(……)ぼくは工合がよくありません。ぼくを生と正気において維持するため必要としている力を傾注すれば、ピラミッドを建設することもできたでしょう。
(マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、331; 一九一三年四月一三日)
- いま正午直前。きょうはなかなか早起きだ。覚醒は七時四六分だったし、起床も九時半前だったとおもう。
- (……)さんのブログを読んでいるあいだにおもったのだが(べつに内容とか形式になにか触発されたわけではないが)、日記の書き方を変えて、その日書いた分だけで投稿するだけはもう投稿してしまい、追加で書きたいことは最新の記事に過去をふりかえるかたちで書くやりかたにしようかなとおもいついた。いちいちさかのぼって当日の記事に書くのもめんどうくさいというか、やっぱりいちにちの記事を完成させて投稿するという意識がわずらわしいような気もしたので。その日書けたところまででともかく投稿するはしてしまい、書けなかったことがらは気が乗れば翌日いこうにまたつづると。つまりその日あったことではなく、その日書いたことの記録ということになる。こっちのほうがなんとなく楽なんではないか。より気分にまかせることができるような気がする。やっぱり投稿していちおう人目にさらすというのがわずかながらワンクッションになっているのだよな。それでなんかその日のことで書けることはなるべく書かなきゃ、記事をしあげなきゃ、みたいな意識が抜けきれないのではないか。つねに最前線に加筆する方式にすれば、記事の「完成」などということはなくなる。しあがっていなくてもいちにちが過ぎたならひとまず投稿はもうしてしまい、おもいだして書きたいことがあればそのあと書けばよいし、めんどうくさければ書かなくともよいと。日付の区分にとらわれず、日々のできごとや思念や感覚を題材やよすがとして、ただ文を書くという行為の軌跡を、記録するというかきざみつけて提示するのだ。書くことの自動詞的な運動そのものを記録するのだ。過ぎゆく日々のつねに最先端で文の舞踏をおどるのだ。おおげさに言えば。そんなのはあとづけの理屈だが。しかしじっさいそういうやりかたのほうがやりやすいような気がするので、しばらくためしてみよう。純粋無垢なる無償のライティング・マシーンとなるために、日記という形式をどんどん解体していこう。とはいえ紙で書いていた時代はとうじつにさかのぼって加筆するというのがしづらかっただろうから、むしろそういう書き方のほうがふつうだったのだろうが(さすがに数日前のことを書くというのはあまりなかったかもしれないが、きのうのことをきょうの記事に書いておくというのは作家の日記など読んでいてもよくあるとおもう)。むしろいままでが特殊だったのだ。そもそも紙の時代だとまいにちこんなにたくさん書けないしな。
- そういうわけで、食事を取って(……)さんのブログを読んだあとは、二三日二四日の記事をもう投稿してしまった。きのうはじっさいあとなにほどのこともない。おとといのことは勤務時のこととか書いておきたいのだがあとでできれば。きょうは七時四六分にカーテンをあけて快晴のあかるさをとりこむこともできたし、いままだ一時二一分だしなかなかわるくない。シーツを洗うことにした。起床後はそれで座布団をそとに出したり(西窓だからまだ陽射しが寄ってきてはおらず、つめたい空気にさらすだけになってしまうが)、したの通行人をうかがって気をつけながらシーツをばたばたやって塵や埃を捨てたり、敷き布団もおなじように払いつつ柵のうちがわに立てて風にさらしておいた。ストレッチなどしたあと、シーツを洗いはじめて瞑想。瞑想は一五分くらいでみじかく切ってしまった。深呼吸とストレッチでわりとからだがまとまってはいるので、あまりながく停まっている気にならない。柔軟のあいまに手もよく振っておく。手首足首、手先足先が冷えていると体調が良いとは言えないと判断するべきだろう。食事はきのうつくった煮込みうどんと、キャベツ・白菜・豆腐・安くなっていたイタリアンレタスのサラダ。シーザーサラダドレッシングがもうさいごだったので、ボトルを皿のうえで逆さまにして振ったり、尻を右手でぽんぽんたたきまくったりしてなるべく使い切る。ものを食べているあいだも(……)さんのブログを読み、のちに寝床でも読んで最新記事(二三日)まで行った。食後はさっさと皿洗いをすませて、ドレッシングのボトルもゆすいでキャップやラベルをとりのぞいて始末しておき、食べたあとはしばらくブログを読んだり歯磨きをしたり、じぶんの日記を投稿したり。一一時半ごろにシーツも干した。スペースがすくないので、敷き布団はその時点で入れる。物干し棒にかけたシーツの両側はそれぞれピンチふたつで留めてあるが、いましがた風が出てきたようで、下端を柵のそとに出しておいたはずのシーツは風に押しやられて窓のほうまでふれてきて、夏の夜に虫が衝突してきたときのようにピンチが窓ガラスにあたってカチカチ音を立てていた。投稿後は日記を書こうとしたのだけれど、まだからだの準備がととのっていなかったので、一段だけ書いて寝床に逃げる。シーツなしだが。それで脚をほぐす。深呼吸でからだぜんたいをやわらげてめぐりをよくしておいたあとにふくらはぎと太ももをほぐすのがけっきょくいちばん楽になるのではないか。
- 一年前の日記から。ちょうど去年のこの時期から日本でもオミクロン株が拡大しはじめたのだ。
(……)新聞一面、オミクロン株の市中感染が東京都内でも発見されたと。五〇歳代の男性医師。一六日だったかに帰宅後に発熱し、一七日に入院、ゲノム検査でオミクロンと判定されたと。直近に渡航歴はなく、感染経路は不明。都内の一日の新規感染者数は増えてきているし、たぶんきょうから続々とオミクロン株の感染が発見されていくだろう。市中感染が見つかっているのはいまのところ大阪、京都、東京の三都府で、大阪や京都ではきのうまでの情報にくわえてあたらしい感染者が発覚してもいるよう。あと山口県の岩国基地でも発見されているというが、これは市中感染にあたるのか? 市中感染ではなく、海外から帰ってきて隔離されているひとなどでは、もっとおおく見つかっているもよう。大阪、京都、沖縄につづいて東京都も希望者に無料でPCR検査を提供する方針。
北京オリンピックをめぐる「外交的ボイコット」の件では、米国などと歩調をあわせて日本も閣僚などの代表団はおくらないことに決定したと。日本オリンピック委員会、パラリンピック委員会の長や、橋本聖子オリンピック担当大臣は出席する。中国に配慮して「ボイコット」ということばをつかうのは避けるという。その中国では、南京事件について政府見解とあわない発言をした女性教員が精神病院に入院させられたという事件が起こっているらしい。女性は湖南省のひと。まず上海の職業訓練学校だかのべつの女性教員が、一四日だったかに、南京事件の被害者は三〇万人であるという公式見解について、データの裏付けがないと授業内で発言したところ、生徒が撮っていたらしいその授業の動画がネット上に出回り、それによってこの上海の教員は解雇だかになった。で、湖南省のひとはSNSじょうでこのひとを擁護し、まちがっているのはかのじょではなくて政府や、動画を撮った生徒や拡散させた人間である、と発言したところ、むりやり入院させられるという事態になったらしい。当局は、かのじょは精神疾患をかかえており、親族の意向で入院させることになったと表明、また、不適切な発言があったとして調査する方針だと。あいかわらずとんでもない国だ。
- あと2014/4/20, Sun.のほうも読んだのだけれど、二〇一四年四月の記事はこの二〇日までしかなく、これいこうは削除したんだったかな? とおもったところやはりそうだったようで、Evernoteからインポートした二〇一四年の日記のならびのいちばんさいごには簡易版なる記事があり、そこに読みかえして削除した記事からいちおうメモしておきたいことが日ごとに箇条書きで記録されてあった。瞥見したがこれはこれでちょっとおもしろくなくもない。ちかいうちにまとめてぜんぶ最新の記事内に引いて組みこんでしまおうかとおもう。
