2017/11/19, Sun.

 この日の午前中の時間はすべて睡眠によって覆い尽くされ、午後の一時に至ってようやく起床した。四時三五分から一時ちょうどまでとして、八時間二五分に渡る眠りである。時間が遅くなったので、起床時の瞑想は行わなかった。この日一度目の食事には、炒飯を食べた。食事のあいだ、新聞からは二面の「パレスチナ代表部 閉鎖警告 米、アッバス氏演説理由に」という記事を読んだ。また、読売新聞の日曜版では一面と二面を用いて「地球を読む」というシリーズが設けられており、名の通った識者が交代で小規模な論考を寄稿している。細谷雄一が寄せたこの日のものも、この食事の時と、夜の食事の時とで目を触れさせたが、これは結局、最後まできちんと読みきらない中途半端なものとなった。
 一一月二三日(午後九時五二分)現在、この日の生活の記憶は大方失われており、メモも大してなされていないので、書き記せることは少ないだろう。おそらく食事を取ってすぐのち、二時台だったかと思うが、家の前の掃き掃除を行った。(……)掃除中、道の先に見える楓の木の、整然とまとまった紅の色に、もうよほど赤くなったなという風に目を留めたようだ。足もとで箒に弾かれる落葉のなかにも、盛りの林檎そのままの色の赤に染まったものが混ざっていた。
 (……)三時四六分から運動を始めた。記憶に残っていないが、例によってtofubeatsを流しただろうと思う。四時九分まで身体をほぐし、それから歌を歌って遊んだ。何を歌ったのかも覚えていないが、唯一印象に残っているのは、Suchmos "STAY TUNE"をyoutubeで繰り返し流して何度も歌ったことである(しかし、「風船ばっか見飽きたよ」の「あ」の部分、続く「うんざりだもう」の一部、終盤の二回目の「Scramble Comin'」のハイトーンは、完全にこちらの現在の音域の範囲外で、何度歌っても声にならなかった)。いささか流行遅れの嵌まり具合ではあるが、youtubeで"YMM"という曲のライブ映像も視聴した。ライブの舞台でも、目に入った限りボーカルの人は一度も笑わず、眉根をちょっと寄せるような表情もしばしば見られ、そうでなくとも視線をまっすぐ張ったようにしており、人間味のない機械じみたような印象を与えないでもないその「愛想の無さ」は好感が持てるものだった。(……)
 台所に立って、汁物を作るために大根や牛蒡などの野菜を切り分けるあいだも、"STAY TUNE"が頭のなかに自ずと再生されていた。鍋で野菜を炒めて水を注いだところまでで残りを任せると、下階に帰って、日記の読み返しをした。五時一二分から二六分までで二〇一六年一一月一四日月曜日の記事を読み、描写を三箇所、この日の記事にも写しておいた。その後、前日のことをメモに取りはじめた。五時二七分から六時三九分まで、一時間以上も費やしたのだから、かなり細かく記録したのだと思う。そのまま続けて一六日の記事に取り組み、八時六分まで掛けて三一七七字を綴り足し、完成させることができた。書き物に切りをつけても、まだ食事には行かなかったらしい。前日には瞑想ができず、この日の起床時にも行わなかったので、ここでできる時にやっておこうと考えて、八時三五分から四九分まで枕の上に座った。そうして夕食を取りに行っただろうが、そのあいだのことは何一つ覚えていない。
 次に記録に現れる時間は午後一〇時一九分で、一七日に読んだ新聞の書抜きをしている。「レバノン「代理戦争」不安 首相辞意 サウジ強制の見方」、「ムガベ氏・軍 南アが調停 ジンバブエ 前副大統領、帰国か」という二つの記事から一部を写しておくと、一〇時三六分、そこからふたたび書き物に入った。一七日の日記を午前一時二六分まで休みなく書き続けて、五七八五字を綴ったところで切りとしたらしい。それから他人のブログを読んだのち、二時五分からヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』を読みはじめた。当初は三時くらいまで読んだら音楽を聞きたいと考えていた。ここのところ、生活のなかで音楽にじっと耳を傾ける時間を作れずにいたし、そろそろFabian Almazanの『Alcanza』もどんなものなのか聞きはじめたかったのだ。しかし、『ダロウェイ夫人』が面白く感じられて、そちらのほうに気を惹かれ、この夜はこれをできるだけ多く読もうという気分になったので、音楽に触れるのは断念された。それで三時四八分まで読書を続けて、一一頁から三四頁を読み、すぐに瞑想に入って、四時二分まで座ると消灯した。

広告を非表示にする

2017/11/18, Sat.

 この日の睡眠は四時一〇分から一二時五五分までと、久しぶりに九時間近くの長きに達してしまい、これにはさすがに眠りすぎだろうとの反省の声を自らに差し向けざるを得なかった。これほど眠ってしまったところを見ると、この前の晩はやはり、街に出て様々な情報(=「意味」)に触れたことや、深夜にモニターを前にして書き物に邁進したことによって、結構な疲労が溜まっていたらしい。床を離れるのが遅くなってしまったので、起床時の瞑想は行わなかった。かなり冷え冷えとした調子の曇天だったようである。(……)厳しい寒さのために、台所に行くより先にまず自ずと椅子に就いてストーブを点けてしまい、足先をしばらく暖めてからハムと卵をフライパンで焼いた。黄身まで熱が通らないうちに丼に盛った米の上に移し、卓に戻ると醤油を垂らしながら黄身を崩して、米と絡めて混ぜつつ食べ出した。新聞をひらいて読むのは相変わらず国際面ばかりで、この時は、カタルーニャ州議会選に向けた見通しを述べる記事、ジンバブエムガベ大統領が退陣を拒んでいるという記事、イラクで「イスラム国」の最後の拠点が奪還されたという小さな記事、そして、カンボジア最高裁判所が最大野党の救国党に解党命令を下したという記事(そんなことができるものなのか、とナイーヴに驚いたものだ)を読んだと思う。これらの記事は未だ(現在は、前文が語る時点から丸三日と半日ほどが過ぎ去った一一月二二日の午前一時二六分である)書抜きをされずに放置されていたので、日記を綴っているいま、ついでに済ませてしまおうと思う。
 二一日の記事に、新聞からの引用を済ませて戻ってきたわけだが、この日の生活に話を戻すと、食後に自室へ帰ったあとは、いつものように緑茶を飲みながら日記の読み返しを行った。二〇一六年一一月一三日、日曜日の記事である。これは両親とともに兄夫婦の宅を訪れた休日で、長く外出していたから全体で一万字を越えた長い日記になっている。兄夫婦の家では昼食に、豚カツやたこ焼きなど豪勢な食事を振舞われてたらふく食っておきながら、その後の会話には退屈を覚えてソファに移ってうとうと微睡むという、礼を欠いたような振舞いを取っている。「キヌア」と言って南米の穀物だったと思うが、それを初めて目にして食しているのもこの時である(そしてその後、この食材を口にする機会は得ていない)。特段に美味いものでも不味いものでもなかったはずだが、サラダ様にしてあって、ぷちぷちとした独特の触感を持っていたのではなかったか。一年前の自分もなかなかに頑張って文章を綴っていたようで、現在の記事に引いておこうというくらいに興味を覚える部分が結構発見された。そのなかから一つ、特に印象に残っている場面を、この日記本文にも引いておく。

 (……)神田に着くと、乗り換えである。ホームの端に陽が掛かって、温かいそのなかを殊更好んで歩く。首を振れば、小さな虫が空間から欠片が零れて遊ぶようにして、白い軌跡を空中に丸く描いている。前方に視線を戻せば、先に行く両親は、身体が接しそうなほどに近づきながら、ゆるゆる進んでいる。腕を組まないのだろうかと、その距離感に思っていると、目を離したうちにやはり、母親が父親の腕を取ったようで、次に見た時には腕が交差していた。二人のその背を、電線の影が斜めに渡って宿り、何か線の上に設置されている機具だろうか、時折り出っ張りを作りながら、歩みに応じてするすると、縄が引かれるように流れて行く。

