしまうオフィスの亡霊のような仕事とは反対に――あのオフィスには本当の地獄があり、他の地獄はもう恐しくありません [「あの」以降﹅] ――のろまな、正直な、有益な、無口な、孤独な、健康な、骨の折れる労働をすることでした。ところでこの理由づけはもう完全に正直なものとはいえません、ぼくがたえず行う自己苛責は決して不必要なものでなく、いや極めて必然的なものとぼくは考えており、最愛のひとよ、あなたとの関係では、この苛責は実はぼくを刺し貫いて、あなたの幸福を生むことになるべきものでしょう。しかし二時間のあいだぼくは苦しみから脱れ、落着いて、幸福にあなたのことを考えることができ、結局はおそらく夜少しばかりよく眠れるようになるかもしれないと願ったのでした。しかしそんな説明では人々をめんくらわせ、だれもぼくを受入れてくれないかもしれない、だからぼくは、そのうちに自分の庭をもつので、少し園芸を習いたいと言ったのです。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、326; 一九一三年四月七日)



  • いま四時四四分。また煮込みうどんをつくろうと野菜を切って鍋にしこみ、煮る段にはいってまな板などをかたづけたところ。きょうの天気は快晴で、きのうにつづいて洗濯もした。タオルや肌着はすくなかったが、ながく着ていたジャージと寝間着を洗いたかったのだ。シーツも洗いたい。起床してもろもろやって食事を取ったのが正午前くらい、一時半過ぎから寝床に逃げてウルフ『波』を読み、脚をほぐしながら読んでいるうちに血がめぐって外向的なこころになってきたので、買い物に行くかとおもった。野菜類はけっこうあるものの、うどんをつかいきってしまっていたのだ。そのほかワイドハイターも切れかかっているので、その詰替用もほしい。それで二時四〇分くらいに外出。さいしょは近間のドラッグストアにさっと行ってくるだけのつもりだったのだが、どうせ出るならたしょうは遠回りをするかと逆方向に路地を抜け、(……)通りまで行って長方形をえがくようにまわってストアにいたろうかなとおもったのだけれど、だったらとちゅうにもうスーパー(……)がある。ワイドハイターがそっちに売っていればもうそこでいいじゃんというわけで、歩くうちに目的地を変更した。起床後に瞑想をしたときには左側の背後で洗濯機がゴトゴトやっているそのいっぽう、右手、窓外からは特段の音も立たず、うごきの気配のないしずけさのひろがりを聞いたので、風はあまりないようにおもえるとみていたけれど、午後三時をはさんだこの往路帰路ではそれなりに吹かれる時間があり、といってきのうの道よりもはるかに寒さをかんじなかった。時間はそう変わらない。気温が高かったのか、それともきのうきょうと息を吐きながらからだをよく伸ばしているため芯からあたたまっていたのか。吹かれる肌や首もとにたいした冷たさがないのをみつつ、しかしいずれあと一時間もすればかなり冷え冷えとするだろうとおもった。ルートはアパートの北側から路地を抜けると西に折れ、はさまる南北路の横断歩道を赤だがわたると豆腐屋の横から細い裏にはいった。まっすぐ行けば(……)通りに抜けて当たる。年の暮れの三時とあっては裏路地に日なたもすくなくおおかたは淡い黒の陰、そのなかに路上ではせいぜい二、三箇所、無造作な切れこみを入れたように暖色がななめに乗っている場所がある。だから太陽も左手にならんでいる家屋にさえぎられて見える時間のほうがすくないが、しかし出口の向こうにいただかれる空は、混ざり雲が皆無とはいかないものの、清澄そのものの薄水色が路上からきわだってあかるくて、いまは見えない太陽のひかりがどこどこまでも染み渡っているのがみてとれる。路地のとちゅうの右側で、水色空を背景に葉のない枝ぶりをうつくしくひらいた裸木もあった。枝同士でたがいのうえに影を交錯させており、そこからのがれた木肌ほんらいのいろが白っぽくてうつくしい。出口ちかくまで来ると幼子ふたりがちいさな自転車であそんでいたり、黒いボックスカーをゴシゴシ洗っている男性があったり、休日土曜の昼下がりという感がないでもない。車はガラスや車体のうえに不定形な白泡のすじをいくつも縦にながしていた。