2019/10/12, Sat

 竹内 大正末年の旧制高校教授の六割もが帝大文科出身者となりました。哲学専攻の者が引く手あまたになり、「哲学景気」ともいわれた。大澤さんの「元手なしの野心」説につなげていえば、教養景気というか、教養がメジャーになったことも大きかったと思います。そこでマルクス主義ですが、マルクス主義にはどこか教養主義の鬼子のようなところがあるんじゃないでしょうか。半分くらいは教養主義から来ている。
 大澤 とても重要な指摘ですね。日本においてマルクス主義教養主義のフレームで受容された部分がある、と。
 竹内 そう。マルクス主義教養主義の上級バージョンとして見られていた部分がある。つまり、マルクス主義は反教養主義ではない。
 大澤 文化部や弁論部がヘゲモニーを握って以降の旧制高校文化のなかで、さらに上位に立つためにこそマルクス主義が召喚された。
 竹内 そのきっかけのひとつは、一九一八(大正七)年の新人会設立でしょうね。
 大澤 若い世代はマルクス主義を早々に仕入れることで上の世代を圧倒することができた。これによって、知的空間の世代交代がいっきに可能になる。
 竹内 ちなみに、教養主義のもう一つの鬼子は本家返りした系譜ですね。つまり、安岡正篤に代表される日本主義的教養主義旧制高校は大きくは文科と理科に分かれていましたけど、将来法学部へ進む学生もいれば工学部へ進む学生もいた。そんな彼らにしてみると、阿部や魚住、和辻の教養主義的なモードはちょっと受け入れがたかったと思うんですよ。「文芸部的なもの」にヘゲモニーを握られているとして。つまり、旧制高校は文科を中心とした「知の学校」と法科や工科などの「権力の学校」とのふたつの学校の混合体であった。知識人の学校と政財界人・テクノクラートの学校です。
 大澤 つい忘れがちなんだけれど、テクノクラート向けの教養主義も求められていたと。
 竹内 そうです。それでマッチしたのが日本主義的教養主義だった。片山杜秀さんは『近代日本の右翼思想』のなかで、安岡正篤の思想は、人格の成長と発展を第一義として理想を指導原理とするような阿部次郎の人格主義を読み破ったんだと喝破しています。思想史家の荒川幾男も、安岡の思想は単純な農本主義者や頑迷な西洋排撃とはちがって、新カント学派の著作に親しみつつ、儒学国学的要素のなか、つまり東洋思想的人格主義のなかから生まれ出たものだと早くに指摘していた。自由主義者マルクス主義批判の急先鋒でもあった経済学者の河合栄治郎テクノクラート型の教養に影響を与えていたはずです。だから、教養主義を「文芸部的なもの」としてだけ捉えてしまうと、そこから抜け落ちてしまうものを見逃してしまう。
 大澤 まったくそのとおりだと思う。これまで教養主義というと文芸部的な系譜ばかりが強調されすぎました。けれど、教養主義の発動期を振りかえると、もう少し多元化できる。
 竹内 さきほどの阿部次郎にしても、その教養観の基盤にはやっぱり儒学的なもの、それこそ「修己治人」のようなものがもともとありましたしね。
 大澤 現在の『週刊ダイヤモンド』や『週刊東洋経済』といったビジネス誌が教養特集をしばしば組んで、ブックリストを掲げ、それらをビジネスインテリが読んでいる光景も、いまの竹内さんの図式ですっきり整理できそうですね。しかも、そこにあげられるのは安岡正篤だったりもする。
 竹内 安岡の本はいまでも、どの書店にもだいたい置いてある。
 大澤 日本型マルクス主義教養主義の鬼子として出てきたという経路のわかりやすい例は三木清でしょうね。「読書遍歴」など半生をふりかえったエッセイを読むと、一高時代の三木は完全に「文芸部的なもの」の磁場に浸っていました。岩波書店の「哲学叢書」もきっちり読み進め、他方、文学の道に進もうかとすら考えていた。弁論もがんばっていた。まさに大正教養主義の申し子だったといっていい。ですが、大学院と留学をおえて『パスカルに於ける人間の研究』でデビューして、一九二〇年代後半になると、今度は急速にマルクス主義へと転回を遂げます。経済学ではなく哲学にマルクス主義を導入してみせて、後続する哲学志望の若手たちにかなり影響をおよぼした。それを担保にジャーナリズムに打って出て、論壇の寵児となり、一九三〇年代半ばには昭和教養主義の中心人物の一人になっていくわけでう。
 竹内 昭和の教養を考えるうえで三木は重要ですね。
 大澤 戦時期にはこのマルクス主義経由の教養主義と日本主義をベースとした教養主義とが対抗関係を形成することになる。ふたつの鬼子が拮抗するわけですね。
 竹内 見えにくいかたちだけど、戦後にもその図式は流れこんでいった。
 大澤 さきほど名前があがった河合栄治郎は、一九三〇年代にマルクス主義とは別の系統の昭和教養主義の立役者ですね。むしろ、出版史的にはこちらの方が本流だった。河合が企画編集した「学生叢書」全一二巻は学生のあいだで爆発的にヒットして、戦後まで版を重ねます。
 竹内 『三太郎の日記』が大正教養主義のバイブルだとすれば、「学生叢書」は昭和教養主義のバイブルだといっていい。三木とはちがって、河合は東京帝大の経済学部で教鞭をとっていましたから、その点も大きいでしょうね。河合の「学生叢書」に阿部次郎は数巻にわたって寄稿しています。阿部の人格主義は教養主義の古層になったのではなく、むしろ召還されたのです。経済学部の河合が人格主義を唱えていた。マルクス主義が弾圧されたことによって、教養主義が息を吹き返したわけです。
 大澤 ところが、一九四〇年代に入るとマルクス主義のみならず教養主義的なモードもろとも抑圧されることになる。
 竹内 だからこそ、戦後の新制大学において、教養主義マルクス主義リバイバルこそが軍国主義を防ぐものとして考えられたわけです。
 大澤 こうやって、戦後も日本型教養主義は延命する。
 (大澤聡『教養主義リハビリテーション』筑摩選書、二〇一八年、78~83; 竹内洋×大澤聡「日本型教養主義の来歴」)


 久しぶりに、正午を越えて一二時五〇分まで長々寝過ごした。台風はどうもいよいよ上陸したようで、大雨が降っており、風もあって激しい雨粒は斜めに流されて窓に打ちつけ、ガラスを通した視界が歪み乱れるそのなかで、例の巨大な蜘蛛が空中で糸にすがって、風に大きく揺らされて真っ白な宙を行ったり来たりしているのが見えた。しかし、これだけの激しい風を受けても蜘蛛の糸というものは決して切れることがないのだから大したものだ。目を覚ますたびにしかし起き上がれずに布団を乱してはふたたび混濁のなかに巻き込まれていくのを繰り返して正午を回ったのだが、最後に覚めた時には白い空を眺めているうちに再度落ちることもなく、何とか気力を身に引き寄せて、布団を身体から剝ぎ取ることに成功した。コンピューターは素通りして上階に行けば、居間の内は既に暮れ方の薄闇に浸かったかのような暗さである。洗面所に入って顔を洗い、髪を梳かして、トイレに行って放尿したあと、台所で、ここもやたら薄暗いので明かりを灯して、フライパンに炒められたジャガイモのスライスを皿に取り、卵とワカメの汁物と米もよそって卓へ、新聞を読みたいのでやはりオレンジ色の食卓灯を点けて、食事を始めた。テレビは土曜の昼だからいつものように『メレンゲの気持ち』を映していて、川平慈英と、もう一人は何と言うのか知らないがその兄弟などが出演して、業務用スーパーが好きだ、あそこはテーマパークだなどと語っていた。新聞をめくれば、今年のノーベル平和賞エチオピアの、確かアビー・アハメドとか言ったか、首相に授与されることが決定したと言う。隣国エリトリアとの和平を成立させ、関係を改善したという功績が認められたらしい。そのほか国際面ではトルコの例のクルド人攻撃についての続報もあって、クルド人組織が「イスラーム国」の戦闘員を収容していたところ、空爆で施設が破壊されたり情勢が混乱したりすれば、彼らがそれに乗じて逃げ出して、「イスラーム国」が復活するのではないかという可能性が危惧されているとのことだった。
 食事を終えると、服薬は夜だけになったのでこの時は何も飲まず、食器を洗って風呂を洗いに行った。浴室もやはり薄暗かったので明かりを灯し、風呂の栓を抜いて残り湯を流しているあいだに窓を開けて外を見てみると、斜めに傾いた激しい雨の、硬い金属の針のような直線的な粒の軌跡が宙をこれでもかというほどに埋め尽くしている。窓は閉めて、ブラシで浴槽を洗い、泡をシャワーで流して出てくると、母親がシャイン・マスカットを小皿にいくつか用意してくれていたので、それをつまんで頂きながら階段を下りた。自室に来るとコンピューターを起動させ、Evernoteやらブラウザやらを立ち上げて、Mr. Big『Get Over It』を流しながらLINEにもアクセスするとグループ上に発言があって、Kくんが体調が治りきっていないから明日の集まりは不参加を考えていると言っていて、参加するならばTの家に集まる予定だったところを、彼の家に変えれば何とか、と言う。皆、それに応じてKくんの宅でも良いと答えていたが、こちらは体調が悪いところに無理に集まることもあるまいというわけで、台風が激しくて電車も出るかわからないし、今回は見送っても良いのではないかと提案すると、ひとまず翌日の電車の運行予定が固まるまで判断は待とうということになった。それからT田が、彼の編集した近現代音楽選集のデータを上げてきたのでありがたくダウンロードし、その流れで、また前日カフカについて話していた流れもあって、Gyorgy Kurtagって知っているかと投げたが、さすがのT田もこの名は知らない。と言ってこちらもその人について何一つ知らないのだが、ただ遥か昔に立川図書館で借りた彼の、『Kafka-Fragmente』と言ってカフカの断片をモチーフにしたらしい音源がライブラリに未だに残っているのだと教えた。するとグループ上ではなくて、一対一のやりとりの方でT田は、良ければその音源をくれと言うので了解して、アルバムを圧縮しようとしたところが、いくら命令を下しても処理が始まらないので、あとで再起動させてまた試してみると伝えておいた。そのようにLINE上でやりとりをする合間にも、こちらは早速今日の日記を書き進めており、Mr. Big『Get Over It』が終わったあとは件の『Kafka-Fragmente』を流し出してみたが、正確にはKurtagというのは作曲家の名で、演奏自体はJuliane Banseというソプラノと、Andras Kellerというヴァイオリンの、声と楽器のコラボレーションで、確かこのアルバムはECMのNew Seriesの一作ではなかったかと朧気に記憶しているところ、今一聴してみたところではやはりかなり前衛的で温度感が低く、音像はまさしく断片的で、幾分解体的なところがカフカ的と言えばそうなのかもしれない。
 じきに携帯電話が震えて、見れば緊急速報で、市内に避難勧告が出たとかいう話で、うちはまあ大丈夫だろうと思うが一応上に行き、勧告が出たらしいと伝えると、母親も既に知っていて、そうと肯定した。父親も帰ってきており、テレビの前に居座って、災害情報を確認しているのだろうか、こちらにも向かず画面をじっと見つめている。こちらは上に来たついでにトイレに行って用を足し、戻ろうとすると父親が、じゃあ俺は会館に行ってくると言う。階段を下りるその背後から、合羽をつけていくとか何とか聞こえた。
 そうして自室に帰り、一年前の日記をひらいたが、この日も相変わらず鬱にやられていて、「特に書きたいことがない。本を読んでいても楽しくはない。欲望や知的好奇心の消失。結局そうなのだ。結局はそこから抜け出すことができない」とそれだけが記してある。二〇一四年一月一三日の日記も特筆してここに取り上げておくべきことはなく、続いてMさんのブログにアクセスした。読みながら、Mさんの日記の内容には何の関係もないのだが、何故か、昨日の日記書くの面倒臭えなあ、という思いが湧いてきて、これはむしろ良い傾向かもしれないと思った。躁的な気分が抑制されてきているということを示しているようにも思えるからだ。最近は文を書くのが面倒臭いという感覚がまったくなくて、ばりばりと、ワーカホリックのサラリーマンのように書いていたのだが、やはり面倒臭い面倒臭いと思いながらも粛々と書くと、そのくらいの熱心さでないといけない。
 Mさんのブログは二日分を読んだ。雨は変わらず激しく降って、ヘッドフォンの外からばたばたと窓を打ちつける雨粒の音が侵入して、振り向けばガラスの上を、粘度の高い水飴のようにゆっくりと落ちていく水流が生まれていた。次に、Sさんのブログをひらき、こちらの日記に言及してくれたものも含む最新の記事三日分を読みながら、Sさんの文章というのは、何と言うか、これ以上なく優しいものだなと考えた。優しく、穏やかで、そして小さなエクリチュール。「クロニック」をやっていた頃の、晩年のロラン・バルトが言っていたことを思い出す。

 探し求められていたフォルムは、短いフォルム、あるいはこう言ってよければ、優しいフォルムである。箴言の仰々しさとも、諷刺詩の刺々しさともちがう。なにか、少なくとも性向としては、日本の俳句、ジョイスにおけるエピファニー、私的日記の断片を思わせるところがあるもの。要するに、はっきりとマイナーであるようなフォルムだ――マイナーは値引きということではなくて、ほかのジャンルと同じように、ひとつのれっきとしたジャンルだということを、ボルヘスとともに思い起こそう。なるほど、私自身は、自分のクロニックが出版されると、自分のささやかな散文、自分のささやかな統語法(念入りに推敲してはいるが)、つまり、自分のささやかなフォルムが、われわれを取り巻く諸々のエクリチュールの過剰電圧によって押し潰され、消し去られたようになってしまうのを見て、度を失っているのかもしれない。しかし、いずれにしても、優しさのための闘いというものがあるのだ。優しさは、そうと決められた瞬間からひとつの力になるのではあるまいか。私がささいなことを書くのは倫理ゆえである。
 だが、このフォルムはいかなる点で政治的たりうるだろうか。誰かが私にこう言った。「私はあなたのクロニックを読んでいません。『神話作用』よりできが悪いという話ですよ」。いや、これは『神話作用』ではないのだ。むしろ、世界から扇動や衝撃を受けとる私の感受性に、一週間ごとに刻印を残すような、いくつかの偶発事の抜き書きなのである。直接的には時局のスクープに結びつかないような、私自身にとっての個人的なスクープなのだ。では、なぜそれを書くのか。なぜささいなもの、無用なもの、無意味なものを書くのか。「取るに足りないこと」を言っている、と非難される危険をどうして冒すのか。この企ての考えは以下の通りである。新聞・雑誌が取り上げる出来事は、まったく単純なように見える。私はこう言いたいのである。それが「出来事」であるということはつねにはっきりしているように見えるし、しかも、その出来事は強烈なのだ。しかし、「微弱な」出来事があって、そのささいさが、それでも感覚を揺さぶり、世界のなかで「うまく行っていない」ことを指し示さずにはおかないとしたら? つまり、もし人が少しずつでも根気よく、強度を読みとる格子の手直しに取り組んでいくとしたらどうか? 巨大なメディアは、私には皇帝の画家が有名な戦争を描くようにして出来事を扱っているように見える。しかし、絵画が進展してきたのは、もっぱらそれが尺度を変化させることを受け入れてきたからである。ニコラ・ド・スタールの絵はまるまる、セザンヌの絵の一平方センチメートルから出てきたのだ、とも言われている。たぶん、新聞・雑誌においても、われを忘れたメディアが自ら出来事を生み出すこと(これは新たな歴史的事実だ)にブレーキをかけるべく、巨大な規模の与える威信にたいして抵抗を試みなければならない。私は私の用いる言語が小さなものであることを承知している(「私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」とウィトゲンシュタインは言った)。けれども、この小ささは役に立つ。というのは、ときおり私が他の世界の限界、他者たちの世界の限界、「巨大な」世界の限界を感じとるのは、この小ささから出発してのことであるし、私がものを書くのは、そうした気づまり、そうした苦悩を語るためだからである。今日われわれは、できるかぎり多くの「小さな」世界を語らねばならないのではないか。「大きな」世界(群れとなって固まる世界)にたいし、個別性のたゆまぬ分割によって闘いを挑まねばならないのではないか。
 エクリチュールの実験(ここで私が賭けているものは、実践であって価値ではない)としてのこのクロニックは、私にとっては、自分を構成しているきわめて様々な声をして語らせるやりかたなのである。その意味では、これを書いているのは私ではなく、ときには相反することもある声たちの集まりなのである。私が愛しており、そこからつかのまだけ価値を借りている者の声、私がかわるがわるなりうるブルジョワジーや、プチ・ブルや、「ブレヒト主義者」から出てくるイデオロギー的な声、古風な、時代遅れな声、愚鈍な声。これらの声はまたさまざまな聞き手でもある。ときには男性、ときには女性となるような、頭のなかではっきり誰とわかる声、またあるときには集団となり、あるときには私自身の他なる部分ともなるような声。それらは小説のための(まだ名づけられていない登場人物たちの声)、あるいは戯曲(台詞をやりとりするジャンル)のための試し撮りのようなものである。
 (ロラン・バルト/下澤和義訳『小さな歴史』青土社、一九九六年、156~163; 「一時休止」; 一九七九年三月二六日)

 その後、ふたたび日記に取り掛かって前日の記事を進める途中、三時半に至って何だか腹が空いたので、何か茶菓子はないかと上に上がって、戸棚を開けて見ればトマト・プレッツェルがある。これを頂くことにして、母親にも数枚分けようとティッシュを一枚取って炬燵テーブルの上に敷くと、母親の携帯が鳴ってまた災害情報が来た。こちらも自室に戻って携帯を見れば、東京地方に特別警報が出たと言い、警戒レベルは五とあって、災害が既に発生していることを示すものであり、「命を守る最善の行動をとってください」と記されてあった。と言って我が家はさすがに川の水が上がってくる近さでもなく、林は近いが土砂崩れを恐れるほどでもないので、避難するまでもなく家内にいるのが最善と日記を続け、四時直前から中島みゆき『LOVE OR NOTHING』を流しはじめた。前にもどこかに記したが、"てんびん秤"の黒っぽさはなかなか凄くて、ほとんど日本特有のブルースみたいなものとも思われて、どろどろのタールのような黒々とした粘っこさが特筆物である。
 五時まで文を綴って疲れたので、気分転換に一旦書き物を離れるかと上階に行けば、台所に立った母親が、巻繊汁を作っていると言い、ガス台のフライパンでは既に野菜が煮込まれつつあった。こちらは冷凍のハンバーグを食いたいと思っていたのだが、しかしそれをピーマンなどと合わせて炒めておかずの一品にすると言うので、手を洗ってそのピーマンを細切りにして、それから茹でられた大根の葉も切り分けてこちらはプラスチック・パックに入れて、胡麻をいくらか振って胡麻油も垂らして味をつけた。それからピーマンと玉ねぎを合わせて炒めはじめ、ハンバーグは三つある焜炉のうち、最も火力の弱い真ん中のもので温める。フライパンを振りながら野菜を搔き混ぜ、そのうちにハンバーグも取り出して、開封してから汁をまずフライパンに垂らして味付けとして、母親に渡して肉の本体を細く切ってもらうが、まだ冷凍が溶けきっておらずなかが固かったようで、母親は力を籠めて苦戦していた。切断された肉たちを投入し、蓋を閉めて弱火で蒸し焼きに掛け、合間に開脚して脚の筋をほぐしたり、首を回したりして待って、料理が仕上がると場を離れて居間の電灯を点けて、カーテンも閉めたあと頼まれてビール缶を二本冷蔵庫に入れると、シャイン・マスカットが小皿にいくつか用意されてあったので、四粒ほどつまんで持って、下階に帰りながら食った。
 類家心平『UNDA』を流し出し、何をしようかと迷ったけれど結局日記を書くことにして、打鍵を続けて五時四〇分、緑茶を注ぎに上に上がって、そう言えばこちらの白いワイシャツの、肩のところに何のものか茶色い染みが出来ているのだがと訊けば、染み抜きをしても落ちないと言う。そのうちに新しいものを買おうと決めて緑茶を持って下に戻り、飲みながら日記を進めた。例のごとくカフカの小説の感想に時間が掛かって、文言を直し直し、と言って下手に切り詰めるとこちらの場合、かえって固く窮屈になるようだと以前の推敲で学んだので、推敲と呼べるほどにこだわらず、伸び伸びと、無論削る部分もあるけれど、むしろ大方言葉を足していく。プルーストも確かそういう感じなのではなかったか。推敲の地獄に果敢に挑むMさんの前世がフローベールだったのだとすると、こちらの前世は分量への志向からしてもプルーストだろう。
 七時二〇分に至ってようやく前日の記事が完成した。Twitterカフカ『城』の感想を長々投稿したが、一応今回は全部一続きのものにはせず、段落ごとにスレッドを分けて流してみた。その後、ブログやnoteに一一日の記事を投稿するあいだ、Deep Purpleの"Child In Time"を何となく思い出して流していた。
 そうして食事へ、上がって台所に入るとハンバーグと、書き忘れていたがこれには前日のジャガイモのスライスも合わせていたのだが、それとピーマン玉ねぎを混ぜた料理をよそってレンジへ、そのほか巻繊汁を椀に盛り、米も茶碗によそって、あとは生野菜のサラダを大皿に乗せて食卓へ、夕刊はあるのかと訊けばあると言うので、新聞屋はこんな日でも配達の仕事をこなしたわけだ。ものを食いながら新聞を読めば、シリアではやはりトルコの進撃による混乱を突いたのだろう、「イスラム国」の爆弾テロがあって四人死んだと言うし、中東地域もまた危うくなってきているようだ。テレビは出川哲朗が充電バイクで旅をする番組で、今回のゲストは澤穂希だった。食事を終えると薬を飲んで、食器も洗って風呂に行き、窓を開けてみたが増水した沢の音なのか雨の音なのか、二つながら合わさって区別が付かず轟々という水音が響く。湯に浸かりながら、カフカの小説について考えた。先に書いた通り、カフカ『城』を読む者は、Kとともに不確定性の煉獄に永久に閉じ込められる。その点でカフカの文学というのは言わば「煉獄の文学」、中間領域の文学と言えるのかもしれないが、そこからもう少し何か論を展開できないかと頭を回したのだった。煉獄というのは死者が天国に入る前に自らの罪を清める場所であるらしく、一応ここに迎えられた人は浄罪を済ませれば天国に入れると定められているようだが、カフカの小説様態は言わば永遠の煉獄なので、そこから読者は最終的な意味たる天国に至ることはない。カフカの煉獄においては浄罪の炎から逃れることは出来ず、不確定性の火に身を焼かれ続けるほかはなく、読者はKとともにその宙吊り状態の苦痛をカフカの言葉が途切れるまでずっと耐えなければならないというわけだ。カフカの文学はおそらく彼の出自と合わせて、宗教的な側面としてはユダヤ教との関連で語られることが多いはずで、その一方で彼についてはまた、世俗的な合理性の極点であるところの官僚組織の構造を明快に描いた、という評価も良く下される。こちらとしてはしかし、カフカの作品を単純に宗教性に還元するのでもなく、かと言って散文的な現世の構造に収斂させるのでもなく、「煉獄」の語と結びつけて、彼の文学は宗教性と地上性の合間を漂うものであり、その中間領域において永続的な宙吊りの刑を味わっていると、そんな風に読んでみたいと思ったのだが、適切な論理と文脈がまだ見つからないのだった。
 もう一つ考えたことには、カフカという作家はおそらく、言語によって何か具体的で明確なものを表現しよう、言葉の力で何かを写し取ろうなどとはまったく意図していないのではないか。彼はきっと、何か別のものを代理的に映し出すという機能、つまりは言葉の表象作用に信を置いていない。彼にあるのはイメージへの志向ではなくて、言語そのものが持つ意味の射程に対する本能的な、際立って鋭い嗅覚だけである。カフカはそれに従い、言語とほとんど一体化してひたすら走り続ける。文学だとか構造主義思想だとかに触れたことのない一般的な人間は今でも、人間である自分が言語を所有しており、主体が言語を道具として操っていると思い込んでいるはずである。言わば言語は人間にとって飼い犬であり、それを操る人間の方は主人としての地位を持つわけだが、カフカにおいてはそうした主従図式が成立せず、時に飼い犬の強い力に引っ張られて意図せぬ方向に走ってしまう飼い主のように、彼は言語を思い通りに操ろうとしながらも同時に言語の自走性に自ら身を委ねてもいる。つまり、彼は言語とのあいだにおいても絶えず闘争を繰り広げているのだが、その闘争状態が理想的に極まった時、それは瞬間、反転的に和平関係に転じ、カフカと言語のあいだに齟齬はなくなり、両者は同化的に一致して、飼い犬と飼い主のあいだの差は消滅することになる。カフカが文を書き連ねる時、彼はおそらく常にそのようにして言語そのものになろうとしており[﹅15]、そうした融合的な主体の放棄こそが、フランツ・カフカの先駆性だったのではないだろうか。「おまえと世界との闘いにおいては、かならず世界を支持する側につくこと」(飛鷹節訳『決定版カフカ全集3』(マックス・ブロート編集)、新潮社、1992年、33)という例の有名なアフォリズムは、カフカが言語=世界とのあいだに打ち立てたそのような関係のあり方を端的に表現しているのかもしれないが、カフカ以前に言語とのそうした関係性を目指した作家はいるのだろうか?
 風呂から上がってパンツ一丁で下階に戻ると、Deep Purple『In Rock』とともに英文記事を読みだした。前日も触れたBrad Evans and Zygmunt Bauman, "The Refugee Crisis Is Humanity’s Crisis"(https://www.nytimes.com/2016/05/02/opinion/the-refugee-crisis-is-humanitys-crisis.html)の続きである。読みながら途中、目を閉じて"Child In Time"のギターソロに耳を寄せたのだが、同型のフレーズをたびたび繰り返しながら突き進むこの勢いはやはりなかなか大したものだなと思った。チョーキングを連続する際など、そのたびごとに音程が微妙に違っていて、正確さの点から言えば瑕疵なのだろうが、その粗雑さがかえって荒々しいロック性を高めている。

・heed: 心に留める、聞き入れる
・omnipotent: 全能の
・staunchly: 断固として
・predicament: 苦境、窮状
・collateral victim: 巻き添えの犠牲者
・quintessentially: 典型的に
・indisposed: 気が向かない、乗り気でない
・roam: 散策する、うろつく、放浪する
・extant: 現存の

 英文の次には、「週刊読書人」上の「東浩紀ロングインタビュー(聞き手=長瀬海) ユートピアと加害の記憶」(https://dokushojin.com/article.html?i=5821)をひらいた。面白い。『ゲンロン10』はやはりいずれ読まねばならないのではないか。

東  先程も言ったように、加藤さんは加害者の側から戦争の記憶について考えていた。戦後日本の知識人として生きるためには、この問題は避けて通れない。僕たちは、日本にいるかぎりどうしようもなく加害者の文化の中にいて、原理的に被害者の側には立てない。その「立てないということ」をどういうふうに考えるか。それはすごく重要な問題提起だったと思います。加藤さんはそれを文学者として言葉にしようとした。その試みは引き継がざるを得ないものだと考えています。

――東さんは、二一世紀の問題を考えていこうとしているのかと思うのですが、実は二〇世紀にぐるっと戻っているのですね。

東  二〇世紀という時代はすごく両義的な時代です。前半が戦争の世紀で、後半が消費社会の世紀です。生の時代と死の時代が本当にすごく近い場所にあった。ダークツーリズムという言葉がありますが、僕たちが生きているこの世界は、じつは戦争の傷跡や虐殺の跡地に満たされていて、その上に工場や団地やテーマパーク、ショッピングモールが建てられてこの現実がある。大量生産大量消費のシステムは戦争と切り離せないし、その延長線上に二一世紀もある。つまり、僕たちは人を殺すテクノロジーの上に生きている。だからこそ、僕たちは加害の文化の意味について考えねばならないし、そのためにも二〇世紀に戻らなければならない。僕は先程も、戦後日本の知識人として加害について考えなければいけないといいましたが、本当は、二一世紀に住む人間はみな二〇世紀の大量死のうえに生きているわけで、そういう意味ではみな加害者なんです。歴史について考えるとは、加害の継承について考えることで、そういう哲学をつくりたいと思っています。

東 『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン)の中で、僕は「親であること」について語っています。それは加害者であるということです。最近反出生主義という哲学の流行がありますが、親であることは本質的に加害者であることです。DVとかネグレクトとかがなくても、本質的にそうです。本来は存在しなくてもいい主体を存在させてしまうこと、それ以上の加害はない。「親」というのは加害の雛形です。でも、それを単純に拒否できるでしょうか。害を為すことをすべて否定してしまうと、人は何も語れなくなるし、子どもも作れないし、究極的には生きることすらできなくなります。だから、ぼくたちは、害を為すとは一体何なんだろうという問題について、もっと根本的に、哲学的に考えていかなければいけない。被害者の側に立って加害者を告発するだけで満足してはいけない。福島の問題についても、東京の人間が東京から考えることは本当はすごく大事です。僕たちは東京にいて福島の電力を搾取して生きてきた。それをどう考え、記憶するかが大事であって、被害側でない人間は何も語るなという批判は、結局は害の本質を考えさせなくさせるだけだと思います。僕はいまは、原発の問題については、チェルノブイリへのツアーを実践することで考え続けています。僕たちはみな害を為しながら生きている。親になりながら生きている。被害者からの哲学、言い換えれば「子ども」の側からの哲学しかない世界というのは、欺瞞に満ちた世界だと思っています。

東 (……)加害者は加害を全部忘れる。被害者はそれを物語化する。けれどじつは加害には物語なんかない。たまたま目についたから殺したりする。でも被害者のほうはたまたまじゃ困る。被害者は選ばれて殺されなければいけない。この隙間で「ほんとうに忘れられるもの」とはなにか、というのが『ゲンロン10』のテーマなんですが、それが最後、柄谷の村上春樹批判の盲点と重なってくる構成になっています。(……)

 続いてさらに、「在沖縄米海兵隊は抑止力か否か」(https://ironna.jp/article/1532)をひらく。沖縄に駐留している米海兵隊について、慶応大学の准教授だという神保謙という人は、「抑止効果は非常に大きい」と述べ、「日本周辺では、東シナ海のグレーゾーン事態や朝鮮半島の不安定化の可能性があり、沖縄の位置を考えれば、戦域内に短時間内で展開できる海兵隊がいることの意義は大きい」と主張するのだが、先日読んだ半田滋「沖縄海兵隊の役割とは何か」(https://imidas.jp/jijikaitai/d-40-070-10-07-g255)では、次のように記述されている。神保氏の主張はこの記述に上手く答えられていないように思う。

 アフガン攻撃やイラク戦争でも明らかな通り、現代戦で戦端を開くのは攻撃機や艦艇、潜水艦から発射される巡航ミサイルである。そして兵員は輸送機や輸送艦で運ばれる。もはや強襲揚陸艦から陸地に攻め上がる着上陸侵攻の戦法自体があり得ない。海兵隊は存在そのものが問われる危機的状況に陥っているといえるだろう。
 その中でも最小規模である沖縄の第3海兵遠征軍は、苦しい局面に立たされている。緊急展開なら、アメリカ本土にある第1、第2海兵遠征軍の方が、輸送機に乗って素早く敵地に進出できる。

 記事を読んでいる途中で早くも歯磨きを始め、音楽はDeep Purpleの高名なライブ盤、『Made In Japan』に繋げた。Twitterを覗くとダイレクト・メッセージが届いていて、誰かと思えばねんさんで、ニュースで青梅の名前が挙がっているのを見て心配になった、気をつけてくださいと心遣いのメッセージを送ってきてくれていたので、有り難いと礼を送り返した。
 ironnaの記事ではもう一人、沖縄における海兵隊の存在意義は希薄だと主張する側として、元官房副長官補・柳沢協二氏が登場しており、彼は次のように述べる。「抑止力とは『相手が攻撃してきたら耐え難い損害を与える能力と意志』のことだ。その意味で沖縄の海兵隊は抑止力として機能していない。離島防衛は制海権と制空権の奪取が先決で海兵隊がいきなり投入されるのはあり得ない。日米防衛協力のための指針でも、米軍の役割は自衛隊の能力が及ばないところを補完すると規定されている。それは敵基地への打撃力だが、海兵隊の役割ではない」。こちらの方が、何となくだが、神保氏の言よりも納得が行くような気がする。
 さらに続けて、野嶋剛「沖縄に駐留する米海兵隊の語られない真実 抑止力ない"幽霊師団"」(https://toyokeizai.net/articles/-/69279)も読んだ。「定員1万8千人のうち、イラク戦争で駆り出された部隊はそのまま戻らず、一部部隊の移転もあって、現在、実際に沖縄にいるのは1万2千~1万3千人程度」とあり、この数は先のimidasの記事内の情報と一致している。「一方、定数1万8000人(日本外務省による)、実数で1万2402人(2008年9月、沖縄県調査による)とされる第3海兵遠征軍指揮下の海兵遠征隊は、第31海兵遠征隊(約2200人)の1個だけ」。東洋経済の記事では第三一海兵遠征隊についても、「戦闘部隊としては「MEU」と呼ばれる2千人規模の第31海兵遠征隊が駐留するのみ。その中の基幹となる歩兵は、1個大隊800人程度しかいない」とあって、こちらの数字もimidasの方の記事とほぼ同一である。戦闘の現代化のなかで、海兵隊というある種前時代的な機構がもはや不要だとの声が高まっているという記述も、imidasと同様、東洋経済の記事にもやはり含まれている。

 一方、海兵隊自身も沖縄の基地の維持を望んでいるという現実がある。米軍再編の「リストラ」のなかで、ハイテク装備を持たない「肉体派」の海兵隊不要論が強まっているからだ。
 そんな海兵隊にとって沖縄は虎の子の拠点だから手放せない。普天間の移設がもめても海兵隊から一言も不満が出ないのは、とにかく基地が維持されることが最優先だからだ。

 記事を読み終えると口を濯ぎに立ったのだが、その時、『Made In Japan』からは"Smoke On The Water"が掛かっていた。洗面所に行って口を濯ぐとトイレに入り、歌を歌いながら放尿し、戻るとfuzkueの「読書日記」を読んでいなかったなと思い当たってGmailにアクセスした。「読書日記」を読んでいる途中からドラムソロに入る。"The Mule"という曲で、muleというのは確か驢馬のことだっただろうか? それから書抜き、町屋良平『愛が嫌い』の文言を写していると、音楽は"Strange Kind Of Woman"に入って、イントロのギターからして耳を惹かれて、曲全体としても軽妙で小気味良いブルージーさが心地良い。『愛が嫌い』中の「しずけさ」は、以前にも記したが、「ゆううつ」の感覚あるいは無感覚を的確に描いているように思われる。

 (……)ようするにしぜんに回復するとわかっているゆううつだった。しかしゆううつのさなかにはゆううつ以外ない。三十秒先のことを考える気力すらないのだ。なにもおもしろくはないし、なにもうれしくもない。不安すら好調時のいち症状でしかなかった。ただ時間と不調だけがそこにある世界で、身を潜めている。(……)
 (15; 「しずけさ」)

 何と言うこともないような記述だが、こちらとしては昨年の体験からして、こうした描写がわりと実感としてリアルに感じられるものである。"Strange Kind Of Woman"はじきに間奏に入って、ギターとボーカルが高音で掛け合いを披露するのだが、ここでのIan Gillanの発声は実に、気持ちが悪いほどの甲高さになっている。掛け合いをしているうちに、Gillanが先導して、フレーズの最後でブルー・ノートに落ちる箇所があるのだが、そんな半端な音程を良く選んで当てたものだと思う。続く"Lazy"もDeep Purple式のブルースで、冒頭のキーボードソロからして良い。打鍵をしているうちに音楽はディスク一の結び、"Space Truckin'"に入って、この曲が終わったら書抜きも切りとしようと思い、しかし音楽が尽きるより前に「しずけさ」からの書抜きがすべて終わったので、音楽の方もそろそろ終わるだろうと打鍵を停めていたところが、ドラムはいつまでもスネアをトールしているし、キーボードソロも延々と続いている。それでプレイヤーを見てみると、何とこの曲は全部で一九分もあって、そんなに長かったのか! 阿呆か! そういうわけでふたたび書抜きに入って、"Space Truckin'"の終わりかけで、そろそろ一一時も近いのでとヘッドフォンをつけた。ところで何だか、外は激しい雨風に支配されているのだが、室内の方は蒸し暑く、上半身裸でいてもまったく肌寒くないし、涼しくもない。コンピューターはもう寿命が近くて動作が鈍く、打ち込むスピードに比べて文字の表示の方が格段に遅れる。
 『Made In Japan』はディスク二に入って、"Black Night"が始まった。缶コーヒーのCMに使われて非常に有名な曲だが、こちらも高校生の時にバンドでやったものだから実に懐かしい。例の有名なリフのあいだのギターのハウリング・ノイズが挟まるのがライブらしく、ヘッドフォンで聞いているとベースが利いていて、低音がかなり太く感じられる。顔を振りながら、シャッフルのリズムにつられてキーボードを叩く指も跳ねるように動く。ここではIan Paiceのドラムがなかなか凄いのではないかと思われた。フィルインがスピーディーで、切り込み方が鋭いのだ。ロックという音楽もやはりまだまだ面白いものだ。
 続く二曲目は"Speed King"である。その途中で書抜きは切りとして、時刻は一一時直前、アルバムの最後は"Lucille"で、これは確かロックン・ロールの古典だったはずだと思って検索してみると、Little Richardが最初にヒットさせたものらしく、Deep Purpleのバージョンはやはりかなりハードで、Roger Gloverのベースが、地味だが太々しくてヘヴィさを増している。
 書抜きを終えてTwitterを見てみると、多摩川が氾濫の危機に瀕しているとかで、我が家はさすがに川が上ってくるほど近くはないので大丈夫だが、青梅では調布橋付近が危険水位に達していると記されてあり、凄えなと思った。コンピューターの動作が鈍くて仕方がないので、リフレッシュさせてやろうということで再起動を施し、合間はカフカを読みつつ待った。そうして準備が整うと、T田に音源を送るために『Kafka-Fragmente』を圧縮しようとしたのだが、昼間に行ったときと同じく、何故か命令を下してもいつまで経っても処理が始まらない。それでほかのソフトを試してみるかというわけで、Explzhというものをダウンロードしてインストールすると、再起動が必要と出たのでふたたびコンピューターを落とし、あいだは読書ノートにメモを取りつつ待った。それからインストールしたばかりのソフトを試してみたのだが、やはり圧縮処理が出来ない。何か、一時ファイルのフォルダがない、というようなエラー表示が出るのだが、コンピューターに詳しくないこちらには良くもわからないことなので、音源圧縮は諦めることにして、T田にもその旨謝っておいた。
 (……)
 さて、日付も替わりかけ、日記を書く段である。Angraの"Carry On"を何故か思い出していたので、それで『Angels Cry』をYoutubeで流す。九三年の作らしい。この作品が発表された時、こちらは僅か三歳である。ヘヴィメタルを聞くのなど、ひどく久しぶりだ。そうしてカフカについての思考をまた書いているうちに、いつの間にか『Angels Cry』は二週目に入っていて、気づかず半ばくらいまで進んでいて、それでSonny Rollins『Saxophone Colossus』に変えたのが零時四〇分過ぎだった。それから引き続き、風呂のなかでカフカについて考えたことを書きつけるのだが、そんなに力を入れているつもりもないのいそれにやたらと時間が掛かって、あっという間に一時二〇分に達してしまった。仕方がないので、今日は日記はここまでと定めて、今まで書いたカフカの小説の感想をEvernoteの記事に整理し、日付を付して並べてみると、引用も含めてだが既に一七〇〇〇字以上も書いていた。
 辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』の書見に入る。しかしまもなく茶を用意しに上に上がると、父親がまだ起きていて、ソファに就いて歯を磨いている。茶葉を捨て、小腹も空いていたので台所の戸棚の上にラップを敷いておにぎりを作り、米を握って緑茶を用意した。テレビはどうでも良い、家事のついでにトレーニング、とかいうような話題を紹介している。注いだ茶を持って下階へ帰ると、飲みながら読書を続けるあいだ、例によって緑茶の熱のために汗で肌が濡れた。飲み終えるとヘッドフォンをつけてSonny Rollins『Contemporary Leaders』を聞きはじめ、その後三時四〇分過ぎまで書見を続けたあと、就床した。


・作文
 13:36 - 14:18 = 42分
 15:08 - 17:01 = 1時間53分
 17:28 - 19:22 = 1時間54分
 23:57 - 25:20 = 1時間23分
 計: 5時間52分

・読書
 14:28 - 15:08 = 40分
 20:49 - 21:50 = 1時間1分
 21:55 - 22:58 = 1時間3分
 25:36 - 27:43 = 2時間7分
 計: 4時間51分

・睡眠
 3:20 - 12:50 = 9時間30分

・音楽

2019/10/11, Fri.

