2018/1/11, Thu.

 やはり六時台に覚醒する。空気は寒く、額が冷たく、ボディスキャンを試みても身体がほぐれていかない。例によって薬に頼って入眠し、一一時に至って再度覚めると、ここで改めてボディスキャンを行っておいた。寝床を抜け出そうともたついているあいだ、何故かMr. Childrenの"Heavenly Kiss"が頭のなかに流れていた。起床は一一時二五分になる。ベッドから降りると背伸びをし、上体を左右にひねってほぐしておいてから、上階へ行った。
 食事はおじやに温野菜。スチームケースに入った野菜を電子レンジで温めているその合間に洗面所に入り、顔を洗ったり、乱れた髪を押さえたり、嗽を行ったりとした。食事をしながら新聞からは、永世中立・自主防衛国家スイスのシェルター事情についての記事を追った。冷戦も終わった今や供給過剰で老朽化が進んでいるという話だった。また、イスラエルがダマスカス付近に攻撃、との記事も読んだ。
 テレビに映る天気予報を見ていると、日本海側は雪模様らしい。東京は穏やかそのものの晴れ日だったが、週間予報を見るに鹿児島までもが雪の予測になっており、東京も今夜が今冬一番の寒気になるとの話だった。食器と風呂を洗うと、自室から湯呑みを持ってくる。ポットから白湯を注ぐ前に、ストレッチをしながらふたたびテレビを見やると、昼のニュースに、まずは商工中金がどうのこうのとこちらには良くもわからない事柄が報じられ、その後に、カナダが米国をWTOに提訴するとの話が伝えられた。
 自室に下りると、コンピューターを点けて、一月七日の日記をノートから写してブログに投稿した。その後、ここ数日の日記記事をEvernoteに作成するのだが、モニターを見つめているとやはり、頭の周りがこごってくるような違和感が生じる。それで運動をして、身体をほぐしてから、メモを取った。
 それで三時前である。上階に行って豆腐などでエネルギーを補給したのち、アイロン掛けをすると下階に戻り、外出の支度に入った。歯を磨きながら、手近にあった『蟲師』の五巻を取ってめくり、生まれ変わりの島の話と「眼福」の話をなおざりに読む。そうして口をゆすいで着替えたあとに、久しぶりに瞑想を行った。能動性を排除することを心がけつつ座り、意識の志向性の多方向への蠢きをしばらく感じると、出発である。
 四時を過ぎたあたりである。最寄り駅へ向かう。家を出てすぐの林の縁、塀のようになった石段の前に男子中学生が数人溜まっている。その前を通り過ぎると、それまで賑やかにしていたのが妙に静まり、背後から何やらひそひそとしたような調子の声が聞こえてくるので、何かこちらのことでも噂しているのではないかと自意識過剰を大いに発揮したが、烏の鳴き声が二、三、落ちてきて、すぐに忘れた。今冬一番の寒気が来ると言われるだけあって、さすがに空気は冷たい。寂れた小公園に立った桜の、冬枯れの枝の宙に静まっているそこから鵯の鳴きが立って、道を渡って向かいの一軒((……)の宅)の庭木にも仲間がいるようで頻りに鳴き交わしていた。坂に入るとふたたび寒気が寄ってくるが、見上げれば頭上に被さる梢の上方のみが陽を当てられて黄色に染まり、塗り直されたようになっている。
 駅に着き、ホームから東の丘を眺めれば、老いて弱いような、かすかなような色の山にもまだ陽の色が全体に掛かっている。見つめていると、ふらりと来そうになってそれで前方に向き直った。線路の向こうは沿道を挟んで段の上に梅の樹が立ち、さらにその先は人家の敷地になっているが、そのどこかから、虫の羽音のような鳥の声が繰り返し散って立ち、なかにピアノ線の一瞬の煌めきを思わせるような澄んだ声も差し挟まるのは、どうも同じ鳥の違う鳴き方らしい。
 電車に乗って(……)へ行く。駅舎の外に出ると、東の空の際にピンクと紫の色味が仄かにくゆっており、反対側、西南を向けば残光が見えて、図書館のビルにもその様子が映りこんでいる(おそらくそのような映像効果を狙って設計されたものなのだろう)。西の山の色がいつになく締まって、深く鮮やかな青に見えた。
 図書館に入ると、雑誌の区画から『現代思想』をちょっと覗く。現代思想の総展望というような特集で、柄谷行人中沢新一大澤真幸といったようないかにも日本の「現代思想」感あふれる名前が見られる。『思想』や『現代思想』誌は、いつも確認するだけはするのだが、借りて読んだことは一度もない。文芸誌にしてもそうなのだが、自分はなぜか、雑誌というものをあまり好んで読まないのだ(一応買って手もとに置いてはある『子午線』、『早稲田文学』、『ゲンロン』などの雑誌も、一向に読みはじめる気配がない)。それからCDの棚を見に行ったが、Suchmosはまだ借りられているようで見当たらないので、それでは今日はCDは借りなくとも良かろうと判断し、場を離れてトイレに行った。用を足してから上階に上がると、新着図書をちょっと眺める。それからフロアを端のほうまで渡り、文庫の区画から目当ての、本村凌二『興亡の世界史 地中海世界ローマ帝国』を取ってくると(相沢くんらとの会合で今度はこれを読むことになっている)貸出を済ませて、ふたたび新着図書の棚の前に立った。ドリンダ・ウートラム『啓蒙』(法政大学出版局・叢書ウニベルシタス)、谷崎昭男保田與重郎』(ミネルヴァ書房)、『ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝』(岩波文庫)、マルク・オジェ『非 - 場所』(水声社、「人類学の転回」シリーズ)、ウィリアム・マガイアー『ボーリンゲン』(白水社高山宏編纂の「異貌の人文学」シリーズ)、『イスラームのロシア』、ユージン・ローガン『オスマン帝国の崩壊』が手帳にメモされた書名である。法政大学出版局・叢書ウニベルシタスの本は最近結構入荷されており、これはありがたい傾向である。また、「異貌の人文学」シリーズは、今回この著書が新刊ということで入荷されたのだろうが、シリーズ内の過去の作品では、エルネスト・グラッシ『形象の力』とアンガス・フレッチャー『アレゴリー』あたりをとりわけ読んでみたいと思っているので、これを機に過去作のほうも揃えられないかと期待しているのだが、多分そうはならないだろう。
 その後、哲学の棚、仏教の棚と移行して、『現代坐禅講義』というような題の本をちょっと覗いた。坐禅だとか瞑想関連について、並んでいるなかではこの本が一番まともそうで、いずれ読んでみたいと思っている。そうして、借りるものを借りたので退館すると、東の空から先ほどの紫色は消え失せ、青さが空の端まで追いついており、西の山影は黒味を増して襞がなくなっている。暮れた空のなかで残光はかえって明るく澄んだようだった。
 駅に入り、ホームに立ちながら瞑目して電車を待つ。向かいにある居酒屋の室外機のごうごうという音が耳を占領する。電車に乗っても席で目を閉ざしたまま休み、着いてもすぐには降りずにちょっと休んでから、職場に向かった。
 労働を終えて職場を出た途端に、身を包む空気の質が一瞬で、しかし一挙にぱっと切り替わるのではなく高速の推移(グラデーション)の形で冷えて行くのがわかり、確かに空気の冷たさが違うな、と思われた。電車に乗る。やはり瞑目して到着を待つ。最寄り駅から坂に入ると、昨日と同じ場所で空を見上げる。暗さが増しているように思われ、星は相変わらずあるものの、樹々や家の屋根と空の境もほとんど明らかでない。バッグを脇に挟んで、両手をポケットに突っ込みながら帰った。
 帰宅して、ストーブに当たっていると、マルグリット・ユルスナール『黒の過程』のなかに、このような、火に当たって何か物思いを巡らすような場面があったなと記憶が想起された。重厚というほかないあの物語のなかで、しかし読んだ当時、一番印象に残ったのがなぜかそのようなささやかな一部分だったのだが、この時、具体的な言葉としては思い出せなかった。引いてみると、次のようなものである。

 (……)寒さがあまりにも厳しくなると、生徒と哲学者は、暖炉の煙突口の下に閉じ込められた大きな火のそばによるのだったが、そのたびにゼノンは、これほどの安楽をもたらす火、灰のなかのビール壺をおとなしく暖める飼い馴らされた火が、同時に天空を駆けめぐり炎と燃える神でもあることに驚異の念を覚えるのであった。(……)
 (マルグリット・ユルスナール岩崎力訳『黒の過程』白水社ユルスナール・セレクション2)、二〇〇一年(Marguerite Yourcenar, L'Œuvre au noir, Editions Gallimard, 1968)、161)

 改めてここだけ抜いて読んでみると、さしたる印象も与えないような部分に思われるのだが、やはり物語の流れのなかで読んだ時には何かが違ったのだろう。
 食事のあいだは両親とのやりとりが少々あったのだが、面倒臭いので書くのは省略する。その後も大した出来事はなく、入浴し、出ると瞑想をして、職場から貰ってきた菓子を食いながら読書をしたのちに、一時に就床した。

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2018/1/10, Wed.