- 2014/4/20, Sun.は地元の図書館に行っており、「もう一冊は結局イヴ・ベルジェ『南』にした。文学に興味を持つ前になんとなく借りて、全然読めなかった。小説を読みはじめて何か月かしてからまた借りて、やっぱりわからなくて、読みおわる直前でやめてしまった。今度は読みきる自信があった」という記述があって、このイヴ・ベルジェ『南』という作品にはそんなのあったなとおもいだした。しかし内容はまったくおぼえていないところをみると、けっきょくこのときもたいして読めなかったのだとおもう。たぶんかなりマイナーなほうの作品で、ヌーヴォーロマンまわりだとおもうのだが、白水社のなんだっけあれは、「新しい小説」の復刊版みたいなシリーズだっけ? わすれたが、クロード・シモンの『フランドルへの道』が出ているあの白っぽくて背表紙にちょっとだけ色がはいったようなまあわりときらいではない、おちついた装丁のシリーズの一冊で、どんな小説だったのかほんとうにおぼえていない。とにかく読みにくかったとおもわれるが、いまだったらたぶんふつうに読めるだろう。ちょっと読みたい気もする。ヌーヴォーロマンまわりでも知られざる傑作というのはけっこうあるのだろうな。訳されていないものもふくめて。
- (……)さんのブログからいろいろ引いておく。
(……)0時から1時半まで書見。『「エクリ」を読む 文字に添って』(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳)の続き。
第3章でフォルト - ダーの二項論理について議論した際に見たとおり、母の不在は、象徴化されるまでは無なのであって、まだ「喪失」ではない。不在は、それに名が与えられるまでは何らかの物事として理解されすらしない。母の不在に名を与えるにせよ、ペニスの不在に名を与えるにせよ、言語はまさしく名を与え意味を生じさせるプロセスそのものによって、不在の重圧を軽減する力を発揮する。不在に名を与えるとき、言語はそれを、語られうる何ものかとして、すなわち私たちのディスクール界に実在する何ものかとして存在に持ち来たらす。これによって不在にともなうやっかいな負荷を流し去るのである。欠如や不在が象徴化されるときにはいつでも、ひとつの正量化が必ず起こっている。発話のなかでシニフィアンを使用する私たちの能力は、不在に打ち勝ち、喪失を正のものへと止揚するのだ。
ラカンによれば、ファルスとはまさにこうしたアウフヘーベンの象徴であり、言語が実行する喪失の止揚あるいは正量化の象徴である(E 692)。ラカンの用語法においてファルスは、まさにこのプロセスと力の名前である。あるいは、1970年代に彼が述べていた言葉で言えば、「ファルスが表示するものとは、意味作用の力[puissance]である」(…)。ファルスは、シニフィエを存在へともたらすシニフィアンの力を指し示す。つまり、シニフィアンの創造的な力である(シニフィエはいつもすでにそこにあるとはかぎらず、象徴化されるのを待っている)。「ファルスの意味作用」で述べられているように、「[ファルスは]意味の効果を全体として指し示すためのシニフィアンである」(E 690)。この意味において、この論文のタイトル(「ファルスの意味作用 la signification du phallus」)を「意味作用としてのファルス」と理解することもできるだろう。というのも、ラカンにおけるファルスとは、意味作用そのもののシニフィアンであるからだ。つまり、シニフィアンが物事を意味する仕方のシニフィアンなのである。ラカン自身、後になってこの論文のタイトル(『エクリ』ではドイツ語のタイトル“Bedeutung des Phallus”も併記されている)はひとつの冗語表現だとして、こう述べている。「言語のうちにはファルス以外の意味 Bedeutung はない」のであり、「言語はたったひとつの意味 Bedeutung によってそれが構成されているという事実から、その構造を引きだしているのである」(…)。
(『「エクリ」を読む 文字に添って』より「第5章 ラカン的ファルスとルートマイナス1」 p.198-199)ここを読んでようやく「ファルスの意味作用」とか「意味作用としてのファルス」とか、ラカン関係の本でしょっちゅうでくわす謎めいたフレーズの意味が理解できた気がする。言語(意味作用)の起源には、母の存在(〈もの〉の享楽)と不在(その喪失)の「二項論理」があり、その「二項論理」を起源とする意味作用のことを「ファルスの意味作用」ないしは「意味作用としてのファルス」というわけだ。あらゆる意味がファリックである(性的である)という表現も、その水準で理解すればいい。不在をそれとして名指し、命名し、「正のものへと止揚」し、「正量化」するという言語の根本的な作用が(原-象徴界のセリーを象徴界として構造化する作用が)、そもそも、母子未分化状態(〈もの〉の享楽)の喪失に端を発している。だから言語とはそれ自体が享楽にかかわる性的なものだといえるというわけか。
- うえのはなしはまあそんなによくわからんのだけれど、ただロラン・バルトが『ロラン・バルトによる』のなかで、わりと序盤の断章だったおぼえがあるけれど、なんかたしか政治的議論というのは性的なことがらだみたいなことを言っていたというか、そういう言い方ではないけれどそのふたつの領域を等置的にむすんでいたおぼえがあって、それを読んだときなんでそうなるの? とわからなかったのだけれど、うえのようなはなしからたぶん来ているのだろう。いちおう典拠をもとめておくか。
- とおもっていまEvernoteをひらき、「教養書・エッセイ(海外)」というカテゴリをひらくとおあつらえむきに石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』はすぐそこに出てきて、記事をひらいて「性」とか「政治」で検索しつつなかなかみつからないなとおもっていたのだが、こちらの念頭にあったのはたぶんつぎの箇所だ。
〈わたしは好きではない〉――白いスピッツ、パンタロンをはいた女、ゼラニウムの花、いちご、チェンバロ、ジョアン・ミロ、同語反復、アニメーション映画、アルトゥール・ルービンシュタイン、別荘、午後の時間、エリック・サティ、バルトーク、ヴィヴァルディ、電話をすること、少年少女合唱団、ショパンの協奏曲、ブルゴーニュのブランル[訳注178: 「ブランル」とは、十五―十七世紀の民族舞踏であり、輪になり手をつないで踊るものである。]、ルネサンス期のダンス音楽、オルガン、M - A・シャルパンティエ、そのトランペットとティンパニー、政治的 - 性的なことがら、言い争うこと、イニシアチブをとること、何かにこだわること、自然発生性、知らない人たちとすごす夜のパーティー、など。
〈わたしは好きだ、好きではない〉。そんなことは、誰にとっても何の重要性もない。そんなことは、一見して無意味だ。とはいえ、それらすべては〈わたしの身体はあなたの身体と同じではない〉ということを意味している。(……)
(石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、171; 「わたしは好きだ、好きではない(J'aime, je n'aime pas)」)
- 序盤ではなかった。序盤で「性」のワードを目にしたなという記憶とむすびついていたのは、たぶんしたの部分。
貧しさゆえに、彼は〈社会からはずれた〉子どもであったが、階級からはずれていたわけではなかった。彼はどの社会階層にも属していなかった(ブルジョワ的な場所であるB[バイヨンヌ]には、休暇で行くだけだった。〈訪れる〉のであって、演劇の舞台を見に行くようなものだった)。彼はブルジョワジーの価値観に与してはいなかったし、それにたいして憤ることもできなかった。というのは彼の目には、ブルジョワジーの価値観とは、小説的なジャンルに属する言語活動の情景でしかなかったからである。彼は、ブルジョワジーの生活様式だけにかかわっていた(一九七一年のインタビュー「返答」を参照)。その生活様式は、金銭的な危機のさなかでも変わることなく続いた。体験してい(end51)たのは、みじめさではなく、困窮だった。すなわち、支払い期限の心配であり、休暇や靴や教科書の費用の問題であり、食べ物に困ることさえあった。この〈耐えることのできる〉貧苦(困窮とはいつも耐えられるものだ)から、おそらくひとつのささやかな哲学が生まれたのだろう。自由な代償や、快楽の多元的決定や、〈気楽さ〉(まさに困窮の反意語だ)という哲学が。彼の考えかたを形成した問題とは、おそらくは金銭であり、性ではなかったのである。