(……)通りに出てみても、対岸や横断歩道まわりにひとのすがたが比較的多く、土曜の午後ならこんなものだろうなと、宙にかかったあかるみを背後にいくばくかのおだやかな活気をながめる。わたって裏へ。先日は夜にたどったおなじ道、マンションと寺にはさまれて駅前にいたるルートだが、すでに太陽は高層住宅の裏にはいって日陰がひろく、しかし行く手にそれがとぎれて明瞭帯もあらわれている。右側にでーんとつづくマンションのこちらがわの端にいたるてまえ、目をふれば、西のほうにあたる空がやはりよく抜けた澄明さで、こちらを追い抜かしていった自転車のうしろすがたをみていると、日陰にいるあいだはとうぜん輪郭からなかまで暗く詰まっていたのが、日なたに踏み入った瞬間からあたまの縁やらところどころに金色がかったきらめきを置かれ、ここでは風もあり、寺の塀のきわにあつまっていたなごりの落ち葉がカラカラいってころがりながら、日なたのなかでやはりひかりをはねかえし、そうするうちにじぶんもまた境を越えてひかりのうちにつつまれると、落ち葉はいっそうあかるむというか、そもそも視界がぜんたいカッとあかるさを撒きかけられて、見下ろす葉のいくらかは表面にかさねられた純白をかがやきの域までたかめているが、こちらの髪も額もマスクもコートもいまおなじように白くなっているんだろうなとおもった。駅前で右脇を抜かしてきた女性がいる。みれば小柄で、髪もながくなく、飾り気なくリュックサックを背負ったかっこうが寸時中学生かとおもえたが、瞬間の横顔の記憶やうしろすがたのあゆみぶりの印象からするに、たぶんもっと年かさ、四〇代くらいのひとかもしれないとおもいなおした。いずれにしても視界がかがやかしいものだから、その背も服の色もよく見えない。そうして細道に曲がればそこは日陰、まっすぐ行って角にスーパーがある。
  • 入店。目当てはワイドハイターとうどんなわけで、洗剤をまず見に行くとふつうに売っていたのでここで用は済んだ。それからドレッシングももうのこりすくないとひろったり、うどんを取ったり、安くなっている野菜などのラックをみて半額のバナナを救出したり、その他パック米をあらたに調達したり、カップ麺のたぐいをあまり食う気にならないが、しかしなにもないというときにあたたかいものを食えるのはやはり役立ちではあるとふたつ取ったり、肉が食いたくなってロースカツを夕食にえらんでしまったり、甘いものにも食指がうごいたりと、なんだかんだでいろいろ買いこんでしまう。母親とおなじだ。ところで店内には、なんの曲だったかわすれたがこれはクリスマスソングだなというやつがかかっていた。数日前に行ったときもそうで、ひとが歌っている音源ではなくスーパーマーケットにありがちな、洗脳的で安っぽい打ちこみ音源のたぐいで、まあ商店の論理からしてとうぜんのことだが、迎合しやがってとおもっていた。ふだんはわりといかしたソウルとかがながれているのだ。時間や曜日によってもちがうのかもしれないが、ここはやはりたましいをもったソウルフルスーパーとしての矜持をたもち、せめて音楽ばかりはクリスマスなんぞどこ吹く風と硬派なこころいきをみせてほしかったが、だれも資本主義のプロパガンダに勝つことはできない。すくなくともクリスマスソングにするなら、Donny Hathawayの”This Christmas”とかでよかったじゃないか。なんでいつもとちがってあんなちゃちい、ローカルテレビの天気予報のバックでながれている打ちこみフュージョンみたいな音にたよってしまったのか(とはいえその種のフュージョンは、楽曲やフレーズとしてはそこそこよくできていたりもするのだけれど)。
  • 会計は(……)氏。土曜日の昼間だしクリスマスイブだしというわけで店のまえには自転車がずらりとならんでいたし、店内にも人出はおおいのだけれど、それでも会計がとぎれてレジがあいている時間というのがあるようで、ちょうどそこに当たった。このひともなんとなくこちらの顔をおぼえているような気配がないでもない。しかしそれでも(……)ポイントは、という確認を欠かしてはこない。きょうは台に籠を置いてお願いしますとたのんだその時点で来なかったので、ついにこのひとは聞かなくてもだいじょうぶだろうという判断にいたったかとおもったが、商品を読み込ませてうつしているとちゅうでやはり質問があった。さいしょのうちは後続がないので(……)氏はおそらくわりと丁寧に、ひとつひとつ確認するような感じで、籠内のものの効率的な配置をかんがえて試すような雰囲気で手をうごかしていたが、つぎのひとがあらわれるとそこから作業のスピードをちょっとあげていた。機械に金を入れて会計して、整理台でまとめると退店。
