2022/12/28, Wed.

 今帰ったところです、フェリーツェ、だから相当遅いのですが、あなたに書かずにはいられません。ぼくはあなた以外のことは考えないし、旅行中見たすべてのものはあなたと関係があり、すべてのものの印象はこの関係が好ましいか否かできまります。ぼくらはまだお互いに議論しなければならないことがたくさんあります、フェリーツェ! ぼくの頭はじんじんしています。旅行だけが明らかにしてくれたことで、お互いが会うことによってしかこれは分りません。ぼくは今本当に大変自信があるんですよ。ぼくらはまだいくつか恐しいことを十分話し合わなければならないし、そうすれば、ぼくらは広々したところに出ることになりましょう。ぼくがあなたをいつも醜い道に連れていくことは御存知でしょう、たとえ近くに美しい湖がある場合でも。そうしたことはすべて、ただ夜が遅いせいでしょうか? ぼくがベルリンでトランクの荷作りをしていたとき、頭にちがった言葉を思い浮べていました。「彼女なしにぼくは生きられないが、彼女と一緒でもだめだ」、この言葉(end346)とともに、ぼくは一つずつものをトランクに投げこみ、なにかがぼくの胸を破裂させかけていました。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、346~347; 一九一三年五月一二日から一三日)



  • 零時二三分だ。九時半にアパートを出てスーパーに行ってきた。帰ってくると買ってきたロースカツをおかずに米を食う。野菜も。食後は食器やプラスチックのたぐいをはやばやとかたづけて(カツの乗っていた容器だけは洗剤を垂らして漬けてある)、歯を磨き、きのうの記事のさいごに引いておいたBob Woodwardのエッセイ、じぶんでThe Trump Tapesの内容を紹介しているやつを読んだ。さいごまで行くと零時をまわっていたので、数日前にさだめたルール、さだめたルールというかあたらしい方針にしたがって二七日分は書けているところまででもう投稿することにして、まずさきに二八日分の記事をNotionに作成した。うえのカフカ書簡の引用はようやくさいごである。この全集一〇巻からは相当な箇所を書き抜いたと言ってよいとおもう。いったい何日分、何箇所になったのかわからないが、一か月はふつうに超えていたのではないか? うん、いま2022/11/1, Tue.を見返してみたらすでにこの本で、82ページの記述が引かれているので、一か月どころではない、二か月分いじょうあったわけだ。ところでこの、いちにちが経ったらもう問答無用で投稿してしまうというやりかたはやはりなんだかよさそうだ。
  • 二三日の勤務中のことについてあと書いていなかったことをすこしだけ記しておくと、(……)
  • さきほど行ってきたスーパーへの道行き。かっこうはいつもどおりモッズコートで、しただけジャージからズボンに履き替えた。一〇分程度の道だしとめんどうくさがってストールもしくはマフラーはつけず。アパートを出てアスファルトに下り立つと右に行き、すぐに当たる通りをそのままわたって左折。正面には細めの車道とつながるT字点があり、突き当たりにある家屋の向こうには星がひとつずいぶんさやかに灯っているので、色は暗いがだいぶ澄んでいるらしいと夜空の晴れかたがうかがえた。T字の左側の角には交番があり、そのまえは横断歩道で、いまは赤をしめしている歩行者用のちいさな信号のいろが、背後の白い家壁にうすぼんやりとにじむが、そのとなりの家の壁は色味がついているので反映は起こらず、こちらのいるT字右側にも横断歩道があるので、通りの向かいの信号灯がおなじように赤を、そこの家のドアのうえや、その横から伸びているカバーつきの軒みたいな張り出しのうえに投げかけていたのが、信号が青にうつればもちろんその反映色も、南米にでもいそうなある種のカエルの肌色みたいなつるつるとした青緑に変わる。その家や隣家あたりでは歩道の端にパンジーかなにか植えた鉢がいくつもならべられてあり、きちんど白線をわたらずななめに通りを横切ると、鉢のあいだを抜けるようにして歩道にあがり、そのまま焼鳥屋のまえをすぎれば(……)通りの入り口、向かいにはこじんまりとした公民館が公園に付属しているそのガラス扉のなかで、電気の消えたなかちいさなクリスマスツリーがその場をまもるように、赤や黄色の電飾をいくらかまとめてつけたり消したりしているが、うごきのパターンはたしょうあるらしいものの、派手なそぶりをみせずにおおかた上下半分で瞬間移動をくりかえす程度の単調さにとどまるそれは、気乗りのしない労働をそれでも機械的に、我慢しながらやっているたぐいの退屈顔といった風情である。なにしろもはやクリスマスなど去ったにもかかわらず、いまだにはたらかされているのだ。通りはしずかだった。しずかと言ってひとは通り、車もとぼしいながらあったが、途切れれば大気にうごきのないのがしずまりの拡散で聞き取られ、音はといえばむしろとおくからつたわってくるうっすらとしたサイレンの響き、右手向かいをみやれば一軒のまえに生えた枝も葉もからみあったようなうねりのつよい木がなににもふれられず停止しており、聴覚からひるがえって確認するように肌に冷気の摩擦がこないことも意識された。抜ければ(……)通り。左に曲がってスーパーのほうへ。ここでは風がいくらか生まれて、そうすればファーもマフラーもないのでさすがにやや冷たいが、からだはじゅうぶんあたたまっていてふるえもしない。車道を垂直に横切るかたちで視線を飛ばすとスーパーの駐車場の向こうには部屋部屋の灯をまだら模様にならべた駅前マンションの切り立った立ちすがたがあり、アパートを出てすぐにみかけたあかるい星がこんどはそのそばで変わらずあかるく、空の色味は暗いばかりでどうともつかないが、マンションの脇には病院の建物もちいさくのぞき、ほんとうはそのあいだに距離がちかいながらあるのだけれど、夜空の濃い闇色がそれらふたつをとなりあわせている。横断歩道の位置まで来るとすぐ向かいがスーパー(……)で、信号を待ちながら店舗をながめるに、入り口からのぞく店内はコンビニとおなじ平和ぶったような、摩擦のない衛生的な白さあかるさを夜道のあいだに、というか夜空の底に設置している。
