2019/2/16, Sat.

 まだ薄暗い時間から何度も覚めているのは例のごとくである。夢を二種類見た――一つは町屋良平氏と居酒屋で再会したもの。同席した大学生らしき男性とのあいだに悶着があったのだが、詳しく書くのが面倒臭い。もう一つは、キリンジの、眼鏡を掛けていないほうの人のアパートに行った夢。そこから車で出かけるのだが、これも詳しく綴るのは面倒臭いしもうあまり覚えていない。それで一〇時半になってようやく意識の覚醒が固まりはじめる。外は晴れ、カーテンの隙間から太陽が射し込んで、こちらの前髪を温める。一〇時四〇分か四五分頃になると身を起こし、上階に行った。仏間の箪笥からジャージを取り出して服を着替え、便所に行って放尿したあとに洗面所で顔を洗う。そのまま風呂も洗う。浴槽のなかに入り、背を曲げて身を屈めながらブラシを上下に繰り返し動かして壁面を擦る。ぬるぬるとした汚れの溜まりやすい辺に沿って特に念入りに擦っておき、シャワーで洗剤を流し、浴槽の蓋を戻して室を出ると、前日に母親が買ってきたメロンパンが半分残っていたので、卓に就いてそれを食べながら新聞をめくった。そうしてすぐに自室に下りてきて、早速日記を書き出した。前日の記事を短く仕上げ、さらにここまで綴って一一時一三分。
 BGMはJeff Beck『Wired』から"Goodbye Pork Pie Hat"及び"Come Dancing"。前日の記事をブログに投稿した。Twitterにも通知を流しておく際に、安倍晋三首相がドナルド・トランプ米大統領ノーベル平和賞に推薦したとの報が見られて、思わず笑ってしまった。トランプ氏が当選した時以来、何度も覚えている感慨だが、まるで漫画のようだ――狂った世界だ。その後、一年前の日記と、二〇一六年七月二七日のそれを読み返したが、どちらの記事にも特段に言及しておくべきことは見当たらなかった。そうすると時刻は正午直前である。散歩に出ることにした。上階に行き、灰色の短い靴下を履くと母親が、遊園地で遊ぶMちゃんの写真が送られてきたと言ってiPadをこちらに寄越してみせる。そこに映された幼児の、前髪が横一線に切り揃えられた姿や、厚く服を着込んだ格好で短い滑り台の上を通常とは逆向きに、台の方向を向きながら足から滑り落ちていく姿を眺めて、可愛らしいではないかと思った。そうして出発、道に出ると風が流れているが、そのなかに冷たさがなく、大気のなかに暖気が染みているのが感じられる。頭のなかには先刻まで部屋で流していた"Come Dancing"が流れている。まあ黙々とやろうではないか、今までだってそうしてきたのだと日記のことを考えながら坂を上っていく。しかし黙々とやりながらも同時に、ある種の「営業」もやはり必要だろう。こちらに出来る「営業」と言ってしかし、Twitterでフォロー攻勢を掛けてこちらの存在を色々な人に知らせることくらいしか思いつかないのだが――そのなかから熱心な読者が出てきてくれれば嬉しいが、しかし実際のところ、今こちらの日記を熱心に読んでくれている人というのは一体どれだけいるのだろうか? ともかく、この日記における一番の目標というのはただ書き続けること、縮小再生産でも良いので死ぬまでこの文章を書き続けるということ、その一点に尽きる。勿論やめたくなったらいつでもやめてしまえば良いのだが、今のところは書き続けるということが目的になっているので、それが出来るような書き方を目指すべきだ。要は完璧を目指すことなどはせず、無理せず、楽に書いていけるような体勢を整えるべきだということだ。ついでに、せっかく書くのだからその文章が僅かなりとも金になってくれるとこれは大層有り難い。勿論ならないならならないで仕方がないのだが、アマゾン・アフィリエイトを利用して幾許かなりと自分に金が入ってこないかということはやはり期待してしまう――今のところそうした気配はしかし感知されないが、この点に関しても読者層を拡大していくことが肝要ではあるだろう。そのためにはやはりTwitterを活用するのが適当なのだろうが、まあ急ぐ必要はない、いきなりしゃかりきになってフォロー攻勢を展開する必要もない、緩く、黙々とやって行こう。坂を上りきると家並みのあいだの裏路地、光のなかに塵のような細かな虫が流れるのが見られる。光は道の遥か向こう、南西の山の前にも漂い落ちて、川の対岸の集落から山に掛けての風景は全体が煙に覆われたように青く霞んでいる。空にも煙の筋のような淡い雲がいくつか縦に昇っており、その傍には鳥の羽根の一枚のようなものも浮かんでいるが、どれも量感に乏しくごく幽かだ。街道に出て通りを渡り、細道に入って道端の家に立っているパンを売っているとの旗に目をやっていると、目の前に薄黄色の蝶が現れてそちらに視線を奪われ、蝶が斜面の下、パンジーの花のもとまで飛んでいくのを見届けてから目を前に振るとそちらにも、ちょっと緑の混ざったような淡い黄色の同じ種類の蝶が二匹、地に近く飛んでいるのだった。実に春めいた陽気である――墓地の横に掛かって空を見上げれば、すっきりと澄明な青さのなかに飛んでいる飛行機のその軌跡がまっすぐ、くっきりと空に擦りつけられている。保育園の敷地の縁に生えている銀杏の裸木からは、鵯のぴよぴよという鳴きが落ちていた。裏通りをそのまま直進し(この頃には既に春の陽気に首もとが暑くなって、ダウンジャケットを前を開けていた)、そこここに生えている梅の木に目をやりながら背に温もりを感じ、駅を越えてふたたび街道に出ると途中で止まり、車の途切れるのを待った。そうして渡ると細道に入って行き、林のなかに突入する。立入禁止の柵を越えると同時に風が流れて周囲がざわつくが、その走りが肌の上で寒さに結実することはなく、爽やかさに留まっている気温の高さだ。落葉を踏み踏み林のなかを下りて行って帰宅した。
 母親はソファの上で、メルカリに出品するらしい赤いバッグの写真を撮っていた。こちらは台所に入るとフライパンに水を張り、火に掛ける。レトルトのカレーを食べるつもりだったのだ。そうして胡桃のパンを齧りながら卓のほうに行くと、バッグの口をひらいて支えている母親が撮影ボタンを押してくれと言うので、右手の指先でタブレットに触れる。テレビは『メレンゲの気持ち』、立川志らくが特技としてブルースハープを披露するのを立ったまま、胡桃パンを食いながら見やる。それから席に座って新聞をちょっと眺めてからふたたび台所に行くと、湯が沸いていたのでレトルトパウチを放りこんだ。待つあいだに食器乾燥機のなかのコップや皿を外に出して、それぞれの場所に整理しておき、それから卓に戻ってちょっと待ったあと、もう良いだろうというところでまた台所に行き、鋏でレトルトパウチを鍋から取り出して、切り開け、米の上にカレーを注いだ。そうして食事。テレビでは立川志らくがもう一つの特技としてけん玉を披露したあと、田畑智子に話が移って、この人は最近結婚したらしい。その結婚への馴れ初めなどを聞きながら、もう一方では新聞の一面、前日の夕刊と同じくトランプ大統領が非常事態宣言を発したという記事を読み、ゆで卵も食べ終わると席を立って皿を洗い、下階に戻ってきた。おにぎりを一つ作っていた。それを食べながらSさんのブログを読む。「一周忌」(https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/02/10/000000)と「海の顔」(https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/02/11/000000)、父君や祖父母の法要や生と死に触れている二日間の記事が、やはり素晴らしいと言わざるを得ないだろう。Mさんも言っていたが、描写が良い。例えば次のような箇所。

墓へ移動して永代供養墓へ納骨。風が冷たく耐え難いほど厳しい寒さだが、あえてコートも着ずに墓前に立った。とくに意味はなくて、単なる痩せ我慢というだけ。お経を唱える住職の袈裟が風に煽られてバタバタと音を立ててなびいている。あの格好なら僕よりもはるかに寒いはずだがそんな風にはまったく見えない。僕もひたすら寒さを受け止めていた。これで風邪引いたりしたら、単なる脆弱ということだろうな、などと思いながら。

約一年、我が自宅にあった父の骨がこれでようやく墓の下へ。住み慣れた土地の場所に戻って来れて、喜んでいるのかそうでもないのか、目を上げると墓石の連なる先には木々の茂みが揺れ、さらにその向こうに海が光っている。風は相変わらず強烈で、とんびが凧のように空に揺れているばかりだ。

 住職の袈裟の動きを捉えているのが何だかわからないがこちらには印象的だし、後半の段落の、父親の感情に触れたところから「目を上げると」を経由して一気に風景描写に向かうその流れも良い。描写は簡素なのだが、不足なく端正だ。
 「海の顔」からはまず次の一節。技法としてはこうした羅列のやり方はよくあるものだと思うが、やはり良い。読点で連ねていった先の、最後に「世界」「社会」から主体たる自分のほうにふっと移行するその転換(そして、突然出てきて――ここにしか登場しない――「君」の匿名性とそこに漂う幽かな感傷)。

戦争が人を別ち、死をもたらし、破壊の限りを尽くして、やがて復興して、商売が復活して、皆が躍起になって右往左往しはじめ、出たり入ったり、行ったり来たりして、大きく稼いだり、大きく損したり、くっついたり離れたり、そうして年月を経て、やがて少しずつ波の勢いが弱まって、人々が交替して、空席が出始めて、若者が出て行って、観光バスも止まらなくなって、御土産物の店も一軒二軒と畳まれて、細かい事業が整理されて、大きな資本で再編成されて、土木機械がいっぱい入ってきて、埃が舞って、土砂が流し込まれて、遊泳禁止の浜が増えて、気付けば僕も君も、すでに五十歳を目の前に控えていて。

 この記事も風景描写が良い。Sさんの文章にはどこまでも柔らかさと静けさが染み渡っているが、取り上げる一つ一つの情報が適切で端正でバランスの良い風景の描写のなかにもその「静謐さ」のようなものは確かに通底していると感じられる。

ホテルをチェックアウトして、義弟の運転で浜島あたりをドライブする。リアス式の入り組んだ海は複雑な曲線を描く入り江に阻まれているので、それは海とは思えず、さっきからずっと湖が連続しているようにしか見えない。細く頼りない感じの木が何本も海上から整然と突き出ていて、あれは海苔を養殖しているのだと言う。一艘の船がゆっくりとその養殖場へ進むほかは、とくに動くものもないが、薄っすらとした光が冬の冷たい風を受けて明滅しながら水面を震動させているようで、動きがあるとしたらそれくらいだ。車の中は暖かく窓の外をじっと見ていたらまるで毛布に包まっているような錯覚に陥り、やがてウトウトし始めて、間もなく六歳になる姪の嬌声が聞こえたと思ったら、手でぱんぱん叩かれて目が覚めた。

 それでSさんのブログの最新記事まで読んだあと、日記を書き足して二時を越える。途中からBGMとして掛けたのはSuchmos『THE KIDS』。
 アイロン掛けをするために部屋を出て上階へ行った。シャツ二枚を母親から受け取り、居間の片隅に置いてあるアイロン台を炬燵テーブルの上に置いて器具のスイッチを入れる。アイロンが熱されるのを待つあいだに窓外に目を向けると、つい二時間前まであれほど晴れていたのに、今は陽も低くなって雲に引っ掛かったようで、風景から光の感触がなくなっていた。室内の空気のなかには微小な塵、爪の破片よりも遥かに小さな繊維の断片がくるくると緩慢に回りながら浮遊している。そうして二枚のシャツと一枚のハンカチにアイロンを掛けるとさっさと室に戻ってきて、それから四時頃までギターを弾いたのだ――と言うのは、明日、Tらとともにスタジオに入る予定になっているからだ。練習をするのは正直なところ結構面倒臭くて、まともにギターに取り組んでフレーズを考えたりするのなど一体何年ぶりかわからないほどなのだが、大したものでないとは言えコード進行表と対照しながらアルペジオを考えたりして音源と合わせて練習もして、曲の最初から最後まで一応案が固まると、隣室に入ってアンプに繋ぎ、何も見ずに通しで何度か弾いた。やろうと言っている"COSMO"というのはF#というギターにあまり優しくないキーの曲で、アルペジオを綺麗に推移させるのが、基本中の基本であるはずなのにところが一番難しい。それで四時頃までギターの練習をしたのち、自室に戻ってまた他人のブログほかを読んだ。「ワニ狩り連絡帳2」、「悪い慰め」、fuzkueの「読書日記」。そうして食事の支度をする五時までまだ少々時間が余ったので、Twitterで読書関連のアカウントを新たにいくつかフォローしておいた。
 上階へ。母親は例によって、電灯も点けず薄暗いなかで炬燵に入ってタブレットを弄っている。冷蔵庫のなかを見ると麻婆豆腐の素があったので、豆腐も昨日買ってきたところだし、これで良かろうと相成った。そのほかには海老焼売を簡便に電子レンジで加熱し、あと汁物を何か作れば良い、というわけで、フライパンに水を注ぎ、麻婆豆腐の素も入れて火に掛け、一方で白菜をざくざくと切る。それを投入するとさらに豆腐も手のひらの上で賽の目に切って加え、しばらくしてから火を止めてとろみ粉液を注ぎ回した。そうしてもう一度ちょっと加熱すると完成、一方で玉ねぎを切って小鍋で茹でていた。玉ねぎが柔らかくなったと思われるところで火勢を弱めて、「まつや」の「とり野菜みそ」で簡単に味をつけ、溶き卵を最後に投入して汁物も完成、同時にインターフォンが鳴って母親が出ていったのを聞くと、どうやらHさんの奥さんのようである。こちらはBGMにラジカセで掛けていたFISHMANS『ORANGE』を止めて台所に立ち尽くし、母親とHさんとの会話を聞くともなしに盗み聞いた。自治会の書類か何かを届けに来たらしかったが、用が終わっても母親の方が、Hさんの仕事について何かと質問を差し向けたり話を振ったりしてなかなか帰そうとしない(母親も話し相手に飢えているのだろう)。聞く限りではどうやらHさんは、Dというところで介護の仕事をしているようだった。しばらく彼女らの話を聞き、Hさんがようやく退去して母親も郵便を取りに行くと言って一緒に外に出ていったところでこちらは台所を離れ、自室に帰還した。時刻は五時半である。昨夜読み終えた小野寺史郎『中国ナショナリズム』の書抜き箇所を読書ノートにメモしはじめたのだが、やっているうちに当該箇所のいちいちを要約するような感じになって、一時間以上が経って七時が迫ったところで、いや、これは面倒臭いぞと気づいた。何故今更に、受験勉強の真似事のようなことをしなければならないのか? ただ頁をメモするだけでさっさと書抜き、知識の定着は「記憶」記事を読むことでカバーすれば良いのではないか? 確かに書き写したり要約したりすることで頭に入るということもあろうが、それだって写したものを読み返さなければ、所詮一週間程度もすればすっかり綺麗に失われてしまう程度の記憶である。さっさと書抜きを済ませ、「記憶」記事に記述を送りこんで、それを繰り返し音読するのが吉だろう。そういう風に考えたのだが、ひとまず腹が減ったのでもう食事を取りに行くことにした。上階に行って台所に入り、丼に米をよそって麻婆豆腐をその上から掛け、味噌汁も椀に汲む。そうして卓へ、テレビはNHKのニュースを映しており、演説をするドナルド・トランプと質問する記者との言論的闘争が繰り広げられていたのだが、その途中で母親が何も考慮することなくチャンネルを変えた。こちらはその後、温められた海老焼売も三つ食べ、薬を飲んで皿を洗うとさっさと風呂に入った。いや、風呂に入る前に洗面所で久しぶりに髭を剃ったのだが、それは勿論翌日人と会う予定があるからだ。少々ひりひりとする肌に乳液を付しておき、そうして入浴した。入浴中は散漫な頭だったようで、気づけば洗面所に出て身体を拭いている自分がいた。髪を乾かして出てくると戸棚からポテトチップス(のりしお味)を取り出す。母親に食べるかと聞くとちょっと食べると言うので手渡して少々取ってもらい、返されたものを持って自室に帰還、チップスをつまみながらMさんのブログを読んだ。BGMに流したのはthe pillows『Once upon a time in the pillows』で、これを流すのも久々だ。そうして二〇分経ち、八時が目前になったところで日記を書きはじめ、三〇分ほどでここまで綴った。
 それから、小野寺史郎『中国ナショナリズム』の書抜きまとめ。ふたたび読書ノートに書抜き候補の箇所を記録していくわけだが、内容を要約するのは面倒臭いので、書抜きたい箇所のなかで一番重要だと思われる一行、あるいは自分が最も興味を持ったと考えられる一行を(場合によってはそれも縮約して)写すのみに留めた。それで三〇分後、九時過ぎにはまとめ終わる。そこから今度は、「記憶」記事の読み返し。大津透『天皇の歴史1』からの記述、沖縄関連の記述、ムージルの描写など。四〇分ほどそれに使って、時刻は一〇時、そこからさらに、Ernest Hemingway, Men Without Womenを読み出した。邦訳を参照しながら読んで、冒頭の"The Undefeated"を読了する。調べた英単語を読書ノートにメモしているが、これを前後の文脈とともに日記に写すという作業も面倒臭くなってきた。ひとまず今は先に進むことにして、ヘミングウェイのあとは斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』から「黒ツグミ」を読むのだが、これをいつまで読んでいたのかがはっきりしない、途中で例によって意識を失ってしまったからだ。一応、零時までは読んでいたものとして考える。「黒ツグミ」はなかなか面白い、ムージルの例の「啓示」、ある出来事が突然訪れることによって人物は行動に駆り立てられるのだが、どうしてその出来事がその行動の原因になるのか論理が見通せないという構図がここにもある。物語を語る「Aの2」はナイチンゲールの鳴き声を聞いたことによって妻を捨て、出奔することになるのだが、どうしてその二つの事柄のあいだに繋がりがあるのかわからない(さらに、ナイチンゲールと思ったものが実は黒ツグミだったのではないかという疑いが差し挟まれることによって、この小説では「啓示」の意味の網目が通常よりももう少し複雑になっている)。それで、意識をいつの間にか失っていて、気づいた時には二時が目前で、そのまま就床した。