 大澤 限定的な階層だけが身につけられた江戸期の教養と異なって、明治期以降は、出自を問わず教養をインストールすることが原理的には可能だった。そこが新しい教養主義の最大の特徴です。さらに、それをフックに社会的な地位の上昇が可能になる。
 竹内 その点は、ドイツの教養市民層とよく似ています。ドイツ語で「教養」を意味する「ビルドゥング(Bildung)」は元手のない人たちのメリトクラシーでしょう。貴族層に対する教養市民層の対抗戦略。だから世襲の貴族に対する精神の貴族。
 大澤 「ビルドゥングスロマン教養小説)」のたぐいもドイツ教養市民層の成立と密接なつながりがあります。中世の封建的な桎梏から解放され、一人ひとりの努力によって経済的にも社会的にも成功する可能性が開けると、「いかに生きるか」が切実な課題としてせり出してくる。そうしたなかで、主人公が数々の体験を重ねて試行錯誤しながら自己形成を遂げ、人間として成長していく、そんな軌跡を描いた小説が多くの読者に求められるようになっていきます。その典型がゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』ですね。ジャンルとしての青春小説はいまなお健在だし、むしろ青春小説しかないといっていい。でも、教養小説となると、若い世代のあいだでまったく読まれなくなっています。忘れられた小説形式の一つといってもいい。
 竹内 教養小説に描かれる人格の向上というストーリーは、進歩史観というか、社会はつねに成長していくという歴史観と同期していましたからね。それが信じられない現代ではリアリティを失っているんでしょう。
 大澤 いまや過去のすべての出来事は同一平面上にべたーっとフラットに並んでいる。だから、線形的にヒストリーを描くのがむずかしい。そんなポストヒストリカルなフェーズに入ったことは教養の失墜と無関係ではありえないでしょう。とくに九〇年代後半以降に生まれたいまの大学生たちを見ていても思いますが、ネットが最大かつ唯一の情報源になっているから、歴史の因果関係のなかに、それぞれの出来事を位置づけることができなくなっている。歴史上の遠近感がほとんどない。それもあってなおさら、過去から現在、そして未来へむけて発展していくという感覚はもちようがない。ネットに典型的ですが、巨大なアーカイブのなかにすべてがストックされていて、そこから任意のものをピックアップする感覚が支配的です。それはかつての「歴史」が消滅したことを意味すると僕は思う。
 (大澤聡『教養主義リハビリテーション』筑摩選書、二〇一八年、75~77; 竹内洋×大澤聡「日本型教養主義の来歴」)


 八時のアラームで一度覚めたのだと思うが、その頃の記憶は失われた。微睡みのなかで二度、携帯にメールが届いて震えるのを聞いたが、起き上がってそれを確認する気力はなく、床に臥し続けて一〇時半頃ようやく意識が晴れてきたが、まだ身体を持ち上げるほどの力が身には寄って来ず、今日も白い窓を見やれば例の大きな蜘蛛が風に吹かれて脚を蠢かせながら糸を渡っている。一一時に至ってやっと寝床を抜けた。携帯のメールは、携帯電話ショップからの広告か何かで、良くも見なかった。コンピューターを立ち上げてTwitterを覗き、その他インターネット各所を回ってから室を抜けて上階へ、台所に立っている母親に挨拶をして、匂いが漂っていたのでカレーかと訊けばそうだと言う。トイレに行って放尿してくると洗面所に入って髪を梳かして、それからガス台の前に立ってカレーを火に掛け、大皿によそった米に盛り掛けた。前夜の野菜炒めの残りが小さなプラスチック・パックに入ったものも電子レンジで温めて、卓に就いて新聞を寄せれば一面に、トルコのシリア北部での軍事活動の報が載せられている。クルド人の実効支配地域の、村だか町だか拠点をいくつも制圧したと言い、死者は少なくとも四〇人とか出ていたか。めくって二面にも関連記事があったので読みながら、戦争ではないか、しかも隣国の国境を越えて押し入り進軍すると言う、そのようなことがこれほど容易に許されるのだろうかと思い、国際面に移ればこちらではドイツで起こった二人死亡の銃撃事件が伝えられて、犯人は二七歳の反ユダヤ主義思想を持った男だと言い、よりにもよってドイツという国で、と嘆息するようになった。その隣には、タイで言論統制の動きが強まっているとの報もあり、どこの国も何だかどんどんきな臭くなっていないかと見ながらカレーを食べるそのあいだ、母親と多少言葉を交わしたはずだが何を話したのかはもう忘れてしまった。いずれ他愛のないことだ。食後、水を汲んできて、セルトラリンはもうなくなったのでアリピプラゾール一錠のみを飲んだあと、母親が持ってきてくれたシャイン・マスカットをつまみながら台所に立ち、食器を洗って次に風呂洗い、済ませるとまたマスカットをつまんでもぐもぐ食いながら下階へ、急須と湯呑みを持ってくると緑茶を用意し、塒に帰った。T田から六日と七日の記事を読んだとLINEでメッセージが届いていたので礼を言い、六日の記事は会話を良くもこれほど覚えているものだ、話しながらメモを取っていたのではと思わざるを得ないと、実際はそのようなことはしていないわけだが言われたので、お褒めに預かり光栄であると返しておいた。そうして寺尾聰『Re-Cool Reflections』をYoutubeで流し出して、T田の言に影響されてこちらも自分で六日の記事を読み返し、それから七日、八日、九日と適当に拾って読むあいだ、寺尾聰の歌を歌って喉をほぐして、読み返しに切りがつけば一二時半過ぎから日記に掛かった。背景に流したのはものんくる『RELOADING CITY』、そのなかで前日の記事を進めて、カフカ『城』についての分析を、前の感想とそう違ったことは言っていないが最後にまた綴って一時間、仕上げるとSonny Rollins『Saxophone Colossus』を流し出してブログに一〇日の記事を投稿する。"St. Thomas"のメロディを口ずさみながら引用部にタグを付し、個人名は検閲し、出来るとTwitterにも通知を流して、それからさらにnoteをひらいて、その頃には曲が移っていたから今度は"You Don't Know What Love Is"のソロをタングトリルで追いながら、また引用部を処理して発表した。そうして次にこの日の日記に入って、ここまで一五分ほどで綴って二時を回った。夜更かしが習いとなっているためか、何となく睡気が淡く目の奥に漂うような感覚がある。勤務は今日は、元々二コマの予定で入っていたところ、先日一コマになるかもと連絡があって、しかしそれ以降正式な決定が下されていなかったので、二コマのままかそれとも一コマかとこちらから送ってみると、二コマか、それともあとの方のコマを一つのみかと選択肢を提示されたので、それでは一コマのみでよろしいでしょうかと答えておいて、晴れてより多くの時間を確保することが出来た。
 それから一年前の日記を読む。記事の冒頭に付された書抜きは、この日からサルトルの書簡になっている。そのなかからなかなか良いと思われたボーヴォワール宛の愛の言葉を引こう。相手と共にいられなくとも、彼女が「この世に存在する」だけで「この上なく幸福」だとサルトルは言う。「焼き栗」という道具立ても何だか知らないがよろしいもので、甘やかな艶っぽい金色のイメージを喚起するようだ。

 ぼくの愛する人。あなたには判らないだろう、ぼくがどれほどあなたのことを想っているか、一日中絶え間なくあなたで満ちみちたこの世界のただ中で。時によってはあなたが傍にいないのが淋しくてぼくは少し悲しい(ほんの少し、ごくごく少し)、ほかの時はぼくはカストールがこの世に存在すると考えて、この上なく幸福なのだ、彼女が焼き栗を買ってぶらつき廻っていると考えて。あなたがぼくの念頭から去ることは決してなく、ぼくは頭の中で絶えずあなたと会話をしている。(……)
 (朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』人文書院、一九八五年、55; ボーヴォワール宛; ホテル・プランタニア、シャルル・ラフィット街、ル・アーヴル; 1931年10月9日金曜日)

 日記本文は鬱症状にこてんぱんにやられており、「倦怠そのもの。絶対的な鈍さ。書きたいことが何もない。読み書きは自分の業としての価値を失った。生の目的の失効。純然たる無意味性」と絶望的な沈滞の感覚以外は何も記されていない。
 そのあと二〇一四年の日記も一日分読んだが、こちらは特筆することはない。その後fuzkueの「読書日記」も読みながら、Sonny Rollins『Newk's Time』に音楽を移行すると、台風が迫っているという話で外では直線的な雨が降り出している。「読書日記」のあとは「週刊読書人」から長濱一眞「啓蒙の弁証法?――「一億総活躍社会」にようこそ」(https://dokushojin.com/article.html?i=5538)をひらいて読んだ。

 例えば国家による市場統制を忌避したフリードリヒ・ハイエクは、各々限られた情報にもとづく分散的な参入からなる市場の――一個人から見た――不合理性は、それ故に個々の参入者にとって受容可能性が高まると考えた。だれしもその全体を透過的に掌握できず、したがって予期しえない偶然が紛れ込む以上は、みずからの選択の結果にまったき責任など負うべくもなく、その芳しくない結果はかの「不合理」のためであって、ことさら「私」が「悪いschlecht」わけでない――。ところが、ハイエクをその学説の始祖に数え入れる新自由主義を基調とするところの現在の資本主義のあり様は、かつてなら市場外の領域で個人の差配や思惑を超えた運として捉えられてきた種々の事柄すらも、自己責任の範疇であり、その結果次第では「私」が「悪い」ことを意味する傾向を強めている。縁なる巡り合わせとひとしいものが社会関係資本と言い換えられるごとく、運を理由に断念もできれば自責の念も緩和しえた事々が、人的資本たる個々の企業家――国家や社会でなく――の「努力」によって、厚生労働省いうところの「人づくり革命」によって、計画性にもとづいて、構築し、打開し、増幅し、豊かに運用できる、つまりは「自助」で賄えるものであるかに喧伝されている。翻すに、芳しくない状態は個人の努力不足や計画性の欠如に起因し、その企業家が罪深い‐劣悪であるschlechtためだと見做されることとなった。

 AIとビッグデータを駆使した「アルゴリズム的公共性」にとってかなめとなる社会信用システムについては、その先進国である中国を特に参照しての紹介が進んでいる。なるほど生物学的に決定された真の弱者なる規定はエビデンスとしては薄弱だし、あるいは仮に統計的に有意な「不都合な現実」が明らかとなったとしても、それにも結局は個人差があり、そもその結果からして社会構築的な要因が抜き難い以上、「男性/女性」などの生得的な種別差に還元して強調するのは差別だと指摘することは可能だ。これらはあまりに安易で短絡的だと評してもよい。では、SNSをはじめとするネット利用状況、銀行口座記録、職場や学校における業績評価や成績評価ならびにパワー・ハラスメントやセクシャル・ハラスメント、いじめなどの有無、監視カメラが設置されている公共施設のほか市街での振舞い等々、あまたのデータを収集総合し、これをもとに個々それぞれの社会活動を常時AIによって一律に点数化していく場合はどうか? そこでは民族的、性的その他属性如何によって同じ行為の評価が変わることはなく――AIは「無知のヴェール」を被っているかのごとくだ――、ひとの手がどうしても加わる局面で不公正なデータを作成した場合、厳しい処罰やペナルティが科されるものと想定する。ここに生ずる点数差を謂れなき差別と断定するのは難しい。算出される各自の点数は種々のエビデンスにもとづく、とにもかくにも故あるものだからだ。
 当然ながら、社会信用システムにおいて個人はなにかしらの本質から演繹される存在でなく、女性や白人などのカテゴリーを特権的に実体化しているかぎり、なお本質主義から脱却できていないとすれば、それとは違って、時々刻々と蓄積更新される膨大な情報の束として扱われる。これに照らせば本質とはむしろ、それらニュートラルな情報の束から偏向的に一部を拡大解釈し、捏造した幻想だとすら見做しうるかもしれない。だとすれば、そこでは「再チャレンジ」も期されるだろうし、むろんその際生得的な属性が妨げとなることはない。社会信用システムでは市民は常時みずからのスコアをチェックでき、「格付け」が下がれば挽回することも可能だ――「人生一〇〇年時代構想」が「いくつになっても学び直しができ、新しいことにチャレンジできる社会」を志向するとおり。先に例示したように、信用度を判定するデータ項目が社会活動のさまざまな範囲を包括していき、さらに、一定の限度を超えた低ランクの「格付け」の者には、然々の公共インフラや民営サービスの利用が制限されるなどのペナルティが科せられ、また一定の高ランクの「格付け」に達してそれをある期間維持すればそれに応じた利益還元が図られるなどの仕様が実装されたとするなら、功利主義的に考えて、ひとは社会適応及び社会貢献に尽くすことが自己利益に直結することを知る。毎日でもスコアをチェックし以て、その都度我が社会活動を振り返り、とりわけ大きな変動が生じた際にはみずからを深く省みてその原因を分析し、「いくつになっても」伸ばすべきところを伸ばし、撓めるべきところを撓め社会との照応のなかで成長を怠らない、――かくして「人づくり革命啓蒙」は成る。ここでは、労働組合とは違うかたちで、各自が特定の組織における陶冶を介さず、もっぱら自己利益のみを考慮した活動と社会の公益とが相互に反映しあい、個と全とが、自己への配慮と社会への配慮とが即時的にかかわりあう。

 これと比して、1990年代後半以降のアンソニー・ギデンズ的な「第三の道」――トニー・ブレアの登場をマーガレット・サッチャーが言祝いだ逸話が示すとおり、それは新自由主義と別のものでない、為念――は、「競争参加動機のある者への再分配」により「十分な雇用可能性」を保証する「機会の平等」の提供を以て、結果の是正を伴う民主主義的平等に代え、社会的包摂を図る。注意すべきは、これこそ――保証される事前の機会が充実し行き届いたものであればあるほど――それら助成や支援や指導研修を介したさまざまな包摂の機会の提供を経たうえでの現状に関しては、ほかに転嫁するのが難しい自己責任へと帰結する傾向が極めて強いことだ。そこでは啓蒙――社会的包摂のための手引が施されるのだが、ほどなくして次のごとき声がついて廻る。「十分な可能性」は平等に用意してある、事態を改善するために必要な指導も率先して提供した、あとは貴方次第――自由!――だったわけだがこのざまはなんだろう、貴方が窮状を訴えるとしてもそれについてはもう、自由な市民である貴方自身の責任といわざるを得ない、のみならず社会[われわれ]は貴方に随分奉仕したし、できるかぎり貴方のために努力したのに貴方の方は社会[われわれ]にその与えた分だけでも報いたとは到底いえない、いやはや貴方はなんて罪深い‐劣悪schlechtなのか――。芳しくない負の結果の原因にしばしば挙げられる「競争参加動機」の欠如やら「ヤル気」の不足はただ特殊な個人の損失を意味するだけでなく、また負の自己利益により社会の公益を損なうからだけでもなく、社会からの事前の贈与[ケア]に対して返礼しないどころか場合によっては事後の再建[アフター・ケア]まで要求する――そうして際限のない事前の贈与[ケア]へ転化する――と捉えられるために――民主主義でなく自由主義のもとでこそいっそう――罪深く解される。もちろん現在の日本において、事前の機会の提供に不足は多々確認できるとしても、それを徹底した帰結としての自責含めた自己責任論の猖獗だけはとうから眼に見えており、先だって「無駄」云々の声とともに醸成されているのが実態だろう。あるいは、その自責に苛む帰結を、そこに至る前に悟り、だからあらかじめケアを拒否し、輝かしい社会の光――啓蒙から引き篭り、「暗黒[ダーク]」に耽る者が現われたとして、それを一方的に責めたて断罪することには躓きを覚えもする。

 三時直前に至って音楽が終いまで行くと、睡気がやや重る。長濱一眞の時評を読んでいるあいだも、自ずと瞼が落ちてくるので途中で椅子から下りて立ったくらいだ。最寄り駅からの電車を調べると、四時四二分からのものがあるので、それに乗って医者に行くかと見通しを立てて、食事を取ることにして上階へ行った。カレーのフライパンを火に掛けているあいだに辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を持ってきて、台所でガス台の前に立ったまま読みながらカレーを搔き混ぜ、大皿に盛った米の上に掛けると卓へ向かい、ものを食いながら文言を追う。この時読んだのは二〇五頁から二〇八頁に掛けて繰り広げられるKとおかみの対話、と言うよりは問答と言った方が適切かと思うが、その箇所で、ここではおかみの言い分の不透明さが引っ掛かる。彼女はほとんどわざとではないかというような調子で、迂遠的な、至極わかりにくい説明を提示するのだが、意味が核心に至らず奥の方まで繋がっていかない感覚がそこにはあり、何か重要な情報が明かされていないような曖昧模糊とした雰囲気が漂っている。それでいておかみの方は、その場で語られないことを察知出来ないK――そして読者――の方が愚劣で悪いのだと言わんばかりに、彼の誤解を詰ってみせるのだ。
 ものを食べ終えると皿を洗って、緑茶を用意して自室に帰ったが、相変わらず何だか眠たいようで、時折り頭にぴり、ぴりと、ささやかで幽かではあるものの、ノイズのような、電気が一瞬走るような感覚が訪れる。テーブルの前に立ってTwitterを覗いたあと、台風が来るとか言っているから、医者が休みになってはいないだろうなと思い当たって、Nクリニックに電話を掛けた。繋がると、いつもお世話になっております、Fと申しますが、と丁重な前置きを送って、今日はやっておられますかと訊くと、通常通り六時までやっているとのことだったので、礼を言って電話を切り、その後、茶を飲みつつ辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読んだ。緑茶を飲み干したあとは歯磨きをこなし、口を濯いで戻ってくると、何故かRichie Kotzenの音楽が頭のなかに流れていたので、まず"Made For Tonight"を流して歌い、次に"I Don't Belong"も口ずさみ、そのままプレイヤーから音楽を流しっぱなしにして、"My Addiction"に合わせてやはり歌いながら服を着替えた。白のワイシャツに黒のスラックス、ネクタイは灰色の地に、小さな四角と点がいっぱいに付された模様のものである。ゆっくりとした動きで首元にそれを巻くと、真っ黒のベストを身につけた。流れていた"It Burns"を途中まで口ずさむと、Wynton Marsalis Septet『Selections From The Village Vanguard Box (1990-94)』に音楽を変えて、そうして書見に戻り、合間にLINEでT田に、最近の日記で面白かったところはあるかと質問を送りつけた。軽躁状態の話だという返答があり、今の状態が続けば良いなと言われるのに、「もっともっと頭の回転が速くなって、誰もついてこられないような凄い文章を書き、なおかつ人格的にも安定を保てると最高なんだがな」と答え、その後、Nさんの話をちょっとしたところで出発の時間が来たのでその旨告げて、それでは失礼すると最後に残してコンピューターをシャットダウンした。
 『城』のおかみは先にも取り上げた問答のなかで、「人が伝えたいろいろな情報をみんなつくり変え、そうしておいて、まちがった情報を聞かされた、なんていい張る」(206)とKの態度を非難するのだが、しかし読む限り、Kが彼女の言葉を「ねじ曲げて」(207)受け取っていると言うよりは、問題はおかみ自身の方が不正確で誤解されるような言い方をしていることにあると思われる。彼女はほとんど悪意からではないかと疑われるほどに曖昧な物言いをしており、その前に立たされたKは、そして読者もまた、彼女の真意を追い求める解釈者にならざるを得ない。しかしおそらく、そこには一つの「真意」など元々設定されてはおらず、「真意」に辿り着こうと努力する解釈者は、石灰色の霧のように見通しの悪い不透明性のなかで徒労を味わわざるを得ず、不可避的におかみの言を「誤解」(185)し、それを彼女に詰られることになる。このおかみという人物は、Kが彼女に差し向ける言葉に応じて、つまり外部からの刺激によって如何様にも形を変える不定形なアメーバのような変態生物であり、確固とした内面を持たないほとんど非人間的な言語的モンスターとして立ち現れているようだ。
 二〇五頁から二〇八頁におけるこのおかみとKとの対話を、ちょっとより細かく分析してみようと思って読書ノートに要約的な記述を記していたので、一時間強文を読んだ時間の大半はそれに充てられ、頁はほとんど進まなかった。T田とのやりとりを終えると、リュックサックを背負って部屋を出る。今日はクラッチバッグではなくてリュックサックを携えたのは、図書館に行って借りている本を一度返却し、再度借りて来なければならず、そのために荷物が多いからだ。上に上がると仏間で靴下を履き、そうして玄関を抜けて道に出ると、朝から続いているのだが、何か意識の揺らぎと言うかぶれみたいなものが差し挟まる瞬間があって、茶をやたら飲んでカフェインを摂りすぎたのか、あるいは最近の躁状態にも関連しているか、それとも単に寝不足なだけかと思い巡らせながら歩いて行くうちに、どうも眼球を速く大きく動かした時に、その動きに応じて電流めいた一瞬のノイズが発生するようだぞと見分けた。とすれば視神経の問題か、しかしそれにしてはあまり瞼が重くないが、あるいは脳がどうにかなっているのではなかろうな、などと考えて、意識が、飛びそうになると言っては言い過ぎだが、しかしぴりっと一瞬揺らぐ刹那を何度も繰り返しながら道を進むと、頭上ではヘリコプターが何やら飛んで、音を降らしている。坂に入りながら、仮に目の問題だとして、ものが見えなくなったりするのは非常に困る、そうすれば本も読めなくなるし、文も書けないだろう、労って行かなければ、と独りごちつつ、しかし確か、カフカの友人に、エルンスト・ヴァイスと言ったか名前が合っているかどうかわからないし合っていたとしてその彼だったか忘れたが、盲目の作家もいたはずだし、Mさんの『囀りとつまずき』のなかに書いてあったことによれば、三重苦で有名なヘレン・ケラーも感覚的装飾がふんだんに満ちた文章を書いたと言うから、視覚を失っても何とか書き続けられるかもしれないが、と自分を慰めて、頭のなかにノイズを感じながら上っていくと、横断歩道で間違えてまだ必要のないSUICAをポケットから取り出してしまった。ボタンを押して駅の階段を上りながら、大袈裟だが、意識が突然ぷつりと行ったりしないかと不安を抱き、視線を上げれば空にはヘリコプターがまだうろつき回っている。ホームに入るとベンチには制服姿の中学生カップルがあって、知っている生徒かと思って見たが、どうやら違うようだった。ホームの先へ向かい、立ち止まると立ったまま目を瞑って、目の筋肉をほぐしたらどうかと上下左右に眼球運動を行った。それでこの時はノイズは大方消えたようだったのが、あとになるとまた復活することになる。立っているその感覚がどこか不安定なようで、パニック障害あるいは自律神経失調症の圏域にあった時も、近くに身を支えるもののない広い空間に出ると重心感覚が僅かに揺らぐことがままあったが、こういう時にはいつも、何も意識しなくとも自ずと直立を保っていられる尋常の状態の方がかえって不思議に思われる。右足を前へ出して身体を斜めに流し、右手に持った傘を地に突き、左手はポケットに入れて格好つけたポーズでいると、電車までまもないはずが、来るのは奥多摩行きのみで、反対方面の青梅行きは四二分になっても来ない。遅れていることを伝えるらしき放送が入ったようだったが、スピーカーが遠く、停まっている奥多摩行きの電車の駆動音でもって聞こえない。それで、どうやらまだ時間があるようだと手帳を取り出してメモを取っていると、じきにもう一度放送が入ったのでスピーカーの方に近づいて行けば、柱の下には男性が一人、老年だがジャケットに帽子を被って身なりはわりあい整っているのと、もう一人若い女性があって、何て言ってました? と男性の方に訊けば、わからない、全然聞こえねえ、と彼は受けて、次に女性の方に目を向けると、彼女は、倒木のために電車が停まっていたのがもう運転は再開したが、どこまで来ているかは言わなかったと教えてくれた。礼を言ってホームの先に戻り、再度メモを取っていたところが、まもなく雨がにわかに降り出して、それで屋根の下へと避難したけれど、短い距離なので傘をひらかず俯いて歩いたところ、雨の嵩みが急速で結構濡れて、屋根の下に入るとハンカチを取り出して腕や手帳の水気を拭き取った。そうして柱に寄ってメモを取るが、やはりどことなく身の均衡が不安定なように思えた。そのうちに背中のリュックサックのなかで携帯が震え、それを機に荷物を足もとに下ろして見れば、メールは勤務のシフト連絡だった。放送によれば電車は二五分ほど遅れているらしい。ようやくやって来たのは五時過ぎ、乗って席に座り、引き続きメモを取って、青梅で降りれば乗換え、数分の猶予があったので前の方へ移動して、乗った車両は空いていなかったので扉際に立って揺らされながらメモ書きをした。目の前の席には男子高校生三人が向かい合って座っていて、どうでも良いような話をしていた。
 メモを取り終えるとガラスに向かい合い、すると外は青い暮れに浸されて、マンションや家々や街灯の白い灯りが海のなかのように流れて行って、ガラス表面にはこちらの姿が映りこんでその白光の推移と重なり合う。河辺に着くと手帳を手に持ったまま降りて、エスカレーターを上がると改札を抜け、医者より先に図書館に行くことにした。歩廊に出れば雨がごく軽く降っているが、傘を差すほどではない。入館すると傘立てに傘を置き、なかへ入ってカウンターに寄れば、青いポロシャツ姿の女性職員が迎えてくれたが、丁重な態度ではあるものの愛想はそれほどない。リュックサックから五冊を取り出してもう一度借りたいと告げれば、ほかに何か借りるものはあるかと訊かれるので、リクエスト本が来ているらしいと図書カードを差し出した。前日にインターネットを通じて予約しておいた村上春樹アンダーグラウンド』で、これは次のAくんたちとの読書会の課題書である。図書カードを読み込んでもらうと、ちょうど更新期限が来ていると言うので、コンピューターの画面を見せてもらって住所と電話番号に間違いがないのを確認したあと、職員が持ってきた村上春樹の文庫本を合わせて計六冊を貸出し手続きしてもらい、受け取ってCDの新着棚に向かいながらリュックサックに入れた。CDに特に目ぼしいものはなかったので階を上がって新着図書を見れば、こちらには阿部和重の新作『Orga(ni)sm』や、宇野邦一がサミュエル・ベケットを新しく訳した『マロウンは死ぬ』、それにトーマス・ベルンハルトの『アムラス』まであってこれは有り難い。それらを確認すると、長居はせずに医者に行くことにして退館に向かった。館内を歩きながら、何か外から拡声器を通した大きな声が聞こえてくるのに気づいていて、政治団体が演説をしているのだろうかと思っていたが、出てみるとそうではなくて、何とか言う歌手の宣伝らしかった。歩廊を戻って駅舎を抜けて、反対側の道を出ると傘をひらく。駅前の居酒屋の前を通りがかりに店の入口に掛かっている音楽が聞こえて、それが一瞬聞いただけでも工夫のない大衆歌だとわかるコード進行で、実に定番のものだなと聞いて過ぎれば背後から、間奏が終わって女性ボーカルの声が小さく伝わってきた。住宅のあいだに入ればアオマツムシがここでは聞かれて、歩きながら頭のうちにはまた痺れめいたノイズがたびたび走って、それが発生する時には足の裏も同じく痺れたようになることに気づかれて、右を向くと左足、左に目を振れば右足が疼くところから見て、やはり神経の、しかも左右が逆になっているということは脳の問題ではないか? まさか脳梗塞ではないだろうな、しかしそれなら頭痛とか吐き気がしてくるはずだと見ながら進めば、頭の内も芯がちょっとつねられているような軽い痛みが生じるが、さほど高くはないので大丈夫だろうと払ってビルに入った。
 階段を上がって行って待合室に入ると、客は何と誰もいなかった。ソファ席にリュックサックを置き、財布のなかから診察券と保険証を取り出して受付に渡す。歩いてくるとベストも羽織っているからやはりなかなか暑く、汗の気が服の内に籠っている。保険証を返却されると座ってメモを取っていたが、ほかに患者がいないから当然すぐに呼ばれて、返事をして立つとフロアをゆっくり横切って扉を二度ノックし、こんにちはと言いながら診察室に入った。今日は空いていますね、と座らないうちに向けると、台風のせいかな、でもまだ大したことはないですけどね、と医師は笑う。そうして革張りの椅子に就いて、いつものように調子はどうですかと訊かれるので非常の良いのだと答えると、先生は非常に、とそこを拾ったので、良すぎるくらいで、ちょっと変ですねと受けて、相変わらず日記を書いているんですけれど、何だか簡単に書けて仕方がないんです、すらすらと書けて、量も増えました、それで、まあ、まさか自分は双極性障害で、今、躁の時期が来ているんじゃないかなどと、そんなことを考えてしまう始末ですと笑った。そういうことはあるものでしょうかと訊いてみると、先生はあまり大きくは笑わず、しかし柔和な表情を穏やかに崩さずに、ないとは言えないですね、と受けて、やっぱり途中から波が出てくる人というのはいますと答えた。いずれにせよ、セルトラリンの方は減らして良いのではないかと言う。仮に本当に双極性障害だったとして、SSRIを減らしても大丈夫なものですかと訊けば、セルトラリン鬱状態を持ち上げるものだから、躁の状態に使ってもまあ仕方がないという返答があり、アリピプラゾールの方は両方の症状に対応していて双極性障害にも使われるからそれは維持して、セルトラリンが一回二錠朝晩で一日に四錠飲んでいたところを、半分にして飲むのも夜にまとめましょうということで、晴れて減薬とあいなった。双極性障害が現実のものだったとして、何か注意することはあるんでしょうかと訊いてみると、やっぱりそうやって自分の状態に自覚的なことが大切なので、と先生は答え、まあ、やりすぎないことですねと言うのでこちらは笑った。
 挨拶をして退室するとまたメモを取り、まもなく呼ばれて会計、一四三〇円を払って礼を言い、席に寄って財布とお薬手帳と処方箋を手に用意し、それを持ったまま待合室をあとにした。一旦下まで下ったところでしかし、傘を忘れてきたことに気がついたので階段を上に引き返し、室の外に立てておいた傘を取って戻って、外に出ると宵闇の既に満ちたなか、隣の薬局に入ってみれば、ここも客が一人もいない。処方箋とお薬手帳と保険証を渡し、七六番の用紙を受け取ってベストのポケットに入れておくと、一番手近の席に座ってここでもまたメモである。汗が湧いていて、首筋を湿らせて襟足に薄く流れる。頭上のテレビではラグビーの話題を取り上げており、スコットランドに何とか言う人気選手がいると言い、スコットランド特産の、スコッチ・ビーフと言うのだろうかそれが彼らの重要な栄養源、力の源になっているとか言っていた。まもなく呼ばれた相手は、向こうはこちらのことをどれくらい認識しているか知らないが、こちらにとってはお馴染みのU.Tさんである。定型的なやりとりを交わしたあと、調子に変わりはないかと問われたので、逆に元気になっちゃったので、と苦笑し、それで抗鬱薬は良いかなということになりましたと説明した。会計は九九〇円、袋を受け取って礼を言って外に出て、荷物を整理したあと傘をひらいて歩き出せば、また痺れが身体に走って、足の裏の、指先ではなくて後ろの方に刺激が響く。アオマツムシの青いような声音が道脇の家の庭木から立ち、そのなかに肉の焼ける匂いが漂ってくるのは、前方の赤提灯の店かららしい。そのこじんまりとした焼肉屋の前に掛かった頃、にわかに雨が激しくなって、幼児を抱き上げた男性が、急げ、急げ、と胸の息子に向かってあやすように掛けながら濡らされていた。
 駅へ入って改札を抜け、ホームに下りると立川方面の電車が発ったばかりでベンチに誰もおらず、そこに座って無人だからとリュックサックも隣の席に置き、またまたメモを取っていると外では雨が嵩んで響きが空間を埋める。やって来た電車に乗って座り、メモ書きに過ごして青梅に着いてもすぐには立たず、少ししてから車両を移動して、屋根のあるところから降りて改札に向かった。駅舎を出ると駅前には若い女性らが集っていて、すごく降ってきちゃったねと呟いていたがこちらはそのなかに、傘をひらいて突っ込んで、雨は実に激しく下手に動くと濡れそうだから俯いて脚だけ動かして、地面が白く毛羽立つのを見ながら職場に向かった。
 職場の前でばたばたと傘を開け閉めして水気を弾き、入るとデスクに就いた室長が早いと漏らすので、早いですよねと笑い、医者に行って、いつもは結構時間が掛かるんですけれど、今日は誰もいなかったんですよと説明すると室長は笑った。それから靴を履き替えながら、今、めっちゃ降ってきましたよと言うと、日曜日の模試も中止になったのだと返答があり、会社の方でも本部から、明日は全部閉めろと命令が下って、新宿でも小田急百貨店が全部閉めるという話だと情報が与えられた。
 座席表を見れば今日当たる生徒は、全員久しぶりの相手で、(……)(高三・国語)に、(……)くん(中一・国語)、それに(……)さん(高一・英語)である。高校生の国語が当たっているから予め文章を読んでおかねばなるまいなと思いながら、ひとまず奥の席に就いてまたメモを取り、それが終わると予習に入って現代文のテキストを読んだ。竹田青嗣の文章があり、いわゆる「クレタ島人のパラドックス」を取り上げながら、言語のみで表された一般的命題と具体的発話の違い、要は文脈があるかないかということで、「クレタ島人のパラドックス」のような発言が現実にクレタ島人の口から発された場合には、受け手はその一般的な意味だけではなくて発話者の意図を推測して受け取ることになるから、パラドックスは実際には生じないというようなことを説明していて、なかなか明快でわかりやすい文章で、この議論は先般Mさんがブログで述べていたトロッコ問題の思考実験に対する批判とも重なり合う。ほか、前田英樹という人の文章もあって、確かこの名前は、自分としてもどこで知ったのかわからないが、ソシュール研究をしている人ではなかったかと思ったのだが、この時読んだ文章では柳宗悦民藝運動などについて語られていた。それで今、ウィキペディア記事を見てみると、確かに最初はソシュール研究者だったのだが、その後色々と幅広くものしているらしい。
 そうして授業に入ったのだが、昨日(……)先生が来なかったのに引き続き、今日は(……)先生が来なかった。(……)さんがこちらの担当する席の近くにいて、それなのにそこに講師の姿がなかったので気がついたのだが、入口近くの座席表の近くに行って、これはトラブルですねと(……)先生に向けて口にして、英語ならば受け持てるが数学では無理だと言ってどうしようかと困っていると、(……)先生が(……)さんに、今日だけ英語に変えてもらって良いかと提案して、それが通ったので、それじゃあ僕がやりますよと余分の仕事を引き受けた。久しぶりの一対四である。さすがに四人を相手にするとなかなか忙しく、英語の二人はわりあい充実させることが出来て、(……)さんも何となく満足そうな様子だったが、国語の二人の方はほとんど自分で解かせて、あまり突っ込んで確認したり解説したりすることが出来ず、漫然とした授業になってしまった。しかし四人相手だし、正直なところそこまで細かくきちんとやろうという意欲もなかったのだ。急遽受け持った(……)さんの話に戻ると、今回は動名詞不定詞の違いと言うか、動詞によってこのどちらを目的語に取るか決まっているものがあるという話をしたのだったが、そもそも彼女はまずもって、動名詞って何ですか、不定詞って何ですかというレベルの生徒なので、本当は問題も一文ずつ細かく取り上げてみっちりと解説したかったところ、しかし四人相手ではそれも難しい。多分自分は、マンツーマンの家庭教師の方が向いているのだろうと思う。そのほか、受験を控えている(……)くんは評論文がネックだと言い、学校で模試など受けていてもどうしても時間が足りなくなってしまうと言うのだが、こちらとしてはスピードを求めて読みが粗雑になるよりは、練習の内はむしろじっくりと、一文一文の意味を良く理解しようと心掛けて読んだ方が実力アップに繋がるのではないかと助言した。あとはやはり読み慣れというものはあって、読んだ量は確実に物を言う、とも告げたのだったが、そう考えてみると幼少期からの読書習慣というものはやはりとても大事である。実際、言語がすべての基礎なのであって、言語が貧しければ世界も貧しくなってしまう。
 終業後、生徒たちを見送って片付けをして退勤に向かった。入口で靴を履き替えていると室長が、ちょうど一年前に挨拶に来ましたねと言う。そう、先日日記でも読み返したが、前室長の(……)さんが辞めたのが一年前のこの時期だったので、その際、病を押して挨拶に出向いたのだった。あの時は表情がなかった、と室長は言うので、ピークのちょっととくらいでしたねと受けて、職場をあとにした。
 駅前には雨風に落とされた薄緑の葉っぱたちが、裏側を見せてたくさん散乱している。改札の横に運行情報を記した紙が掲示されており、それを見ると、青梅線は翌日は一一時から停まるとのことだった。改札を抜けるためにSUICAを機械に当てると、残額がもう四〇〇円ほどしかなくて、そろそろチャージをしなければならない。ホームに出ると既に奥多摩行きは着いていたので乗ってメモ書きし、最寄りに着いて降車すると、ベンチに寄ってコーラを買い、メモを取りながらゆっくりと飲んだ。そのあいだ雨音は高まったり抑えられたりと波があるが、しかし全体としては雨は強まりつつあるようだった。ゴキブリらしき黒く小さな影が、ホームの端を動き回っていた。
 現在時までメモを追いつかせると階段通路を抜けていき、駅舎を出て傘をひらけば足もとには楓の落葉が散らばっていて、濡れて暗いがそれらが赤褐色なのに、もう色が変わりはじめているかと木を見上げれば、しかしまだ葉は大方緑のなかに、装いを変えた気早な個体がいくつかあって、それらが早くも枝から身を離したらしい。通りを渡って坂に入れば街灯のない箇所はひどく暗くて、足もとが黒い水のなかに包まれたように視認できず、周囲からは雨音ばかりが立って響く。夜道には黒鏡が生まれて街灯の分身がそこに映りこみ、歩みについてくるかと思えばゆっくりと離れてもいき、前方に目を通すと光は道路上に長く引かれて、途中にひらいた水溜りのなかにも捕らえられて魂のように白い。
 帰宅するとリュックサックを下ろして台所に入り、カレーを確認するとまだ二人分はありそうで、隣のフライパンには茄子が炒められている。父親は風呂に入っているようだ。卓の方に移動するとテーブルの上にはこちら宛の封筒があって、何かと思って、一瞬Uさんから手紙でも来たかと思って裏返せば、A.Y子という立川の叔母の名があったので、図書カードだなと思い当たった。それで鋏で封筒を切りひらき、なかから図書カードを取り出して下階へ下りると、コンピューターを点けてワイシャツを脱ぎ、スラックスに肌着の姿で荷物をそれぞれの場所に戻した。それからスラックスも脱いで廊下に吊るしておき、Twitterをちょっと覗いてから上階に行くと父親が風呂から出ていたので、ただいまと挨拶をして洗面所に入り、ワイシャツとハンカチを籠に収めておいてからカレーを熱した。炒めた茄子の方は電子レンジで温めて、そのほか千切りにした大根とシーチキンを和えたサラダがあったので、父親からボウルを受け取ってそれも皿に盛り、卓へそれぞれ運んで座って夕刊を引き寄せれば一面に、トルコ軍がクルド人の戦闘員二二八人を殺害したと知らせがあって、本当に戦争だなと思った。ものを食べながら炬燵テーブルに就いた父親に、薬減ったぞと告げると、良かったなと相手は受ける。種類は同じで夜だけになったと説明すれば、まあ症状はまちまちだろうけど、早く回復した方かもなあと言うので、それはそうだと同意した。さらには昨年一月の変調前と比べてどうかと問われるのには、日記の詳細さという点を指標にするならばおそらくその頃よりも良くなっているし、何故だかわからないが最近は頭も結構回るようになってきたとも思うのだが、そのあたりを説明するのが面倒臭かったため、どうかな、わからんな、と曖昧に受けた。食後、水を汲んできて薬を飲み、皿を洗ったあと入浴に行って、浴室に入ると窓を開けて、雨の音を聞きながら湯のなかで、一〇時半から二〇分ほど微睡んだため、そのあいだに脳内で遊動した思考は覚えておらず、と言うか思考というほどのものは生じずに、夢のようなイメージにただ巻き込まれていたのではないか。心身は結構重たるい感じがしてなかなか湯のなかから抜け出せず、ようやく出てくると髪が伸びて厚くなっているので、それを乾かすのにまた時間が掛かる。パンツ一丁で洗面所を抜けると、湯沸かしのスイッチを切ってハーフ・パンツを履くが、見れば炬燵テーブルにまだ就いている父親は、今日は静かにしているのかと思っていたところがまだ酒を飲んだのだろうか、この時はテレビの、『ドキュメント七二時間』を見ながらまたやたらと頷きを繰り返している。何だか知らないが感動しているようで、もしかするとちょっと涙したのかもしれないという様子だったが、この感じやすさ、俗情の結託ぶりは一体何なのだろうか。母親はそんな父親に呆れたのか、既に下階に下がったようだ。こちらも室に下りて急須と湯呑みを持ってきて、テーブルの端で緑茶を用意していると、今日の『ドキュメント七二時間』は献血車に密着する企画だったようで、お前、献血やったことあるのかよと父親が訊いてきた。ないと端的に答えると、献血やれよ、大事だよと彼は言い、それからちょっとしてしかし思い当たって、薬を飲んでると出来ないんだと続けた。飲んでいても献血出来る薬と、出来ない薬とがあるらしい。
 緑茶を持って自室に帰り、LINE上でT田が、こちらがSさんのブログから引いた文章を読んだらしくて、良くもわからないけれど良い文章だと言うのでそれに返信しておき、上半身裸のままで茶を飲みながらメモを取れば一一時二〇分に達する。Mr. Bigの"Electrified"が頭のなかに流れていたので、それから英文記事を読みはじめたが、その途中で、緑茶による汗と暑さが大方引くとヘッドフォンをつけてMr. Big『Get Over It』を流しはじめた。読んだ英文記事というのは、Brad Evans and Zygmunt Bauman, "The Refugee Crisis Is Humanity’s Crisis"(https://www.nytimes.com/2016/05/02/opinion/the-refugee-crisis-is-humanitys-crisis.html)である。

・redundant: 冗長な、不要な、余剰の
・heyday: 全盛期
・trajectory: 軌道
・eke out: 辛うじてやりくりする
・concoct: でっち上げる
・eminently: 極めて、著しく
・gestate: 懐胎する
・premonition: 予感、兆候
・reductive: 還元主義の
・tenuous: 希薄な、薄っぺらな

 ちょうど三〇分読んで日付が替わる前、栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』の書抜きに入って、三箇所を写してこの本の書抜きは全部終了した。総計で三万字ほど抜いている。それから『Mr. Big』を聞きながら日記を書きはじめ、途中で自分のブログにアクセスしてみると、何やら通知が一つ入っていて、見ればSさんが自身のブログでこちらの記事に言及してくれたようだったので、有り難く感謝し、それで彼のブログに入ってざっと読んでみるが、まさか自分がSさんの最寄りに訪れていたとは知らなかった。これで行き方はわかったので、いつでも会いに行くことが出来るというわけだ。
 日記を進めながらT田ともLINE上でやりとりを交わした。俺が書いたカフカの小説の分析はどうかと訊いたのだったが、カフカの小説は読んだことがないから分析が妥当なのかはわからないが、自ら拵えた秩序を自ら乱しに掛かるというのは、音楽で言うと二〇世紀前半の作曲家たちが調性感から脱却しようとして無調を追い求めたのと似たようなものだろうかと言うので、カフカも同じく二〇世紀前半にものを書いた人間だし、まあ近いところはあるかもしれないとひとまず答えておいたのち、しかしカフカの場合はそれを構築的に予めの目的として目指すのではなくて、言語の自律性や自分の生理に身を任せた結果として自ずとそうなったような気味があると言い加えた。
 そうして一時四〇分から読書である。読書と言うか、先にも書いた通り、辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』の『城』のなかの、二〇五頁から二〇八頁に書けて繰り広げられるKとおかみとの対話を、ちょっと細かく追ってみようというわけで、分析を読書ノートに書き連ねていただけなので、従って頁はほとんど進まないうちに、両目の奥がひりついて睡気が少々滲んできたので、二時過ぎから椅子を下りて立ち上がり、景気づけというわけでもないがMr. Big『What If...』を流した。読書ノートに書き込みを終えるとほんの少しだけ先を読み進めて、三時二〇分頃に睡気に耐えかねて就床した。
 その『城』の、二〇五頁から二〇八頁の問答について。まずおかみはクラムの秘書モームスを示して、「あなたにとってクラムへ通じているただ一本の道はこの秘書のかたの調書を通っていっている」(205)と指摘する。秘書を通すことで、クラムと何らかの接触を持てる、と取られる発言だが、しかし彼女は、「その道はクラムのところまで通じているのではなく、おそらくクラムのところへ達するずっと手前で終っているのです」と但し書きをつけることも忘れない。「そのことについて決定するのは、この秘書のかたの考えによるものなのですよ」と続く発言からすると、モームスこそが、Kをクラムに繋げるか否か決める力を持っていると理解できる。
 しかし、その後Kが、「調書ができれば、私はクラムのところへ出ることが許される」のか(206)、と尋ねるのに対して秘書モームスは、「いや」と否定し、彼に「そんなつながりはありませんね」と言って、Kの期待をすげなく払いのける。おかみの言い分は間違っていたのだ。そのことを非難するように、Kが「黙ったまま、おかみを見つめ」ると、しかし彼女は、「何かそれとちがったことをわたしがいいましたか」と高飛車に返し、Kの方が彼女の発言を曲解していたのだと主張したあと、彼が「クラムに迎えられる見込みなんか、ちょっとでもないのだ、ということは前からいっておきました」と原点に立ち戻る。彼の「期待」を否定するおかみに対してKの方は、自分の「誤解」(207)を詫び、おかみの発言を「何かほんのわずかばかりの希望が私にはあるのだ」という意味に理解してしまったのだと弁解する。Kが「クラムに迎えられる見込みなんか、ちょっとでもないのだ」(206)という先の発言からすると、彼のこうした解釈は誤りだということになるはずなのだが、ところが次におかみは、「そうですよ」と受けてKの理解を追認し、「あなたにとってのそういう希望は、わたしの考えによれば、あるんです」(207)という見解を述べるのだ。これは明らかに、前言を翻していないだろうか? Kにはクラムに会えるという「希望」があるのかないのか、一体どちらなのか? 「あなたはまたわたしの言葉をねじ曲げていらっしゃるのよ」とKを非難するおかみは、その矛盾を放置したままに意見を進めて、「わたしがここでいう希望っていうのは、あなたが調書を通じてクラムと一種のつながり、おそらく一種のつながりをもつということのうちにあります」と述べる。どうやら最終的におかみは、希望があるという方に傾いたようだが、しかし奇妙なことに、「もちろん、この希望についてくわしいことは申せません」と、当然の如く言ってのける。「希望」の内実は茫漠として明らかでなく、Kが仮にクラムに会えるとしても、具体的にどうやってそれを実現するのかはわからないのだ。しかし、「調書」がそのための鍵となっているのはどうやら疑いないようで、と言うのもおかみは、「調書」によってKは、クラムの「前で話す機会」を得るのみならず、「おそらくはもっとずっと多くのことができる」だろうと主張しているからだ。しかし、この「もっとずっと多くのこと」とは何のことなのか? ここにも実に見通しの悪い純然たる不透明性が導入されているのだが、Kは当然、霧のなかを敢然と分け進むようにして、さらに詳しいことを知ろうとする。ところが、そんなKの態度に対しておかみは、「あなたはいつでも」、「子供のように、なんでもみんなすぐ食べられるようにしてさし出してもらいたがらないではいられないんですか!」と、厳しく痛烈に叱責する。しかもそれに続けて、「だれがそんな質問に答えられますか?」と反語的な問いを投げ返すのだが、これは一種の「逆ギレ」だと言わざるを得ないだろう。結局のところ、Kがクラムと会える見込みがあるのかないのか、あるいは会えたとして、それよりも「もっとずっと多くのこと」が出来るのか否か、その点ははっきりしないし、仮に出来るとしてもどのようにしてそれが実現されるのか、まったくわからないのだ。
 この対話=問答ではおかみの発言が「行ったり来たり」(『審判』)、左右に揺動し、不明瞭さと戯れるばかりで、ひとつところに確定させられることがない。言葉の意味は揺動の狭間でどちらでもない領域に取り残され、中途半端に宙吊りにされるのみである。上の例に即して述べれば、まず「希望がある/ない」の対立が提示され、意味がそのあいだを素早く行き来するうちに、「希望がある」の項の内実がいつの間にかずらされて、「希望はあるが、その詳細はわからない」という風に微妙に変容させられる。しかしこれでは、「希望はない」と言っているのと、ほとんど変わらないのではないか? 往還の動きに乗じて知らず知らずのうちに概念が変形し、意味の位相が歪められ、その実質が骨抜きにされることで、「希望がある/ない」の二項対立が空無化させられているのだ。このようにしてKは、そして読者もまた、ふわふわとした地に足のつかない浮遊性のなかに、不確定性の煉獄のなかに永遠に置き去りにされることになる。
 カフカの揺動は弁証法的に対立を止揚し、一段階上の高みに統合的な第三項を作り出すのではなく、言語は二項のあいだの往還を繰り返しながら、中性的な位置に留まり続ける。カフカの言葉は弁証法の反復によって究極的な天上の高みを目指していくのではなく、かと言って地にしっかりと足を置いてまっすぐ屹立し、安定的な歩みを運んでいくわけでもない。崇高な宗教性の領分である天空と、散文的な世俗性の世界である地上の間[あわい]、まさしく空中という中間領域に浮遊し、細かく震動しながら風船のようにどこへとも知れず漂流し続けるのが、フランツ・カフカの言語作品の存在様態だ。


・作文
 12:36 - 13:39 = 1時間3分
 13:51 - 14:08 = 17分
 24:26 - 25:25 = 59分
 計: 2時間19分

・読書
 14:09 - 14:52 = 43分
 15:18 - 16:25 = 1時間7分
 23:23 - 23:53 = 30分
 23:58 - 24:25 = 27分
 25:41 - 27:17 = 1時間36分
 計: 4時間23分

・睡眠
 4:30 - 11:00 = 6時間30分

・音楽

2019/10/10, Thu.