(51~52; 「金銭(L'argent)」)
- (……)さんのブログにもどると、したは千葉雅也の記述。
こうしたスタンスは、ベルクソンに由来するドゥルーズの内在主義にかなり近いように思われます。けれどもマラブーは、ドゥルーズとは違って、内在性という措辞を切り札として使うことがありません。このあたりにドゥルーズから距離を取りたいという気持ちがありそうです。なぜでしょうか。ドゥルーズは、ベルクソンの再解釈にもとづき、自己矛盾をしない差異化、ひたすら肯定的である差異化を考えようとしました。しかしマラブーは、もちろんヘーゲル主義者として、たえず自己矛盾しつつ変形・変態していくという差異化を考えたいわけです。ここで狙われているのは、ひじょうに微妙なスタンスです。マラブーは、おそらくベルクソン的持続のいたるところに、出来事への驚きがもたらす自己矛盾の亀裂を入れるのですが、そのとき、持続の持つ連続性と亀裂による非連続性とを止揚することで、驚きに切断されつつも生き延びていく持続として差異化のプロセスを考えるのです——ベルクソンのヘーゲル化、ヘーゲルのベルクソン化という整形手術……。ところで、他方のドゥルーズは、ヘーゲルではなくニーチェに依拠して、ベルクソン的持続の、いわば肯定的にすぎるがゆえに政治的に危なっかしい連続性に亀裂を入れています。あらゆる存在者をただひとつの宇宙の持続へと包摂するというベルクソン主義は、ファシズムにつながりかねません。しかしドゥルーズは、自己同一性をいくつもの仮面へ解体するというニーチェ主義を介入させることで、持続の一元論を砕いて多元論にし、かつそれでも——ひび割れた——「個体」がどうにかミニマムな「健康」を持って生き延びられると考える、いや「信じる」のです。事ここに至ると、ドゥルーズとマラブーの狙いは、かなり重なっているように思われます。
マラブーは、弁証法的矛盾を、デリダが言う「亡霊」のようなものとして、生の哲学に「憑依」させているのだとも言えるでしょう。肯定的にすぎる生の哲学がファシズムに行き着くのだとしたら、亡霊的な死のモメントによってそれに抵抗するのです。僕の考えでは、このことが、破壊的可塑性というテーマにつながっている。
(千葉雅也『意味がない無意味』より「マラブーによるヘーゲルの整形手術——デリダ以後の問題圏へ」 p.251-252)
- ブルース・フィンクもまた。
(…)ラカンから欠如を取り上げることはできない。知は生の氾濫や何らかの「自然の豊穣さ」によって動機づけられているわけではない。サルは、様々な瞬間にそうした豊穣さの兆しを示すかもしれないが、とはいえ論理学、数学体系、哲学、あるいは心理学を創造することはない。文節化された知(すなわち“savoir”)は、ラカンによれば、何らかの快の不足、快の不十分さ、言い換えれば不満足によって動機づけられている。
*
私たちはおそらく、動物が決してしないことを行っている。私たちは自らの享楽を、そうあるべきと考える基準に照らして、すなわち絶対的な基準、規範、ないし標準に照らして判断する。基準や標準は、動物の王国には実在しない。それらは、言語によってはじめて可能となる。言い換えれば私たちは、言語によって、自らの獲得する享楽がそうあるべきものではないと考えることができるようになるのだ。
- うえのさいしょの引用を読んだときに、蓮實重彦とラカンってやっぱり相性わるいというか、わりと最大の敵みたいな感じではあるんだろうなとおもった。まああまり理屈だった思念ではなく、むかし読んだ柄谷行人との対談のなかで蓮實重彦が、うえとまさしく逆のようなことを言っていたというか、なんだっけ、文学作品というのはなんらかの欠如や不満から、それを埋めるために生み出されるのではなく(そのようなかたちで生まれた作品は退屈でしかなく)、いわくいいがたい過剰さから成るものなのだ、みたいな発言だったとおもうのだが。この典拠はめんどうくさいので探らない。といいつつ検索してみたが、それらしい箇所はみつからず。書き抜きしていなかったか、それかべつの本かもしれない。蓮實重彦がラカン派を敵としているという判断は、ネット上にある三浦哲哉との対談もしくはインタビューのなか(だったとおもうのだが、図書館で立ち読みしたなにかの本だったかもしれない)で、たしかジジェクの名を出して、映画批評に関連して、あのへんのやつらはrèelという語をいともかんたんに口にしすぎる、そんなにやすやすとrèelなどといってしまっては困る、そのまえにやることがいくらでもあるのであって(というのはつまり表層は終わらないということだとおもうが)、みたいなことを言っていたのもある。
- (……)さんが二〇一八年三月に中国にわたったときのはなしもおもしろかった。一八年三月というとじぶんはそろそろ疑似発狂がピークに達しようとするところだったはずだが、この記述を読んだおぼえはあるので、まだ文は読める段階だったらしい。三月の終わりにピークが来て、四月から鬱状態に移行して感覚をうしない、読み書きができなくなった。
- 以下の街のようすはすばらしい。というか文体(語り口)いまとぜんぜんちがうなとおもった。ふたつめの場面はクソ笑ってしまった。
(……)は最終的にナビをあきらめて車を発進させた。(……)は蒸し暑かった。窓をあけていたのだが、空気がやはりまずいように感じられてならなかった。駐車場を出てまもなく、大通りに合流しようというその直前で(……)は車をとめた。そうして路肩に停車していた車の、あけっぱなしになっていた後部座席の窓に顔をつっこんでそこに腰かけていた若い女性になにやら話しかけると、おそらくナビの設定をたのもうという意図だったのだろう、スマホをその相手に手渡す姿がみえた。それで設定がうまくいったのだったか、あるいはそうでなかったのかはよくおぼえていない。いずれにせよ車はほどなくして発進した。中国人の運転は信じられないくらい荒かった。というか(……)の運転はまだマシだったのだが(とはいえそれでも日本だったら一発で大事故になるレベルだろう)、とにかく割り込みがえげつないというか、これはタイでもやはりおなじだったようにおもうのだが、割り込みさせてくれるのを待つという習慣が中国のドライバーにはまったくなく、すこしでも隙間があればまず無理やり車のあたまをそこにねじこむ、そうして力ずくで後続車にスペースを作らせるみたいな強引なやりかたがデフォルトであって、日本だったらドライバー同士が車からおりて大ゲンカになることまちがいなしな危険な瞬間がほとんど十秒ごとに発生するという過激さ、うわ!ぶつかる!と目をみひらいた瞬間も二度や三度どころではなかった。もちろんクラクションはいたるところで始終鳴りっぱなしである。車は日本車も見かけたが、ケツに簡体字で社名ないしは車名をかたどったプレートのはりつけられている、あれは中国の国産車ということになるのだろうか、そういうのもけっこう走っていたのだが、なにぶん車には疎いのでよくわからない。バイクは全員ノーヘルだったし、二人乗りはザラだった(しかしカンボジアやタイで見かけた、原付に三人四人乗っているような曲芸的な走行はさすがに見かけなかった)。バイクでよく見かけたのは、こたつ布団を改造してこしらえたような、厚手の前掛けのようなものを装着している運転手の姿だった。前掛けには床屋のエプロンのように腕をさしいれるための穴があいており、体の前半分をそれで覆った状態で運転手たちはバイクを運転しているのだった。これはたしか以前どこかで見聞きしたおぼえがある、塵や排気で衣類が汚れないようにするための装備ではなかったか、実際それだからこそこれを身につけてバイクに乗っているのはほぼひとりの例外もなく女性だったのでは?