 例によって五時過ぎに寝覚めし、ボディスキャンを試みるものの眠れず、薬に頼る。薬の作用なのかドーパミンの作用なのかわからないが、ここのところ夢を大量に見ている。一〇時五〇分に覚醒。
 食事を取りながら新聞。韓国、慰安婦合意を巡って、「自発的な真の謝罪」を求める、と。風呂を洗ったのちに室に戻り、コンピューターを立ち上げて、神経症状を警戒しながら、不安とドーパミンの関係などについてインターネットを検索した。その過程で、PC用の眼鏡を使わずとも、コンピューターの設定でブルーライトを削減することができるということを知り、四〇パーセント削減の設定を施しておいた。
 一二時半から古井由吉『白髪の唄』の読書。薬によって頭もまとまっていたようで、文がかなり明晰に追えたらしく、また、呼吸も軽いものだった。そのうちにゴルフボールを踏むのも飽いてベッドに転がると、窓の向こうに覗く空は青々と明るく、雲はちょっと粉を零した程度のものしかない。ガラスの傍に掛かった朝顔の、とうに枯れ尽くした蔓のその縁が光を帯びており、正面、西の窓のほうに視線を移せばカーテンが明るく陽をはらんでいて、全体として大変に寛ぎの気分を覚えた。
 一時半過ぎから書き物。紙のノートに日記を記す。そののち、運動を行うが、腹が空になっており、胃の動く音が聞こえるくらいだったので、体操と柔軟運動のみであまり筋肉に力を入れるようなことはしなかった。上階に行って洗濯物を取りこむ。ベランダに日影は通らず、風が冷たい。その後、ハムエッグを焼いたり、汁物の残りなどで食事を取る。食事中にはまた、言語が自動的に脳内に湧き上がってくるのが微細なストレスとして感じられたようである。しかし、このように不安やストレスが小さなうちに気づき、それを微分して処理するというのは精神衛生にとって良いのではないか(と言うか、ヴィパッサナー瞑想の方法論というのはそういうものなのではないか)。
 タオルを畳み、身体性に目を向けながらアイロン掛けをする。その後、肌着なども畳んでおくと、ハムと卵を焼くのに使ったフライパンを掃除して、下階に帰った。メモを取っておくと四時になったらしい。勤務に出発するまでにふたたび読書をしたが、この時、眠気があったようである。それで、久しぶりに、五分足らずではあるがその場でじっと瞑目して瞑想めいた振舞いを取った。イメージや声が無秩序に流れて行くのが感じられたらしい。
 着替えて上階に行くと、靴下を替えて出発した。五時前である。坂を上っていると、弾くような鳥の声が聞こえる。街道まで出て、正面から吹きつける風に煽られながら進む。一軒の窓に目が留まり、歩を進めるにしたがって移って行くその色の変化を見つめて過ぎる。なかに西の残照の反映された時間がちょっとあった。
 裏通りに入って歩いていると、前方を行く二人連れの、一方の衣擦れが静かな道に響き続ける。運動服用の、輪郭の緩く太めのものを履いており、足を送り出すたびに左右の布地が擦れ合うのだろう。右手の家並みの合間から覗く雲を見かけて、数瞬のうちに、アザラシのようだとか、毛筆で半紙に押した点のようだとか、太くふさふさとした眉のようだとか、三種類のイメージが頭に展開される。そちらを見やりながら行くと、表に折れる横道の角で、二階家の上の窓と下の道とで会話を交わしているところに出くわす。二階の窓から顔を出しているのは声の大きな老人であり、杖を突いて道から声を上げているのも年嵩の老女である。そちらに目を向けて通り過ぎながら、このような何でもない場面が目に留まり、しかもそれが頭のなかで記述されて記憶に残されるとは、と思った。
 森のほうに続く坂になった辻の手前で、犬のような動物の姿が見られた。誰かが連れているわけでなく、姿態を定かに見分けられる距離に来る前に、辻のほうへ退いていき、そのまま坂上のほうに上がって行った。道の交差部まで来て動物の行ったほうを見やったのだが、やはりかすかにしか見えない。まさかとは思うが、犬ではなくて、鹿の子だったかもしれないと思った。以前、電車に乗っている時に、森の縁のちょっとひらいた場所に鹿が佇んでいるのを一度のみ見かけたことがあるので、山のほうから降りてこないとも限らないだろう。
 さらに進んで一軒の塀上に、蠟梅が黄色く咲いているのに目をやって、一年前にもこの同じものを眺めて日記に書いたなと思い出した。
 勤務を済ませると電車の発車が間近だったので走り、乗り込むと扉際に立って瞑目した。最寄りで降りて入った坂の、前日と同じ場所で同じように空を見上げると、昨日と似た色合いだがより暗くなったように感じられた。坂は静かで、葉擦れが一瞬たりとも立たず、ちょっと立ち停まって耳を張ってもやはり聴覚に入ってくる音がない。歩みを再開すると、木屑を踏む足の音が定かに響く。平ら道に出ると、顔に前から冷たさが寄せてくるが、風というほどのものでなく、耳が痛くなるような冷気もなく、と何でもない身体の感覚を言語化して確認しながら不安が生じてこないのに安息を覚え、自己とこの上なく一致しているような気分になった。
 その後のことはメモを見てもよく思い出せないので省略する。

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2018/1/9, Tue.

  • 朝方、例によって寝覚めする。6時半なので、一応覚める時刻が遅くなってはいる。心身に覚醒感を帯びており、直前まで夢を見ていた。ボディスキャンを試みたもののうまく行かず、やはり足が冷たく、眠気もやってこないので、薬の助けを借りて寝つく。それで11時まで寝てしまう。睡眠は零時半から11時。
  • 食事はおじや。新聞からは旧ユーゴ解体の際の内戦を処理した国際司法裁判所の人のインタビュー記事を読む(ようやく新聞が読める頭になった)。室に戻ったあとは、ブルーライトを警戒しつつ、インターネットでドーパミンなどについて調べる。統合失調症の幻覚や妄想というのはドーパミン神経の過剰な働きによるものではないかという説があるらしく、これは自分としても頷ける話である。実際、先日の自己(世界)解体騒ぎの時の自分の精神は、明らかに過剰に覚醒していた。その過覚醒をもたらした直接的な要因は、やはり深呼吸のしすぎだっただろうとこちらとしては推測する。何しろ瞑想時のみならず、生活内のほかの時間のあいだにも、呼気をすべて吐ききり、吐ききった先で何秒か止める、というような呼吸を実践していたのだが、ドーパミンは物事に集中する際に分泌されるものであるらしいところ、これによって自分の頭は一時的にドーパミンが過剰になってしまった、要は「ハイにキマって」しまったのだ。身体が軽く、滑らかになる感じとか、思考の明晰さとかはその作用だったのだろう。そして、不安障害である自分は不安の意味素に非常に敏感だから、覚醒しすぎた頭がそれまで定かに見えていなかったような不安要素を発見していき、さらに、ドーパミン(交感神経)が過剰でセロトニン(副交感神経)が追いついていない状態だから、不安は覚醒作用と結びついて雪だるま式にふくれあがっていき、ついには発作的な妄想の様相を呈した、というところだろうと思われる。今の自分はおそらくまだ、ドーパミンが優位な神経バランスが残っているだろうから、薬剤で交感神経の働きを抑えつつ(実際、スルピリドにはドーパミン抑制効果があるらしい)、そのバランスを適したものに調え、保っていくことになるだろう。
  • 何故そんなにも呼吸の実践をがんばってしまったかというと、これは明らかに自分の、常に万全の体調でありたいというような願望(これこそまさに我執である)から来ている。そして、なぜそんなに万全さを求めるかと言えば、不安が怖いからであり、なぜなら不安は自分の場合、最終的には発作へと帰着するものだからだ(そしておそらく、自分にとってパニック発作は、象徴的に、「死」「発狂」といったような、「不可逆的に外へ出て戻れなくなること」というような意味を含んでいる。「死」はともかくとしても、そのような元に戻れないような急激な、一挙の変化などこの世にはまずあるまい、と理性的に考えても無駄である。なぜなら最初のパニック発作そのものが「不可逆的な変化」として体験されてしまっているからであり、「一瞬の不可逆的な変化によって戻れなくなること」がこの世に存在するということを、自分の心身は知ってしまっているからである。発作体験が強固なトラウマとなっているわけだろうが、これを克服する方策はひとまず二つ考えられる。一つは、「あの発作は不可逆的な変化などではなかった、パニック障害によって自分は大して何も変化していない」という認識=理屈=物語を新たに作り出すことだが、これは端的に言って不可能だろう。もう一つは、パニック発作と「不可逆的な変化」という意味の連結を現在時点において切り離すことだが、これは結局、上と同じことを言っているのか? ともかく、不安は単なる不安にすぎず、それはそうそう発作につながるものではない、よしんばつながったとしてもそれで自分は本質的にどうにかなるものではないという考えのもとに、不安を受け入れ、それと共存していく、ということだ。こうした認知を自分はとうに構築できているつもりでいたのだが、やはりそうはうまく行っていなかったらしい。ここにおいては(呼吸の存在を中核に据えた)ヴィパッサナー瞑想の観察 - 受け流しの方法論がやはり有力な手法となるだろう。我々不安障害者は不安から逃れることは絶対にできない、しかし不安とは、そもそも逃れる必要すらないものなのだ。
  • 12時ちょうどから書き物を1時間強。その後、運動をして澄んだ気分に。洗濯物を取りこみに行く。大変に暖かで気持ちのほぐれる陽気なので、洗濯物を入れたあと、ベランダに溜まった日なたのなかに座りこんで、日なたぼっこをする。畑のほうにはカラスが二匹おり、一匹は父親が育てている大根の葉をどうもついばんでいるようだった。じきに二匹一緒に飛び上がって、近くの電柱及び電線の上に移る。その後、取りこんだものをたたみ、またシャツ類にアイロンをかけようとしたところが、思いのほかに乾いていない。それで三枚をまた外に出し、きちんと陽が当たるように二段に分けておいた。
  • その後、豆腐などで食事を取り、室に戻ると読書、古井由吉『白髪の唄』である。338頁に、藤里の空襲体験が短く語られており、そこに、「(……)人に棄てられた防空壕の中へ、お父さんには申訳ないけれど、火が吹きこんだら三人一緒に死にましょう、と飛びこんだきり、周囲のことは知らなくなった。妹の息のほかは、何も知らなくなった」とあるのだが、この「知らなくなった」という言い方はちょっとすごいのではないかと思った。
  • 三時に至ると外出の支度をして、薬を飲んで上へ行った。母親、帰宅している。イスについて窓のほうを眺めやり、自分の知覚を確めるようにしていると、川向こうの空に煙が一瞬、薄く吹き上がって、すぐに消えてそのあとが続かなかった。
  • 三時十五分頃出発。何を見ても不安、というような心の調子が、底のほうのかすかなものだが感じられ、街道に出て東の果てに澄んだような白い雲が大きく出ているのを見ても、知覚の確かさを疑うような心があったようだ。まだ陽の残った時刻なので、表通りをそのまま行く。車道を挟んだ向かいから、立ち話をしている婦人の連れた犬が、こちらに向かって吠えてくる。工事の続く会館跡の敷地を覗くと、奥のほう(裏通りのほう)が結構深く掘られていて、そこに入ったショベルカーの運転席も見えないくらいだった。
  • 駅傍の、西から陽を受けて明るんだマンションに目が留まる。常にない風合いを感じたようで、その感触を言葉にしようと試みて、白々、という語が出たがこれは違うなと払われたあと、定かなものが続かず、明るくきれいなのは確かなのだがと思いながらも言葉が成らずに、意識が逸れた。T字路の横断歩道で止まる。頭に、Suchmos "STAY TUNE" が流れている。渡って職場のほうへ向かうと、喫茶店から女性店員が出てきて、通りを渡りかけ、半分行って車線のあいだで止まる一方、進むこちらの目の前には横道から女性が一人、唇の赤い人が出てきてこちらと目が合い、ふっとそらして背を向けると、先のほうにいる二人の連れ合いだったようで横に並んで合流していた。と、このような「何でもない」、実に意味の薄い情景(?)が記憶に定かに残っており、それを容易に記述できるというのは、どういうことなのだろう? また、今この部分を記述しながら、一応「こちら」という形で一人称を用いてはいるものの、実質三人称と変わりがないような、カフカの小説に言われることの逆で「こちら」を「彼」に置きかえても何の支障もないような、自分自身を中心として書いているのではなくてその場にあった動き(意味の浮遊)の一部分、一断片として(その場に包含されたものとして)書いているような感じがしたのだが、この点、どうだろうか?

