2017/12/3, Sun.

 まず初めに、八時台か九時の頃合いに覚めた。その次に覚醒すると、一〇時二〇分くらいだったと思う。感触としてはかなり軽い目覚めで、もう少し意志の力があればそこで起床できたはずだったのだが、結局はいつも通り、いつの間にかまた寝付いていた。正午前から段々と意識を定かなものにしていって、一二時一五分に布団から出た。最後の覚醒の時には、仰向けになって脚を曲げ、深呼吸を繰り返し行った。そうしていると、血圧の具合なのか何なのか知らないが、鈍ったように停滞している身体の感覚が確かに調って、ようやく動けるようになるのだ。初めの覚醒時からこのように深呼吸を行うことができれば、多分そこで速やかに起きられるのだろうが、と思った。ベッドの縁に腰掛けて少々息をついてから便所に行き、戻ってくると瞑想を行った。比較的温暖な晴天の日和で、外の音が聞きたいから瞑想の時は窓をちょっとひらくのだけれど、ダウンジャケットを羽織らなくとも寒さはない。緩やかな気分で一八分を座ると、上階に行った。
 (……)新聞は、まず「モスクテロ 「子どもから殺された」 エジプト 生存者が証言」というエジプトの事件の続報から追った。その後、「ワールドビュー: 屈辱が強めた民族意識」(これはカタルーニャ情勢についての記事である)、「メディア 米国のいま 広がる分断 下: コメディー 過激化 反トランプ うっぷん晴らし」と国際面の記事を追い、それから二面に移って、「エルサレム「首都」認定検討 トランプ氏にパレスチナ反発 米報道」、さらに三面の「「露と接触 中枢幹部指示」 フリン氏 偽証認め司法取引 クシュナー氏の関与 焦点」と、相変わらず海外の情報ばかり読んだ。そうして席を立って洗い物をして、風呂も洗うとそのまま玄関を抜けて、竹箒を手に取った。散らばった落葉を掃き集めていくのだが、その合間にも西から風が流れて、これから掃こうというものが流されて行く。まだ二時前で、太陽は林の樹々の頂点にその光輝の広がりが触れるか触れないかというところで、明るさは十分に残っているものの、風が厚くなればやはり肌に冷やりとする。途中で地面から目を上げると、向かいの家の入り口付近に楓の葉がたくさん伏して、貝殻のようになっている。傍らに立った楓の樹の、鮮やかな紅色に染まりきった葉の群れが、陽射しを掛けられて赤の色を明と暗の二種に分けて揺らいでいる。そうした様子を全体として眺めて、なかなか粋ではないかと思った。(……)道の先の楓の樹は、もう随分と色褪せて、不健全なような濁った色合いになっていた。
 そうして屋内に入り、手を洗って室に帰ると二時直前、緑茶を用意してから、(……)を読みはじめた。緑茶をおかわりしに行った(……)。それから自室に戻って引き続きブログを読んでいた(……)上階に行った。それでタオルや肌着などを畳んで整理しておき、アイロンを掛けるものにはアイロンを掛けた。(……)室に帰り、ブログ記事の続きを読んだ。その後、三時半から日記を記しはじめて、まず前夜の就床前のことを記述して一二月二日の記事を完成させてしまい、それからこの日のことをここまで記して、現在は四時半である。
 そののち、上階に行って、(……)紫玉ねぎと大根をそれぞれスライサーで薄くおろし、笊のなかに入れたまま水に浸けておいた。済ませると室に帰り、五時台後半からふたたび(……)を読みはじめている。そうして六時に至ると、早々と食事を取りに行ったのだが、この時何故か、気分がかなり良く、明るいようになっていた。空腹を抱えて階段を上りながら、これは飯が美味く感じられるだろうなと思われたほどだった。何故そんなに心持ちが上向いていたのか、(……)が面白かったということもあるかもしれないが、確かなところはわからない。実際、食事は普段と特に何か変わっていたわけではないのだが、大変美味く、満足の行くものだった。食べながら新聞の日曜版の冒頭の記事を読む。読売新聞は毎週日曜には通常の新聞に合わせて薄めの日曜版も発行していて、そこの一面と二面の記事はいつも、文学作品などから一節を引いて、それにまつわる事項について少々物したという趣向のものになっている。この日の引用元は道元で、載せられていた永平寺の写真(上空から撮ったもの)が結構なものだった。極彩色ともちょっと言いたくなるような紫や橙や紅が、斑に、ことによると毒々しいかに差し込まれた山の合間に、帯成す霧まで湧いて画面を白く横切っているその向こうに寺の威容が覗くという構図だが、まるで漫画の、これから物語が始まるという冒頭にでも据えられていそうな画だと思った。引かれていたのは、『典座教訓』とやらの文言で、要するに食事を作るというのも、食事を取るというのもまた修行である、一日の生活のうちすべての時間が即ち修行であるというような考えに繋がる部分だったと思うが、こうした観点についてはヴィパッサナー瞑想のことも思い合わせて色々と考えを巡らすところはある。ベルクソンおよびドゥルーズの系列が構築したと思われる差異=ニュアンスの哲学に、東洋の仏教系の思想、さらにはそこにフーコーが晩年に考えていたという「生の芸術作品化」の視点も結び合わせて、何かしらの「生(生命)の哲学」のようなものを樹立することができるのではないかと、そうした予感は前々から抱いているのだが、しかし如何せん予感だけで、文献自体にちっとも当たれないのが現状である。新聞の文を読み終えると、まだ食物が残っていたので、一口を仔細に味わうようにゆったりとした調子で食った(そして実際、一口ごとがどれも美味く、安息するものだった)。食事を終えると自室に帰って、緑茶を飲みながら日記の読み返しをした(二〇一六年一一月二三日水曜日)。それから書き物に入り、一時間半で二七日、二八日の二日分を仕上げたところで切りとした。何か身体がこごるような感じがあったのだろう、そこから、Oasis『(What's The Story)Morning Glory?』をBGMにして運動を行った。二〇分間身体をほぐし、FISHMANSなどをちょっと歌ってから入浴に行ったのだが、この時、先ほどの晴れやかで落着いた気分からは一転して、緊張の感覚が全身を覆っていた(あるいは蝕んでいた)。自室を出て居間に行くだけで、そのような感覚を覚えるのだ。風呂に浸かりながらも、この自分の心身の調子の変動の激しさは妙だなと思いを巡らせた(「変動の激しさ」などと言ったって、それはこの自分が主観的に、その都度計測器のようにして感知しているだけで、外面には表れておらず、誰にも気づかれていないのだが)。