 「腕を組まないのだろうか」と書いてしまった部分は、「腕を組むのではないか」と言うのが正確だったように、今からは思われる。両親が腕を組んで寄り添っている姿など、当然ながら、普段見付けているわけでない。この時にはしかし何だか、そんな予感がしたのだ。それはあるいは「予感」と言うよりもむしろ、「期待」だったのかもしれない。つまり、快晴の正午前の「美しい」光に染まった空気のなか、ここで二人が腕を組めば、「物語」的な場面としてより完成されたものになるではないか、というこちらの気持ちの現れだったのではないか(もしそうだとするならば、先の記述は「腕を組まないのだろうか」のほうが、こちらの「期待」が正確に反映された表現だということになる)。実際、「美しい」という言葉を思わず恥ずかしげもなく使ってしまいたくなるような、ひどく透き通った明るさの大気だったことをよく覚えている(そしてやはり、小沢健二"さよならなんて云えないよ"の感傷的な一節、「本当は分かってる/二度と戻らない美しい日にいると」をこの時にも思い出している)。
 日記の読み返しを仕舞えると、その後はインターネットを回ったのだろうか、日課の記録には空白が挟まれている。そうして、三時から他人のブログを読み、続けて運動を行った。二〇分ほど体操と柔軟をこなしたのち、例によってそのまま歌を歌っている。四〇分も歌い散らして四時を回ると書き物に入った。と言って、正式な文を作るのでなく、メモである。この時点で一六日の記事がまだ済んでいなかったので、一七日のことを忘れてしまう前にと記録したのだったが、そのメモを取るだけで一時間も掛かっている有様である。それだったらもはやメモなど取らずに記憶に基づいてさっさと書いたほうが良いのではないかとも思われるが、そうするとやはり与えられた時間内には終えられず、記憶が失われて、記したかったはずのことを記せなくなってしまうだろう。
 五時二〇分頃、上階へ行った。(……)こちらは台所に入って夕食の品を拵えることにして、冷蔵庫を覗くと、前日にも食った牛肉がパックにまだわりあい残っていたので、手軽なところでこれを炒めるかと固まった。玉ねぎと、赤いピーマンも僅かに残った半端なものがあったので加えることにして切り分け、牛肉も元々薄かったものをさらに少々細かくした。肉は全面に偏差なく、鮮明と言って良いほどに赤の色に満ちていて、包丁で切り分けながらその色の強さに目を惹かれたのを覚えている。作業の背景には、料理の傍らに音楽を掛けるのは久しぶりのことだが、小沢健二『刹那』をラジカセで流していた。"さよならなんて云えないよ(美しさ)"を口ずさみながら、野菜を炒めはじめ、自ずと顔を前に出してフライパンの上に持って行ったが、すると玉ねぎの成分が目に痛い。しばらく炒めてからにんにく醤油で味付けをして仕上げると、時間が早いがもう食事を取ることにした。七時台後半から勤め先でのミーティングがあったからである。白米と即席のシジミのスープに、今しがた炒めたものを卓の上に用意し、夕刊に目をやりながらエネルギーを補給した。この時読んだのは、三面に載っていたシリア調査団任期切れの記事のみで、これは例によってまだ書抜きをしていないので、いまここでついでに済ませてしまおうと思う(現在は、一一月二二日の二一時〇二分である)。
 食事を終えると洗い物を処理し、アイロン掛けを始めた。この時テレビには『MUSIC FAIR』という音楽番組が映っており、東方神起から二人がゲストとして招かれて、なかなか上手な日本語で喋っていた。MCの一人である仲間由紀恵が、私も彼らの曲が好きで、楽屋などで聞いているんです、というようなことを言っていて、少々意外に思ったと言うか、何となくイメージに合わないような気がしたが、そんなことはまったくどうでも良く、わざわざ書き記しておくほどのことではないと思う(その時に流れたVTRは過去のものだったようなのだが、そこで披露されているラップ調の曲を見てみても、何と言えば良いのか、「オラオラ系」と言うとちょっと違うと思うのだが、ある種の「男性らしさ」の印象=意味素を感じさせるようなもので、ありがちな考え方ではあるけれど、甘いマスクを持っていながら同時にそうした「男らしさ」をも兼ね備えているという点が、女性ファンの心を掴むのかもしれない)。アイロン掛けを続けていると次に登場したのはAKB48の面々で、二列になってずらりと並んでいるのに、何人いるのかと数えてみたところ、前列には九人が並んでいた(後列は、この時はカメラの対象がすぐに全景から個人に移ってしまったために数える隙がなかったが、あとで確認してみると八人だった)。AKB48並びにアイドルというジャンルには、今のところ特段の興味はない。この時にも、渡辺麻友がここで卒業だという話が成されていたが、彼女の名前自体は聞いたことがあったものの、顔を明確に認識したのはこれが初めてである。その隣には柏木由紀というメンバーがいたのだが、彼女のほうはどこかで見たことがあって、辛うじて名と顔が一致していた。トークののち、渡辺麻友の過去の番組出演映像が流れはじめて、(……)。次に、水樹奈々渡辺麻友が共演した回に移ったが、水樹奈々の歌う楽曲はさすがに良くできたものだと思われた。声優に提供される楽曲やアニメソングの類をどこかで端々耳にするたびに、こちらがそうした方面の音楽に覚える全体的な/一般的な印象を一言にまとめれば、それは「手が込んでいる」というものである。アニメというものを今は基本的に視聴しないので(パニック障害のために大学を休学していた時期などは、多少見ないでもなかったが)知らないけれど、そちらのほうの音楽というのは、ポップミュージックの一ジャンルとして、かなりユニークな分野になっているのではないかという気もしないでもない。
 掛けるものを掛け終えると室に帰り、Radioheadの『Kid A』を流しながら歯磨きをした。その後、服を着替えて外出へ向かう。今秋初めてのことだが、さすがにストールを巻かないわけには行かない気温の低さだった。行きの道中には、この日のメモを取った時点で、「驚くほど印象に残っていることがな」かったらしい。外界に目を向けるのではなく、大方頭のなかの動きを見ていたようである(その物思いだって散漫なもので、記憶に残るほどの形を成さなかったわけだが)。
 (……)
 夜更けた帰路はかえって、行きよりも身に寒さがない。こちらの身体に熱が生まれているのだろう。特に動いたわけでなく、この日は働いたわけでもないが、人中にあるとそれだけでやはり気もいくらか張り、体温も上がるのではないだろうか。疲労感もなかなかにあった。面白いことがあって、手を叩いて馬鹿笑いをしたりもしたのだが、しかしから騒ぎの類だな、と一人になった夜道を行きながら醒めたような気分になった。人々のあいだにあると、何をしなくともそれだけで、やはり精神的に疲れるようだった(こちらに差し向けられてくる意味の量が多いのだ)。それで歩調が自ずと緩いものになった。裏路を通りがかりに見上げた樹の樹冠の影が、背景の夜空よりも尚更暗んできのこ雲のような形となっており、過ぎる間に葉が離れたようで頭上の梢からも葉っぱ同士で擦[す]れる音がして、そのあと地に触れる音も立った。風は道よりも高いところに吹いていたようで、道中、線路の向こうの林の梢が鳴るのを聞いた覚えがある。
 帰り着いて玄関に入ると、(……)時刻は一〇時四五分頃だった。居間に入るとテレビは『超入門!落語 THE MOVIE』という番組を流しており、(……)。自室へ行って着替えをして、足を少々ほぐしてから、一一時を過ぎて食事に向かった。(……)要するに、(……)傲岸/厚顔な振舞いは何よりも、端的に不快であり[﹅8]、互いに目の前に向かい合った人間と人間とのコミュニケーションとして望ましいものではまったくない、ということなのだ。エドワード・W・サイードが、自分は「怒り」という感情は勿論理解でき、それを抱いてもいるが、「憎しみ」という感情については正直なところ良くわからない、イスラエル側の人間に対しても、彼らを「憎んだ」ということは今までないように思う、というようなことをどこかで述べていた曖昧な記憶があり、自分も今までそれには同意するところだったのだが、しかし、こちらがこの世のうちで明確に「憎む」もの(つまりは、この世界から完全に[﹅3]消滅してほしいと、心の底からはっきりと[﹅10]願う対象)、これこそが自分の「敵」であると言いたくなるものがもしあるとすれば、それはこうした「傲岸さ/厚顔さ」を措いてほかにはないだろうとこの日には思った(そして何よりも厄介なのは、そのように考える自分自身ですら、この「傲岸/厚顔」から免れているかどうか確言できないということなのだ。例えばこうした日記を綴り、それを(部分的に検閲しながらも)公開しているということが、誰かにとって「傲岸」な振舞いとして映るということも(どのような理屈でそうなるのかはわからないが)ないとは言えないのではないか?)。
 (……)
 (……)食事を終えるとこちらは入浴に行った。湯に浸かっているあいだ、風に流される枝葉の響きが耳に届いてきた。出るともう零時に掛かっていたようである。室に帰ると、一六日の日記を書きはじめ、急ぐことなく気楽に進めた。これも折に触れて目標として心中に浮かんでくる考え方だが、この日の書きぶりは、「ただ書く」という方向により近づいていたと自分自身によって評価されたらしい。脳の自然な動きに従うと言うか、歌を歌っている時など、興が乗ってくると、どのように歌おうとか音程を正確に調整しようとか何らかの能動性を働かせなくとも、自分の歌声を「見ている」だけで、声のほうが勝手に適した方向に動いてくれて、そんな時には自分自身が歌声そのものに「なっている」かのような感覚を覚えるものだが(スポーツ選手などが体験する「ゾーンに入る」というような状態も、おそらくこれと同種のものだろう)、それと同じように、自分が書くことそのものに「なっている」、書くという動きと完全に一致していると感じられるような状態が、「ただ書く」の内実ではないか(それはおそらく、「書くこと」が一つの高度な瞑想となるような体験である。そして、この「なっている」というような状態が、書くことやその他の時間に限られず、生の全域にまで拡張され、存在の基盤として据えられたような様態がいわゆる「悟り」というものなのではないだろうか。ヴィパッサナー瞑想は、おそらく究極的にはそれを目指しているのだと思うが、実際のところやはりそれは実現困難なもので、現実的には「悟り」というのは多分、断片的な/部分的な/局時的な状態としてしか顕れてこないのだろう)。この時の書き物は、一時間四〇分で三七七六字を綴ったらしい。
 その後は特段のこともないが、古井由吉『白髪の唄』を読み、「紫の肌」の篇まで読み終えたところで、この本の読書は一旦中断することにした。と言うのは、一二月四日に(……)会合を控えており、その日のためにヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を読まねばならないところ、『白髪の唄』をこのまま読んでいては間に合わないのではないかと危ぶまれたからである。この夜は、就床前の瞑想は怠けたらしい。起床時のものも遅くなってやらなかったので、一日瞑想をせずに終わった。

広告を非表示にする

2017/11/17, Fri.

