魔女がいつから魔女であったのか、知るものはいない。生まれたときから魔女だったのか、以前はべつのなにかだったのか、それさえ定かでない。魔女に以前があったとすれば、農夫、商店主、殺人者、春のひさぎ手、徴税役人、盗っ人、森の番人、小間使い、煙突掃除夫から岩石掘り、貧者に貴族に少年少女、鳥や馬や土中の毛虫や、果てはそこらの木石、こずえの頂点、雲のたなびきや雨の一夜であったとしてもおかしくはないが、当の本人がおぼえていないのだから、ありもなしも同じことだろう。魔女の記憶は、断片的というよりは散乱的だった。散乱的というよりは、真空的だった。ひとつ音が鳴ればどんなにかすかなものでも端から端まで反響の渡るどころか、音の発生そのものが同時に吸収されてしまいゆるされないような純粋無菌の空白のひろがりに、突如として裂け目が生じ、そこから濁世の色とりどりな猥雑さが絵の具の奔流めいてながれだしてくる、きっかけがあろうとなかろうと、そのようにして記憶どもが我が身を不意に訪うてくるときのよろこびを、魔女はこころの最低層から最表面までの丸ごとで愛していた。ずいぶんむかしのことだが時には恍惚のあまり、陽光を見事にはじきかえすつややかな黒毛の狼と化して森に駆け込み、ながいあいだ帰ってこないことすらあったのだ。野山で暮らして三年余りが経ったころには魔女自身、じぶんが魔女であったことをすっかり忘れ去っていたが、そんなときに、交差したふたつの三日月型を額に刻んだ、堂々たる巨躯を誇る白銀の古狼がひきいる群れに出会い、たたかいに勝ったものとして群れを受け継ぐこととなったものの、その事件を機におのれが魔女であることをおもいだしたのだった。あれは可哀想だったなあ、と冗談話めいた楽しそうなにやけ顔が助手に語ったのは、旅の途中に立ち寄った宿の酒場でのことだった。酔っ払った傭兵か騎士崩れのたぐいでもたわむれに武器を突き立てたものだろう、壁の一角に彫り込まれた鋭利な傷の主張が無造作であるがゆえにむしろ調和しているように映る、こじんまりとしているが宙をひたすひとの体温がにぎやかな、辺境街の酒場らしい宿の一階だった。隣のテーブルについた赤ら顔の髭男は、たわけた話をしているこの兄ちゃんはいったいなんなんだ? という目つきでグラスをあおっていた。そうなんだよ、あの日はお天道様のまだ高いころから親方に怒鳴られっぱなしで、いらいらするったらなくってよ、そのせいで左手の中指も金槌でしたたか打ちつけちまって、こんなむしゃくしゃした日は酒でどうにかするしかねえってわけで、店に入って卓についたらすぐさまどでかい声で(大工なんてのは、声の大きさがなきゃやってけないからね、ほんと!)、おれの声は仲間内でもかなりどでかいほうだとおもうけど、いつもどおりエールとシチューを女将に注文したんだわ、向こうも知った顔だからね、この店は料理が出てくるのもそこそこはやいし、それで酒を片手に待ってたら、隣からなんだか素っ頓狂な話が聞こえてくるじゃねえか、おもわず目を剝いて首を曲げてみれば、やたら嬉々としてしゃべってんのはどこにでもいそうなぱっとしない顔のあんちゃんだったから、なんだこいつ、いかれてんのか? とおもわずおもっちゃったよね、一緒に座ってた坊ちゃんのほうは、めずらしい金髪碧眼の子で、嬢ちゃんかと見間違うくらいずいぶん美形だったけどね。というわけで、そのときの魔女は若い男だったのだ。宿は客どもを上階へ誘い込む手管にあふれた胡乱げな娼家を兼ねてはいなかったのだが、場所柄、女のすがたでいればなにかと不都合もあるだろうと、ひとの目を引きにくい、地味な格好を取っていたのだった。もっとも、同行のうつくしさがそれをおぎなってあまりある目の引き方だったので、たいして意味はなかったかもしれない。そのときの助手がいったい何代目だったのか、それを数えられるものは存在しない。魔女自身、一代にひとり、契約にしたがって助手――というのがなんの助手なのかはついぞわからず、実質的には従僕と似たようなものだったが――を輩出しあてがいつづけたこの一族の各々を、個人というよりはまとめて集合的な存在として理解していたようなふしがあり、だから何代目かなどと数えることすら思い及ばなかっただろう。いつの時代も魔女にとって助手は助手であり、また助手からしても魔女は魔女以外の何でもなかった。ときになにかの便宜から仮に名前を呼び合うこともなくはなかったとはいえ、固有名詞の介在しない非特権性の気楽さに、無数の助手たちと魔女のふたりはふたりながら満足し、その安住をたがいにみとめ、沈黙のうちに合意していた。だが、魔女にとってはたしかに事情はそのようであったとしても、少ない数の助手にとっては、魔女という一般名詞がそのままに固有の意味を持つものへと横滑りすることもあったのだ。