湯のなかにいても不安の感覚が抜けず、芥川龍之介ではないけれど、自分が存在しているということそのものに対する茫漠とした不安、などと戯れに思ったりもした。最近の自分は尿意の高潮などもあるし、どうもまた色々な面で不安神経症の兆候が現れはじめているような気がしないでもない、このまま行くと、あるいは何かの機会にふたたび発作を起こすかもしれないぞと危ぶんだが、そうなったらそうなったでまた薬を貰って頭を鎮めれば良いだろうという当てはあった。それにしても、不安や緊張というもののまったく存在しない平静あるいは自足の状態というのは、全然やってこないなと呆れるようになった。結局のところ自分は、不安症状自体は日常生活を問題なく遅れるくらいの水準に収まりはしたけれど、不安神経症的な性向そのものを消し去ることができたわけではない(神経質な人間は、おそらく一生、神経質なままである。ただ、自分が神経質に何かを気にしてしまうということを気にしない、という方向に認識の傾向を誘導することは可能だろう)。多分自分はこの先も、始終微細な不安をおのれの内に検知してはそれにいちいち反応して、精神の安息を求めながらも決定的なものは得られないままに死んでいくのだろうなと先行きが容易に見えるような気がして、しかしそれに失望せず、笑うようになった。ある種、喜劇的な人間類型の一つかもしれない。そうしたことは措いて、突然の気分の変動をもたらした要因を現実的に考えてみると、やはり緑茶ではないかと思われた。カフェインがそうなのか、その他の成分なのか知らないが、自分の身体とは相性があまり良くないのだ。それでも食後は何か一服したくて飲んでしまうわけだが、ともかくまたしばらく緑茶を飲むのはやめてみようと心を定めた(今までもこのように、緑茶を飲んでは体調の変化を感じて止め、しばらくして心身が良好になるとまた飲みはじめるということを繰り返してきたので、またそのうち飲みだすのではないかという気もするが)。こうしたことを思い巡らす一方で、窓の外からは風の音が耳に届いていた。林の葉叢を鳴らしている響きが、初めは小さく渡ってきていたのだが、じきに高まって、結構な流れ方になったので、もしや明日は雨になりはしないだろうなと心配された。
 心を落着けるように浴槽のなかで深呼吸を繰り返し、風呂を上がってくると、気分は多少平常の方向に戻っていた。白湯をいっぱい注いで室に帰り、胃を暖めながら何をするかと考えて、ひとまず音楽を聞くことにした。一〇時一〇分から始めて五〇分ほど、最初はいつも通り、一九六一年六月二五日のBill Evans Trioの演奏から、"All of You (take 3)"と"Porgy (I Loves You, Porgy)"を聞き、次にFISHMANS "新しい人"に耳を寄せて(この曲は大変に素晴らしい)、その後はTHE BLANKEY JET CITY『Live!!!』から数曲流した("Bang!", "TEXAS", "2人の旅", "不良少年のうた", "SOON CRAZY"; #4-#8)。"TEXAS"のギターソロなど聞くと、浅井健一のギターの音の運動というのは、ほとんど「動物的な」と言いたくなるようなものだと思った。このようにギターを鳴らすことができ、それがこの上なく様になるというのは、やはり羨ましいことではある。
 そのうちに、カフェインだか何だかの効力が抜けてくるだろうと思っていたのだが、音楽を聞き終えるとやはり心身の感覚は結構落着いていた。歯磨きをしながら自分のブログでここのところの日記を読み返し、そののちに、武田宙也『フーコーの美学――生と芸術のあいだで』をしてからこの日の日記の続きを記しはじめた。ここまで書いて、現在は午前一時八分になっている。
 その後は、(……)棚に何列にもして積んである本のなかから蓮實重彦の『凡庸な芸術家の肖像』を取って、きちんと読むのではなく色々な箇所を無造作にひらいて拾い読みをした。前日に『ダロウェイ夫人』を読み終えて、新しい読書に移ることもできるところ、中断した古井由吉『白髪の唄』の続きを読んでも良いのだが、月末の会合でパク・ミンギュ『カステラ』という小説を読むことになっていたので、一二月は忙しいことでもあるし、やはりそちらを優先したほうが良いだろうと思っていた。件の本はこの時点ではまだ入手しておらず、この翌日に新宿まで出かける用があったので、その時についでに買って読みはじめるつもりだったのだ。それでこの深夜には気楽な拾い読みに遊びつつ、例によってゴルフボールを踏んでいると、先ほどの頭痛が解消されて行く。翌朝は久しぶりに九時には起きようとアラームを設定してあったので、三時には床に就きたい気持ちでいたが、疲労感が抜けていくのが快くて、結局消灯するのは三時半になった。就寝時の瞑想をしなかったが、寝床で仰向けになりながらじっと動かずに深呼吸を繰り返すのもほとんど同じようなものだろう。この頃には不安感というほどのものはほとんどなくなっていたと思う。頭がひどく冴えていたというわけでもないが、眠りはなかなかやって来なかった。深い呼吸を繰り返していると、身体感覚(肌[﹅]の感覚)が鋭敏化されるのだろうか、全身が繭に包まれているような心地になってくるのだが(自律訓練法を実践したことのある人間なら思い当たるはずだ)、感覚が鋭くなったそのために、何かの拍子にかえって奥[﹅]から(一体何の奥[﹅]なのか?)不安を引っ張り出してきてしまいそうな気配が微かにあって、変性意識(と呼ばれる状態だと思うのだが)もだいぶ深みに進んだところで肉体の静止を解いた。それで左右に姿勢を変えてしばらく過ごしたのち、ふたたび仰向けに直って静かにしていると、今度は深まりがある程度進んだところで、感覚がぱっと別のフェイズに転換する瞬間があった。何と言えば良いのか、繭の比喩を使い続けるならば、そのなかに籠められていたところから外皮を脱ぎ捨てる、あるいは脱ぎ捨てるまで行かなくとも、外皮が非常に薄くなって肉体の周囲にぴったり貼り付いてほとんど同化したような状態になったと言うか(しかしこんなものは単なるイメージに過ぎない)、ともかく、外側に出る[﹅5]というような感覚の訪れとともに、頭のなかの濁りが一掃されて晴れ晴れと明晰な意識の状態がもたらされた。と言ってやはり冴え冴えとした固い鋭さがあったわけでなく、その内から、ようやく眠気の寄ってくる兆しがあって、そのうちにうまく眠りに入ることができたらしい。