 鷲田 介護でも保育でも、原発でも難民でも差別でも、われわれが直面している問題の大半は答えが出ません。少なくとも一義的なソリューションはありえない。そこで、「問題」と「課題」をわけて考える必要があるんじゃないでしょうか。ここでいう問題は解決されるべきもののこと。なくなるのがいい。それに対して、課題はだれにも事態を解消することができない。決定的な解決策はない。もっとも基盤的な次元において解決の道筋がすぐには見えない、そんな難問を突きつけられている。けれど、取り組みつづけなければならない。その取り組み自体に意味がある。
 (大澤聡『教養主義リハビリテーション』筑摩選書、二〇一八年、42; 鷲田清一×大澤聡「「現場的教養」の時代」)

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 釜ヶ崎 大阪市西成区北東部、「あいりん地区」の旧称。大正中期頃から失業者、日雇労働者の滞留地となり、第二次大戦後、「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所が集中し、スラム街を形成。一九六一年の釜ヶ崎騒動を契機に福祉政策が講じられ、六六年に「あいりん地区」に改称。
 (44; 註90)

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 鷲田 これまでの日本の「教養」を考えると、それはいわば垂直方向に設定させるものでした。高等遊民的な教養主義はいわば「高み」にのぼって世界を俯瞰的に眺めようとするものでしたし、逆に旧制高校デカンショ的な教養主義はリアリティの全体を根源的に、つまり「深み」をめがけて掘り下げようとするものでした。哲学者たちによるこの「深さ」への志向は、究極の根底に遡ってそこから世界を究明しつくすという欲望によって駆られていたといえます。「高み」であれ「深み」であれ、いずれにせよ世俗的な世界の次元を垂直方向に超出しようというものだったわけです。
 大澤 さきほど裾野をひろげることで上へ向かう力を確保するという教養モデルに言及しましたが、それとは逆のベクトル、下へ下へと向かう力を増強させることが横のひろがりへと転化するというモデルといってもよさそうですね。
 鷲田 これに対置するかたちで考えてみたいのは「水平の深み」というものです。「水平の深み」というと日本語だと違和感がありますが、英語で「ホリゾンタル・デプス」だとわかりやすいんじゃないでしょうか。「デプス」には奥行きという意味もある。西洋の人は下へ降りていく深さばかりではなくて、水平にも深さを見ているんですね。その水平の深みは他者との対話のなかで現れてくる。
 大澤 そこを遮断しないことがポイントです。対話のチャンネルをひらいておく。
 鷲田 なるほどそんな発想もありかもしれないと気づくとか、この向こうにはまだなにかありそうだぞとおもしろがれるとか、それができる人は「水平の深み」を求めている。かつて教養は本を読むなかで涵養されました。読むなかで、こんな視点から社会を見る人がいたのか、死をそんなふうに捉えた人がいるのかと発見があったわけです。
 大澤 読書も他者との対話である、と。
 鷲田 それに対して、すでに知っていることを再確認するような読書はやっぱりつまらないですよ。
 大澤 対話がないですからね。独我論的な内省だけがある。
 鷲田 詩や思想書を読むなかで、自分とはまったく異なる感受性や思考に触れることによって、それまで自明だと思っていたことがぐらぐらゆさぶられる。自分の前提や基盤が不明になっていく。そういう経験が読書にはあります。
 大澤 読む前と読んだ後とで自分の組織が再編される。その結果、周囲が異化されてそれまでとはちがって見える。
 鷲田 だから、読書は他者と言葉を交わすことと地続きにある。かつて、図書館はしーんと静まりかえった場所でした。各自が黙って本を読んだり勉強したりしていた。ところがいまは、ワークショップやミーティングをおこなうブースが設置されているケースが少なくない。はじめて会った人と図書館で開催される哲学カフェで言葉を交わすことだってあるでしょうね。僕はあれをとても自然なことだと受けとめています。なぜなら、本を読む行為はそもそも会ったこともない著者と対話をすることですから。
 大澤 かつての黙考型の教養と、ここで提案している対話型の教養との差異が、図書館の新旧の変化に反映されているわけですね。
 鷲田 たしかにそうですね。
 大澤 さきほど学生たちの「重い」に言及しましたが、水平方向へと一歩踏み出すことについて、歓びよりも恐れが先行してしまっているのも気になります。
 鷲田 自分がゆらぐのが怖いんでしょうね。過剰に防御的になっている。
 大澤 変化をノイズとして処理してしまう。友だちと会話をしていても、すでにわかっていることだけを感覚的に共有しあう。それは自分の写し鏡と話をしているようなものです。そこには他者が不在です。ネット世界の構造的な傾向をあらわした用語に「エコーチェンバー」や「コクーン化」がありますが、まさにあれとおなじ。
 鷲田 レヴィナスがいうように、他者はどんなかたちであっても「ある共通の実存に私と共に関与するもうひとりの私自身」ではありません。
 大澤 まさにレヴィナスがいうその部分の「分離」があらゆる場面でできなくなっていて、読書もそうなりつつある。どこまで行っても等身大の「私」がのっぺりと広がる。だから、やせ我慢や背伸びをして、むずかしい本にチャレンジしようというモチベーションがすっかり欠落している。「教養主義の没落」とは煎じ詰めるとそういうことです。
 鷲田 教養がある人とは、たくさんの知識をもっている人という意味ではありません。そうではなくて、自分(たち)の存在を世界のなかに空間的にも時間的にもちゃんと位置づけられる人のことを指しています。つまり、自分を世界のなかにマッピングできるということ。そして、この世界を平面ではなくて立体で捉える。そのためには単眼で見ていてはダメです。奥行きがわかりませんから。立体的に見るためには複眼でなければならない。パララックス、つまり視差をもつ。いいかえると、ひとつの対象を複数の異なる角度から観察するということです。
 大澤 テーゼとアンチテーゼをすぐにヘーゲル的に弁証法的総合へともっていくのではなくて、そのギャップをまず見つめる(とはいえ、『パララックス・ヴュー』のスラヴォイ・ジジェクなら、そのヘーゲルにこそパララックスを見出すわけですが)。課題はその視差をどうやれば増やすことができるかですね。
 鷲田 そこで、自分とは異なるタイプの思想家なり作家なりの本を読むことが重要になります。著者との対話をとおしてこそ、思いもよらなかった補助線をいくつも引くことができるようになる。そうした補助線を獲得することをとりあえず教養と考えるといい。
 大澤 複眼的思考を身につけ、自分を世界のなかに位置づけ、対話をとおして補助線を多く獲得せよ。これはひとつの定義になりそうですね。
 (44~49; 鷲田清一×大澤聡「「現場的教養」の時代」)


 七時半頃覚醒。外は今日も白い空、そのなかで先日も見かけた大きな蜘蛛が宙に浮かんで、その時はまるで超自然的な力でもって浮遊しているようだと思ったものだが、この日は細い糸の軌跡が僅か目に見えて、多分これは棕櫚の木の樹冠に繋がっているのではないか。鼻水がひどく湧き、くしゃみが出て出て仕方がなかった。気温が一気に下がったためだろうか。仰向けになったまましばらくくしゃみを連発したあと、もう起きてしまおうということで布団を抜け出し、コンピューターを点けたが肌寒かったので、上着を身につけようと思って一旦上階に上がると、母親がいるので挨拶をする。仏間の簞笥からジャージを取り出したが、そっちは何だか簞笥の臭いがくっついているからこっちを着なと母親が取り出してくれた方のジャージを着込み、飯はまだ良いと言って自室に帰った。そうして早速、勤勉にも八時に至る前から前日の日記を書きはじめ、なかなか時間が掛かったもので、仕上げてこの日の日記をここまで綴ると、もう一〇時が目前となっている。ちょうど二時間ほど打鍵を続けていたことになる。
 食事へ上がって行くと、母親はもう仕事に出掛けると言う。普段は午後からのところが今日は一一時からで早い勤務なのだ。弁当があると言うので冷蔵庫から取り出して、卓に就いて開けてみると、詰め込まれた米には鮭の振りかけがまぶされてあり、ソースの染みた濃い色のチキンカツが二つ、ほか、前夜の鯖のソテーの余りなどが入っている。食べながら新聞を引き寄せると、一面には吉野彰氏のノーベル化学賞受賞の報が大きく取り上げられていて、めくってなかほどには白川何とかと言って名前を忘れたが過去のやはりノーベル賞受賞者と、こちらも受賞者である野依良治氏との電話座談会が載せられていたのでそれも読んだ。その右隣の頁、国際面では、香港情勢の情報があって、抗議運動の精神的な支柱であるような何とか言う活動家が現在は収監されているらしく、裁判所前で彼の解放を求める抗議があったとのことだ。ほか、トルコがシリア北部で軍事活動を開始したとも伝えられている。
 食後、薬はSSRIであるセルトラリンがもう一粒しかないので、余っているアリピプラゾールだけを飲んだ。食器を洗ってから風呂場に行ったがブラシが見当たらないので、ベランダに干したのだろうかと見に行けばやはりそうで、掴んで浴室に戻って浴槽を掃除し、泡を流して出てくると自室から急須と湯呑みを持ってきた。緑茶を用意するあいだ南窓に目をやれば、外の空気は陽の色を帯びて瓦屋根にも白さが乗っているが、しかしやはり雲は多くて、固まるのでなく拡散して薄いが空を大方覆って、晴れきらない半端な天気である。
 緑茶を持って自室に戻ると、寺尾聰『Re-Cool Reflections』をYoutubeで流し出し、先ほど書いた日記をまだ投稿していなかったのでブログに上げて、Twitterにも通知しておいてから何故か少々読み返し、その後寺尾聰の曲を歌いつつ、引用部を処理してnoteの方にも投稿した。そうして寺尾聰がカバーしたThe Beatlesの"I Call Your Name"を歌うと一一時、音楽はキリンジ『3』に替えてEvernoteから一年前の日記をひらいた。「(……)一冊の書物にあっては、すべてが似ていながらじつはひとつひとつ違っている森の木の葉のように、文章という文章が、立ちさわいでいなければなりません」(工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、314; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五四年四月七日〕金曜夕 午前零時)とのこと。ほか、「気分優れず。ずっと眠り続けていたいような倦怠感、疲労感。それに従って、三時半頃から床に寝そべり、部屋も真っ暗に浸された七時まで眠った」とも記されていて、実際、日記もほとんど書かれていなかった。
 さらに過去を遡り、二〇一四年一月一〇日から一一日の記事を読む。この二日はほとんど寝たきりで入院していた祖母がいよいよ危篤で危ういと言って、結局この時はまだ逝かず、命日はそれから一月後の二月七日になったわけだが、家族や親戚で病院に詰めて泊まったのだった。二〇一四年初頭の自分にしては結構上手く書けていて、死の近い祖母を前にした悲痛さも少々滲んで感じられる。

 祖母の意識は朦朧としているようだった。青白い顔で、緑色の酸素吸入器をつけていた。頭がくらくらした。体が不安の膜で密閉されたような息苦しさを感じた。父と二人で言葉も交わさずベッド脇で祖母を眺めていると、看護士が来て点滴を外した。もう管が入っていかず、入ったとしても液体がもれてしまうのだという。いよいよこれで栄養も水分もとる手段を失ったわけだった。十二時過ぎに一人でロビーへおりて飲み物を飲んだ。
 病室に戻ってすぐに母とYさんが到着した。彼女らはことさらに慌てても悲しんでもおらず、表面上はいつもどおりに見えた。本当だったら倒れたその日に失っていたはずの命をかろうじて拾って一年と五か月伸ばしてきたのだから、誰も心の準備はできているのだった。

 二時前に祖母の弟であるHさんを母がむかえにいって連れてきた。八十年近くも生きていると肉親の死にも慣れたもので、姉さん寝てんのかや、このまま永遠に眠っちまうだんべ、などと不謹慎な言葉を吐いたが、その無遠慮が無礼や侮辱にはならない親しみが言葉のうちにあった。このぶんだと朝までもつかもしれねえぞ、Iさん(祖父)が連れていっていいもんか迷ってんだ、もうすぐそこには来てんだろうけどな。
 二時を過ぎて母が持ってきたおにぎりをラウンジで食べた。病室に戻ったあとはどうにも眠くてベッド脇の車椅子に座ってなかば眠っていた。待つということは――とりわけその先にあるものがひとつの生の終わりであるときには――気力のいる仕事だった。

 六時半ごろに祖母の姉の息子であるIさんが到着した。Iさんは祖母の顔をのぞきこむと早くよくなって畑でもやりなよ、などと声をかけた。事がここにいたっているのにそのような場違いな言葉を吐くのに最初は無言で苛立ったのだが、しばらく挙動を見ているとそれも彼なりの優しさなのだと理解した。彼はI.Yさんと一緒に昔話を色々語ってくれた。祖父母の結婚前のエピソードがおもしろかった。当時はHさんが市内で乾物屋だかなにかをやっていて祖母がそこにつとめていた。そこにIさん(祖父)がよお、自転車に乗って誘いにくるんだわ、んで乗ってけよ、なんつってよ。Mさん(祖母)もうしろに乗っていっちまうんだわ、結婚前でな、二十五、六だったんじゃねえかなあ――なんということだ! あの二人にもそんな時代があったのだ。もちろんどんな老人にも青春時代はある、しかし祖父母のそれを聞いたのははじめてだったため、自分の知らなかった過去の存在がまざまざと迫ってきた。以前にも一度こういうことがあった。祖母と畑に出たときのことだった。畑の隅に立った祖母が雑草の葉を手にとり、両手で口にあてがって背すじを少し伸ばして草笛を吹こうとした、その姿を見た瞬間に、彼女が幼い子どものように見えた、想像上の少女の姿が現実の老いた祖母に重なって見えた、そして瞬時に、祖母にもこういうときがあったのだということがなかば衝撃とともに感得されて、泣きそうな気分になった。無邪気に草笛を吹いていた少女の時分から数十年もの時を重ねて、それらの厚みを背負って祖母はそこに立っているのだった。今やそのときと同じことが起ころうとしていた。実際には写真ですら見たことのない若かりしころの祖父が祖母を迎えに来て、幸せそうに二人で笑いあう情景が脳裏に描かれた。感傷を禁じ得なかった――なぜ過去は過去であるというだけでこんなにも美しいのか!

 続けてfuzkueの「読書日記」である。。九月二三日の記事が、「鉄風が鋭くなって町を蹴散らしていったから看板も倒れて」という始まり方で書かれており、「鉄風」というのは聞き慣れないが良い語だな、俺もいつか使おうと思って、一般的な語なのか検索してみると、どうもNumber Girlが元ネタらしい。Number Girlというバンドの名前は色々なところで見聞きするが、その音楽を聞いたことは一度もない。キリンジの曲を口ずさみながらAK氏の日記を読み、それからSさんのブログにもアクセスして、読むあいだ、どこの記事のどの文章に触発されたというわけでもないのだが、自分の文章は多分わりあい明晰な、そこそこ綺麗に分節されているものだと思うが、これから長く書き継いで行くうちに、もっと明晰さを突き詰めていって、それが極まったところでかえって混迷の淵に落ち込むような、そんなものを書きたいなと考えた。しかしそれからちょっとして、それは結局、ムージルであり、古井由吉なのだろうかとも思った。音楽が六曲目の"エイリアンズ"に差し掛かると、裏声でメロディを合わせて歌う。際立った甘やかさと、ほとんど嫌らしいようなねちっこさと言うか粘っこさ。
 九月二三日の「食事」という記事は、引用はしないが面白く、大変失礼ではあるのだがSさんの年齢や老いに関する自己卑下は笑ってしまう。九月二五日には次のような記述があって、ほうほう、そうなのか、そういうこともあるだろうなあ、とこれも面白く見た。

録画一覧にある濱口竜介「PASSION」のラスト近くの箇所を妻がサーチして、なぜかそこだけ再見していたのを、帰宅した自分も観ていて、現恋人からすでに愛されてないかもしれない彼女と、その彼女を今までずっと好きだったけどそのことは黙ってた男とが、たまたま二人居合わせた夜明けの工業地帯の駐車場みたいなだだっ広い場所で、男からしたら、もしかしてその彼女を自分のものにできるかもしれないという予感というか根拠ないけどほぼ確信みたいなのが男にはあって、そのときの男が女に言うセリフが、相手の身体の部分、部分、部分を、やたらと褒めたたえる、まさに雅歌形式になっていたのが、妙に印象に残った。で、女もまんざらではなさそうだし、いい感じだし、ぎゅっとハグしてキスして、完結じゃん、おめでとう!みたいなところまでくるのだ。

魅了されている相手に、もう俺の気持ちを開放してしまっていい!と思った時に、「雅歌」的な言葉が出てくる。すなわち相手を"対象"として、その部分部分が、一々美しい、それらの一々に私は魅了されていると、それを他ならぬ相手に直接伝えるという、そういう短絡が生まれる。もっとも相手に近づきたいときに、その相手をあえて消してしまって、部分としてとらえたくなる。俺はこうだったんだとわけのわからない虚空に向かって放つばかりになる。
(「at-oyr」: 「雅歌」 https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/09/25/000000

 音楽はその頃、"あの世で罰を受けるほど"が流れていて、この曲はある種のダサさ野暮ったさに満ち満ちていると言うか、実に好ましいB級感が溢れている。しかし、「蝙蝠飛び交って広場」という言葉遣いはちょっと面白く、文章にも応用出来るのではないか。決め台詞的な「乱れ髪サスーン」も面白く、馬鹿馬鹿しいものではあるがちょっとなかなか思いつかないだろう。「サスーン」という横文字は意味不明だが、おそらくヘアブランドのVidal Sassoonを取っているのだと思う。
 Sさんのブログの九月二八日の記事には、「"アビイ・ロード"は「信じられないようなことが起きてしまった」という、愕然とした気持ち、まったく新たな地平に至った高揚と、二度と元には戻れない喪失感との混交であり、一度限りの特別な一瞬だ。にも関わらず、それは録音されたもので、いつでも再生可能なのだ。このことの不思議さ」という文言が書きつけられており、ここを読んだ時、先日非常に面白く読んだ岡崎乾二郎Bob Dylan論のなかにも似たようなことが書かれていなかったかと記憶が刺激されて、日記を遡って次の記述を発見した。もしかすると全然似ておらず、まったく違う事柄なのかもしれないが。

 実際、これは写真にベンヤミンが見いだした問題と同じでした。ベンヤミンはこう分析したわけでした。言葉の意味が、それを発した話し手とそれが向けられた受け手の関係として確定するように、写真も見る者と見られる者との間のまなざしの交換によってはじめて意味を成立させる、ひとつの言葉である。つまり写真はもともとは言葉同様、見る者、見られるモノの関係の上でなりたつパフォーマティヴなメッセージである(あった)、けれど、そのパフォーマティヴなメッセージを成立させた場所はもはや失われている。ベンヤミンは話し手と受け手の関係が成り立つ場を、アウラギリシャ語で「風」の意味)―いわば、話し手と語り手のあいだに吹いている風と呼んだわけです。写真にはこの風がもう吹いていない。いや吹いているのを感じても、実際にはそれが吹く場はいまやどこにもない非在の場である。そこに写された人物の視線が本来向けられていた人は、もうここにはおらず、そもそもこちらにまなざしを投げかける、被写体としてそこに映っている当の人物がもうここにはいない。にもかかわらず写真の上には、まだ誰かに向けて何かを訴えかける視線のみが残っている。視線は宛先を失った「風として、まさに宙をさまよっている」。
 写真はこうして、行き先のないパフォーマティヴなメッセージとなる。いいかえればそれはコードを持たないメッセージというより、コードを位置づける場所なきメッセージである。写真を見る人はゆえに、この非在の場所を想起してしまう。写真のイメージとは、この非在の場所そのものの想起である。どこか、いつか、きっと見たことがある、見たかもしれない、見ただろう、確実性と非在性がイメージとして重ね合わせられる。
 ポップ・ミュージックも同じです。録音を通して聞くのは、確かにそれがあった、行われた、そういう場があったという、ある場所全体、その出来事全体への追憶です。そしてそれは聞くたびに繰り返される。言い換えるならば、古くから歌が持っている機能――歌うたびにその場が再生される――がそこには確かに保持されている。つまりレコードに録音された楽曲はすべてパフォーマンス、パフォーマティヴな上演として受け取られる。

 一〇月二日の「おまかせ」も面白く、寿司屋で近くの男女の会話を盗み聞きして彼らの様子や言動を批評するSさんに、やはり思わず笑いを漏らしてしまう。音楽はじきに最後の"千年紀末に降る雪は"に至ったが、これはやはりだいぶ凄い曲ではないか。堂々とした風格があり、名曲と言っても良いのかもしれない。それで誘われて、立ったまま背をちょっと曲げ、机上に頬杖を突きながら歌ってしまい、アルバムが終わると次にものんくる『RELOADING CITY』を掛けた。Sさんのブログは九月一三日の分から読みはじめたのだが、このままの勢いで一〇月七日の最新記事のすべて読んでしまおうと興が乗って、実際読み通したのだがその邁進に無理がなく、疲労もせず、最近どうも文を読むのも以前より何だか速いようで、あまり難解な文章でなければするすると読めて、何故かわからないがMさん言うところの「認識の解像度」が上がっているような感じがする。反動が怖い。
 ものんくる『RELOADING CITY』はどの曲も整って全体に魅惑的な佳作だが、まずは前にも書いたけれど二曲目の"夕立"の、「温かい雨が突然降り出し/夏の銀河系の音を奪った」という一節、この美的なイメージのなかに「銀河系」という硬めの、三字で構成された漢語を挟むのが良い。次の"アポロ"はポルノグラフィティのカバーだが、Extremeのアルバムからバンド名を取ったポルノグラフィティというグループは、この曲がデビュー・シングルだというのは、歌詞にしても楽曲にしてもなかなか凄いのではないか。歌詞のなかでは特に1Aの、「みんながチェック入れてる限定の君の腕時計はデジタル仕様/それって僕のよりはやく進むって本当かい? ただ壊れてる」の肩透かし感と言うか、ほとんど何も言っていないような感じの意味の薄さが良く、2Aの同じ箇所に当てられた「大統領の名前なんてさ 覚えてなくてもね いいけれど/せめて自分の信じてた夢ぐらいはどうにか覚えていて」の意味の濃さ、率直なメッセージ性、穿った言い方をすれば「ちょっと良いこと言ってやったぜ」感と比べればそれはより明瞭に強調されるだろう。ものんくるのカバーを流すと、Youtubeにアクセスして本家ポルノグラフィティが演じた"アポロ"のライブ映像を見た。続けて関連動画で自動的にMr. Children "光の射すほうへ"も始まったのでそれも見て、さらにポルノグラフィティに戻って"サウダージ"も閲覧すると、Youtubeは閉じてものんくるに戻り、一時直前から椅子に座って辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読みはじめたところが、さすがに眠りが三時間では致し方ないことで睡気が湧いて目の奥に麻痺感が滲む。それで睡気を振り払うために椅子から下りて立ったまま書見を続け、しかしたびたび読書ノートにメモを取ったのでなかなか進まず、一時間二〇分掛けて一〇頁しか読めなかった。
 『城』の一七九頁では、Kが会いに行った村長が、官房長クラムからKに寄せられた手紙を取り上げて自らの「解釈」(179)を披露し、Kが測量技師として採用されたことを知らせるものだと思われていたこの手紙が、その実意味のあることはほとんど何も言っていないのだ、ということを解き明かしてみせる。この手紙に関しては以前の感想でも既に取り上げて、文言の真意について思い巡らせるKの熟考(148)は、作者カフカが自分自身のテクストを自ら読み解きながらその射程を押し広げている自己解釈にほかならず、そこにおいてカフカは言わば自分自身の批評家と化しており、作品の言語のなかで読み手としてのカフカと書き手としてのカフカがほとんど一致しているという論を述べたが、一七九頁では村長の口を借りて第二の自己解釈、つまりは意味の更新が導入されている。それは上で触れたように単なる更新と言うよりは、意味の無効化、空無化と言うべき所業なのだが、しかしこれはあくまで村長が考える手紙の一つの「解釈」に過ぎないこともまた確かだ。カフカの小説ではこのように、複数の「解釈」だけが乱立して、そのなかのどれが正解なのか、真相はいつまで経っても明らかにならないのではないだろうか。曖昧模糊とした不確定性、あるいは風に触れられてざわめく無数の葉叢の震えのような意味の揺動がそこにはある。
 手紙の意味を無に帰して、我々は測量技師など必要としていないと口にする村長の主張に対してKは、彼が到着したその晩に、シュワルツァーという執事の息子が、フリッツという名の城の下役の元に電話で照会し、「私が土地測量技師として採用されたという知らせをもらったのです」(179)と指摘してみせる。ここで物語内の過去の事実と、村長の発言とのあいだに明確な矛盾が発生する。発生する、と言うか、このことは物語の前の部分、一三六頁に既に書きこまれていたのだから、作者カフカはここで読者にそれを想起させ、自ら矛盾のありかを指し示してみせているのだ。しかし、作品中に矛盾が生まれようともカフカは怯まず、それを少しも問題とせず、後付けの強引な理屈によって前の記述の意味を書き換えてしまう。カフカの作品は、ほとんど矛盾が生まれることを前提として書き連ねられているかのようだ。その葛藤は、弁証法的に止揚され解決されるのではなく、水平的にずらされ、新たな意味体系のなかへと移行させられるのだが、その新たな秩序のなかでもいずれふたたび矛盾が発生してしまうのだ。この横滑り、意味の脱臼はいつまでも続く。カフカの小説は意味と意味との絶え間ない闘争である。そこでは対立する意味のどちらか一方が勝利を収め、敗者が退けられて勝敗と優劣の関係が確定されるのではなく、意味は絶えずずらされ、書き換えられて、闘争ははぐらかされる。
 上のような事柄を読書ノートに書きつけながら、意味の「闘争」などという言葉を使ったものだから、カフカがノートに書き込んだ例の有名なアフォリズム、「おまえと世界との闘いにおいては、かならず世界を支持する側につくこと」(飛鷹節訳『決定版カフカ全集3』(マックス・ブロート編集)、新潮社、1992年、33)を思い出して、カフカの小説言語の運動様態とこのアフォリズムとを結びつけて論じられないかと頭を回したのだが、適切な文脈が構成されないままにひとまず食事を取りに行くことにした。上階へ行って台所に入り、朝には卵と茗荷の汁物が入っていた小鍋に水を注ぎ、火に掛けて、まだ少しも熱くなっていないのに早々とレトルトカレーのパウチを入れて、それでベランダに移動して洗濯物を取り込んだ。それからすぐに、タオルを畳んだのだったか? それともそれはのちのことだったろうか? どちらでも良いのだが、タオルを畳みながらカフカの言葉について考えた記憶があるから、多分先だったのだろう。まずもって、「世界」と、「おまえ」と呼ばれる人間主体とのあいだには地位として歴然たる差があり、「世界」は明らかに主体よりも遥かに膨大で、抗う術も与えず人間を外から包み込むような資格を持つ強大な概念様態である。「世界」と人間とはどうあがいても対等に扱うことなど出来ず、言語上の操作としてその非対称な二項を対立させて両者が均衡するかのように装うことは端的に言って主体の不遜であると、人間存在の馬鹿げた尊大さをそのように批判したのが確かニーチェだったと、どこかでそう聞いたような記憶が薄ぼんやりとあるのだが、それを踏まえて、「世界」と人間との「闘い」においてとてもではないが人間が勝利する見込みなどあるはずがない、そもそも完全に非対称な二項のあいだに「闘い」など初めから生じようもない、人間は抵抗を許されず単に世界に飲み込まれるばかりのちっぽけな存在である、と考えるならば、カフカの言葉は単純素朴に、ただ「長いものには巻かれろ」と言っているに過ぎないことになってしまう。しかしそんなはずはない。次に、「世界」と人間との非対称性を一旦脇に措いて、そのあいだの「闘い」において仮に人間側が勝利する可能性がある程度確保されていることを前提として、この闘争において主体が勝利するには、敢えて闘争相手の「世界」の側に加担しなければならないのだ、そのような経路を辿る逆説的な形でこそ人間の勝利が実現されるのだ、という意味内容を仮構してみるにしても、結局これも、「急がば回れ」という昔ながらの諺に単純に集約される以上のことは言っていないように思われる。この二種類の読み方はいずれにせよカフカの言葉を単なる世間知に還元してしまっているわけで、そのような矮小さよりももっと深遠な意味を無論こちらは掘り出したいわけだが、そして出来ればそれを「意味のはぐらかし」というカフカの言語運動の主要な特徴と結びつけて考えたいわけだが、しかし、タオルを畳んでいるこの時間のあいだでは適切な思考が固まらなかった。じきに台所で湯が沸騰してカレーが温まったので、大皿に米をよそって調理台の上に置き、カレーを取り出す前に食器乾燥機のなかを片付け、それからパウチの先端を摘んで火傷しないように持ち上げて、鋏で口を切りひらいて中身を米の上に注ぎ掛けた。チョコチップの混ざった細長いスティックパンをともに卓に持って行って、部屋から持ってきたカフカ全集をティッシュ箱に立てかけてひらき、カレーを食いながら言葉も食べる。
 カフカの小説は、物語が進行するごとに矛盾点がどんどん増えていくかのようだ。先の感想に綴ったように、一七九頁においてKは、一見すると彼の採用を知らせている官房長クラムの手紙は実質的には意味を持たないと主張する村長に対して、下級執事の息子が城に問い合わせて、Kが測量技師として雇われたという報を受け取ったのだと指摘してみせる。「村長さん、あなたはこのことをどう説明されますか」と挑発的な投げかけでもってKは台詞を締めくくっているのだが、それに対して村長は、「きわめて簡単です」と、まったく動揺せずに自信満々に応じてみせる。しかしそれに続けて繰り出される彼の言い分は奇妙なもので、城とのあいだの「電話が伝えてくれるただ一つの正しいこと」は、城の人間たちが「たえまのない電話をかける」ことで生まれる「ざわめきや歌声」のような響きだけなのであり、「そのほかのものはまやかし」なのだと言う。また村長は、城の役人がともかくも与える返答は、仕事に疲れ切った彼らが単なる気晴らしで、「ただの冗談にすぎない返事」を答えているだけなのだとも主張する。ところがそれに対してKが、「私はこの電話の話というものをたいして信用していませんでしたし、まさに城のなかで経験したり獲得したりすることだけがほんとうの意味をもつのだ、といつでも考えていました」と応じたすぐあと、「いや」と村長は否定し、「そういう電話の返事にはほんとうの意味があるんですよ」と述べる。「城の役人が与える知らせが、どうして無意味なはずがあります?」と彼は反語的に問いかけるのだが、これは先の発言と明らかに矛盾しているように見える。前の部分では、役人の電話にはほとんど何の意味もないようなことを言っていたはずなのだ。しかし反語のあとに続けて村長は、「つまりこうした言葉はみんな公務上の意味はもっていません」、そうではなくて「個人的な意味」を持っているのだと意味秩序の新たな分類を導入する。これはまったくもって嫌らしいような、うねうねと蠢いて手から逃れる鰻のように詭弁じみたやり口なのだが、それを受けて文章を遡ってみると、確かに彼は前の箇所で、電話越しの役人たちの返答が完全に「無意味」であるとは言っていないのだ。縺れた論理の隙間に僅かにひらいた抜け道を、針の穴を通すようにしてくぐり抜けて記述の意味を攪乱してみせるこの振舞いは、言わば法を骨抜きにする悪徳官僚の手口である。
 さらには第六章に移ると一八四頁から一八五頁において、「橋亭」のおかみは、フリーダのみならず、自分も過去にはクラムの「恋人」(185)だったという新事実を明かしてみせ、彼女が今身につけている「ショール」(184)も「ナイトキャップ」も、実はクラムからの贈り物なのだとKに話す。しかし、おかみはこれよりも前の対話のなかで、 「クラムにほんとうに会うなんていうことは、あなたにはできっこありません。(……)というのは、わたし自身だってできないんですもの」(165)と言っていなかったか? 「クラムはけっして村の人とは話さない」のではなかったのか? 一六七頁では彼女は、「クラムについてはわたしは今でも何一つ知らないのです」とも述べている。それなのに彼が使者を送っておかみを呼びにやり、自分の「恋人」として贈り物を与えたというのは、明らかに矛盾しているように思われる。一体どちらの証言が真実なのか?
 このように、カフカの作品は物語が進むにつれて新たな矛盾点が次々と露わになっていく。と言うか、カフカの書きぶりは、ほとんど矛盾を生み出し世界を混濁させるためにこそ文を書き連ねているかのような印象すら与えるものだ。彼はその矛盾点を放置したまま、一所に留まり滞留することなく続々と新しい言語を紙の上に刻みつけていく。時に気まぐれな手つきで理屈を捏ねて、意味の辻褄を合わせようとするが、しかしそれによってまた新たな矛盾が発生する。修繕の作業が同時に別の箇所をほつれさせてしまうのであり、彼の織物[テクスト]において、繕うこととほつれることとは表裏一体の事態と化している。従って、通常の文学的基準からすると、カフカの小説は明らかに失敗しているのだろう。しかし実のところ、彼はその破綻的な失敗によってこそ、逆説的に彼の文学を成功させているのだ。どういうことか? カフカの言語世界の様相は迷宮的であり、通路の壁が膨大な数の鏡で埋め尽くされて光が複雑怪奇に乱反射する迷路のようなもので、無数の鏡像のなかで読者は困惑の淵に落とし入れられ、真実に辿り着けずに自らの位置を見失って途方に暮れるほかはない。互いに互いを打ち消し合って矛盾と葛藤を重ねる意味の乱反射によって、カフカの小説は全体としてはほとんど何の意味をも成さず、確定的なことを何一つ証言してくれない。そこに存在するのは、執筆行為の主体であるはずの作者をも予想も出来ない方向に強引に引っ張っていく自走的・自律的な言語運動の痕跡のみであり、それによって描かれるのは、まるでやんちゃな子供の落書きのような、あるいは風邪を引いた幼児が発熱のなかでうなされながら体験する悪夢のような、壮大な言語迷宮だけである。つまり彼は、何か明確なものを書くことに失敗しており、その小説は総体として何をも言い伝えることがないが、しかしかえってその破綻によってこそ、カフカは目的語を排除した純粋形態としての書くことを、書くという行為の自動詞的様態をほとんど完璧に体現しているのではないか。ここで想起されるのは勿論のこと、カフカの『城』から遡ること七〇年前に、ギュスターヴ・フローベールが恋人宛の書簡のなかに書きつけた例の有名な文言だが、あの名高い「なんについて書かれたのでもない書物」という命題、「ほとんど主題がない、あるいはほとんど主題が見えない書物」を書きたいというフローベールの悲願を、それから七〇年を越えてフランツ・カフカは密かに受け継ぎ、意図してか意図せずにか、実現してしまったように思えるのだ。

 ぼくが素晴らしいと思うもの、ぼくがつくってみたいもの、それはなんについて書かれたのでもない書物、外部へのつながりが何もなくて、ちょうど地球がなんの支えもなしに宙に浮いているように、文体の内的な力によってみずからを支えている書物、もしそんなことが可能なら、ほとんど主題がない、あるいはほとんど主題が見えない書物です。(……)
 (工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、101; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年一月十六日〕金曜夕)

 ――とまあ、概ねそのようなことを考えながら文を読んではものを食い、食べ終えるとカレーの滓がこびりついた皿を台所に運び、流水を落としてその滓を流し、まだ何か食べたい感じがして冷凍庫を探ればハンバーグがあるが、さすがにこれを食ってしまってはなと遠慮しているうちに、野菜と梨があったのを思い出して上段を開け、二品を取り出し箸も持って卓に戻った。カフカの文を読みながら、ドレッシングを掛けて食ったサラダには、茗荷がふんだんに含まれていた。食後、食器を洗ってから吊るされた下着を畳んでソファの背の上に置いておき、下階から道具を取ってくると緑茶を注いで、塒に戻れば飲みながらメモを取って三時を越えた。
 本来ならすぐにも日記を書き足すべきだが、何となく茶を飲んでいるあいだは文を書くのでなくてものを読もうとそんな気が勝って、「週刊読書人」から臼杵陽×早尾貴紀「「大災厄(ナクバ)」は過去ではない イラン・パペ『パレスチナ民族浄化』と米・エルサレム首都承認問題」(https://dokushojin.com/article.html?i=2694)の記事をひらいた。音楽はSarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』で、例によってこのアルバムの"Autumn Leaves"があまりにも素晴らしくて、ボーカルの高度なスキャットを下手くそに真似して声を出す。

早尾  これは聖地管理権を巡る問題なのですが、宗教紛争ではない、ということを明確にする必要がありますよね。パレスチナにおけるアラブ人対ユダヤ人の争いは、イスラームユダヤ教の教義上の対立では決してない。これを二〇〇〇年来の宗教対立として語ることには問題がある。あくまで軍事占領の問題であって、植民地主義や人種主義といった、政治のタームで語るべき出来事だということです。この点については、臼杵さんは、政治と宗教をどのようなバランスで語るべきだとお考えですか。

臼杵  そもそもヨーロッパの列強が、聖地の争いとして、宗教を利用してパレスチナに入ってきたということなんですよね。先ほどユダヤ教の「嘆きの壁」の話が出ましたが、エルサレムには他に、イスラームのアル・アクサー・モスクと「岩のドーム」、キリスト教の「聖墳墓教会」と、三つの聖地があります。聖墳墓教会イエス・キリストが十字架にかけられた場所で、十字軍以来、とりわけカトリックの信者たちはその場所が欲しくて仕方がなかった。十字軍は聖地奪還の闘いに挑みます。ただ、聖フランチェスコはスルタンと会ったりしています。そして聖墳墓教会の中にはカトリックギリシャ正教会とが、同じように礼拝場所を持つことになりました。そこからさらに、キリスト教の聖地を、キリスト教の宗派間で争うということになっていきます。それぞれ、カトリックはフランスが支援し、ロシア帝国ギリシャ正教を支える。プロテスタントなので、聖地に関われない英国教会は、ユダヤ教徒を利用する。そのようにして、列強の対立の構図が出来上がっていったのです。
 いってしまえば、バルフォア宣言などは帰結であって、それ以前からイギリスは、パレスチナユダヤ教徒を利用することを考えていたんです。これは政治であり、決して宗教紛争ではない。このことは明確にしておかなければならないと思います。

早尾  詰まるところ、ヨーロッパ列強の利権を巡る紛争であると。

臼杵  実は日本の幕末とも同じ構図なんですよね。幕府側をフランスが支え、薩長をイギリスが支えて闘った。徳川慶喜が素早く大政奉還していなかったら、日本は内戦になって、クリミア戦争や中国のアヘン戦争のように、国が列強に分断されることになったでしょう。

臼杵  付け加えると、これはイギリス帝国の第二次世界大戦、特にスエズ戦争以降の衰退史でもあります。最も大きなものに四七年のインド・パキスタン分離独立があり、その対応措置をパレスチナにも踏襲したところがありました。
 イギリスは三九年までにパレスチナ白書を出して、バルフォア宣言を事実上否定し、パレスチナユダヤ人国家にするという構想を捨てています。つまり形式上、イギリスはシオニストには協力していない。ただ事実として、パレスチナ委任統治から手を引いて後、イギリスが何もしなかったことで、シオニストたちのやりたい放題を許し、ユダヤ人国家設立へのプロセスが作られていきました。 
 『パレスチナ民族浄化』では、例えばイギリスの軍人オーデ・ウィンゲートが、パレスチナシオニスト部隊の基礎を作ったことが指摘されています。「ユダヤ人国家という理念は軍事主義や軍隊ともっと強く結びつけなければならない」、あるいはイギリスの軍曹から「無防備な村人を襲撃するための」銃剣の使い方を教わったと。そうして作られたイスラエルの軍事部門ハガナーの「暴力的視察」によって、アラブの民衆はまるで物のように撃たれ、獣のように郷里を追われます。
 つまりパレスチナ問題には、イギリスの無政策がまずあり、その上で国連による現状を全く無視した無責任な分割決議があった。当時の国連加盟国が、パレスチナの現状についてどれぐらい理解していたかといえば、ほとんど何も知らなかったでしょう。そういう中で、虐殺・追放等の暴力的行為により、既成事実としてユダヤ人の土地がどんどん確保されていきました。多くのパレスチナ人が殺され、あるいは暴力的に土地を追われることになったのは、国際社会のせいだともいえるわけです。

早尾  イスラエルに対する批判をかわす道具の一つとして、政治的にホロコーストの悲惨さ、犠牲者の語りを導引していくわけですね。アイヒマンという「極悪非道のナチスの幹部」を、エルサレムで裁判にかけることで、もう一度ホロコーストへ世界の注目を集め、ホロコーストがあったからこそ、今イスラエル国が必要なのだ、という物語を再構築していった。
 ホロコーストアンタッチャブルな出来事ですから、それを持ってこられたら国際社会は、イスラエルを批判しにくくなる。しかし例えばハンナ・アーレントは、アメリカに移住して、シオニズムから一定の距離を取っていたので、そのことが白々しく見えた。それで『エルサレムアイヒマン』を書いたところ、シオニストのコミュニティから激しくバッシングされ、論争になっていくわけです。
 アーレントユダヤ人で、しかもナチス政権から亡命してきた経験があるからこそ、その語りを見過ごしにできないところがある。それはイスラエルユダヤ人歴史家であるパぺにも重なるところがあります。

臼杵  イラン・パペの存在の重要さとは、ユダヤイスラエル人でありながら、イスラエルのたくらみを暴いたところですね。それで嫌がらせを受けて、イスラエル北部都市ハイファにある大学を去らざるを得なくなったようですが。

早尾 それから、イスラエルは、東西エルサレムを統合したといっていますが、東エルサレムに住むアラブ人を国民とは認めていないんですよね。つまり彼らは無国籍なわけです。東エルサレムの土地は欲しいけれど、非ユダヤの人口は増やしたくないと。パレスチナ人が現在もなお、そうした状況に置かれているということは、もっと一般に知られるべきことだと思います。パレスチナ人の人口を抑制し、ユダヤ人の人口比を高めるため、書類上の難癖をつけての国外追放や家屋破壊も、最近いっそう目に余るようです。ミクロな形での追放政策は、依然として継続しているといえます。しかし何もかもご都合主義でまかり通っているのを、国際社会は容認してしまっている。それがトランプ政権の今回の政策で、既成事実として追認されていく流れにあるということです。

臼杵  イスラエル・アラブと呼ばれる、イスラエル国籍を持ったアラブ(パレスチナ)人は二〇%ほどいるわけですが、この人々が、イスラエル側からすると、政策の障害になりますよね。だからこそ、国内で反イスラエルデモが起これば、銃で平然と撃ってでも徹底的につぶす。自国民であるパレスチナ人を、撃つわけです。敵対行為を名目として、イスラエル国籍を合法的に剥奪できるようにもなってしまいました。恣意的に国籍剥奪できるようになったら、いよいよイスラエル国内の残るパレスチナ人の存在を抹消していく方向に進みかねない。脅威です。民族浄化は決して、七〇年前の話ではなく、現在のイスラエル国内の問題として続いています。

早尾  ヨーロッパ系ユダヤ教徒が支配層である社会の中では、アラブ系のユダヤ教徒は、二級市民として劣等感を植え付けられています。そのためにとりわけ自分のことを「ユダヤ人」であると規定し、マジョリティの側に同化しよう、上昇しようという心理が、強い反アラブ感情を引き起こすことがあるのではないでしょうか。自分の中にアラブ的要素があるからこそ、ダブル・アイデンティティゆえに、それをできるだけ払拭しようとして、反アラブ、反パレスチナ感情が生まれるということがある気がします。

臼杵  そうかもしれません。この本の中でも強調されていますが、ドゥルーズやチェルケス、ベドウィンといったマイノリティの「民族」は、もとはアラブ人ですが、イスラエルに協力し、兵役の義務を負うことで、立場が引き上げられることがありますから。

早尾  「分断して統治せよ」といいますが、アラブ人を弱体化させ、効率的に統治するためには、その団結を崩すことが、第一なんですよね。ドゥルーズやチェルケス、ベドウィン、それからクリスチャン。そうしたマイノリティは、徴兵の代わりに得られる権利がある。逆にそれ以外の大半のムスリムは、徴兵がない代わりに権利も与えられない。例えば奨学金やローン、公務員就職や大企業就職枠など、生活の安定に密接にかかわる権利です。
 一方、ドゥルーズベドウィンは、アラブ人社会に通じているので、占領地で最前線に立たせたり、アラビア語ができるので尋問をさせたり、といった利用価値があります。その代償としてユダヤ人の支配層に近いポジションを与えられる。ですから、一般のムスリムからは裏切りと見られたりもする。支配層は格差を利用し、分断統治を行うということです。そして様々な種類の緊張と不満が、イスラエルには燻っていると想像されます。

