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2017/5/23, Tue.

 午前からよく風の吹く快晴で、起床後にしばらく、枕に尻を乗せて窓辺に佇んでいると、爽やかな葉擦れの響きが窓外を渡る。風はカーテンの隙間からなかにも入りこんで、身にも柔らかく、稀薄な靄のように触れてくる。食事を済ませて正午過ぎから始めた書き物のうちにも、たびたび背後で響くものがあるのは、窓のすぐ先の棕櫚の木の、頭に乗せた広い葉が揺らされてはためき、分かれた葉先が互いにぶつかり合うものらしい。地に伏した無数の枯葉が風に押されて路上を擦りながら駆け抜けるような音だと思って、いつかの記憶か想像か、家のすぐ前の通りを前から、褐色の葉が転がり走ってくるさまが浮かんで、秋の雰囲気が瞬時、香った。
 昼が下ってからも、風は続いた。ものを食っているあいだにも、東窓のカーテンが丸く膨らみ、それとは向かいのベランダの戸を、洗濯物を入れようとひらけば途端に吹き入るものがあって、ひどく涼しい。東の窓の先、坂に入ってまもないあたりでどうも木を切っているようで、チェーンソーらしき唸りが間を置かずしきりに立ち上がって届く。取りこんだシャツにアイロンを当てようと、卓の前に膝を付いて南窓に向かい合うと、近間の屋根の先に目に入る川沿いの木々が、偏差のさほど窺われない緑に整然とまとまって、横に並んでいる。数か月前には緑を受け持つもの持たぬものがあり、色を付されたのも鶯色が淡くくゆる程度で、ばらばらに乱れていたように思うが、随分と密に調和したものだ。川沿いに限らず、窓のなかの端々にくっきりと濃い緑の目に触れる初夏で、山はさすがにほかの緑から際立って深んでいた。
 風に鳴る梢の路上に張った蔭のなかにあれば涼しいものの、三時半のまだ高くから降って透明な陽射しのもとに出ると、途端に頭が重る。これでは確かに、熱中症で倒れる者も出ようと思って表に出れば、街道の上は両岸まで隈なく日なたがひらいて明るく、背面が、頭の上から背、腰から尻をたどって靴の踵まで、一挙に温められる。足が温もると、外を歩いていながら風呂に入っているような気分も生まれて、気怠い眠気の兆さないでもない。空にある雲は、白粉を弱くはたいた程度の、形も厚みも持たずあるかなしかの添え物に過ぎない。裏通りへと入る角に並んで停まっている車の、顔に光を溜めて反射してくるのが眩しく、上空からはまた熱が直接、頬に寄せて来る。しかし風は結構あって、道を行くあいだ、折に触れて立ち、肌の熱をいくらか散らしてくれる。確かに暑く、夏日というものだろうがしかし、猛暑の盛りからはまだまだ遠いと思ったのはその風のためもあろう、汗は当然湧くが、背の肌がそれほど激しく水気にまみれるでもなかった。
 帰路はいくらかものを思ったようで、あまり周りを見なかったらしい。空気の動きは弱く、風と言うほどのものも立たず、静かな時間の多かった。夜空は明るいようでもあり暗いようでもあり、詰まったような墨色で、雲は掛かっているようだが、星を隠せずに霞ませる程度のものである。目を伏せて電柱の傍を通り際、身の脇を、飛ぶものの影がすっとすれ違って、この夜に鳥かと一瞬思ったがどうも、見上げればあたりの灯のもとにしつこいように集まっている蛾の、その一匹だったらしい。
 外にいるあいだは涼しかったが、帰ってものを食っているとやはり、頭上のすぐから降る食卓灯のオレンジの明かりにも、顔の周りが温もるような夜である。知人との通話で夜を更かし、さらに本を短く読んで三時半、新聞屋のバイクの音も消え、夜空の白みはじめるのもだいぶ近くなってから床に就いた。仰向けになって眠りを引き寄せているあいだ、時鳥の鳴きを何度か耳にした。

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2017/5/22, Mon.