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2017/12/2, Sat.

 就床から三時間か四時間ほどの時点で一度覚め(この第一の目覚めは大抵軽いものなのだが、睡眠の短さのために身体を起こす気にならない)、そこから長々と眠って一二時四〇分に意識を取り戻し、時計の時間を認識した。しばらく布団のなかで深呼吸を繰り返しながら起き上がる気になるのを待った。ベッドに腰掛け、ヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』を少々読み、身体が落着くとトイレに行った。戻ってくるとダウンジャケットを着込んで窓をひらき、瞑想を行った。結構集中した感があったのだが、目をひらいてみると一時五分から一六分までと、短めのものとなった。
 (……)チャーハンを熱し、即席の味噌汁を用意する。前夜の煮物もほんの少しだけ残っていたので合わせて卓に並べ、新聞を読みながら食事を取った。米国のメディア状況についての記事や、ティラーソン国務長官が年内にも辞任するらしいという見通しや、天皇の退位と即位が一九年五月一日案で定まったという話などを読んだ(正確な記事タイトルは、あとでその気が起こればここに追記しておくこと/追記: 七面から「メディア 米国のいま 広がる分断 中 興味満たす デマ番組 ユーチューブ 流布の温床」、「米国務長官 早期辞任か 大統領と食い違い 「120年で最短」観測」、「ローマ法王 ロヒンギャ難民と面会 バングラで 宗教超えた結束訴え」、一面から、「改元 19年5月1日 天皇陛下 4月30日退位 皇室会議 新元号 来年公表へ」)。情報を追うのには適当なところで区切りを付けて、台所に立つと乾燥機のなかの食器の山を慎重に崩して棚に収めて行き、自分の使った分を洗った。風呂も洗ってしまうと(上階に来て最初に束子を風呂場から運んでベランダに吊るしておいたが、その時は明るい陽射しが宙を漂っていた)、緑茶を用意して自室に帰り、ベッドに腰掛けてコンピューターを椅子の上に置いた。前日の記録を付けてこの日の記事も作ったあとは、日課の類に掛かる気が起こらず、ゴルフボールで足の裏を刺激しながらインターネットを閲覧して緩やかに過ごした。三時に至るとベランダの洗濯物を取りこみに行く。この頃には空気中に光はなく、肌に触れる感触も少々寒々としていた。烏が二、三羽で頻りに鳴き交わす声が響いており、ハンガーを取り上げながら視線を上げると、声を落としながら空を渡って行く一羽があって、それを視線で追いかけた。羽ばたきながら宙を横切って行くその向こうには、半端に水っぽい灰色の雲が多くこびりついており、アメーバ状に網目を成したその隙間に薄水色が覗く。室内に入ると取りこんだものを畳み、そうして下階に戻った。
 何となくギターを触りたい気分があったので、隣室に入り、アンプのスイッチを付け(アンプやケーブル類は先日来繋いだままで、すぐに遊べるようにしてあった)、気の向くままに音を鳴らした。するともう四時が近い。自室に戻って、『ダロウェイ夫人』がもう終わり間近なので読み終えてしまおうと、読書を始めた。四時半まで読んで読了である。終盤の一連のパーティの場面はかなり良いような感触を得た。まさに最終盤、ある青年(セプティマス)が自殺したことを聞かされてダロウェイ夫人が思いを巡らす部分や、再会したサリー・シートンとピーター・ウォルシュが夫人を待つあいだの会話(とそれぞれの思念)の流れなど、文を追っていて、ああ良いな、小説を読んでいるなというような印象を覚えたのだが、しかし何がどのように良く、何がどのように小説的なのかはわからない。読書後、この日のことを先に日記に記しはじめて、ここまで書いて五時である。
 上階に行く。(……)アイロン掛けを行った。すぐに済ませて室に帰って来ると、五時半前から新聞記事の書抜きを始めた。読むだけ読んだは良いけれど、気に掛かった部分を写していない新聞が何日分も、机の上に重ねたまま放置されていたのだ。二四日と二五日の分を仕舞えて六時、ちょっとインターネットを覗いてから、一一月二六日の記事を記しはじめた。テーブルには就かず、ボールを踏んで足の裏をぐりぐりやりながら気楽に進めて、八時に到達する前には仕上げた。いくらか検閲してブログに投稿しておくと、食事である。
 煮込みうどんを食べたいという気分にこの日もまたなっていた(三つセットの生麺が一食分、残っていた)。それで台所に立ち、しばらく作業を行って、玉ねぎにエノキダケ、葱に豆腐を具とした温かいうどんを拵えた。(……)テレビはNHKの『チョイス@病気になったとき』を流している。睡眠時無呼吸症候群についての回である。そちらにちらちらと目をやりつつも、同時に夕刊の記事も追い(この日はなぜか、テレビが点いていても気を散らされることなく文を読むことができた)、「フリン氏、偽証罪認める 露疑惑で訴追 捜査協力も表明」、「安保理 北の人権侵害 討議へ 日本人拉致も議論」と二つの記事を読んだ。六面には篠沢秀夫に対する追悼記事が出ており、さらにそちらも読んだ。「戦中だった子供時代、夢は少年飛行兵になることだった。だが戦後、周囲が英語一色となり、急な変化に反発。フランス文化の奥深さを知り、「日本再興のためフランス語を学び、ヨーロッパ精神の根本を知ろう」と決めた」という来し方の紹介に、やはり時代というものが感じられるように思った(特に、「日本再興のため[﹅7]フランス語を学び」の部分)。彼が訳したブランショの『謎のトマ』という小説は、かなり以前に一度図書館で借りたけれど、その時は端的にこちらのレベルが足りずに、読みはじめてすぐに挫折してしまった覚えがあるので、いずれまた読んでみたいとは思う。うどんの汁まですべて飲み干して満腹になると、食器を洗い、流し台に溜まっていた器具の類もいくらか片付けておき、それから緑茶を用意して一旦室に下りた。茶を二杯飲みながら、今度は二六日の新聞からエジプトのテロ関連の記事を写しておいた。事件を受けて大統領自ら国営テレビの放送で、「軍は、殉教者(犠牲者)のために報復を行い、治安を回復する」と述べたと言うのだが、「報復」という言葉を堂々と宣言するのはちょっと凄いのではないか、と思った(どういう意味での「凄い」なのかは、いまいち判然としないのだが)。