  • せっかく出てきたし天気も良いので、もともとたどろうとおもっていたルートで遠回りすることにした。つまりわたってすぐ裏にはいるのではなく、(……)通りを南に移行し、東進してストアのあたりから区画のなかへとはいっていく道行きだ。それで横断歩道をわたると角には「(……)」という、小ジム的な運動施設があって、なかからはいかにもインストラクターという感じのほがらかな女性の声で、いち、に、いち、に、みたいにうごきを指揮するのが聞こえてきて、その声の調子からしてどうも客に高齢層が多いようだなとおもったのだが、いまなまえの確認で検索してみたところ、これは運動施設というかリハビリ型のデイサービスなのだという。東側の歩道を南下する。突き当たりの右手には踏切りがあっていつもの空き地や病院のほう、左に折れれば自宅のほうだが、この時間にこの向きでこのへんをあるくのはかなりひさしぶりのことかもしれない。T字の左角には建設中の家屋があって、二階建てか三階建てか、高くからしたまでシートでおおわれており、ひかりをふんだんに浴びたそのシートは銀色めいて発光しながら表面に風のうねりをつくっており、それを行く手にみつけた時点でああすごいなと、なべて風にゆらぐものへと惹かれてしまうにんげんの性として具体性の波打ちにつかまっていたのだが、シートの様相は風の向きによって変容し、基本的には内にかくされている足場の組みに押しつけられてその横棒を浮かび上がらせ、すると横線部分はまさしく竹の節と瓜二つとなり、ただしあいだはわずかにへこんでアーチをえがくかたちだけれど、遠目にはこまかなすじを無数に刻まれて金属質と映る表面が、それはそれで竹の質感に似てくるようで、いっぽうではまた反対に内側からそとに向かってふくらむときもあり、そうすると節は一挙に消失して、とぼけたようななだらかさがすとんと降りて揺動もとまる。すごいなとみながらちかづいていくとシートはさきほどの金属的な印象などもはや失って、なにでできているのか知らないがよくあるただの繊維的なシートであり、色もなんとも言いづらい、灰色にはなりきらないくすんだなにか、風化を経た象牙色というところか。そこを曲がって東へ一路、おもったよりも日なたはすくないが、道沿いの、ひとが住んでいるのか否か定かではないような、家のまえに伸び放題の木が二、三、道の頭上にも出ている木造屋が、二階の壁に木の影を受けてゆらゆらさせている。風が出てきており、木のしたをとおるときにも直上のこずえが振動して響きを落とす。木々ののさばり具合からしても、家屋の色褪せかたや、魔法で砂に変えられたように枯れきった鉢植えがいくつも放置されていることからしても、やはり空き家らしき印象がつよい。住んでいるのかもしれないが。水色空から陽の照るコンビニの駐車場を横切って裏にはいり、車道をわたればそこの角に生えたキンカンが、黄色い実をおびただしくつけてこずえを埋め尽くしており、圧巻だった。通り沿いの家々に目をやりながら、にんげんの視界はじつにかぎられているなあとおもい、こんなにもものがあるのにそれを一挙に目に入れることもできないし、目に留めたところでほんとうに見ることもできやしない、ひろいあげられるものはとてもわずかで、目がつぎつぎとうつりうつしていくこれらの瞬間的なものたちを、絵図たちを、あたまの自動筆記装置がいくら完璧にはたらいたところでことばにできようはずもないとおもってすすみ、十字路にはいって公園までくれば常緑のともがらをのぞいて木はもう裸木、風の音もとおりが良いようだが、しかしのこった響きがあるなと目をふると、枝の高いところにまだわずかに葉のなかまをのこしてシャラシャラささめく一本があった。
  • 午前の寝床で読んだ一年前の日記より。

