さきほど車中で母親が、道路脇に小学生くらいの男の子がいたらしく、傘をおちょこにしてたみたい、水ためて遊んでたみたい、と言った。傘をおちょこにして。これはすごい。じぶんの表現語彙になかった。イメージ連関になかった。傘を持って走ったりすると、風圧で骨が逆向きになって、上面が裏返り、うつわのようなかたちになる。あの状態のことだ。じぶんも子どものころ、よくやった。こうして水を受けて、たまったところで一気にばっしゃーと撒き散らしたり、撒き散らすよりまえに水の重みで傘がもとの向きにもどってしまい、びしょ濡れになったりするわけだ。いちおう確認してみたのだけれど、このおちょこはもちろん、酒を飲むお猪口のことだった。これはちょっといい比喩だ。「埋立て通りはきょうも快晴」につかえるかもしれない。
 先々週だったかに実家に行ったときにも、母親の語彙や発言などで、なるほど、と引っかかることが五回くらいあり、それらぜんぶ「埋立て通りはきょうも快晴」につかえるかもしれないとおもって携帯にメモした。