2018/2/24, Sat.

 五時頃だったかに一度覚めた時に服薬をしたが、それからあまりスムーズに寝付けなかった。目を閉じていると、何故か自ずと、瞑想時のように瞑目の視界に靄の流れが湧いており、意識が沈んでいかない感じがしたのだが、これはもしかすると、前日に音読をしすぎたためなのかもしれない(前日は合わせて五時間強、文を読んでいる)。しかし夜が明けるまでには入眠し、最終的に九時一五分に覚醒した。しばらく寝床に留まってしまうが、このあいだ、思念の流れが以前よりも小さく遠くなったように感じられて、あまり気にならなかった。
 上階に行く。ストーブの前に座っていると、父親が洗面所から出てきたので、挨拶をした。こちらも洗面所に入って顔を洗い、嗽もする。食事は炒飯である。それをよそって電子レンジで熱し、冷蔵庫にワカメや玉ねぎのサラダの残りがあったので、一緒に卓に並べて食べた。父親は今日休みで、クリーニング店に行くらしく、灰色の布袋を持って出かけて行ったので、行ってらっしゃいと声を掛けた。母親は卓の向かいに就いて、どうしようかと迷ってみせるのは、ここで(……)(姪)が初節句で、前日に(……)から贈り物が届いたのだが、三月三日までに(……)(義姉)のほうまで送らないと、ということだった。昨日(……)から荷物が届いたということを(……)に知らせておくか、それとも我が家の贈り物と同じタイミングで、一緒にまとめて送ってしまうかと言うので、後者のようにして、その時に(……)の贈り物についても触れて連絡しておけば良いのではないかと答えた。母親は今日は認知症サポーター養成講座というようなものに出かける予定があって、それがイオンモールで開催されるものなので、早めに行って贈り物を見繕ってくるつもりらしかった。
 食後、温かい汁物も飲みたいなという気になり、即席の味噌汁を飲もうかと思ったところで、ガスコンロの上の鍋を覗けば、前日の汁物がちょっと残っている。それでそれを温めてよそり、ヨーグルトとともに卓に運んで、追加で食べた。そうして皿を洗い、風呂場の束子をベランダに干しておき、風呂桶を擦って洗う。母親はそのあたりのタイミングで出かけて行き、こちらは白湯を持って下階に帰った。
 コンピューターを点け、前日の記録を付けたり、インターネットを少々覗いたあと、一一時から読書に入った。ヴァージニア・ウルフ/御輿哲也訳『灯台へ』である。読むのはもう四回目か五回目くらいではないかと思うが、音読しているとやはり、書抜きたいなと思う箇所が見つかるものである。下に一箇所だけ引いておくが、これは、後段のうち「だめだ、僕にはうまく言えない、ちゃんと気持ちがこもらない。でもどうしてなの、と夫人は考えた」という部分、内面の発話=台詞が直接に接しながら記述の焦点がタンズリーから夫人に移っている、その転換の素早さ、鮮やかさにはっとするような感覚を抱いた点である。

 (……)道端で一人の男がポスターを貼っているところだった。大きなひらひらした紙が平らに広げられ、ブラシの一刷けごとに、多くの足、曲芸用の輪や馬、きらきら光る赤や青が鮮やかに姿を現わし、やがて壁の半分ほどがサーカスの広告でおおわれた。百人の騎手たち、二十頭の芸をするアザラシ、ライオン、トラたちが……夫人は近視だったので首を伸ばして読みあげた……「もうすぐこの町にやって来る」 でも片腕の人があんな梯子の上で働くなんて危ないわ、と思わず彼女は大声になった――二年前、あの人は刈取機に巻き込まれて左手をなくしたんです。
 「皆で行ってみましょうよ!」 また歩きだしながら、まるでたくさんの騎手や馬が子どものような興奮を与え、あわれみなど忘れさせたかのように、夫人は叫んだ。
 「行ってみましょう」とタンズリーは彼女の言葉を繰り返したが、自意識過剰でぎこちない言い方になってしまい、夫人をたじろがせた。「サーカスに行きましょう」――だめだ、僕にはうまく言えない、ちゃんと気持ちがこもらない。でもどうしてなの、と夫人は考えた。彼のどこがいけないのかしら。彼女は急にこの青年をいとおしく感じた。子どもの頃サーカスに連れてってもらったことはないんですか、と彼女は尋ねてみた。ええ一度もありません。それが一番言いたかったかのように、サーカスなど行ったことがないとずっと前から打ち明けたかったんです、と言わんばかりにタンズリーは答えた。何しろ大家族で、九人の兄弟姉妹がいて、父は労働者階級ですから。
 (ヴァージニア・ウルフ御輿哲也訳『灯台へ岩波文庫、二〇〇四年、21~22)

 一二時二五分まで、一時間二〇分のあいだ読んだが、過ぎてみると時間が経つのがあっという間だなという思いが湧いた。その頃には父親が帰ってきており、階上に人が動く気配があった。こちらは読書後、目を閉じてしまって、しばらく微睡みのなかに入った。微睡みとは言っても、意識は保たれており、無数の思念や言葉が素早く、細く勢いの良い水流のように流れて行くのが見えていたが、そのどれも記憶には引っかからず、ただ流れすぎていくのみで気になることもなかった。一度目を開けると二五分が経っていたが、今度はもっと横たわった姿勢になってふたたび目を閉ざしてしまい、そうすると安穏とした心地良さが訪れる。一〇分後、父親の足音が階上に聞こえたのを機に起き上がった。
 何をするかと迷う心があってインターネットを覗いたのだが、結局、やはり日記を書くかという気になって打鍵を始め、ここまで記して一時四五分になっている。
 さらに前日の記事を続けて書き、仕上げると二時二〇分、上階へ行った。洗濯物を取りこんでから、食事を取ることにした。炒飯の残りがあったのでそれと、冷凍食品のたこ焼きを六個、袋から皿に出して温めた。卓に移動すると、テレビは点けずに静かにものを食べた。父親は外で何か作業をしていたのだが、これはどうも最近、テーブルと椅子を手製で拵えているらしい。それを家の南側のスペースに置いて、隣の(……)や近所の人など呼んで、お茶でもしたら良いじゃないかという話のようだ。
 こちらはその後、タオルを畳み、アイロン掛けをして、下着や靴下も畳んで炬燵テーブルの上に並べておいた。時刻は三時過ぎだった。下階に戻ると兄の部屋に入ってギターを弄った。三時半過ぎまで弾くと自室に戻り、日記の読み返しを行った。昨年の二月二四日は川に散歩に行っているのだが、川面を眺めての記述が我ながらなかなか緻密に書けているものだと思われたので、下に引く。

 自分の立っているあたりを境にして、背後、西側の水面は底が透けて、錆びついたような鈍い色に沈み、その上に無数の引っ掻き傷めいた筋が柔らかく寄って渡るだけだが、境のあたりから流れの合間に薄青さが生じ、混ざりはじめて、前方の東側ではそれが全面に展開されていた――空の色が映りこんでいるのだが、雲の掛かり、時間も下って灰の感触が強くなった空そのものよりも遙かに明度の高く透き通った、まさしく空色である。水面は鏡と化しながらも、液体の性質を保って絶え間なくうねり、反映された淡水色の合間に蔭を織り交ぜながら、青と黒の二種類の要素群を絶えず連結、交錯させて止むことがない。視線をどこか一部分に固定すると、焦点のなかに、無数の水の襞が皆同じ方向から次々とやってきては盛りあがり、列を乱すことなく反対側へと去って行くのが繰り返されるのだが、見つめているうちに地上に聳える山脈の縮図であるかに映ってくるその隆起は、すべて等しい形のように見えながらも、まさしく現実の山脈と同じく、一つ一つの稜線や突出の調子にも違いがあり、言語化など不可能なほどに微妙な差異を忍びこませながら、それを定かに認識して意識に留める間も十分に与えないうちに素早く横切ってしまう――その反復のさまは、催眠的と言うに相応しかった。

