三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を喚び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに青の淡さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、蜂蜜など、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気に、どこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、という抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。さながら他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしている布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の奇怪な生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊り呆けているうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。道は砂であり、赤土であり、浅い下生えの断続だった。いずれにせよ、いくつもの、いくつもの足によって踏み慣らされ、切りひらかれた地面だった。花は車輪に踏み潰された。それは、よける余裕のないときに限られた。多くの場合、花は車の下をうまくくぐって通り抜けるか、せいぜい花びらの先端を荷台の裏にすりつけてくにゃりと撓めるくらいだった。丈高な木々の図太い幹が左右にいつまでもついてくる、ひとすじの柱廊めいた道があった。枝はすべて、見上げる視線の先にひろがり、ひとの足から頭の範囲は、火照ったからだの存在を告げる風の生まれるための場だった。木々の根もとの下草のなかにうす青い花が群生していた。親指の腹をはみ出すくらいの大きさで、よどんだ日暮れに残照の消えた直後の雲と似通う青さに、白と黄色の曖昧な線を差しこんでいる花だった。木叢は道まで迫り出しながら虫の甲殻をおもわせる暗緑色の硬さをさらし、木もれ陽のつくる影の水面 [みなも] の濃淡は、かたちなきもののまぐわいのごとく、靴の周囲を頻りにあそんだ。見事な花を見つけたならば、ふたりは道々、繊細な手つきで、躊躇なくやすやすと茎から手折って干し草の上に飾りを添えた。朝方に蟻が入りこんだら夜までさまよいつづけることもできそうな、幾重にも折りかさなった花弁をたばねて仰々しくも肉厚な花、煮立った鍋に細くそそがれた鶏卵のやわいまとまりじみてとらえどころなくしなやかな花、例えばそういうものだった。色は? 紅や黄色、青や桃色、果ては白まで、何でもよかった。ゆるやかな下りの道に差しかかるころ、あたりは岩場めいてきて、踏まれる砂粒は蕭寥とした響きを発し、横から下から照り返す熱がこめかみや唇の上をくすぐった。湖は巨大だった。のみならず、墜落してきた太陽をすっぽり丸ごと呑めそうなほど、ひろく深く澄んでいた。その水もいまは、了解しがたい容易 [たやす] さではるかな光を受けがって、おもてを剝がされ顕わとなった空間自体の地色のように、さざなみしながらきらめきつづけるばかりだった。すれ違うひとびとはみな、「こんにちは」と挨拶を交わした。帽子を被っていれば、指先でつばをちょっとつまんだり、あたまを手のひらで押さえたり、そのまま片手に取って腰骨の横に据えたりしながら、会釈やお辞儀を送り合った。見知った顔に出くわしたなら、ふたりは丁寧に、かつ快活に挨拶をして、休憩がてらそこらの石に腰掛けてかるく話をすることがあった。作物の出来や牛の体調、ここ数日の天気についてや星々のめぐり、村で起こった由無し事など、他愛のない話だった。知人のひとりに、三、四層の楕円模様がぎょろりと睥睨する目のような、真っ赤に染まった鳥類の羽根を帽子の片方 [かたえ] に貼りつけている者がいた。どこともさだかに言うことのできない、足と素肌に刻みこまれた歩みの声だけがそうと告げる二、三の地点が山中にあった。際限を知らず渦巻きながらなだれていくかの山並みの先に、谷間のながれがはっきりと細くのぞいて見える場所だった。巨人の両手でこじ開けられた裂傷と紛うその水は、周囲の緑を吸収できずただひたむきに青白く、下っているというよりは、逆 [さか] 向きになった重力のもとを昇ってたずねていくかのごとく、ほとんど停まっているとも映った。散らばる囀りの背景へと、かすかな響きが渡っていた。村まであとどのくらいなのか? 村からもう、どのくらいなのか? 村の中央をつらぬき通る坂道は互い違いの石敷きで、ひとびとの靴や車輪はもちろん、牛馬の蹄に踏まれたときには、ことさらに硬く小気味よい音が火花のように撒かれて消えた。左右にいくつも分かれて伸びる砂と小石の細道沿いに村人たちの住まいがあった。坂の敷石が割れたり欠けたり、あまりに磨り減ったりしたときは、どの村にもひとりふたりは住み着いている腰の頑健そうな石職人がすぐさま補修に働き出した。民家の合間を果実の緑樹や、傾いた納屋や家畜小屋、貧寒な畝の畑が占めて、家禽は色濃く濁った土を我が物顔でほっつき歩き、野生の小鳥と一緒になって葉物の端を突っついていた。屋根の種類は乏しかった。もしも雲の縁から見下ろすことができたとすれば、段をなして雑多にならんだこの屋根、この道、このひとびとは、山の一隅に時ならず湧いた甚大な黴の群れだったろう。増えることなく、じつにしぶとく、居残りつづける黴だった。村の一方の入り口は、見上げた者のうなじを潰して喉を目一杯引っ張りあげる断崖のもとにひらかれてあり、老いさらばえた山羊の太髭をつなげて陽に当て萎ませたような、不規則に橙がかった白さの蔦が壁のあちこちにはびこっていた。その脇を抜けてくる坂の途中にふたりの姿があらわれて、荷車とともにゆっくりゆっくり、徐々に大きくなっていった。村に入ったふたりは、近間の家々に声をかけたり、坂に面した商店から来る歓迎の声に手をあげたり、時には立ち話のため時間と道草をいっぺんに食って興じつつ、子どもや鶏に注意しながら石敷きの道を下っていった。剛の狩人に力の限り引きしぼられた長弓めいて坂の終わりは大きく曲がりこんでおり、砂地に復してしばらくのちに次の森へと通じていた。出口の手前で横にひらいたわずかな傾斜の木下道をたどっていき、台地状に盛り上がった見晴らしの良い一角に来ると、車とふたりの歩みは停まった。商いはこの広場で行われるのが常だった。貨幣だけでなく、ごわごわとした皮の横縞模様が土臭い芋や、煮込んだところで葉茎の繊維の固い野菜、豆に干し肉、布地や衣服、香草の粉末や蠟燭や、ざらついた紙の一方の端を紐でくくった簡易な帳面、その他薬や小間物類との物々交換も受けつけられた。つまり、生活に必要なものならほとんど何でも、乳の価 [あたい] となるのだった。とりわけよく識った商店とのあいだでは、品を金高に換算するのが互いに面倒だったので、脈を通じた散漫な交渉でこだわりなしに物は行き交った。乳が捌 [は] けてしまって代わりの荷物が干し草の上に集まっても、ふたりはすぐに帰らなかった。