2018/8/20, Mon.

 七時のアラームで目覚めたが、二度寝を選び、一〇時半頃まで寝床に留まることになった。上階に起きて行って母親と顔を合わせたが、食事は昼に取ると言ってすぐに自室に戻った。前日の日記を綴らなければならなかったのだ。それで椅子に腰を据えて一〇時半過ぎから書きはじめ、一二時半に到ったところで一旦中断し、食事を取りに行くことにした。
 素麺に鶏肉のソテーと生野菜である。母親は出かける用事があると言った。友人に梅干しの樽を届けに行くのだった。この午前中にはまた宅配が届いていたのだが、その一つが父親が買った「マグマ塩」というものだった。健康に良い塩だって、と母親が言うのにこちらは、健康に良い塩なんて存在するのかと返した。小さな容器を一つ、母親に差し出されて受け取ると、裏面の説明に、ヒマラヤ山脈五〇〇〇メートルから採掘された太古の岩塩であるなどと書かれていた。胡散臭そうなものだが、しかし胡散臭さで言えばこちらが前夜に注文したバコパだっておそらく似たようなものだろう。食事を終えると抗精神病薬を服用し、食器を洗い、そのまま風呂も洗って下階に下りた。時刻は午後一時、ふたたび日記を書き綴ってブログに投稿し、それからこの日のこともここまで記した。
 二時半過ぎから保坂和志『未明の闘争』を読みはじめた。途中で家の前に車が停まったらしき響きが薄く伝わって来た。注文したバコパが届いたのだなと直感し、チャイムが鳴るのを待たずに立ち上がって室を抜けた。上階の受話器を取ると案の定、宅配便ですとの声があったので、ありがとうございますと早くも礼を言いつつ、玄関に出て行った。宅配員は茶髪の女性だった。ありがとうございますと礼をさらに繰り返しながら、差し出された紙に簡易印鑑で印を押した。そうして荷物を受け取って最後にまた一回、ありがとうございますと口にして別れ、居間に戻ると、ダンボール箱を早速開封した。薬剤の瓶を包んだビニールがダンボールに接着されてあるのを剝がし、箱入りの瓶を取り出して、ダンボールはその場で解体して祖父母の部屋に持って行った。サプリメントはテーブルの片隅に置いておき、それから自室での読書に戻った。
 しかしこの読書がまた途中から、いくらも進まないうちに昼寝へと陥ってしまい、たびたび意識を取り戻しながらも身体が痺れたように動かず、結局六時半頃まで寝床に留まることになった。部屋のなかには既に薄闇が満ちて、窓から見える空の青さはまっさらに淡く、そのなかにぼやけた月が覗いていた。六時四五分になって上階に行き、飲むヨーグルトを飲むと、炬燵テーブルの上にアイロン台を載せ、機械のスイッチを入れた。アイロンが温まるあいだに屈伸をして脚をほぐし、それから父親のシャツに高熱の器材を当てはじめた。ほか、前日に着て行ったカラフルなGAPのシャツ、父親のチノパン、母親のエプロンにハンカチ二枚を掛けるあいだ、目前のテレビには天気予報が流れていて、台風が接近していると伝えていた。翌日の天気は曇りで、今日よりもやや蒸し暑くなるだろうとのことだった。
 アイロン掛けを終えると食事に入った。解凍された米、豚汁、唐揚げに切り干し大根、豚しゃぶと生野菜のサラダというメニューだった。食後、抗精神病薬マグネシウムを飲むとともに、届いたばかりのバコパを一錠口にした。瓶のフィルムを除き、詰め物も取って匂いを嗅ぐと、漢方薬のような独特の香りがあった。ハーブの一種で、記憶力を良くするらしいと向かいの母親に説明すると、彼女は早速タブレットを取って検索をし、確かにそのような情報が記されているのを発見していた。しかし何度も言うが、サプリメントなど胡散臭い代物である。そんなに簡単に記憶力や思考力が開発されるわけはないだろう。バコパに関しては一応、海外の研究データもあるようなのだが、このハーブが仮にいくらかの効力を持っているとしても、それがこちら個人にうまく適合して効くかどうかは未知数である。そういうわけであまり期待はできないが、ともかくもいくらか飲み続けてみるつもりではある。
 入浴を済ませると自分の部屋に戻って、Jose James "Trouble"を流しはじめた。一曲歌うと同じそれがリピート再生されるなかベッドに乗って前屈を行い、腹筋運動もこなしてから音楽をSuchmos "YMM"に変更した。狭い部屋のなかをうろうろと動き回りながらそれを歌い、続けて"GAGA"も歌うと音楽の時間はそれで終わり、自分のブログにアクセスした。何とはなしに「保坂和志」の語からはてなキーワードに繋いで、彼の名前を含むブログを探っていると、なかに良さそうなものが一つあった。「葱と蒟蒻の日々」というもので、日記のようにして毎日綴られているもののようである。こちらが読むブログというのはすべて、明確な大きな主題を持つのではなく、日記形式で雑多な事々を取りこみながら毎日書かれているものだ。それでこのブログをブックマークバーに追加しておき、それから「(……)」を二日分読んだ。すると午後九時も間近、Ari Hoenig『Bert's Playground』をバックにしてこの日の日記を三〇分ほど綴った。
 喉が渇いていたので上階に行った。コップに水を汲んで氷を入れ、それとともにアイスを食べていると、母親が、お前のバッグを貸す、などとちょっと笑いながら訊いてくる。クラッチバッグのことだった。父親が翌日、ディズニーランドで催される会社の表彰式に出るとかで、先日わざわざジャケットからズボンまで服を一式揃えたのだったが、それに合う鞄がないのだった。別に良いと答えて下階に戻り、中原昌也『名もなき孤児たちの墓』の書抜きをしていると扉がノックされた。母親はノックなどしないので、父親だなとわかった。顔を見せた父親は風呂上がりでまだ暖気を纏っているような感じで、タオルを首に掛けており、照れくさいのか何なのかやたらとにこにこしながら、バッグを貸してくれるかと言うので、手近にあったそれを渡してやった。それからも書抜きを続け、三箇所を抜いたところで良しとして一年前の日記を読み返した。それも終わると、保坂和志『未明の闘争』の読書に入って、背景にArt Blakey & The Jazz Messengersなどが流れるなか、零時直前まで読み続けた。歯磨きは読書とともに済ませてしまった。そうして音楽を聞きはじめる。この夜はSuchmos『THE BAY』を一曲目から終盤まで流し、一時が近づいたところで、伸びてきてもじゃもじゃと煩わしい陰毛を処理することにして、ヘッドフォンをつけたままベッドに乗った。股間のあたりにティッシュを二枚敷いて、皮膚を傷つけることのないよう鋏で慎重に毛を切って行く。切り揃えるとティッシュを丸めて捨てて、就寝することにした。オランザピンとブロチゾラムを一錠ずつ口に入れ、洗面所で服用してきてから電灯を落とした。



中原昌也『名もなき孤児たちの墓』新潮社、二〇〇六年

 典子は昔、バカだった。いまもそうだ。結局、バカだった。文筆などという職に向いているはずがなかった。文盲に等しかった。所詮何か書いても、まったく中身のないことしか書けなかった。何かを人に言って聞かす立場など務まるわけはなかった。文章を書いて、見ず知らずの人に読ませる仕事が、世の中でもっともふさわしくない人間だった。何故、彼女がそんな仕事に従事しているのか、誰も納得がいかなかったし、それは不幸なことに本人も同じであった。彼女が書くことによって、誰も幸せにならなかった。しかし、それでもっとも幸せでなかったのは彼女自身であった。ぜんぜん望んではいない仕事だった。仕方なくやっ(end86)ている仕事だった。彼女にとって文筆とは売春と同じだった。恥を売る、ということにはどちらも変わりはなかった。それはまったく同じだ。書くことは何の救いにもならなかった。もし書く苦しみが少しでも読者の共感を得たとしても、それは何の喜びも彼女に与えはしなかった。ただただ無駄で退屈なことだった。
 (86~87; 「典子は、昔」)

     *

 (……)文章をわざわざ書いて、それをわざわざ見ず知らずの人に読ませるなどという自然に反した不健康極まりない行為を繰り返して、まともな人間生活を営めるなんてことは絶対にあり得ないのだ。もし、そんなことを生業にしていながら慎ましく生きるのであればまだしも、家を買ったり海外旅行に行けるというのは信じられない。どこをどう狡猾にやれば、文筆業などというけったいな職業でそんな贅沢が出来るというのだろうか? 誰も欲していない、自分勝手な意見などダラダラと文章に書いて、いったい何が偉いのだろうか? 少しでも常人の神経を持っているのならそんな厚顔無恥なことをして大金を得ようなどという愚かな考えなど、決して持つに至らないはずだ。生計を立てる手段がどうしても文筆しかないという不幸を背負ってしまった者は、仕方なくその仕事に従事するしか道がないのは残酷な現実である。しかしこの世の中の文筆に携わる者たちは、いずれも傲慢そのものの大きな態度で闊歩しているのだ。(……)
 (88; 「典子は、昔」)

     *

 ちょうど上手い具合に、寄せては返す荒波が浜辺に当たって砕け散る音に聴こえなくもなかったし、時折器用にピーヒュウというカモメの鳴き声のような音さえも盛り込まれていた……だから彼の前で目を瞑れば、誰でも簡単に気の利いた海の情景が、即座に目の前に広がるのだった。
 それ程までに、浩二の鼻での呼吸は深くて、うるさかった。
 (134; 「女とつき合う柄じゃない」)

2018/8/19, Sun.

