2020/5/27, Wed.

 グレーゴル・ザムザは、カフカの読書体験から得られた名前であろう。ビンダーの研究によると、ヤーコプ・ヴァッサーマンのロマーン『若きレナーテ・フックスの物語』にグレーゴル・ザマッサ(Gregor Samassa)という人物が登場している。おそらくカフカは主人公の名前を決定する際に、この人物の名前を思い浮べたと思われる。ヴァッサーマンは彼が特に敬愛する作家で、しかもこの小説は当時よく読まれた作品であったから、なおさらその可能性が高い。けれどもカフカが安易に他の作家の人物名を借用したとは考えられない。読者に多義的な意味解釈を強いる彼は、名前に対しても重層的な意味を盛り込んだに違いない。ラジェクはザムザ(Samsa)という姓を、スラブ系言語の合成と考えている。Samはチェコ語で「ひとりで(allein)」あるいは「自分で(selbst)」の意味であり、saはスロヴァキア語の再帰代名詞で「自身(sich)」を表す。このsam sa(自分自身)をチェコ語だけで書くとsam seとなる。カフカチェコ語の意味をも踏まえて、ザムザと命名したのではないだろうか。彼がチェコ語を話せたこと、またそのチェコ語の意味が主人公の孤独な生活や、第一部での家族のばらばらな状況(但し主人公を除いて、最後に完璧な統一をみせる)に似つかわしいことが、その主な理由である。
 グレーゴルという名前は、前述したようにグレーゴル・ザマッサと関連があった。しかしこの場合にも、背後に重要な意味が隠されているように思える。グレーゴル(Gregor)はグレゴーリウス(Gregorius)に由来し、そのギリシャ語の意味は、「見張る人」である。確かに彼は変身後の自分の姿を、科学者のような目で精確に見ている。姓の意味と考え合わせると、グレーゴル・ザムザは「自分自身を見張る人」の意味になり、カフカは主人公の名前で物語の本質をある程度明かしたことになる。(……)
 (高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』鳥影社、二〇〇三年、167~168)



  • 九時のアラームでつつがなく覚醒。すぐに起床せず、頭や首筋の肉を指で押してほぐし続け、一〇時を回ってから床を離れた。食事を取りながら新聞を読むあいだもずっと首周りを指圧しており、むしろその時間を取りたいがためにさほど興味のない記事まで拾って情報収集を引き伸ばしていた節すらある。それでかなりたくさんの記事を読んだが、これらはあとで最下部に記録しておくつもり。
  • 正午過ぎから四時半までコンピューターを前にして大々的に怠けた。さすがにちょっと遊びすぎだろう。睡眠が六時間足らずだったためか、あるいはモニターを長時間見つめ続けたためか眠いようで、同時に脚もこごっていたのでベッドに移る。それで奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年)を読みつつ休もうと思ったところがあえなく意識を落としてしまい、母親が帰ってきても夕食の支度に向かえなかった。六時半にようやく拘束から解放されて上に行き、母親に謝ると素麺を茹でてくれと言うので作業に掛かる。まず洗い桶に大根をスライスし、レタスもちぎって散らして生サラダを拵え、それから大鍋で素麺を茹でて何度も流水にさらしながら洗えばもう七時である。ほかの品――天麩羅や、余った衣を焼いたお好み焼き風の料理や、モヤシを和えたサラダなど――は母親が既に用意してくれていたので、そろそろ食べはじめようと思ったが、あと一つ、自家製の小さな大根の葉が茹でられたまま放置されていたので、それを切り分けて刻んだハムと一緒に炒めた。そうして食事。芸能人の昔の同級生を探し出して思い出話などを聞くという趣向の番組を眺める。最初は沢村一樹。次に川口春奈と言ったか、長崎は五島列島出身の女優らしき人が出てきたのに全然知らんわと漏らすと、クノールカップスープのCMとかに出てるよと母親が言うものの、やはり全然わからない。AKBとかではないの? と訊いたが、違うらしい。もはやAKBなどのアイドルも女優もこちらには区別がつかず、たかだか三〇歳なのに発想が爺さんみたいになっている我が身だ。その川口という人が小学生の時分に好きだったという男性が登場したのだが、その恋人もまた川口春奈の同級生だったところ、彼女は二人が付き合っているという事実を知らなかったらしい。中三から交際していると言っていたので結構長い恋人たちだ、とまあそういう番組だけれど、内容として大して面白くはなかった。
  • 食事は遅くとも八時までには終えていたはずで、風呂に入りはじめたのは九時一五分だったのだが、そのあいだの一時間ほどに何をやっていたのかまったく不明である。この箇所のメモを取ったのは二八日の午前三時台で、まだ七時間ほどしか経っていないのだが、記憶が完璧に欠落している。日課の記録も残っていない。インターネットだろうか? たぶんそうではないかと思うが、と言って何のコンテンツに触れていたのかもまったく思い出せない。
  • ともかく九時過ぎには入浴し、風呂場では相変わらず入湯前にストレッチをする。腰ひねりがとにかくやばくて、これを行うだけで肉体のしなやかさ及び基盤的安定性が抜群に変わるので、人類は全員これをやって自らの身体を律するべきだ。風呂を上がるとDiana Krall『Live In Paris』をバックに「英語」及び「記憶」を一時間ほど復読。あと三宅さんのブログをちょっと覗いたら、昨晩こちらが送ったメールに返信しようとしてもなぜかエラーになってしまうと書かれてあったので、gmailのほうから送り直しておいた。
  • 「【特別掲載】大疫病の年に マイク・デイヴィス、コロナウィルスを語る」(2020/4/7)(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2004)から昨日余した一頁を読む。

 だが、包括的保障とそれに付随する要求は最初のステップにすぎない。大統領選初期の討論では、サンダースもウォレンも、巨大製薬会社(ビッグファーマ)が新しい抗生物質や抗ウィルス薬の研究開発から撤退した点には踏み込まなかった。アメリカにある18の巨大製薬会社のうち、15社は完全にこの分野を見捨ててしまっている。心臓病の薬、中毒性のある精神安定剤、そして男性の勃起不全の治療薬は儲かる薬の筆頭だ。対照的に、院内感染の防止や新しく現れた病気、また昔ながらの熱帯性の病気などは儲からない。インフルエンザの汎用ワクチン、つまり変異しないウィルス表面のタンパク質を狙うワクチンは数十年前から開発可能なのだが、ED薬など儲かる薬より優先するほどの利益を見込めないのだ。
 (……)
 ワクチン・抗生物質・抗ウィルス薬など生存に関わる薬へのアクセスは、人権として保障され、いつどこでも無償で利用できるようにすべきだ。こうした薬を安価に製造するためのインセンティヴをもたらす力が市場にないなら、政府とNPOが責任を持って製造・配布すべきだ。貧困者の生存はどんなときも、巨大製薬会社の利益より優先順位が高くなければならない。

 ハンチントン病ハンチントンびょう、英: Huntington's disease)は、大脳中心部にある線条体尾状核神経細胞が変性・脱落することにより進行性の不随意運動(舞踏様運動、chorea(ギリシャ語で踊りの意))、認知力低下、情動障害等の症状が現れる常染色体優性遺伝病。日本では特定疾患に認定された指定難病である。
 1872年に米国ロングアイランドの医師ジョージ・ハンチントン(George Huntington)によって報告され、かつて「ハンチントン舞踏病」(Huntington's Chorea)と呼ばれていたが、1980年代から欧米では「ハンチントン病」(Huntington's Disease)と呼ばれるようになった[1]。日本でも2001年から「ハンチントン病」の名称を用いている。

  • 「治療法はなく、末期ステージには終日介護が必要となる」とのこと。また、典拠も示されていないので本当かよという感じではあるものの、「南アフリカの「アフリカーナー」と呼ばれる250万人程の集団のうち、100万人は20種類の姓に限られており、これらは20家族の子孫と考えられる。この20家族のうちにハンチントン病の患者が居たために、アフリカーナーの集団にそれが好発することは、遺伝の専門家の間では有名である」とも記されてある。
  • 三時直前から日記。BGMはDonny McCaslin『Casting For Gravity』。Donny McCaslin(ts)、Jason Lindner(ep / p / synth)、Tim Lefebvre(eb)、Mark Guiliana(ds)、David Binney(vo / add synth)。David Binneyはプロデュースも担当しており、さらにExecutive ProducerはDave Douglasだ。Systems TwoにてMike Marcianoによって録音され(二〇一二年五月)、マスタリングは色々な作品でドラムを叩いてもいるNate Wood。まさしく勢揃いという感じである。Nate WoodはKneebodyとかTigran Hamasyanのアルバムとかに参加しており、あとJose Jamesともやっていなかったっけと思ったところが、それはNate Smithのほうだった。
  • 四時二分でメモ書きを切りとする。五月二三日の記憶を記録に変換していたのだが、まだ終わらない。コンピューターを落としたあとこの日の夕刊を一〇分だけ読み、四時一三分に消灯。窓外は既に鳥の声に満ちている。なぜなのかわからないが、日中よりも暁方のほうが明らかに鳥声が賑やかに響く。幾種類もの声が交錯して咲き乱れているさまが露わに聞き取られるのだが、単純に人間の活動の気配がほぼないからだろうか?
  • 新聞、朝刊七面。【「ウイルス流出」真相握る女性/武漢研究所説を否定/中国テレビに「検体調査まで存在知らず」】。「新型コロナウイルスが中国・武漢市の武漢ウイルス研究所から拡散したとする米国の主張を巡り、真相のカギを握るとされる女性研究員が、中国のテレビ局による25日公開のインタビューで疑惑を否定した」。「この女性研究員は、コウモリを宿主とするウイルスの研究で知られる石正麗[シージョンリー]氏で、国営中国中央テレビの海外放送を手がけるCGTN(電子版)がインタビューを伝えた」。石氏曰く、「新型ウイルスの存在について、感染者の検体が研究所に持ち込まれるまで知らなかった」らしく、「昨年12月30日にその検体を調べた結果、「我々が知っているウイルスの配列とは異なることが証明された」という」。この「石氏はフランスの名門大でウイルス学の博士号を取得し、かねて「バット(コウモリ)ウーマン」の異名で知られ」、「武漢市の地元紙によると、2002~03年のSARS重症急性呼吸器症候群)大流行の後、自ら洞窟に赴いて野生のコウモリを捕獲し、ウイルスがコウモリに由来することを突き止めたという」。
  • 夕刊二面、【香港「国歌条例」審議入り/侮辱禁止 立法会周辺は厳戒】。「香港立法会(議会)は27日、中国国歌への侮辱行為を禁じる国歌条例案の審議に入る」。「中国では2017年に「国歌法」が成立し」、中国政府は「香港にも、関連する法整備を求めてきた」。「香港政府は昨年1月、違反には最高で禁錮3年の刑罰を科すことなどを盛り込んだ条例案を立法会に提出し」ていたものの、「民主派の反発で審議入りが遅れていた」とのこと。


・作文
 26:52 - 27:27 = 35分(5月27日)
 27:27 - 28:02 = 35分(5月23日)
 計: 1時間10分

・読書
 22:04 - 22:24 = 20分(英語)
 22:24 - 23:00 = 36分(記憶)
 23:07 - 23:32 = 25分(デイヴィス / Wikipedia
 23:47 - 25:00 = 1時間13分(古今和歌集: 122 - 130)
 25:22 - 25:37 = 15分(日記)
 28:03 - 28:13 = 10分(新聞)
 計: 2時間59分

  • 「英語」: 16 - 50
  • 「記憶」: 162 - 171
  • 「【特別掲載】大疫病の年に マイク・デイヴィス、コロナウィルスを語る」(2020/4/7)(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2004
  • Wikipedia: 「ハンチントン病
  • 奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年): 122 - 130
  • 2019/5/11, Sat.; 2019/5/12, Sun.; 2014/7/6, Sun.
  • 読売新聞二〇二〇年五月二七日水曜日夕刊

・音楽

  • Diana Krall『Live In Paris』
  • Donny McCaslin『Casting For Gravity』

2020/5/26, Tue.

 (……)カフカの否定は表現だけに止まらず、物語の筋にまで及んでいる。ひとつの否定文として終るのではなく、さらに否定する文章がその後に次々と続いて、筋そのものを突き動かしているのである。カフカ文学において、否定は表現のレトリックではない。否定による表現は、作者固有の文学的思考の展開を如実に示したものである。カフカの場合、本来直進すべき筋が否定の連鎖によって、ある場合には歪められて別の方向へ向けられ、またある場合には振出しに戻される。この絶え間ない軌道修正こそが、カフカ作品を読む読者に何かはがゆさを感じさせ、苛立ちを募らせる要因なのである。(……)
 (高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』鳥影社、二〇〇三年、163)



  • 一二時一六分に起き上がる。睡眠はほぼ八時間なので、ちょっと長くなってしまった。
  • 朝刊を読みつつ食事。歯医者及び買い出しに行っていた母親が帰宅。荷物を運んで冷蔵庫に入れると、銀行に行きたかったけれど行けなかった、あとでまた行こうかなと言うので、豆腐を買いたいと申し出た。それでのちほど出かけることに。
  • 二時半頃出発を目安として「英語」及び「記憶」を読んだあと、歯磨きしながら過去の日記。二〇一九年五月九日木曜日。復職手続きのために職場に出向くのに久しぶりにスーツを着たところが、「何と用意してあった紺色のスーツのスラックスが入らなかった」と言う。「腹回りに肉がついたために、ホックが止まらなくなってしまったのだ。自分はそんなにも太っていたのか! こんなことは予想しておらず、笑うしかなく、またしまったと言わざるを得ないが、しかし冷静に考えて、病前よりも一〇キロも太ったのだからただでさえ細身の身体にぴったりとしていた服が入らなくなるのも道理ではある」。この時点で「自分の体重は六五キロほどで、身長は一七五センチくらいなので太りすぎているわけではなくてむしろ適正である」と評価している。過去の自分は「五三キロほどで明らかに痩せすぎだった」。で、昨日測ったところ六一. 二キロまで落ちていたので、ちょうどよくスリムに収まったという感じだろう。スラックスももう問題なく履ける。
  • 雨降り。家の前に出しっぱなしになっていた父親の車を母親が文句を垂れつつ駐車場に入れ(父親当人は林に接した敷地で畑仕事をしていた)、自分の軽自動車を出すのを玄関外でぼんやりと待つ。隣の空き地に敷かれたシートや樹々の葉を打つ雨粒の音[ね]が、詰まってはいるが固くはなく柔らかに鈍い響きで、大気中に染み入るような浸透性の雨である。実際、蒸し暑い。ブルゾンを持ったけれど、スーパーに着くまでは身につけずTシャツ一枚で車に揺られる。
  • いまや閉店してしまった「マイナー堂」の向かいあたり、永山のほうに繋がる上り坂の入口が整地されて広く拡張されていた。(……)薬局、すなわちSの実家も、別に何年も前からそうだったけれど薬局はもう終いにしており、以前は店舗だった街道沿いの建物もシャッターが閉め切られ、壁に掲げられていた「(……)薬局」の文字も跡形もなく消え去っており、ただの真っ白な箱と化している。
  • 東青梅駅前の「(……)」に到着。車を降りて店に行くと入ってすぐ脇の機械で母親がカードに金をチャージして、それで一旦銀行に行ってくると言うのでこちらは籠を持って店内を回る。バナナ、人参、葱、大根などを入れていき、豆腐も三個パックのものを三セット取ったあと、何か新しい餃子でも開拓したいなあと見ていると、自らも籠を持った母親がやって来た。「ケンちゃん餃子」の八個入りだかを買うことに。あとで聞いたところでは、この品は拝島のIさん、Yさんではなくてもうずっと以前に亡くなった旦那さんのほうが好きだったとかで、昔はよく我が家にもくれたらしい。
  • そのほか生麺のうどんであったりポテトチップスであったり、カップラーメンであったりを集めていく。今日買い物に来たのは豆腐と即席の味噌汁が欲しかったからで、と言うのも深夜に空腹を埋める際にカップラーメンやおにぎりを食うことが多かったのだが、カップラーメンばかり食っていては健康にも悪いだろうし母親が手間を掛けて買ってきてくれたものをやたらバカスカ消費するのも気が引けるし、またおにぎりはおにぎりで作れば米がすぐになくなってしまうから、小さめの豆腐とインスタントの味噌汁を夜食の基本にしようと考えたのだった。先日偶然にそうする機会が一度あったときに、これで全然ええやん、普通に美味いし腹にも溜まるやんと満足されたので、そのような決定を下したのだ。それで豆腐を九つも買ったわけだが、即席の味噌汁はまだ家にけっこう余っていて、棚を見る限り「あさげ」とかちょっと飲んでみたかったのだけれど、普段飲んでいる安物と比べてそこそこ値が張ったので、今日はまあいいかと払って豆腐だけを買うことにした。
  • 母親は母親でまた色々と籠に集めて、そうして会計へ。店員はたぶん結構キャリアが長いと思われる年嵩の女性。六五〇〇円くらいだったので、半分弱に過ぎないが三〇〇〇円を母親に渡す。それから薄い布[きれ]でできたエコバッグの類に荷物を詰め、三袋を両手に提げて退店。出たところの自販機にKIRINの「Mets BLACK」があるのが目につき、強炭酸とか書いてあるしまあちょっと買ってみるかということで、荷物を持って両手が塞がっていたので母親に買ってもらった。雨はまだいくらか宙を動いていた。
  • 車に戻って帰路へ。街道を走るあいだ母親が、どんどん寂れていくねえと漏らす。青梅が活性化する策なんて、この鄙びた町を舞台にアニメを作ってもらってヒットさせるくらいしかないだろう。とは言え、わざわざこの土地で何か新しいことを始めようという物好きも多少はいるようで、街道沿いの家も二つほど、リフォームしたのか何だかよくわからない使い方をされているようだった(ところで、「~な仕方をされる」というのと、「~なされ方をする」というのとでは、どちらが正当な形なのだろうか?)。また(……)の途中にものすごく昔、つまりこちらが子供の頃にはモスバーガーがあったのだけれど、信号待ちで停まったときに左を向くと、すぐそこにある建物の外壁上部に「MOS BURGER」の文字が完全には消えきらずうっすらと跡をとどめていたので、思わず、うわ、あそこほらモスバーガーの文字残ってるよと隣の母親に伝えてしまった。その建物もいまは何か別のことをやっているようだ。
  • そういうことがあったより前に(……)の郵便局に寄って、母親が記帳をするあいだこちらは車内で待っていた。局の前に置かれたポストの足もとにはパンジーが数種植えられていて、オレンジや黄色や紫など色とりどりあるなかでしかしやはり、白い地のなかに濃やかな青紫の不定模様が地図のように染みついた一種が一番面白いような気がした。地面のすぐそば、かなり低い位置に咲いたそれらの花も、微風に触れられてわずかに震えている。
  • 青梅駅前の「魚民」では弁当の販売などしているらしい。こちらは目が悪いので見えなかったが、母親が表示を読み取ってそう言っていた。いまの状況では飲み会などもできないから、そうでもしなければ売上が減ってしまって仕方がなく、とてもやっていけないのだろう。
  • 帰宅後、荷物を運んで冷蔵庫や戸棚に整理する。帰室すると「記憶」記事復読。一五八番、芝健介『ホロコースト』の記述。

 一九四二年七月二三日、トレブリンカ絶滅収容所は始動した。その前日にはヨーロッパ最大のゲットーであるワルシャワ・ゲットーからトレブリンカ絶滅収容所への強制移送が大々的にはじまっていた。九月末までにワルシャワ・ゲットー住民男性の87・4%、住民女性の92・6%がガス殺される。
 (芝健介『ホロコースト中公新書、二〇〇八年、183)

  • 夕食は何を作ったのだったか覚えていない。たぶん買ってきたものを何か使ったのだと思うが。早速うどんを煮込んだのだったかな? そんな覚えがあるものの、ほかに何の品を拵えたか忘れてしまった。
  • 入浴中、弾き語りのブルースの案を思いつく。タイトルは"日本銀行ごと持って来な"。とりあえずワンコーラス目の歌詞は、「誰も俺の歌を金で買えやしないぜ/誰も俺の歌を金で買えやしないぜ/俺の 歌を 金で 買いたけりゃ/日本銀行ごと持って来な」という感じで良いだろう。あとはブルースなのでシンプルに、「歌」の語を別の言葉に置き換えて、ほとんど同じ詞でもって何度か繰り返すことになる。いまのところ「価値」という語を思いついてはいるものの、これはしかしあまり嵌まりきる感じがない。ツーコーラス歌ったら合間にソロを挟む構成で良いのではないか。「俺」という一人称を最後のほうで「君」に替える一巡を入れれば、まあ一応聞き手に訴えかけると言うか、メッセージソングっぽくなってそれも悪くはないのでは。別にそんなに拝金主義を弾劾したいわけでもないが。
  • で、風呂から出たあとに兄の部屋でギターを触って確認してみると、漠然とAのキーで想定していたところが音域的にEのほうが良いとわかった。定番の調で、開放弦も使えるしとてもブルースっぽくて良い。そのうちアコギを入手したらもう少し形を固めて練習するつもりだ。
  • あとギターを適当に弄っているあいだにGM7/Dというコードを弾く瞬間があったのだけれど、これが何となく良い響きなのでそれも曲にできるかもしれない。キーはDとして考え、したがって要は調全体の根音の上に四度のM7コードが乗っている形なのだが、一応ポジションをメモしておくと、5弦5f、4弦5f、3弦7f、2弦7fということだ。だからつまりは普通のDメジャーの押さえ方から五度の音を全音下げて四度にしただけということ。これがしかしアルペジオで弾くとなかなか良い響きを生む。このポジションは単にこちらのギターが一弦を欠いたままなのでこの位置になっているだけで、実際にはもちろん開放弦を絡めたポジションで鳴らすこともできるし、そのほうがむしろ良いかもしれない。で、ありがちなやり口だが、このコードから始めてルート音だけBとかAに移すみたいな感じで展開するのも悪くはないだろう。ものすごくよくあるパターンだけれどそれだけに安心できる手法ではあるし、シンプルなコード進行を何度も繰り返すループ的な曲にしながらその上で旋律構成がだんだん変わっていく、みたいな感じで作れればそこそこ面白いのではないか。だがいずれにせよ、まずはアコギを買わなくては話にならない。
  • 「【特別掲載】大疫病の年に マイク・デイヴィス、コロナウィルスを語る」(2020/4/7)(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2004)。一頁目のみひとまず読む。

 コロナウィルスは古い映画のようだ。1994年のリチャード・プレストンの著書『ホットゾーン』が、中央アフリカの秘境にあるコウモリの巣穴から生まれ、エボラという名で知られる絶滅の悪魔を紹介して以来、こうした物語はくり返し語られ、観られてきた。エボラは、人間にとって未経験の免疫システムの「処女領域」(これは正式な用語だ)に起こる、数々の新しい疾病のはじまりにすぎなかった。エボラのすぐ後に鳥インフルエンザが現れ(1997年ヒトに感染)、SARSがこれにつづいた(2002年暮れに出現)。2つのウィルスはいずれも、世界の生産ハブを担う広東省で出現した。

     *

 [研究者たちが直面している難題は、]二番目に、季節性インフルエンザと同じく、このウィルスが異なった年齢構成と健康状態の人口に蔓延するなかで変異を起こすことだ。アメリカ人の多くがかかる型は、武漢での最初のアウトブレイクの型とはほんの少し違っている可能性が高い。さらなる変異は毒性を弱める場合もあれば、50歳以上が重症化しやすい現在の毒性を変える可能性もある。現状では、トランプのいう「コロナインフルエンザ」は、アメリカ人の4分の1、つまり年配者および免疫系や呼吸器系に慢性的な問題を抱えた人々に死の危険をもたらす。
 第三に、ウィルスが安定的で変異が最小限にとどまったとしても、若年人口への病気のインパクトは、貧困国や貧困集団では劇的に変わる可能性があることだ。1918-19年のスペイン風邪の世界的流行を思い出してみよう。この流行で人類の1~2パーセントが命を落とした。アメリカとヨーロッパで、当時のH1N1ウィルス[iii: インフルエンザウィルスは顕微鏡で見ると、天気の晴れマークのように見える。球体の周囲に無数の突起がついており、この突起の一部である赤血球凝集体(HA)とノイラミニダーゼ(NA)のパターンによってウィルスの型が変わる。そのためH1N1などと後ろに数字をつけて表記される。『感染爆発』第一章に詳しい説明がある。]は多くの若者の命を奪った。これは今まで、彼らの免疫系が比較的強かったせいだと説明されてきた。というのは、免疫系が感染に過剰反応して肺細胞を攻撃し、肺炎と敗血症を引き起こしたからだ。だが最近の研究では、年配者は1890年代のアウトブレイクの際の「免疫記憶」を持っており、そのせいでかかりにくかったと主張する細菌学者もいる。