懇意の家に招かれて畑仕事を手伝ったり、干した果実を漬けこんでおいた豊かな風味の液体に売ったばかりの乳を入り混ぜた酒をもらって談笑したり、そのまま一夜を村に捧げて、明けて発つことも多かった。それどころか、近隣の村まで出張って牛の飼育の手ほどきをしたり、得た品物をまた別の品と交換したり、狩りに加わり屠った肉をいくらか分けてもらったりと、二、三日間、自身の住み家を離れることもままあった。それでは三人は、取り残されていたというのか、山の上に、牛たちと、干し草まがいの犬とともに、子どもたちだけ、たった三人で? その通りだった。そして、そうではなかった。峠の道を行き交うひとびとのうちのひとりは、帽子を頭に乗せていた。つばの広い、仕立ての良さそうな帽子だった。こざっぱりとした格好で、片腕に掛けてたずさえている裾の長い薄手の上着は、中身を隅まで取り去りきって腑抜けた布人形のさまだった。ふたりの姿を見つけると、まだ間のあるうちから道端に寄り、早々と帽子を取って鳩尾あたりを覆うようにして支え持ち、直立不動で待ち構え、近くなればそのままふわっと上体を折って過度に上品な一礼をした。交わす会話は、近頃の三人の様子や、勉強の進捗についてだった。この家庭教師が週に一度か二度、一家の住まいを訪れることになっていた。ふたりが出かけている日にあたれば、子どもの世話も仕事となった。たいそう骨の折れる仕事だった。三人はひっきりなしに遊びたがって、教師をからかい、いたずらをしては、騒がしい声でうろつき回ってばかりいた。それを椅子に座らせるまでが一苦労、座ったところでそこに留まらせるのが一苦労、留まったとして教本に顔を向かわせるのが一苦労、お茶をつくってやったり、歯ごたえの固い小粒のお菓子で興味を引いたり、用を足したくなったイリヤに付き添ってやって面倒を見たり、その間に家を出て牛たちのなかに転げ出していたふたりを追って連れ戻したり、三つどころか九つの鍋を同時にまもって灰汁を取り、中身を次々とかき混ぜては火の加減を調えながら回りつづける忙しさだった。教師はたびたび顔の近くに片手を上げた。眉のあたりが痒かったので搔こうと思って持ち上げながら、顔の表面を目の前にして突如記憶を奪われたような中途半端な上げ方だった。指を揃えてぴんと伸ばし切るわけでなく、意識されない自然な形のひらきと曲がりで三人の目を寄せながら、「わたしの言うことをよく聞いてください」と静かに言った。手の効果は短かった。力不足のおなじ手が何度か繰り返されたのち、騒ぐことに疲れると、ようやく三人は勉強に向いた。遊びに飽きれば、学びに興を見出すのだった。紙にじっと目を落としつつ、口を結んで鼻からほのかに息をしているどれもあどけない横顔は、思いのほかに神妙だった。熱心に、時には夢中になるほどの熱中ぶりで文字の書き取りに励みつづけたイリヤはしかし、いつの間にやら瞼を下ろして深くうつむき、顔の角度を定めきれず首から上を前後にふらふらさまよわせていた。すると教師は小さなからだを膝の上へと招いて抱き、あたまをなでたり、両目を片手で隠してやったり涎を拭いてやったりしながら、唄をうたった。古くから山にうたい継がれる唄だった。声素朴にして、節の可憐な唄だった。可憐さのなかでイルとイリリは、数の操作や歴史の襞や、うるわしい天の紋様を知った。
 「おっと」 唄は中断された。「シェシェット! こんなところにいたんですか?」

 午前中は白い曇りで時たま数秒薄陽のもれる程度だったが、正午あたりから晴れてきて、同時に風も騒ぎ出し、ちぎれた雲の青空の透けるカーテンがひろくあかるみとなって、物干し棒の影がその上を襞に合わせて蛇行する。窓をおおきくひらいていれば、カーテンが浮いて隙間がのぞく。風は盛って部屋を揺らし、窓を鳴らし、宙をヒュンヒュンヒュオッヒュオッとかき混ぜている。二重跳びの際耳元をこするあの音が、縦にも横にも行き交うなかに、車の響きや昼寝につけない園児の嗚咽がかさなってくる。
 二時にスーパー行き。薬は一粒しか飲んでいない。アパートを出れば即座に暑い。通りすがりの若い男は半袖を着ている。路地を抜けて渡りながら、こちらもブルゾンの袖をまくって茶を濁す。からっと乾いたアスファルトのなかそこらじゅう、きらめきの粒が散らばっている。横断歩道の白線はあらためて見れば擦過痕で黒ずんでいたり、半端に剝がれて欠けたりしている。豆腐屋の脇から入る細道を取った。左右の家々に植えられた木の緑葉が、葉の先端や曲がりの上にひかりを溜めてみずみずしい。風にふれられ、かがやきと陰と緑の色がこまかく混ざり合う。新緑にせよ花にせよ車のボディにせよ、空き地を覆ったビリジアンのシートにせよ、べつの空き地の土にせよ、あらわれる色がどれもこれもあかるくあざやかの一言で、ちょっと夢想の味が出てくる。(……)通りに入って左折すれば歩道に乗る。くすんだ赤茶のタイルのなかにもきらめきの粒が無数に住まう。頭に乗り頬についてくる熱は夏のそれに近い。ソウルフルスーパー(……)に着く。入れば最初、晴れの昼間に似つかわしい爽やかなやつがながれているが、意外とドラムがこまかく騒いでいたりする。つぎに意識した時には、男性の声がwho will buy who will buyとやたら繰り返していて、これ”Who Will Buy”だなとおもった。聞いたことのある同曲は、Aaron Nevilleのものだけだ。おぼろげなその記憶とは、だいぶ毛色が違っていた。ティッシュとかラップとか小松菜とか、ものを集めて金を払い、退店するころには、女性ボーカルがdon’t stopなんとかかんとかと歌うメロウ風味の爽やかなやつにうつっていた。六〇年代から七〇年代の、古き良きほがらかなソウルの感触。店を去る。横断歩道で少し待つ。縞状につらなる白い帯のいちばん手前の右側から電柱の影が斜めに渡って、先端は対岸の道に踏みこんでいる。こちら側の間近いところに、対角線から生えた分枝がなにかかたまりをぶらさげた絵で映っている。頭上の歩行者用信号の影だった。本体よりもだいぶ小さい。渡って裏に入れば、巨大なミミズの這い進んでいったかのような電線の影が数本へろへろとまっすぐ伸びて、濃淡の別があり、行くあいだにもわずかに揺れて線の中身が薄らいだりする。すばらしい。右側の家から出ている陰は短く、三角形が密に詰まって濃くくっきりと截られている。ちょっとおぼつかないような足取りの、傘を差した小学生がいた。男子。その後ろを行っていると、ああーあー、という声とともに傘がかたむき、それを追って振り向いた顔がのぞいて、セーフ、セーフ、と気抜けたようなつぶやきがもれた。ちょっと笑いながら横にずれて追い抜かす。風は変わらず空は清澄、蒸気風の淡く刷かれた雲の上、半端に割れた卵の殻かかまぼこめいた小片があり、白さは雲と違わないけれど、あれは月だなたぶんとながめた。路地を抜けて渡り、さらに路地を抜けて公園前で左に折れる。あたりの木々がことごとくざわめいて、車が背後から来たかと錯覚し、振り向いてしまうくらいの葉鳴りが続く。チャリが横をすばやく通る。茶髪をうしろで結った、ややラフな格好。前傾した背と腰が少しがっしりしている。もう一台、薄ピンク色の半袖を着た婦人がもっとゆるい速度で続く。それぞれに背を明るませたり戻したり、日なたと日陰を越えていく。ひかりがふれれば背中の皺が多くなる。