(……)食事をとりながら新聞をみた。沖縄の本土復帰から二〇二二年五月一五日で五〇年となるが、それでこの島のむかしといまを写真でみるみたいな企画がはじまっていた。きょうは国際通り。一面にはほか、オミクロン株の市中感染が京都でも確認されたと。二〇代だったかの女性で、渡航経験はなく、感染経路は不明。大阪でもきのうつたえられた一家とはべつに男児ひとりがオミクロン株にかかっていることが判明し、この男子とさきの家族ともかかわりはないという。だから市中でもういくらかひろがっていると見てよいだろう。東京もここのところ新規感染者が増加傾向にあるし(きのうは三〇人ほど)、そろそろまた拡大がはじまる気がする。政府はオミクロン株の市中感染発覚を受けて、大阪・京都・沖縄では知事の判断で無料でPCR検査を受けられるようにする方針。沖縄では米軍基地(キャンプ・ハンセン)内で二三二人もの感染者が確認されているからである。二面にその関連の記事があったが、米軍は出国前にPCR検査をおこなっていなかったという。入国後も当日にはおこなわず、三日から五日後くらいに検査をして、それで感染者が発見されるとともにまもなくひろがったと。

     *

(……)テレビにうつった番組のなかにはひとつ、『もやもやパラダイム』というNHKの番組があって、日本社会においてまだまだ「母親らしさ」という規範が押しつけられがちなことにたいして、諸外国(フィリピンとドイツ)の女性の例をひきながら異をとなえていた。そのなかで水無田気流という社会学者(おもしろいなまえだな、たぶん本名ではないだろうとおもったが、Wikipediaをみればこのひとは詩人でもあるらしく、現代詩手帖賞とか中原中也賞をとっている)が「母親らしさ」的な観念のなりたちについて語っていたのだが、いわく、「専業主婦」ということばがうまれたのがそもそも一九七〇年代で、とうじは高度経済成長のなかで「モーレツ社員」というサラリーマン像が起こったらしく、がむしゃらにはたらいてくるそういう夫を家庭内ではなるべくリフレッシュさせるということで女性のほうには「モーレツ良妻賢母」的な役割がもとめられたのではないか、みたいなはなしだった。さらにベビーブームがかさなって社会的競争がはげしくなり、いかに家庭をささえ子どもを育て学歴競争などで勝ち抜かせるか、という意識がつよくなったと。そういう文脈のなかで、七〇年代とうじのそのような空気にたいして女性らが違和感を述べる議論的な番組がNHKにあったといい、たしか『こんにちは、お母さん』みたいなタイトルのモノクロの映像がながされたのだけれど、これは(戦後)日本における初期フェミニズムの資料として貴重なものなのではないか。とうじはまだフェミニズムなどということばすらなく、「ウーマンリブ」とよばれていたときいたことがあり、七〇年代には開拓者的な女性らが数人いたはずである(上野千鶴子なんかもたぶんいちおうそのひとりにあたるのだとおもう)。

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新聞からはロシアがソ連崩壊から三〇年をまえに米国やNATOとの対立をつよめ、ウクライナ東部との国境に兵をあつめているという記事を読んだ。ロシア側のいいぶんは、同地域を支配している親露派武装集団にたいしてウクライナ政府軍(およびNATO)が攻撃をしかけるおそれがあるということで、ウクライナというばしょはロシア民族のおこりの地だからプーチンはとりたいのだろう。かれはソ連崩壊を巨大な「悲劇」ととらえているらしく、一〇〇〇年つづいたロシアという国のほとんど終わりだったとすらみなしているらしい。だからたぶん、偉大なるロシア民族を復興したいわけだろう。もしそうだとすると、それはようするに習近平とおなじかんがえだ。