 この朝もやはり、正式な起床よりも前に、二度くらい覚めた記憶の感触が稀薄に残っている。例によって起き上がることはできず、一一時四〇分を起床時刻として定めることになったわけだが、四時三五分から数えて七時間五分なので、量としてはそれほど悪くはないだろう。肉体の感覚も、前日よりはかなり軽かった覚えがある(しかし、体温はやはり下がっていたのではないか。また、いま思い出したが、起床以前に一度覚めた際、下腹部に鈍痛がわだかまっていたのだ。胃と言うよりは、腸のほうが痛んでいるのではないかと思われたが、胃のあるあたりまでも波及してくるようでもあった。その痛みとともに覚醒した時には仰向けの姿勢を取っていたのを、まず左向きになると、これでもいくらか痛みの和らぐようではあった。しばらくしてからまた仰向けに直ると、やはり痛みが復活したので、今度は右向きに寝ると先ほどよりもさらに楽になったのだが、そんなことをしているうちにふたたび微睡んでしまったのだ)。床を離れてからは、すぐに上階に行ったわけではなく、まず隣室に入ってギターに触れた。寝床にいるあいだから、目を閉じた視界のなかに指板の配置と指の動きを思い浮かべて、頭のなかで音を鳴らすようにしていたのだ。ただ実際に楽器を弄ってみると、寝起きで脳があまり回らないこともあって、音が良く「見えない」ようだった。
 しばらくしてから上階に行き、食事はうどんを前日の野菜スープの残りに投入して煮込んでこしらえた。(……)新聞のなかからは、レバノンジンバブエの情勢についての記事を読んだ(この二記事に関しては、先ほど(というこの言葉を書きつけている現在は、一一月一九日の二二時五一分である)書抜きを済ませておいた)。それで片付けなどをしてから室に帰ると、一時半頃だったらしい。いつものように他人のブログを読み、その後は普段なら日記の読み返しをするところだが、この日はすぐに運動に移っている。例によってtofubeatsをBGMとして流し、しばらく体操と柔軟を行ったあと、そのまま歌を歌ったようである。Mr. Childrenなどを最近は良く歌っているのだが、自分の音楽遍歴はこのミスチルから始まったと言って良い(小学校の五、六年の頃ではないかと思うが、兄が好きで、隣室で流しているのを自ずと聞き知ったのだ。ついでに言えば、兄はまたRadioheadも好きで、『Kid A』に収録されている"Everything In Its Right Place"とか、"Idioteque"のあのふわふわとしたファルセットなどを聞いて、これは多分頭のおかしい人が作った音楽なんだな、と素朴に思っていた記憶がある。さらについでに付け加えておくと、こちらの音楽的起源をもう一つ挙げるとするならばそれはB'zで、これもやはり自宅に兄が持っていたベスト盤があったのを中学生になってから聞くようになったのだが、Mr. ChildrenとB'zと言えばおそらく当時のJ-POPのなかでも合わせて最もメジャーに売れただろう、二大巨頭のようなグループだったはずで、そうした言わば「本流」ど真ん中のところからこちらの音楽的嗜好が始まっているというのは少々興味深い(もっとも、B'zからすぐにAerosmithVan Halenに流れた時点で、周囲の大勢からは逸れてしまったようだが))。近年のMr. Childrenには特段の興味はないが、『DISCOVERY』(このアルバムはRadioheadの『The Bends』や『OK Computer』から影響を受けていると思われる)の曲などはいま聞いてもそれなりに楽しめる(彼らの曲を歌う際もいつも"光の射すほうへ"から始めている)。この日はまた、ものすごく久しぶりのことでJohn Legendの『Live From Philadelphia』から"Heaven"と"Slow Dance"を流した。彼のアルバムを良く聞いていたのは大学時代、パニック障害が最も猛威を奮って心身がどん底まで弱っていた時期のことであり、当時は"Ordinary People"などを聞いてそれなりに慰められてもいたのだ(凄まじく紋切型の、ありふれた「物語」的な慰めがまだこちらの精神にポジティヴな力を及ぼしていた時代)。John Legendまで流すと、どうも随分とポップなほうに寄り過ぎたなという感じがしたので、Derek Baileyの"Laura"の独奏(『Ballads』)と、『Duo & Trio Improvisation』の最初の一トラックを聞いて聴覚的口直しをした。すると三時半を回ったあたりで、外出の支度を始めた(歌を歌っている最中、三時になったあたりで一度部屋を出て、洗濯物を取りこんで畳むものを畳んだはずである)。
 この晩秋で始めてモスグリーンのモッズコートを着用することになる肌寒さだった(マフラーはつけなかったが、それがあっても何の支障もなかっただろう)。リュックサックにコンピューターと古井由吉『白髪の唄』を収めたのを背負って、玄関を抜けると、取っ手のところに回覧板の入った袋が掛かっている。それを室内に入れておき、ポストまで行って夕刊を取るとそれも玄関に置いておき、そうして道に出た。明らかに肌に冷たい冬の空気で、前日にも張り詰めた、という言葉を思ったが、あれはもう日も暮れたあとのことでいまはまだ四時前で太陽が落ちきっておらず明るさも残っているにもかかわらず、さらに張ったような感じのする冷気が顔や首もとに触れてきた。坂を上って行くと、駅舎前の椛の木が色を変えているのが正面に現れるが、あまり赤や紅という色合いではなく、オレンジの色味のほうが定かに瞳に入るようだった。ホームに渡って先のほうへ進み、立ち止まると林の縁、黄色く染まった葉の群れの一角に視線を定めて凝視したのだが、するといくらかくらりと来るような感覚と言うか、平衡感が僅かに乱れる感じがあった。以前は駅のホームのように、周りに掴まるものが何もなくひらけた空間に立ち尽くすと良くあったことで、この時もちょっと不安(という語を使うと言葉のほうが強すぎるくらいのささやかなものだが)を覚えはしたものの、それ以上何の問題も起こりはしなかった。
 電車は行楽に行ってきた帰りの人々で混んでおり、扉際は埋まっているのでなかにちょっと進んで身を据える場所を見出して、リュックサックを足もとに下ろすと、左方の会話が耳に入る。髭を白くした声の大きな老人と、こちらもわりと高年らしい女性が話しており、女性の口から南千住という地名が洩れると、老人のほうは対して三河島とか言っている。そのあたりに住んでいたという昔話を交わしているようで、老人は、国鉄の事故があったところだが、とかその地にまつわることをいくつか挙げながら、いまの若い人などは知らないだろうと繰り返していた。国鉄の事故と聞いて(「国鉄」などという(「古い」/「歴史的な」)語が実際に人間の口から音として発されるのを聞くのは、ほとんど初めてではないか)、こちらは戦後すぐの頃にあった怪事件のことを思ったのだが(『白髪の唄』のなかでそれがほんの僅かに触れられていたのだと思ったが、詳しい記述と箇所は覚えていない。また、この時こちらが思い出した怪事件というのは、「下山事件」と呼ばれているもののことだったはずだが、のちになって調べてみると(つまり検索してみると)これは国鉄の総裁だった下山定則が失踪後に変死体となって発見されたという事件であり、正確には列車事故ではなかったようだ。さらに余談を続けると、この事件は、浦沢直樹の『BILLY BAT』のなかで物語上の一挿話として組み込まれていた記憶がある(この漫画を読んだのはもう相当に前のことで、それもどこかのブックオフで立ち読みをしただけなので、細部はまったく覚えていないが))、それは外れで、この日のことをメモに取っている最中(それは現在=一九日の二三時五八分からすると昨日にあたる一八日の午後四時台のことだが)に検索してみたところ、まさしく「三河島事故」という列車事故があったらしい。一九六二年のことだと言う。それでまた思い出したのがやはり『白髪の唄』のことで、この作の冒頭の篇では、山越(「やまごし」なのか「やまごえ」なのか読み方がわからない)という青年が病院の談話室で語り手と初めて会った際に、自分の家では家族の生まれたり死んだりが大きな事故と重なるのだと言って、つらつらと「細った節をつけて唄うようにして」(一三頁)列挙する場面があるのだが、そのなかにちょうど六二年頃の事柄が含まれてはいなかったかと思ったのだ。それで確認してみると、まさしくはっきり「三河島事故」という語が記されていた(ついでなのでここにそれを含む一文を引いておくと、「姉の生まれたのはその前の年で、三河島事故とか、やっぱり二重衝突が起って、同じぐらいの数の犠牲者が出たそうですね」(一一頁)となる。「その」が指示しているのは、山越自身が生まれた年として設定されている「昭和三十八年」(一九六三年)のことで、その年にもやはり、「鶴見事故という列車の二重衝突と、三池炭鉱のガス爆発が、同じ日に起った」と言う)。
 降りると乗り換えだが、向かいの電車の発車まで間がなく、普段は先頭車両まで行くところだがそんな余裕は与えられずに、すぐ手近の口から乗るほかなかったが、車内も移った人々で混み合って歩いて抜ける隙間もない。次の(……)駅で一旦降りて隣の車両に移り、そこから揺れるなかを先頭まで歩いて行った。座ってからは本を読む気が起こらなかったので休むことにして目を瞑ったが、すぐに目の前が真昼のような白さに染まって思わずひらき返すと、西陽がちょうど山際に入って峰を越えていくところである。こちらと向かい合って並んでいる線路の近間の建物まではもう陽射しはあまり届かず、その北向きの正面も薄暮れているが、側面にオレンジ色を掛けられた遠くの家並みの様子が時折り覗いて、電車のなかにまで光が届いてくる瞬間も何度かあった。瞑目を続けていると、(……)で勢い良く隣に座ってきた者があったので思わず目を開けると、艶を帯びた金髪の高校生で、この時はその顔をまっすぐ見たわけでないが髪の色合いからして外国人の血が混じっているらしいと思われた(あとで横顔に視線を向けると、やはり大層高くすらりとした鼻があった)。彼はイヤフォンをつけてスマートフォンでゲームをやりながら、鼻をずるずると頻繁に吸っており、時折り苦しげな呻き声まで洩らしているのを聞くとこちらもそれに影響されたのか、何となく鼻水が分泌されてきて、くしゃみが二、三度、出ることもあった。