 気温計が三〇度を指し示す夏日が続くが、風が爽やかに、窓からよく入っても来た。外では鶯と鵯がいつものように鳴きを散らしているその合間に、画眉鳥だろうか、柔らかく曲がる融通無碍な声のみが、あたりは黙ったそのなかに奏でられて音楽的に響く時間があった。昼を過ぎて二時の頃から気温が上がったようで、自室は居間と比べて風の通りが弱いこともあり、コンピューターに向かい合って鍵を叩いていればそれだけで身に熱が籠り、昼もよほど押し詰まってから、何をするでもなく窓辺にじっとしていても、温もりが肌に貼られる。五時を迎えて居間に上がるとしかし、さすがに暑気は和らいで、いくらかの涼しさに触れられた。
 ネクタイは付けたが肌着にシャツのみで、何も羽織らずに出た。三日連続で雲のまったく除かれた空とは行かず、午前から昼のあたりはそれでも青さが遮られずに渡っていたようだが、夕刻に至ると淡い雲がいくらか浮かんで、そのなかで東南の方に、ひとすじ横に伸びた芯からほつれるようにして両側にいくつも枝が分かれているのが、人の脊椎と肋骨を思わせた。西にも、薄いが大きく雲は湧いて、陽はそのなかで溶けて茜色を幕に留められ、光線は地上に注がず、それでも充分に明るい空気のなかに、アスファルトを見てもその上を流れて行く車の側面を見ても青さが、あからさまでなく、黄昏もまだ遥か遠くて沈むこともなく、ただ淡く乾いて含まれているその風合いを、初夏の夕べの青と思った。汗は勿論湧くが、粘る西陽の日なたのないのは幸いで、裏通りを行っても風が前から吹いてくるのが、角を立てずに肌に円い。時折り、耳の入口を覆ってばたばたと騒ぐくらいに厚くなったそのなかで、背を一粒、汗の玉が転がり落ちて行くのを感じた。
 帰路のこと、足がいくらか逸っているのに気付いて歩調を落とすと、恍惚の薄い芽のような、解放感らしきものの兆しが滲む。気温の上がって来て滑らかな初夏の夜気のなかで、よくあるものだ。風はまた向かいから、ということは行きとは逆の向きで、吹くが、それが止まれば肌が空気に触れていることさえ感じられないような、摩擦のなさである。しかし夏の感を得るには、あたりに虫たちの活気が、まだ薄く、足りないようだった。空は月の出までまだまだ遠くて、東の端ももはや明るいとは言えず、黒とも青とも付かない暗色が澄み渡って、果てまで張った上に、星がいくらか灯っている。老人ホームの角の豆桜は勤勉に手を入れられているらしく、先日は足もとに茂っていた枝葉がすっきりと、元から短く断ち落とされて、そのあとからまた生えてきたものか残されたものか、緑の濃い葉がいくらか、群れを作らず半端なように伸びていた。

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2017/5/21, Sun.

 あまりにもあからさまな、開け広げな晴天だった前日にもまして暑さの盛った日で、居間に吊ってある青い気温計は一時、三二度を指していた。この日も朝から晩まで、空に雲の一粒も現れなかったのではないか。拍車の掛かった気早な夏の気の、室内に無遠慮に入りこんで来て、昼下がりに気怠いような重い熱気が溜まり、家を出る前から肌は粘っていた。旺盛な陽のなかを行けば、余計に粘つき、肌着が湿る。しかし陽射しに打たれていても、坂を上るあいだに心臓のあたりがちょっと痛みはしたものの、身の揺らがず、すっきりと立って定かに歩くのに、炎天下に出るたびに倒れるのではという不安を抱えてふらついていた数年前と比べて、随分と身体が強くなり、安定を得たものだと改めて自覚した。
 駅で屋根の作る蔭の下、ベンチに就いて、東から西へ時折り厚く走る風に身を浸されながら、津島佑子『寵児』をしばらく読んだ。こちらの足のちょっと先、ホームの端には、陽が北寄りの高くにあるようで、日なたが漣めいて屋根の少し内まで寄せて入りこみ、外では水のような光があたり一面に染み通って、草々の緑が輝かしく明るんでいる。電車を使って図書館に行き、ただ一つ空いていた学習席の一番端に運良く入れたあとは、五時半に至ってコンビニのおにぎりを食いに出た時以外はキーボードに触れて四時間、本当は他人の文も写したかったが、自分の文のみに労を奪われているうちに閉館がやって来た。
 宵に入って最寄りに戻るとあたりは涼しいも暑いもなく、ただ摩擦なく静まっているところに、下り坂に入れば、木々に囲まれた暗がりの先から緩い涼気の湧いて上って来た。帰ったのち、夜半過ぎから書見を始めて夜を更かしているあいだ、二時を回った頃に、時鳥の声を聞いた。遠く近くなりながら繰り返し、連続して鳴き募ったので、聞き間違えでない。錯聴とも付かなかった先日のものを措けば、これが初声ということになる。

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2017/5/20, Sat.