 アラームが鳴り出すのを待たず、六時台に一度目覚めた。部屋は既に朝陽で明るくなっていた。しかしそのまま起き上がることはできず、微睡んでいるうちに七時のアラームが鳴った。ベッドから抜け出したが、携帯を手に取り操作をしながらまた寝床に戻ってしまう。それでさらにしばらく休んで、目を閉じたりもしていたが、二度寝に陥ることは避けられて七時半頃起き上がった。
 上階に行くと洗面所で顔を洗った。食事は前夜の牛肉が残っていると母親が言うのでそれを温め、米と味噌汁をそれぞれ椀によそった。ほかにはポテトサラダがあった。卓に就き、味噌汁を一口啜ってから席を立って、外のポストに新聞を取りに行った。戻ってくるとビニール袋を鋏で切りひらき、日本の移民政策の欠如を批判するコラムを読みながらものを食べた。そのうちに父親も眠そうな様子で階段を上がってきた。こちらは食器を流しに運ぶと飲むヨーグルトを冷蔵庫から取り出し、コップに一杯ついで飲み干す。それから卓のほうに戻って抗精神病薬マグネシウム錠剤を服用した。そうして皿を洗う。ソファに就いた父親は欠伸をしばしば漏らしていた。
 現在ネットワーク設備が有線であるのを無線に変えるとかで、九時から電気屋が来ることになっていた。それで掃除機を掛けてしまおうかとこちらは言って、父親が食事を始める前にと機械を駆動させた。居間から台所、それに玄関にトイレのなかとさっと掛け終えると、掃除機は祖父母の部屋に置いておき、それから風呂を洗った。そうして自室に戻ると、業者と顔を合わせることがあろうからと、そしてのちのち出かける予定があったので、カラフルなチェック柄のシャツをもう身に纏ってしまった。ハーフパンツも履き替えようと思ったが、あとで柔軟運動をするだろうというわけで、こちらはまだ着替えなかった。
 時刻は八時過ぎだった。それで早速前日の日記を綴りだし、完成させるとブログに投稿し、Twitterのほうにも通知を流した。それからこの日の分も記していると、九時間近になってインターフォンが鳴った。業者がやって来たのだった。母親とともに階段を下りてきたところを、こちらも廊下に出てこんにちは、ご苦労さまですと挨拶をした。業者は深く濃い青のツナギ姿の男性だった。よろしくお願いします、と言われたので、こちらもお願いしますと返した。
 戻って日記を書き終えると、間髪入れずに運動を始めた。業者の人を慮って音楽は流さずに、屈伸に開脚、ベッドに移って前屈と行った。それから、保坂和志『未明の闘争』を新たに読みはじめた。ベッドのヘッドボードにもたれながら読み進めていると、涼風が流れてカーテンが押し上がる。レース編みのカーテンに濾された陽光の色が、曖昧な形の影の集団とともにページの上に宿っている。九時半を越えたあたりで外から機械の駆動音が響きはじめ、草を刈っているぐずぐずとした音が耳に届き、しばらくすると風に乗って刈られた草の匂いが鼻に感じられた。上階からは業者の人が両親に何か説明しているらしき声が聞こえていた。
 一時間読んで切りとし、ハーフパンツをベージュのズボンに着替えて上階に行った。母親はこちらの姿を見て、上下とも柄付きだと合わないと指摘してみせた。上はチェック柄に、ベージュのズボンは星の煌めきを模したような細かな模様が配されているのだったが、こちらがそのような格好をすると母親は必ず柄に柄だ、と口にするのだった。こちらはそれを意に介さず、持ってきた二つのゴミ箱からゴミを取り出し、上階のものと合流させた。それからおにぎりを一つ作り、自室に帰るとコンピューターを前にしてもぐもぐと食べた。ものを食べたすぐそばから便意があったのでトイレに移動し、消化されたものを尻からひり出すと、歯ブラシを咥えて東京新聞のサイトを閲覧した。「CIA元長官、トランプ氏を批判 「権力に酔いしれている」」、「「視力弱い」で障害者 不正認識か、中央省庁雇用水増し」の二記事を読むと時刻は一〇時四〇分、コンピューターを切って『未明の闘争』とともにリュックサックに入れると、それを背負って室を抜けた。
 上階に上がって行くと、母親はふたたび柄に柄だと指摘するのだが、何故同じことを何度も言われなければならないのか。僅かな苛立ちを感じながらハンカチをポケットに入れ、行ってくると残して玄関を出た。爽やかな日和だと思っていたが、道に出ると、思いのほかに暑気が厚かった。しかし坂に入ったあたりで風も吹いてくる。上りきったところで、カナブンのような虫がぶんぶんと宙を飛び交っていた。さらに進むと、蜻蛉も現れて斜面の濃緑を背景に飛んでいる。
 街道に入るとふたたび正面から風が流れてきた。行き交う車の横を歩いていると、走行音に紛れて何か声が聞こえてきた。道の先に、見知った姿があった。時折り見かける初老の女性で、ひっきりなしに独り言を言っている、あるいは見えない何かと対話しているのだった。多分あれが統合失調症というもので、幻聴と話をしているのではないかと推測するのだが、真実は知れない。右手に荷物を引きまた傘を持った彼女は、左手を宙に差し上げながら大きな声で何かを言っていた。近づくにつれて、今回は会話をしているのではなくて、どうもそれが通り過ぎる車のナンバーを読み上げているのだと判別された。目に入った番号を次々に口から放つのだが、時折りそこに、「ホンダ!」とか「スズキの軽!」とメーカー名が差し挟まれることもあった。彼女の近くを通り過ぎる時、顔を一瞥したが、その肌は濃い褐色に染まっていた。
 街道を北に渡って裏通りに入って行く。静かな暑気が空中に漂っていた。近くの団地に接した小公園に木々があるが、蟬の音はさほどではなかった。空にはガーゼのような雲が到るところに広がって、青さの量を半減させていたが、地上にはわりあいにはっきりとした日なたが生まれていた。それでも気候は盛りのついたような猛暑からは一旦落ち着いて、腕に汗も溜まらず、荷物を負った背中に汗の玉が転がることもなかった。
 路地の途中に挟まる坂を渡ってすぐ、一軒の百日紅が枝先に紅色を帯びさせながら、微かに枝葉を上下に揺らしていた。駅近くに来るともう一本木があって、大きく広がって色濃い花を無数に灯したそれがなかなか見事だった。小さな社に生えているものなのだが、旺盛に成長し、敷地を区切ったステンレス製の壁をはみ出してその上からこちら側に垂れかかっているのが、梢全体の丸みと合わさって一瞬、寝転んでいる人の姿を重ねさせた。駅前の角を曲がるとコンビニの前に、外国人が五、六人溜まって、ホットドッグやら何やらを立ち食いしていた。
 ホームに上がると電車が入線してきた。停まったそれに乗り込み、席に就くとすぐに『未明の闘争』をひらいて目を落とした。(……)駅で客が増えたなかに、ベビーカーの幼児を連れた夫婦があって、こちらから左の方の席に乗りこんだ。紙を短く刈り込んだ父親がベビーカーを押さえて立ち、母親は座って、姿は見えなかったが子どもはおそらくその膝の上にいたのだろう。その男の子は声変わりなどまだ遥か先である甲高くあどけない声をしばしば立てて、この電車速いね、こんなに速い電車は初めて見た、などと言っていた。途中、こちらの隣席に座るものがあった。息を一つつきながらポケットから携帯を取り出したその男性を見やると、外国人らしかった。半袖の赤いシャツを着て、同じく赤いフレームの眼鏡を掛けた彼は、すぐにLINEをひらいてメッセージを打ちこんでいた。
 新宿に着く直前まで本を読み続けた。そろそろ停まる頃合いになると本を閉じ、読書時間の終わりを手帳にメモして、そうして立ち上がって降車した。新宿に来たのは二月以来だと思うが、特段の感慨はなかった。階段口が混み合っているのでホームを歩き、空いているほうの階段から構内に上がった。人々とすれ違いながらのんびり歩いて行き、山手線のホームに下りてやって来た電車に乗りこんだ。乗って目の前の優先席には、幼児連れの夫婦と子の祖母という四人組があって、子どもの小さな靴を脱がしているところだった。それで子どもを座席の上に立ち上がらせ、空いたスペースに祖母が座り、子どもに窓の外を見せてやっていた。代々木までは僅かな時間で到着した。
 駅を出て横断歩道で止まると、身体の半分が風で涼しく、もう半分は陽に温められていた。唇の赤い右隣りの女性は、やはり赤のケースをつけたスマートフォンを弄っていた。視線を左方に振ると路地のなかに停まった黒い車が見えて、そのフロントガラスに太陽の光がじりじりと収束し、白い円を広げていた。しばらくそれを見ていたので、ふたたび視線を振った時には視界のなかに光の跡が残っていた。道路を渡り、路地に入って「Coffee House TOM」の前まで来たのだが、入り口のシャッターが閉まっていた。何の表示もされていなかったが、もしかすると閉店してしまったのかもしれないなと思った。それでどうするかと道を戻り、ひとまずPRONTOに入ったがひどく混み合っていたので出て、道を渡ったところのドトールコーヒーに入った。一階を通り抜けて二階のフロアに入ると、煙草の煙がくゆっていた。下階に戻って、窓際のカウンター席の端に腰を落ち着けることにした。アイスココアを注文して席に就くと、時刻は一二時四〇分頃だった。それから一時間以上打鍵をして、覚えている事柄を言語に移し替えていった。
 尿意が湧いていた。男子トイレは地下一階にあるとの表示だったが、フロアの奥の戸をくぐってみても二階への階段があるばかりで、地下への階段が見つからないのでひとまず我慢することにした。トレイを片付けて退店し、代々木駅に行くと(……)さんが既に立って本を読みながら待っているのが見えた。彼の正面に歩いて行き、近づいて気づいたところをこんにちはと挨拶し、お久しぶりですと互いに続けた。TOMが閉まっていたことを告げて歩きはじめた。行き場としてはPRONTOぐらいしかなかったので、横断歩道を渡って入店してみると、都合良く空きが見つかり、二つテーブルを並べた四人掛けの席に座ることになった。こちらは注文の前にトイレに向かったが、使用中だったので諦めてレジの列に並び、本日二度目となるアイスココアを注文した。
 会話の最初のほうで、(……)さんは忘れないうちにとビニール袋を取り出した。高松土産の讃岐うどんをくれるのだった。礼を言って受け取り、リュックサックにしまいながら、代わりにこちらは保坂和志『未明の闘争』を取り出して、いまこれを読んでいると示した。(……)さんは保坂和志は『季節の記憶』しか読んだことがないらしかった。面白いのかどうかわからないがつまらなくはないとこちらが言うと、(……)さんも本を取り出した。講談社文芸文庫古井由吉『仮往生伝試文』だった。どうですかと尋ねると、古井由吉はよく狂わなかったと思いますね、と(……)さんは述べた。彼はこの夏に香川の祖母の家に旅行したのだが、その帰りの新幹線のなかで小説の力に中てられるとでも言うような体験をしたのだった。香川に行って「アイデンティティの揺らぎ」を感じて精神的に不安定になっていたところ、帰りにこの本を読んでいると、彼にはかつてもそれに悩まされた時期があったのだがトイレに行きたくて仕方なくなり、どうしよう、どうしようと危なかったのだと話した。それはほとんどパニック障害の症状ですよとこちらは受けた。
 香川では大学時代の同級生と会って、一万円のコース料理を食べたり、海で泳いだりしたと言う。これはのちの夕食時のことだが、(……)さんは、一万円ならもう一品二品欲しかったと感想を漏らしながら、刺身の盛り合わせや何やらが写った料理の写真を見せてくれた。海というのは島に行ったらしく、自分たち以外は誰もいない貸切り状態で満喫したようだった。蟬の声がやたらとうるさかったと(……)さんは言った。
 喫茶店にいるあいだはほかに、こちらの日記のことも話題に上がった。書きたいという欲望をさほど感じず、感情や感受性が希薄化している状態を指してこちらは、実存の底が抜けてしまったようだと形容した。死ぬまで毎日日記を綴るという文学的野心も以前のような輝きを持っては見えず、小説を作りたい翻訳をしたいという欲望もやはり薄くなっている。とは言え結局のところ自分には日記を書くほかできることもない、やることもないというところに話は落ち着くのだった。実際、読み書きのできなかった二か月前はそれこそ死にたくて死にたくて仕方がなかったのに、書き物を復活させたあとはそうした希死念慮が湧かなくなったのだから、日記を綴るというところが自分の実存を最低限のところで支えているのだろうと言った。人は結局、何かをせずにはいられないのだと漏らすと、何もせずに部屋のなかにじっとしていられないところから人間のすべての困難は始まりますからねと(……)さんは返して、パスカルもそう言ってますからねとこちらは受けて仕舞った。
 将来の展望は、と尋ねると、以前から語っていることだが、自分の店を持つということを(……)さんは話してみせた。料理を土台としてそこに音楽やら小説やらを詰め込んで(どういう形で両者を関わらせることができるのかはまだわからないと言ったが)、自分と自分の好きな人たちが集える「汽水域のような場所」を作りたいと言うのだった。今働いている店はどういうところかと訊くと、高級居酒屋のような感じだと帰った。日々叱られながらも逞しく働いているようだが、働いていて嫌なことの一つは客だと言う。(……)さんの店に来るような客はどこかの社長だったり、それなりに地位の高い人物たちであるわけだが、資本主義社会を勝ち抜いてきたそうした人々の性向は(安易な?)ナショナリズムと結びつきやすいらしく、反韓・反中的な言説を大上段に撒き散らして恥じないのだと説明があった。自分の店を将来持ったとしても、そうした人々をターゲットとして相手にして行かなければならないというのはげんなりする、というようなことを彼は漏らした。
 ほかにも色々と話しただろうが、覚えていて書き記せるのはそのくらいである。四時を回ったあたりで(……)さんが、そろそろ行きましょうかと呟いたのでこちらも同調した。新宿の紀伊國屋書店に行こうという話になっていた。トレイをカウンターに片付けて、店員に会釈をしながら店を抜けると、午後も下って空気から温みが取れて過ごしやすくなっていた。北に向けて道を歩き出す。青い装飾を施した小田急の電車がまず左から右に流れて行き、そのあとからすれ違って反対側に走って行くものがある。今僕は完全にニートですけど、それでも一日が短いですよと言いながら、新宿サザンテラスへと階段を上がった。上ったところにはロブスター料理の屋台店が出ており、座席がいくつも並んでいた。それを過ぎて新宿駅のほうへと歩いて行きながら、日記について、書けないと言いながらも書くのだ、大した文章ではないと自分で言いながらも書き続けるのだと言うと、中原昌也じゃないですかと(……)さんは笑った。駅前の大きな横断歩道を渡り、東南口のほうに折れると、マルイのビルが視界の先に窺えた。東南口の階段下には常に多くの人々が行き交っており、なかに一人何やら踊っている者がいて、その周りをいくらかの人たちが取り囲んで携帯を向けたりしていた。近くを通り過ぎる際に目を向けると、踊っている男はシャツにネクタイをつけた姿で、目の周りを化粧で黒く縁取って、ヴィジュアル系がちょっと崩れたような風貌だった。
 『寝ても覚めても』の映画版の主題歌にtofubeatsが起用されているのだ、などと話しながら紀伊國屋書店エスカレーターに乗る。入店すると手近の区画に、『大江健三郎全小説』の巻が二つ積まれていた。手に取って裏返してみると五千円ほどだった。それから日本文学の棚の前を推移して行く。(……)さんは、山下澄人がちょっと気になっていると言った。一作読んだ覚えがこちらにはあったが、随分と前のことなのでもはや何の記憶も残ってはいなかった。それからしばらくそれぞれ棚を見て回り、その後に(……)さんに何かありましたかと尋ねると、松本圭二がどのような小説を書いているのかはちょっと読んでみたいとの答えがあった。しかし、復活する会合の課題書は海外文学にしようという話になった。それでまた棚の前をゆっくり動いていると、(……)さんが丸谷才一訳のジェイムズ・ジョイス『若き芸術家の肖像』を指し示した。ジョイスをまだ一冊も読んだことがないこちらにも異存はなかった。文庫版があるのではないかということで、そちらの区画に移動して、岩波文庫を見に行く途中、こちらは講談社文芸文庫のコーナーで立ち止まり、棚に目をやり、岡田睦『明日なき身』を発見して取り出した。この作家は生活保護を受けながら私小説を書いていた老人で、二〇一〇年以降は失踪したと言うのだが、日記ばかり書いて経済的能力のないこちらも、ことによるとずっと先にはそうした境遇に陥っているかもしれないとの思いが浮かんで、読んでみようと考えたのだった。それから岩波文庫の棚を見に行ったが、ジョイスの作品は置かれていなかった。ほかの棚も見回っているうちに、こちらは思いついて、それか『ボヴァリー夫人』はどうですかと口にした。喫茶店にいるあいだ、こちらが最近読んだフローベールの書簡に関連して、その作品の名前も上がっていたのだった。(……)さんもそれで良いと了承し、山田爵訳を収めた河出文庫の区画に行った。ここにも目当てのものは見つからなかったが、(……)さんは、『ボヴァリー夫人』なら確か持っていたと思うと言うので、課題書についてはそれでまとまった。
 上階の哲学のコーナーを見るだけ見てみようということになった。それで見に行ったのだが、棚を見回っていてもやはり、以前だったら彩り豊かな魅力と輝きを放ち、こちらの購買欲を刺激していたはずの著作群に惹かれる気持ちを抱けないのだった。日本の思想の棚を見ていた(……)さんが、これを買うと言って示してみせたのは、岸政彦『断片的なものの社会学』だった。ほか、最終的に彼は『ベンヤミン・コレクション』の六巻と、柴崎友香の著作も手もとに保持していた。思想のコーナーをしばらく見分してからふたたび下階に戻って、それぞれ会計を済ませた。
 階段を下って一階の通路に出たところで、次回の会合の日程を決めることになった。二か月後なので、一〇月一四日か二一日はと(……)さんは提案した。こちらは精神をやられて経過観察中の身、その頃になっても今の生活が続いているかわからないが、ニートなのでと笑ってどちらでも良いと了承し、会合は二一日に決められた。それからどこか飯に入ろうという話になって、通路を店舗外へ抜けて行く。入り口の傍では何やらステレオ機器の宣伝をしており、日本語ではない言語で歌われた"涙そうそう"があたりに流れていた。横断歩道前で立ち止まって見上げると、淡い雲のいくらか掛かった午後六時の空は夕暮れて色が希薄になっていた。店の選択は完全に(……)さんの直感に任せて、しばらく歩き回っていると、和食創作料理の店が先ほどあったのでそこで良いですかとなった。道を引き返してビルの五階にエレベーターで上がって行った。
 「(……)」という店だった。その名の通り毬をモチーフにしており、エレベーターから降りるとすぐ目の前には大きな毬を模した球体型の半個室のような席がいくつか並べられていた。さほど待たずに案内された席はしかし、奥のフロアのテーブル席だった。その席の頭上にも、やはり毬を模した紙の球に葉っぱのような彩りを描いた電灯が吊るされてあった。ひとまず飲み物を注文した。こちらはジンジャーエール、(……)さんは温かい焼酎だった。飲み物が届くとともにお通しが持ってこられたが、それは茄子と赤味噌のゼリー寄せだった。それを摘みながらメニューを見ていると、鮪の漬け丼というものがあったので、こちらのメインはそれにすることに決めた。そのほか、(……)さんの選択で、刺し身の盛り合わせ、蛤の吟醸蒸し、甘海老と帆立のセビーチェ、九条葱と水蛸のアヒージョが注文された。
 刺し身の盛り合わせは氷をいっぱいに詰められ、笹のような植物があしらわれた大きな容器に乗せられて出てきた。カツオ、サーモン、タコ、マグロ、アジと品が少しずつ並んでいた。(……)さんは口をつけて、マグロは完全に冷凍のものだけどタコは美味いと言った。冷凍とかわかるものですかと尋ねると、何だかんだで毎日触っているので、見た目と味でわかるのだと言った。冷凍でも上手に解凍する方法があって、塩分濃度が三パーセントほどで五〇度程度の湯でやるのだと(……)さんは語ってみせた。こちらは山葵に涙を催しながら鮪の漬け丼を堪能した。セビーチェというのは(……)さんもどういう料理なのかいまいち知らなかったようだが、細長い器に出されたサラダ風のもので、白く泡立ったムースが添えられており、それを掛けて食べるのだった。
 食事のあいだ、(……)の話がなされた。(……)
 ほか、結婚は無理だとか、性欲がほとんどなくなってしまったなどと話をした。(……)さんも最近は性欲が薄いらしかった。我々は揃って悟り世代ですからと口にすると、自分は五合目くらいだけれど、(……)さんはもう頂上まで行って朝陽を拝んでいるくらいですよねと言うので互いに笑い合った。ほかにも色々と話したと思うのだが、思い出せない。自分の記憶は何と不完全なのか? 以前はもっと頭のなかが整理されていたと思うのだが。その時話したはずのこと、その時あったはずのことを十全に書けないと、その時間がまるでなかったことになってしまうかのような気がする。アン・モロー・リンドバーグが『翼よ、北に』の序文で、「自分のやってきた冒険について語ろうと、日記のかたちで、あるいは物語として、あるいは書簡体で書き残す人々は、一風変わっていると見られがちだ。彼らは経験を言葉にしないと、そうした経験そのものがなかったような錯覚に陥る。少々疑いぶかいのか、鈍感なのか。ともかくも言葉にして繰り返さないかぎり、それを見ることができないのだ」と書いているが、ここで言われていることはこちらにもわかるような気がする。
 出てきた品を食べ終えたあと、最後に溶岩ステーキというものが注文された。これが出てくるのに結構な時間が掛かったのだが、ともかく品が届くと、女性店員が最後にフランベをしますと言って容器に入った液体に火を灯した。それを肉の上に掛けると一挙に炎が燃え上がって食器の周りに汁がはみ出し、こちらはおお、凄いという声を上げた。手慣れていますねと(……)さんが声を掛けたのに対して女性は、一日三回くらいは注文があるからと返した。それでも最初のうちなどは、前髪を焦がしたりしてしまったのだと言った。
 肉を食い終わると会計だった。(……)さんは、一万円ちょっとだと思うと値段を予想し、今日は(……)さんの復帰祝いということでと一万円を卓上に出した。さすがにそれはおかしいとこちらは固持しようとしたのだが、財布のなかには千円札が一枚しかなく、あとは一万円札だった。レシートが届くと、値段は約一万二千円だった。それで(……)さんが千円札を追加して払ったのだが、こちらが釈然としないと言っていると、次回松茸でも奢ってくださいと(……)さんが言うので、こちらも今回はそれに甘えることにした。感謝するほかはない。
 それぞれトイレに行ってから席を立って、エレベーターを下って退店した。ビルから出ると目の前には「ビックロ」の建物があり、左に折れるとその先が駅だった。地下への階段に入って行き、改札の前で方向を異にする(……)さんと別れた。縦横無尽に行き来する無数の人々のあいだを歩いて行き、ホームに上がると手近の列に並んだ。しばらくして特快が到着した。
 中野に着いたところで扉際が空いたのでそこに入ったが、本を読むこともせず、電車内ではのちに記す日記のためにこの日の記憶を思い返していた。向かいには金髪の女性が立っていて、手に持った袋にはジーンズの絵柄が印刷されていた。その絵の一部から、何かが出っ張っているのに気づいたが、ジッパーの取っ手のようにも見えたそれが、見ているうちに蛾がとまっているものだとわかった。女性は気づいていないようだった。
 立川で降りて番線を変えて乗り換える。(……)行きに乗っているあいだは席にも座れたが、やはり本を読まずに記憶を探り続けた。(……)に着くとホームを歩いて、例によって自販機で小さなスナック菓子を三つ購入する。それからもう着いていた乗り換えに乗って、ここでは短い時間だが『未明の闘争』に目を落とした。(……)に到着して降りると、九時二五分だった。夜気のなかに、何かを燃やしたあとのような臭いが嗅がれた。階段通路を抜けて横断歩道に出ると、ちょうど車の通りは一台もなく、あたりは静寂に満ちていた。坂に入っても、都市に出て人の多いなかにいたからだろう、遠く虫の音と小川のせせらぎのみが聞き取れるのが、随分と静かな感じがした。
 帰宅すると、両親は居間に揃ってテレビを見ていた。(……)さんから貰ったうどんを香川土産だと言って取り出すと、酒を飲んだらしく赤い顔になっている父親は、機嫌良さそうに相貌を崩して、いいじゃん、と言ってみせた。うどんを冷蔵庫に収めたこちらは自室に帰ってズボンを脱ぎ、パンツ姿のまま風呂に行った。冷水シャワーを浴び、束子で腹回りを良く擦って風呂を上がると、氷を入れた水を用意して卓に就いた。テレビは田中力というバスケットボール選手を紹介していた。アメリカに渡るらしい彼が空港で母親と別れを交わしている場面、片手で母親の身体を抱いているその様を見ると、腕の太さや背丈の高さから、まるでアメリカ人のようだなと思ったが、実際ハーフであるらしかった。水を飲み終えると下階に下りて、日記を書きはじめたのだが、僅かに書いて喫茶店の場面に達すると、うまく会話が思い出せずどう書けば良いのか考えあぐねてインターネットに流れた。自分の記憶から以前のような定かさが失われていると感じている現在、「記憶力 サプリメント」などと検索して、情報を探ってしまったのだ。日記に戻ることができず、そのまま一時過ぎまで無闇なネットサーフィンが続くことになった。ホスファチジルセリンというものやDHAなどが記憶には良いとされていたが、サプリメントなど所詮は気休め程度のものだろうと考えてはいた。検索したなかに「バコパ」というハーブが紹介されており、インドのアーユルヴェーダでは古来から記憶力増強のために使われてきたなどと語られていた。これだって胡散臭いものではあるが(本当に効果があるのだったら、もっと人口に膾炙していて良さそうなものではないか)、それでも迷った挙句の一時過ぎ、Amazonで注文を確定させてしまった。まあとりあえず、飲んではみるつもりである。
 歯を磨いたあと、寝床に仰向けになって布団を被りつつ、買ってきた岡田睦『明日なき身』を適当にめくり、断片的に文字を追った。夜気は秋めいて窓を開けていると肌寒いくらいであり、たびたび大きなくしゃみを放っていた。二時になったところで本を置き、明かりを落として眠りに向かった。

2018/8/18, Sat.