 紙のノートに記したのは上の部分までである。ここからはキーボードに戻り、現在は一月一三日土曜日もそろそろ終わろうという時刻になっている。この日の生活の続きを記すと、手帳のメモには、「勤務、最初、緊張」とあるのだが、これについてはよく覚えていない。労働を終えて職場を出て、駅舎に入るまでのあいだ、駅前を行き交う人々の各々の流れだとか、ロータリーの内に灯っている電飾の灯りだとか、そこにある動きのそれぞれがくっきりと把握されて、本当にこの世界が意味の「揺蕩い」として感知されるような感じがした。駅に入り、電車に乗ると、席に就いて瞑目する。発車しても目を閉ざしたままでいると、電車が空気を切って走るその音がやけに大きく、烈しく聞こえて、まるで大波が寄せているような、海のなかを突き進んでいるかのようなイメージが脳裏にもたらされ、目をひらいているよりもかえって走行の速さがよくわかるようだった。
 最寄り駅で降り、坂を下る。出口あたりで見上げると、空は澄んで星もあるが、青いというよりは鈍いような色合いである。帰宅して食事、テレビは『クローズアップ現代』。吉野源三郎君たちはどう生きるか』の最近のブームについて。高橋源一郎が画面に登場したところで、その名を口にすると、父親が、この人がそうなのかと受け、何か前に読んだけれど何だったか、などと洩らしていた。それを機に会話の生まれそうな気配になったので、俺があげた本はまだ読んでいないのかと訊くと、まだだと言う。いまちょうど、テレビでも取り上げられていた『君たちはどう生きるか』を読んでいるところだと言う。こちらのプレゼントしたヘミングウェイ老人と海』はどんな話だったかと尋ねるので、もう長いこと漁に出ながらも釣果のない老人がおり、仲の良い子どもの釣ってきた魚などを食って暮らしていたところ、ある日の漁で大物が掛かって三日ばかり海の上で奮闘することになり、と筋を話しながら、その先の、大魚との闘いに勝ったは良いものの結局鮫の襲撃を受けて得たものを喰われてしまう、という結末が思い浮かび、これ以上話すといわゆる「ネタバレ」になるなと思って留まった(もっとも、「ネタバレ」をすることで面白くなくなる小説というのは、読む価値のない作品だということを自ら証すものだと思うが)。父親は、読んでみるよ、と言っていた。そこから、どのような文脈が挟まったのだったか忘れてしまったが、本の読み方や本を読んでいる時の感覚というようなことに話が及び、読んでいると、「ふっと来る」瞬間があるでしょう、それは自分自身の過去の記憶かもしれないし、あるいはその本のなかで前に読んだ部分かもしれないけれど、とゆっくり、言葉を丁寧に扱うようにして話し、だから本というのは、まっすぐ、直線的に読んでいくものだけれど、そのなかで色々な部分が色々なところに繋がっている、言わばネットワークを成しているのだ、というようなことを語った(要は、書物というのは「テクスト」なのだということを言ったのだ)。
 その後、テレビ番組は『グッと! スポーツ』に移って、レーサーの佐藤琢磨が出演する。一回のレースでは三時間、高速で走りっぱなしになる、しかし人間そんなに集中力を保てるものでないから、どこかでうまく力を抜く時間を作らなければならない、自分たちにとっては最も高速で走っている直線コースの部分がそれなのだと話していた(しかしその直線コースでのリラックスというのは、僅か数秒間の話である)。また、レースを終えるとほとんど軽い脱水症状のようになり、一回走れば三キロ体重が減ると言っていたのも、具体性があって興味深く聞かれた。
 食後、入浴中は、瞑想について考えた。まず、瞑想の大別としてサマタ瞑想というものと、ヴィパッサナー瞑想があるらしい。前者は「止」の瞑想と呼ばれ、後者は「観」の瞑想とも呼ばれるようだが、要は集中性のものと拡散性のもの、という風にひとまず理解しておきたい。ずっと昔にインターネットを検索して得ただけの情報なので、確かでないが、流派によって、観察をするのに必要な集中力を養うためだろう、サマタを訓練してからヴィパッサナーに移るものであるとか、最初からヴィパッサナー式でやるものだとか、ヴィパッサナーをやるにしても補助として「サティ」の技法、すなわち気づきをその都度言語化する「ラベリング」を用いる派、用いない派と様々にあるようだ(ラベリングは必須なのかとか、ラベリングをすることに囚われてもまずいとか、それは自転車に乗る際の補助輪のようなものに過ぎず、慣れてくれば不要になるとか、当時覗いた2ちゃんねるのスレで色々と議論されていた覚えがある)。それはともかくとして、集中性/拡散性の二分を、能動/非能動(ここではひとまず、「受動」という言葉は使わずにおく)と読み替えてみたいのだが、そのように考えると、サマタ瞑想は一つの対象に心を凝らし続ける能動性の瞑想であり、それに専心するとおそらくドーパミンがたくさん分泌されるのではないか(そして今回、呼吸法の形でそれをやりすぎたためにこちらの頭は少々狂った)。対してヴィパッサナー瞑想は、能動性がほとんど完全に消失した状態として考えられる。以前、瞑想とは「何もしない、をする」時間なのだと考え、日記にもそんな風に記したことがあったと思うが、これはおそらく正解なのだと思う。したがって、ヴィパッサナー瞑想を実践するにあたっては、多分、身体を出来る限り動かさず、静止するということが重要なポイントになると思うのだが、そのように能動性を排除したところで何が残るかと言うと、感覚器官の働きや、心のなかに自動的に湧き上がってくる思念などの、「反応」の類である。そして、ヴィパッサナー瞑想は、能動性を退けたからと言って、純然たる受動性に陥ってこれらの反応に対して無防備に晒されるがままになることを良しとせず、それらに(比喩的な意味ではあるが)視線を差し向けることによって(視線=眼差しには(どのようなものであれ何らかの)「権力」(力)が含まれている)、それらと静かに対峙し、それらの反応をただ受け止め、受け流すことを目指すものである。まず能動性を消去し、その次に完全な受動性のうちに巻き込まれることをも拒むその先に、能動/受動の狭間において露わになってくるもの、それが「実存」ではないかと、この時風呂に浸かりながら考えた(ここでは「現実存在」という言葉から、実存主義的な意味合いを剝ぎ取ろう)。あるいは「存在性」と言っても良いと思うのだが、要はただの「ある」という様態がそこに残る/浮かび上がってくるのではないかと思ったものであり、そこで中核となるのがおそらく呼吸、及びそれと結びついた身体感覚ではないか。そして、「悟り」というか、ヴィパッサナー瞑想が目指している境地というのは、このただ「ある」の様態、「存在性」の様態を常に自らの中心に据えて自覚しながら生きる、というような生存のあり方ではないかと思ったのだが、この議論がどの程度確かなのかはわからない(國分功一郎が取り上げて最近とみに知られるようになっていると思われる、「中動態」というものと、このような議論はやはり関係があるのだろうか?)。
 その後のことは、メモを見ても大して思い出せないので、省略する。

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2018/1/8, Mon.