 早朝に覚めた窓の外で、鳥の声が活気づいていた。鶯の音が普段よりも忙しなく、川に次々と石を投げこんで水柱が立つように、そこここで跳ね、その合間に鵯の鳴きが入って、僅かな間断を挟む隙もなく、なかに時折り、谷渡りの螺旋状の響きが、昇るというよりは降る軌道を眼裏に描かせながら被さる。食事を取ってから新聞を取りに出ると、七時前の陽は粉っぽく空気を霞ませ、その琥珀色のなか、染み入るような木々の緑の前で、微小な羽虫が飛び交うさまが、数多の点の浮遊となって浮かび上がった。
 一月前、兄夫婦に生まれた子のお宮参りで、朝の早くから都心の方へ出る手筈だった。予報では二八度まで上がると言う。八時に至る前には家を発ち、一点の乱れもなく晴れ渡った空のもと、既にいくらか厚くなりはじめている透明な陽射しのなかを、両親と三人で駅に歩いた。歩いているうちには気にもならないのだが、ホームに立って足を止めるとかえって、眠りが少なかったこともあろう、頭に掛かる熱の重みに、平衡が僅か揺らぐようで、足の裏の重心がいくらかぶれて前後に移動するのが感じられた。
 満員の電車に長く揺られて一〇時には、原宿にある神社の、社務所の前の木蔭の台に腰掛けて、兄夫婦を待っていた。光は渡り、雲はいまだ一片も生まれず、薄青いガラスの高層ビルが縦の輪郭線を、くっきりと明瞭に刻みながら空に突き立っていた。身に風が寄っても木々の葉はあまり揺らがず、白く埋めこまれた光点の群れを騒がせることもなく静止しているその明るさは、背景の淡青と偏差なく一体化して、空の上にそのまま貼り付けられたかのようだった。そのなかから雀が、時折り立って宙を滑る。斜めに渡って地に降り立ち、かなり近くで遊ぶものもある。周囲を画している戸口の、緑青色が古びて掠れたようになっている屋根の上に、雀が乗って左右に跳ねるたびに、組み合わされた木材の、小さな足を受け止めて鳴るささやかな音がするのだった。
 本殿で儀式を済ませて台のところまで戻ると、姪を抱いてみろと言う。こわごわと受け取り、まだ座りきっていない頭を腕に支えて抱えていると、この叔父の腕のなかで安らぎを得たのか、二、三発、大きな放屁とともに脱糞したのには笑わされた。写真を撮ったあとは駅に戻って、電車を乗り継いで兄の宅に向かう途中、山手線のなかで二つ隣に立った女子の、中学生か高校生か白い制服を着て、手の入っていない黒い髪で化粧気もないのが、内向的なような細い視線を熱心そうに紙面に沈めていた。読んでいるのが、カミュの『ペスト』らしい。今時珍しい、いかにもな文学少女の図と映った。
 粘る陽のなかを宅へ歩き、寿司やら豚カツやらをたらふく食わせてもらい、赤子の頭を撫でたり、こちらの指の三本の幅もない手を弄んだりして、それから話は周りに任せてソファに凭れ少々微睡みもしたあと、暇を乞うた。四時を間近に控えても陽には粘りが残っているが、日蔭のバス停に立っていると風が走る。繰り返し流れるものの厚いが、軽く、涼やかに身を吹き抜けて行く。両親と別れて電車に乗ったあとは、本も読まずに外を眺めながらしばらく揺られて、三鷹で降りて古書店に寄った。
 七冊に重った紙袋を手に加えて駅に帰る途中、裏路地の果ての、左右から細く区切られた空を、夕陽の濃密な赤さとその下にくゆる薄紫が満たして目を撃ったのは、六時半を迎える頃である。高架を走る電車の扉際に就いて、ふたたび西を見渡した時には、地上にはもう夕光も掛からず一律に薄青く染められた家やビルの背景に、夕陽はその形を溶解させて滲みながら拡散し、和らげられた赤と紫と青の階調が横いっぱいに伸び広がって、空は朝からこの夕刻に至るまで雲のひとひらさえも許さず澄んでひらいているのに、その西の果ては霞んで、まるで雨霧に煙っているようで、山の影も映らず、ちょっと離れた上空に飛行機の軌跡が、消えない流星のように白く焼き付けられて光っていた。一駅ごとに赤は弱って紫が優勢となって行き、しかし国分寺で待ち合わせに停まって発ったあとには、紫も衰えて地上から空までほとんど、宵に踏み入る前の青一色に染め上げられて、じきに顔を寄せている窓にも車内の反映が半ば混ざって、視線の通りを阻むようになった。

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2017/5/19, Fri.