 一〇時頃から意識は浮上していたのだが、起床できないままほぼ一一時に到った。そこで携帯電話のバイブレーションが鳴り、その音を契機に身を起き上がらせることができた。携帯は手近のティッシュ箱の上に置かれてあった。元々七時のアラームを設定して遠くに置いてあったはずである。記憶はなかったものの、アラームで一度起きて近くに取り寄せてからふたたび眠ってしまったらしい。九時頃だったろうか、寝床にいるあいだには窓からの熱射を感じたりもしていたが、起きて廊下を行くと比較的涼しく過ごしやすい気温に思われた。
 上階に上がって行くと母親はテーブルの端に就いている。挨拶をして顔を洗い、フライパンのドライカレーを火に掛けると、冷蔵庫からバンバンジーの残りを取り出した。卓に就き、その二品で食事を済ませながら、新聞の書評欄を散漫に眺めた。野家啓一の『はざまの哲学』という本が野矢茂樹によって取り上げられていた。母親は、またメルカリの送品でもするのだろうか、近間のコンビニに行ってくると言って外出した。こちらはものを食べ終え皿を流しに運び、乾燥機の食器を片付けると薬を服用した。そして食器を洗って、風呂も洗っていると母親が帰宅し、彼女が買ってきてくれたチョコミントのアイスを受け取って箱から出し、中身は冷凍庫に、空箱は戸棚の紙袋に収めて、一本食いながら階段を下って行った。
 コンピューターを点すと、例によってSuchmos "YMM"を流す。前日の記録を完成させ、インターネットを覗いてから音楽を止め、窓をひらいて日記を書き出した。一一時四〇分だった。打鍵を続けているうちに一時間が経過した。空気はやはりさらりとしており、汗を肌に湧かせるほどの熱気や粘りがなく、爽やかさすら感じさせるようだった。
 「(……)」を読んだ。それから次の活動に取り掛かるまで、二〇分ほどの空きがあるのだが、この間何をやっていたのかは覚えていない。次の活動というのは、工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』の書抜きだった。短い二箇所を写してこの本からの書抜きは終了、それから前日に読んだ夕刊の記事三つをやはり写しておき、そうすると時刻は二時直前となった。書抜きのあいだはJose James『Love In A Time Of Madness』を流していたが、打鍵しながら耳に入ってくるR&B調のサウンドが先日集中して聞いた時よりも少々良いように感じられて、意外と悪くないのではないかと思われた。一三曲目、"Trouble (Tario Remix)"が掛かる頃には運動を始めていた。屈伸や前後の開脚をして下半身の筋をほぐしたあと、ベッドの上に移動する。両足の裏を合わせて脚を左右にひらき、"Live Your Fantasy (WONK Remix)"の複雑なサウンドが耳に入るなか、足先を掴んで息を吐きながら身体を前に倒して行く。その後、腹筋運動と腕立て伏せもゆっくりと行って、すると二時一五分だった。
 それから中原昌也『名もなき孤児たちの墓』を読みはじめたのだが、この読書がなかなか進まなかった。と言うのは途中で眠りに落ちてしまったからである。一時間ほどは起きていたと思うのだが、その後は意識を失った。眠りは浅く、夢というよりは幻影じみた体験を通過しながら、部屋が暗んだ七時前まで床に留まることになった。夕食の支度もせず、不甲斐ない体たらくだったが、どうしても身体が言うことを聞かないのだった。
 上階に行って台所に入ると、鍋でジャガイモを茹でているところだった。ほかにはすき焼き風の牛肉料理に茄子の味噌汁と、既に食事の支度は整っていた。テーブルに座って夕刊をちょっと見ていたが、七時を回ってじきに食事を始めた。テレビのニュースは、山口県で行方不明だった赤子を発見した例のボランティアの人、「スーパーボランティア」と称されていたが、あの老人が西日本豪雨を受けた広島県呉市に入って活動を始めたと報道した。さらにボランティアという話題に関連して、「ベビーカー下ろすんジャー」という取り組みも紹介された。杉並区かどこかと言っていたような気がするが、エレベーターのない駅の階段を赤子連れが下らねばならない時に、戦隊ヒーローの格好をした人がベビーカーを運んでくれるのだった。仕事の合間を縫って活動を続けていると言う。そのあと、母親の手によって番組がザッピングされ、最終的に到ったのはスズメバチ駆除の仕事を紹介しているものだった。スズメバチの飛び方には二種類あって、巣から出て行くものはまっすぐ素早く飛び、巣に帰るものは餌を持っているから尾を下に向けてゆっくりと飛ぶのだと言う。それを見分けて飛んでいく蜂を追いかけることで巣の場所を特定するのだった。巣が見つかればあとは吸引機でもってひたすら蜂を吸いこんで行き、大方吸ったら巣を切除するという段取りだった。スズメバチの巣は、大きいものでは一メートルほどになると言った。
 食事の最後に味噌をつけた胡瓜をかじり、抗精神病薬を服用してから皿を洗うと、風呂に行った。パンツ一丁で出てくるとすぐに自室に帰り、音楽を流しはじめた。久しぶりにかけたが、Richie Kotzenの『Wave Of Emotion』である。冒頭三曲を歌い、さらにSuchmos "YMM"も再生して音楽に合わせて身体を揺らす。次の"GAGA"を歌ったあと、Jose James "Trouble"に移し、それが終わると同じ"Trouble"のライブ映像を視聴した。All Saints Basement Sessionと題されたもので、続けて"It's All Over Your Body"のそれも視聴して音楽の時間は切りとし、この日記を記しはじめた。八時半過ぎだった。
 一年前の日記を読み返した。この時期はまだ朝から晩までの生活をすべて記すのでなく、一日のうちに感得された天気や季節などの差異を拾い上げ、時間を掛けて練った記述を拵えている時期だった。その文章を読んでみると、やはり明らかに今よりも繊細に事物に感応し、緻密に物々のニュアンスを捉えているように思われた。下に引いておく。

 玄関を出ると、湿り気の肌を囲んで重いような朝だった。低みに走る川から靄が湧いてわだかまっており、ある高さを境にぴたりと切れてまっすぐな上端を印すその濁りの、電線のあいだに見れば隙間なく緻密に蜘蛛の糸が張られたようだった。数日籠ったあとの外出で、坂を満たす蟬の声のなかに入るのも久しぶりのことだ。空気はあまり流れないが、汗が滲む蒸し暑さでもない。傘を持ったが使う機会はなかった。
 裏通りの一軒を彩る百日紅は、見ない間に花が落ちて、その残骸も地にも塀の上にも少なく、縮れたピンク色の嵩が随分と減って軽い装いになっていた。しかし例年、ここからまた、終わったかと思えば息を吹き返すかのように長く咲き継がれるのが、この花の常である。もう一本、駅の近間の小社に生えたものが目を惹いた。紅色の濃くて緋に近く、それほど膨らみ盛るでないが梢の各所にひらいた花の、その整然とした鮮やかさに、視線をじっと捕らえられながら通り過ぎた。
 働くあいだに雨が通ったらしく、仕舞えて出てくると道に濡れた痕が残っていた。建物の合間に覗く丘に霧の掛かって、何か見馴れぬような知らない場所のそれを見ているような、住む町の風景が風景らしく見える日である。空気はやはり停滞しており、蒸し暑さが生まれていて、欠伸を洩らしながら行く道の曇った白さが、まだ昼下がりなのに五時頃のような感じがした。
 行きにも通った百日紅を反対側から通り掛かって改めて見やれば、あれほど花の重って塀からはみ出た枝の低く垂れていたのに、今はすらりとした立ち姿を保って、まるで枝が短くなったようだと思われた。家の傍まで来ると川の靄は薄まっていたが、山は空から一続きに乳白色の霞みに籠められて、何層にも重なった白さのかえって薄明るいような、見ようによってはかすかに眩しいようなと感じられた。

 それから音楽を聞き出した。Jose James, "It's All Over Your Body", "Make It Right", "Bird Of Space", "No Beginning No End", "Tomorrow", "Come To My Door (Acoustic Version) (feat. Emily King)", "Call Our Name (feat. Jessica Care Moore)"(『No Beginning No End』: #1, #8-#13)、Bill Evans Trio, "All of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#1)で五〇分ほどを費やしたのち、中原昌也『名もなき孤児たちの墓』の読書に入った。ベッドに横になっているあいだ、ひらいた窓から夜気が流れ込むのが涼しく、やや冷え冷えとするとすら言っても良いかもしれないほどだった。それで布団を身に掛けながら読み進め、終盤、同時に歯磨きも済ませ、零時を回った頃合いで読了した。中原の記述はがたがたしており、整然と成型しようという意思がまったく感じられず、それでいてどうでも良いようなことばかり書いている。そして合間に、語り手というよりは著者本人が急に顔を出すようにして、文を書くこと小説を拵えることへの愚痴が漏らされる。それが面白いのかどうかは定かでないが、愚痴の部分をいくらか書き抜こうと思ったのは事実だ。本を読み終えるとインターネットでこの著作の感想をちょっと検索し、零時半を回ったところで床に就いた。



工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年

 (……)ぼくが親近感を抱くのは、非行動的な人間、禁欲的な者、夢想家です。――洋服を着る、脱ぐ、食べる、なんてことにもうんざりです。大麻をやるのが怖くさえなければ、パンのかわりにこれをつめこんで、かりにあと三十年生きなければならないとしたら、その間ずっと、仰向けになって、だらりとしたまま薪みたいにころがって過しますよ。
 (298; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年十二月十四日〕水曜夜 二時)

     *

 (……)一冊の書物にあっては、すべてが似ていながらじつはひとつひとつ違っている森の木の葉のように、文章という文章が、立ちさわいでいなければなりません。
 (314; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五四年四月七日〕金曜夕 午前零時)

2018/8/17, Fri.

 七時に携帯のアラームが鳴り響いた音で覚醒した。携帯電話は扉のすぐ脇の本棚の上面、本が二〇冊くらいは積まれたその横に置いてあった。こうすればアラームを止めるために扉のほうまで行かなければならず、二度寝を防げると考えたのだ。ところが実際には、床を抜けて重い頭でアラームを止めると、そのまま振り向いてベッドに戻ってしまった。しかし、眠気はさほどのものでなく意思の力が勝って、寝転がりながらも二度寝に陥ることはなさそうだった。ちょっと経つと起床したが、すぐに部屋を出ず、眠っているあいだに脚がこごっていたので読書のかたわらそれをほぐすことにした。そうしてゴルフボールを踏みながら中原昌也『名もなき孤児たちの墓』を読み、七時一八分で切ると上階に向かった。
 洗面所に入って顔を洗い、冷蔵庫を覗くと、卵を焼こうかと思っていたが前日に炒めた茄子と大根の煮物が残っていたので、それで良かろうとなった。一皿のそれらをレンジで温めながら米をよそり、味噌汁を火に掛けて大根おろしを作る。品々を卓に運んで、席に就くと醤油味の茄子とともに米を咀嚼する。食べ終えたところで味噌汁を汲んでくるのを忘れていたので、よそったものを追加で啜り、朝食は終いとなった。そうして薬剤を服用してから食器を洗う。流しの洗い桶のなかには「オロナミンC」の瓶が二本入れられており、水に浸かって柔らかくなったそのラベルを、爪を使ってかりかりと剝がして行き、瓶が無地になるとそれを外の物置に持って行った。ミンミンゼミが早くも鳴きを散らしている午前八時前、日陰にいれば涼しい朝だが、太陽に当たられると既にその勢いが窺えた。
 時間は前後して、確か流しにいた時のことだと思うが、母親が石橋幸がどうとか漏らして、なかうえけんじって知っていると尋ねてくる。中上健次だなと理解して、作家でもう死んでいると答えた。母親がそう訊いてきたのは、石橋幸という人のコンサート案内が兄宛に届いており、そのチラシに中上の評言、彼女は深くロシアの人々と共振する、というような言葉が記されてあったのだ。ロシア語の歌を演ずるらしい彼女の公演は紀伊国屋ホールで九月二五日に行われるとある。封筒のなかには兄に向けた自筆の手紙までわざわざ添えられており、兄は大学時代ロシア関連のサークルで活発に活動していたので、その時からの知り合いなのかもしれないと思われた。手紙には、日本は暑くてマガダンから帰ってきて以来夏負けしている、というようなことも記されており、マガダンと言えば収容所のあった街だなと思った。クセニヤ・メルニク/小川高義訳『五月の雪』で一部舞台となっていた土地だ。
 外から戻ってきて、風呂はもう洗えるのかと訊くと、残り湯の量を見てみてと母親は答える。風呂桶の蓋をめくり、まだ結構ありそうだと伝えるとならばもう一度洗濯するからと返って、こちらは下階に戻った。コンピューターを点け、八時を回ったところから早速日記を書き出した。一六日の分を仕上げ、この日の分も綴って、九時過ぎに到っている。
 それから多分、風呂を洗いに行ったのではなかったか。しかしよく覚えてはいない。記録によると九時半過ぎから運動を始めている。いつもながらのSuchmos "YMM"を背景にかけて屈伸から始め、前屈と腰上げ運動を行った。身体を少々ほぐすと一〇時も近く、外出の支度を始めなければならなかった。通院の日だったのだ。エディ・バウアーの薄青いチェックのシャツを身につけ、下は前日にも履いたベージュのジーンズを選んだ。歯磨きをしたのかどうか、記憶にない。バッグに本と手帳、それにお薬手帳を収めて上がって行き、そろそろ行こうと母親に告げた。彼女も準備を始めていたのだが、冷蔵庫のなかを覗いたり何かこまごまとしたことをやったりとぐずぐずしているのに痺れを切らして、こちらは先に外に出た。家屋根によって駐車場に生まれた日蔭と日なたとのちょうど境に立ち尽くして、何をするわけでもなく佇む。林からはツクツクホウシがリズミカルに鳴きを刻むのが聞こえ、その周りもほかの蟬たちの声で満たされていた。母親が玄関から出てきたのを機に道路に出て日なたのなかに入ると、道の先のほうに、上下を緑に挟まれてピンク色の百日紅が咲いているのが見えた。それを見やりながら乗車し、シートベルトを締めると発進する。
 雨が降ったあとで葉が露を帯びているかのように木々の緑が艶めいていた。市民会館跡地を右に折れ、坂を下ってから街道に入るあたりで、"Baby, I Love You"と繰り返す出来合いのポップスが車内に流れはじめた。つまらない音楽だった。街道を走るあいだ、東の空は明瞭な青さに晴れて雲の筋も少ないが、今夏の酷暑のなかでは今日の気温はそれほど高くないように思われた。坂を上っているあいだ、医者に菓子でも持っていかなくて良いだろうかと母親が漏らす。持っていく人もなかなかいないだろうとこちらは答え、完治したらで良いのではないか、完治があるのかわからないけれどと落とした。パニック障害がもう寛解だと思われた時期にこちらも、長年世話になった礼を持って行こうと思っていたのだったが、仕事なり読み書きなりにかまけてなかなか医者を訪れず、そうしているうちに年末の変調を招いたのだった。
 医者の駐車場は混んでいた。前日まで盆の休みでこの日から通常営業だったため、人が多いだろうと推測された。ビルに入って上って行くと果たして、待合室の座席はほとんど埋まっていた。お願い致しますと受付に診察券を出し、別室に入ったがこちらにも一組先客があるくらいの賑わいだった。母親と並んで座り、中原昌也『名もなき孤児たちの墓』を読みはじめた。向かいに座っているもう一組は、高齢の夫妻に、三〇代くらいだろうかその息子という組み合わせの三人だった。父親の男性は薬と飲み物の入ったらしいビニール袋をがさがさといわせ、長い待ち時間を持て余しているようで、時折り席を立って待合室のほうに出て行ったり、受付に順番を尋ねたりしていた。待つあいだ、たびたび風が激しく荒れて窓をがたがたと揺さぶり、ビルの三階にあるこの部屋の周りを大きな音で包みこむのだった。首を曲げて外を見やると、その上端しか見えなかったが、外壁に取り付けられた医院の看板も揺れているのが窺えた。
 六時間に満たない睡眠のためだろう、文字を追いながら瞼が落ちる瞬間があった。理由なき突然の暴力や唐突に訪れる極端な発想や取ってつけたような比喩が散らされた中原昌也の与太話は読んでいて面白いのかつまらないのかが良くわからない。と言うか最近は何を読んでいても面白いのかそうでないのかが明白でなく、と言って面白いか否かよりも、そこにある具体性・固有性を捉えることのほうが大事ではないかと思うのだが、それを感じる力も言語化する力もいまの自分には充分に備わっていない。待ち時間は長かった。一〇時半に到着し、呼ばれたのは正午が近くなった頃だった。受付の女性の声を聞き取ると、待合室を横切って診察室に向かい、ドアを二度ノックしてからなかに入る。こんにちはと言いながら椅子に腰掛けると、医師の一言目はいつも通り、この一週間どうでしたかというものだった。安定していると答え、それから、また文章を書きはじめたと報告した。どんなものをと言うのには日記をと答え、長さはどうですかとの問いには、前よりも長いかもしれないと一瞬言いかけたのだが、止まって、前と同じくらいですかねと口からは出た。実際には、哲学的・文学的な考察の類は書けなくなってしまったが、自分の行動を以前よりも細かく書いていると思うので、平均すると前よりも分量が多くなっているのではないか。自分としてはもう結構治ってきたなという感じなのですが、と言うと医師は笑った。今後の方針というか見通しはどのような、と続けて尋ねれば、薬はいまのままで維持し、もう少し経過を観察してみようとのことだった。そろそろ仕事も始めなきゃなと思っていますと会話の終盤で漏らしたが、と言って以前の塾講師に戻る気はもうあまりなく、かと言ってほかに何か明確な当てがあるわけでもなかった。処方は今回は二週間分ということになった。
 診察は一〇分掛からず終わったと思う。一四三〇円を払って、どうもありがとうございましたと残して出て、階段を下りて行く。ビルを出ると隣の薬局に入って処方箋を差し出すとともに番号の書かれた紙を受け取った。六〇番だった。薬局は稀に見る混み方だった。僅かに残っていた席に腰掛け、中原昌也を読みはじめたが、まもなく呼ばれたのが四八番かそこらで、結構時間が掛かりそうだった。二〇分ほど待って呼ばれてカウンターに行き、薬剤師とやりとりを交わして一一二〇円を払い、薬局をあとにした。
 道路に出ると風が吹きつけ、前髪を動かした。昼食はファミリーレストランバーミヤン」で取るという話になっていた。車に戻って乗り込み、裏道から抜けてすぐのところにあったレストランに入る。入店し、紙に名前を記した。我々の前には五名の一組が待っていた。そのグループが椅子を用いていたので、我々は立ったまま待つことになった。こちらはそのあいだにトイレに行ってきて、戻ってさらに待っていると、店員がカウンターから出てきて子どもの客を相手にして、雑多な商品の並んだなかからガチャポンの機械に鍵を差し込みはじめた。「ラッキーセット」と書かれたもので、どのような景品なのかは良く見なかったが、店員は機械をひらいてなかの品を一つ二つ取り出し、子どもに差し出してみせると、子どもはこっちがいいと言ってそのうちの一つを受け取っていた。東南アジア風の顔立ちをしている女性店員で、外国人ではないかと思われたが、日本語は達者で明るい雰囲気の人だった。そのあとにもそのガチャポンの前に溜まる子どもがいて、結構な人気ぶりだった。こちらの背後にも、見れば犬を模したものなりサンドウィッチを模したものなり、いくつもガチャポンの機械が設置されているのだった。
 席に通され、メニューをひらく。母親は日替わりのランチと決めて、こちらは肉盛りのつけ麺を選ぶことにした。左のテーブルには、良く見なかったが多分中学生か高校生くらいの、私服の少女が二人おり、その奥、こちらの左斜め前は家族連れで、子どもが蓮華いっぱいにラーメンを乗せて啜っていた。しばらく待つとこちらの注文は届いて、温かな麺を汁に浸して啜り、肉を食いはじめたのだが、母親のものがなかなか来ない。セットの餃子三つが届いてからもまたしばらくあり、ようやく届いた頃にはこちらはもう食事を終える頃だったが、店員は大変申し訳ありませんお待たせ致しましたと慇懃に恐縮してみせた。母親の品は、唐揚げと豚しゃぶ、春巻きにキャベツが添えられたもので、それにご飯もついていたが、彼女は食べきれないと言って頻りにこちらに食べるように促してみせるのだった。求められるままにライスをもらい、唐揚げや春巻きをおかずにそれを食い、キャベツもつまんだので母親が実際食べたのは七割くらいだったのではないか。それでものちのち車のなかで、お腹が苦しいと彼女は漏らしてみせるのだった。
 食事を終えたあとは買い物である。スーパー(……)に移動し、車を出ると、カートに籠を乗せて入店する。最初はこちらがカートを運んでおり、キャベツや豆腐、卵や鯖などがそのなかに入ったのだが、じきにこちらはカートを離れて、市の指定のゴミ袋を見に行った。その途中にビスケットの区画に掛かると、「たべっ子どうぶつ」のセットを見つけたので確保し、それから表示に従ってゴミ袋の場所を訪れたが、役所指定のものはない。それで母親を探しに戻り、途中でアイスも一つ保持して合流すると、指定の袋はレジの近くにあるとのことだった。それも含めて会計を済ませ、品物を袋に詰めるとカートを押しながら店をあとにし、車に戻って冷たい品を保冷ボックスに移し替えた。
 アイスを食いながら乗車し、(……)に向かう。父親の肌着を新しく買いたいとのことだったのだ。(……)に着くと上層の駐車場に停めた。こちらは買い物には付き合わず、本を読みながら待つつもりだったが、駐車場内は暗くて文字が見えないので車を降り、屋内に入ってエレベーター近くのベンチに腰を下ろした。本を読みはじめたのはちょうど二時だった。それからぴったり三〇分待つと母親が戻ってきたので車に戻って、帰路に就いた。
 帰ってくると買ったものらを取り出し、保冷ボックスを提げながら玄関の鍵を開ける。靴を脱ぐと居間に入って品物を冷蔵庫に詰めた。それからベランダの洗濯物を取りこみ、シャツも脱がずにそのままソファに座ってタオルを畳んだ。そこでシャツを洗面所に脱ぎ、肌着の緩い格好になって下着の類も畳んで行った。終えると室に帰ってハーフパンツに着替え、また上階に戻る。戸棚から買ってきたビスケットを早速取り出し、自分の部屋で食べながら東京新聞のサイトにアクセスした。「貧困LGBTに住まいを NPOが「支援ハウス」資金募集」という記事と、「辺野古、土砂投入きょうから可能 現場で抗議活動」の記事の二つを読んだ。それらを日記にコピー&ペーストしておき、ニュースカテゴリの内にも保存しておくと、休むことなく日記に取り掛かりはじめた。三時四〇分から始めたのだが、打鍵をしているうちにあっという間に午後五時を迎えてしまった。
 特に弾きたかったわけではないのだが、隣室に入って意味もなくギターを弄んだ。そろそろ夕食の支度をしなければという頭があったが、疲労していたのでちょっと休んでからにしようと自室に戻り、ベッドに寝転んで中原昌也『名もなき孤児たちの墓』を読み出した。ところが、少しのあいだのつもりがそのうちに眠気が差してきて、気づけば刺されたようにそれにやられて意識が混濁し、布団を被って結局八時過ぎまで眠ることになった。不甲斐ない体たらくである。呻きを上げながら暗い部屋のなかに起き上がり、食事を取るべく室を抜けた。
 腹は減っていなかった。台所の鍋には素麺が煮込んであり、調理台の上にはパックに入ったバンバンジーがあった。そのほかに鯖のソテーなどもあったようなのだが、食欲がなかったので先の二つだけを食べることにしてそれぞれ食器に移した。母親を向かいにして卓に就き、夕刊に目をやりながら麺を啜る。一面には中央省庁で障害者の雇用数が水増しされていたという問題が伝えられていたが、読む頭は散漫で、またテレビにも時折り目を向けていた。そのテレビのほうは最初は録画したらしいNHKあさイチ』を流していて、樹木希林が出演しており視聴者の悩みに答えていた。次に角野栄子という児童文学作家の回に切り替わったが、母親がこれは見た気がすると言って番組を終わらせ、その後は現在放送中の『ぴったんこカン・カン』が流れていた。二宮和也木村拓哉が出演しており、服屋でファッションショーのようなことをやっていた。
 薬を飲み、マグネシウム錠剤も流し込むと入浴に行った。出てくるとすぐに自室に行き、窓を閉めてSuchmos "YMM"を流しはじめた。歌ってからJose James "Truoble"に切り替え、リピート再生をさせながらベッドで前屈を行った。腹筋と腕立て伏せも僅かばかり行うと、Suchmos "Pinkvibes"、キリンジ "双子座グラフィティ"を流して口ずさみ、それで区切りをつけて窓をひらいた。そうして日記を書き足しているうちに一〇時を越えた。
 インターネットを閲覧したあと、読書の開始を手帳にメモして、まず夕刊に目を通した。一面から「障害者雇用 省庁水増しか 対象外の職員を算入」を読み、二面からは三つの記事を選んで読んだ。「トランプ氏批判 米紙一斉に 有力紙が呼びかけ 社説掲載 380紙賛同 「報道の自由を」訴え」、「日本のヘイト対策を審査 国連委 人権・法の実効性など焦点」、「パレスチナ難民の学校 再開 国連 米拠出金凍結で財政危機」である。それから、Evernoteに保存してあるニュース記事のなかから、パレスチナ関連のものをいくつか読み返した。まず、昨年の一二月に米国によってエルサレムイスラエルの首都であるという宣言が一方的に成されている。その後一月にこれを受けてパレスチナ解放機構オスロ合意の崩壊を明言し、米国の仲介による和平交渉も拒否された。そのPLOを「兵糧攻め」する目論見なのだろう、米国はパレスチナ難民救済事業期間に対する資金拠出を保留する方針を決定、オスロ合意の崩壊が宣言されたのが一月一五日の夜、支援保留は翌一六日と即座の対応である。そしてそれ以来実際に米国からの支援金は大半が凍結され、UNRWAは九月末までの活動資金しかないと言う。一方五月からはイスラエルハマスのあいだで戦闘が激化し、今月の八日から九日に掛けてはガザに大規模な空爆が行われたと言うが、こうした対立の悪化も首都エルサレム宣言に端を発しているわけで、結局はドナルド・トランプの招いた事態なのだろう。
 それからこちらは、東京新聞のサイトで省庁の障害者雇用水増し関連の記事をいくつか追った。そうして中原昌也の書見に入るのではなく、工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』を書抜くことにして、コンピューターを前にスツール椅子に就いて文章を写していった。それに切りをつけた頃にはもう零時が近かったと思う。次に、昨年の八月一六日と一七日の日記を読み返した。どちらも、今よりも自由に伸び伸びと思考を綴っていた。一六日にはBill Evans Trioを聞いての感想が記されていたので、ここに引用しておく。