  • 例によって深夜に覚める。5時前。どうも、発作で覚めたのでは、という感じがあった。薬剤の効果でブロックされていたのだろうが、何らかの神経症状の名残りらしき気配があったのだ。しばらく、寝つこうと試みる。ボディスキャンを行うが、手がうまく温かくならない。それで薬を飲み、床に戻ると、今度は途端に、手のみならず背まで温まる。そんなに一瞬で効くものだろうか?
  • 幻聴を聞く。何と言っていたのかは聞きとれなかったが、右耳の至近で何か、二フレーズほどささやく声を聞いた。中世のキリスト教徒だったらまちがいなく、天使か悪魔のそれだと思ったに違いない(どちらかと言えば、天使のほうを思わせる声だった)。それで意識が覚めたので、入眠時の幻聴の強いものだったのだろう。その後また、幻覚めいたものも。と言って、布団から手を出したつもりが、布団の上にその手が見えず、透明になっている、という程度のもので、正気づけば手はもちろん布団のなかにあるままだった。その他、明せき夢も見る。学校にいた。今、俺が夢の中にいるのはわかっているのだが、さてここからどう抜けだせば良いのか、などと考えていたようである。
  • 今のところ、こうした幻覚類は意識レベルの低くなった時に限られているようで、半ば夢のようなものに留まっているのだが、これが覚醒時にまで広がってくると厄介である。
  • 9時頃覚めたが、目をつぶってまた幻覚が出てくるか試したり、腰をもぞもぞさせたりして、床を抜けたのは9時40分頃だった。
  • 上階へ。(……)前日の味噌スープを温める一方、ハムと卵を焼く。卓へ。新聞。トランプが暴露本に対してどうのこうのとあったが、これはどうでも良い。ドイツの大連立交渉について読む。それから、日本の財政政策について。どうもやはり文の意味が読みとりづらい。何度も同じところをなぞってしまう。頭が多動的なままなのではないか。
  • 自分の頭は今や、常に何かに気づいていないと(集中していないと)済まない、というような感じになっているらしい。メタ認知を鍛えすぎてしまったのだろう、常に自分の意識の志向性が見えてしまうのだ。それが過剰に暴走してしまったのが今回の件なのだろうが、拡散する志向性が最終的にいつも戻ってくるホームポジションとして、呼吸を据えるのが良いのではないか。なぜなら呼吸は常にそこにあり、身体性と密に結びついているからである。自分の場合、今まではそのホームポジションが言語になっていたような気がする。脳内の言語を見つめすぎ、またあまり野放しにしすぎたために、その自己増殖と浸蝕を招いたのだ。今後は、うまくこの言語を飼いならしていかなければならないだろう。
  • 食後、洗い物をすませ、風呂も洗う。やはり心身に以前よりも落ちつきがないというか、静まり、というものがない気がする。意識してゆっくりと動作することはできるのだが、そうしながらも、何かに追い立てられているような感あある(内から)。歩行禅でもやったほうが良いのかもしれない。そう思い、部屋から湯のみを持ってきて白湯を注ぎ、戻るあいだ、丁寧な動作を心がけた。
  • ここまで書いて、11時半である。起き抜けには白く閉じた空だったが、今しがた、ちょっと陽が出ていた。
  • 古井由吉『白髪の唄』を読む。まず、先日読んだなかから、書き抜きをしておく箇所を探し、275頁の、「狂うのと、人心地がつくのとは、似ているのかもしれない」という、最近のこちらには何だか身につまされるような部分をチェックしておく。また、301頁に、紅い実のついたイイギリらしき枝を拾って持ち帰るという小挿話があり、そこに、「冬に感じた身体がしきりにその曖昧を求めていた」とあってなかなか面白い表現ではないかと思っていたところが、チェックする段になって「曖昧」でなく、「暖味」であるのに気づいた。これだと尋常だが、どうせなので書き抜くつもりである。ほか、313頁、「人への想像だけがゆらゆらと舞っては消える空部屋」という表現も少々気に入られた。また、この一節を含む一段落も妙だと言うか、いくつかの事柄が接続されているのだが、それが話者の中でどのようにつながっているのかはわからない。同様のことは『野川』の最後、それまでのエピソードをすべて並べた一連の部分でも起こっていたはずで、そこではわけのわからないカタルシスというか、大団円の感のようなものが生まれていたのだが、何かの論理が隠れているらしいがしかしその姿はおそらく読者には見えないようになっている、というこの見通せなさは、多分ムージルから学んだものの細かな応用なのだと思う。
  • 読書中、西窓のほうから薄陽が射して、本の頁の上に斜めに渡る。細くひらいたカーテンの隙間のレースにこされて、光と影とがそれぞれ何すじか、淡く頁を横切って、ところによって文字は光にちょっと輪郭をふくらませるようになり、また行間に紙の表面のきめがかすかに現れる、とこのように(無論、このままではないが)、見たものが自ずと描写されるのを感じながら、自分の頭は今、正常だな、前と同じ働き方をしているなと思った。
  • 1時すぎまで読み、その後、PCは避けたかったので、携帯で(……)のブログを読んだ。それから、運動である。身体を動かすにはやはり音楽が欲しかったので、モニターをあまり見ないようにしながらPCを立ち上げ、tofubeats "WHAT YOU GOT" を流したのだが、音楽が頭に響く感じがしたので結局、すぐに消した。2時まで運動し、その後、上へ。
  • 読書中、窓ガラスを叩く音がして、雨が降り出したことに気づいていた。朝と同じ汁物に豆腐、卵でエネルギーを補給する。食後、味噌汁くらいは作っておいたほうが良かろうと、料理にかかる。ワカメと豆腐、ネギの簡単なものである。その後、米も新しくといでおく。
  • 料理をするあいだなどは、先ほど考えたように、ホームポジションとしての呼吸を意識した。一方、頭に言語が浮かんでくるのが不安になったり、自分が思ってもいないようなことが言語として浮かんできたりするのも特に困惑させられるのだが、しかしこれは気にせず、受け入れれば良いのだろう。ヴィパッサナー瞑想が教える通り、言語や思念とは所詮は心の反応にすぎず、端的に言って、去来するもの=次々と来ては去っていくものである。自分はどうやら、言語を実体化しすぎていたようだ。ある一つの事柄に対して、相反する二つの思いを抱くこともあるだろう(と言うか、そうしたことはむしろありふれているはずだ)。それどころか、もっとたくさんの、複雑に絡み合い、矛盾し合う反応を覚えることもあろう。今回自分は、不安障害的な性向が手伝ってか、それらの断片化された反応群のあいだに整理をつけられず、思考の統合を失いかけ、恐怖を覚えたらしいが、「自己」という点から考えると、それらの混乱した反応をすべて合わせた総体こそが自己である(これはおそらく、「自己」など存在しない、と言っているに等しい)。人間の反応、思考、感情は、すさまじく複雑で、自分は言語と密着しすぎたがためにその複雑に襲われてしまい、頭をやられかけたのかもしれない。要は、主体とは、散乱させられたもの[﹅9]としてある。その散乱した断片群のなかには、我々が目をそむけたいもの、抑圧したいもの、自分の一部として認めたくないものが当然含まれている。「悟り」という概念をひとまず、それらをも等しく受け入れていく態度として考えよう。そのようなある種の平等主義において、(はじめて?)「自由」が発生するとも考えられる。なぜなら、現実に「自己」「主体」として生きている我々は、何らかの行動をしていかなければならず、我々のうちに生起する反応群がいかに込み入ったものだろうとも、そのあいだにおいて何らかの判断を下していかなければならないからである。言いかえれば、自分のうちに発生した無数の相矛盾する反応のうち、我々が我々のものにするのはどれなのかを、我々は具体的な場において判断し、選択し、決定することができる。その判断(吟味)、選択、決定は、時には非常に責任を持たれた理性的なものでもあろうし、時にはただ何となくの、まるで無根拠なものでもあるだろう。具体的な瞬間ごとのそのような決定において、かろうじて、仮に作り上げられるもの、立ち上げられてはすぐにまた散乱していくもの、それが「主体」ではないのか。「主体感」とはそのようにして、その都度仮に確保されるのではないか。
  • すべての先行的な観念を相対化・解体し(今のところ、「悟り」をこのようなものとして考えておきたいが)、自己のすべての反応を受け入れる「悟り」の境地にあっては、判断・決定の選択肢は非常に広いはずである。極端な話、そこにおいて主体は、その都度いかようにも姿を変えることのできる「流体的なもの」として現前するのではないか? しかし、理論的にこう考えたとしても、先行的な観念が解体されつくしたとしても、現実的には、主体のその都度の選択をある程度規定し、方向づける具体的な条件が残っているだろう。一つはその場=時空における意味=力の配置のネットワークであり、一つは直前の時点から引き続く状況の文脈であり、一つは主体がそれまでに積み重ねてきた経験の記憶への照会である。以上の記述を踏まえて、ひとまずここでは「悟り」を次のように定式化しておきたい(もう、勤務に向かわねばならない)。すなわち、極限的な自己の微分と、徹底的な帰納主義による主体の高度な流体化、と。
  • ここからは、翌1月9日に記している。料理ののち、三時から五時直前まで上記を書いたのだが、そのあいだ、頭痛というか、頭の各部に何か変な感じが生じ、やはり脳内に目を向けたり、言語を考えるのがこわい、というところがあったようだ。文を書くことに集中すると、頭の症状が生じてくるようだった。そこで、呼吸に意識を戻してみるとそれだけで文を綴るスピードも緩くなり、心身の固さが少々取れる。そうしてやっていると、じきに神経症状もなくなり、良い気分で書くことができた。これほど多くの分量を紙の日記として書くというのははじめてだが、これはこれで面白いものである。キーボードとはスピードが違うので、当然、頭で考える文の速度も変わってくるし、それによって時には読点の位置も違ってくるだろう。文字を書くのに時間がかかるから、落ち着いて進めることができるというのも、今の自分にとっては良いだろう。
  • 「悟り」についての考察に思いのほかに時間がかかり、五時直前に至ってしまったので、急いで着がえをして、歯を磨いた。居間のカーテンを閉めておき、出発である。
  • 雨が続いていた。坂を上り、路面のおうとつにちらちらと、電灯の白さが散乱しているのを見下ろしながら街道へ向かう。真っ黒な水たまりの中を、ゆがんでぼやけた電灯の姿が、月のように渡っていく。街道を歩いているあいだ、車が途切れた間があって、そうするとその静けさと暗さに、もう夜も更けたような、これから行くのではなくてもう帰り道であるかのような錯覚が立った。水音に増幅された車の走行音が、やはりまだ頭に響く感じがする。
  • 裏路の途中で濡れた土のにおいが一瞬立った。庭もないような、あってもすべて舗装された駐車場のような家々のあいだでも、蛙のいる林を思わせる土のにおいが嗅がれるものだなと思った。進んで、取り壊された会館の裏の、駐車場やら線路やら、乏しい人家の灯やらを前にまた、もの侘しいような情を感じた。
  • 勤務の途中から、薬の効果らしく(出る前に一粒ずつ追加していた)、自足感めいたものがあった。座っていると眠気が兆してくるほどで、また、喋れば口は勝手にうまく動き、次の発言も自ずとつながってくるし、行動しても思考が実に滑らかにつながるものだった。
  • 帰路、(……)と久しぶりに一緒に帰る。卒業論文で難民を取り上げているということだけは以前に聞いていたので、もう少し詳しく教えてくれ、と言うと、ロールズって知ってますか、と来る。『正義論』の、と受けると、(……)は通じるとは思っていなかったのか、大袈裟に喜んだ。知っていると言って名前だけで、ロールズなど勿論読んだことはないのだが、例の「無知のヴェール」がどうのこうの、と半端な知識を提示すると、(……)が受けるには、ロールズ国民国家内における正義を考えたのだが、それをグローバルな概念として拡大しようとする動向があって、というようなことを言う。これも内実はまったく知らず、単なるイメージで、それは例えばアマルティア・センとか、と訊き、あとは、なぜ遠くの国の貧しい人に対して義務が……とうろ覚えの書名を挙げようとすると、(……)は、まさにそれです、と興奮した。自分でもこの本の存在をどこで知ったのか不明で、よく頭に出てきたなと思うのだが、トマス・ポッゲとかいう人のものらしい。
  • その後、相手ともう少し話したかったので、相手の帰路に合わせて会館跡の前から坂を下っていき、エルサレム首都認定はあれはまずいなあと思ったよ、などと床屋政談以下の感想をちょっと話したりもし、川を渡る手前で別れて裏に入った。中学校の裏手の坂まで来ると、樹々に接した道に霧が濃く湧いて、上った先も見えないほどである。こんなところを通っていると、本当に幻覚が見えてきやしないだろうなと恐れながら行くと、その上の裏路も、すぐ脇が林で、その下は川になっているからだろう、霧がひどかった。
  • 帰宅後はすぐに食事に。テレビは『プロフェッショナル』。ワイン用のブドウをつくるのに奮闘する人の話だったが、ブドウを収穫してワインにし、試飲した時に、職人の細君(フランス人と思う)が(日本語で)、彼自身が表れているワイン、という風に評していたのが印象的だった(実際にはもう少し違う言い方だったと思うが)。わりとありがちな評言ではあると思うが、人間性(概念)が物に具現化されるというテーマにはやはり惹かれるところがある(それは芸術と呼ばれる営みの仕事の一つであるはずだ)。あるいは、例えば音楽だったり文章だったりならばこちらにも、誰々らしいな、という感じ方はわかりやすいが、味にもそれがあるのだというのが新鮮だったのかもしれない。
  • その後は海外のファンを対象にしたJ-POPのイベントが流れており、脚を左右にひらいて身体をほぐしながら眺めはしたものの、特段の印象はない。風呂に行った。浸かっていると雨の音が薄くにじみだし、じきに少々高くなって、また収まった。呼吸を意識していると、水面に浮いた、垢なのか何なのか、細かなゴミの漂っているのに目の留まる時間がある。どれだけ動かずじっと身体を静止させていても、くり返し送り出されて水面を渡っていく弱い波紋があるのだが、それはこちらの左胸の鼓動が生み出しているものなのだ。定期的に水の上を滑るその微小な波に、浴槽の縁近くに映った電灯の白い姿が揺らされて、時折り額や髪から水滴が落ちると、より大きな波紋が既存の動きをすべて巻きこんで行く。
  • 入浴後、零時過ぎから半まで本を読み、就床。
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2018/1/7, Sun.