  • 入店して手を消毒し、籠を持ってまわる。キャベツや白菜。豆腐やレンジであたためるチーズナン。あしたは労働で、そのあと直接実家に行くつもりなので、ひとまずあしたがしのげればよい。二九日もたぶん泊まって三〇日に帰ることになるのではないか。三一日は友人らとあつまる予定なので。しょうじき二九日中にもう帰りたいような気分ではあるが。サラダを食うのにさいきん野菜と豆腐だけだから、ひさしぶりにハムも買おうかなとおもったら、いぜん買っていた何枚もはいって封じられている品がみあたらず、しかたないので五枚入り四つセットのベーコンをふたつ取っておいた。なにか肉とともに米を食いたいとおもって惣菜の区画に行けば棚のうえはもうほとんど空白ばかりで、そのなかでなぜか安くなっているロースカツだけが三つのこっていたので、これでいいやとひとつ取った。ちょっと移動すると鶏肉もあったが。あしたの炭水化物としてランチパックも入手して会計へ。なまえをわすれたがよく見る眼鏡の高年女性。~~ね、~~ね、という感じで品をひとつずつ口に出して確認するひとだ。読み込みが終わって会計の段にうつるとレジ台の端に付属した支払い機のまえに移動して、いまだにキャッシュレスを導入していない人種なので現金で払うのだけれど、札にくわえて五〇円玉を入れて精算ボタンを押したところで、機械が妙な稼働をしてエラーが表示され、なんでも釣銭機が停止したみたいなことだったが、こちらが呼ぶまでもなく店員も気づいて眼鏡の女性がやってきて、筐体のいちばんてまえの部分、硬貨を投入するあたりをとりはずして、そのしたの隅にちいさくある案内表示を確認すると、いったんはなれて、対応するあいだにべつのレジをあけるようにと呼びかけていた。それにこたえてレジにはいったのは(……)氏である。それで眼鏡の女性はもどってきて、ちいさな画面をのぞきこみ、そこには機械内部の簡易図とともに何番をまわして何番に詰まった硬貨を取ってください、みたいな手順が出るのだけれど、こんな事態に遭遇したのははじめてだし、機械内部がこんなふうになってんだなというのがみられてちょっとおもしろい。女性はあまり機械にはつよくないようで、ややまごまごとした調子で指示にしたがってやっており、しかしどこにもこちらが入れた五〇円玉はみあたらないのだが、そのあいだじぶんは脇に立って、ないですよね、とか、笑みとともに、いちどこうなっちゃうとたいへんですよね、ふだん便利でも、などとたしょう声をかけていた。けっきょくなにがなされたともおもえないのだが、はずした部分をつけなおして再開ボタンを押すとそれで無事に手続きがおこなわれたので、良かった良かったと礼を言ってお釣りを受け取った。そうして台にうつって荷物を整理。リュックサックを背に、ビニール袋を提げて退店。店を出るまえからワンワンやかましい犬の鳴き声がしているなと聞きつけていたが、自動ドアをくぐってあたりを見れば左手の駐輪区画のなかに、ずいぶん細いような肢体で毛もさしてない種の白犬がつながれており、自転車客があらたにやってきたりすると声をあげていて、それがなかなかおおきく体格のわりに威勢のよいもので、通りの空間内にうすく反響して残影をわずか曳きすらする。わたって裏にはいりながら、朝によく、散歩中の犬がでかい声で吠えまくって飼い主に叱られているのを聞くけれど、もしかするとあの犬かもしれないとおもった。ビニール袋を片手に裏通りをあるく。ひとのすがたはないけれど、行きにとおった道よりも、なぜかこちらはしずかだという感じがうすい。それは道幅のせまさのせいではないか。左右のすぐに家屋や建物や敷地があるので、圧迫感と言ってはことばがつよいが、しずけさがひろがるのにじゅうぶんなスペースがないのではないか、しずけさというのはある程度の空間のひろがりがなければ満ちることのできないものなのではないか、とおもった。とはいえじつのところ、マンホールや側溝から水音がもれでてきたり、脇の家でもシャワーをつかっていたり、なにか機械か空調のたぐいの動作音が聞こえたりもして、音もあるのだが。そこを抜けて車道を越えるあたりで頭上をみあげると星がひとつのみならずいくつか、行きに見た明星よりは落ちるけれど、それでもさだかにうつり出ていて、東京でもこのへんならけっこうきれいに見えるものだとおもったが、それよりも目を惹いたのは星どもを浮かべる空の色のほうで、西空は暗さだったがここからのぞむ東空は青味があらわ、ただしそれはあまりみかけたことのない青さ、よくある金属質な藍色のような深いつやめきはもたずまろやかな、青灰色というべきもので、つよくはないがそれでいて青味はたしかにあきらか、昼間の水色空が明度をがくっと落としてそのままたもたれているかのような、記憶にめずらしい星の空だった。往復であるいてきたわりにアパートにむかうさいごの直線に来ると、首もとや手がけっこうつめたい。
  • 休みをいれつつここまで書いて三時前なので、この夜はもうこのへんで。二三日のことは書けたから、あとはおとといの勤務や通話が書ければ、というところだな。まああしたは労働だし、そんなに書けないだろうが。
  • 一年前の日記より。