Bill Evans Trio『The 1960 Birdland Sessions』を聞きはじめた。例の伝説的なVillage Vanguardでのライブから一年以上前の音源になる。一九六一年のBill Evans Trioのあの完成度が、それより一年前から現れているかどうかと思っていたのだが、三曲を聞いた限りでは、やはりさすがにこの時点では、まだ確かな形に至っていないようだ。例えばEvansのプレイにしても、一九六一年の"All of You"や"Waltz For Debby"などを聞くと、その「均整」の感覚、あまりの無駄のなさに惚れ惚れしてしまうのだが、六〇年の"Autumn Leaves"では余計な間延びと思われるようなフレーズが聞かれた。また、LaFaroもまだまだ大人しい。ソロを聞くと威勢の良さは六一年と遜色ないように思われるが、バッキングのあいだは、六一年のように隙あらば前面に出ようとするのでなく、装飾も控え目に大方リズムを刻むことに徹していたと思う。二曲目の"Our Delight"などは、Tadd Dameronの曲であり、ということは曲の形式からして古典的なビバップ調のものであって、LaFaroはここでは伝統的な四ビートのベーシストと化していた。この曲目から見ても、おそらくはまだ六一年のトリオのスタイルを掴めていないのだろう。まったくの印象になってしまうが、六一年のトリオは、例えばLaFaroがほとんどいつどのタイミングであってもピアノの旋律の合間に分け入って行くことができるような感じを受ける。互いの呼吸が「肌」に受ける感覚としてわかっていたのだろう、というようなことを思わせるのに対して、六〇年では(少なくとも三曲を聞いた限りでは)まだまだそのあたりの機微が精通されていないと思われる。Paul Motianについては、音質が悪くてドラムが詳細に分化して聞こえないために、何とも言えない。

 それでおそらく零時を越えたと思う。歯ブラシを取ってきて、歯磨きをするあいだふたたび東京新聞のサイトから記事を読んだ。そうして口をゆすいでくると、音楽鑑賞に入った。Jose James, "Vanguard", "Come To My Door", "Heaven On The Ground (feat. Emily King)", "Do You Feel"(『No Beginning No End』: #4-#7)、Aretha Franklin, "Make It With You"(『Aretha At Fillmore West』: #5)、Bill Evans Trio, "All of You (take 3)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4)で四〇分。既に一時を回っていたが、もう少し本を読みたい気がしたので、ベッドで『名もなき孤児たちの墓』を読み進めた。そうして一時四五分に消灯したが、布団に入ってから就寝前の薬を飲んでいないことに気づいたのでまた明かりを点け、洗面所に行って薬剤を服用した。戻ってくると電気を消し、布団のなかに身を包みこませた。



工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年

 生れつき苦しまずにすむ人間がいるものです、無神経な人たちというのがそれだ。連中は仕合せですよ! でも彼らはおかげでどれほど多くのものを失っていることか! 奇妙なことに、生物の階級を上へ昇れば昇るほど、神経的な能力、すなわち苦しむ能力も増大するようです。苦しむことと考えることは、つまるところ同じものなのでしょうか。天才とは、要するに、苦痛を研ぎ澄ませること、つまり、対象そのものをいっそう完全かつ強烈に自分の魂に滲み透らせることにほかならないのかもしれません。おそらくモリエールの悲しみは、<人類>のあらゆる愚かしさ、彼が自分自身のなかにとりこんでしまったと感じていた人類の愚かしさから来ているのです。
 ようやく共進会のなかほどまで来ました(今月できたのは十五ページほど、それも仕上がっているわけではありません)。さて出来は良いのか悪いのか? ぼくにはまったくわかりません。それにしても会話の難しさ、とりわけ会話に性格[﹅2]をもたせたいとなると! 会話によって色づけすること、しかもそのために会話の生気が失われたり不正確になったりせず、平凡でありながら常に格調高く保つこと、これはもう曲芸みたいなもんだ、ぼくの知るかぎり小説のなかでこんなことをやってのけた人はありません。会話は喜劇の文体で、語りの部分は叙事詩の文体で書かなければならないのです。
 今夜は、すでに四回も書きなおしているあのいまいましい飾りランプの話を、新しいプランにしたがって、またやりはじめました。まったく壁に頭をぶつけて死んじまいたいくらいだ! 要するにこういう話です(一ページでこれを書く)、ひとりの男が村役場の正面の壁につぎつぎといくつもの飾りランプをつけるのを群衆が見て、しだいに昂奮が高まってゆく、それを色づけして見せるんです。そこに群がる人々が驚きと歓びでわめき立てるのが、見えなくちゃいけない。それも滑稽な誇張ぬき[﹅7]、作者の考察もぬきでやる。貴女はぼくの手紙にはときにびっくりするほど感心すると言ってくれる。とても良く書けていると思うわけですね。あんなのは小手先の仕事です! なぜって手紙には、ぼくの思ったことを書けばいい。でも、他人のために、彼らが考えるであろうように考える、そして彼らに喋らせるとなると、全然違うんですよ!(……)
 (284~285; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年九月三十日〕金曜夜 午前零時)

     *

 [農業共進会の場面について、]ところでこの壮大なピラミッドが内包するものは、平凡陳腐、何ともささやかなロマンスでしかない。その意味では、これはアンチ・ヒーローたちの演じるアンチ・クライマックスだとも言えて、形式の緊張が内容の空無そのものを提示するところに、もっともフロベール的な<芸術>がある。
 (287註)

     *

 この本は、ちょうど今さしかかっているところなど、ぼくを拷問の苦しみに合わせている(もっと強い言葉があればそれを使うんだが)、おかげでときには肉体的[﹅3]に病気になってしまう。(end288)ここ三週間ほど、ぼくはしょっちゅう、胸をしめつけられて気が遠くなるような感じにおそわれます。そうでなければ、胸を圧迫される感じ、あるいは食卓で吐き気をおぼえることもある。何もかもうんざりだ。今日だって、もし自尊心が邪魔をしなければ、大喜びで首を吊りたいくらいでした。確実に言えるのは、ときどきすべてをおっぽり出したくなるってこと、とりわけ『ボヴァリー』をね。こんな主題をとりあげようなんて、どうしてこんな呪わしい考えにとりつかれたんだろう! ああ、これでぼくは、身をもって<芸術>の苦患[﹅2]を知ったことになるでしょう!
 (288~289; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年十月十七日〕月曜夜 一時)

     *

 (……)最近発表された草稿研究によれば、第二部八章、わずか二十五ページ(クラシック・ガルニエ版)のために、くり返しくり返し書きなおされた草稿は、保存されているものだけで、表と裏ほぼ全面を埋めつくした原稿用紙二百枚近くにのぼる。(……)
 (290註)

     *

 (……)というわけで、ひとつの場面[﹅6]を書くのに、なんと七月末から十一月末までかけることになります! それもやって面白いならいいんですが! しかしこの小説は、どんなにうまく書けたところで、決してぼくの気に入ら(end291)ないでしょう。全体像がはっきりと見えてきた今となっても、嫌悪をおぼえるのみ。(……)
 (291~292; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年十月二十五日〕火曜夕 午前零時)

2018/8/16, Thu.