 午前から朗らかさが部屋内にまで染み入る晴天に、近所の屋根も、一時、水を溜めた囲いのようにちらちらと揺らぎ、光っているのを見せた。昼下がり、干していた布団を仕舞いにベランダに出ると、風が吹く。肌に正面から当たって来ずに、横滑りして軽やかに戯れ、身を包みこんで馴染む風である。その流れに、タンポポの、もういくらかは飛び立って球を欠いた綿毛の残りが、左右に引っ張られて形を崩しながら飛びそうで飛ばず、悶えるようになっているのを、柵に凭れてしばし見下ろした。
 散見された千切れ雲も、五時の往路に出た頃には消え失せて、これ以上ないほどの晴れの空が延べ広がった。鳥たちが騒がしく、雀が道に出て飛び跳ね、鵯が遠くから声を張り、何か小さな鳥が三匹連れ立って飛んで来て、木の葉のなかでじゃれ合うようにしたあと、また渡って行く。髪を切ったために露出した首筋に、西陽が温もり、街道を行きながら背を撫でられては暑いくらいだった。風はその暖かさのなかで、涼しいというほどにもならない。
 裏道の途中で、旧家らしい塀の前を通りながらふと顔を上げると、様々な木々の取り揃えられた庭の縁に立って覗いた楓の、涼しげな若緑に染まったのが目に留まった。過ぎてから振り向くと、先端がかすかに朱の色を仄めかせている葉に、大きく押し広がった西陽の光線が降り注いで、まばゆく、緑色が、陽に透けんばかりだった。進んで、ある家先の木のなかで、雀が二匹、姦しく鳴き騒ぎながら遊んでいるその前に、足を止めた。庭というほどの広がりもない軒先に手狭に立ったこの木は、先日も、風に乗って飛んで来た雀が突っこんだのを見たもので、この小鳥らのよく集まる場所となっているらしい。立ち止まるとすぐに、雀は、やはり大きな影がそこにあるのをわかって警戒するものか、隣の木に移って離れてしまった。もう少し先の天麩羅屋の入り口でも、木に雀が鳴いているのに耳目を惹かれ、枝垂れて暖簾のように掛かった青葉の連なりのなかに実が小さく生りはじめているのが目に入って、ああそうか、これは梅の木だったかと、今更気付いた。
 ベストから出た腕の、シャツ一枚に纏われた肌に、帰路の風は、涼しさをやや勝っていた。月は昇りが遅くなって、星の灯る空は変わらず晴れ渡っているようだが光の遠くて青みがほとんど見受けられず、深い。鼻を啜ったのを機に、このところよくあることだが、右耳がまた詰まった。息を吸うたびにその空気が、鼻孔ではなく耳のなかに入って内にわだかまり、塞ぐような感じがする。じりじりと単調に、鈍く鳴く虫の音が道端から立って耳に固いのには、夏を思わされるが、夏の夜と言うにはまだ夜気は、冷たさが過ぎるようだった。

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2017/5/18, Thu.