(……)新聞、主に一面。海外から日本に帰ってきた飛行機内の「濃厚接触者」の定義を変更すると。オミクロン株の発生を受けて、感染力がつよいということを鑑み、これまではおなじ機内の全員を濃厚接触者あつかいにしていたのだが、施設受け入れの負担がおおきくなりすぎて千葉県などから見直しの要望が出ていたので、前後二列をふくんだ五列の乗客のみに変更すると。デルタ株時点ではもともとそうだったらしく、オミクロン発生以降の強化をもとにもどすかたちらしい。感染者とおなじ機内の乗客で陽性が出た割合はいままで0. 1から0. 2パーセント程度なので、定義をゆるめても支障ないだろうという判断のようだ。濃厚接触者は一四日間の施設待機がおこなわれるが、空港周辺で利用できる待機施設がなくなって、成田に着いて直後に福岡とか東北とかに飛ばされるひとも出たというのはさいきんよくかたられるはなしである。濃厚接触者以外の乗客には一四日間の自宅待機をもとめる。また、三~一〇日間の施設待機(「停留」)をもとめる、というくくりもあったが、これはどういうばあいだったかわすれてしまった。空港検疫ではすでに二四二人だかのオミクロン感染が検出されているらしい。

  • いま二九日の午前二時まえで、実家に来ており、さきほど兄も都心の飲み会からながい距離をわたってこちらがアイロンかけをしているところにこの家へとたどりついたのだが、一年前の二八日もちょうど兄夫婦が来ていて、こちらは勤務後の夜に子どもとたわむれている。