 そうして対談を読み終えると、三時半前から日記に取り組み、音楽はSarah Vaughanが終わるとscope『自由が丘』に移し、一時間のあいだ文を綴るとそろそろ出勤の時間も近いので切って階を上がり、便所で糞を垂れてから出てくるとジャージと肌着を脱いでボディ・シートを一枚取った。上半身を拭き、肌着を身に戻して、ベランダ前に吊るされたワイシャツを取って袖を通しながら階段を下り、自室で仕事着に着替えた。スラックスはベルトをつけたままにしている灰色のもので、これは父親から借りているちょっとサイズの緩いやつである。それを履き、廊下の鏡の前で水色のネクタイをつけると、今秋初めてのことだがベストを羽織った。そうしてカフカの文に目を落としながら歯磨きをして、口を濯いでくると四時四〇分、出勤までに残された猶予はあと二〇分である。その時間で日記を出来るだけ書き進めようと思ったが、先に書いた感想と言うか分析と言うかよくわからない文章を読み返して、推敲というほどのこだわりはないが文言を調整しているうちに、少しも進まず時間がやって来た。
 部屋を出て上に向かいながら、朝から続いて鼻水が出やすく、鼻のなかが水っぽい。上階の仏間で靴下を履くと玄関を抜け、ポストに寄ってなかのものを取れば、夕刊と一緒に市役所からの通知が入っていた。何の用件なのかは良くも見なかったし知らないが、父親が自治会長なので時折りこうした茶封筒が送られてくるのだ。それらを玄関内に置いておき、扉の鍵を閉めて道へ、歩いていくと鵯の声が立つ林の、その奥の方から竹に斧を入れているような、あるいは木材を叩くような音が伝わってきて、上の方で家でも造っているのだろうか。鼻を啜りながら道を行けば、Kさんの奥さんがちょうど玄関のところにいたが、こちらが近づく前になかに入って鍵を閉めてしまった。その先で老人が二人、歩いていく仲間の一人に声を掛けながら見送っており、残っているうちの一人は知らないが、もう一人はNさんだろうと近寄っていくと、こちらの知らない方の人がこんにちはと挨拶を掛けてきて、Nさんも続いて振り向いたのでこちらも挨拶し、頭を下げて通り抜けると後ろから、あの、Fさんの息子さん、とNさんがこちらの素性を教えるのが聞こえたので、背後に顔を向けて笑みと会釈を送った。今はこっちから通っているんですか、とNさんは声を張って問いを投げるが、その意図するところが良くわからなかったので一旦はい? と疑問符で受け、同じ質問が返るのに実家にいるのかという意と察して、はい、と答えて、行って参りますとまた会釈をすれば、これからお仕事ですかとまだ続くので、はい、塾なので、夕方から、と応じて別れた。坂に入って上っていると、途中で林の彼方から独特の節回しの声が伝わってきて、あれは焼き芋屋ではないか、それとも竿竹屋かと迷ったが、続く声に耳を寄せれば確かに焼き芋売りの呼び声で、季節がもうそれほど進んだかと思えば、身を包む空気もベストを羽織って丁度良い涼しさである。坂道は静かで、虫が減ったのではないだろうかと、秋虫は九月がピークだろうかと耳をひらき、それとも夜からまた旺盛に鳴くかと思って坂を出ると、ちょうど焼き芋売りのトラックが表道を通ったが、赤やら青やら色とりどりの電飾を備えた装飾のいくらかけばけばしいようで、今時の焼き芋はあんななのかと見て横断歩道のボタンを押した。足もとには名前も知らぬ葉が生えていて、緑地に赤で蝶の翅のような文様が入っているのが珍しい。通りを渡って駅の階段通路を上りながら目を上げると、近間の梢の連なりを透かして向こうの北西の空の低みが明るんでいるが、しかしその他の領域は大方埋められているその雲の、敷かれたあとに踏まれて溶けかけ崩れだした雪の灰色と水っぽさである。ホームに入ってベンチに座ると、手帳を取り出しメモを取りはじめた。虫声多し、そのなかで文言を書きつけているとじきに電車がやって来たが、最近はメモを取るのに夢中で立ってホームの先に行く間も惜しいから、今日もベンチから移動せずに目の前から乗り、揺らされながらメモを続けて終えると扉のガラスに正面から向かい合う。既に黄昏が満ちており、家が建て込んで光がない辺りでは外の景色が見えなくなって、自分やほかの客の姿ばかりがガラスに映り込んで視線を留める。青梅に着いて降り、ホームを歩いているとふと見上げた北の方角の、丘陵を従えた雲の空に昨日と同じく紫が混ぜ込まれている。それを見て階段通路へ向かいつつ、しかし文を書くということはまことに面白いものだと、ほとんど同じようなものを見てもその時によって出てくる言葉表現が違うものだからと、面白がって、苦行のような推敲に心血を注いでいるMさんなどには怒られてしまいそうだが、こちらはとても苦しみながら書けるタイプではないなと、言わば遊んでいるようなものか、そう言えば河野与一が確か田邊元から、河野くんは遊びながら哲学をやっているから困るとか何とか、そんな風に言われたという話があったなと思い出しながら階段を下った。すると正面のエレベーターから高年の、身なりのわりあい品良く確かな婦人が出てきて、その足取りが前に大きく踏み出さず、歩幅を小さくゆっくり踏むもので、足が悪いのだろうかと見れば、黒い靴下に覆われた足首の、ひどく細く鳥のようだった。その横をこちらもゆっくり抜かしていき、駅を出ればホームで見た時から一、二分しか経っていないのに、空の紫は既に薄れており、振り仰げば西の果てでは雲が切りひらかれていて、そこにも雲は敷かれているようで白いがなかに温みも混ざっている。
 職場に入ると、(……)先生がただ一人で授業をやっており、奥へ向かえば(……)先生が机に就いていたので挨拶をして、ロッカーに荷物を入れるとこちらも手近の席に座ってまたメモを取り出した。最中、電話が掛かってきて、(……)先生が取るかと思えば(……)先生が先に取って話しているその声の、思いの外に堂々と明快なリズムのある流れ方だった。こちらは手帳を机上に置いて、頁を押さえもせずに片手ですらすら綴っていって、五時四五分前になると立って準備に向かったが、今日当たったのは二人とも中三の社会で、テスト範囲を確認するくらいで特に準備することもなくて、座ってまたメモを取っているうちに六時が近づいたので入口に行った。それで生徒を待っていると(……)さんがやって来て、今日は授業がなかったはずなのでどうやら自習に来たらしいが、独特ののろいペースでサンダルを脱ぎ、スリッパに履き替えてなかに入った彼女に、ベストを着ていると指摘されたのでそうだよと答えた。もうかなり涼しいから、と言うと、四月くらいにも着てたねと続くので肯定し、だからベストを着ていないところを見た時は、誰だかわからなくなったと向けられたのには笑った。授業は(……)くん(中三・社会)と、(……)くん(中三・社会)のコンビが相手。扱ったのは公民の人権の分野などで、人権って何ですか、とか抽象的で実に大雑把な質問をたびたび投げかけて一応考えさせながら解説を進め、ワークを解いたあとも確認の質問を差し向けて、まあ二人相手だったこともあってそこそこ良くやったのではないかと思う。そう言えば、勤務が入っているはずの(……)先生が姿を見せず、彼の受け持つはずだった生徒を急遽(……)先生と(……)先生が分担して引き受けて難は凌がれたのだが、彼は以前にも一度無断欠勤と言うか、連絡を寄越さないで来なかったことがあって、忘れているのかサボタージュなのか、一体どういう事情なのだろう。
 退勤が今日はいつもより早く、先発の奥多摩行きに間に合う時間で、改札を抜けて通路を進めば、何か行進曲めいた映画音楽らしき類が流れている。そのなかを階段を上って奥多摩行きに乗り、座って何か考えが湧くかと瞑目して脳内に目を寄せたが、特に大したことは浮かび上がって来ず、散漫な、どうでも良いような思念ばかり回るそのなかに、外からは虫の音が漂って闖入してくる。そのうちに乗換えの人々が乗り込んできて、ばたばたと人間の動く気配が目の前を海流のように過ぎ去っていき、そのあとに近くの扉際に残った男女を見れば高校生で、男子の方は野球部だったのか坊主頭がいくらか伸びてきたような髪型で、女子は英単語帳を持っているようで向かいの男子に向けて問題を出しているのは、高校三年、受験生だろうか。exaggerationと途中で口にして、誇張、と日本語訳を明かしたあと、そもそも誇張って言葉自体がどういう意味か良くわからない、と女子は漏らしていた。瞑目しながらそのやり取りを聞き、最寄りに着くと降りて駅を抜けるあいだ、夜闇の向こうからシャンシャンシャンシャンと、サンタクロースが橇に乗ってくる時の鈴の音を思わせる響きで蟋蟀が鳴きしきっている。横断歩道を渡って坂道に入っても、アオマツムシの音がなくて、鳴いているのは蟋蟀の種ばかりのようだ。もはや時季でないのか。風は緩く青葉を揺らし、下って行けば暑くもないのに匂いが立って、一つは道端の草のものだがほかにも何とも言えない種のものがどこからか漂った。平ら道に出てもやはりアオマツムシはいないようで、ポケットに左手のみ突っ込みながら道を行くと、虫の音の向こうの林の奥から何か妙な鳴き声が、虫では確実にないけれど、猫とも思えるし鳥とも思えるような不思議な声が幽かに聞こえて、停まって首を傾けて耳を張ってみるが明瞭でなく、正体はわからない。
 着くと玄関を開けて靴を揃えて上がり、扉を開けて居間に入ってただいまと挨拶すれば母親が、暑いでしょ、歩いてくると、と訊くのでまあまあと答えた。食事は韮と卵のおじやだと言う。台所に入ると、そのほかスチーム・ケースに薩摩芋が仕込まれており、フライパンには野菜炒めが拵えられてあった。下階に下りて服を脱ぎ、コンピューターを点けるとTwitterを覗くのだが、一時期に比べると「いいね」やリツイートなどの反応が減ったような気がするのは、やはり本の感想を頑張って書いてもツイートにすると長すぎて読んでもらえないのだろうか。それから上下とも肌着の姿でメモを取り、途中でまたTwitterを覗くと、ノーベル文学賞がオルガ・トカルチュクとペーター・ハントケに決まったと知らされるが、こちらはどちらもまだ読んだことがない。実力のある作家の存在が広く認められるのは単純素朴に良いことだろうが、こちらのタイムラインのメンバーは当然大方文学好きだから誰も彼もそれについて何らかの反応を見せていて、昨日も書いたようにこちらは賞というものの価値があまり良くもわからないから、そんなに盛り上がることかと懐疑した。要はひねくれ者だということだろう。
 メモを取り終えれば上階へ行き、食事である。おじやは丼にいっぱい盛って電子レンジに突っ込んで、スチーム・ケースの薩摩芋をつまみ食いしながら野菜炒めを大皿によそり、母親が三分の一だけ食った豆腐の余りがあるとも言うのでそれを冷蔵庫から出して卓へ、喉が渇いていて冷たい水が飲みたかったのだが、冷蔵庫の水筒にはもうほとんどないので代わりにオロナミンCを取って、それからまた食事中にカフカを読もうと自室から文学全集を持ってくると、レンジ前で首を回し、開脚しながら加熱が終わるのを待った。おじやが温まれば次に、中華丼の素か何か掛かってとろみのついた野菜炒めである。母親もレンジを使いたいようで、まだ、とか、もう良いんじゃない、とか言いながら待っていて、こちらは前後に脚を広げながら、そのあいだにこうやって身体をほぐしなよと勧めるが、母親はやらない。野菜炒めが温まると卓に移って、全集をひらいてカフカの小説を見ながらものを食う。テレビはバレーボールの試合を映していた。父親がもうそのうちに帰ってくるから、早く入らなきゃと母親が漏らすが、そう言いながらぐずぐずしており、そのあとしばらくして今日も飲むのかなと問いを独りごちるのにこちらは、あの子供みたいに騒ぐのを良い加減にどうにかさせろよと言えば、ね、まったく、と母親は答えるので、歳を取るにつれて退化しているんじゃないかと蔑むと、外では優等生だから、家では壊れるんじゃないと母親が受けるのに、そういうこともあろうかと頷いた。山梨のお爺さんに似てきたんじゃない、と母親が言うのは、祖母から聞いたところでは父親の父親である亡き祖父もそうだったと、酒を飲みながら祖母のことを黙って睨みつけるようだったらしいとそういう話で、酒に酔うと言い方も憎らしくなるね、前はあんなじゃなかったんだけど、と母親は続けて嘆息した。こちらはカフカに目を落としながら、白菜がふんだんに入った野菜炒めを口に運んでいると、母親は次に仕事の話を始めて、しかしその語りには細部が省略気味で不足しているから良くもわからず、こちらは視線を頁上に下ろしたままに聞き流し、無関心に過ごしてから、おじやが薄いのにこれ何かないのと訊けば、醤油を加えればと言うので回しながらいくらか垂らしかけるとと、多いよと母親は笑った。搔き混ぜたのを食っているとじきに母親は、天気を見ておいてと言って番組をNHKに変え、すると台風一九号に対する備えが各地で進んでいると報じられている。HYと行くはずだった一二日の下北沢でのライブも、台風のために延期になったと、労働中にメールが来ていた。母親が風呂に行ったあと、こちらは食事を終えて薬を飲んで皿洗い、ポルノグラフィティの"アポロ"をゆっくり口ずさみつつ、母親がカウンターの上に放置していったものもまとめて洗って、それから豆腐のパックや薬のパッケージを始末して、テレビを消すと下階へ下った。急須と湯呑みを持ってきて茶を用意し、塒へ戻るとFreddie Hubbard『Open Sesame』を共連れにメモを取る。
 それから一〇時直前まで日記を綴ったあとに、風呂へ向かった。居間に上がったところで父親に挨拶し、母親と入れ替わりに便所に入ると、水のなかにペーパーが浮いているので一度流してから排便し、そうして入浴に行った。湯のなかで身を背後の壁に預けながら、最初はカフカの小説について考えていたが、じきに微睡んできた。近頃珍しい。眠りがさすがに三時間で少なかったからか。気づくと一〇時二〇分に至っていて、洗い場に出て頭を洗いながら、先ほど排便したばかりなのにもう尿意が高くなっているのは、茶をやたらと飲んでいるからだろう。出ると迫る尿意を我慢しながら身体を拭き、着物を身につけて髪を乾かし、そうしてトイレに行って、戻ってくるとジャージの上着を羽織った。テレビは『クローズアップ現代+』に、ノーベル化学賞を受賞して一躍時の人となった吉野彰氏が出演していて、岩波文庫青版の、フェデラーだったか著者名を忘れたが、『ロウソクの科学』という本を影響を受けたものとして挙げているようだった。あとで調べてみると、テニス選手と同じ名前のフェデラーではなくて、ファラデーが正しかった。塒から急須と湯呑みを持ってきて、流し台に茶葉を空けながら何か茶菓子はないかと訊けば、クッキーはと返るのはこちらが先日立川で買ってきた品だが、あれはまだ開けないで良いかと母親は続けるのでこちらも肯って、仕方なくスティックパンの最後の一本を食うかと咥えて、茶を注ぐと塒に帰った。メモをまた取ったあと、ヘッドフォンをつけてFreddie Hubbard『Open Sesame』を再度流し、そうしてまた日記に邁進する。カフカ『城』の感想を書きつけると、読み直して多少文言を整えて、それからTwitterに投稿しておいて先に進み、ここまでようやく辿り着いた頃にはもう午前一時を過ぎていて、睡気が滲んで頭もちょっと重い。
 ふたたび辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読みはじめて、その傍ら歯磨きをこなす。父親はまだ上にいるようで階段上には明かりが見えるが、人の動く気配は感じられず、物音も一つも立たないので、また眠ってしまっているのだろうか。外では雨が降り出していたが、まだそこまで激しくはないような響きだった。書見を進めながらConrad Herwig『Another Kind Of Blue: The Latin Side Of Miles Davis』を二時過ぎから流し出し、しかし冒頭の"So What"が終わる前にすぐに止め、ヘッドフォンを外して上階へ行った。腹が減ったので何か食い物はないかと探りに来たのだったが、戸棚にこちらが先日立川で買ってきたクッキーがあったので、それを、自分で買ってきたものだからまあ良いだろうと頂くことにして、袋を持って塒に帰り、むしゃむしゃ貪りながら文字を追って、じきに食い尽くすと口のなかが汚れて歯の上にも滓がこびりついて溜まったものだから、茶を飲もうとまた忍び足で階段を上った。二時四〇分だった。緑茶を用意して密やかに自室に戻り、温かい液体を飲んでいるとやはりいくらか暑くて、汗の気が僅かに肌に乗る。机上に立ったまま本を見下ろしていたが、三時も過ぎれば睡気も重って、背を曲げて本の上に影を翳しながらいつの間にか目を閉じている時間も生まれて、これはまずいと思いながらもしかし書見に邁進していたが、四時頃になってさすがに疲れたとベッドの縁に腰掛けた。そうして読書ノートにメモを取るのだが、その合間にも瞼が閉じて、何を書こうとしていたのかわからなくなるような有り様である。四時半に至ってさすがに明かりを落として眠りに向かった。
 『城』。Kはそもそも測量技師としてこの村にやって来たはずであり、彼の当初の目的はおそらく、城に出頭して業務の詳細を知ったり正式な任命を受けたりして、ともかくも測量の仕事を行うことだったはずなのだが、それがいつからか、技師としての任務は脇に措かれ、城に出向くということも忘れられて、クラムと会見することだけが主要な目的として持ち上がってきたようだ。おそらくその転換あるいは横滑りが確定的になったのは、Kがフリーダと関係を持ったあと、「橋亭」のおかみと対話している途中の一六三頁のことで、Kはそこで、「それに私は結婚式の前にどうしても片づけておかねばならぬことがあります。クラムと話さなければなりません」(163)と発言しているのだが、しかし「片づけておかねばならぬこと」とは何なのか、クラムと会って一体何の話をするのか、それは必ずしも明確ではなく、より突っ込んだKの意図は開示されない。のちになされるおかみとの二度目の対話のなかでもKは、「あの人を身近かに見たい、次にあの人の声を聞きたい、それからあの人が私たちの結婚にどんな態度をとるのか知りたい」(189)と言っているのだが、この箇所を見る限り、少なくともこの時点では既に、Kにとってクラムに会うことは彼の測量技師としての地位には関係がなくなっているようで、それはどちらかと言えばフリーダとの恋愛の方に関わっているようだ。もっともKは、「そのほかにも頼みたいことは、話合いのなりゆきにかかっています」(189)とも口にしている。従って、彼にはクラムに「頼みたいこと」があるのは確かなのだが、しかしその具体的な内実はやはり明かされない。Kの考えていることが詳細明確には語られないため、読者は各々、彼の意図や目的を勝手に想像して補うことになる。言葉によって物事の輪郭だけが示されて、その実質的な内容は空無であるという構造がここにはあるのだが、それはカフカの作品のなかでたびたび観察される図式でもある。そもそもこの村に仕事のためにやって来たはずのKは、しかし測量技師としての知識や能力を活用する機会をまったく与えられない。業務に使うための器材も彼は持っておらず、彼が測量技師であるということを証明するような情報は何一つ提示されず、その身分は完全に肩書きだけのものと化している。測量士としてのアイデンティティはほとんど剝奪されており、のちには彼は実際上もその地位から引きずり下ろされて、単なる学校の小使いとして働くことになってしまう。ここにもこちらが先の感想で「概念の空洞化」と呼んだ事態、意味の有名無実化が見られる。クラムの「恋人」だと称されていたフリーダが、クラムと「一度だって話したことがな」く(165)、クラムは「ただ、〈フリーダ〉という名前を呼んだだけ」(165)であり、例えば彼女に「恋人」らしい「記念の品」(184)を贈ることはなかったというのも、同じことである。カフカの小説のなかでは、「目的」も「職業」も、「恋人」のような「人間関係」も、ことごとくが実質を伴わず、空虚な抜け殻と化しているのだ。


・作文
 7:54 - 9:51 = 1時間57分
 15:27 - 16:26 = 59分
 16:40 - 16:57 = 17分
 21:10 - 21:57 = 47分
 22:39 - 25:09 = 2時間30分
 計: 6時間30分

・読書
 10:59 - 12:18 = 1時間19分
 12:57 - 14:18 = 1時間21分
 15:09 - 15:27 = 18分
 25:18 - 28:29 = 3時間11分
 計: 6時間9分

  • 2018/10/10, Wed.
  • 2014/1/10, Fri. - 11, Sat.
  • fuzkue「読書日記」(155): 「フヅクエラジオ」
  • fuzkue「読書日記」(156): 9月23日(月); 9月24日(火)
  • 「at-oyr」: 2019-09-13「非酔」; 2019-09-14「健康」; 2019-09-15「パリで一緒に」; 2019-09-16「哲学」; 2019-09-17「Vitamin C」; 2019-09-18「梅崎春生」; 2019-09-19「変わる」; 2019-09-20「Jさん」; 2019-09-21「母と子」; 2019-09-22「真夏の夜のジャズと梅崎春夫」; 2019-09-23「食事」; 2019-09-24「幻化」; 2019-09-25「雅歌」; 2019-09-26「音」; 2019-09-27「送別」; 2019-09-28「アビイ・ロード」; 2019-09-29「節子」; 2019-09-30「花束」; 2019-10-01「アルビニ」; 2019-10-02「おまかせ」; 2019-10-03「五十」; 2019-10-04「手振り」; 2019-10-05「甲州」; 2019-10-06「加賀」; 2019-10-07「中間地帯」
  • 辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』: 170 - 206
  • 臼杵陽×早尾貴紀「「大災厄(ナクバ)」は過去ではない イラン・パペ『パレスチナ民族浄化』と米・エルサレム首都承認問題」(https://dokushojin.com/article.html?i=2694

・睡眠
 4:20 - 7:30 = 3時間10分

・音楽

2019/10/9, Wed.

 さらに詩「花であること」の初出が一九六五年五月であることを考えると、石原がライナー・マリア・リルケの詩「薔薇の内部」の原文あるいは翻訳に触れていた可能性もある。一九六〇年代は日本でもリルケがよく読まれていた時代であったが、それ以上に花の内部と外部の拮抗を詩の対象としている点に共通点が見られる。

   薔薇の内部

 この内部に向き合う
 外部はどこにあるのか。どの痛みの上に
 この布はおかれるのか。
 どのような空が このなかに
 このひらいた薔薇の
 この憂いのない薔薇の
 内海に映っているのか。ごらん
 薔薇はみな ほどけかかり ゆるやかに
 やすらう 震える手が触れて
 花びらがこぼれるなど ありえないかのように。
 薔薇は もうほとんど みずからの形を
 たもつことができない―多くの薔薇は
 あふれて 内部空間から
 昼の世界へ
 流れ出す それは
 ますます溢れながら ひとつにまとまってゆく
 やがて 夏全体が ひとつの部屋に
 なる 夢のなかのひとつの部屋に。

 事物詩のひとつとして名高いリルケの「薔薇の内部」は、薔薇の内部世界が外界と融合してゆくさまを官能的に描き出している。花の美しさへの没入と美のはかなさを描き、それを俯瞰的に見る視点において、リルケの詩は先に挙げた日本の定型詩にむしろ近い。緩やかな時間的推移が豊かに歌われている点もまた、日本の古典の抒情に通じるものがある。その一方で、リルケと石原の詩は何と乖離していることだろう。植物の内部空間と外部との関係を描くという共通点が取るに足りないと思えるほど、この二つの詩は異質である。読み比べるほどに、リルケの詩の豊饒さの前で石原の詩の貧しさが際立つのである。
 (冨岡悦子『パウル・ツェラン石原吉郎みすず書房、二〇一四年、97~99)

     *

 パウル・ツェランは一九五八年に受賞した自由都市ブレーメン文学賞受賞の講演の中で、自らの出自が東欧であることをマルティン・ブーバーとハシディズムに結びつけて語った後、失語と沈黙について、次のように語っている。

 手に届くものは、いくつもの喪失の中にあって、言葉だけでした。身近なもの、失われなかっ(end101)たものとして、言葉だけが残りました。
 それが、言葉だけが、失われなかったものとして残りました。そうです、あらゆることにもかかわらず。けれども、この言葉も、みずからの答えのなさの中をくぐり抜けなければなりませんでした、おそろしい沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千の闇の中をくぐり抜けなければなりませんでした。この言葉はくぐり抜けて来ました、そして起きたことに対してひとことも言葉を差し出すことができませんでした。けれども、言葉はこれらの出来事の中をくぐり抜けました。くぐり抜けて、ふたたび明るい場所へ踏み出すことができました、あらゆることによって濃縮されて。
 (「ブレーメン文学賞受賞講演」より引用)

 (101~102)


 ひらいたカーテンの向こうから送りつけられてくる暖かな陽射しのなか、意識を浮上させながらもなかなか身体を持ち上げられず、目から光を吸い込んでいるうちに一〇時に至った。そうして何とか起き上がり、コンピューターを点けてTwitterを覗くと、「最近は日記があまりに長くなってきているので、今まで読んでくださっていた方々からも、もう付き合いきれんと見放されるのではないかと恐れております」と前夜に呟いておいたのに、SGさんという方と、Y.Mさんの二人からリプライが届いていた。前者のSGさんは、多分言葉のやりとりをするのはこれが初めてだと思う。「静かで味わい深い文章だなぁ。山の奥で水滴が落ちる音のような」と思いながらいつも読んで下さっていると言うので、なかなか良い比喩を贈ってもらえて有り難いと思った。それから上階へ、階段を上っていくと階上には作業着姿の父親があって、おはようと交わせば今ガス屋さんが来ていて、と言う。台所に入ってみると確かに床にしゃがんでいる姿があって、寝起きで頭が回らなかったか、ご苦労さまですの一言が出ずに、あ、どうも、と短い挨拶となって、洗面所に行こうとするこちらの途上にいた男性は立ち上がってどいてくれたので、すみませんと応じた。ガス屋の男性は、秋晴れの空のような色の青い制服のシャツを身につけていた。こちらは鏡の前で櫛付きのドライヤーを頭に当てて、髪を梳かしてから普段だったら食事を取るところだが、今日はガス屋が来ているので台所で準備しては仕事の邪魔になろうと考えて、先に風呂を洗ってしまうことにした。風呂場にはバケツが出されてあり、いつもはそれに洗濯機から出ている汲み上げポンプを入れておくのだったが、見ればバケツの底には白い泡が溜まっているので、漂白しているのだなと知れて、汲み上げポンプのホースは入れずに浴室の床に放置しておき、それから浴槽をブラシで洗った。合間に電話が掛かってきて、母親が出たところがすぐに父親に替わって、自治会の方の件だろうか父親は何とか話しており、一方でガス屋も電話を掛けて、我が家の古いガス台の部品がまだあるかどうかメーカーに訊いているようだった。それで風呂場から出てくると母親が、食事を取るかと訊くのだが、今お仕事をしているからまだ良いと払い、それからガス屋が母親に、部品はあるようですと報告するのを傍らで偉そうに腕組みしながら聞いていると、母親は良かったと嬉しそうな声を出す。天板のみ替えれば良いということになり、受け皿とか五徳とか、注文するべき部品をガス屋は紙にメモし、どれくらいかと母親が問えば、一週間くらいは掛かるので、まあ一八日に入ってどうかというようなところだと言う。部品が入ったらまたその時点で連絡するという次第を彼は述べて、どれくらいかと母親が、今度は値段の意味で問うのには、それはまだわからないと答えた。そうしてガス屋は仕事を終えて去って行くのに、母親が何か飲み物をと言って冷蔵庫を探って、冷たい緑茶があったのに、お茶なんだけど、と言って渡し、玄関でこちらも母親と並んで立って、ありがとうございましたと頭を下げて見送った。
 それから食事である。何があるのかと訊けば、おにぎりとキャベツ炒めがあると言うので、それぞれ出して、電子レンジで温めて卓に運んだ。おにぎりは鮭の振りかけが混ぜ込まれて海苔が貼られたものだった。それらを食っていると古くなったガス台について、おばさんと同じでボロボロです、とか言いやがった、と母親が漏らす。父親の発言である。こうした母親の老いや年齢をネタにした冗談を父親はたびたび口にするのだが、そうしたからかいは糞みたいにつまらないし、それをもし本当に面白いと思って言っているのだとしたら、率直に言って度し難い愚かさだと思う。端的に言って不快であるし、ポリティカル・コレクトネスの観点からして明らかに不適切で、フェミニストが耳にしたら激怒するような言葉だろう。そうした面の意識においては父親は前時代的な家父長制の男性優位にまだまだ胡座を搔いていると言うか、まったくもって後進的である。
 新聞をひらくと、国際面では、トルコがシリア国境を越えてクルド人勢力に対して軍事行動を仕掛けようとしていると、例の件がまた語られており、それを黙認して米軍部隊を撤退させたかこれから撤退させる予定らしいドナルド・トランプへの批判が集まっているとのことだ。そのトランプの対抗馬を争う米民主党の大統領候補戦では、エリザベス・ウォーレンが伸長してきて、首位のジョー・バイデンに迫りつつあると言う。七月から九月までの三か月の献金額でバイデン候補を格段に引き離したと言うが、表を見てみると最も多く金を集めたのはバーニー・サンダースで、二五二〇万ドルとか書いてあったか、しかし彼ももう七八だかで先日心臓発作で入院しているから、健康面の不安が支持にも影響するのは不可避だろうとそのような見通しが語られていた。
 食事を終えると水を汲んできて抗鬱薬を飲む。セルトラリンがもうあと二粒しかなかったので、普段は一回に二粒なのだが、明日医者に行くつもりで、一粒だけ飲むことにした。そうして食器を洗って下階に下り、急須と湯呑みを持ってきて緑茶を用意する。(……)
 それで緑茶を持って下階に戻ると、16FLIP『Ol'Time Killin' Vol.4』を流して作文に掛かる前に一年前の日記を読み返した。冒頭のフローベール書簡本からの引用には、「最近発表された草稿研究によれば、第二部八章、わずか二十五ページ(クラシック・ガルニエ版)のために、くり返しくり返し書きなおされた草稿は、保存されているものだけで、表と裏ほぼ全面を埋めつくした原稿用紙二百枚近くにのぼる」(工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、290註)とあって、先日Mさんも『双生』のボツ原稿が膨大な量あるということを述べていたから、やはりこうした点でも彼を思い起こさせる。さらに、二〇一七年一〇月九日の日記から、ロラン・バルトの文章も引用されており、読み返してみるとやはり素晴らしいので改めてここにも写しておく。

 (……)愛の呼びかけは、毎日、時の経過を通じて反復され、同じ文句で繰りかえされるものであるにもかかわらず、それは私によって発言されるその都度、ひとつの新しい状態をあらわすことになるのだ、と私には思われる。アルゴ船の一行がその航海の間に、船名は変えることなく、しかもその船には新装をほどこしていく、あれと同じように、愛し焦がれている主体は、同じひとつの感嘆のことばを通じて長い道のりを行く。そしてその間に、はじめにいだいていた求める心を次第に弁証法化しつつ、しかも最初の話しかけがもっていた白熱の光を曇らせることがなく、また、愛の働きと言語活動の働きとはまさに同一の文に対してつねにさまざまの新しい声調を与えることにほかならないと考え、そのようにして、いまだかつてなかったひとつの新しい言語を創作していく。それは、記号の形態は反復されるけれどもその記号内容は決して反復されることがない、という言語である。そこでは、話し手と愛する人は、ことばづかいというもの(および精神分析的な科学)によって私たちの心情すべてに強制されてしまうあの残虐きわまる《還元作用あるいは縮約作用》に対して、ついに打ち勝つことができるのだ」
 (佐藤信夫訳『彼自身によるロラン・バルトみすず書房、一九七九年、174~175; ことばの働き Le travail du mot

 それから次に二〇一四年一月九日の短い日記を読んで、ブログに投稿しておくと、茶を飲み終えたのでおかわりするために階を上がれば、スパゲッティを作るつもりでいるらしい母親が、食べるの、と訊いてくるので食べると答えると、しかし今食べたばかりではないかと続けるので、あとで食べると返す。台所に入るとその母親は、ガス台の天板を取り外して磨いており、スチール・ウールの、染みるように金臭い香りが辺りに漂っている。茶葉を流しに捨てて新しくして、一杯目の湯を急須に注いでいると、立っているついでにビールを冷蔵庫に入れてと母親から来るので、玄関の戸棚の前に行き、しゃがみこんで下部に保存してあるビール缶を取り出していると、何で今日も休みなんだと、父親について憎々しげに母親が漏らすのが聞こえてくる。ビールは三本を持って冷蔵庫をひらくと、しかし既に二本くらい入っていたのでその旨告げれば、じゃあ父親が自分で入れたのかなと言った。続けて母親は、また外で食べるかと昼食について言ったが、こちらはいいよと遠慮して、緑茶を持って下階に戻り、TwitterでSGさんやYSさんに返信をした。YSさんはこちらが評論家になれないかと考えてると言い、こちらの本の感想や考察の類は、充分に出版に耐えると思いますとの言を送ってくれて有り難い。実際、批評にはわりあい興味があると言うか、こちらは多分、実作よりは批評をする方のタイプだと思う。しかし、いわゆるプロの文筆家として身を立てるつもりは特にないし、出版云々は置いておいても、もっと鋭く啓発的な批評を書けなければものにはならないだろう。また、批評文として独立したものを書くよりも、生活の、あるいは言わば実存の記録である日記という文章のなかにそういう部分も混ぜ込まれて共存しているという形態の方が面白いのではないかとも思っていて、つまりは雑多さが好きなんですね、と「笑」の文字を付してそんなような返信を送っておいた。
 そうしてfuzkueの「読書日記」を読む。背景に流れている『Ol'Time Killin' Vol.4』はU田くんがくれたミックス・アルバムだが、収録されている曲はどれもメロウで爽やかで快いビートを打ち出していて、背後の窓の外は秋晴れ、明るい陽が広く通って、このような陽気に音楽も似つかわしい。茶で汗を搔きつつ「読書日記」を読むと、次にはSさんのブログに触れた。緑茶は飯を食ったあとの一回目、それも二杯目から三杯目が一番美味い。二回目のおかわりをしてくると、舌と口内が茶の味に慣れてしまうのか、あまり美味くないようで、品がなくなると言うか苦味が過剰になってしまうような気味があるのはおそらく、食事の雑味が一回目の三杯で流されて、茶の味だけで口内が染まってしまうのだろう。
 Sさんのブログを五日分読むと、正午前から作文に取り掛かった。まず前日分を二〇分弱で仕上げ、音楽が終わったのを機に便所に行って、緑茶の利尿作用で増えた尿を凄い勢いで長々放って戻ってくると、FISHMANS『Oh! Mountain』を始めてこの日の記事も書き出した。ここまで記せば一二時四七分、書きはじめてから既に一時間が経っている。
 その後さらに二時間を打鍵に費やして七日の記事を進め、仕上げると三時である。
 cero『Obscure Ride』を流して、"Yellow Magus (Obscure)"とか、"Elephant Ghost"とかを歌いながら二日分の日記をブログに投稿した。何しろ引用が多いし、全体としても長いものなので、文面をスクロールさせながら引用部を処理したり、名前を検閲したりするのに時間が掛かる。しかもそれを、はてなブログの方とnoteの方で重ねてやらなければならないのだ。noteの方ははてなブログに投稿した記事の画面から文全体をコピーしてペーストするので、名前の検閲は既に済んでいるからその点は省けるのだが、引用部を範囲選択して引用ボタンを押さなければならないのは同じである。そういうわけで、二記事を投稿するだけで三〇分ほど掛かったのだが、これは実に馬鹿げていて笑える。
 それから労働前の食事を取りに行った。階を上がって台所に入ると、フライパンにナポリタンのようなオレンジ色のスパゲッティが作られてあるので、それを大皿に盛って電子レンジで温めたあと、卓に就いて、フォークではなく箸を使って和風に食べながら新聞を読んだ。世耕弘成参院幹事長が安倍首相に苦言を呈して、質疑の時の態度が悪いとか野次にいちいち反応するとかについて批判の声が上がっていると述べ、憲法改正に関しても、安倍政権のレガシー作りのためにあるわけではないとそういうことを言ったらしいが、これはまあマッチポンプの類だろう。そのほか、竹島尖閣諸島が昔から日本の領有地だったということを証明するような資料を政府が躍起になって集めている、というような話もあった。食後、皿を洗い、洗面所に入って電動の髭剃りで口の周りを当たっていると母親が来た。どこに行っていたのかと問えば、出掛けていたわけではなく、下階で休んでいたのだと言う。それからこちらはアイロン掛けを始め、ハンカチとエプロンを処理するあいだ、背後では母親が何か用意しているらしき気配があって、訊けば外にいるはずの父親に茶を持っていくと言うが、その父親がどこにいるのか姿が見えない。こちらは素甘を、先日蕎麦屋に行ったあとに寄った二俣尾の店で買ったやつをくれと言って、アイロン掛けを終えると電子レンジで解凍されたものを持って下階へ帰った。コンピューター前でピンク色の素甘を食べると、緑茶を用意しに行って、塒に引き返せば「週刊読書人」から山本貴光・服部徹也「来たるべき文学のために 『文学問題(F+f)+』(幻戯書房)刊行を機に」(https://dokushojin.com/article.html?i=2650)をひらいた。

服部  いま「テクストだけがそこにある」という文学観のお話がありましたが、この本の中では「テクスト」という言葉は抑制されましたか? これは人間ということにつながるのですが、バルトやフーコーらの影響で、人間の有限性に全部回収するのではない仕方で言語や思考を捉えようということで、テクストや言説という考え方がある時期から文学研究の一つの指針になった。テクストという言葉は、「人間なるもの」を条件に入れないと何も考えられないという通念を軽やかに通り過ぎるためにあったかと思うのですが、むしろ徹底的に人間にこだわって考える視座がこの本にはある。そういう考え方とは意識的に距離を置いていらっしゃるのでしょうか。

山本  ご指摘のようにこの本では、「テクスト」という言葉をほとんど使っていません。なぜかというと、テクストという概念は、たとえるなら自然科学における理想状態のようなものだと思うのですね。自分が観察・記述したい現象を、よりクリアに取り出すために、余計なものを外して理想的な状態で実験をする。テクスト論では、書かれた文だけを対象として、作家や編集者やデザインや物質的な側面などは脇に措くわけです。この手法には意味があると思います。ただ、少なくとも『文学論』の視点から見た場合、人間の営みとして文学が扱われています。むしろ環境のなかにある文学をエコロジカルな観点で捉えてみようとしていると感じました。

 続いて、半田滋「沖縄海兵隊の役割とは何か アメリカが求める自由で安全な「出撃拠点」」(https://imidas.jp/jijikaitai/d-40-070-10-07-g255)も読む。

 アメリ海兵隊は上陸作戦を主任務とし、兵員やヘリコプター、戦闘機を海軍の揚陸艦に載せて出動する。その役割から「殴り込み部隊」と呼ばれることもある。第1海兵遠征軍はアメリカ本土西海岸のカリフォルニア州キャンプ・ペンドルトンに、第2海兵遠征軍は東海岸ノースカロライナ州キャンプ・レジューンに置かれ、海外に展開しているのは沖縄の第3海兵遠征軍だけである。
 第1、第2はそれぞれ兵員5万2000人を擁し、指揮下には3個ずつの海兵遠征隊が置かれている。一方、定数1万8000人(日本外務省による)、実数で1万2402人(2008年9月、沖縄県調査による)とされる第3海兵遠征軍指揮下の海兵遠征隊は、第31海兵遠征隊(約2200人)の1個だけ。沖縄の海兵隊は「最小規模の海兵隊」ということができる。
 唯一の実動部隊である第31海兵遠征隊は、普天間基地の中型ヘリコプター部隊、キャンプ・シュワブのうち1個歩兵大隊、キャンプ・ハンセンのうちの1個砲兵小隊などを組み合わせて編成される。
 04年8月、第31海兵遠征隊は佐世保基地強襲揚陸艦3隻に分乗してイラクに派遣され、翌年帰還するまで8カ月間、沖縄を留守にした。在沖縄海兵隊司令部によると、03年以降、イラクアフガニスタンへ派遣された兵員数は1万1500人だ。沖縄の海兵隊は空席が目立つ。

 アメリカ空軍三沢基地(青森)のF16戦闘機部隊は、レーダー破壊が専門の、朝鮮半島有事にも対応する特殊部隊だが、湾岸戦争以降、嘉手納基地のF15戦闘機と交互にイラクの監視飛行に派遣され、イラク戦争にも送り込まれた。三沢と嘉手納の戦闘機部隊も留守がちな部隊といえるだろう。日本側の反対で立ち消えになったが、昨09年4月、米軍は三沢からの全面撤退と嘉手納の戦闘機部隊の半減を防衛省に打診した。
 また06年に日米合意した米軍再編の議論においては、アメリカ側は、横田基地(東京)にある在日アメリカ空軍司令部を兼ねた第5空軍をグアムの第13空軍と合併させた後、グアム移転させる案を提示した。空軍司令部を消滅させる提案に日本側が驚き、強く反対したため、実現はしなかった。その後、第5空軍指揮下の複数の部隊が第13空軍に配置換えされ、米軍の思惑通り、司令部の空洞化は進んでいる。

 ここで海兵隊の立場にたって考えてみたい。海兵隊は米軍の四軍(陸、海、空軍と海兵隊)110万人の中で、最小の18万7000人しかいない。しかも海兵隊らしい上陸作戦を行ったのは1950年9月の朝鮮戦争での仁川上陸作戦が最後。半世紀以上も昔の話である。
 アフガン攻撃やイラク戦争でも明らかな通り、現代戦で戦端を開くのは攻撃機や艦艇、潜水艦から発射される巡航ミサイルである。そして兵員は輸送機や輸送艦で運ばれる。もはや強襲揚陸艦から陸地に攻め上がる着上陸侵攻の戦法自体があり得ない。海兵隊は存在そのものが問われる危機的状況に陥っているといえるだろう。

 米軍が日本に駐留するのは、主にアメリカ側の事情によることを忘れてはいけない。基地の地代はもちろん、基地従業員2万5000人の給料・賞与や米軍が公用・私用で使った光熱水料まで日本政府が負担してくれるのだから、アメリカにいるより安上がりだ。しかも出撃に際して行うはずの事前協議は、一度も日本政府から求められたことがない。米軍はいつでも、どこへでも自由に出撃できる。アメリカ兵にとって日本は楽園のようなものだろう。

 歯を磨きながら記事を読んでしまうと口を濯ぎに洗面所に行き、そのまま上階へ上がって肌着を脱いで、ソファの背の上に広げておいた。母親は、Iちゃん、と言ってこの漢字で合っているのか知れないが、先般亡くなったKのおばさんの息子さんで、この人ももう多分七〇を越えていると思うけれど、その人から来たはずの葉書がないと漏らして探していた。こちらはボディ・シートを一枚取って、裸の上半身に当てて汗を拭き、腋は念入りに拭って汗の臭いを除いて、そうして肌着をつけ直すと仏間に入って靴下を履いた。階段の途中に吊るされていたワイシャツを持って自室へ帰り、音楽は何も流さず無音のなかで身につけて、紺色のスラックスを履けばグレーのネクタイを取って、廊下の鏡の前で首に巻く。終われば四時三五分、五時には出るつもりで、それまでに英文を読むかとBrad Evans and Gayatri Chakravorty Spivak, "When Law Is Not Justice"(https://www.nytimes.com/2016/07/13/opinion/when-law-is-not-justice.html)をひらいた。BGMに流したのはcero『WORLD RECORD』である。

・brutish: 野卑な、粗野な
・benefit of the doubt: 疑わしい点を被告に有利に解釈すること、疑わしきは罰せず
・self-appointed: 自称
・loophole: 抜け道、抜け穴
・vital: 必須の、不可欠な
・glamorization: 美化、理想化
・open sewer: 下水溝
ad hoc: その場しのぎの
・pick up the slack: たるみを取る; 代わりを務める、不足を補う

When human beings are valued as less than human, violence begins to emerge as the only response. When one group designates another as lesser, they are saying the “inferior” group cannot think in a “reasonable” way. It is important to remember that this is an intellectual violation, and in fact that the oppressed group’s right to manual labor is not something they are necessarily denied. In fact, the oppressed group is often pushed to take on much of society’s necessary physical labor. Hence, it is not that people are denied agency; it is rather that an unreasonable or brutish type of agency is imposed on them. And, the power inherent in this physical agency eventually comes to intimidate the oppressors. The oppressed, for their part, have been left with only one possible identity, which is one of violence. That becomes their politics and it appropriates their intellect.

This brings us directly to the issue of “reasonable” versus “unreasonable” violence. When dealing with violence deemed unreasonable, the dominating groups demonize violent responses, saying that “those other people are just like that,” not just that they are worth less, but also that they are essentially evil, essentially criminal or essentially have a religion that is prone to killing.

And yet, on the other side, state-legitimized violence, considered “reasonable” by many, is altogether more frightening. Such violence argues that if a person wears a certain kind of clothing or belongs to a particular background, he or she is legally killable. Such violence is more alarming, because it is continuously justified by those in power.

The fact is that when the pro-democracy spokesperson Aung San Suu Kyi was under house arrest there, she could bravely work against oppressive behavior on the part of the military government. But once she was released and wanted to secure and retain power, she became largely silent on the plight of these people and has sided with the majority party, which has continued to wage violence against non-Buddhist minorities. One school of thought says that in order to bring democracy in the future, she has to align herself with the majority party now. I want to give Ms. Aung San Suu Kyi the benefit of the doubt. But when the majority party is genocidal, there is a need to address that. Aligning with them cannot possibly bring democracy.

B.E.: What are the implications when the promotion of human rights is left to what you have called “self-appointed entrepreneurs” and philanthropists, from individuals such as Bill Gates onto organizations like the World Bank, who have a very particular conception of rights and the “rule of law?”

G.C.S.: It is just that there be law, but law is not justice.

The passing of a law and the proof of its existence is not enough to assure effective resistance to oppression. Some of the gravest violations of rights have occurred within legal frameworks. And, if that law governs a society never trained in what Michel Foucault would call “the practice of freedom,” it is there to be enforced by force alone, and the ones thus forced will find better and better loopholes around it.