 さらに二〇一六年一〇月一三日も読んだのだが、なかに、「高速で移り変わって行く思念を追いかけ」とか、「横になってからも脳内を言葉や声が駆け巡り」などとあるので、自分の頭は概ね、以前から今と同じような感じだったのだ。言語に習熟して思考が多少速くなったということはあるかもしれないが、道を歩きながら、自分は本当に、頭のなかで常に独り言を言っているなと思ったり、それに意識を向けすぎて知らぬうちに声に出してはいなかったかなどと思った記憶もある。以前はそれが大丈夫だったのだが、それが年末年始の騒ぎで、思念の存在そのものが神経症の対象になったというのがこのところのこちらの苦しみの実情だろう。分類としては、やや特殊かもしれないが、雑念恐怖というものにあたるのだろうか。今はもうだいぶ慣れてきたので、このまま慣れていければそれで良いと思う。
 インターネットを回ってから他人のブログを読むと五時半前である。運動を行った。気分ではなかったので、音楽は流さずに身体を動かし、筋肉トレーニングも行った。それから上階へ行くと、母親は既に帰ってきており、台所で料理を行っていた。こちらは職場での会議のために七時過ぎには家を発たなくてはならなかったので、ゆで卵と豆腐を用意した。認知症サポーター講座は良かった、寸劇などもやって泣けたと母親は話した。それから父親について、夜遅くまで酒を飲んでオリンピックを見ながら騒いでいる、あれが嫌だという風に愚痴を洩らすのだが、こうした愚痴には以前は苛立っていたところ、最近はほとんど気にならず流せるようになり、苛立ちというほどのものも湧かなくなった。これが、精神安定剤を服用しているために心が落着いているからなのか、ヴィパッサナー瞑想的な自分の感情に巻き込まれないという姿勢がより身についたということなのか、確かなところはわからないが、多分両方あるのだろう。食後、こちらは勝手口に出てストーブの石油を補充したり、翌日が廃品回収だったので新聞を縛ったりしたのだが、母親はそこで、身体の痛みを訴えた。右半身が頭から脚まで痛いと言う。そう聞くと、脳の病気を疑ってしまい、もし本当にそうだったらどうしようという不安な思いが湧くのを留め得ない。台所で作業をしていると寒くて、立っていると辛くなって座りたくなると言うのに、とにかく精密検査を受けたほうが良いと応じた。こちらとしてはとにかく、頭に何かあるのではないかとその点が気に掛かって仕方がない。一年前だかに詳しい検査を受けた際には、腰のあたりだか、背骨がすり減っているということを言われたらしく、それで神経に来ているということも考えられる。ソファに座りながら話を聞き、とにかく精密検査を受けることと、自分に合った運動やストレッチを見つけることだろうと話を締めくくった(こちらとしては、身体をほぐすという点でやはりヨガが良いのではないかと思い、ヨガの催しなんかがあれば行ってみたらどうかと提案した)。
 歯磨きと着替えをし、糞も垂れて七時過ぎに出発である。夜道のなかを出かけて行くというのはやはり何だか物寂しいというか、不安を微かに惹起させられるような感じがした。どうせ歩くのだったらやはり陽光の下が良いものだ。裏通りの静けさのなかに入るのも躊躇われて、車の音や光に耳目を向けながら、また呼吸と足音を意識しながら表通りを行った。
 会議中は、後半、ちょっと退屈さを覚えることもあったが、たくさん笑うことができたのがありがたかった。帰路も歩きになったのだが、街道を行きとは逆向きに進みながら、考えとは自由ではないのではないか、ということを思いついた。人が何を感じ、何を考えるのかは、自分で決定することはできず、感情や思念とは向こうから勝手に湧き上がってくるものであり、言わばそれは我々に「課せられた/押し付けられた」ものであり、我々はそれに対して第一の地点においては受動的であらざるを得ない(だからこそ最近の自分は、自分の考えが恐ろしかったのだ。望んでもいないような考えが自動的に去来し、それによって言わば「洗脳」され、自分が今の自分から変化していき、いつか恐ろしい考えを持った存在へと変貌してしまうのではないかという不安があったのだ)。自由というものがもしあるとしたら、何かを考えるという点にではなく、常に既に何かを考えてしまったそれに対してどう応じるか、無数の思念や感情のなかからどれを拾い上げて自分のものにし、行動に反映していくのか、そうした現実化の水準にこそあるのではないか(あるいはそこにしかないのではないか)。ここのところの自分は、殺人妄想によって少々苦しめられ、自分はまさか本当に人を殺したいと思っているのではないだろうなと怖れた数日があった。しかし今はそうではないと断言できる(この点、自分の精神は安定して、正気を取り戻してきている)。誰かを殺害するイメージが湧くこともなくなったし、もしそれがまたやって来たとしても、自分はそれが一瞬の単なる(感情や欲望を伴わない)妄想、言わば脳の誤作動のようなものだとして真に受けないし、「殺す」という言葉が浮かんできたとしても、それは単なる思念に過ぎず、自分は自分が人を殺したりはしないことを知っている。これが自由ということではないのだろうか? そんな風に思考を巡らせながら、こうしたことについて誰かと話してみたいなと思った。
 歩みの最中はまた、自分の自動感についても考えが向いたのだが、これについては今はあるようなないような、あまりはっきりしない。少なくとも、それが気になって仕方がないということはなくなったので、あるとしても適応してきているようだ。この自動感というものが何なのだろうと考えた時に、それは、死を終末とした生/時間の流れのなかの、その都度その都度の瞬間(それはほかのどの瞬間とも異なっており、そのどの瞬間も本質的にまったく一回性のものであって、純粋に繰り返されることは決してない)に不可避的に「嵌め込まれている」という感覚ではないのかと、そんな言い方を思いついたのだが、これが妥当な言語表現なのか、どういうことなのかは自分でも理解できていない。
 歩いているうちに、近くに街灯がなくて、周囲より一段と暗くなっている一角に差し掛かり、その暗さに気づいて歩調を緩めた時があった。暗闇や、向かいの家の正面に僅かに灯る明かりに目をやりながら、この瞬間、こうした瞬間があるな、と思った。それからちょっと進んで、中学校のほうに入っていく横道の前を越えたあたりでは、本当に夢のように時間が過ぎ去っていくなとの感慨が兆した。
 帰宅して(一〇時半を過ぎていた)、食事は父親が買ってきてくれたフライドチキンに、レタスなどのサラダである。テレビはカーリングのハイライトや選手へのインタビューを映して、父親は笑みを浮かべながらそれを見ていた(少々感動しているような、もしかしたら涙を催しているのだろうかというような調子の声を洩らしてもいた)。
 入浴、時間も遅かったので、束子は足の裏を念入りに擦って、全身隈なくというわけには行かなかった。会議の途中からだっただろうか、頭痛があった(最近は頭の違和感や弱い頭痛が多いのだが、このあたり、まだ神経が整いきっていないということなのではないか)。歯磨きをしたあと、『灯台へ』を少しだけ音読したが、この時、頭痛がちょっとほぐれたような、和らいだような感じがしたように思う(音読で頭を使うはずなので、むしろ助長されるのが道理ではないかという気がするのだが)。零時三五分に就寝した。

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2018/2/23, Fri.

 一度目に覚めた時、六時直前で、以前よりも長く覚醒することなく寝られるようになっているのではと希望を持った。ただ例によって、薬の袋を寝床に持ってきておくのを忘れていたため、寒さのなかに起き上がるのが億劫で服薬できず、そうすると、その後はあまり深く眠った感じもしなかった。それでも目を閉じ続けて、八時二〇分になると自ずと覚醒が来た。また一日が始まってしまったか、という思いが少々あり、それはまたあの途切れなく続く思念の連鎖のなかに放り出されねばならない――と言うか、覚醒時から既に放り出されているわけだが――というような思いだった。呼吸をしながら寝床に留まって、時計が一秒を刻む音を聞いていても、時間がするすると流れ去って行き、気づけば一〇分なり一五分なりが経っている。我々は時の牢獄のなかに囚われているのだ、とこんなことを言っては格好付けが過ぎるが、それでも、大いなる時の流れとでも言うべきものがすべてを支配しており、自分自身の行動、思い、その存在さえもがその流れのなかで、そこから逃れようもなく、自動的に押し流され、過ぎ去って行く。例えば、寝床から起き上がろうと思った、あるいは心中にそのような言葉を作ったその意志、その言葉までもが、自分が作り出したものではなく、流れのなかで泡[あぶく]のように自動的に生じてきたもののように感じられるのだ。そのようにして、すべてはただ流れて行き、終末には死が待っているのだが、自分自身にとっての死というものが一体どういうものなのか、我々の誰も決して知ることはできない。
 八時三五分頃になると起き上がって上階に行った。今日も寒いねと母親に言って、ストーブの前に座る。それから便所で用を足し、食事の用意をする。前晩、風呂から出たあとに、米を新たに用意し、早朝に炊けるようにしておいた。母親はそれについて、礼を言ってくれた。その白米をよそり、納豆が食いたかったのだが、汁物に使ったようで冷蔵庫には目当てのものはなく、茶漬けにして食べることにした。そのほか、納豆とワカメと菜っ葉の汁物に、前夜の残りの煮物とサラダである。
 テレビは『あさイチ!』を映していて、この日も過去の放送の特集で、遠藤憲一が出演していた。それに目を向けながらものを食べると、母親が、何やら話を始める。話題が連想的・飛躍的に飛んでいき、要領の良い全体の要約が見えないままに細部の説明に拘泥し、本題を短く示すことなくその周囲を迂回してばかりいるその語りぶりは、バランスの良い物語的な構造を欠いており、ある種「小説」的と言えなくもないのかもしれないが、それはともかくとして、要点は、ガイドヘルパーというものの講習が三月の日曜日に毎週あるけれど、それを受けても良いものかどうか、ということだったようだ。この前日に「(……)」という団体に話を聞きに行ってきて、講習を受けて資格を取ればその団体にヘルパーとして登録し、例えば週一日からでも障害を持つ人の支援の仕事をできると言う。懸念材料としては、今、「(……)」という、これも発達障害のある子どもを支援するというものなので職種は似ているのだが、別の職場で働きはじめたばかりであること、(……)の仕事もあること、また日曜日となると父親が自治会のほうの用向きで忙しいこと、さらには三月頭に兄がロシアから帰ってくるような話もあり、そうすると皆で集まるのではないかということ、そしてまた父方の祖母の米寿の祝いに三月に集まろうというような話も出はじめていることと、そうした諸々が重なって忙しいだろうところに、また新しいことに手を出すと色々やりすぎではないかという思いがあったらしい。それで、ひとまずガイドヘルパーのほうは置いておき、今、「(……)」の仕事を始めたばかりなのだから、まずそちらの仕事がどうか、自分に合っているか、そうしたことを様子見したほうが良いのではないかと助言した。講習は毎月あるというので、チャンスはまだまだある。「(……)」の仕事だって、ガイドヘルパーのそれと多少重なるのだから、それに多少習熟してからのほうがタイミングとして良いのではないかという風に述べた。そのあいだ、インターフォンが鳴って母親が出に行くと、(……)(母方の祖父の末妹)からの届け物である。話が終わったあと、包みをひらいてみると、(……)(姪)がここで初節句を迎えるので、それに対する心付けと贈答品だった。両親宛に付されていた手紙を読ませてもらったが、和紙に直筆で挨拶文を綴ったもので、この人は毎度のことながら丁寧に心遣いを調えてくれるもので、母親としてはまたお返しをしなくてはという点で頭が痛いのだろうが、こうした今では古いようになったであろう作法は、個人的には好感を持つものである。
 風呂を洗うと、フロアに掃除機も掛けた。祖母の部屋から始めて、台所や玄関まで行ってから居間に戻り、仕事を終えようとしていたところ、母親が、洗面所とトイレはと言う。やっていないと答えると、それでは渡すようにと言うので、あとは任せることにして、白湯を持って下階に下りた。コンピューターに向かい合い、Amazonアソシエイトのレポートをまず見たが、始めてから二三日、未だクリック数二で停まっている。一日二〇から三〇程度のアクセスでは、そんなものだろう。アフィリエイトを導入したからと言って、読んだ本の感想などを無理に書こうとするのも面倒臭い、自然と浮かんできたものを書くスタンスで行きたいと思っている。これから記事の集積が進むうちに、いくらかなりと収益が発生してくれるとありがたい。
 それからここまで日記を書いて一一時前だが、朝には肌寒い曇天だったのが、先ほどちょっと陽が射して、今もベッドの枕元にうっすらとした明るみが乗っている。
 W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』を読んだ。ベッドに乗って身体の上に布団を掛け、急がずにゆっくりとした調子で、一節一節の意味をきちんと取ろうとしながら音読をしていくのだが、これがなかなか充実した時間になった。ゼーバルトの語りというのは、いつの間にか別の時空、別の記憶、別のエピソードに移っているその理知的で淀みのない移行ぶりも洗練されているのだが、各部分での語りの内容も、具体的な情報や修飾が緻密に付与され、引き締まりながら充実しており、ただ読んでいるだけでわりと面白い、というようなところがあるようだ。歴史だとか人物史を魅力的に語るのが上手いな、という感じがあって、この時読んだなかでは、エドワード・フィッツジェラルドという人物の生涯を語ったくだりが読んでいて面白かった(それにしても、ゼーバルトのこの本に出てきて詳しく語られる人々というのは、皆、何らかの不幸のようなものを抱えて、翳を帯びたような人物ばかりではないか?)。それとは別の部分だが、書抜きたいと思った箇所を一つ、下に引いておく。「書くことによって賢くなるのか、それとも正気を失っていくのかもさだかではない」という一節は、どうしても自分の身に照らし合わせてしまう。自己客体化を徹底し、日々の生を書き綴るこの営みによって、自分は段々と狂いつつあるのではないかという疑念を、完全に否定し、拭い去ることがどうしてもできないでいるのだ。