 立川に就くと、便所に寄ってから改札を抜ける。平日の四時半であっても人波は厚く、そのなかにいると不安とまでは行かないが、周囲がやたらと忙しないように感じられ、どことなく落着かない気分を覚えたようだ。オリオン書房へと向かい、ビルに入ると、本屋に上がる前にHMVに寄ろうかともちょっと思ったのだが(FISHMANSが欲しいし、Suchmosも買っても良いかなとも思っていたのだ)、結局入らず素通りしてエスカレーターを上がった。フロアに踏み入るとまず最初に、久しぶりに音楽の棚のところへ行った。あれが出たのはもう去年のことか一昨年のことか忘れてしまったが、Derek Baileyの本のことを思い出して、もしあれば欲しい気もすると見に行ったのだったが、棚の前には人がいて書籍の並びが良く見えない。それで(……)海外文学のコーナーへ行った。区画の端のほうに、お目当てのミシェル・レリスの新しい邦訳(岡谷公二訳『ゲームの規則Ⅰ 抹消[ビフュール]』と『ゲームの規則Ⅱ 軍装[フルビ]』)が平積みで置かれていたのを確保し、一角の入口付近に戻ると、そこに特別に設けられた棚(ナボコフの『アーダ』の新訳が目立つように取り上げられていたと思う)から、トリスタン・グーリー/屋代通子訳『日常を探検に変える――ナチュラル・エクスプローラーのすすめ』という本も手もとに保持した。これは先週この書店に来た際に見つけて、なかなか良さそうな本だと目をつけていたもので、とは言っても自分はこの「日常を探検に変える」ということを、多分既に大方実践していると思われるので、わざわざ買って読むまでもないのかもしれないが、そう思いながらもともかく購入することにした。その場を離れて続いて岩波現代文庫の棚の前に行ったのは、田村俶・雲和子訳『自己のテクノロジー――フーコー・セミナーの記録』という講義録が欲しかったからである。並んだ背表紙をつぶさに眺めても見つからなかったが、二〇〇四年に発刊されたものだからさすがに仕方がない。棚の上に視線を滑らせる過程で、入矢義高『自己と超越』という著作が目に留まったので、このタイトルは忘れないように手帳に記しておいた。それから音楽のコーナーに戻ったのだが、Derek Baileyの本も見当たらず、代わりというわけでないがケネス・シルヴァーマン『ジョン・ケージ伝』が置かれているのには、やはり欲求を駆り立てられるものの、七〇〇〇円くらいしたので諦めてメモを取るのみとした。その後、コミックの区画に移る。これは、『ロトの紋章』の続篇の所在を確認しておこうと思ったのだ。藤原カムイ作画『ロトの紋章』という漫画は、「思い出の」などと言うほどではないが、兄が持っていたのを子供の頃に楽しんで読んだ懐かしの作品であり、先日になって大変に遅まきながらその続篇が(もうこれも随分長く)描かれていたということを知って、物語の続きを読んでみたくなったのだった。しかしこの時には棚を回っても、その在り処を見つけられなかった。それでまあ良いかと払い、三冊を持って会計に行った。(……)
 ミシェル・フーコーの講義録を収めた文庫本がないかどうか、淳久堂のほうも見に行ってみるつもりだった。ビルの外に出ると、既に落日も終えてあたりはよほど暗んでいる。高架の通路を通って高島屋の前まで来たところで、長いコートを纏った男性が目に入り、その外套の色に気を惹かれた。臙脂色、と一旦は思ったが、そうと言うにはそこまで紫を含んでおらず、むしろ色味の強い紅葉のような渋い赤、と続けて当て嵌めて、あのような素敵な服を自分も身につけてみたいものだと、ちょっと心に働いたようでもあった。なかに入るとエスカレーターに乗って書店のフロアへ上がって行き、入店するとまっすぐ岩波現代文庫の棚の前に行ったが、目当ての本はやはり見当たらない(淳久堂は、単行本は丈の高く長大な棚にずらりと収められて圧巻の品揃えだが、岩波現代文庫に関してはオリオン書房のほうと同等か、むしろ後者のほうが少々勝っていたような気もする。この文庫の著作のなかでは、フーコーの件の本のほかに、カール・ポパーの自伝(確か上下巻になっていたはずだ)を以前から欲しいと思っているが、これももう古い本のようで新刊書店には置かれていない)。それで諦めて、せっかく来たから思想の棚でも多少覗いて行くかと歩き出すと、選書の区画に表紙を正面に見せて置かれたものの一つで、プリーモ・レーヴィ『これが人間』というのがある。思わず立ち止まって見れば、『アウシュヴィッツは終わらない』の完全版だという話だ(『アウシュヴィッツは終わらない』もまた、読まねばならないと思っていた本である。プリーモ・レーヴィでは、化学元素の名を題に付した章立てで構成された短編集である『周期律』という作品も、面白そうで読んでみたいと思うのでここにその旨記録しておく)。これもまた手帳にメモを取っておき、思想の棚のあいだに入って、ミシェル・フーコー関連の一角を眺めた。元々この日、これ以上本を買い足すつもりはなかった。コレージュ・ド・フランスの講義録の九巻目である『生者たちの統治』が棚には見られて、これはさすがに欲しくなるが、六〇〇〇円かそこらしたので、やはりいま買う気にはならない。このあとどうしようかと考えを巡らせながら漫然と周囲の棚を見ていると、尿意が催されてきて、それに不安の匂いがかすかに添ってくるようでもあり、過敏であるとは思ったが、先日(と言うのは一一月三日のことである)のようにまた激しく高潮されても困るので、大事を取って便所に行っておくかと長い棚のあいだを出た。それで便所の位置を探って進んでいると、行きがかりにちょうどコミックの区画があったので、こちらでも『ロトの紋章』続篇の在り処を見ておくことにした。昔のやつは確かガンガンコミックスではなかったかとは曖昧に覚えていたものの、現在の掲載誌は記憶しておらず、棚の周りを練り歩いたが、やはり発見できなかった(帰ってから調べたところ、続篇もやはり『ヤングガンガン』に連載されており、この時、該当箇所であるはずのスクウェア・エニックスの区画の前も通ったのだが、どうも見落としたらしい)。そうしてトイレに行くと、室の奥に踏み入った途端に、除菌液の類らしい薬品的な匂いが鼻に触れて、実に「衛生的な」香りだと思った。
 これで書店での用は済んで、ビルの外に出てきた頃には、久しぶりにディスクユニオンに行ってみるかという気分になっていた。強いて言えばFISHMANSくらいしか、事前の目当てはない。家を発つ前には、本屋を終えたら喫茶店に長く籠って、溜まっている書き物をできるだけ進めたらどうかなどと漠然と思い、それでコンピューターも荷物に加えてきたのだったが、どうも行く気にならなかった。レジで店員とやりとりを交わしたり、周囲にほかの人々のいるそのなかで作業を行う雰囲気を想像したりすると、何だか面倒臭い気持ちが優ってきたのだ。『白髪の唄』のなかには、話者が深夜にコンビニへ煙草を買いに行きながら、コンビニというストア(古井由吉的用語法)は普通の商店と違って、店員とのあいだのコミュニケーションが稀薄な分、気楽だと得心する箇所がある(「あれは夜にもひらいている便利さだけでなく、普通の商店には何となく入りそびれる、店に入って店の人間と対面して口をきくのがどうにも億劫な時があるものだが、そういう軽度の抑鬱の心理にも添うのだろうな、と思った。コンビニでも人と対面して口をきくことには変りがないが、あれは勘定だけのことで、こちらも客というよりは通行人みたいなもので、気の重くなっている人間にとってはよっぽど楽だ」; 五七頁/『白髪の唄』は一九九六年の発行、『新潮』への初出は一九九四年からである)。しかしこちらに言わせれば、コンビニでの流れ作業的なやりとりですら、億劫だと感じることのほうが圧倒的に多い(あるいはむしろ、コンビニだからこそ、なのかもしれない。つまり、「店員」と「客」という(「公共的な」?)役割にぴたりと収まって無機質なコミュニケーションを演じなければならないということに、ある種の「窮屈さ」もしくは「居心地の悪さ」を感じるのではないか(この社会/世の中が総体としてこちらの心身に[﹅3]生じさせる感覚を簡潔に表そうという時に、「居心地の悪い」という形容ほどぴったりとくる言葉はない。この「居心地の悪さ」は、おそらく一生涯、消え去ることはないはずだ))。そういうわけでこの時も、喫茶店に行くことを考えても面倒臭さの感が先に立ったのだが、こういう時というのはこちらの経験上、気持ちが内向きになっていると言うか、目立った支障はなくとも、どこかしらでかすかに不安なり緊張なりを感知している時である。書店やこのあとに行ったCD店では、そうした内向的な億劫さは物欲によって覆い隠され、克服されるわけだが、ともかくディスクユニオンに向かうことにして、高架の通路から下の道に下り、交差点に掛かった。横断歩道を渡りながら中途の小島で足もとを見下ろすと、黄色い落葉が散り積もっており、樹々の根元に設けられた植え込みには、春の桜花を思わせる白く小さな花が点いていた。
 ディスクユニオン立川店に入店すると、まずFISHMANSの在庫を見に行ったが、シングルしかない。ついでにその傍の、THE BLANKEY JET CITYの並びを見ると、『LIVE!!!』というそのまま直球のライブ盤が五五〇円で安くある。これにはちょっと欲しいなという気持ちが湧き、頭に入れておくことにしてジャズのほうに移った。新着のものから見ていき、そこを終えるとそのままアルファベット順に辿ったのだが、途中で面倒になって飛ばし飛ばしになった。以前は楽器別に分かれて整理されていたはずだが、その区別はなくなり、アルファベットを一つのカテゴリとして統合されている。ドラムの区画がなくなったので、Pの箇所に行ってPaul Motianの作品がないかと見ると、『Paul Motian Trio 2000 + One』というものがあり、Chris Potterが参加しているのに惹かれて買うことにした(しかし帰ってからプレイヤーのライブラリを確認したところ、これは既に所有済みの作品だった。Paul Motianは大変に興味深いプレイヤーであり、誰かしらが個人研究(モノグラフィー)を拵えるべき音楽家ですらあるとこちらは思ってその作品は多少集めているのだが、買っても一向に聞かないままに放置しているので、このようなところでその報いが出るのだ)。フリージャズの区画も、以前もよほど小さかったのが、さらに縮小されて隅のほうに追いやられている。回っていると現代ジャズの最近の作品も結構見かけたのだが(Mark Guilianaの新譜(Fabian Almazanが参加しているのは知らなかった)、Derrick Hodgeの『The Second』、Marcus Stricklandの近作(クレジットに見られたBIGYUKIという名前は、Twitterなどで見かけた覚えがあり(Mさんのブログにも確か現れていたのではないか?)、ヒップホップ方面の人間らしいという断片的な情報から、こちらは勝手にラッパーだと思いこんでいたところが、どうも違ったらしい。今のところヒップホップを好んで聞かないこちらからすると特段の興味の対象ではないなと思っていたところに、思いがけずジャズの文脈に繋がってきた形である)、あとはAntonio Sanchezの新譜も見た記憶がある)、どれもやはり結構値が張って、いま購入する気持ちにはならない。ジャズを回り終えると、書店で伝記を目にしたこともあって、ジョン・ケージの音源はないのかと思ったのだが、現代音楽がどこにあるのかわからなかった(クラシックの区画は見たが、そこにはコーナーが設けられていないようだった)。それでクラシックの横のソウル/ブルースに移行して、ソウルのほうは早めに流してブルースを探り、Fred McDowell『Long Way From Home』(六六年の録音)とMuddy Waters『The Complete Plantation Recordings』(四一から四二年の「歴史的な」音源)を買うことにした。それらに初めに目をつけておいたTHE BLANKEY JET CITYを加えて四枚をレジに持って行き、会計を行った。