 精神疾患で休職中の身ではあるが、なるべく朝きちんと起きる生活をしたいと思い、七時に目覚ましアラームを設定してあった。時計のそれではなく携帯のもので、ベッドから離れた白いテーブルの上に置いておいたのだが、この朝、アラームが鳴ると、ベッドから抜け出したのは良いもののはっきりしない頭で音を止めるとふたたびすぐに寝床に倒れ込んでしまい、結局起床は一〇時を過ぎることになったというわけだ。起き上がって室を抜け、廊下を行くと脚が固かった。階段を上り、母親に挨拶をして顔を洗ってから炒飯を温めた。また、冷蔵庫のなかに袋に入れられてあった生野菜を皿に盛って卓に就く。母親と言葉を交わしながらものを食べる。蒸し暑いねと母親は言った。こちらはさほどの暑さは感じていなかった。雲がちな外の空気も白っぽくて、気温計は三三度ほど、猛暑の合間のそこそこ過ごしやすい気候だった。食事を終えると、薬を服用して食器を洗う。そうして母親の求めにしたがって、家計の計算をするのを手伝った。と言って、母親がレシートの束から支出を読み上げて行くのを受けて、携帯電話の電卓で数字を打ちこんで行くだけの簡単な仕事である。それから風呂を洗ったあと、母親がまだあったと言うのでもう一度計算をしてから下階に戻った。
 Twitterを覗いてから日記を書きはじめた。一五日の分を仕上げて投稿すると、一六日の記事も綴りながら、年末一二月三一日の日記をちょっと覗いた。ミシェル・フーコー中山元訳『真理とディスクール パレーシア講義』の書抜きに際して、日記を書くということについての考察が展開されているのだが、この時期にあったような頭の回転、思考の明晰さをもう一度得たいものだと思う。
 書き物に区切りを付けると一二時半を迎えていた。Suchmos "YMM"をリピート再生にして運動を始めた。屈伸を何度も繰り返して前準備をし、それからベッドに乗って前屈を行う。毎朝目覚めると必ず身体は固くなっており、この時も伸ばした脚の先にようやく手が届くくらいの柔軟性のなさだった。そのあと腰を持ち上げる運動、腹筋運動、腕立て伏せとこなして行く。力を籠める時に息を長く吐き出しながらゆっくりと動作を行うと、鈍りきった筋肉がすぐに限界を迎えて、いくらも回数をこなせないのだった。
 運動の次に、工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』から書抜きをすることにした。かたわら流したのは、Jose James『No Beginning No End』である。散文の果てしなさを嘆き、『ボヴァリー夫人』の試みの難しさを訴えるフローベールの言葉を写しているうちに、気づくと四〇分が経って一時半を迎えていたのでそこまでとして、「(……)」を読んだ。それから洗濯物に始末を付けようと考えて上階に行ったが、行ってみるとベランダは空、ソファの端にはタオルが畳まれてあって、既に母親がやるべきことをやってしまったのだった。何となく図書館に出かけようかというような気持ちが兆していた。借りた本はまだまだ読み終えていないのだが、CDは聞いてしまったことだし、何かまた新しい音源を借りてきて、そのついでに出先で書き物も行いたいというような心だった。それで外出を決意して、前日に読み終えた金子薫『アルタッドに捧ぐ』を返却できるようにその書抜きを済ませてしまうことにした。自室に戻り、一五分ほどで文を写し終えると廊下に出た。外出にあたって肌着を黒のものに取り替えたかったのだ。階段下の室にいた母親に図書館に行ってくると告げて階段を上り、仏間から服を取って取り替えると、室に帰ってシャツを纏った。元々薄いピンク色だったものだが、今ではさらに色が褪せてほとんど白と言って良い希薄な色合いと化していた。それから下は、久しぶりに空色のジーンズではなく、ベージュに模様の散ったものを履いたのだが、脚を通して持ち上げてみると腹回りがぴったりと収まった。以前はベルトをつけないとたるみが生まれてずり落ちていたのだが、ここ数か月の生活で太ったのだった。歩いたり運動をしていなかったこともそうだが、メジャー・トランキライザーであるクエチアピンやオランザピンには代謝に影響を与える副作用があって糖尿病患者には禁忌とされているのだが、その薬効のために体重が増えたのだった。実際、腹には以前よりも脂肪がついてちょっと突き出すようになっていた。それで不要なのだが何となくベルトも巻き、クラッチバッグに荷物を整えて部屋を出た。上階に行くと赤い靴下を履き、思いついて体重計に乗ってみた。驚くべきことに六三キロまで増えており、以前は五五キロほどだったので、今のほうがむしろ適正なのかもしれないが、しかし突然太り過ぎではあるかもしれない。体重を調べていると下階から母親の呼ぶ声がした。コンピューターが動かなくなったと言うのだが、こちらが行って見てみると、ブラウザ上にリンクにカーソルを合わせるとその形が変わったり、左下に接続先のURLが表示されたりするのだが、クリックをしてみても何の反応もないという状態だった。画面を上下にスクロールすることもできない。しばらく調べてみてもこちらには原因がわからなかったので、解決できないままに外出に向かった。
 玄関を抜けると前夜と同じように、風が身体に寄せてきた。時刻は二時四〇分だった。坂に接する林には蟬の声が満ち、そのなかでもミンミンゼミの鳴きが、押しつけがましいように耳に向かってくる。坂の出口付近では白い曇り空を背景にして、蜻蛉が何匹も飛び交っていた。空の雰囲気に、ことによるとあとで夕立がざっとあるかもしれないなと思いながら進んでいると、脇の一軒から声が聞こえて、見れば人が出てくるところだった。女性と外国人の男性で、子どももおり、女性は何か英語を発してみせたのだが、思い当たるところがあった。僅かに一瞥したのみで顔を確認しなかったが、女性はおそらく(……)(もはや漢字を忘れてしまった)という同級生で、ニューヨークだかどこかに留学しているという情報を聞いた覚えがかすかにあったが、外国人と結婚して戻って来たのだろう。過ぎて歩みを進めながら、外国で見聞を広め結婚して子を成した同級生と、未だに親元を出ず精神疾患にもやられ、やっていることはと言えばどうでも良いような日記を書くことばかりという自分の身を照らし合わせて、やはり何だかなあという不甲斐ないような思いが滲まないでもなかった。変調以前は毎日死ぬまで日記を書き続けるということが文学的野心として自分のアイデンティティを支えており、それに加えていつか小説を作りたいという欲望もあったのだが、精神の変調によってそれらの野望は半ば去勢され、日記を書くことも自分のなかで以前持っていたような価値を失った。実際、ここには明確な価値を持った事柄など何一つ書かれてはいない。素晴らしく美しい強度を持った描写があるわけでなく、何か非日常的で物語のような出来事が起こっているわけでなく、世界についての哲学的で深い思索が展開されているわけでもない。あるのはこちらが毎日何をしているかということの瑣末でこまごまとした、どうでも良いような細部ばかりであり、それは書いていても読んでいても大して面白いとは言えないものだ。自分としても、何故またこうした文章を書きはじめ、それを続けているのかその理由はわからない。自民党杉田水脈議員が、結婚をして子を作ることのないLGBTの人々には「生産性」がないと雑誌に書いて非難轟々だが、結婚をすることもなく労働という経済活動にも現状参加していない自分も、「生産性」のなさではなかなかのものだと思う。自分が何かやっていると言えるのはただこの日記のみであり、それだって先に述べたように何か有益な「生産性」があるとはとても言えないものである。それでも自分は結局、これを書いていくほか道はないのだろう。死ぬまで日記を綴るという以前の夢はいまやかつての彩りと魅力を失い、もはや文を綴ることの喜びも明確に感じないが、この営みが最低限の活動として自分の実存を支えているのだろうか? 実際、読み書きができなかったあいだはただ死にたくて仕方がなかったし、ふたたび文を書きはじめたいま、少なくともそうした希死念慮はなくなったのだ。
 街道に出た頃には、服の下の肌が濡れているのがわかり、シャツの二の腕のあたりにはぽつぽつと汗の染みが生まれていた。蟬時雨を撒き散らす公園の前を通り、裏路地に入る。角の家には百日紅が立って花をつけており、かつては出勤時にこれを毎日見かけて日々の差異を緻密に書き分け描写していたのだが、いまは眺めてみてもその描写が頭のなかに浮かんでこないのだった。労働を離れて以来久しぶりに通る道に、感慨もない。森のほうからは蟬の鳴き声が渡ってくるなかに、山鳩の声がほー、ほー、と響く。何か新しいものを建設中の市民会館跡地の脇、丁字路で交通整理をしている人員の、そのヘルメットの下の顔が随分灼けて遠くから見ると褐色というより赤いほどで、鬼を思わせた。駅が近づく頃には僅かばかりの明るみが地に広がり、こちらの影がうっすらと地面に宿る。
 駅前に出るとコンビニに入って、ATMで金を下ろした。そうして駅に入り、券売機でSUICAにチャージをしようとすると、このカードは扱えないとの注意が出る。それで窓口に行き、出てきた職員に、このあいだ(……)で残高不足のまま出てしまってと事情を告げた。カードを機械に入れた職員は、(……)からで間違いないですかと訊き、こちらが肯定すると値段を述べる。千円札と一万円札を迷いながら、チャージしていただけますかと訊くと、ここではチャージはできないとのことだったので、了承し、千円を払った。礼を言って離れ、ふたたび券売機の前に立って五〇〇〇円をカードに入金してから改札を通った。何となく喉が乾いていた。ホームに上がると、何か飲むかというわけで自販機に寄り、ココアを買ってその場で立ったまま喉を潤した。そうしてやって来た電車に乗り、短い時間のあいだだが、中原昌也『名もなき孤児たちの墓』を読む。ページに目を落としていると、正面の席には浴衣姿の女性がやって来た。紫色の大輪の花が描かれ、その合間に水色のストライプの走る柄だった。電車に揺られながら三ページを読むと到着した駅で降り、エスカレーターを上がって改札を抜けた。歩廊の上には風にかき乱されながらもぬるい空気が漂っていた。
 図書館に入り、カウンターでCDと本を返却する。それからCDのコーナーに行き、ジャズの棚からすぐにBecca Stevens『Regina』を取った。それから周囲の作品も見分していくのだが、借りたいと思うほどのものが特段見当たらない。それでロックやポップスのほうに移り、端まで行って、Robert Plant『Lullaby And... The Ceaseless Roar』に目をつけた。この作品は以前借りた時にインポートできなかった記憶があったのだが、もう一度借りてみることにして、それからKendrick Lamarでもないかと探してみたところ、LamarはなかったがCommonのライブ盤、『Live at the Jazz Room』があったので、ヒップホップは得手でないけれどこれを借りてみることにした。三枚を手に持って階段を上がり、新着図書の棚の前に立つ。岩波文庫大江健三郎作品があり、日本人の朝鮮観を跡付けた著作があり、山本貴光『文学問題』があり、また大江健三郎賞の軌跡として受賞者と大江の対談などを収めた本があった。それらを確認すると哲学の区画に行き、熊野純彦のカントについての著作が目に入りもするのだが、まだ読んでいないものがあるので何も借りるまいと決め、CDのみを機械で貸出手続きした。そうして窓際に出て席はないかと探したが、予想通り空いている席はない。それで喫茶店に行くことにした。結局こうなるのだったら、駅でアイスココアを飲むのではなかったなと思った。
 退館し、隣のビルに入ると、喫茶店はがらがらに空いていた。ベーカリーとカフェが併設された「Saint-Germain」である。レジの列に並び、小銭を確認しながら番を待ち、アイスココアを注文した。四〇九円だった。五〇〇円を払い、右手のカウンターでお待ち下さいと言われたのにしたがって歩を進め、出てきたものを礼を言って受け取った。二人掛けのテーブル席に就き、コンピューターを立ち上げながら、ココアのカップの蓋を外し、ストローで生クリームをかき混ぜる。そうして啜りながら起動を待つのだが、さすがに一五〇円の缶のココアより甘味と苦味の配分が複雑で美味く感じられた。そうして音楽で耳を塞ぐこともなく、掛かっているBGMや周囲の物音の合間で日記を綴った。記述のなかで現在時がもうだいぶ近づいた頃、急に尿意を催してきたので席を立って店舗を離れ、フロアの端の便所に向かった。頭上からはスーパーにありがちなフュージョン風の音楽が流れており、素早いキーボードソロが奏でられるなかで放尿した。そうして手を洗って席に戻り、記述を進めて現在時に追いつかせると、もう六時も間近の頃合いだった。
 書くことも書いたので、家に帰ることにして荷物を仕舞い、トレイをカウンターへ持って行った。ありがとうございます、またお越し下さいませと向こうから掛かるのに、ありがとうございましたとこちらも礼を返して店を出て、フロアの奥、スーパーのほうへと足を運んだ。入り口付近に積まれた籠を手に取り、まず三個入りの茄子を二袋手もとに加えた。それから大根(一本一八八円)も入れると野菜の区画は離れて通路に入り、ビスケットのコーナーを探して「たべっ子どうぶつ」を入手した。子どもっぽいことだがこの菓子が結構好きなのだ。ほかに欲しいのは飲むヨーグルト、フロアの奥にコーナーを見つけると、レモン風味のものを初めて目にしたので一つはそれを選び、もう一本はいつもの明治ブルガリアヨーグルトのものを籠に入れて会計に向かった。一一一五円を払うと台の前に移って品を袋に詰め、バッグとともに手に提げてビルをあとにした。
 出口から傘を差している人の姿が歩廊の上に見えた。雨が降り出しており、夏の熱いアスファルトが雨で濡れた時特有のあの匂いも薄く立ち昇っていた。高架の通路を渡って駅に入り、改札を抜けながら表示を見やると電車は一八時二分、エスカレーターを下るとちょうど到着したところだった。入って席に就くと、正面に座っているのは巨漢である。髪は左右に短く残ったのみで薄く、ストライプの入った半袖シャツを身につけ、そのシャツの腹の部分がでっぷりと盛り上がってズボンからはみ出していた。スラックスは薄めのグレーで、股のところの袷が、やはり肉に押しやられてだろう少々ひらいて裏を覗かせており、そこだけ色の違った小さな菱形が女性器を連想させるようだった。
 (……)駅で降りると、雨は勢いを増しており、ホームの屋根に打ちつける音が、待機中の電車の立てる音とともに空間を埋めていた。乗り換えの車両に乗り、端まで行って扉の前に立ったまま到着を待った。降りて雨のなかに出ると、すぐに雨粒が次々と襲いかかり、筆をべたべたと乱雑に押し付けたような染みがシャツの上に生まれる。屋根の下に入ったが、階段通路を抜けるとふたたび濡れなくてはならない。しかし急ぐこともなく、横断歩道を待ちながら濡れるに任せて、坂道に入った。蟬の音は乏しく、雨音にかき消されがちだった。平らな道に出た頃には先ほど付された粒のあいだも埋め尽くされ、シャツは一面濡れて、肌にまでその冷たさが染み入ってきた。
 帰宅して居間に入ると買ってきたものを卓上に置き、シャツを脱いで洗面所の籠に入れておく。それから荷物を冷蔵庫に収め、下階の自室に帰るとズボンをハーフパンツに履き替えた。そうして上階に戻ると、母親が夕食の最後の一品として茄子を切り分けており、コンロには大根が火に掛けられてある。仕事を引き継ぎ、フライパンにオイルを垂らしてその上から生姜とニンニクを入れ、しばらく熱してから茄子を投入した。すぐに蓋を閉めて、火が通るのを待ちながら時折り開けてフライパンを振る。そうしてニンニク醤油を垂らして仕上げると六時半過ぎ、もう飯を食ってしまおうかと思ったが、まだ米が炊けていなかった。それで自室に戻り、借りてきたCDのインポートを始めた。iTunesをひらいてディスクを挿入するかたわらBecca Stevens『Regina』のライナーノーツを取り出したのだが、その筆者が、もう長いこと交流をしていないが、知り合いの(……)さんだったので驚いた。読んでみると、過不足なく丁寧にまとめられた文章のように思われた。自分が書けるのは文章といっても本線も脱線もなくこれといった主旨もないこの日記だけなので、小説であれ批評文であれライナーノーツであれ、きちんとした主題のもとに文を展開し、まとめられる人は凄いと思う。自分にはいまのところそういった能力はないだろう。
 インポートをしながら、Robert Plant『Lullaby And... The Ceaseless Roar』のライナーノーツも読むと七時二〇分ほどになっていた。食事を取るために階を上がり、台所に入って、茄子と大根を一皿に乗せてレンジで熱するあいだ、米を椀に盛って大根をおろす。そうして卓に就いて、母親と雑談を交わしながらものを食べる。テレビは四〇〇万円ほどの年収で様々な国に暮らす人々を紹介する番組がやっていたが、これはどうでも良い。平らげて食器を流しに運んだところで、味噌汁を飲んでいないことに気づいたので、追加で椀によそった。エノキダケと豆腐に葱が散った味噌汁だった。そうして薬を飲み、食器を洗ってしまうとすぐに風呂に入った。
 翌日が通院だったので、久々に剃刀を使って髭を剃ることにした。髪を濡らしてかき上げておき、シェービングジェルをつけてまずもみあげ付近の余計な毛を落とすと、顎と口周りを擦ってジェルを泡立てた。剃刀を下から上へと動かして綺麗に剃毛し、顔をゆすぐと次に頭を洗った。それから、タオルを頭に乗せたまま、今日も被っていた帽子の洗濯に入り、洗面器に湯を汲んで洗剤をちょっと加える。そのなかで帽子を揉み洗いし、湯を取り替えて濯ぐと、立ち上がって最後に冷水を腹から下に掛けた。扉を開けて、帽子を洗濯機に投げ入れ、フェイスタオルで身体の水気を落としてから洗面所に入る。さらにバスタオルを使って身体を拭き、帽子は脱水に掛けてドライヤーで髪を乾かした。脱水はもうすぐ終わろうというところで中断して帽子を取り出し、居間に出ると物干し竿の隅に掛けておいて、そうして自室に戻った。
 八時半前だった。三日前に(……)さんから葉書が来ていたので、その返礼がてらメールを綴ることにした。

 (……)さん、お久しぶりです。三日前に(……)さんの葉書を受け取りました。クレヨンで描いたものでしょうか、様々な色の線がカラフルに交錯する抽象画めいた絵の意図はわかりませんが、ありがとうございます。

 こちらは今次の病気から立ち直りつつあります。先頃までは症状が鬱病の様相を呈し、最も落ちこんだ時期は読み書きもまったくできず、甚だしい希死念慮に襲われるばかりでしたが、七月始めから飲みはじめたクエチアピンという薬が良かったのでしょうか、月末から一応読書ができるようになり、今は毎日の文章をまた綴るまでに回復しました。

 ただ、曲がりなりにもふたたびものを書けるようにはなったのですが、病前よりも文章を操る力は落ち、様々な事柄に対する欲望や感受性があまり働かなくなったと自分では感じています。これはこちらがいまだ鬱症状の圏域に囚われているということなのか、それとも自分の精神はそうした状態でもう固まってしまったのか、定かではありません。昨年の一二月あたりの自分は頭が良く回り、哲学的・文学的な考察も自ずと脳内に浮かんできて日記に書きつけていましたが、その頃の感性や頭の回転を取り戻せたらと願っています。いまはまた書けるようになったということだけで良しとするべきなのでしょう。ともかくも、先のことは先になってみなければわかりません。自分に出来るのは結局、毎日文を書くことだけです。

 お忙しくなければ(……)さんがいまどのようなことを考えているのか、近況などをぜひお聞かせください。それでは。

 以上の文面をしたためると送信し、そのまま続けて日記の作成に入った。一時間二〇分を打鍵に費やすと区切りが付き、読書を始めることができた。中原昌也『名もなき孤児たちの墓』を読む前に、室に持ってきてあった夕刊から三つの記事に目を通した。「ガザ 激化する空爆 就寝中に攻撃「何の罪もない妻子が」」、「米の州知事選挙 民主党の候補に トランスジェンダーの女性」、「CIA元長官 機密資格剝奪 トランプ氏」である。そしてそれらから記述を一部写しておいて、それから中原の本に取り掛かった。散漫な読書だったようで、折々立った覚えもあるし、二時間を読んだわりにページの進みはいまいちだった。中原のこの作品には暴力が頻繁に現れるけれど、その暴力は理由も根拠もなく、厚みがなく平面的で、いくつもの言葉によって立ち上げられるはずの的確な表象を欠いている。整えられた表象を欠いているというのは暴力のテーマに限ったものではなく、中原の小説全体に通底していることかもしれず、言わばその場凌ぎでふらふらとした記述を重ねて統一を作ろうとしないまま最後まで逃げ切るといったようなものではないだろうか。
 読書を切り上げるともはや日付の変わる直前だった。本を閉じ、歯を磨き、音楽を聞きはじめた。最初にJose Jamesの『Love In A Time Of Madness』から"Live Your Fantasy"である。フロアで踊る人の姿が見えるような調子のサビを持つこの曲は、しかし次に聞いたWONK Remix版では完全に解体されて、テンポもビートも歌の音価も異なるほとんど別の曲に作り直されている。その次に、Aretha Franklinが死去したとの報を目にしていたので彼女の『Live At Fillmore West』を聞くことにした。冒頭"Respect", "Love The One You're With"のあいだは細かな動きのベースに耳が行き、三曲目の"Bridge Over Troubled Waters"はキーボードの音によって牧歌的な、と言いたいような感触にアレンジされていたが、ここでのArethaは絶唱だった。しかし、その激しい叫びを耳にしてみても高揚や感動がまったく訪れず、頭が(むしろ心が?)退屈に静まっているのがいまの自分の状態だった。とは言え五曲目、"Make It With You"の朗らかでメロウな風合いは気に入られて、このアルバムから聞いた五曲のなかでは一番好きだと思われた。
 それからJose Jamesに戻って『No Beginning No End』の冒頭三曲を耳にする。最後にBill Evans Trio "All of You (take 2)"を流して音楽鑑賞は終わり、薬を飲んでから床に就いた。一時五分頃だった。