 ミドルトンの村はずれ、湿原のなかにあるマイケルの家にたどり着いた時分には、陽はすでに傾きかけていた。ヒース野の迷宮から逃れ出て、しずかな庭先で憩うことができるのが僥倖であったが、その話をするほどに、いまではあれがまるでただの捏[こしら]えごとだったかのような感じがしてくるのだった。マイケルが運んできてくれたポットのお茶から、玩具の蒸気機関よろしくときどきぽうっと湯気が立ち昇る。動くものはそれだけだった。庭のむこうの草原に立っている柳すら、灰色の葉一枚揺れていない。私たちは荒寥とした音もないこの八月について話した。何週間も鳥の影ひとつ見えない、とマイケルが言った。なんだか世界ががらんどうになってしまったみたいだ。すべてが凋落の一歩手前にあって、雑草だけがあいかわらず伸びさかっている、巻きつき植物は灌木を絞め殺し、蕁麻[イラクサ]の黄色い根はいよいよ地中にはびこり、牛蒡は伸びて人間の頭ひとつ越え、褐色腐れとダニが蔓延し、そればかりか、言葉や文章をやっとの思いで連ねた紙まで、うどん粉病にかかったような手触りがする。何日も何週間もむなしく頭を悩ませ、習慣で書いているのか、自己顕示欲から書いているのか、それともほかに取り柄がないから書くのか、それとも生というものへの不思議の感からか、真実への愛からか、絶望からか憤激からか、問われても答えようがない。書くことによって賢くなるのか、それとも正気を失っていくのかもさだかではない。もしかしたらわれわれみんな、自分の作品を築いたら築いた分だけ、現実を俯瞰できなくなってしまうのではないか。だからきっと、精神が拵えたものが込み入れば込み入るほどに、それが認識の深まりだと勘違いしてしまうのだろう。その一方でわれわれは、測りがたさという、じつは生のゆくえを本当にさだめているものをけっして摑めないことを、ぼんやりと承知してはいるのだ。(……)
 (W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』白水社、二〇〇七年、171~172)

 ここまで記して一二時四〇分ほどになり、上階を覗きに行ったのだが、母親は既に出かけていた。下階に戻ってくると、運動をしようと思っていたところが脚が隣室に向いてしまい、ギターをいじりはじめる。楽器を触っているあいだは、独我論めいたことを思い巡らせていたのだが、その後、自室に戻って運動を行い、また食事を取りに行くあいだなどは、結局やはり、呼吸が根源なのだと考えていた。呼吸という人体の機能が根本的な部分で生命維持を司っており、呼吸がなければ身体的・精神的の双方を含めて人間の成す諸活動が何もできない、と言うか我々が存在できないのは自明のことである。呼吸という機能は従って、存在の証となる働きであり、その呼吸を感じるということは、そのまま自らの存在を感じるということである(ここには本当は、論理的・言語的に飛躍が挟まっているような気もするのだが、ひとまずこのように考えたい)。自分はどちらかと言えばやはり、生き生きとした生を生きたいものだと考えるが、生き生きとした生というのが、自らと他者や世界の存在をその都度よく感じ取るような生き方だとするならば、恒常的に存在している呼吸の感覚に目を向け、またそれを経由して自分の行動や知覚をも現在の瞬間においてよく感じ取るような生き方がそうだとは言えないか。さらに、我々が存在の証である呼吸をどうして維持できているのかと言うと、それは当然、食べ物を食べることで身体の機能を保っているからである。栄養を摂取することで呼吸をすることができ、呼吸をすることによって身体を維持するという循環的な関係がここにはあるわけで、呼吸と食べることという二つの活動が、根源的な部分でまさしく我々を存在させていることは確かだと思われるが、食べなければ息をすることもできないのだから、我々は我々の外部にあるものを取りこむことでしか存在できないのであり、外部によって生かされているというのは明らかではないか? 概ねそのようなことを考え、目の前の食事を味わうことに集中しようとしたのだが、皮肉にも頭のなかにこうした思考が流れていたので、望むほど意識を向けることができなかった。昼食に取ったのは、焼売カレーに、煮物に、前夜のサラダにキャベツを足したものだった。その後、ヨーグルトを食べて皿を洗ったが、冷蔵庫をひらいた際に即席の味噌汁があったことに気づき、暖かい汁物が飲みたい気がしたので、ゆで卵とともに味噌汁も追加して摂取した。
 下階に戻ってくると、Mr. Children "ファスナー"やMaroon 5 "Sunday Morning"などを歌ったあと、現在のところまで日記を書き足してしまおうと思って取り掛かったのだが、独我論について検索して出て来た「独我論批判――永井均とそれ以外」(「翻訳論その他」)という記事を読んで、時間を使ってしまった。ここまで記すと、三時半前である。
 それから、石川美子訳『ロラン・バルト著作集 7 記号の国 1970』から二箇所を書抜き、日記の読み返しをした。二〇一七年二月二三日の日記では、「朝方に雨が降ったあと、日中は一時晴れ間も見えたようだが、今はまた雲がぐずぐずと、良く煮えた果肉のように形を崩しながら連なって青紫を帯び、下地の淡水色が露わになるのを妨害していた」という一文が、何やらちょっと良いように感じられた。「雨のよく降るこの星で」を始める以前の日記も、ブログに投稿していき、過去の分も含めた集積を段々と作っていこうと(それほど強くではないが)考えているので、二〇一六年一〇月一四日の記事も読み返し、ブログに投稿した(この記事は、あとでTwitterにもツイートを流しておいた。長らく何の発信もしていなかったTwitterを、ブログを広める手段としてふたたび使いはじめたわけである)。
 それから、椅子に座ってコンピューターを前にしたために、背中が強張ったので、ベッドに寝転がり、読書を始めた。仰向けの姿勢で、W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』を、一節ずつ間を置いて音読していく。この時読んだなかには、柴田元幸も解説のタイトルにしているが、「ときどき思うのですよ、この世にとうとう慣れることができなかったと」という、アシュベリー夫人の述懐の箇所があり、この部分を書抜くことにした。この発言にも、共感を覚えてしまうものである(しかし自分はまだ年若いのだから、この先、生というものに段々慣れて自足できるようになる可能性もあるだろう)。

 (……)それでわたしたちは呪われた魂みたく、ひとつところにずっと縛られて今日まできたのです。娘たちのえんえんとした縫い物、エドマンドがある日はじめた菜園、泊まり客をとる計画、みんな失敗に終わりました。十年ほど前にクララヒルの雑貨屋の窓にチラシを貼ってからというもの、あなたは、とアシュベリー夫人は言った、うちにいらしたはじめてのお客さまなのですよ。情けないがわたしはとことん実務にむかない人間、じくじくと物思いにふける性分です。家じゅうそろって甲斐性のない夢想家なのですわ、わたしに劣らず、子どもたちも。ときどき思うのですよ、この世にとうとう慣れることができなかったと、そして人生は大きな、切りのない、わけのわからない失敗でしかない、と。(……)
 (W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』白水社、二〇〇七年、207~208)

 音読をずっと続けていると喉が痛くなってきたので、五時付近で一度洗面所に立ち、嗽をした。そうして戻ってくると、もう少し寝転がっていたい気がしたので、読書をさらに続けた。そうして五時半前で中断した。そろそろ溜まっている日記を書かなくてはと思ったのだ。その前にしかし、暗くなっていたので上階に行って、居間のカーテンを閉めて食卓灯を点し、戻ってくると歌をいくらか歌った。そうして六時からここまで綴って、現在六時半を目前としている。
 それから二一日の記事も綴って、完成させてブログに投稿すると七時を回っていた。その頃には母親が帰ってきていた。台所でキャベツのサラダを取り分けていたので、ごめん、何もやっていないんだと言って、タオルを畳んだ。もっとも、汁物や、アジと野菜のソテーは、母親が出かける前に作っておいてくれたのだ。食事はそれらに、米や蒟蒻である。テレビはまた録画したものから何か見ようかと母親が言って、『アウト×デラックス』を流す。それを見ながら思ったのだが、人のことを悪く思いたくない、あるいは悪感情を感じたくないというような思いが、自分の分裂と神経症を生んでいるのではないか。思念自体が頭のなかに巡ってやまないことを怖れたり、煩わしく思ったりするのに加えて、「悪い」想念が浮かんでくることを嫌がる気持ちもある。「良い人」でありたい、良い格好をしたいという心の反面として、かえって「悪い」思念を呼び、それを気にしてしまうということなのかもしれない。以前はしかし、そのようなことは気になっていなかったはずだが、先の年始の錯乱のなかで、それがトラウマじみたものになってしまったのかもしれない(一月五日のことだが、医者からの帰り道、電車内で子どもらに対して「うるさい」という思念が浮かんだのに対し、まるで自分に属していない(とその日の日記にも書いたと思うが)悪い想念が浮かんできたかのように思われて恐怖したのを覚えている)。ここ最近では、脈絡なく、感情的な嫌悪は伴わずに、「気持ち悪い」という言葉が浮かんでくるのが鬱陶しいのだが、これについてもまた思い当たるのは、中学生時代のことで、当時は周囲の同級生らがやたらと誰々がキモいとか、誰々がうざいとか話してやまないのが、嫌で仕方がなかった。そうした感情の底には、多分自分がそう思われたくはないという自意識過剰、ナイーヴさがあったと思うのだが、これも小さいものだが一種のトラウマのようにして機能し、現在のこちらにおいてそうした思念というか言葉を呼んでしまっているのかもしれない。
 食後、風呂に入りながらもさらに頭は巡ったのだが、やはり主体は、分裂どころか散乱的なものとしてあり、瞬間瞬間において思念は高速で移り変わっていく。しかしそうした思念が思念に過ぎないこともまた確かであって、それはそれそのものではこの世界に何の影響も与えないのだから、思念が生じてくること自体を恐れる必要はない。散乱した思念のうちからあるものを拾い上げ、それを行動の面、現実の面へと反映させる原理が、おそらく要は「統合」ということなのではないか。主体は散乱された断片的な状態から、その都度仮に統合され、そしてまた次の瞬間には散乱し、という風に、そのあいだを行き来しながら暫定的に保持されている。自分においては今のところ、この「統合」の段階が問題なく働いている。と言うのはつまりは、鬱陶しい思念はあるものの、両極のあいだで過度に引き裂かれることなく、ある場において支障なく行動できているということだ。あとはまさしくヴィパッサナー瞑想の教えを生かして、「悪い」思念が生じてもそれはそれとして受け入れ、流して行くことだろうと、概ねそんなことを考えた。
 入浴後は、九時から五〇分間、日記を書いている。ここで二二日のものを完成させて投稿した。その後、他人のブログを読んで、一〇時半前から読書に入った。ベッドに寝転がったり、時折り起き上がったりしながらW・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』をゆっくり音読し、日付が変わってちょっとすると、読了した。なかなか読み応えのあって面白い本だったと思う。それから歯磨きをして、次に何の本を読むか迷うところがあったのだが、ヴァージニア・ウルフ/御輿哲也訳『灯台へ』をここで再読してみたい気がしたので、眠る前にもう少し本を読むことにした。一時一〇分まで読んで、明かりを落として布団を被った。

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2018/2/22, Thu.