 英文は途中までしか読めないうちに時間がやって来たので、七曲目の"exotic penguin steps (intro)"が掛かっている途中で音楽を切り、コンピューターをシャットダウンして、上がって玄関を出ると行商の八百屋であるNさんが久しぶりに来ていた。戸口を出てきたこちらを目にして、どうも、これから、と向けてくるので、どうも、こんにちはとこちらも受けて階段を下り、母親が大根を持ちながらぺらぺら喋ってNさんがそれを受け止めているそのあいだを通り抜けて、どうもともう一度会釈して道に出れば、話に切りがついて一息入れた母親が背後から、行ってらっしゃいと声を送ってきた。道に沿って鵯の声が複数立っては落ちるのに、どうも鳴き交わしているなと耳を寄せて過ぎ、アオマツムシの回転音がすぐ間近から立つなかを、左手をポケットに突っ込みながら歩いて行くと、Kさんの奥さんが道の先からやって来て、自宅の脇に出ていたバケツか何かを敷地の奥に持って行ってから戻ってきたところに行き会ったので、こんにちはと挨拶を交わした。そこを過ぎれば辺りは急に静けさを増し、虫の声も遠くなって、小公園の桜は梢が黄色と老緑で斑模様になっている。坂に入って上りながら不意に、自分には小説作品を拵える能力やセンスはないと、いつからか作りたかったのを諦めてそう思ってきたが、このままずっと文章を書き続けていれば、もしかすると、何年後になるかはわからないけれど生涯の内に一作くらいは、文章そのものに導かれて自ずと作れるのではないかとそう思った。作るとしたらやはり、自分なりの『族長の秋』、自分なりの『灯台へ』、そういったものを作りたいものだが、こちらが出会った小説作品のなかでもこの二つの名作と並び立つ傑作であるところの三宅誰男『亜人』はどうかと言えば、あれを自分なりのものとして受け継ごうとは思わない。そもそもMさんはまだ生きて若い現役の作家であるし、自分にあのようなものが作れるとも思えない。それでは『族長の秋』なら、『灯台へ』なら作れるのかと言えば勿論そんな大それたことを口に出来るはずもないが、ともかくMさんの新作『双生』も仕上がりつつある今、『亜人』もまた読み返して感想文でも書いてブログの読者に読んでもらい、彼の名声を高めることに少しばかり貢献しなければなと、そう考えながら坂を抜ければ、表の道路に沿って宙を、東へ向かって、あれは鴉だろうかそうとも見えなかったが黒い鳥が一羽、すっと流れていって、その背景には青い雲が、垂れ込めるというほどでないが低く降りて来ていて、空の際は別種の雲が詰められているらしく白く塗られたそのなかに、暖色が幽かに混ざって明るんでいるのから目を振って直上を見れば、いつの間にか雲が多く湧いて空は灰色を、ところどころはほつれて隙間から夕刻の青さが覗きながらも、敷き詰められている。駅に入るとちょうど奥多摩行きがやって来て、降りてきた乗客らと階段ですれ違いながらホームに下り、ベンチに就くとメモを取りはじめた。紙上にペンを滑らせていれば不意に赤ん坊の、舌足らずのあどけない声が渡ってきて、目を上げれば線路を挟んで向かいの道で親に抱かれた幼児の、意味を成さない言葉を繰り返し訴えるように言い立てているその姿を、包んで目にも見えにくくする黄昏が辺りにいつか満ちており、空は雲が埋めて雨の兆しを思わせるが、そこから下がって地上の空間には既に、まさしく降っては地に跳ねる雨のような虫声が凛々と響き渡っている。
 やって来た電車に乗ってからも引き続きメモを取って、終えて扉に向かい合って立てば横の席では男性が一人、スマートフォンを横にしてアニメを見ているその服装の、あれはスーツだろうか白いシャツに黒いジャケットを着ていたが、青梅が近くなって男性が立ってきたのを扉のガラスに映して見れば、しかし前に立つこちらの姿が邪魔になって全容は現れず、ネクタイをつけていなかったことしかわからない。青梅に着くまでのあいだ、今はアメリカはオレゴン大学に留学中の哲学徒、Uさんのことを何とはなしに思い出して、また彼と顔を合わせて、互いに考えていることを話し合ってみたいなと思いながら降りれば、しかしこちらの考えることも、表面上の異同はあるかもしれないが、根底のところでは以前からあまり変化していないような気がするもので、最近は良く考えが回って話したこと考えたことを日記に記しているけれど、それも大方は以前から思い巡らせて、日記にも一再ならず書いた事柄ではないかと思われて、思考というものは歩みが遅い[﹅5]なと、同じ辺りをうろうろしながら少しずつ伸び、ずれて、アメーバのように広がって差異を取り込み、そのうちにいつか一つ触手を新たに生やすようにしてやっと変容していくものだなと、そう考えた。ホームを歩くと向かいの一番線に停まった東京行きだか立川行きのなかは思いの外に混んでいて、傍らの奥多摩行きの方は客が少なく、なかに高校生の勉強している姿が見られて、進みながら視線を放って、電車の車体とホームの屋根とのあいだを埋めている空を見やれば暮れて紫、これが暗紫色というやつだなと独りごちた。駅の外に出れば駅前ロータリーに停まった車からライトが放たれて、その光が電柱の下部に四角く宿って白さを貼っているその上端は、しかし僅か青く染まって水面に浮いた化学液のようで、風はなくて身に触れてこないが細道の先の旗は波打ち揺らいでいる。
 職場に入ると奥のスペースに行って、長机に就きながら手帳にまたメモを取り、五時四〇分に至って現在時に追いつくことが叶ってトイレに行く。じきに(……)先生に(……)先生がやって来たのでそれぞれ挨拶をして、準備を始めれば室長が隣に来て、今日当たっている(……)くんは先週来なかったと言うので、指を振って、あ、そうですよ、しかも電話したけれど、繋がらなかったと受けた。続けて室長はやはりこちらが当たっている(……)さんについて、多分入試は受けない、と明かした。私立の通信制の学校に行く見通しでいるらしい。その後準備を始めて、チェックテストの用紙をコピーしたりしたのちに、終えてまた奥の一席でメモを取っているうちに前の授業の終わりが近づいたので、入口に行って生徒の出迎えと見送りを行った。その合間にデスクに就いた室長が、土曜日は完全休校になると教えてくる。あれですか、台風ですかと訊けば、無意味に重々しいような表情で相手は頷き、どれくらいのものですかねとこちらが気楽に漏らすと、風速五〇メートルとか言われていると、どこから得た情報なのかそう伝えて、風速五〇メートルと言って数字の上では相当高いのではないかとは思われるが、そう言われてもどれくらいの激しさなのかちょっと想像がつかないと互いに笑った。そうして授業である。相手は(……)くん(中一・英語)と(……)くん(中一・英語)の、ここのところ毎週当たっている中一コンビに、こちらは久しぶりに当たる生徒だが(……)さん(中三・英語)。(……)さんはマスクをつけていて、何か疲れている風だったので訊けば、風邪を引いていて眠りこけていたと言う。それでいてしかし昨夜は二時まで起きていたと笑うので、それはちょっとまずいんじゃないですかと、こちらはもっと更かしているのを棚に上げて笑みを返した。彼女は学校に、まったく行っていないのかちょっとは行っているのか知らないが、基本的には行っていないようで、外部の支援学級のようなところに通っているらしく、テストは受けるようだがそれで教材も普通とは違って二年次の、夏期講習用のワークを用いている。今日扱ったのはThere is/are構文で、前回一度通った頁を、しかし一度で頭に入るはずもないからともう一度やってもらい、someとanyの書換えを間違えたのは文全体で三回ずつ練習してもらって、それをノートに記させた。(……)くんと(……)くんは、(……)くんもどうもあまり学校に行っていないようだが、この二人は多分昔からの付き合いらしく授業中も私語を交わしたり悪戯をし合ったりしてちょっとうるさい。遊んで騒がしくしているのに、お前らうるせえぞ、と文にすると剣呑だが実際は怒るのが苦手だから口調は荒げず、表情もちょっと緩ませながら注意すると、(……)くんが、あいつのせいですよ、みたいなことを言って友達を売るので、そうやってな、罪を他人に押しつけようとする奴こそがと、この時点で笑ってしまい、向こうもこちらの言いたいことを先んじて察して笑いはじめたのだが、一番罪を、とこちらは続けながらやはり笑いを堪えられず、相手も笑いながら、酷いですと大袈裟に喚いて机上に突っ伏したので、(……)くんの方に移動しながら、あいつ、泣いちゃったよと冗談を加えた。しかしまあ、そんな(……)くんも、前回当たった時よりはまだ幾分ましだったような気がする。一年生二人が今日学んだのは、三人称単数現在形のsである。授業中、高三生の(……)もすぐ間近の席で英語の長文読解に取り組んでいたので、わからないところはあるかと訊いて、ほんの少しだが教えてあげた。
 授業を終えるとまた生徒の見送りである。風邪を引いている(……)さんには、じゃあゆっくり休んでくださいと言葉を掛けたが、こうしたささやかな気遣いは何だかんだ言って大事だろう。室長はこのあと、昭島に行くと言う。講師面接があると言うので、何故わざわざ昭島でと訊けば、元々昭島教室が受けた話だったのが、あちらではいらないということになって、言わばこちらに押しつけられたような形らしい。何と、七一歳の人だと言うので、世知辛い世の中じゃないですか、そんな歳でも働かなければならないなんて、とこちらは受けて、じきに生徒は皆来たようだったので入口から下がって翌日の座席表を見れば、中三生の社会が二人、当たっている。
 そうして退勤し、コンビニへ向かった。(……)ポテトチップスの、二〇パーセント増量していると言ううすしお味のものを取って、フロアの隅からレジに並んだ。二つ前には黒人男性がおり、一つ前には若い女性が入ってきて、この人がきゃりーぱみゅぱみゅにも似ているのだが、それとは離れて何となく見覚えがあるような気がして、過去の生徒だろうかと思ったが真相は知れない。四〇八円を払って会計を済ませると、釣りを受け取りながら店員に礼を言って退店し、駅に向かって歩く道々、向かい風が寄せてきて結構肌寒い。改札を抜けると揃いの運動服姿の中学生が外から勢い良く走り込んできて、改札も急いで通る彼らが口から放つのは漏れる、漏れる、という言葉で、どどっと多目的用トイレの入口に迫ってボタンを押して、集団のなかの二人が一緒になかに入っていった。そこを過ぎて階段通路を行くこちらの横を、ほかの中学生が彼らも概ね走って抜けていく。ホームに上がると、もうかなり涼しくて夏の気もないのに習慣で例によってコーラを買い、ベンチに就いて手帳を読みながら飲んだ。途中でコンビニにいた黒人が通りがかってわかったが、この人は以前、中学生らに声を掛けていた人だ。
 コーラを飲み終えてボトルも捨てると今度は手帳にメモを取りはじめ、奥多摩行きが来て乗ってからも進めて、発車直前に現在時刻まで記録し終えた。それから瞑目し、電車の振動に揺られながら、明日医者に行きたいが午前中しかやっていないから、果たして起きられるか、まあ無理なら午後もやっている明後日にすれば良いかと考えたそのあとに、自分の最近の日記はどんどん細分化しているようだが、こんな領域まで行けるとは思わなかったと脳内で独りごちて、人間としての限界は無論あろうがどこまできめ細かく出来るか、まだまだ行けるか、一年後にはもっと緻密になっているだろうかと夢想して、そこから微分の極致としてのロベルト・ムージルを思い出した。『合一』の二篇のうち、「愛の完成」も大概だがやはり馬鹿げているのは「静かなヴェロニカの誘惑」の方で、あれは男女の関係の、内面の複雑怪奇なその機微を、ほとんど限界まで搔き分け書き分けした結果としてほとんど超越的とも思えるような崇高さに達した作で、大方何を言っているのか意味がわからないような文章なのだが、認識がもっともっと細かくなれば、あの文章もいくらかは理解できるかと、そんなことを考えているうちに最寄りに着いたので降りて、ホームを行けば後ろから何か低い歌声が渡ってきて、虚を引いて、という表現を、確か古井由吉の『白髪の唄』で使われていたものだが、それがどんなニュアンスかも知らないのに思い出して、歌っているのは若い男のようだったが声の雰囲気には酔った中年親父の浮薄さが聞かれるなと受けて進めば、階段を上っている途中で後ろから足音が高く、まるで躓いているような響きで立ってきた。階段通路を下りて抜けると、背後の男はトイレに折れた。こちらは通りを渡って坂に入ったところでムージルをまた思って、あの作はしかしひどく抽象的だから、認識の微分だけで追いつけるものでないか、また違う領域にあるものか、こちらは大方具体につくタイプだからと、そう思い直したが、しかしプルーストも、個別性の頂点においてこそ普遍性が花ひらくとそう言っているように、具体を搔き分け搔き分け行けば、その極みで反転的に内破的に抽象に行き当たるのが文学というものの革命的な動態だろうと考えながら下って行った。
 出た平ら道は肌寒いようで、そろそろベストを着ても良いかもしれないなと思われた。Y田さんの宅の前の柿の木の、いくつも実ったオレンジ色が、闇に塗れた夜道の色彩沈下のなかで、家々から漏れる暖色灯の温もりと同じ色で浮かんでいる。Kさんの宅の前では、ここ数日で一気に涼しくなったからもしかするともう使っているのか、石油ストーブの匂いが漂った。家の傍まで来ると林のなかから虫の音が、種々様々に立って夜を満たして、ただでさえ違う種のものが重なって増幅し合っているところに、同じ種でも当然だが音の高さが微妙に違うようで、僅かな差異を孕みながら交錯し合って鳴きしきっているのに、実に凡庸な比喩だが、精妙なオーケストラだなと思った。
 帰宅して玄関内に入り、扉の鍵を二つ掛けて居間に行くと、おかえりと言った父親の声が何だか大きく荒いような感じで、今日は休みだったから大方また酒を飲んでいるらしく、対して母親の挨拶は小さく低い。テレビは何かの映画を映している。二つとも閉めた、と父親が訊くのに、鍵のことだなと察してああと短く受けて、階段を下りて室に入るとコンピューターを点けて服を脱いだ。スラックスのポケットやバッグのなかから荷物を取り出してそれぞれの場所に戻しながら、先の両親の対照的な様子に、もしかするとまた酒を飲んで感情の箍が緩くなった父親が、母親の余計な発言を捕まえて怒ったのか、何かそういうような一悶着があってそれで母親は機嫌を損ねていたのではと推測が回り、廊下に出て脱いだスラックスをハンガーに掛けながら上階へ向けて耳を張ったが定かなことは知れない。戻って、コンピューターはプログラムを更新しているとかで立ち上がるのに時間が掛かるので、辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』から『城』を読みながら待った。読みはじめたのは、城を「視察する」ために出掛けていたKが目的地に辿り着けないまま、馭者ゲルステッカーの引く橇に乗せられて宿へと帰ってきた場面で(144)、そこでKはアルトゥールとイェレミーアスという名前の二人の男に行き会うのだが、この二人はKの「助手」であると自称する。奇妙なのはそれにも関わらず、Kが二人に全然見覚えがないような反応を見せることで、この男二人が本当にKの「古くからの助手」ならば、当然Kは彼らを目にした瞬間にそれがわかるはずなのだが、しかし彼は行き会ってまず初めに、「君たちは何者なんだい?」と男たちの素性を訊いている。それに対して「あなたの助手です」と答えられたKは、「なんだって?」と驚きの声を上げ、「君たちが、くるようにいいつけておいた、あの私が待っている古くからの助手だって?」と続けるのだが、この時点で既に作品世界に不可思議な奇怪さが充満しているのがおわかりだろう。二人が真にKの助手ならば、Kは質問をするまでもなくそれを認識するはずである。反対に、二人が外見上別人であるのならば、彼らは自分が古くから知っている助手ではないとKは即座に判断するはずなのだが、そうした二者択一がここでは機能しておらず、Kは当人たちからそれを知らされて初めて彼らが自分の助手であることを知った、とでも言うような、まるで記憶を喪失した人が他人から自分の覚えていない過去のことを教えられたかのような反応を見せている。その後、二人があくまで自分たちは助手であると繰り返すのに対してKは、「それはいい」と相手の言を認めるのだが、しばらくして男たちが「土地の測量」については何も知らないと言うのに、本当に「君たちが私の昔からの助手なら」、測量の仕事についても何がしかのことを心得ているはずだと仮定的な条件節を口にしている。常識的に考えるならば、先ほども指摘したように、一目見た時点で目の前の相手が知己かどうかわかるはずだが、Kには何故かその判断が付かないのだ。むしろ、二人の男はKの「古くからの助手」でも何でもなく、嘘をついてそれを装い、Kを騙していると考えた方が筋が通るようにも思えるのだが、しかし実際のところ、Kが騙されるような要素は何一つとして見当たらない。アルトゥールとイェレミーアスは、自分たちが真に助手であるということを証明する情報を何も持っていないし、助手として己の素性を確定させる努力もしない。むしろ、彼らの提示するすべての細部、仕事に使う器材を持ってきていないとか、測量について何も知らないとかいう発言は、明らかに彼らが助手などではないという事実を指し示しているように思われるのだが、奇妙なことにKはその点について何の関心も見せず、実際に彼らを助手として扱うことになる。二人が真実自分の「古くからの助手」かどうかなど、Kにとってはまるでどうでも良いかのような態度だ。ここには二段階の奇妙さが仕込まれている。すなわち、まずKには何故か、目の前の人物が昔からの知り合いであるかどうかの判断が付かないという点が一つ、そしてさらに、そればかりでなく、彼は男たちの素性の真偽にまったく無関心であるという点がもう一つである。Kは真実を求めることなく、男たちが助手であろうがなかろうがどちらでも良いというこだわりのなさで、真偽の二者択一を無効化し、宙吊りにしている。上に述べたような二重の謎がこの場面には埋め込まれているのだが、その謎はまったく掘り下げられず、完全に無視され、真相はうやむやのままに二人の男はいつの間にか本当に助手の地位に収まってしまうのだ。このようにして、真相をまったく不確定の状態に留め、宙吊りを宙吊りのままに戯れながら撒き散らされる奇怪さの感覚、常識的な現実世界の論理から位相が幾分ずれている、言わば偽物の[﹅3]世界が提示されているかのような不穏さの感覚が、カフカについて巷間たびたび口にされる、「夢のような」世界だという評言の因って来たる所以ではないだろうか。
 ――と、そのようなことをメモ書きしているうちにコンピューターの準備が整ったので、Twitterなど各所を回ったのち、カフカに関してのメモを引き続き読書ノートに、机の前に立ち尽くしたままノートを傾けペンを走らせて取った。九時九分まで掛かり、それから食事を取るために居間に上がっていくとテレビの画面にはノーベル賞の文字が見られて、しかし目が悪いので仔細に見えず、文学賞だろうかと首を前に出して瞳を凝らせば、化学賞だった。吉野彰氏と言って、この時はまだ詳細は知られなかったが、のちに知ったところではリチウム電池を開発した人が賞を受けたらしい。父親はその報を受けて機嫌良さそうにやたらと喜んでいる。こちらは台所へ行って昼間のスパゲッティの余りを電子レンジに突っ込み、そのまま流れるような動きで手を下ろし炊飯器を開け、米をよそる一方で、フライパンの鯖と獅子唐、茗荷のソテーを皿に盛り、同じく茗荷と卵の味噌汁を火に掛けて、その他キャベツを細かくスライスして和えたサラダなどを卓に運ぶそのあいだも、京都大学の学生とか市井の人々が日本人のノーベル賞受賞について称賛するのに応じて父親はうんうん頷いている。流し台の前に立った母親は、そんな父親にお皿を持ってきてと声を掛けて、運んできた父親は、はいどうも、すいませんねと一応言うので、これはまあ良い心掛けである。スパゲッティが温まると次に鯖をレンジに入れ、その後卓へ行って食事を始める傍ら、父親は素晴らしい! と大きな声を上げて喜び続けるのだが、その様子を目にするにつけ端的に鬱陶しく煩わしく、良くもそこまで乗っかれるものだと思う。このように大喜びしておきながら、それでいて父親は例えば今次の吉野氏の研究について、例えばものの本の一つも読もうとはせず、より深い理解を得ようとは努力せず、おそらくこの夜だけで彼のことはほとんど忘れてしまうだろう。そうした態度が、自らには手の届かないような例外的な、偉大な人間の功績に凭れ掛かった単なる消費行動でなくて何だと言うのか? つまりは一時の世の熱狂、盛り上がりに抵抗せず、唯々諾々と巻き込まれて、自らの足で確固とこの世界に楔を打って大きな流れに、それにわざわざ逆行はしないまでも少なくともそのなかで屹立せず、流されているようにしかこちらの目には映らないのだ。Mさんがブログにおいてたびたび言及する世の人の「物語」に対する免疫のなさというものが、ここにはひどく明瞭に露出している。ほんのひととき、熱情に身を任せて笑い燥ぎ、感動して涙すら流すが、しかしその実、物事に関心を持つということの意味を、その具体的な行為としての表れを理解せず、それを我が身に宿らせることが出来ない。これを愚かさと言わずに、ほかに何をそう呼ぼうか? 読者よ、おそらくこれこそが、大衆性というものだ。
 そう言ったからと言って、それでは自分は自分をその大衆性から逃れた高みに位置していると自負しているのか、自らを特権的なエリートや知識人のような存在だと思っているのかと言えば、そんなことがあるはずはなく、こちらは単なる一フリーターでしかない。さらに、誤解を招きたくないので付言しておくが、勿論、吉野氏の功績が素晴らしいということに疑問を投げかけているわけではない。仔細には知らないが、リチウム電池を開発したと言う。日本の研究者の業績が全世界にはっきりと認められた。なるほどめでたく、素晴らしいことだ。人々の生活を根底から変え、格段に便利にした。なるほど偉大である。それについてけちをつけ、その素晴らしさを否定しようという気持ちはまったくないのだ。しかし、そうした報を受容する方の有り様には、何か釈然としないものが残る。先ほども書いたように、ほんの一晩盛り上がるだけでおそらくは記憶から大方消し去られてしまう、そのような凭れ掛かりの有り様である。
 そのように考える合間に新聞の夕刊に目を落とし、ホワイトハウスが議会の、つまりは民主党の大統領への弾劾手続きは違憲だから協力しない方針だという報道を眺め、めくればそこには、ウイグル族の弾圧に関わった中国政府職員や共産党員には、米国は入国用のビザを発行しないとそのような方針を定めたと書かれている。それらを読むあいだも父親は端的にうるさく、ただ一人での憚りもない、恥ずかしげもない燥ぎぶりが鬱陶しく、母親も冷ややかな様子である。そのうちに、テレビは吉野氏本人の中継インタビューの段に入って、受賞の知らせを受けた時のお気持ちはどうでしたかとお定まりの質問を問われた老研究者は、まあ正直、多少は来るかなとは思っていたと、飄々としたような調子で事も無げに述べるのに、面白い人だなと父親はまた喜ぶ。こちらはさっさとこのような居心地の悪さを逃れたかったので、がっついてものを食い、台所に立っていた母親にどいてもらって食器を洗い、速やかに入浴に行った。
 そうして湯に浸かりながら、そもそもノーベル賞と言うがそのように権威ある[﹅4]賞であっても、一体どこまでの意味を持つものなのか、その正当性はどこから来るのか、ノーベル賞と言ってこちらが生まれた時からあって毎年持て囃されているから気づかず自然なものとして受け止めていたが、それはどのように今のような正当性を持つに至ったのか、つまりはその権威の出所、起源、歴史はどのようなものなのかと、およそ賞と言ってどんな賞であれ神でなく人の身が人に与えるもので、それほど大した意味を持つものなのだろうかと疑問を抱き、化学賞はわからないからこちらにも多少馴染みのある文学賞で考えると、当然の話だが賞を取ったからと言って作品の文言は何一つ変わらない。ガルシア=マルケスが一九八二年にノーベル文学賞を取っていようが取っていまいが、『族長の秋』の言葉は一字一句も変化しないし、その素晴らしさも変わらない。作家が賞によって突然実力をつけ、上手くなるわけでもない。それにもかかわらず、受賞によって作品の社会的価値というものにはおそらく多少なりとも変化が働くのだろう。言わば箔がつく、ということで、言い換えれば権威を得てより流通するようになり、つまりは売れるようになる。それに加えて作家は結構な額の賞金も貰えるわけで、すなわちこの資本主義社会において権威ある賞を得るということは、作家と出版社により多くの金が入るようになるということ以上の意味をあまり持たないのでは、と思ったりもするのだが、そう言っては少々ひねくれ過ぎかもしれない。無論、作品がより広く読まれることは、単純素朴に良いことだろう。それによって新しい読み方を、斬新な解釈をする人も出てくるかもしれないし、そのことで作品の価値評価が変容し、文学世界は端的に豊かになる。また、読んだ者に感化されて自分で書きはじめる者もあるに違いなく、そこからまた新たな偉大な作家が生まれるかもしれない。しかし、およそ賞と言ってどれであれ、それは人間の手によって創設されたものであって、その権威は一見自然さを装っていながらも明らかに人為的な作為なのだから、手放しで喜ぶのは警戒したいと言うか、その正当性がどこから来るのかという脱自然化の視点は必要ではないだろうか? 毎年のノーベル文学賞発表に接して、村上春樹の熱心なファンが店に集って今年はきっと、と期待を共有し合うものだが、彼ら彼女らは上のようなことをまったく考えないのだろうか?
 入浴しながらそのようなことを思い巡らせ、出てくるとパンツ一丁で部屋に下り、急須と湯呑みを持ってきて緑茶を用意するそのあいだにも、父親はニュースに向けて絶え間ない独り言を漏らし、各地での台風への備えが映し出されるのに、千葉県館山市の屋根屋根にブルーシートが張られている様子には、大変だなあと労りを表明し、どこかの浜辺で土嚢を作っているのにも、海辺ってのはこうして見ると大変だなあとやはり労るその傍らで、こちらの頭には東浩紀の「観光客」の概念が持ち上がっており、先ほどの「大衆性」批判は、喜ぶならば盛り上がるならば当事者になれと、少なくともそのための努力はせよと言っているに等しいのではないか、それは人に「観光客」になる余地を許さない狭量さなのではないかと、そう自己批判した。そこまで強いことを主張するつもりもないのだが。
 そうして室に戻り、緑茶を飲みつつ、出掛ける前に聞いていたceroの、『WORLD RECORD』を先の続きの七曲目から流し、メモを取りながら合間に"大停電の夜に"に掛かれば穏やかで夜想曲的なメロディを口ずさんでしまい、昼間の英文の続きを読もうと思っていたところが茶を飲みながらメモに時間が掛かって、ようやく終えるとコンビニで買ってきたポテトチップスを開けて、つまめば指先が汚れてキーボードに油が付着するので右の親指と人差し指は使わないように、あるいはティッシュで折々拭きながら文を読み、音楽はceroが終わればCharles Lloyd『The Water Is Wide』を続けて聞いた。(……)
 じきに茶をおかわりしに階を上がると、父親は歯を磨いており、テレビには『クローズアップ現代+』が映って良くもわからないが資産形成か何かの話が成されている。居室に戻ってまもなく、Brad Evans and Gayatri Chakravorty Spivak, "When Law Is Not Justice"(https://www.nytimes.com/2016/07/13/opinion/when-law-is-not-justice.html)を読み終えた。

・curtail: 削減する、縮小する
・preposterous: 本末転倒の
・jolt: 急激に揺さぶる; 衝撃を与える
・coercion: 強制

(……)Gender is bigger and older than state formations and its fight is older than the fight for national liberation or the fight between capitalism and socialism. So we have to let questions of gender interrupt these revolutionary ideas, otherwise revolution simply reworks marked gender divisions in societies.

(……)Let’s take as a final example what Immanuel Kant says when developing his “Critique of Aesthetic Judgment.” Not only does Kant insist that we need to imagine another person, he also insists for the need to internalize it to such an extent that it becomes second nature to think and feel with the other person.

Leaving aside the fact that Kant doesn’t talk about slavery whatsoever in his book, he even states that women and domestic servants are incapable of the civic imagination that would make them capable of cosmopolitan thinking. But, if you really think about it, it’s women and domestic servants who were actually trained to think and feel like their masters. They constantly had to put themselves in the master’s shoes, to enter into their thoughts and desires so much that it became second nature for them to serve.

 それから、茶を飲むあいだは日記の作成は何となく遠ざけられて、それではその時間でMさんのブログを読もうとひらけば、彼の生徒のKUさんと言って改めて見ると実に美しく素敵な名前だが、彼女が最近精神の調子が芳しくなかったところ、双極性障害を患っているという言が明かされていた。Mさん自身も助言をしていたが、一年後に自分の病状と共存できるようになっていれば良い、五年後には今より多少なりとも良くなっていれば良いと、実に焦れったい話だがそのくらいののんびりとした心構えが良いですよ、とこちらからはKUさんにはそのように伝えたいと思うものだ。
 Mさんのブログの最新記事を読み終えると便所に立ち、大量に尿を放って茶で重くなった膀胱を軽くし、戻ればもう一一時前だったのでヘッドフォンを頭につけて、Charles Lloydを聞きながらこの日の日記を書き足しはじめた。(……)
 音楽はCharles Lloydを繰り返しながら、日付が変わっても打鍵を続け、その後音楽が仕舞えて無音に浸っていたところ、カフカの感想のところまで至ってやや書きあぐねて、それで景気づけでもないがJohn Coltarne『Blue Train』を流し出した。日記を書きながら諸所をTwitterに上げているのだが、やはりツイートとしては何個も連続して房のように伸び、あまりにも長いからだろう、ほとんど反応はない。そうして『城』の分析を書くのに時間が掛かってあっという間に一時半、ようやく書き上げたものをTwitterにまた流しておくと、この夜は日記はここまでとすることにして便所に行き、再度膀胱を解放してから歯ブラシを咥えてきた。Twitterでダイレクト・メッセージを使って文学談義をしませんかと、そのように呟いて相手を募集しながら、辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読みはじめ、歯磨きを終えるとふたたび『Blue Train』を聞きながら待つけれどツイートに反応はない。本を読んでいる途中で何故か自分の日記を訪れてしまい、七日の記事のNさんとの会話、会話と言うかほとんどこちらが一方的に語っているだけなのだがその内容を読み返し、じきに戻った読書はしかしたびたび読書ノートにメモを取りながら進めるので、なかなか頁が進まない。John Coltraneの音楽が終わると、Mr. Bigの『Ger Over It』を聞きはじめ、さらにそれも終わるともう三時前、こんな夜更けに聞くには随分と激しい音楽だが、『What If...』に移行して書見を続けた。『Get Over It』では、#8 "Try To Do Without It"が、切れの良いリフを奏でるギターのトーンにしてもブルージーに明るく乾いた曲調にしても、ほとんどThe Black Crowesと同じような耳触りである。次の"Dancin' With The Devil"はライブでも披露される佳曲で、ファンキーな色が強く、ドラムのPat Torpeyが、この人はパーキンソン病で惜しくも既に亡くなったのだが、イントロから非常にタイトで気持ちの良いリズムを叩き出し、キックも素早く細かく連打して活躍している。#10 "Mr. Never In A Million Years"はかなり単純なブルース風のリフが、しかし手抜きとは感じられず好ましいシンプルさで繰り返される。このアルバムは全体にソウルフルな色合いが濃いのは、おそらく新加入のRichie Kotzenの持つ毛色なのだろう。 
 『城』についていくつか。まず、Kは使者バルナバスから官房長クラムが記した手紙を受け取り、それが含んでいる意味の射程についてあれこれと思い巡らせるのだが(147~148)、手紙の文言にせよKの読み解きにせよ、勿論どちらも実際には作者カフカがその手で書きつけているわけで、従ってここで彼は、自ら書いたテクストにあとから自己解釈を施していることになる。そこにおいてカフカは自己自身の批評家と化しているのだが、その「批評」は正直なところあまり明晰とは言えず、文章を鋭く截然と分節してその意味合いを明快に掘り出してみせると言うよりは、言葉の糸をわざと縺れさせるかのような振舞いで、それによって彼は自分の記述の意味を乱し、拡散・変容させて、敢えて物語を混迷に落とし込み、わかりにくくしているような趣さえ感じ取られる。作品の言語のなかで読み手としてのカフカと書き手としてのカフカはほとんど完全に一致している。あるいは彼はその二つの様態のあいだを絶えず「行ったり来たり」、往還し続けることで、自分自身とのあいだに言わば意味の闘争を打ち立てるのであり、それを闘い続けることがカフカの小説の力学を構成しているように思われる。
 カフカの小説においては今ここに書かれていることがすべてなのではなく、現今の意味は常にあとから覆される可能性を孕んでいる。彼の記述は常に隠された裏面を伴っており、登場人物は、そしておそらくカフカ自身も、最終的な真実を求めてその闇のなかに入り込み、突き進んで行くのだが、その深淵の暗黒にはどこまで行っても終わりはなく、探索行は必然的に、徒労に終わるほかはない。物語の真相は主人公Kにとって、そして読者に対しても届かない遠くに秘められており、いつまで経っても得ることの出来ない結論に至ろうとして人物は、そして作者も読者も、虚しく儚く手を伸ばし続けることを運命づけられている。カフカの小説において三者が共通して引き受けなければならないのは、そうした永遠の、終わりのない「途上」の様態である。
 第三章においてKは酒場の女中フリーダと懇ろの仲になり、酒場の床で転がり抱き合いながら一晩を共にしたあと、第四章においては元々Kがいた宿屋「橋亭」に二人で移り、そこのおかみからフリーダとの関係について苦言を呈されることになる(159~165)。この女中フリーダは官房長クラムの「恋人」(156)だと自称し、周囲からもそのように認められているようなのだが、ところがおかみによれば、城の役人であるクラムは「とても身分が高い」(164)貴人であり、「けっして村の人とは話さない」(165)ような雲の上の存在で、彼はフリーダとも「一度だって話したことがない」と言う。「あの人はただ、〈フリーダ〉という名前を呼んだだけなんです」とおかみは語るのだが、それでは一般的な意味で、クラムとフリーダは「恋人」だなどとはとても言えないはずだ。ここでも、『審判』における「訴訟」や「逮捕」という語について見られたように、言葉に具体的な実質を付与せずそれを抜け殻にして、ほとんど純粋に抽象的な観念として提示するテクニック、言わば「概念の空洞化」とでも呼ぶべき技術が観察される。
 読書は四時一七分まで続け、それで第四章まで読み終えたので切りが良いから眠ることにした。机上に置いた本の前にずっと立ち尽くしたまま呼んでいたので、さすがに脚が疲れていた。それで明かりを消してベッドに移ると、そろそろかなり涼しいから厚い方の掛け布団を身体に掛けて、その下で横を向き身を丸めて、脚を労り労り眠りに入っていった。


・作文
 11:48 - 14:59 = 3時間1分
 22:47 - 25:28 = 2時間41分
 計: 5時間42分

・読書
 11:06 - 11:48 = 42分
 16:00 - 16:24 = 24分
 16:36 - 17:00 = 24分
 22:09 - 22:32 = 23分
 22:36 - 22:46 = 10分
 24:35 - 28:17 = 3時間42分
 計: 5時間45分

・睡眠
 ? - 10:00 = ?

・音楽

  • 16FLIP『Ol'Time Killin' Vol.4』
  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • cero『Obscure Ride』
  • cero『WORLD RECORD』
  • Charled Lloyd『The Water Is Wide』
  • John Coltrane『Blue Train』
  • Mr. Big『Get Over It』
  • Mr. Big『What If...』

2019/10/8, Tue.

   悪意
    異教徒の祈りから

 主よ あなたは悪意を
 お持ちです
 そして 主よ私も
 悪意をもっております
 人間であることが
 そのままに私の悪意です
 神であることが
 ついにあなたの悪意で
 あるように
 あなたと私の悪意のほかに
 もう信ずるものがなくなった
 この秩序のなかで
 申しぶんのない
 善意の嘔吐のなかで
 では 永遠にふたつの悪意を
 向きあわせて
 しまいましょう
 あなたがあなたであるために
 私があなたに
 まぎれないために
 あなたの悪意からついに
 目をそらさぬために
 悪意がいっそう深い
 問いであるために
 そして またこれらの
 たしかな不和のあいだで
 やがて灼熱してゆく
 星雲のように
 さらにたしかな悪意と
 恐怖の可能性がありますなら
 主よ それを
 信仰とお呼び下さい
  (『全集』Ⅰ 492)
 (冨岡悦子『パウル・ツェラン石原吉郎みすず書房、二〇一四年、56~58; 石原吉郎「悪意」全篇)

     *

 詩を書きはじめてまもない人たちの集まりなどで、いきなり「詩とは何か」といった質問を受けて、返答に窮することがある。…(中略)…この問いにおそらく答えはない。すくなくとも詩の「渦中にある」人にとっては、答えはない。しかし、それにもかかわらず、問いそのものは、いつも「新鮮に」私たちに問われる。新鮮さこそ、その問いのすべてなのだ。
 ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。
 (「詩の定義」から引用 『全集』Ⅱ 318)

 この短いエッセイは一九七二年二月東京新聞に寄稿され、のちに評論集『海を流れる河』に収録されている。抒情詩の一般的な定義が、作者の感動や情緒の表現であるとするなら、石原の詩の定義はそれを否定するところから出発している。石原のエッセイはときに独特な論理の飛躍を見せることがあるが、その否定の論理は次のような順序で成り立っているのではないか。すなわち、彼には「もっとも耐えがたいもの」を語ろうとする欲望があり、そのために詩という表現形式を選びとった。しかし、彼の表現欲求は、その告発や苦しみの吐露を「書くまい」とする衝動によって抑圧される。発露を望むものとそれを強く禁じるものの葛藤が「沈黙」を生み出す。緊迫した「沈黙」は比喩を喚起し、比喩のなかでも求心的な直喩ではなく、対象を遠心的に変形させるメタファーないしは多声的なアレゴリーを呼び覚ます。
 (89~90)


 いつも通り、八時のアラームで一度起きたと思うが、その頃の記憶はなく、その後種々の夢を通過して何度か覚めたあと、一一時頃から段々と意識が定かになってきて、と言ってすぐには起き上がれず、カーテンを開けて一面真っ白な、本当に何の差異もなかに忍び込んでいない空漠とした平板さの空を、ほとんど白という色をそれに伴う形態と質量なしで純粋に具現化したかのような無窮の白さを見つめながら身に力が寄ってくるのを待った。窓の外の宙には黒い影が一つあって、何かと見ていれば細い脚が生えたそれは大きな蜘蛛らしいのだが、何の支えもない宙空の真ん中に浮かんでいるものだから本当に蜘蛛かと疑うようで、と言って蜘蛛はこちらの視認出来ない糸を支えにしているわけだが、その糸がどこに繋がっているのかどこから渡ってきているのか、辺りに縁[よすが]となるような事物もないので、超自然的な力で浮遊しているようにも見える。しばらくして一一時二〇分頃になると起き上がり、コンピューターを点けてTwitterなどをチェックする。LINEをひらけばT田から、梶井基次郎の小説で気になった表現の書抜きが届いていた。一旦それは措いておいて上階に行き、何故かやたらと痒い目を擦りながらテーブル上の書置きを見れば、焼きそば、作っておくれ、とある。しかし台所に入ってみれば茄子の味噌汁が残っているし、冷蔵庫のなかにはパックに入った生野菜もあって、焼きそばを作るのは面倒臭いのでそれらで食事を済ませることにした。便所に行って放尿してから茄子の味噌汁を温めて、柚子のドレッシングとともに野菜も卓に運んで、椅子に就き新聞を引き寄せて、記事を読みながら汁物を啜る。香港では先日覆面禁令によって二人が起訴されたのを受けて、その二人はもう保釈されたと言うが、しかし引き続き、抗議デモが執り行われている。国際面を見ればウクライナでも、ゼレンスキー大統領に反対するデモが一万人規模で行われたと言い、その下の記事にはトルコ軍がシリア北部の、クルド人勢力の実効支配する地域に攻撃を仕掛ける予定だとの報があって、また情勢が不安定になりそうだ。
 食事を取ったあと、水を一杯汲んできて抗鬱薬を飲み、野菜は全部は食わなかったのでパックを冷蔵庫に入れておいて手早く皿を洗うと、電気ポットに水を足しておき、それから風呂場に行って見れば浴槽のなかに湯は半分以上を越えて随分と多く残っているので、今日は洗わなくて良かろうと捨て置いて、そうして下階に戻った。LINEでT田に返信した。「街路樹から次には街路から、風が枯葉を掃ってしまったあとは風の音も変って行った。夜になると街のアスファルトは鉛筆で光らせたように凍てはじめた」という表現が、梶井の「冬の日」にあるのだが、ここは素晴らしい、こちらも以前読んだ際に書き抜いたところだと知らせ、後半の比喩もなかなか思いつきそうで思いつかず良いものだが、前半の、季節の進行や枯葉の有無に応じた風の音の差異を聞き分ける繊細な感受性の発露が素晴らしいと、そうした旨を述べた。それから、そろそろポットの湯も沸いただろうということで、急須と湯呑みを持って階を上がり、緑茶を三杯分ほど用意して、「たべっ子どうぶつ」も二袋持って戻ってくると、一服しながら文を読むことにした。まず日記の読み返しである。二〇一八年一〇月八日の日記には、冒頭、例によってフローベールの書簡の文言が引かれている。

 生れつき苦しまずにすむ人間がいるものです、無神経な人たちというのがそれだ。連中は仕合せですよ! でも彼らはおかげでどれほど多くのものを失っていることか! 奇妙なことに、生物の階級を上へ昇れば昇るほど、神経的な能力、すなわち苦しむ能力も増大するようです。苦しむことと考えることは、つまるところ同じものなのでしょうか。天才とは、要するに、苦痛を研ぎ澄ませること、つまり、対象そのものをいっそう完全かつ強烈に自分の魂に滲み透らせることにほかならないのかもしれません。おそらくモリエールの悲しみは、<人類>のあらゆる愚かしさ、彼が自分自身のなかにとりこんでしまったと感じていた人類の愚かしさから来ているのです。
(工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、284~285; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年九月三十日〕金曜夜 午前零時)

 また、「思えばこの日は寝起きからどこか肌寒いようで、日中過ごすあいだもジャージを上下ともしっかり着込んでいたのだった」と書きつけられているのを見る限り、どうも今年は秋が去年より暑いのではないかと思っていたのだが、やはり昨年は今年よりもだいぶ涼しかったのではないか。今年はまだ一度も長袖のジャージを着ていないのだ。
 続いて、二〇一四年一月八日の日記を読み返してみると、「風呂から出てスーツに着替えたあたりから、白雲に覆われた窓外の空と呼応するようにして心中にもやが立ちこめはじめ、吐き気未満の不快感と得体のしれない不安による息苦しさを感じた。今まさにストレスを感じていると自覚した。普通に立っていてもなんとなくふらふらするような感じがあり、最初の発作を起こす以前の微熱が長く続いた時期に似た印象を受けたため、これはまずいなと薬を二粒ずつ飲んだ」、「教室に入ってしばらくのあいだ目の前の空間を正常に認識できていないような離人症めいた感覚がつきまとっていた」、「ストレスを感じているのはまちがいないようで、帰ってきて食事をしていると妙に皮膚が敏感になったようでかゆくてたまらず、あっという間に腰回りや腕に蕁麻疹めいた発疹が広がった」と体調不良がいくつも書きつけられていて、まだまだ病気の圏域にあって万全ではないようで、長い時間を経て癒えていったものだなあと感慨を覚える。
 その頃、玄関の階段を上る足音らしきものが聞こえ、宅配便か何か来たかと廊下に出たが、続いてインターフォンが鳴らないのでどうやら家族だなと、しかし母親か父親かどちらかと、階段の下に留まって戸の鍵を開けてなかに入ってくるのに耳を寄せると、足音が重たるいので父親が、どうやら今日は休みらしくどこかに出掛けていたのが帰ってきたのだなと知れて、それで自室に戻ると次にfuzkueの日記を読むあいだ、上から台所で動いているらしき水音などが聞こえて、焼きそばを作ろうとしているのか、母親の書置きはこちらに向けてと言うよりも、父親に宛てたものだったのかと思って見に行くと、還暦を越えた男が無骨な手付きで台所でピーマンを切っている。おかえりと言って、作るのと言わずもがなのことを訊けば肯定が返り、俺はもう食ったからと告げると、食ったの、と父親は目を見ひらいて、何を食ったのかと続けて問うので味噌汁と野菜、冷蔵庫に野菜があっただろうと返せば、キャベツなどがないから買ってきたのだと言った。まあでも、作っておいてくれれば夜にも食えるから良いんじゃない、と落としてこちらは自室に戻り、Sさんのブログを読みはじめた。

若さを失ったことは日々実感するのだが、死んだ父親がまだ若かったときの姿が、今の自分なのだ、ということも同時に考えている。自分を半ば、もし父が生きていたとしたらとの仮定にもとづいた行動をする存在に感じている。つまり自分が、死んだはずの父だと思っている。父の生の続きをやっているような気がしている。父の後日を父として生きているように感じている。あなたは失敗だったが、僕も失敗するだろう、それはそれで仕方がない、大体同じやり方で、二回試すのだ。
(「at-oyr」; 「反復」 https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/09/06/000000

 これは確かMさんが『双生』のヒントになるかもしれない、みたいなことを言っていた箇所だったような気がするが、面白く、ここには何かがあるような気がする。先日読んだ、ハン・ガン『すべての、白いものたちの』で描かれていた感覚にも通ずるようなところがあるかもしれない。さらに翌日分には、円山応挙展の感想が綴られていたのだが、下の部分が素晴らしく、そうなんだ、そういうことなんだ、と思わされるものだ。

墨というのは実に豊かで深い表現力があって、そのグラデーションのきめ細やかさには息を呑む。油絵の具が何層にも分かれた超薄膜の重なりによって表現するものを、墨は紙の上にたったの数秒で表現してしまうと言っても過言ではない。制御不可能に感じられる液体の運動そのものを、人工的に制御してイメージへと定着させる、自然と人工のとてもわかりやすいコラボレーション演出素材として墨はとても雄弁な道具だ。

たとえば先日、横浜ではげしい雷雨があったけれども、あの連続する稲妻と落雷音を聞いていると、この世界には人間の影が一つもない無人な場所が、空の上でも海の底でも、まだ無尽蔵にあって、そんな場所で、暗い空の彼方で音もなく空気が流動して、放電して一瞬ぱっと周囲が明るくなって、しかしその瞬間をこの世の全ての人間の誰もが知らないし見ていない…みたいな「光景」がきっとあるのだろうなと思うけど、それはだから、たとえば山水画を観るときに感じていることと近いようにも思うし、枯れ野原を鳥たちが飛び立とうとする瞬間を捉えた、その羽ばたき、風に揺らぐ草、の表現、、あるいは雨に煙ってところどころ霞んでいる山谷の景色にも通じるのだと思うのだが、しかしそれにしても、これらのイメージは、少なくとも自分の思い浮かべる内側においては、何もかも墨の世界だなあ、とも思うのだった。
(「at-oyr」; 「墨」 https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/09/07/000000

 Sさんのブログを五日分読むと、緑茶をおかわりしに上階に行った。父親は自分で作った焼きそばを、随分濃い色に染まったそれを食っており、今日は塾はないのかと訊くのでないと答えるその傍ら、テレビは何やら料理番組を映して手鞠寿司とかいうものを作っていて、それを見やりながら緑茶を再度、三杯分ほど用意すると自室に帰って日記を書き出した。ここまで綴れば三〇分ほど経過して、一時に至っている。
 便所に立ったのを機に、一時半前からFISHMANSの『Oh! Mountain』を久しぶりに流し出したのだが、日記を書き進めているうちにthe pillows "Tiny Boat"の話題が出てきて、それで『涼宮ハルヒの憂鬱』の映像とこの曲を合わせた動画を検索したついでに、Youtubethe pillowsのオリジナル音源も流して歌ってしまった。ライブ映像も見ながらもう一度歌い、LINEを通じてTにも、一昨日俺が言及していた曲はこれだ、切なげで良い曲だから聞いてみてくれとURLを送りつけておき、それからまた便所に立つと放尿しながら何となくOasisのことを思い出したので、戻ってくると"Rock 'N' Roll Star"と"Wonderwall"を続けて歌って、その後ようやく"夜の想い"から『Oh! Mountain』に立ち返ってふたたび日記に邁進した。
 "感謝(驚)"に至ると打鍵を止めてまたメロディを口ずさんでしまうのだが、このライブ音源におけるこの曲の演奏は、以前はBメロの裏のギターのカッティングが非常に切れ味が良くて耳を張っていたところ、今回ベースに耳が行って、細かくゴースト・ノートを挟んで非常に気持ちの良いリズムを生み出していることに気がついた。このベースは端的に言ってやばく、凄い。相当に踊れるものだ。その後も時折り歌を歌いながら一〇月六日の日記を進めるのだが、三時になってもまだ終わらない。その頃母親からメールが届き、タオルだけ出してくれとあったので一旦階を上がり、ベランダの前に吊るされたタオル類のハンガーを持って戸をくぐり、外気のなかに出ると、まだ曇ってはいるものの、陽の感触が幽かに肌に触れる。父親はまた出掛けたらしく、玄関の方に出て小窓から駐車場を覗いてみれば車はないが、焼きそばを作っていってくれたようで台所のフライパンのなかには濃い色に染まった麺がいっぱいに入っていた。
 部屋に戻ると、母親と墓参りに行っているはずのYさんからメールが入って、見れば図書カードを渡し忘れた、ごめんとあって、郵送するからもうちょっと待ってねと言うものだから、郵送などわざわざしてもらうのは申し訳ないし、急ぐものでもないから今度遊びに行かせてもらった時で良いよと受けたところ、いや良いよと押すのでそれではそうしてもらうかと受けて礼を述べた。また遊びに行かせてもらいますと言っておき、日記に取り組み、三時半過ぎからSonny Rollins『Saxophone Colossus』を流して勢い良く滑らかな打鍵に励んでいると、まもなく帰ってきた母親が戸口をひらいて、図書カード忘れちゃったごめんと謝るので、Yさんからメールを受けたと返した。I.Y子さんから高級な茶葉を貰ったと言う。
 四時四〇分に至ると部屋が薄暗くなってきたので頭上の明かりを灯し、六日の日記を終えて画面右下の時刻を見れば、ぴったり五時だった。四時間半ほど、合間に短い中断は挟みつつも、ほとんどぶっ続けで書いていたことになる。我ながら、良くも気力集中力が続くものだが、この日記はほとんど一筆書きなので、もうさほどの気力もいらないようなものになっている。それからブログに記事を投稿しようというわけで、しかしそのあいだに何か音楽が欲しいと思ってプレイヤーをスクロールさせていると、scope『太陽の塔』が目に留まったので久しぶりに流すことにして、歌いながらインターネットに日記を投稿するのだが、引用部の体裁を整えたり、名前を検閲したりしなければならないものだから、ブログとnoteに投稿するだけで一〇分以上が掛かっていた。五時一四分から、運動を始めた。運動と言ってしかし、トレーニングの類でなく、身体を適当にほぐすだけのもので、習慣にもなっておらずやる気になったのも大層久しぶりである。それでも前後左右に開脚して脚の筋や股関節をほぐしながら、scope『太陽の塔』の四曲目、"無罪"を歌い、それからベッドに移って足の裏を合わせながら身体を前に折り曲げて、これもまた股関節をほぐす柔軟運動を行ったあと、今度は片脚ずつ前方に伸ばして足の先を手で掴みながらやはり身体を前に倒すようにして筋を伸ばす。音楽が最後の"クロニクル"、これはとても良い曲だとこちらは思うが、それに入った頃にはベッド上にうつ伏せになって、両手を前に突きながら上体を持ち上げて反らす、いわゆる「コブラのポーズ」を行っていた。歌いながらその姿勢を保ち、歌が終わってアウトロに入ってからも曲が終わるまでポーズを崩さず待って、腰や背中の肉をほぐした。
 そうして身体を温め終えると部屋を出て上階へ、居間は真っ暗で、母親がもう電気を点けてと言うので階段出口の脇にあるスイッチを押すと、眩しい、と母親は漏らす。何か作ったかと訊けば、もうやったと言い、カウンターの上には確かに笊に入った生野菜が見えたので、飯に関してこちらの仕事はないようだと判断してベランダの前のタオルに寄って、触れるが水気が取れておらず、乾いていないぞと言うと仕方がないよと母親は受ける。翌日にまた出すつもりでいるらしい。そういうやりとりをしている時は、ちょうど父親が帰ってきたところで、おそらく車のなかにあったと思われるゴミ箱を持ってきており、ゴミを整理しているらしかった。テレビのニュースは、ドナルド・トランプ安倍晋三の誕生日を祝ったとかおよそどうでも良いことを報じていたが、その祝いの言葉のなかでトランプは、何でも安倍のことを三九歳とか言ったらしい。
 塒に戻ると五時半である。まだ七日の日記も残っており、この日の記述も済ませたかったが、一旦措いてまた夜にやれば良いかと落として、英文を読むことにした。音楽はscopeのすぐ上にSarah Vaughanの名が見えたので、彼女の歌唱を聞こうということで『Crazy And Mixed Up』を流し出し、Brad Evans and Richard J. Bernstein, "The Intellectual Life of Violence"(https://www.nytimes.com/2017/01/26/opinion/the-intellectual-life-of-violence.html)を読みはじめれば、耳に入ってくる冒頭の、"I Didn't Know What Time It Was"からして香り高く、危なげがまったくないバックの演奏も含めて世評に違わず名盤の風格が漂ってくる。それからじきに流れはじめた三曲目、"Autumn Leaves"は、史上稀な名唱として名高いので今更こちらが言うまでもないが、やはり端的に言ってやばくて、ほとんど異次元の音楽とも言いたいほどの極みに達していると思われる。Sarah Vaughanはやばい。ほかのアルバムも集めるべきだろう。
 英語を読み進めているうちに六時が過ぎて、音楽を同じSarah Vaughanの『After Hours』に移してしばらく、そうして読み終えた。以下に調べた英単語と引用を載せる。

・installment: 連載の一回分
・banister: 手すり
・in plain sight: 丸見えで
・hide in plain sight: ありふれた風景のなかに潜む
・wretched: 哀れな、悲惨な
・glorification: 賛美
・to the extent that: ~の限りでは
・exhortation: 激励、奨励
・lexicon: 辞書
・antithetical: 正反対の、対極の
・poignantly: 痛烈に、身を切るように
・further: 促進する
・posit: 仮定
・query: 質問、疑問
・regression: 退行
・invidious: 不愉快な
・solidarity: 団結、連帯
・improvidence: 将来を見通さないこと
・disposition: 気質、性格

But there is another side of Arendt. She rejected all appeals to doom and historical necessity. She stresses the possibility of new political beginnings, what she calls “natality.” She had a deep conviction that people can come together, create a public space in which they deliberate and act, and change the course of history.

What does this mean? In her lexicon, power and violence are antithetical. Initially this seems paradoxical — and it is paradoxical if we think of power in a traditional way where what we mean is who has power over whom or who rules and who are the ruled.

Max Weber defined the state as the rule of men over men based on allegedly legitimate violence. If this is the way in which we think about power, then Arendt says that C. Wright Mills was dead right when he declares, “All politics is a struggle for power; the ultimate kind of power is violence.”
Against this deeply entrenched understanding of power, Arendt opposes a concept of power that is closely linked to the way in which we think of empowerment. Power comes into being only if and when human beings join together for the purpose of deliberative action. This kind of power disappears when for whatever reason they abandon one another.

This type of power was exemplified in the early civil rights movement in the United States and it was exemplified in those movements in Eastern Europe that helped bring about the fall of certain Communist regimes without resorting to violence. Violence can always destroy power, but it can never create this type of power.

Arendt’s distinction between power and violence is also closely related to her distinction between liberty and freedom. Liberty in her understanding is liberty from — whether it is liberty from the misery of poverty, or liberty from tyranny. And liberty from tyrants and totalitarian rulers may require armed struggle. But this type of liberty is to be sharply distinguished from public freedom, which for Arendt means a worldly reality that comes into being when people actively participate in public affairs and act together in concert.