 新聞記事を写す二〇分ほどの時間で腹の内がいくらかこなれたので、入浴に行った。風呂を浴びているあいだは、大概思念が脳内でよく蠢いて、物思いをしている合間に身体が自動的に動いて洗体などを済ませているような具合なので、時々自分が頭を洗ったのだったかわからなくなることがある(実際に、最後まで洗髪を忘れていながらそれに気づかず、洗面所に上がったあとの髪の感触でどうも洗い忘れたらしいと知ったということも今までに何度かある)。この時も、髪を濡らしただけで、そのあとのシャンプーを使って洗い流すという工程を忘れそうになった。そんな風になりながら考えていたのは、一つには『ダロウェイ夫人』のことである。『灯台へ』の記述を援用するならば、クラリッサにとって「捧げ物」たる「パーティ」というのは、「生の瞬間の芸術作品化」というような意味合いを持っているのではないか、というのは二六日の記事に記した通りである。一方でクラリッサはたびたび、色々な場面で「生」への「愛」を表明してもいる(それと矛盾するように「愛と宗教」など大嫌いだと感情を高ぶらせている箇所もあるけれど)。この「生」への「愛」が、彼女の「パーティ」と何らかの形で結びついていることは確かだと思われるが、その点はまだ、テクストに即した[﹅8]明晰な理屈の道筋を作り上げることができていない。非常にわかりやすい印象論(つまり、テクストとの言語的な対応を調べていない手軽な「解釈」)として、クラリッサにとって「パーティ」とは、彼女の「生」への「愛」の表現/体現なのだと考えてみると、彼女がパーティを開くのは言わば「芸術的な」動機によるものだということになるのだが、クラリッサ自身の視点から見てそうだとしても、こうした見方には批判的な別の視点が作品内には用意されている。それは勿論、ピーター・ウォルシュの下す評価であり、彼からするとクラリッサがパーティを開くのは、夫であるリチャードの「役に立つ」ためか、あるいはそれを言い換えて「世俗的な成功」を求める心のため、要するに単なる「俗物根性」によるものだと見えている(ついでに指摘しておくならば、クラリッサの「親友」だったサリー・シートンも、彼女のことを「心の底では俗物」だと評している(三二九頁))。「芸術家」としてのクラリッサと、「俗物」としてのクラリッサと、二つの像がこの作品には同居しているわけだが、テクストは(この作品の言語を書きつけた生身のヴァージニア・ウルフ当人は、ではない)その様相として、このうちのどちらのほうに寄っているのか、どちらのほうを擁護しているのか? そうした問いを思わず発してしまうものだけれど、おそらくそれは決定できないようになっているのではないか。一つの事柄に対する見方が人々によって異なるという複数性の様相を、こちらはそのまま受け止めればそれで良いのではないか(それは我々が実際に生きているこの「現実」の、(ずっと昔は違ったのかもしれないがいまやほとんど)「常識的な」あり方である)。
 もう一つ思いを巡らせたことには、上のようにクラリッサにとっては手厳しい評価を下すピーターだけれど、クラリッサが備えている「生」の「瞬間」に対する「愛」と相応するようにして、彼のほうも「瞬間」への志向性を作中で露わにしているのだ(ただ、ピーターのほうはその点に関しては、確か一度も「愛」という言葉を用いてはいないはずで、これは重要な相違ではないかと思われる)。また、クラリッサの「パーティ」に対応するものとして、ピーターには「恋愛」というものがあるという風にも、(クラリッサの独白のなかで)描かれている。要するに、この二人はある部分では(もしくはある程度までは)「似た者同士」のはずなのだ(だからこそ二人は過去において惹かれ合ったのだ、と読んだり、「似た者同士」であるはずの二人が一緒になれなかった、という点に(大袈裟な言葉を使えば)「悲劇」を感じたりする、ということも可能なのかもしれない)。そこから類推するに、ピーターには、クラリッサのパーティに対する「芸術的な」動機を理解する余地があるのではないだろうか。彼がもしクラリッサの「思い」を仔細に聞いていたならば、それを理解することは十分に可能だっただろうと想像し(これは「言語」ではなくて「表象=物語内容」に付く態度、すなわち二次創作的な姿勢だ)、そこから照らして、現実にテクスト上に展開されている二人の「すれ違い」に少々切なさを感じたわけである。
 入浴のあいだには、言語的に展開してみるならば大方そのようなことを思い巡らせ、出てくるとちょうど一〇時頃、室に戻ってこの日の日記を書きだし、ここまで記すと現在は一一時半直前である。
 その後、何をするか立ち迷いながらも、Ernest Hemingway, The Old Man And The Seaを読みはじめた。既に終盤で、読んでいるうちに興が乗って、ここまで来たらやはりもう終幕を迎えてしまいたいなという気分になったので、一時間を費やして読了した(八七頁から九九頁まで)。この作品の物語は、悪くないものだったなと感じられ、なかなかの満足感があった(どこがどう悪くなかったのかは良くわからない)。邦訳を読んでみたいともちょっと思ったし(福田恆存訳の文庫本が兄の部屋にあったので、持ってきて時折り参照していたが、こちらとしては好きになれない日本語だったので、そのうちに見るのをやめてしまった)、原文でもいずれもう一度読み返しても良いなとも思われた。その後、一時を回った頃合いから前日の記事に掛かって、まだメモを取っていなかった後半の部分を記憶に頼って記してしまい、今しがたそれが終わったところである。現在は、二時二六分を迎えている。
 その後、歯磨きをしながら自分の最近の日記の記述を何とはなしに読み返してしまい、そうしているうちに三時半を過ぎたので、読書はせずに眠ることにした。三時四〇分から四時五分まで瞑想をして、消灯すると布団の内に入った。例によって頭は冴えており、脳内に言語が間断なく湧き上がっては渦巻き、それがちょっと気持ち悪いようですらあった。何と言うか、外界の知覚よりも頭のなかのその言語の蠢きのほうが認識の内で比重が高くなっており、外界を知覚するや否やその情報が即座に言語圏に回収される、あるいは、外界の手前に言語層が差し挟まっているというような感じがして、それがために現実感がやや稀薄だった。自分の身体感覚なども、自分自身から切り離されたもののように感じられ、例えば顔をちょっと動かした時に首もとがジャージの襟と触れ合う感覚とか、後頭部が枕と擦れ合うそれとか、そうした微細な知覚情報のいちいちが実に明晰に追われるのだけれど、それがしかし全体としては自分から分離されたもののように、あいだに少々距離が挟まっているように感覚される。こうした分裂的な精神状態、これをこちらは「離人感」という言葉で理解しているが、そうした状態に陥ることはわりあいにある。これがあまりに強く進みすぎると、何らかの精神疾患に分類される状態に至るのではないかと思い、そうするとやはりちょっと不安になったが、そうなったらそうなったでまたその状態を書き記すことができるなという拠り所のような思いもあった。こういう場合、「見る」という認識上の働きが非常に優勢になっていると感じられる。「見る」主体と、「見られる」主体が(仮想的/主観的に)分裂しているわけだが、そこにおいていつも「本体」として感じられるのは、「見る」側の主体の働きのほうである。主体というものの究極的な本質は、この「見る」動き、要するに「傍観」のそれとしてあるのではないかと思うこともたまにある。そうした話はともかくとして、寝床に伏していると次第に意識がほぐれてきたようで(と言うか、脳内の言語が明晰な形を取らないように、なるべく無秩序な「声」やイメージの連想へと意識がひらいていくように少々誘導したところがあったのだが)、入眠にひどく苦労した覚えはない。