 出てくると帰途に就くことにして、交差点を駅のほうへと渡る。メイド喫茶の客引きが立っている前を過ぎて進むと、中学生らしくブレザー姿の少年たちがこちらの横に現れて、「大根足」と口にしている。先ほどの客引きの女性の脚(こちらは注視していなかったが、多分肉付きの良くてふくよかな感じだったのだろう)に言及したものらしく、まだおそらくは一年生だろう身の小さくて声変わりもしていない子供らが、いっぱしに女性の脚(すなわち、性の記号)を評しているのかと思ったが、彼らの会話はすぐに、脚そのものを云々するのではなくて、「大根足」という言い方はいまはもうしないのではないかという風に、その語の古さを検討する方向に流れていた。駅前の広場に上がるためのエスカレーターには、やはり下校中の中学生らが多く混ざって長い列ができていたので、こちらはそこを素通りして横断歩道を渡り、階段から駅舎のほうへ上った。来た時よりも厚くなった人波をくぐり、改札を抜けて電車に乗るとここも混んでおり、扉際に立ったまま古井由吉『白髪の唄』を読み出した。最初は周囲の物音などが気になってなかなか意味が入ってこなかったが、じきに視線が定まったようだ。途中で座って到着を待ち、降りるとホームを相当に冷えた風が前から流れて、身の真ん中を突いてくる。幸い乗り換えはもう来ており、乗って読書を続けたのちに最寄りで下りると、樹間の坂を下って行った。やはりコオロギの音が復活していた。家までの道で特に覚えていることはない。
 帰ると買ったものを記録しておき、それから食事へ行った。面倒臭いのでこのあたりの詳細は省くとして、食後に室に帰ると八時半、日記の読み返し(二〇一六年一一月一二日土曜日)をしたあとに、ゴルフボールを踏みながらの半端な姿勢で、自然と日記を書きはじめた。これは今までにはなかったことである。コンピューターは普段、背の高めな白い矩形のテーブルの上に置いてあり、椅子は上下に高さを調整できるスツール式で、書き物をする時にはそれに座って腰を据えてやっていた。もっと気楽にインターネットを回ったり、コンピューターで何かを読んだりする際には、最近では椅子に機械を置いてベッドに腰掛け、ボールで足裏をほぐしながら過ごしていたのだが、この日は後者の状態のままで自ずと文を記しはじめたのだ。ここにも、文を書くことに対する気負いがこれまでよりもなくなって、それがこちらのなかでより「自然な」行いとして位置づけ直されたことが表れているだろう。二〇時五四分から二一時四三分まで一五日の記事を綴ると入浴に行き、戻ってくるとふたたび日記を記した。二二時一四分から二三時四五分まで一時間半を費やすと、身体が大変こごって、肩のあたりが重たるく固くなったので、ベッドに転がって休みながら読書に入った。『白髪の唄』を一時間四〇分、一二六頁から一三六頁まで読むと一時半である。寝転がって読書をする時にはいつも、片方の膝でもう片方の脹脛を刺激するのが習慣になっているのだが、この時にもそれを続けていると、じきに身体全体のこわばりが緩んでいくのが感じられた。これもゴルフボールによる足裏健康法と眼目は同様で、結局は血流を促進するということが肉体にとって肝要なのだろう。
 そうしてふたたび書き物に入って、午前三時の前まで取り組んでようやく一一月一五日の記事を完成させた。それをブログに投稿する前に、まず「転換(変身)」と題した記事を作り、ロラン・バルトの言葉を引いておいた。また、「題辞」としていた部分にはヘルダーリンムージルの言葉を掲げていたが、ブログの様相が変わるのでこれも変更することにして、「題辞」の語は「About」に、引用は『彼自身によるロラン・バルト』の有名な文言に取り替えた。こうした変化は、「雨のよく降るこの星で」というブログに載せられた文章の主題が変わったことに相応する変更である。先般までのこちらは、「雨のよく降るこの星で」というブログを一つの「作品」として持続させていこうという目論見を明確に持っており、そこにおいて主題は、一日のなかでこちらが感応した「天気」や「ニュアンス」に限定されており、こちら自身の「内面」や「人格」といったものはほとんど現れないようになっていたはずである(別にそれを自覚的に意図していたわけではないのだが)。毎日の感応=官能の瞬間のみを集めて、なるべく緻密に構築された(そのように形作ったつもりでいるのだが)文体で描き出し、そうした記事のみをただひたすらに集積させて、ある種非常に「貧しく」「愚直な」形の「作品」をこちらの生とともに継続させて行こうと試みていたようなのだが、そのような構築的熱情にこちら自身が応えられなくなり、書き物が日記としての体を成さなくなってきたので(つまり、文を作るのに時間と労力を掛けすぎるようになってしまい、一日分の記事を作るのに二日三日も掛かるようになったので)、転換を図ることになったのだ(もっとも、一日分の記事を一日で書き終えることができないのは、転換を済ませた現在も同じなのだが。この一七日の記事だって、昨日から取り組み続けているわけである)。その「転換」は、一六日の記事にも記したように、こちらの「書くこと」の内実が記録的欲望の方向に大きく振り直される形で実行されたわけだが、その後においてあのブログは、前ほど明確にはこちらの内で「作品」としての地位を保っていない。いまここで(と言うこの「いま」とは、一一月二一日の午前一時三二分だが)書いているこの文章は、明らかに「日記」ではある。つまり、ブログという仕組みがこの世にあろうがなかろうがそれに関わらず、自分がこれから毎日書き綴っていくだろう文章であることは間違いない。現在のブログはそれを部分的に省略(検閲)して、そのまま載せる場になっているわけだが、それが「作品」として成立し得るのか、こちらの内にはっきりとした解答がないのだ。と言ってしかし、「作品」ではないと明確に断言する気持ちにもならない。「作品」への欲望、「日記」をそのまま「作品」(あるいは「小説」)にして行きたいという未練はまだ残っているのだが、「雨のよく降るこの星で」で試みていたほど、それが確かな形(コンセプト)で実行されているとは思えないのだ。事ほど左様に、あのブログに載っている文章は、まず何よりもこちらのコンピューター内に書きつけられている「日記」であり(これは間違いない)、次にそれを検閲して公開した「ブログ」でもあり、その上もしかすると「作品」でもあるかもしれない、という中途半端な位相に置かれている。その半端さを表すのが「題辞」から「About」への表記の変化で、「題辞」という語を採用するには、こちらの感覚ではこの言葉は大仰過ぎる(つまり、格好つけすぎている)のだ。「転換(変身)」などという記事をわざわざ作ってバルトの文言を引くというのも、よほど大仰な振舞いなのだが、ここにも、「ブログ」を(あるいは「日記」を)そのまま「作品」にしたい気持ちを捨て切れないという別方向からの形で、こちらの中途半端さが露わになっているわけである。こうした様態の変容を果たした以上、あのブログはもはや「雨のよく降るこの星で」ではないとこちらは判断するのだが(なぜなら、このタイトルは小沢健二の"天気読み"という曲の一節から取ったものであり、「天気を読む」ということが、まさしく以前のブログにおいて、(生身の存在であるこちらがテクスト的変換を通過したあとの)話者が示していた振舞いそのものだったところ、現在のこちら=話者は、もはや明らかに「天気を読む」だけの存在ではなくなっているからである)、と言って替わりになる良いタイトルを思いつきもしないので、ひとまず(仮)を付して間に合わせておくことにする。
 ブログの変形と一五日の記事の投稿を済ませたあとは、音楽を聞いた。Bill Evans Trio, "All of You (take 1)", "My Romance (take 1)"に、Will Vinson, "Skyrider"(『Perfectly Out Of Place』; #4)である。Will Vinsonのこの作は、やはり"Skyrider"が一番印象に残るようである。終盤に、ソプラノサックスとボイスのユニゾンが披露されており、このボーカルはJo Lawryと言ってVinsonの配偶者の女性らしいのだが、サックスの複雑で細かいフレーズとほとんどずれることもなく、また相当な高音部までカバーしているこの歌唱は、相当に凄いと言って良いのではないか。本来はさらに、来月にライブを控えていることでもあるから、Fabian Almazanの『Alcanza』を聞きはじめたかったのだが、そこまで気力が保たなかった。重い頭痛が生じていたのだ。
 そうしてふたたび古井由吉『白髪の唄』を読んで(一三六頁から一四四頁まで)四時一〇分に至ると、疲労が大きかったのでこの夜は瞑想をせずに眠ることにした。床に就いてからも頭痛は続き、仰向いていると左の側頭部からこめかみあたりに掛けて、頭蓋のなかを虫が這っているような圧迫感が通過していく。それを観察していると、圧の感触にあるいは気絶するのではないかとちょっと恐れられたが、しかし気絶したらしたで眠れはするだろうと払った。意識は冴えきっており、まったくほぐれていかなかったが、しかし頭痛を避けるのではなくむしろそちら注視するようにして長く過ごしていると、いつのまにか頭が軽くなっていた。その後、何とか寝付くことができたが、何時頃になっていたのかはわからない。おそらく床に入ってから一時間近くは経っていたのではないか。