片側三車線くらいある比較的大きな通りであるにもかかわらず、巨大なレッカー車も走っていれば、豚を閉じ込めた檻を運ぶトラックも走っていた。高速バスらしいのも走っていれば、野菜のたくさん盛られた荷台をひいている原付も走っていた。なにかこう、ありとあらゆるタイプの大型車両と小型車両が一堂に会して好き勝手に走りまくっているみたいな、ひっきりなしにあちこちを行き来しまくっているみたいな、それゆえに車線もなにもあったものではない、というかそもそもの交通ルールがないにひとしいみたいな、いかにもアジア的な喧騒、なにごともかえりみない純粋なる活気だけがそこで各々の力を好き放題発揮させているみたいな、自己主張が車両となって排気ガスをもくもくとたてながら走りまくっている、そのような具合であった。交通量の激しい一画に近づくにつれて空気はますます悪くなっていくようであった。(……)はじきに車の窓を閉めた。それで、これは気のせいなんかではない、事実ほんとうに空気が悪いのだ、これがうわさの大気汚染というやつなのだという確信をもった。これは翌日(……)先生から教えてもらったことであるのだが、(……)の空気は中国でもワースト10に入るほど悪いらしい。交通量の激しいこの道路を走っているときだったか、あるいは空港からおもてに出た直後のことであったか、もうよくおぼえていないのだが、汚染された空気のなかにはっきりとケミカルなにおいが嗅ぎ分けられて、そのにおいにはおぼえがあった、(……)ときのにおいだった、だからこのにおいは化学工場由来のものなのではないかとひそかに見当をつけたりもしていたのだが、真相は知れない。(……)は運転中たびたび窓をあけて唾を吐いた。アジアでよくみる光景である(これも翌日(……)さんからきいたことなのだが、中国ではものすごく美人な女性でも平気で路上に唾を吐くことがあるのだという)。
車道からながめる景色は勢いのある共産圏の街並みというよりは疲弊しきった旧社会主義国圏のそれみたいだった。色彩にとぼしい古い建物、それも当時は最新のものだったにちがいない建築様式の、やはり当時は高く大きかったにちがいない建物のしかしそのまま老朽化したのが、ひしめきあっているのですらなくただぽつりぽつりと点在している、そのようすがどんよりとした夕刻の空のもとで車窓の向こうを流れさっていくそのようすをながめているうちに、アントニオーニの映画でこれにそっくりな色調の景色を見たことがあったなと離れてひさしい映画の記憶が刺激されもした。車内では当然ほとんど会話などなかった(できなかった)。年齢を告げた機会はあったとおもう。あとは子どもはいるのかという質問に、我不结婚了(「わたしは結婚していない」)と答えた一幕もあったはずだ(たしか高速道路の料金所を通過する手前の出来事だったはずだ)。下町に入ってしばらくすると、(……)は車を路肩にとめてはそのへんにいるひとに声をかけて、手当たり次第道をたずねはじめた。どうやら道に迷ったらしい。小汚い食堂のたちならぶ一角、路上では果物や野菜を投げ売りしている人間らのいる生活感のある一画で、聞き込みをつづける(……)のようすを助手席の開いた窓越しにながめていると、いくらかマシになったケミカルなにおいとスパイスのにおいとが渾然一体となってなまぬるい初夏の空気のなかで蒸されたのが鼻先に届いた。するとその瞬間、タイの記憶がめざましく脳裏を駆け抜けた(あるいはひょっとすると、このときが異国を感じた最初の瞬間だったかもしれない)。(……)といっしょに重い荷物をかかえながら夏の路上の記憶が一気によみがえった。*
ホテルには食堂があった。ロビーに隣接されているそこに移動して飯を食うことになったが、食堂に入ってメニューを見るなり、(……)はここを出ようというようなことをジェスチャーでいった。それで太贵了吗?(高すぎる?)とたずねると、肯定の返事があり、おもてのほうを指差してみせるので、外面?(外?)とたずねると、やはり肯定の返事があった。とどのつまり、ホテル内のレストランは高すぎるから路上にあるチープな食堂で飯をすませようということだったのだが、(……)はなぜかそのあとエレベーターに乗りこんだ。いったん部屋に入るつもりなのかなとおもったが、個室にのりこんだあと(……)はなぜか2Fのボタンを押した(われわれの部屋は5Fだった)。さらにいうならば、2Fはほかでもないフロントのあるロビーの階数、つまり、われわれのいるそのフロアであった。そのことに気づかないのか(つまりロビーがあるのは1Fであるとおもいこんでいるのか)、(……)は何度も2Fのボタンを押した。エレベーターのとびらを閉じる、2Fのボタンを押す、動き出さないので開のボタンを押す、すると目の前に先ほどと変わりないフロアの光景があらわれる、それなのでまたエレベーターのとびらを閉じる、2Fのボタンを押す……と、そういうことを延々とくりかえす(……)を見て、ひょっとするとこのひとは相当アレなんではないかとおおいに疑問におもった。痺れを切らした(……)はエレベーターの外に出た。今度こそおもてに飯を食いにいくのだろうとおもったが、そうではなく、階段をのぼって上にあがりはじめたので、いったいなにをやりたいんだろうかとおもいながらもあとについていった。上のフロアにたどりついたところで(……)は廊下を歩いて目についた扉、あれはおそらく従業員らのいる裏方のスペースに続く扉だったのだろうが、それをひらいてずんずん奥に進んでいった。奥には当然びっくり仰天したようすのスタッフがいた。(……)は彼女らになにやら言葉をかけたが、スタッフらはここではもはや嫌悪感を隠すことすらせずに、ここから出ていくようにと(……)をうながした。それで(……)はまたエレベーターに乗りこみ、2Fにおりると、正面入り口からおもてに出て、路上をさしながらこのあたりで飯を食うぞというようなことをいった。おそらく(……)はフロントのあるフロアが2Fであることに最後まで気づかなかった、フロントがあるのはあくまでも1Fだとおもっていた、だからホテルの案内板かなにかをみて(彼の認識する)1Fにあった高級レストランとは別の食堂が(彼の認識する)2Fにあると判断してそこに向かおうとしていたんではないだろうか。
- その他コロナウイルスまわり。
到着。店の前の広場はやはり閑散としている。しかし前回同様、食い物の屋台はちらほら出ているし、買い食いしている客もごくごく少数ではあるが、いるにはいる。広場の一画にあるPCR検査所にはけっこうな行列ができている。病院や一部の公共施設の中に入るためには、たぶんいまでもPCR検査の陰性証明が必要なはずで、だからここで検査を受けているということだと思うのだが、行列に並んでいるひとのなかには軽く咳き込んでいる姿もある。さすがにそのすぐ近くを通る気にはなれない。この手の簡易検査所にしても大学内の臨時検査所にしてもそうなのだが、これまで行列に並ぶ人間がいわゆるソーシャルディスタンスを守っているところを見たことがなかった、一メートル間隔で並べと係員が呼びかけてもだれひとり守らず、パーソナルスペースなんて概念この国には存在しないのではないかと思われるほどだれもかれもがぎゅうぎゅうに距離を詰めて並ぶ、それがいわば見慣れた日常の光景だったわけだが、その日常に入った亀裂を今日とうとう目撃した! 簡易検査所に並ぶひとびとがおたがいに距離をとっていたのだ! こんなことはこれまでなかった! この光景はこの国の現状を端的に象徴している!