 まだ明けていない深夜に一度目を覚ましたのだが、その時携帯電話を見ると、三時三八分だったような覚えがある。数日前のように、脚の先のほうがひどく冷えているという感覚があった。横向きになって脚を折り、上体のほうに引き寄せつつ、身体を抱くようにしたり、また、冷えを我慢しながら仰向けにひらいて、白隠禅師に倣って軟酥の法=ボディスキャン(そしておそらく、ヨガの「死者のポーズ」もこれと大方同じものではないか)を試みるのだが、今度は一向に冷えが解体されていかないので、仕方ないと薬を飲むことにした。スルピリドロラゼパムをそれぞれ一錠ずつ飲むと、すぐに寝付くことができたようである。
 それまでにも覚めたような覚えがあるのだが、最終的な起床は一〇時四〇分頃だったと思われる(睡眠は一一時間ほどになったはずだが、これほど眠ったのは相当に久しぶりのことである)。窓を叩く音がして、覚醒したのだ。意識を取り戻してからも、すぐに動けずに伏したままでいると、ふたたび窓ガラスが叩かれたので、カーテンをひらいた。上体を起こすと、外に父親が笑って立っており(こちらからはやや見下ろす形になる)、開けてくれと言うので、寝惚けた頭で窓をひらくと、玄関を開けてくれと言い直された。おそらく自治会の役でどこかそのあたりに出かけていたのだろうが、鍵を持っていくのを忘れたらしかった。そういうことかと正気付いて布団を抜け出し、上階に行って玄関の鍵を解除した。頭がぼさぼさだったので、そのまま洗面所に入って水を使って少々撫でつけておく。
 すぐに食事に入ったのだったと思う。ものを食べながら新聞をひらきはしたが、記事の見出しを追うだけで、ここではまだ読む気にならなかったのではないか。食器を片付けて風呂も洗うと、白湯を持って自室に戻った。それからコンピューターを立ち上げて、調べ物に入った。調べるのは勿論、ここ最近のこちらが苦しめられた件についてで、まず念頭にあったこととしては、前夜、食事を取っている時や風呂に入っている途中などに、身体をじっと静止させていると心拍が上がって身の奥から不安が滲み出てきて、身体のなかの諸部分に広がってざわめきはじめる、ということが観察されていたのだ。精神のみならず、肉体までも自分はじっとしていられずに動きすぎてしまうのか、などと思ったのだが、しかし今回の件が起こるまでは、むしろじっと静止しているのは得意だったはずである(瞑想だって習慣的にやっていたのだから)。身体を静止させていると、パニック発作のトラウマに脅かされるのだろうかとこの時は思ったのだが、統合失調症の治療薬(こちらの服用しているスルピリド統合失調症にも用いられる)の副作用として、「アカシジア」という静座不能症状があるということなので、これの軽度のものなのかもしれない。
 また、自分が結局のところ統合失調症になりかけているのか、それとも今回の件はパニック障害の再発なのかという点も気になるところである。検索して出てきたサイトによると、統合失調症の初期症状として、次のものが紹介されていた。