・作文
 11:05 - 11:13 = 8分
 13:26 - 14:11 = 45分
 19:57 - 20:25 = 28分
 計: 1時間21分

・読書
 11:37 - 11:56 = 19分
 12:56 - 13:17 = 21分
 16:02 - 16:42 = 40分
 17:36 - 18:50 = 1時間14分
 19:36 - 19:56 = 20分
 20:32 - 21:06 = 34分
 21:20 - 21:57 = 37分
 22:01 - 24:00? = 1時間59分

  • 2018/2/16, Fri.
  • 2016/7/27, Wed.
  • 「at-oyr」: 「一周忌」; 「海の顔」; 「閉店」; 「キャンプ」
  • 「ワニ狩り連絡帳2」: 「「サスペリア」ルカ・ヴァダニーノ:監督」; 「2019-02-02(Sat)」; 「ARICA「孤島 On the Island」@北千住・BUoY」; 「2019-02-03(Sun)」; 「「今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史(戦後文学篇)」高橋源一郎:著」; 「2019-02-04(Mon)」; 「2019-02-05(Tue)」; 「「花粉」ノヴァーリス:著 今泉文子:訳」; 「2019-02-06(Wed)」; 「「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」@目黒・東京都庭園美術館」; 「「ソフィ カル—限局性激痛」原美術館コレクションより @北品川・原美術館
  • 「悪い慰め」: 「日記(2019-02-15)」
  • fuzkue「読書日記(122)」; 1月28日(月)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-02-15「発熱の夜はにぎやか病床も千年前から続く営み」
  • 「つまらないが普遍なきみの日常について」: 2018-11-16; 2008年11月28日金曜日「ぼくがAV監督だったら」; 2008年12月1日月曜日; 2008年12月4日木曜日
  • 「記憶」: 40 - 46, 23 - 27, 47 - 48
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 26 - 31
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 108 - 120

・睡眠
 2:10 - 10:30 = 8時間20分

・音楽

2019/2/15, Fri.

 七時台から何度も覚めてはいるのだが、正式に起きられず、何と一一時まで断続的に眠ってしまう。カーテンを開ければ顔に光の当たってくる晴れの日である。寝間着の上からダウンベストを身につけたまま眠っていた。ベッドを抜け出すとコンピューターをちょっと確認してから上階へ。母親に挨拶して、洗面所に入り顔を洗う。食事は煮込み蕎麦。ほか、釜に残っていた米を払って茶漬けにする。さらにゆで卵。それらを並べて食べていると母親が、野菜も食べてと言ってサラダ(人参の和え物に、大根やキャベツの生野菜のサラダを混ぜた一椀)と、大根のソテーを持ってきてくれた。それほど腹は減っていなかったのだが、それらも食べて、新聞は読まなかった。母親はメルカリでまたコートか何か買ったらしい。また、今日は花金で、土日が休みで、働いている人はいいねとお決まりの愚痴を零す――毎日が日曜日っていうのは……苦痛だよと。こちらからしてみれば毎日が日曜日である今の生活が永遠に続けば良いと思うくらいなのだが。図書館に出かけると言うと、お母さんもどこか出かけようかな、と彼女は言い、ユニクロに行こうかなとか、映画を見に行こうかなとか案を挙げていた(映画には誘われたのだが断った――友達とならともかく、母親と映画を見に行ってもなあ、という感覚があるのだ。しかし、『万引き家族』の名が挙がったのにはちょっと興味を惹かれはした)。ストーブの上では薩摩芋が一つ、アルミホイルにくるまれて加熱されており、水を汲むために席を立ってその前を通る時など、その香ばしい匂いが鼻孔に漂ってくるのだった。それでものを平らげると薬を飲んで、食器を洗って自室に戻ってきて、早速日記を書き出して前日の記事を仕上げ、さらにここまで一〇分少々で綴った。
 Jeff Beck『Blow By Blow』を流しながら、二月一四日の記事をブログに投稿。Twitterにも通知しておく。それから一二月二八日の記事にアクセスし、編集画面をひらいてアマゾンへのリンクを拵えていく。その後、音楽の流れるなかで着替え。ユニクロの臙脂色のシャツに、ベージュのズボン。海色のカーディガンを羽織り、その上からさらにモッズコート。寝癖を隠すために側面に「engineer worker」という文字の縫い取られた青い帽子を被る。そうして荷物をまとめて上階へ。メルカリの代金をコンビニで払ってくれないかと母親に言われるが、面倒臭いので断る。仏間に入り、臙脂色の靴下を履いて、Brooks Brothersのハンカチをポケットに入れて出発。ストールは首に巻かずリュックサックに入れたが、玄関を抜けると途端に身に寄ってくる空気がなかなか冷たく、鋭い。それでも襟巻きをつけずに、道に出て歩いていく。木の間の坂を上りながら、何となく、Tさんに会うのではないかと考えていた。会ったらおそらく、今日はお休み、と訊かれるだろう。ええ、今日は休みで――と言うか、今日だけではなく、もうずっと休みなのだが。と言うのは昨年、鬱病に掛かりまして、しかしもう良くなってきたので、春からはまた仕事に復帰する予定で……などと、脳内で会話をシミュレートしながら進む。坂を出たところでしかし、横の細道から知らない高年の婦人と、その旦那らしき禿頭の男性が出てきて、ここで彼女らに遭遇したということは、Tさんには会わないなと何の根拠もなく迷信じみてそう判断した。さらに進み、そのTさんの宅の前には彼女ではなく、例の、鶯色のコートを羽織って包帯らしきものをちょっと巻いた褐色の脚を露出させた老婦人がいる。また遭遇したか、と思った。先日は石壁の苔を一心不乱に落としていた彼女だが、この日は何をやっていたのかと言うと、道端の段差に大股広げて足を掛けて、枯れ草の塊を引き抜いていた。引き抜いたものを放り投げ、さらには周囲に散らばっていたほかの草々も拾って道の脇にやはり放り投げていた。一体何故あのようなことをやっているのだろうか。草が散らかっていたのが許せなかったのだろうか? それとも自分で引き抜いて(しかも素手のまま)あたりに散らばらせた草を片付けていたのだろうか? 真相は知れない。ちらちらと目線を送りながら彼女の横を通り過ぎ、街道に出て北側に渡った。途上の東の空にはチョークを擦りつけたそのあとから指で上下に搔き乱したような、薄い雲が少し掛かっているが、空の大方は青く、陽の光も遮られずに通っている。歩いていると対岸の一軒の軒の上に一羽の小鳥が現れた。姿形の細かなところまで見えず、何の鳥かは判別されない。その鳥が、軒の上を歩くたびにかたかたと音が鳴り、端まで来たところで、飛ぶのではないか、飛ぶのではないかと、鳥が飛び立つというだけのことに一体何をそんなに期待しているのか、しかし視線を熱烈に送りながら歩いていたところが、飛び立つ姿は見ないままに通り過ぎることとなり、鳥は建物の影に隠れて見えなくなった。街道をちょっと進んで、八百屋の旦那の声など対岸から聞いて過ぎ、途中で裏通りに入る。裏路地は静かだった――背後の遠くで、ちょっと走ってはすぐに停まる郵便配達員のバイクの、回転性のエンジン音が響き、道端の家のなかからはテレビの音が漏れ聞こえてくる。鳥の声が響かないなと、その静けさに思わず途中で立ち止まって耳を張ったが、線路の向こうの森から立つものはなく、雲が空を流れる音すら聞こえてきそうな昼下がりの静寂だった。それでも進んでいるうちに、ピアノ線を瞬間優しく擦るような鳥の声が生まれはじめ、じきに鵯の鳴きも落ちる。
 市民会館前にはショベルカーの類が出張って道を半分塞いでいた。残り半分を、車を避けながら通りつつ、工事現場のフェンスの内に目を向けると、敷地の片隅で人足たちが数人、休んでいる。互いに会話を交わす様子もなく、動物のように集まって、一番端の一人などは膝の上に荷物を抱えて前方に突っ伏し、顔を伏せて休んでおり、いかにも疲労困憊といった姿だった。
 そうして駅へ到着。改札をくぐり、ホームに出て、先頭のほうへ進む。向かいの駐車場に停まっている車の、複数の車体の色々な場所に光の球が生まれて溜まり、じらじらと輝いて、こちらが左右に身体をちょっと振るのに合わせて収束したり膨らんだりする。背後の小学校では、昼休みなのだろうか、それにしては校庭に賑やかに遊び回る子供らの姿がまったくなかったが、教室の窓の奥から(この冬の冷たい空気を取りこんでしまうにもかかわらず、ひらいているのだ)燥ぎ声のざわめきが届いてきた。じきに電車がやって来るので乗り込み、三人掛けの席に就いて目を閉じる。右方では男子高校生が、コンビニで買ったものだろうパンか何かを食っているらしく、ビニール袋を触れ合わせるがさがさという音――視覚化された電磁波の、アメーバ状の姿形を思わせる――が耳に届く。そのうちに、七分の発車、立川行きです、立川行き七分の発車です、お待ち下さい、と、もうだいぶベテランらしくこなれて滑らかな声調のアナウンスが入る。そうしてまもなく発車。揺られているあいだも目を閉じたままに待ち、河辺に着くと降車。エスカレーターを上り、改札を抜けて、駅舎を出ると途端に吹いた風がやはり首もとに冷たい。歩廊を渡って図書館へ。入館。CDの新着棚には先客があったので、ひとまず文芸誌の棚の前に立ち、『文學界』の三月号を取ってひらき、町屋良平氏のインタビューを瞥見した。それからジャズの棚を見に行って、Bud PowellのBirdlandでのライブ音源など聞きたいは聞きたいが、しかし今すぐ借りて荷物を増やす気にもなれない。ほか借りるとしたら穐吉敏子ルー・タバキンのビッグバンドや、エスペランサ・スポルディング(という名前だったか? 違う気がするが)の音源や、Bill Frisellの最近作などだろうか。それで新着の棚に行ってみると、挾間美帆が何とかいうオーケストラと共演してBimhuisでやったライブ音源があって、こんなものを入荷するとは田舎町の図書館のくせになかなかやるものである。それは是非とも聞きたかったが、やはり今日今すぐに借りる気は起きず、そのまま上階に行った。新着図書の前には人がいたので後回し、書架のあいだを抜けて、目前の席が空いているなと見ていたところが、横から来た高年の男性が悠々とそこに入ったので取られてしまい、あたりを見回してもほかに空いている席はない。それでフロアを渡ってテラス席のほうへ、角にある文学全集の棚から、池澤夏樹訳の『古事記』を手に取ってちょっと読んでからテラス側に出ると、こちらは結構空いていて、一番端の一角を取った。リュックサックをテーブル上に置いて、新着図書を見に行った。若島正訳のナボコフ『ロリータ』があったが、ほかは大方、今まで見たことのあるものばかりだったと思う。そうして席に戻ってくるとコンピューターを立ち上げて、一時半過ぎから日記を書きはじめて三〇分強を費やし現在時に追いつかせた。なかなかテンポ良く書けたように思う。細かく書くのだとか、きちんと書くのだとか、十全に書くのだとか、そうしたこだわりが生まれてくると筆致が窮屈になってやはり書いていても楽しくないと言うか、疲れてくる。そうではなく、やはり一筆書きのように、流れるがままに書く、これがこの日記においては目指されるべきところだろう――「ただ書く」の境地に至るということだ。小島信夫などは晩年、推敲をまったくしなかった、ただ書いて書きっぱなしだったと保坂和志か誰かが書いていたと思うが、あるいはそうしたやり方が近いのかもしれない。
 その後、書抜き。岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』及び、今読んでいる途中の小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』。打鍵している最中に、向かいの席に、丸い黒縁眼鏡を掛けて中国人のような顔をした老人がやって来て、そこから何と言うのか、あれは加齢臭というものなのか何なのかわからないが、あまり好ましくはない饐えたような臭いが漂ってきて、ちょっと気持ち悪くなりそうだった。一時間ほど打鍵を続け、それから日記の読み返し。一年前の日記には、ルソーの文言が引かれている――不安障害の人間の感じ方をわりあいリアルに捉えているように思うので、ここにも改めて引いておく。

 (……)今、現実にある不幸など大して重要ではない。現在感じている苦しみについては、きちんと受け入れることができる。だが、この先、襲ってくるかもしれない苦しみを心配し始めると耐えられなくなるのだ。こうなったらどうしようと怖々ながら想像すると、頭の中であらゆる不幸が組み合わさり、何度も反復するうちに拡大、増幅していく。実際に不幸になるより、いつどんな不幸が襲ってくるのかと不安にびくびくしているときのほうが百倍もつらい。攻撃そのものよりも、攻撃するぞという脅しのほうがよほど恐ろしいのだ。実際にことが起こってしまえば、あれこれ想像を働かせる余地はなく、まさに目の前の現状をそのまま受け入れればいいのだ。実際に起こってみると、それは私が想像していたほどのものではないことが分かる。だから、私は不幸のど真ん中にあっても、むしろ安堵していたのだ。(……)
 (ルソー/永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』光文社古典新訳文庫、二〇一二年、13~14)

