いましがた図書館で借りていた本をKのブックポストに返却しに夜道を行ってきたのだが、きがえて夜気のなかに踏み出した時点でからだの感じがやはりこれまでと違っているというか、まず空気のにおいが違う。周辺の家でつくった夕食のにおいなのか、そのへんの草や土のにおいなのかわからないが、なにかしらの香りが大気のなかにただよいふくまれているのを鼻が明確に嗅ぎ取り、それだけでああいいなあ夜道だなあと解放的な気分になる。道を行くあいだもしぜんと足取りはゆるやかに、一歩一歩をたしかめるような踏み方になっているし、そこそこまえと似たような感知と観察の心身になっているのが感じられるわけである。そしてマンションの灯。帰り道はKのところから道路をわたって北側の裏路地にはいり、東にまっすぐたどるかたちで来たのだが、そのとちゅう、N駅から間近いひとつ北側の踏切まで来ると駅前マンションの明かりが視界にひろくおさめられるようになって、マンションの整然とした灯火の列というのは風景としてやはりなかなかな魅力を持っているもので、踏切りを渡るあいだ瞳が吸着されるかのようにそちらのほうばかり目を送ってしまう。踏切にかかる直前にはうしろから走ってきたひとがあって、追い抜かすのを見れば鈍い金髪が背に踊り、うえは腰までの丈の黒いブルゾン的なジャケットのたぐい、したもゆるめの真っ黒なパンツで、からだの左側に白いバッグをともなって急いでいるのはN駅でT行きが来るというアナウンスがはいっているからでそれに乗りたいのだろうと認識しながらその背を追い、つづけて、もうすぐ電車が来るということはそろそろ踏切も鳴るはずだがと、むしろこちらが渡るよりまえに鳴ってほしいような、ひととき止まりたいような気さえしたのだが(それはやはり立ち止まってマンションをながめたいという欲求だったのかもしれないが)、鳴らず、それをとくに残念におもうことなく渡ってすすめば右手にちいさな駐車場がひらくところでもういちどマンションの明かりがほとんど視界一面を占める場所があり、そのあらわれを知っているので敷地前にさしかかるときにはもうそちらに目を向けていて、オレンジ色の整列がだんだんとながれてきて視覚域のほとんどを領するにいたるのを受け止めるのだが、その領域のひろさと斉一性はやはりすごいというか、目の焦点をちょっとはずして視線をほどき、全体をぼんやりながめるような感じにすると、オレンジ色の点描の無数にほのかに陶酔めいてこないでもない。