1、 自分の意思によらずに、体験そのものが勝手に生じてくると感じられる。その中に、自生思考(とりとめもない考えが次々と浮かんできて、まとまらなくなる。考えが自然に出てくる。連想がつながっていく)、自生視覚(明瞭な視覚的イメージが自然に浮かんでくる)、自生記憶想起(忘れてしまった些細な体験が次々と思い出される)、自生内言(心の中に度々ハッキリした言葉がフッと浮かんでくる)等により、「集中できない」「邪魔される」と感じられる。
2、 自分が注意を向けている事以外の、様々な些細な音や、人の動きや風景、自分の身体感覚や身体の動き等を、意図しないのに気付いてしまう。そのことで容易に注意がそがれてしまう。「どうしてこんなことが気になるのか」と困惑していたものが、「気が散る」「集中できない」と感じる。
3、 どことなくまわりから見られている感じがする。この体験は人込みの中で感じられることもあるが、自室に一人でいる場合でも生じる。気配を感じることもある。
4、 何かが差し迫っているようで緊張してしまうが、何故そんな気分になるのか分からなくて戸惑ってしまう。緊迫が勝手に起こり、それに対して困惑するような症状。
 (第7回 「統合失調症の初期症状」 http://www.oe-hospital.or.jp/column/column7.html

 このうち一番の「自生思考」および「自生内言」は、完全にこちらが持ち合わせている症状である。また、二番の症状も不安にやられきっていた数日前にはあったと思う。三番はないが、四番は不安障害患者の常態である。統合失調症の付随症状としてパニック発作があるとも言うので、結局のところどちらが主なのかは決定できず、自分の場合、両方が結びついていると考えるべきなのではないか。少なくとも、完全な「統合失調症」とは言えないにしても、こちらの精神が統合失調的なものになってしまっているのは確かでないか。

 何故このような症状が起こるのか、完全には分かっていませんが、理解しやすい仮説をお話ししましょう。私達は周囲の雑踏の中から、相手の声を聞き分ける事が出来ます(カクテルパーティー現象といいます)が、その際の現象を例にとって説明します。相手の話を聞こうという集中力が適度であれば良いのですが、集中し過ぎると、他の様々な音にも注意が向いてしまい(注意集中力が高まり過ぎている状態を過覚醒といいます)、何を聞いて良いのか優先順位が分からなくなり、かえって聞き分けは困難になります。これは脳内のドーパミンという物質を介して働く神経が、過覚醒になっているからです。また雑踏の他の音にフィルターをかけて意識しない様にし、相手の声を聞き分けられる様になっていますが、このフィルターが失調していると他のいろんな音が入って来てしまい集中できなくなります。このように急性期の統合失調症の症状は、ドーパミン仮説やフィルター理論で説明されます。
 (第9回 「急性期治療のポイント」 http://www.oe-hospital.or.jp/column/column9.html

 「過覚醒」というのは、こちらが体験した

 以上はこの当日に記したもので、コンピューターの画面を目の前にしているとやはり神経・精神が乱れる感じがあったので、しばらくなるべくコンピューターから離れることにして、このあとのことは紙のノートに記したのだった。以下にそれを引用する。

  • ドーパミン過剰→ヨガ及び瞑想の深呼吸のためか。
  • 1時頃上へ。父親ソファ。洗濯物入れる。タオルたたみ、アイロンかけ。ラジオ、爆笑問題
  • 昼食。煮物残り。豆腐。卵。この時、新聞、阪大の入試ミス。途中まで。
  • ギター。
  • 書き抜き。
  • 運動。肉体をもう少したくましく。
  • 日記("水星"反復されて集中できない)。五時前、上へ。料理。小沢健二。野菜スープ。ゴボウ。エノキダケ。玉ねぎ。人参。ダイコン細い。(……)音楽とめているあいだに、炒め、煮こむ。一方でマーボー豆腐も。六時前、仕上がる。
  • 戻って日記。今日の分。統合失調症について書いているとまた不安に。一度、頭がぐらりと来た。どうも不安が高いので、薬を追加。それでベッドでボディスキャン。
  • 食事へ。大河ドラマ。なんとなく頭が落ちつかない、乱れているような。飯は美味いが。入浴。入浴中、髪洗う。シャワーの音。イメージ連想。頭や身体をこする音も耳につく。これは本当に、そのうち幻覚が見えるかもしれないと思う。
  • 言語が自走しようが、多少の幻覚、幻聴があろうが、それに適応できれば良いのだが、今は不安がついてくる。
  • 室へ。モニターの前に来ると(見ると)、やはり妙な感じ。調べると、ブルーライトドーパミンを増やすとか。一旦使わないことに。ブルーライト用のメガネを入手したい。
  • 思えば、このような症状はパニック障害の最初期にもあった(休学中)。あの頃に戻ったようだ。
  • それでPCから離れる。しばらくパソコンに触れない生活をしてみることに。そのあいだの日記は紙のノートを使う。
  • 日記を書いたあと、古井由吉『白髪の唄』を読みだしたが、そのうちに眠っていた。11時半。あきらめて就床。
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2018/1/6, Sat.

 この朝のことはもはや覚えていない。全然記憶が蘇ってこないので諸々と省略するとして、八時頃に出勤路に就いた。晴れの日だが、朝の空気はやはり冷たい。日なたのあまりない街道を行く。道を歩くあいだ、やはり脳内に言語が自動的に湧き上がってくるのを警戒する心があって、もっと身体的直接性に目を向けようというわけで、地を踏む脚の感触や呼吸の感覚に主に意識を向けるようにしていたと思う。
 勤務中、周囲の情報に応じて自動的に脳内に言語が発生するのがやはり少々怖いようなところはあり、また、初めのうちは話していてもうまく言葉が出てこなかったりしたが、時間が経つにつれて落着いた気分になった覚えがある。動作もゆっくりとするように心がけた。
 退勤したのは二時前である。職場を出ると、(……)駅のほうへ行き、郵便ポストに葉書を投函した(何なのか良く見ていないが、母親から前日に頼まれたのをすっかり忘れていたので、この日に済ませたのだ)。駅舎にちょっと踏み入って、電車の来る時刻を見てみると、まだまだ間があったので歩いて帰ることにした。日蔭に入っているとやはり寒かった覚えがある。もう少し陽を浴びたいなと、裏通りの途中の辻から表に折れて、日なたのなかを行く。
 自宅の前まで来ると、(……)玄関をくぐる。室内に入ったあとの様子や食事のことなど、まったく思い出せないあたり、やはりまだ精神状態が不安定で思考が拡散していたのではないだろうか。ただ、この日のある時点から、気分はわりあいに平常のものに近くなった覚えがある。
 四時前から書き物をしている。前日、一月五日の分である。この時もやはり、自分の頭のなかの言語に目を向けることに不安があり、またモニターを目にしていると後頭部や肩のあたりなどに神経症状らしきぞわぞわとするような感触が生じ続けたのだが、自分は不安を感じながらもやるべきことをやることができると自らの姿勢を定め、一時間半を綴って記事を完成させた。時刻は五時半頃、そこからインターネットに繰り出した。(……)途中、また自分の感情が定かに作動しているのかどうか不安に思う、というようなことがちょっとあったかもしれない。
 七時半前まで過ごしたところで、食事に行ったと思う。この時や、入浴中のこともやはり記憶が自然に湧いてこないので、割愛する。九時過ぎから、(……)にアクセスして、二日分を読んだのだが、確か途中で自分のブログの読み返しを挟んでしまい、一時間半もの時間を無闇に掛けてしまった。その後、久しぶりにという気力が湧いたので運動をして、一一時である。歯磨きをしながら古井由吉『白髪の唄』を読み出したのだが、抗不安薬のためだろう、頭が重く、読み続けていられないようだったので、零時になる前に床に就いた。

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2018/1/5, Fri.