帰ると兄夫婦が来ていたのであいさつ。一〇時半すぎだったが、(……)ちゃんも(……)くんもふつうに起きており、ねむそうなようすも見せずにぎやかにうごきまわっていた。手を洗い、きがえもせずに居間の床にすわりこんで(……)くんのあいてをする。来月で二歳。手を洗っているあいだも洗面所にいるこちらのほうを見に来たりして、興味をもたれたようすだった。フローリングの床には世界地図の諸所にいろいろな動物の絵が描かれているシートが引かれてあり、(……)くんはその絵を指さしながらこれは? これは? ときいてくるので、それにこたえて名詞を口にし、これは~~、これは~~だよ、とおしえてやる。まだそんなにはっきりとはしゃべれないわけだが、しかしこの日以後の数日にいっしょに過ごした印象では、あちらの意思は身振りなどからかなりわかりやすくなっており、またこちらの意図もけっこうつたわっていることが見受けられ、はっきり意味のわかることばを口にすることもたまにあって、コミュニケーションはそこそこ成立していた。なにかを指差して「これは?」と問うというふるまいは数日間のあいだたびたび見られ、このシート以外にも、ペンやキーホルダーなどの小間物、また紙パックのジュースの表面にかかれた文字や絵、さらに車の模型の各部分(タイヤとかハンドルとかバンパーとかだが、ときにはボンネット上の一部とか、車体のうちの半端な位置のように、明確にこれという名詞でこたえられないぶぶんを指すこともあり、そういうときはこたえに詰まった。また、模型以外にも、たとえば新聞に載せられていた写真などで、これはなんなのかわからないというものが指さされたこともあって、そのときはこれなんだろうね、わからない、とはっきり「わからない」ということばをかえしたのだけれど、男児はこの「わからない」ということばを理解しているようなようすだった。くわえていえば、「ない」が全般的な否定の符牒だということもおそらく理解しており、じぶんでも「~~ない」という発語(「~~」のぶぶんはあまりはっきりしない)をたびたびおこなっていた)などが対象になったのだが、このようにして赤子はすでに言語の世界に参入しているのだなと、人間としての主体形成のもっともはじめの一歩をすでに踏んでいるのだなとおもった。つまりバンヴェニストのいわゆる「シフター」のことをおもいだしたということで、じぶんがこの概念について知ったのはバンヴェニストじしんの著作ではなく(それは読んだことがない)、ジョルジョ・アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』でその論が援用されていたからなのだが、記憶にたよって記述してみると、まず言語外の世界や事物と言語とをむすびつけるような必然性とか法則とか根拠とかは、言語のうちにはまったく見出だせないという認識がある。牛とか蜂とか机とか滝とか、なんでもいいのだけれど、それが指示する事物とその語がなぜ結合するのかという理由は、本質的に、その語じたいのうちにも言語体系ぜんたいのうちにも見つけられない(擬音語のように音を言語として形態化したことばや、語源的に音がかかわってくる語は事情がすこしちがうだろうが)。これはソシュールのいわゆる言語の恣意性というかんがえかたを下敷きにしたものだとおもわれるが(牛を「牛」という語ならびに「うし」という音で呼ばなければならない必然的な理由はない)、つまり、人間に言語を習得させ、それをあやつってものを指し示す能力を身につけさせるような機能は、言語体系そのものやつうじょうの語のなかには発見できない、ということである。そこで登場してくるのが「シフター」という概念で、これは「これ」とか「それ」のような一般的な指示語とか、「わたし」のような人称代名詞にあたるものであり、こうした語はつうじょうの単語のように辞書的な意味を定義することができず、それがじっさいに発せられ使用される文脈にのみ依存して意味と指示対象をさだめられることになる(「わたし」という代名詞は、それを発語する主体におうじて、数十億にもおよぶこの世の人間すべてを指し示すことができる魔法のような一語である)。こうしたことばを媒介としてひとは言語外の世界と言語とのあいだを移行するのであり(したがって「シフター」とは、ひとを事物の世界から言語の世界へと移行(シフト)させ、参入させるものという謂だろう)、むしろこの語によってこそ主体は主体としてとりまとめられ成立することとなり、本質的には「わたし」は、主体が「わたし」と発するその瞬間にのみその都度成立しては去っていくあえかな存在なのだ、みたいなことがバンヴェニストの所論だったとおもう(このさいごの点にはやや意訳がはいっている気がするが、このあたりの論点はデカルトと軌を一にしているのではないか)。というところできちんと典拠を引いておこうというわけで、Evernoteから書抜きをうつしておく。