*
(……)「中国のコロナ感染、12月に2億4800万人か 資料流出」(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB23BY40T21C22A2000000/)という記事を読む。
【北京=共同】米政府系のラジオ自由アジア(RFA)は23日までに、中国で今月、総人口の約18%に当たる2億4800万人が新型コロナウイルスに感染したとする中国政府の内部資料が流出したと伝えた。事実なら公式発表をはるかに上回る大規模流行となる。
中国のSNS(交流サイト)に流出したのは国家衛生健康委員会の会議録。来年1月の春節(旧正月)連休に伴う大規模な移動により都市と農村部で感染が同時に広がり、医療逼迫など事態が深刻化する恐れがあると懸念を示している。
中国政府の発表では、20日に新たに確認した感染者は3049人(無症状感染者を除く)。しかし会議録によると、同日の感染者は推計で約3700万人に上った。四川、安徽、湖北各省と上海の感染率が高かった。
北京と四川省の感染率はいずれも50%を超えたという。重症者数のピークを迎えた北京では医療体制の拡充が急務だと指摘。年末までに各地で流行のピークが訪れるとの見通しを示している。こちらの観測範囲内では、約18%どころではない、低く見積もっても40%はオーバーしているわけだが、「北京と四川省の感染率はいずれも50%を超えた」とあるし、まあ、この40%という皮膚感覚は当たらずも遠からずといったところではないか。それにしても、じぶんが感染しないという未来がまったく見えんなマジで。
- きのう読んだ記事だが、Agence France-Presse, “Chinese city seeing half a million Covid cases a day – local health chief”(2022/12/24, Sat.)(https://www.theguardian.com/world/2022/dec/24/chinese-city-seeing-half-a-million-covid-cases-a-day-local-health-chief(https://www.theguardian.com/world/2022/dec/24/chinese-city-seeing-half-a-million-covid-cases-a-day-local-health-chief))の情報もここに合わせて引いておく。青島ではいちにちで五〇万人があらたに感染したという報告を地元の党当局が発表したのだが、すみやかに検閲されたようだと。中央の発表では金曜日に全土で発見された新規感染者は四一〇三人。青島市がある山東省の公式記録では、省内で三一人。
Half a million people a day are being infected with Covid-19 in a single Chinese city, a senior health official has said, in a rare and quickly censored acknowledgment that the country’s wave of infections is not being reflected in official statistics.
A news outlet operated by the ruling Communist party in Qingdao reported the municipal health chief as saying that the eastern city was seeing “between 490,000 and 530,000” new Covid cases a day.
The coastal city of about 10 million people was “in a period of rapid transmission ahead of an approaching peak”, Bo Tao reportedly said on Friday, adding that the infection rate would accelerate by another 10% over the weekend.
The report was shared by several other news outlets but appeared to have been edited by Saturday morning to remove the case figures.
China’s National Health Commission said that just 4,103 new infections were recorded across the entire country on Friday, with no new deaths. In Shandong, the province where Qingdao is located, authorities officially logged just 31 new domestic cases.
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The government of eastern Jiangxi province said on Friday that 80% of its population – equivalent to about 36 million people – would be infected by March.
More than 18,000 Covid patients had been admitted to major medical institutions in the province in the two weeks up to Thursday, including nearly 500 severe cases but no deaths, the statement said.