  • おなじく、風景。そこそこ。

(……)空はやや雲がかりで、水っぽくしずんだ青暗さのなかにほつれた薄雲の影がみられる。坂へ折れてあがっていき、駅へ。ホームへわたり、さきのほうへ出ていきながら正面を見通すと、視界のなかにある色はいまじぶんがいるホームじょうを切りひらく明かりのそれと、とおくにぽつぽつともっている街灯の白、あとは線路沿いにある信号の青緑と赤のみで、ほかは濃淡はありつつも林も空も区別なくさかいも分明ならずことごとく闇の黒さにひたされている。西の上空はまだかんぜんに夜空となってはいないものの、もはや青みはうしなって暗さをそそぎこまれた様相、線路のほうをむけば眼下に色はとぼしく、風はかすかでレールの脇に生えた枯れ草の、ほそながくひょろひょろと伸びながらちからなくさきを折ったものが身じろぎ程度の揺動を見せ、それをながめているうちに西から寄せるものが増えて頬がつめたくなった。線路のレールは濃い褐色、昼間のひかりのもとでなら赤銅めいたその錆色がざらざらと金属質にうつろうが、いまはチョコレートパウダーをふんだんにまぶされたか土でつくられたかのような茶色の密な剛体で、レールのしたにごろごろ群れている石たちにも長年のうちにその色が染み出してひろがっている。

  • (……)さんのブログもきょうは一八日一九日と読んでいる。「街着に着替える。自転車にのって第四食堂へ。今日も晴天。ハンバーガー屋で海老のハンバーガーと牛肉のハンバーガーを買う。よくよく考えてみると、朝昼兼用の食事はここ最近ほぼ毎日ハンバーガーであるし、夜食は水餃子であるし、あれ? おれ平均的なアメリカ人よりもハイペースでハンバーガーを食ってんじゃない? 平均的な中国人よりハイペースで餃子食ってんじゃない? と思う」というのになぜかちょっと笑ってしまった。あと、「作業中、(……)さんから微信。テストで使用するイラストについて、男性がたまごやきを食べているものがあるのだが、これはなんですかという。たまごである旨告げると、どうしてこれがたまごであるかわからないというので、たまごやきの画像をググって送る。たしかに中国でたまごやきを見たことはない」というのも、え、そうなんだ、とちょっと興味深かった。
  • 中国社会の一現況。

 (……)ついでに(……)の感染状況をたずねると、「もうかなりのスピードで拡大していると思います」「明日からまた中小学校もオンラインモードに入ります」「(……)の誰でも知り合いの中に一人か二人、あるいはもっと大人数の感染者が出ているほどです」とのこと。木曜日に病院で健康診断を受けることになっているのだが、これってちょっとやばいですかねという質問には、「病院はちょっとやばいですね」「ママ友に病院で勤めている人が2、3人いて、それぞれの病院にも院内感染が発見されたって」とのことで、ひえっ! このクソ田舎ですらそんな感じか! ほか、「解熱剤が今どこも売り切れの状態です。北京では病院の前で、普段三、四十元の子供用の解熱剤を1700元で売っているダフ屋がいて、警察に捕まえられたって今日のニュースでみました」「わたしも解熱剤はありますが、マスクはN95のがないです。普段1元もしないのに、今は10元以上で売っているところがありますが、買いたくないですね」とのこと。

     *

 (……)「ところで、最近大連のコロナがとてもひどいです。周りの人が感染しています。」「とても怖いです。」と続く。解熱剤がまったく購入できない状況が続いているという。「私の姉、父感染しています。ですから今私本当に心配です。」というのだが、彼女は一人っ子だったはずなので、この「姉」というのは従姉妹のことだろう(中国の学生は年上のいとこのことを「兄」「姉」とよくいう)。父君は高熱に苦しんでいるらしい。(……)さん自身は、じぶんが感染することよりも同居中の祖父母が感染することをおそれている様子。そりゃそうだ。こちらも実家に居候中、なによりもおそれていたのは決して若くない両親の感染だった。「今の政策はみんなに感染させることかもしれないです。」と泣き顔の絵文字付きで(……)さんはいった。突然の開放について、「完全に準備不足だね。開放する前にワクチンや医療体制をしっかり準備しておくべきだった。そうする時間はあったと思うのだけど」というと、「もう十分なお金がないかもしれないです」「以前毎週のコロナ検査をするとたくさんのお金がかかりますね」とやはり泣き顔の絵文字付きでいって、彼女はこちらの知るかぎりけっこうな愛国少女であるはずなのだが(たとえごくごくひかえめなものであったとしても、彼女が政府に対する文句を口にしているところを見たことがない)、やはり今回の一件ではいろいろと思うところがあるらしい。