     *

 一方、貧困国でのスペイン風邪は違った経過をたどった。世界全体の死亡のうち60%近くが、パンジャーブ地方ボンベイ〔ムンバイ〕、その他のインド西部地域で生じたことはあまり知られていない(少なくとも当地で2000万人が死んだ)。この地域ではイギリスへの穀物輸出とイギリスによる強制的な穀物の徴集によって、大規模干ばつが生じていた。食糧不足ですでに数百万の貧困者が飢餓すれすれの状況に陥っていた。そのため彼らは、栄養不良(これは感染への免疫反応を鈍らせる)と強度の細菌性あるいはウィルス性肺炎との危険きわまりない相互作用の犠牲となった。イギリス占領下のイランでもこれと似たようなことが起こり、干ばつ、コレラ、食糧不足が数年つづいた。さらにこの悪条件の下でマラリアアウトブレイクが起こり、人口の5分の1が死ぬことになった。

     *

 (……)2000年以来、この国では保健医療の前線が何度も崩壊している(……)。
 たとえば2009年と2018年のインフルエンザシーズンには、国中の圧倒的多数の病院でベッド数がどうしようもなく足りなくなった[v: アメリカでは、2017/18シーズンのインフルエンザ流行で6万から8万人が死亡したと言われている。2019/2020シーズンも1万4000から3万人が死亡した(検査していない死者が多いので、数字に幅がある)。これにはさまざまな原因が指摘される。一般的には、公的医療保険制度がきわめて不十分なため医療費が高額で、貧困層にとっては民間保険も支払い困難である。そのため予防接種率が低く、また体調が悪くても医者に行くのを忌避することで蔓延するのではないかと言われている。]。これは、長年つづいてきた採算重視の入院患者受け入れ削減策の結果である。こうした危機は、レーガンが大統領になり、民主党の指導者たちもまたネオリベラルの代弁者に変節したことによる、医療支出に対する党派を超えた攻撃からはじまった。アメリカ病院協会によると、患者を収容できる病床数は1981年から1999年の間に39%も減少した。この数値は普通ではない。削減は「センサス」(ここでは病床稼働率の数字)を上げて利益を増やすために行われた。だが、病床の稼働率90%というマネジメント上の目標が意味するのは、伝染病や医療上の緊急事態の際に、病院に殺到する患者を収容する能力がゼロに近いということだ。
 21世紀に入ってから、私的セクターでの救急医療はどんどん縮小されてきた。これは、短期的な増収増益という「株主価値」の至上命令によるものだ。他方で公的セクターでは、緊縮財政と州および連邦の準備予算の削減のために救急医療の縮小が進んできた。その結果、目下重大局面にあるコロナウィルスの爆発的感染を受け入れられる病床が、アメリカ全土でわずか4万5000床しかない。(これに比較して、韓国は人口比でアメリカの3倍の病床が利用可能である)[vi: デイヴィスの数字の根拠は記事からは分からない。OECDが出している人口千人当たり病床数(総数)は、アメリカ2.8に対して韓国12.8、日本13.0。急性治療にかぎると、それぞれ2.4、7.1、7.8となる。(OECD Health Statistics 2019)]。USAトゥデイの調査によると、「COVID-19で症状が悪化する可能性がある60歳以上のアメリカ人は100万人いるが、その数に見合った治療用の病床が用意されているのは8州だけだ」。

     *

 アウトブレイクは即座に、「われわれの革命」[vii: 2016年大統領選挙に立候補したバーニー・サンダースの選挙キャンペーンに端を発する政治運動団体。]が国民的政治議題としてきた、ヘルスケア分野にはびこる階級分断を白日の下に晒した。要するに、高額の保険に入り、なおかつ家で働いたり教えたりできる人たちは、自粛要請に従うかぎり快適な隔離環境にいられる。これに対して、公的部門の職員、そしてある程度の保障がなされる組合加入の労働者集団は、収入確保と命を守ることとの間で難しい選択を強いられる可能性がある。だがもっとひどいのは、数百万人にのぼる低賃金のサービス労働従事者、農場労働者、失業者、ホームレスだ。彼らは狼の群れに放り出されたも同然の状況にある。
 知ってのとおり、包括的保障を本当に実現しようとするなら、病欠時の賃金支払いに備えるためのまとまった額の準備金が必要になる。だが現在のところ、労働力の45%はこの権利を否定されているため、事実上〔無理して働いて〕病気をうつすか食いっぱぐれるかの選択を迫られている。それだけでなく、共和党優位の14州では、ACA〔通称「オバマケア」と呼ばれる公的医療保険制度〕準備金制度の開設を拒否してきた。メディケイドをワーキングプアに広げることの拒絶である。そのためたとえばテキサスでは、4人に1人が保障対象外で、感染症にかかったとしても治療を受けられるのは郡病院の緊急治療室だけという悲惨な状態である。
 大疫病が発生している現在、私的医療保険の絶望的なまでに矛盾した状況は、利潤目当てのナーシングホーム産業に典型的に表れている。アメリカのナーシングホーム[viii: ナーシングホームは日本の老人ホームと老人病院を組み合わせたような存在で、施設ごとに提供されるサービスや入居条件が異なる。池崎澄江「アメリカのナーシングホームにおけるケアの質の管理」『季刊社会保障研究』48-2(2012年9月) 165-174頁によると、2010年現在、施設数約16万、ベッド数約150万で、営利経営が65.8%、非営利団体を含めると94%が民間経営である。メディケア、メディケイドによる保障に制限があるため入居費用は非常に高額で、全額自己負担の場合、年間費用は700万円に上る。]は2500万人にのぼる老人を収容し、多くはメディケアと連携している。この産業は非常に競争が激しく、低賃金、スタッフ不足、違法なコスト削減が行われ、完全に資本主義化されている。施設側が感染症抑制のための対応を怠ったことが原因で、毎年数万人が命を落としている。しかも政府は、大量殺戮装置としか形容しがたいこの施設に対して、責任あるマネジメントを一切行なっていない。多くのホームが、とりわけ南部諸州では、追加のスタッフを雇って適切な訓練を施すよりも衛生違反の罰金を支払う方が安上がりだと考え、そのとおりに行動している。
 アメリカで最初にコミュニティ内の集団感染が起きたのが、ライフケアセンターというシアトルのカークランド郊外にあるナーシングホームだったのは驚くにあたらない。私はジム・ストーブという昔からの友人で、シアトル地域のナーシングホーム労働組合のオーガナイザーをしている人と話し、今は彼らについての記事を国に渡すために書いている。ジムが言うには、ナーシングホームは「アメリカ一ぎゅうぎゅう詰めの場所」で、ワシントンのナーシングホームシステム全体が「国中で最も資金がない。つまりテックマネーの海の中で苦しむ不毛のオアシスという馬鹿げた存在」になり果てている。
 さらにジムが言うには、ライフケアセンターの近隣10箇所のナーシングホームに感染が広がったことを説明する決定的な理由を、保健局は見過ごしたままだ。「アメリカで最も値が張るレンタル市場にいるナーシングホーム職員は、だいたい複数のホームで仕事を掛け持ちしている」。当局が副業場所や名前を把握していないせいで、COVID-19の蔓延に対する最も重要な手立てをみすみす逃してしまった。そのうえ〔ホームで集団感染が蔓延している〕今になっても、感染に曝された職員に給与補償を出すから家にとどまるようにとは誰も言わない。

  • 新聞、朝刊一面は緊急事態全面解除(二五日)の報。一一面には【リオ貧民街 コロナ直撃/ブラジル 感染者世界2位/家は「3密」■外出自粛せず】の記事。「ブラジルで、新型コロナウイルスの感染者が36万人を超え、米国に次いで世界で2番目の多さになるなど影響が深刻化している」。「感染拡大が指摘されているのは、「ファベーラ」と呼ばれる貧民街」で、「リオデジャネイロ市にある国内最大級のファベーラ「ホシーニャ」は、市やリオ州の外出自粛要請にもかかわらず、大勢の人々が行き交い、活気を失っていない。多くの住民が生活費を稼ごうと仕事に出ているからだ」。「東京ドーム約20個分の100ヘクタールに10万人以上が暮らすホシーニャでは急斜面に小さな家が並」び、「大家族が多く、密閉、密集、密接の「3密」が感染リスクを高めている」。「こうしたファベーラは、国内の都市部周辺に無数にあり、人口約2億1000万人の約6%にあたる計1300万人が暮らしているとされる」。こうしたリスクのなかでもしかし、「経済を重視するジャイル・ボルソナロ大統領は、感染予防策に無頓着で、4月以降、防疫措置の徹底を訴えた保健相2人が相次いで辞任し」、「暫定の保健相には、この分野の経験がない、自身と同じ軍出身者を宛てた」と言うし、「コロナ対応を指揮する州知事らとの亀裂も生じている。ボルソナロ氏は今月14日、感染予防のため都市封鎖を示唆するサンパウロ州知事を名指しし「1人の男がブラジル経済の将来を決めている」とけん制」したところであり、また「4月下旬の閣議」では、「自身の意向に沿わないサンパウロ州やリオ州の知事らを「くそったれ」などとののしっていた」らしい。


・作文
 22:35 - 22:55 = 20分(5月26日)
 23:12 - 24:00 = 48分(5月26日)
 計: 1時間8分

・読書
 13:37 - 13:58 = 21分(英語)
 13:59 - 14:08 = 9分(記憶)
 14:12 - 14:20 = 8分(日記)
 15:46 - 16:19 = 33分(記憶)
 25:12 - 25:36 = 24分(ブログ)
 25:37 - 27:03 = 1時間26分(古今和歌集: 92 - 122)
 27:18 - 27:45 = 27分(デイヴィス)
 計: 2時間28分

  • 「英語」: 131 - 136, 1 - 15
  • 「記憶」: 151 - 161
  • 2019/5/9, Thu.; 2019/5/10, Fri.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-03-23「血縁も地縁も絵筆で塗りつぶすおれは象形文字となるのだ」; 2020-03-24「生活を病んだお前があしたから解体されるビルの屋上」
  • 「at-oyr」: 2020-03-01「60」; 2020-03-02「近所」
  • 奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年): 92 - 122
  • 「【特別掲載】大疫病の年に マイク・デイヴィス、コロナウィルスを語る」(2020/4/7)(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2004

・音楽

  • Diana Krall『Live In Paris』
  • Donny McCaslin『Casting For Gravity』

2020/5/25, Mon.

 (……)グレーゴルの変身行為は、作者カフカの断罪を受けて、毒虫という奇怪で醜悪な唾棄すべき姿を晒すことになった。しかしこの否定は主人公の姿態だけに留まらない。事態はもっと深刻である。グレーゴルという主人公、つまり主語となるべき人物が常に否定を内包している以上、その主語に連なる文章も、絶えず否定的な色彩を帯びてしまう。グレーゴルの行動、それどころか彼の存在そのものが、周囲の人間に不快感や恐怖を与え、否定的な感情を懐かせる。また彼の行動は、その真意が伝わらず曲解され、ことごとく否定を浴びせられる。否定の連綿たる羅列が『変身』の冒頭文から主人公の死まで続くことになる。(……)
 (高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』鳥影社、二〇〇三年、159)



  • 七時間四〇分の滞在で一一時四六分離床なので、それほど悪くない。
  • 母親が弁当に使ったカツの余りと納豆で米を食う。新聞は中国や北岡伸一イスラエルについての記事と、思潮のページ。
  • 五月二三日の記憶を記録。記しているうちに中学時代のことを次々と思い出してしまい、思い出したからにはまあ記述しておくかというわけでやたら時間を費やしてしまった。BGMはそのなかにも名が出てきたAerosmith『Honkin' On Bobo』。
  • その後、やはり記事中で言及したVan Halenのベスト盤をYouTubeで探して流してみた(「Van Halen- Best Of, Volume 1」: https://www.youtube.com/playlist?list=PLzw8D_7QpH2wdxwTDc97UpE__z0PnQgMf)。ストレッチをしながら冒頭の"Eruption"を聞けば何だかんだ言ってもやっぱり凄えなあとは思うもので、まずEddie Van Halenのギターはディストーションの質感がたいへん綺麗で粒立ちがきめ細かく、エレキギターディストーションサウンドの一つの理想形をおおよそ具現していると言ってしまっても良いのではないか。"Eruption"に続く"Ain't Talkin' 'Bout Love"のフランジャーだか何だか掛かっているリフを聞いてみても、充分なトレブリーさを帯びながらも甲高く尖りすぎて細ることがなく、芯が太くてなめらかでありながら同時にとても歯切れが良い。"Eruption"のフレーズ面について言えば、音列は速くてたぶん実際の譜割り以上にスピーディーに聞こえるような勢いのこもった弾き方になっていると思うし、必殺技のライトハンドによる高速のコード奏法も改めて聞けばやはりすぐれて美麗でよくできている。ライトハンドはEddie Van Halen以前にも誰かがやっていたとかいう話もあるみたいだけれど、そうだとしてもそれをここまでの技術に高めてたしかな形として整えたのはEddie Van Halenが最初であるはずなので、その点でやはり彼はロックギター史における一つの革命的画期を担っていると言うべきだろう。当時のギター小僧たちがこの音源を聞いて、強い衝撃を与えられながら完全にぶっ飛んだであろうことは容易に想像できる。
  • 一二時半頃から五時までほとんどぶっ通しで日記。二三日のことを記録したあと五月二日も記述し、五時で中断して夕食の準備へ。帰ってきた母親はソファで力なげに休んでおり、ハンバーグを焼けば良いと言う。「マルシン」というメーカーの、五種のチーズが入っているとかいう廉価なハンバーグが三つあったのだ。パッケージはいかにも安っぽい感じの黄色いもので、たしか「みみちゃん」とかいう名前が付されていたと思うが、看板キャラクターらしき女児の顔がいくらか抽象化されたシンプルな絵で描かれていた。それを一つのフライパンで焼き、他方ジャガイモも焼くことにして四個取って皮を剝き、薄くスライスして少々茹でたあと、もう一つのフライパンでローズマリーを添えてソテーする。調理の合間はストレッチ。こちらが料理をしているあいだ、母親は仕事で大層疲れたようで、首を横に傾けてソファの背にもたせかけながらまどろんでいた。仕上がると洗濯物を畳んで、まだ六時にもなっていなかったけれどもう食事。ハンバーグはむろん廉価な味ではあるものの、そこそこ美味かった。これは母親の思い出の食べ物、というほどでもないだろうが、昔、と言うのはおそらく子供時代に、祖母が買ってきて焼いてくれた品だったと言う。ほかに前日余った大根の味噌汁やサラダを食べ、夕刊を読みつつ母親の職場の話を聞く。例の「クソガキ」のことである。とにかく暴力的で、職員が一人、その人は何かしら資格も持っているとかでけっこう色々な子供に慣れているはずなのだが、その子が手に負えないと言って仕事を休んだらしい。小学校三年生と言うからまだせいぜい九歳だ。一〇歳にもならないくらいなら、ADHDだの何だの新しめの概念を持ち出さなくとも、乱暴な子供は昔もいただろうし今も普通にいるだろう。三年間くらいは寛容に見守るのが良いのではないかと言っておき、ただあまりに振舞いが度を越すようだったら最低限のラインは決めたら、とも付け加えておいた。と言って女性には大変だろうから、男性の職員に注意してもらうとか、相手の暴力を受け止めてやりながらそんな攻撃全然効かないぜみたいな姿勢を示してもらって肉体的優位性を理解させるのはどうかと。実際、今日だか先日だかは、中国系のハーフだという体格の大きな若い男性が入っていて、するとその子もちょっとおとなしくしていたらしい。
  • 夕食後にまた日記に取り組み、七時半で五月二日を完成させたあと、インターネットをちょっとうろつきながら青空文庫にある太宰治の諸篇を「あとで読む」ノートに写しておいた。それから運動。scope、ceroMaroon 5、SIRUPなどを流して歌いつつひたすら柔軟に励む。腰ひねりがとにかく効く。やばい。全人類がやったほうが良い。要は上半身全体でまとめて後方に振り向くような姿勢を取って静止し、腰周りの筋を伸ばすだけのことなのだが、これはやばい。あとはベッドの上で合蹠をやったり前屈をやったりと色々やったが、すると驚くほどにからだが軽くしなやかに、感覚がなめらかになった。そう言えば夕食前にかなり久しぶりに体重を測ったところ、六一. 二キロまで落ちていた。前に測ったときには六七キロあったはずなので相当に落ちたのだが、やはり歩くようになったことと、柔軟とは言え多少からだを動かしていることが大きいのだろう。ストレッチに熱中しすぎてあっという間に一時間が経っていた。
  • Mさんのブログ、二〇二〇年三月二一日。柄谷行人『探究Ⅱ』より。

 たとえば、パスカルは、「なぜ私はここにいて、あそこにいないのか」といった。たぶんパスカルが強調したかったのは、現実的なものの偶然性である。しかし、現実性はもともとそのような偶然性と切り離しえないのだ。「ここにいる」という現実性は、あそこ(ここより他の場所)にいるかもしれないという可能性のなかではじめて在る。
 (……)
 彼[クリプキ]のいう「現実世界」は、経験的世界のみが現実的で、あとは想像的であるというような意味で考えられているのではない。その逆に、現実世界または現実性こそが諸可能世界または諸可能性の中において考えられているのだ。「可能世界」が現実世界から考えられるということは、実は「現実世界」がすでに可能世界から考えられているということと同じである。固有名を確定記述に置き換えると可能世界で背理が生じるということは、固有名がすでに可能世界をはらむ現実性にかかわるということを意味するのである。
 たとえば、夏目漱石という「これ」は、「他ならぬこれ」である。つまり、他である可能性のなかで「他ならぬこれ」として固定されている。したがって、それが可能世界においても固定されるというのは当然である。「『猫』を書いた作家」というような確定記述(単称名)はそうではない。それらの差異は、たとえば、可能世界において、「漱石は小説を書かなかった」というのと、「『猫』を書いた作家は小説を書かなかった」というのとの差異として顕在化する。つまり、現実性をラッセルのように経験的なものとみなす考えは、可能世界をもってくると背理に陥るのである。
 クリプキが可能世界意味論を導入したとき、実は、ラッセルの「これ」が、固有名と異なること、つまり固有名が「他ならぬこれ」に関係するのだということを背理法によって明らかにしたのだといってよい。固有名がどの可能世界にも指示固定的であるということは、逆にこういうべきである。あるものが固有名で名指されるとき、それは他=多なる可能性において、多=他ならぬ一者として指示されるのだということである。

 疎外の操作によって、ひとは象徴界に参入するとともに、享楽を喪失する。この議論は、セミネール第七巻『精神分析の倫理』において、象徴界に参入した主体にとって〈物〉や享楽が接近不可能になったことに相当する。シニフィアンと享楽は二律背反的であり、シニフィアンの領野に居つづけるかぎり、主体は享楽に到達できないが、仮に享楽に到達したとすれば、その到達は主体の死滅を意味する、というわけだ。
 しかし、話はそれだけでは終わらない。セミネール『精神分析の四基本概念』のなかでラカンが「分離」と呼ぶ第二の操作では、失った享楽を別の仕方の享楽(対象aの享楽)として回復することが試みられる。言い換えれば、「疎外と分離」の理論の導入は、セミネール『精神分析の倫理』のようにシニフィアンと享楽を二律背反的なものとして捉えることをやめ、むしろシニフィアンと享楽の緊密な結びつきを考えることを可能にする、大きなパラダイムの転換点なのである(Miller, 1999b)。
 分離においてシニフィアンと享楽が結びつくロジックを追っていこう。シニフィアンによる疎外をこうむった子供は、自由をもたない主体(…)となる。なぜなら、象徴界のなかでの主体のありようを決定するものが大他者(既存の言語)に由来するシニフィアンの連鎖(S1→S2)である以上、子供がそこに何か別のものを付け加えることは不可能だからである。これは現実の水準では、子供が「排泄しなさい」「眠りなさい」といった大他者(=母)が発する要求に従うだけの不自由な存在となってしまうことを意味する。
 しかし、子供には、このような要求にあふれた息苦しい世界から脱出する道がひとつ存在する。「存在の生き生きした部分」すなわち享楽を喪失した子供は、ひとつの欠如を抱え込んでいるが、それと同じように、子供を疎外している大他者(=母)の側にもひとつの欠如があるということを子供が発見することが、子供を大他者の要求の鎖から解放する契機となるのである。
 (……ラカンの引用は省略……)
 大他者(=母)が発する要求を聞き取った子供は、その要求の意味を理解するだろう。しかし、そこで一つの問いが浮上する。要求を通じて、大他者は私に何を欲望しているのだろうか? という問いである。この問いは、子供にとって答えようがないばかりか、大他者にとっても答えようがないものである。なぜならば、既に確認しておいたように、大他者が一貫的なものであることを保証する〈父の名〉のシニフィアンはあらゆる主体にとって欠如しており、大他者の領野にある要求のシニフィアンをメタレベルから基礎づけるシニフィアンはどこにもないからである(…)。ラカンが六〇年代に導入した大他者における欠如のシニフィアン(…)は、この欠如を指し示すものにほかならない。
 子供は、この大他者における欠如に対して、自分が先に失った欠如である「存在の生き生きした部分」(…)をもって答える。この二つの欠如を重ね合わせる操作が、分離と呼ばれる(S11, 199/294頁; E844)。こうして、疎外によって失われた「存在の生き生きした部分」、すなわち享楽が、大他者(=シニフィアンの体系)における欠如に重ね合わされる。そして、この重ね合わされた欠如の点に、抽出された対象aが到来する。つまり、対象aとは、大他者における欠如(…)を埋め合わせてくれる対象であるとともに、主体が原初的に喪失した「存在の生き生きとした部分」を部分的に代理し、主体に別種の満足を獲得させてくれる対象でもあるのだ(S11, 180/264頁)。
 (……)分離の操作によって獲得される享楽は、むしろフロイトが部分欲動と呼んだものに相当する、部分的な享楽である。この部分的な享楽は、身体の全体から享楽をかすめとり、それを身体の一部分(器官)に凝縮したものである(AE368-9)。実際ここでラカンは、欲動は生殖という究極的な目標 goal に達することなしに、口唇や肛門のような部分的器官の周囲を経巡ることによって目的 aim を達してしまうというフロイトの説を援用している(S11, 163-4/238頁)。この享楽は〈物〉そのものを目指すのではなく、〈物〉の断片としての「対象の周りを経巡る」(E849)ものなのである。このような享楽は、後にラカンによって「ファルス享楽 jouissance phallique」ないし「器官の享楽 jouissance de l’organe」(S20, 13)と呼ばれることになるだろう。

  • 一〇時頃入浴。ここでも入湯前にストレッチをやりまくる。柔軟を習慣化すると自分の身体の凝りかたまりが明確に見えてくると言うか、ある場所をほぐせばその次にまだほぐれておらず固まっている場所はどこかというのが自動的にわかるようになる。そうして肉体が全体的にほぐれた状態を一度たしかに知ると、そのあまりの軽さを求めてむしろやらずにはいられなくなる。ヨガに耽る人の気持ちがわかるような気がする。
  • 風呂を挟んでふたたびMさんのブログ。二〇二〇年三月二二日から柄谷行人『探究Ⅱ』。

 ライプニッツが区別するのは、分析的命題と綜合的命題ではなくて、必然的真理と偶然的真理である。それは、ライプニッツが主語を固有名で指示されるような個体的実体としてみなしているからであり、そのかぎりにおいてである。その場合にのみ、可能世界が導入される。必然的真理とは、すべての可能世界で妥当する真理であり、偶然的真理とは、この世界でのみ妥当する真理である。
 ライプニッツのいうモナドが、「シーザー」のような個体であること、現実的な(可能性に対する意味で)個体であることに注意すべきだろう。当然ながら、彼の考えでは、現実的なものは偶然的なのである。なぜなら、シーザーがルビコン河を渡らなかった可能性がある(可能世界がある)からだ。現実的なものはすべての可能世界から見られねばならない。その場合、ライプニッツは神がすべての可能世界からあるものを選択するのだと考える。神の選択は自由であるが、「最善選択の原則」によってなされると、彼は主張するのである。
 こうした議論は、主語をあくまで固有名で指示されるような個体とみなすがゆえに生じる。固有名を取った個体的実体なるものは、「他ならぬこれ」という意味をもたない。それはたんに文法的(命題的)に考えられるような主語でしかない。「述語は主語にふくまれる」という考えは、アリストテレスやアクィナスにおいてある。しかし、ライプニッツはたんに彼らの見解を受け継いでいるのではない。たとえば、それは彼の創始した微分法と関係する。モナドはたんなる静的な点ではなくて、無限小としての点であり、いわば力と方向をはらむ生成する質的な点である。つまり、この微分=差異化(ディファレンシエート)された一点は、そのなかに連続性としての生成や運動を「表出」する。逆にいえば、微分法は彼のモナドジーの所産である。モナド微分=差異化された一点であるということは、それがそれぞれ他と違った個体だということである。それは固有名で呼ばれる個体が単独であるのと同じ意味においてである。しかも、それぞれ異なるモナドは、微分法と同じく、同一の世界を「表出」しているとみなされうるのである。