 おとといの帰路。(……)駅に着く。リュックサックを背負ってホームに降り、自販機の横をぷらぷら歩いて階段をのぼると、フロアにひとが比較的すくない。すくないうちに抜けてしまうかとトイレに寄らず、改札へ。出ると左折。(……)の前で、頭上から音楽がながれてくる。Leroy Andersonをすこしおもわせるような、あかるく軽い映画音楽みたいな調子。閉店の合図か。駅舎を抜けるとそのまま階段を下り、通りを渡って建物の角を回るともう一本、横断歩道を渡る。前には背の幅に合って細長く四角いようなバッグを背負った高校生がいた。男子。ブレザー姿。歩き方がすこし特徴的。内股気味なのだろうか? 神経質そうな顔つきで、あたりをちょっと見回していた。コンビニのある角から対岸に向かい斜めに渡って南北の道に入りつつ、南へながれる。味気ない道端に差しこまれている植込みの、ピンクのあかるいツツジの花が、雨にやられていくつもこぼれ落ちている。このとき降りはほぼなかった。前から若い女性がぱたぱた走ってくると、路駐していた軽自動車の後部に寄って、あいさつしながら乗りこんでいた。(……)通りに来れば折れて東へ。すでに一〇時、この時刻となればさすがにここでもひとのすがたはすくなくて、対向者との距離がおおきい。そのとき車も途切れていれば、まだけっこう先で定かにも見えないひとの足音、こちらのそれと同様にタイル模様の濡れた歩道をじゅくじゅくいわせるその音が、渡って耳に入ってくる。空は煤や灰のひといろのみ。(……)通りとのおおきな交差点に至る。横断歩道に止められる。直立不動で時を待つ。巨大で長たらしいコンテナのトラックが二、三、目の前を横に、騒がしく過ぎていく。向かいの道からバスと軽自動車が来て止まる。二つ目のライト本体よりも、路面に反映しているほうの白さがつよい。溜まりになるほど雨のなごりは厚くない。もう少し駅に近いほうでも、タイヤがこすっていったところだけ黒く塗られてすじとなり、信号の赤青をあいまいに分割しながら斜めに映しながしていた。バスのほうを見ているうちに信号が青に変わっていた。このあたりで雨粒の感触がはじまっていて、けれどまだまだ傘をひらくほどでない、非常にこまかなそれだった。病院敷地の脇にならんだ街路樹は枝葉を重くして、顔に当たりそうな位置まで下がってきているものもままある。葉の先端のかすかな尖りに、しずくともいえないほどの水のはみ出しを、通り過ぎざま目にした気がして、そのあと葉っぱがあたまに近づくたびいちいち探したが、ゆるい風が出ていて、枝ぶりはどれも悠長なように振れていた。病院を越えて工事中の空き地の縁に来たころには、雨が微妙に増していて、いずれ赤子のかそけさだけれど数を増やして詰まったらしい。臙脂の色のセーターの胸に塩の粒がきらめいている。踏切りで止まる。客のすくない電車が右から高速で横切るそのあいだ、昆虫の目に似た上下交代の赤色灯が、車体にうつって溶けながらまもなく消え去りひとつに戻る。南下が続く。傘を差す。お好み焼き屋の前にひと。男性。老人に見えたが、近づけばまだ若いようだった。なかから出てきた女性を待って、こちらの後ろを歩き出す。コンビニまで来るとあちらは店のほうにながれた。駐車場に入らず縁を回っていけば、店舗のきわをまっすぐに来たそのふたりが前方にあらわれて、今度は追うほうとなった。傘はひとつ。雨風がやたらと強かった日のことを話しているようだった。台風じゃなくて、大嵐だったよね、と。離れていくうしろ姿をやや注視する。男性は黄色とオレンジのあいだのような、柑橘じみた色のジャンパー。女性のほうは薄青い、デニム生地かもという感触の薄手の上着。脚はシルエットでしかない。女は細く、あいだに隙間がはさまっているが、男のほうは波打ってほとんど潰されきっている。渡って裏へ。黒傘の裏側を見上げると、街灯が近いあいだは光る砂粒にまみれたような表の面が容易に透けて、にぎにぎしい宇宙空間のおもむきだった。

 さいきん聞いているのは、

  • Bill Evans Trio『Jade Visions』
  • Thelonious Monk『Solo Monk』
  • säje『säje』
  • Leroy Anderson『Blue Tango and Other Favourites』
  • Pat Metheny『Unity Band』
  • Marian Anderson『Marian Anderson Sings Great Spirituals』
  • The Stone Roses『The Stone Roses』『Second Coming』
  • The Beatles『Please Please Me』『With The Beatles』
  • 陰陽座『陰陽雷舞』
  • Basiani Ensemble『Georgian Polyphony Singing (2010-2019) [Live Recordings]』
  • じぶんのギター: 60, 61, 65, 69, 72, 73

 実家の居間にはソファがある。ベランダに続く西窓と外が宙である逆側の窓を結び、南窓から北へまっすぐ線を引いたと仮定して、ちょうどその交差部あたりに炬燵テーブルが置かれている。ソファはその横、ベランダ側に置いてある。テーブルの長辺を左右とも少しはみ出すくらいの大きさだ。母親がここに座ることは少ない。と思ったが、夜、父親が寝室に下りて以降のひとりの時間には、腰掛けるというよりも、身を縮めてもたれかかるようになりながらこの上に乗っているのを、白湯を注ぎに上がったときなど見かける気がする。見ているのかいないのかよくわからないテレビがたいてい、点いている。食卓の椅子に座っていることもよくある気がする。父親がソファに座ることも少ない。両親はふたりとも、夕食の際にはソファではなく、炬燵テーブルとのあいだの隙間に座布団を置いて尻を乗せる。大体において朝の九時頃、父親は朝食を済ませたあとに新聞をゆっくりと読んでいるらしい。いつまでもだらだら読んでて、あんなにじっくり読まなくてもいいのに、と母親が文句を垂れているのを聞いたことがある。そのとき父親はソファに腰掛け、テーブル上に新聞を広げて前かがみになり、時には片肘を膝の上につきその手で顎を支えながら、読んでいる。そのソファの下に、円形の体重計がしまわれてある。たぶんオムロンのやつだったと思う。今日の出勤前、午後五時に至る直前に、それを引き出して乗ってみたところ、五一キロちょうどだった。このあいだ人生ではじめて四〇キロ台まで落ちてしまったが、そこからはひとまず脱出した。職場では最近もっぱら、臙脂色のタートルネックセーターを着ている。塾の先生をやっていそうな格好だとじぶんで思う。先月あたりはジャケットを羽織っていたけれど、もはやその時季でなし、いまはブルゾンを上着にまとって仕事のあいだはそれを脱ぐので、上はセーターだけになる。するとずいぶんと細く貧弱に見える。身長はちょうど一七五センチくらいである。野球部の中高生だったら、このひとなら喧嘩しても勝てるな、と思うだろう。