  (……)現代の言語学によって得られた原理のひとつは、言語(lingua, langue)と現におこなわれている言述行為〔話[わ]〕(discorso, discours)とは完全に分裂した二つの世界であって、両者のあいだには移行も交流もないということである。すでにソシュールが指摘していたことによれば、言語のなかには一連の記号(たとえば、「牛、湖、天、赤、悲しい、五、割る、見る」)が用意されているが、言述〔話〕を形成しようとする場合に、どのようなしかたで、またどのような操作によって、これらの記号が働かされるのかを予見させ、理解させてくれるものは、言語自体のうちにはなにもない。「この一連の単語は、それが思い起こさせる諸観念がどれほど豊富にあろうとも、人間の個体がそれを口にして、なにかを伝えようとしているということを、別の個体に教えることはけっしてない」。その数十年後に、バンヴェニストは、ソシュールの二律背反をふたたび取り上げ、敷衍して、こう付け加えた。「記号の世界は閉じている。記号から文へは、連辞化によってであろうと、ほかのやり方によってであろうと、移行はない。ひとつの裂け目が両者を分け隔てている」(Benveniste, E., Problèmes de linguistique générale, vol. 2, Gallimard, Paris 1974., p.65)。
 その一方で、いかなる言語も、個体が言語をわがものとし、働かせることを可能にするための一連の記号(言語学者たちはこれをシフター[shifter]、もしくは陳述指示語と呼んでおり、そのなかには、とくに代名詞の「わたし」、「あなた」、「これ」や副詞の「ここ」、「いま」などが含まれる)を持ち合わせている。これらの記号すべてに共通する特徴は、それらはほかの単語とちがって事物に関する用語によって定義できるような辞書的な意味をもっておらず、それらの記号(end156)の意味はそれらを含む具体的な言述行為を参照することによってしかつきとめることができないということである。(……)
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(月曜社、二〇〇一年)、156~157)

     *

 奇妙な生物のことを考えてみよう。幼児のことである。かれが「わたし」と言い、話すようになるとき、かれのうちで、そしてかれにとって、なにが起こるのだろうか。「わたし」、すなわちかれが到達する主体性は、すでに見たように、純粋に言述行為〔話[わ]〕的なものであり、それは概念も現実の個体も指示してはいない。生の多様な総体を超越する統一性として、わたしたちが意識と呼んでいるものの永続性を保証するこの「わたし」は、もっぱら言語的な特性が存在のうちにあらわれるということにほかならない。バンヴェニストが書いているように、「話し手が自分を主体〔主辞〕として言表するのは、わたし[﹅3]がそれの話し手を指している現におこなわれている話〔言述行為〕においてである。それゆえ、主体性の根拠が言語の行使にあるというのは、文字どおり真実なのである」(Benveniste, E., Problèmes de linguistique générale, vol. 1, Gallimard, Paris 1966.(岸本通夫監訳『一般言語学の諸問題』みすず書房、1983年), p.262)。言語学者たちは、主体性を言語活動のうちに据えることが言語の構造におよぼす影響については分析してきた。しかし、その主体性が生物としての個体におよぼす影響については、まだ大部分が分析されていない。わたし[﹅3]としての、言述行為〔話〕における話し手としての、自己自身のもとへのこの前代未聞の現前のおかげでこそ、もろもろの生ともろもろの行為が帰属する統一的中心のようなもの、もろもろの感覚ともろもろの心理状態のうずまく大洋の外にあって、それらの感覚と心理状態があたかも所有主に帰属するかのようにして統合的に帰属する不動の一点のようなものが、生物学的な生を生きている存在(il vivente)のうちに生まれるのである。そして、バンヴェニストが明らかにしたところでは、言表の行為が可能にする自己と世界への現前をとおしてこそ、人間の時間性が生まれるのであり、一般に、人間は、言述行為〔話〕を世界のうちに挿入することをとおして言表の行為を実行するこ(end165)とによってしか、すなわち、「わたし」、「いま」と言うことによってしか、〈いま〉を生きるすべをもっていないのである。しかし、まさにこのために、まさに言述行為〔話〕という現実しかないために、〈いま〉は――現在の一瞬をつかもうとするあらゆる試みから明らかなように――還元不可能な否定性によってしか告げられない。まさに意識は言語活動という内実しかもっていないために、哲学と心理学が意識のうちに発見したと思いこんできたもののすべては、言語の影でしかなく、「夢想された実体」でしかない。わたしたちの文化がもっとも堅固な土台だと思いこんできた主体性、意識は、世界にあるもののうちでもっとも脆くてはかないもの、すなわち発語というできごとに依拠しているのである。しかし、この移ろいやすい土台は、自己と他者たちにひとたび言葉が与えられさえすれば、どれほどうわついたおしゃべりによってであろうと、わたしたちが話そうとして言語を働かせるたびに再建される。そして、その行為が終了するとともにまたもや崩れ去ってしまうのである。
 (165~166)