 五時前に目を覚ました。服薬をしようにも薬の袋が寝床になくて、寒さのせいもあって起き上がる気にならず、そのまま眠ったが、そうするとやはり寝付きは多少悪かったような気がする。七時台からは眠りが浅く、もう少し眠っておきたいと思いながらもあまりうまく入眠できず、七時四〇分になって覚醒を受け入れた。真っ白な曇りの朝だった。呼吸に意識を向けながらも思念が巡り、寝床にいるあいだ、時間が経って行くのが実に速いなという感じがした。呼吸をしているうちに、気づけば一〇分、一五分が経っている。
 八時頃になって寝床を抜け出し、上階に行った。早いじゃない、と母親は言った。便所で放尿し、食事は前夜と同じく、天麩羅や、茄子に舞茸と牛肉の佃煮を合わせたものや、野菜の汁物である。食べているとじきに、NHK連続テレビ小説が終わり、『あさイチ!』が始まって、この日は過去の回の再放送で、先日も見た瀬戸内寂聴の出演回がもう一度流される。それをふたたび見ながら林檎を食った。番組では、前回は見逃した部分だが、瀬戸内の『いのち』の終わりの部分が読まれ、曰く、七〇年間小説一筋にやってきたが、あの世から生まれ変わるにしても自分はもう一度小説家になりたい、それも女の、ということだった。それに触れて瀬戸内は、やはり女のほうが喜びも、苦しみも、深く感じることができて、それが生き甲斐となる、ということを言った。自分は、女性のほうが感受性が強いというこのような見方に必ずしも同意するものではないが、苦しみも、と彼女が言ったところにやはり何かしら感じるものはあった。
 皿を洗って、風呂も洗う。その後、炬燵に入るその頃には、番組は今度は小澤征爾がゲストの回を流している。時間が前後するが雨、というか細かな雪のような降りが始まっており、ぱらぱらと結構降っているそのなかで、母親はストーブの石油の補充をしていた。終わったら受け取ろうと思って待っていたわけだが、そのあいだ、母親が修理を頼んだバイク屋がやってきて、明細を渡して行ったらしい。母親が室内に戻ったあと、値段を見てくれと言うので、封筒を切り開けて見てみれば、(……)円余りで、母親はそんなに掛かるのかという意味合いの声を上げた。
 小澤征爾の出演を見たあと(クラシック以外に聞く音楽はあるのかという質問に、ブルースが大好きだと答えていたのが印象に残った)、母親とともにタオルやシャツや靴下などの洗濯物を干した。それから掃除機を掛け(この日はトイレのなかまできちんとやった)、下階に下りた。食事を取っているあたりは、テレビを見ていても余計な思念が生じるのが感じられたが、食後は心が落着いて、それがあまり気にならなくなった。これは食事を取って副交感神経が働いたためかもしれない。ともかくも心が落着いていれば、思念があってもさして支障はないのだ。
 この日はここで服薬をして、ここまで日記を書くと現在はちょうど一〇時である。それから、W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』を三〇分ほど音読した。母親は、(……)という、家から一五分ほど道を行ったところにあるのだが、障害者支援サービスをしている団体がいわゆる「まちゼミ」をひらいているというので、そこに出かけていた。(……)それで(……)ふたたび読書に戻ったのだが、この日は寒い曇天で、布団に潜っていても本を持つために出した手が冷たくなる。ゼーバルト土星の環』のなかでは、一一三頁の、このあたりはジョゼフ・コンラッドことコンラト・コジェニョフスキのエピソードが語られているのだが、彼が船員になってから十数年後にウクライナの伯父の家に帰還した際、家まで送っていく橇を操る御者が聾啞の子どもなのだが、この子についての記述やその後の風景の描写なんかがちょっと良くて、書き抜くことにした。「イギリス行脚」と副題の付されている作品で、実際、語り手の行った様々な場所、そこで話者の体験したことについての語りもあるけれど、話は結構、色々な人物のエピソードに飛んだりして、流れを要約するのは難しそうな小説である。六章では、サウスウォルドとウォールバズウィックのあいだのブライズ川という川に鉄橋が掛かっており、かつてこの路線を走っていた列車は、本来中国皇帝が乗るために造られたものだった、というところから、記述はほとんど歴史記述のようになり、太平天国の乱とか、その後のアロー号事件に始まる英仏の中国侵略とかが語られるのだが、太平天国の乱というのも、学校の勉強で名前だけは知っているけれど、考えてみると一五年くらい続いているもので、しかも二千万に上る人々が命を落としたといい、洪秀全の自殺のあとを追っても大量の人々が自殺したということで、改めて意識するととんでもない出来事だというか、このあたりの歴史の本なんかもちょっと読んでみたいなという思いが湧き、ひとまずゼーバルトの記述を書抜きメモに加えておいた。
 そうして読んでいたのだが、ちょうど一二時半になったところで、帰ってきていた母親が階上で床を踏み鳴らしてこちらを呼ぶのが聞こえたので上がって行くと、石油を運んでくれと言う。(……)から帰ってきたあと、バイクの代金を払いに行き、さらに石油やその他の諸々を買ってきたらしい。それで寒い寒いと言いながら外に出て(雨はかすかに降り残っていた)、赤いポリタンクをよいしょっという風に持ち上げて勝手口の箱に入れる。その後、もう一つのタンクに液体を移し替えておくわけだが、こちらはなかに入って母親の買ってきたものを冷蔵庫に入れてから、炬燵にあたっていると母親が、ポンプの電池がないから新しいのを取ってくれというので仏間から取ってやった。
 その後、焼きそばを作る。フライパンで野菜と麺を炒めて、完成するとこちらは食卓、母親は炬燵テーブルで食事を取る。母親が、何か録ってあるものを見ようかと言って、『家、ついて行ってイイですか?』を流す。一人目のカップルについては措いて、二人目は、プラモデルなどの類が大好きな五〇代の男性だったのだが、この人は二六歳の時に母親を亡くしていて、ある朝突然、卒中だか脳梗塞だかで倒れていたのだと言う。だから前夜の何でもないような、まったくいつも通りの会話が最後のものになったと言うのだが、その翌日だかに、母親が作ってくれた最後のカレーを涙をぽろぽろ流しながらよそって食べたと語るのには、少々もらい泣きめいて目が潤んでくるところがあり、これはまあ言ってみればありがちな「物語」、感動話なのだが、自分にはそれに感化されて涙を催してしまうようなところが前からあるにはあった。以前はしかし、これはよくある物語に過ぎない、こんなことで目に涙を帯びるのはナイーヴ過ぎる、と自分を制する心が働いていたところ、このところはもう別に、そんなことは良いのではないかと、大いに感情移入して涙して良いのではないかと思うようになっている。と言うのには、最近は自分の感情というものが本当によくわからず混乱しているので(段々そこからまた統合を取り戻しつつあるような感じもするが)、そうしたある種単純な感情の働きが自分に確かにあるということに安心する心があるのだ。またこの番組は、いつも素人の家を借りて収録をしているわけだが、この日のその家の主である九二歳のおばあさんが、健康そうで喋りもしっかりしているのだが、やはりたまにすっとぼけたような感じを見せていたのだが面白く、母親と一緒になって大いに笑い声を立てた。
 その後、『激レアさんを連れてきた』という番組も流し、それも視聴する。一人目に出て来たのは、竹馬ならぬ「鉄馬」でキリマンジャロ山を登頂した経験を持つという超人じみた七〇歳の男性で、最初のうちは修行のために四キロの鉄下駄を履いて登山をしていたというこの時点から既にあたかも漫画のエピソードなのだけれど、じきにそれが物足りなくなり、鉄下駄は一〇キロのものになり、最終的に竹馬から「鉄馬」に至ったというから、半ば訳がわからない。もう一人、出て来たのは森三中の黒沢で、彼女は中学生まで「朝ごはん」という概念そのものを知らなかったという話が語られるのだが、それを見るかたわら、アイロン掛けを行った。
 そうして二時半になって下階に下り、エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』から二箇所書抜きをして、この本の書抜きはこれで終いである。そうすると三時、(……)のブログを読んだのだが、夜にはコンピューターを使わないという生活習慣を保っているために、自分の過去の日記や他人のブログをなかなか読むことができない現状があり、「(……)」も、いまだ二月二日までで停まっている遅れぶりである。ブログを読む際にも音読をしたのだが、やはり音読は何となく良いのではないかという感じがして、この日は、昼時にはちょっと明るいような気分で、テレビを見ていてもよく笑っていたし、全体的に心持ちが落着いており、余計な思念の蠢きもほとんどないように思われる。ここまで日記を書き足して、もう四時を回っている。
 上階へ。豆腐を電子レンジで温め、ゆで卵とともに食べる。済ませると下階に戻って、歯を磨きながらゼーバルトを読む。一四四頁から一四六頁のあたり、西太后についての記述のあたりは、何だかガルシア=マルケスのあの過不足ない語りを思い起こさせるようだというか、『族長の秋』を読んでいる時の感触と似たものを感じた。服を着替えると上階に行き、ストーブに当たりながら手を擦って、五時に出発である。
 雨は続いていた。坂を歩いているあいだ、その先の辻で八百屋や人々と会ってちょっとした会話を交わすことを期待している自分に気づいた。それとともに、先ほど読んだゼーバルトの小説のなかの一節、「時間の否定は、トレーンの哲学の学派におけるもっとも重要な教えである、と<オルビス・テルティウス>についてのかの書物には記されている。この教義にしたがえば未来はわれわれがいま持っている恐怖と希望というかたちのなかにしか存在せず、過去はたんに記憶であるにすぎない」(一四七頁)という部分が思い起こされた。未来というものは現在時に現前していないのだから、明らかに我々が頭のなかで構築する観念なのだが、恐怖(不安)や希望(期待)というものは、この観念を志向することによって、つまりはある意味で何らかの「妄想」によって生まれるのだと思ったのだ。そして、希望や期待が生まれてくれば、その裏返しとして、恐怖や不安も生じてくる。しかし我々はどうしても未来という観念を妄想せずにはいられない存在だろうし、そうしなければ生きていけない。したがって我々に出来るのはただ、自分が妄想しているということを自覚しながら妄想するということなのではないか。そういうわけで、現在を離れて未来を妄想していたなということを自覚しながら歩いて行き、辻では予想通り八百屋の旦那や、近所の老女や、(……)と立ち話をしたのだが、書き留めるほどの内容ではないものの、そうしたささやかな他者との触れ合いによって、期待通り、和むような気持ちになった。これはありがたいことだが、しかしおそらく、このありがたさにも執着しすぎてはいけないのだろうと考え、次の現在に行こうと思いながら歩みを続けた。
 この日の勤務は最初、何故か緊張があったが、始まるとなくなった。しかしその代わりなのか、働きながら疲労感を覚えていた。終わるといくらか和らいだようだったので、やはり多少、気の張るところはあるのだろう。
 缶に入っていた最後の菓子をもらってしまい、退勤すると、雨はまだ残っていた。駅に入り、電車に乗って座席で瞑目し、発車前の駆動音を聞いた。電話の鳴りを底にかすかに思わせるような、待機中の息遣いのような音だった。電車が走っているあいだは呼吸に集中し、ゆっくりと息を吐いて腹の動く感触に意識を向けていた。降りて傘をひらくと、電車が行ってしまったあとに、ちりちりとした細かな雨音が残る。
 駅を出て通りを渡ると、煙草に火を点けた男性がおり、一緒に坂に入る格好になった。何かぼそぼそと言っているので、独り言だろうかと思いながら抜かすと、じゃあまたね、と後ろから聞こえたので、ハンズフリーの電話だったようだ。通りに出ると、また雨音とともに行く。呼吸を意識することを忘れずに行きながら、帰りは思念があまり巡らないような気がするなと思った。一日の活動を終えてほっとしているのか、あるいは疲れのためだろうか。
 帰宅すると、寒いと言ってストーブの前に座った。母親にまた菓子をもらってきたと示すと、あとで半分ずつ食べようということになった。手を洗って自室に戻って着替えると、手帳にメモを取る。メモ書きをしながら、欲望という感じがないのをやはり不思議に思った。忘れてしまう前に、というような心はあるらしい。このようにして自分は、もうほとんど自分なりの書くことと生きることの一致を実現しているのではないかともちょっと思った。
 夕食は、赤飯の残りのおにぎりに、野菜の汁物、丸蒟蒻や牛蒡や人参の煮物、また、酢を帯びさせているのだろうか細切りの玉ねぎとカニカマに、ワカメやシーチキンを混ぜたサラダである。これらのどれも美味いもので、煮物は牛蒡の味が良かったし、おにぎりを食べると、口内から食道を通って胃に入っていく熱そのものがありがたいように感じられた。夕食のあいだはスピードスケートがテレビに掛かっていたのだが、それにもほとんど目を向けず、ものを味わって食べた。食事の終わるあたりからテレビを見てみると、男子のリレーをやっていた。コースの内側を併走している選手たちが、交代の場所まで来るとうまく走者の前に入りこみ、その背を前走者が押し出すことによってリレーが繋がれる。よくぶつからないなと思いながら見ているあいだ、最初のうちは中国がトップをキープしていた。韓国の選手がそれを抜かそうとした際に転倒して遅れを取ってしまい、ここで最下位が決定した。あとの走者はカナダとハンガリーで、ハンガリーは序盤はあまり目立っていなかったように思うが、最終的にトップでゴールした。
 その後、入浴前に、カーリングフィギュアスケートのハイライトも目にした。女子のフィギュアスケートは二人の演技を見たのだが、選手の個性だとか凄さ、持ち味といったものが当然まったくわからないものの、きちんと継続して見慣れれば、この分野も面白いのだろうなと思った。
 入浴中は呼吸を意識し、頭がさほど回った覚えはない。今日は髪を洗っているぞときちんと確認しながらシャンプーを手に取り、束子健康法も呼吸に合わせて身体の隅々まで行った。出ると下階へ行き、歯磨きをしながらゼーバルトの続きを読んだ。その後しばらく音読を続けたあとに、メモを取ろうと思っていたことを思い出した。それで手帳に記しはじめたのだが、眠気で瞼が落ちる有様だったので、仕方なく諦めて就床した。零時四〇分である。