 六時のアラームが鳴るだいぶ前に覚醒した。やはりあまり眠れないようである。一度覚めた時点で目が冴えて、その後、寝付けなかったような覚えがある。六時のアラームが鳴ったところで布団を抜け出し、上階に行って、生ハムと卵を焼いた。おそらくずっと頭のなかに言語が沸き返って、そちらに意識を取られていたせいだろうか、次に何をやったかと記憶を探ってみても、容易に出てこない(かと言って、その時考えていたことが思い出されるわけでもない)。
 瞑想をしなくなったので、食事を終えたのは早く、多分七時くらいだったのではないか。下階に戻って歯を磨き、服を着替えて、不安のために何をやるという気持ちも起こらなかったので(むしろさっさと出勤し、仕事を終えて、医者に行きたいという心があった。前日中も、早く時間が流れてほしいとそればかり思っていたと思う)、早々と居間に戻って、ストーブの前に座りこんだ。身体を温め、排便を済ませると、七時五〇分くらいには出勤に向かった。
 外に出ると、大層な寒さだった。この日は前日、前々日とは違って、曇り空だったのだ。身体を震わせながら街道を渡り、ちょっと行って裏通りへと入る。路地には登校中の中学生や出勤する大人らの姿があり、そのなかに一人、こちらに挨拶を掛けてくる人がいた。特に面識のない人なのだが、以前に朝番だった時期にも、すれ違いざまに挨拶をくれることが何度かあったのを覚えている。
 勤務中は、わりあいに良い気分だったと思う。ただ、自分の行動や言動があまりに明晰で、特に発する言葉や自分の反応が以前よりも自動的に細かく分節されて捉えられているということが良くわかった。情動が論理過程に解体されるようなのが不安だったのだが、しかし感情を論理的に分析するなどということは結構誰でもやることなのだし、それが明晰になったということはむしろ感情と論理がより密接に統合されつつあると考えるべきなのではないか、などとも思った。
 退勤すると、まだ一二時半より前で、(……)の(……)(精神科)が午後ひらくのは三時からである。一旦帰って食事を取ってからまた出向いたって良いわけだが、そうする気にもならず、図書館に行くことにした。駅に入って、冷たい空気のなかで身を震わせながら待ち、やってきた電車に乗る。何かしらまたものを考えながら(言語が勝手に蠢く、などと頻繁に書いていたから、それで自己暗示に掛かってしまい、自分が言葉をコントロールしているという主体感が失われたのかもしれない)、(……)まで行くと、降りてエスカレーターを上った。改札を抜けて、図書館へと渡る。医者がひらくまで、ここで時間を潰そうと思ったのだ。入ると階を上がり、新着図書の棚を見る。前回来た時にも見かけて手帳にメモしたエリクソンアイデンティティ: 青年と危機』があり、まさしくアイデンティティの危機を迎えているこちらにはぴったりではないかというわけで、その場で立ったまま少々拾い読みをした。なかに、ウィリアム・ジェイムズの体験したアイデンティティの危機が紹介されており、彼もやはり神経症を患っていたようなのだが、そこからの脱出口を見つけた際の発言として、「私の自由意志が最初に行う選択は、自由意志の存在を信ずるということだ」というようなものが引かれており、やはりどこかでこのような同語反復的な、相対化しきれない地点を見つけないと、人間、自我を保てないのだろう(自分の場合、今はそれが「不安」になっているのではないかという気がするのだが、これについてはあとで触れるかもしれない)。
 ちょっと読んでから、窓際の席は空いていなかったようなので、書架の横に置かれたボックス様の腰掛けに就いて、『アイデンティティ』を読んだ。読んだとは言っても、大方の時間はやはり、頭のなかでぐるぐると思考が回っていたので、ほとんど読んでいないし、内容も特段覚えていない。今次の自己解体騒ぎは実に色々な側面から考察することができるのだが、この時考えた理路からは、今回の危機はこちらの相対化傾向が極点まで至ったことによるものだろうと考えられた。元々自分は、中学二年生になったあたりから、どうもこの世の中というものはくだらないなと思いはじめ(まさしく「中二病」的なのだが)、高校生の時期には、特段死にたいわけでもないけれど、大して長く生きたくもない、まあ四〇歳程度で死ねれば良いかな、という風に考えており、大学時代には完全にニヒリズムの病に冒されていた。要は、青年期にありがちないわゆる「実存の危機」だが、自分が生きている意味がわからない、ということで、大学四年の時には卒業論文を担当してもらう教授に相談に行き、本を読んだり勉強をしたりするというのは、何のためにやるのでしょう、などという問いを発してもいたのだ(教授の返答は、自分のような歳と立場になってくると何のためになどと考える前に、まず目の前のことをこなさなければならない、という実際的なものがまずあり、その次に、でもやはり、楽しいからとか、何かを知りたいからとかでは、というものが返ってきた)。しかし結局、こちらはこの時この返答には共感することができず、例えばイラクあたりの歴史の本を読みながら、相変わらず、これを読んで何になるのだろう、などとその「意味」を探し求めていたのだ。そんな具合で卒業論文にも身が入らず、今から考えると糞尿以下の代物を提出してしまったのだが(それで学位取得が許されるのだから、都の西北、などと誇らかに言われていても、たかが知れている)、その後、いつ頃になってからだったか、ニヒリズムなどというのは単なる観念論(当時はこのような言葉遣いをしなかったと思うが)に過ぎない、と気づく時があった。自分が生の意味を感じられないのには、いずれ自分は死んでしまうのだから、というありがちな論拠があったのだが、自分が死ぬことが決まっていても、いま現在ここで自分が何かを喜んだり、食事を取って美味いと感じたりしているということは否定できない、と考えたのだ。すなわち、自分はニヒリズムを相対化することに成功したのだが、それ以来段々と、この「いま・ここ」への集中、現在の時間を味わい尽くす、というような姿勢が自分の基本的な生存様式になり、それは書くことに対する欲望と結びついて、現在時点を絶え間なく言語化する営みへと結晶したわけだが、それによって、この「いま・ここ」の実在さえもが解体されかかった、というのが今回の危機だと考えられる。
 言語化とはそのまま相対化である。しかし、ほかの人々が例えば、自己などというものは存在しないのではないか、いま自分が見ているこの世界は実在しないのではないかなどと考えたとしても、それで少々不安を覚えるようなことはあっても、実際に自我の解体の危機を感じるなどというところまでは行かないはずだろう。実際、そのような議論を行っている哲学者たちは、実に理性的に、その自我を保ちながら論を考えているはずだ。ところがこちらにあっては、こちらが考えたこと、こちらの頭のなかに浮かんできた言語が、そのまま強い不安という身体症状を引き起こすわけである。こちらが感じ考えたことを言語に移し替えているのではなく、言語として浮かんできたことがそのままこちらが感じ考えていることになるかのようだったのだが(ここ数日の自分の体験を言い表すのには、「言語が第六の感覚器官になった」という比喩よりぴったり来るものを思いつけない)、これは明らかに異常であり、この点にこそ自分の狂いがあるのかもしれない。しかし、実際には、これはやはり不安障害が寄与しているものだろうと思う。不安に襲われている脳と身体というのは、瞬間瞬間に自分の思いつくことの影響を、非常にダイレクトに受けてしまうのだろう。あるいは、不安障害自体を、意味論的体系が現実的体系と畸形的にずれ、あまりに過剰になりすぎる病状として定義することもできるのかもしれない(何しろ、ほかのほとんど誰もが危険や不安を感知しない場において、「不安」の意味を読み取ってしまい、それが高じて発作を誘発するくらいなのだから)。だから、最初のパニック発作の時点でこちらの頭はどこか決定的にずれてしまい、その後ずれにずれ、意味論的体系が膨張しすぎて今に至っているのかもしれない。
 それはともかく、腰掛けに就いてものを考えるあいだ、開き直りの瞬間があった。自分の相対化傾向、考え、書く欲望が狂気の不安を呼ぶのだとしても、自分はやはり、自分とはどのような存在なのか、自分の不安は一体どこから来るのか、勿論最終的にはわからないにしても、その都度考え、書き続けたい、自ら不安を呼び寄せながらも考え続ける、それが自分なのだ、という形で自己像の統合が図られた。それで気分がわりと収まったので、エリクソンの『アイデンティティ』を書棚に戻し、それから古井由吉『白髪の唄』を読みはじめた(と言ってやはり、読んでいて文の意味が良く取れなかった)。
 それで二時半前になると席を立ち、館を出て医者へ向かう。歩くあいだ、朝に食べて以来腹に何も入れていなかったので、身体が寒くて仕方がなかった。ビルに入り、階段を上がって行く。待合室に入ると、既に二人程度人がいたが、カウンターで聞くには五番目くらいになりますとのことだった。室の奥の、角近くに腰を下ろし、古井由吉『白髪の唄』を読んで待つ。先ほど考えを開き直らせたので、臆することなく小説に集中しようとしたが、やはり知覚が相当拡散的になっていて、文を読み取っているつもりがすぐに何かほかの感覚刺激に逸れてしまう。それでも一時間以上、顔をあまり上げずに読み続け、呼ばれたところで診察室に入った。
 半年ぶりだという話だった。ずっと薬を飲まずに来て、それで大丈夫だと思っていたのだが、最近またちょっと調子が悪くなりはじめた、と話しはじめた。それで、日記として毎日の生活を初めから終わりまで綴る営みを行っていること、それを続けた結果、生活をしているその場で頭のなかに言葉が溢れてくるようになったこと、それが離人感に繋がっているらしいこと、などを話した。(……)がキーボードを打って情報を入力するのを待つのだが、ここで自分は何だか以前よりも待つことができず、やや性急に続きを話しはじめてしまったような感じがした(これはあとで薬局の局員と受け答えをした時もそうだし、その後の帰路でもそうだったのだが、自分の行動(のみならず、単に頭の角度を変えるという程度のことでも)や知覚、相手の発言の意味の理解やこちらから送り出す言葉のスピードが、やたらと速く感じられたのだ)。話を進めさせていただくと、と前置きをして、物事を言語化するというのは相対化をするということと同じなのだが、それで最近は思考が勝手に、例えばいま目の前に見えているこれは本当に実在しているのか、とか、そういったことまで考えてしまい、それで自我の統合が危うくなっている気がする、というようなことを説明した。(……)は笑って、哲学の理論だとそういうことは言いますけどねと言い、それをこちらも笑って引き取って、そう、それはあくまで理論なんですけど、その理論がそのまま身体に影響してきてしまうんですよ、と言った。その後、ソシュールとかハイデガーとかデカルトとかの名前も出て、例の「我思う故に我あり」の言も聞かれたが、こちらはそれが体感として本当に良くわかる、とこれも笑って返した。そのように話しているあいだも、分離感が結構あり、自分が話すように操られているような感覚があった(何かが自分を操っているのだとしたら、それも自分自身のほかにはないのだが)。