言語というのはあきらかに、魔法や魔術のようなものなのだ。また、上記の文脈とはすこしちがった意味合いではあるが(時々刻々と瞬間ごとに変容し、アスペクトとイマージュにおいて散乱しているはずのものものを、語によって同一性の内部にくさびづけ、「同」として固定化するという意味合いである)、レヴィナスを引きながら語る熊野純彦はそのはたらきを「みごとな詐術」とも呼んでいる(熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、191)。いずれにしても、それはきわめて不可思議なもの、端的な、純然たるひとつの謎であり、ほんとうはひとを当惑させるようなものなのだが、われわれはほとんどのばあい、そのことをかんぜんにわすれきっている。

  • (……)さんと兄と三人で四時くらいまで夜を更かしてながながとはなしている。

しばらくしてから下階に下り、きがえ。いつもだったら三〇分か一時間かそこら寝転がってだらだらと休んでから食事に行くのだが、きょうは兄夫婦が来ているしまあいちおうさっさとあがって卓をともにしたほうがいいかとおもい、ほとんど転がらずにすぐに居間にもどった。食事。兄と隣り合う。(……)さんは子どもふたりを寝かせようと苦労している(かのじょと子らが寝るのは仏間のさき、元祖父母の部屋だった一室であり、兄は滞在中、もともとかれの自室だった部屋(こちらの部屋のとなり)で寝た)。いまの子どもってずいぶんおそくまで起きてるよね、俺なんか中三までずっと九時には寝てたぜと笑うと兄も同意し、(……)さんもおなじだったという。いまはスマートフォンがあるからいくらでも夜ふかしできるからな、生徒でもそれで寝られないって子がいるよと言うと、それにかんしてはマジでなやんでいるのだと兄は言った。つまりそういう機器の我が子らにたいする影響ということで、全面的に禁止するのは時代と生活をかんがえてももはや無理だろうが、たとえば一〇時くらいになったらかんぜんに接続できないようにするとか、そういったことをやったほうがいいのか、とたびたび自問しているらしい。いまでさえ(……)ちゃんも(……)くんもYouTubeの動画をよく見ており(じっさいこの滞在中にも(……)くんは乗り物の動画をなんどか見せられていた。見ているあいだはおおかたそれに釘付けになってうごかずおとなしくするので、ほかにやらなければならないことがあったりするばあい、親としてはたすかるのだ)、まだ二歳弱である(……)くんはともかくとしても、(……)ちゃんのほうはそれでわがままをいうこともあるらしく、また、そういうのを習慣づけるとなんとなく集中力がなくなるような気もすると。それはじっさいわりとそうだとおもうよとこちらは受け、われわれが子どものころなんかは、なにもしない時間ってのがあったじゃん、なにもすることがなくて退屈するっていうことが、それがじつは大事だったんだとおもってて、でもいまはいつでもどこでもスマホで情報をみられるから、そういう時間をかんぜんに潰せるでしょ、だから退屈さとか、待つ時間とかに耐えられないっていうか、みたいなことを述べると、子どもどころかおとなでもそうだからなと兄は受けたので、Twitterを始終見てなきゃ気がすまないとかな、と落とした。こういうのはいわゆるデジタルデトックスというのか、ありがちな言い分ではあるのだけれど、なにもしない時間をとること、要するに無為を肯定する傾向のつよいこちらとしてはやはりそういう言い分にはなるわけで(といってこちらのばあい、見聞きしたものを日記に書くという前提があるから、なにもしない時間があったとしてもけっこういそがしく周囲のものを見たりしていて、それはあまり無為ではないのかもしれないが)、経験的にふりかえってみても、なにかやることがなかったりなにもやる気にならずに停止しているような時間にこそ、ひとは実存的なことをかんがえたりじぶんを見つめ直したりするものだとおもう。生活と行動のながれのせわしなさにまぎれてなおざりにしているが大切なことが、そのながれが停まったときにこそ回帰してきてかんがえることができるという、これもまたありがちな言い分ではあるのだけれど、いま読んでいる西谷修『不死のワンダーランド』の第Ⅰ章に書かれてあったことによれば、こういうとらえかたはハイデガーの述べることとも一致してはいる。つまりかれにいわせればつうじょう現代の人間はつねになにかを志向しなにかを目的としてせわしなく行動しており、それはいわば「気散じ」としての「頽落」した生なのだけれど、生がそういうことになるのは意識が志向性をもっているからであり、つまり意識がつねになにものかについての意識であるというありかたをしているからなのだ(このさいごの点はフッサールいらい、現象学の前提となっている認識だったはずである)。つねになにかの対象を志向するという意識のありかたが人間の世界を構成し、したがってわれわれを「世界内存在」として規定するのだが、そういう「日常的」生活の「頽落」したありかたにおいては、みずからが存在しているという事実そのものが意識の志向対象になることはなく、人間は非本来的な生にどっぷりと浸かって本質的なことを等閑視しながら(つまり「存在忘却」におちいりながら)もろもろの「気散じ」にまみれ、まぎれている。そういう志向性が外部の対象を発見できず、なにかに明確に定位することがなくなり、いわば対象不在の無為な中断に浮かびまどうときにこそ、世界ではなくみずからの実存が見え、じぶんが存在しているという事実が意識の圏域に浮かびあがってくるのだと。そこでひとは「不安」をおぼえるが、それを媒介にして「死」と「無」のすがたをかいま見ることとなり、要するにじぶんが死ぬという事実とそこからみちびきだされる生の無根拠性を明確に知るとともに、しかしそこに絶望せずにニヒリズム的な覚醒を経ておのれの「運命」をになう「覚悟」を獲得することによって生の「本来性」をとりもどす、というのがおおまかに言ってハイデガーのはなしなのだ。