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2017/12/1, Fri.

 現在は一二月一一日の午前二時一一分を迎えており、この一日当日からもう一〇日が経ってしまっている。メモを取ってはあるが、こうなるとさすがに細かく記述をするのも面倒臭い。これ以降の日々の日記は四日の分を除いてほとんど完成しているので、さっさとブログの投稿を先に進めたいのだ。ちなみに下の、「その後用を足したりして」の段落以降は、この翌日の一二月二日に先んじて記しておいたものであり、したがってこの日の記事は、記述が推移するにつれて話者の現在時点が遡るという珍しいものになっている。
 億劫なので印象に残っていることのみ記すと、まず、朝刊の社会面に宮沢賢治の妹が回想録を残していたことが判明したという記事があった。高校の国語の教科書にも載っている「永訣の朝」にその死が描かれている(とつい書いてしまったが、しかし、本当に詩のなかでは妹が生命を失うその瞬間まで記述されていただろうか? この作のことは、例の「あめゆじゅとてちてけんじゃ」の「声」しかもはや覚えていない。/しかしそのように、たった一文、たった一言だけでもそこに書きつけられたテクストがそのままに[﹅5]人の記憶に残るというのは、やはり何だかんだで凄いことではないか。文学作品などというものは、極論するに、それが何であれ何らかの一文、一語を忘却に抗して人の頭に刻みつけることができれば、それである種「成功」なのかもしれない)妹トシではなく、一九八七年まで生きたシゲという妹が記したという話である。
 ほか、午後に一度家の外に出て近間まで歩いて風景を眺める機会があり、向かいの家の楓の真っ赤になっているさまを目にしたり、林のなかで黄色く染まった樹の固化したように静まっている様子に空中に直接色彩が落とされたようだと思ったり、帰り道で遠くの丘陵に紅葉の色が唐突なように差し入れられているのを見て幾許かの感慨を得たりもしたのだが、前後の仔細な展開を追うことはしない。以下、二日に記した分に移る。
 その後用を足したりして、この日は早めに、四時四〇分に出発した。(……)辛うじてまだ黄昏に入る前の明るみが大気には残っており、坂から見下ろす銀杏の黄色も窺える。(……)街道を歩くうちに、尿意が高まっていることに気づいた。実のところ、出発する前に小用を済ませていたのだが、それからすぐにまた排出したくなるこの頻尿はちょっと異常だなと思った。蕎麦茶を飲んだためなのだろうが(蕎麦茶には利尿作用がある。それに加えて、白湯を一杯飲んだことも効いたのかもしれない)、それにしても早い。途中で小さな公園の前を通る際に、ここにトイレがなかっただろうか、もしあったら寄っておいたほうが良いのではないかと迷ったが、結局は素通りした。しかし、裏通りに折れたところでやはり見ておこうと思い直し、裏路から来た方角へ戻ったのだが、多分あの公園にはトイレはなかっただろうなと目星を付けてはいた。それで敷地内に入ってみると、もうよほど暗んで蔭のわだかまっている周囲にそれらしいものはやはり見当たらないので、仕方がないと踵を返して、駅の傍まで耐える覚悟を決めた。感覚として尿意が結構差し迫ってはいたのだけれど、呼吸を深く、長く吐くことに集中していたので、不安が退っ引きならないまでに高潮するということはなかった。足を急がせるでもなく、下校する高校生らに追い抜かされる程度の歩調で進んでいたのだが、しかしもうあたりが暗くて周囲の視線を意識しなくて良いからわりあい落着いているけれど、これが昼間だったらまた違っただろうなとは思った。交差路まで来て、駅前の公衆トイレまで行くか、それとも踏切りの向こうの図書館分館に向かうかと選択肢を前にしたのだが、駅前に行くことを考えると、やはり明かりもあって人の数も裏路よりは多いから緊張する感覚があり、これは分館に寄るのが正解だなと判断した。それで、ここに来て鳴りはしないかと危惧しながら踏切りを越え、そうするとすぐ目の前の施設に入って便所を借りた。用を足してしまえばこちらのものというわけで、あとは困ることもなく職場に向かった(ただやはり、働きはじめてからもしばらく、何となく緊張の名残りのようなものが肉体に残っていたようではあったが)。
 (……)
 帰り道には月が浮かんでいる。白々と照っており、星も周りにいくつも見えて、日中はかなり曇っていたはずだが、この夜には空は晴れているようだった。徒労感を抱えながら道を行っていると、Radioheadの"The Bends"が頭に浮かんでくる。それで音楽を脳内に鳴らしながら進むと、何か知らないが最近工事作業が進行中の空き地で、コーンの頭に取り付けられた保安灯が点滅している。いくつかの色が高速で灯っては消えながら破線状に散らばっているのをじっと眺めれば、慎ましやかだが結構綺麗なものである。花火を連想させるようだった。さらにしばらく行ってからふたたび見上げた月は、半月も越えて、満月に向けてまた厚くなっているところだった。
 (……)自室に下りて着替えると、足の裏を刺激しながら(……)を読んだ。そうして一〇時半、上階に行き、煮込んだ麺の類を食べた。テレビには初め、何だか知らないがドラマが映し出されており、いかにも安直なと言うか、紋切型に嵌まりきった物語の空気が、あまり画面を見ずとも音声だけで伝わってくる(……)。こちらはそんな場面は見たくもないので、新聞に目を落としていたけれど、音が邪魔になって文字を追えない。しばらくしてドラマが終わると、その後番組は『ドキュメント72時間』に移って、これならばこちらも実に安心して目にすることができる。こちらとしては、大方のテレビドラマの類を見るよりも、このドキュメンタリーで映し出される人々の顔を五秒間でも眺めていたほうがよほど面白いと感じられる。この日は二四時間営業の印刷店が舞台だった。色々と印象に残っている点はあるけれど、一つ挙げるなら、妻に黙って深夜に電子の競馬新聞を印刷しに来ている男性という人がいた。中学生だかの時に、細かいところを良く覚えていないが何か失敗体験があり(受験に落ちたということだったろうか?)、気晴らしで競馬場に行ってみたところ、後ろのほうに遅れていた馬が終盤になって、前の馬を一気にまとめて追い抜かして勝つというレースを目撃したと言って、こんな勝ち方もありなんだなと思い、それ以来競馬に嵌まったという話だった。こうした人生の物語というものは、基本的に面白い。誰もがこのようなものを自分の内に持ち合わせているわけだが、この番組の面白さというのは、それが出来合いの、通りの良い形に成型されて提示されるのではなくて、あくまで断片的に、不完全な形で[﹅6]、しかも次々と/続々と提出されてくるという点にあるのではないか。そして何より、それらの物語/人生/人々のあいだに論理的な/必然的な繋がりは少しもなく、彼らがこの番組内で「共演」することになったのは、ある一つの同じ「場所」にそれぞれの理由/事情でいたというまったくの偶然によるものでしかない[﹅17](この番組の内容に、いわゆる「やらせ」がないと信じるとすれば、だが)。言い換えれば、彼らは、ある一つの「場」を根拠として(単純な三日間の時系列に沿って)「ただ並列されただけの存在」である。その並列された人々が、それぞれの時間の厚みを背負ってそこに存在しているということをまざまざと感じさせてくれるという意味で、この番組は、こちらが思うところ、「豊かな」番組である。面白いものとは豊かなものであり、この世界が我々の想像を遥かに超えて豊かであるということを(その都度何度も繰り返し)教え、実感させてくれるものである(「文学」と呼ばれている営みが担う「役割」の、少なくとも一つはそこにあるのではないか)。
 食後、入浴した。室に帰ったあとはしばらくだらだらと遊んだのだと思うが、午前一時の直前から文を書きはじめている。一一月二六日の記事に一時間半を費やしている。また長々と思念の類を綴るのに時間を掛けてしまい、もう少し書き方を考えなければならないなと思ったのだった(そう言いながら、上にもまた「感想」の類を展開してしまったのだが)。その後、ヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』を一時間読んで(三〇三頁から三二三頁まで)、瞑想をして四時五分に消灯した。寝床では確かまた、心臓がちょっと痛んだ覚えがある。

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2017/11/30, Thu.

 毎朝のことで、何度も覚めては寝付いて睡眠が長くなるのだが、面倒なのでその仔細な展開は追わない(と言うか、もはや良く覚えていない)。最終的にはまた正午過ぎに床を抜けることとなった。一一時台後半の覚醒にも、油断するとまた眠りに落ちかねないような感じがあったが、身体を丸めて深呼吸をしていると、腹の筋肉がへこんだり前に戻ったりするその動きで意識が確かになってきたのだった。布団から出るとベッドに腰掛けてちょっと息をついてから室を抜け、洗面所で嗽を行いトイレに入って用も足したあと、戻って瞑想に取り組んだ。深い呼吸を繰り返して一九分、一二時四〇分で区切ると、上階に行った。(……)台所に入ると前日に作った味噌汁と餃子も残っているので、汁物は措いて、ひとまず今はこれを食べることにした。薄暗い曇天の日で、米をよそるために炊飯器を開けても、釜のなかが蔭になる。諸々温めて卓に就き、新聞を寄せると、一面は当然、前日の夕刊に続いて北朝鮮が発射したICBMについての記事を載せている。「北ICBM 高度4000キロ超 過去最高 「新型 米全土射程」」というその記事と、そこから隣に接した「「ICBM絶対許さない」 トランプ氏、首相に伝達 来日時」という記事、あとは国際面から、「独大連立 交渉前に溝 メルケル与党閣僚 SPD反対案に賛成」という記事を拾って、ひとまずそこまでとした。
 日中のことは割愛し、五時過ぎに移ると、自室を出て廊下を通り階段まで行ったところが真っ暗で、明かりを灯すまで何も見えないその暗闇の感触がやや印象的だったようで、よく記憶されている。上階に上がると食卓灯を点け、窓のカーテンをそれぞれ閉めると麻婆豆腐を作ることにした。小沢健二『刹那』をラジカセから流して作業を進め、完成させると下階に戻った。しばらく遊んでから六時を越えると、早々と食事を取りに行った。ものを食べるあいだ、テレビは親方が同席した日馬富士の引退会見を放映しており、日馬富士に寄せられた質問に対して親方が横入りし、答えなくて良いと制した振舞いを取り上げて、苛立ちが先に立っているように見えるなどと分析が述べられていた。
 その後、九時半から書き物に入って、二五日の記事を進めた。途中、どこかで切ろうと思っていたところが、三時間、仕上げるまで続けてしまった。二五日が完成しても五日分、日記が現実の生活に遅れていたわけだが、あまり急ぎ、必死になって取り組む気にもなれなかったようだ。そのあと、午前一時前から音楽を聞いた。少しずつつまみ食いをするようにして色々と聞き、一時間半の長きに渡った。