  • Wikipediaの「ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク」を読む。母親はサロンをひらいて知識人を招き、伯父は美術評論家スタンダールやメリメと交流があったと言う。ヴィオレ・ル・デュク自身が後年古建築の修復を始めるに当たってもメリメの推薦があったらしく、「1840年からのラ・マドレーヌ教会堂の修復を手始めに、パリのサント・シャペル、ノートルダムアミアンルーアンの大聖堂など多くのロマネスクやゴシックの教会堂、城館の修復、復興に携わった」。若い頃は「フランスの正統的な建築教育機関エコール・デ・ボザールを「建築家を鋳型にはめ込むもの」と批判し、入学を拒否」し、のちの「1863年にはボザールの教授になるも学生や教授らとの意見の対立により辞任」している。
  • 「ヴェズレーのラ・マドレーヌ教会堂」という建物が「ヴィオレ・ル・デュクが最初に修復を行った建築」だとのこと。先述のように、「歴史的記念物総監であったメリメからの依頼で修復が始ま」ったと言う。
  • 昨年の四月に火災に襲われたパリのノートル・ダム大聖堂も彼が手掛けた建築の一つだが、かの聖堂は「18世紀には、流行を気取った悪質な改築やフランス革命による激動を経て、廃墟と化して」いたのだと言う。一八四五年から修復が始まるものの、「当時のカトリック教会は、大聖堂を歴史的記念物として復元するだけでなくより美しく飾り立てることで教会の復興を示したいと要求していた。この声を背景に、ヴィオレ・ル・デュクは、失われていた尖塔の復元を決定する。彼は、残っていた尖塔のデッサンを発展させて、以前よりも10メートルほど尖塔を高くし、また尖塔基部の周囲に福音史家と十二使徒の彫像を付加したのである。これは大幅な現状変更であり、また彫像のモデルがヴィオレ・ル・デュク自身や工事に携わったスタッフたちなどであったことが、その後大々的に批判を浴びた」という次第だ。二〇一九年四月一五日の火災では屋根の尖塔が崩落・消失したという話だが、たぶんそれがこのヴィオレ・ル・デュクが復元したものなのではないか?
  • 最近の新聞記事を写すのを忘れていた。まず五月二二日金曜日朝刊。一面には【黒川検事長が辞表/法務省 賭けマージャン訓告】。「東京高検の黒川弘務・検事長(63)は21日、新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言期間中に賭けマージャンをしたことを認め、辞表を提出した」。「後任には名古屋高検の林真琴・検事長(62)が浮上している」と言う。「森氏[法相]によると、法務省の調査に対し、黒川氏は5月1、13日に報道機関の関係者3人と金銭を賭けてマージャンを行っていたと認めた。21日発売の「週刊文春」は、黒川氏が1日夜と13日、産経新聞記者2人と朝日新聞社員の元記者とともに、産経記者の自宅マンションで「賭けマージャン」に興じたと報じていた」らしい。
  • 先に夕刊一面からこの件の続報に触れておきたいが、【黒川氏後任 林氏が軸/辞職承認 法相 改めて陳謝】によれば、「黒川氏は産経新聞記者2人と朝日新聞社員の元記者との間で、約3年前から月に1、2回、賭けマージャンをするようになったという。レートは1000点100円で、川原隆司刑事局長は「社会の実情からみて必ずしも高額とは言えない」との見解を示した」。「賭けマージャン」のシステムをよく知らないが、一〇〇〇点一〇〇円ということは、普通に計算すれば仮に三〇〇〇〇点分勝ったとしても三〇〇〇円しか得られないはずで、さいふうめい・原案/星野泰視・漫画『哲也―雀聖と呼ばれた男』を読んだ記憶によればほかにサシウマとか何だとかよくわからんルールもあって、それで実際にはもう少し高くなるのかもしれないけれど、いずれにせよ端金である。黒川氏が「賭けマージャン」をやっていようがいまいがそんなことはどうでも良いのだが、法を司るはずの検事が法を違えていたという事実、またそれが緊急事態宣言期間中だったという事の性質上、バレれば致命的なダメージを受けるということは容易に予測がついたはずで、それにもかかわらずこの程度の小額の遊びを敢行したというのはどういうことなのだろう? と不思議に思わずにはいられない。何だか変な話だ。
  • 朝刊に戻って七面、【別の慰安婦団体でも告発/韓国 「寄付金 運営法人が蓄財」】。「韓国ソウル郊外で元慰安婦が共同生活を送る民間施設「ナヌムの家」の職員が、運営法人が寄付金を慰安婦のために使わずに蓄財していると内部告発した」。「ナヌムの家は1992年に設立され、同名の社会福祉法人が運営する。京畿道[キョンギド]広州[クァンジュ]市に所在し、現在は平均年齢95歳の元慰安婦6人が居住している」とのこと。「施設職員7人」によれば、「寄付金を基に法人が60億ウォン(約5億2000万円)超の不動産と70億ウォン超の現金を保有している」らしい。また、「聯合ニュースが伝えた職員らの主張では、法人が2019年に約6000人から集めた25億ウォンの寄付金のうち、元慰安婦のために使ったのは6400万ウォンだけ」だとか。
  • 五月二三日土曜日朝刊八面、【香港統制強化を審議/全人代開幕/直接介入 民主派へ圧力】。全国人民代表大会は二二日に開幕。「香港の憲法に相当する香港基本法の23条は、国家分裂を狙う行為を禁じる法律の制定を香港政府に義務づけている。しかし、住民の反発で1997年の中国返還以来、実現していな」かったところ、「習政権は昨年10月、中国主導で法整備を行う方針を示した」。「新たな制度案では、「国家安全に危害を加える行為・活動」の防止や、処罰が可能になり、中国政府の関連部門が香港に出先機関を設けることも認める」とのこと。「この時期の法整備には、9月の香港立法会(議会)選挙を前に、民主派への圧力を強める狙いがあるとみられている」。
  • 米大統領選2020 バイデン研究(中)」、【黒人社会と深い絆/妻子と死別 「家族」思い入れ】では、ジョー・バイデン(77)がデラウェア州ウィルミントンに暮らしていた青少年期から「自らの行動で人種間のギャップを埋め」ようと試みていたことなどが証言されているが(「前ウィルミントン市長のデニス・ウィリアムズさん(67)」による)、そのような人間でも時に、不注意な軽口の類だったとしても、「あなたがトランプか私かを迷っているなら、あなたは黒人ではない」(https://www.newsweekjapan.jp/watase/2020/05/post-4.php)などというおよそ馬鹿げた言明をぽろりと口からこぼしてしまうわけだ。一体この世の誰が、「あなた」が「黒人」であるかそうでないかを決めることができると言うのか?
  • 五月二四日日曜日七面、【「正義連は自分の利益追求」/日本と交渉 韓国元高官/尹氏と元慰安婦 利害相違】。「韓国の李明博[イミョンバク]政権で大統領外交安保首席秘書官として慰安婦問題の対日交渉にあたった千英宇[チョンヨンウ]氏(68)が本紙のインタビューに応じた」。

 千氏によると、京都で2011年12月に行われた日韓首脳会談で李大統領が野田首相慰安婦問題の解決を迫った翌年の春、斎藤勁[つよし]官房副長官が解決に向けた腹案を持ってソウルの千氏の事務所を訪れた。
 腹案は、駐韓日本大使が元慰安婦に1人ずつ面会し、日本の首相の謝罪親書と日本の国家予算による補償金を直接手渡すことが柱だった。千氏はこれに先立ち、中心的な元慰安婦5、6人を大統領府に呼んで意向を聞いていた。
 千氏は「元慰安婦のおばあさんは、生きているうちに日本政府の謝罪と補償金を受け取りたがっている印象を受けた。日本が受け入れられないことを承知で、正義連が(挺対協時代から)強硬に求めている『日本政府の法的責任の認定』といったことについて、おばあさんたちは難解でよく分かっていなかった」と述べた。
 千氏は斎藤氏との会談後、挺対協の代表だった正義連の尹美香前理事長(55)と面会して案を説明した。挺対協が「法の上に君臨していると言っても過言ではないほど絶大な影響力」を持っていたためだ。
 尹氏は、腹案の内容を喜ぶと思ったが「困惑に満ちた表情を浮かべた」という。
 千氏は「尹氏は純粋に元慰安婦の利益を代弁していると思っていたが、元慰安婦と利害関係が違うのだとその時悟った。(……)」と語った。
 政権内部には「尹氏ににらまれた公職者は、(左遷など)一生が台無しになる」という空気があったという。(……)
 15年末の慰安婦問題をめぐる日韓合意によって、当時生存していた元慰安婦47人中の7割以上にあたる36人が1億ウォン(約870万円)の支給を受けた。(……)

  • 五月二五日月曜日朝刊九面。詫摩佳代「1000字でわかるグローバル・ヘルス 1 病に対する協力体制」。「国際保健協力の始まりは19世紀に遡る。コレラが大流行するヨーロッパで、近隣諸国がそれぞれの国内情報を共有し、入国する人や船に対して共通の検疫制度を確立する必要性が認識された。1903年に成立した史上初の国際衛生協定では、コレラとペスト(12年に黄熱病が付け加わる)に関する通知義務や検疫法などが定められた。第1次世界大戦時にスペイン風邪チフスが流行すると、既存の枠組みをより強固なものにしようという機運が高まり、国際連盟の下には感染症情報の拠点が設立された。国際連盟に加盟しなかったアメリカは非公式な形でその保健協力に関与し、第2次世界大戦中も国際連盟と協力しつつ、連合国陣営の感染症管理に尽力、その経験からWHO設立を主導した」。


・作文
 12:36 - 13:55 = 1時間19分(5月23日)
 14:02 - 14:44 = 42分(5月23日)
 15:11 - 15:22 = 11分(5月25日)
 15:22 - 17:03 = 1時間41分(5月2日)
 18:17 - 19:28 = 1時間11分(5月2日)
 24:27 - 24:51 = 24分(5月25日)
 計: 5時間28分

・読書
 21:20 - 21:46 = 26分(ブログ)
 23:00 - 23:26 = 26分(ブログ)
 23:29 - 23:34 = 5分(日記)
 23:35 - 24:15 = 40分(Wikipedia; Jordison)
 24:59 - 25:35 = 36分(ジョンソン)
 26:46 - 27:08 = 22分(Wikipedia
 27:16 - 28:02 = 46分(尾田)
 28:03 - 28:20 = 17分(古今和歌集
 計: 3時間38分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-03-21「木漏れ日をはだかの腕に宿すひと今日も誰かの命日である」; 2020-03-22「雪どけの音が聞こえる密室であなたは言った天使がいると」
  • 「at-oyr」: 2020-02-28「ライブ映像」; 2020-02-29「ryota
  • fuzkue「読書日記」: 2020年4月24日(金)
  • 2019/5/7, Tue.; 2019/5/8, Wed.
  • Wikipedia: 「Emperor Kazan」; 「ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク」
  • Sam Jordison, "Primo Levi brings readers as close as prose can to the horror of Auschwitz"(2019/7/9)(https://www.theguardian.com/books/booksblog/2019/jul/09/primo-levi-auschwitz-if-this-is-a-man
  • バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇一六年、書抜き
  • 少年ジャンプ+」: 尾田栄一郎ONE PIECE』第9話~第12話
  • 奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年): 86 - 92

・音楽

2020/5/24, Sun.

 カフカは自己の「現存在」追求の姿勢と、「所有、及び所属存在」追求の姿勢との対立に悩む。彼はこの苦悩を、自分の持ち場である文学世界へ持ち込む。つまりカフカは、自己の文学に対する姿勢、即ち彼にとって文学が是であるか(現存在)、あるいは否であるか(所有、及び所属存在)という根本問題そのものを文学の素材にして、自分の在り方を創作過程のなかで考察したのである。彼は自分の内面で蠢く二つの性向を、書く行為の際に分身という技法で解きほぐす。この技法によりカフカは、書き手の単なる心情吐露を離れて、フィクションという場を獲得する。自己の相矛盾した性向を連綿とつづるのではなく、物語のなかでそれらを形象化、視覚化したのである。カフカ文学では、二つのまったく対立する領域が設定され、その一方の領域から他方へ向う否定の動きによって、物語が漸次進展する。この否定は、ある場合には主人公に敵対する人物として、またある場合には主人公が遭遇する事件として表現されることになる。
 (高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』鳥影社、二〇〇三年、150~151)



  • 一一時四三分離床なので、ちょうど七時間半の滞在。
  • 起きていって便所に入ると気流の音が外から盛んに聞こえてきて、だいぶ大気の動きの強い日らしく、風は林の樹々とむつまじく熱情的に交合しているようだ。実際あとで部屋にいるあいだにも、窓外で棕櫚がよく揺れていたと思う。
  • マルちゃん正麺」を食う。こちらが風呂を洗い、洗濯機に繋がった汲み取りポンプも小型のブラシで擦って、何だかよくわからない垢みたいなぬるぬるした汚れを蛇腹の隙間から念入りに取っているうちに、母親が作ってくれたのだった。美味。
  • 二時から「(……)」のメンバーと通話の予定だった。"(……)"のMVについての会議らしい。それで前日にTから送られてきていたURLにアクセスし、彼女が作ってくれた資料を読んでおく。これまでMVについて折々になされた話し合いの簡易な記録みたいなものだ。その後、前回四月二六日の会議後に試作された動画を視聴する。宇宙パートと地球もしくは地上的な自然のパートとの色味の落差がやはり大きいような気がした。とりわけ地球から宇宙に移行する際に断絶の感覚が強い。とは言え制作したTのほうでもそれは考慮しているようで、だから地球パートの最後に比較的淡い色合いの夕空を持ってきて、繋がり方をいくらか均そうと試みているわけだろう。あと今回見てみたところでは、前半の地球パートは何だか動きとしても緩慢と言うか、ひとつひとつの画像の移り変わりが遅いと言うか、要するに一つのカットが長いような気がした。こんなものなのかもしれないが、もう少しこまかく移行しても良いのかもしれないという印象は持ったものだ。後半の宇宙パートで星々の動き方が変わるのは悪くない。ただ横に流れるようになる場面では流動がちょっとなめらかでないと言うか、何だかそれ以前とリズムが変わってしまうような感覚もあった。最後で斜めに回転する動きになるのは良いのではないか。
  • ZOOMを使って二時から五時まで話し合い。四〇分で切れるシステムなので、そのたびにアクセスし直す必要があった。我が家のインターネット回線が脆弱なのでこちらはたびたび繋がらなくなって自動的に退出させられ、ちょっと待って回線の調子が戻るとまた自動的に再入場するというプロセスを繰り返した。
  • "(……)"の「少女」(「彼女」と呼ぶということになったが)の物語を考える。「人は(……)のなかで自由である」という大テーマをTが提示し、生を重ね色々な経験を積んでいくなかで個々人の世界は広がっていき、いままで自分が狭い場所にいたということに気づきそこからより広い領域へと出ていくことで人は自由を感じる、みたいな話がなされたのを受けてこちらは、そうするとまず最初の段階で、狭い領域に拘束・制限されているということを描写しなければならないよねと出発点を確認した。そこから何らかのきっかけや出来事や遭遇などがあって気づきを得ることで世界が拡大していくわけだけれど、この「きっかけ」に「光」を接続できるかもね、と続けて述べる。「光」というのはよくわからないのだが、TなどによればおそらくTTを象徴化したようなものらしく、"(……)"の「彼女」は一応TTの先輩である(……)さんという人を当てはめているらしくて、Tは動画のなかだけでもこの(……)さんに救われてほしい、そういう物語を作りたいということを前から折に触れて表明しているところ、そのような文脈で(……)さんを「救い」へと導くような存在として、TT=「光」という比喩的形象化のアイディアが以前から導入されていたという風にこちらは理解している。ただTT自身としては、"(……)"内の「少女」を現実の(……)さんにあまり寄せて考えるのはやめたほうが良いと考えているようで、「押しつけがましくなる」ということを何度か言っていた。彼女が動画を見る可能性はあまりなさそうとは言え(……)さん当人にとって押しつけがましいのか、そういう試みを「(……)」の他メンバーから受け取るTTにとって押しつけがましいのか、第三者である動画の視聴者にとって押しつけがましいのか、その点はこまかくは不明だが、たぶん主には第一の意味合いではないか。MUさんもその点には敏感に気づいていたようだ。
  • 途中、Tが話し合いの内容をメモしているあいだの雑談でTDが、「自由」に関してlibertyとfreedomの違いを調べたと言って説明してくれたのだが、それによればfreedomはもともと恒常的に存在していた自由のことで、libertyはいわゆる市民革命を通して獲得されたような、不自由と思われる拘束状態から闘争によって勝ち取られた自由だということだった。その説によるならばfreedomはつまりは基本的人権、生得権あるいは自然権的なものだということになるだろう。で、市民革命的歴史を通過するなかでいわゆる人権思想が世界に根づいていき、その結果例えば日本国憲法などにも「基本的人権」として明文化されるに至っているというのがもっとも教科書的な理解図だが、だからlibertyを闘争によって得たあと、それが定着すれば恒常的な生得権たるfreedomとして定位されて固化するのかなあみたいなことを適当に思いつきで述べたところ、TDが、しかしそもそも絶対的な王とか、つまりは抑圧者がいなければ、libertyの前にfreedomがあるわけで、みたいなことを返したので、たしかにそうかと同意し、したがってやはりfreedomはおそらく自然権などに結びつくものであるか、あるいはもはや「自然権」思想よりも前の「自然状態」の人間の状況自体を表すのかもしれないと理解した。それは言うまでもなくトマス・ホッブズにとっては普遍的万人闘争であり、ジャン=ジャック・ルソーにとってはたしか原始的ユートピアだったと思うのだけれど、そこにfreedomなるものはどのような要素として存在していたのかとか、そもそも「自然状態」なるものがもちろん一つの思考実験的フィクションではないかとか、論点はまあ色々とある。
  • それは措くが、libertyの話からジャンヌ・ダルクという形象が出てきて、それを拾ったTTがチャットで、"(……)"の物語は「両手両足をもがれたジャンヌ・ダルク」の物語にしたいという希望を出した。その一方で後半こちらは、上記した拘束 - 遭遇 - 解放路線を続けて、例えば単純な話、最初の時点では「彼女」の視点を表す動画内の絵がすべて下を向いているようなもの、もしくは地上、地球内の事物に限定されていたところ、その視線が「光」の導きによって上に向かい、空すなわち宇宙空間の存在に気づく、で、夜空には星々が浜の真砂のごとく無数に輝いており、自分が生きているこの地球もそのうちの一つに過ぎないのだなあという形で主体は己の世界観を相対化するに至るみたいな、とてもありがちではあるけれどそういうストーリーならびに表現手法の案を話した。ちなみにこの相対化のテーマは青木淳悟の「クレーターのほとりで」のなかにそういう描写があったもので、それをこちらが覚えているのはおそらく、保坂和志が小説論三部作のどれかのなかにその部分を引きながらこういう描写俺めっちゃ好きやねんみたいな感じで言及していたからだが、青木淳悟の『四十日と四十夜のメルヘン』は二〇一三年九月に読んでいるにもかかわらずなぜか何の書抜きも残っていないし、保坂和志のエッセイの記録を読み返しても該当の箇所は抜かれていなかったので引用はできない。「クレーターのほとりで」は奇妙に偽史的な物語だったと言うか、なんかまず原始人みたいな時代のことが描かれたあとに一気に時間が飛んで現代に移りその原始人の痕跡が発掘されるみたいな、なんかそんな感じで変な小説だったような覚えがあるけれど、その原始人はたしか体色が薄ピンク色で、あるいはその上にさらに白い体毛なども生えていたかもしれない。こちらがいまイメージしているのは鶏の笹身みたいな色と質感なのだが、たしか暗闇のなかを移動するあいだ自分たちのからだのそのピンク色がほのめくのが互いに見え、さらに地面に寝転んで大空を見上げればそこには銀色の星々があまねくきらめいており、いま自分がこの身を横たえ預けているこの大地もそれら天に散りばめられた無数の砂子の一つでしかないのだと考えると、不思議な感覚に襲われてとても理解が及ばなかった、みたいな記述があったように記憶している。正確なトレースではないが、「砂子」という語を使っていたのはたぶん確かだと思う。
  • で、あとはそれらの、TTが出した大枠のイメージやこちらなどが挙げていったストーリー及び演出案をどのように統合していくか、すなわちすり合わせていくか、あるいはどこを切ってどこを拾い上げていくか、そういうことになるのではないかと言って、それでだいたい話は切りがついたのだったと思う。時刻も既に五時に近かった。こちらは五時になったら飯を作りに行くと言っておいたところ、この最終盤なぜかインターネット回線がそれまでよりもさらに繋がらなくなり、最後の話を聞けないまましかし五時に至ったので、仕方がないので回線がわずかに回復した隙を突いてLINEのほうに、すまんが今日はこれで失礼させていただくとメッセージを送っておいた。こちらが退去したあとも話はいくらか続いたようだ。
  • 夕食の支度へ。母親が既に大根の味噌汁を作ってくれていた。こちらは小松菜を絞って切り、メカジキのブロック三枚をそれぞれ三等分する。ソテーにするのだが、冷凍のインゲンを合わせることにして、それで鍋に湯を用意してさっと湯搔いて切ったあと、フライパンで魚のソテーを始めた。油とともにチューブの生姜をまず落とし(のちに冷凍保存されていたなまの生姜の細片も加えた)、蓋をしながら火を通すあいだ、首や頭蓋を揉んだり腰をひねったりして肉体をほぐす。途中で父親が勝手口に現れて、畑で採って洗った水菜及び大根の葉を持ってきたので、ビニール袋に整理して冷蔵庫に入れておいた。ソテーはほんの少し茶色の焼き目がつくほどに熱したあと、名古屋味噌で味つけ。
  • 入浴時にはやはりストレッチ。とにかく腰ひねりがめちゃくちゃ効く。湯のなかでは首やら目の周りやら腰やらを指圧し、これも大事なのだが、ただ文を書くときに片手間でそれをやってはいけない。作文時はとにかく肉体を停めること。
  • 二〇一九年五月五日日曜日の読み返し。冒頭の書抜きは山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』からのもの。改めて読み返してみるとわりと重要な情報だと思われる。

 「神の救い」や「奇跡」ということは度外視するとして、出エジプトイスラエル民族全体の共通体験だったとする旧約聖書の観念も、歴史的事実に立脚するものではあり得ない。後に見るように、ヨシュア記が物語るような、イスラエル民族が外部から一団となってパレスチナに侵入したという事態を示す痕跡は、まったく存在しない。「イスラエル」という民族集団は、パレスチナ自体の中で、起源を異にするさまざまな集団が、何段階かにわたる複雑で漸進的な過程を通じて相互に結合し、民族的自己同一性(アイデンティティ)を獲得することによってはじめて完成された、というのが真相のようなのである。
 エジプトの史料を見ても、前一三世紀前後に大量の奴隷の脱出があったり、大規模な民族移動があったという事態を示唆する記録は、少なくとも今のところ何一つ発見されていない。もし何百万人もの人間が同時に移動したとすれば、通過した後に一連の破壊の跡や大規模集団の宿営の跡、大量の土器の散乱など、考古学的な痕跡も残るだろう。そのようなものもまったく発見されていない。したがって、歴史的に考え得るのは、出エジプトの伝承のもとになった出来事が、実は文書記録にも残らず、考古学的痕跡も残らないような小規模な出来事であった、ということである。ただし、それがどの程度の規模(何十人規模? 何百人規模? 何千人規模?)であったのか、彼らがどんなコースでエジプトからカナンに向かったのかについては、今ではまったく分からなくなっている。後のイスラエルは、出エジプトを自分たちの民族全体に関わるヤハウェの偉大な救いの業と信じたが、それは大エジプトにとっては、国家の記録に残す値打ちもない、奴隷の一部の逃亡(出一四5参照)といった些細な事件に過ぎなかったのであろう。それを、後のイスラエル民族は、自分たちの民族全体の共通体験として再解釈した。そしてそれを、自分たちの神ヤハウェの卓越した救いの力を示す象徴的な出来事として語り伝えていったのである。
 (山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』筑摩選書、二〇一三年、60~61)