- きのう(……)さんのブログから引いたニュースを読んだときもおもったのだけれど(そのなかのとくに「また、介護施設や学校、刑務所など特定の施設を除き、「不必要に」ウイルス検査を受けたり、陰性証明を求めたりしないよう市民に呼び掛けている」という部分など)、ゼロコロナを撤廃するはよいとしてもどうしてこうも逆方向の極端な放任に走ってしまうのかなということで、それはだれでもおもうとおもうのだけれど、つまり中国共産党の人的リソースとか、強固な統制と動員を可能にする組織体制とかをもってすれば、もっとうまく、それこそ繊細な対処をやれるはずだとおもうのだ。ところが現実にはゼロコロナをやめたとなったら、もう国中全国民に感染がひろがってもよいくらいの、ほとんどやぶれかぶれともみえる逆方向への解放的突進となっており、これだととうぜん、いくらオミクロンがデルタよりも毒性が弱いとはいっても(いまもほんとうにそうなのかわからないが)、死者は相当数出ることになるだろうし、生き延びたひとのなかでも後遺症にとらわれて苦しむひとが膨大数出現するだろう。集団免疫を獲得させるというのが目的なのかもしれないが、しかしくわえてそれだけ感染拡大すればふつうにあらたな変異型が発生してもおかしくないだろうし、それが全世界にひろまったりしたら、たとえばアメリカのドナルド・トランプまわりなどの反中的愛国者なんかはまたぞろ「武漢ウイルス」みたいなことを躍起になって言い出すだろうし、そういうレッテル貼りのレトリックは愚かだとしても、政策的悪手として国際社会から尋常に批判されたり責任を問われたりするということもあるだろう。国外からのそういう批判は報道統制のなかにある人民たちにはあまり届かないかもしれないが、それにしたって莫大な数の感染者や死者が出れば、国内の人民たちだってそれをまったく知らない、噂も聞かないということにはならない気がするから、中国共産党に不信をいだくことはありそうだし、そうしたら党としてはダメージになるのではないか。もちろんそれで共産党体制や習近平政権が終わることにはならないだろうけれど、しかしこんなふうにやるよりは、もっと穏当な、段階的開放策を取っていったほうが、党としての功績をアピールし、ひとびとの愛国精神に傷をつけず、むしろ共産党はやはりうまくやっているというかたちでそれを鼓舞することすらできるのではないかとおもうのだが。なぜそうしないのかが不思議である。ひとつには、ゼロコロナ政策の終了と開放は、コロナウイルスが感染しても問題ないくらい弱毒化したというプロパガンダにもとづいているわけで、そういう宣伝をして開放したからには、中途半端に警戒的な対策をのこしてしまうと、党自体の宣伝と矛盾が生まれて権威がそこなわれる、ということがあるのかもしれない。もうひとつには、段階的開放策を取ったとして、そこでハンドリングがうまくいかなかったり想定外の事態が起こったりすると、それもまた党の権威が傷つくことになる、という判断などがあるのかもしれない。いずれにしても権威と面子の問題くらいしかこちらには解が見いだせないのだけれど、現状のやりかたを取ったところでけっきょく権威は損なわれることになるというか、社会的・経済的・国力的影響もかんがみるにそっちのほうがダメージがおおきいのではないかという気がするのだが。ひとつたしかだとおもわれることは、共産党の中央は人民などわれわれが統治して飼いならしてやらねばならぬ畜群程度にしかおもっていないのだろうということで、全面的開放によって畜群が何匹死んだところでたいした問題ではないわけだ。その点で、党中央にとっては漢民族もまた、ウイグルのひとびとと本質的なちがいはないのだとおもう。ウイグル族は人民の敵であり、絶滅させるか、すくなくともかんぜんに同化させるかたちでこの世から消し去らなければならない畜群であり、漢民族は人民ではあるものの、畜群であることに変わりはなく、われわれが支配しつかってやらなければならないいくらかましな畜群だということだろう。それでいて共産党は「愛国」をもとめる。それはじっさいには「愛国」というよりも「愛党」がただしいだろう。こんなことはあまり言いたくないし、言い分としても正当なものかどうか疑問ではあるが、「愛」という語をつかった情念的レトリックにあえて乗るとするならば、人民に国を愛するようもとめるのだったら、国のほうも人民にいくぶんかは「愛」をしめすようなそぶりをみせるか、そこまでいかなくとも、孔子の儒教(儒学)を誇るべき伝統として持つ国として、民にたいする礼や仁をすこしは発揮するべきではないかと、そんなことをおもってしまうくらいではある。けっきょく共産党が愛しているのは「愛国」の語のとおりまさしく「国」なのであり、その「国」はまた現在の中国においては「党」と同義なのだが、だからそこに「人民」はないのだ。かれらは「人民」ではなくて「国」=「党」を愛しているのであり、「人民」にもそれをもとめ、強制する。つまるところそれは共産党という政体組織にたいする自己愛であり、したがってその欲望は自己を維持しつづけ、(国際社会にとっては迷惑なことに)願わくばおおきく拡張するというだけの内実しかもちはしない。再生産的現状維持によって共産党体制が未来永劫つづくことしかかれらは望んでいないようにおもえるし、そこでゆるされるゆいいつの変化とは、ただ拡大の一方向をひたはしる直線性のものでしかないだろう。現状維持とそこからの延長としての直線的拡張だけを志向した国家が、しだいに腐り、おおきさに耐えられなくなり、崩壊に向かっていくのは、ローマ帝国を筆頭に歴史がいくつも実例を挙げているはずだ。なんといっても中国共産党はまだこの世に生まれてから一〇〇年余りしか経っておらず、政権をになうようになってからはたかだか七〇年程度でしかない。歴史は浅い。一〇〇年つづいているのはすごいことだが、それでは中国共産党が結党二〇〇年をみることができるかといえば、疑問だとこちらはおもう。党中央部のにんげんもそれを切実に認識しているだろう。なにしろ世界でもっともながく古い歴史を持つ国家地域のひとつなのだから。しかし現実にやっていることはといえば、反動や犠牲のはなはだしい無謀な政策を強権によって押し通し、批判や疑問の声は無理やり弾圧して存在しないこととして、もしくは国外の反中勢力による陰謀だということにして、それでいてたとえば武漢のように、じっさいの現場でみずからの判断にもとづいて価値あるはたらきをしめした個人にかんしては、これをいわば「愛国烈士」のようなかたちで顕彰しつつ、その功績を政治の功績へと転化して、収奪的に吸収する。すじのとおったことをなにもやっていない親分が子分の功をじぶんのものとして奪い取ってしまうという、義侠心を捨てた悪どいヤクザかマフィアみたいなやり口で成り立っている国家だ。
- あしたがUlyssesの通話で、今回の訳はこちらが担当となっているのでそれを訳した。七時ごろからだったかな。あいだに休みを入れつつ、いまは九時四〇分。ここまでとする。さいごの一段は急にながくなってめんどうくさいので、来週にまわしたい。原文と訳を以下に引く。
—Let him stay, Stephen said. There’s nothing wrong with him except at night.
—Then what is it? Buck Mulligan asked impatiently. Cough it up. I’m quite frank with you. What have you against me now?
They halted, looking towards the blunt cape of Bray Head that lay on the water like the snout of a sleeping whale. Stephen freed his arm quietly.
—Do you wish me to tell you? he asked.
—Yes, what is it? Buck Mulligan answered. I don’t remember anything.
He looked in Stephen’s face as he spoke. A light wind passed his brow, fanning softly his fair uncombed hair and stirring silver points of anxiety in his eyes.
Stephen, depressed by his own voice, said:
—Do you remember the first day I went to your house after my mother’s death?
Buck Mulligan frowned quickly and said:
—What? Where? I can’t remember anything. I remember only ideas and sensations. Why? What happened in the name of God?
—You were making tea, Stephen said, and went across the landing to get more hot water. Your mother and some visitor came out of the drawingroom. She asked you who was in your room.
—Yes? Buck Mulligan said. What did I say? I forget.
—You said, Stephen answered, O, it’s only Dedalus whose mother is beastly dead.
A flush which made him seem younger and more engaging rose to Buck Mulligan’s cheek.
—Did I say that? he asked. Well? What harm is that?
He shook his constraint from him nervously.
—And what is death, he asked, your mother’s or yours or my own? You saw only your mother die. I see them pop off every day in the Mater and Richmond and cut up into tripes in the dissectingroom. It’s a beastly thing and nothing else. It simply doesn’t matter. You wouldn’t kneel down to pray for your mother on her deathbed when she asked you. Why? Because you have the cursed jesuit strain in you, only it’s injected the wrong way. To me it’s all a mockery and beastly. Her cerebral lobes are not functioning. She calls the doctor sir Peter Teazle and picks buttercups off the quilt. Humour her till it’s over. You crossed her last wish in death and yet you sulk with me because I don’t whinge like some hired mute from Lalouette’s. Absurd! I suppose I did say it. I didn’t mean to offend the memory of your mother.
――あいつがいたってかまわないさ、とスティーヴン。夜にならなきゃ、べつに変なところもないしね。
――なら、なんだってんだ? バック・マリガンは苛立たしげにたずねた。白状しろよ。おれだって、お前に遠慮はないぜ。おれの何が気に入らない?
