17:19。きょうは九時ごろ起床。冷蔵庫のなかみすくなし。タマネギとシイタケと豆腐と溶き卵をスチームケースにおさめてレンジ。ほか、実家に行っているあいだも炊飯器のなかにとどまっていたのでもう固くなった米を茶漬けに。洗濯もした。食後に干そうとすると、風がめっぽうつよい。物干し棒にピンチで留めたパンツが、ハンガーといっしょに南の方向、左へと極端にかたむいて、ハンガーの掛け手をかこむようにはさんだピンチも横にすべりそう。豪風。これやばいな、飛ばされないかなとおもうが、じっさいにいままで洗濯物がはずれてどこかへ行ってしまったことはいちどもない。食後三〇分くらい経つとスワイショウしてそれから休息。横になって手を腹にのせて休む。そのほうがやはりリラックスする。「埋立て通りはきょうも快晴」の内容があたまのなかに去来する。いろいろあらたな設定とか場面が浮かぶ。じぶんはいがいと物語をできるタイプだったんだなとおもうが、物語はできるというか、型だし、いままでの経験とか読んだり見たりしてきたものをもとにしてあたまが勝手に計算してくれるようなかんじで、つまりつながりを見出してくれるような感じで、それはふつう象徴的にととのった、理解できる秩序におさまっているから、思念をめぐらせているうちに、あー、こことここが対応してるわ、対比として読めるようになってるわ、みたいなことがみえてくる。いずれにしてもだんだん詰まってきている。つぎに書くのはこれかもしれない。ただ、語り手が化粧をする場面を具体的にきっちり書きたいので、それはなんか本を読むか、化粧のやりかた動画をあげている女性のやつとかをみてまなばなければならない。化粧の歴史とかもおもしろそうだし。「Black Is The Color of My True Love's Hair」もおなじで、砂漠の生活や植生の具体的なところを仕入れないと書けない。砂漠をとりあげた作家としておもいつくのはポール・ボウルズだが、くわしいことは知らないし、砂漠の民を書いているのかも知らない。ル・クレジオが『雲のひとびと』という本を出していて、これはすごくむかしに読んだ。クレジオの祖先が砂漠の民だったとかで、モロッコあたりの砂漠をおとずれたみじかい本だったはず。これはもういちど読んでみようかなとおもっている。ル・クレジオはいままでその一冊しか読んだことがない。アンリ・カルティエ=ブレッソンだったかが芸術家連中とかを撮った写真集を出していて、これもすんごくむかし、たぶん二〇一三年中に図書館で借りてみたことがある。ピカソとかジャコメッティとかもいた気がするが、そのなかにクレジオがなまえわすれたけれど連れ合いの女性とうつっている写真があって、やたら端正でかっこうよかったし、女性のほうもメイクが濃いうえ真っ白で、ほんとうに人形みたいな美麗さだった。
 二時半ごろからスーパーへ。ロラゼパム一粒だとやはりすこし不安なので、出るまえにもう一錠飲む。ジャージのうえからからだの各所もさすってやわらげる。肋骨をよくさするとこころもちがいい。呼吸もしやすくなる。しかしけっきょくぜんぶつながっているので、全身まんべんなくさする。かっこうはいつものやつにジャケット。出ると、天気はいい。すっきりと青い好天。風はつよいが、さほど寒くない。コンビニ前を通るさい、道路の向こう側に立っている家のもうひとつ奥で、濃い青の瓦屋根がひかりを受けて油めいているのに目が行く。あゆみにおうじてかがやきコーティングの位置や密度がだんだんずれていき、端まで来たとおもうと直後にとなりの建物にかくれてしまってみえなくなる。コンビニを過ぎてはいった裏通りではまもなく一軒のなかから三味線の音が聞こえたが、これはこのあいだ通ったときも聞こえた。その場で弾いているものではないとおもう。なにか日本舞踊とかのビデオでもみているんじゃないか。きょうはうたいの声もすこし聞こえたような気がする。鼻水けっこう出る。たびたびすする。アスファルトや白く舗装された部分や歩道のくすんだオレンジっぽい路面のなかに、きらめきの粒が多寡はともかくもつねにあってしずかにさわいでいる。裏道を行っているあいだに足もとをよくみていたのは、こういう道にちょっとしたくぼみとか穴とかってほんとうにあったかなという思案で、「埋立て通りはきょうも快晴」の語り手が子どものころ路上の割れ目にジョウロで水を溜めて空とかまわりのものを反映させて色をみるのが好きだったという設定をかんがえていたからなのだけれど、どうもうすうす思っていたように、裏通りとはいえちいさなものでも水たまりができるほどの欠落とかはない。ひび割れとか、ほんとうにちょっとした細い削れとかはあるのだけれど。これだと無理がありそうだから、水たまりは舗装されていないちかくの駐車場とか家先とかでつくっていたことにしようとおもった。それだったら地元の裏路地でしぜんとできているのをみたことがある。
 スーパーは野菜とかキノコとかバナナとかヨーグルトとか。ワイドハイターを買い忘れた。あとホッカイロ。しかしあしたも外出する理由になるのでいい。足取りは行きも帰りもわりとゆっくり。比較的リラックスしている。むかし、ヤクを決めて春の陽のしたをあるいていたときのダウナーな恍惚感ほどではない。あのころはロラザパムもまだからだにとって新鮮だった。
 帰ると洗濯物入れて飯食ってスワイショウしていま。