 いま四時四五分だ。きょうはやたらとはやく目覚めて、七時ごろには床を離れてレトルトカレーを食ったのだけれど、食後の習慣となっているスワイショウをしたあとぐったりしてしまい、布団をもう一度敷き延べて休んでいるうちに意識もいくらか曖昧化した。そうして一時をむかえた。スワイショウのおともには『With The Beatles』を聞いたり、じぶんのギター演奏を聞いたりした。『With The Beatles』はとてもいい。
 二食目を取ったあとにまた体操して、湯を浴び、スーパーに行ってきた。肌着の黒シャツのうえにもう表面のひろい範囲がごわごわと毛羽立っているブルゾンを羽織り、したはオレンジ色の八分丈くらいのズボン。これももういくらか気の抜けたような色合いになっている。室を出る。おとといの帰宅時以来、そとの壁の簡易物入れに引っ掛けたままだった傘をたたんでなかにしまう。傘は入ってすぐ右の靴箱の扉をちょっとひらいたうえに掛けている。四つもある。このときしまった大きめの黒傘は実家を発つときに借りてきたものだ。靴箱はワンルームの部屋としてはどうかんがえても不要なほどにおおきく、段の数も多くて、事実上、半端でつかいにくい収納部と化している。雑巾とか、段ボールを縛るのにつかうビニール紐とか、もろもろを入れている。
 階段を下って簡易ポストを開けてみると、茶封筒が入っている。SUNTORYの文字があり、健康についてのアンケートに答えれば人気商品一か月分をお試しできる(抽選で一万人)とのことだった。帰宅後、開封せずにチラシ用の紙袋に入れておいた。道に出て、すぐ右の路地の終わりを抜け、車を見送ってから向かいに渡る。先般、そこにある数台分の駐車スペースと一軒の境をなしているカナメモチの垣根が真っ赤に染まり尽くしているのに目を見張ったところだが、その葉がもう赤さをほぼうしなって、青リンゴみたいにひかえめな緑にながれていたのでおどろいた。西を向いて歩く。前方に停まっているワゴン車の、ボンネットと屋根の縁にそれぞれ白光がかたまりなして放散しており、むやみにまぶしい。すでに四時だが西空に陽は高い。かがやきの周辺、ある程度までの範囲は薄白く染まっていて、雲がなじんでいるようにしかみえないのだが、四囲に首をふれば瑕疵のない水色が行き渡っていて雲のひとかけらもない。通りを渡って豆腐屋の前で歩道に乗り、横にながれてH通りに折れる。公園の濃緑があまりにも充実している。行きながら何度もそちらに顔を向けて目をやってしまう。上下の段層になった葉のつらなりがすごい。背景は一面まろやかな青さだが、飛行機雲の消え残りが一本、錯覚じみている。見ているのは道の向かいからである。公園敷地の範囲を過ぎるころ、風が出て、葉鳴りがはじまったので足もとに目を落としながら耳を寄せ、それから顔を上げて首を右にやり、こずえがうねっているのを見上げた。小学校の校庭周りでも草ぐさがすこし騒いでいて、低い部分には光点をやや溜めてゆらしているものもあり、その向こうの敷地内はよくもみえないが遊具かサッカーゴールかの棒らしきものが草よりもつよく白さをまとってきらめきを見せて隠してする。HA通り。左折して歩道を推移する。横断歩道が青だったが、無為の足になっていて急ぐのが面倒だったので、ちょうど赤に変わったあたりで白線のまえに立ち止まり、ボタンを押した。立ち尽くす。通りの左右にイチョウの木の葉叢が、これもまたあまりにもみどりしていて密度がすごく、いちばん手近の一本をみれば陽をかけられてあかるんだ箇所がまだしも弱くは映って、陰との境も明瞭なのでおとなしいところ、少し離れた木々はどれもひといろの纏いでつよく鮮やかに斉一である。見ているうちに信号が青になったので渡って入店。店のそとにチャリが多く、入ったときにもひとの印象がそこそこ密でちょっと気後れを感じたが、回ってみればじっさいそれほどでもなかった。BGMはさいしょ、アシッドジャズみたいなクールでいかしたやつで、なにか有名なやつじゃなかったかというメロディを聞いたがわからない。そのあと爽やかなメロウさの曲にながれていて好感触だ。ものを買って整理して出る。通りを渡ってすぐ裏へ。足は無為のそれだが腹や胸や右の手首のあたりが少し痛んだ。ゴールデンウィークで蓄積された疲労やダメージがいまだにあとを引いているような印象だ。道が細くなるあたりで風が来た。日陰で盛ってもまったく冷たさがない。このあたりの一軒にベルのたぐいがいくつか取りつけられているようで、風があればリンラン鳴るのだけれど、その響きがなかなか倍音豊かで精妙なかさなりになっており素敵だ。細道の右側に、蔓でつながれた葉を壁にはびこらせた一宅がある。見える限りでは全方をなかば以上包むような具合で旺盛にはびこっており、窓だったか門だったかの木格子が赤茶けているのを見ても、たぶん空き家なのだろう。壁は薄青い。その葉っぱの厚くなっている一帯が風にふれられてぱたぱたちいさく煽られており、ああこういう風景があったのかとおもった。建設中や改修中の家やビルの周りがシートで覆われていることがある。あれが風を受けると襞を生みなして、時々のリズムと範囲でふくらんだり抑えられたり、宙に縦向きの波をえがく。あの風景がたまらなく好きだ。見ていてほとんど恍惚めくときがある。波打ちが少しもないということは稀だから、まったく停まっていれば停まっているでそれもいい。このときの葉っぱのゆらぎはその風景に通じるところが少しあった。小さな犬の散歩をしているひとがいる。先んじた若い女性は一匹、あとから来る婦人は二匹だか連れていて、たぶん親子だろう。そこが裏道の出口で、横にはさまった車道を左右に会釈しながら渡ってふたたび裏に入り、まっすぐ抜ければ公園で、入り口の傾斜を利用して女児数人がスケボーに興じている。チャリで出てきた子もいる。ひとりはまだだいぶ幼くて、よく見なかったが補助輪付きだったかもしれない。父親がうしろについて補助をしながら、こちらの前方を進んでいく。もうひとり、水色のシャツを着た女の子がその右を合わせるようにゆっくりと漕いで行く。たぶん家族だったんだろうがよくわからない。女の子の背を見ていると、家々の途切れで陽が射しているところにかかって後ろ姿があかるんだ、と同時にじぶんもちょうどべつの途切れに入っていて視界もあかるみ顔の左側にぬくもりがあらわれた。すぐなくなる。女児の背ももとに戻る。じきにまた薄あかるむ。こちらは日陰のなかにいる。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を喚び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、蜂蜜など、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気に、どこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、という抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。さながら他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしている布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の奇怪な生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊り呆けているうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。