ふたりは立ち止まり、眠るクジラの鼻先に似て水のうえを横たわっているブレイ・ヘッドの丸みを帯びた岬のほうに目をやった。スティーヴンはしずかに腕をほどく。
――言ってほしいのか? と問いかけた。
――ああ、なんなんだ? とバック・マリガンは返す。思い当たることがないんだが。
そう言いながら、スティーヴンの顔を覗きこんでみせる。微風が彼の額を横切り、梳 [と] かされていない金髪をそっと持ち上げ、すると不安をはらんだ銀色の点が瞳の内に揺れうごいた。
スティーヴンは、自分自身の声に鬱々となりながら、
――母が死んだあと、最初に君の家に行った日のこと、覚えてるか?
ぱっとしかめっ面になったバック・マリガンは、
――何? どこだって? 思い出せねえな。なんかのアイディアとか、世間で騒がれてることしか覚えてないもんでね。なんでだ? 一体全体、何があったって?
――君はお茶を淹れてて、とスティーヴンは話す、お湯を補充してくるときに、階段のまえを通ったんだ。そこにお母さんとお客さんが客間から出てきた。誰が来てるの? って君は聞かれて。
――そんで? とバック・マリガン。おれはなんて言った? 忘れちまったな。
――こう言ったんだ、とスティーヴンはこたえた、《ああ、ディーダラスだよ、あのおふくろさんがいやな死に方をした》。
頬にさっと浮かんだ赤みのおかげで、バック・マリガンはいっそう若く、魅力的に見えた。
――そんなことを言ってたかい? と聞き返す。そんで? なんかまずいかね?
苛立ちめいたそぶりで彼は気まずさを振り払った。
- 今回はすごくむずかしいような、いろいろ検索したりしてめちゃくちゃ悩むという箇所はなくて、おおかた比較的スムーズに行ったが、それでももちろんちょいちょいかんがえたり、ベストをめざしてなんども口に出して読み、細部を決定したりはしている。たとえば三行目の、”They halted, looking towards the blunt cape of Bray Head that lay on the water like the snout of a sleeping whale”とか、こういうのはうーん困りますよねというもので、つまりいきなり修飾句ながくなって会話のあいだでのリズムのつくりかたがむずかしいけれど、尋常に修飾をさきに持ってくるしかあんまりやりようはなさそうだぞ、というわけで、「眠るクジラの鼻先に似て水のうえを横たわっているブレイ・ヘッドの丸みを帯びた岬のほうに目をやった」とストレートにやった。べつに文を分けても良いは良いのだろうけれど、やっぱりなんかそれは、みたいな感があって。で、こういうときに、「鼻先に似て」とするか「鼻先めいて」とするかとか、bluntはたんに「丸い」だとなんかなあとか、「目をやった」がいいか「見やった」がいいかとか迷うわけだ。さいしょは「目をやった」の五音終結がリズム的にちょっとはめすぎかなという気がして、「見やった」のほうがしゅっと終わる感じがあっていいなと判断していたのだが、けっきょく五音を採用。あとたんじゅんに、snoutもクジラのばあい、「鼻先」とか「鼻面」でいいのかなあという疑問もあって、そのあたりちょっと検索はした。鼻先がblunt、つまりふつうの岬のように細くとがっていないというわけだから、マッコウクジラみたいなクジラが想定されているとおもうのだけれど、そのばあいマッコウクジラのあの顔の突端って鼻先でいいの? と。まあけっきょくほかの良い言い方もないし、それで通じるだろうと落としたが。ちなみにクジラの鼻(の穴)じたいはあたまのうえのほうにあるらしい。潮吹きをするのがそれらしい。
- 注釈的に説明を付すならいくらでも書けるのだが、というのは言い過ぎだが、目立つポイントとしては(もともとそんなにきわだった場面ではないからおおきなことはやっていないが)、”Stephen, depressed by his own voice, said:”と、”Buck Mulligan frowned quickly and said:”というふたつのコロンを、文を締めないかたちで処理してみたことがひとつある。これはまえにも、「~~が言うに、」みたいにやったおぼえがあるが、今回はそれぞれ、「スティーヴンは、自分自身の声に鬱々となりながら、」「ぱっとしかめっ面になったバック・マリガンは、」としてみた。ここでこういうふうにセリフにつなげば、単調になりがちな「~と言った(たずねた、こたえた)」などの連続のなかで、ちょっとリズムに変化を入れられるかなと。後者のほうも、「バック・マリガンはぱっとしかめっ面になって、」と、前者とかたちを合わせようかなともおもったのだけれど、なんかこっちのほうがリズム的に良い気がした。スティーヴンに問いかけられてすばやく顔をしかめたそのうごきがセリフのあとに直接つづいたほうが、ながれが緊密になるし、印象的かなと。じぶんに都合の悪いようなことを言われて表情が変わる瞬間だが、こちらのイメージのなかでそのすばやさが強調的だったというか、一瞬でうつり変わるように想像されたので、quicklyも「ぱっと」ということばにしている。
- そのあとの、”I remember only ideas and sensations”は、集英社文庫の丸谷才一らの訳では、「おれは観念とか感覚しか覚えていないんでね」(27)となっているのだけれど、これはよくわからんし、そういうことではないんではないかとおもったので、「なんかのアイディアとか、世間で騒がれてることしか覚えてないもんでね」とした。ここのsensationは「感覚」ではなく、「センセーション」、「センセーショナルなできごと」のことではないのかと。となればideaのほうも「観念」なんてかたいことは言っていないはずである。ふつうにアイディアじゃないの? と。まあわからん、具体的な場面とかできごとをおぼえないたちで、という意味なのかもしれないが。
- ちなみに丸谷ほかの訳はリズム的にはわりとはなしにならないと感じる箇所はけっこうあり、そのあとのスティーヴンのセリフ、〈—You were making tea, Stephen said, and went across the landing to get more hot water. Your mother and some visitor came out of the drawingroom. She asked you who was in your room.〉はつぎのようになっている。
――きみはお茶をいれていた、とスティーヴンが言った。それからお湯が足りなくなって階段の踊り場を通った。きみのお母さんがお客と居間から出て来た。そして、あなたの部屋にいるのは誰と聞いた。
- 柳瀬尚紀も『翻訳はいかにすべきか』のなかで、この三人の訳は箇所によっては、「翻訳」とはいえず、「英文和訳」レベルでしかないと批判していたが、ここなんかその例として挙げられるんじゃないか。平板きわまりないとおもう。とくにさいごの、「そして、あなたの部屋にいるのは誰と聞いた」なんていうのはまさしく「英文和訳」、学校でやるような和訳のたぐいで、それで通るとき、それが解であるときだってもちろんあるとおもうけれど、ここはもうちょい(こちらが言うところの)戯曲の原理を導入したほうがよいだろうと。つまりじっさいに口に出して言われるセリフとして訳文をかんがえるということだが、こちらじしんはつぎのように訳した。
――君はお茶を淹れてて、とスティーヴンは話す、お湯を補充してくるときに、階段のまえを通ったんだ。そこにお母さんとお客さんが客間から出てきた。誰が来てるの? って君は聞かれて。