 その後、小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』を改めて読みはじめた。最初は読書ノートに書抜き候補の箇所を記録していく。大概、有名な歴史上の事件のおさらいになってしまったようだ。一つ面白かったのは、末劫論というのが太平天国あたりの時期の中国で流行ったらしいのだが、現世は悪が支配する乱世であり、救世主の降臨によって世界が浄化され、調和を取り戻すというその思想は、そのままキリスト教の終末思想ではないかと思った。ほか、中国共産党の起源というのは何なのかと以前から思っていたところ、一九二一年の七月に陳独秀という人らが上海で結成したのが始まりなのだと。陳独秀というこの人の名前には何となく見覚えがあって、と言うのは多分、図書館の新着図書の棚で、おそらく東洋文庫に入っているこの人の著作を見留めたことがあったのだと思う。一〇〇頁過ぎくらいまで記録を終えたあとは、先を読み進めていく。そうしてあっという間に五時半である。途中から右方の、一つ席を挟んだ向こうに、大学生か高校生くらいか、顔を直接まともに視認しなかったのだが、そのくらいの男性がやって来て、足取りもどすどすとしていてやや尊大そうな彼は、席に就く時も椅子を、ほかの人は大抵椅子の下端が床を擦る音を立てないように気をつけて引くものなのだけれど、そんなことはお構いなしとばかりに大きな擦過音を立てて引いていた。音楽を聞きながら、何かのテキストを勉強していたらしい彼は、時折りぼそぼそと独り言を呟きながら、頭を抱えるようにしていた。五時半頃になってこちらは一度席を立った。書くのを忘れていたが、書抜きをする際に新書を押さえるための本として巨大な『リルケ全集』第一巻を持ってきており、それを棚に返しに行ったのだった。そのついでに周辺のドイツ文学を見分したり、書架の反対側に回って中国文学の蔵書を確認したりする(莫言が結構あり、残雪も二冊くらいあった。そのほか、『自転車泥棒』という本がちょっと面白そうだったが、これは先日MさんとHさんと昭和記念公園を歩いていた時に話題に出なかっただろうか?)。アジアの文学にも面白いものはたくさんあるのだろう――しかし、棚ばかり見ていても実際に読まなければ仕方がない、見分ばかりに時間を使っていても読みたいという欲求が煽られるばかりで無駄なのであって、実際に今読んでいる本を読み進めなければここにある本たちを読むこともできないのだというわけで、便所に行って糞を垂れてきてから読書に戻った。こちらの席の左方は文庫本の棚である。時折りそこにやって来てしゃがんでは本を見分している人々の姿を横目に見つつ読書を進めて、七時を過ぎたところで帰ることにした。リュックサックからストールを取り出して首に巻き付ける。モッズコートの前は座っている時から既に閉ざしてあった。そうしてコンピューターを停止させ、荷物をまとめて席を立ち、退館した。歩廊を渡って河辺TOKYUへ。フロアを奥へ進み、灰色の籠を一つ取ると、今しがた通り過ぎたところに野菜のセールの区画があったので戻って見分し、椎茸を一つ籠へ。それから野菜の区画に進み、茄子やピーマンやエノキダケを確保する。そのほか豆腐・ドレッシング・醤油・ポテトチップス・パンなど手もとに保持して会計へ。二〇三九円。整理台で荷物を、リュックサックとビニール袋にそれぞれ収め、品物を詰めた袋を片手に提げて退館。マンションの灯が暗闇のなかに整然と縦に並んで灯っている。円形歩廊を渡って駅へ、電車の時間は七時半、まだ七、八分あった。ホームへ下りる。二号車の位置で立ち止まり、何をするでもなく目を閉じてそのまま立ち尽くす。本当に、常にどこかしらから音が発生しているなと思った。左方では、『名探偵コナン』スタンプラリーのお知らせが、江戸川コナンの幼児ぶった声音でアナウンスされ、右方ではまた別のアナウンスが落ちており、正面からは向かいの居酒屋の室外機が唸り声を立てている。それらの音を聞いているうちに電車がやって来た。仕事場から帰ってきた客たちが多数吐き出されたそのあとから乗り、リュックサックを下ろさないまま三人掛けに就いて前屈みになり、目を閉じて到着を待つ。青梅に着くと乗り換え、ホームを移動し、奥多摩行きの最後尾に乗って、同じようにリュックサックを背負ったまま席に就き、隣にビニール袋を置いた。そうしてやはり前屈みになって目を閉ざし、周囲の音を聞く。ここでも常に音がどこかしらから生まれており、電車の外は外で頻りにアナウンスが掛かっているし(合間に人工的に拵えられた鳥の囀りが挟まる――青梅駅では何故か、鳥の鳴き声を折に触れて駅舎のなかに響かせるという趣向が設けられているのだ)、それが静かになってちょっと空隙が生まれたかと思えば今度は車両内、頭上から、無機質な女性の声で、この電車は、青梅線奥多摩行きです、とアナウンスが落ちる。車内にいる乗客も、右手にいるスーツ姿の若い女性からは衣擦れの音や、脚を動かした拍子に靴が床を擦る音が立つし、左方の奥ではこれも女性の、小さく可愛らしいくしゃみの声も聞こえてくる。そんななかで正面の、女性なのか男性なのかマスクをしていることもあって区別がつかないような中年の人の動き、気配がまったく生まれないなと思っていると、この人は身体を動かさず、両手を膝の上に乗せて静かに眠っていたようだ。そのうちに向かいのホームに電車がやって来て、乗り換えの客たちが乗り込んで来て、発車する。引き続き前屈みになって、しかし今度は目は閉ざさず、自分の手を裏返したり表にしたり、指を伸ばしてみたり組み合わせてみたり(左の手のひらの中央付近につけた右の親指に、血管の脈動が伝わる)、生白いようであまり血色の良くないそれを観察しながら、古井由吉がどこかで、「手鏡」という仕草、ベッドにいる病人が自分の目の前に手をかざしてまじまじと見つめる、そうした仕草を書いていたなと思いだした。そうこうしているうちに最寄り駅に到着である。荷物を持って降り、ホームを辿って階段を上り下り、横断歩道を渡って坂に入った。坂を下って行きながら、自分がいずれ死ぬ、ということを考えていた――この世に確かなことが何もなくとも、それだけは確かなのだろうと。しかしいつ死ぬかという点に関しては、不確定性に包まれている、明日死ぬかもしれないし、今日このあと死ぬかもしれないし、あるいは脳出血などで次の瞬間に(と言うほど実際には急速なものではないのだろうが)息絶えているかもしれない――かつてはそのように、心臓が次の瞬間には破裂するのではないかという恐れに取り憑かれた時期もあったものだと思い返した。ジャンケレヴィッチが『死』という、文字通りそのままの本を出していたなとも思い出された。確かみすず書房から出ているものではなかったかと思うが、あれも高い――七〇〇〇円くらいしたのではないか? 坂を出て平らな道を行きながら、『人文死生学宣言』のことも思い出した。数か月前に読んで、当時はまだ頭が本調子でなかったから途中でやめてしまったのだが、今ならそこそこついていけるかもしれない。
 そうして帰宅し、ドレッシングなど買ってきたと言うと、母親もユニクロに行ってさらに「ジェーソン」だったか、激安のスーパーに寄って、ポテトチップスなど買ってきたのだと言う。こちらは自室に戻り、コンピューターをテーブル上に据えるとともに服を着替えた、と言うかジャージが手もとになかったので、モッズコートとカーディガンを脱いでその上からダウンベストを羽織った。そうして食事へ。食事は米・煮込み蕎麦・鍋料理風の野菜や魚介の雑多に入ったスープ・帆立の佃煮・チキン・買ってきたカレーパン。夕刊、一面――「トランプ氏 壁建設 非常事態宣言へ 大統領権限で費用捻出」。テレビは『金スマ』。村上佳菜子という元フィギュアスケートの選手で今は芸能人として活躍している人が取り上げられていた。特段の興味はないが、スケート時代の仲間からもムードメーカーであると良い評判で、確かに朗らかで人柄の良さそうな感じである。そうして食べ終えると皿を台所に運び、水を汲んで卓に戻って薬を飲もうというところで父親が帰ってきた。ナッツを買ってきたぞ、と笑う。仏間の箱に収めて貯蔵しているものである。お前、時々食べてるだろと言うのでああ、と受けて、こちらは台所に入って食器を洗った。流し台に放置されていた玉ねぎやジャガイモの皮もビニール袋に入れておき、そうして風呂は父親が先に入るだろうから自室に戻った。そうして、買ってきたポテトチップスを食いながら、Mさんのブログを読む。「きのう生まれたわけじゃない」時代の記事も、一日ひとつずつくらいのペースで良いので、読み返さなくてはなるまい。それから自分のブログの最新記事なども何故かちょっと読み返してしまい、九時一五分から日記を書きはじめた。四〇分頃になって一度中断し、風呂に行く。浴室に入って風呂の蓋を開けながら、そう言えば自分とMさんは、実際にはまだ三回しか会ったことがないのだよなとふと思った。二〇一四年の三月、二〇一六年の一一月、そして先日。一回に三日間ずつ顔を合わせていると考えても、まだ一〇日に満たない――そう考えると、物凄く不思議な感じがした。それしか顔を合わせていないのに、おそらく自分は誰よりもMさんのことを知っている人間のうちの一人だし、あちらも誰よりもこちらのことを知っている人間のうちの一人だろう。それは勿論、どちらもこうして毎日詳細な日記を綴っており、それを相互に読み合っているからにほかならないのだが、ふと我に返ってそのことを認識してみると、こうした関係というのは相当に特殊なもの、稀有なものなのではないかと思われるのだった。こちらのことを家族以上に知っている人ならばほかにも何人かいる、こちらの日記を読んでくれているであろうHさんやSさんだってそうである、しかし知られつつこちらも知っているという相互性が成立しているというのは、やはり貴重な関係だろう。そもそも自分はMさんがいなければ、「きのう生まれたわけじゃない」に出会っていなければこうして日記を綴ることはなかっただろうし、文学との関わり方も今とは随分と違ったものになっていただろう。その点やはり彼はこちらの恩人である――並々ならぬ恩義を感じるべき相手である。そうした相手と仲の良い関係を築くことができたのはやはり幸福なことだったに違いない。彼が先日の日記で、親友のTさんと弟さんと並べてこちらを、自分の寿命を分けても良いかもしれない、そうした存在の一人に数えてくれたことを自分は多分この先も忘れない(ついでに言えば、昨年の四月三日か四日のことだったと思うが、頭がおかしくなり、言語的なコミュニケーションが取れなくなるのではないかと思って彼と通話したあとに、Mさんが一〇分間くらい泣いてくれたこともこちらは忘れず覚えている)。
 そうしたことを考えながら風呂に入り、出てくると母親が、ユニクロでカーディガンを買ってきたと言う。こちらがいつまでも古いものを着ているのに業を煮やして買ってきてくれたらしい。それでMサイズの、海色のそれを羽織ってみると、良いじゃない、細身だから何でも似合うと言う。まあ悪くはなかっただろう――しかし自分は正直なところ、あまりユニクロで服を買おうとは思わない(と言いながら、今日着ていった臙脂色のシャツはユニクロのものだが)。どうしてもやはり、個性に欠けるような感じがすると言うか、長く着たいと思うほどにピンとくる品物は少ない気がするのだ。それから母親が父親のために買ってきたらしいチョコレート――瓶の形をしたもので、なかにブランデーだか、酒が入っている――を一つ貰って、口に入れながら階段を下りた。そうして自室に戻ってここまで日記を書き足すと、一一時も目前である。BGMはJeff Beck『Wired』。"Goodbye Pork Pie Hat"をリピートしている。
 読書、小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』。ベッドで。途中、意識を失う時間を挟みながらも、一時二〇分まで読み続けて読了する。そこからまた二〇分ほど意識を失ったのち、読書を中断していた斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』に五日ぶりに戻って「黒ツグミ」を読む。しかしいくらも読まないうちに力尽きて、二時一〇分就床。歯磨きを怠けてしまった。


・作文
 11:37 - 11:49 = 12分
 13:37 - 14:13 = 36分
 21:15 - 21:19 = 4分
 21:26 - 21:41 = 15分
 22:12 - 22:54 = 42分
 計: 1時間49分

・読書
 14:24 - 15:42 = 1時間18分
 15:43 - 17:25 = 1時間42分
 17:51 - 19:02 = 1時間11分
 20:38 - 21:12 = 34分
 23:06 - 25:20 = 2時間14分
 25:40 - 26:10 = 30分
 計: 7時間29分

  • 岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』中公新書(2392)、二〇一六年、書抜き
  • 小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史中公新書(2437)、二〇一七年、書抜き
  • 2018/2/15, Thu.
  • 2016/7/28, Thu.
  • 小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』: 114 - 245(読了)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-02-14「逃げ水の思わせぶりなふるまいがだれかに重なる夏はすぐそこ」
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 105 - 108

・睡眠
 0:50 - 11:00 = 10時間10分

・音楽

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2019/2/14, Thu.

 九時一五分覚醒。確か学校を舞台にした夢を見ていたが、詳細は忘れてしまった。寝床に射し込む光のなか起床して、コンピューターでTwitterAmazon Affiliateを確認する。それから上階へ。ジャージを仏間の箪笥から取り出して着替え、ベストを羽織る。あまり腹が減っていなかったが、前日の残り物――サラダに蓮根と豚肉の炒め物――で食事、白米には塩昆布を乗せた。新聞から、海賊版のダウンロードが全的に違法になるとの報告や、韓国国会議長の天皇謝罪発言の余波などについて読みながらものを食べる。そうしてアリピプラゾールとセルトラリンを服用しておき、皿を洗うと、母親が、先日の墓参りの際にI.Y子さんから貰ったチョコレートを持ってきてくれた。Mery'sのもので、二五個のバラエティ豊かなチョコレートたちが整然と区切られた小さな区画にそれぞれ収められている。そこからバニラとストロベリーの二個を頂き、自室に戻って、Twitterをちょっと眺めたあとに日記を書きはじめた。前日の分もこの日の分も短く書き足して、一〇時半を回ったところである。
 前日の記事をブログに投稿し、一二月二九日の記事を再編集してアマゾンへのリンクを拵える。それから日記の読み返し。一年前、殺人妄想に悩まされている。一方では頭が明らかにおかしくなっているが、もう一方ではその異常性を明晰に認識し、そこから距離を取って飲み込まれないようにしようと努力する自分がいる。統合失調症か何かで頭のなかの声に従って犯罪を犯すような例が時折りあると思うが、自分の場合も、自己客体化が出来ずにこうした妄想に飲まれていたらあるいはそうなっていたのかもしれない。

 その後、身支度を済ませて出発した。道中、人の姿を目にすると、やはり自ずと殺害のイメージが湧いてきて、それはまったく気持ちの良いものではなく、自分が不安を感じているのがわかって、あまり人の姿を見られないようになった。不安とともに回る頭では、自分が無意識のうちに人を殺すということを欲しているのではないか、などと考えてしまうのだが、これはやはり加害恐怖の一種で、自分が人を殺してしまうということを(そのようなことになる現実的な根拠はまったくないのだが)恐れるが故に、かえってそうしたイメージが浮かんでしまうのだろう。今まで自分が不安を乗り越えてきた相対化のパターンからすると、例えば嘔吐恐怖だったら、別に電車のなかで吐瀉物を吐こうが、ちょっと迷惑は掛けてしまうがそれで人が死ぬわけでなし、結局大したことではない、というような考えを作ってきたわけだが、しかし今回、殺人に対する恐怖となると、別に人を殺したところで大したことではない、などという風には自分は考えたくはない。そのあたりの道徳観を相対化するのだったら、自分はまだしも、不安を抱えてこの苦しみをそのままに受け止めて生きたほうがましであると考え、自ずとこの妄想が収まるのを待とうというスタンスを取った。わざわざ道徳観を相対化しなくとも、「殺害や暴力のイメージが浮かぶ」という現象そのものを相対化すること、要はそれに慣れて、イメージが浮かんでもこれは単なる妄想であると払い、何とも思わなくなるということは可能なはずであり、それを待つことにしたのだ。

 また、先日Mさんと淳久堂で話したことにも繋がるものだが、断片的なものを志向する自分の性質を朧気に自覚しているらしき記述もある。今、中国史の本を読んでいても感じるが、自分は例えば読んだ本の内容を上手く要約して頭のなかに体系を拵えるようなことには向いておらず、ただ自分の関心に従って個々の部分部分に注目してそこを書抜くようなやり方にやはり適しているのだと思う。

 テレビは、宮部みゆきの小説を深読みするという番組がやっていて、集まった作家やら批評家やらのなかに、高橋源一郎の顔が見られた。参加者がそれぞれに、これは「~~小説」であるというように、色々な解釈(まさしく解釈)を披露していくのだが、あまり興味は惹かれず、そのように統一的な意味体系の像を構築するよりは、それよりもやはり自分は、ここにこんなことが書いてあるよね、こんなものが、こんな動きがあるよね、ここのフレーズは素晴らしいよね、などという原始的な読み方のほうが楽しいのだろうなと思った(統合よりも断片化を志向する性向であるということだろうか)。

 また、この日はゴーゴリ『外套・鼻』を読んでもおり、多少の分析や感想を書き付けている。やはり、この程度のちょっとしたものでも良いので、感想の類が書かれていたほうが読み返していて面白く感じられるようだ。