Unfortunately, we have to learn over and over again that liberty from oppressors is never sufficient to bring about the public spaces in which public freedom flourishes. Achieving public freedom means cultivating practices where people are willing meet one another as peers, form and test opinions in public and act in a responsible manner.

R.B.: I don’t think that violence will ever completely disappear from the world. In the future we will become aware of new forms of violence that we can’t anticipate now. But I am certainly not pessimistic. What we learn from the history of violence is that we need to be specific and concrete when we speak about violence. I don’t believe in Progress with a capital “P,” but I do believe in progress with a small “p.”

Earlier I mentioned the work of Fanon and others who critiqued “traditional” forms of colonial violence and participated in social and political movements to oppose and overcome this colonial violence. Of course, there can always be regression, and some will argue that we now have new, more subtle varieties of colonial violence. I am not contesting this. But the breakup of the old colonial system was progress in overcoming a dehumanizing form of violence. In the United States, the lynching of blacks was once a common practice. It took decades to combat this form of violence. That is progress with a small “p” even though there are now new, invidious forms of violence against black populations.

And throughout the 20th century, we have many instances of the power of nonviolent movements to overcoming state violence, from Gandhi in India to Solidarity in Poland. We discover similar progress in overcoming violence in the feminist, gay and lesbian movements. There will always be those who say that such progress is insignificant because it doesn’t eliminate violence but only displaces it with new forms of violence. This can lead to what my colleague (and Stone series moderator) Simon Critchley calls “passive nihilism.” I do not accept the nihilist or cynical response.

So I believe that we must constantly be alert to new (and old) forms of invidious violence, oppose and resist them when we can with full knowledge that many of our efforts will fail. We should never underestimate the importance of overcoming the suffering, pain and humiliation of those who are victims of violence. Let me conclude by citing Christopher Lasch’s characterization of hope. I think it is especially relevant to the issue of identifying, opposing, and resisting violence:

“Hope implies a deep-seated trust in life that appears absurd to those who lack it … The worst is always what the hopeful are prepared for. Their trust in life would not be worth much if it had not survived disappointments in the past, while knowledge that the future holds further disappointments demonstrates the continuing need for hope … Improvidence, a blind faith that things will somehow work out for the best, furnishes a poor substitute for the disposition to see things through even when they don’t.”

 その後、そろそろ腹も減って内臓がぎゅるぎゅる音を立てて呻くなか、しかし飯は七時まで我慢しようと捨て置いて、それまでの時間で何をしようかと迷ったが、結局書抜きをすることに決めた。栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』である。Sarah Vaughanの歌をバックに打鍵を進め、二箇所を抜いた。先日、ゲットーからのユダヤ人の「撤去」、「移送」計画実行の際の、誰かを助けるために必ず誰かを殺さなければならないという地獄のような状況や、そうした条件下で同胞を売ることを良しとせずに自ら命を絶ったり殺されたりした小規模ゲットーの指導者の記録などを日記に引いたが、今回書き抜いたのもそういう悲劇の一端である。

 ユダヤ人警官が一日の「仕事」を終えて家に帰ってくると、家の前に多くの人が群がっているのが見られた。親類を連行された人たちが贈り物をしようと待っているのだ。「たとえ彼らの胸は、ほんの少し前に彼らの親類を自動車に引きずってゆくのを手助けしたかもしれない『青い制服の男』に対する憎しみではり裂けそうになっていたにせよ、人々はへり下った声である種の和解を懇願し、制服の男の機嫌を損なわないようにと努めるのだった。後払いで手付けを受け取ってもらえたものは好運だった。彼はすくなくとも若干の希望を抱くことができるのだ。しかし、大多数は手ぶらで帰った。警官には彼らのいうことをきく時間などないのだ。この種の収賄屋のひとりが我々の建物に住んでいる。そして、撤去された人たちの親類が彼のアパートの前に集まって泣き叫ぶ声が夜通し聞こえた」。
 撤去を免れるための身代金は、最初一人につき一〇〇〇ズオチから二〇〇〇ズオチであったが、やがて一万ズオチにも跳ね上がった。身代金は現金のほか、ダイアモンド、金などさまざまな形で支払われた。「警官が現金の他に女性の肉体による支払いまで要求した例がいくつもある。私の友人カルマン・シルベルベルクは、そういう警官のバッジ番号と、体で自由を購った女性たちの名前を知っている。警察は病院のなかにそのための特別の部屋を持っていた」。
 他方で、ユダヤ人警官も追い詰められていた。あるユダヤ人警官は任務遂行中に、おそらくユダヤ人によって、殺害された。他のユダヤ人警官は集合広場に集められた七〇人のユダヤ人を救おうとして、SSに射殺された。こうして、二~三〇人のユダヤ人警官が殺害された。任務遂行から離れようとするユダヤ人警官が続出した。ドイツ側はこれにたいして、ユダヤ人警官ひとりにつき一日五人の割り当てを課して、これが実行できない場合は、彼と彼の家族が「撤去」されることとした。ユダヤ人警官は、どうしてもノルマを果たせないとなると、知り合いであろうと、友人であろうと手当たり次第連行することとなった。このような仕事に耐え切れず、自殺したユダヤ人警官は八人にのぼった。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、204~205)

 もう一つには、強制収容所の作られた経緯のような情報を写したのだが、強制収容所という施設は元来、一九三三年の時点では、ナチスの政敵である共産主義者社会主義者などを「保護拘禁」するために建設されたものだと言う。与党の「政敵」であるというだけで「拘禁」されてしまうのだから、実に恐ろしい情勢であると言うか、端的に言ってあまりにやりたい放題である。しかし、これは決して過去の問題ではない。同じようなことがこの現代でも、例えば新疆ウイグル自治区などでは行われているに違いないのだ。ともかくそういうわけで、「強制収容所は、元来、中央から統一的に建設されたのではなく、地方のSAやSSが当座の必要に迫られて作っていったものなのである」(223)とのことなのだが、一九三六年に至るとその収容所に「反社会的分子」の拘禁という新たな意義が付与されて、同性愛者だとか乞食だとか売春婦だとかジプシーだとか、ナチズムの考える「反社会的」なはみ出しものを収容するようになり、まもなくそこにユダヤ人というカテゴリーも加えられたという経緯だと言う。
 書抜きを終えると七時前に至っていたので食事に行った。台所に入れば食器棚の上、電子レンジの前のスペースに何やら半分になったトーストが置かれている。上に卵と、何だか良くわからないがシーチキンのようなものが載せられているそれを取り上げてちょっと齧りながら、フライパンの焼きそばを、すべて食べてしまって良いと言うので一気に大皿に盛ってレンジに突っ込み、さらに大根や人参の煮物もよそり、生野菜のサラダも素手で掴み上げて大皿に載せ、卓に運んで台所に戻ると、トーストの残りを口に運んでもぐもぐ咀嚼する傍ら背伸びをしたり肩を回したりしながらレンジが停まるのを待った。そうして温まった焼きそばを持って卓に行くとものを食べはじめたが、夕刊が見当たらない。夕刊はと訊けば父親が、窓際の机の上に置かれてあったのを取ってくれ、それを膳の右手に置いて一面の、北朝鮮の漁船と水産庁の漁業取締船の衝突事件の続報を追っていると、一二、一三は雨だと母親が言うのが聞こえて、一二日雨だって、と確認したあとに、一二、一三と俺は出かけるぞと告げる。どこに行くのと訊いてくるので、ものをもぐもぐ食うその合間に切れ切れに、一二日は中学の同級生であるHYと、下北沢に行くと言えば続けて用事を訊くので、何かライブがあるらしいと答える。そこで一旦会話は途切れて、何か別の話題が挟まったのだが、あるいはそれは、夕刊をひらいて美術展の情報を見ていたらその並びのなかに、我が町青梅の市立美術館の企画展の情報が含まれていたので、こんな田舎町の小規模な美術館の展示でも全国紙に載るものかとその旨両親に告げたのだったかもしれない。その後、一三日は何があるのと話題が戻ったので、Tの家に行くと言って、皆で料理を作るらしい、と教えた。(……)
 テレビはニュースを映していたはずだが、何を報じていたのか特に覚えてはいない。早々とものを食い終わるとごっそさん、と言って席を立ち、台所で手早く皿を洗って仏間に移り、簞笥のなかから肌着を取って湯浴みのために洗面所に行けば、鏡に映った自分の顔が、髭でいくらか汚くなっているので、翌日は労働でもあるし剃るかと決めて髭剃りを取ったところが充電が切れている。それで、電池がもうないぞと居間の父親の方に行き、充電器はと訊けば仏間の方から持ってきてくれたので、受け取ってコンセントに繋いでおき、風呂から出たら剃ろうと思っていたのだがその後忘れてしまった。湯に浸かって例によって目を閉じ、身体の動きを停めると、外で凛々と鳴いている秋虫の声が、いつもは空間全体に敷かれるように溶けるように満ちているが、しかし今日は野もせに拡散的に広がるのでなく、線状に、あるいは縁が揺らいで波打った太い帯のように、そのような形態をイメージさせる風合いで締まって空間を貫き通っているようだった。物思いを巡らせるあいだ、合間合間にthe pillowsの"Tiny Boat"のメロディが断片的に流れる。最初はTの結婚のことをぼんやり考えていたのだが、じきにこうして今、自らの思考を見つめている自分自身の様態の方に思念が移って、自分自身と距離を取って自己観察をするということがこちらのような日記を書く者にとっては必要不可欠なのだが、それは言わば自己と世界を同一平面上に置き、その両者のあいだの境や段差をなくすこと、横文字を使うならば主客のあいだのバリアフリー化というようなものだなとまず考えた。自身を世界の一片として、一つの現象として見るそのような観察主体と化した時に、見られる方の自分自身は世界の一部として同化するとして、しかしその見る主体の方はどこにあるのか? 世界からもその一片である自分自身からも退き、距離を取るのだから、世界の外かと考えてみて、しかし存在は存在である限り世界の外に出ることなど出来ないだろうと払い、かと言って単純に世界の内の、どこか具体的な場所にあるとも思われず、どこか曖昧模糊としたような空白の、ちょうど今日の如く深い曇りの日の空に見られる茫漠とした無限の白さが果てなく続いているような、そんな領域が思い浮かんで、ありがちな言い方ではあるが非在の場所、ということになるのではと思った。そこにおいて主体はまた、具体的な属性を持った自己から離れるのだから、無論現実的には完全に個人を脱却することは出来ないとしても、理論的には言わば非人となる。誰でもない者として、どこでもない場所にあること、これこそが作家という主体の様態ではないか、と考えた。言ってみれば非人称かつ非座標の存在ということで、そこにおいて作家という主体は、ほとんど純粋な「存在」そのものと化すのではなかろうか。個別的な人間としての属性からも選好からも解き放たれた概念そのものとしての存在になるということで、あるいは換言すれば、自律的に自動的に筆記する「装置」でもなく、「機械」ですらなく、書くという「機能」そのものの抽象性として存在するのではないか。自己から離れるということは自己を虚しくするということと大方同義であると考えて、それを一言で「忘我」の様態と言ってまとめれば、こうした議論は「悟り」のような観念とも接続できるような気もするが、それは今は措いておき、個別的な属性から切り離されるからこそ作家はものを書けるのだとすれば、ムージルの『特性のない男』という名高い作品名が思い起こされもするけれど、また他方、これはジョン・キーツの言う「ネガティヴ・ケイパビリティ」を想起させるものでもある。以下に谷川俊太郎の説明を引く。

 ジョン・キーツシェイクスピアを例に挙げながら、「ネガティブ・ケイパビリティ」ということを言っています。ある特定の詩人が持っている非常に独特な資質として。つまり、「詩人はカメレオンだ」とキーツは手紙で言っている。どんな対象の中にも入り込んでそれと同化することができる、だから詩人自体はもっとも非詩的なんだと。太陽や月や海、衝動の産物である男も女も詩的なんだけど、詩人という種族だけはそんな個体としての個性を何も持たない、詩人は神の創造物の中でもっとも非詩的なもので、自我を持たない、だからこそ、詩を書けるんだ、とキーツは言っているんですね。そのネガティブ・ケイパビリティを、もっとも持っている本物の詩人がシェイクスピアだと。僕がこの概念を知ったのは詩人になってずいぶんあとだけど、なるほどな、って思ったな。
 (谷川俊太郎/尾崎真理子『詩人なんて呼ばれて』新潮社、二〇一七年、87)

 個別的な人間主体としてのあり方から離れ、非人称かつ非座標の、無属性の、純粋に白い「存在」そのものとしての様態を経由して、ふたたび具体的な事物の方へと向かい、そのなかに言わば溶け込んでいく、それらの事物に向かって生成変化していくこと。この世界のなかに自己を散乱させ、撒き散らし、断片化して分有させること。それが作家の存在様態、存在力学なのではないかと、風呂に浸かりながらそんなことを考えた。
 風呂を出るとパンツ一丁の格好で自室に戻り、食事中や入浴中のことを軽くメモに取ったあと、茶を注ぎに階上に行った。テレビは『笑点』の、回顧のようで桂歌丸が司会をしていた頃の映像を流しており、林家木久扇が、当時はまだ木久蔵だったかもしれないが、例によってすっとぼけた振舞いを見せるのにちょっと笑ってしまいながら茶を用意し、玄関の戸棚から「たべっ子どうぶつ」の最後の一袋を持ってきて、そう言えばと思い出して、俺が買ってきたクッキーは食べたかと母親に訊けば、まだだと言う。それから急須と湯呑みを持って下階に下りるとLINE上でT田が、一二月一日に大学の吹奏楽部の演奏会でピアノを弾くことになったと報告していたので素晴らしいと受けておき、日記を書かねばならないところだが何となく気が逸れて「週刊読書人」の記事を読むことにした。真鍋厚×宮台真司「『不寛容という不安』(彩流社)刊行記念トークイベント載録 『分断と孤立を終わらせるには?』」(https://dokushojin.com/article.html?i=2488)である。

宮台  この章に限らず、聖なるものを掲げて統治を正当化するシオクラシー的要素がどんな国民国家にも不可欠で、それゆえに国民国家にとって、事実の粉飾や、聖性が正当化する暴力が、不可欠になると書かれています。見ず知らずの人を「仲間」と思うには、事実を超えた聖なる物語とそれに基づく行動が必要です。かつての枢軸国だけでなく、連合国=市民革命側であれ、自らは他よりも尊いものに属するとの観点に立ち、異分子を排除・搾取してきた。それが植民地支配でした。

真鍋  私はこういった国家ぐるみの排斥の歴史を、ISが行っている宗教的不寛容さを背景にした暴力と結びつけました。彼らが現に行っている組織的な暴力行為は、私たちと違う世界の話として片付けられないのではないでしょうか。

宮台  真鍋さんの直裁な物言いを噛み砕くと、遊動集団では一五〇人が仲間の上限数、定住集団では匿名性が生じない上限が二万人なので、数百万から数億人規模の国民国家は仲間じゃあり得ない。ゆえに「歴史=聖なる物語」の共有による粉飾と隠蔽が必要になる。それは「史実」を裏付けとした壮大な聖なる物語の形をとる。聖なる物語が国家に所属する意味を見出させ、仲間意識を喚起させる。それを自覚する統治権力は、近代以降も、国家正史の創作を、史実に脚色を粉飾しつつやってきたのだ、と。

真鍋  ISもバックボーンとなる歴史を重要視しながら、神聖なる物語を作り上げて賛同者を募っていましたね。

宮台  だから、この章を読むと、ISと僕らが実によく似る事実を思い知らされます。彼らがここ数年行なってきた国作りにおける暴力とその正当化は、僕らの国家がやってきたことのトレースです。

宮台  終盤で、今まで議論してきた社会が抱える問題を解決する処方箋が考察されます。エピローグの「「敵」でも「味方」でもないものの方へ」ではアメリカにいる「プレッパー」という人たちの生き方からヒントを得ます。この点からご紹介いただけますか。

真鍋  「プレッパー」という人たちは、例えば核戦争やパンデミック、ポールシフトなどの事象が発生して社会が崩壊した時にどうやって生き残るのかを真剣に想定した上でライフスタイルを組み立てて、日々生活している人たちのことを指します。

宮台  サバイバリズムを日常生活に取り入れていると。

真鍋  そうですね。彼らは起こり得る危機から家族や身近な地域社会、あるいは自分の自由を守ろうと考えているわけですが、同時に限界状況においては独力で守りきれないことを理解している。だから生き残りをかけるために技術やインフラの相互提供を約束できるプレッパー同士のネットワークを構築するんです。つまり、いざとなった時に身を助けるのは人の繋がりである、と考えているわけで、この部分は我々も大いに学ぶべきだと思うんです。

宮台  僕が『社会という荒野を生きる。』で推奨した態度は「プレッパー」と同じです。システムは脆弱で、災害時や戦争時に頼れない。頼れない時に生き延びられるかどうかという観点から社会関係を再構築せよ。それが僕のメッセージですが、それを実践する「プレッパー」には、家族や隣人以外に可能な限り多くの人を救う手立てを考える人もいる。

真鍋  彼らは自分たちだけが生き延びることを良しとせず、まだ見ぬ人たちのことまでも視野に入れてみんなで力を合わせて助かろうとしているんです。

宮台  とはいえ、ファナティックすぎるのでネガティブな印象を持たれがちです。

真鍋  外界と完全にシャットアウトしている「プレッパー」を見ると、被害妄想に取り憑かれているように見受けてしまいます。そうではなく、日頃から門戸を開いて、隣近所ときちんと情報を共有し、いざとなったらみんなで助かるんだ、という互助の精神を持ち、共同体を築く生き方をしている人たちはとても魅力的に見えますね。

宮台  共同体を作って稼動させ、次の共同体につなげる上で必要なのは、損得を超えた贈与です。「プレッパー」が可能な限り多くの人を助けたいと思って実行していることが、まさに贈与。だから彼らは共同体をうまく回して来られました。
 僕が共同体の存続に必要なのは「損得より正しさ」「交換より贈与」と言い続けているのは、恋愛ワークショップの失敗が教訓になっています。女はまだしも男は、僕の話を理解できても、今さら心の働きを変えられないと言う。プラグマティストが言う通り、事実よりも価値が、言葉よりも動機づけが大切ですが、価値や動機づけなどの心の働きを大人になって涵養するのは難しい。共同体を超えた社会規模では尚更です。でも、それを欠けば社会がもちません。ジレンマです。

真鍋  だからこそ現実社会の中で人同士が関わりあって、無償の贈与関係を共有する必要があるわけです。そのためには積極的にコミュニティに参加するべきだと本に書きました。ただ、どうしてもコミュニケーションベタな人もいるわけで、そういった人は背中を押してくれる誰かを見つけるべきである、と宮台先生は二村ヒトシさんとの共著『どうすれば愛しあえるの』でおっしゃっている。実はこの部分は本を書き終えたあとで気付かされたことなんです。

宮台  僕みたいに、閉じこもってきた奴を無理矢理外の世界に引っ張り出したがる御節介焼きは結構いる。「心配無用、大丈夫」といった後押しが絶対必要です。

真鍋  それこそがまさに贈与ですよね。そういった与えられる贈与経験が積み重なった先に今度は自分が同じような境遇の誰かに与える贈与で還元することが出来る。そういう良好な循環が生まれるはずなんです。

 その合間に、LINEでT田に、六日の日記をブログに上げたぞと報告し、引用を含めてのことだが四万字を越えたと言うと、「いい狂い具合だ」との評価が返って、それでインターネット記事を読んでいる途中で自分の日記を読み返してしまった。「俺の世界はどんどん細密化されていっているようだ」とさらに言うと、「知覚が発達して、一日24時間は変わらないのに情報量が増えているんだな」と返って、「なるほど、そう考えると、知覚精度が二倍になれば、一日の長さも二倍になったようなものか」と受ければ「お前すごい生物だな」と感嘆を向けられたので、「このまま行けば、一日が四八時間に感じられる日も遠くないな」とふざけたあとに、「いや、そんなわけあるか!」と、いわゆる自分自身に対する乗り突っ込みで落とした。日記の読み返しは中途で止めて記事へ戻って、Evernoteにコピー・アンド・ペーストで保存しながら、cero "POLY LIFE MULTI SOUL"を歌った。
 それからまた六日の日記を改めて読んでみると、当然のことだが手癖ばりばり、といった感じで、単調、というとちょっと違うが、考えずに喋るように書いているものだからやはりリズムが、文の流れ方があまり多様にならない感はある。しかしまあそれでも別に良いだろう。読み終えると九時過ぎで、ふたたびインターネット記事に触れることにして、佐藤成基「ドイツの右傾化勢力が敵視する〈68年世代〉リベラルとは何か」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57947)をさっと読み、さらに長濱一眞「ブルジョア独裁の風景――「最高責任者」の消極的な無責任について」(https://dokushojin.com/article.html?i=6013)という時評も読んだ。

 (……)周知のとおり、家屋損壊等々の被害のみならず断水、停電、電波障害などの窮状を訴える被災者からのSNS投稿が注目され始めてから数日、安倍晋三及びメディアが最も時間を費やしたのは内閣改造に関する彼是であって、組閣翌日の12日にようやく記者団の質問に答え「復旧待ったなし」の掛け声に続けて安倍が述べたのは、「現場現場で、持ち場持ち場で全力を尽くしてもらいたい」だった。この「最高責任者」の消極的な無責任性は、「プッシュ型支援」など迅速な被災地への行政の直接介入の条件を整備してきたのがほかならぬ安倍政権なだけに、また今回の組閣後真っ先に目標として掲げた改憲において創設が目指される「緊急事態条項」も、ともかくも建前上は大規模災害にあたり行政によるより強力な対応が可能となるからとその必要を説いていたことなど鑑みるに留意していいし、またこの消極的な無責任に対する国民の反応も、災害対応の遅れや不備のため大いに叩かれた過去の政権の事例と比すならあまりに「お行儀がいい」。(……)

 それにしても、メディアへの露出も人気取りも決して嫌いでない安倍が、「全体の奉仕者[ステイツマン]」の器でないとはいえ、災害に際して対策本部を設置し陣頭指揮を執って功を成し以て民から堂々たる喝采を浴びることに徹底して無関心であり、それを隠しもしないのは、だが、そのことを「全体」から咎められない「最高責任者」であり続けている事実ひとつ取っても、決して統治を放棄していることを意味しない。「グレー」か「クソ」かは問わず、この半ば企業機関化した行政の長は確かに国民にサービスを提供しそれなりの満足度を稼いでいる。恐らく民主党政権を念頭に、災害対策の類いに不備や失策は不可避で指弾[クレーム]は免れえず、しばしば失態は真面目に取り組むほどまぬけに映るのなら、いっそ動かず前に出ないのがリスク・マネジメント上賢明だと安倍は判断しており、この消極性は同時に次のことにも資する。フーコーに倣っていえば、なるほど安倍政権はもはや人口を対象とした「安全」の保障に励まないものの、やはり安全と平和を提供しているのだ――飛来の恐れがないミサイルのためにJアラートを鳴らすのとこれは矛盾しない――。安倍にとって問題は、現に隅々まで安全「問題ない」か否かよりも――現に好景気か否かよりも、とおなじく――その「感[イデオロギー]」であって、つまり安倍が宴会や内閣人事を優先させて「問題ない」以上は災害もまた「問題ない」程度なのだから、皆も同様に無関心で「問題ない」ばかりか、そうであれとのメッセージを波及せしめる。当然ながらこれには分断が伴う。しかし、善意のボランティアや地域コミュニティ含む「持ち場持ち場」にその対処を負わせた「現場」からの訴え[クレーム]が顧客[ユーザー]全体の雰囲気を不穏にするに至れば、場合によっては切り捨て不可視化し、「安心してご利用いただける」日本をプレゼンテーションすることが、企業的な監視管理[コントロール]であり、分断もこの統治のため利用される。事実、下請け先の「持ち場」で脱イデオロギー的に職域奉公に「全力を尽く」すサーバントへの「感謝」と併せて、魑魅魍魎からは「準備不足」など自己責任を咎める声が被災者に発せられた。安全と平和を脅かす「お行儀悪い」事態を「ある」から「ない」へ分離したうえで「全体」を再捻出するのに軽便な「風評被害」なる言葉も流布して久しいいま、公共圏に現われたなにがしかの抗議者は収監されないにしろ存在自体が「風評被害」と化し、そのとき消極的な無責任に徹する安倍は「風評被害」に屈しない「最高責任者」となるのだ。

 その後音楽をRyan Keberle & Catharsis『Azul Infinito』に移して、階猛「消費増税なしでベーシックインカム年金は実現する」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019092600001.html)を読み、終えると一〇時前からこの日の日記を書き足しはじめた。まもなくアルバムは五曲目の"Quintessence"に掛かったが、この曲はやはり良く、演者がそれぞれ良く歌っているそのメロディを合わせて口ずさめるようになりたいものだ。
 この日の日記を現在時に追いつけたあとは、七日の日記を進める。Nさんとの会話である。自分がもしかして双極性障害なのではないかという疑いについてや、ガルシア=マルケスについて偉そうにべらべらと語ったことなどを書きつけ、マルケスの作品についての分析は場を弁えずTwitterの方にも長々と流した。そうして零時半過ぎで切れば、三時間弱、打鍵し続けたことになる。腹が減ったので夜食を、例によってカップ麺だが、食べることにして上階へ、居間の明かりを点けてポットを覗くと湯が少ないので、薬缶に水を汲んでおき、玄関の戸棚から塩味の「カップスター」を取り出した。蓋のデザインが普通のものと違っており、乃木坂48だか46だか忘れたけれど、そのアイドル・グループのライブが当たるとか書かれていたものの、当然ながらこちらに興味はない。ポットから湯を注ぎ、薬缶を持ち上げポットのなかに水を足しておき、熱い容器を両手で持って下階へ下って、食う合間に何かを読むことは確定だが何を読もうか、カフカをもう読みはじめようか、しかし頁に汁が飛ぶかもしれないし、机の上も本とカップ麺を両方置くには少々狭く、誤って容器を倒したりしたら目も当てられないと考えて、そうするとコンピューターでものを読むべきか、しかしインターネット記事は今日はもう充分読んで気が向かないから、それではここで、今日は触れていなかったMさんのブログを読むかと定めて、麺を啜りながら彼の日記を追った。食べ終えるとスープも飲み、飲み干せば容器をゴミ箱に突っ込んで、食後の一服の緑茶を用意するためにふたたび上階に行ったが、喉が渇いていたのでまず冷蔵庫のなかの冷たい水を飲むことにして、皿がいっぱいに詰まった食器乾燥機から、高い音を立てないように注意しながら小さなグラスを一つ取り出し、水を注いで一杯飲むと、それから緑茶を用意した。一杯目を急須に注いで茶葉がひらくのをちょっと待つあいだに、米はあるかと台所の炊飯器を見に行けば、結構あるので既にカップ麺を食ったにもかかわらず追加でおにぎりも食べることにして、「クレラップ」を敷いた上に米を乗せ、親指と人差し指で塩をつまんでぱらぱら振るのを三度繰り返したあと、もう一枚ラップを上から被せて持ち上げ握る。そうして居間のテーブルの隅に戻り、緑茶の一杯目を湯呑みに注ぎ、二杯目、三杯目の分を急須に入れておくと、下階へ戻った。
 茶を飲みながら、メモにはただ「ブログ」とだけ書いてあるのだが、これはMさんのブログのことなのか、それとも自分の日記を読み返したのか。いずれにせよ茶は濃くて美味く、飲んでいると露出した上半身に汗が滲む。窓は開けていなかった。今日は朝からずっと開けておらず、そのくらいには気候も涼しくなってきたようだ。そうして緑茶をすべて飲み干して歯ブラシを取ってくると、一時半から辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を、本はテーブル上の閉じたコンピューターの上に載せて、その前に立ったまま、頁を見下ろし文を追った。二時前からRyan Keberle & Catharsis『Into The Zone』をヘッドフォンで聞きはじめ、音楽とともに頁を通過して「審判」を読み終え、「城」に入ったのは二時台後半だったと思うが、その頃にはちょっと睡気が滲んできていて、ヘッドフォンをつけて聴覚を閉ざし、現世と隔離された音空間のなかにいると余計にそうなるようで、アルバムをすべて聞かないうちに耳を解放して、身体も疲れたので、多分途中で寝るなとわかっていながらもベッドに移った。それからちょっと読んでいたが、やはりそのうち意識を落としたらしく、その後の記憶は残っていない。


・作文
 12:34 - 17:00 = 4時間26分
 21:52 - 24:34 = 2時間42分
 計: 7時間8分

・読書
 12:04 - 12:31 = 27分
 17:33 - 18:15 = 42分
 18:24 - 18:52 = 28分
 19:55 - 20:19 = 24分
 21:10 - 21:48 = 38分
 24:49 - 25:25 = 36分
 25:28 - ?
 計: 3時間15分

・睡眠
 4:35 - 11:20 = 6時間45分

・音楽

2019/10/7, Mon.

 真夜中、だれかがたしかに起きてる
 失いつづける波打ち際で、両手をひたし
 ほとんどみつからない
 やさしい言葉を掘りだそうとして
 でも満ち引きは
 わずかにきっとベッドのなか
 首筋に鼻をこすりつけ
 さんざん爪でさわりあった、すべての二人の
 やわらかな悲しみにこそあって
 乾きおえた頬に、はにかむ地球の陽が
 ふれるとき
 (岡本啓『グラフィティ』思潮社、二〇一四年、89; 「発声練習」)

     *

 風だ
 見えないということが
 いらだちをとおくまで運んでくれないか
 (90; 「発声練習」)


 今日もまた明晰夢を見たはずなのだが、内容の詳細はもはや覚えていない。一番最初に目覚めたのはちょうど八時になる頃合いで、四時間ほど寝たことになるが、時計を見やって針が天頂に達しようとしているのに携帯のアラームがそろそろ鳴るなと起き上がって機械を取ると、まさしく鳴り出す五秒前くらいで、直後に叫びはじめたのを即座に押さえ込んで、そこでそのまま正式に起床に留まれれば良かったものをふたたび寝床に戻ってしまい、それから断続的に、切れ切れに眠って夢をいくつも見たというわけだ。一一時一〇分に至って最終的に身を起こし、布団の下から抜け出した。外は晴れていたが、気候はわりあい涼しかった。部屋を抜けて洗面所に行き、顔を洗ってから便所に入って放尿、そうして自室に戻ってくるとコンピューターを点け、Evernoteをひらいて前日の記録を付けると、この日の記事ももう作成しておいた。それからTwitter、LINE、Gmail、Slackなど方々を確認し、そうして上階に上がってテーブルに就いている母親に挨拶したその声が、どうも低くざらついていた。洗面所で髪を梳かしてから、食事は何かあるのかと、訊きながらそう言えば前夜に肉が残っていたなと思い出し、冷蔵庫からそれと、茄子の和え物を取り出した。さらに大根の味噌汁の鍋も保存されていたので、それも取って焜炉の上に置く。米をよそってそれぞれ温めて運んだ卓の上にはメモ書きがあって、八日と言うと明日だが、Yさん、Y子さんと名前が書かれているのはその二人とともに墓参りに行くらしく、それで思い出したがYさんが、図書カードを持ってくると言っていたから受け取っておいてくれと母親に伝えた。続けて、まあ俺も行ったって良いけれどと呟くと、しかし我が家の墓だけでなくYBさんの墓にも行くと言うから、それなら良いかと落とし、とこういう会話をしたのは確か、食事の支度後ではなくてその前ではなかったか? どちらでも良いのだが、食事中にそのほか話したのは、昨日訪問してきたK田.Hさんのことが一つあって、惚けてきているという噂だからどうだったのかと訊けば、そんな風にも見えなかったと言う。突然来たから参った、昨日は朝も早かったからうとうとしていて、掃除機も掛けていなかったところに襲撃されたものだから、五分だけ待ってと言ってテーブルを適当に片付けて、と言う。茗荷やら何やらを持ってきたらしいのは多分、Kの葬儀で会った際に何かこちらから差し上げたそのお返しなのではないか。その後、M子さんのところに行くと言ってK田家の二人は台風一過のようにしてすぐに我が家を去って、母親は駅に向かう二人を坂の途中まで見送ったのだが、駅で会わなかったと訊くので、どうもそれらしき二人を見かけたとこちらは答え、M子さんと言ってこちらには、我が家は親戚が多いからいつも誰が誰だか忘れてしまって良くもわからないのだが、NBさんの奥さんだと言い、NBさんというのはもうよほど以前に既に亡くなっているHさんの弟で、M子さんというのはあの鬼太郎みたいな、と思い出して訊けば果たしてその人だった。水木しげるの漫画に出てきそうな顔をしている婦人なのだ。それで、K田家の二人がいきなり行くと言うからMちゃんに、と言ってこれも誰なのかわからないがどうやらM子さんの娘さんらしく、その人に、今から行くって言っていたよと電話を掛けておいたのだと母親は話した。
 隣家のTKさんが具合が悪かったらしいという話も出たが、それを訊いたのは確か食事中ではなくて、台所の電子レンジの前で焼いた豚肉が加熱されるのを待っていた時である。昨日の夕方だかに、茗荷を届けたと言っていただろうか訪ねてみると、調子が悪くて今まで寝ていて、これからまた寝ようと思っていたところだと言っていた、と言う。いよいよ危ないぞ、とこちらは失礼なことを言ったが、実際、九八にもなっているのだからいつ突然死んでもまったくおかしくはないだろう。そのほか、親父の様子はどうだったと尋ねれば、昨日、払沢の滝に行ったとか言っていたのは何やらイベント、と言うか、一年に一度くらい顧客を連れてあきる野市あたりに行ってもてなすそのような企画があるらしくて、それに駆り出されて、払沢の滝まで行ったのかは知らないがそのあたりを回ったのだろうという話で、それを終えて帰ってきてから今度は自治会の会合がまたあって、そこで飲み食いしてきて、どこで集ったのか知らないが宴会に供された野菜の皿を、皆が摘んで食い散らかしたあとのそれを持ち帰ってきたものだから、こんな汚いのを持ってきてと文句を言ったところが怒鳴られて激しく怒られたから、もう知らないと思ってさっさと寝室に下りてしまったと言う。俺が帰ってきた時には、そこで眠っていたぞとソファを指せば、そうでしょうと母親は受けて、足取りが随分よたよたしていたと続ければ、このあいだのYちゃんみたいな、と立川の叔父の名前を出すので、まさしくその通りだとこちらは返して、もう歳を取ったということなのかねと落とした。
 それで父親はまた、SMくんと言って昵懇にしている同級生がいるのだが、その人から高級そうなマスカットと葡萄を貰ってきたと言う。わざわざ父親がいた秋川の営業所まで来てくれたらしい。あれは一個一〇〇〇円くらいはするよと母親は言って、それが五つだから大層な贈り物だが、何故そんなものをくれたのかと訊けば、先日会った際にこちらがロシアの土産などをあげたそのお返しだろうと言って、その際にも大きな竹筒に入った高い豆腐を持たせてくれたのだから、あそこの奥さんは気が利いているんだねと母親は評価した。
 そうした会話の傍ら新聞に目を落として、二面に載せられた香港関連の記事では、マスク禁令に対して無許可の抗議デモが行われたと言うが、こちらが注目したのは一部の人員が、正確な場所を忘れたが駐留中国軍の施設にレーザー光を当てて威嚇したという情報で、さすがに本土中国の軍隊に喧嘩を売るのはまずいのではないかと思ったものだ。国際面をひらけばリビア内戦が激化していて、一〇〇〇人以上が既に犠牲になっていると言う。カダフィ大佐が死んだあとのリビアという国も混乱の渦のなかにあるようで、国防軍だったか国民軍だったかそうした一派と、反体制派の方とが争っているなかに、イスラム国などの過激派も闖入してきて勢力を増し、混戦を極めているらしい。
 食後、水を一杯注いできて抗鬱薬を飲み、皿を洗うと風呂場に行って、ブラシを取り上げ浴槽を擦っていると、水道の土台と言うか、浴槽の端に取りつけられたその部分の縁に黒ずんだ汚れが溜まっているのに気がついたので、力を籠めて擦り擦り綺麗に落として、浴槽のなかも隅まで洗って流して戻ると、今日は母親が仕事でこちらが休日だから夕刻には食事の支度をしなければならないが、ジャガイモでも炒めてくれと母親は言い、そのほか中華丼の素があるから野菜炒めにそれを絡めても良いとのことだった。
 電気ポットを覗くと湯が尽きかけていたので、薬缶から水を注いでおいて自室に帰り、湯が沸くのを待つあいだにと過去の日記の読み返しを始めたのが一二時一〇分である。まずは一年前の一〇月七日のものだが、冒頭に引かれたフローベールの書簡のなかの、「四時間かけて、ただのひとつの文章も出来なかった」という言などを見ると、Mさんも同じようなことを嘆いていたのを思い出すもので、やはり彼の前世はフローベールだったのだな、そうした前の生の宿縁が彼を苦しめているのだなと思う。

 うんざり、がっかり、へとへと、おかげで頭がくらくらします! 四時間かけて、ただのひとつ[﹅6]の文章も出来なかった。今日は、一行も書いてない、いやむしろたっぷり百行書きなぐった! なんという苛酷な仕事! なんという倦怠! ああ、<芸術>よ! <芸術>よ! 我々の心臓に食いつくこの狂った怪物[シメール]は、いったい何者だ、それにいったいなぜなのだ? こんなに苦労するなんて、気違いじみている! ああ、『ボヴァリー』よ! こいつは忘れられぬ想い出になるだろう! 今ぼくが感じているのは、爪のしたにナイフの刃をあてがったような感覚です、ぎりぎりと歯ぎしりをしたくなります。なんて馬鹿げた話なんだ! 文学という甘美なる気晴らしが、この泡立てたクリームが、行きつく先は要するに、こういうことなんです。ぼくがぶつかる障害は、平凡きわまる情況と陳腐な会話というやつです。凡庸なもの[﹅5]をよく書くこと、しかも同時に、その外観、句切り、語彙までが保たれるようにすること、これぞ至難の技なのです。そんな有難い作業を、これから先少なくとも三十ページほど、延々と続けてゆかねばなりません。まったく文体というものは高くつきますよ!
 (工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、279~280; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年九月十二日〕月曜夕 午前零時半)

 そのほか二〇一八年のさらに一年前の日記から風景描写が引用されていて、これもなかなか力が入っていると思った。「暮れ方の僅かな残光のなかに浮かんで不定形に空を覆っている巨大な雲の端々を見ていると、何とも言葉にならなかったのだが、非常にリアルに感じられてやはりこれは凄いなと、迫ってくるような感じがあったし、飛行機の音が聞こえたのに引かれて頭上を見上げても(音の聞こえるあいだ中、結局その姿は見えなかったのだが)、くすんで淡い雲が染みのように浮いているそのために、白い空が視線を留めず果てしない空漠として映るのではなくて、そこにも確かに空間があるのだということが実感されて、何か怖いようなところがあり、また同時に、よく空について言われる屋根とか天井とかいう比喩が初めて現実的な感覚として腑に落ちたような気がした」(2017/10/7, Sat.)。
 さらには、二〇一八年一〇月七日のこの当日にも、上の記述と同じようにベランダから空を眺めているのだが、この描写も病中にしては結構上手く整っていて、リズムも無理なく澱みなく流れて自然に書けているように思われたので引いておく。「ベランダに出た。暖気のやや籠ったような室内と比べて外は涼しく、柵の手摺りに腕を置くと少々冷やりとするようだった。先日高枝鋏を使ってその実を採った隣家の柿の木の、枝はもう裸になって寒々しいなかに実だけまだいくつかついているのが目に入る。首を目一杯曲げて直上を見上げれば、黄昏に入る手前で色を薄めた夕空に静止した薄雲の、ここでは冷たく白くてちょっと雪を思わせるようだったが、そこから広がる三方向の外縁にそれぞれ大きく湧いているものは灰色を帯び、なかで東南の、市街の上に突出したもののみ青さが幽か混ざっているその下の、果ての宙に、紫の色のうっすらと漂って透き通った浅瀬のようだった」(2018/10/7, Sun.)。
 続けて二〇一四年一月六日の記事を読み、加えてもう一日、一月七日の文も読むと、この日のなかには母親が、客のところに誤った書類を入れてしまったと記されていて、それを見るにまだこの時期は彼女は東京電力の検針員をやっているようで、そうだったかとちょっと意外に思ったのだったが、それで言えば祖母が死んだのが二〇一四年の二月七日だからまだそれ以前のことなのだ。もはや別世界のように遠い昔と感じられる。この日の日記にはまた、「全然書けない。クソみたいなことしか書けない。このような駄文を少数とはいえ衆目にさらして申し訳ない。日に日に書けなくなっているような気がする」と欄外に弱音が書きつけられているが、この当時自分が思っていたほど書けていないわけでもなく、勿論単調で特に面白いものではないけれど、糞だと嘆くほどでもない。
 次にfuzkueの「読書日記」を読み、その間、T田にLINEを送って、保存してある最古の日記であるところの二〇一四年初の記事をブログに投稿しはじめているから、今のものと読み比べてみてくれと伝え、この五年と九か月における己が成長ぶりを誇示し自賛し、John Coltraneの努力にも比すべき成熟の速さではないかと馬鹿げたことを言った。Coltraneは五六年の、Miles Davisの傍らで披露していたあの、ぎこちないような朴訥ぶりから、五年経つと六一年だからもう『My Favorite Things』の録音も済ませて、Village Vanguardでの録音もヨーロッパ・ツアーを収録した『Live Trane』の音源も残っている年だからここがまさに全盛期、伝説の、黄金のカルテットの地位も確立させた頃で、それからさらに五年経って五六年から一〇年を数えればそこでは既にフリーの魔境に果敢に突入しており、そして翌年の六七年には世を去った。自分もあと四年を通れば二〇一三年に読み書きを始めてから一〇年になるわけだが、Coltraneがフリー・ジャズを開拓したように、こちらもその頃、文章をさらに進化させていられるだろうか? どんな文章を書くようになっているだろうか?
 その次にはSさんのブログを読んだ。この頃にはもう緑茶を注いで来ていただろうか? 覚えていない。母親は既に仕事に出掛けていたはずだと思う。Sさんのブログは、最初に読んだ八月二九日の記事は、二〇〇六年の記事に引いた保坂和志『羽生』からの記述をリメイクしたような趣向のものなのだが、こちらが注目したのは二〇〇六年というその時間で、彼はもう一三年もブログを書き続けていることになる。一三年前と言うとこちらはまだ一六歳、高校生で、端的に世のことも生のことも何一つわかっていない単なる陰気な餓鬼だった頃であり、そんな時代からSさんが文章を書いているというのは、それはちょっと凄いなと思った。九月一日には坂本繁二郎という、こちらは初めて目にした名前だが、画家の展覧会の感想があって、そこから一部引用する。「画家はおそらく牛や景色や雲や空の固有性には関心がなくて、ただ絵画への関心だけがある。今自分が見ているものを受けて絵画をつくるときに、複数の量感、色彩、形態の交差を組織させるにあたって、固有の物質はそれらを仮留めするために最終的に必要とされるだけだ」というのは、小説に置き換えるとどのような作家がやっていることなのだろうか。

坂本繁二郎のモチーフといえば牛であり馬だが、作品を観ているとなぜ牛なのかが理屈ではなくわかる気がする。画家はおそらく牛や景色や雲や空の固有性には関心がなくて、ただ絵画への関心だけがある。今自分が見ているものを受けて絵画をつくるときに、複数の量感、色彩、形態の交差を組織させるにあたって、固有の物質はそれらを仮留めするために最終的に必要とされるだけだ。牛のフォルムは背景の山の稜線と響きあい、背中の模様は雲に食い込み、腹の下の向こう側の景色は牛とどちらが前後関係なのかがわからなくなり、色彩の渦は距離を見失わせ、それらが牛や空や山ではない、ある力の拮抗した構造物=絵画にほかならないことだけが感じられる。
(「at-oyr」; 2019-09-01「坂本繁二郎展」 https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/09/01/000000

 その後、九月二日の記事まで読んでSさんのブログは切りとして、寺尾聰『Re-Cool Reflections』をYoutubeで流して三曲歌うと、何故か自分のブログをひらいて昨日投稿した五日の日記を読み返してしまったが、なかなか上手く記述は流れているようだ。それから便所へ向かい、室に入る前に脚がなまっているのを感じたのでちょっと屈伸してから戸をくぐって糞を垂れ、戻るとFISHMANSCorduroy's Mood』とともに作文を始めた。二曲目の"あの娘が眠ってる"に掛かると打鍵を一時止めて口ずさんでみたが、高い方の音で声が幾分掠れるようで、あまり上手く伸びなかった。日記はその後この日のものを先に書き進めて、二時直前になって、John Coltraneのことを記したので彼の音楽でも聞くかと、と言って黄金のカルテットのそれではないのだが、『Blue Train』を流しはじめた。
 それからさらに一時間、打鍵を進めて、三時を過ぎたところで外も曇って部屋内に蔭が忍び込むようになってきたし、夜から降るとも言われているから始まらないうちに洗濯物を仕舞うかというわけで、一旦切って上階に行った。ベランダに吊るされた洗濯物は、昨日の分、いや正確には一昨日の分なのか、良くわからないがともかくどうやら二日分あるようで、やたらと多かった。それらを取り込みながら見れば、ベランダの柵の外、家壁の端のあたりに大きな蜘蛛の巣が作られており、その中央にこれも巣に相応して大きな主が、黒と黄色とが交互に塗られて縞模様になっている脚を広げて鎮座しているのだが、踏切りの停止棒の模様というのはもしかしてこの蜘蛛の脚を元にしたものなのだろうか。眼下では梅の木が萎んで丸まった葉をいくらかまだ残して空気に晒しており、そのさらに下の茂みからは今雀が何匹も連れ立って飛び立って、Mさんの家の、この宅は主の老婦人がもう亡くなって今は無人になっているその屋根に移って、そこからさらに鳴き声を放ちながら、風に押されて軒を転がる茶色の落葉のように瓦の上を跳ね動き、端からまた一斉に、羽撃きの音を聞かせ宙に滑らかな丸い軌跡を描きながら飛んでいった。吊るされたものをすべて室内に入れてしまうと、まずタオル類を畳んで、バスタオルとフェイスタオルと重ねて揃えて洗面所に持っていく。それから両親とこちらの肌着を整理し、さらに両親の寝間着も畳みながらそのあいだ考えたことに、例えばT田などはこちらの日記がやたら長いのに異常だ異常だと称賛を送ってくれるけれど、面白いのは、いや面白いと言うよりもはや恐ろしいのは、そう言うT田だって、T田以外の人間だって、そして人間以外の動物だって、とそれを含めると話がややこしくなるので今は一旦動物は省くが、人間は皆こちらが過ごしているのと同じ長さと豊かさを持った一日を毎日体験しているわけで、そこで感じることもそんなにそれぞれの人間で違わないはずだから、だからおおよそどんな人間であれその人が見聞きし行動し感受したことを正確に、十全に細密に表すことが出来れば、こちらの文章と同じくらい、いやもっとそれ以上に長く豊かなものになるはずなのだということで、少なくとも日本語の文にして二万字三万字になるようなこれくらいの豊かさを持った毎日を、この世に七二億だか七三億だか莫大な数存在している人間の、そのどの一人であっても例外なく毎日欠かさず送っているというその事実、思考がとても追いつかないようなこの世界の豊穣さ、途方もなさに、我々はいつまで経っても畏れを抱き、驚嘆すべきなのだということだ。
 それで洗濯物を畳み終えると三時半前、何をしようかなと、と言って日記を書くべきなのだから何をしようかなもないのだが、何かちょっと食べたいような気がして食卓の脇に目をやれば、煎餅などがちょっとあったけれどあまり気が向かなかったので、まあ戻って日記に邁進するかというわけで下階に下り、塒に帰ってコンピューターの前に立ち、そろそろ部屋内が薄暗くて机の上に翳が掛かるそのなかで際立ったモニターの白さに、指を動かして文字を刻んでいく。ここまで記せば二〇分が経って三時四六分、これからまた前日の記事を足さねばならない。なるべく今日のうちに仕上げてしまいたいものだ。
 と書きつけながら、段々腹も減ってきたし、何か茶菓子を食べながらまた緑茶でも飲むかというわけで上階に上がり、玄関の戸棚を探れば、「たべっ子どうぶつ」がある。先日、蕎麦屋に行ったあと母親がスーパー「パーク」に寄った際に買ったものである。子供じみた話だがこちらはこのバター風味の甘いクッキーがなかなか好きなので、二袋を貰って居間に戻り、緑茶を用意して下階に戻ると、いい加減部屋が暗いので電灯を点け、一服するあいだは打鍵は進めずインターネット記事でも読むことにして、John Coltrane『Blue Train』を再度流しはじめながら田原総一朗×三浦瑠麗×猪瀬直樹「「国民国家のリアリズム」 日本文明研究所シンポジウム載録」(https://dokushojin.com/article.html?i=2326)をひらいた。冒頭のタイトル曲であるブルースにおけるColtraneの吹きぶりを聞いてみると、音の連なりの回転の仕方にのちのスタイルの萌芽が認められるようだが、調べてみればこの作は五七年、ということはMiles Davis Quintetの時期から僅か一年しか経っていないわけで、そのあいだにもColtraneという演者は急速に成長しているのが聞き分けられて凄い。Curtis Fullerトロンボーン・ソロの裏で跳ねるような動きを見せるPaul Chambersの弾力性も素晴らしく、こういうビートをきっとスウィングしていると言うのだろうと思いながら聞けば、ピアノソロの裏でもChambersのプレイは際立っていて、ドラムが、このアルバムはPhilly Joe Jonesだが、ChambersとはMiles Davisのグループで馴染みの彼が倍テンポのようにして裏拍を挟みはじめたその傍らで、ベースのフォー・ビートは変わらないのだがどうも音価を僅かに短く切っているように聞こえて、それが余計に弾力を強調しているのだった。また、四曲目のバラード、"I'm Old Fashioned"ではトロンボーンCurtis Fullerが良いソロを取っていて、メロウで甘やかな味わい深い香りが立って、実に物腰穏やかで落着いた吹きぶりである。

猪瀬 八月十六日、中国新聞社の元社長、劉北憲が摘発されました。このニュースから、習近平言論弾圧がうかがえます。田原さんは、劉北憲とともに、日中ジャーナリスト会議のメンバーなんですね。

田原 彼は中国側の座長です。日中ジャーナリスト交流会は、僕が作ったんです。東京と北京で交互に、毎年一回行っている。

猪瀬 しかし、劉北憲は反体制派ではなさそうなのに、なぜ逮捕されたのか。

田原 日本でいえば、朝日新聞の社長といった立場ですからね。今、大変な社会は、アメリカと中国。トランプは一番の支持者であったバノンを辞職させた。習近平は、ポスト習近平と言われる孫政才を逮捕。その前には重慶市長の薄熙来も逮捕している。

猪瀬 次の重慶市長も逮捕されたとききます。

三浦 中国は、共産党大会を控えて、言論弾圧のレベルを強めています。先日、某テレビ局から、なぜ中国のネット上から「プーさん」の絵柄や書きこみが消えたのか、コメントを求められましたが。

猪瀬 プーさん?