- まあこちらの訳も、さいごの間接話法を「誰が来てるの?」というかたちで直接話法的に処理してしまい、はてなマークまでつかったので、これはどうなんだろうという疑問もないではないが、リズムの面では、プロのしごとをまえに不遜ではあるけれど、こちらのほうがぜんぜんましだとおもう。ところで階段のとちゅうにあるはずの「踊り場」をとおって母親らが出てくるのに出くわすというのは家の構造がどうなっているのかよくわからず、どういうことやねんとおもってlandingを調べると、踊り場だけではなくて、階段の頂上や下端の手前にあたる床面、という意味もあったので(つまり階段からの着地地点ということだろう)、このばあいそっちなのでは? とかんがえた。そうすれば、バック・マリガンの部屋と客間と、お湯がある台所かどこかがおなじ階にある理解になるはず。そして通路のとちゅうに階段があって、スティーヴンを招いているじぶんの部屋を出て、そのまえを通り過ぎてお湯を取りに行くあいだに、客間から出てきた母親らと遭遇する。そこで言われたひとことが、おそらく部屋にのこっていたスティーヴンまで聞こえたという状況だと推測される。もし階段とちゅうの踊り場をとおりぬけて、階を下りるかのぼるかしたのだったら、さすがに部屋まで声がとどかないのではないか。まあ家のせまさによってはわからんが。しかしdrawingroomがあるくらいなのだから、そんなに狭苦しい家ではないだろうたぶん。ちなみにこのdrawingroomも集英社文庫のほうでは「居間」となっており、weblioをみてみるとたしかに、「大きな部屋または正式な場合に用いるもので,現在では living room のほうが一般的」と書いてあるのだけれど、だからdrawingroomと言ったばあいにはむしろ正式なちゃんとした応接間をしめすのがふつうということだろう。weblioの注釈は、いまではliving roomがカジュアルに客間としての役割も果たすけれど、という意味だろう。ジョイスの時代ではdrawingroomはおそらくまだきちんとした独立のものだったはず。したがって「客間」とした。
- あとちょっとひねったのは、”A flush which made him seem younger and more engaging rose to Buck Mulligan’s cheek.”(「頬にさっと浮かんだ赤みのおかげで、バック・マリガンはいっそう若く、魅力的に見えた」)と、”He shook his constraint from him nervously.”(「苛立ちめいたそぶりで彼は気まずさを振り払った」)の二文。前者は集英社文庫の訳で、「バック・マリガンの頬がさっと赤らみ、そのためにもっと若く、もっと魅力的に見えた」となっている。尋常だとおもう。原文を直訳するなら(しかし直訳というのもいったいどういうことなのかよくわからんのだが)、「彼をより若く、魅力的に見せるような赤らみが、バック・マリガンの頬にのぼった」となる。あいだにはいっているwhichの節がやはり処理しづらい。そういうわけで丸谷ほかの訳は、A flush roseの主述をさきに言って、関係詞節内の修飾はそれによって起こった印象の変化ととらえたわけだ。現象としてそれが順当な理解だとおもわれるから、この訳でも良いとおもうのだけれど、ここもやはり、比較的みじかいセリフでスピード感のある会話のなかで、集英社文庫の文の順序を取るとリズムがちょっと野暮ったくなるかなあという気がされて、かんがえてみるとうえのような訳になった。これもさっきのfrowned quicklyとおなじで、つたえるべき主眼はA flush roseというこの変化なわけである。この現象が起こったということは言わなければならない。こちらの訳はそれを修飾に盛りこむかたちになった。これもやはり、この情報をさいしょに持ってきたほうが印象的だという感覚なのだろう。そして動詞の目的地点にあったBuck Mulliganを主語に転化したかたちになっている。だからけっこうアクロバティックな順序の入れ替えがなされていると言えるかもしれない。原文形態至上主義者からすると、邪道にあたるとおもう。しかしこちらが重視するのは、日本語の文として読んだときの質である。もちろん原文から導き出せる範囲でそれをやるわけだけれど、この一文だったら、スティーヴンに突きつけられたセリフのあとで、「バック・マリガンの頬は紅潮し、」とかやっていると、その主述のリズムがやはりちょっとだけもたもたしているように感じられるというか、修飾+名詞のかたちでその情報を真っ先に提示してしまったほうが(「頬にさっと浮かんだ」と言っているから、動詞がになう一瞬の変化はイメージされるはず)、スマートにながれるようにおもうのだ。
- ”He shook his constraint from him nervously.”の一文も意外と悩んだのだけれど、このはなしはめんどうくさいのでもうやめる。ここまで書くと一一時。籠もりきりの日で、あとはウルフ『波』を読んでまた感動したというくらい。パーシヴァルの死がつたえられる第五章(?)はそこまででもなかったかなという感じなのだけれど、第六章(187~206)はやはりすばらしい。とくにスーザンかな。かのじょのセリフのなかにある、「セッター犬が円を描きつつ鼻をすりつけるのも見ないし、夜に横たわって葉叢に隠れる星を眺め、その星が動いても葉叢は変わらずじっとしたままね、と見上げたりもしない」がいちばん良かった。「夜に横たわって葉叢に隠れる星を眺め、その星が動いても葉叢は変わらずじっとしたままね」! ここ。「その星が動いても葉叢は変わらずじっとしたままね」。これに感動する。そのあとのジニーもよいし、ネヴィルはなんかロマンティックなラブソングの高級版みたいな文言をつらねていて、なんだかんだそういうのもきらいではない。
- Ulyssesを訳しているあいだとかにやはり背中、というか首のうしろあたりがこごったりちょっと痛んできたりして、あと二食目を食べるよりまえに文をつらつら書いたときなんかは、左手の中指だけがきわだって冷えているのが感覚され、上腕とか肩甲骨のほうにやはりこごりや微弱なしびれのようなものが生まれていて、けっきょく首、背骨あたりがなんかあれなわけだ。そしてそれが左の肘まわりとか、手首とか指につながっている。打鍵で指をうごかして疲労させると背中に波及するのだろう。それで手をさすったりプラプラ振ったり、あともう寝転がって脚をほぐすフェイズにはいって改善をはかるわけだけれど、Ulyssesの訳とちゅうに、肩まわりや腕をほぐすんだったら、そういえばむかしスワイショウをやっていたなとおもいだした。なつかしの腕振り運動である。パニック障害の初期、とにかく体調を良くしたいものだからいろいろ健康法を調べていたなかで知ったひとつで、気功の方面ではたしか基礎的な実践とされているのだとおもったが、かんたんで、前後に両腕を振るだけのものである。もうひとつ、いわばでんでん太鼓みたいにからだのまわりを回転させるかたちで左右に振るやりかたもある。これをよくやっていたのはパニック障害のだいぶ初期のころで、たぶん休学から復帰したあたりだったのではないかとおもうが、やれば肩はあたたまってからだの緊張がすこしとけるので、外出前とかにけっこうやるようにしていた。しかし効果はそんなにながくはつづかず、けっきょく電車に乗っているあいだにまた緊張でからだが固くなってしまうのだけれど。それをおもいだしてやってみたところこれがなかなかよい。腕を前後に(というか主にうしろに押し出すように振って、まえにもどってくるのはその反動なのだが)振るわけだから、肩とか肩甲骨付近にはもうダイレクトに効く。これをやってから手を振るのもよい。むかしのじぶんに感謝。おまえの努力は一〇数年後のおのれをたすけているぞ。
- そしてもう零時を超えて日付上の二六日にはいったので、きょうの記事はここまでで投稿してしまう。二六日の記事ももうつくる。
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- 日記読み: 2021/12/25, Sat. / 2014/4/20, Sun.