 (……)不意に彼は或る家の入口の傍で棒立ちになって立ちすくんでしまった。じつに奇態な現象がまのあたりに起こったのである。一台の馬車が玄関前にとまって、扉[と]があいたと思うと、中から礼服をつけた紳士が身をかがめて跳び下りるなり、階段を駆けあがっていった。その紳士が他ならぬ自分自身の鼻であることに気がついた時のコワリョーフの怖れと驚きとはそもいかばかりであったろう! 彼はじっとその場に立っているのも覚束なく感じたが、まるで熱病患者のようにブルブルふるえながらも、自分の鼻が馬車へ戻って来るまで、どうしても待っていようと決心した。二、三分たつと、はたして鼻は出て来た。彼は立襟のついた金の縫い取りをした礼服に鞣皮[なめしかわ]のズボンをはいて、腰には剣を吊っていた。羽毛[はね]のついた帽子から察すれば、彼は五等官の位にあるものと断定することができる。(……)
 (ゴーゴリ/平井肇訳『外套・鼻』岩波文庫、一九六五年改版(一九三八年初版)、69)

 おわかりのように、この紳士が自分の鼻であるということを気がつかせる根拠が、まったくもって、何一つ、ほんの一片の情報すらも明示されていないにもかかわらず、コワリョーフは無条件で、紳士が自分自身の鼻であることを確信するのだ。人間の姿をしたものが実は鼻であるなどと判断する理屈など、そうそう立てられるものでもないだろうから、ゴーゴリとしてはこのようにするしかなかったのかもしれないが、この唐突さ、強引さには驚かされた。

 それから二〇一六年七月二九日の記事も読んだが、こちらには特に言及しておくべき事柄はなかったと思う。そのままブログに投稿もして、そうして一一時半、散歩に出ることにした。上階に行き、仏間から灰色の短い靴下を取って履くと、まず風呂を洗った。浴槽のなかに入りこんで、排水口から引いていった残りの水気の上に映りこむ自分の薄影を見下ろしながら、壁面をブラシで擦る。そうして散歩に出発である。家の前に小型トラックが停まっており、誰だかわからない男性が歩いていた(Hさんだろうか?)。そちらを見ながら階段を下りていると、地面に足をつけると同時に彼は振り向いて、にこやかに挨拶を送ってきたのでこちらもこんにちは、と返して道に出た。風が吹き、着ているものは肩口までしかないベストなのでジャージにしか守られていない二の腕が冷たい。ポケットに手を突っ込んで道路を歩いていく。空は全体に薄雲に覆われているが、その先に幽かな水色が透けて見え、雲は西空の太陽を完全に遮るほどの厚さはなく、路上には日向と日蔭の別が一応生まれている。精緻な器官を持つこと、と蓮實重彦ロラン・バルト論のなかで書いていた言葉を頭のなかに浮遊させた。存在そのものを繊細なものにすること、と続け、現在の瞬間に沈潜し、そこから出来る限り多くのものを汲み取ること、と自分の言葉に言い換える。つまりは、ゆっくりと、鷹揚に生きること――そんな風に考えながら坂を上って行くと、分厚い風が走って身に冷たく、周囲の樹々もざわざわと揺らされて響きを立てる。日向の薄くなった裏路地をてくてくと行く。街道に出て渡り、ふたたび裏に入ると、斜面に沿って風が勢い良く道を埋め尽くし、トンネルのなかをくぐるようにしてそのなかを行く。墓場の前に出ると風は止み、左方の斜面に設けられた墓地の向かいでは犬を連れた婦人がもう一人と立ち話をしていて、その前を通り過ぎざまに、鹿はあちこちに出るよね、などと聞こえてやはりそうなのかと思った。保育園の前を過ぎ(給食の匂いが漂う)、この日はいつもと趣向を変えて、途中で左に折れて線路の上の歩道橋を渡り、広い敷地に出た。鴉が背後の林から、間の抜けたような声を立てる。家屋に沿った道に出ると前方からも声が立って、見れば電柱の上に黒い姿が一匹あり、間断を置きながら顔を前に突き出して、頻りに鳴き立てていた。進むと、駅の北側に出る。蕾を膨らませている梅の木の前を通り、線路に沿って進んで踏切りを渡り、横断歩道をさらに渡って香ばしい揚げ物の匂いが香る肉屋の前を過ぎて木の間の細道に折れた。ここでは風は吹かず、宙空を埋め尽くす緑の葉叢も動かず静まって、そのなかに沢の小さな水音と、こちらが踏んでいく落葉の繊維の砕ける乾いた音が響いて重なった。
 帰ってくると母親が蕎麦を茹でておいてくれた。竹輪や豚肉の入った温かな汁も出来ている。それを椀によそって、既に竹の笊に乗せられた蕎麦の用意されていた卓に就いた。ほか、焼いた椎茸とスティック状の小さなチキンを一つずつ。蕎麦を温かな汁に浸けて啜る。あまり腹は減っていなかった。テレビは、同性婚を認めないのは憲法違反だとの提訴が行なわれたとのニュース。同性婚など誰にも迷惑は掛からないのだからさっさと認めれば良いと極々素朴に思うのだが、反対する人は同性同士の結婚を認めてしまうと日本が滅ぶとでも思っているのだろうか? ものを食べ終え、皿を洗うと、Mery'sのチョコレートをちょっとつまみ、下階へ。岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』の書抜きを一二時半から。BGMはJimmy Smith Trio『Salle Pleyel 28th May, 1965』に、同じくJimmy Smith『Midnight Special』。このアルバムのサックスは、Stanley Turrentineだったか? 一時間二〇分ほど打鍵を続けて、それから日記を書き足し現在二時半過ぎ。
 三時から読書を始めている。それまでの三〇分弱に一体何をしていたのだったか、とんと思い出せない。隣室に入ってギターを弄ったのだったか? そうだったかもしれない。昨日作ったアルペジオを繰り返し練習した時間があったはずだ。しかしそのようなことは些細で、どうでも良いことだ。では、どうでも良くないこととは何なのか? この日記において、そのような事柄は存在しない。すべてがどうでも良い。あるいは、すべてがどうでも良くない。そのようなものとして日記はある。それで三時から書見――小野寺史郎『中国ナショナリズム』。最初のうちは今まで読んだ頁を読み返しながら、読書ノートに情報を断片的に移していき、現在地点にほとんど追いつくと、寝床に移って布団のなかに入って、新書を掴んだ片手だけを出しながら文字を追った。予想していたことだが、じきに眠気が差してきた。それで合間に本を置いて目を瞑る時間を挟みながら、夕飯の支度も怠けて七時半前まで書見を続けた。そうして上階へ。母親は既に炬燵に入って食事を取っていた。眠っていたのと訊くので、いや、別に、と答える。父親は会議で夕食が出るのだと言う。こんな時に限って、と言うので、何か特別な日だったのかと思って訊き返したが、そうではなくて、せっかく夕飯を色々と作ったのに、という意味だった。それで、米や煮込み蕎麦をよそり、鮭を温め、そのほか輪切りにした大根のソテーや、人参の和え物に生の大根のサラダ。卓に就いて、頂きます、と低く口にしてからものを食べはじめる。夕刊一面――「辺野古県民投票 告示 24日投開票 埋め立て3択で問う」。「賛成・反対・どちらでもない」の三択になったようだ。ほか、「外務省に歴史専門官 「領土」や「慰安婦」助言」。「外交アーキビスト」という専門官の職が新設されるとのこと。テレビは、何という番組タイトルなのか知らないが、「うじゃうじゃ」をテーマにしたもので、何か人やものが「うじゃうじゃ」と集まっている場所を紹介していくというものなのだが、テーマにしろ、演出の仕方にしろ、ナレーションの声色にしろ、随分と何と言うか幼児的と言うか、そこまでは言わなくとも子供向けの番組のような感じがして、今更言うまでもないことではあろうが最近のテレビ番組というのはレベルがどんどん下がってはいないかと思った。それで食事を終えて薬も飲むと、母親の使った分も一緒に皿洗いをする。その最中、先のテレビ番組で「プロテイン・スイーツ」なるものが映し出されていて、ケーキを食っていたので、ケーキ食べたいねと呟くと母親が、冷凍のチーズケーキがあると言う。その後彼女はそれを取り出して、電子レンジで短く温めて解凍を試みていた。風呂から出る頃には丁度良い具合になっているだろう、というわけでこちらは下着を畳み、寝間着を持って洗面所へ、服を脱いで入浴した。浴槽の縁に両腕を掛け、脚は胡座になりきらない程度に緩く組み合わせて、目を閉じて身体をじっと動かさずに静止させて、自分の頭のなかの思念に目を向ける。もっと細かく、詳しく、一日を書きたいなと思ったが、現在のところがおおよそ自分の限界ではあるだろう。もっと細かく書くのだったら、より精緻な器官を持たなければならないはずだが、五感や感受性の網の目を精緻に鍛える方法などどこにあるというのか? ――以前は瞑想をしていれば自然と感覚が研ぎ澄まされていくと思っていたのだが、変性意識に入れなくなった今、瞑想もあまり意味のないものになった。ともかくも、書き続けていくほかはない――今より一年後に、もっと面白い――いや、面白くなくても良いのだが、と言うかこの日記というものは、面白い/つまらないで測るようなものではもはやないと思うのだが、もっと豊かな文章が書けていたらな、と夢想する。今現在の日記も、一年くらい経って距離を置かないと、本当の評価というものはわからないものなのだろう。もっとドライブするような文章が書きたい――しかし自分の文体というのは、「おじいちゃん」などと言われもしてしまったが、あまり「ドライブ」という言葉には相応しないような感じかもしれない、もっと鈍重な歩みではないか? 湯に浸かっているあいだは、犬の吠え声や口笛のような音が、距離があるようでほんの幽かに聞こえた。じきに、給湯口の向こうから無数の甲虫が体を触れ合わせながら蠢いているような音が立ち、温かな湯が浴槽のなかにいくらか注ぎ足される。それを機に立ち上がろうかと思いながらも静止を崩さずにいると給湯はまもなく止まって、それからしばらくすると今度は、火の用心を喚起する消防車の、ちん、ちん、というサイレンが、燠火のように幽かに聞こえはじめる。それが段々と近づいてきて、車の走行音とともに家の前を通り過ぎていき、また遠ざかって淡く幽かになったところで立ち上がり、浴槽から出て頭を洗った。そうして上がるとチーズケーキを食ってから(セイヨウフキのものだという赤紫色のソースが掛かっていた)下階に戻り、九時直前から日記をここまで書き足して、九時半前になっている。BGMはJimmy Smith『Midnight Special』をもう一度流している。
 上階に行った。父親は帰ってきており、藍色の寝間着姿になって血圧計に腕を通していた。おかえりと声を掛けて台所に行き、おにぎりを一つ拵える。ラップに包んだものを握って形を整え、それをベストのポケットに入れておいてから卓に近づき、父親が会社で貰ってきた二つのチョコレートを見分した。一つはどこのメーカーだったか忘れたが、箱の裏側に付されたラベルには「ケーク・ショコラ」とか何とか書いてあった。もう一つはGODIVAのもの。父親は開けて食べればと言ったが、今は良いと答え、I.Y子さんに貰ったチョコレートのほうを仏間から持ってきて、一粒つまみ、さらに二粒を指で挟んで食べながら下階に戻った。そうして、おにぎりを食いながらMさんのブログを読み返す。彼は今、「きのう生まれたわけじゃない」時代の記事を一般公開用ブログのほうに写している最中である。その初期のものは相当に寒く、イタく、クサいものだったと言って、そのようなブログを「最高」だと絶賛していたこちらの目は「節穴」ではないかと揶揄していたのだったが、一日経つと段々と記事が面白くなってきたようで、こちらに付された「節穴」のレッテルは撤回された。Mさんのブログの最新記事を読み終えたちょうどその頃合いだったと思うが、当の本人からTwitterのほうにダイレクトメッセージが届き、君の目は節穴などではなかった、何が面白いのかわからないが過去の自分のブログもなかなか面白かったとあったので、「僕の鑑賞眼の適切さが証明されたようで嬉しいです」「大体、この僕があれほど嵌まって自分でも文章を書きはじめたくらいのブログが、ただの寒くてイタくてクサいだけの文章であるはずがないのですよ」と、尊大ぶって自信満々に答えておいた。それからMさんとやり取りを交わしながら「記憶」記事に引いてある記述を音読し、二回音読するごとに目を閉じて今しがた読んだ内容を想起するということを繰り返す。この思い出すという作業が、面倒臭いのだが、しかし記憶を定着させるためには欠かせないものなのだろうと思うものだ。完璧に思い出すことなどは勿論不可能で、正確さを目指すとどつぼに嵌まると言うか、大変に、面倒臭くてやりたくなくなってしまうから、自然と頭に浮かんでくる情報を反芻するくらいの緩い姿勢で良いのだろう。BGMは最初はJimmy Smithをリピートしていたが、途中からMさんとの会話に出てきたJeff Beck『Performing This Week... Live At Ronnie Scott's』を大層久しぶりに流した。もう一〇年前のライブ盤だが(あれからもう一〇年が経ったのかという驚きを禁じ得ない)"Cause We've Ended As Lovers"など、今聞いてもなかなか結構なものではないかと思われる。あとは"Nadia"も美しい。この曲に見られるような繊細なトーン・コントロール、フレーズの表情の多彩さは唯一無二のものだろう。その後、一一時半前から日記を書き足して、現在四五分。
 寝床に移って書見、小野寺史郎『中国ナショナリズム』。布団を被って読んでいると、時折り、LINEの新着を知らせる電子音が、机の上に置いたヘッドフォンの奥から微かに聞こえる。それでコンピューターの前に立って会話を確認したりしつつ読み進めて、零時四五分になったところで切り上げ、就寝した。


・作文
 10:25 - 10:32 = 7分
 13:56 - 14:35 = 39分
 20:57 - 21:25 = 28分
 23:24 - 23:45 = 21分
 計: 1時間35分

・読書
 10:53 - 11:31 = 38分
 12:32 - 13:50 = 1時間18分
 15:00 - 19:26 = (眠っていた時間があるので半分と考えて)2時間13分
 21:33 - 22:57 = 1時間24分
 23:01 - 23:20 = 19分
 23:54 - 24:45 = 51分
 計: 6時間43分

  • 2018/2/14, Wed.
  • 2016/7/29, Fri.
  • 岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』中公新書(2392)、二〇一六年、書抜き
  • 小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』: 64 - 114
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-02-12「NGの数だけ愉快な走馬灯になるだろうから今日もしくじる」; 2019-02-13「宝石を齧る結晶を炙る水銀を舐めるどこに行こうか」
  • 「記憶」: 20 - 22, 34 - 39, 1 - 6

・睡眠
 0:40 - 9:15 = 8時間35分

・音楽

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2019/2/13, Wed.