道は砂であり、赤土であり、浅い下生えの断続だった。いずれにせよ、いくつもの、いくつもの足によって踏み慣らされ、切りひらかれた地面だった。花は車輪に踏み潰された。それは、よける余裕のないときに限られた。多くの場合、花は車の下をうまくくぐって通り抜けるか、せいぜい花びらの先端を荷台の裏にすりつけてくにゃりと撓めるくらいだった。丈高な木々の図太い幹が左右にいつまでもついてくる、ひとすじの柱廊めいた道があった。枝はすべて、見上げる視線の先にひろがり、ひとの足から頭の範囲は、火照ったからだの存在を告げる風の生まれるための場だった。木々の根もとの下草のなかにうす青い花が群生していた。親指の腹をはみ出すくらいの大きさで、よどんだ日暮れに残照の消えた直後の雲と似通う青さに、白と黄色の曖昧な線を差しこんでいる花だった。木叢は道まで迫り出しながら虫の甲殻をおもわせる暗緑色の硬さをさらし、木もれ陽のつくる影の水面 [みなも] の濃淡は、かたちなきもののまぐわいのごとく、靴の周囲を頻りにあそんだ。見事な花を見つけたならば、ふたりは道々、繊細な手つきで、躊躇なくやすやすと茎から手折って干し草の上に飾りを添えた。朝方に蟻が入りこんだら夜までさまよいつづけることもできそうな、幾重にも折りかさなった花弁をたばねて仰々しくも肉厚な花、煮立った鍋に細くそそがれた鶏卵のやわいまとまりじみてとらえどころなくしなやかな花、例えばそういうものだった。色は? 紅や黄色、青や桃色、果ては白まで、何でもよかった。ゆるやかな下りの道に差しかかるころ、あたりは岩場めいてきて、踏まれる砂粒は蕭寥とした響きを発し、横から下から照り返す熱がこめかみや唇の上をくすぐった。湖は巨大だった。のみならず、墜落してきた太陽をすっぽり丸ごと呑めそうなほど、ひろく深く澄んでいた。その水もいまは、了解しがたい容易 [たやす] さではるかな光を受けがって、おもてを剝がされ顕わとなった空間自体の地色のように、さざなみしながらきらめきつづけるばかりだった。すれ違うひとびとはみな、「こんにちは」と挨拶を交わした。帽子を被っていれば、指先でつばをちょっとつまんだり、あたまを手のひらで押さえたり、そのまま片手に取って腰骨の横に据えたりしながら、会釈やお辞儀を送り合った。見知った顔に出くわしたなら、ふたりは丁寧に、かつ快活に挨拶をして、休憩がてらそこらの石に腰掛けてかるく話をすることがあった。作物の出来や牛の体調、ここ数日の天気についてや星々のめぐり、村で起こった由無し事など、他愛のない話だった。知人のひとりに、三、四層の楕円模様がぎょろりと睥睨する目のような、真っ赤に染まった鳥類の羽根を帽子の片方 [かたえ] に貼りつけている者がいた。どこともさだかに言うことのできない、足と素肌に刻みこまれた歩みの声だけがそうと告げる二、三の地点が山中にあった。際限を知らず渦巻きながらなだれていくかの山並みの先に、谷間のながれがはっきりと細くのぞいて見える場所だった。巨人の両手でこじ開けられた裂傷と紛うその水は、周囲の緑を吸収できずただひたむきに青白く、下っているというよりは、逆 [さか] 向きになった重力のもとを昇ってたずねていくかのごとく、ほとんど停まっているとも映った。散らばる囀りの背景へと、かすかな響きが渡っていた。村まであとどのくらいなのか? 村からもう、どのくらいなのか? 村の中央をつらぬき通る坂道は互い違いの石敷きで、ひとびとの靴や車輪はもちろん、牛馬の蹄に踏まれたときには、ことさらに硬く小気味よい音が火花のように撒かれて消えた。左右にいくつも分かれて伸びる砂と小石の細道沿いに村人たちの住まいがあった。坂の敷石が割れたり欠けたり、あまりに磨り減ったりしたときは、どの村にもひとりふたりは住み着いている腰の頑健そうな石職人がすぐさま補修に働き出した。民家の合間を果実の緑樹や、傾いた納屋や家畜小屋、貧寒な畝の畑が占めて、家禽は色濃く濁った土を我が物顔でほっつき歩き、野生の小鳥と一緒になって葉物の端を突っついていた。屋根の種類は乏しかった。もしも雲の縁から見下ろすことができたとすれば、段をなして雑多にならんだこの屋根、この道、このひとびとは、山の一隅に時ならず湧いた甚大な黴の群れだったろう。増えることなく、じつにしぶとく、居残り続ける黴だった。村の一方の入り口は、見上げた者のうなじを潰して喉を目一杯引っ張りあげる断崖のもとにひらかれてあり、老いさらばえた山羊の太髭をつなげて陽に当て萎ませたような、不規則に橙がかった白さの蔦が壁のあちこちにはびこっていた。その脇を抜けてくる坂の途中にふたりの姿があらわれて、荷車とともにゆっくりゆっくり、徐々に大きくなっていった。村に入ったふたりは、近間の家々に声をかけたり、坂に面した商店から来る歓迎の声に手をあげたり、時には立ち話のため時間と道草をいっぺんに食って興じつつ、子どもや鶏に注意しながら石敷きの道を下っていった。剛の狩人に力の限り引きしぼられた長弓めいて坂の終わりは大きく曲がりこんでおり、砂地に復してしばらくのちに次の森へと通じていた。出口の手前で横にひらいたわずかな傾斜の木下道をたどっていき、台地状に盛り上がった見晴らしの良い一角に来ると、車とふたりの歩みは停まった。商いはこの広場で行われるのが常だった。貨幣だけでなく、ごわごわとした皮の横縞模様が土臭い芋や、煮込んだところで葉茎の繊維の固い野菜、豆に干し肉、布地や衣服、香草の粉末や蠟燭や、ざらついた紙の一方の端を紐でくくった簡易な帳面、その他薬や小間物類との物々交換も受けつけられた。つまり、生活に必要なものならほとんど何でも、乳の価 [あたい] となるのだった。とりわけよく識った商店とのあいだでは、品を金高に換算するのが互いに面倒だったので、脈を通じた散漫な交渉でこだわりなしに物は行き交った。乳が捌 [は] けてしまって代わりの荷物が干し草の上に集まっても、ふたりはすぐに帰らなかった。懇意の家に招かれて畑仕事を手伝ったり、干した果実を漬けこんでおいた豊かな風味の液体に売ったばかりの乳を入り混ぜた酒をもらって談笑したり、そのまま一夜を村に捧げて、明けて発つことも多かった。それどころか、近隣の村まで出張って牛の飼育の手ほどきをしたり、得た品物をまた別の品と交換したり、狩りに加わり屠った肉をいくらか分けてもらったりと、二、三日間、自身の住み家を離れることもままあった。それでは三人は、取り残されていたというのか、山の上に、牛たちと、干し草まがいの犬とともに、子どもたちだけ、たった三人で? その通りだった。そして、そうではなかった。峠の道ですれ違うひとびとのなかにひとり、帽子を被った者がいた。つばの広い、仕立ての良さそうな帽子だった。こざっぱりとした格好で、片腕に掛けてたずさえている裾の長い薄手の上着は、中身を隅まで取り去りきって腑抜けた布人形のようだった。ふたりの姿を見つけると、まだ距離のあるうちから道端に寄り、早々と帽子を取って鳩尾のあたりを覆うようにして支え持ち、直立不動で待ち構え、近くなればそのままふわっと上体を折って過度に上品な一礼をした。交わす会話は、近頃の三人の様子や、勉強の進捗についてだった。この家庭教師が週に一度か二度、一家の住まいを訪れることになっていた。