飯を食いながらはなしたのは主にしごとのことがおおかったような気がする。あるいはまだ起きていた父親と兄が社会談義みたいなことを語り合う時間がおおかったかもしれない。食後に風呂にはいってから出てきたあとも、まあせっかくの機会だしすげなくさっさと下りてしまわず、いちおうはなしにつきあうかとおもって椅子にすわったのだが、(……)さんもまじえて三人でけっきょく四時まで会話することになった。風呂を出るとたぶんもう一時くらいだったとおもうのだけれど、両親もしばらくまだのこっていた記憶がある。その後、三人だけに。酒を飲んだ兄はつねになく口数がおおく饒舌になっており、(……)さんによれば酒を飲むとひとが変わるとまわりからいわれているらしい(母親が父親について(否定的に)評することばとまったく同一である)。兄はもともとそんなに快活な雰囲気のほうではなく、といって暗鬱だったりはしないものの、あからさまに愛想がよかったりにこにこしたりしているわけではなく、体格もあって鈍重な気味がつよくて、ふだんはそこまでペラペラしゃべるタイプでもないのだが、このときはむやみに饒舌で、こちらや(……)さんとやりとりするときにも、あいての発言を終わりまで待たずすばやくことばを継いだりさしこんだりすることがおおかった(また、こちらの発言をじぶんの解釈圏にひきよせて、やや不正確とおもえるかたちで理解したりすることもあり、全般的におなじ文言をくりかえしがちでもあった)。じぶんのおもいや意見のようなかんがえを積極的に語っていくという動勢もつよく、語調が荒いというほどではないがその調子も矢継ぎ早だったり、声もおおきめだったり、断言的だったりするのをきくに酒を飲んだときの父親との類似をおもわざるをえず、このようにして血は反復されていくのだなと、じぶんはこの反復をひきつがないようにしなければなるまいとおもった。というのも、とくに男性が酒を飲んで酔ったときというのはこのような言語行為をしがちなひとがおおい気がするのだが、じぶんはそういうはなしかたや語り口をあまり好ましくはおもわないからである。じぶんも酒を飲んで酔っ払ったら嬉々としてこういう語り方をするのかもしれないが、それはあまり実現してほしくはない未来である。この夜の兄とか父親のようすや言動はまさしく「語る」というニュアンスがつよく凝縮されたような、いかにも語っている、という印象のもので、まあじぶんもふだんからわりとそういうことになっているときはあるのかもしれないが、ロラン・バルトのことばを借りれば、いかにも「ディスクールを聞かせている」というかんじであり、なんというか、おのおのの人間というよりは、それぞれの「ディスクールを聞かせる」がほとんど主体のようにしてそこに密度をもって定立し、その場が「ディスクールを聞かせる」でせまくるしく満たされているようなかんじで、酒席というのは一般にそういうことになるときもわりと多いのだろう。