 六時前に一度目覚める。まだ部屋は薄暗い。コンピューターの前に行き、インターネットを閲覧したあと、六時三五分から読書を始めた。岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』。最後まで読み終え、その後そのまま小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』に入ったのだが、ここでまたしても読書時間の終わりを記録しないままに力尽きて、眠ってしまった。おそらく七時半頃までは読んでいたものとして考える。そうして断続的に眠り続け、気づけば一一時半である。せっかくの早起きが台無しだ。外は曇り。ダウンジャケットを着たまま眠っていた。それで部屋を抜けて上階に行くと母親は不在、メモ帳には一言「パーマ」とある。台所に入ると、「ルクエ」のスチーム・ケースに野菜と豚肉が仕込まれてあり、ほか、茄子の味噌汁が僅かに残っている。スチーム・ケースを電子レンジで温め、もう固くなった米と味噌汁をよそり、ゆで卵も持って卓へ。ものを食べ、皿を洗って薬を飲むと、チョコレートアイスを一つ齧りながら下階に下りた。そうして前日の記事を僅かに書き足し、完成させると、FISHMANS『Chappie, Don't Cry』を流しはじめ、ブログに投稿。ちなみに前日のアマゾンのクリック数は四四で、前々日の二九九がやはり異常だったと言うか、何故そんなにクリックされたのかわからないが、尋常に戻ったというところだろう。しかし、いくらたくさんクリックされてもそれだけでは紹介料は入らないのであまり意味はない。それからここまで日記を綴ると、一二時半である。今日は遅くまで眠ってしまって時間もないし、散歩は怠けようかと思う――そうするとそれだけで一〇〇〇字か二〇〇〇字は書くことが少なくなってしまうわけだが。
 日記の読み返し。一年前はどうでも良いことしか書いていない。過去の日記は二〇一六年七月三〇日、この日はWの結婚式の日で、周囲の日々から際立って長く、一五〇〇〇字ほども綴っている。東京駅周辺のビルを頂いての感慨――「青空に向けて角ばったビル群が、まるでかえって間抜けたような高さへの執着ぶりで、巨壁のように並び突きだし、そびえている」。「かえって間抜けたような高さへの執着ぶり」という点に、二〇世紀的な野放図な垂直性の志向への皮肉な視線が籠められているようだ。また、次の部分にも大したものではないが、ちょっとした批評的な観点が現れている。「駅まで行く道中でカフェ店員が、先ほどの純情じみた女子の前を行く背を示しながら、皆変わっただろ、とか訊いてくるのに、そうか、と疑問符付きの留保を返した。以前にも記した通り、こうした場における変わった変わらないの言葉は、一次的な意味合いにおいては非常に粗雑で人間の複雑さを矮小化するものなのだが、この発語の眼目はそこにはない――そのどちらが口にされるにせよこれらの語の事実上の機能は、過去とのあいだにひらいた時の積み重なりに対する曖昧な感傷の共有を図るというもので、その点においては両者の差はなく、そうした大雑把な感情の共有には自分は端的に興味がない。むしろこの女子について言えば、数年ぶりに顔を見たのだが、化粧をきちんと施したその顔作りが高校の時と全然変わらないように見えるなと、その点に少々の驚きを得たものだ」。
 そうして一時一五分、隣室からギターを持ってきて弾きはじめた。と言うのは、一七日にTらとともにスタジオ入りをすることになっているところ、"COSMO"という彼女の曲を演ずるようなので、多少は弾けるようにしておかないといけないかと思ったのだ。正直なところ、面倒臭いが、真面目にフレーズを考えてしまうあたり律儀な自分である。それでコンピューターに以前貰ったワード・ファイルの、コード進行表を映し出して、それを見ながらアルペジオなどを考え、多少音源に合わせて確認したりもしたが、一弦の切れておりフレットには錆が蔓延しているギターで、アンプにも繋がずにやっているのだから不充分極まりない。それでも一時間ほどギターに触れて過ごして、最後は隣室に入ってローランドの小さなジャズ・コーラスに繋いでちょっと遊び、それから何となく、何をやる気も起きなくて上階に行った。何となく風でも浴びようかとベランダに出る。眼下の梅の木は花をつけて、蕾の紅色と泡のような白とが交錯している。二つ隣のHさんの家の煙突からは煙が空中に向けて湧き出ている。風は少々冷たいようだった。しばし佇んでからなかに戻り、何となくヨーグルトを一つ食べ、これも何となく、腹が減ってもいないのに仏間からアーモンドの小袋を一つ取ってきて、ソファに座り、右の手のひらに豆を少しずつ取り出してはその手を口に持って行き、一気に口中に入れてばりばりと食べる。そうして食べ終えてしまうと何となく玄関を抜け、すると母親がすぐそこにいた。掃き掃除か何かしていたのだろうか。すぐに一緒になかに戻り、その際に風呂はと言われてまだ洗っていないのを思い出し、浴室に行ってブラシを操った。それから、今日俺は夕飯にレトルトカレーを食うと宣言しておき(以前セブンイレブンで買ってきたものが一つ残っていたのだ)、炊飯器の釜からもう固くなった米の残りを皿に取り出しておき、新たに四合を磨いで六時半に炊けるようにセットしておいた。そうして室に戻って三時半、fuzkue「読書日記(121)」を読んだのはこの時だったか、それとも過去の日記と一緒だったか。そのほか、「ウォール伝」やUさんのブログを読んで、そののち、既に読了した岡本隆司『中国の論理』を大雑把に読み返して、書抜き候補となる箇所を読書ノートにメモしていった。すると四時五〇分、残り一〇分を「記憶」記事の音読に使い、五時を回ると食事を仕込みに行った。炬燵に入ってタブレットなりスマートフォンなり弄っている母親が、モヤシを茹でてくれと言う。それでフライパンに水を汲んで火に掛け、モヤシは笊にあけて洗っておき、沸騰を待つあいだに小野寺史郎『中国ナショナリズム』を持ってきて目を落とす。清朝の複元的統治構造について。例えばチベットに対しては皇帝は文殊菩薩の化身、仏教の保護者としての地位を得、現地を統治するダライ・ラマ政権とは、チベットを僧侶、清を施主と見立てて共存していた。そうして湯が沸くとモヤシを投入し、また少し文を追ってから笊に開ける。そのほか、薩摩芋を煮ようということになり、三つ取って皮を剝いて水に晒した。その一方で母親はスライスした蓮根をフライパンで炒めはじめており(ごま油を用いる)、薩摩芋を切ってしまうとそのまま調理台の前を横にスライドしてごく自然にフライパンを受け持ち、蓮根を炒める。豚肉もそのうちに投入され、しばらく炒めてから醤油などで味付け。それからさらに、薩摩芋も火に掛けられた。台所に立ち尽くしてこちらは本を読みながら煮えるのを待っていると、母親がSNSってauメール、とか何とか聞いてくる。知ったことではない。確認すると、SNSではなくてSMSのことだった。料理教室の先生にメッセージを送りたいのだが、それにはアプリをダウンロードしなければならないとか何とか、こちらにもよくわからなくて母親の質問がわかりにくいこともあって苛々したのだが、操作してみて結論として、相手が招待に応じなければメッセージは届かないのではないかと穏当なところに落ち着いた。その招待のメッセージそのものがそもそも相手に届いているのかどうかも定かではないのだが、電話番号がわかっていればメッセージは送れるはずだから、多分届いているはずだろう。それならば相手がそれを確認するまで待ち、一向に音沙汰がないようだったら電話を掛けるなり実際に会った時に直接話すなりすれば良いだろうとまとまって、こちらは下階に下りた。そうして、Enrico Rava『Tati』をバックに日記をここまで綴って六時である。前日に読んだErnest Hemingway, Men Without Womenから英単語をメモしておきたい。

  • ●20: The gypsy was walking out toward the bull again, walking heel-and-toe, insultingly, like a ballroom dander, the red shafts of the baderillos, twitching with his walk. ――ballroom dance: 社交ダンス
  • ●21: He reached in the leather sword-case, took out a sword, and holding it by its leather scabbard, reached it over the fence to

Manuel. Manuel pulled the blade out by the red hilt and the scabbard fell limp. ――scabbard: 鞘 / hilt: 柄 / limp: ぐにゃりとした

  • ●22: Who were these bullfighters anyway? Kids and bums. A bunch of bums. ――bum: 与太者、能無し
  • ●22: 'I dedicate this bull to you, Mr President, and to the public of Madrid, the most intelligent and generous of the world,' was what Manuel was saying. It was a formula. ――formula: 決まり文句
  • ●22: Standing still now and spreading the red cloth of the muleta with the sword, pricking the point into the cloth so that the sword, now held in his left hand, spread the red flannel like thejib of a boat(……)――prick: 穴を開ける、刺す / jib: 三角帆
  • ●23: (……)bull's horns. One of them was splintered from banging against the barrera. The other was sharp as a porcupine quill.――porcupine: ヤマアラシ / quill: 針

 それからMen Without Womenの続きを読んだ。邦訳を参照しながら三頁。ちびちびと読んでいる。この日はメモする英単語がなかった。そうして、まだ腹があまり減っていなかったので、引き続き小野寺史郎『中国ナショナリズム』を読み進める。そうして七時半前になって上階へ。母親は既にものを食べ終わったところで、父親が帰ってくるので風呂に入ってしまうと言った。実のところこちらは、やはり腹が大して減っていなかったので先に入浴しようと思っていたのだが、それではと譲って、レトルトカレーを温めるために水を入れた鍋を火に掛けた。沸騰を待つあいだにサラダ(モヤシにワカメやら何やらが混ざったもの)をよそり、蓮根と薩摩芋を温めて卓へ、下階から『中国ナショナリズム』を持ってきて読みながら食べていると、風呂に入る間際に母親がレトルトパウチを鍋に加えて行ってくれた。それでしばらくものを食べ、文を追いながら待って、そろそろ良いだろうというところで台所に立ち、鍋からパウチを鋏で挟んで取り出し、上下を入れ替えて正しい方向に整えると、鋏で袋の口を切って大皿に盛った米の上に注いだ。彩り野菜の入ったカレーである。本を読みながらそれも食べると、薬を飲んで皿を洗った。その頃には母親が早々と風呂を出てきたが、父親はまだ帰ってきてはいなかった。しかしこちらは風呂を彼に譲るつもりで下階に下り、八時過ぎから「記憶」記事をふたたび読んだ。蓮實重彦のバルト論の一部や、沖縄関連の記述である。そうして九時前になると入浴へ、湯のなかでは先ほど読んだばかりの記述を頭のなかに呼び起こし、身体を静止させながらそうしているうちに三〇分が経った。上がると台所の台の上にラップを敷いて、その上から白米を盛り、塩昆布を付したそれを握りながら下階に戻り、作ったおにぎりを食べながらMさんのブログを読んだ。一方でLINEでTと、一七日のスタジオ入りについてやりとりをしながら読み、その後日記をここまで綴って一一時前。BGMはJimmy Smith Trio『Salle Pleyel May 28th, 1965』。ご機嫌でファンキーなオルガン・ジャズ。
 LINEでやりとりを続けつつ、一一時過ぎからヘッドフォンを外し、寝床に移って書見。小野寺史郎『中国ナショナリズム』。時折り布団を捲って立ち上がり、LINEに投稿がないか確認しながら読み進める。零時半過ぎまで。そうして就寝。


・作文
 12:08 - 12:31 = 23分
 17:40 - 18:20 = 40分
 22:36 - 22:54 = 18分
 計: 1時間21分

・読書
 6:35 - 7:30 = 55分
 12:40 - 13:16 = 36分
 14:40 - 14:56 = 16分
 15:30 - 16:04 = 34分
 16:06 - 16:50 = 44分
 16:51 - 17:03 = 12分
 18:20 - 18:49 = 29分
 18:54 - 19:26 = 32分
 20:19 - 20:46 = 27分
 22:05 - 22:30 = 25分
 23:11 - 24:35 = 1時間24分
 計: 6時間34分

  • 岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』: 191 - 217(読了)
  • 小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』: 3 - 64
  • 2018/2/13, Tue.
  • 2016/7/30, Sat.
  • fuzkue「読書日記(121)」
  • 「ウォール伝、はてなバージョン。」: 「キリスト教に目覚めていく私。その6。」
  • 「思索」: 「2月9日2019年」; 「2月12日2019年」
  • 「記憶」: 51 - 55, 56 - 60, 17 - 19
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 23 - 26
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 「鍵盤をひとつ叩くたびごとに地球の裏であがる産声」

・睡眠
 0:15 - 5:50 = 5時間35分
 7:35 - 11:30 = 3時間55分
 計: 9時間30分

・音楽

2019/2/12, Tue.

 一〇時二〇分起床。南の空に雄々しく押し広がる太陽の光線をじりじりと、心地良く浴びており、後頭部の髪などかなり温まっていた。七時頃にも一度目覚めたような記憶が僅かにあるが、本来だったらそのあたりで正式に起床して朝から勤勉に本を読みたいところではある。睡眠時間は八時間半。これを七時間、六時間に縮めたいものだ。コンピューターを起動させてTwitterなど確認し、それからアマゾン・アフィリエイトにアクセスすると、前日のクリック数は何と二九九、めっちゃクリックされてるやんと思ったが、それでも品物を注文してくれた方はゼロで紹介料は発生しないので、このあたり難しいところだ。しかしまだまだこれからだろう。クリックされているだけでも有り難い、しかし一日で三〇〇もクリックされているということは、やはり自分の日記は結構読まれているのだろうか――一人五回クリックしたとしても、六〇人に読まれている計算になる。一〇回ならば三〇人。もっとも、あれだけ長々とした文章なので、本文を最初から最後まで隈なくすべて読んでいる人などそうそういないだろうが。断片的にであれ読んでもらえているならば有り難い。
 ダウンジャケットを羽織って上階へ。両親は買い物に出かけたらしかった。米をよそり、大根ほかの煮物と味噌汁も椀に盛る。新聞は今日は朝刊が休みである。それで何も読まずにぼんやりとしながらただ食事を取り、薬を飲んで皿も洗うと服をジャージに着替えて下階に戻った。早速前日の日記を仕上げ(Blankey Jet City, "胸がこわれそう"を一回流し、その後、"RAIN DOG"をリピート再生)、人名をイニシャルに変え、アマゾンへのリンクも設置しながら投稿(これにやはり結構な時間が掛かる)。それからこの日の分もここまで綴ると一一時二〇分。
 二〇一八年一二月三一日の記事にアマゾンへのリンクを仕込むと、日記の読み返しをした。まず一年前、二〇一八年二月一二日月曜日。三宅さんと通話をし、労働のあいだの自分自身の動作や言動の「自動感」についてなど話をしている。こうした「自動感」、自分の動作のすべてがまるで客体のように、自分から離れたところで自動的に流れていくかのような感覚、というものは、今はほとんどなくなった。気分の平静さも合わせて考えるならば、以下で述べられているような「悟り」のような心境に、自分は概ね至っていると考えて良いのかもしれない。

 帰路、歩きながら、労働中の自動感が気になって、頭が回った。自己の自律感が薄いというか、自分の意志というものがなくなって、自分の身体が勝手に動いているような、とでもいう感覚である。どうもやはりこれは、メタ認知の問題で、主体として「見る」ほうの地位が優勢になりすぎてしまったのではないかという気がする。また、無常感、この世の無根拠性の感覚ともどこか関わっているようにも思えなくもない。すべてがあらかじめ決まっているというのではないが、ある種、運命論にも通じそうな感じに思われた。何か超越的な存在、「神」が自分の信じるものとして導入されれば、おそらくそうなるのだろう。自動的に動くようでも、振舞いとして特に問題は起こっていないので、適応できればむしろ楽なのかもしれないが、神経症的性分のなせる業か、今は気になってしまう。

 会話を順序立てて再構成することはできないので、取っておいたメモに従って個々の話題に触れるが、まず自分の最近の症状について話す時間があった。自生思考というか脳内の言語が意思を離れて自走しており、妙な妄想を勝手に繰り広げたりするのだった。一番嫌だったこととして、町を歩いている時に可愛らしい犬を見かけたのだが、その直後に、その犬の首を締めて殺すというイメージが自動的に湧き上がってきたということを話した(この時は話さなかったが、両親についても同じようなことがあった)。これは一種の加害恐怖で、そうしてしまうのではないかという(根拠のない)恐れから、かえってそのことを考えてしまうということではないかと思ったのだが、当時は不安で頭がまとまらず、自分が本当に殺したいと思っているのでは、無意識のなかにそうした欲望を抱えているのではなどと考えてしまい、怖くなったものだった。また、ここ最近折に触れて、というか頻繁に抱いている無常感や、行動の自動感についても話した。自動感については上に書いたのでここには繰り返さないが、要は自己が客体化されすぎて外界の事物とほとんど同じ位相に置かれてしまったということではないのか(外界の事物とは、まさしく「勝手に動いていく」ものである)。神経症性向によって、今はそれが違和感として、不安として現れて気に掛かってしまうことがあるようだが、それに適応したものが要は「悟り」なのではないかということも話した。そうした自動感に適応できれば、まさしく流れていく世界のなかの一片としての自分として、随分と楽に生きていけるのではないか。最近の自分は、自生思考の件もあって、自分の頭のなかに考えが生じること自体が怖い、何かを感じてしまうことそのものが怖い、というようなところがあったもので、神経症もここまで来ると相当なものと言うか、ほとんど極地ではないかと思うが、しかし現在、薬の助けもあって、それにもどうやら改めて慣れつつある。今までに症状として発現してきた心臓神経症とか嘔吐恐怖とかも、概ね克服して来ているわけで、すべての不安の対象を一度不安として認識し、その後それに耐えて相対化し、要は「慣れて」行けば、ついには何も怖くないという境地、まさしく苦しみからの解放がやって来るのではないかという見通しも、Mさんと共有した。しかし自分は別に、そのような悟りじみた境涯に至りたいとは思わない、もう苦しみや不安は、あまり過度にならなければあって良いと今は考えている。