 灰色雲が低く垂れて、薄暗いような曇りの午前だった。台所と食卓を幾度か往復するあいだに、窓外の、南の空の山際近くまで雲が広がった下に、稜線との接触面の周囲のみ、雲の浸透から逃れて白さが明るんで際立つのが目に入って、それで翻って空気の暗さに気付いた。雨を思ってからまもなく降り出し、茄子と豆腐を合わせて拵えた煮込み蕎麦を啜っているあいだに、雨脚はいや増して、篠突くようなとはこのことか、石灰色を宙に染みこませながら、夏の夕立めいて激しく搔き降った。新聞に目を落としていると瞬間、白光が目の前にひらめいて、雷かと顔を上げて耳を張ると、遅れて、しかしわりあい近くに落ちたようで、豪壮な轟きが部屋を包んで迫った。もう一度、鳴りがあったが、それで収まり、雨も盛りはすぐに過ぎて、続くのに間断も挟んで、午後一時を前に近所の美容室に出かけた際には弱く軽くなっていた。いっぱいに散り敷かれた山吹色の竹の葉を踏んで坂を抜け、表に出ると、東の空は印刷されたように淡い雲の合間に、稀釈された青さが覗いていた。
 髪を切ってもらって店を出た頃には晴れて、道路の端に残った水のなかに微細な煌めきが映り、陽射しもなかなかに厚く、肌に快い。ところが一度帰って、夕刻に到ってまた出ると空は搔き曇って陽の気配もなく、あたりが仄暗くなっているのに雨を思わされて傘を持った。坂の中途でふと、花の香りが定かに立ったのに、思わず足を止めてあたりを見回したが、ささやかに伸びたハルジオンくらいしか手近の茂みには見当たらない。風に渡って来たらしい。その風は、道を行くあいだ終始滑らかで、吹き付けるというものでなく、肌に触れてはさらさらと引っ掛かりなく抜けて行く。空は雲が搔き回されて、曇りは曇りだが一面平らかに均されたそれでなく、細かくほつれた隙間に仄青さも見えるのが、かえって天候の不安定を示唆するようだった。
 しかし結局、この日はそれから降ることはなかったらしい。帰路は風が、やや冷えていた。疲れのために自ずと欠伸が洩れ、心身が静まって足が遅くなる。前にも女子高生が、大きなリュックサックを背負い、片手に何か袋を提げて、いかにも疲れているらしく左右に緩く振れながら、こちらよりものろいくらいの歩調でいた。月は遠くなったようで西空は黒々とわだかまり、街道の上に連なって浮かぶ電灯の楕円形が、その前でくっきりと形を定めていた。下り坂に入ってまもなく、行きと同じ場所で、同じ花の匂いがふたたび香った。

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2017/5/17, Wed.

 実体のあるものか耳の悪戯か、時鳥の声を未明に聞いたあともなかなか本格の眠気はやって来ず、揺蕩うような眠りのままに明け方に到って、そこからようやく深みに沈んだようで、休日の気楽さにも任せて正午前までの長寝となった。外から鶯の、川のあたりにいてよく反響するのか同じ一匹の声ばかりが、遠くから大きく膨らんで届くのを、重い微睡みのなかで、くしゃみのような、と聞いていた。
 引き続く曇天だが、この日は街道に出れば、見通した先で小さくなった車の並びにごく薄くではあるが陽炎が立ち、西空を仰げば白く収束する太陽の影があって、大気の濁りは一昨日よりも昨日よりも少なかった。風も、ここ三日では一番吹き、時折り前から道を埋めて流れてくるものが身を覆って肌を涼ませ、いくらか厚く続く時間もあるのに、この分だと夜は少々冷えるだろうかと思われ、捲っていた袖を下ろした。シャツの上にジャケットの類は纏わず、カーディガンを羽織っただけの軽い格好だった。長く床に留まった身体がこごって、いつにもまして気怠く、息もあまり速やかに身体を通って行かないようで、殊更にのろのろとしたような足になる。病み上がりにも似るようだが、その重い律動のなかからともすると、淡い恍惚のようなものが兆しかけて、何でもないものが目によく見え、足もとに視線を落とせば、周りの音がよく耳に入るようでもある。
 図書館を訪れたが、試験前の中高生らで埋まった席に空きがなく、ひとまず書架の端のボックスに掛けて本を読むことにして一時間、五時に到って立ち上がると、通路の先の、窓際の学習席からちょうど立った人があり、これ幸いとあとに入った。二時間文を綴り、梶井基次郎の文を全集から写して八時前、館をあとにして手近のスーパーに寄り、茄子やらヨーグルトやらで嵩張るビニール袋を片手に提げた。月は相変わらずないが、東は随分と明るく、滑らかなような鼠色に塗られた空だった。
 夜、一〇時過ぎに一度、窓の外に雨の気配が起こって、葉が打たれるかすかな音が始まり、空間の奥から寄せてきて籠る響きがあったかと思うと、すぐに溶けて、あとは微風のみになったらしい。再び文を綴ってモニターを見つめたために、首の重って額にも鈍るものがわだかまったその頭を、枕に預けて書見を続けていた夜半過ぎ、丑三つも近くなると流れこむ空気が冷やりとしてきて、窓を閉ざした。二時を回って明かりを落としたが、寝入るのにはいささか苦労させられて、輾転としながら一時間くらいは頭がほどけずにいたのではないか。鳥の声は聞かなかった。

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