  • 二〇一四年七月四日金曜日も読む。短い文。欄外で、「うまく書こうなどという望みは捨てて、ただ書くこと。ただ死ぬまで書きつづけること」というお馴染みの生存原理を自らに向けて言い聞かせるとともに、「しかし書くということは実際のところ、まったくもってうんざりすることだ。ところが恐ろしいことに、生きるということはそれ以上にうんざりすることなのだ」などと心情を吐露している。
  • 二〇一四年七月五日土曜日も。この日の自分の心境からすれば、「文章などというものはたちの悪い戯れ以上のものではない」らしい。同日、エンリーケ・ビラ=マタス木村榮一訳『バートルビーと仲間たち』(新潮社、二〇〇八年)の書抜きをしている。ヴァルザーについての証言など。ここに名前が出てくるカール・ゼーリッヒという人は『ヴァルザーとの散歩』みたいな証言録を残しているのだけれど、頼むから誰かはやくそれを翻訳してくれないだろうか。ちなみに、下の引用中にある「わたしにとって息のしやすい世界は下の方の猟奇なのだ」という一節の「猟奇」は、たぶん「領域」を写し間違えたのではないかと思う。

 回復不能の狂気に陥ったために、書くことを放棄した人たちもいる。ヘルダーリンと、無意識のうちにヘルダーリンに倣おうとしたローベルト・ヴァルザーがその典型的な例と言えるだろう。ヘルダーリンは後半生の三十八年間、テュービンゲンに住む指物師ツィンマーの所有する屋根裏部屋で過ごし、スカルダネッリ、キッラルシメーノ、あるいはブオナロッティといったペンネームで意味不明の奇妙な詩を書きつづけた。ヴァルザーは後半生の二十八年間を最初はヴァルダウの、ついでヘリザウの精神病院で過ごし、その間小さな紙片に解読できないおかしな虚構の文章を微細な文字で取り憑かれたように書き続けた。
 わたしはある意味でヘルダーリンとヴァルザーはものを書き続けたと言えるのではないかと思っている。「書くというのは――とマルグリット・デュラスは言っている――しゃべらないということである。それは沈黙すること。声を出さずに吠えることである」。ヘルダーリンが声を出さずに吠えた点に関しては、いろいろな人が証言しているが、その一つにJ・G・フィッシャーの証言がある。彼はテュービンゲンに住む詩人のもとを最後に訪れた時のことを次のように語っている。「わたしはどういうテーマでもいいから何か書いてほしいと彼に頼んだ。彼は〈ギリシア〉、あるいは〈春〉、〈時代精神〉について何か書いてみようかと尋ねてきた。それなら、最後のテーマでお願いできますかと言ったところ、彼は若い頃のように目を輝かせ、机の前に座り直すと、大きな紙と新しい鵞ペンをとり、机の上においた左手で一定のリズムをとりながら一行書くたびに、満足げにウムと声を出し、これでいいというようにうなずいていた……」
 ヴァルザーが声を出さずに吠えたことに関しては、彼の忠実な友人であるカール・ゼーリッヒが厖大な証言を残している。彼はヴァルザーがヴァルダウとヘリザウの精神病院に入ってからも訪問しつづけた。その中から、(ヴィトルド・ゴンブロヴィッチお気に入りの文学ジャンル)「瞬間の肖像」を抜き出してみよう。ゼーリッヒはそこで、――たとえば、ヘルダーリンが同意の意味でうなずくように――ヴァルザーがある動作、あるいはある言葉を通して彼本来の人間性が現れる瞬間をうまくとらえている。「以前ヴァルザーとわたしは深い霧に包まれたトイフェンからシュパイヒェンまでの道を散歩したことがあるが、秋のあの午後のことはいつまでも忘れることができないだろう。あの日わたしは彼に、あなたの作品はゴットフリート・ケラーのそれと同じようにいつまでも残るでしょうと言った。すると、彼は地面に根が生えたように急に立ち止まり、ひどく重々しい顔でわたしをじっと見つめてこういった。わたしたちの友情を大切にしたいのなら、二度とそういうお世辞を言わないでくれ。彼、ローベルト・ヴァルザーは無用の人間であり、人から忘れられたいと願っていたのだ」
 あいまいな沈黙も含めて二十八年間にわたるすべての作品を通してヴァルザーは、すべての企て、いや人生そのものがむなしい虚栄でしかないと語りかけている。おそらくそれ故に彼は無用の人間でありたいと考えていたのだろう。ある人が、ヴァルザーというのは目指すゴールを目前にして突然びっくりしたように足をとめ、教師や同級生の方を見て、レースを放棄してしまう長距離ランナーに似ていると評したことがある。これはつまり、彼が不調和の美学にしたがって自らの中に閉じこもったということを物語っている。そんなヴァルザーを見ていると、奇矯なスプリンターのピクマルを思い出す。六〇年代に活躍したこの自転車競技のレーサー[シクリスタ]は躁と鬱が交互に現れる循環気質[シクロテイミコ]で、競技中だというのに、自分がレースに参加していることを忘れることがあった。
 ローベルト・ヴァルザーは虚栄を、夏の日を、女性用のスパッツ、日差しを浴びている家、風になびいている旗を愛していた。しかし、彼が愛した虚栄は自分だけが成功すればいいといった野心とはまったく無縁なものであり、微小なもの、はかないものをやさしく提示するといったたぐいの虚栄心だった。地位の高い人が住む世界を支配しているのは力と名声だが、ヴァルザーはそういう世界にはまったく縁がなかった。「何かのはずみで波がわたしを押し上げ、力と名声の支配する高みへと運ばれるようなことがあれば、わたしは自分に有利に働いた状況をすべてぶちこわして、下の方、最下層にある無意味な闇の中へ飛び降りて行くつもりだ。わたしにとって息のしやすい世界は下の方の猟奇なのだ」
 ヴァルザーは無用の人間になりたい、何よりも忘れ去られたいと願っていた。作家というのは執筆をやめたとたんに忘れられるべきだ、と彼は考えていた。というのも、執筆をやめるということは本の世界を失うということ、本の世界が彼のもとから飛び去ってしまい、それまでとはちがう状況と感情のコンテキストの中に入るということを意味している。したがって、創作を行う人間ならとても想像できないような質問を他の人たちから浴びせられて、それに答える羽目になるのだ。
 虚栄心や名声といったものは本来ばかげたものである。セネカは、名声というのは恐ろしい、なぜならそれは多くの人たちの判断に寄りかかっているからであると言っている。しかし、ヴァルザーに人から忘れ去られたいと思わせたものはまた別のものである。世俗的な名声と虚栄心は、彼にとって恐ろしいというよりもむしろ完全に不条理なものであった。というのも、たとえば名声というのはある名前の人があるテキストを所有しているという関係の上に成り立っていると考えられる。しかし、テキストそのものは厳として存在しているのに対して、色あせた名前の方はそのテキストに対して何の影響力ももっていないからである。
 ヴァルザーは無用の人間になりたいと願っていた。彼の愛した虚栄とはフェルナンド・ペソアのそれを思わせる。ペソアはあるとき、板チョコを包んでいた銀紙を床に投げ捨てると、自分はこんな風に、つまりこうして人生を捨てたのだといった。
 (21~24)

  • 次に引くカドゥなる人のエピソードもなかなか面白いけれど、たしかこれは実在の人物ではなくてビラ=マタスの創作だったような気がする。参照源として「研究書」が挙げられているペレックWikipedia記事も見てみたけれど、少なくとも英語版にはそれらしいタイトルは見当たらなかった。

 カドゥが十五歳の時、両親はヴィトルド・ゴンブロヴィッチを夕食に招いた。ポーランド出身のこの作家は数ヶ月前、つまり一九六三年の四月末にブエノス・アイレスに永遠の別れを告げて船に乗り込み、下船したあとほんのしばらくの間バルセローナに滞在した。そのあと、パリに向かったが、そこで五〇年代にブエノス・アイレスで親しくしていた古くからの友人カドゥ夫妻に夕食に招かれた。ほかにもあちこちから声をかけられていたが、ゴンブロヴィッチは夫妻の招待を受けることにした。
 若いカドゥは作家になりたいと願っていた。事実何ヶ月も前からそのための準備をしていた。おおかたの親とちがって彼の両親はそのことを喜び、息子が作家になれるようあらゆる便宜をはかってやった。息子のカドゥがいつかフランス文学界の輝ける星になるかもしれないと考えて、両親は期待に胸を膨らませた。彼は恵まれた条件の下であらゆる本を読み、できるだけ早く賛辞を浴びるような作家になろうと努力した。
 若いにもかかわらず、カドゥはゴンブロヴィッチのある作品、深い感銘を受けたある作品をかなり深く読み込んでいたし、時にはこのポーランド出身の作家が書いた小説の何節かを両親の前で朗読したこともあった。
 そういう事情があったので、ゴンブロヴィッチが夕食の招待を受けてくれたとわかって、両親は大喜びした。若い息子が自宅で天才と評されるポーランド出身の偉大な作家と直に顔を合わせ、親しく口をきけるというのだから、両親が喜んだのも無理はなかった。
 しかし、思いもかけないことが起こった。両親の家でゴンブロヴィッチに会えたという感激があまりにも大きかったせいで、その夜彼は一言も口をきくことができず――両親の家でフロベールと会ったときの若いマルブーフと同じように――自分は文字通りみんなが夕食をとっている客間の家具でしかないのだと考えるようになった。
 家具になったとたんに、若いカドゥは作家になりたいという自分の夢が潰えてしまったことに気がついた。
 カドゥは書くことを放棄せざるをえなくなったが、そのせいで心の中にぽっかり空いた穴を埋めるために十七歳から、狂ったように芸術活動をつづけた。その点がマルブーフとちがっている。カドゥはマルブーフとちがって短い全生涯(彼は若くして亡くなった)を通して自分は家具になってしまったと考えただけでなく、少なくとも絵筆を手にした。筆を持って家具を描いたのだ。以前ものを書こうと考えたことがあるということを忘れるための唯一の方法がそれだった。
 彼の絵はすべて家具が主人公になっていて、どの絵にも『肖像画』という謎めいたタイトルがつけられている。
 「ぼくは自分が家具だと感じています。それに、ぼくの知っている限りでは、家具はものを書きませんから」。カドゥは人から、若い作家になるつもりではなかったのですかと尋ねられると、決まってそう答えていた。
 カドゥに関してはジョルジュ・ペレックの興味深い研究書(『自分をつねに家具とみなしていた作家の肖像』パリ、1973)がある。作者はその中で、カドゥが病気になり長い間苦しんだ末に一九七二年に亡くなったときのことを、辛辣な風刺を込めて次のように描いている。家族のものはそう望んではいなかったが、彼をまるで家具のように埋葬した。邪魔な家具を片づけるように彼を処分し、パリの蚤の市という古い家具が山のようにある市場のそばの骨壷を収める墓穴に埋葬した。
 まもなく自分は死ぬだろうと考えた若いカドゥは、自分の墓のために墓碑銘を書き、家族のものにそれが自分の「全集」と思ってもらいたいと言った。まことにアイロニカルな依頼である。その墓碑銘には次のような一文が書かれている。「もっと多くの家具になろうとしたのだが、それは許されずうまく行かなかった。結局一生を通じてひとつの家具でしかなかったのだが、それ以外が沈黙であることを考えると、そのこと自体は決して些細なことではない」
 (34~36)

  • Wikipediaで「花山天皇」の記事を読む。『大鏡』に書かれている出家時のエピソードほか、興味深かった箇所。

寛和2年(986年)6月22日、19歳で宮中を出て、剃髪して仏門に入り退位した。突然の出家について、『栄花物語』『大鏡』などは寵愛した女御藤原忯子が妊娠中に死亡したことを素因とするが、『大鏡』ではさらに、藤原兼家が、外孫の懐仁親王一条天皇)を即位させるために陰謀を巡らしたことを伝えている。蔵人として仕えていた兼家の三男道兼は、悲しみに暮れる天皇と一緒に自身も出家すると唆し、内裏から元慶寺(花山寺)に密かに連れ出そうとした。このとき邪魔が入らぬように鴨川の堤から警護したのは兼家の命を受けた清和源氏源満仲とその郎党たちである。天皇は「月が明るく出家するのが恥ずかしい」と言って出発を躊躇うが、その時に雲が月を隠し、天皇は「やはり今日出家する運命であったのだ」と自身を諭した。しかし内裏を出る直前に、かつて妻から貰った手紙が自室に残ったままであることを思いだし、取りに帰ろうとするが、出家を急いで極秘に行いたかった兼家が嘘泣きをし、結局そのまま天皇は内裏から出た。一行が陰陽師安倍晴明の屋敷の前を通ったとき、中から「帝が退位なさるとの天変があった。もうすでに…式神一人、内裏へ参れ」という声が聞こえ、目に見えないものが晴明の家の戸を開けて出てきて「たったいま当の天皇が家の前を通り過ぎていきました」と答えたと伝わる。天皇一行が寺へ向かったのを見届けた兼家は、子の藤原道隆藤原道綱らに命じ三種の神器を皇太子の居所であった凝華舎に移したのち、内裏諸門を封鎖した。

     *

出家後の有名な事件としては、長徳2年(996年)花山法皇29歳のとき、中関白家の内大臣藤原伊周・隆家に矢で射られた花山法皇襲撃事件がある。同年1月半ば、伊周が通っていた故太政大臣藤原為光の娘三の君と同じ屋敷に住む四の君(藤原儼子。かつて寵愛した女御藤原忯子の妹)に花山法皇が通いだしたところ、それを伊周は自分の相手の三の君に通っているのだと誤解し、弟の隆家に相談する。隆家は従者の武士を連れて法皇の一行を襲い、法皇の衣の袖を弓で射抜く(さらに『百錬抄』では、花山法皇の従者の童子2人を殺して首を持ち去ったという話も伝わっている)。花山法皇は体裁の悪さと恐怖のあまり口をつぐんで閉じこもっていたが、この事件の噂が広がるのを待ち構えていた藤原道長に利用される形で、翌月に伊周・隆家はそれぞれ大宰府出雲国に左遷の体裁を取って流罪となった(長徳の変)。これにより、あの出家事件の首謀者であった兼家の孫で、道隆の子であった中関白家の伊周はライバルの道長に政治的に敗北することとなり、出世の道は途絶えた。

     *

なお『栄花物語』によれば皇女四人のうち、平子腹の皇女一人のみ成長したという。しかし万寿元年(1024年)12月6日にこの皇女(上東門院彰子の女房)は夜中の路上で殺され、翌朝、野犬に食われた酷たらしい姿で発見された(『小右記』)。この事件は京の公家達を震撼させ、検非違使が捜査にあたり、翌万寿2年(1025年)7月25日に容疑者として法師隆範を捕縛、その法師隆範が藤原道雅の命で皇女を殺害したと自白し人々を驚愕させた。藤原道雅の父は花山法皇に矢を射掛けたあの藤原伊周である(事件そのものは7月28日にこの殺害事件を起こした盗賊の首領という者が自首をしたため、藤原道雅からの指示という点は有耶無耶になってしまった)。

  • また、「出家し法皇となった後には、奈良時代初期に徳道が観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった摂津国中山寺兵庫県宝塚市)でこの宝印を探し出し、紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め、大きな法力を身につけたという。この花山法皇の観音巡礼が「西国三十三所巡礼」として現在でも継承されており、各霊場で詠んだ御製の和歌が御詠歌となっている」と言う。一方でこの花山帝は好色でも有名であり、「即位式の際、高御座に美しい女官を引き入れ、性行為に及んだという話」が伝わっている旨だし、「出家後、乳母子の中務とその娘平平子を同時に寵愛して子を産ませたため、世の人は中務の腹に儲けた清仁親王を「母腹宮[おやばらのみや]」、平子の腹に儲けた昭登親王を「女腹宮[むすめばらのみや]」と称した」などという話もあるらしい。


・作文
 18:10 - 18:36 = 26分(5月1日)
 20:30 - 21:06 = 36分(5月1日)
 21:59 - 23:24 = 1時間25分(5月1日)
 25:54 - 25:56 = 2分(5月22日)
 26:12 - 27:25 = 1時間13分(5月22日)
 27:25 - 27:50 = 25分(5月24日)
 計: 4時間7分

・読書
 13:48 - 13:58 = 10分(英語)
 19:28 - 19:39 = 11分(英語)
 19:39 - 20:02 = 23分(記憶)
 23:44 - 24:44 = 1時間(日記 / Wikipedia
 27:51 - 28:07 = 16分(古今和歌集: 24 - 27)
 計: 2時間

  • 「英語」: 108 - 130
  • 「記憶」: 144 - 150
  • 2019/5/5, Sun.; 2019/5/6, Mon.; 2014/7/4, Fri.; 2014/7/5, Sat.
  • Wikipedia: 「花山天皇
  • 奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年): 24 - 27(メモ)

・音楽

  • dbClifford『Recyclable』
  • Ray Brown Trio『Don't Get Sassy』
  • Ray Brown Trio『Live At Starbucks
  • Maroon 5『Songs About Jane』
  • X『JEALOUSY』

2020/5/23, Sat.

 フェリーツェ宛の手紙から浮び上がるカフカ像は、『判決』の主人公を強く連想させる。この作品では手紙が大きな位置を占めていた。ゲオルクは友人が帰郷しないで、ロシアに留まってくれることを願った。友人が身近にいる生活など、ゲオルクにはまったく考えられなかった。彼との友情は手紙のやりとりの段階で済ませたかったのである。しかも主人公は、友人にとって重要で知りたいと思われる事柄を、できるだけ文面に記さないように配慮した。このような手紙の役割は、フェリーツェ宛の書簡と奇妙に一致している。カフカはラブレターであるはずの手紙で、彼女が待ち望んでいることばを記さない。そのかわりに、何を言わんとしているのか理解しがたいような事柄が綿々と書き連ねてあった。カフカにあって手紙は、彼の作品同様に嘘のない真実を伝えつつも、同時に真意を微妙にはぐらかすことのできる表現手段だったのである。
 (高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』鳥影社、二〇〇三年、120)



  • 九時一一分の離床を達成。滞在は四時間五二分。
  • 「英語」及び「記憶」を音読。かたわら小沢健二『LIFE』を流して折に歌う。「記憶」は一四〇番から。Michael P. Lynch, "Do We Really Understand ‘Fake News’?"(2019/9/23)(https://www.nytimes.com/2019/09/23/opinion/fake-news.html)にあった次の情報はやはりクリティカルなのでは。

(……)Current research estimates that at least 60 percent of news stories shared online have not even been read by the person sharing them. As an author of one study summed up the matter, “People are more willing to share an article than read it.” On the other hand, what we do is share content that gets people riled up. Research has found that the best predictor of sharing is strong emotions — both emotions like affection (think posts about cute kittens) and emotions like moral outrage. Studies suggest that morally laden emotions are particularly effective: every moral sentiment in a tweet increases by 20 percent its chances of being shared. And social media may just pump up our feelings. Acts that don’t elicit as much outrage offline, for example, elicit more online, perhaps because the social benefits of outrage still exist without the normal risks.