 その後、二〇一六年七月三一日。小池百合子都知事が当選した際の東京都知事選の日である。雨のなか、投票に行って、濡れそぼって帰ってきている。それを読むと時刻は正午前、散歩に出ることにした。玄関の鍵をジャージのポケットに入れ、上階に行って黒い靴下を履き、洗面所に入るとまず寝癖を整えた。それからついでに風呂も洗ってしまってから、出発である。日の照る快晴で、と言って雲もあり、西の山稜によって生まれた空の段差を埋めるようにして山際に走っているが、太陽の広がる高みまで達するほどのものは一つもない。坂を上って行きながら一軒の庭に生えた低木の、葉のことごとくに光が宿って微風に揺らされては白い光点が明滅しており、まるでクリスマスの時期に家を彩るイルミネーションのよう、天然の電飾が生まれているわけだと見ながら過ぎた。道からちょっと下った窪地にある紅梅の、香るようなピンク色にも目を向けながら上って行き、裏路地を進む。桜と変わらないような淡く、和菓子のような薄紅色の梅が途中、林の縁にあるのを前日目に留めていながら書き忘れていたが、この日通ると、道に射した陽光の明るさで、暗がりにある梅の木の色ははっきりとは窺えないほどだった。街道の横断歩道を渡って緩く坂になった細道を上って行くと、分厚い風が正面から吹いてきて、そのなかをくぐるようにして受けながら行くけれど、寒さに結実するほどでない。むしろ、背は常に照らされていて暖かく、服の内には風によって際立たせられた汗の感覚が滲んでいるくらいである。墓場に立ち並ぶ墓石の表面に、こちらの歩みに合わせて空の青さが映りこんでいき、敷地の端の白梅は今日もポップコーンのような花を灯している。保育園を過ぎた頃、ダウンジャケットとジャージに守られた腕の表面に湿り気を感じ、ファスナーを下ろしてジャケットの前をひらいたが、それでもやはり体温の冷えることはなく、かえって爽やかで心地よいほどだった。駅を過ぎ、街道に出て渡るとしばらく行って、この日は家に続く林中の階段は取らず、もう少し先で木の間の坂道に折れる。鴉の声が背後から立つなか、地面に転がった乾いた葉を踏みつけて、crispという英単語で表すにぴったりなかさかさとした音を立てながら下りて行った。
 帰宅。食事。日本ハムのサラダチキンの類を電子レンジで一分加熱。その他、米と即席の味噌汁。新聞を読まずに黙々と食べ、皿も洗って自室へ行くと、fuzkue「読書日記(121)」を読むBGMはBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』。一月二四日まで二日分。そうしてその後、「記憶」記事も読みはじめたところで、帰ってきた母親が部屋に来て、布団を入れてくれと言うものだから了承して音楽を流しっぱなしのまま上階に行き、ベランダの柵に掛かった布団を二つ持ち上げ、折り畳んではベランダのほかの洗濯物のあいだを苦労して通り抜け、仏間に運んだ。そうして、母親がチョコレートの今川焼きと苺を買ってきたと言うので、それらを頂くことに。今川焼きを一分間、レンジで加熱し、箸で切り分けるととろとろのチョコレートがなかから溢れ出してくるそれをつまむ。苺も頂くと皿は水に浸けて放置し、下階に戻った。音楽はアルバムも佳境、"Just Like A Woman"が掛かっているところだった。最終曲、"Knockin' On Heaven's Door"の流れるなかで「記憶」記事をぶつぶつと音読する。Bob Dylanが終わると音楽は『The Jimmy Giuffre 3』へ。そうして二時過ぎを迎え、そこから日記を書き足して二時半を回る。
 上階に行った。既に取り込まれたであろう洗濯物のうち、アイロンを掛けるものがあれば掛けようと思ったのだった。しかし居間に着いてみると、ストーブの前に乱雑に置かれた衣服やタオルのうち、アイロンを掛けるようなシャツなどは特段見つからない。それで何となくストーブのタンクを持ち上げてみると軽かったので、石油を補充しておくことにして外へ出た。母親は家の前を掃き掃除しており、父親は林の奥に入ってチェーンソーを操って木を伐っているようだった。勝手口のほうに回って石油の保存されている箱を開け、ポンプの先をタンクの口に差し込む。つい先ほどまでは晴れていたのだが、今は薄雲が空の全体を、ところどころにほつれて隙間から覗く青さを残しながら覆って、光の感触は失われていた。補充を終えると室内に戻り、タンクを戻しておいて自室に帰った。そうして、Ernest Hemingway, Men Without Womenを読む。コンピューターの前に座って、折に触れてインターネットの辞書サイトで英単語を検索したり、また邦訳を参照したりしながら三頁読み進めたが、Hemingway程度の簡易な英文でそれに四五分も掛かっているのだから遅すぎる。それから一〇分間、「偽日記」の最近の記事――大江健三郎『晩年様式集』に触れたもの――を読み、それから寝床に移った。岡本隆司『中国の論理』を読もうとしたのだが、緩い眠気が差しており、読書ノートに記してあるメモを読み返したのみで自ら力尽きて目を閉ざし、そこから断続的に、七時過ぎまで眠ることになった。はっきりとした意識を取り戻すと新書を手に取って、布団にくるまったまましばらく読む。そうして七時四〇分になると食事を取りに上階に行った。母親に寝てたの、と訊かれたので、ああ、と答えると、彼女は呆れたような笑みを漏らした。米・豚肉や人参やピーマンの炒め物・茄子の味噌汁・胡瓜やモヤシのサラダ・煮豆のメニューである食事は。卓に就くと夕刊をひらいたが、特に読みたいと思う記事は見当たらなかった。テレビは、『こんなところに日本人』というやつだろうか、世界各地の辺鄙な地域に住む日本人を尋ねていく番組を映していて、この日の現場はイスラエルのゴネンという村だった。そこの役場で経理の係をしている四八歳の女性が取り上げられるのだが、キブツの一員として認められていると聞いて、ほう、キブツね、と思った。社会主義的な農業共同体としてのキブツの実態――今はもうそこまで共産主義・共同主義的な生活形態を取ってもいないのだろうが――については、多少の興味がないでもない。彼女は、二八歳まで普通にOLをしていたのだが、転職までの空き時間を利用して、外国人ボランティア制度に則ってイスラエルのゴネン村にやってきたところ、長閑な雰囲気が気に入って帰りたくなくなってしまい、そのまま居着いて二〇年になると言う。イスラエルの対パレスチナ関係などについてはどのように思っているのだろうと思った。彼女がゴネン村にやってきたのは一九九九年、その頃は情勢も不安定なところはなかったと言うので、第二次インティファーダはあれは何年だったか、二〇〇一年のことだったろうか、などと考えながら見ているとしかし、一番大変だったこととして、二〇〇六年のレバノン侵攻が挙げられた(怖いね、と母親が呟く)。その際には、彼女の自宅からもミサイルか何か打たれて白煙の昇っている様子が撮影されたと言う。そのような番組を見ながらものを食べ、食器を洗うとすぐに入浴に行った。風呂のなかでは今しがた見た番組の内容を反芻したり、散漫な、どうでも良いような物思いに流れていったりして、出てくるとドライヤーを使って髪を乾かし(曇った鏡が熱風によって段々とその明度を取り戻していく)、ジャージを持って洗面所を抜け、ソファの上に衣服を置いておくと自室に帰った。それでCharles Mingus『Pithecanthropus Erectus』を流しながら「記憶」記事から、ムージル「静かなヴェロニカの誘惑」のなかのバーナード犬の完璧な描写を読み返すのだが、ぶつぶつと呟いている最中に母親が戸口にやってきて、見ればストーブのタンクを持っている。下階の、両親の部屋の小さなものである。なくなっていたと言うので、入れろということだなと察して受け取り、上階に行くと、サンダル履きで玄関を抜けた。夜気は思いの外に冷たくはなかった。勝手口のほうに回り、もう一つ、上階の露芯式ストーブのものと合わせて灯油を補充すると、出てきていた母親に片方(下階のもの)を渡して室内に戻り、タンクを機械本体に収めておいて室に帰った。それからまた「記憶」記事をちょっと音読してからここまで二〇分で書き足し、九時四五分を迎えようとしている。
 そうして一〇時直前から岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』を読みはじめ、就床前まで読み続けることになったのだが、その終わりのほうは記憶がいまいちはっきりしない(読書時間を記録しないままに眠ってしまったのだ)。菊地雅章『Sunrise』をBGMにして寝床で布団にくるまりながら読んでいたのは確かだ。零時を越えた時計も一度見たような記憶がうっすらとあるから、多分そのあたりで力尽きて書見を切り上げ、おそらく零時半までには眠りに入ったのではないか。


・作文
 10:49 - 11:18 = 29分
 14:06 - 14:34 = 28分
 21:22 - 21:43 = 21分
 計: 1時間18分

・読書
 11:28 - 11:48 = 20分
 12:38 - 13:08 = 30分
 13:19 - 14:06 = 47分
 14:53 - 15:37 = 44分
 15:40 - 15:50 = 10分
 15:51 - 16:00 = 9分
 19:15 - 19:38 = 23分
 21:00 - 21:22 = 22分
 21:54 - 24:10 = 2時間16分
 計: 5時間41分

  • 2018/2/12, Mon.
  • 2016/7/31, Sun.
  • fuzkue「読書日記(121)」; 1月24日(木)まで。
  • 「記憶」; 14 - 16, 34 - 46, 58 - 59, 47 - 50
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 20 - 23
  • 「偽日記」: 2019-02-06; 2019-02-07; 2019-02-08
  • 岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』: 116 - 191

・睡眠
 1:55 - 10:20 = 8時間25分

・音楽

2019/2/11, Mon.

 一一時過ぎまで長く寝床に留まってしまう。睡眠時間は一〇時間以上の長きに渡った。外は曇り空。一一時二〇分になってようやく起き出し、ダウンジャケットを羽織ってコンピューターを起動させる。Amazon Affiliateにアクセスしてみると、前日のクリック数は二六と急増していた。リンクは本文中にテキストリンクの形で組み込んでいるのみなので、これだけクリックされているということは、断片的にであれ、意外と自分の文章を読んでくれている人がいるのかなと思った。それから上階へ。階上に動きの気配がなかったので両親は揃って出かけたのかと思ったが、階段を上って行くとストーブの駆動音が聞こえ、母親はテーブルにじっと就いてタブレットスマートフォンか何か弄っていた。食事はおじやだと言う。ほかには安っぽいピザ。おじやをよそって電子レンジに突っ込み、そのあとからチキンの乗ったピザも切り分けてやはり温める。その他、ほうれん草にゆで卵である。新聞から自民党党大会の記事を読みながらものを食べ、薬を飲み、皿を洗って自室に戻った。FISHMANS, "なんてったの"をリピート再生させながら前日の日記を書き出したのが正午ちょうど。Hemingwayからの英単語メモを作成し、僅かに書き足して投稿。投稿に際してその日触れた本や音楽についてAmazonへのリンクをいちいち作っていかなければならないのがなかなか面倒臭いが、これも金銭的利益のためである(もっとも今のところ、クリックされているのみで紹介料が入る気配は一向にないが)。そうしてさらにこの日の記事をここまで書いて、一二時四〇分を過ぎている。散歩に出ようかどうしようか。またコンビニにでも行ってポテトチップスでも買ってくるか。
 コンビニに行くことにした。上階に行き(父親はソファに就いてテレビの、『まんぷく』を見つめている)、短い灰色の靴下を履きながらコンビニに行ってくると言って、何か買うものはあるかと訊いたが特にないようだった。出発。曇りの日である。それでも風は、ないではないがほとんど流れず、寒さに震えるほどでもない。道の脇の上方、林の縁に生えている色の赤い葉と南天の実を見上げながら通り過ぎる。市営住宅前は先日工事をしたばかりでアスファルトが滑らかに、綺麗になっており、道の端の白いブロックも新しくなったようだ。坂を上って行くあいだ、日記を金にすることについて考えていた。自分の日記など大した文章でもないが、fuzkueのAさんが『読書の日記』を出版し、またメルマガにもして「日記」というフォーマットにおいて勝負をしているように、自分の日記もこの先ずっと書き続けていれば、いつかいくらかでも金を生むチャンスが巡って来ないとも限らないだろう。ただそうした場合に自分はやはり、出版する気にはなれないと言うか、金を払って読んでもらうほどのものではないだろうこれは、という気持ちがある。無料で読めること、インターネットの片隅に金を払わず誰でも読めるにも関わらずそれを好んで読む人種など極端に乏しいであろう長文の日記が、巨大生物のように畸形的にごろりと生のまま転がっている、やはりそういう状況こそが面白いのではないかと思うのだ。勿論、出版という形で書店に並べたり、メジャー・シーンの流通に乗せることのメリット(と同時にデメリットと言うか面倒臭さ)というものもあるに違いないとは予想するのだが、しかしやはり無料であること、これが譲れない部分である(もっとも、今のところ出版の話など来る気配はまったくないので、いらぬ心配と言うか、取らぬ狸の皮算用だが)。その点アフィリエイトという仕組みは良い、アマゾンへのリンクを作ったからと言って読者が日記本文を読めなくなるわけではないにも関わらず、同時にこちらにも幾許かの金が入ってくる可能性が生まれる、これは有り難い仕組みである。
 そんなことを考えながら行く裏路地には、車は、停まってはいるけれど走ってくるものはなくて、人通りも見られず、あたりの家々からも住まう人の気配はまったく立たない、静かな曇天の昼下がりである。あるのは鳥の囀りだけだ。その静けさもしかし、表に出るまでのあいだの話であって、街道に出れば車は終始流れているし、ランナーが走っていたり、休みの日にも関わらず出勤するらしいスーツ姿などもある。西方のコンビニに向かう。ガソリンスタンドは今日も暇なようで、車も入らず橙色の制服姿の店員がポケットに手を突っ込んで、手持ち無沙汰に動かず突っ立っている。歩いているとこちらのすぐ脇を掠めて小学生の乗った自転車が追い抜かして行き驚いたが、彼女もやはりコンビニに入っていった。入店。籠を取り、まず飲むヨーグルトの小さなパックを一つ、それに三個セットの豆腐を取る。さらにバナナを買いたいと思ったが、見れば一つ三〇〇円もして高いので却下。ほか、冷凍のたこ焼き、アイス、ポテトチップスなどを籠に収めて会計。高年の女性店員を相手に金を払い(一二〇六円)、退店。暇そうなガソリンスタンドをふたたび過ぎて、裏には入らず表通りを行く。消防団の待機所に差し掛かると、ちょうど救急車が出動していくところで、けたたましいサイレンが鳴り、動物の耳のような赤いランプを点滅させながら、救急車、左に曲がります、という匿名的な女性の声のアナウンスが繰り返され、白い車はそれほど急がずに走り去って行った。Yの前を過ぎながら、今度ここに食べに来てみようかなどと考える。ここはこちらの同級生の実家で、彼は今何をやっているのか知れないが、この日の昼だったか前日だったかに聞いたところでは、彼の祖母が亡くなったのだと言う。それで店に入ったところを想像して、ご愁傷様ですと告げている自分の姿や、去年は鬱病に掛かりましてと事情を説明している様子などを妄想しながら街道を歩いて行った。表通りをずっと歩いて行き、今日もまた林に入ろうと細道に折れる。前日遭遇した弱ったメジロはどうなったのだろうかと思いが浮かび、あの時鳥を保護した男性にまた会わないかとも考えていたが、さすがにそんなことはなかった。この先通り抜けできませんの掲示を無視して林のなかに立ち入り、乱雑に設置された階段や積もった落葉を踏みしめながら下りて行く。ところどころ、地中に埋まりながら少々顔を出している木の根が階段の代わりになる。そうして林中を下りて行き、帰宅すると買ってきたものを冷蔵庫に入れて自室に帰った。
 買ってきたチョコレートとバニラの混ざったワッフルコーンを食いながら、Mさんのブログを読む。さらに引き続き、ポテトチップス(うすしお味)も食いながら、時折りティッシュで手を拭きつつ読み続ける(一気に一袋平らげてしまって油を多量に摂取し、胃に負担が掛かったせいか、七時近くなった現在も全然腹が減っていないし、何だったら頭痛の芽が少々兆している)。読んでいるあいだに最新の記事も更新されていたのでそれも読み、それから自分の過去の日記も読み返し。一年前は特に注目すべき記述はない。二〇一六年八月一日からは描写をちょっとTwitterに引いたはずだが、どんなものだったのかはもはや覚えていない。そうして二時である。そこから、ブログの記事を遡ってアマゾン・アフィリエイトのリンクを作っていくということを始めたのだが、これに大層時間が掛かった。大雑把に読み返して本や音楽の作品の名前を見つけつつ、アマゾンのサイトで当該作品を検索し、テキストリンクをボタン一つクリックして作り、はてなブログの記事作成画面に戻って本文中にリンクを組み込む――という作業を無数に繰り返すのだから、時間が掛かるのも当然である。BGMがなくてはやっていられない。音楽は、Mal Waldron『The Quest』小沢健二『刹那』(リンクを作りながらほとんど全曲歌った)、Mr. Big『In Japan』(こちらも時折り口ずさんだが、全体的に音域が高いので細い声しか出ない)、Junko Onishi『Musical Moments』と移行して、五時過ぎまで続けた。同じ作品を何度も検索してはそのたびにリンクタグをコピーしてペーストしなければならないので面倒臭いが、必死である。これも金のためだ。それで五時を越えて、そろそろ食事の支度をしなければならないのだが、このまま一月一日までリンクを作成してしまいたい、今日は母親に任せて怠けてしまおうかとちょっと思っていたところが、天井が鳴って呼ばれるのでそうも行かない。しかしさすがに、コンピューターから離れたくもあったのでちょうど良いところではあった。FISHMANS『ORANGE』のCDを持って上階へ行くと、煮物と汁物はもうやったから、あとははんぺんを焼いてくれと言う。了承し、台所に入ってラジカセでCDを掛けはじめると、まず残っていたピーマンを一つを半分に切り、種を取り除くとさらに半分に切って四等分した。それからエノキダケも切り分け、最後にはんぺん二枚をそれぞれ三等分して六つに分ける。そうしてフライパンにオリーブオイルを少々垂らし、その上からさらにバターの欠片を落として加熱し、脂が伸びると網目状に切り込みを入れたはんぺんを敷いた。蓋をして加熱する一方でほうれん草を絞って切っていたのだが、もう焦げているんじゃないと母親がフライパンのほうを見て開けたところ、確かにこんがり、と言うよりは少々強い程度に片面が焦茶色に染まっており、少々火が強すぎたようだ。それで火力を弱めてピーマンやエノキダケも加えて、時折り蓋を開けてフライパンを振りながら熱して、合間に大根や人参を器具を使ってスライスし、既に作られてあった生野菜のサラダと混ぜて、仕事は感嘆に終いである。そうして自室に帰ってくると、Junko Onishi『Musical Moments』を引き続き流しながらアマゾンのリンク作成に戻った。ひとまず今年に入ってからの分、一月一日の記事までリンクを施すつもりでいたが、まもなくを終わりを迎えると、その時掛かっていたのは『Musical Moments』に収録された最終曲、"So Long Eric"ほかの一六分にも及ぶメドレーのライブ音源で、これは多彩な技を駆使した素晴らしい演奏なのでジャズ好きは聞いたほうが良い。そうしてその後はJunko Onishi『Tea Times』にBGMを移行しつつ、ぴったり六時から日記を書きはじめて、四五分を掛けて現在時にまで追いつかせた。
 それからgmailにアクセスして、fuzkueの「読書日記」を読む。以下の描写が良かった。