工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年

 『ボヴァリー』第一部全体を清書し、訂正し、削除しているところです。目がチカチカする。ひと目でこの百五十八ページを読みとって、全体をあらゆる細部とともに、ひとまとまりの思考として捉えることができたら、と思う。これを全部ブイエに読んできかせるのは、来週の日曜日、その翌日か、翌々日には貴女に会えるんです。それにしても、散文というやつは、なんて手に負えぬしろものなんだろう! 決して終ることがない、果てしなく書きなおせるのだから。しかし散文に、韻文の密度(end150)を与えることはできる、とぼくは信じています。散文の立派な文章は、立派な韻文のようでなくちゃならない。つまり、同じくらいリズム感があって、同じくらい響きがゆたかで、一字も変えられぬ[﹅8]ものでなくてはなりません。というか少なくともぼくの野心がめざしているのは、そういうものなんです。(……)
 (150~151; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年七月二十二日〕木曜 夕四時)

     *

 いくらか仕事ができるようになりました。今月の終りには、宿屋[﹅2]の場面がおわるだろうと思います。参事官のあいだにおきたことを書くのに、二カ月以上かけることになります。(……)
 (168; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年十月七日〕木曜夜 一時)

     *
 (……)「昨日、頬に出来た膿瘍のために、簡単な手術を受けました。包帯でぐるぐる巻きにした顔は、相当にグロテスクです。ありとあらゆる腐敗や汚染がぼくらの誕生以前にはあって、ぼくらが死ぬときにはまたそれにつかまっちまうのに、まるでそれだけじゃもの足りないとでもいうように、ぼくら自身も生きているあ(end192)いだずっと、堕落と腐乱以外のなにものでもない、絶えまない堕落と腐乱が、つぎからつぎへと、覆いかぶさるように押しよせてくるんです。きょうは歯が抜けたと思うと、あすは毛が抜ける、傷口が開く、膿瘍ができる、そこでやれ発泡膏だ、患線だ、とくる。それに加えて足には魚の目、自然に発散する様々の悪臭、あらゆる種類、あらゆる味わい[﹅3]の分泌物、これじゃ人間様の肖像があまりぞっとしないものになるのもやむをえませんな。」
 (192~193; 一八四六年十二月十三日)

     *

 ぼくは自分の同類が大嫌いだし、自分がやつらの同類だという感じがしない。――たぶん恐しく傲慢な話だろうけれど、ぼくは乞食にたかっている虱よりもその乞食に共感をおぼえるなんてことは、金輪際ないんです。それに、木々の葉っぱが同じでないのと同様、人間おたがい兄弟なんてことはありっこないとぼくは思いますね。――葉っぱもそうだが、ただざわざわやっているだけですよ。(……)
 (240; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年五月二十六日〕木曜夜 一時)

     *

 (……)ぼくがやってみたいのは、生きるためには呼吸をすればいいのと同じように、(こんな言い方ができるとすれば)ただ文章を書きさえすれば[﹅10]いい書物をつくることです。(……)
 (252; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年六月二十五日〕土曜夜 一時)

     *

 (……)今日の午後で、訂正はやめることにしました、もう何がなんだかわからなくなってしまったので。ひとつの仕事にあまり長くかかりきっていると、目がチカチカしてくる。いま間違いだと思ったものが、五分後にはそうでないように思われてくる。こうなると、訂正のつぎに訂正の再訂正とつづいて、もはや果てしがない。ついにはただとりとめのないことをくり返すことになる、これはもう止める潮時です。(……)
 (254; ルイーズ・コレ宛、クロワッセ〔一八五三年七月二日〕土曜 午前零時)

     *

 うんざり、がっかり、へとへと、おかげで頭がくらくらします! 四時間かけて、ただのひとつ[﹅6]の文章も出来なかった。今日は、一行も書いてない、いやむしろたっぷり百行書きなぐった! なんという苛酷な仕事! なんという倦怠! ああ、<芸術>よ! <芸術>よ! 我々の心臓に食いつくこの狂った(end279)怪物[シメール]は、いったい何者だ、それにいったいなぜなのだ? こんなに苦労するなんて、気違いじみている! ああ、『ボヴァリー』よ! こいつは忘れられぬ想い出になるだろう! 今ぼくが感じているのは、爪のしたにナイフの刃をあてがったような感覚です、ぎりぎりと歯ぎしりをしたくなります。なんて馬鹿げた話なんだ! 文学という甘美なる気晴らしが、この泡立てたクリームが、行きつく先は要するに、こういうことなんです。ぼくがぶつかる障害は、平凡きわまる情況と陳腐な会話というやつです。凡庸なもの[﹅5]をよく書くこと、しかも同時に、その外観、句切り、語彙までが保たれるようにすること、これぞ至難の技なのです。そんな有難い作業を、これから先少なくとも三十ページほど、延々と続けてゆかねばなりません。まったく文体というものは高くつきますよ!
 (279~280; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年九月十二日〕月曜夕 午前零時半)



金子薫『アルタッドに捧ぐ』河出書房新社、二〇一四年

 恍惚のあたたかな感触が空気中に逃げてしまわないように、彼はアルタッドに熱を移そうとして、そのからだを両手で包みこんだ。彼は『バイレロ』がもたらす歓喜や陶酔のうちに、モイパラシアを死に導いた誘惑の力を垣間見たような気がした。歓喜と死の関係は、双生児の関係に似ているように思われた。それは、遠く離れているときにさえ、細かな所作のなかに互いの類似点が顕現しているような、そんな関係にあるのかもしれなかっ(end12)た。
 (12~13)

     *

 ところで、眠りに関して言えば、爬虫類の眠りは旅を伴わない眠りであると言える。アルタッドの眠りは、熟睡と覚醒の両端しか持たない眠りであり、それは、茫漠とした中間領域の存在しない眠り、夢を持たない眠り、人間が置き去りにしてきた太古の眠りであった。眠りにおいて、アルタッドは煌めく水面へと浮かび上がることもなければ、光届かぬ(end13)水底へと沈んでいくこともない。表層にも深層にも身を移さず、その場で凍りつくようにして不動状態に陥る眠り。それは、唯一の持続に身を置き、大理石のように硬化する眠りであった。
 (13~14)

     *

 それは、彼がまだ八歳にも満たなかった頃の出来事だった。
 友人の家から帰宅する途中、彼は路上に横たわるニホントカゲの死骸を目にしたのである。すでにそのからだは蟻たちによって食い荒らされ、あちこちに破れたような穴が穿たれていた。
 しかし、そのからだは、頭部と胴体しかまともに残っていなかったからこそ、幼い本間(end24)の心を捉えて離さなかったのである。彼はまるで痺れてしまったかのように、その場を離れずに長いこと立ち尽くしていた。
 金色の鱗によって覆われたニホントカゲのからだは、少年が庭先でよく目にしていた砂漠色のニホンカナヘビのからだとはまるで異なり、味わい深い光沢を帯びていた。それは濡れた金属のようなからだであり、原始の記憶を秘めているかのようなからだでもあっった。
 もしもあのニホントカゲが生きていたとしたら、やはり、あれほどまでには少年を魅了していなかったかもしれない。奇妙なことではあるが、もはやそれが生きてはいないということが、鈍い光を放ちながらも絶命しているトカゲに、新たな命を吹き込んでいたのである。ぽつぽつと群がる赤色の蟻たちの蠢きは、死骸に悲劇的なモチーフを添えていた。その光景は、美しく稀有である者が、数において勝る卑しい者たちによって汚されていく光景として、少年の目には映った。
 (24~25)

     *

 (……)仮に俺が、庭に生えてきたアロポポルの一部を切り取り、部屋で乾燥させ、それを食べたとする。おそらくはエニマリオ族が味わうような幻覚や陶酔を得ることができるであろう。しかし、俺の持っている、一切を文字で書き表そうとする悪癖が、徹底的にアロポポルの体験を汚すことになるだろう。エニマリィの効果によって、例えば、思考が水牛の群れのようになって――安直な比喩に頼らざるを得ないことはともかくとして――押し寄せてきたとする。それらの牛たちは不当に翻訳されることを拒み、決して言葉による局限をよしとはしないだろう。しかし、きっと俺は牛たちを原稿用紙の上に引きずり出そうと躍起になるはずだ。そうして一切は台無しになるのだ。激しい体験状態は理性の機銃掃射によって抹殺され、紙の上に残るのはせいぜい、凡庸なドラッグ小説か、とうの昔に死に絶えた、象徴派気取りのへぼ散文詩が関の山であろう。モイパラシアを殺したものは、何もかも筋書きに従属させようとする俺の意志であったのかもしれないが、そのうえ俺は、アロポポル体験すら書き言葉によって引き摺(end60)り下ろそうとしているのだ。(……)
 (60~61)

2018/8/15, Wed.

 七時に起きようと目覚ましを仕掛けてあったのだが、やはり鳴り響く音を聞いた覚えもそれを止めた記憶もない。意識が定かになったのは一〇時も近くなった頃だった。カーテンをひらくと、太陽の熱射が胸の上に落とされて暑苦しい。一〇時を迎えると、市内放送が空から聞こえ、本日、高温注意情報が発表されていますと伝えた。ほとんど毎日のことだった。室内にいても水分をよく取り、注意するようにと述べられるなかで身体を起こし、薄い布団をどかして床に降り立った。
 上階に行くと母親が作っておいたと皿を示すのは、炒めたジャガイモのスライスの上に小さな粒のトマトや玉ねぎやハムの乗ったものである。ありがとうと答えてそれをレンジに収め、米をよそった。それぞれ卓に運んでおき、味噌汁の鍋も冷蔵庫から取り出して、冷たくなったものを椀に入れてこれも電子レンジで二分加熱する。食事はほか、胡瓜に味噌をつけて食べ、かたわら目を向けた新聞には、きちんと読んだのではなく散漫に視線を滑らせただけなのだが、シベリア抑留関連の記事が社会面に出ており、最期の明らかになっていない抑留者がまだたくさんいるらしかった。シベリア抑留と言って頭に浮かぶのは勿論石原吉郎の名前であり、彼が送られた場所の名前は何だったかと記憶を探ってしばらく、そうだ、「バム」だ、バイカル=アムール鉄道だったと思い出した。
 食事を終えると食器を洗い、水を汲んで薬を服用する。それから風呂を洗うと自分の部屋に戻ってコンピューターを点けた。窓を閉めてSuchmos "YMM"を再生し、音楽のなかで前日の記録を付けたり、Twitterを覗いたりしてそののち、音を消してまた窓をひらくと早速前日の日記を書き足しはじめた。本を読んだり音楽を聞いたりした時に、もっと何かを感じ、鋭い分析力を発揮し、豊かな感想を綴ることができないものかと思う。ともかくも前日の分を綴り終えてブログに投稿すると、この日の分にも取り掛かった。つい一時間前のことをその細部まで隈なく思い出すことができないのだから、人間の記憶力などあまりにも不完全なものだ。
 それから工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』の書抜きを行った。三〇分ほど打鍵を続けて切りとし、今度は金子薫『アルタッドに捧ぐ』を読んでいると、まもなく天井から音が立った。母親がこちらのことを呼んでいるのだった。あまり腹が減っていなかったが、おそらく飯を食べるようにとの誘いだなと当たりを付けて上がって行くと、果たして母親は、素麺が乾いちゃうからと食事を促した。それでつゆの入った椀を持って卓に就き、麺を一掴み入れて啜ると、母親は茹で具合が固かったと言うが、こしのあって美味い麺だった。一口だけで一旦席を立ち、もぐもぐやりながらフライパンから茄子を取って戻ると、食事に戻った。テレビは前日に録画したものだろう、『マツコの知らない世界』を流しており、二〇色の多彩な色の変化を見せる手持ち花火が紹介されていたが特段の興味は湧かなかった。食後、前日に父親が貰ってきた「信玄軍配」を一つ頂いた。ギモーヴをなかに挟んだクッキーで、ギモーヴというのはフルーツを用いたマシュマロのことだと説明書きにあった。
 皿を洗うと室に帰り、金子薫『アルタッドに捧ぐ』を読みはじめた。ベッドで臥位になって読んでいると、風が激しく吹き、カーテンが押されて大きく膨らんでばたばたと音を立てる瞬間もあった。気づけば長く読んでおり、読了した頃には三時二〇分になっていた。それからコンピューターの前に移って、気づいたことを箇条書きで書き記そうと試みたのだが、思考がまとまらず論理が繋がらずうまく行かなかった。やり方を変えて、大まかなテーマ毎に記述を引いてみて何か見えてくるものがないかと文をいくつも写したのだが、そうしても特に頭が回るわけでもなかった。曲がりなりにも時間を掛けて読んだものに対して何も感じない、何も書けないというのが嫌で、何かしらの感想なり分析なりを綴りたいのだったが、五時を迎えた頃には結局こうしていても無駄なことだと諦め、日記への引用をやめた。変調以前には色々なことに触発されて思考や内省が勝手に湧いて来ていた覚えがあるのだが、今は本を読んでも感想の一つも浮かんでこないのだった。この先文を書き続けていれば、またものを感じ、明晰な思考を書きつけることができるようになるのだろうか? 以前の自分は書くという行いを出来る限り領域の広いものにして行きたい望んでいたし、毎日ものを読んで書き続けていれば自ずとそうした能力が高まり、自分の感じ方や思考に変化をもたらしてくれるという希望を持っており、実際自分の頭はそのように発展・変容してきていたはずだ。ところが変調から復帰しつつあるいまは、そうした以前の実存的な目標に前ほどの魅力を感じないし(積極的に書くことを志向するというよりは、ほかにやることもないからという消極的な姿勢によって文を連ねているような気がする)、応じて、インプットを頑張っていれば何らかの思考が自然に醸成され、広がっていくという単純な進歩的発想にも疑念を抱いている。何というか、頭がそのように働かず、以前よりも知的好奇心が薄れたように思われるのだ。小説を書きたいという欲望もほとんどなくなってしまった、と言うか、書こうともしないうちに、自分には小説は書けないのではないかという心が先に立っている。これもやはり、頭がそちらの方向に働かない、という感覚がある。社会的なことに対する関心も、以前もそれほどあったわけではないが、薄れている。要するに自分は、この先自分はもう精神的に変化や成長をすることができないのではないかという疑いを持っているのだが、実際どうなるのかは定かでない。自分は結局書くと言ってもこの日記を書くしか能力がなく、だとしたら日記のうちにもっと色々なことを取りこんで書くことを広げて行かなければならないのだが、ともかくも書き続けてみなければ先はわからない。
 夕食の支度をしようかと階段を上がって行ったが、台所に入ってみると、カボチャの煮物が置かれてあり、フライパンの蓋を取ればゴーヤやエリンギ、ハムに卵を混ぜた炒め物も作られてあったので何もせずに部屋に戻った。そうして、「(……)」の最新の記事を読むと、Suchmos "YMM"を流して運動を始めた。屈伸を繰り返してから前後に脚をひらいて筋を伸ばし、そしてベッドの上で足の裏を合わせ、前屈を行う。長いこと運動を怠っていたため身体が固くなっているのを、息を長く吐き出しながらほぐして行った。脚を伸ばした形での前屈も行うと、仰向けになり、腰を上に持ち上げて耐えるという運動をして、それから腹筋運動、腕立て伏せとこなした。最後にもう一度前屈を行うと運動は終いとして、Ella Fitzgerald "Gone With The Wind"を流して聞き、日記を書きはじめた。打鍵を始めてしばらくすると、窓外で草取りをしている母親の気配が感じられ、こちらもたまには風を浴びながら肉体労働でもするかという心になり、突如として書くことを中断して部屋を出た。玄関の戸棚から軍手を取り、サンダル履きで外に出ると、林から無数のツクツクホウシが隙間を作らず次々と鳴きを放っている。たくさんの角が代わる代わる突き出てくるようなその声を背後に、植木の並んでいる家の南側に行った。空には雲が掛かっており、午後六時の空気は涼しく軽かった。母親は白い帽子を被り、プラスチック製の赤い箱に座りながらフォークを使って草を取っていた。その近くにこちらもしゃがみこみ、道具が何もなかったので指で一つ一つ草を摘んで引き抜いていった。傍に置かれた蚊取り線香の煙が風に歪み、その匂いが鼻に届いていた。太腿が辛くなってきた頃に母親が、植木鉢の土をぶちまけてほしいと言うので、段を下りて畑の斜面に土をいくつか落とした。それからまた草を取っていたが、じきに母親が水をやりはじめて、それを機にこちらの仕事も終いとなって屋内に入った。日記の作成に戻り、現在は七時を回っている。
 食事を取りに行った。カボチャの煮物と炒め物を一皿に盛って温め、米をよそり、残っていた味噌汁もすべて払って卓に並べた。こちらが食事を取る向かいで母親は携帯電話を見ながら、どうすれば良いんだろう、などとつぶやいている。聞けば、メルカリで相手とのやりとりでわからないところがあり、こちらも携帯を渡されて解決を求められたのだが、この件の詳細は面倒臭いしどうでも良いので記さない。ものを食べてしまうとこちらは皿を洗って、散歩に出た。玄関をくぐったその瞬間から風が林を揺さぶり鳴らして、身の周りを包みこんで涼しい。風の多い夜らしかった。歩きはじめてまもなく、また吹くものがあったが、しかしそれに触れるなかに気持ち良いという感覚はなかった。何であれ快楽を感じる能力がなくなり、官能=感応の生まれる機会が消えてしまったのだ。西に向けて歩いて行き、坂を越え、テレビから流れる演歌の漏れる一軒の前を通り過ぎて路地を進むと、ここでもふたたび風が、正面からまっすぐ吹き流れてこちらの身体を通過していく。街道に出たところで方向を変え、道路の右側の歩道を東へ歩いた。百日紅の紅色が、ある一軒の前に僅かに零れ落ちていた。駅を過ぎてしばらく進んでから、また裏に入って坂を下って行く。空には不定形に形を広げる単細胞生物のような雲が掛かっており、そこから逃れて星が一つ灯っているのが見えた。
 帰宅するとすぐに風呂に入った。温冷浴を行いながらさほど時間を掛けずに出て、部屋に帰ると何をしようか迷うところがあったが、結局はまた本を読むことにした。中原昌也『名もなき孤児たちの墓』である。ベッドに腰掛けて読んでいると途中で母親がやって来て、ワンタンスープを半分食べないかと誘う。肯定し、しばらくしてから本を持ったまま上がって行って、卓に就くとスープのカップを受け取った。本はティッシュ箱で押さえてひらいたまま、食べるかたわら読むことを続けようとしたのだが、テレビの音なり両親の話す声なりに気を逸らされて、うまく読めなかった。テレビは確か、戦没者追悼式での天皇の姿を流していたと思う。スープを飲み干すとカップを洗って片付け、自室に帰り、読書を続けた。零時近くまで読み続けたのだが、何となく、あまり集中できないような書見だった気がする。たびたび立ってコンピューターの前に行き、ちょっとした調べ物をする時間があった。中原昌也は初めて読んだのだが、その場その場の思いつきで言わば適当に書いているのが明白な記述の感触だった。つまりはカフカおよびヴァルザー型の記述で、無意味で無内容な与太話もしくは戯言といったところだが、戯言という点ではどちらかと言えばヴァルザーのほうに寄るのかもしれない(本人がヴァルザーを敬愛しているということもどこかで聞いた覚えがある)。しかし、ヴァルザーの小説が白痴じみた幸福な戯言だとするならば、中原のそれは憎悪と暴力に満ちた戯言だとでも言えようか。
 そうして歯を磨くとちょうど零時を迎えて音楽を聞きはじめた。Jose James『Love In A Time of Madness』である。前日に五曲聞いた時にはぴんと来る瞬間がなかったのだが、六曲目の"Live Your Fantasy"のダンサンブルなサビで初めてちょっと惹かれるところがあった。続く"Ladies Man"も古き良き時代のファンクといった風味で、なかなか良いのではないかと思われた。しかしそれからまたシンセや打ち込み主体のR&Bに戻ってしまうといまいち惹きつけられるものがなく、そうして一三曲めに据えられた"Trouble (Tario Remix)"に至る。これは過去作『No Beginning No End』に収録されていた曲をリミックスしたものなのだが、一聴してその渋さに今作のどれよりも格好良く感じられて、自分の感性の限界が見えたような気がした。最終曲は"Live Your Fantasy (WONK Remix)"で、WONKという名前は(……)さんのブログで何度か目にした記憶があったが、これはRobert Glasper風のコードワークも用いながら原曲を大幅に解体したとても大胆なアレンジだった。その後、"Live Your Fantasy"と"Ladies Man"を再度聞いておき、"Trouble"の原曲のほうも聞いて終いとして、コンピューターを閉ざした。そうしてオランザピンとブロチゾラムを一錠ずつ取り出して、洗面所で服用してきてから布団に入った。一時一五分になる前だった。