  • 今日は労働。中村佳穂『AINOU』を流しつつ運動し、黒いベスト姿に着替える。それから上階に行って便所に入ったが、便秘ではないものの腸の中身がなかなか出てこず、排泄を待つ必要がありやや手間取った。それで出発がちょっと遅くなってしまい、一一時一五分頃、家を離れる。隣の空き地にオレンジ色のナガミヒナゲシが咲いており、そのもとには薄ピンクの小さな花弁も散っているけれど、何の花なのか、そしてどこからやって来たのかまるで知れない。あたりを見回してみても目に入るのは林の緑ばかりで、ピンク色など存在しない。桃の花を思わせるような色だった。空気は暑く、今日の時空にははやくも夏の匂いが漂っており、道端、林縁にある小さな空き地の下草の茂りを見ればそれはまざまざと現れているし、大気にも汗ばんだ肌の人間が漏らすにおいのような青草の香気が混じっているのが明らかに看取される。坂道の左側を埋める草木の連なりのなかにも、結局あれはヒメウツギなのか何なのかわからないのだが、例の白く小さな花群が勢力を増していた。
  • 坂を上っていると前から自転車に乗った人がやってきて、遠目から見てあれは(……)兄弟のどちらかではないかと曖昧な印象を得たところが、乗り手は「S!」と大きな声でこちらの名を呼びかけてきて、近づいて向かい合えばその笑顔も、がっしりと大きめの体格も(……)兄弟のような少年のものではない。彼らの印象を引きずっていたのでちょっと困惑したのだが、しかしまもなく、H.Tという名前が浮かび上がってきた。小中時代の同級生である。Hは背後に、おい! S! Sだぜ! と威勢よく声を放ち、続いて現れたのがH.SGだったので、SGじゃんとこちらは笑って、H.SGっていう名前めちゃくちゃ久々に思い出したわと言った。SGも中学時代の記憶よりもいくらか体格が大きくなっており、髭を多少生やしていたものの、顔立ち自体はあまり変わっていない。さらに続けて小さな男児ともう一人の男性がやはり自転車に乗って現れる。今日は何、どこに行くの? と尋ねると、四人連れ立ってサイクリングに興じ、(……)にあるらしいKの家に行くとかいうことだった。KというのはたしかK.Rという名前だった気がするけれど、やはり同級生である。いま、何やってんのと問い返されるので、あの……青梅駅前に、塾があって、そこでフリーターやってんだわまだ…‥と額に右手を当てつつ、一応世間的な価値基準に照らして多少屈託した風なポーズを取ってみせたところ、するとHは、いやお前、そんな、フリーターやってんだわ……とか言ったって、こいつなんてニートだからなと言いながらSGを指すので、え、お前ニートなの、とこちらは受け、最高じゃんと笑った。意外な話だが、本人が自認していたのでどうも本当のことらしい。そうやって話しているあいだにおそらく五歳ほどかと見えるHの子供は、ねえ、はやくいこうよお、と声を上げて大人たちを急かしてみせるので笑い、こちらは子供の後ろに控えていたもう一人に目を移して、T、と掛けると、そうそう、と嬉しそうな肯定があり、Nだっけ? と名字も訊くとやはり正解だったので、俺、よく覚えてんなあと自賛して笑った。Tは中学時代にはもう少し険のある顔つきをしていた覚えがあるのだが、このとき見たところでは、マスクをしてはいたものの笑みを含ませた目もとが記憶よりも随分と穏やかになっていたような気がする。で、子供がやはり、ねえはやくいこうよおと嘆くので、笑いながらわかったと受け、あの、本当は色々話をしたいんだけど、今日はちょっともう行かないと遅れちゃうんで、と別れを切り出した。それですれ違って別れる間際にSGが、フリーターだからって自分を蔑むことねえぞ、下がいるから、と自分を示しながら堂々とフォローしてきて、生きてることが素晴らしい、と立川の叔父(Yちゃん)に通ずる単純明快さを提示してみせたので、その通りだと肯定を返した。それでまた会いましょうと言って別れる。連絡先を交換していないのでまた会いましょうもクソもないわけだが、しかしこちらのつもりとしては、色々話をしたいとかまた会おうとか口にしたのは、別に社交辞令の意図はなく、いずれ会い、話す機会があればそれはそれでいくらか面白いだろうと思っている。
  • この三人にKも加えて四人、さらにそれ以外にも何人かいたが、彼らは中学時代にはいわゆるヤンキー組と言うか、いくらかやんちゃなほうのグループを形成しており、で、こちらはもちろんそんなグループに属するはずもなく、少なくとも中学二年生までは文句のつけようがない優等生だったので、彼らとさほど深く親しく交友していたわけではない。Hに関しては小学校も一緒だったし、小学生時代は彼の家に遊びに行くこともけっこうあった。Hは最初は(……)の(……)のもとにあるマンション、ゲートボールによく利用されていた小さなグラウンドの隣のそれに住んでいて、のちにもう少し町中のほうに引っ越したのだったと思う。何をして遊んでいたのかは特に覚えていない。たぶんテレビゲームとかだろう。ほかに彼に関する記憶として蘇ってくるのは、中学に入ってからのことだったはずだが、尾崎豊のデビューアルバム『十七歳の地図』(これはたしか中上健次の初期作品『十九歳の地図』から取った題名だったはずだ)を半ば押しつけられるようにして貸してもらったことが一つ。体育の授業のあいだに校庭の端に設置された水場のあたりで、鼻毛が伸びていないかと言って思い切り顔をのけ反らせた彼の鼻の穴を確認するよう求められ、大丈夫だと答えたということが一つ。成人式の際、式のあとで袴姿のHと顔を合わせて飲み会に行こうぜと誘われたものの、バイトがあるからと言って断ったことが一つ。当時もいまと同じ職場で働いていたわけだけれど(教室長がまだ(……)さんだった時代だ)、実際にその日勤務は入っており、と言うかむしろ飲み会に行きたくなかったのでそれを堂々と断る口実として自ら労働を入れたというのが正確だと思うが、Hはこちらの返答を受けて、はあ? お前シケてんなあ、みたいな感じのことを言っていたと思う。
  • H.SGに関しては、彼は(……)小学校の出身だったはずなので知り合ったのは中学に入ってからだと思うが、卓球部で一緒だった時期がある。そう、こちらは中学二年の途中までは卓球部などといういかにも根暗なイメージの付与されている部活動に所属していたのだけれど、ヤンキー組だったSGもなぜかそこにいた。で、ラリーを一緒にやったりした記憶があるけれど、彼は持ち前のヤンキー的高圧性を折々に発揮してきて、当時はまだ気の弱い無力な少年だったこちらはそれに対してわりと辟易していたのではないか。そのほか彼は、たしかI.Mという名前ではなかったかと思うが、中学生にしては大人びた雰囲気を帯びた背の高い女子と付き合っていたような覚えがある。中学時代は誰が誰と付き合っているとかいう軽薄な恋愛話にこちらはまったく縁がなく疎かったので、会話のなかで情報が伝わってきたわけでなく、下校時に彼らが二人で、正門ではなく勝手口的な出入口、林のなかをくぐっていくような道の付近をうろついているのを目撃したことがあり、あの二人たぶん付き合っているんだなと思ったのだ。
  • N.Tについては特に想起される記憶はない。で、彼らは先ほども書いたようにいわゆるヤンキー方面のグループで、いまから考えればその不良ぶりなど全然たかが知れており、せいぜい煙草を吸って他校の生徒と喧嘩をする程度のことに過ぎなかったが、中学生当時のこちらはお定まりのことで自己の主体性をしっかりと形成できておらず、自分の存在に自信がなくて本当はおどおどしているくせにそれを表面的に糊塗する自意識だけは一丁前に膨らんでおり、加えて、生においてまだほとんど学校というきわめて限定的な共同体内のことしか経験しておらず、その外のいわゆる世間とか世界のことをまるで知らなかったものだからやはり視野が狭くて、ヤンキー組の連中のこともわりと怖がっていたはずだ。
  • ついでに卓球部界隈について記しておくと、中学一年生のときには数学の教師だったM先生(漢字が正しいか不明)という人が顧問を務めており、当時のクラスメイトだったMさんとOさんという女子二人はなぜか、こちらがこのM先生にどことなく似ていると言って、第二Mという意味合いで「(……)」などというあだ名でこちらを呼んでいたのだけれど、そのM先生はたしか中学二年の頃には転任し、新しくやって来た体育の教師が――名前を思い出せないのだが――新顧問になって、M先生の指導方法からの転換、その相違に戸惑うところもあったのだろう、この先生は見事に部員のほとんどから嫌われていた。こちらも当時はその反感に同調していたものの、いまから考えるとその嫌悪に確固たる根拠があったのかどうか定かでなく、ただ周囲を取り巻く空気に流されていただけではないかという気もするのだが、だが一方でたしかにこの教師にはもったいぶったような高圧性と言うか、ねちねちといやらしいような感じの性質があったような記憶もある。で、この教師は、無骨と言うかほとんど野暮ったいような感じのスバルの車に乗っていた。たぶん、フォレスターか何かだったろうか? スバルに関してついでに言っておけば、やはり名前が思い出せないけれど技術の教師だった男性、いくらか面長な顔の先に髭をちょっと生やしていた先生はインプレッサに乗っていて、中学生の安直な感性で見るとそれはけっこう格好良かった。で、中学校の駐車場は校庭の脇を通る道沿いにあり、そこに卓球部新顧問の車が停まっているのを見て、一緒に下校していたS.H先輩がいたずらをしたことがあったのだ。たしかもう一人同行者がいた気がするけれど、そうだとしたらそれはたぶんY.Rではないだろうか。彼はS先輩と同学年で、つまりこちらからすると一つ年上に当たるのだが、おそらく子供会で知り合ったのだろう、中学校入学前からよく遊んでいて、彼の住まいだった公営住宅の一室をしばしば訪れては、いまや懐かしき初代PlayStationの『デジモンワールド』などをプレイさせてもらい、かなり面白かった記憶が残っている。当時はこの三人でよく一緒に帰っていたわけだが、そのうちのある下校時に、S先輩が教師の車に蹴りを入れたりしはじめたので、こちらも乗せられて「死ね」とかいう落書きをしたのだけれど、落書きをしたと言っても傷を刻みつけたりペンで書いたりしたわけではなかったはずだから、一体どうやったのだろう? 車体についた埃汚れか何かの上を指でなぞって文字を書いたとか、たぶんその程度のささやかなことだったと思うのだが、S先輩が蹴ったことによってこの車には傷がついてしまい、それが後日問題になったときにこちらも連座してある日学校に呼び出され、生徒指導室みたいなところで当時の担任だったI先生にお叱りを受けたことがあった。お叱りを受けたと言ってもI先生はむしろ困惑気味であり、先にも書いたようにこちらは学業成績もきわめて優秀で素行としてもまるで文句のつけようがない優等生だったので、まさかSがこんなことをやるとは思わなくて……みたいなことをI先生が沈痛気な表情で漏らしていたのを覚えているが、一応事実関係をもう一度たしかに定めておくと、こちらがやったのは「死ね」とかいう文字を指で書いて幼稚かつ無邪気な反抗をちょっと示しただけのことで、車に蹴りを入れて傷をつけたのはあくまでS先輩の仕業である。ただ、教師から指導室のような場所に呼び出されて怒られたと言うか諭されたのはたぶんこのときが唯一だと思うし、これがこちらが小中時代を通して働いたただ一つの「不良行為」だったと言って良いだろう。そのちっぽけさに、当時の自分の臆病ぶりがとてもよく表れている。正確にはもう一つ、小学校の四年か五年のときに、上で遭遇したH.Tも交えた六人くらいで昼休みだったか裏山の一角に忍びこみ――小学校は校舎の脇からすぐ林に接しており、丘上のグラウンドに校外学習に行くような場合でなければ、そこの門から出て山のほうに入るのは禁じられていた――落葉をライターで炙るなどして遊んでいたのが発覚して、教室の後ろのほうに並んで怒られた覚えもあるものの、これはまだ一〇歳くらいのことだし「不良行為」とは言えないだろう。先の中学時代の件もまことに些末な行為であって、当時は既に、例えばDeep PurpleLed Zeppelinをはじめとして七〇年代八〇年代のハードロックを聞きはじめていたはずなのに、ロックという音楽が帯びている反体制精神を大々的に自らの身に取り入れることはなく、不良行為への欲望は特別感じなかったようだ。学生時代にグレたいと思ったことはたぶん一度もないのだが、それは単純に、そういう行為を働くだけの度胸がこちらになかったということが大きいのだろうと思う。で、卓球部に関してはたしか中学二年の途中に辞めたはずだが、この件がそのきっかけだったわけではなく、このあとももう少し部活動は続けていたように記憶している。部活動に対してそれほど欲望も感じていなかったし、その頃にはもうギターを弾きはじめていたからそちらのほうが圧倒的に面白くて、自分としてはさっさと辞めたいと思っていたはずだけれど、辞めるまでいましばらくぐずぐず惰性で続けていたのは、これも当時の自分の幼さと臆病さがなしたわざで、両親にそれを言い出すのに気が引けたという事情があったと思われる。その後のこちらの思春期及び青春はだいたいハードロックとギターに集約されるもので、それを例えばDeep Purpleの"Highway Star"一曲に象徴させても別に悪くはない。この曲は高校一年のときにこちらとTTとの出逢い、ひいてはバンドの結成を導いたものだからだ。中学時代に自分のベッドルームで一人しこしことこの曲のギターソロを練習していたこと、そしてある日の放課後にそれを弾いていたということが、こちらとTTを引き合わせたわけである。
  • ついでに中学時代について思い起こされることをもう少し綴っておくと、中三のときの担任はN先生と言って、目がぎょろりと大きく髪をつんつん立てて額を露出したまだ年若の国語教師で、この人はハードロックが好きだった。なかでも一番好きだったのはたぶんLed Zeppelinだったはずで、ある日のホームルームで彼が、先生はLed Zeppelinというバンドの"All My Love"という曲が好きで、と話し出し、その曲の歌詞に添えて何か訓示を垂れた覚えがあるものの、その内容のほうはまったく記憶していない。もう一つ二つこの人と音楽の関連で覚えているのは、二〇〇四年か二〇〇五年にAerosmithが『Honkin' On Bobo』という古典ブルースをカバーしたアルバムを発表し、これはいまも手もとに音源が残っていていま聞いてみてもそんなに悪くない音をしていると思うのだが、あるときN教師にこの話を振ってみたところ、まああれは本当のブルースじゃない、みたいな手厳しい評価を述べたことがあった。おそらくそれは、ブルースと言うにはあれはやはり激しすぎる、ロックのほうに寄りすぎているという趣旨だったと推測され、そういう言い分もいまとなってはわからないでもない。またもう一つ、あるときなぜか教室にアコースティックギター(おそらくクラシックギターだったと思うが)が一台あって、昼休みにこちらがそれを弄っていたことがあった。そこにはもちろん、俺はギターが弾けるんだぜということを見せびらかしたい思春期ならではの幼稚な自慢心が働いていたのは間違いないだろうが、そのときこちらが拙くも奏でていたのは、Ozzy Osbourneの『Blizzard of Ozz』の四曲目にてRandy Rhoadsがしめやかに独奏している"Dee"である。で、この曲は始まってまもなく、たしかGのコードでなかったかという気がするけれど、指を大きくひらいて小指でルートを押さえつつ一弦から三弦でアルペジオをするみたいなフレーズがあり、そこが難しかったのでこちらはルートを省いたか、あるいは一オクターブ上の根音を押さえて簡単にするかして弾いていたところ、N教諭がそれについて、そうじゃなくて、ちゃんとこうやってルートを弾かなきゃ、みたいな助言をしてくれたのを覚えている。この件でFはギターが弾けるということがクラスに知られたのだろうか、卒業式のあとには教室で、こちらがアコギで伴奏するのに合わせて、イルカもしくはかぐや姫の"なごり雪"を皆で合唱し、N教師に贈った覚えがある。N教諭は涙を催していたはずだ。で、たしかネクタイだか何だかもプレゼントしたのではなかったかと思うが、この企画を誰が主導したのだったか、それは完全に記憶から消えている。ただある日の放課後に、M.Aという女子のクラスメイトと教室の端で二人になったとき、何でネクタイなんか贈らなきゃいけねえんだよ、みたいなささやかな反抗心を漏らし合って共有したことがあった。だから、当時からこちらはそのような定型的「良い話」に対して馴染みきれない性分を抱えていたらしい。つまり、いわゆるところの中二病である。
  • あと中学時代の教師と音楽との関わりとして覚えていることは二つあって、一つには先ほども話に出た中学二年時の担任、国語のI先生が、卒業式を間近に控えたある日の式練習のあと、体育館の壇上で自らピアノを弾きながら長渕剛の"乾杯"を歌って贈ってくれたという出来事があった。もう一つには音楽の教諭だったA先生がある日の授業で、Keith Jarrettの『The Koln Concert』の一部を流して生徒たちに聞かせたということがあった。大方が当時流行っていたJ-POP――たぶんポルノグラフィティの"アゲハ蝶"とか、そのあたりだったと思うが――しか聞いたことのなかっただろう中学生相手にKeith Jarrettを流してみせるとは、なかなか大胆に攻めた教師ではないか? あと一つ、これは教師関連ではないが音楽について思い出したので記しておくと、中学二年か三年のときのクラスメイトにK.Mという女子がいて、彼女はQueenが好きだった。たしかこの頃、何という題名だったか木村拓哉が主演を務めたアイスホッケーのテレビドラマが放映されており(『プライド』だったか?)――木村拓哉が気取った振舞いで"maybe"と口にする決め台詞とか、何かを誓うように片手を胸に当てるポーズとかが人気だったはずだ――そのドラマの主題歌としてQueenの"I Was Born To Love You"が使われて知られるようになっており、この曲に関しては英語のF先生(という名前だったと思うが)も、あれすごい歌詞だよねえ、あなたを愛するために生まれてきたって言うんだからねえ、とか授業中に漏らしていた覚えがあるけれど、それがある日の給食中、昼休みの放送で流れたのだったと思う。で、Kさんとこちらは同じ班で向かい合いながら飯を食っていたのだが、こちらの左隣にはたしか、当時唯一音楽的趣味を共有していた仲間であるところのS.Hがいたのではなかったか。それでQueenの話になり、こちらは当時はまだ己の偏った見方に対する批判的視点を持てない未熟児だったから、Queenって何か、なよなよしててあんまり好きじゃない、みたいなことを言ったはずで、それに対してQueenが好きだったKさんが、内容は覚えていないけれど何とか静かに呟いて反論したのを記憶している。ちなみにその後、高校時代にはこちらはQueenを相当気に入り、アルバムはだいたい入手してよく聞いたので(スタジオアルバムで持っていなかったのはファーストと『Flash Gordon』と『A Kind Of Magic』と『Innuendo』の四枚だけだ)、Kさんには悪いことを言ったと申し訳なく思っているし、中学時代の自分は底抜けの愚物だったと言わざるを得ない。あとさらに思い出したので書き足しておくと、これも中学二年のときか、あるいは一年時だったかもしれないが、Iという(下の名前は忘れた)聖教新聞売店の息子がクラスメイトにいて、小学校時代からそこそこ交友があった彼がなぜかThe Beatlesのベスト盤を持っており、それを貸してくれたことがあった。何か真っ赤なジャケットのやつだったと思う。で、それを聞いてこれええやんと気に入ったわけだが、それがおそらくこちらの人生ではじめてThe Beatlesという存在を定かに認知したときだ。その後、お返しにというわけでもないけれど、ブックオフで入手したVan Halenのベスト盤、真っ黒なジャケットで一四曲か一六曲くらい入っていたやつを貸したと言うか聞かせたことがあり、ということはこれはやはり中学二年になって以降のことだと思われる。と言うのも、こちらがVan Halenに触れるその前にはまずB'zを聞いていたという段階があり、当時は馬鹿げた速度だった回線でインターネットをうろついている際にB'zはAerosmithの曲をパクっているという情報を得て、実際、何だったか"Love In An Elevator"だかをほとんどそのまま借用している曲があったと思うけれど(たしか"Native Dance"とかいう曲が入っているのと同じアルバムに収録されていなかったか?)、ともかくそれでまずAerosmithに興味を持ち、それとほぼ同時に同じアメリカンハードロックというくくりでVan Halenという名も知って、双方のベスト盤を小作のブックオフで手に入れたのだ。そのような経緯があったのはたぶんギターを始めた中学二年以降のことだと思われるのだが、しかし中一の時点で既にB'zを聞いていたような覚えもあり、あるいはことによるとギターを始める以前にハードロックに触れはじめていたのかもしれない。ともかくそのVan Halenのベストアルバムの四曲目に"Dance The Night Away"が収録されていて(ちなみに冒頭曲は名高い"Eruption"だった)、それをIに聞かせてみたところ、彼はDavid Lee Rothの声が気に入らなかったようで、何か声がごつい、野太い、と言って笑いながら退けていたのを覚えている。
  • これでようやく出勤路のことに戻れる。裏道を行きつつ先ほどの同級生たちと再会するまでにひらいた一五年という時間的数値を思ったのだが、つまりは中学校を卒業して一五年か、と思ったのだが、するとまだそんなものかという感触が明確に立った。せいぜい一五年か、意外とそれほどでもないなという感じだったのだけれど、ところが同じ一五年でも、高校に入学してTやTTやTDなどと出会ってから一五年と考えると、これは長いなという感覚がある。その違いがどういう意味づけの差によるものなのかは不明。
  • 往路中のほかのことは忘れた。職場では、先週はサランラップを座席入口に貼らなければならなかったわけだが、今日はマジックテープで接着する方式のビニールカバーが取りつけられてあった。労働は一コマ目が(……)くん(中一・英語)と(……)くん(中二・数学)。(……)くんは先週同様、社会の学校課題を進める。北アメリカについてのプリントを扱い、アメリカ合衆国という国の成り立ちなど説明する。つまり、ヨーロッパ地域の端にあるイギリスという国から海を渡ってはるばるやって来た連中が、アメリカ大陸にもともと住んでいた人々(いわゆるネイティブアメリカン)の土地を奪ってつくった国なのだということを語る。(……)くんは相も変わらず遅刻。問題なく元気そうだ。自粛期間中どう過ごしているのか訊いてみると、ゲーム三昧だと言う。ただ、毎日近所のセブンイレブンまで歩いて出向き、往復してはいるらしく、片道一五分ほど掛かると言うのでそれは良い運動だねと受けた。そのセブンイレブンというのが青梅駅前のそれなのかは知らず、彼がどのあたりに住んでいるのかもこちらは知らない。コンビニではおそらくお菓子やジュースを買っているのだと思うが、菓子で言えばあとで聞いた話では、彼はクッキーの系統が嫌いでまったく食べないのだと言う。パサパサしている感じが苦手だとのこと。ポテトチップスなどもあまり食べず、菓子はもっぱらグミ類を嗜むようだ。
  • 授業は二年生の一番最初の内容からはじめたので多項式の計算。とりたてて問題はないだろう。多項式の括弧を外す際、マイナスがあると各項の符号が変わるわけだが、それは何で? と聞いても思い出せなかったので、これは括弧の前に、書いていないけれどマイナス一があると考えられており、それをいわゆる分配法則で各項に掛け算して括弧をひらくと、そういう理屈になっているのだという点を確認。
  • いまはコロナウイルスの件で変則的な時間割になっており、一時半に授業が終わったあと次のコマは二時開始で休み時間が三〇分あったので、(……)くんと一〇分か一五分くらい雑談をした。ゲームでは彼は『フォートナイト』というものが好きで楽しんでいるらしい。PlayStation 4のソフトだが各種媒体で提供されており、(……)くんは本当はPCでやりたいのだと言う。やはりそちらのほうが動きの滑らかさが全然違うということだ。PCでゲームとなると、こちらなど何も知らないけれど、やはり結構なスペックが必要だろうからノートじゃなくてデスクトップじゃなくちゃ駄目なんでしょ? と話す。それを買えるほどの金はもちろん現在の彼にはないし、親に買ってもらうこともできないだろう。それか、自作するか、と言うので、自作とかできんの? と尋ねると、まあ色々調べて、できないこともないでしょうと言ってみせる。こちらなどにはPCの自作など一体どうやるのか、まるで検討もつかない。でも何かたぶん、秋葉原とか行って部品集めたりするようでしょ? 秋葉原、行ったことあんの? と続けて問えば、ないと言い、俺もたぶん二回くらいしかないよと返すと、だって遠いんだもん、あんなとこ、河辺で全部揃うし、と払うので、これにはさすがに笑う。河辺で満足とは欲がない。たぶん青梅などという鄙の町に住んでいても、例えばもっとファッションなどに興味があったり、あるいは都会に憧れがあったりするような子なら普通に原宿とかに出向いたりもするのだろうが、かく言うこちらも中学時代はほとんど立川すらも行かないようなありさまで、遊びの範囲は、当時よく遊んでいたのはS.HやH.Kだったはずだからまあ大方東青梅あたりまで、行ってせいぜいそれこそ河辺までだっただろう。だから物理的外縁としてのこちらの世界は狭かった。と言うかいまだって都心のほうにしばしば出向くわけでないし、旅行もしないので現在も普通に狭い。ただ一方では七〇年代八〇年代の外国のハードロックだのを聞いていて、そんなものを聞いている人間は周りにはまずいなかったから、ほかの連中が知らないものを知っているという自意識肥大的な優越感も当然抱いていたわけだけれど、この世界にはそういうものがあるのだということを知ることができたのは、これはやはりインターネットのおかげだと言わざるを得ないだろう。急速に発展した情報技術をうまく使い、思春期にその恩恵をポジティヴに受けることができた最初期の世代がおそらくこちらの年代だと思う。
  • 二コマ目は引き続き(……)くん(中二・英語)に(……)くん(中三・英語)、そして(……)くん(という名前だったはずだが)(中三・英語)。(……)くんは入ったばかりの生徒で、授業自体、まだ今日で二回目である。したがって初顔合わせ。最初は(……)さんという小学校三年だか四年の女児に当たっており、この子も初対面だったのだが、なぜか(……)先生が来なかったので急遽変更になった。(……)くんはL1 USE Readを扱う。物静かな子で表情が固く、緊張していたのかもしれない。すべてではないものの教科書本文を一緒に読んで訳出できたのは良かった。
  • (……)くんも教科書を読み、L1のGetもReadも復習できた。けっこう思い出せるのでよろしい。やはり単文でなく、ストーリーや具体的な状況などの流れがあるまとまった量の文章のほうが圧倒的に記憶に残りやすいはずだ。とにかくまずは読んでその意味がわかるということが先決だと考える。こちらだって高校三年生になるまでは例えば文型など大してこまかくは理解しておらず、だいたいのところ意味でもって捉えていた。
  • (……)くんもいつも通りという感じであまり進まなかったがまあ良い。授業後、何だか知らないが長テーブルの上にたくさんあった「カントリー・マアム」を取って生徒たちのもとに持っていった。まあ本当はあげてはいけないのだけれど、そんなこと知るかというわけで子供らを労おうと思ったところが、皆、いいと言って受け取らない。(……)くんは先にも記したようにクッキーは食わないと言うし、(……)くんは何か悪くないですかと遠慮するし、久しぶりに会った(……)さんもつれない様子。(……)くんだけが受け取ってくれたので、秘密ね、家に帰ってから食べてと伝え、そのついでに、どうですか、塾はと訊いてみたけれど、返答の言葉に詰まっていたので、慣れた? と付け加えたところ肯定が返る。いま、コロナウイルスのせいでちょっと変則的な形になってるんだけど、何かわからないことがあったら、まあ僕でもいいし、室長でもいいんで、遠慮せずに聞いてくださいと言っておいた。それで退勤。
  • 思い出したのだが、行きの道中、裏道から街道に出るところで狸を見た。猫ではない。間違いなく狸である。目の前をすばやく走って横切っていったのだが、狸という動物を見かけたのは数年ぶりのことだ。帰路はと言えば市民文化センター裏の駐車場に黒い猫を見かけた。その先、線路を越えてちょっと上がったところに梅岩寺の枝垂れ桜も青々と染まっている。帰りの道々はひと気が多いと言うか、例えば家の前に出てバドミントンか何かやっている男女やら線路沿いの斜面の草を取っている人々やらが見られ、歩行者や自転車の通行人も多かったし、姿が見えずとも多くの家の周りから人の動く気配が立ってくる。休日らしい雰囲気だが、やはりみんなコロナウイルスによる自粛続きで閉籠に疲れて、なるべく外に出たいみたいな心理があるのだろうか。
  • 帰宅後のことは忘れた。何か飯を作ったような気がするが。大根の葉を炒めたのだったか?

 まず、疎外から確認していこう。疎外とは、シニフィアンの世界(象徴界)への参入によって、享楽の喪失と引き換えに主体を現れさせる操作である。
 さらに詳しく述べよう。象徴界に参入していく際に、ひとは自らの原生的主体(S)を何かのシニフィアン(S1)によって代理表象してもらわなければならない。この代理表象の結果、主体はひとつのシニフィアン(S1)によって表されることになるが、このシニフィアン(S1)はひとつきりで存在するだけでは無意味であり、そこに意味を生じさせるためにはペアとなるシニフィアン(S2)を必要とする。すると、主体は(S)は、あるシニフィアン(S1)によって別のシニフィアン(S2)に向けて代理表象されることになる。

  • Sさんブログ、二〇二〇年二月二七日。以下の部分が面白く、とりわけ、「歴史に洗い出されたわけでもなく、歴史との緊張関係を意識に含んでいるわけでもない、まるで大したことないはずの絵に何事かを感じてしまうとしたら、それは美的判断ではなくて、おそろしさを回避したいという欲求からくる「症状」であり、分析対象であると考えた方が良い」という一文が興味深い。

(……)長い歴史の中でゆっくりと価値判断されてきた絵の歴史というのはあるのだから、それを最大限尊重することは大事だ。客観的な価値基準が存在するとすれば、それは過去の歴史にしかないだろう。逆に言うと、歴史に洗い出されたわけでもなく、歴史との緊張関係を意識に含んでいるわけでもない、まるで大したことないはずの絵に何事かを感じてしまうとしたら、それは美的判断ではなくて、おそろしさを回避したいという欲求からくる「症状」であり、分析対象であると考えた方が良い。

当時の僕が「上手い」と感じていた、あるいは今もそう感じているのかもしれない絵、あるいは文章。それはどういう傾向なものか?というと、つまり不純物が無いように見える、不純物を上手く制御しているように見える、要するに個性とか個別性とか癖とかの要素がなるべく少ない、おそろしさの含有量がきわめて小さいものを「上手い」と感じてしまうということになる。

いわば「うその上手さ」に反応する。文章を読んで、絵をみて「なんて上手なうそだろう!」と驚嘆している。絵だとアカデミックな基礎技術がしっかりしている類にかなり弱いし、文章だと三島由紀夫とかもモロにそういうタイプだと思うが…。ちなみに僕は三島の代表作はかなり昔にほぼ読んでいるのだが、正直、三島由紀夫って「まあ…なんて華麗な文章なの…」と僕はふつうにうっとりしてしまうところがあったのだが(しばらく読んでないから今どう思うかはわからないけど)。何かそういう…平凡な意味での高度な技術というか、カッコいい風に抑制の効いた、まるで盆栽の枝ぶりを師匠の教え通りにきちんと決めたかのような、もっともらしい感じを、なんとなく頼もしいというか不安を解消してくれる何かのように感じてしまうのだと思う。それは僕の臆病さがもたらす症状で、たぶん僕が本当の「美」を感じ取ろうとしたときの夾雑物になっているのだろうと思う。


・作文
 22:29 - 23:56 = 1時間27分(4月30日)
 27:21 - 27:51 = 30分(5月1日)
 計: 1時間57分

・読書
 10:00 - 10:32 = 32分(英語 / 記憶)
 10:35 - 10:48 = 13分(古今和歌集: 55 - 60)
 24:35 - 25:52 = 1時間17分(古今和歌集: 60 - 86)
 26:00 - 26:34 = 34分(日記 / ブログ)
 26:39 - 26:56 = 17分(ジョンソン)
 26:57 - 27:20 = 23分(尾田)
 27:52 - 28:12 = 20分(古今和歌集: 20 - 24)
 計: 3時間36分

  • 「英語」: 96 - 107
  • 「記憶」: 140 - 143
  • 奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年): 55 - 86, 20 - 24(メモ)
  • 2019/5/3, Fri.; 2019/5/4, Sat.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-03-20「煮沸した無意識をうつわに注ぐ飲めるものなら飲んでみろと言う」
  • 「at-oyr」: 2020-02-26「拠点」; 2020-02-27「嘘」
  • 難波和彦「神宮前日記」: 2020年05月13日(水); 2020年05月14日(木)
  • バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇一六年、書抜き
  • 少年ジャンプ+」: 尾田栄一郎ONE PIECE』第8話

・音楽

2020/5/22, Fri.