 話をちょっと戻すと、相対化のことを説明した際に、自分にはそもそも性質として、どうしても「確かな」ものを求めようとしてしまうところがある(格好良く言えば「真理」への愛であり、すなわち哲学=フィロソフィアである)、しかし同時に、(普遍的に)確かなものなど存在しないのだということもわかっている、しかし、その都度その都度「確かだと思われたもの」で良いので、そうしたものをその都度その都度発見して行きたいのだが、それが今回、不安性向と結びついて極地に至ったのではないか、という自己分析を話した。つまり、その時々の「確かな」事柄を判断するために自分の精神は瞬間的な物事の相対化を行うが、直後にはすぐさま、それが本当に「確か」なのかと疑いはじめてしまい、不安を呼び起こす、そしてその不安から逃れるために/不安から追い立てられて、精神は高速で次の「確かさ」を探り当てようとし、発見したかと思えばそれをまたすぐに相対化しはじめる、といった具合で、自分の頭は永遠の循環に陥っているのだろう。実際、今回の危機でもそのままこれが起こって、目の前の世界の実在を疑い不安が生じるやいなや、身に湧き上がってくる不安こそが「リアル」なものとして感じられ、それで自分はまだ正気であると確認する、しかしそのすぐあとにはまた自らの正気を疑いはじめる、というような反復が何度も繰り返されたのだ。どうもそのように非常に分裂的な傾向が自分にはあるらしいと説明し、しかしもうそれで仕方がないと思っている、自分は不安を感じながらでも、その都度の確かさを求めて行きたい、それが自分なのだと先ほど図書館で開き直った、ということも話し、ただ、その分裂の幅をもう少し狭くしたいので、その点、薬で調節できたらと思っていると告げた。つまり、三日に(……)との通話で出てきたキーワードで言えば、自分の精神は明らかに「動きすぎて」いたのだが、「動きすぎず、動き回りたい」というのがこちらの望みなのだ。また、この「分裂」を主軸として自分の不安の意味論的体系を(ある程度まで)読み解くこともできると思われるのだが、それはここでは触れない。さらにまた、自分のこのような特性を観察した結果として、むしろ「不安」こそが自分を自分として成り立たせている第一/最終原理、つまりはそれ以上相対化できないものとして定位されているのではないか(中世のキリスト教神学者たちが「神」に与えていた地位が、自分においては「不安」になっている)と考え、さらにそこから、「悟り」というのはこの「不安」でさえも相対化/解体しきったその先にあるのではないかということも考察したのだが、それもここで細かく述べる気にはならない。しかし今回のことで、仏教の言う「一切皆苦」という考え方がこちらには身に染みて理解できた。釈迦は不安障害患者だったとしか今の自分には考えられない。
 以前に飲んでいたスルピリドロラゼパムをまた出してもらうことになった(医師はスルピリドだけでも大丈夫だと思うが、と言ったのだが、もしそれで不安が収まらなかったら、という不安があったので、こちらが頼んだのだ)。礼を言って診察室を去り、ソファに掛けて、本を鞄にしまってストールをつけ、前かがみになってじっとした。この時、自分の動きのいちいちが(ちょっと頭の位置を変えるだけでも)際立って感じられた。会計に呼ばれるのを待っているあいだは、また何か頭のなかで思念が渦巻いていた覚えがある。支払いをするとビルを出て、隣にある薬局に入った。
 カウンターにいた局員に処方箋と保険証を渡し、席に就いていると、先ほどの局員が寄ってきて、何か差し出してくる。プラズマ乳酸菌とかいうもののサプリメントらしく、試供品として配っているとのことだった((この時、局員の説明に対して、はい、はいと受ける自分の返答がやたらと速い気がした)。礼を言って、古井由吉『白髪の唄』を読んでいると、いくらもしないうちに呼ばれたので、カウンターに行く。女性局員が、今日は以前お出ししていたのと同じものを、二八日分ですねと言うので、最近ちょっとまた調子が悪くなりまして、と受けたのだが、彼女が慇懃な笑みを浮かべたり、眉を下げたような労りの表情を示すのに対して、何の感情も自分から生じないのに不安を覚えた。また、やはりここでも、相手の言葉をはい、はい、と受けるその間が速い気がした(と言うか、速く話を進めたい、という焦りのようなものがあったのかもしれない。やはり不安に追い立てられてのことだろう)。感情が解体されていくかのような不安というのは、表層的に、すべてを高速の論理過程として把握しているかのような感じがしたのだが、もしかすると「悟り」というのは、ある種の『表層批評宣言』なのかもしれない。つまり、相対化を無限に繰り返して行くことによって、この世に真相=深層が存在しないということを最終原理とすることなのかもしれないなどと、そんなこともこの数日で考えた。
 薬を受け取って薬局を去ると、随分と長いこと何も腹に入れていないので(そう言えば、精神科の待合室にいるあいだには、身体が手の先まで冷えきって、このままだと倒れるのではないかと感じた時間もあった)、ひどく寒かった。駅に戻って電車に乗り、(……)で降りると、自販機でココアを買って飲む。ベンチに就き、古井由吉『白髪の唄』を読む。じきに電車が来たので乗り込んで、座席に就いて本を読み続けるのだが、この時、同じ車両の離れたところで子どもたちが遊んでいるのを、うるさいな、とか思った瞬間があり、自分がそう思ったということにまた不安になった。子供らが遊んでいるのに、ちょっとうるさいと思うことなど勿論誰もあるだろうし、自分も例外ではないが、前はそのような思いが浮かんでも不安になるなどということはなかったはずである。ところがこの時は、それが何か自分に属していない悪い想念が勝手に浮かび上がってきたかのように感じられた。ここからは、こちらが実は自分は高潔でなければならない、というような強迫観念(強迫観念で言えば、自分の書くことに対する欲望は、もはや強迫観念とほとんど差のないようなものだろう)を持っており、普段、悪心を抑圧しているのではないかという解釈が予想され、それはまた分裂気質と繋げてさらに広い体系を並べることもできるのだが、今はそれを書くのは面倒臭い。駅や電車のなかではまた、感情が急速に解体されていく、というような妄想が感じられた。歳を取ればそれは皆、そうなっていくものだろうが、しかし感じられる自分の変化が速すぎて、何か失ってはならないものを失ってしまうのではないかという不安を覚えた(しかし自分は元々、もっとさまざまなものを外部から取り込んで、自己を変容させていきたいと思っていたはずである。ここにも、変わりたい自分と変わりたくない自分の分裂が見られ、こうした二項対立が至る所に見出されるのだが、こちらの「無意識」は全体としてそのように、非常に「葛藤」的なものなのかもしれない)。これらの危惧は、抗不安薬を服用しはじめた今だから言えるが、不安に追い立てられて抱いた妄想に過ぎない(ヴィパッサナー瞑想をやったり、日記書くことで自分自身を相対化することを習慣づけてしまった自分の感情は、大方の人よりは抑制的なのかもしれないが、それが一気に失われてしまうなどということはないだろう)。
 それで、電車内から不安を散らしたくて深呼吸を始め、降りてからの帰路もずっと続けながら帰った。家に帰って母親とやり取りをすると、妄想が浮かんでこず、自分の身体がいくらか落着いていることがわかったので、安堵した。腹が減っていたので、玉ねぎと豚肉の炒め物を作り、白米とともに食事を取った。食事のあいだも深呼吸を続けていた。
 そうして室に帰り、いよいよ薬を一粒ずつ服用してみた。これで不安が収まらなかったらどうしようかという不安が勿論あったのだが、果たして服用した直後は、不安が収まるどころかむしろ高まり、腕から指の先まで、芯が冷たくなったようで、その不安を収めるために呼吸を頑張るのだが、やはりそれがかえって駄目なのか、余計に不安が増長する。不安を抑えたければまずは不安がそこにあるという状態を受け入れなければならないと、その点、過去の体験で十分わかっていたはずだが、実際には難しいことである。しかし方針を転換して、薬も飲んだことだし、成すがままに任せようと呼吸を自然なものに戻すと、じきに心身が落着いて行った。
 その後、入浴などの時間については覚えていない。八時半過ぎから書き物を始めたのだが、時間が過ぎるのが大層速く、気づけば三時間を一息に綴って、一一時四〇分に至っていた。久しぶりに、時間に対して「もう」の感覚を抱いたものだ。最近はむしろ、時間が過ぎるということがいつも遅く感じられて、自分は時刻の観念を解体することに成功したのだななどと思っていたのだけれど、あれは不安に追い立てられた頭の思考速度が上がっていたということなのか、あるいはやはり不安に浸された心身が、いつまで経っても時間が過ぎてくれない、と感じていたということなのだろうか。
 その後、歯磨きをしながら他人のブログを読んでいると、またいつの間にか零時半ほどになっている。とこう書いていま気づいたのだが、ここ最近は不安に蝕まれた心身(この表現がほとんど比喩でなく、現実そのものとして感じられるのが不安障害というものである)のために頭の働きも極端に多動的になり、知覚も拡散的になっていたので、多分自分は作業や行動の合間にきょろきょろと目を動かしてしまい、それで頻繁に時計の時間が目に入っていたということではないだろうか(そして、頭が非常に活動的になっているので、そのたびに視認した時刻を定かに記憶に留めてしまう、というわけだ)。口をゆすいでくると、さっさと床に就いた。精神安定剤のおかげで眠気が湧いており、入眠にはまったく苦労しなかった。

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