工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年

 (……)ああ、まったく文体とはなんと手に負えないやつなんだろう! 貴女には想像もつかないだろうな、この本がどんな種類のものか……。いままで書いた本では、ぼくはなりふりかまわずだったが、今度は反対に、きちんとボタンをかけ、幾何学的な直線コースを進むつもりでいる。リリスムにおぼれず、自分の考えを披瀝せず、著者の人格を不在たらしめること。こいつは読んでも気が滅入ることでしょう。恐しいほどみじめで悪臭をはなつものになるでしょう。(……)
 (104; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年一月三十一日〕土曜夜)

     *

 (……)今はまったく別の世界、もっとも平板なる細部を注意深く観察すべき世界にいます。――魂から黴のように生えた苔にじっと眼を注いでいるのです。『聖アントワーヌ』の、神話と神学が燃えあがるような世界とは、いかにへだたっていることか。主題がちがうのですから、書く方法もまったく異なります。この書物には、著者に帰属する一片の[﹅3]運動、一片の[﹅3]思考すらないようにしたいのです。(……)
 (104註; 一八五二年二月八日)

     *

 (……)ぼくはペンの人間です。ペンによって、ペンゆえに、ペンとの関係において感じとります、いやそれ以上に、ペンとともに、感じとるのです。
 (106; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年一月三十一日〕土曜夜)

     *

 (……)つまりね、芸術のなかに個人的感情をまじえるほど弱いことはないと気がついた、と貴女は言ったんです。――この原則にしたがって一歩一歩すすみ、一行一行を書いてごらんなさい、それが揺らぐことなき信念として貴女の心のなかにつねにあるように、そうして人間の心の機微を解剖し、それを意味する言葉を一つ一つ探しあてるとき、貴女にもきっとわかる! きっとわかりますよ! どんなに貴女の視野が広がることか、どんなに貴女の楽器が高らかな音を奏でるか、貴女自身、どれほど晴れやかな気持になるか! 貴女の心は、地平線にまで押しやられ、奥のほうから視野の全体を照らし出す、前面にしゃしゃり出て眼をくらませるかわりにね。貴女という人間がすべてのなかに散在することにより、貴女の作中人物が生きることになる、そして相も変らぬ雄弁な個性、といってもじつは擬装をこらそうとするために、必ずどこか具体的な細部が欠けてしまい、はっきりとその姿が浮びあがってはこないのだけれど、そんな個別的人格のかわりに、貴女の作品のなかには、おびただしい人間の群が見られることになるでしょう。
 何かを証明しようとする文学については、言いたいことが山ほどあって立派な本ができるほどです。――証明しようとすれば、それだけでもう嘘をつくことになる。始まりと終りは神のみぞ知る、人間は中間だけにかかわっているのです。――芸術は、空間に位置する神のごとく、無限のなかに宙吊りになったまま、それ自体で完璧なものとして、作者から独立してあらねばなりません。
 (110~111; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年三月二十七日〕土曜夕 零時半)

     *

 (……)「自分が人生のなかに入りこむのではなしに、人生が彼のな(end110)かに入りこむこと、そこでたっぷりと時間をかけて人生というものを咀嚼し、人生がいかなる味わいをもっているか、おもむろに語ること、それこそ彼には必要なことと思われた。」 こうして作家の内的生活と呼ばれる領域は、それ自体としてはひとつの空白、というか外界を受容すべき空白の場[﹅4]と化してしまう。――「人生が彼に提供するものを、彼は<芸術>に贈与する。すべてが彼にむかって流れこみ、すべてがふたたび彼から流れ出る、上げ潮として打ちよせる世界、引き潮となる彼自身。彼の人生は、肉体を覆う衣服のように、彼の観念[イデー]にまといつく。彼は自分の力を自覚することによって、それを享受する。ありとあらゆる要素のなかに枝分れして入りこんだのち、彼はすべてを自分に結びつける。そうしてみずからの天職、みずからの使命、天賦の才と仕事が宿命的に要求する状況のなかで、自分自身をいっそう具体化してゆくのだ、――それは果てしなく大きな汎神論だ、彼を通過し、<芸術>のなかに再現される汎神論だ。」
 (110~111註; 『初稿感情教育』)

     *

 (……)ところでこのぼくは、ひとつ頭に想い描いている、いわゆる文体ってやつをね。素晴らしい文体です。十年後か十世紀後かわからないけれど、いつの日か、だれかがこんな文体をつくるでしょう、韻文のようにリズム感があり、科学用語のように正確で、波のようにうねり、チェロの響きをもち、炎のように軽やかな文体、短剣のように観念に切り込んでゆく文体、ちょうど快適な追風に乗った小舟が走るように、思考がなめらかな表面をすべってゆくことができる、そんな文体です。散文は生(end121)れたばかりなんです、このことをみずからに言いきかせなければなりません。韻文はなんといっても昔からの文学の形式です。韻律の組み合わせは、すでにありとあらゆるものがつくられてしまったけれど、散文のほうは、まだまだそれどころではありません。
 (121~122; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年四月二十四日〕土曜夕)

     *

 (……)そもそも平等とは、あらゆる自由、あらゆる優越性、<自然>そのものを否定すること以外のなにものでもないじゃありませんか。平等とはすなわち隷属です。だからこそ、ぼくは芸術が好きなんです。そこでは少なくとも、(end130)すべてが虚構の世界にあって、自由ですからね。――そこではすべてが叶えられる、なんでも出来る、同時に国王と国民になれる、行動的にも受身にもなれる、生贄にも司祭にもなれる。限界というものがない、人類は鈴をつけた人形のようなもので、大道芸人が足の先で鈴を鳴らすように、文章の先でそいつを踊らせることができる(こんなふうにしてぼくはしばしば人生に復讐したものです。ペンのおかげで甘美な想いを存分に味わいました。女も、金も、旅も手に入れました)。紺碧の空のなかで、ちぢこまっていた魂はのびのびと羽を広げ、<真実>の境界ゆきつくまで飛翔することができる。じっさいに<形式[フォルム]>の欠けるところ<観念[イデー]>はありえません。一方を探し求めることは、他方を探し求めることでもあるのです。それらはたがいに切り離せない、ちょうど物質と色彩が不可分であるように。(……)
 (130~131; ルイーズ・コレ宛〔一八五二年五月十五 - 十六日〕土曜から日曜にかけて 午前一時)

2018/8/14, Tue.

 気づくと時刻は九時半に迫っていた。寝床の暑い午前だった。母親が部屋にやって来て、出かけてくるから洗濯物を頼むと言ったその声で意識が本格的に覚醒したのだった(彼女はこの日、草木染めの教室に出かけて行くのだった)。淫夢の類を見た覚えがあったが、詳細に思い出すことはできなかった。抗精神病薬を服用しているためだろうか、性機能の低下が起こっていて、性欲はほとんどない。ベッドから起き上がるとコンピューターのスイッチを入れ、起動させるのだが、プログラムの更新がどうとか出て時間が掛かりそうだったので、室を抜けて階段を上った。
 冷蔵庫から鮭と、焼売の乗った皿とを取り出して、電子レンジで少々温めた。よそった米とそれらを卓に運び、新聞に散漫に目を向けながら口に運んだ。食べ終えて食器を片付けると、そのまま風呂を洗い、飲むヨーグルトを飲んでから下階に戻った。コンピューターを前にして日記を書き出し、前日の分に短く書き足して完成させるとブログに投稿した。一三日の記事は一万字を越えていた。そうして今日の分もここまで綴ったが、途中でインターネットを眺めたために余計な時間を食って、現在はちょうど一一時になっている。
 Suchmos "YMM"をリピート再生させて窓を閉じ、屈伸を始めた。眠りから覚めた時から脚は鈍くこごっていた。それでしばらく下半身をほぐし、それから工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』を読みはじめた。初めはSade『Lovers Live』を流していたが、二曲目の"Somebody Already Broke My Heart"が終わった時点で書見に対する集中力が整った感があったので、音楽を消して窓を開けた。一時間のあいだ読書を続けると一二時半、読み物を中断して上階の洗濯物を取りこむことにした。ガラス戸を開けて裸足で踏み入れると、炎天の下にあるベランダの床は、焼けつく砂のようになっていた。吊るされていたものをすべて取りこみ、ソファの上にタオルを集めて畳んで、畳んだものを洗面所に運んでおく。それからパジャマもハンガーから外して同じように整理していると、家の前に車が停まる気配が耳に届いてきた。母親が言っていた宅配が来たのだなと当たりを付けて受話器のほうに歩いて行き、インターフォンがなるとすぐに取った。予想通り宅配便だと言うので、少々お待ち下さいと受けて居間を出て行き、台の上に置かれた簡易印鑑を取って玄関を開けた。宅配員は眼鏡を掛けた中年の女性だった。こんにちはと挨拶をして、差し出された紙に印鑑を押し、助かりますと彼女が言うのに重ねてありがとうございますと礼を言って小包みを受け取った。中身は母親がメルカリで購入したバスタオルである。それをテーブルの上に置いておくと、洗濯物の片付けに戻って、すべて畳んでしまうと居間をあとにした。
 部屋に戻って来て、一時ちょうどからふたたび読書に取り掛かった。二時を迎えると、市内に高温注意情報が出ているとの放送が流れ、室内にいても熱中症に注意するようにと女性の声が伝えるのを聞いた。そうして二時半になる頃、思ったよりも早かったが、母親が帰ってきた音が階上から聞こえた。臥位で本を読み続けていると、ちょっと経ってから母親は部屋にやって来て、アイスを買ってきたから食べればと言う。それでスプーンとともに差し出された「牧場しぼり」を受け取り、本を椅子の上に置いてクッションで押さえながら、文字を追うかたわらアイスを頂いた。部屋にはまた、白いテーブルに積まれた本の上にLevainのビスケットが置き残されてあったが、先ほど小さなポテトチップスを食べたばかりだったので、そちらは食べる気にならなかった。食べ終えたアイスの容器は机の上に置いておき、引き続き書見に集中した。最後まで読み終えてしまうつもりだったのだ。ベッドに転がってしどけなく脚を伸ばして読んでいると、窓の外近くに人の気配が立ち、男同士の話し声が聞こえた。男の一人はたびたび大きく咳きこんでいた。聞いていると、ユスラウメがどうとか言って何やら番号を口にしたりしているので、おそらく梅の木の調査に来た市役所の職員だなと推測された。つい先ほどインターフォンが鳴って母親が出て行ったのもこれだったのだろう。しばらくすると彼らは仕事を終えたらしく、気配はなくなった。そうして三時半を迎える頃、『ボヴァリー夫人の手紙』は読了された。感受性の希薄化が起こっている現状、面白いという感覚もあまりぴんと来ないもので、もはや自分においては本を読んだ際の判断基準として面白いとか楽しいとかいうものが適合しないようにも思えるのだが、この本からはたくさんの書抜き箇所をメモしたわけでやはり面白かったと言うべきなのだろう。フローベールは愛人のルイーズ・コレに向けて『ボヴァリー夫人』の執筆が一向に進まないことをたびたび嘆いており、「四時間かけて、ただのひとつ[﹅6]の文章も出来なかった」などと愚痴っているのを見ると、やはり(……)さんのことを思い出してしまうものだった。彼のブログにまったく同じような文言が書きつけられていなかっただろうか? (……)さんもよほど文章を練る人間だが、フローベールの推敲も拷問のように徹底したものだったようで、「わずか二十五ページ(……)のために、くり返しくり返し書きなおされた草稿は、保存されているものだけで、表と裏ほぼ全面を埋めつくした原稿用紙二百枚近くにのぼる」と言う。何しろ彼は『ボヴァリー夫人』を書き上げるのに四年半の歳月を費やしているのだ。
 そうして部屋を抜けて上階に行き、アイスのゴミを洗って片付けた。ビスケットのほうは一、二枚つまんでから冷蔵庫に収めておいた。先ほど飲み干した飲むヨーグルトのパックも潰してゴミ用の紙袋に収めておき、下階に戻ってくると、何となく兄の部屋のほうに足が向いた。入ると、ベッドにはエプロンをつけた母親が仰向けになっており、ルーペを使いながら携帯を眺めていた。おそらくまたメルカリでも見ていたのだろう。こちらは何となくギターを手に取り、立ったまま肩に掛けて、何となく弾きはじめ、Eマイナーペンタトニックの上に乗って適当にフレーズを散らした。しばらくするとそれも飽きてギターを戻し、隣の自分の部屋に移って日記を書き出した。
 日記に区切りがつくころには四時半を迎えていた。「(……)」を読んだあと、読み終えたばかりの『ボヴァリー夫人の手紙』から早速書抜きをすることにした。Sade『Lovers Live』を三曲目の"Smooth Operator"から流し、打鍵に集中していると母親がやって来て、父親がもう帰ってくると告げた。昨晩山梨の実家に泊まった父親は、この日は祖母を都留市の親戚の法事に連れて行くという話だった。食事の支度をしてほしいと母親は言うので、了承し、打鍵を取りやめて上階に行った。豚汁にしようか、何だか豚汁が飲みたいと母親は言った。それかきのこ汁でも良いと続け、ほかには手軽なところで茄子を炒めることになった。母親はそれから、ほんの少しだけと言って草取りをしに外に出て行った。それでこちらは冷蔵庫から茄子の五つ入ったビニール袋を取り出し、鋏で口を切った。さっと洗ってから一個を取り上げ、蔕を取り除き横に半分に切ってはさらに縦に等分し、そうしてできたブロックを三つ四つに切断した。切ったものはボウルの水に晒し、すべて切り終えると笊に挙げて、フライパンにオリーブオイルを引いた。チューブのニンニクをそこに落としてしばらく熱してから、茄子を投入する。フライパンを時折り振ってなかのものをかき混ぜ、焦げ目がつくとひき肉を加え、肉の色が変わりきったあたりで醤油と砂糖を投下した。そうして茄子の炒めものを完成させると、階段に行って途中に置かれた箱から玉ねぎを一つ取り上げる。豚汁を作るのは色々と具が多くて面倒なので、簡便に玉ねぎと卵の味噌汁を作ることにしたのだ。ボール型の野菜を上に放っては受けとめながら台所に戻ると、左右の端を切り落とし、皮を剝いた。乾いた茶色の皮の下から出てきた白っぽい薄緑色は、使っているまな板の色とほとんど同じだった。沸かした湯のなかに切り分けたものを投入すると、茹でられるのを待つあいだ、朝刊を持ってきてめくり、「働く外国人 拡大へ一気 「移民はだめだが」 最長5年の在留資格」という記事に目を通した。台所の入り口には扇風機が置かれて緩慢な風を送ってきており、足もとの蚊取り線香からは煙の筋が立ち昇っていた。読み終えると玉ねぎが良い具合に柔らかくなっていたので、水をちょっと加えて嵩を増してから味噌を溶き入れた。汁物を仕上げるとさらに、自宅で取れた太い胡瓜を一本、手頃な大きさに分割して皿に盛り、ラップを掛けて冷蔵庫に収めておいた。そんなところでこちらの仕事は終いとし、自分の部屋に戻ると、時刻は六時直前だった。まず前日の夕刊から「白人至上主義集会に抗議 ホワイトハウス前 反対派数千人」という記事を読んだ。それから先ほど読んだ外国人の新在留資格についての記事とともに、内容を一部写していたのだが、その途中にインターフォンが鳴った。それで上階に行くと、玄関の戸は開け放たれており、外に父親の真っ青な車が停まっているのが見える。玄関内には荷物がいくつも置かれてあったので、こちらはそれらを居間のほうへと運んだ。荷物の中身は実家から貰ってきた野菜や菓子類や飲み物などだった。茄子にインゲン豆が大量に収められた袋を野菜室に入れ、チューハイやノンアルコール飲料なども狭い冷蔵庫のなかに何とか収めると、半端だが残りのものは放って下階に戻り、新聞からの書抜きを進めた。その後、『ボヴァリー夫人の手紙』の書抜きもさらに進めて、七時を回ったところで切りとして食事を取ることにした。
 上階に上がって行くと、母親は台所でしゃがみこんでゴミの処理をしているところだった。市から指定された緑色の燃えるゴミの袋のなかに別のゴミ袋を無理矢理に詰め込むその手伝いをして、周囲をセロテープで補強もしたものを外の物置に持って行った。駐車場の隅にある物置に袋を入れておくと、あとから母親も出てきてもう一つ袋を渡してみせるので、それも収めておく。そうして室内に戻り、こちらはさっさと食事の支度を始めた。茄子の炒めものをレンジに入れ、米をよそり、大根おろしを作って味噌汁を温めては胡瓜のサラダを冷蔵庫から出し、各々卓に運ぶ。ものを食べだすとテレビには『サラメシ』が映っていたが、番組のなかで特に興味を惹いた事柄はない。食べ終えると追加で先ほど切り分けた胡瓜を持ってきて、マヨネーズを掛けてむしゃむしゃやった。そのあと、母親が味噌をスプーンにすくってきたのでそれをつけてさらに食べ足し、それから流しで洗い物をした。そうして、忘れかけていたが、抗精神病薬マグネシウムを飲むと時刻は八時頃だった。すぐに風呂に入らず下階に戻ったのは、何となく本を読みたい気持ちがあったからである。それで金子薫『アルタッドに捧ぐ』を新たに読みはじめた。一時間ほど読み進めるうち、生真面目でかっちりとした文体の作品、という印象を抱いた。
 九時を越えて入浴を済ませてくると、さらに続けて書見を行った。序盤、ソニー・シャーロックの『バイレロ』という音楽を描写するくだりがあるのだが、そこの記述はいくらか空疎に感じられた。音楽を言葉で記述することの難しさというもので、音楽を書き表し、評言するには必ず形容修飾と比喩が用いられるのだが、それらの言葉は決して音楽に追いつくことはない。「彼女のソプラノはどんなに甘美で移ろいやすく聞こえようとも、その艶のある力強さを失うことはない」とか、「ミルフォード・グレイヴスのドラムスは、地表を砕き、大地の表情をより豊かなものへと変えていく」とか、「ギターの音は赤色の絵具のように曲中を塗り潰していき」などの文言が、こちらにはやや上滑っているような感触を与えた。
 ほかに悪い意味ではないが引っかかりを覚えたのは、何度か段落の冒頭に出てくる「さて」と「ところで」の接続語である。「さて」は記述を物語の現在時に定位する時に用いられ、「ところで」は説話の本筋からやや逸れる時に用いられるのだが、これらの接続詞を律儀に段落冒頭に配してみせることで、「本間」とほとんど一体化し透過された存在であった語り手の「手つき」がそこに垣間見られるような感じがし、記述の流れを調整するその感触が文体の生真面目さを増しているように感じられたのだ。
 一一時になる前にと読書を中断して、日記を記しはじめた。一時間と一〇分掛けて、『アルタッドに捧ぐ』の感想を僅かばかり綴った頃には零時が迫っていた。歯磨きをしてから音楽を聞きはじめる。Jose Jamesの『Love In A Time of Madness』なのだが、冒頭から五曲聞いてみても、どうにもぴんと来る瞬間が訪れない。分厚いシンセサイザーを基調としたR&Bという趣向で、適当な連想かわからないもののJames Blakeを思い起こさせる瞬間などもあったようだが、自分の感性はこうしたサウンドには刺激されないのかもしれない。次に、Ella Fitzgeraldの『Mack The Knife - Ella In Berlin』から"Gone With The Wind"を聞いたが、やはりアムステルダムの音源よりもこちらのほうが録音の質が良いと確信した。"Misty"、"The Lady Is A Tramp"と続けて聞いたのだが、楽器の音もクリアでシンバルの刻みなど気持ちが良いし、Ellaの声の響き膨らみ震えが細部まできちんと捉えられている。パフォーマンスは隙なく緩みなく完成されていて、傑作と言っても良いのではないか。最後に、Bill Evans Trio "All of You (take 1)"を聞いて、それで音楽鑑賞は終いとした。
 小説を読みたいという気持ちが一日の最後にあっても残っていて、金子薫『アルタッドに捧ぐ』の続きを読みはじめた。午前二時まで読書に費やしてしまおうと思っていたが、一時半を越えたあたりからベッドに転がった身に薄い眠気が生じはじめた。動く気力を奪われかけるのに抵抗して起き上がり、読書はそこまでとして、オランザピンをブロチゾラムを一錠ずつ取り出し、洗面所に行って水とともに飲みこんだ。戻ってくると消灯し、一時四五分の就床となった。