ふたりが出かけている日にあたれば、子どもの世話も仕事となった。骨の折れる仕事だった。三人はひっきりなしに遊びたがって、教師をからかい、いたずらをしては、騒がしい声でうろつき回ってばかりいた。それを椅子に座らせるまでが一苦労、座ったところでそこに留まらせるのが一苦労、留まったとして教本と向かい合わせるのが一苦労、お茶をつくってやったり、歯ごたえの固い小粒のお菓子で気を引いたり、用を足したくなったイリヤに付き添って面倒を見たり、その間に家を出て牛たちのなかに駆け出していったふたりを追って連れ戻したりと、三つどころか九つの鍋を同時にまもって灰汁を取り、次々とかき混ぜては火加減を調えつづける忙しさだった。教師はたびたび顔の近くに片手を上げた。指を揃えてぴんと伸ばし切るわけでなく、意識されない自然な形のひらきと曲がりで三人の目を集めながら、「わたしの言うことをよく聞いてください」と言った。手の効果は短かった。力不足のおなじ手が何度か繰り返されたのち、騒ぐことに疲れると、ようやく三人は勉強に向いた。遊びに飽きれば、学びに興を見出すのだった。紙にじっと向かい合いつつ口を結んで目を伏せている三つのあどけない横顔は、思いのほかに神妙だった。熱心に、時には夢中になるほどの熱中ぶりで文字の書き取りに励みつづけたイリヤの顔はしかし、いつの間にやら深く傾き、首の角度を定めきれず前後にふらふらさまよっていた。すると教師は小さなからだを膝の上に招いて抱き、あたまをなでたり、両目と額を片手で隠してやったりしながら唄をうたった。古くから山にうたい継がれる唄だった。声素朴にして、可憐な唄だった。可憐さのなかでイルとイリリは、数の操作や歴史の襞や、うつくしい天の紋様を知った。
 「おっと」 唄は中断された。「シェシェット! こんなところにいたんですか?」

 いままでに一度か二度、書いたことがあると思う。大学のとき、美とはどういうものか、みたいな題目の講義を取っていた。美学、ということばは講義名に入っていなかった。内容としても、そのような概念的なものではなく、もっと身近な例を取り上げて、それを手がかりにかんがえていこうというおもむきだった。たとえば、スポーツ選手のいわゆる「ゾーンに入った」状態や、それについて選手自身が語っている本なんかを助けとしていたおぼえがある。アカデミックというより、徒手空拳の感がつよかったように思う。講義としてはあまり明快なものではなかった気がするが、それは講師も解をもっていなかったからだろう。女性だった。近くで見たわけでないが、少し背が高く、四〇代くらいだったと思う。黒い長髪を、はなすあいだにたびたび前髪から頭頂まで大きくかきあげていた、そんな仕草の像があたまの内にのこっている。
 そこにゲストとして、深町純が来たことがあった。講師の知り合いだったらしい。キーボードで即興演奏を披露した。講義は比較的小規模な文学部キャンパスのものではなく、本キャンパスの区分だったもので、階段状になっている座席群の底に舞台じみた一角とスクリーンのある室も広かった。生徒のひとりか複数人を呼んで、音を選ばせ、かんたんなメロディをこしらえた。ドミソラ、程度のものだ。それをモチーフに終始保持しながら、さまざまなバリエーションを展開して即興するという趣向だった。
 その回の終了後、室を出ると廊下の端に深町純がいたので声をかけ、ちょっとはなしを聞いた。小柄な老人だった。コードとかスケールはかんがえるのかと聞くと、まったくかんがえない、という答えがあった。くわえていくらかことばを足してくれたが、その内容はわすれてしまった。眼目は、そういったものに則ったアドリブとは違うやりかたの即興だ、ということだったと思う。
 ミスをしないというのは良くない、ミスをしなかったということは、挑戦をしなかったということだ、ということばも、たしかこのとき、深町純の口から聞いたものだったと思う。廊下での会話のなかではなく、講義中に言っていたはずだ。
 武道のほうなんかで、守破離という考え方がある。まず型を守り、じきに破り、さらに離れていくと。知識は身につけたあとでわすれなければならない、というたぐいのアフォリズムも目にする。unlearn、ということばもある。読んだことはないが、大江健三郎がなにかのエッセイで取り上げているのではなかったか。
 そのような考えをじぶんなりに言いかえてみると、こうなる。たとえば、ペンタトニックスケールを、あるいはペンタトニックスケールに沿って、弾くのではない。弾いたら、結果として、ペンタトニックスケールを構成する音群になっていた。そんなふうに弾けるのが即興ということじゃないか。

 ギター60(https://note.com/diary20210704/n/n832f6932bcb4?magazine_key=m1a3ae8f71705
 61(https://note.com/diary20210704/n/n2a8a7c07b0a2?magazine_key=m1a3ae8f71705
 62(https://note.com/diary20210704/n/n74a82b30df58?magazine_key=m1a3ae8f71705
 63(https://note.com/diary20210704/n/n5e480231b2ed?magazine_key=m1a3ae8f71705
 64(https://note.com/diary20210704/n/n4bfebbff1eec?magazine_key=m1a3ae8f71705
 65(https://note.com/diary20210704/n/n066ffbea8652?magazine_key=m1a3ae8f71705
 66(https://note.com/diary20210704/n/n87529c574542?magazine_key=m1a3ae8f71705
 67(https://note.com/diary20210704/n/n068f72272767?magazine_key=m1a3ae8f71705
 68(https://note.com/diary20210704/n/nbf9aa2ec52a3?magazine_key=m1a3ae8f71705
 69(https://note.com/diary20210704/n/nb65e7a10036e?magazine_key=m1a3ae8f71705
 70(https://note.com/diary20210704/n/n3dd747a03d9d?magazine_key=m1a3ae8f71705
 71(https://note.com/diary20210704/n/nd8e43c46cfca?magazine_key=m1a3ae8f71705

 きのうはA家に遊びに行って夕飯をごちそうになってきた。考えることは色々とある。
 きのうは曇りだったが明けてきょうは暑い晴れ、大気に熱のこもった初夏の気候で、日曜とあって窓外の道を自転車が多く通ったけれど、そのとき断片的に落とされていく声の響き方すら、乾燥のためか何か違っているようだった。シーツを洗ったり布団を干したり。陽が落ちてから所用でコンビニに行ったりポストに行ったりするあいだ、風がとにかく気持ちいい。
