トマト虫とビール虫の交尾を想像してみてほしい。それはいままでだれもがおもいえがいたことのないくらい、複雑怪奇というか、むしろ摩訶不思議なうごきを呈することだろう。同様に、ナナツノリュウセイ座とゴガツノハタケ星との衝突もまた、歴史的想像力の埒外にある。トマト虫にかんしていえば、その色はたしかに赤い。だがそれは決して、たとえばアイダホ州の農地で満面の笑みを浮かべた砂色髭の男がかかげてみせるジャガイモのように、太陽の色をやまほど溶かしこんだような赤さではない。かといって血塗られた色でもないが、かれらはぴょんぴょん跳ねる――しかし、跳ねるからなんだっていうのか?――まるでみずからがほんとうに虫なのだと切実に、赤裸々にうったえてみせるような跳ね方で、ときには街角に吹き寄せられた土埃の溜まりのなかを行ったり来たりしているのだが、まず気づかれることはない。人間が靴の底で踏み潰しても気づかれないどころか、そもそも踏み潰されることがあまりにも稀にしか起こらないほどに気づかれないのだ。そのように健気というほかない、極めつきのつつましやかな美徳をそなえた虫中の虫であるトマト虫を、かつて食用にしていた国があったという。はるかむかし、おそらく一〇〇〇年はくだらない以上のいにしえの時、その国では洗練された匠の手腕でトマト虫をとらえ、解剖し、品評し、調理までして上層階級の食卓に供してみせる専門の技術者がいたと、とある書物は語っている。日常よく見かける秋の虫と同様に、かれらもまた地面にころがっている枯れ葉の端っこをかぼそくむしゃむしゃ食って生きているということは、おおかたの科学者のあいだで見解の一致を見ているが、だからといってそれが観察的に証明されたというわけでは決してないのだ。もし仮に、万が一人間の足がトマト虫の頭上(しかしあたまがあるのかどうか……)にぬっとあらわれて、人間にとってのそれよりもはるかに広大きわまりないかれらの天を覆い尽くし、あろうことかその姿態に接触することがあったとすれば、立ちどころにこの虫はある種のグミをおもわせるキューブ状の物質体へと変形してしまうのだが、そのすがたを目撃したことがあるものですら数時代に渡ってかんがえてみてもことさら稀だ。