目の前には梅の木があり小さな鳥が飛来して、その気配というかはっきりした枝の揺れる音で気づき目を向けると鮮やかな赤い実をくちばしに挟んでいる、と認識した瞬間にお尻からピュレみたいなものが垂れたのでフンをして鳥の排便はこんなにもシームレス、と思って鳥をそのまま見ていると赤い実が飲み込まれて、と思っていると目がなにかを感知して焦点を手前にずらすと梅の木に薄い淡い灰色がかったピンク色の芽が小さくついていることがわかって花が咲こうとしている。
 (fuzkue「読書日記(121)」; 1月22日(火))

 「鳥の排便はこんなにもシームレス」という読点で止まる一言のリズムが特に良いと思うが、「シームレス」というのはこの部分の描写全体にも通じる形容で、「~~すると~~」という形が連続して複数用いられることによって、全体の描写が滑らかに繋がり、鳥の食事から排便、視点をぐっと手前に引きつけての梅の花への焦点の集中まで、一続きの動きが流暢に推移される。その滑らかさは、さらにはこの箇所だけでなく、A氏の綴る「読書日記」の全体に備わっている性質だとこちらには感じられる。細かな読点を伴う「シームレス」な「小気味良い滑らかさ」というものが、彼の文体を考える時の一つの主旨となるのではないか。
 読書日記を七時過ぎまで読むと上階に行った。両親は並んで炬燵テーブルに入り、既に食事を取っていた。こちらは腹があまり減っていなかったので、先に風呂に入ることにした。それで仏間の箪笥から下着を取り出し、寝間着と合わせて洗面所に持って行き、服を脱いで裸になって浴室に踏み入った。風呂に浸かりながら、何を考えたのだったか――まあどうせ、大したことなど考えてはいない。出てくると食事である。米・焦げ色のついたはんぺん・サラダ・白菜などの入った味噌汁。新聞の国際面を読もうと努力しながら、はんべんやエノキダケをおかずにして米を食う。テレビは何だか良くわからないが、明石家さんまがMCを務める番組で、オリンピックに出場するようなレベルのスポーツ選手たちが何人か出演していたようである。そのなかの一人に、岡崎朋美という人だったと思うが、スピード・スケートの選手があって、結婚と出産を経験して四二になってもオリンピック出場だか何だかを巡る大きなレースに参加したという話である。結局そこでは成績が振るわず、引退ということになったのだが、そうした物語を見ながら炬燵の父親が、酒を飲んで感情が高ぶりやすくなっていたこともあるのだろうが、赤い顔で涙ぐんでいるようで、うんうん頷きながら、感激を表すちょっと引きつるような高い声など漏らしていて、最大公約数的な物語に対するこの途方もない弱さは一体何だろうな、と少々驚きながら思った(ちなみに母親のほうは特に感激するでもなく、父親の隣で静かにテレビを追っていた)。しかし、そのほうが――そうした最大公約数の領域に何の衒いも抵抗もなく準ずることが出来たほうが――幸せなのかもしれない。それで食事をさっさと済ませて食器も洗うと早々と居間を去り(冷凍庫からチョコクッキーのアイスを取り出し、母親と分け合った)、コンピューターの前に座ってアイスを食い、さらにはポテトチップス(コンソメパンチ味)も貪りながら岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』を読んだ。BGMはKate Bush『The Kick Inside』。ポテトチップスを食い終えると手を拭き、コンピューターの載っている白いテーブルの、機械の横に読書ノートを置いて、『中国の論理』を今まで読んだ部分に遡って吟味し、書き抜こうと思う箇所や覚えたいと思う箇所をメモしていった。このメモを取っている読書ノートを、本当は毎日、読書の始めにでも読み返すようにしたほうが知識を定着させる面では良いのだろう。そうして九時過ぎまで一時間。そこから、Keith Jarrett Trio『Standards Live』に音楽を切り替えて、「記憶」記事を読む(Jarrett Trioを流したことをTwitterで呟くと、Dさんという方からリプライがあったので、少々やりとりをした)。一時間半掛けて、最新の項目まで読むとともに『「ボヴァリー夫人」論』や三宅誰男『囀りとつまずき』などから新しく引用を加えておき、それらも読んだ。かくして四〇番から最新五六番までと一二番、一三番。一体こんなことをして意味があるのだろうかと思わないでもないのだが――実際に知識はついてきているのだろうか? まあ、大津透『天皇の歴史1』から得た『古事記』の記述など、先日のMさんとの話の場でも多少披露できたので、そのあたりは頭に入っているようだが――ともかく、そうして一〇時半を迎え、流れていたBlankey Jet City『Live!!!』に乗りながら("胸がこわれそう"や"RAIN DOG"が格好良い!)日記を記した。一一時。
 短歌を三つ、適当にぽんぽんぽんと作った。

 一杯のきれいな水が欲しいのに手に入るのは雨の尨犬
 明け方にクリーム色の夢を見て破壊衝動堪えて眠る
 どぶ板のハツカネズミとダンスして月の写像へ向けて宙返り

 それから読書、岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』。ヘッドフォンでBob Dylan『Live 1975: The Rolling Thunder Revue Concert』を聞きつつ、コンピューターの前に座り、読書ノートに断片的な記述を写しながら進める。途中、零時を回った頃にLINEにログインするとグループで新しい会話がなされていた。一七日に皆で集まることになっているのだが、その際、スタジオに入ろうという話であった。Tらが作った"COSMO"という曲があるのだが、それをやるようで、場合によってはこちらも演じてくれたらなどと言うのだが、ギターを整備して練習するのはちょっと面倒臭い。しかしせっかくの機会なので取り組むに吝かではないけれど、そのためにはまず立川に出向いてギターの弦とシールドを新たに調達してこないといけないわけで、これもちょっと面倒臭くはある。こちらは遊びでブルースができれば満足だと呟き、また、途中で"Smoke On The Water"をやろうぜと提案し、T、ボーカルね、と彼女が歌えるかどうかなど考慮せずに押しつけた。最初は遠慮していた彼女だが、そのうちに音源を聞き出して、歌おうと言われた曲は勉強になるからなるべく歌うようにしている、練習してみるねと殊勝な姿勢を見せてくれた。そのあたりまでやり取りすると時刻は一時過ぎ、コンピューターを閉ざしてベッドに移った。そうしてまたしばらく、岡本隆司『中国の論理』を読み進めて、二時前に就床。眠気はあまり差していなかったが、問題なく入眠できたようだ。


・作文
 12:00 - 12:42 = 42分
 18:00 - 18:45 = 45分
 22:31 - 23:04 = 33分
 計: 2時間

・読書
 13:28 - 14:06 = 38分
 18:53 - 19:08 = 15分
 20:01 - 21:06 = 1時間5分
 21:06 - 22:31 = 1時間25分
 23:20 - 25:03 = 1時間43分
 25:12 - 25:53 = 41分
 計: 5時間47分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 「瓶詰めの手紙を読まず火をつけるおれは赤犬火文字よ踊れ」; 「現実がダイヤモンドを模倣するあまねく価値をいま推理せよ」; 「はじまりは匿名希望の路地裏で寝言で返歌できる程度の」
  • 2018/2/11, Sun.
  • 2016/8/1, Mon.
  • fuzkue「読書日記(121)」; 1月22日(火)まで。
  • 岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』: 59 - 116
  • 「記憶」; 40 - 56, 12 - 13

・睡眠
 0:35 - 11:20 = 10時間45分

・音楽

2019/2/10, Sun.

 一〇時四〇分起床。快晴と言って良いだろう陽射しが寝床に射し込んで顔を舐めていた。ダウンジャケットを羽織って上階へ、階段に掛かるとちょうどその上に青いウインド・ブレーカー姿の父親があった。おはようと挨拶をして居間に出て、服を早速ジャージに着替える。それから便所で排便し、出てくると食事は煮込みうどんを作るので待ってくれと母親に言われたので、そのあいだにもう風呂を洗ってしまった。そうして新聞を読みながらうどんが出来るのを待ち、完成を知らされると丼によそって食べながら引き続き新聞記事を読む。新聞からはまず一面の、「シナイ半島 陸自派遣へ 停戦監視 春にも 司令部に2人」の記事を読んだ。「政府は今春にも、エジプト東部のシナイ半島イスラエル、エジプト両軍の停戦監視にあたる多国籍軍監視団(MFO)に陸上自衛隊を派遣する方針を固めた。2016年3月施行の安全保障関連法で新設された国際連携平和安全活動を適用する初めてのケースとなる」。「計画では、陸自隊員2人をシナイ半島南端のエジプト・シャルムエルシェイクの現地司令部に派遣する」。「MFOは中東戦争後、エジプトとイスラエルが1979年に締結した平和条約を受けて82年からシナイ半島に展開している」。続いて同面、「米、日韓と連携確認 ハノイ米朝会談へ」。そうして二面、「親トランプ紙と対立 アマゾンCEO 「脅しに屈しない」」、「慰安婦問題 韓国議長が持論 天皇陛下の謝罪「望ましい」」。さらに四面、「自民「改憲ムード」醸成へ 推進本部会議 「統一選・参院選で議論を」下村氏」に、「維新「国会で改憲論議主導」 19年活動方針 参院選へ差別化狙う」。そこまで読んで食事を終え、抗鬱剤ほかを服用し、皿を洗うと自室に下りた。時刻は正午直前、日記に取り掛かる。前日の記事を速やかに仕上げ、アマゾン・アフィリエイトのリンクもいちいち作りながら(昨日のクリック数は六回だった)ブログに投稿し、それからこの日の記事を書く前に、そう言えばシューアイスがあったなと食べたくなって、ついでにゴミを整理しようと燃えるゴミの箱を持って上階に行った。両親は食事を取り終えていて、母親はテーブル、父親は台所に立って洗い物をしていた。ガトー・ショコラがあるから食べればと言うので、ゴミを台所にゴミ箱に合流させたあと、一切れ取り分けて貰った。ゴミを整理していると、お前今日はまたどこか出かけるのと父親。予定はないと言うと、あとで手伝ってくれないかと。林の竹が雪で倒れそうになったのを切りたいのだが、そのあいだ、車が来るか来ないか見張っていてほしい、というようなことらしかった。了承し、シューアイスを齧りながら自室に帰ってきて、FISHMANS "Walkin'"をリピート再生させていたのをFred Hersch『Alone At The Vanguard』に音楽を変えて、ここまで記して一時前である。
 二曲目の"Down Home (Dedicated to Bill Frisell)"が流れているのを最後まで聞いてから(譜割りが良くわからない、コーラスの最終部でそれまでよりも一小節かそこら長くなっているのか?)、上階に行き、短い靴下を履きながら散歩に行ってくると両親に告げた。そうして出発。道に出ると同時に風が吹いており、路上には膿んだ傷口のような水溜まりがひらいて、ところどころ白い筋が差し入れられている。その雪の残滓の上に靴を乗せて擦ってみたりしながら西へと向かう。空は薄雲が全体に混ざってビロードの膜に包まれたかのように淡いが、太陽は眩しく、先日まで道路工事をして溝を掘っていた市営住宅の前の道に白く反射する。坂を上って行くと脇の家の敷地に紅梅が一つ立っており、隣の木は白い裸木で、周囲にはあとは常緑樹や薄緑色の竹ばかりのなか、陥穽のようにしてピンク色に彩られているのが色鮮やかだった。風の多い日で、樹々のあいだを歩いていると、右方から葉擦れが聞こえたかと思いきや次の瞬間にはまた左から響いてくる。背後の遠くに膨らむ音に、車がやって来たのかと勘違いして道の脇に寄るという場面もあったが、それでも不思議と路上には風はあまり吹かず、身に強く当たってくることはなく、路傍の樹々から樹々を渡るように流れていた。表に出て通りを渡り(白梅の木が、一つ一つが泡であるかのような花を灯しており、全体として輪郭線が丸みを帯びてまとまりながら直上に向けて突き立った姿形が燃え上がる炎のようにも見え、道の上には花びらの断片が米粒のように散っている)、もう一度細道に入って緩い坂を上っていると、ここでは風が正面から冷たく厚く吹き当たってくるのは、横が斜面になっているからやはりそれに象られて道を埋めるのだろう。墓場の片隅に生えた白梅を見上げて過ぎながら、今度はその花弁の曲線を帯びた形が、ポップコーンのようだと思われた。道の先の保育園からは子供たちの燥ぎ声が聞こえてくる。敷地の縁の、骨組みだけになった枝の先を鋭く天に向けた銀杏の木の上に小鳥が何羽も止まっているその下を過ぎ、裏路地を行くあいだ、今度は風が乏しくて西に向いた背に温もりが宿り、足もとには太陽に写し取られた影が浮かんで、それは先日の宵の散歩道で見た電灯による影とは違って歩を進めても伸びてもゆかず薄くもならず、ただ一定の形と色を保ちながら先導するかのように足の下に終始ついてくるのだった。駅を過ぎて街道に出て、途中で通りを渡り、また林のなかを抜けてみようと細道に入ると(それまで分厚い風が吹きすぎて顔に冷たかったのが、裏道に入ると建物に遮られてぴたりと止んだ)、高年と言ってよいだろう年嵩の男性がおり、どうしたんだと思う、などと突然訊いてくる。何かと思えば地面の脇に明るい緑色の、毬藻のような塊があって、一瞬遅れて鳥ですか、と気づいた。メジロだった。動かない、あるいは動けないでいるのを男性は怖じず、片手で掴み取って憐れむような声を出しているのに、怪我をしちゃったんですかねとこちら。メジロをこれほど間近で見るのは初めてだったが、その緑色の、かき氷の上に掛けるシロップのように原色めいて鮮やかで、指の先で恐る恐る体に触れると毛が柔らかくふわふわとしていた。左足が変だと男性は言う。横に寝かせてみれば彼の手指を掴んでくるが、姿勢を直して縦にすると、うまく踏ん張れないような感じだった。じきに男性は、ここに放置しておくわけにも行かないから、箱のなかに入れておいてみるか、そうすれば自然に飛び立つかもしれないと言うので、こちらは、任せちゃっていいですか、どうもすみませんと言って別れた。やはり外に出て散歩をしていると、思わぬ遭遇、書くべき時間があちらから飛び込んでくるものである。そうして林のなかに入ると途端に烈しい風が走って、あたりの四方八方に水の流れが生まれたかのように樹々全体がばたばたと鳴りを立てるのに、これは凄いなと思わず立ち止まって耳を張るようにしていた。
 帰宅して居間に入ると母親が、父親を手伝ってあげるようじゃないと言う。こちらももとよりそのつもりだったのだが、父親の姿は家内にはなく、窓から見てみれば既に林の方の敷地に出ていたので、こちらも玄関を抜けた。しゃがんでパンジーの花を弄っていた彼は、こちらが近寄っていくと立ち上がり、林の竹を切りたいが、道の先から車が来ないかどうか見て、合図を出してくれと言う。了承し、林からちょっと離れて道路の途中に出ると、父親は斜面になった竹林のなかを身軽に上って行き、樹々の合間から顔を出した。そこでこちらは両手を頭上に掲げて丸のポーズを作り、父親がチェーンソーを操作して竹を切り倒す。うまい具合に道路にはみ出ず、敷地の入り口を縁取るように倒れた。もう一本な、と父親は言い、同じようにこちらは合図を出して二つ目が切り倒されると、横倒しになったものに近づいて行く。父親が斧あるいは鉈を持って枝を、かん、かん、かん、と小気味良い音を立てながら切って処理していく。その枝をこちらが集めて林のほうに捨てに行くのだが、薄緑色の葉っぱが大量についている枝を何本も集めて持っていると、吹く風がそれに当たってちょうど枝葉が扇のようになって遮られ、腕にぐっと重みが掛かるのだった。途中で勝手口から顔を出した母親が、こちらが素手で作業しているのに、それじゃあ出来ないでしょと言って軍手を持ってきてくれた。それをつけて引き続き枝を集めては捨て、終わったところでありがとうと言われたので室内に戻ることにした。しかしその前に、家の前まで来るとあたりに落葉が散っているのが目についたので、掃除しておくかと箒と塵取りを持ち、腰に負担の掛かる前屈みの姿勢で移動しながら枯葉を集めて、林の入り口に捨てた。
 そうして自室に戻り、日記の読み返しである。一年前の日記は不安に追い立てられてその反作用のようにして、手当たり次第に色々なことに感謝の情を感じており、それを尊いことのように書いていて今冷静になって読み返すと少々気恥ずかしい。二〇一六年八月二日の記事からは以下の描写を引いておこう。