  • ニュースも。

 で、「コロナ有症状でも「通常勤務可能」 中国・重慶市、方針大転換」(https://www.afpbb.com/articles/-/3443978)という記事を読む。

【12月19日 AFP】中国南西部の直轄市重慶(Chongqing)当局は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の症状があっても「通常通り」出勤できるとする通達を出した。国営メディアの重慶日報(Chongqing Daily)が19日、報じた。
 中国ではこれまで、感染者が1人確認されただけで数千人がロックダウンの対象となってきただけに、劇的な方針転換となる。
 感染の徹底的な封じ込めを図る「ゼロコロナ」政策の突然の撤廃後、国内では感染が急拡大。当局も、感染状況の追跡はもはや「不可能」と認めた。
 こうした中、重慶日報によると、中国最大規模の人口約3200万人を抱える重慶市当局は18日、「軽度の症状のある」市、党、州の公務員は「体調や仕事の必要性に応じて、個人的な防護措置をとった上で通常通り勤務できる」と通達した。
 また、介護施設や学校、刑務所など特定の施設を除き、「不必要に」ウイルス検査を受けたり、陰性証明を求めたりしないよう市民に呼び掛けている。
 中国各地の地方政府では一般的に、新型コロナの症状がある間は自宅待機を奨励しており、重慶市の方針は大転換といえる。
 国内有数の経済拠点で6000万人以上が暮らす東部・浙江(Zhejiang)省の当局も18日、症状が軽い場合は「必要に応じて、個人的な防護策を講じることを前提に、勤務を続行できる」との方針を示した。
 中国では、複数の病院や火葬場で感染者数や死者数の急増が報告されている。また、新年や春節の休暇で、農村部での感染が拡大するとの懸念も指摘されている。

 なんでやることなすことここまで極端にふれるのかという感じ。ほんのちょっと前まで、検査の結果陽性となった母親を幼子ひとりうちに残した状態で隔離施設に強制連行しようとしたり、陽性者の出た家庭の犬猫を強制的に殺したりしていたのが、突然これだ。マジで「駆り立てるのは野心と欲望、横たわるのは犬と豚」(タクティクスオウガ)の世界やな。しんどい。