広告を非表示にする

2017/11/16, Thu.

 この朝の(と言うかもはや昼なのだが)寝床は、どうしてなのか、かなり身体が重くなっていた(前夜の就床時には、三〇分もの長きに渡って瞑想を行ったのだが、それが睡眠の質にまったく反映されていないわけである。とは言え、その瞑想が長くなったのは、日記の書き方をまた(構築への熱情ではなく)記録的欲望に基づいた方式、つまりは、文の質などには大して拘らずに、一日の自分の生活をなるべく詳細に跡付けて行くというやり方(短く言い換えれば、書きたいこと/書けることを「すべて」書く、という方式)に戻すことにしたので(と自分が明確な意思を持って決めた/判断(判決)を下したと言うよりは、欲望が勝手にそちらの方向に転換して行く動きが窺えたので)、枕の上に尻を乗せて瞑目しているあいだ、一五日のおのれの生活の記憶を起床時から細かく辿っていたためである。それで頭を回しすぎて、かえって脳が疲労してしまったのかもしれない)。(……)一一時頃か、あるいはそれよりも前にも覚めた記憶があるのだが、肉体の固さのために起きられなかったようだ。また、何故かわからないものの、普段の寝起きより体温が下がってもいたようで、布団のなかにありながら寒気を感じた覚えがあり、起き上がってから鼻をかむと鼻水が(透明なもので、黄色く濁ってはいなかったので鼻炎にはなっていないようだが)結構吐き出されたし、その後の起床時の瞑想のあいだにも、くしゃみが出たのだ。
 (ここで一応、改行をしたわけだが、これに関しても迷われるところだ。と言うのも、一年前のこちら(記録的情熱に従っていた時期のこちら)は、改行をまったく使わず、一日の記事の初めから終わりまで切れ目なく一段落で綴るという方式を採用しており、いましがた(と言うこの現在は一一月一八日の午前二時(体感上は一一月一七日の二六時)だが)この記事を書きはじめる前の自分は、自ずとそれを想定していたからだ(既に投稿した一五日の記事に関しては、日記に対する新たな態度/向き合い方をどうするのか、はっきりと決められないうちに中途まで綴っており、そこでは改行が採用されていたので、最後までそれに従ったのだ)。しかし実際には、迷いながらも自然と改行を使う心になったので、当面はそれに応じてみるのが良いのだろう(書き方などわざわざ悩まなくとも、これに関しても自分の欲望が勝手に適した場所に連れて行ってくれる、と言うべきだろうか?))それで瞑想を済ませると階を上がって行き、食事を取った。(……)テレビは、食事のあいだはちょうど、NHK朝の連続テレビ小説わろてんか』の再放送が流れており、そのまま『ごごナマ』に移行したあたりで食事を終えていたのだが、毒蝮三太夫がゲストで来ているその昼の情報番組を少々眺めた。毒蝮氏がラジオだか何だかの仕事で各地に行った際には、放送を終えたあとに必ず、三〇分かそのくらい集まったファンの人々(大方は老年のようである)と寄り合って話をするようにしている、というようなことが紹介されていた。食後、室に帰ると、他人のブログを読み、続けて日記の読み返しをした(二〇一六年一一月一一日金曜日の記事である)。すると二時に至ったので上階にふたたび行き、洗濯物を取りこんでタオルを畳むとともにアイロン掛けをした。家事をこなしながら視線を上げて窓の外に送ると、近所の家の屋根から生えた金色の風車が良く動いており、回転のなか、光が各部にかわるがわる細かく宿って弾かれる。その動きからすると、風が結構吹いて、あまり途切れる間もないようである。(……)アイロン掛けを終えたこちらは石油ストーブのタンクを持って、玄関から外に出た。そして勝手口のほうに回り、石油の保存してある箱をひらいて、電動ポンプを使ってタンクに補給をする。液体が流しこまれるのを立ったままに待っていると、道の先にある楓の樹の、薄緑混じりのグラデーションを描く過渡期を終えて、一面に赤(その赤の濃淡には、それはそれでまた各部の差異が見受けられるようだったが)に染まったのが風に揺らいでいるのが目に入る。道には陽射しも降りてはいるものの、空は晴れ晴れという風でなく、青さの上にへばりつくような雲の多い天気だった。そうした風景に目を向けるあいだ、頭の内でそれらの様子が自動的に言語に落としこまれていくのだが(つまり、脳内の「テクスト的領域」とでも呼びたいような区画に(まさしくノートの白い頁にメモを取るように)「書き込まれて」いくわけだが)、そのような頭の働きを感じながら、「反芻」の技法を習慣的に行ったほうが、「現在」の時間に遭遇する物々への感度が高まるのではないかと浮かんだ。「反芻」と言うのは、要はおのれの日常生活の記憶を折に触れて思い返すということであり、ここで直接的に考えられていたのは、前の晩眠る前に行ったような、その日の生活を初めの覚醒時から順番に覚えている限り辿っていくという方式だったのだが、これが感受性を高めるというのは、一七日と一八日を経過してきた現在(この現在は、一九日の零時四九分である)、確からしく思われる。と言うか、正確にはこれは「反芻」の技法の問題と言うよりは、むしろこちらの意識内における「書くこと」の内的なシステムの転換による変化で、要はつい先日までは構築的な欲望のほうが優勢だったから、しっかりとした文を作り上げて書きたいと思うほどの事柄でなければあまり顧みられずに捨て置かれていたところが、今は「書くこと」の記録的な機能のほうが主に発揮されるようになったので(こちらの意識のなかで、「書けること/書く気になることは大方何でも書く」という方針が前提となっているので)、大した印象(意味/ニュアンス)をもたらさないおよそささやかな物事でも、拾い上げられるように(脳の内で「あとで書き記すこと」として振り分けられるように)なってきたということだろう(毎日の生活及び経験を文に綴ることを習慣化した人間の脳というのは、こうした主題の取捨選択を自動的に(それこそほとんど機械のようにして)行っている)。そうした話は措いて、石油の補充を済ませてタンクをストーブ本体に戻してくると、また玄関を抜けて掃き掃除を始めた。竹箒を動かすそのあいだにも風が流れて、一箇所に集めようとしている葉の群れを少々乱し、数枚を集団から奪って滑らせていく。途中で、小学生が下校することを知らせる二時半の市内放送が響いてきた。
 掃除に区切りをつけて屋内に戻ると、手を洗ってから肌着を畳み、室へ戻って運動を始めた。youtubeにアクセスして例によってtofubeatsの曲を流し(必ず"WHAT YOU GOT"から始まり、"BABY"を経由して、場合によっては"朝が来るまで終わる事のないダンスを"を挟み、最後に森高千里と組んだ"Don't Stop The Music"に至る)、脚の筋を伸ばしたり、スクワット風に屈み込んだ姿勢のまま静止したり、ベッドの上で柔軟運動を行ったりした。ここのところ怠けていた柔軟運動を久しぶりにやったところ、下半身が相当に軽くなり、身体も全体的にまとまって輪郭と中身がぴったりと一致し、自身の一挙手一投足が良く「見える」ようになったので(それによってさらに、気持ちの静まりが得られるわけだが)、肉体を良くほぐすということが精神にとっても大事だという今更のことを改めて実感した。その後は歌を歌って気持ち良くなり、三時半から書き物に入った。一五日の記事に取り組んだのだが、外出の時間が近づいても終わりそうになかったので、終盤はのちのちのために細かなメモを取るほうに移行した。