  • Bill Evans Trio, "All of You (take 1)", "Detour Ahead (take 1)", "Waltz For Debby (take 1)"
  • Art Tatum, "Tea For Two", "St. Louis Blues", "Tiger Rag", "Sophisticated Lady", "How High The Moon"(『Piano Starts Here / Gene Norman Presents An Art Tatum Concert』: #1-#5)
  • Charlie Parker, "Now's The Time"(『Bird At The Hi-Hat』: #1)
  • Bud Powell, "Wail"(『The Amazing Bud Powell, Vol. 1』: #2)
  • John Coltrane, "Giant Steps"(『Giant Steps』: #1)
  • Fabian Almazan, "Rhizome"(『Rhizome』: #1)
  • Muddy Waters, "Streamline Woman"(『Muddy "Mississippi" Waters Live』: #1-4)
  • Brad Mehldau, "River Man"(『Live In Tokyo』: #2-8)
  • Nina Simone, "I Want A Little Sugar In My Bowl"(『It Is Finished - Nina Simone 1974』)

 Art Tatumのこのアルバムは、一九三三年に録音された彼の初めてのリーダー・セッションの四曲を含んでいる。なかでは特に"Tiger Rag"が評判のようだが、確かにこの演奏は相当に頭がおかしいなと思われた。
 三時半前まで読書をしてから床に就き、例によって仰向けに静止しながら深呼吸をしていると、心臓に意識が寄って少々痛みはじめた。胸の鼓動のほうに吸い込まれるようにして、精神の志向性が収束しはじめ、それとともに不安が湧いてきそうだったので姿勢を横に変えて気を散らした。横向きになっても痛みは多少感じられたようだが、この日の生活のことを思い返しているうちにうまく寝付けたらしい。

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2017/11/29, Wed.

 八時台のうちに一度覚醒したらしい。その時、睾丸が痛む鈍い感じがあった。痛みと言うか、よく使われる言い方だが、しくしくと泣くような、などと言ったほうが良いのかもしれない(ミシェル・レリスがその日記に、そうした睾丸の痛みについて書いていなかったかという漠然とした記憶の感触があったのだが、少々主題の種類は違ったものの、おそらく次の箇所がそれである。「わたしにはひとりの友人もおらず、もはや誰も愛してはいず、完全にひとりきりだと本当に言うことができる。言葉では言いえぬほどに退屈している。子供の頃によくあるように、泣きたいほどに退屈している。退屈が嵩じ、自分が空虚であるせいで、内臓が、睾丸が、すべての身体器官が身近に感じられる。これほど疲れ果てた感じさえなければと思う」(ミシェル・レリス/ジャン・ジャマン校注/千葉文夫訳『ミシェル・レリス日記1 1922-1944』みすず書房、2001年、176))。同時に不安が少々滲んで落着かないという心地があったのだが、こうした体験は今までにも時折り訪れたことがある。不安によって睾丸が痛むのか、睾丸が痛むから不安が生じるのかわからないが、神経症状の類というのはどうも寝起きに、あるいは寝ているあいだによく発現されるようだ。パニック障害が最も猛威を奮っていた時期は、午前四時や五時のまだ夜も明けない頃合いに突如として目覚め(当時は体調が極端に悪かったから、当然現在のように夜更かしなどはできなかったのだ)、覚醒と同時に猛烈な痛みのなかに放り込まれているということが折に触れてあった。どこが痛むかと言えば顔の側面で、耳が痛いのか歯が痛むのかそれすらも感じ分けられないような激しいものだった。まさしく骨をえぐられるような、あるいは顔の両側から(もしくはむしろ両側面の内側から)ぎりぎりと圧迫されるような鋭く深い痛みであり、痛みとして表れる神経症状のなかではあれが一番厳しいものだったと言える。
 この朝は、深呼吸をしているうちに睾丸の痛みは和らいで、例によってまた眠りに入って正式な起床は一時を過ぎた。
 (……)
 この記事を記している現在、既に一二月六日の午前二時を迎えている。と言うことは、日付上この二九日から一週間が経ってしまっているわけだが、二九日から一二月一日までの記事をまだ仕上げられていない。記述を速やかに現在の生活まで追いつけるために、あまり印象に残っていないことは割愛し、時間が経ってもそれなりに覚えていることのみを簡潔に記すことにする。そういうわけで、日中の生活の諸々は省き(夕刊を目にすると、一面に北朝鮮ICBMを発射したという報が出ていたのは記憶に残っている。午前三時一八分に発射したとかあったと思うが、その報を見るまでまったく情報に接しておらず、このように「大きな」出来事があってもそれを知らずに過ごしていたそれまでの数時間が不思議なように思われた)、夜半から聞いた音楽のことに移る。この日に聞いたのは、以下のものたちである。

  • Bill Evans Trio, "All of You (take 3)", "All of You (take 2)"
  • Fabian Almazan, "Alcanza Suite: Ⅶ. Pater Familias", "Alcanza Suite: Ⅷ. Este Lugar", "Alcanza Suite Ⅸ. Marea Alta"(『Alcanza』: #10-#12)
  • Erykah Badu, "20 Feet Tall", "Window Seat"(『New Amerykah: Part Two (Return of the Ankh)』: #1-#2)
  • Erroll Garner, "I'll Remember April", "Autumn Leaves"(『Concert By The Sea』: #1,#4)
  • James Levine, "The Entertainer"(『James Levine Plays Scott Joplin』: #9)

 Fabian Almazanの『Alcanza』を聞き終えたあとは、そのままライブラリを上に移行して、何となくErykah Baduを聞いてみるかという気持ちが起こった。このアルバムは相当以前に図書館で借りて以来、ただ一度ちょっと耳にしたのみで、やはりR&Bの類は性に合わないなと思ってこれまでずっと放置していたのだが、耳が熟した現在立ち戻ってみると、結構楽しんで聞けるものである。冒頭曲は、曲自体はやや単調に感じられたものの、多分ローズだろうか、キーボードの音色のみでわりと満足することができたし、この一曲目にはドラムがないからおそらく次でビートを利かせたやつが来るのだろうと思っていると、予想通り、締まったリズムの曲が続いて、これも気持ちの良いものだった。その後、さらに上へライブラリをスクロールしてErroll Garnerを聞いたわけだが、これも相当に久しぶりに耳にするもので、今まであまりきちんと吟味したことはない。"Autumn Leaves"は、単音のラインのなかには耳を惹かれる箇所が折々あったが、リズムと合わせたいわゆるキメの部分は大仰に過ぎるように感じられた。
 床に就いたのは三時四〇分である。よくあることだが、意識が一向にほぐれていかなかったようだ。脳内に湧いては消える言葉の群れが、明晰な形を保ったままだったのだ。態勢を変えつつ深呼吸を繰り返して眠りが近寄ってくるのを待つわけだが、眠れなくとも頭のなかの独り言を定かに捉えるのを良しとするようなところがあって、言葉の生まれるがままに任せていたところ、もうそろそろ良いかなと思った境があり、そこから段々と言語が融解し、混沌とした調子になってきた。寝付くまでには、おそらく一時間ほど掛かっていたのではないか。

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2017/11/28, Tue.