 (……)カフカが交際した相手の多くは、彼の故郷プラハ以外に住む女性であった。彼にとって女性との交際は文通が望ましい。相手と直接に顔を合わせては、恋愛の進展どころか会話すらもが難しかった。彼は自分の領域である文章世界で恋愛しなければならなかった。(……)
 (高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』鳥影社、二〇〇三年、118)



  • 午後二時二一分の離床。やばい。
  • 尾田栄一郎ONE PIECE』の第二話以降。この物語の登場人物のうち何人かは、はっきりとした「夢」や「やりたい事」、つまりは大きな目標や野望を持っている。コビーのそれは海軍に入ることであり、第三話で登場したロロノア・ゾロにも、その時点ではまだ具体的な内容は明らかではないものの、「やりてェ事」がある。ルフィの野望は言うまでもなく、「海賊王になる」ことである。ところで、「海賊王になる」とは一体どういうことなのだろうか? 七二頁にあるコビーの発言によれば、「海賊王」とは「この世の全てを手に入れた者の称号」であり、それをさらに言い換えれば「富と名声と力のひとつなぎの大秘宝[﹅]」、すなわち「ワンピース」を獲得した者の謂であるらしい。タイトルにも据えられているこの「ワンピース」とやらが何なのかはこの時点ではわからないし、物語の最新時点でその正体が明らかになっているのか否か、それもこちらは知らない。ただ、この作品のまさしく開幕で処刑されるゴールド・ロジャーは、「富・名声・力 かつて この世の全てを手に入れた男」として「海賊王」の称号を冠されているわけだから、「海賊王」は言うまでもなく既に存在していたわけである。それはこれから新しく開発される唯一無二の概念ではなく、物語の開始以前に一人の男によって具現化されていた地位だ。そしてこの初代「海賊王」、言わば開祖たる「海賊王」が死ぬ間際に言い残した一言、すなわち、「おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ…/探してみろ この世の全てをそこに置いてきた」という発言が「全世界の人々を海へ駆り立て」、世は「大海賊時代」を迎えることになったのだから、『ONE PIECE』の物語は作品全体を統括するそのもっとも大きな枠組みにおいて、初代「海賊王」のあとを継ぐために争い合う人々の物語だということになる。ゴールド・ロジャーを唯一絶対的な原初の〈父〉、そして「ワンピース」を目指す海賊たちを〈子〉として捉えたり、あるいは彼が残したと言う「財宝」=「ワンピース」を到達不可能な〈物〉として捉えたりすれば、精神分析的な読み方がことによると成り立つのかもしれないが、こちらにその力はないし、そのように読んだとしても大して面白いことにはならない気がするので、さしあたってそれを試みる気持ちはない。
  • 第二話に戻ると、ルフィは「海賊王になる」という彼の「夢」を「絶対無理!!」、「無理に決まってますよ!!」、「できるわけないですよ!!」と矢継ぎ早に否定しまくるコビーに対して、「おれは死んでもいいんだ!」「おれがなるって決めたんだから/その為に戦って死ぬんなら別にいい」とこだわりなくあっけらかんとした様子で言い放つ。その言葉はコビーにおいて、「…なんてすごい覚悟だろう………!!」と切実に受け止められ、彼を感化し、コビー自身の「やりたい事」、つまりは「海軍に入ってえらくなって悪い奴を取りしまる」という「夢」を物語の前景に招き寄せ、明るみに出すことになる。
  • 第二話に関してはあと、七九頁でルフィがアルビダを倒す際、もちろん必殺技である「ゴムゴムの銃[ピストル]」を放つわけだが、このときの技名のコールが「ゴムゴムの/銃…」という風に三点リーダーを付した形になっており、その記号は必殺技の宣言としては控えめで煮え切らないようなニュアンスを付加してしまうものなので、なぜここに点が加えられているのかよくわからない。
  • 第三話はコマ割りと言うのか、絵の移行上リズムが気になった箇所が二つある。一つ目は八九頁である。海軍基地に捕われているロロノア・ゾロの姿を、塀によじ登ったルフィとコビーの二人が覗くのだが、ルフィに続いて恐る恐る塀の上から顔を出したコビーは、ゾロの姿を目にすると「!!!」と衝撃を受け、次のコマではもう地面に落ちて尻餅をついており、「ドックン ドックン!!」と鼓動を高めて震えながらも、あれが間違いなく本物のロロノア・ゾロだと断言する。ここではコビーが動揺のあまりに塀から落ちて地面に尻を打ちつけるという過程の描写がまるまる省かれており、その中途欠如的なテンポ感がちょっと気になったのだった。つまりありていに言えば、四コマ目では塀から顔を出していたのに、驚愕の表情のアップ(顔全体ではなく左目の周辺しか映っていない)を挟んだのちの六コマ目では、あれ、もう地面についてるやんといういきなりの感覚をちょっと与えるということだ。ただしそれが利点なのか欠点なのかはこちらにはわからない。
  • 同じことは一〇二頁から一〇三頁への移行にも言えて、ここでは町なかに現れたモーガン海軍大佐の息子ヘルメッポが、「三日後」にはロロノア・ゾロの「公開処刑」を行うと町民に宣言して触れ回っており、それに対してルフィが、一か月耐えれば解放するという約束はどうなったんだと口を挟むと、ヘルメッポは「そんな約束ギャグに決まってんだろっ!!」と一蹴する。その様子を受けたルフィは、この男は「クズ」だと怒って思わずヘルメッポを殴ってしまうのだが、一〇二頁の終わりのコマで「約束」の正当性を信じるゾロの様子が回想的イメージとして挟まれた次の瞬間、一〇三頁の上半分ではルフィが既にヘルメッポの胸ぐらを掴みながら腕を振り終えており、大佐の息子は口と鼻からいくらか血を吹き出しながら白目を剝いているのだ。ここでもやはりルフィがヘルメッポのそばに移動したり、その服を掴むために手を伸ばしたり、あるいは拳を振ったりする過程の描写が省略されており、いきなり打撃が完了しているという印象を与えるのだが、しかしここでは暴力という物事の性質上、その省略はむしろ、ルフィの激昂及び抑えられなかった殴打の実行を際立たせるように働いていると判断するべきなのかもしれない(ちなみにこのヘルメッポを殴ったコマで振り抜かれたルフィの左腕は、「ゴムゴムの銃[ピストル]」を放つときのように完全になめらかな様相には収まっておらず、肘のあたりにわずかに線が付されるとともに輪郭も完全にまっすぐではなくかすかに波打っていて、要するに筋肉の描写が加えられている)。
  • 第四話も読む。『ONE PIECE』の主要な女性キャラクターは基本的に皆、一様に黒く丸々と塗りつぶされたオニキスみたいな眼球を持っており、そのなかに白い点が小さく差しこまれることで目の描写となっている。第一話で登場した酒場の店主マキノが既にそうだったし、第三話から現れる町の少女リカ(この名前自体は第四話で明らかになる)やその母親、また名もないモブキャラクターの女性もそうである。つまりはこの第四話までに登場した『ONE PIECE』の女性キャラクターは概ね、いわゆる「つぶらな瞳」を具えているということで、大きくて丸みを帯びた目というのは『ONE PIECE』に限らず漫画において女性を描く際のわりと一般的な作法としてあると思うし、フィクション世界を離れてこちらが生きている現実の領域においても、望ましい女性性を表す外見的特徴、すなわち「可愛らしさ」の記号として捉えられることが多い気がする。それに対して『ONE PIECE』の男性キャラクターの目は、ほとんどの場合、広い空白のなかに小さな黒点が一つ打たれるという形で描かれており、ということはこの作品では男女の瞳の様相が対照的で、その黒白の割合配分がちょうど正反対になっているということになる。とは言え男性キャラクターの黒目もいつでも必ず一点のみに還元されるわけではなく、第一話の一一頁でシャンクスがはじめて登場するときの真正面からのカットでは、彼の小さな黒目のなかにさらに白い点の領域があることが見て取られるし、三四頁、三五頁、三七頁などでも同様に描かれている。ちなみにシャンクスが「友達を傷つける奴は許さない」と宣言する三七頁のコマではさらに、黒目の領域のうちにもいくらか黒さの幅が導入され、つまり眼球にあるかなしか立体感が付与されており、さらにシャンクスのその言葉を受けてルフィの顔が拡大的に映される次頁においても目はそれと同じ様相を持っている。
  • こうした観点で見てきたときに明らかに例外的なのは、第一話四六頁でルフィを襲おうとした海の怪物に向けてシャンクスが「失せろ」と殺気を放ちながら「ギロッ」という鋭い眼差しを差し向けるところで、ここでは瞳の中心部分は、黒い円周線のなかにさらに中央点として黒点が一つ置かれるという描写をされている。つまり目の外縁からその色の移行を追うと、白・黒・白・黒という四層パターンがこのコマではじめて観察されるということで、ここまで基本的に男性キャラクターの目は白・黒の二層のみで構成されており、せいぜい白・黒・白の三層構造がシャンクス(と三八頁ほかのルフィ)に見られたくらいだったので、この頁に至って瞳はそれまでにない複層性を明確に提示している。
  • ちなみに第二話の女海賊アルビダはもちろん女性だが、瞳の様相としては女性キャラクターの基本的ルールには従っておらず、つまり広面積の黒目は持っておらず、その瞳孔は小さい(六二~六四頁)。構成としては、近距離のカットでは主に半月っぽい形の眼窩を埋める白目のなかに小さな円が描かれ、さらにその内側に黒点が一つ付されるという形になっていて、だからどちらかと言えば男性寄りの描き方をされており、なおかつ先ほどのシャンクスに見られた四層パターンと、パターンとしては一応同様のものになっている。
  • 第四話に戻ると、一一三頁にて海軍大佐「斧手のモーガン」の全身像が現れるのだが、この人物はその異名のとおり右腕が斧と同化している。どうやら前腕の内部に木製の支柱が埋めこまれ、その棒に巨大な斧の刃が取りつけられているように見えるのだが、この支柱の一方は腕の幅を超えて肘のあたりから外側に向けて長く突き出しており、ところがそれにもかかわらず肉を突き破って露出してはおらず、腕の皮膚が伸びて余剰的に突出した柱の先端まで覆い隠したような見た目になっているので、明らかに現実の人体には不可能だと思われるこのような様相には、これどうなってんの? と思ってちょっと笑ってしまった。この皮膚の柔らかな伸張ぶりは、この部分だけ見ればルフィの身体よりもよほどゴム人間的であるとすら思われる。
  • 読みながら、『ONE PIECE』っていま何話まで至ったのか知らないけれど、こちらが小学生の頃から、すなわち二〇年以上はやっているわけだし、よくこれだけ長く続いているなあと思ったのだが、物語というのはそれを作れる人にとっては継ぎ足すことはむしろ容易で、場合によってはほとんど永遠に作り継ぐことができるのかもしれず、それよりも終わらせることの方が遥かに難しいのかもなあとかも思った。

Japanese governing bodies did not display a sense of crisis after Hiroshima. First reports of an attack on that city reached Tokyo on August 6 and were confirmed the next day by fuller reports and an announcement by President Truman that a nuclear weapon had been used in the attack. Even after the attack was confirmed, however, the Supreme Council did not meet for two days. If the bombing of Hiroshima touched off a crisis, this delay is inexplicable. (……)In all, three full days elapsed after the bombing of Hiroshima in which the Supreme Council did not meet to discuss the bombing. When the Soviets intervened on August 9 and word of the invasion reached Tokyo at around 4:30 a.m., on the other hand, the Supreme Council met by 10:30 that same morning.

The actions of several individual officials also reflect Japanese perceptions of the relative seriousness of the two events. For example, when Army Deputy Chief of Staff Torashiro Kawabe heard the news of the attack on Hiroshima, he noted in his diary that the news had given him a “serious jolt” (shigeki—he did not use the word for “shock”: shogeki); but, he opined, “We must be tenacious and fight on.” When he heard the news of the Soviet entry into the war, he immediately drew up orders to declare martial law (which were implemented); and in the emergency meeting of top army officers that was convened that morning, he raised the possibility of toppling the government and replacing it with a military dictatorship. Contrast a “jolt,” on the one hand, and declaring marshal law and considering toppling the government, on the other, and the difference in the perceived importance of the two events is clear.

(……)

The diary of Deputy Chief of Staff for the Navy Sokichi Takagi provides a remarkable illustration of Japanese attitudes toward the attack on Hiroshima at the highest levels of government. On August 8 (two days after the atomic bomb was dropped), he relates a conversation with his boss, Navy Minister Yonai. Yonai begins by complaining about Prime Minister Suzuki’s lack of understanding of the dangers of the domestic situation. (This is a favorite topic for Yonai, who has been supporting efforts to negotiate an immediate peace because he fears a popular, possibly communist, uprising.) They talk for a while back and forth, Takagi agreeing with Yonai: “In my opinion, someone like the Interior Minister should have a straight talk with the Prime Minister about domestic conditions.” Takagi then reminds his boss of a prediction that now seems to be coming true: “I used to think that by September or October the domestic situation would rapidly deteriorate while you said it would start deteriorating in mid-August. Actually, the situation is getting steadily worse in many respects during these couple of days, especially after Hiroshima.” Yonai agrees and says, “Bad news continues and the ration of rice in Tokyo will be reduced by ten percent after [the] 11th of this month.” They go on to talk about the schedule for the Supreme Council meeting the next day, rumors about who is influencing the emperor, more discussion of the prime minister, and worries that they have yet to hear anything positive from the Soviets.

Three things are clear. First, the bomb is not the center of the conversation; its mention is incidental. Second, the bomb is only one item in a list of bad news. (One is left with the impression that Yonai was more concerned about rice rationing than nuclear attack.) Finally, the talk provides more evidence that the Japanese government was not focused on the atomic bomb. Yonai says that the independence of East India will be on the agenda for the Supreme Council meeting the next day[29: I believe this is a euphemistic reference to the planned withdrawal of 30,000 troops from Burma.]. He does not say the Hiroshima bombing is to be on the agenda. The Supreme Council, therefore, had not cleared its agenda on August 9 to focus on the bomb. It is difficult to square the offhand way in which Hiroshima is discussed in accounts such as this with the idea that the atomic bombing so shocked Japanese leaders that they agreed to unconditional surrender.

There is virtually no contemporaneous evidence that the U.S. use of a nuclear weapon against Hiroshima created a crisis or that Japanese leaders viewed it as decisive[30]. In a way, this is not surprising, because top U.S. officials also did not believe that the bomb would be decisive. The bomb project staff had set a schedule that called for ten bombs to be ready by the end of November, which would not have been necessary if the bombing of Hiroshima was expected to end the war. Secretary of the Navy James Forrestal, in a letter dated August 8, urged President Truman to replace Gen. Douglas MacArthur as the commander of the invasion of Japan. This letter would have created tremendous controversy in Washington, and Forrestal would not have risked such a showdown if he expected the war to end immediately. Secretary of War Henry Stimson was clearly taken off guard by Japan’s offer to negotiate a surrender. He was preparing to leave for a few days of well-deserved vacation when Japan’s surrender offer arrived on August 10. Would he have planned to leave town if he thought negotiations to end the war were in the offing? Finally, in an appreciation prepared for Secretary of the Army George Marshall dated August 12, army intelligence asserted, “The atomic bomb will not have a decisive effect in the next 30 days.”

([30]: The account that Foreign Minister Togo gives in his memoirs supports this view: “I informed [the emperor] of the enemy’s announcement of the use of an atomic bomb, and related matters, and I said that it was now all the more imperative that we end the war, which we could seize this opportunity to do.” Shigenori Togo, The Cause of Japan (New York: Simon and Schuster, 1956), p. 315. Togo does not say that Japan is now irrevocably coerced; he does not argue that there is now no other alternative. He says that the atomic bombing is an opportunity that they should seize. Kido, in his postwar account, agreed: “It is not correct to say that we were driven by the atomic bomb to end the war. Rather it might be said that we of the peace party were assisted by the atomic bomb in our endeavor to end the war.” Asada, “The Shock of the Atomic Bomb and Japan’s Decision to Surrender,” p. 497. Japanese leaders do not give a sense of being compelled or forced, and there is little evidence of a sense of crisis in the government. There is no contemporary account, for example, of Japanese officials relating a moment when they sat aghast and stunned, overwhelmed by a sense of defeat. There does not appear to be any evidence that Hiroshima engendered these sorts of feelings, except in ex post facto accounts.)

  • 一三五番の引用も重要だと思う。

(……)Japanese officials knew that many of their number would face war crimes trials after the war, and that it was in their interest to present a view of history that was congenial to their U.S. captors. In addition, Japanese leaders, and particularly military leaders, were at pains to find a suitable explanation for their loss in the war. The matter-of-fact attitude that Japan’s leaders took toward dissembling is illustrated by a conversation between Navy Minister Yonai and his deputy chief of staff on August 12: “I think the term is inappropriate, but the atomic bombs and the Soviet entry into the war are, in a sense, gifts from the gods [tenyu, also ‘Heaven-sent blessings’]. This way we don’t have to say that we have quit the war because of domestic circumstances. Why I have long been advocating control of the crisis of the country is neither from fear of an enemy attack nor because of the atomic bombs and the Soviet entry into the war. The main reason is my anxiety over the domestic situation. So, it is rather fortunate that now we can control matters without revealing the domestic situation.”