 外に出ると既に雨は過ぎており、水気をはらみながら熱された空気が生暖かくて、腰のあたりに温もりがわだかまった。裏通りに入ってしばらく行き、足もとに目をやると、落ちる薄陽にアスファルトが白く照っている。路面を構成する骨材一粒一粒の作る微小な隙間に、光がいちいち入りこんでは宿ってあたりに無数の白さをばら撒き、それがこちらの歩みに応じてちらちらと絶えず身じろぎして路上の均一な固さを乱しているさまは、上空遥かから見下ろされた静かな海面の揺らぎにも似ていた。進みながら先に目をやると、女子高生が二人並んで歩いているその地点と自分とを繋ぐ道路が、光と水気の具合でか普段より色を稀薄にしていて、まるで空の色が垂れ落ちて広がったように薄青い。そこを過ぎて坂道の途中に出ると、路面から湯気が湧いており、立ちあがらずに地にぴったりと伏せて、右方の坂上から僅かな風に流されて這ってくる。道の見えない向こうに巨大なドライアイスでも仕掛けてあるみたいだと見ながら渡り、ふたたび裏通りに入った。空にはいつの間にか雲が減って、晴れ間が覗いている。街道に出てやけに空間が明るいと感じたのは、やはり濡れた路面が光を跳ね返しているからだろう。歩む足のすぐ傍には白点が群れ遊んで表面のざらつきが露わだが、進む先の道路は先ほどの裏通りと同じく、空を映したような淡青色を均一に塗られて微細な起伏を視認させずに緩く身を持ちあげながら伸びていて、まるで女人の背中めいたその滑らかさの上を走る車の鼻面に天の光が丸く集中すると、それが道にも映って薄衣のような白影が車の先に掛かるのだった。

 同日の記事をブログに投稿してまた一つ蓄積を増やすと、それからSさんのブログを読んだ。彼もこちらと自分のBill Evans Trioに対する感想が偶然にも一致していて思わず笑ってしまったと書いていたが、このシンクロニシティにはこちらも稀有なものを感じて、「二人の聴いている対象の同一性が、このことでぐっと前に出てきたような、我々の聴いているものは、たしかにアレに他ならないですね、やはり同じものを聴きとってしまいますねえ」というのはこちらの感慨でもある。そして、二つのブログ上において、記述の偶然による同一性から端を発した引用の相互交換による相互交感のようなものが発生しているのもまた今まで自分が得たことのない貴重な体験のように思われて、こうした状況を生み出してくれたSさんに対しては深く感謝したいと思う。それにしてもBill Evansの演奏の仕方について彼が言う、「弾くというよりも、置くというのか、残すというのか、中心を外すというのか」という言葉にはまさにその通りだと頷くものであって、まさしく彼は、音楽を弾くというよりも、音を「置く」プレイヤーなのだ、「配置」の人なのだと我が意を得たような感じになった。
 その後、「ワニ狩り連絡帳2」も読んだあと、「偽日記」でSさんの名前を検索し、そこを経由して「R.S.N」の二〇一〇年四月一一日の記事を読んだ。「いい加減、だらだらしすぎだ」で始まるこの日の記事は、確か二月五日の夜にMさんが絶賛していたものではなかったか? 引用――「運動神経とはまず第一に、集団の中でそれを人並みに発揮するためにあるもので、それは通行許可証のようなものだ。だから、それの披露に失敗するというのは、おずおずと差し出した申請が受理されないという事で、生まれてはじめて経験する社会的挫折だ」。「作品の価値はみな、例外なく、作者たる貴方がいつその場を立ち去っているかによって、きまってくるんですよ!」 そこまで読んで何となく、ギターを弾きたい気分になったので隣室に入って適当に弄り、戻ってくると今度は更新されていたMさんのブログを読んだ。自分の日記と見比べながら読んで、四〇分掛かった。そうして日記の加筆に入って、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を背景にここまで打鍵を進めて、現在五時八分を迎えている。
 食事の支度をしようと思い、FISHMANS『ORANGE』のディスクを持って上階に行くと、もう母親が済ませてしまったあとだった。早いじゃん、と言うと、父親が早く食べたがるからと言う。それでストーブの石油を補充してくれと言われたので快く了承し、タンクを持って玄関を抜けると隣家の前でTさんが掃き掃除をしている。こんにちは、とやや声を張って放ると、掃いてくれたのかなと訊くので、いやいや、と手を左右に振り、うちはやっていないよと答える(しかしどうやら、母親が少々やっていたようだ)。いつもすみませんねえと言うのにこちらも、どうもすみませんと返して勝手口のほうに上り、灯油をタンクに補充していると、林のほうにいて何かやっていた父親が家の前に戻ってきた。母親も出てきて、Tさんと何やら話をしていた。父親の横を通って屋内に戻るとタンクを戻しておき、そうして自室に帰ると、五時二〇分から六時前まで読書時間の記録がついているのだが、この時何を読んだのだったか? 「記憶」記事から大津透『天皇の歴史1』の記述を読んだのだったろうか。しかしそのわりに記憶がはっきりしないが――まあ良い、その後続けて一時間ほど読んだのは斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』である。しかし例によって、寝床で布団にくるまって読んでいると眠くなってきてしまい、一向に読み進まなかったので、意識を取り戻してからは床を抜けてコンピューターの前に座って読んだ。そうして七時直前に上階へ。父親は炬燵テーブルに就いて既に食事を取りはじめており、母親はテーブルでタブレットを弄っていた。夕食は米・野菜に豆腐に餃子が入ったスープ・おそらくセブンイレブンのチキン・薩摩芋・大根や人参などをシーチキンとマヨネーズで和えたサラダである。新聞を持ってきて、キューバ改憲に関しての記事を読みながら食べていたのだが、じきに父親に話しかけられたので読めなくなった。苺狩りにお前も行くかと言う。父親が明後日まで休みなので、そのうちのどこかで母親と出かけようと企画しているらしい。こちらは良いかなと答え、その後、昨日医者に行ってきたのだと報告した。活動的ですねと言われ、薬は前回は三週間分だったのが四週間になった。先日三日連続で出かけた時などは、朝だけ飲んで夜は外で食事を取ったので飲まなかったのだがそれでも問題なかったところ、しかしせっかく安定してきたところだから安全策を取って飲み方は朝晩で変わらずと。頭のなかで音楽が鳴るとか、言葉が聞こえるとかはまだあるのかと訊くので、まだあると。しかし、病前から頭のなかの独り言というのは自分にあっては通常のものだったし、今はまあ尋常の物思いの範囲内に収まっているだろう――それでもやはり、病前よりも精度や速度といった面で落ちるような気はするが――一年前の一月に自生思考が激しかった時には、今とは違っていて、とにかく言語が高速で頭のなかを駆け抜けていく、奔流を成していたのだとこれまでもした説明を繰り返した。あの時はやはり、完全に頭が何かおかしくなっていたのは間違いない。ただ、物凄い思考のスピードだったことも確かで、病気という形にならずあの速度・精度の思考をコントロールできていたとすれば、自分はもっと面白いことを色々と書けただろうとそんなことも考えてしまうが、しかしそれはまさしく無い物ねだりである。今はこうしてふたたび日記を毎日書けているのだからそれで充分なのだ。そんな話をしながらものを食べ、抗鬱剤ほかを服用しておき、食器を洗うと入浴に行った。「記憶」記事の内容を想起したりしながら湯に浸かり、出てくるとガトー・ショコラを一つつまんで下階へ、そうして八時二〇分から読書を始めた。まずふたたびムージル、『生前の遺稿』中、「Ⅲ 物語とはいえない物語」まで読むと、この本の読書は一旦中断することにして、岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』に移行した。三月三日のAくんらとの読書会では、この本と、小野寺史郎『中国ナショナリズム』(ともに中公新書)を読むことになっているのだが、二段組でなおかつ難解な記述のあるムージルにかかずらっていると、それまでに課題書をよめないかもしれないとの危惧を抱き、時間に余裕のあるうちに先に読んでしまうことにしたのだ。それで、Dmitry Yablonsky; Russian State Symphony Orchestra『Shostakovich: Jazz Suites Nos. 1 and 2 / The Bolt / Tahiti Trot』を背景に流しながら読み進める("Jazz Suite No. 2"中の"Dance 1"が良かった)。続いて音楽をDokken『Beast From The East』に移行させ、場所も寝床に移って身体に布団を掛けながらさらに読み進めた。ムージルと比べると文章が簡易で非常に読みやすく、新書であることも相まって頁はどんどん進む。しかしそのうちにまた眠気が出てきて、『Beast From The East』が終わりに近づく頃には本を置いて目を閉じていた。書見は一一時直前まで。それからTwitterを眺めつつ歯磨きをして、Valery Gergiev; London Symphony Orchestra『Prokofiev: Romeo & Juliet』を聞きながらここまで日記を書き足すと、日付替わりまであと二〇分となっている。
 寝床に移って、Ernest Hemingway, Men Without Womenの書見。結構分詞構文を使ったり、あるいは通常の構文でない、ちょっと省略的な形を使ったりして、コンマとともに長く繋いでいく文が見られて、そのあたりは何が主語になっているのかも結構わかりにくく、それは勿論こちらの英語力の貧弱さの問題なのだが、日本語訳を参照せずにがんがん読んでいこうと先日決めたばかりなのだけれど、やはりこれは大まかにでも邦訳を見ながら読んだほうが良いかなと意志を翻して、新潮文庫の高見浩訳を頻繁に見ながら進めた。しかしこの人の訳文はそこまで日本語として素晴らしい訳ではないような気がする(きちんと読んでみないとわからないが)。以下、英単語メモ。

  • 16: The critic looked up to see Zurito, directly below him, leaning far out over his horse, the length of the pic rising in a sharp angle under his armpit, ――armpit: 腋の下
  • 16: and the triangular steel point of the pic ripped in the bull's hump of shoulder muscle as he tore loose to find Hernandez's cape before his muzzle.――muzzle: 鼻面
  • 17: where the monos were leading a horse out by the bridle toward the bull, whacking him on the legs with rods and all, ――whack: ぴしゃりと打つ
  • 17: Zurito, sitting his horse, walking him toward the scene, not missing any detail, scowled. ――scowl: 顔を顰める
  • 17: The picador, now on his feet, swearing and flopping his arms. ――swear: 罵る
  • 17: And the bull, the great black bull, with a horse on his back, hooves dangling, the bridle caught in the horns. ――dangle: ぶらぶら揺れる
  • 17: There was a sheen of blood all down his flank. ――sheen: 光沢、輝き / flank: 脇腹
  • 18: The monos were spreading canvas over the two dead horses and sprinkling sawdust around them. ――sprinkle: 撒く / sawdust: おが屑
  • 18: Retana's man handed him the heavy porous jug. ――jug: 水差し
  • 20: But standing there he had a heavy sense of apprehension. ――apprehension: 不安、危惧

 零時半過ぎまで読み、眠気が差していたので早めに就寝。


・作文
 11:59 - 12:51 = 52分
 16:26 - 17:09 = 43分
 23:10 - 23:42 = 32分
 計: 2時間7分

・読書
 14:01 - 15:17 = 1時間16分
 15:42 - 16:23 = 41分
 17:20 - 17:57 = 37分
 17:59 - 18:56 = 57分
 20:22 - 22:52 = 2時間30分
 23:43 - 24:32 = 49分
 計: 6時間50分

  • 2018/2/10, Sat.
  • 2016/8/2, Tue.
  • 「at-oyr」: 「Einstürzende Neubauten」; 「誰男」; 「interplay」
  • 「ワニ狩り連絡帳2」: 「「1.26反原発集会」@三鷹・SCOOL」; 「2019-01-27(Sun)」; 「2019-01-28(Mon)」; 「「サスペリア」(1977) ダリオ・アルジェント:監督・脚本」; 「2019-01-29(Tue)」; 「2019-01-30(Wed)」; 「「山椒大夫」(1954) 溝口健二:監督 依田義賢:脚本 宮川一夫:撮影」; 「2019-01-31(Thu)」; 「2019-02-01(Fri)」
  • 「R.S.N」; 2010-04-11
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 「夜行バスの中でひとり冴えている I’m a boy I’m a boy」
  • 「記憶」: 51 - 52, 9 - 11, 34 - 39
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 90 - 104
  • 岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』: 4 - 59
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 16 - 20

・睡眠
 2:10 - 10:40 = 8時間30分

・音楽