工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年

 ぼくが恐れているのは、熱に浮かされること、動くことなんだ。もし幸福がどこかにあるとしたら、それは沈滞のなかだろうとぼくは信じている。よどんだ水に時化はないからね。
 (29; エルネスト・シュヴァリエ宛、クロワッセ、一八四五年八月十三日)

     *

 (……)こんなふうに病気で、苛々して、死ぬほど胸苦しくなることが日に何回となくあり、女もなけりゃ酒もなし、地上の浮れ騒ぎにはいっさいかかわらず、ただ遅々としてすすまぬ仕事だけをやっている、雨が降ろうが風が吹こうが、雹が降ろうが雷が鳴ろうがおかまいなしに、袖をたくし上げ、髪を汗ぐっしょりにして鉄床をたたいている実直な職人みたいなもんだ。昔はぼくもこんなじゃなかったよ。この変化はごく自然に起きてしまったのだ。ぼく自身の意志もいくらか働いていただろう。この意志が、ぼくを導いて進歩させてくれるだろうと期待している。心配なのはただひとつ、意志がにぶりはしないかってことだけさ。じっさいに日によって、自分でも恐ろしくなるほどぐったりとしてしまうことがある。ところでぼくはあることを理解したようだ、重大なことだよ。つまり幸福ってやつは、ぼくらのような人種にとっては、観念[﹅2]のなかにあり、ほかにはないってことさ。自分の本性(end31)がいったいどんなものかよく見きわめて、それに調和して生きようじゃないか。ホラチウスいわく「おのれに忠実なれ」。問題はそこなんだ。誓って言うが、ぼくは名声にはあこがれない、それに芸術のこともあまり考えない。ただ出来るだけうんざりしないようなやり方で時をすごそうとしているだけなんだが、そのやり方をぼくは発見したね。ぼくと同じにするといい。外界と縁を切ってしまうんだ[﹅13]。熊みたいに――一匹の白熊みたいに――して暮らす、何もかも、屁とも思わんことだ、何もかも、きみ自身もふくめてだよ、きみの知性だけはべつだがね。今ではぼくと世間とのあいだに、とてつもない距たりが出来てしまったので、ときどきまったくあたりまえでまったく簡単なことを耳にしてもびっくりすることがある。平凡きわまる言葉なのに、なぜかひどく感心してしまうこともある。ちょっとした仕草や声の調子にあきれ返ってしまったり、ほんのばかげたことに、ほとんどめまいをおぼえたりする。きみは、自分の知らない外国語を人がしゃべっているのに、じっと聴き耳を立てていたことがあるかい? 今のぼくはちょうどそんな具合なんだ。すべてを理解しようとするからなんだろうが、あらゆることに夢想をさそわれる。しかしこの呆然たる状態は、愚かしさ[ベティーズ]とはちがうと思っている。たとえばブルジョワってやつだって、ぼ(end32)くにとっては何かこう測り知れないものだ。モンヴィルの身の毛もよだつ[﹅7]災害、という話ね、あれでぼくがどんな気持になるか、わかってもらえるかしら。なんでも面白さを見つけるためには、ただ時間をかけてそいつを眺めるだけで充分なんだ。
 (31~33; アルフレッド・ル・ポワトヴァン宛〔クロワッセ、一八四五年〕九月十六日 火曜夕)

     *

 (……)もの悲しい醜悪[グロテスク]というのは、ぼくにとってはとてつもない魅力です。どこか道化じみてほろ苦いところにあるぼくの性格がひそかに要求するものに、それが応えてくれるからでしょう。もの悲しい醜悪がぼくを笑わせるのじゃない、ただ長い夢想を誘われるのです。それはいたるところにあって、ぼくはまたそれをちゃんと見抜くんだが、一方で世間のだれかれと同様にぼく自身のなかにもそれがある、だからこそ、ぼくは自分を分析するのが好きなんです。研究すること自体がぼくには面白い。ぼくの精神はかなり生真面目なほうですが、にもかかわらず自分のことを真剣に受けとめられぬところがある、というのも、ぼくは自分自身がとても滑稽だと感じるからです。喜劇の舞台で演じられるあの相対的な滑稽さではなく、人生そのものの本質にふくまれていて、ごく単純な行動やまったくありきたりの仕草などから立ちのぼるあの滑(end47)稽さ。(……)
 (47~48; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八四六年八月二十一 - 二十二日〕金曜夕 午前零時)

     *

 (……)ぼくの考えでは、与えられた文章について、じっさいに形式[フォルム]を内容から切りはなしてみせてくれぬかぎり、このふたつの言葉はいかなる意味ももちえない、ぼくはあくまでもそう主張しますね。美しい形式のないところに美しい考えはありません、逆もまた真なり。<芸術>の世界において(end48)<美>は形式からにじみ出てくるものなのです、ちょうどぼくたちふたりの世界では<美>から魅惑が、愛が生まれ出るように。ある物体の本質をなす様々の特徴、たとえば色彩、拡がり、硬さ、といったものをそこから抽出しようとすれば、物体そのものが空疎な抽象概念になってしまう、つまりは破壊されてしまう、それと同じことで、<観念[イデー]>から形式をとり出すことはできません、そもそも<観念>はその形式のおかげをもって存在しているわけですから。形式のない観念というものが考えられますか、不可能でしょう。同様に、何らかの観念を表わそうとしない形式というのも、ありえません。(……)
 (48~49; 「ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八四六年九月十八日〕金曜 夕十時)

     *

 (……)貴女は、ぼくが本気であの女を愛したと言うけれど、そんなことはない。――ただ彼女に手紙を書いているあいだだけ、なにしろぼくはペンで感動することのできる人間だから、そのときの話に本気になっていたのだけれど、書いているあいだだけ[﹅10]ですよ。(……)
 (51; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八四六年十月八日〕木曜夕 十時)

     *

 バイロンからシェイクスピアへという評価の移りゆきは、フロベールの内面でおきた重大な変革に対応している。サルトルはこの変革を<詩人>から<芸術家>へのコペルニクス的転換[﹅9]と呼ぶの(end54)だが、じっさいに、バイロンにあこがれ『狂人の手記』をつづっていたころのフロベールにとって、書く[﹅2]行為は、自分が内にかかえる「熱情と詩想」を漠然と、反抗の姿勢を貫きながら歌いあげることにほかならなかった。その<詩人>が否定され、作家個人の感受性や内的生活と呼ばれるものが、書かれるべき作品[﹅8]に奉仕する場[﹅]となってしまったときに、<芸術家>が誕生する。そのとき作品は「大空を映し出す海」のように「宇宙全体」を反映し、作家の個別的な生(「シェイクスピアが何を好み、何を嫌い、何を感じたか……」)は、作品の普遍性のなかに拡散して見えなくなってしまうはずである。
 (54~55; 註)

     *

 (……)資質などというものは、ことさらに追い求めようとさえしなければ、じつはだれでも思いのほかもっているわけで、べつにどうということのない人でも、正確に書くことさえ知っていれば、自分の回想録を書くだけで素晴らしい書物をつくることができるはずだ、ただし、誠実に、あますところなく書きつくすとしての話ですが。(……)
 (56; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八四六年十月二十三日〕金曜 午前零時)

     *

 ぼくは自分のために、自分だけのために書くんです、ちょうど煙草を吸ったり眠ったりするのと同じようにね。――それはまったく身勝手でぼくひとりのものなので、ほとんど動物的な活動だといえるくらいです。(……)
 (64; ルイーズ・コレ宛、ラ・ブイユ〔一八四七年八月〕十六日)

     *

 (……)結婚は、ぼくにとって信仰を捨てるようなもので、考えただけでぞっとする。あの話があったときのぼくの苛立たしい気持は、アルフレッドが死んでしまったいまでも記憶にのこっています。まるで、信仰篤き者が、司教の派手なスキャンダルを耳にしたような具合でしたからね。いやしくも神の被造物について口をさしはさもうとする人間なら、才能のいかんを問わず、ただ精神衛生という見地からしても、おいそれとは罠にかからぬような立場に、まず身をおかねばなりません。だれでも酒、愛、女、栄光を描くことができる。ただし、その人自身は酔っぱらいにも、愛人にも、御亭主にも、浮かれ者にもならないという条件つきでね。人生というのは、中に入りこんでしまうと、よく見えなくなるものなんです、そのためにひどく苦しむか楽しみすぎるかどちらかですからね。ぼくの考えによれば、芸術家とは怪物的なもの――なにかこう自然を逸脱したものなんです。神の摂理のように芸術家に様々(end84)の不幸がふりかかってくるのは、芸術家がこの明白な事実を頑なに否定しつづけているからです。そのために彼も苦しみ、他人も苦しめることになる。この点については、詩人を愛した女か、女優を愛した男にきいてみるといい。というわけで(これがぼくの結論であります)、ぼくは今後も甘んじて、いままで生きてきたとおりに生きてゆくつもりです、ひとりぼっちで交友関係のかわりに一群の偉人たちを相手にし、ぼく自身熊みたいなもんだから、熊の毛皮を敷いて、という具合にね。世間だの、未来だの、人さまの言うことだの、とにかく身を固める話だの、いや、以前にはそのために眠られぬ夜をすごしたこともあるけれど、文学で名声を得ることでさえ、全部糞くらえですよ。ぼくは以上のような人間です、わが性格、かくのごとし。
 (84~85; 母宛、コンスタンチノープル、一八五〇年十二月十五日)

     *

 本をお読みなさい、夢想にふけるのはよくありません。息の長い勉強に没頭するのです。ただがむしゃらに勉強する習慣だけが、いつどこにあっても好ましいんです。阿片のようなものが浸み出してきて、魂をしびれさせますからね、――ぼくは恐しいほどの倦怠を経てきた、どうしようもなくうんざり[﹅4]して、虚無のなかを空まわりしたもんです。そんな状態からぬけだす(end88)には、ひたすらに粘り強く、誇りをもちつづけるしかありません。貴女もやってごらんなさい。
 (88~89; ルイーズ・コレ宛、クロワッセ(一八五一年〕七月二十六日)

     *

 (……)ぼくは人生を憎む、いや、思わず言ってしまったが、言ってしまった以上否定はしない、そうさ、ぼくは人生を、そして人生を耐え忍ばねばならぬと思わせるものすべてを、憎む。飯を食うのも、服を着るのも、起きているだけでさえ、やりきれないほどめんどうだ。(……)
 (92; マクシム・デュ・カン宛〔クロワッセ、一八五一年〕十月二十一日 火曜)

     *

 (……)偉大な作家たること、自分の文章でつくったフライパンに人間どもをのせ、甘栗よろしくその上で跳びはねさせることは、たしかに素晴らしい。自分の思想の重みすべてを、人類の上に投げかけていると感じるときには、狂おしいほどの自負をおぼえるにちがいない。しかしそのためには、なにか言うべきことがなければならない。――ところが正直言って、このぼくには、他人にはないもの、これほどうまく言い表わされたことはないというほどのもの、これ以上うまく言い表わすことはできまいというほどのもの、そうしたものはなにひとつありません。(……)
 (96; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五一年十一月三日〕月曜夕)

     *

 (……)文学について言うと、ぼくのなかにはふたりのまったくちがった人間が棲んでいます。一方は獅子吼[﹅3]、リリスム、鷹の悠然たる飛翔、文章のさまざまな響き、思考の昂揚に陶酔する。もう一方はできるかぎり真実を掘りおこし、掘り下げようとする、瑣末なことがらを重要なことと同じように力強く描き出すのが好きで、自分の再現するものにほとんど即物的[﹅3]な存在感を与えようとする、後者は笑うことを好み、人間の動物的な愚かしさを認めて悦に入る。(……)
 (99; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年一月十六日〕金曜夕)

     *

 ぼくが素晴らしいと思うもの、ぼくがつくってみたいもの、それはなんについて書かれたのでもない書物、外部へのつながりが何もなくて、ちょうど地球がなんの支えもなしに宙に浮いているように、文体の内的な力によってみずからを支えている書物、もしそんなことが可能なら、ほとんど主題がない、あるいはほとんど主題が見えない書物です。もっとも美しい作品とは、もっとも素材の少ない作品なんです。表現が考えに近づけば近づくほど、言葉がそこにぴったり貼りついて見えなくなれ(end101)ばなるほど、美しさは増すのです。(……)
 (101~102; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年一月十六日〕金曜夕)