  • 夕食の支度は春菊と大根の味噌汁が一つ、それに茄子と生姜焼き用の豚肉を焼く。サラダとしては大根と人参をスライス。のちほど母親の手によって玉ねぎとサニーレタスが加えられていた。
  • 夕食を取るために上がっていくと、クラシックギターを弾く女性がテレビに映っていて、村治佳織かなと思って誰これと訊けば、やはりそうだった。人間には避けられないことだがいくらか歳を取ったような印象。クラシック方面の演奏家が集まった番組で、夕刊を読みながらちょっと耳を向ける。何とか言う人のサックス四重奏曲が披露され、温和で明快な感じでけっこう良い雰囲気だった。あとで検索したところ、ジャン=バティスト・サンジュレーなる作曲家だったことが判明。一九世紀ベルギーの人。Wikipediaによると、「サクソフォーンの発明者アドルフ・サックスの長年の友人として(彼らは王立音楽学校に在籍中に出会った)、サンジュレーはサックスに、サクソフォーン族に4つの主要な形状を作り出すよう働きかけ、1857年におそらくサクソフォーン四重奏のための最初の作品であろう「サクソフォーン四重奏曲第1番」(Premier Quatuor pour Saxophones) 作品番号53を作曲した」と言う。
  • 食後、アイロン掛け。かたわらテレビで、『題名のない音楽会』という番組が流れる。録画しておいたものらしい。司会は石丸幹二。『世界の車窓から』の人と関係があるのかと思ったものの、その場で母親が調べたところでは特にないようだ。演者はToshi。オーケストラをバックに三曲。指揮者は原田慶太楼という人で、編曲は三曲とも三宅一徳という名前だった。
  • 一曲目は"残酷な天使のテーゼ"。たしか高橋洋子と言っていた気がするが、この曲のオリジナル版の歌手がオーケストラとともに歌っていたのに生で接したことがあり、とても感動したので今回この番組の話をもらったときに是非歌いたいと思ったのだとToshiは語っていた。有名な曲なので折々耳にしたことはあるが、改めて聞いてみるとサビなど、アレンジにおけるリズムの太い強調もあって絶妙と言うほかはない雄々しきダサさを撒き散らしていた。Dokkenとか、あるいはいわゆる「クサメタル」の方面とか、クラシックで言うとドヴォルザークの『新世界より』の第四楽章などに通じるものを感じさせる壮大なダサさだが、この曲はそういう音楽なのだろうからたぶんこれで良い。こちらとしてはわかりやすく勇猛なサビよりも、Aパートの終結部の処理のほうが面白く響いた。終結部というのは二連あるAメロのうちのそれぞれの連の終わり(すなわち、二度目の繰り返しに移る前と、Bパートに移る前の二回)のことだが、ここのコードはたぶん調に基づいた尋常なダイアトニックの範疇から外れていたと思う。Aパートはまだ比較的爽やかで言わばそよ風をまとっているような雰囲気があり、少量の優美さめいたニュアンスもまあ感じられないではなかったし、アイロン掛けをしつつちょっと耳を向けた限りでは、Aメロ及びその終結部がこの曲のなかでは一番面白いように思った。あと、折々にあるドラムのフィルインが、フレーズ自体としてはスネアを連続させるごく普通のものだったと思うのだが、何だか音としてけっこう良いように感じられた。ただそれは三曲目の"Bohemian Rhapsody"のほうだったような気もする。
  • 二曲目は「エリザベート」とかいうミュージカル中の一曲。題は忘れた。たしか「闇」という語が入っていたような気がする。作曲家はぜんぜん知らない名前でこれも忘れたけれど、何かヴァーツラフとかリーヴァイとかラヴァ何とかみたいな、そんな感じだったような気がする。オーストリアチェコか、たぶんそのあたりの人ではないか。この曲ではToshiと司会の石丸幹二がデュエットを披露したのだが、石丸という人はもともとミュージカル畑の人間らしい。歌詞は追わなかったので物語内容は理解していないが、Toshiが皇帝ルドルフ役で、石丸は彼に対して何か色々と(たぶん、即位を促して?)呼びかける役回りだった。Toshiという歌手はXの時代からいままでずっと、例のあの声質、いわゆるヘッドボイスの鋭さがトレードマークになっているわけだけれど、このミュージカル曲ではジャンルの作法に合わせてその鋭さは封印し、ベルカントにやや寄った歌い方をしており、Aパートなどに聞かれた低めの音域では声がわりと色気を帯びたような質感を醸していて、それはなかなか悪くなかった。とは言え、サビ部分はこれもまた雄々しい感じの曲調なのだが、石丸とハモるそのパートに入ると、やはり多少角が出てきてはいたけれど。石丸幹二という人は本職なので歌唱も声の太さも安定的で、危なげなく安心して聞けるという感じ。ただ、Toshiに合わせたというわけでもないだろうけれど、彼に対して呼びかけるときには時折り声のアタック感を強くしている箇所があった。あれはしかし、ミュージカル的にも定法の技術で、とりたてて珍しいものではないのだろうか? ミュージカルというものを観た経験がまるでないのでわからない。
  • 三曲目はQueenの"Bohemian Rhapsody"。男女二人ずつのコーラス入り。Aパートのあのピアノのアルペジオはハープによって演じられていた。Toshiの歌唱は悪くない。ただ、聞いているとかえって、やっぱりFreddie Mercuryのボイスコントロールって抜群なんだなということが実感されてしまうところがあって、と言うのはこの曲のAメロに、"But now I've gone and thrown it all away"という詞の箇所があり、オリジナル音源でMercuryはそこの"it"あたりまではファルセットで歌い、"all"あたりから急激に転換して声に芯を通してざらつかせるということをやっており、そのときの移行ぶりがやはりすごいということは高校時代からTTなどもよく言っていたし、ひらいた穴に向かって過たず正確にすとんと落ちるみたいな感じがあるのだけれど、Toshiもさすがにその部分はMercuryほどうまくは歌えておらず、あれはたぶんほかの人には真似できないんではないか。あとAパートと言うのか、ギターソロに入る前の静かなパート全体を通しては、ここは大変に叙情的な領域なので、Toshiも緩急をつけて情感豊かに歌おうとしており、それは決して間違いではないしおおむね成功していたとも思うのだけれど、ただやはりいくらかの粘り気が感じられはした。それはおそらく英語の発音も関係しているのではないかと推測され、日本人による"Bohemian Rhapsody"のカバーはほかにはデーモン小暮閣下のものしか聞いたことがないのだが、小暮閣下など個々の語の発音からして相当に粘っこく歌っていたような記憶があって、特に根拠はないけれど何となく、日本人はとりわけそうなりやすいのかなあという気がする。きちんと聞き返してみないと正当な印象かどうかわからないものの、原曲はそんなに粘っていなかったような気がするもので、その記憶がもし正しいとすれば、Freddie Mercuryという歌い手の凄さというのは一つには、このパートを過度に粘らせることなく比較的さらさらとした質感で歌えてしまったという点なのではないか。カバーする人はたぶんMercuryのオリジナルを意識して多少なりとも力むだろうから、どうしても彼よりも感情的で粘ついた表現になってしまう傾向があるのではないだろうか。
  • ギターソロ部分では最初の数音は管楽器がメロディを吹いていて、あ、そういうアレンジで行くんだと新鮮に感じたのだけれど、直後に普通にエレキギターが入ってきたので、ギターいるんかいと思ってちょっと笑った。佐々木貴之、みたいな名前の人だったと思う。で、オペラパートなのだけれど、例の"Galileo"の高音とかどうするのかなと思っていたらそこは女性のコーラスに任せていて、"let him go"も同様。でも最後の"for me"はさすがにやるのだろうなと予想していたところ、たしかに叫びはしたものの、二回目の"for me"で力を準備したのだろうか低音に下がっていた記憶があって、最後の超高音のシャウトへの移行はちょっと手間取っていた。それでもフラットもシャープもせずに綺麗にぴたりと当てていたので凄い。ただしかしデーモン小暮閣下はたしかオペラパートはだいたい一人でやっていたはずで、"Galileo"も"let him go"も乱高下激しい飛躍を見事に処理していた覚えがあるし、最後のシャウトもわりとスムーズに発していたと思うので、その記憶がもし正しければこの点では彼のほうに軍配が上がると言わざるを得ないだろう。Toshiのオペラのなかでは、"Mamma mia, mamma mia"の部分でやっていたと思うのだけれど、たぶん少年の声色を模して発声をざらつかせており、そばかすを頬にたくさんつけた生意気盛りの悪ガキみたいなイメージを喚起させるところがあってそれは良かった。
  • アイロン掛けののち散歩。道を西へ進み、今日も十字路の自販機で飲み物を買う。「Welch's」と「濃いめのカルピス」を二つ続けて買ったのだが、品物を取ろうと下部のカバーを開けるとしかしカルピスしかない。赤っぽい点をからだの真ん中あたりにつけた蜘蛛の這っているカバーを持ち上げてひらいたまま、そのなかをよく探ってみたのだけれど、葡萄ジュースはどうしても見つからない。品物が入っていなかったのか? だがそれなら売り切れのランプが灯ってそもそもボタンが押せないはずだ。それに、ボトルが機械のなかを落ちてくる音をたしかに聞いた覚えもある。一体どういうことなのか原因がまるで不明だが、いずれにせよこれが自販機に金を呑まれるという事態である。こんなことが本当にあるとは思わなかった。はじめての体験だ。仕方がないので諦めて、カルピスだけポケットに入れて坂道に入る。
  • 先日、今年は竹秋を見ていないと日記に記したが、上っていくと出口付近で道の端に黄色く色づいた竹の葉がたくさん散らばっているのに気づいたので、これで無事、竹の秋を目撃できた。街道に出ると右、すなわち東に折れ、すると白い舗道の上に転がっている小石が街灯や流れ過ぎていく車のライトを受けて、大して黒くもない、気の抜けたような淡色の影をその下から微小に滲み出している。たしか梶井基次郎も、何だったか「闇の絵巻」とかいう篇のなかだったか、夜闇のなかを歩いていると車がやって来て、地面に転がった石が影を伸ばして光のなかに歯を立てる、みたいな描写をしていた覚えがある。記憶が不正確だが、「歯」という語を使った比喩を書きつけていたのはたぶん確かなはずだ。
  • 「(……)」の前の自販機でコカコーラゼロを購入。隣の煙草屋、と言うかたぶんもう煙草屋はやっていないのだと思うが、その閉まったシャッターの向こうからは今日も音楽が聞こえてくる。スネアを連打するフィルインの雰囲気とか全体的な音の響き方からして、やはり七〇年代あたりの洋ロックではないかと思うのだけれど、正確な同定は今日もできず。なぜかGrand Funk Railroadなんていう名前をほとんど一五年ぶりに思い出したが、実際にはもっとポップで明るい感触を帯びた音だったので、これはほぼ確実に間違っている。それから進む街道上の空は端的に無光で、月はその痕跡すら見当たらないし、星はもちろん存在を許されていない。雲が全面に渡ったためにそうなっているのだが、襞や皺もまったくないのでかえって晴れているようにすら見える。天体の消えた晴夜。
  • 路地内の坂に入って下りると、黒塗りの高級そうな車が道のど真ん中に停まっていて、なんでこんなところに停まってんだよ、ほかに車が来たら通れないぞと思った。窓まで全部真っ黒な車で、ちょうどそのとき右手に持っていたボトルのなかのコーラと同じような色であり、練ったように黒々と深く、なおかつ艶もあった。
  • 外出後、買ってきた「濃いめのカルピス」を早速飲みつつ四月三〇日に取り組んだ。文に対してきちんとこだわるのが面倒臭くなってきたし、このままだといつまで経っても記述が現在の日に追いつかないので、いくらか気を軽くして力を抜きながら書く調子になった。結局、そのときどきの気分すなわち心身の傾向性にしたがうのが一番良いだろう。完璧にこだわりたいときにはまたひたすらこだわれば良い。
  • 入浴後、また四月三〇日の日記。あまり細部まで気にせずある程度のところでオーケーを出してけっこう気楽にさっささっさと書いているつもりなのだけれど、それでもやはりだいぶ時間は掛かってしまい、四月三〇日分は少なくとも今日一日でも四時間近く書いているのだが、記述することはまだわりと残っている。だがとりあえず、疲れたので一時四〇分で一旦切りとした。
  • 一年前の日記、五月一日水曜日。『族長の秋』を読んでおり、好きな箇所としてワンシーン引用されているが、読み返してもやはり良いのでここにも写しておく。最後に三回並べられる「うたった」の反復が良い味を利かせている。

 (……)彼らとちがって大統領は、ひとり夢想にふけりながら、泥深い沼にもにた幸福感にひたっていた。まだ暗い夜明けの建物の掃除をしているおとなしい混血の黒人女たちを、悪霊のように忍び足でつけ回し、あとに残る大部屋や髪油の匂いを敏感に嗅ぎとった。格好の場所で待ち伏せして一人をとっ捕まえ、執務室のドアのかげに引っぱりこんで、まあいやらしい、出世しても助べえなところは、ちっとも変わらないわ、とまわりで笑いころげる女どもの声を無視して、そそくさと事をすませた。だが、そのあとは決まって憂鬱な気分に陥り、他人に聞かれる心配のない場所をえらんで、気晴らしに歌をうたった。一月の明るい月よ、とうたった。絞首台のような窓ぎわで、浮かぬ顔したおれを見てくれ、とうたった。(……)
 (ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』新潮社、二〇〇七年、157)

  • 「降る雪をゆびの器で受けましょう溶けるまぎわの刹那のために」という一首を作った。
  • Mさんのブログは二〇二〇年三月一九日。柄谷行人『探究Ⅱ』の孫引き、四四頁から四六頁。

 (……)独我論とは、私しかないという意味なのではなくて、「私」がどの私にも妥当するという考えなのである。そして、それを支えているのは、まさに「私」が言語であり、共同的なものだということなのだ。
 主体からはじめる考えを、言語をもってくることによって否定することはできない。それらは、いずれも独我論のなかにある。したがって、独我論の批判は、たんに狭義の認識論の問題ではなくて、「形式化」一般の根本的批判にかかわるのだ。なぜなら、指示対象をカッコにいれる形式化は、かならず各「主体」によってなされるほかないからである。
 この「主体」(主観)は、「誰」でもない。たとえば、「この私」は、結局「これは私である」ということになる。「これ」は存在するが、「私」は述語(概念)にすぎない。「この私」は指示対象として在るのではない。「これ」が在るだけだ。ラッセルは、この意味で主体を認めなかった。それは、しかし、これを「これ」とうけとる主体が「誰」でもないような主体、したがってヘーゲルのいう「精神」のようなものであるということを意味するのである。「誰」とは、固有名である。固有名をもたぬ主体は、「誰」でもないがゆえに「誰」にも妥当する。近代哲学の主観は、このように見いだされたのである。(古典哲学が主観を持たなかったのは、個体がいつも「誰か」〈固有名〉として実在したからである。逆にいえば、それは固有名にもとづく存在論だということになる)。
 (……)
 ところで、ラッセルは「これ」において、言語とその外部・指示対象との繋がりを確保したつもりだったのだろうか。しかし、ラッセルの「これ」は、もし指示が他者に対してなされるものだとしたら、指示ではない。かりに、私が黒板を指して、「これが黒だ」といっても、相手は「黒」を「黒板」と受け取るかもしれないし、黒板に書かれた文字と理解するかもしれない。つまり、「これ」の個体領域がはっきりしないのである。
 したがって、ラッセルのいう指示は、彼自身がいうようにprivateである。厳密な意味での指示は、他者に指示することでなければならない。つまり、それはコミュニケーションのレベルでしか考えられない。しかし、「これ」という指示がけっして個体を指示しえないのに対して、固有名は個体を個体として一挙に指示する。したがって、固有名は、言語の外部があるという日常的な常識を支える根拠であり、またそれをくつがえそうとする者にとって、解消すべきものだったのである。
 (……)固有名は、言語の一部であり、言語の内部にある。しかし、それは言語にとって外部的である。あとでのべるように、固有名は外国語のみならず自国語においても翻訳されない。つまり、それは一つの差異体系(ラング)のなかに吸収されないのである。その意味で、固有名は言語のなかでの外部性としてある。
 ラッセルが固有名を記述に還元することによって論理学を形式化したように、ソシュールは固有名をまったく無視することによって、言語学を形式化した。その結果、言語学フレドリック・ジェイムソンのいう「言語の牢獄」に閉じこめられる。しかし、その出口をいきなり指示対象に求めてはならない。その出口は、ラッセルやソシュールによって還元されてしまった固有名にこそある。のちにのべるように、言語における固有名の外部性は、言語がある閉じられた規則体系(共同体)に還元しえないこと、すなわち言語の「社会性」を意味するのである。

 (……)「ふつう、不安には対象がないとされています。……しかし、不安は対象をもたないわけではないのです l'angoisse n'est pas sans objet」(S10, 105, …)。なぜか。ここで、子供と母の原初的関係をふたたび参照しよう(…)。母が自分の前に現前したり不在になったりするのを見た子供は、母には「何か」が欠如しており、母はその「何か」を欲望しているために自分の前から不在になるのだ、と空想する。この母に欠如している「何か」は、想像的ファルス(…)と呼ばれる。子供は、この欠如を介してさまざまな空想を発展させることが可能であり、その後の欲望の展開もこの欠如ぬきには考えることができない。では反対に、母が子供の前につねに現前し、つねに子供の世話をしつづけるとき、何が起こるだろうか? そのとき起こるのは、想像的ファルスという欠如が欠如することである(S10, 67)。欠如が欠如したところには、充溢した対象が現れる。その対象は、母の身体の痕跡をとどめた、子供に不安を引き起こす「不気味なもの」である(S10, 53)。すなわち、不安は、対象が存在してはならない欠如(…)の場所に対象aが顕現するときに生じるのである。ラカンは次のように述べる。

この対象aのもっとも明白な顕現 manifestation の信号、対象aの介入の信号、それが不安です。(S10, 102)

 不安は、快原理に従う人間がなるべく遠ざけておかなければならない現実界が接近していることを示すシグナルである。つまり、不安は、一次的な満足体験の場である〈物〉の世界が近づいていることの報せなのである。これは危機的な状況である。というのも、先に述べたように、この現実界の接近が主体にもたらすのは快ではなく、むしろ快原理のシステムを撹乱する苦痛であるからだ。もし、主体が現実界に到達してしまったなら、そのときひとは母の身体に飲み込まれ、消滅してしまうことになるだろう。だからこそ、ひとは、現実界の接近をなんとしても避けなければならないのである。

  • Sさんのブログは二〇二〇年二月二五日。以下の一段落が面白かった。

ゾンビたちがヨロヨロ、ユラユラとあたりをふらついているのは、まるで老人たちがあてもなく徘徊しているかのようにも見える。「ゾンビ」は、みていると何となく、人がどんどん老人になっていく話という感じもする。それをひたすら若者視点で撮影し続ける映画。若者は老人のことなんか眼中にないから、目障りだし邪魔なのでどんどん押しのけて射殺して道を開ける。油断してると自分らも老人たちに取り囲まれて、たちまち醜くて愚鈍な老人になってしまう。それは絶対に嫌だ、だからとにかく殺しまくって、自分らのテリトリーに侵入してこれないように、万全の仕切りを設ける。


・作文
 19:14 - 19:39 = 25分(5月21日)
 21:03 - 22:28 = 1時間25分(4月30日)
 23:21 - 25:39 = 2時間18分(4月30日)
 25:39 - 25:42 = 3分(5月21日)
 27:11 - 27:23 = 12分(5月22日)
 27:26 - 27:59 = 33分(4月30日)
 28:14 - 28:18 = 4分(4月30日)
 計: 5時間

・読書
 15:12 - 17:14 = 2時間2分(尾田)
 18:37 - 19:13 = 36分(英語 / 記憶)
 25:45 - 26:48 = 1時間3分(日記 / ブログ / 吉増・中上)
 26:58 - 27:09 = 11分(倉数・片岡・李・明石)
 計: 3時間52分

・音楽

  • dbClifford『Recyclable』
  • Dee Dee Bridgewater『Live At Yoshi's』
  • U2『All That You Can't Leave Behind』
  • U2『The Best of 1980-1990』
  • Jeff Beck『Blow By Blow』

2020/5/21, Thu.

 カフカは文学と結婚の両極間で揺れ動く。しかし彼はこの両者が並立する方策を見つけ出すことも、またどちらか一方を手放すこともできない。従ってカフカは結婚の決断を、いたずらに引き伸ばさざるをえなくなる。これがフェリーツェとの交際が五年間にも及んだ所以であった。この期間は彼女にとって地獄の苦しみであった。しかし彼の方は、確かに彼女に対して責任を感じ、また良心の呵責を覚えながらも、二人が付き合う以前よりもはるかに充実した生活を送ることができた。なぜなら彼女との交際は、創作活動に起因する孤独を癒してくれるだけでなく、カフカの結婚観に由来した独り者の後ろめたさを一時的に解消してくれたからである。しかも二人の交際が距離を保って続く限り、彼は同棲したいという欲望を絶えず創作エネルギーへ転化させることもできたのである。以上のことを考えれば、カフカにとってこの交際は、ある程度理想的な機能を果たしたといえる。
 フェリーツェとの交際は独身者の負い目を軽減させてくれたものの、いよいよその延長上にある結婚を迫られたとき、カフカにとって逆に大きな重荷となった。彼は交際の永続を願うのであって、結婚の成就を願ってはいなかった。(……)
 (高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』鳥影社、二〇〇三年、116~117)



  • 驚くべきことに、何と八時五七分に身を起こすことに成功した。滅多にない快挙。滞在は四時間三〇分に留まる。天気は曇りで、雨は降っていないようだが気温は低め。覚醒自体は八時半ごろ迎えていたが、起き上がるまでの時間でいくらか身体をほぐしつつ、「ソクラテスアリストテレスプラトンを生涯知らず死ぬひと多し」という一首を作った。
  • 夢。Uさんにまつわるものだった。何の主題だったか忘れてしまったが、彼が何か社会的・政治的に重要な種類の問題について論考を書き、ブログに載せられてあったそれが雑誌か何かに取り上げられたという話だった。それでUさんの家に行って話を交わす。帰りは彼が車で送ってくれたのだが、通常運転席があるはずの前部には男児が就いており、Uさん自身は後部座席にいる。男の子について、弟さん? と訊いてみたものの、二〇歳と一九歳の夫婦の息子、みたいな曖昧な返事があり、弟とも確定できず、何か複雑な事情があるような気配が香る。こちらは可愛いねえ可愛いねえと言って、その男児をいたく可愛がる。そうしているあいだにも車は走っているのだけれど、それはこの男児が動かしているのか、それとも後部座席からUさんが走らせているのかわからない。じきに空港らしき場所に到着したが、こちらは飛行機に乗って帰るつもりはなかった。そんな金がないからである。それで、電車は……と尋ねてみると、施設のなかの入れるところまで入っていきましょうか、みたいな返答があり、見ればそばの広い口の向こうがどうも駅構内になっているらしい。電光掲示板か何かが見えてそれと判別できたのだ。で、車のままそのなかに入っていき、その後降車して二人と歩いたと思うが、男の子いわくここは豊洲だと言うので、ここが豊洲市場豊洲か、と受ける。
  • 朝食に久しぶりに、「カンタン酢」を混ぜた納豆を食う。新聞は一面に、例の黒川検事長が緊急事態期間中に賭け麻雀をしていたというスキャンダル。週刊文春がすっぱ抜いたらしい。ほか、国際面に、韓国でいわゆる元従軍慰安婦の人々を支援していた団体の元理事長が支援金を流用していたとか、こちらもスキャンダルがある。これらはあとで写しておくこと。
  • 洗い物のために台所に入ると、小さなビーズのように見えるユスラウメの実が近くにある。母親が採ったようだ。それでユスラウメってのは今ごろの時季に実るものだったかと、はじめて明確に時節と結びつけて認識した。ユスラウメの「ユスラ」って何なの、と母親に訊いてみると、何だろうねと言って彼女はスマートフォンで調べるのだが、そのときにわざわざ音声入力を使って、ユスラウメのユスラって何て意味、と携帯に声を掛けていた。「揺する」という語と関係があるのかなと思っていたわけだけれど、初夏に実って樹を揺すると容易に実が落ちるから、という説が一つにはあるらしい。ほか、ユスラは漢字で「山桜桃」と書くのだが、「櫻」という文字は昔はこのユスラを意味していたらしく、ユスラウメの実りを首飾りをつけた女性の姿に見立てたのだとか。なるほどなあ、という感じ。
  • 風呂洗いののち洗面所に椅子を持ってきて上り、壁に取りつけられた扇風機を掃除する。掃除機で吸ったり雑巾で拭いたりして埃を駆除していくのだが、その量はものすごく、たぶん一〇年くらい掃除していなかったのではないか。ほか、電灯も同じく掃除。電灯を守っているガラス製のカバーを外そうとしたところが中途半端に緩んだだけで外れず、しかも接続がずれたのか明かりが点かなくなってしまったのでどうしたものかと思ったのだけれど、電球を外してみるとその裏に留め具があり、これを回せば器も外せることが判明した。それでカバーは外し、電球をつけ直して露出させたままにする。はじめはそれでもやはり明かりが灯らず困っていたが、スイッチを入れたまま電球に触れてちょっと動かしてみると無事光りだしたので解決。
  • 昨日読み返した苦行者の断片をLINEで「(……)」の人々に紹介しておいた。以下が文言。

 (……)

  • 過去の日記は二〇一九年四月二九日月曜日。ムージルの書抜き。

 (……)むろん彼も、永遠の真理が不可欠なことには反対しないであろうが、これを文字どおりに受け取る人間は気がふれていると確信していた。(……)
 (加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』松籟社、一九九二年、280)

  • 今日もMさんのブログ。二〇二〇年三月一七日。

 禁止と侵犯をめぐるラカンの議論は、ジョルジュ・バタイユが『エロティシズム』(1957)のなかで展開していた議論を下敷きにしていると考えられる。バタイユは、人間のエロティシズムの究極の意味は「融合」であると考えた。ラカンの言葉で言えば、言語の世界に参入する際にもはや取り返しがつかないような形で失われてしまった〈物〉とのあいだに連続性を回復することが、エロティシズムでは目指されているのである。しかし、〈物〉との融合は禁止されているため、ひとはその禁止を不安のなかで侵犯するようにして背徳的な快を得るほかはない。ただし、侵犯を行っても禁止がなくなるというわけではなく、むしろ侵犯の存在こそが禁止を完全にしているとバタイユは指摘している。〈物〉への到達を禁止されている人間にとって、侵犯は〈物〉において想定される快を断片的な形で与えてくれるだけであり、侵犯によって〈物〉への到達が可能になるというわけではないのである。
 (松本卓也『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』p.274-275)

  • 身体は以前に比べれば感触が相当になめらかで軽いのだが、しかし首の後ろから肩あるいは背面上部に掛けてがやはり強敵で、かなり柔らかくなってはいるものの根幹部分にどうしても引っかかりが残る。それを措いても、毎日目覚めるたびにほぐれたはずの首が眠りを経てまた張っている感じがするのだが、これはやはり仕方のないことなのか、それとも枕が合っていないのか。
  • 音読後の一時半、昼食へ。「マルちゃん正麺」の旨塩味をこしらえる。玉ねぎと人参のスライスを具にして、それを先に鍋に入れて煮込み、そのあとから乾麺を投入すると箸でかき混ぜながら茹で、スープを入れておいた丼に茹で汁とともに注ぎこむ。つるりと丸く白いゆで卵を乗せて完成。新聞を読みつつ食す。一面は【黒川検事長進退論 浮上】で、「「週刊文春」電子版は「接待賭けマージャン」の見出しで、黒川[弘務]氏[(63)]が1日夜から2日未明と13日、産経新聞記者と朝日新聞社員の元記者と、産経記者の自宅マンションでマージャンに興じたなどと報じた。産経関係者の証言として、黒川氏が以前から賭けマージャンをしていたとも記している」とのこと。見事に無様な展開なのだが、何と言うか、こんなに典型的で、ある方面の人々にとっては都合が良いこと、実際にそうそうあるかなあという一抹の胡散臭さも感じないでもない。週刊文春はこういうネタを一体どこから掴んでくるのか、またいつから掴んでいたのだろうかとも思うけれど、やはり一番スキャンダラスに響く、もっとも効果的なタイミングを狙っているのだろうなあ。
  • 二面には【米、WHOに改善要求 脱退言及 トランプ氏「より公正に」】。「米国のトランプ大統領は19日、世界保健機関(WHO)が中国との関係見直しを進めなければ、WHOを脱退する意向を示した」。ドナルド・トランプはWHOが中国以外の国々に対して「より公正にならないといけない」と主張し、「さもなければ我々はもう加わらない。独自のやり方で行う」と断言したとのこと。「トランプ政権は、新型コロナウイルスを巡る中国の対応を称賛するWHOを「中国寄りだ」と批判している」のだ。同じく二面にはいつも長谷川櫂の句歌紹介があるが、今日は村松二本という人の『月山』から、「一片の肉塊として朝寝かな」という句が引かれていて、これはまさにこちらの生活をとても正確に言い当てている。
  • 三面には【台湾「現状維持」鮮明 2期目スタート】。「蔡[英文]氏は1月の総統選で史上最多の約817万票を獲得して再選された。さらに、政権の新型コロナウイルス対策は国際的に高い評価を受け、最近は一部の世論調査で支持率が70%を超えた」というのはすごい。米国は当然ながら中国を牽制する意図で台湾をサポートしており、「ポンペオ国務長官は19日の声明で「台湾は信頼できるパートナーだ」と、就任を祝福した」し、総統就任式には国務次官補と大統領副補佐官もビデオメッセージを寄せたと言う。「米歴代政権は1979年の米台断交後、国内法である「台湾関係法」に基づき、台湾に対して防衛に必要な武器供与などを行ってきた」らしく、国交断絶しているのに国務長官が祝福メッセージを送るというのも何だか変な話だなあと思ったところ、Wikipediaの「台湾関係法」によれば、この法律で「1979年以前の(かつて中華民国として認識していた)台湾とアメリカ合衆国との間のすべての条約、外交上の協定を維持する」こと、「台湾を諸外国の国家または政府と同様に扱う」ことが規定されていると言うので、実質上これで国交の代わりということなのだろう。
  • 七面、【慰安婦団体を捜索 韓国検察 前理事長 補助金流用疑い 「療養施設」高値で購入、売却】。「韓国検察は20日午後、韓国で慰安婦問題を巡って反日運動の拠点となっている市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)のソウル市内の事務所を捜索した。国庫補助金や寄付金を流用した疑いがあるとして、市民団体などが前理事長の尹美香[ユン・ミヒャン]氏(55)と現理事長を詐欺や横領、背任容疑などで告発していた」とまず冒頭にあるのだけれど、仮にも日本国で最大規模のメディアの一つが「反日運動」などと言って、現代においては明らかに「ネット右翼」的なニュアンスを帯びているはずの用語を堂々と用いてしまっても良いのだろうか。「尹氏は4月の国会の総選挙で左派系与党から比例選で当選しており、政界も大揺れとなっている」とのことだが、この件で韓国という国家及び人民総体をなぜか知らないが心の底から嫌悪している類の人々が、例えばTwitterのような電脳空間で、鬼の首でも取ったかのように唾を撒き散らして軽率な言葉を威勢よく吐きまくることになるのは、まあ間違いのない見通しだろう。
  • 疑惑の具体的な内容としては、「朝鮮日報など韓国メディアによると、正義連は挺対協時代の2013年、大企業の寄付金を原資にソウル近郊の京畿道[キョンギド]安城市内で、2階建ての家屋を元慰安婦の療養施設にするとして購入した。相場より高い7億5000万ウォン(約6500万円)で尹氏の親しい知人が仲介した。/しかし、施設は元慰安婦のためにはほとんど使われず、今年4月、4億2000万ウォンで売却した」という経緯が挙げられている。また、「正義連と挺対協は税制上の優遇措置がある公益法人に認定されて」おり、「聯合ニュースによると、両団体は16~19年に政府から計約13億4300万ウォンの補助金を受けた」ものの、「国税庁に提出した決算書には補助金の記載がなかったり、金額が過小だったりして」いて、「保守系紙・朝鮮日報は19日、5年間で計約2億6000万ウォンの使途不明金があると報じている」とのこと。
  • ほか、【コロナ対応「世界で孤立 中国改革派が批判論文】。「中国の改革派知識人として知られる清華大学の許章潤[シュー・ジャンルン]・元教授が22日の全国人民代表大会(国会)開幕に合わせ、習近平政権の新型コロナウイルスへの対応を批判する論文をインターネット上で公開することがわかった」。「論文は「世界文明の大洋の上にある中国という孤独な舟」との表題で、国内での新型コロナの防疫措置と国際社会への対応が中国の異質さを際立たせており、世界での孤立化が進むと警告するものだ」と言う。具体的には、「武漢市の封鎖措置などが効果を上げたことは認めつつも、「日常的な専制状態を拡大させたにすぎない」として、欧州主要国などが非常事態の措置として行った都市封鎖などとは別物だと指摘し」、「むしろ、当局による情報の遮断や、権力に対する社会の監視機能の欠如といった問題点を列挙し、感染拡大で共産党の一党支配体制の「弊害が露呈した」とも指摘し」ているらしい。この人は、「2018年、国家主席の任期制限を撤廃した習政権を批判したことで、昨年3月に停職処分を受けていた」人物で、さらに「昨年12月の最終処分により、許氏は学内に籍を置くものの、教授職などの主要な職務を解かれ」、「自らの見解を発表することも禁止されている」とのことだ。
  • ふたたびMさんのブログ、二〇二〇年三月一八日。例によって松本卓也『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』。