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2018/2/21, Wed.

 一度覚めると、三時頃だった。服薬して寝付き、何度か目覚めながらも、八時半まで眠った。すぐに起き上がることができず、呼吸に集中しつつ、また一方では思考が湧いて回るのも感じながらしばらく寝床で過ごし、九時近くになって布団を抜け出した。
 上階に行って、母親に挨拶する。今日はどこかに出かけるのかと訊くと、その予定はないとのことだった。便所に行って用を足し、洗面所で顔を洗う。食事は、前夜のおじやの残りに、これも前日の料理だが、ジャガイモに魚とキノコをトマトソースで和えたもの、あとはポテトサラダである。前日にやっていた『マツコの知らない世界』を録画してあるという話だったので、それを見ようと母親に誘ったところ、あとで、昼食後にしようとの返答だった。ものを食べ終えてから新聞を少々めくり、食器を片付ける。
 風呂の洗剤が切れていたので、詰め替え用パックから容器に移しておき、浴槽を洗う。そうして居間に出てくると、母親がちょうど掃除機を掛けはじめたところだったので、自分がやると手を差し出し、受け取って床を掃除した。一通り終えて良かろうとスイッチを切ったあたりで、トイレのなかは、と訊かれ、そこはやっていなかったのだが、トイレは今度と緩く落として終いとした。そうして白湯を持って下階に行く。
 いつも通りコンピューターを点けて、記録の記入である。日記を書き出す前に、また自生思考についてちょっと検索してしまった。統合失調症には「思考化声」という症状があり、これは考えていることがそのまま声になって聞こえるというもので、それだけ聞くと自分にも当て嵌まるようだが、どうもこれは基本的には、「外部から」聞こえるものとして表れるようで、そこは自分の症状とは違う点である。自分は大体常に頭のなかに独り言や音楽が流れているような感じではあるが、それはあくまで自分の脳内に留まっているもので、自分の外側から声として聞こえたり、逆に自分の外側に洩れたりしているとは感じられない。この点、自分は少なくとも今のところは統合失調症とは診断されないと思うが、この先そうならない保証はどこにもない。
 また、自生思考に関連して、以前にも閲覧したことのある、「頭がさわがしい,次々と考えや映像が浮かぶ「思考促迫」とは何かー夏目漱石も経験した創造性の暴走」(https://susumu-akashi.com/2015/11/gedankendrangen/)というページもふたたび少々読んだ。さらにそこから、「ハイパーグラフィアの私は「書きたがる脳 言語と創造性の科学」について書かずにはいられない」(https://susumu-akashi.com/2013/03/hypergraphia/)という記事にも飛んで、「ハイパーグラフィア」というものの存在を初めて知った。ここで紹介されている本の特徴によると、以下のようなことらしい。

1.同時代の人に比べて、大量の文章を書く

2.外部の影響ではなく、内的衝動(特に喜び)に促されて書く。つまり報酬が生じなくても楽しいから、あるいは書きたいから、書かなくてはやっていられないから書く

3.書かれたものが当人にとって、非常に高い哲学的、宗教的、自伝的意味を持っている。つまり意味のない支離滅裂な文章や無味乾燥なニュースではなく、深い意味があると考えていることについて書く

4.少なくとも当人にとって意味があるのであって、文章が優れている必要はない。つまり感傷的な日記をかきまくる人であってもいい。文章が下手でもいい

 これを見る限り、自分は結構な程度、この「ハイパーグラフィア」に当て嵌まると思われる。もっとも二番に関しては、以前はこのような記述が完全に当て嵌まっていたが、最近では留保が挟まるもので、今、自分は一応このように日々の生活を記していても、喜びなどの内的衝動は特段にないし、楽しいという気持ちや書きたいという欲望も、書かなければならないという義務感や使命感も感じない。何かのきっかけがあれば、別に書くことをやめてしまっても良いのではないかという気もしないでもない、そのような状態なのだが、それでも何故か、毎日書き続けている自分がいるというのが実状である。以前は本当に、死ぬまでのすべての一日を記述するのだという妄想的野望を抱き、それが自分がこの生で成すべきことだと強く思っていたのだが、もはやそのような野心も自分の内には感じられない。ほかにやることもないからなあ、というような気分がもしかしたら最も近いのかもしれない。ともかくも、自分の頭あるいは心がやめたくなれば勝手にやめるはずなので、自らの向かう先に任せようと思う。
 時間が前後すると思うが、巡回先のブログを回っている際に、「R.S.N」というブログの二月一五日の記事に目を惹かれた。このブログおよびその書き手である(……)という方については、(……)経由でその存在を知ったのだが、この一五日の記事は、大体全篇良いと思うが、電車から女子高生が降りて行ったのを見ての物思いの段落、褥瘡治療の段落、そして最後の段落が特に良い。(……)の書き方というのは、(……)が昔、「白い」エクリチュールというものがもし実際にあるとしたら、彼のそれが真っ先に思いつくという風に評していたと思うのだが、何か独特の良くわからない質感があって、何と言うか、常にある種の柔らかさを失わないというようなところがあるような気がする。例えばこの日の記事のなかでは、先にも挙げた電車内の段落の内に、「他人には他人の時間があって、彼ら彼女らはその中に生きているのだろうが、そこでまた別の目的や希望や絶望や倦怠をかかえているのだろうが、それはわかるが、しかしその理解は理屈に過ぎず、かの高校生の実際の生、そのたった今の時間と、これまでの僕の時間と、これはほとんど並立していながらまったく混じり合うことはない、…そんなことを、こういった見知らぬ場所の、突拍子もない時間の、その刹那の瞬間には、思い浮かべやすいというものだ。ほんらい別々にあるはずの世界がたまたま今ここに隣接したとか、そういうことではなく、この私の今までとこれから、その膨大さと同じだけの大きさが、あの停車駅で降りていった誰かの内にも存在していた、というか今もそう」という記述があるが、「というか今もそう」というこの一文の締め方にこちらは注目させられたもので、それまで少々、緩くうねるような感触を見せながらやや思弁的な事柄を述べてきたところに、口語的なこの一言が差し挟まることによって、記述の流れがふっとほぐされるというか、そんな風に感じられる。褥瘡治療の際の、人々やそこにある動きへの観察も良いのだが、こちらが一番心を惹かれたのは最後の一段落だったので、この部分をここに引用させていただきたい。

生きていて、生活していて、色々見たり聞いたりして、面白いこと、書かれたら良いと感じること、残されるべきだと思うことなど、いくつもあるが、しかし、書かれたものの面白さというのは、それらすべての再現というより、それらの代替になるように作用しなければいけないんだろうとも思う。書かれたものは書かれたものとして、現実と呼ばれる何かとはリンクしない書かれた限りでの事実それ自体でしかなく、その裏側から、過去とか、記憶とか、あるいは作者とか、背景というか、テーマというか、モチーフにされたもののイメージが、その香りが、状況によっては後付けで香ってくることも、あるかもしれないが、それはそれで、書かれたものは原則として何の裏付けもなく、それ自体としての事実性をもって存在する、そんなことでなければいけないはずだ。僕は反動的なところもあるかもしれないが、まったくありえないはずのことがありえたという喜びのうちに留まることは、それほど悪いことではないはずと思いたく、でもこの香りが良いから、それを別の媒体にこすり付けて、それをその香りとして楽しもうとしてはダメなのだ。別の物体の別の現れが、結果的にその香りと結びつくことはあるかもしれないし、人と人も、行為と行為もそのように響きあうことがあるかもしれない、というか、そうでなければいけないはず。収容所体験を語っても死者はよみがえってこないが、かつてその場所があり生があったことの(再現ではない)手触りを、語りは再生させるはずだ。そのときに物理的な時間や空間の飛躍が、ある意味奇跡のように目の前に実現されていると言って良いはず。