 覚醒すると、時計が一一時五分を指していた。この朝には珍しく、まだ早いうちに一度覚めたという記憶がなく、この時間までひと繋がりに眠っていたようだった。目覚めの感触は数日前よりも明らかに軽く、やはりとにかくゆっくりとして深い呼吸を普段から心掛け、入眠時にも実践するのが吉なのだなと確信された(ヨガに精を出すご婦人方がいるのも頷ける)。ただ、覚めたは良いものの、すぐに起き上がることができなかったのはいつも通りで、意識を落とすことこそなかったとは言え、そこから三〇分強、寝床に留まって自分の呼吸を見つめたり、微睡み未満の安穏さのなかで脳内に流れるイメージを眺めたりしていた。一一時四〇分になると布団を抜けて、(……)洗面所に行った。顔を洗うとともに嗽をして、トイレに入って用を足すと室に帰って瞑想を行った。それで正午を回って上階に行き、前日から引き続いてシチューを熱して食った。ほかに何か用意する気にもならなかったので、食事のメニューはそれだけである。二杯を食べながら新聞の国際面の記事をほとんど隅から隅まで読んだ(記事タイトルに関しては、のちにここに追記しておくこと)。(追記: 「コロンビア 地雷の傷痕 和平合意1年 失明の元警官「支援乏しい」」、「独CDU 大連立継続 模索で一致 首相、SPD党首と30日会談」、「「カタルーニャを無視ばかり」 独立是非 住民の思い 「民族主義の高揚危険」反対も」、「「ニーハオ」トイレ 早くおさらば 習氏 異例の「重要指示」」、「露空爆 死者53人に シリア東部 集合住宅が被害」、「エジプト テロ2週間前 攻撃予告 「イスラム国」 政府に批判の声」、「イスラエルの保健相 「安息日」めぐり辞任」)
 食事を終えると食器を片付け、風呂洗いをしてから室に帰り、蕎麦茶とともにコンピューターに向かい合った。インターネットを僅かに覗きもした(……)。そうして一時四〇分付近に至り、二時半を迎えるまでに僅かでも文を綴っておきたいと思っていたが、その前に運動をすることにした。tofubeatsの音源をyoutubeで流しながら身体をほぐしたのち、テーブルに就いて書き物に移るわけだが、音源の連鎖の最後として、DAOKO "水星" を流していた。この曲はtofubeatsのもので(遡るとさらに元ネタがあるようだが)、youtubeの関連動画に登場するのだけれど、それ以前にも自分はこの存在を知っていた、と言うのは、(二時半を過ぎたのでここで一旦中断)
 と言うのは、高校の同級生である(……)がこのDAOKO版の"水星"を好んでいて、カラオケで歌ったりもしていたのだ。ウィキペディアを見るとDAOKOという人は一九九七年生まれで現在二〇歳、となると(……)がこの曲を教えてくれた数年前にはまだ一〇代も半ばの若年で、随分と早くから活動しているのだなと思ったのだが、作品リストを見てみると"水星"が発表されたのは二〇一五年のことらしい。これには少々、自分の記憶と照らし合わせて納得の行かない思いが生じた。(……)からこの曲を聞き知ったのは、大学生の頃だったと完全に思いこんでいたのだ。あれがまだ二、三年前のことだとはとても得心が行かないものの、思い返してみると、多分あれが二〇一五年のことだったのではないかと思うが、もし時間があればどうだとゴールデンウィークにこちらから誘って会ったことがある。"水星"の発表は二〇一五年の二月らしいので、その時に教えられたのかと、今しがた(現在は一一月二九日の午前二時三九分である。認識としてはまだ二八日を終わらせていないので、この記事は当日に綴っている意識でいる)日記を遡ってみたところが、二〇一五年の五月初頭には(……)とは会っていない。ゴールデンウィークに会見したのはその一年後、昨年、二〇一六年のことだった。去年のうちは結婚式(七月三〇日)にしか顔を合わせていないものと思っていたがと、ここでも記憶の錯誤が挟まっていたわけだが、それはともかくとして話を戻すと、"水星"の存在をいつ知ったのか正確にはわからなくとも、それが二〇一五年以降でしかあり得ないというのは、繰り返しになるが、改めて考えてみても不可解を覚える。と言うのは、うまく説明するのが難しいのだが、自分は記憶の出来事と現在との距離を日記に結びつけて考えるところがあって、要するに、あのことは日記にこんな風に書いた覚えがあるなとか、あの頃はまだ全然文章がうまく書けていなかったから二〇一四年のことかなという具合で、当時に自分が書きつけた言葉や、その時点での文の質(と言うのは自分の場合、そのまま認識や感受性の質/きめ細かさと等しい)の記憶(手触り)を参照して、過去との距離を測る一助とするのだ。そうした観点から見た場合、(……)と喫茶店で向かい合って何かの音楽を教えてもらったとか、カラオケで歌っているのを聞いたとかいう記憶は完全に、自分がまだ文章を書いていなかった頃(すなわち、大学時代)、あるいはそこまで行かずとも、文を書きはじめて間もない頃の時期に分類されていたのだ。
 こうした計測の仕方というのは、文を書く力の進歩・発展の度合いを、過去との距離の大きさと概ね同一視するということなのだが、そう考えた場合に、例えば昨年の(……)の結婚式にしても、あれが二〇一六年という年号=数値で表される年の出来事だったというのは確かな認識としてあるが、そこから現在までの距離を測ってみると、まだあれから一年と四か月しか[﹅2]経っていないのか、という感想が起こり、もっと遠い過去の事柄であるように感じられる。これを翻訳すると、自画自賛になってしまうけれど、この一年で自分は相当に文を書けるようになったな、ということなのだ(さらに別の言い方をすれば、今の自分があの結婚式を経験したならば、もっと色々なものを感じ取り、細部をより繊細に汲み取って、もっと面白い文章が書けていただろう、ということになる)。他人から見るとどうかわからないけれど、少なくとも主観的には、数値上の距離と自分の実感としての距離感覚とが相応しないくらいに、自分はこの一年で認識の発展=主体的変容を遂げてきたわけである。日記を書くというのは(つまり自らの「生」を綴るというのは)、自分の経験上、自身に対して観察の目とそこに付随する「権力(あるいは端的に、力)」の作用を差し向け、それによって、比喩的イメージを用いるならば彫刻家が鑿でもって素材を削り取ってある形を作り出すように、自分自身の形を成型/変形させていくということなのだ。言い換えれば、「自己の解釈学」の働きを絶えず駆動させることで、体験/生と言語/文の(主体がこの世から消滅するまで永続する)往還運動のなかに自らを放り込み続けるということである。晩年のミシェル・フーコーはおそらく、「ものを書く」という行為/営みが主体形成に果たす役割について、このような事柄を考察していたのではないかと予想しているのだが、まだ文献を読んでいないので詳しいことはわからない。
 上の部分までは、この一一月二八日当日に記した記述である。ここからは一二月三日日曜日の午後八時直前から記しはじめている。二八日は、二時半過ぎまで書き物をしたあと、前日のシチューの残りを食ってエネルギーを補充した。洗濯物はこの時に室内に入れた(……)。服を着替えると、歌をちょっと歌ってから三時半に出発した。
 坂道を歩いて上って行くにつれて、道の脇から、山吹色やら紅やら渋緑やら様々な樹々の彩りが登場し、それらが前後で複数の層を成して交錯しながら流れて行く。坂上まで来ると、街道の向こうの林が目に入り、例年の比喩だが、砂でもって着色をされたようなと乾きの意味素を含んだ印象が湧く。いつの間にやら随分と紅葉が進んだなという感を受けた。近間の木の間からは、鵯らしき鳥の声が頻りに立ち上がっている。街道を渡った先の裏路地でも、先ほどよりも近くに見る森が、目にしていなかったこの数日のあいだに急速に色を変えたのではないかと思われた。前日に保安灯の彩りを見た空き地では、ショベルカーを出張らせて何かの工事を行っていた。
 帰路は半月をたびたび見上げながら帰った。その他、特段の印象はない。帰り着くと足裏をほぐしながら(……)を読み、そののち食事に行った。(……)脚を組みながら、何やら随分と落着き払って、箸や腕の運びが丁寧なような挙措の食事だった。(……)ハワイにも出雲大社があるのだということを知った(……)。
 入浴して室に帰ると、長めの労働だったので疲労感が強い。世の中の人々はもっと長く、しかも毎日働いているのだから本当に凄いなと思った。日課の類に取り掛かる気力が湧かず、ゴルフボールを踏みながらだらだらとインターネットを回り、二時をだいぶ過ぎたところでようやく書き物に入った。三〇分程度綴ればひとまず良かろうと思っていたところが、知らず一時間二〇分ほど続けていた。それでもう午前四時も近いのだが、読書をまったくしないというのは嫌だったので、ヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』を三〇分のみ読んでから(二二四頁から二三二頁)、瞑想をする気力もなくそのまま床に就いた。