三浦 以前、オバマ大統領と習近平が会談したときに、ネット上でオバマをティガーに、習近平をプーさんに、重ねた絵柄が出回ったことがあったんです。共産党大会前で厳戒態勢にある中国では、権力者に対して一切の批判を許さない。「習近平」という言葉を使えばすぐに検索して取り締まられる。であれば、例えば「プーさん」という隠語を使うかもしれないと。馬鹿馬鹿しいと思いますが、革命は意外なところから始まり、情報化社会では瞬く間に伝播する。革命の芽を摘むために、「プーさん」をも規制するわけです。こうしたケースは、現場の暴走であることも多いんですけれどね。中国の巨大官僚組織も忖度で成り立っていますから。
ただ今回の、中国新聞社社長は、体制派としか言いようがない。何か失言があったのか、中国内部の人脈がまずかったのか。

田原 僕は、中国の幹部たちとの対話で、一番焼き付いているのは、中国は絶対にゴルバチョフを出さない。ゴルバチョフペレストロイカ言論の自由を組み入れようとしたために、ソ連共産党が解体したのだと言ったことです。つまり中国共産党一党独裁は絶対にやめないと。胡錦濤の末期、中国の国政が危ういときに、そういうことを言う人が出て来たんですよね。同じ危機感を、習近平は持っているのだと思う。もっと言うと、習近平は第二の毛沢東を狙っているのではないか。通常はあと五年で終わり。だけど終らないで十年、あるいは終身やるつもりで、邪魔になるものは皆つぶしていこうとしているのではないかと。

田原 三浦さん、白人の中には少なからず、白人が優秀だと思っている人間がいるけれど、そんなことをいうのは恥ずかしいという意識はないの。

三浦 この感覚は日本人には、分からないかもしれません。南部では、何も黒人を嫌だとか怖いとか思っているわけではない。スーパーマーケットに行けば、一日に何人もの黒人と出会います。握手も、ちょっとした会話もします。ただ経済力の格差が人種にひもづいてしまっている中で、階級差が目に見えてあるんです。アメリカで最大のモータースポーツ統括団体に、ナスカーがあります。そのレース会場に黒人はいません。そのような不文律が社会に根強くあるということ。その場合、自分と似ていないやつにまで、自分が払った税金を使われたくない、という話になっていく。結局、お金の話なんです。トランプ氏がぶちぎれた三度目の記者会見で、彼は「人種問題は雇用の問題だ」と言いました。これはリベラルなメディアからしたら噴飯ものだし、トランプは人種差別の歴史を知らないのか、という話になりますが、私はそこに一面の真実があると思います。黒人問題というのはもはや、バスに一緒に乗れないことではない。問題は経済格差が階級差になっていることです。

三浦 政治的な運動として反基地を掲げる人はいるでしょうし、それぞれ異なる考え方があるのは当然です。ただ政府は実現できないならば、約束をすべきでない。あるいは米軍に守ってもらっている事実を事実として、我々はどういう利益を享受しているのか、それに対しどんな不利益は甘受できないのか、比較検討すべきなんです。米軍の人々の命を借りている以上は、少なくとも自国の軍隊と同列には、リスクを受け入れねばならない、ということになりますよね。
 また、日本の問題点の一つは、例えば地位協定を変えたいというときに、その原文を読んでいない。あるいは各国比較をしていない、ということです。

田原 その問題について少し言いたい。安倍首相が、安保法案を改正して、集団的自衛権を認めた。その後安倍首相に会って、集団的自衛権を認めたのだから、地位協定も改正すべきだと言いました。アメリカに、なぜ交渉しないのかと。実は既に地位協定は、改正しているそうです。ところがアメリカが改正しているということを、言わないでくれと言っていると。

三浦 強調するな、という意味でしょうね。なぜなら、日本には軍法がないからです。軍人が過ちを犯したとき、一般人とは裁きの重さ、あるいは軽さが、場合によって異なることがある。例えば、基本的に軍人は、一般人よりも性犯罪の処罰が重いのです。戦争に性犯罪は付きまとうので一般より重い刑罰を想定しておかないと、抑止効果がないためです。一方、日本における性犯罪の処罰は極めて軽いです。しかし自衛隊についてすら考えられていない我々に、米軍兵士の裁き方について用意できているはずがない。

猪瀬 自衛隊憲法上の位置づけがないと、今言ったような話が、法的根拠を持たないということですね。先ほどの原発デブリがそのままにされる問題と同じです。自衛隊は世界第四位の軍事力を持っていて、五兆円の予算を使っている、でもその中身についての検証はほとんどできない。どういう兵器を使っているかとか。なぜならば、自衛隊憲法の中に位置づけられていないから。それで、安倍さんが憲法九条に第三項を加えて、自衛隊が存在することを記すという改正案を出しています。これだと、自衛隊があるというだけの規定であって、それ以上の問題はない、ということで。ただ逆に国家が先送りする体制を改めない限り、これだけでは、ほとんど何の意味もなさないんですけれどね。

三浦 私は、自衛隊についての欺瞞、あるいは日米同盟の欺瞞が、憲法を改正すればうまく行くとは、実は思っていないんです。それよりも、左派の心のよりどころであり、ナショナリズムの代替物である憲法九条を失うとなったとき、多くの日本人の国家観、あるいは自己アイデンティティはどこにおかれるのか。そのことが気になっています。私は一項は残すべきだと思っています。

田原 当分ないと思うけど、アメリカがもし日本から撤退したいと言った時に、日本は、日本を自国で守るつもりがあるのか。

三浦 日本にそれ以外の道はないですよね。アメリカが引くか否かはアメリカの問題で、我々がかめる話ではない。アメリカと日本が一心同体だと思う方が不健全です。

猪瀬  戦略的にアメリカは引かないでしょう。沖縄がないと、中東まで行けないので。コスト負担については言ってくると思いますが。

三浦 それには異論があって、今のところはそうですが、海を守る時代は、そろそろ終わりが見えています。今はミサイル防衛を巡る闘いが、軍事的な最前線ですが、その内に宇宙・サイバーの技術へ闘い方が変わっていくとも言われています。

 鼎談を読むと、その頃には茶を飲み終えていたのかいなかったのか、ともかくもう少し文を読むことにして、岡﨑乾二郎「ディランの頭蓋を開ける─ディランの思想、夢を覗く」(https://note.mu/poststudiumpost/n/n624cc1379e29)をひらいたのだが、これが読んでみると糞面白く、実に鋭く切れている論考で、岡崎乾二郎という人は無論名前は知っていたしその文章もいくらかは読んだことがあったが、ここでの彼の筆はほかのところで触れたそれよりも格段に透徹しているような気がする。Bob Dylanを相当に愛しているのだろう。それにしても、Dylanの"It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)"の歌詞、「「理解するにはあんたは早く知りすぎる」「生まれるのに忙しくなく死ぬのに忙しい」などの警句」や、「いかなることがあろうと問題も答えもそこにはない。人間としての目的など「ため息をつく」こと「血が流れること」だけで、すでに充分である」という諦観じみた感慨や、「OKだ。もうたくさんだ。何か他に見せるものがある? もし俺の考えが夢見るところのものを見られるなら、やつらは俺の頭をギロチンに置くだろう、けれどそれでいい、おっかさん、それが人生、たんなる人生」という結びなど、あまりにも格好良すぎないだろうか? 引きたい部分がありすぎて引用が果てしなく長くなってしまうけれど、以下に写しておく。

 (……)僕が日本でもっとも尊敬する芸術家は手塚治虫楳図かずおであって、彼らには岡本太郎丹下健三三島由紀夫も到底、及ばない。そして当の三島由紀夫が生前に、なぜ文学を読む人間が手塚の『火の鳥』を読まないのかという疑問を呈していましたが、これも同じことでしょう? 文化の基盤を動かす力をもったのは手塚や楳図であって文学者ではない。いずれにせよディランも、詩人として戦後最大の言葉の力を発揮した芸術家であったのは間違いない。

 ディランの出現はアメリカ現代詩の流れにおいて見れば、ある意味、必然だったでしょう。ポー、ホイットマン、ディキンソンから始まって、スタイン、エリオット、パウンドなどのイマジズムそしてこの流れを受け継いだギンズバーグあるいは作家のジャック・ケルアックなどのビートニクに直結しているわけですから。ひとことで言って、この流れのなかで、詩は作者の心情を歌うようなものではない、それは誰だかわからない者が呟いた言葉の断片のようであり、神話的な語り、お告げであり、そしてこれはそれとは矛盾しないのですが、ゆえに、それはアフォリズムや哲学あるいは科学のテーゼでもありうる。つまり特定の誰か=作者が語っているのではなく、言葉自身が語っているのであり、そこで言葉はアノニマスゆえに具体的な客体物として境界を超えて伝播していく。詩人はこの言葉を伝播させる語り部霊媒メディウム)、メディアである。この流れでは、もともと伝統的、民衆的なライム、ヴァースという歌謡の形式は排除されるどころかおおいに参照されていたし、またスタインやパウンドがそうしたように市井の人々の声をそのまま作者がメディアとなって書きとめ、さらには、それを編集して舞台やラジオにのせるという方法すら行われていたわけですから。

 一般に抽象芸術は固定された意味をもたない、感覚の純粋化として語られます。絵画でいえば視覚(的効果)の純粋化。けれどこれは貧富、人種、階級など現実に存在する様々な差異を止揚するのでも消去するのでもなく、ただ忘却させる効果でしかなかった。ひとことでいえば、感覚に快楽のみを与える装飾物として享受されうる。その意味では、自己の社会的な地位、階層の違いもふくめて、現世的な問題、不平等を忘却したいと求めるある特定の階層(自称リベラルな上層階層、富裕層)にこそ好んで消費されてしまうともいえないこともない。
 ラウシェンバーグにしてもロバート・フランクにしても、この対立を超えることこそが課題でした。いわばメッセージか/感覚か、の二項対立があり、この不毛な対立を乗りこえる方法として選ばれたのが、 アッサンブラージュだったのです。異なる生産過程、形式による表現の並列、衝突、そしてそこに生み出されるズレをそのまま作品に持ち込むことですね。視点が安定せず、いわば文化の異なる階層が地滑りをおこし、ずれていく。こうした運動を起すこと自体が重要でした。このズレ、移動にこそ彼らの表現の特徴がありました。文学でいえば、当然『路上』のジャック・ケルアック(1922~)が対応します。
 さて、そのケルアックの影響も強かったといわれる、ディランはそもそも全盛だったロックンロールの強い影響から出発していた。ハイスクールでプレスリーのコピーなどやっていたロック少年が、にもかかわらずエレキを捨て、ウディ・ガスリーを発見し、フォークでデビューしたのはなぜか? ここに最初にひとひねりがある。
 ロックの論争史を見直してみると黒人/白人、プラグド/アンプラグド、ハード/ソフトなどの二項対立が繰り返し現れます。よくいわれるように抽象表現主義に音楽で対応するのはチャーリー・パーカーなどのビ・バップから、モードに至るジャズの流れですね。いうまでもなくジャズにせよロックにせよ、すべての起源はブルースです。そして白人にはブルースはできない、少なくともアメリカの白人には(イギリスであれば平然とコピーできる)。しかしジャズはこの溝をのりこえる力をもっていた。それは高度に組織化された感覚、いや感情の形式でした。通常、感情とは理性で了解できないズレ、隔たり、ギャップを受け入れる受け皿です。そしてこの受け皿は、かならずそれが帰属する(共感できる)ところの特定の階層、共同体を組織してしまうものです。しかし、ジャズはこの感情的ズレを音階に組み入れ(ブルーノート)、感覚的秩序を作りだす運動のモチーフに昇華してしまった。パーカーはこの感情→感覚の回路を単なる娯楽の対象ではない、崇高な次元にまで高めた。だから白人のスノッブたちにもおおいに歓迎されたのです。ロカビリー、ロックンロールもある意味では、ジャズ以上に、感覚の強度(その単純化された感覚)によって、メッセージそして感情の帰属性、その帰属意識を解消してしまう=忘却させてしまうものだったといわざるをえません。だから白人に受け入れられプレスリーも生まれた。おそらくディランにはこの仕組みがわかっていた。そして、このように感覚的に享受されてしまうかぎり(いくら崇高などといっても)抽象表現主義がそうだったように容易に商品化され、消費されてしまうということも。この意味で、感覚的な強度、快楽を強調するかぎり、ロックは、ブルースという起源から考えると欺瞞的でもあった。おそろしく美しい旋律を作曲しながら、ディランがあのダミ声で旋律そのものを壊すように歌ったのは確信犯でした(バエズはなぜ、ああも美しく歌うのか?とディランが、ジョーン・バエズに疑義を唱えた=からかったのは有名な話です)。

  ところでポップ・ミュージックにおいてパフォーマンスという概念は往々にして誤解されています。録音か/ライブかという対立が、いまだあるかのように信じられている。ポップ・ミュージックはレコード、ラジオなどの複製技術、正確に絞りこめば録音技術を前提としています。それがあってはじめて成立する。レコード化されれば、なんでもポップ・ミュージックになりうる、とさえいえる。一方で「にもかかわらず」ではなく「ゆえに」ですが、ポップ・ミュージックがポップ・ミュージックである最大の特徴は、どれほど抽象化された音楽であっても、かならず感情的な負荷を帯び、いわばイメージを持ってしまうことにあります。ここでイメージとは、何かが行われた場所、その情景全体を想起させるものといっておいていいでしょう。それは「確かにあった」どこか特定の場を思い起こさせる。なぜ、こういうことが起こるのか。それは録音技術が作りだす事実に関わっています。録音は楽音のみならず周囲のノイズも息づかいも等価に録音してしまう。いいかえればノイズは録音されることでノイズでなく確定された楽音のひとつになってしまうわけです。録音はいわば場の全体を記録し、そのことで音楽それ自体はむしろ遠ざけられる。録音することは写真でスナップショットを撮るのとほとんど同じだということです。
 実際、これは写真にベンヤミンが見いだした問題と同じでした。ベンヤミンはこう分析したわけでした。言葉の意味が、それを発した話し手とそれが向けられた受け手の関係として確定するように、写真も見る者と見られる者との間のまなざしの交換によってはじめて意味を成立させる、ひとつの言葉である。つまり写真はもともとは言葉同様、見る者、見られるモノの関係の上でなりたつパフォーマティヴなメッセージである(あった)、けれど、そのパフォーマティヴなメッセージを成立させた場所はもはや失われている。ベンヤミンは話し手と受け手の関係が成り立つ場を、アウラギリシャ語で「風」の意味)―いわば、話し手と語り手のあいだに吹いている風と呼んだわけです。写真にはこの風がもう吹いていない。いや吹いているのを感じても、実際にはそれが吹く場はいまやどこにもない非在の場である。そこに写された人物の視線が本来向けられていた人は、もうここにはおらず、そもそもこちらにまなざしを投げかける、被写体としてそこに映っている当の人物がもうここにはいない。にもかかわらず写真の上には、まだ誰かに向けて何かを訴えかける視線のみが残っている。視線は宛先を失った「風として、まさに宙をさまよっている」。
 写真はこうして、行き先のないパフォーマティヴなメッセージとなる。いいかえればそれはコードを持たないメッセージというより、コードを位置づける場所なきメッセージである。写真を見る人はゆえに、この非在の場所を想起してしまう。写真のイメージとは、この非在の場所そのものの想起である。どこか、いつか、きっと見たことがある、見たかもしれない、見ただろう、確実性と非在性がイメージとして重ね合わせられる。
 ポップ・ミュージックも同じです。録音を通して聞くのは、確かにそれがあった、行われた、そういう場があったという、ある場所全体、その出来事全体への追憶です。そしてそれは聞くたびに繰り返される。言い換えるならば、古くから歌が持っている機能――歌うたびにその場が再生される――がそこには確かに保持されている。つまりレコードに録音された楽曲はすべてパフォーマンス、パフォーマティヴな上演として受け取られる。
 コードがあったとしても、そのコードが位置づけられる場はすでにない、バルトはこれを「コードのないメッセージ」と呼びました。しかし、単にコードがないだけであれば、各々が好きなコードを当てはめて、好きに読み解けばいいということになってしまう。抽象表現主義がいわば表象秩序を、崇高やら感覚的視野の拡張など感覚の強度で強引に超えようとしたことは、先ほどもいいました。ポップ・ミュージックにそれを当てはめればそのまま音響の強調ということになり、これを徹底すれば自動的に環境音楽という処に行き着く。録音さえすれば、現代音楽も容易に非在の場所への追想、情感を帯びた嗜好品に変わってしまう。 

 もはや販促のためのライブツアーの虚構性に誰もが耐えられなくなり、六十六年あたりでビートルズを含めて多くの人気バンドがツアーを中止しスタジオにこもるようになります。こうした状況の、この時期にディランが矢継ぎ早に発表した「Highway 61 Revisted」「Blonde on Blonde」という展開が与えた影響力ははかりしれません。一言でいえばディランは音響、感覚的快楽の壁を突き破るヴィジョン=コンセプトというものがあることをはっきり示したのです。「Bringing It All Back Home 」(1965)収録の「It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)」─ディランはこの曲でアコースティックギターを弾いていますが、歌詞、曲想の複雑さ、洗練はすでに極限に達しています。この曲の鋭利さはジミ・ヘンドリックスさえも嫉妬させるようなものだった。「銀の匙」「正午の霹靂での暗黒」などの語句がちりばめられ、矢継ぎ早に「理解するにはあんたは早く知りすぎる」「生まれるのに忙しくなく死ぬのに忙しい」などの警句が打ち込まれる。いかなることがあろうと問題も答えもそこにはない。人間としての目的など「ため息をつく」こと「血が流れること」だけで、すでに充分である。あげく「OKだ。もうたくさんだ。何か他に見せるものがある? もし俺の考えが夢見るところのものを見られるなら、やつらは俺の頭をギロチンに置くだろう、けれどそれでいい、おっかさん、それが人生、たんなる人生」と唐突に終えてしまいます。

 コンセプトアルバムの最大の特徴は、アルバム内の世界と日常的に現実とされる外部世界を切り離すことにあったといえるでしょう。当然のように、その作者も作品の外にいるのではなく、作者すら作品の効果として、つまり虚構として作り出されてしまうものとなった。簡単にいえば、アルバムとは一つのフィクション、物語を形成することになったのです。アルバムに登場するバンド名、ミュージシャンの名は映画に登場する主人公同様、そのアルバムの中での役割にすぎません。対して、その全体を実際に作った人間つまりミュージシャンは、アノニマスな裏方、背景として姿を隠すことになります。典型的なのはCaptain Beefheartの「Trout Mask Replica」ですが、これはビートルズの「Sgt. pepper's lonely hearts club band」にも受け継がれた共通する性質です。レコードによって作り出される「ライブ演奏」という幻影、虚像を演じさせられることに疲れたミュージシャンたちが、それを逆手に取ったようなアルバムを作りはじめるのはある意味必然でした。ロック・ミュージシャンのみならず、グレン・グールドなどもこの時期にリサイタルを開かなくなりました。グールドがいったように、コンサートこそが作為が支配するヤラセである。つまりライヴではない(笑)。人為的、恣意的なのはむしろコンサート会場で実演してみせる演奏行為だということです。
 ところでドイツの言語学者ヴァインリッヒは「話す」ことと「語る」ことをまったく異なる時間秩序をもつものとして区別しました。「話す」はそのメッセージの意図が話者と聞き手の関係に還元される(その特定した場に位置づけられる)から、話し手も聞き手も緊張を強いられる、と彼は言います。すなわち、そのとき聞き手は――この言葉によって彼は私に何をいおうとしているのだろう――と身構えている。対して「語る」というのは、そこで、語りとして組織された文は、こうした話し手/聞き手の関係から解放されている。つまりその文の主語はその話し手自身ではないし、その文は直接、聞き手に向けられているわけでもない。語りは「だったそうな」という文の終わり方に示されるように、そこで語られる事実は「そうだったらしいよ」「そうだったかもかも、ありえるかも」と現実の事実として曖昧性を帯びる。一方で、誰であれ、この話を語るとき、その話の主語になり代わってしまえる、つまり語り手を、その語りのもつ場所へと憑依させることのできる普遍性をもつ。これが物語というものの効果、構造です。ヴァインリッヒのこの論を坂部恵藤井貞和の論とつなげ、語ることは騙ることであり歌うことにつながる、と書きました。「話す」という行為は、そこで発話される文を、外的な参照枠として特定の人間関係に位置づけ帰属させますが、反対に「語り」は、外的な参照枠から切断され、その文自体の内部にそれ固有の場所つまり別の自律的な時間空間を備えている。ですから「語る」(または、それを聞く)という行為は、その行為を遂行する主体をその文自体がもつ別の場へ移行させる働きをもつ。 
 よく知られているように、ヴァインリッヒは、「話す」と「語る」の違いは端的に時制の区別で示されると指摘しました。普通、パフォーマティヴな言語行為として考えられがちなのは前者の「話す」であり、重要だとされるのは、話す行為が前提として要請するコンテキストつまり話し手、聞き手の関係です。一般的な意味でのパフォーマンスという行為もそのライブな聞き手と話し手の関係、コンテキストこそが重大なものとして考えられている。
 けれど前者の「話す」つまりそのパフォーマンスとしてのライブ性は、ゆえにすでに指摘したように外的な枠としてのこのコンテキストにあらかじめ規定され、その関係を超えることは容易にはできない。それを崩すと、聞き手がルール違反だと怒りだすわけですね。一九六五年のニューポート・フォーク・フェスティバルでディランが観客たちにブーイングされたように、あるいは一九六六年、フィリピンでビートルズの一行がそうされたように。ところが本来、古代より芸能者たちが行ってきたものは後者の「語る」ほうのパフォーマンスだったはずでした。パフォーマンスはそこではじめて自身が属す、社会化された現実とは別にありえるだろう固有のコンテキスト、場をみずから提示できる。芸能者はその可能性に身を投じて見せる、つまり憑依することができる。
 すなわち本来の「語り=騙り」のパフォーマンス性、別の場所への憑依、トランス可能性はレコードによってこそ復活し、そしてその特性を展開したコンセプトアルバムという装置によって成就されたのです。

 コンセプチュアリズムというものは、既存の対象像=複数の記述体系、表現体系をひとつに束ねていたところの対象(その対象の像=イメージ)を破壊し、それらを交わらない並行状態にばらしてしまうことを、まず特徴とします。ここで賭け金はまず自分がもっとも自明としていた自分が立つ場、その存在根拠をまず捨ててしまうことです。それはガスリーにとっては「THIS LAND」だった。フーコーであれば、タブローとそれを呼ぶでしょう。同じ大地であると思っているが、そうではない。それらはその地で出会うようでいて、永遠に出会わない。そんな土地は、実はどこにもなかったとわかる、併置されているわけでも重なっているわけでもない、それは階層が異なる、決して交わらない別の土地なのです。
  コンセプトアルバムは音楽だけで作られるわけではない。ジャケットのヴィジュアル表現があり、詩があり、そして事物としてのジャケットがある。このすべてが出会うところとして、それが生みだされただろう想像上の場所、生産地、故郷が構想、想像される。けれど、これらはすべて作品の効果として作り出されたフィクションです。が、むしろこの虚構を作ることで、われわれが現実と思っているこの世界も同様に作品効果として作られていたことを意識させる。「国がある」のも「空が青い」のも、そもそも「空がある」のさえ、もしかしたら夢であるかもしれない。それが確かに存在するという証明を言語によって示すことはできない。言葉にできるのは、それが青いとか曇っているとかの記述だけ。ゆえに反対にいえば、この条件であえて「それでも空がある」と断言するのは一種の政治的選択、賭けともなりうるわけです。コンセプトアルバムというのは、こういう断定を行なうのです。つまり、そのアルバムが選択した公理として「空がある」という断定が選ばれる。それはアルバム(一つの公理系)の外から見れば虚構でしょう。が、このアルバムの中ではabsolutely(断固として)空はある。

  繰り返せば、コンセプトは閉じた完結した世界にあるのではない。両立しえない公理、命題を選ぶことで浮かびあがるものです。つまり複数の共立しえない世界を分ける境界線を引き直すことで現れる、その間にある断層、その間のズレていく運動、その線として現れる。この線の内側にも外側にコンセプトはありません。断固として、この断層線を描くという行為にこそ、コンセプトは現れる。 

 (……)ディランはあまりにキャリアが長いので話はエンドレスになりますが、思考の型はおおよそ変わっていないといえるでしょう。ディランの思想が、ポジションを選ぶという意味での思想ではなく、むしろあらゆるポジションの間を通過し、すり抜けていく運動の型であったという意味で。むしろ思考に形を与える手がかりとしてありつづけたという点において、変わることはなかった。事実、僕にとってディランの音楽そして言葉はずっと、地滑りしつづける世界を飛びうつっていくための手がかり、ハーケンのようなものでした。もとより大地自体が、決して安定せず移動しつづけているわけですから、その上に生じる意味も位置も安定するはずはありません。が、そこに、いつも目印があった、ディランの活動は確かな目印でした。身体の構え、頭の方向、運動の起点となりうる合図。

 そうしてBob Dylanについての論考を読んだのでというわけで、『Highway 61 Revisited』を流しはじめ、ふたたびこの日の日記を書き足しはじめたのが五時直前、ここまで綴ると当然五時は回っているが、飯の支度をしはじめるのは六時になってからで良いかというわけで、前日の記事を進めることにしたものの、しかしその前に階上の明かりを点けておこうと部屋を抜け、階段を上がって居間の食卓灯を灯すと、サンダル履きで玄関を抜けて薄青い黄昏れの空気のなかへ、雨がぱらぱら降っている下をポストに寄って、夕刊と、良くも見なかったが何か紳士服店の広告葉書らしきものを持って屋内に戻り、居間のテーブル上にそれらを置いてから緑茶によって重くなった膀胱を解放するため便所に入れば、放尿の水音のなかに外から秋虫の声が闖入してきて、まったくもってこの世界というものは、意味が、あるいは差異が絶え間なく充満し、入り乱れ交錯してほとんど無秩序とも思えるようなしかし一つの秩序を構成していて、何かがそこにまったく存在しないという時間がほんの一瞬間も存在しないというその事実こそ、やはりこの世の最大の神秘ではないかと思った。
 それから室に帰って前日の日記を進め、六時に至ったところで中断して飯を作りに行った。薄暗い階段の途中にジャガイモの入った袋が置かれているのでそれを取り上げ、台所に持って行って、薄めにスライスして焼けば良いだろうと思ってはいたが何個くらいが丁度良い量になるか迷ったところ、まあ六個ほどで良いかと適当に推して袋から出し、余りはカウンターの上に置いておき、焼く前に幾分湯搔いた方が多分良いだろうということで小鍋に水を注いで火に掛け、沸騰を待つあいだに六個の皮を剝いてしまう。剝き終えてシンクに散らばった皮は両手ですくって隅に吊り下げてあった生ゴミのビニール袋に入れておき、その頃には思いの外に早く湯が沸いていたので一旦火を消しておいて、包丁を取って今度はジャガイモの芽を取り除いて、終われば俎板、と言うかシートの上で薄めに切り分け、それを切った傍から火を復活させた鍋のなかに投入していった。全部切ってしまうと冷蔵庫の野菜室を覗いてみれば、あたりめがあったのでこれを食いながら作業を進めようというわけで、調理台の上の盆のその上に一掴み二掴み取り出しておいて、早速口に入れれば実に固くて顎が鍛えられる。野菜室を探るとおそらくYさんから貰ったというものだろう、長い茄子の使いかけのが一本あったので、味噌汁は大根のものが余ってはいたがせいぜい一杯分くらいで足りないだろうから茄子を味噌汁にすれば良いということで、微かに湾曲して長いのを四等分し、一つずつの塊を半分に切って蒲鉾のような形にしたのをさらに四等分して水に浸けておき、時間を測っていないが茹でているジャガイモは多分そろそろ良いだろうと作業の切れ目を切りにして、笊に取り上げて小鍋にはまた水を汲み、今度は味噌汁のために火に掛けた横にフライパンを置いて、油を垂らしてローズマリーをちょっと振り落とせば健やかな香りが立ったそのなかにジャガイモを加えた。強めの火でじっくり焼こうというわけで、ちょっと振って搔き混ぜるとすぐに蓋を閉め、加熱を待つあいだは前後左右に開脚して脚の筋や股関節をほぐして、適当な時間を置いて合間合間に蓋を開けてフライパンを振る。小鍋もまもなく沸いたので茄子とともに粉の出汁を投入し、そこで虫の音以外に外から立つ響きがあるのに気づいたので、降ってきたなと居間の方に行って、網戸にしていたベランダの戸を閉めてレースのカーテンも掛けた。戻ってくると引き続き開脚しながらジャガイモに火が通るのを待ち、結構焦げ目もついて良さそうなところで楊枝を通してみれば容易に受け入れるし、一番小さな方の欠片を一つ口に入れてみてもほくほくと柔らかいので、塩胡椒を振ってもう一度振り混ぜて完成とした。それからまたちょっと待って、茄子の方にも楊枝を通してみるとこれも大丈夫そうだったので、火を最弱にしてチューブ型の味噌を目分量で絞り出して適当に加え、その上からお玉を入れて搔き混ぜ、これも仕上がった。野菜などは母親が、食いたければ帰ってきたあとに自分でやってもらおうということに勝手に決めて台所を抜ければ、先ほどまで野もせに鳴きしきって空間を埋めていた虫の音が、雨音に紛れて少々弱まってきたようで、降られればさすがに、虫も冷たいかと思いながら階段を下りた。
 六時半である。ふたたびキーボードに触れて、ここまで手早く書き足せば六時四八分、音楽はBob Dylan『Live 1962-1966: Rare Performances From The Copyright Collections』を流している。今日の夜、通話することになっているNさんに先ほどTwitterで、何時が良いかとメッセージを送ったところ、二三時からなら確実に始められますとあったので賛同の返答を送っておいた。また、中学の同級生であるHからもメールが届いていて、彼とは一二日の土曜日に下北沢へ、何でもあちらの同僚のおじさんがライブをやるとかで誘われて出向くことになっているのだが、この電車に乗ろうと乗換案内の画像が添付されていたので了承した。
 それから日記の続きを進めているうちに、七時頃に母親が帰ってきたようだったので廊下に出れば、明かりも点けずに全き闇に浸されたなかに蠢く気配があって、電灯のスイッチを押せば疲労した様子の母親が立っていて、バイクで行ったので雨に降られながら帰ってきたようだ。ジャガイモを焼いて茄子の味噌汁を作っておいたと伝えると、母親はシャワーを浴びようかなと言いながら階段を上がって行った。こちらはその後室に帰って日記に邁進し、Bob Dylanの音楽を背景に六日の記憶を文章化して画面上に刻んでいき、八時半が目前になったところで切って上に行った。母親は既に寝間着になっており、頭にタオルを巻いていた。どうかと訊けば、美味かったと言う。そうかと答えて、飯より先に風呂に入ると言って、階段横の腰壁、という言い方で正しいのか以前から疑問なのだが、その上に置かれた下着とハーフ・パンツを取って、洗面所に入った。また髭が不精にいくらか生えてきた己の面を鏡に見ながら服を脱ぎ、浴室に入って蓋を取り、掛け湯をしてから湯に浸かると、窓の外に突如として川が発生したような水音が絶えず流れて、雨は結構な降りのようだ。台風が来ているとか聞いたような気もする。いつも通り、両腕を浴槽の縁に載せて静止しながら自分の脳内の思念に目を寄せたが、どんなことを考えていたのか大方は覚えていない。風呂から出て食事を終えて部屋に戻ればおそらくおおよそ九時半、Nさんと通話を始めるだろう一一時まで一時間半、一時間半では多分昨日の日記は終わらないだろうと計算したが、翌日も休みだし、メモも結構取ってあるからそう急ぐこともあるまいと落とした。風呂を出て上がった洗面所の空気が、やはり数日前とは既に違って、涼しさが強い。身体を拭き、髪を乾かして出ると父親が帰ってきていて、ソファに母親と並んで就きながら、彼女に向けて新型の安全ブレーキがどうのとか声を荒げており、手にはパンフレット様のものがあって、目が悪くて良くも像を結ばないが、車のもののようだ。ソファに近づき、おかえりと言うとただいまと返す。テレビのニュースは、山梨県の山だか森だかで行方不明になっている成田市の女児の、動画が公開されたという話題を伝えて、あの子、どうしちゃったんだろうと母親は漏らした。車買うの、と訊けば、取り替えた方が良いって、と母親が答え、風呂に向かう父親は台所に入ると、安全な方が良いだろ、もうババアなんだからよ、と憎まれ口を叩きながら洗面所の戸をくぐった。しかし年齢を言うならば、一つだか二つだか忘れたが自分の方が歳上なのだから、自分こそ気をつけなくてはならない身だろうに。
 それからこちらは食事の支度をした。ジャガイモは皿に盛って電子レンジに突っ込み、茄子の味噌汁は火に掛けて、米を椀によそると朝に母親が用意してくれたサラダの小鉢と、マスカットの入ったプラスチック・パックを冷蔵庫から出し、それぞれ卓に並べて椅子に就きながら、いくらするのかと訊けば母親は何とかもごもご言うが、一〇〇万くらいかと続けると、そのくらいじゃないと答える。母親はあまり替える気はないようで、パンフレットを見ながら良い色がないとか漏らしているところにこちらは、そんな金があるのかと口にしたが、父親は実際あるから買い換えを言っているわけで、一〇〇万円もぽんと出せるとはまったく凄いものだ。自分には一生身につけることの出来ないだろう経済性であり、それに寄生して今のところは生き長らえさせてもらっているが、しかしそれもいつまで続くか。
 ジャガイモも茄子の味噌汁も我ながらなかなか美味かった。特に、茄子は柔らかく、良く煮えていて舌触りが滑らかだった。夕刊を見れば香港で、例の覆面禁令で早速二人が起訴されたと言う。一八歳の男性と三八歳の女性と言い、バリケードを作っていたところを逮捕されたということだ。それから頁をめくると、途中に阿部和重のインタビューがあって、最新作の『Orga(ni)sm』について書かれてあって、何でもこれは「神町サーガ」と言って、作家の故郷の町を舞台にした三部作の三作目なのだと言う。一作目は『シンセミア』、二作目は『ピストルズ』と記されていたと思う。インタビュー内で阿部は、「サーガ」と呼称されるようなものを書くに当たって、当然ながら中上健次を意識したと述べており、自分の故郷は「神町」などという神々しい名前を冠していながら中上の故郷新宮のように神話的な謂れはまったくないが、だからこそ作れる新種の「サーガ」というものがあると思った、というようなことを話していた。阿部和重はまだ一冊も読んだことがない。それからさらに頁をめくって社会面に至ると、例の目黒の、船戸結愛という女児の虐待死事件の裁判の報が出ていて、検察側は言葉を失うほどに悪質な犯罪だと言って一八年を求刑したのに対し、弁護側は確かに考え方は誤っていたが父親になろうという気持ちはあったとして、無闇に重い刑を課すのは不当だと言って九年を主張したと言う。
 食事を終えて席を立つ頃には、母親はソファで目を伏せうとうととしており、台所との境のカウンターの上に食器が載っていたので、まあ働いてきて疲れているだろうからこちらが片付けておいてやるかと台所に入り、自分の食器と合わせて洗っていると、テレビのニュースは北朝鮮の漁船が水産庁の漁業取締船と衝突したと伝える。洗い終えると玄関に出て、戸棚のなかから「たべっ子どうぶつ」をまた一つ取ると、目を覚ました母親が、「しみチョコ」というのがあるから取ってくれと言うので、戸棚を探って見つけて渡すと、クッションカバーを持って行ってと言うので受け取って下階に下り、急須と湯呑みを持って居間に引き返した頃にはテレビは『しゃべくり007』に移っていて、この時間からやっているのはどうもスペシャルらしい。広瀬すず松たか子が出ていて、広瀬という人は、『なつぞら』で一応目にしてはいたけれど、こんな顔だったかとドラマとの顔貌の違いを訝った。
 緑茶を用意して自室に帰り、茶を飲みつつ今日のことをメモに取って、風呂のなかで何を考えたのか思い出している途中、ふとした瞬間に、自分は本当に双極性障害なのではないだろうなと疑った。まだ日記には書いていないが、昨晩には、多分自分の名前は歴史に残るだろうななどという誇大妄想を、当然の如く納得していた自分がいたわけで、これはあるいは躁状態で自分が偉大な人物だと勘違いしているのではないかと思って、検索してみると、躁状態ではなさそうだが軽躁状態というのに当て嵌まらないでもない気がする。一つのページには、「双極II型障害の軽躁状態は、躁状態のように周囲に迷惑をかけることはありません。いつもとは人が変わったように元気で、短時間の睡眠でも平気で動き回り、明らかに「ハイだな」というふうに見えます。いつもに比べて人間関係に積極的になりますが、少し行き過ぎという感じを受ける場合もあります」(https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_bipolar.html)とあって、睡眠をあまり取らなくても平気なのはそうだし、人間関係にも最近の自分は積極的になっている。さらに、ウィキペディア記事からに載っていた症状の特徴が以下である。

1. 自尊心の肥大: 自分は何でもできるなどと気が大きくなる。
2. 睡眠欲求の減少: 眠らなくてもいつも元気なまま過ごせる。
3. 多弁: 一日中しゃべりまくったり、手当たり次第に色々な人に電話をかけまくる
4. 観念奔逸: 次から次へ、アイデア(思考)が浮かんでくる。具体的には、文章の途中で、次々と話が飛ぶことなども含まれる。
5. 注意散漫: 気が散って一つのことに集中できず、落ち着きがなくなる。
6. 活動の増加: 仕事などの活動が増加し、よく動く。これは破壊的な逸脱行動にも発展しうる。
7. 快楽的活動に熱中: クレジットカードやお金を使いまくって買物をする、性的逸脱行動に出る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/双極性障害#軽躁病エピソード)