 早々にゼーバルトを読むはずが、そんな風に時間を過ごしてしまい、また一一時前からここまで一時間弱、日記を綴って、もう正午が近くなっている。
 W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』を読む。どこがどうとはわからないが、なかなかに面白く、読み応えがある。この日の天気は曇りで、太陽の影が白い空のうちにうっすらとあったが、陽射しというほどのものはなかった。その後、エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』の書抜きをして、ちょうど一時になると上階へ行った。
 母親は既に食事を済ませていた。赤飯が炊いてあり、ほか、茄子の炒め物や、納豆にワカメとハマグリの汁物があった。食べながら、録画してあった『マツコの知らない世界』を見る。前日に途中まで見たものの続きで、口笛特集である。見ながら笑いを立てるのだが、しかし同時に、くだらないのではとか、どうでも良いのではというような思念が湧くのも感じていた。くだらないと思いながらも笑ってしまうということは人間あるものだと思うが、そういうことでもなく、自分の感情が分裂しており、どちらなのか確定的にわからない、というような感じなのだ。
 皿を洗ったあと、炬燵に入った。熱に温められて心地良く、自ずと目を閉じてしまう。少々休んで下階へ行き、ギターを弄ったあと、自室でコンピューターに向かい合い、娯楽的な動画を眺めた。見ながらよく笑っている自分がおり、仮に本心から笑っているのかどうかわからないにせよ、ともかくも笑えるということは良いことなのだと思った。
 そうして日記を綴る。一時間を費やし、前日、二〇日の記事まで仕上げる。その後、Oasis "Wonderwall"を流して腕振り体操をちょっとやったあと、上階へ行った。ゆで卵を食べたのちにシャツを一枚アイロン掛けし、下階に戻って歯を磨いた。そのあいだ、言語というものやその無根拠さについて、ひいてはこの世界そのものの、あるいはその分節のありようの無根拠さについて思考が巡ったのだが、まったくまとまらず、その内容は覚えていない。しかし、他者こそがやはり自らの正気を保証してくれるのではないか、自分の言語的=意味論的体系を、自分のものと似通ってはいながらも微妙に違う他者のそれと交わし合い、調整することによって、世界像というものが保たれるのではないかというようなことを考えた瞬間はあった。
 服を着替えて、出発である。坂の途中で、犬を連れた(……)と会った。こんにちはと挨拶をすると、今日はまた寒いね、と返ってくるので、はい、と笑みで答える。行ってらっしゃいと言うのに、ありがとうございますと返して、通り過ぎた。
 道中、やはり思念が巡るのだが、一つにはこのように、思念ばかりが蠢くようになって、印象として引っかかってくるものがあまりなくなってしまったなと考えた。ずっと以前は「具体性の震え」と呼んで、この世界の事物の様相が鮮やかに現れてくる瞬間を折々に感じており、自分の書き物というのは、初期のうちはそれを記したくてやっていたようなものだったと思うが、最近ではそうした特権的な瞬間があまりなくなってしまったようだ。また、思考や記憶が断片化の一途を辿っているというか、今まで保たれていたその体系が解体されつつあるような風にも思われた。
 勤務を終えると、電車の時間が迫っていたので、駅の通路、降車した人々が前から流れてくるなかを、小走りに進んだ。電車の最後部、扉際に就き、目を閉じて走行の音を聞いた。最寄り駅のホームに降りて見上げると、月のない夜空で、そう言えば今日は曇りだったなと思い出し、同時に、前夜には弧を下に向けた細い月を見たという記憶も蘇った。
 帰宅すると何か良い匂いがしたので、ストーブの前に座って、炬燵テーブルに就いた父親に訊くと、天麩羅だということだった。母親は下階に下りたところだと言う。着替えてきて、食事は赤飯に天麩羅、野菜の汁物、小松菜に人参、キャベツといったメニューである。天麩羅がうまく、食事の最初にバランス悪くそれと米ばかり食べてしまった。テレビはカーリングを映しており、食べるかたわらに見つめたが、スイスとの試合で、日本は最終的に負けてしまっていた。
 その後、スピードスケートの映像が映る。日本が金メダルを獲ったと言う。父親はテレビに向かってつぶやきを色々洩らし、実況も熱が入って世紀の試合と言っていたが、こちらには凄さがよくわからないまま、ともかくも映像を見つめた。皿を洗ったあとストーブの前に座ると、金メダルを獲った日本女子チームにインタビューがなされ、三人目の人が、勝てた要因はとか訊かれてちょっと困惑しながら、応援が自分たちの力に変わったし、四人で一体になって力を合わせることもできたと、ありきたりなことを答えていた。インタビュアーは、四人目にはチームへの思いをと向け、選手は本当に最高ですと答えて、そのあとに対話者から視線を外して横を向き、皆、ありがとうと呼びかけたのに、四人が笑い合って、それに誘われてこちらも父親も自然と笑いを浮かべた。
 その後入浴したのだが、湯に浸かり、温冷浴を行い、束子で身体を擦るその二、三〇分ほどのあいだに、実に頭がよく回った。一体、原稿用紙何枚分の言葉がこちらの頭のなかを駆け抜けて行ったのか。しかし、湯船に戻って我が身を振り返って驚いたのだが、今しがた考えていたはずのそうした思念のうち、ほとんど覚えていることがなかったのだ。しかし一つには、自ずと笑えるとか、飯が美味いとか感じられるというのは、普通のことであっても、無数の偶然的な要素がうまく噛み合い重なってそうした瞬間が生まれているわけだから、やはり幸運な、ありがたいことなのだと思っていた。もう一つには、またもや言語や分節の無根拠性というようなことについて頭が巡ってしまったのだが、こうしたことを考えていると世界が解体してしまうのではないかと思いながらも、一向にそうした気配はなかった。年始のあの騒ぎがやはりそうだったのかもしれない、常に頭に言語が渦巻いて止まず、目の前に見ているものが霞んでくるようなあの状態は、もう体験したくはない。あのまま行っていたら、自分は正気を失っていたのではないかという思いはやはりある。だから、この世界の無根拠性とかいうことについても、自ずと考えが巡ってしまう時があるのだが、そんなことを考えていると狂うかもしれないとの懸念も、それに明確な不安は感じなくなったものの、拭い去れずにいまだある。認識論とか存在論とか形而上学を考える哲学者という連中は、一体どうしてそのようなことを考えながらも、不安を感じず、明晰で強固な自我を保ったままでいられるのだろうか?
 思念を巡らせてばかりいたので、自分が髪を洗ったのかどうだったのか、その点がどうしても思い出せなかった(こうしたことは以前にもあった)。多分洗ったのだろうと思ったのだが、髪に触れてその感触を探ってみてもよくわからなかった。風呂から上がり、身体を拭いて髪を乾かしながら、いっそ自分はいつか狂うということを、確定的に信じてしまったほうが気は楽なのかもしれないなと思いついた。いつか自分が死ぬというのは確実である。それを一応今は受け入れられているように(本当にそうかという疑念、また、この先受け入れられなくなるのではないかという疑念も勿論あるが)、自分は狂うということを、先取りされた事実として確定してしまう[﹅18]ということだ。
 洗面所を出ると、父親は歯磨きをしながら落語を眺めていた。こちらは自室に帰って手帳にメモを取る。その振舞いが、熱を帯びている。行動だけを見れば、自分は書く意欲を全然なくしていないように見える。しかし内面の感じとしては、強い欲望に駆られているという感覚はない。見る自分と見られる自分の分離が進みすぎてしまい、観察者の感覚と被観察者の感覚が一致しないようになってしまったのだろうか? ともかくも、不思議なことである。
 歯磨きをしながらゼーバルトを読み、その後、零時四〇分まで読書を続けてから就寝した。

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2018/2/20, Tue.