  • いま午後八時半だ。きのうおもったのだが、記事とちゅうにアスタリスクをいれて断章をくぎるのはやめることにした。なんかいいかなと。いちおう理屈をつけるとすると、ここからここまで書いたというまとまりをアスタリスクによって視覚化するやりかたにしてしまうと、書き出したはいいけれど心身がふるわずやる気が出ずにちょっとしか書けず、半端に止まったときなど、これでひとつの断章にするのなんかもったいないなというきもちになることがあり、それはひるがえしていえば書くからにはある程度の分量をやっぱり書きたいなという前提があるということで、そうすると書くことへのかまえと力みが生まれてしまってよくないかなとおもったのだ。むしろいつでも気分しだいでちょっと書き、すぐさま半端にとまってもいい、というふうにしたいと。理屈でいうとそうなるのだけれど、一年前の日記を読んでいてもアスタリスクは導入しておらず、箇条書きだけでいちにちのはじめから終わりまできっちり書いている日もあり、短縮的にやっている日もあり、気になったことだけとりあげてくわしく書いている日もありと、なんかけっこううまくやっているようすだし、けっきょくこのたんじゅんな箇条書き形式がじぶんにはいちばん合っているのかなとおもったのだった。じっさい、段落をつくっていたちょっとまえよりは、体調が回復してきていることもあろうけれど、気軽に書きやすくなった気がする。ほんのちょっとしたことでも点のもとに平等にならべられるのがよい。一字下げ段落でそれができないわけでもないとおもうのだが、やはりこころもちとしてのやりやすさがだいぶちがう。一年前だと短歌をつくってその都度載せたりもしているし、ちょっとしたおもいつきをメモするようなこともあったはず。
  • きのうから深呼吸しながらストレッチをたびたびするようになったのでからだのめぐりはよいし、あたたまりの度合いもあがったしわるくないのだが、食後はやはり背中が重くなるというか、疲れる。ものを食うと背が疲れる。しかしいま八時四〇分で、さきほどの食事に切りをつけたのが七時二〇分くらいだったはずだから、一時間くらい経てばまあこうしてきょうは書けないこともないわけだ。けっきょくやはり肉を伸ばしたりほぐしたりで身をあたためるのがいちばんというのはまえまえからの結論で、その方法がいろいろあるわけだけれど、呼吸はそのうち有効なひとつだ。きのうからは口で吐くようになった。口から息を吐いたほうがより深く吐けるから、ひつぜん、からだにあたえる影響はおおきくなり、血流はブースト的に加速されるのだけれど、だからそれはそんなに何回もやらなくてもよくて、ストレッチにしろ、深呼吸だけするにせよ、いちどに一~三回分の呼気でじゅうぶんだなとおもった。それでからだのめぐりはだいぶよくなる。いちどにたくさんやろうとするのではなくて、呼吸一回分のストレッチを気づいたときや気の向いたときにちょくちょくやるほうがよい気がした。深呼吸で血と酸素をめぐりやすくしておくとよいのは、それによってからだのキャパシティをあげたあとになにか行動をしたり、肌をさすったり、ストレッチではない軽い体操をしたりすると、そのときからだがほぐれやすくなっているということだ。つまり身をやわらげる方向性にはすくなくとも二種類あって、ひとつは伸ばす方向、筋肉の伸縮的可動性をあげる方向、伸張 - 収縮の幅をひろくするという方向で、これが一方向的にからだを伸ばす(いわゆる静的)ストレッチだ。これはこれできもちがよいし効力は抜群だけれど、こればかりやっていてもからだはかえってかたくなり硬直するというのがこちらの体感的観察で、もう一種類、ほぐすとかゆるめるとかそういう方向性のものがあって、こちらがおそらくいわゆる動的ストレッチだったり、からだをかるく反復的にうごかすような体操だったり、マッサージとかだったりするとおもう。このふたつは補完的で、たぶんどちらかいっぽうでは片手落ちになる。前者のやりかたで伸張 - 収縮の肉体的キャパシティをひろくしておいたうえで後者をやると効力が相乗される。前者ばかりやるとからだがかたまったり、ばあいによっては痛めたりすることもあるかもしれず、かといって後者だけでじゅうぶんな状態までもっていくのはけっこうむずかしい。静止実践でいえば前者が呼吸法、後者が無動の瞑想で、たんじゅんなはなし呼吸法でめぐりをよくしておいてから瞑想をしたり、あるいはふくらはぎを揉んだり、首をまわしたり手を振ったりするとより効果が高いというだけのことだ。だから気の向いたときに一呼吸分、深く吐いておくとそれだけでもからだの感じや持続性がだいぶ変わってくるということになる。一呼吸でじゅうぶん。せいぜい二呼吸か、最大でも三まで。口のばあいは。鼻だとまたちがってくるとおもうが。いずれにしても、あんまりやりすぎてもよくない。
  • きょうも『波』を読んだけれどやはりすばらしくすごいのひとことで、きょう通過した第四章(?)はとりわけすごく、すさまじいとすら言ってよいかもしれず、さいしょからさいごまで緊密そのもののながれがつくられていて、この作品内のひとつのハイライトであることはまちがいがないとおもう。たびたび感動しっぱなし。外的場面としてはバーナードがロンドンに着いたあたりからはじまり、インドに旅立つというパーシヴァルの見送り会みたいなもので六人が店につどって時間を過ごすというだけのものなのだけれど、六人があつまったあと、いちばんはじめみたいにそれぞれのセリフがみじかくなってリズムが変わり、しかもそのなかに各人の記憶、つまりこれまでに登場した要素やできごとやモチーフが回帰してくるのにはうわ、やばい、とおもい、なみだの感覚を禁じ得なかった(そこを読んだのはきのうだが)。そのほかにも書き抜かざるをえない部分はたくさんあり、さいごのほうなんて何ページにもわたってぜんぶそうだし、とにかくこの第四章ははじまりから終わりまですべてがもれなくすばらしい。すさまじい。テーマ、というか書かれている内容としては各人の相違と融合、愛(と憎しみ)、いまここであることとどこかほかの遠くであることが一体となる全的吸収、みたいな感じで、そのように主題だけとりだすとうさんくさいというか、あきらかに神秘主義的かたむきを帯び、スピリチュアルとすら言ってよいかもしれず、ユング的潜在意識(集合的無意識)とかに回収されそうな気配もないではなく、したがってそれはまた一即全の全体主義へとつうじる危険をもはらんではいるはずで、しかも「愛」ということばをもつかいつつそれがなされてしまうから危険はいっそうでもあるのだけれど、とにかくそこに書かれてあることばのつらなりと、ながれかたがすごいものだから、そういう危険性は承知のうえで、脱帽し感動せずにはいられない。ウルフはこの作品を「劇=詩」と呼んだらしいが、劇は劇でもこれは音楽劇である。言語で音楽をやっていやがる。しかもかなり特殊なかたちの輪唱を。各人がかわるがわることばを歌っている。
  • そのなかでもいちばん感動したのは、さきにふれたセリフのリズムがみじかくなったあいだにルイがもらしている、「ぼくらは会えば、思い出すのだ」(139)というこのなんの変哲もないひとことかもしれない。これがすごいことばだった。このことばじたいはなにひとつすごいものではない。じつに平々凡々とした日常のことばであり、意味内容もなんら複雑なところや深いものをはらんでいない。このことばだけ引き抜いてきても、だれもこれを読んで感動することはないだろう。ところが、『波』という作品をいままで読んできて、そして第四章を読んできて、セリフのみじかいパートにはいって各人の交替がはやくなり、記憶が回帰させられ、そのなかでふとこのひとことに出会ったとき、こんななんでもない一三字の、つまらない、散文的で平板な、最小限の意味しか持たないはずの、なんのニュアンスもはらんでいないごくごくみじかい一文が、まれにみるすごいことばとして鮮烈な感動を呼び、稲妻的にあたまに刻まれることになったのだ。これが文学ということなのだとおもう。「ぼくらは会えば、思い出すのだ」という、このなんの特徴もないひとことが、わすれがたいかがやきをはなって非常につよく迫ってくるということが。