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2017/11/27, Mon.

 まず最初に、七時に目を覚ましたらしい。三時間半の睡眠なので、さすがにこれではとまた眠りに就いたところ、例によって一一時に至ったが、七時間半の長さなので悪くはないと評価されたようだ。起き上がってみて身体の重さもあまりなかったようで、深呼吸の効果はやはりあるらしいと判断したと言う。瞑想も呼吸を深くするように心掛けて、そうすると布団に隠した手指の先まで、相当に温かくなったらしい。上階に行くと食事を取り、そのかたわらいつものように新聞を読んだが、いま手もとに二七日分の新聞がなく、取ってくるのも面倒なので記事の題名は省略する。エジプトの事件の続報と、天皇の退位関連の連載を読んだようだ。
 この日は緑茶でなくて蕎麦茶を用意して、室に戻ると日記の読み返しをした。二〇一六年一一月二〇日日曜日のものである。「雨のよく降るこの星で」を始めた当初の考えが記されていたので、次に引く。曰く、「ブログにふたたび文章を公開しはじめたからといって、そのために文を緻密に組み立てて書くつもりはない(そうした欲望が出てしまうこともあるのだが、それはこの日記という、日々の営みにおいては余計なものである)。自然な習慣として綴ったもののなかから、公開に値するものが生まれれば良し、一つもない日があってもそれもまた良しというわけだが、抜きだしたものを読み返してみると、そうした姿勢のわりにはなかなかによく書けているのではないかと自画自賛の情が湧いた。正直なところ、ある瞬間との遭遇を逃さず捉え、精神をうまく働かせてそこにある情報を十全に拾うことができれば、このくらいのものはいくらでも書ける。そのくらいの実力は既についているわけで、作品をこしらえるための準備は、着々と進んできたと言えるかもしれない。日記はこの先、おのれの心に引っ掛かったものを何であれ取り入れ、拡大させながらも、ますます自然なものに、以前使っていた言葉で言えば、「一筆書き」のようなものにしていくことを目標として、言葉を構成するという欲望の方は、作品が受け持つことになるだろう」。こうした姿勢でいたはずのところ、どういうわけなのかいつの間にか「文を緻密に組み立てて書く」という欲望のほうが優勢になってしまったわけだが、そうした時期を経由していまはこの当初の考え方に回帰していると言えるだろう。
 過去の日記を読んだあとは、tofubeatsの曲を流して運動をした。それからインターネットを覗いたり、Oasisを歌ったりしたのち、二時過ぎから文を記しはじめた。まずこの日の朝からのことをメモに取り、二三日の新聞から少々書抜きをしたあと、二四日の日記を進めた。三時になったら洗濯物を畳んだりアイロン掛けをしたりしようという頭があったが、実際には三時半まで書き物を続けることになった。上階に行くと、うどんを食うことにした。(……)台所に立って、Oasisの"Wonderwall"を口ずさみながら、玉ねぎと葱を切り、煮込みうどんを拵えると、卓に就いて食事を取った。その後、米がなくなっていたので新しく研いでじきに炊けるように手配しておいたり、服にアイロンを掛けたりした。そのように家事をこなしていると四時半が過ぎる。下階に行って歯磨きをし、Suchmos "STAY TUNE"を流しながら服を着替えると、出発した。
 この日は生活のあいだも呼吸をゆっくりするよう心掛けていたのだが、歩きながら欠伸が湧いてくるのも、精神がリラックスしている証ではないかと考えた。坂道から見下ろす銀杏は、暮れ方の暗さのなかでさすがにもう色が見えない。(……)寒さはさほどのものでなく、風が流れても身が震えるようなことはない。街道に来て目を細めると、道路を次々と走り去る車のライトが瞳に向けて一斉に伸びてきて、その光の筋で視界が狭くなる。裏通りに入ってからも、自らの呼吸に目を向け、腹がへこむくらいに吐ききることを意識しながら歩いて行く。下校中の高校生らが周囲を歩いており、前後から挟まれるのに大抵の場合は居心地の悪さを感じるのだが、この日はそんなこともなく、やはり心が落着いているなと確認された。実際、気分はかなり緩やかなものだったようである。空き地に差し掛かると、敷地の端のほうにカラーコーンが置かれており、保安灯の明かりがその頭で色を変えながら明滅しているのを見つめて過ぎた。坂を渡ってすぐのところに最近新しく焼肉屋ができたのだが(よくこの町で新しい商売をやろうとするものだと思う)、その建物の裏口にあたる小さな戸の隙間から、猫が顔を出してみゃあみゃあと鳴いている。そこに近づく前から声が聞こえて、通りのなかに響いていた。
 帰路もやはり、それほどの寒さではなかった。労働を終えたあとでほっとするかと言えば、むしろ行きの道よりも気怠いようで、歩調がのろくなっていた。帰宅するとゴルフボールを踏むことはせず、すぐに食事に行く。(……)夕刊にはオノ・ナツメのインタビューが出ている。『ACCA13区監察課』の単行本がすべて発売されて切りがついたのを機にしたものらしかった(オノ・ナツメという漫画家の作品は、以前に『さらい屋 五葉』というのを全巻読んだことがある)。食後、流しに食器を持って行ったが、何かすぐに皿を洗う気力が湧かず、ソファに就いてしまったものの、ここでも"Wonderwall"を口ずさんでみるとそれに引かれて頭のなかに音楽が流れ出し、その勢いに乗るようにして立ち上がることができた。食器に始末を付けると自室に帰り、緑茶を飲んで一服しながらインターネットを回った。その後、入浴を済ませて出てくる(……)。
 その後、零時前から二四日の記事に取り掛かった。書いているあいだ、時間がゆっくりと流れているような感じがあり、折に触れて時計を見る時にも、もう、ではなくて、まだこのくらいの時間かという気持ちのほうが明確に立った。このような泰然として軽い心持ちを常に保ちたいわけだと独りごちて文を落として行き、二時に至るとインターネットに繰り出して遊んだ。そうして四時から短く瞑想をして、就寝である。

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