 二時台、四時台あたりにそれぞれ一度ずつ覚めたと思う。二度目の覚醒時に薬を服用した。何度か覚めながら、最終的に八時五〇分まで寝床に留まった。起き上がって上階に行く。母親の姿がなかったので、もう(……)出かけてしまったのかと思ったところ、洗面所で顔を洗っていると、下階から階段を上ってきたので挨拶をした。冷蔵庫に、自分用に作った弁当の残りらしく、ハンバーグが少々あったのでそれを電子レンジで熱する。ほか、前夜から続く納豆とエノキダケの味噌汁に、生のキャベツのサラダである。
 卓に就いて食べはじめるのだが、久しぶりに新聞をめくって大雑把に記事に目を通しながら食べたため、食事に意識を向けられず、あまりよく味を感じずに食べてしまったことに気づいた。それで最後に残ったキャベツだけは、ドレッシングを掛けて、ゆっくりと集中して咀嚼した。食事を終えた頃には、母親は既に出かけていた。食後、卓に就いたまま窓外の景色を眺めた。見ているものをその場で意図的に言葉にしようとせずに、ただ見つめることを意識して、川沿いの樹々の風にちょっと揺れるさまや、川向こうの屋根に溜まった光や、まだ太陽が低めで光の感触の強い空の青さを眺めた。そうして穏やかな時間を過ごしたあと、台所に食器を運び、ヨーグルトを食べてから洗い物をした。
 皿を洗うと、居間の炬燵テーブルの上に落ちている明るみに惹かれてそちらに寄り、窓辺に立って陽射しの温かさを感じた。それから、掃除機を掛けた。台所や玄関のほうまで掛けておき、さらに外に出て、家の前を掃き掃除した。中くらいの箒を使って、塵取りに葉っぱを掃きこんでいると、名前を何と言うのか知らないのだが、向かいの家に集っている人の一人がおはようございます、と声を掛けてきたので、こんにちは、とこちらも返した。葉っぱをある程度片付けると、林のほうに捨てておき、そうして屋内に戻る。
 洗面所で手を洗い、そのまま風呂も洗った。そして下階に下りるとコンピューターを立ち上げた。数日前にAmazonアソシエイトへの申し込みを行っており、その審査結果が届いているかとメールボックスを見たが、まだだった。大体三日くらいで届くという話を聞いていたのでおかしいなと調べてみると、即日届いていた「Amazon.com Associates プログラム-アプリケーションが承認されました」というメールが、審査OKの知らせだったらしい。それからここまで日記を記して、一一時過ぎである。
 Amazonの審査が通っていたということで、直近の記事で感想を書いたり引用したりした作品について、早速リンクを貼った。それから、読書に入った。ルソー/永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』である。と言ってもう本篇は読み終えていて、中山元の解説を音読で追って行く。太陽はもう窓の端に昇っており、その陽射しを求めるようにしながら読んだ。最後まで読み終えると一時前、そのままクッションに頭を預けて、少々微睡みに入った。目を閉じているなかで、うとうとと微睡んで意識が定かでなくなるたびに、呼吸に焦点が戻されるということが繰り返された。二〇分ほど微睡んだようだった。それからまた日記をここまで書き足した。
 そのまま一八日の記事も綴って完成させ、二時を過ぎて、それから豆腐などで昼食を取ったと思うのだが、このあたりのことはよく覚えていないので省略する。
 出勤は三時半である。陽の温もりを背に受けながら街道を行く。歩くあいだに思考が巡ったのだが、脳内に勝手に考えや言語が湧き上がってくるとは言っても、考えは考えに過ぎず、言語は所詮言語に過ぎない。それは明らかに自分そのものではなく、完全に切れているわけではないが、完全に繋がっているわけでもない。実際自分は、道行く人を見て、その人を殺すというイメージ、あるいは殺すという言語を考えたとしても、それを行動に移すことは勿論ないわけで、自分の頭に生じてくる思念や思いを拾い上げ、それに同意し、行動の面に反映させるという段階、その領域の原理が存在していなければならないはずである。そして、今のところ自分のうちでは、その同意の原理は自動的に、概ね正しく働いているようだ。考えは自分そのものではないのだから、どのような考えが湧いてきても自分はそれに、完全に影響を受けないということはないだろうが、少なくとも飲み込まれることはない。馬鹿げた考えが浮かんだとしても、自分はそれに説得されない。このようなことを考えて、自分は適切に行動できるだろうと言い聞かせた。
 そうした考えが説得的だったのだろうか、この日は勤務をしているあいだ、どこか明るいような気持ちでいられ、言葉を発することにも支障を感じなかったと思う。退勤すると、電車に乗り、座席に座って瞑目し、呼吸に意識を向けた(この日は全体的に、呼吸によく立ち戻ることができたと思う)。降りた最寄り駅のホームに、もう雪はなくなっていた。
 帰宅すると、八時頃である。職場から貰ってきた菓子をテーブルの上に出した。母親は、食べている蕎麦を示した。これはカップ蕎麦を鍋で煮込んだものである。いつも通りストーブの前に座って身体を温めるのだが、勤務中、気分は良かったものの、何だか疲れたなという感じはした。しかしそのためか、着替えてきて取った食事(おじや、蕎麦、小松菜や人参など)は自ずと美味いと感じられた。父親がもう帰ってくると言って、母親は風呂に行った。テレビは外国にいる日本人に会いに行くという番組をやっていたが、さほどの興味関心は惹かれなかった。そのうちに父親が帰宅し、母親も風呂から出てくると、九時前である。『マツコの知らない世界』があると言うので、父親が風呂から出てくるとテレビを取られてしまうだろうが、それまで見ようかということになり、皿を洗って炬燵に入った。番組は親子丼の紹介で、これを見ながら自然と笑えたようだ。父親が出てきて食事の支度をすると、こちらは炬燵から離れて、風呂に入ることにした。すぐに番組を変えるかと思いきや、父親は、最近の新たな親子丼の紹介をちょっと眺めていた。
 この日の帰宅後はまた、心が落着いている感じがして、思念があっても気にならなかった。入浴のあいだも呼吸を意識し、出てくるとテレビにはノルディックスキーの様子が映っている。自室に戻って、手帳にこの日のことをメモした。時刻は一〇時半、そこからW・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』を読み出し、零時過ぎまで読書を続けた。小さな声で音読をするわけだが、この読書もあまり余計な思念が湧かず、かなり集中できた覚えがある。と言って余計な思念が湧かないということは、考えを巡らせる時間もなかったということで、あまり特別に印象に残っていることもないのだが、全体的な感触としては、ゼーバルトのこの本は読んでいてなかなか手応えがあるものである。書抜き箇所としては、冒頭近くの、フローベールについての一挿話をメモしたが、これはもういまここで書き抜いてしまおうと思う。

 (……)ちなみに自分の考えを話しながらときにこちらが心配になるほどの興奮にたびたび陥ったジャニーンが、ことのほか個人的な関心を込めて探究していたのが、書くことに対するフロベールの懐疑についてであった。ジャニーンの言うには、フロベールは嘘偽りを書いてしまうのではないかという恐怖に取り憑かれ、そのあまりに何週間も何か月もソファーに座ったまま動かず、自分はもう一言半句も紙に書きつけることはできない、書けばとてつもなくみずからを辱めることになってしまう、と恐怖していたという。そんな気持ちにかられたときには、とジャニーンは語った、フロベールはこの先将来、自分はいっさい執筆などしまいと思ったどころか、過去に自分が書いたものはどれもこれも、およそ許しがたい、測り知れない影響をおよぼすだろう誤謬と嘘がたてつづけに並んでいるだけのものだ、とかたく思い込んでいた。ジャニーンの言うのは、フロベールがこのような懐疑を抱いたのは、この世に愚鈍がますます蔓延していくのを目にしたからであり、そしてその愚かさがすでに自分の頭をも冒しつつあると信じていたからだった。砂のなかにずぶずぶと沈んでいくような気がする、とフロベールはあるとき語ったという。(……)
 (W・G・ゼーバルト/鈴木仁子訳『土星の環 イギリス行脚』白水社、二〇〇七年、11)

 歯磨きをしながらまたちょっと読んで、零時を回ったところで就床である。

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2018/2/19, Mon.

 四時半頃だったろうか、一度目覚め、薬を服用してふたたび寝付いた。最終的な覚醒は八時五〇分である。ちょっと寝床に留まってから抜け出し、上階に行った。母親は(……)仕事で、既に出かけていた。前夜の残りの秋刀魚と、ポテトサラダ、それに即席の味噌汁を用意して食べたが、そのどれも美味く感じられた。特に、ポテトサラダを食べているあいだに、林檎が混ざっているものだったのだが、その甘味のあるのが舌に美味しく感じられた瞬間があった。
 食器を洗ってから浴室に行くと、湯が多く残っているので洗わなくて良いとの書置きがあったので、それに従って放置し、台所に出てヨーグルトを食べた。この時、ヨーグルトの味に集中せず、意識を向けずにさらりと食べてしまったことに食べ終えてから気づき、もっと味をよく感じれば良かったなと思った。諸々行動しているあいだ、例によって音楽や思念が次から次へと湧いてきて、これはもう仕方のないものなのだが、それに気づき、サティの呪文を入れることでそうした頭の流れがあっても気にならなくなってきたようである。
 室に降りると、コンピューターをちょっと弄ってから、読書を始めた。一〇時半で、ベッドに乗ると陽射しがまだよく顔に当たる時刻である。そうして音読していると眠気が差して目を瞑る数分もあり、正午近くに至って読書を終えても(本篇は読み終え、中山元の、なかなか長く力の入っているらしい解説の冒頭まで辿り着いた)、目を閉ざして休んでしまった。その五分ほどのあいだに、何やらよくわからないし覚えてもいないイメージがやはり展開し、巻き込まれるのだが、そのあとになってそこから出て、妄想、妄想という風にサティを入れることもできる。
 上階に行く。母親は、午後からはまた「(……)」の仕事で出かけるのだが、一旦帰ってきており、食事を取りはじめたところだった。こちらはソファに就き、脚を前に伸ばして、一休みする。それから母親の作ってくれたうどんを丼に用意し、味が薄いと言うので麺つゆをちょっと足し、また、スチームケースに入った生野菜も電子レンジで熱して卓に運んだ。そうして母親と言葉を交わしながらものを食べる。ほか、薩摩芋と林檎があったのだが、食べるもののどれも美味しく感じられた。食べ終えても卓に就いたまま一息ついていると、母親が、もう洗濯物を入れてしまおうと言ってベランダのほうに行き、吊るされたものを取りこみはじめたのだが、明るい空気のなかのその姿を見ていると、何故なのか、どのような思いなのかわからなかったが、涙の感覚が目の奥から湧いてくるのを感じたものの、そこまで高まりはしなかった。その後、皿を洗おうとする母親に、もう出る時間だろうからと制してこちらが食器を片付け、母親の出かけて行ったあとは、取り込まれたタオルを畳んだり、アイロン掛けをこなしたりした。その後、靴下や肌着なども整理しておき、下階に帰る。
 (……)ちょうど二時から日記を書き出して、現在二時半前である。
 それから、ミシェル・フーコーほか/田村俶・雲和子訳『自己のテクノロジー――フーコー・セミナーの記録』および、エンリーケ・ビラ=マタス/木村榮一訳『パリに終わりはこない』の書抜きをした。ビラ=マタスのほうに、「フェルナンド・サバテールは、スペインのことわざ「物事を哲学的に受け止める」というのは、諦めをもって受け止める、あるいは真剣に受け止めるという意味ではなく、喜びをもって[﹅6]受け止めるという意味だと書いている」と紹介されているが、本当にそうありたいものだなあと思った。書抜き後は一七日の日記に取り掛かり、三時四〇分まで綴ると、運動に移った。あまり時間がなかったので、柔軟と腕振り体操のみ行って、すると四時である。
 上階へ行った。台所に入って鍋をひらき、うどんが残っていることに気づいた。炊飯器の米は残り少なく、やや固まっていたので茶漬けにすることにして、余った分は皿に取ってラップを掛け、冷蔵庫に入れておいた。食事は集中することができて、味をよく感じながら食べられたようだった。ものを食べ終えると、窓の外、川向こうから煙が薄く立って流れて行くのを見つめる。
 そうして皿を洗い、米を研いで、ポットに湯を足しておき、下階へ下りて、歯ブラシをくわえながら自室に戻った。ルソー/永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』を読みながら歯磨きをして、身支度を整えて出発である。
 この日のあとのことはほとんどメモを取っておらず、思い出せないので省略しようと思うが、出勤時、三ツ辻で八百屋の旦那らと会話できたことは心に残っている。(……)

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2018/2/18, Sun.