 あしたから実家行き。あさって医者に行き、五月二から四で兄夫婦が来るようなのでそこも留まり、来月はじめは六、八ではたらくので、加えてそれまで滞在する。帰ってくるのは八日の勤務後になるはずだ。ここまで長い滞在となると、さすがにパソコンを持っていくかと迷うのだけれど、実家ではパソコンなしというルールをまだ守っておくことにする。一一日が読書会なので、連休中に『ハドリアヌス帝の回想』も読み進めなければならないのだ。何か書きたくなった場合は、ルーズリーフに手書きでやっておこうと思う。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を喚び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、蜂蜜など、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。さながら他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしている布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の奇怪な生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊り呆けているうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。道は砂であり、赤土であり、浅い下生えの断続だった。いずれにせよ、いくつもの、いくつもの足によって踏み慣らされ、切りひらかれた地面だった。花は車輪に踏み潰された。それは、よける余裕のないときに限られた。多くの場合、花は車の下をうまくくぐって通り抜けるか、せいぜい花びらの先端を荷台の裏にすりつけてくにゃりと撓めるくらいだった。丈高な木々の図太い幹が左右にいつまでもついてくる、ひとすじの柱廊めいた道があった。枝はすべて、見上げる視線の先にひろがり、ひとの足から頭の範囲は、火照ったからだの存在を告げる風の生まれるための場だった。木々の根もとの下草のなかにうす青い花が群生していた。親指の腹をはみ出すくらいの大きさで、よどんだ日暮れに残照の消えた直後の雲と似通う青さに、白と黄色の曖昧な線を差しこんでいる花だった。木叢は道まで迫り出しながら虫の甲殻をおもわせる暗緑色の硬さをさらし、木もれ陽のつくる影の水面 [みなも] の濃淡は、かたちなきもののまぐわいのごとく、靴の周囲を頻りにあそんだ。見事な花を見つけたならば、ふたりは道々、繊細な手つきで、躊躇なくやすやすと茎から手折って干し草の上に飾りを添えた。朝方に蟻が入りこんだら夜までさまよいつづけることもできそうな、幾重にも折りかさなった花弁をたばねて仰々しくも肉厚な花、煮立った鍋に細くそそがれた鶏卵のやわいまとまりじみてとらえどころなくしなやかな花、例えばそういうものだった。色は? 紅や黄色、青や桃色、果ては白まで、何でもよかった。ゆるやかな下りの道に差しかかるころ、あたりは岩場めいてきて、踏まれる砂粒は荒涼とした響きを発し、横から下から照り返す熱がこめかみや唇の上をくすぐった。湖は巨大だった。のみならず、墜落してきた太陽をすっぽり丸ごと呑めそうなほど、ひろく深く澄んでいた。その水もいまは、了解しがたい容易 [たやす] さではるかな光を受けがって、おもてを剝がされ顕わとなった空間自体の地色のように、さざなみしながらきらめきつづけるばかりだった。すれ違うひとびとはみな、「こんにちは」と挨拶を交わした。帽子を被っていれば、指先でつばをちょっとつまんだり、あたまを手のひらで押さえたり、そのまま片手に取って腰骨の横に据えたりしながら、会釈やお辞儀を送り合った。見知った顔に出くわしたなら、ふたりは丁寧に、かつ快活に挨拶をして、休憩がてらそこらの石に腰掛けてかるく話をすることがあった。作物の出来や牛の体調、ここ数日の天気についてや星々のめぐり、村で起こった由無し事など、他愛のない話だった。知人のひとりに、三、四層の楕円模様がぎょろりと睥睨する目のような、真っ赤に染め抜かれた鳥類の羽根を帽子の片方 [かたえ] に貼りつけている者がいた。どこともさだかに言うことのできない、足と素肌に刻みこまれた歩みの声だけがそうと告げる二、三の地点が山中にあった。際限を知らず渦を巻くかの山並みの先に、谷間のながれがはっきりと細くのぞいて見える場所だった。巨人の両手でこじ開けられた裂傷と紛うその水は、周囲の緑を吸収できずただひたむきに青白く、下っているというよりは、逆 [さか] 向きになった重力のもとを昇ってたずねていくかのごとく、ほとんど停まっているとも映った。散らばる囀りの背景へと、かすかな響きが渡っていた。村まであと、どのくらいなのか? 村からもう、どのくらいなのか? 村の中央をつらぬき通る坂道は互い違いの石敷きで、ひとびとの靴や車輪はもちろん、牛馬の蹄に踏まれたときには、ことさらに硬く小気味よい音が火花のように撒かれて消えた。左右にいくつも分かれて伸びる砂と小石の細道沿いに村人たちの住まいがあった。坂の敷石が割れたり欠けたり、あまりに磨り減ったりしたときは、どの村にもひとりふたりは住み着いている腰の頑健そうな石職人がすぐさま補修に働き出した。民家の合間を果実の緑樹や、傾いた納屋や家畜小屋、貧寒な畝の畑が占めて、家禽は色濃く濁った土を我が物顔でほっつき歩き、野生の小鳥と一緒になって葉物の端を突っついていた。屋根の種類は乏しかった。もしも雲の縁から見下ろすことができたとすれば、段をなして雑多にならんだこの屋根、この道、このひとびとは、山の一隅に時ならず湧いた甚大な黴の群れだったろう。増えることなく、じつにしぶとく、居残り続ける黴だった。村の一方の入り口は、見上げた者のうなじを潰して喉を目一杯引っ張りあげる断崖のもとにひらかれてあり、老いさらばえた山羊の太髭をつなげて陽に当て萎ませたような、不規則に橙がかった白さの蔦が壁のあちこちにはびこっていた。その脇を抜けてくる坂の途中にふたりの姿があらわれて、荷車とともにゆっくりゆっくり、徐々に大きくなっていった。村に入ったふたりは、近間の家々に声をかけたり、坂に面した商店から来る歓迎の声に手をあげたり、時には立ち話のため時間と道草をいっぺんに食って興じつつ、子どもや鶏に注意しながら石敷きの道を下っていった。剛の狩人に力の限り引きしぼられた長弓めいて坂の終わりは大きく曲がりこんでおり、砂地に復してしばらくのちに次の森へと通じていた。出口の手前で横にひらいたわずかな傾斜の木下道をたどっていき、台地状に盛り上がった見晴らしの良い一角に来ると、ふたりと車の歩みは停まった。商いはこの広場で行われるのが常だった。貨幣だけでなく、ごわごわとした皮の横縞模様が土臭い芋や、煮込んだところで葉茎の繊維の固い野菜、豆に干し肉、布地や衣服、香草の粉末や蠟燭や、ざらついた紙の一方の端を紐でくくった簡易な帳面、その他薬や小間物類との物々交換も受けつけられた。つまり、生活に必要なものならほとんど何でも、乳の価 [あたい] となるのだった。