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  • 「ことば」: 40, 31, 9, 22 - 24
  • 日記読み: 2021/12/24, Fri.


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Agence France-Presse, “Chinese city seeing half a million Covid cases a day – local health chief”(2022/12/24, Sat.)(https://www.theguardian.com/world/2022/dec/24/chinese-city-seeing-half-a-million-covid-cases-a-day-local-health-chief(https://www.theguardian.com/world/2022/dec/24/chinese-city-seeing-half-a-million-covid-cases-a-day-local-health-chief))

Half a million people a day are being infected with Covid-19 in a single Chinese city, a senior health official has said, in a rare and quickly censored acknowledgment that the country’s wave of infections is not being reflected in official statistics.

A news outlet operated by the ruling Communist party in Qingdao reported the municipal health chief as saying that the eastern city was seeing “between 490,000 and 530,000” new Covid cases a day.

The coastal city of about 10 million people was “in a period of rapid transmission ahead of an approaching peak”, Bo Tao reportedly said on Friday, adding that the infection rate would accelerate by another 10% over the weekend.

The report was shared by several other news outlets but appeared to have been edited by Saturday morning to remove the case figures.

China’s National Health Commission said that just 4,103 new infections were recorded across the entire country on Friday, with no new deaths. In Shandong, the province where Qingdao is located, authorities officially logged just 31 new domestic cases.

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The government of eastern Jiangxi province said on Friday that 80% of its population – equivalent to about 36 million people – would be infected by March.

More than 18,000 Covid patients had been admitted to major medical institutions in the province in the two weeks up to Thursday, including nearly 500 severe cases but no deaths, the statement said.