 一度目覚めたのは、確か五時半頃ではなかったか。もう心身の緊張感はほとんどないので、そのまま寝付き、短い眠りを何度も繰り返して、最終的に九時二五分に至った。カーテンをひらいて光を顔に受け、巡る思念を感じながら一〇分ほど寝床に留まり、そうして身体を起こした。上階に行く。
 母親は既に(……)仕事に出かけていて不在、父親は休みだと思うが、多分前夜は帰ってきたあとも結局酒を飲んだのだろうから、まだ眠っているのだろう。こちらは便所に行って用を足したり、顔を洗ったりした(髪は前日に切ったので、もはや梳かす必要がない)。食事のためには、焼き鮭が新たに拵えられており、前夜帰ってきてから母親が作ってくれたワカメと大根の汁物に、前日の天麩羅の残りもあった。それらを支度しているあいだ、あらかじめ意図してそうしていたわけではないのだが、例えば頭のなかに音楽が勝手に流れ出した時に(大体、運動の時に流しているtofubeatsの音楽のなかのどれかなのだが)、「音楽、音楽、音楽」という風にサティ(気づき)を三度唱えている自分がおり、それを繰り返しているうちに、こう唱えれば短いあいだであっても自生音楽が消えるなということに気づいた。これは勿論そのほかの、よくわからない断片的な思念とか、妄想の類とか、思考の勝手に展開しそうな気配とかにも適用できるものである。言葉でもってサティを入れるというのは、(流派にもよるようだが)ヴィパッサナー瞑想の基本的な技法なのだが、自分はもうそのように言語化せずとも気づけていると思っていたので、長らくこれをなおざりにしていた。
 しかし、飯を食っているあいだに考えたところでは、このサティの「呪文」は、要は「差し止め」の効果を発揮するのだ。何か自分にとって望ましくない感情、思念の類が頭のなかに生まれた時に、それに気づき、それに単純な文言=概念を当て嵌めて思念をそれに還元することで、脳内の動きの上から/あるいは反対側から、対抗勢力としての気付きの文言を、言わば差し当てることになり、それ以上の思念の拡大、増幅を防ぐことができるのだ。(本当のヴィパッサナー瞑想とは、そのように思念に「望ましい」「望ましくない」の区別すらせず、すべてを等しく「観る」ものなのかもしれないが、こちらにはそのような境地は無理である)。遊泳する思念を差し止めた結果、意識の志向性は、いま現在、自分が行っていることに焦点を合わせられる。そこでは、「自己との一致」が実現するだろう。つまりは、メタ認知が「見られる」側の自己と密着し、常に寄り添っているような状態がほとんど自動的に維持されること、それが現在に留まり続けるということの理想的な到達点なのかもしれない。
 現在の自分の状況としては、こちらが意図してもいないのに勝手に思考が展開すること、また、勝手に頭のなかで音楽が流れだすこと、さらには、本気で思っているはずもない思念が浮かんでくるということが鬱陶しいのだが、サティ=気づき=差し止めの技法によって、これらに煩わされることを防ぎ、それらを消滅させるのは無理だとしても、うまくそれと共存していけるのではないかと思ったものだ。思考をするにしても、思考をしたいと思っていないのに勝手に思念が流れるのが鬱陶しいのであって、「自分は今思考をする」という選択・判断の下に、ゆっくりと脳内で考えをまとめる時間を取れば、それは「自己との一致」がなされているわけだから、問題ないはずだ。実際、上に書いたような事柄も、食事のあいだに箸を止めたり、食事を終えたあとに座ったまま考えたことである。
 こちらとしては、雑念の類に気づいたら、サティを三回唱えて、その時の行動もしくは呼吸に戻る、というプロセスを生活のなかで繰り返して習熟させて行きたい。そのなかでもこちらとしては、やはり呼吸に戻り、呼吸とともにあることを意識するということが肝要なのではないかという気がする。なぜなら呼吸とは、心の働きや身体感覚と密に結びついており、存在性の証だからである。技法の過程に慣れていくうちに、サティを省略して、呼吸に戻るだけで雑念を散らすことができるようになってくれはしないかと見込んでいる。
 こうしたことを考える一方で、新聞をめくって、藤井聡太棋士羽生善治に勝って優勝もしたという記事を見やったり、書評欄をちょっと眺めたりもした。そうして立つと皿を洗い、そのまま風呂も洗ったあと、ヨーグルトを食べて下階に下りた。一〇時五〇分から日記を綴って、現在一一時半前である。
 それから、読書に入った。ベッドで布団を被りながらルソー/永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』を一時間ほど読み(今日は九時台まで眠ってしまい、読み出す時間が遅かったので、太陽は既に窓の隅のほうまで昇っており、あまり陽射しを浴びることはできなかった)、その後、隣室に入ってギターを弾いた。そうして一時を回ると、自室に戻って、小沢健二犬は吠えるがキャラバンは進む』を流して、運動を行った。腕振り体操を始めにやり、柔軟のあと、力を籠めて腕立て伏せに腹筋、背筋、スクワットと運動をこなして、四五分を掛けた。
 そうして上階に行くと、母親が帰ってきている。肉まんを買ってきてくれたので、それを一つと、大根とワカメの汁物にゆで卵を食べる。母親がちょうど録画したテレビ番組一覧の画面をひらいていたところだったので、『マツコの知らない世界』を見ようかということになった。ちゃんぽん麺と、公園遊具の回である。視聴しながら、ものを食っている最中なのだが、ちゃんぽん麺が食べたくなった。それで、しかしこの付近に店はないよなあと母親に振ったところ、(……)の一階に入っていると言う。煎餅をかじり、またアイロン掛けをしながら公園遊具の回のほうも見て笑い、その後、ソファに就いたのだが、母親が次に選んだ番組をそこでそのまま視聴してしまった。城みちるという人の歌手活動や半生を紹介したもので、その物語を大方追ったあと、ストーブの石油を補充しに外に出た。勝手口のほうへ回り、ポンプが液体を汲んでくれるのを待つ。空は素晴らしく晴れて、希薄な青さに澄み渡っていたが、風が流れるとダウンジャケットを羽織っていても少々肌寒かった。待ちながら考えたことに、今自分は、両価性と呼ばれるもので合っているのかわからないが、何かをしたり何かを見たりした時に、くだらないとか、どうでも良いとか、そのようなネガティヴな想念がたびたび湧き上がってくるような症状(以前にも、何かをくだらないと思うことはあったはずなのだが、今はそれが気になってしまうのだ)に、少々悩まされている(悩まされていると言ったって、実際行動はできているわけなので、大したことはないのだが)。また、ギターを弾いたり、文を書いたりと、自分が気が向いてやっているはずのことをやっている最中にも、自分はこれをやっていて本当に楽しいのか、本当にこれをやりたいのか、自分は本当にそのように感じているのか、などといった風に、疑いの念が自動的に生じてくるようなことがある。自己客体化がそのような相対化、懐疑と結びつきすぎてしまい、単純で「純粋な」感情とか感じ方がなくなってしまったように思われ、これが行き過ぎて自分が妙な方向に変化してしまったり、物事についての判断を下せなくなったり、適切な行動が取れなくなったりすることを自分はおそらく怖れているのだが、しかしそれらは結局、すべてこちらの心のなかで起こっていることであり、それ単体では外部の世界には何ら影響を与えない。実際に自分の外側の世界に何らかの影響を与えるのは、こちらの行動や言動であり、今のところ自分は、上のような悩みや迷いがあるにしても、日々、実際に行動することができている。しかも、他者(家族)のことをより考えるようになったり、他人とのコミュニケーション=会話に対する志向が以前よりも強まっているらしいことを思い合わせると、むしろ良い行動をできるようになっていると言っても良いのではないか。そういうわけで、自分は上のような想念の悩みを無理に消滅させようとせず、それも(上述したサティの技法も時折り用いながら)客観視して(と言うか、自動的にそうしてしまうのだが)、自分に起こる変化を待とうと思う。勿論、悪い方向に変化して、悩みがより深まってしまうこともあるかもしれないが、それはもう仕方がない、その時はその時である。精神の動き、働き、その変容というものは、自分にはもはやどうにもできないものなのだ。
 そうして室内に戻り、タンクをストーブに戻しておくと、自室に戻ってきて、ここまで日記を綴った。この日記というものも、もはや自分がやりたくてやっているのかわからないのだが、そうした「わからなさ」と相反するように、自分は以前よりも頻繁にメモを取り、細かく綴るようになっている気がする。自分自身などというものがわからなくとも、人は動けるのだ。そうして、ともかくも実際に自分がそのように行動しているという事実は、一つの支えにもなる。
 一六日の日記も綴って完成させると五時、Oasisを流して腕振り体操をした。そうして歯磨きをしたり服を着替えたりしながら、やや明るいような気分になっているのに気づき、ありがたく思った。
 五時半頃に出発である。母親が、坂の上まで歩こうとついてきた。並んで歩きながら坂を上って行き、三ツ辻まで一緒に行ったところで別れ、こちらは街道に出た。道中に特段の印象は残っていない。思念もあったが、記憶に残っていないので、神経症的な凝り固まりというのはなかったらしい。
 駅に着いて電車に乗ると瞑目してしばらく待ち、(……)で降りる。駅舎を出て図書館に入り、CDの新着を見ると、Ella Fitzgeraldアムステルダムでの録音があった。Suchmosを探しに行くが、見当たらない。そうして雑誌の棚に寄り、「新潮」の日記リレーに目を通す。興味の対象となるのは、蓮實重彦古井由吉柄谷行人あたりである。最初は棚の前に立っていたが、途中から席に座って読んだところ、蓮實の欄は、息子重臣の葬儀だか別れの会だかの日から始まっていた。ほかの日では、山岡ミヤ『光点』という、すばる新人賞を獲ったらしい小説の構造を「透視」したとあり、優れた小説だと褒めていた。その後、古井と柄谷のものも読んだが、やはりそれぞれの色があるなという感じを受けた。
 そうして上階に行くと、新着図書の棚の横に、追悼石牟礼道子の特集が組まれている。新着図書に目を向けていると、横から突然挨拶をされたので見れば、(……)が上階から下りてきたところだった。こちらはその後、海外文学の棚を見に行った。ロシアのあたりを見ている時に、これも読みたいなと自然に心中に言葉が湧いた瞬間があり、それを自覚して、やはり自分はまだ本を読みたいという気持ちがあるのだと安堵した。棚を見て回るが、時間はあまりなかった。ゼーバルト土星の環』を借りることに決めて、持って書架を出たが、貸出機が使用中だったので、哲学のほうをちょっと見てから戻り、手続きを済ませた。それから石牟礼道子特集を見やって、集められていた全集をちょっと手に取りもしたが、もう予定の時刻、六時五〇分に至っていたので、やや急いで退館した。鞄を持ってこなかったので、ゼーバルトの本はそのまま手で持った。
 職場の送別会があったのだ。通路から下りたところに皆が集まっていたので、合流し、居酒屋に入った。人数は全部で一三人ほどであり、最初は男女別に二つのテーブルに分かれた。料理は、サラダや、刺し身や、白身魚のフライや、味の濃いめな鍋料理などである。どれも美味くいただけた。一時間半ほど経ったところで、即興で籤が作られて席を移動することになり、こちらはもう一方のテーブルに移った。じきに、ここで職場を離れる二人に対して、花やメッセージを付した色紙や餞別の品が贈られ、その後も会は続いたのだが、話したことなどを細かく書くのは面倒臭いし、それほど印象に残ったこともない。ただ、この飲み会のあいだは、特に余計な思念が回る間もなく、自然なようにいられ、またたくさん笑えたようだったので、帰路には安心した。一一時に至ったところで、(……)が突然の声を上げておひらきとなった。
 諸々省略してしまうが、皆で(……)まで戻り、ほかの面子は二次会に繰り出す流れだったが、こちらは歩いて帰ることにした。別れを告げて歩き出すと、(……)がついてきた。この人はここで職場を離れる人なのだが、表通りまで見送ってくれ、まだ会う機会はあるでしょうからまた、と挨拶を交わして別れた。夜道を黙々と歩くあいだ、本を持った手がじんじんと冷えて、時折り持ち替えてポケットに避難させながら行った。
 帰宅するとちょうど零時頃だった。炬燵に入って手と身体を温め、手帳にこの日のことを少々メモに取ってから、入浴した。あとは読書を少々行って、一時半に就寝した。

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