 そうして四時を回ると上階に行き、味噌汁に豆腐とゆで卵の食事を取った。片付けをして下階に戻り、歯磨きをするとFISHMANSの曲を流しながら服を着替え、"いかれたBABY"などを歌ってから室を出た。(……)そして靴下を足につけると出発である。
 空には先ほどから変わらず雲の網が形成されており、東側ではその隙間に醒めた水色が覗き、煤けたような鈍い乳白色の雲がそのなかにあるとあるかなしかの赤の色素をはらんだように見えるのだが、視線を西に振ればそちらは冷たい青さのうちに完全に沈み、山際は綿を厚く詰め込まれたように雲の壁が閉ざして残照など微塵もない。比喩でなくそのまま身体の震える寒さであり、ポケットに両手を突っ込んで身を縮めるようにして坂を上って行った。(……)街道に入って気づけば、身体が温まったようで震えは止まっている。とは言え気温の低さはやはり結構なもので、裏路を行きながら、頬に当たる冷たさが張り詰めているようだ、あるいは頬そのものが張り詰めてくるような、とその場で体感に言葉を当て嵌めた。じきに耳の穴も、冷気に痛むようになった。
 (……)
 帰り道は、この日の冷気のなかをまた歩いていくのには気後れがしたので、電車を取ることにしたが、職場を出るのが発車間近になってしまったものだから急いで駅に入り、機械に小銭を一遍に投入して切符を買うと(ICカードを持ってきていなかったのだ)、改札を抜けてまた走った。何とか間に合って乗ると扉際に就き、この日の起床時のことを反芻しながら到着を待つ。最寄り駅から坂を下って行けば、やはりコオロギの音が木立のなかから洩れてきて、少し前にはこれももうなくなったと思っていたのだが、気温が下がってからかえって復活したような印象を受ける。
 帰り着くと(……)自室に帰って足の裏をほぐしつつ、Ernest Hemingway, The Old Man And The Seaを五〇分ほど読んだ(七〇頁から七五頁まで)。そうして一一時も近くなってから食事に行った。(……)(本当に関心を持っているとは言えないはずの事柄について、誰もが何かを言いたがってやまないというのが、この現代という時代の醜悪さである)。その後、(……)TEDのスピーチを取り扱う番組が映し出された。初めは、R・ベンジャミンという米国の黒人のジャーナリスト(この日のプログラムはどうやら、黒人差別に関しての演説を取り上げるものだったらしい)が、ホワイトピアと言って白人のみで固まって暮らすコミュニティに滞在した経験について報告していた。スピーチ映像が終わると一旦スタジオに場が戻って、MITのメディア関連の教授だったと思うが何とか言う人と、スプツニ子という人(この女性についてもその名は聞いたことがあるものの、アーティスト/現代美術作家と呼称される類の人であるということしか知らない)がいくらかコメントをして、その次に、名前を忘れてしまったのだが、詩人だという男性のスピーチが始まった。これは自分の幼少期の体験も踏まえて大変に真剣味を帯びたもので、直截に黒人(人種)差別廃絶を訴えるものだった(「呼吸をしているすべての人が生きる価値を持てる社会に」というような文言で末尾を締めていた)。その様子を受けるとこちらもやはり真面目なような気分になって、映像を黙って見つめ続けた(……)。印象に残っているのは、演説者が子供の頃(一二歳くらいのこととして話していたのではなかったか)の体験として語ったことで、曰く、夜になって友人と駐車場かどこかで水鉄砲を使って戦争ごっこをしていたところ、父親に腕を強く掴まれて室内に連れて行かれた。そこで父親が大層真剣に子供の目を真っ向から覗きこんで言うことには、お前には悪いと思うが、自分たちは、黒人の子供というのは、ああいうことをしてはいけないのだ、と。白人の子供と同じように、暗いところを走ったり、銃を打つ真似をしたりしてはいけないのだ、なぜなら、水鉄砲を本物の銃と勘違いされてその場で即座に[﹅7]撃ち殺されるかもしれないからだ、と諭されたと言う(父親がその後も折に触れて子供に与えた助言のなかには、「動作をする時はゆっくりと、はっきり見えるようにしたほうが良い、突然、速い動きで身体を動かしたりしてはいけない」というものもあったと語られていた)。これは当時の米国という国家の社会の一側面を明らかにする、大変に具体的で説得力に富んだ証言ではないだろうか?(この「当時」と言うのは、正確にはいつなのかわからないが、演説者の外見を見る限り、彼は三〇代後半からせいぜい四〇代前半くらいの歳ではないかと思われた。そうだとすれば、概ね二五年から三〇年ほど前の時期に当たるわけで、と言うことは最も古くとも八〇年代後半の話だということになる。五〇年代や六〇年代のことではまったくない! 公民権運動を通過して二〇年が[﹅4]経った時点での話であり、そしておそらく、現在においてもこうした挿話は色々な場所で起こっているのだろう) 
 食後、入浴を済ませ、出てくると緑茶を用意して室に帰った。茶を湯呑みに注ぎながらまたニュースを瞥見したところでは、例の横綱問題には色々と不透明な事柄があり、被害者側の動きにも疑問を呼び起こす点がたくさんあるというような語られ方をしていたようで、そんな展開になっているのかと意外には思ったものの、しかしこの件に関してこちらのなかには特段の興味はない。自室ではインターネットを回って何をしたいのかあまりはっきりしないような時間を過ごし、その後、音楽を聞いた。一時半から二時を回るまでの四〇分ほどで、FISHMANS, "SLOW DAYS"(『空中キャンプ』; #3)、Bill Evans Trio, "All of You (take 3)", "My Foolish Heart"、Will Vinson, "The Clock Killer"(『Perfectly Out Of Place』; #9)、Nina Simone, "Seems I'm Never Tired Lovin' You"(『Nina Simone and Piano!』; #1)、同じくNina Simoneの"I Want A Little Sugar In My Bowl"(『It Is Finished - Nina Simone 1974』; #5)と移行し、大変に素晴らしく満たされた気持ちになった。
 そうして二時過ぎからようやく書き物に入ったのだが、書き物と言ってもこの時に行ったのは、この一六日の生活のメモのみだったようである。そのあとのことはメモをつけておらず、思い出すこともできないので、この日に関してはここまでとする。

広告を非表示にする

2017/11/15, Wed.