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兄がさいきん、飲み会で遅くなり二時だかにタクシーで帰ってきたというはなしもあった。そのことに(……)さんは憤慨しており、オミクロン株が発生したこの時期にそんなことをやるのが信じられない、(兄も悪いが)上司が駄目だとおもう、ということを主張して、あらためて兄を責めていたのだが、酔って口数のおおくなった兄は、なんというかあまり悪びれないようすで、むしろ堂々と受けて立つというような調子でつぎつぎとことばをくりだし、いやまったくそのとおりだとおもう、正論だとおもう、そういうことを言ってくれてありがたいともおもう、だけど、そういうんだったら、民間企業ではたらいてみろと、やっぱりどうしてもことわれないという場面があるとしかいいようがない、と反論していた。そういう兄のようすにやはり父親の反復を見ないでもないが、とはいえ、(……)さんは悪いとおもったことはわりとはっきり口にして苦言を呈するほうだし、口喧嘩までの激しさは帯びないにしても、そういうふうにひとまず対等と見える言い合いができる関係が成立しているという点では、両親のそれよりも望ましいと言えるのだろう。水掛け論というか、これはどう言ってもきかないなというかんじだったので、いま酔っ払ってるんでなにいっても駄目ですよと(……)さんに笑いかけ、あとで文章にしたらどうですか、そうすると冷静に読めるし、おもしろくないですか、よくないとおもうところ1、2、3、4、みたいなかんじで、まとめて突きつけるみたいな、と笑うと、兄もいいよ、受けて立つよ、といいだして、おれもぜったい書けるぜ、こっちには夏目漱石とハルキ・ムラカミがついてるからな、と豪語したので、そこでハルキなんだ、とふたりで笑った。ドストエフスキーはどうしたんだよ、と突っこんだところ、かれももちろんついているとのこと。

Russia’s military has moved many of its warplanes from Engels airbase to other locations after strikes on the crucial airbase, according to a spokesperson for the Ukrainian air force. Three Russian servicemen were killed on Monday after a Ukrainian drone attack on the airbase, which lies deep inside Russian territory, according to Russia’s defence ministry.

Putin’s comments that he was “ready to negotiate with all parties” involved in the conflict in Ukraine are part of a deliberate information campaign aimed at misleading the west into making concessions, according to analysts. The US thinktank Institute for the Study of War said the Russian president did not offer to negotiate with Ukraine on Saturday, contrary to some reporting.

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A Russian sausage tycoon who reportedly criticised the war in Ukraine has died after falling from the third-floor window of a luxury hotel in India. The body of Pavel Antov, 65, was discovered just two days after his friend and another local Russian politician, Vladimir Bidenov, was found dead in the same hotel after an apparent heart attack.

  • 掃除。窓開ける。起床一一時。cero一曲。瞑想、呼吸のありかたのちがい。風呂、洗剤の滓。
  • 書見。ひかり、カーテン、窓枠、壁、ガラス反映、宙、空の青さ。三時、変容。反映、空、索具。

But a presidency based on personality was overmatched by COVID-19. What Woodward called one of the most stunning moments of his 50 years of reporting was learning that on January 28, 2020, just days after the first COVID-19 case was confirmed in the United States, Trump's national security adviser Robert O'Brien had given him a grave warning:

O'Brien: "I think the exact phrase I used was, 'This will be the biggest national security threat you face in your presidency.' I was pretty passionate about it."

Yet, at a rally in New Hampshire two weeks later, Trump said, "Looks like by April, you know in theory, when it gets a little warmer, it miraculously goes away. Hope that's true!"

When Woodward learned about that disconnect between what the president knew and what he said, he asked Trump why he didn't sound the alarm:

Trump: "I wanted to always play it down, because I don't want to create a panic."
Woodward: "Was there a moment in all of this, last two months, where you said to yourself, 'Ah, this is the leadership test of a lifetime'?"
Trump: "No!"

Woodward told Dickerson, "When you hear this voice and the way he assesses situations and himself, he's drowning in himself. And at one point where I'm interviewing him and I just offer the commentary, 'I feel like I'm talking to a drowning man,' when he's talking about the virus, and he says, 'We've got it under control.'"

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Dickerson asked, "Is it that he thinks of the presidency as a possession?"

"Yes, I think he does," Woodward replied. "I think [he considers it] as a trophy. And he has got it. And he is gonna hold it."

Which leads to one of Woodward's biggest regrets: the question he didn't ask. "There was one point where I asked him, 'I hear that if you lose, you're not gonna leave the White House?'"

Woodward: "Everyone says Trump is going to stay in the White House if it's contested. Have you thought ..."
Trump: "Well, I'm not – I don't want to even comment on that, Bob. I don't want to comment on that at this time. Hey, Bob, I got all these people, I'll talk to you later on tonight!"

"It's the only time he had no comment," Woodward said. "And this, of course, was months before his loss. And I kind of slapped myself a little bit: Why didn't I follow up on that a little bit more?"


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  • 「ことば」: 40, 31
  • 日記読み: 2021/12/28, Tue. / 2014/5/27, Tue.