「おい、クソ野郎」と言ったのは母親である。ふだんそんなことを言ったりはしないので、わたしはこれがゆめだとわかった。「おい、クソ野郎」と母親は言った。そのとき、わたしは掃除機をかけていた。母親の尻から肩甲骨にかけて掃除機をかけていると、母親は言った、「おい、クソ野郎」「あの、素麺もきれいにしといたから、履いていったら?」
 そりゃあいいとわたしは思い、どうもありがとう、と言ってそとへ出た。しかし道路は水道管ではなかったので、素麺ではたいそうあるきづらく、右往左往しているうちに足音はどんどんベチャベチャになっていき、素麺はなんというか、チョコレートケーキみたいな色にくすんでしまった。タイヤが車といっしょにゴロゴロとやってきた。山で熊に出会ったときのような気持ちでわたしは、あたまをしっかり下げて礼儀正しくあいさつをした。左右のかかとをあわせたときに、べチャリと音が鳴る。さいわい、タイヤは非常に紳士的でやさしいタイヤだったので、おなじように礼儀正しくあいさつを返してくれた。「この道路は水道管じゃないから、きみの素麺じゃずいぶんあるきにくいでしょう」そうなのだ、とわたしは泣いた。「ぼくのタイヤを貸してあげよう。きみの素麺は、履くんじゃなくて、吐き捨てたらどうかな」
  タイヤから貸してもらったタイヤのおかげで足もとはたしかになったが、素麺のほうはといえば口いっぱいからでろでろと湧出をつづけ、それがいつまで経ってもとまろうとしない。両足のタイヤが、「吐き捨てろ! 吐き捨てろ!」と声をあげてくる。うるせえなあ、わかってるよとわたしは思うが、どうしても素麺を途切れさせることができず、口から下が白くて太い髭でカーテンをつくったみたいになってしまう。これは花粉症を象徴しているんじゃないかと思う、たぶん……。素麺を吐き捨てることができないというのは、未聞の話じゃないだろうか? 鼻から一息にすすりこむことができないとか、噛み切れないとかならよく聞くが。
 川にでも行くかとわたしは思った。河原に着いて、あれ? と思った。そういえば、わたしの足はもう素麺ではないのだった。せっかく水の流れのあるところに来たのに……。とても残念に思い、落胆して、かわりに水切り遊びでもしようと手頃な石を探しはじめる。手頃でない石ならばいくらでも見つかるのに、手頃な石はどこにも見当たらない。おびただしい数の手頃でない石たちは無限を象徴し、手頃な石はくしゃみを象徴しているのかもしれない。これはおそらく、無限と対比しての真理 → 真理と対比してのフィクション → フィクションと対比してのくしゃみ、という連想ではないか。わたしは途方に暮れてしまったのだ。竹藪にでも首を突っこんで他殺されたい……いままで悪いこともせず、まじめに生きてきたつもりだったのに……そうかな? ほんとうに。つもりというのはほんとうのことだろうけど……。コンドルはだいたいいつも飛んでいくものだが、このたびも飛んでいきながら、「そんなことないよ、くよくよするなよ」ということばを落としていった。ということは、あのコンドルはスティーヴィー・ワンダーの化身だったのかもしれない。そのときにはまったく気づかなかったが。ところで、このゆめにはどうして父親が出てこないのだろう? 川にいないということは、海にでも行けば会えるのかもしれない。でも、タイヤで川を海まで下っていくのは無理ですよね? うーん、という苦悩の様子を見せたタイヤは、「やってやれないこともない」と言った。やってやれないこともないのか……すごいな。さっきのコンドルにつかまって海まで飛んでいってもらえば良かったのだろう。しかしコンドルはもう飛んでいってしまった。わたしは途方に暮れてしまったのだ。竹藪にでも首を突っこんで他殺されたい……そうかな? ほんとうに。
 しかたがないので道路にもどる気になったが、道路はもうなかったので、わたしは腹ばいにもどるしかなかった。それにしてもお腹が減っている。まるで炎天下にいるように、お腹が減りに減り切っている。しかしいまは秋と秋のあいだだ。道路がもうなかったのもうなずける。いまや秋の道を行くしかない。タイヤで秋の道を行くのは可能ですよね? 「おれを誰だとおもっているんだ?」 もちろんタイヤだと思っているのだが、なぜいまそんなことを聞いたのだろう……強いて言えば、あんまり紳士的とはいえないタイヤかな。しかし、わざわざいまそんな質問をしてきたということは、行けるぜ、ということなんだろう、たぶん。「ただし、逆走でよければ!」とタイヤは言った。なんてことだ、ということは、ほんとうに炎天下に行ってしまうのか? まるで炎天下にいるように、こんなにお腹が減っているのに、大丈夫だろうか、倒れてしまわないだろうか。でも、夏を通過するあいだはなんとか耐えて、春の道まで行ってもらえば大丈夫かな。それに、腹ばいの姿勢から倒れるのはけっこう難しいだろうし。
 そうしてわたしはあるきはじめた。「おい、クソ野郎」と言ってくれた母親のことを、覚えてはいたのだが。