 起床、正午を過ぎてしまう。(……)睡眠が一二時を過ぎるかどうかというのは、やはり何となく一つの大きな境界線になるもので、なるべくそこは越えたくないと思う。
 (……)
 この日一度目の食事が何だったかは思い出せない。食後は風呂洗いなどをしてから室に帰り、日記の読み返しをした。去年の一一月八日、MさんとH.Tさんと一緒にワタリウム美術館ナム・ジュン・パイク展を見た日で、展示を見ているあいだの様子や感想を長々と綴っているのには、特に批評的な分析などないものの、なかなかしっかりとした言葉で頑張って書いているではないかという気分にもなった。その部分はTwitterに投稿しておいたが、三〇ツイート以上になってしまったので、多分誰も読んでいないのではないか(……)。この日の記事は前日に引き続き、一万字弱になっているので、その一日分を読み返すだけで三〇分以上掛かった有様である。
 (……)
 日記を読み終えると上階に行って、アイロン掛けなどを行った。それで戻ってくると、書き物である。まず前日のことを記し、それから三日に遡って、Will Vinson Trioのライブの感想を、当日から一二日遅れということになるが、ようやく綴り終えた。それをTwitterに投稿しておくと、もう四時が過ぎていたので、何かしら腹に入れるために部屋を出た。(……)
 そうしてすぐに下階に戻ると、歯磨きをして(ものを食ってすぐ、歯のあいだに食べ滓がまだ残っているような時点だったので、歯磨きのあとに口をゆすぐと、吐き出した水がピザソースの赤い色にかすかに染まっていた)、tofubeatsの音楽をyoutubeで流しながらスーツに着替えた。出るまでに残った時間で、景気づけに歌でも歌おうと初めは思っていたのだが、すぐに別の意思が割り込んできた。と言うのは、H(N)さんにゴルフボール健康法を勧めるメッセージを送ろうという気になったのだ。(……)お節介な心を発揮したのだった。そうして作ったのが上に記してある文章で、出発の時間が迫っていたため少々急ぎがちになったようで、あまり十分に練ることもできなかったが(特に、ゴルフボール健康法の推奨そのものからフーコー的な「自己への配慮」へと結びつけているのは、間違ってはいないのだろうが唐突な感じはする)、Twitterのダイレクトメッセージを介して相手に届けておいた。(……)
 (……)
 そうして家を発ち、坂に入ると、左方の林から虫の音が乏しく湧くのみの静けさのなかに、右のほうからは川の音が昇ってくるのが妙に耳を惹く。そちらの方向に目をやると、眼下の道の中途に街灯の明かりを捉えて、ちょうどあそこに銀杏の樹があるのではなかったかと思い出した。この時期には黄一色に染まって燃えるようになっているのを毎年見留めて、何かしらの形で日記にも記しているものだが、この時は暗さのためにあまり色がわからなかった。街道まで来ると、車の流れの引いてくる風が前から身体に掛かってくるが、肌寒さというほどのものもなく、顔に触れても強めの涼しさ、と言い表す程度の感触である。裏路の途中では、エンマコオロギの鳴き声がただ一つ、先日と同じ一軒の前で聞こえ、やはり先日と同じように、実際にはすぐ手近から立っているのに、何か遠くから響いてくるような気味が微かにあった。ほかには、カネタタキだと思うが、短く味気ないような打音が折々に散るのみである。見上げた空は雲に広く占められており、灰色と普通には言うだろうし、また白っぽくもあるが、暗さのためにその実何とも言えないような色味になっている。色の詰まった球がローラーか何かで潰されて、一挙に塗りひろげられたような、そんな印象を得た。
 (……)
 帰路に就いたのは八時前だが、夜道を行きながら空に視線を放てば、当然のことだがその色がやはり夕刻とは違うもので、行きの道もよほど暗いと感じたが、この時の空はさらに黒く、闇の色に変化していて、樹々の姿も深く籠っている。風の動きが少々あり、気温も落ちたようで、今度は明確な肌寒さが服を通ってくる。道端にたくさん散った落葉の、路面の端から中央へとはみ出して波線を描いているのに、黴の侵蝕めいたイメージを持った。歩くにつれて身体が温まってくるかと思いきやそうではなく、風が吹くというほどでないが空気の動きが絶えず身の周りについてきて、冷気に浸透されるから、むしろ次第に寒さが増した。脇の家並みが途切れて駐車場に掛かると、線路の向こうの林まで空間がひらいて繋がったために、そちらから蟋蟀の声が届いてきて、それと同時に背後の遠くで、巡回の消防車が鳴らす火の用心の鐘の響きも薄く伝わってきた。暗色の空に星は半ば埋もれて瞬きもはっきりしない。空と森の影の境も、闇がもっと濃ければその分かえって際立つのだろうが、視界を遮る電灯に乱されて黒い宙空の希薄化したようで、暗視カメラで撮った映像をモニター越しに見ているような、曖昧なざらつきの感覚があった。街道を行っていると、火の用心の鐘の音がふたたび遠くからうっすら広がってきたのに、何か灰色の侘しいような意味素を得たのだろう、聞いた途端に意識もせずに自ずと弔鐘の語が浮かんできたが、しかし弔鐘など、耳にしたことはないではないかと、直後に自分でとりなした。自宅の傍へ通ずる坂に入ると、川向こうの町並みの一角から光の仄白さが漂い昇って、宙に籠るようになっている。そちらのほうからまたもや鐘が渡ってきて、今度は火事への注意を促す男の声も不明瞭ながら添ってきたのに、耳を向けながら道を下ると、頭上でさやぎの音が始まって、既によほど散り集まっているその上に、更なる落葉がはらはらと降って重なった。
 帰宅すると、疲労を和らげるために足の裏をほぐしながら、Ernest Hemingway, The Old Man And The Seaを三〇分ほど読む。そうして九時頃になってから飯を食いに行く(……)。(……)。食事を取っているあいだには、『家、ついて行ってイイですか?』という番組が掛かっていたのをそれなりに関心を持って眺め、色々と思ったことはあったのだが、それらについては現在、面倒臭い気分のほうが優勢になっているので記すのは省略する。その後、入浴に行き、浸かっているあいだ、湯の表面に浮いている数本の短い毛に目が寄せられて、何の変哲もないそれをまじまじと凝視した。奥の壁の天井近くに掛かっている電灯の白さが液面に映りこんで、それがゆっくりと推移する毛の背景で丸くなっており、同時に上からも光が浴びせられるから、毛は上下から明るさに挟まれるような形になって、浅く曲線を成したその形に応じて液体が僅かに変形し、線の中途で両側から微小な水のへこみが生じているのが見受けられる。身体を動かさずに(湯をちょっとでも揺らすと、背景幕となっている電灯の像が途端に壊れて、ばらばらに崩れてしまう)じっと視線を寄せていると、視覚の比率が変化し、背後に敷かれた純白の幕(船の帆のような?)の上を漂っている一本の毛の図が切り取られて拡大されるかのようだった(ロベルト・ムージルが「グリージャ」で書いていた蝿だか何だかの挿話がそんな主題ではなかったか? また、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』にも、海岸へ遊びに行った少女が(名前が思い出せないのだが、ナンシーとか言っただろうか?)水溜まりを覗きこんでいるうちに、見ているものの縮尺が変化し、小さな水溜まりが広大な一世界のように錯覚されて、そこにいた蟹だったか何だかの生き物を動かすことで、自分が神にでもなったかのような気分を感じる、というような場面があったはずだ)。勿論自分はここで、ムージルの小説の登場人物のように何かしらの「啓示」や深淵めいた意味の訪れを体験したわけではない。とは言え、上に記した以上にもう少し、何らかの具体性の気配を覚えたようではあったのだが、それはその場で言葉にならなかったので、今更探り寄せることはできない。その後、外から虫の音が届いてくるのに気がついた。上の記述のうち、帰路の最後に書き記すのを忘れていたのだが、自宅のすぐ傍まで来ると、林のほうから蟋蟀(あれは多分、ツヅレサセコオロギという種だと思うのだが)の声が立ってきて、この声は、それこそ夏の終わり頃からずっと聞いており、近寄る冬の気配にほかの虫がほとんど消えてしまった今になってまで、随分と長く残っているなと思ったのだった。
 風呂を上がって室に帰ると、多分インターネットを回って、その後、岡崎乾二郎「抽象の力」を少々読み進めたのではないか。疲労が結構あったようで、零時前から三〇分ほど微睡んで、それから音楽を聞いた。Bill Evans Trio, "All of You (take 2)", "Alice In Wonderland (take 1)"、Will Vinson, "The Clock Killer", "Perfectly Out Of Place"(『Perfectly Out Of Place』)である。それで一時を迎えて、書き物に掛かった。まず一四日の記事に、勤務中に体験した緘黙めいた心理的現象について記しておき、それから一一月六日の記事に遡って、「雨のよく降るこの星で」用の記述を作ったのだったと思う。そうして三時、その後は古井由吉『白髪の唄』を読み、四時一〇分から瞑想を長く、三〇分も行ったのちに消灯した。

広告を非表示にする

転換(変身)

 (……)物を書く人間、書くことを選んだ、すなわち(ほとんど「第一の快楽」として)書くことの悦楽と幸福を感じた[﹅14]者にとって、新生[ヴィタ・ノーヴァ]とはエクリチュールの新たな実践を発見すること以外にありえない(……)
 (ロラン・バルト石井洋二郎訳『小説の準備 ロラン・バルト講義集成Ⅲ』筑摩書房、8)

広告を非表示にする

2017/11/6, Mon.

 五時過ぎでもう暮れきって宵に移行しつつある空の下、街道を行けば、車に引かれて前から滑ってくる風が肌に寒くて、服の内で背のほうに鳥肌が立っているのがわかった。裏路に入ると空気の流れが途端に収まる。乱れのない快晴の空だったらしいが、折々にすれ違う対向者の顔の造形は埋没し、視線がどこに向いているのかさえ見えない道の暗さである。
 帰りの夜道で振り向くと、東の空の丘の近くに掛かった月の、満月を過ぎて右上がほんの僅かに欠けはじめていた。空はそれで明るく、変わらず雲もないようで、頭上に見える星の合間で飛行機が、赤と白の色味を辛うじて見分けられる小さな光をかわるがわるに点滅させる。こちらの歩みに添って流れていく左右の建物の、そのゆっくりとした移行に合わせて、星と星のなかを下っていく。

広告を非表示にする