とりわけよく知った商店とのあいだでは、品を金高に換算するのが互いに面倒だったので、脈を通じた散漫な交渉でこだわりなしに物は行き交った。乳が捌 [は] けてしまって代わりの荷物が干し草の上に集まっても、ふたりはすぐに帰らなかった。懇意の家に招かれて畑仕事を手伝ったり、干した果実を漬けこんでおいた豊かな風味の液体に売ったばかりの乳を混ぜこんだ酒をもらって談笑したり、そのまま一夜を村に捧げて、明けて発つことも多かった。それどころか、近隣の村まで出張って牛の飼育の手ほどきをしたり、得た品物をまた別の品と交換したり、狩りに加わり屠った肉をいくらか分けてもらったりと、二、三日間、自身の住み家を離れることもままあった。それでは三人は、取り残されていたというのか、山の上に、牛たちと、干し草まがいの犬とともに、子どもたちだけ、たった三人で? その通りだった。そして、そうではなかった。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を喚び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、箒など、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。さながら他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしている布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の奇怪な生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊り呆けているうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。道は砂であり、赤土であり、浅い下生えの断続だった。いずれにせよ、いくつもの、いくつもの足によって踏み慣らされ、切りひらかれた地面だった。花は車輪に踏み潰された。それは、よける余裕のないときに限られた。多くの場合、花は車の下をうまくくぐって通り抜けるか、せいぜい花びらの先端を荷台の裏にすりつけてくにゃりと撓めるくらいだった。丈高な木々の図太い幹が左右にいつまでもついてくる、ひとすじの柱廊めいた道があった。枝はすべて、見上げる視線の先にひろがり、ひとの足から頭の範囲は、火照ったからだの存在を告げる風の生まれるための場だった。木々の根もとの下草のなかにうす青い花が群生していた。親指の腹をはみ出すくらいの大きさで、よどんだ日暮れに残照の消えた直後の雲と似通う青さに、白と黄色の曖昧な線を差しこんでいる花だった。木叢は道まで迫り出しながら虫の甲殻をおもわせる暗緑色の硬さをさらし、木もれ陽のつくる影の水面 [みなも] の濃淡は、かたちなきもののまぐわいのごとく、靴の周囲を頻りにあそんだ。見事な花を見つけたならば、ふたりは道々、繊細な手つきで、躊躇なくやすやすと茎から手折って干し草の上に飾りを添えた。朝方に蟻が入りこんだら夜までさまよいつづけることもできそうな、幾重にも折りかさなった花弁をたばねて仰々しくも肉厚な花、煮立った鍋に細くそそがれた鶏卵のやわいまとまりじみてとらえどころなくしなやかな花、例えばそういうものだった。色は? 紅や黄色、青や桃色、果ては白まで、何でもよかった。ゆるやかな下りの道に差しかかるころ、あたりは岩場めいてきて、踏まれる砂粒は荒涼とした響きを発し、横から下から照り返す熱がこめかみや唇の上をくすぐった。湖は巨大だった。のみならず、墜落してきた太陽をすっぽり丸ごと呑めそうなほど、ひろく深く澄んでいた。その水もいまは、了解しがたい容易 [たやす] さではるかな光を受けがって、おもてを剝がされ顕わとなった空間自体の地色のように、さざなみしながらきらめきつづけるばかりだった。すれ違うひとびとはみな、「こんにちは」と挨拶を交わした。帽子を被っていれば、指先でつばをちょっとつまんだり、あたまを手のひらで押さえたり、そのまま片手に取って腰骨の横に据えたりしながら、会釈やお辞儀を送り合った。見知った顔に出くわしたなら、ふたりは丁寧に、かつ快活に挨拶をして、休憩がてらそこらの石に腰掛けてかるく話をすることがあった。作物の出来や牛の体調、ここ数日の天気についてや星々のめぐり、村で起こった由無し事など、他愛のない話だった。知人のひとりに、三、四層の楕円模様がぎょろりと睥睨する目のような、真っ赤に染め抜かれた鳥類の羽根を帽子の片方 [かたえ] に貼りつけている者がいた。どこともさだかに言うことのできない、足と素肌に刻みこまれた歩みの声だけがそうと告げる二、三の地点が山中にあった。際限を知らず渦を巻くかの山並みの先に、谷間のながれがはっきりと細くのぞいて見える場所だった。巨人の両手でこじ開けられた裂傷と紛うその水は、周囲の緑を吸収できずただひたむきに青白く、下っているというよりは、逆 [さか] 向きになった重力のもとを昇ってたずねていくかのごとく、ほとんど停まっているとも映った。散らばる囀りの背景へと、かすかな響きが渡っていた。村まであと、どのくらいなのか? 村からもう、どのくらいなのか? 村の中央をつらぬき通る坂道は互い違いの石敷きで、ひとびとの靴や車輪はもちろん、牛馬の蹄に踏まれたときには、ことさらに硬く小気味よい音が火花のように撒かれて消えた。左右にいくつも分かれて伸びる砂と小石の細道沿いに村人たちの住まいがあった。坂の敷石が割れたり欠けたり、あまりに磨り減ったりしたときは、どの村にもひとりふたりは住み着いている腰の頑健そうな石職人がすぐさま補修に働き出した。民家の合間を果実の緑樹や、傾いた納屋や家畜小屋、貧寒な畝の畑が占めて、家禽は色濃く濁った土を我が物顔でほっつき歩き、野生の小鳥と一緒になって葉物の端を突っついていた。屋根の種類は乏しかった。もしも雲の縁から見下ろすことができたとすれば、段をなして雑多にならんだこの屋根、この道、このひとびとは、山の一隅に時ならず湧いた巨大な黴の群れだったろう。じつにしぶとく、居残り続ける黴だった。村の一方の入り口は、見上げた者のうなじを潰して喉を目一杯引っ張りあげる断崖のもとにひらかれてあり、老いさらばえた山羊の太髭をつなげて陽に当て萎ませたような、不規則に橙がかった白さの蔦が壁のあちこちにはびこっていた。その脇を抜けてくる坂の途中にふたりの姿があらわれて、荷車とともにゆっくりゆっくり、徐々に大きくなっていった。村に入ったふたりは、近間の家々に声をかけたり、坂に面した商店から来る歓迎の声に手をあげて、時には立ち話に止まりつつ、子どもや鶏に注意しながら石敷きの道を下っていった。剛の狩人に力の限り引きしぼられた長弓めいて坂の終わりは大きく曲がりこんでおり、砂地に復してしばらくのちに次の森へと通じていた。出口の手前で横にひらいたわずかな傾斜の上り道をたどっていき、台地状に盛り上がった見晴らしの良い一角に来ると、ふたりと車の歩みは停まった。商いはこの広場で行われるのが常だった。貨幣だけでなく、ざらついた皮の土臭い芋や葉の固い野菜、布地や衣服、小間物との物々交換も受けつけられた。とりわけよく知った商店とのあいだでは、品を金高に換算するのが互いに面倒だったので、脈を通じたおおまかな交渉でこだわりなしに物が行き交った。