(1) 〈物〉ないし享楽の痕跡の第一のパラダイムは、到達不可能なはずの享楽を、別の仕方で到達可能なものにすることと関係している。先に述べたように、人間の欲望は、失われた原初状態である〈物〉を回復しようとする空想に支えられた、不可能な試みである。対象aは、このような欲望の支えとして導入される(S10, 52)。つまり、〈物〉の喪失の場に、〈物〉の痕跡をとどめる特権的な対象(a)を置くことによって、主体と〈物〉のあいだに一定の関係をつくることが可能になるのである。
 精神分析家ドナルド・ウィニコット(1953)が「移行対象 objet transitionnel」と呼んだものは、人生の最初期における対象aであると考えられる。周知の通り、移行対象とは、幼児が全能性を喪失する(=享楽を喪失する)際に現れる特権的な対象である。例えば、子供は特定の毛布を手放さず、つねに手元においておこうとすることがあるが、この毛布が移行対象にあたる。この移行対象は、母の乳房のような母子関係における重要な対象の代理であることをウィニコットは指摘している。(……)
 また、移行対象は子供のときにだけみられるのではなく、後の人生のなかでもフェティッシュとして現れる。実際ラカンは、対象aが欲望の支えであることを、フェティッシュの機能を参照しながら論じている(S10, 122)。周知の通り、フェティッシュは、母の身体におけるペニスの不在を発見した子供が、その欠如を覆い隠すことのできるもの(例えば、下着)として採用する任意の対象である。このフェティッシュは母の身体そのものではないが、母の身体の痕跡となり、人間の欲望の原因 cause として機能する。この意味で、対象aは〈物〉そのものではないが、〈物〉という高額紙幣を分割した末に残る「〈物〉の小銭」(Miller, 1999b)、すなわち〈物〉の断片であると言いうるのである。

  • そのあと片岡一竹『新疾風怒濤精神分析用語事典』を参照しつつ、「また、「子供の前に現れたりいなくなったりするような存在」である母は、想像的母ではなく象徴的母である。なぜなら「不在」(あれがない)という次元が成り立つのは象徴界だけであるからだ。想像界においては「不在」はありえない」とMさんによる整理があり、それについて松本卓也『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』を引いて補足されているところでは、以下のようなことになる。

 (…)母子関係において母の現前と不在、「いない-いた Fort-Da」の気まぐれなリズムが繰り返されることによって、+と-が連続する象徴的なセリーが形成される。これが前駆的な象徴機能(原-象徴界)であり、ラカンはこれを「母の欲望 désir de la mère」(DM)と呼んでいる。ミレールも指摘するように、母の欲望は、子供の前を不規則に(気まぐれに)行ったり来たりする「いない-いた Fort-Da」の運動として象徴的に分節化されたシニフィアンなのである(Miller, 1994: Cours du 16 mars 1994)。すると子供は、母が自分の前を行ったり来たりすることが何を意味しているのかを想像するようになるが、それは母の欲望というシニフィアンに対応するシニフィエが何であるのかを問うことに等しい。このシニフィエ、母が欲望する何かのことを、ラカンは「想像的ファルス」と呼ぶ(ただし、この段階では母の欲望の対象である想像的ファルスは不明瞭な「x」のままにとどまっている)。
 (松本卓也『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』p.201)

  • そのほか多田智満子『遊星の人』からの抜き出しに、「てのひらに裏表あり裏返し表返して病める日暮れぬ」という一首があって、それで古井由吉が書いていた「手鏡」のことが思い出された。たしか『野川』に記されていなかったかと思ったのだが、書抜き記録を調べてみると『白暗淵』のほうだった。

 (……)周囲はもう鳴り出しに感じて、順順に目を瞑るその中で、一人だけ聾啞の目を闇へ瞠る顔が浮かんで、何も聞き取れぬ耳から気がふれそうで、仰向けの窮屈な姿勢から腕を伸ばし、枕もとを探り、手当り次第の物を摑み、縋るように握りしめ、ぽとりと蒲団の上へ落した。その音で緊張を紛らわす。
 その手を下に降ろさず、顔の上へかざし、足もとの窓から細く差す夜の明かりに照らして、握ったり開いたり、指を伸したり鉤に曲げたり、さまざまな形に捩っては、惹きこまれて眺めていた。手鏡ではないか、と我に返った。驚きも怯えも起こらなかった。先の見えた病人が我と我手を顔の上へ浮かせてしきりに眺めるというあの手鏡とは、俗に言われるように視力の衰えを確めているのではなくて、これまで自然に自分のものと感じていた身体が見馴れぬものに、不思議なものに、奇妙な生き物のように映るのを怪しんでいるのではないか、と手の動くのにまかせて思った。(……)
 (古井由吉『白暗淵』講談社、二〇〇七年、40~41; 「地に伏す女」)

  • 次にSさんのブログ、二〇二〇年二月二一日。保坂和志「季節の記憶」の引用から一部孫引き。

 「言葉にならない気持ち」と言ってしまうと、気持ちが先にあってそれを言葉にしていくみたいなことになってしまう。みんなたいていそう思っているけど本当は逆で、気持ちよりも先に言葉がある。恋愛なんていうのはその最たるもので、人は自分の気持ちと呼べる以前の、方向や形の定まってない内的なエネルギーを"恋愛"という既成の形に整えていく。そういう風に人間は言語が先立つ動物のはずなのにその言語から”気持ち以前の何か(傍点)“が洩れているようなことを感じることがあって、自分には十一月のこの季節がそうなんだと松井さんは言った。

     *

 「(……)犬や猫は言語がないから、人間よりずっと簡単に陽気の変化に対応してるだろ?あいつらは言語を持たなかったおかげで、状況をあるがままに受け入れられるんだよ」

  • 夕食には天麩羅を揚げる。母親が畑から春菊を大量に採ってきたので、それにコーンと舞茸を合わせて調理し、ほか、ウインナーとごく小さな大根を葉ごとまとめて炒め、また同じく畑で採った水菜を母親が豚肉で巻いたのでそれも焼く。揚げ物のうちに六時も過ぎて腹も減ったし、量も多くて面倒臭くなったので、母親に替わってもらって食事にした。食べながら夕刊を読む。
  • 三面に、【米、外国企業監視強化へ/中国念頭 上場制限/上院で法案可決】。「米議会上院は20日、米国で上場する外国企業の監視を強化する法案を全会一致で可決した」。「法案は、米市場に上場する外国企業を対象に、3年連続で米国の監査基準に違反したりすれば上場廃止にする」ものだが、「ニューヨーク証券取引所新興市場のナスダック証券取引所などには、電子商取引大手のアリババ集団、インターネット検索の百度バイドゥ)など156社(2019年2月時点)の中国企業が上場している」と言う。
  • 【米脱退示唆 WHO「精査」/コロナ感染 1日最多10万6000人】。世界保健機関のテドロス・アダノム事務局長による二〇日の記者会見によれば、「新型コロナウイルスの世界全体の感染者が、この日までの24時間で10万6000人増え、1日として過去最多だった」とのこと。米国の脱退可能性については、「記者会見に同席した緊急事態対応を統括するマイク・ライアン氏は、米国の拠出金の多くは緊急の人道支援に使われていると説明した。その上で、拠出の停止や減額について「世界でも、最も立場の弱い人たちに必要な医療支援を届けることに影響が出ることになる」と強調し、翻意を求めた」。新たな感染者が多いのはブラジル、ロシア、インドなどで、「米ジョンズ・ホプキンス大の集計では、20日夜(日本時間21日午前)時点で世界の感染者は499万人を超え、500万人に迫っている」。
  • 【中国失政 損害9兆ドル/ポンペオ氏 コロナ対応批判】曰く、「米国のポンペオ国務長官20日の記者会見で、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に関連し、「中国共産党の失政により、世界が被った損害は9兆ドル(約970兆円)近くに上る可能性がある」と述べた」。そして「米国内では中国に対し、感染拡大による損失分の賠償や経済制裁を科すべきだとの声」もあるらしいが、とは言えマイク・ポンペオは、「損害額の具体的な算出根拠は「我々の試算」とするだけで示さなかった」。
  • 【米、台湾に魚雷売却へ】によると、「米政府は20日、台湾にMK48魚雷18発など計1億8000万ドル(約190億円)相当の武器を売却することを決定し、議会に通告した」。「MK48魚雷は潜水艦搭載用」の兵器らしい。この決定は例の「台湾関係法」に基づくものだ。
  • Wikipediaから「JOJO広重」を読む。非常階段のオリジナルメンバー。「1997年、自らの歌とノイズというスタイルで、JOJO広重としての初のアルバム『君が死ねって言えば死ぬから』を発表」とあるが、このタイトルは何だかどこかで聞いたことがあるような気もする。ディスコグラフィーを見るとこれに始まって、『みんな死んでしまえばいいのに』とか、『このまま死んでしまいたい』とか、『生きている価値なし』とか厭世的な文言の題がいくつか並んでいて、その徹底した陰鬱ぶりにはちょっと笑う。二〇一三年には『Osaka Fortune』という作品を作っているが、その共作者としてPaal Nilssen-Loveの名があり、あ、そうなんだ、そこ繋がるんだと思った。
  • 「非常階段がステージ上での放尿や嘔吐などのパフォーマンスで知られる事に関して、広重自身は「ノイズをアートにしたくない。偉くなりたくなかった。僕らは、昔のプロレスでいう反則レスラー。この本は、30年間アホでしたという記録です。」と語っている[3: 近藤康太郎 (2010年9月5日). “非常階段―A STORY OF THE KING OF NOISE JOJO広重さん”. 朝日新聞 (朝日新聞社) 2013年1月26日閲覧。]」
  • あと、何だかよくわからないが初音ミクとノイズを合わせた「初音階段」なるプロジェクトもやっていたらしく、そのライブでは白波多カミンという人が初音ミク役を務めたと言い、JOJO広重はこの歌手の『くだもの』(二〇一四年)という作品をプロデュースしているのだが、同作では坂田明がゲストでサックスを吹いているという話なので、ちょっと気にならないでもない。
  • 「豊住芳三郎」も続けて閲覧。富樫雅彦に師事していたらしい。宮間利之のニューハードというバンドに参加しており、Charles Mingusの来日時にはその一員として『Charles Mingus with Orchestra』を作ったようだ。
  • 寺山修司の戯曲である「毛皮のマリー」の記事も読んだが、「あらすじ」が驚くほどに下手くそな文章で書かれている。この劇の公演はもともと横尾忠則が美術担当だったが一悶着あって取り下げとなり、舞台衣装担当のコシノジュンコも主演の美輪明宏と揉めたらしい。「本作はアートシアターにおける大ヒット作となり、批評の点でも好評であった。劇団発表では、初演及び10月再演であわせて4600名の観客を動員している[27: 『天井棧敷新聞』昭和42年12月10日号、『天井棧敷新聞全縮刷版』アップリンク、1997]」とのこと。
  • 風呂で湯に入る前に例によって入念に柔軟運動をする。腰ひねりをかなりやった結果、出たあとは下半身のほうがむしろ疲れたと言うか、かえって重たるいような感じになってしまった。九時過ぎから四月三〇日の記事を書こうとしたものの、そのせいで強い眠気にまとわりつかれたので、やむなくベッドに移る。奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年)をちょっと読んでから仮眠。
  • 深夜、「少年ジャンプ+」で尾田栄一郎ONE PIECE』が最初から無料公開されていたので、まあ幼い頃の思い出をちょっとたどってみるかというわけで、一話から読みはじめた。『ONE PIECE』と言えば例の「どん!」という効果音の描き文字がとても有名で、ほとんどトレードマークみたいになっていると思うけれど、それははやくも五頁目、子供時代のルフィが一番最初に登場する場面から使われている。ここではエクスクラメーションマークは二つで、つまり「どん!!」だ。その次のシャンクスの登場場面では「っ」が入っており、強調符は一つのみ。すなわち、「どんっ!」である。この二人の主要人物のみならず、説話上さほどの重要性を担わないと思われる――彼女が出てくるのはたぶん、ほとんどこの一話だけだと思うのだが――酒場の店主マキノを示す立ち絵の後ろにも同様に、ここではしかし縦向きで「どん!!」がある。
  • 効果音上の特徴としてはあと、「…」を付すことが結構多いように思われて、一番最初の頁、海賊王ゴールド・ロジャーの処刑のシーンからして、ロジャーの笑みには「ニヤ…」という吹き出しが付加されているし、その次のコマで、広場にひしめき合う群衆たちの果てでロジャーが斬首されるところでも、画面奥に置かれたごく小さな処刑台から「ザン…!!」という首切りの効果音が浮かんでいる。四頁でシャンクスの船の海賊旗が風を受ける音には「バサッ‥!」と二点リーダーがついているし、少年ルフィが自分の顔をナイフで刺したときにも、「ブス…!!」とやはり三つの点が付属している。
  • ほか、一二頁に、シャンクス海賊団の愉快な仲間たちが肩を組んで横並びに繋がりながら、ルフィに対して海賊ってのは自由で楽しいぜェってな感じで呼びかけるコマがあるのだけれど、この一コマの動きのなさはちょっと気になった。この愉快な連中はおのおの大口を開けながら楽しげなポーズを取っていて、例えば左から四人目の、歯が一部抜けており刀のような武器を手にしている一人は右足を横に突き出して別の一人の顔を圧迫しているし、右から二人目の、泡立つビールのジョッキを持った禿頭の男などは両足の裏を合わせて、ヨガで言うところの合蹠のポーズみたいな形を取りつつ左右の二人を支えにして宙に浮かんでいるのだが、このコマには集中線も効果音もないし、こうした身振りに伴っても良いはずの装飾的な線もまったく描きこまれておらず、この男たちの一団は、ほとんど背景の上にただ貼りつけられただけの切り絵みたいな停止感に収まっている。
  • 二五頁では時間と場面の転換があってルフィが魚屋に行くのだが、その店の看板は魚の形をしていながら同時に「UO」という文字が書きこまれてもいて、この安直で率直な同語反復性には笑う。しかも看板が映し出されたコマでは囲みを用いて「魚屋」と親切に場所が示されているし、次のコマでもルフィが、「魚くれっ!!/魚屋のおっちゃん」と言ってもいるわけだから、この入念な説明いらなくない? と思ってちょっと笑った。この、明らかに余分と思われる懇切丁寧な「魚」の記号の過剰性は何やねん。
  • 三七頁には、ルフィをいたぶる山賊のもとに折りよく航海から戻ってきたシャンクスが現れ、「おれは酒や食い物を頭からぶっかけられようが/つばを吐きかけられようがたいていの事は笑って見過ごしてやる」、だが「どんな理由があろうと!!/おれは友達を傷つける奴は許さない!!!!」と真剣な表情で宣言するコマがあるが、ここではやくも、この作品のもっとも主要なテーマの一つであると思われる、「仲間とのあいだに固く結ばれた強靭な信頼関係」に連なる主題が登場している。ここではまだ「仲間」という言葉は導入されておらず――ルフィはシャンクス海賊団の「仲間」とは認められていないのでそれは当然だ――「友達」の語が使われているので、それはつまるところ「友情」のテーマとして現れている。だから、『週刊少年ジャンプ』という漫画雑誌自体の基本テーマとされているいわゆる「友情・努力・勝利」のうちの一要素が、ここではっきりと提示されているわけだ。
  • 山賊の手下たちと戦うのはシャンクス海賊団の副船長である。この人は一四頁で既に一度登場しており、そこで彼はルフィに「お頭の気持ちも 少しはくんでやれよ」と言って、海賊生活にはさまざまな「苛酷さや危険さ」だって無数にあるのだから、そうおいそれとは連れていけないんだ、船長はお前の気持ちを「踏みにじりたい」わけではないよと諭している。この人はだから、表面的にはおちゃらけたようなシャンクスの振舞いの裏にある彼の配慮、すなわち内面を想像するんだよと、言い換えれば物事の多面的複雑性を見るようにとルフィに言い聞かせる「大人」としての役割を担っており、要するにもののわかった副官として、陽気なリーダーシップを具えているがいくらか大雑把そうな感じもある船長を堅実にフォローする立場、冷静で知性的なサポート役として現れているのだが、快活で人好きのするリーダーと落ち着いた佇まいのクールなサブリーダーというこのような図式はわりとよくある構図だと思う。で、この人は最初の登場時からして煙草に火をつけながら現れるし、戦闘の場面でも相変わらず煙草を吸っており、果てはそれを武器として相手の顔面に押しつけることなどもしつつ、手に持った銃をまったく撃つこともなく単なる打撃武器として用い、それでも一人で多数の山賊たちを倒してしまうほどに強いのだが、悠揚迫らぬ冷静な物腰と相まってこの煙草という小道具は、副船長の「クール」さを強調的に描写する記号として機能しているだろう。
  • 四二頁では回想の形で、ルフィが山賊と悶着を起こすことになった事情が語られており、そこで彼は山賊が海賊たちを「腰ヌケ」呼ばわりするのを見過ごせず、「シャンクス達をバカにするなよ!!!!」と顔面に青筋を立てながら憤りを叫んでいる。仲間になりたいと願っていた憧れの存在を愚弄されたことに怒りを抑えられなかったわけだが、これも上に書いた「友情」のテーマに連なる場面と見て良いだろう。だから先のシャンクスの宣言(「どんな理由があろうと!!/おれは友達を傷つける奴は許さない!!!!」)は、彼がその時点では知らなかったルフィの激昂に正しく応答するものとなっているわけで、その「友情」関係は四七頁において、海に投げ出されたルフィを怪物的な巨獣から守ったシャンクスが波間に揺られながら、「恩にきるよ」「おれ達のために戦ってくれてたんだな」と感謝を伝えるに当たって双方向的に成就し、そしてそれと同時にシャンクスの片腕は失われる(肉を噛みちぎられた断面から血を滴らせる腕を提示するこのコマにも「ドン!」が用いられている)。「安いもんだ/腕の一本くらい…/無事でよかった」とシャンクスは言うが、彼は片腕を引き換えにして、つまりはまさしくその身をもって「友情」を証明したことになるわけで、その行為によってルフィは「なによりシャンクスという男の偉大さ」を深く理解し、「こんな男にいつかなりたいと心から思った」。したがって、この出来事によってルフィはシャンクスの後継者たらんという気概を、さらには彼らを超えて「海賊王」になるという野心的な目標を得るのだが、それに対するシャンクスからの承認として、彼がかぶっていた麦わら帽子が(名目上は「預ける」という形で)ルフィに継受されることになる。
  • で、一〇年後、「海賊王」を目指して旅立ったルフィは手始めに、一〇年前に自分が食われかけた「近海の主」を、長年のあいだに鍛え上げた必殺技、あの有名な「ゴムゴムの銃[ピストル]」で難なく撃退するわけだけれど、尾田栄一郎という人はよくもまあこんな変てこな必殺技を考え出して、しかもそれを大人気にヒットさせてしまったなあと思った。ルフィが「近海の主」の横面にパンチを叩きこんでいる見開きのカットを見ると、ゴムとして伸びている彼の右腕の輪郭は手の方に向かうにつれて段々とその幅が狭まっていく単純な二つの線でしかないし、そのあいだの空間を占める腕の肉は端的に真っ白な空白で、何の線も模様も施されずにのっぺりとした完全な平面として描出されている。だからこれは何だか少年漫画の必殺技としてはとても奇妙なものだと言うか、正直なところ全然格好良くないので、よくこれを人気にできたなあと思うのだ。まあそうは言っても、例えば「かめはめ波」なんかもよほどのものと言えばそうなのかもしれないけれど。
  • 二話と三話も続けて読み、『ONE PIECE』のキャラクターってどいつもこいつも本当に口がでかいなあと思って笑ってしまう。
  • Wikipediaを読んだり『ONE PIECE』を読んだりしていたので、ほとんど日記を進めることができなかった。今日、二一日のことは記録したものの、これはあくまでメモだし、四月三〇日分はほんのわずかしか書けず。やはりきちんと文を作らないと、その一日で仕事をしたという感じにはならない。消灯は四時二一分。窓をちょっとだけ開けて、眠りが来るまで鳥の声を聞いていた。ずっと目を閉じていたので正確には不明だが、体感としては四時三〇分頃にはもう鶯が鳴きだしている。そしてそれ以前に鳴いていたホトトギスは、なぜなのかわからないがちょうど役目を交替するように、取って代わられるようにいなくなってしまう。この二種は不思議と一緒に鳴くことがないなあと思っていたのだが、そんなことはやはりなくて、四時四五分か五〇分頃と思われる時刻には両方の声が重なる瞬間が聞き取られた。ただやはりホトトギスはどちらかと言えば深夜によく聞こえるもので、日中にはさほど鳴いている印象はない。昼間は鶯が支配的だ。


・作文
 11:54 - 12:18 = 24分(5月21日)
 15:22 - 16:17 = 55分(5月21日)
 21:11 - 21:37 = 26分(4月30日)
 計: 1時間45分

・読書
 11:18 - 11:43 = 25分(日記 / ブログ)
 12:49 - 13:09 = 20分(英語)
 13:09 - 13:28 = 19分(記憶)
 14:21 - 15:08 = 47分(ブログ)
 18:57 - 19:52 = 55分(Wikipedia
 21:44 - 22:10 = 26分(古今和歌集: 49 - 54)
 27:24 - 27:42 = 18分(古今和歌集: 15 - 20, 54 - 55)
 計: 3時間30分

  • 2019/4/29, Mon.; 2019/4/30, Tue.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-03-17「子どもには知られたくないことばかり記した紙で折り鶴を折る」; 2020-03-18「名を知らぬひとならきっと愛することもできるはず風景を見る」
  • 「英語」: 62 - 83
  • 「記憶」: 133 - 134
  • 「at-oyr」: 2020-02-21「季節の記憶」; 2020-02-22「ゾンビ」; 2020-02-23「God Bless America」
  • Wikipedia: 「JOJO広重」; 「豊住芳三郎」; 「毛皮のマリー
  • 奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年): 49 - 55, 15 - 20(メモ)

・音楽