 一に関しては、自分は何でも出来るなどとは思っていないけれど、多分歴史に残るだろうだろうとは思っているし、二は当て嵌まる。三は、一日中というほどでないが前よりもシャベルようになったと思うし、四は、以前からそうと言えばそうなのだが思念は次々と浮かんでくる。五はまあ当て嵌まらないが、六は最近の日記への邁進ぶりがこれではないかという気もするし、七は、書物に関しては当て嵌まっているだろう。総合すると、完全な軽躁状態ではないかもしれないが、軽々躁状態くらいの領域には入っているのではないだろうか。まあ別にそれで困ることもないので良いけれど、もし自分が仮に双極性障害だとするならば、抑鬱エピソードがそのうちにやってくるはずで、それはまずい。今飲んでいるアリピプラゾールは確か双極性障害に使われる薬なのだが、それが減ってきたことで躁症状が段々と露出してきたと、そのような可能性も考えてしまう。
 メモを取ったあと、クッキーを食いながら茶を飲むと、汗が背に湧いて流れる。肌着のシャツの背の方を掴んでぱたぱたとやり、FISHMANS "あの娘が眠ってる"を歌ったのを機に、日記を書くべきところが何だか興が乗ってまた一人歌唱大会が始まって、そう言えば昨日Kくんが"Funny Bunny"のことを言っていたなと思い出してthe pillowsを、"Tokyo Bambi"、"Funny Bunny"、"この世の果てまで"、"バビロン 天使の詩"、"その未来は今"と歌って、最後にcero "POLY LIFE MULTI SOUL"も口ずさめば、一〇時となった。T田からLINEが届いて、二〇一四年の日記を読んだと言って、この頃と比べると今の日記が洗練されているのがわかるとあって、それは誰の目にも明らかだろう。非常に失礼なこととは存じながら、と大仰な前置きを踏みながらT田は、二〇一四年の感じならば自分でも書けそうだと言うので、それはそうだ、実際、二〇一四年の頃のこちらと比べれば、このあいだお前が書いた日記の方が上手い、文体からしてもっと流れていたと告げた。そうしてやりとりを交わしながら、一旦茶をおかわりしに行けば、一人で炬燵テーブルに就いた父親が飯を食いながら、『しゃべくり007』を笑いもせずに黙然と見ている。テレビ画面では堀内健が、何とかいう女優と一緒にラジオのロールプレイを、いつも通りのはちゃめちゃさでやっている。それをちょっと眺めながら茶を用意すると、下階に戻って日記を書き出した。音楽は16FLIP『Ol'Time Killlin' Vol.4』を掛けて、LINE上でT田とやりとりをしながらこの日の記事を進める。T田は以前こちらがデータであげたFabian Almazan『Rhizome』を聞いているところらしく、二曲目の"Jambo"が良いと言うので、あれはかなりのものだと受けて、その次の作品の『Alcanza』もなかなかのアルバムだから、『Rhizome』を何度か聞いてみて気に入るようだったらそちらもあげようと言っておいた。その後昨日の話になって、ファミレスの席でKくんに、T田が作っていると言う現代音楽選集のことを話していたようだがどういう流れだったのかと問われたので、東京佼成ウインドオーケストラを観に行ったとあちらが振ってきたその文脈だったと答えた。Kくんは和音の構成が何やら前衛的だった、というようなことを話していたのだが、T田によればそれは酒井健治という作曲家の"デチューン"という曲でのことだったらしく、トーン・クラスターとシンプルな和音とのあいだを行き来するような作になっていたと言うので、トーン・クラスターとは何かと訊けば、「ドレミファソのように隣接する音をいっぺんに鳴らす和音のことだ」と言い、「単純な発想ではあるけど、これが効果的に使われるとなかなか独特の、虚ろだったり破滅的だったりな響きになるんよ」とのことである。
 一一時からNさんと通話をするということを言ってあったので、T田は一一時ぴったりに至ると通話を楽しんでくれと言ってやりとりを終わらせたが、まだこの日の日記が現在時に追いついていなかったので、TwitterでNさんに、切りの良いところまで日記を書くので、もう少し待ってくださいと伝えて、それとほとんど同時に、今度はTからLINE上で、昨日はありがとうと送られてきた。それに答えつつここまで書いて、時刻は一一時一七分。今日は既に六時間半も作文をしているが、そのわりに全然疲れておらず、この意気軒昂さはやはりちょっとおかしいのではないか。
 コンピューターの動作速度がだいぶ落ちていたので、再起動を施して、機械が眠りに就くあいだにヘッドフォンとコンピューターとマウスを先に隣の兄の室に運び、さらに電源ケーブルを持ってきて繋ぐと、手近にあった筑摩書房の『世界文学大系』の、近代小説集の巻を適当にめくりながら待つ。なかに、鼓直訳のバローハ「波間の叫び」という二頁の掌編があって、全然名前を知らない作家の文だが、鼓直が訳しているとはとちょっと読んでみると、「人影絶えた路上には、妖精の手から落ちた鏡の片割れのように、水溜りがきらめいていた」いう比喩があって、これはなかなか良いのではないかと思った。コンピューターの準備がようやく整うと、時刻は一一時半だった。Skypeに入ってお待たせしてすみませんとNさんにメッセージを送り、念の為に重ねてTwitterのダイレクト・メッセージでもSkypeにいますと知らせておくと、やがて着信が掛かってきて、しかしその時確かメモを取っているところだったので変なキーを押してしまったのだろうか、受信がうまく行かず、もう一度掛けてもらって繋がった。通話はここから三時前まで続いたのだが、全体的には珍しく、こちらが話すばかりになってしまったようだった。ぺらぺらと、恥ずかしげもなく駄弁を披露しているだけなのに大人しく話を聞いてもらえて有り難いことだ。しかし最近、どうも語りがちになっている。会話も最初にそのあたりの話から始まったと思う。つまり、最近何だか日記がより詳細になっていませんかと問われて、細かくなっている、どうも最近の自分には勢いがあると言ってちょっと話すと、Nさんは久しぶりに話してみて元気な印象を受けると言う。それで、上にも書いたことだが、自分はもしかして双極性障害ではないかとちょっと疑っているということを明かすと、Nさんは「双極性障害」という語にはピンとこないようだったので、いわゆる躁鬱病のことですと補足し、もしかするとそのうちの躁期が来ているのではないかと、そんな可能性をちょっと考えていますと言った。うーん……それは……どうなんでしょう……みたいな何とも言い難いような雰囲気でNさんは受けていたと思う。まあ元気な分には何も困らないので良いのだが、あまり元気過ぎても問題があろうし、躁期が終わって鬱期がいずれ来るのだとしたらそれも困る。何か診断基準みたいなものに当て嵌まるんですかとNさんは訊くので、結構当たっているような感じなんですよと答えて、何か、自分を偉大だと思っている、みたいなのがあるんですけど、と爆笑し、実は、昨晩、思ったことがあって、と例の誇大妄想のことを話しはじめた。――昨日の夜、お茶を注いでいる時に、このまま日記を書き続けて、本当に死ぬまでずっと書き続けることが出来れば、そうすれば多分、自分の名前は歴史に残るなって思ったんですよね。それも、別にそのことに凄く興奮するとか、わくわくするとか、そういう感じもなくて、何か当然のことを当然のように受け入れる、みたいな感じで腑に落ちたと言うか。さすがにこうした恥を憚らぬ誇大妄想的な発言にはNさんも、馬鹿げていると思ったのではなかろうか。でもほかに、長い日記を書いている人っていないんですかと言うので、インターネットを見てみても、どうも見える範囲にはいないですよねと言い、でもまあ、世界には七二億人だかそれくらいの人はいるので、ほかにもきっといるとは思います、ただインターネット上にそれを公開して人の目につく場所に置いているのは、僕くらいなものじゃないですかと答えた。その流れでMさんの日記についても話したのだっただろうか? 彼の日記は形式的にはこちらのものと大体同じである。それは勿論、こちらが彼の日記を読んで真似を始めたのだから当然なのだが、でも日記に対する姿勢は違っていますね、ある種対極と言っても良いかもしれない、と説明した。――と言うのも、Mさんにとって日記っていうのは小説のためのウォーミングアップ、言わば素振りですよね、で、彼の戦場は勿論、試合本番なわけです。つまりは小説を書くことこそが彼が自らやるべきだと思っていることで、日記はそのためのウォーミングアップに過ぎない。だからそんなものに時間と労力を取られるのは困るわけで、短く書こう短く書こうとたびたび言ってるんですけど、ところがその言葉とは裏腹に、どうしても日記を長く書いてしまう、短く書くと言っておきながら出来上がってきたものは実際には長々しいものになっている、そうしたテクストの裏切り具合が面白いんですよと語ると、Nさんも大笑いして、それは面白いですねと受けていた。
 最近の自分の記述に勢いがあるのは多分読者の皆さんからしても見受けられると思うが、文章が変化したのに何かきっかけみたいなものはあったんですかとNさんが問うたのに、いやあ、別にないですよね……と答えておきながらすぐに思い当たって、ああでも、古井由吉を読んだのが影響はしましたねと言った。――古井由吉っていうのは物凄く推敲を重ねる人なんですよね、それで文章もかなり切れているわけです。このあいだ『ゆらぐ玉の緒』っていう彼の作品を読んで、やっぱり面白くて、自分も推敲をやってみるかと身の程も知らない業に手を出したんですが、そうするとこれが書けない書けない。筆の運びが重くて仕方がなくなって、それでもうやっぱり止めだと、俺の目指す方向はこちらではないと、そう定めてまた一筆書きを始めたら、何だか吹っ切れたようになって、それで伸び伸びと書けるようになりました。
 最近はまた、Evernoteに保存されている最古の、二〇一四年初頭の日記をブログに投稿している。その旨伝えて読んでみてくださいと言うと、Nさんはその場でこちらのブログをひらいたようで、無言になって読みはじめ、しばらくしてから、全然違う……と漏らし、何か、これくらいなら、私でも頑張れば書けそうです、と言った。実際そうなのだ。あれくらいのものだったら皆書ける。しかしNさんは、読み進めるにつれて、いや、言い過ぎました、やっぱり書けないです、と何故か否定に傾いたので、何でですか、書けますよとこちらは笑った。Nさんも、前回話した時にこちらが、僕の営みを受け継いでほしいと思っていますよなどということを言ったから、自分でも日記を書いてみようと思ってちょっと試したようなのだが、やはり続かなかったと言う。何だか、自分の場合は、日常のこまごまとしたことを書いてみても楽しくないんですよねと言うので、やっぱり楽しいことを書けば良いんですよとこちらは受けて、自分なりの形で、何らかの形で受け継いでほしいと思っています、僕はまあ継続主義者なので、ずっと書き続けるという一点を、その書き続ける精神を一番受け継いでほしいですねと笑った。
 過去の日記におけるガルシア=マルケスの影響についても語った。つまり、こちらは二〇一四年とか二〇一五年の頃とかは、文章に付き纏う作者の自意識というものを、「親の仇の如く」と言ってこれはMさんが称した言葉だが、それほどまでに憎んでおり、自意識の重さやその臭みが滲み出ている文章というものはまったく受け付けなかった。端的に言って無闇な自分語りが嫌いだったのだが、しかしこちらが選んだ日記という形式は、どうあがいても自分語りにならざるを得ない種類の文章である。その時点で矛盾があるのだけれど、こちらはその矛盾を何とか乗り越えて、まったく知らない他人を書くように自分自身を書き記すことが出来ないか、とそういうことを考えて試行錯誤していたのだ。その際に参考にしたのがガルシア=マルケスで、と言うのも彼の書きぶりというのは、人物の内面にほとんど立ち入らない。心理の類を書くとしても、ちょっとこう思ったというのを一行書くだけとか、あとは行動や外面にちょっと表すだけとかいう感じなので、その内面への距離の取り方が、当時の自分には大変好ましかったのだと説明した。Nさんは、『エレンディラ』もそうですよね、全然感情が書かれませんよね、と受けた。最後にお婆ちゃんを殺しちゃって、あそこで、ええ、そうなんだ、ってちょっと驚きました、と言うので、そうそう、とこちらは受けて、エレンディラが祖母を殺したいほど憎んでいるという描写はそれまでにほとんどなかったと思うんですよね、マルケスの小説のなかでは、人間の感情とか内面っていうものは、本当にささやかな、つまらないものだって言うか、そんな感じがすると思います、彼の作品ってやっぱり時間とか空間とか、と言うか語りそのものが主人公みたいなところがあって、その壮大な語りのなかでは人間なんて本当にちっぽけな存在なんですよ、人も簡単に死にますし、『族長の秋』では、二〇〇〇人とか書いてあったかな、何か二〇〇〇人くらいの子供を誘拐して船に乗せて爆破して海に沈める、みたいなことがあったと思いますけれど、それだって一行くらいでさらりと書かれてすぐに次に行っちゃいますからね、『エレンディラ』のなかにも何かいたでしょ、写真家みたいなやつがいて、出てきたと思ったらすぐに、呆気なく死んじゃうみたいな。
 それでガルシア=マルケスのような距離を保って、かつ密度のある文体で日記を書けないかと模索していたのだが、いつからかそうしたことは考えなくなり、自分語りだろうが何だろうが構うまいと書き散らす方向に進んだわけだが、でもむしろ、一見自分語りの極致みたいなことをやっている今の方が昔考えていたようなことを実現出来ているのかもしれないですね、今の僕の文章は自意識の重みみたいなものは多分ほとんどないと思うんです、と言うのも、自分自身から距離を取ることが出来ているから、自分自身を観察対象として、言ってみれば世界のなかの一つの現象として書くことが出来ていると思っていて、その点が僕の日記の特殊なところじゃないですかね、と話すと、Nさんはそうですね、全然鬱陶しい感じがしないですと同意してくれた。そういう意味で言えば、今は自分という主体をバランス良く受け入れることが出来ている、昔は、自意識というものに本当に囚われすぎていましたね、自意識を殺したい殺したいというのは、裏を返せば多分、自分が好きで好きでしょうがないっていうことなんですよ、そういう過剰な愛憎みたいなものからは今は完全に解放されていますね。
 ガルシア=マルケスに関しては、その紳士性、彼の文章の几帳面さについても説明した。彼は明らかに「語り」に特化した種類の作家で、時間や空間の操作に長けているのだが、その時空の移り変わりは非常に整然としており、時間空間がそれぞれの場所で截然と区切られている。『百年の孤独』などを読めば、あれは基本的には前から直線的に進んでいく物語だからそれは明瞭で、彼の小説では複数の時間が混ざり合うということがほとんどなくて、この時間はこの時間、この空間はこの空間、ときちんと境が立てられている。『族長の秋』の方は、一見ほとんど無秩序に、滅茶苦茶に時空が乱されているように見えるけれど、あれだって個々の部分の繋ぎを見てみればその処理は非常にスマートに整えられている。また、ガルシア=マルケスの文章は時間操作に限らず、記述の密度や質、人物や事物に対する距離の取り方に関しても驚くほどに一定で、例えば『百年の孤独』では、あの本は全部で何章で構成されていたか忘れたが、一章一章の分量は日本語訳の版では必ず二〇頁ほど、正確には二二頁から二五頁くらいで統一されていたはずだ。そうした章ごとの分量のみならず、個々の文の密度も均一に揃えられており、普通の小説作品というものは、ここの描写には力が入っているな、とか、ここの部分はまあ言ってみれば繋ぎだなとか、ここは流して軽く書いているなとかそういった部分部分の力の起伏がどうしても生まれるものだが、ガルシア=マルケスにおいてはそのような凹凸が少なく、記述は丹念に整地されて連なっているのだ。マルケスと言うとよく「マジック・リアリズム」と言われて、奇想天外な物事が起こるし、物語の範囲も壮大で、出てくる登場人物だって『族長の秋』の大統領のように言ってみれば人間離れしていて、内容面で見るとまあ野蛮と言うかワイルドと言うか、野放図なようなところがあると言って良いのかもしれないけれど、文体や時空の操作などの形式面に目を移してみると、その書きぶりは野蛮の対極、非常に紳士的で折り目正しく、一言で言ってとても几帳面なのだ。そうした内容面での野蛮さと、形式面での洗練された紳士性という、相反する要素が高度に結び合って共存しているというのが、ガルシア=マルケスの作品の面白いところだ、とそのようなことを語った。
 もう一人、ガルシア=マルケスと並んでこちらが影響を受けたと思われるのが、古井由吉である。彼についてもいくらか話したのだが、古井はある意味ではマルケスと対極的な振舞いを取る作家で、彼も時空の操作に長けているけれど、その処理はもっと液体的、融解的で、記述のなかで時空が截然と区切りを持たず溶け合い混ざり合い、油断すると今どこにいるのかわからなくなるような茫洋とした感じがあり、マルケスとある種対極とも思えると言ったのはそういった意味だ。そのように対極的にも見える二人だが、こちらはこの二作家におそらく最も影響を受けたものであり、昔は彼らのやっていることをどうにかして合わせたような、統合したような試みが出来ないかななどと夢想していたのだが、ことによると今、それが出来ているのかもしれませんねとこの夜の通話では述べた。と言って、あとから考えてみると、やはり覚束ない。ただ、こちらの文章は二九という実際の年齢よりも歳を取っていると、老成しており若者の書く文章でないと、MさんやHさんからはよくそう言われたものだが、そうした年寄りじみた口調は間違いなく古井由吉の影響である。
 作家の話だとほかに、最近こちらが読んでいるカフカについても話した。彼についてよく言われるのは、夢のような世界を書いているだとか、人間の実存の不条理性を痛烈に表現しているだとかそういうことで、時には世界大戦の勃発を作品のなかで予言していたとかそんなことまで言われるようだが、こちらが思うにカフカの最もカフカらしいところというのは多分そうしたわかりやすい点ではなく、「詭弁」や「攪乱」といった種の論理の強引な使い方、その筋道の乱し方にあるのではないか。「審判」のなかでも途中で、Kの訴訟を担当している弁護士が、「訓話」として凄まじく長々とKに対して裁判手続きの詳細だとかを語る場面があるのだが、そこで長大に書かれている内容は、しかし全体として見てみると何を言っているのか良くわからないもので、俯瞰的に要約することが出来ないような記述だ。カフカという作家は頭で考えて書いている感じがしないと言うか、無論考えていないわけがないのだけれど、その思考のあり方はおそらく構築性を志向すると言うよりは、解体の方向に向かっていくような気味があると思われる。カフカは文の連なりによって一つの意味の秩序を構築していきながらも、抗いようのない彼自身の実存的な生理なのか何なのか、ある程度進むとすぐに自分がそれまで作り上げた秩序を自ら乱しに掛かって解体せずにはいられないようで、その記述は個々の部分が個々の部分の意味を互いに打ち消し合って、すべてを通過してみると全体としてはほとんど無意味なものとして立ち現れる。それは明らかに、予め頭のなかに計画を立てて書いているような感触の文章ではない。テクストに詳細に基づいてそうした運動の有り様を明晰に証明するのは難しく、勿論こちらの手に余ることだが、主観的な印象としては、唐突な思いつきのような要素が諸所に差し込まれているように見える。作品というものは、当然ながら構築されなければ形にならない。しかしカフカが特異なのは、構築性の論理のみに従って記述を垂直的に積み上げていくのではなくて、「構築 - 解体」の相反するダイナミズムのあいだを、常に「行ったり来たり」、往還しながら作品を作り上げていく点ではないのか。「審判」のヨーゼフ・Kは、感情が高ぶったり物思いを巡らせたりする際に、「行ったり来たり」歩き回るのが癖になっているようで、たびたびそのような行動を見せているのだが、そうした形で作品中にも形象化・象徴化されている「うろつき」の力学こそが、カフカ的なのではないだろうか。だから彼が長篇作品をどれも完成させることが出来なかったのも、当然の話なのだ。遊歩者の「うろつき」に、最終的な目的地などというものは存在しないからだ。「うろつき」の運動において論理の道筋は捻じれ、乱れ、歩きやすく整地された通常の舗道を外れて、言わば藪のなかの獣道を進むような道行きとなり、結果としてそれは「詭弁」や「攪乱」といった類の混迷した記述の感触を呼び起こす。カフカは決して先を見通していない。彼は言葉を書きつけながら、常にうろうろと迷っており、彼自身のその迷走ぶりが文章のなかに露わに刻み込まれているその危うさ、時に破綻すれすれのところをくぐり抜けていくそのスリリングさが、カフカを読む時に読者が味わうはずの特殊性である。そうした破綻すれすれの感覚というのは、長篇小説よりも、膨大な量残されている断片的な書きつけにこそ如実に表れており、それらを読むと特に、こいつ、本当に何も考えずに思いつきで適当に書いているな、とそういう印象を受けて笑ってしまう、とこちらは話した。すると、『異邦人』とかもですか、とNさんは言ったので、それは『失踪者』の異名のことだと思って『アメリカ』ですかと、あれは邦訳によって色々タイトルがあるんですよねと受けて、『異邦人』という訳名もあったかと検索してみたところが、『異邦人』はカフカではなくカミュだった。それで、『異邦人』を一度だけ読んだ過去の曖昧な記憶を呼び起こして、何か日記みたいなところがありましたね、と話した。何か本当に主人公の、何でもない一日の生活をただ書くみたいな、何かスパゲッティ作って食ってるみたいな、いや、村上春樹ではないですけど、とこちらは笑い、あとはでもやっぱり、浜辺で人を殺しちゃうんですけど、そのあたりの場面とかは結構演出されていると言うか、作り込まれている感じがありましたねと言うと、Nさんは、「太陽が眩しかったから」、という例の有名な台詞を口にして、ああ、そうですそうです、とこちらは受けた。
 カフカに関しては、手紙も物凄くたくさん書いていて、と言うと、Nさんは黙りこくって無音の時間が流れるなかに、マウスのスクロールを弄っているような音が時折り耳に届くので、多分今、ウィキペディアカフカの記事を読んでいるなと推測して、今、ウィキペディアを読んでいますねと口にすると、はい、とNさんは素直に答えて、何でわかったんですかと笑う。そう言えば、短歌にありましたね、フェリーツェって、と続けて向けてくるので、ああ、「百年後のフランツ・カフカになりたくて」、ってやつですね、「手紙を書くけどフェリーツェがいない」、と暗唱して、あれはなかなか良く出来たと思っていますよと自画自賛をした。カフカの手紙も凄く面白いですよ、フェリーツェはよくあんな手紙を貰って、受け入れてちゃんと返事を書いていたなと思います、と話すと、あんな手紙、とNさんはそこを取り上げて苦笑するので、だってやたら長いし、何か文学のよくわからないこととか書かれているし、とこちらは受けて、カフカという人間が面白いのは、彼はかなりネガティヴな性格で、ほとんどのことには自信がないんですよね、ただ、文学に関してだけは絶対的な自信を持っている、何だったかな、正確には忘れましたけど、僕は文学が好きなのではなくて、文学に運命づけられているのです、僕自身が文学的な存在なのです、みたいなことを言っていて、そのほかのことでは全然自信がないのに、文学についてだけは確固とした自信を持って断言しているっていう、そこが面白い、と語った。あと、尊敬するのはやっぱりずっと文を書き続けていたということで、彼はノートに膨大な量の断片を残しているんですよね、それに影響されて僕も一時期断片的なものをいくつか作っていましたとも話す。それらの断片はある時期まではEvernoteにまとめて保存してあったが、読み返してみると大方は全然大したことのない、つまらない文章だったのでほとんど消してしまった。ただ一つだけ非常に上手く行っていると思ったものがあって、それはローベルト・ヴァルザーのスタイルをパクって書いたもので、日記にも何度も引いているのでこのブログを昔から読んで下さっている方にはもうお馴染みのものだと思うが、こんなものを俺は書けたのだぞという自己誇示のためにふたたびここに載せておく。二九個目に作った断片である。

 乗客がすべて降りて、電車のなかにひとりきりになった――その瞬間の解放感! 君は知っているか? そのとき一瞬にして、夜はすばらしいものへと変わる。公共の場所で自分以外の人間がいないということは、なんと自由なことか! この夜が、窓の外にきらめく夜が、ぼくのもの、ぼくだけのものなのだ。車内の薄明るい、無機質な、冷酷といってもいい明かりや、鳥か小動物の鳴きかわしのような列車のきしみ音、それがぼくのものになったのだ。踊り出したい気分ではないか、そしてお望みならば、そうすることだってできるのだ! ぼくが踊ったところで、くるくる回ったところで、誰も邪魔する者はいない。お望みならば服を脱いで全裸になることだってできる。もちろんぼくはしない、ぼくは公序良俗を乱すようなことはしない、だがもしお望みならば、それができるのだ。君だって、この幸福な時間に立ち会うことができれば、そのとき君はおそらくこの夜で一番幸福な人間にちがいないのだが、もしそうした幸運に恵まれて、なおかつ君がそれを望めば、できないわけではない、むしろ十分に可能だ、なぜって君はそのとき電車のなかにひとりなのだから! もしお望みならば、座席に寝そべることだってできる、座席でなくたっていい、床に寝そべることだってできる、大の字になってもいられる、いつもは無数の足が、堅苦しい足やだらしない足や、毛の生えた男の足や余分な脂肪のついた女の足が並んでいるこの床にだ。そのくらいのことはしてもいいのではないか? さらにお望みならば、その床を例えばなめまわすことだってできる、もちろんぼくはやらない、床はやはりガムなどがこびりついているから汚いわけだし、ぼくはやらないが、しかし君が望めばそれは決してできないことではない、もし君がお望みならばそれができるということ、そうした可能性が確保されている、床をなめまわすことさえできる、確かなものとして自由が目の前にあるということは、実際に行動を起こすことよりも幸せなことではないか? 君がもしそれを決してやらないとしてもだ、お望みならばいつだってできるということ、それを幸福というわけだ。そうだろう、そうだろう! そうに違いない! そんな幸福が実現される瞬間がはたしてどれだけあるのか、もしかしたらこのとき以外にはないのかもしれない。つまり、電車のなかでひとりになるそのとき以外には。ぼくは本を読んでいた。座席に座って静かに文字を追っていたのだが、自分以外の乗客がいなくなったことに気づいたときの胸のときめき――ぼくは思わず立ちあがったのだ、そして窓の向こうに目をやった。外では町の明かりが、儚い赤や透きとおった黄色の明かりが流れていく、その美しい夜がぼくだけのものになったのだ。窓には室内の様子が鏡写しになっていた、当然ぼくの姿も映っていた、髪はぼさぼさでひげもそっていないし、着ている服だって色がくすんだようなものだが、しかしだからどうだというのだ? そんなことはどうということでもない、重要なのは、その窓に映った情けない像でさえ、いまはぼくだけのものだということなのだ。なんてすばらしい夜なのか! ぼくは走り出したくなった、車両の端から端まで駆けたくなった、そしてお望みならば、いつでもそれができたのだ。ぼくはやらなかったが、やろうがやるまいがぼくの高揚に変わりはなかった、君にこのときの気持ちがわかるだろうか? 夜はすばらしい、もしこれが朝だったとしてもそれはもちろんすばらしいだろう、そのときには射しこむ陽の光や、午前中のまぶしさや、まだねむたげな町のささやきや、清涼な、夜のそれとはまたちがった清涼さの空気がぼくのものになったのだ、それはそれで魅力的にはちがいない。しかしやはり夜がすばらしいのだ、暗闇のなかに包まれた箱のなかにひとりでいる、その静けさはあたかも世界中がぼくひとりだけになったようだ。ぼくは明かりが消えてくれないだろうかと思った。夜の電車のなかでひとりになり、さらになおかつ明かりが消える、それはこれ以上ない幸福にちがいない、明かりが消えれば町の輝きがよりはっきりと見えるし、また月の光が射しこむのではないか? 緑色の水槽のなかに幕がはられるように、かすかな光が、仄白さが射しこむ、ぼくはそれを想像しただけでうっとりとしてしまった。しかし光は消えないのだ。困ったことだ! ぼくはこれほど、このときほど車両の明かりが乗客の手によって制御できればいいと思ったことはない。明かりを消すには、やはり運転室までいかなくてはならないのだろうか? 運転手あるいは車掌に頼むしかないのだろう、この善良な、職務熱心な、この夜更けにも勤勉に働いているこの連中がぼくの幸福をいわば保証しているのだ。なぜって、彼らがこの長い箱を動かしているあいだは誰も乗ってくることができないのだから――ぼくは感謝する。そしてできればいつまでも次の駅につかないように願うのだが、この電車も世界の物理法則に従う以上、やはりそうはいかないのだ。ぼくにとって重要なのは、次の駅について扉がひらく瞬間だ、そのときこの幸福な密室は破られてしまう。はたして誰かが乗ってくるのか? だとしたらそれまでに、やりたいことはやっておかなければならない、やりたいことはできるときにやっておかないといけない、それは正しい、一般的な人生訓としても正しいし、いまこの状況においても正しいが、しかしやらなくたっていいのだ、結局ぼくが自由であることに変わりはないのだから。ところがこの自由は危ういものでもある、なぜって次の駅で誰かが乗ってきただけでそれは泡がはじけるように散ってしまうのだ。どうしたものか? なんとか妨害できないだろうか? 扉が開かないでいてくれればいいのだが。車掌に頼みこみにいこうか? あるいは、駅で待っている乗客に頼みこむこともできるかもしれない、どうか乗らないでほしいといって彼らを説得できないだろうか、そのくらいの意志の強さと力はあるのではないか、なにしろいまぼくは自由なのだから。なんでもできる状態にあるのだ、お望みならば、そういうこともできるかもしれない、その可能性は決して低くない、むしろ高いといっていいだろう。しかし困ったことだが、電車の乗り口はひとつだけではないのだ。ひとつの入口で乗客を説得できても、そのあいだにほかの入口から乗りこまれてしまうかもしれない、そうしたら終わりだ、ぼくも乗りこまれてしまったものを押しかえすほどの勢力はない、そもそも誰かが乗ってきたその時点で、いまのこの自由は終わってしまうのだ。どうしたものか? ――こうした悩みを抱えながらも、ぼくは自由を満喫していた。この話を聞いてくれたひとたちには、ぼくがそのときどれほど自由だったのかがよくわかってもらえることと思う、もっともそれはやはり、この世において稀有以上に稀有である純粋無垢な自由そのものだったのだ。そうした薄氷にも似た美しいものはそうそうあらわれるはずもないし、一度あらわれたとしてもそう長く続くはずがない。しかしそれだけにぼくはそのことをよく覚えている。まったく、なんと美しい夜だったことか! もしお望みならば、もう一度最初から語ってもいいくらいだ。
 (2015/1/26, Mon. 2:21)

 その他本の話だと、このあいだKWさんとISさんと行った読書会で読んだ町屋良平『愛が嫌い』のなかに「しずけさ」という篇が入っていて、それはなかなか良いもので、読書会でも三人とも収録作のなかではこれが一番良かったと一致したのだが、Nさんもそれを『文學界』で読んだと言う。非常に好きな文章だったとの評価を彼女は下し、町屋さんと、読書会をやっていたんですよね、と訊くので、そうなのだと受ければ、どんな方でした、どんな話し方をするって言うか、と続けて問われるのに、ええ、もうあまり覚えていないですけど、と前置いて、ただ、あまり何と言うか、はっちゃけたタイプの人ではなかったですね、かと言って陰気という感じでもなく、落着いて、穏やかな話しぶりだったと思いますと記憶を掘り起こした。ヴァージニア・ウルフが好きだって言っていましたね、『灯台へ』が、と言うと、インタビューでもそのことは語っているらしくNさんはそうですねと同意して、こちらはそれに対して、だから、その点は僕と一致しています、と何故かどうでも良いことを強調した。
 こちらの日記の話に戻ると、パトロンになってくれそうな人は見つかりましたかとNさんは訊くが、当然そんな物好きはいない。noteでも、最近はとんと記事は購入されないし、そもそもあれだけ長いのだから、皆「スキ」をつけてはくれるけれど、多分読んではいないだろうと、ここでより一層長くなってしまったものだから、そろそろ付き合いきれないと思っているんではないかと推測を述べて笑った。Nさんはその場でnoteのこちらの頁にアクセスしたらしく、全部Bill Evansですねと言う。noteの各月ごとにまとめてあるカテゴリに付してある写真のことである。Nさんは最近Bill Evansを聞いていると言い、ベスト盤みたいなものに入っていた"Valse"という曲が大好きです、と言うのだが、こちらは不勉強でそれは知らないものだった。さらに日記の話に戻って、Nさんは、Fさんが日記を自費出版したら買いますよと言ってくれるのだが、こちらはあまり日記を出版するとか書籍の形にするとかいうことは考えていない。インターネット上で誰にでも無料で読めるという形で公開されているということがやはり意味があるのではないかと思うのだ。え、こんなところにめっちゃ長い変な日記あるじゃん、みたいな、とそう言うと、「巨大生物のように」、と以前こちらが日記のなかに書きつけていた比喩をNさんは口にするのだが、本当に彼女はこちらの日記をよく読んでくれている。電脳空間の辺境に鎮座する畸形的な巨大生物のように長大な日記を集積したい、というようなことを過去に書いたことがあるはずなのだ。それでも、自分の日記を書籍化して支持を得ている人もいますよね、と言って、fuzkueのAK氏の試みを紹介した。fuzkueっていう店があるんですけど、知っていますかと訊くと、日記で読みましたと言うので、そう、その店は、皆で黙って本を読む時間を過ごすための喫茶店、みたいな感じらしくて、新宿の方にあるらしいんですけど、その店の店主さんが『読書の日記』っていうのを出していて、どうも結構売れているみたいですよ、何しろ地元の図書館にも入っていましたから、それは以前はブログ、と言うか店のサイトで連載されていたものなんですけど、今は有料のメルマガになっていて、僕はそれに登録して毎月お金を払って読んでいるわけです、同じ「日記作家」として活動を応援したいと思ってね、と笑った。Nさんはまた、こちらの日記を知人に布教してくれていると言う。大学のサークルの先輩などに教えたと言うのだが、しかしこれだけ長いとやはりなかなか熱心に読んでくれるという人も見つからないだろう。Nさんの大学の話にこのまま移行すると、最近は大学などはどうですかと訊いてみた時に、一つ良いこと、嬉しいことがあったと彼女は受けて、ラッピング・バスのデザインを大学の生徒が考案するというような授業があったのだけれど、それでNさんが考えたデザインが一部採用されたのだと言う。しかもそれが新聞の記事にも取り上げられたと言うものだから、それは素晴らしいですねとこちらは受けて、彼女が貼ってくれた新聞記事の写真を眺めた。
 そのほか、どういう文脈でそういう話になったのかわからないが、外を歩いて色々なものを見聞きするのも、部屋のなかに籠って本を読むのも、自分にとっては感覚としてはあまり変わらないのだということも話した。世界を体験するという点では両方の行為様態に違いはなく、外を歩いていて何かの印象に引っ掛かったりするのと、本を読んでいて記述の一部が気になってそこから何らかの感覚を受けたり考察が生まれたりするのと、そう異なることではない。つまりは自分にとってはテクストは一つの世界であり、世界は一つのテクスト、それもおそらくこの世で最も豊かなテクストなのだということを言うと、私もテクストですかとNさんは苦笑気味に返すので、テクスト、と言うと、何か人間を物として思っている、みたいな風に取られるかもしれませんが、そうではなくて、テクストっていうのは織物のことですからね、と受けると、そうなんですかとNさんは驚きの声を上げてみせる。語源的には織り合わされたものということで、テクスチャーとか言ったりもするでしょう、だから、編まれたものってことなんですよ、本っていうのはまあ直線的に書かれていて、直線的に読むものなわけですけれど、しかし個々の部分が離れた別の部分に繋がっているわけでしょう、ある記述が遠くの別の箇所を喚起したり、テーマ的にそこに連なっていったりして、糸で編まれているかのようにネットワークを成している、世界がテクストだというのはそれと同じことで、ある一つの意味とか一つの情報、一つの感覚が、別の感覚を呼び起こしたり、記憶が別の記憶に繋がったりと縦横無尽に交錯するわけです、そういう点で、僕にとっては文学作品もこの世界そのものもあまり変わらない、と述べると、説明がわかりやすいです、とNさんは言って、さすが塾の先生だと褒めてくれた。Fさんは結構、話すのが上手いですよね、と彼女は言うので、昔は全然下手でしたよ、とこちらは明かし、話すのが上手いとしたら、やっぱり日記をずっと書いてきたからでしょうねと考えを述べると、やっぱり日記なんですかと相手は笑うが、それは確実にそうだと思う。自分自身のことを観察して文章化する習慣をつけたことで、考えをまとめたりとか、文脈を上手く作ったりする能力が鍛えられたと思う。あとは、僕は、書くように喋りたいと思っていた時期もあるんですよ、文を作っているかのように整然と喋りたいって、そう思っていた時期もあるんで、その感覚がちょっと残っているのかもしれないですねと言いながら思いついたことに、でも今は逆に、喋るように書いていますね、本当に、まさしく駄弁と言うか、べらべら語るのと変わらない、だから僕にとっては、書くことと喋ることと、その二つはあまり変わらないのかもしれませんと付け加えた。
 Fさんは、他人に興味があるんですかと問われた時もあった。こちらはうーん、と考え、他人に興味があるというのはある意味でそうですけれど、しかし僕の言う興味があるというのは、つまりは書く対象になるということですからね、その点特殊なんじゃないでしょうかと語る。――僕は、日記にも前に書きましたけれど、一種の「信仰」を持っていて、それはつまり、この世界に書くに値しないものなど何もないということで、そこに人間が一人いるという、何か事物が一つあるというそのことだけで、それらはもう書く価値があるんですよ、勿論興味がないこともありますよ、芸能人とかあまり興味ないし、母親の話とかも大体聞き流していますからね、でも、それらに興味がない、というそのこと自体も書く価値があるんですよ。その他、ジェイムズ・ジョイスの境地に至りたいということも語った。――これも前に日記に書きましたけど、ジェイムズ・ジョイスっていう作家がいて、アイルランドの作家ですけどね、彼は生涯ずっと、まあいわゆる下層階級の人たち、教養もないような、八百屋の人とか、そういう人たちとの付き合いを止めなかったと言われていて、でもジョイスの仲間とかはやっぱり言うわけですよね、お前、あんな奴らと付き合ってもしょうがないじゃん、やめたら? とか、言うわけですけど、でもジョイスは止めなかった、そこで彼が言ったことというのが、何だったかな、「私にとって、面白くない人間というのは一人もいない」みたいなことを言ったらしくて、まあちょっと気取りが入っている感じはありますけれど、でも素晴らしい姿勢だと思う、プリーモ・レーヴィも似たようなことを言っていて、彼は一つの習慣を自分は身につけていてアウシュヴィッツでもそれが役立ったと語っているんですけれど、その習慣というのが、偶然が自分の前に連れてきた人間に、決して無関心な態度を取らない、ということで、これもやはり素晴らしい姿勢だと思う、僕もそういう風になりたいですね。要は無駄な時間とか無駄な人間関係というものはないと、そういう境地に至りたいということで、まあ結構もう至ってきているような気はするのだが、言わば有益/無駄の二項対立を破壊し、無効化してその外に出たいというような話で、まあ結局はすべての物事はそれそのもので常に既に書く価値があるよ、とそういう肯定性に尽きるわけだが、そういう心持ちを完璧に実現出来たとしたら、それは一種の「悟り」みたいなものなのではないか。「有益/無駄」という価値判断から解放されたところで、書くという行為を経由してすべての物事を完全に公平に受け入れる究極の平等主義。しかし現世的に、世界のなかで生きる人間を選ぶのだったら、そうした、言わば超越的な様態に、ほとんど完璧なポストモダン的相対性の極致にいつまでも留まっていてはいけないはずで、そこから敢えて[﹅3]俗世のなかに降りていき、一度停止された価値判断をそこで敢えて[﹅3]ふたたび駆動させ、行動していかなければならないはずである。こうした議論は、二〇一八年の一月三日にMさんと話したものだが、「悟り」とか、風狂な、世間的な価値観からは狂いとしか思われないような生き方をした僧たちの存在様態などの話と繋がるだろう。Mさんのブログから該当部分を引かせてもらう。

主体の解体=地盤の喪失というのがきわまった先にあるのはなにかといえば、それはこの世界がこの世界であることになんの根拠もないという無根拠性の実感にほかならないはずで、ハイデガー的にいえば根拠律の欠落ということになるのかもしれないし、ムージルの可能性感覚とも多少なりと響きあう話になるわけだが、この世界がこの世界である根拠がないというのは、換言すれば、この世界は別様の世界でもありうるという「信」、すなわち、この世界そのものの相対化という域である。ただ、相対化を果てまできわめてしまえばそれでおしまいかといえば、そうではなくって、ここからは完全に後期フーコーめいてくるのだが、問題はそこにおいてあらたにたちあげることが可能となる別なる「制度」「権威」である。この世界(という「制度」「権威」)を相対化しきった先にある、すべてがフィクションでしかないという「悟り」に達してはじめて、ひとはみずからを律する「制度」「権威」をみずからの手で作り出すことが可能となる(真なる自律!)。F田くんはそのあたりを後期フーコーと仏教の交点として見出すことができるのではないかと考えているらしかった。しかしながら、それだからといってそこであらたにうちたてる別様の「制度」「権威」が、いわば既存の「制度」「権威」とまったくもって異なる姿をとるとはかぎらないだろう。一休宗純の逸話など拾い読みしていると、あれは相対化の極北=自己解体=悟りの域に達したものの、あえてそこで別様の「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)をたちあげず、既存の「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)をいわばある程度模倣する格好で倒錯的にたちあげたのではないか、既存の「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)をあえてふたたびよそおうにいたったのではないかという感じがおおいにするのだ(というかそういうふうに彼の生涯が「読める」)。一休宗純だけではなくほか多くの風変わりな逸話をのこしている僧・仙人・宗教家・哲学者・芸術家などもやはり同様である気がするのだが(彼らはみな奇人・変人ではあるかもしれないが、決して狂人ではない)、しかしながらそれならばなぜ彼らはそのような擬態にいたったのかとこれを書いているいま考えてみるに、それは、既存の「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)からおおきく逸脱した「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)というのが、ほかでもない狂人でしかないーーそのような存在様態としてしかこの世界という「制度」「権威」内では認識・解釈できない主体になるーーからなのではないか。物語に対抗するために有効なのは非物語ではない。意味に対抗するために有効なのは無意味(ナンセンス)なのではない。物語に対抗するために有効なのがその物語の亜種に擬態しながらも細部においてその大枠をぐらつかせ、亀裂をもたらし、内破のきっかけを仕込むことになる致命的にしてささやかな細部(の集積)であるように(体制内外部!)、既存の「制度」「権威」に変化を呼び込むのは(「くつがえす」のではない)、既存の「制度」「権威」(とそこからなる「主体」)に擬態する狂人なのではないか(これは蓮實重彦が想定する「物語」と「小説」の対立図式を踏まえた見立てだ)。狂人でありながらこの世界を生きるために狂人でないふりをするほかない役者の芝居、演技、その上演の身ぶりこそが、いわば革命の火種をいたるところに散種する。芸術にかぎった話では当然ない。政治経済を含むこの社会全域において応用可能な話だ。革命は「転覆」ではなく、「変容」あるいは「(変容の)誘導」として、いわば永遠のプロセスとして試みつづけられている。という論旨になるとなにやら『夜戦と永遠』めいてくるわけだが、これはしかし換言すれば、「動きすぎてはいけない」(千葉雅也)ということでもある。狂人としてふりきれてしまうのでもなく、かといって既存の主体におさまるでもない、既存の主体に擬態しながらも部分的にその枠からはみだしてしまっている、そのような「中途半端さ」(これは今回の通話におけるキーワードである)にとどまるという戦略。

 そうした境地を目指しているわけだから順当なことだが、最近ではほとんど人間関係を選り好みしなくなったと言うか、例えば数年前だったら、こちらは読み書き以外の時間は概ね無駄だと思っていたわけだから、友達と遊ぶ時にも、それよりも本を読んだり文を書いたりした方が良いんではないかといつも比較を考えていたし、職場の飲み会などは勿論完璧な無駄な時間でしかないと思っていたけれど、今はそういうことは全然思わなくなった、どんな時間でも概ね、楽しめると言うと違うかもしれないが、少なくとも受け止めることは出来るようになった。加えて、人間関係において大事なのは、結局同じ時間と空間を共有するという、そこに尽きるのではないかと最近は考えている。――と言うのも、今まで残っている人間関係を考えてみると、気が合うとか価値観が似ているとかそういうことも勿論ありますけど、それよりも結局、多くの時間を共有した相手なんですよね、だから結局は、面白い時間でなくても良い、退屈な時間であっても良いので、一緒に同じ時空を過ごすということが一番大事なのではないかと。こちらは継続主義者なので、人間関係においても最も大切なのは続くということ、その一点だと思っているわけだが、――でも、まあ仮に続かなくても、それはそれで良いわけです、それはそれで仕方ないと言うか、例えば一度しか会わない、一度しか席を共にしない人がいたとして、それでも、まあある一つの時間が、時空の共有がある時存在したという、その事実だけで良いのではないかと、何だかそういうことを思うようになっていますね。
 その他の話題としてはSkypeのグループのことがある。最近はこちらは、グループで通話するよりも一対一で個別の人と話す方が面白いような気がしてきているので、Skypeにもあまりログインしなくなり、グループ通話に参加することもしていないのだが、Yさんも最近は、グループの方で何かあったのか、TwitterからもSkypeからも一旦離れるかもと、そういうことを漏らしていたらしい。それでも、例えばEさんなどとは交流を続けているようで、アリス展に行ったみたいですよ、とNさんは言うので、『不思議の国のアリス』ですかとこちらが確認すると、何でも行ったのはちょうど今日のことだと言う。Twitterかどこかに写真を上げていたようで、交流しているじゃないですか、とこちらが笑うとNさんも、友達が出来て良かったですねと保護者のようなことを言い、しかもあんな可愛い人、と続けるものだからこちらも、やるじゃないですかとふたたび笑った。
 そういった事々を話し続けていつの間にか時刻は二時半を越え三時に近くなった頃、Nさんは、まあ私は、そんなに頻繁に話せなくても良いです、日記を読んでいればそれで良いかなっていう感じですと寂しいことを漏らしたが、まあ一月に一回くらいはこうしてSkypeで色々と話をさせてもらうというのも良いのではないだろうか。それでさすがに三時だしそろそろ寝ますとNさんが言うので、寝て下さい、僕はもう夜更かしが常態になっていますから良いですけど、普通の人には良くないですと笑って、ありがとうございました、おやすみなさいと言い合って別れた。コンピューターとその周りの付属品を二回に分けて自室に運んでいると、壁の向こうの寝室で父親が、寝言だろうか、何かもごもご言っているようだった。それから歯磨きをしながら、辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読みはじめた。三時半前から音楽も聞くかという気になって、Conrad Herwig『Another Kind Of Blue: The Latin Side Of Miles Davis』をヘッドフォンで流してみれば、冒頭、"So What"の、テーマに入る前のイントロのベースのリフが、三連符が滑らかで渋く格好良い。このアルバムのベースはJohn Benitizという人で、結構各曲でソロを取って活躍している。四曲目、"All Blues"ではリーダーであるトロンボーンのConrad Herwigが、馬鹿テクと言って良いのではないかと思うが、細かな連続音やギターで言うところのグリッサンドみたいなダイナミックな音域の移行を挟んだソロを聞かせていて圧巻である。
 四時を越えるとさすがに睡気が湧いてきて、身の各所に重りのように垂れ下がるので、四時半で書見は終わりにして寝床に移った。眠りは近かったと思う。


・作文
 13:07 - 15:07 = 2時間
 15:26 - 15:47 = 21分
 16:55 - 18:00 = 1時間5分
 18:30 - 20:26 = 1時間56分
 22:12 - 23:17 = 1時間5分
 計: 6時間27分

・読書
 12:10 - 12:43 = 33分
 15:55 - 16:20 = 25分
 16:26 - 16:55 = 29分
 27:02 - 28:33 = 1時間31分
 計: 2時間58分

・睡眠
 4:00 - 11:10 = 7時間10分

・音楽

2019/10/6, Sun.

 ここにあるものと、ありえたもの、その
 揺らぎに身体ごと奪われる
 だれかがいつか忘れていった声に
 ふるえる瞬間がある
 蛍光色でさけぶ
 汚れたアルファベット
 下が透けて見えるわけじゃない、ただ
 なんども消すことで、たしかに、ほんの少し
 分厚くなった
 (岡本啓『グラフィティ』思潮社、二〇一四年、34; 「グラフィティ」)

     *

 もう一度
 倉庫にひきかえした
 朝が皮膚をしめつける
 見て、ほら、グラフィティが壁にあかるい
 靴底でふみしめる
 シモバシラ
 ちいさな地球のおと
 一晩かけてゆっくり地面をもちあげた
 そのちからに触れたくて
 おもわず掘りおこす
 やわらかなひかりを反射する
 つめたいかけら
 ここからは
 遠くのビルの広告までよく見える
 とけていく
 水と土のついた手を
 少し待って
 遠くからでも見えてほしくて
 つよく頬骨にこすりつけた
 (40~41; 「グラフィティ」)

     *

 おまえの、まだどんな意味にもとどかない声
 雨脚のようにとおくへ
 いちもくさんに駆けていく声を
 見おくろうとするこの肺が
 一息ごと、しみるなら
 とっさにおわなくては
 コンクリートの汚れた塀に、すり切れた風に
 頬を、手を、何度もこすりつけながら
 あんなスプレーの殴り書きにさえ
 夜ふけにだれかがかぶせた
 粗い血潮のような、王冠のほこらしさがあるのだから
 (84~85; 「発声練習」)


 九時頃になって意識を取り戻した。八時にアラームが鳴ったはずなのだがそれを止めた記憶がなかったところ、しかし見れば棚の奥に入れておいたはずの携帯が机上の、ティッシュ箱の上に置かれていたので、記憶に残っていなくともどうやら一度起きて止め、それからまた寝床に戻ったらしい。カーテンを開けた窓から覗く空は一面真っ白で、入ってくる空気もなかなか身に涼しい。床を抜けて階を上がり、テーブルの端の雑多な物どもを整理している母親に挨拶をして、食事は何かあるのかと訊けば素麺を煮込んだと言う。洗面所に入って顔を洗い、櫛付きドライヤーで頭をちょっと梳かして、それから台所でガス台の前に立って鍋の素麺を火に掛ける。このあいだこちらがウォークマンに入れてやったEvery Little Thingの音楽が、カウンターの上から流れ出している。首を曲げたり肩を回してほぐしたりしながら素麺が温まるのを待って、丼によそって卓に行けば、新聞は一面に香港のマスク禁令を取り上げていて、抗議活動は継続中、しかし一部が過激化して緊張はますます高まっているようで、どうも嫌な雰囲気になりつつあるのではないか。二面の関連記事も読みながら素麺を啜ったあと、書評面も瞥見すれば、宮下志朗と言ったか、西洋中世思想の研究者がいると思うけれど、確かその人が村上春樹が訳したスタン・ゲッツの、あれは評伝なのか小説なのか知らないが、その本の評文を書いていたが仔細には読まず、水を汲んできて抗鬱薬を飲めば食器を洗って、"ルビーの指環"を口ずさみながら風呂も洗う。そうして出てくると下階に戻り、コンピューターを点けてログインし、画面下端に揃っているブラウザとEvernoteWinampのアイコンをそれぞれクリックしておいて、ソフトの起動を待つあいだに急須と湯呑みを持って上へ、そう言えば書き忘れたが食器を洗おうと台所に入った際に、流し台の上の戸棚を母親が整理しようとしていたらしくて、そこの扉がひらいているのに思い切り頭をぶつけて痛い思いをした。痛え、と言って思わず動作を停めて、衝撃を受けた右側頭部を押さえながらじりじりする痛みに耐えていると、母親はごめんと言って、笑いながら、星が出た? と聞く。漫画などによくある表現を指しているのだろうが、それを現実に適応するとはこれも妙な言葉遣いだ。それで下階から持ってきた茶葉を流しに捨てようとしたその時にも再度、学習能力なくまたひらいていた扉に頭をぶつけてしまったのだが、この時はそれほどの衝撃ではなかった。そうして緑茶を用意して下階に下り、LINEにログインすればT田が、今日録る"C"の新しいギター音源を昨日T谷が上げていたのを早速ミックスして投稿していたので、朝から勤勉なことで素晴らしいと受けてダウンロードした。やはり人間を救うのは勤勉さであると続けて大仰なことを言っておき、傍らEvernoteで前日の記録を付け、この日の記事も作成していると、それで新しいギターのバージョンはどうかと訊かれたので、その時は例によって寺尾聰『Re-Cool Reflections』をYoutubeで流して冒頭の"HABANA EXPRESS"を歌っていたのだが、それでは今から聞いてみようというわけで、歌い終えると"C"を掛けて、ヘッドフォンを点けて聴取した。左のギターが歪みを強めたハードな音色になっていて厚みが出たし、右のギターもコーラスが掛かって異なるトーンで、フレーズはまだ改良の余地があるかと思うがなかなか良い味付けになっているのではないかと思われた。ピアノソロの裏に敷かれたバッキングが、特に伸びやかで気持ち良かった。一つ気になったのはちょうど二番に入るところのギターで、ジャーン、とコードを鳴らしたのが途中でぷつりと切られているのだが、これは自然に伸ばしてフェードアウトした方が良いのではないかと思いつつも、しかしすぐにコードが変わってしまうからそのぶつかり合いを考慮して切ったのだろうと推して訊けば、やはりそうだとT田は言う。そのあたりはまた調整だなと落として歌唱に戻り、"渚のカンパリソーダ"、"ルビーの指環"、それにライブ音源から"I Call Your Name"を歌う。しかし寺尾聰とは、二九の若者にしては随分と年寄りじみた音楽を嗜むものだが、これが好みは人によってあるとしても歌謡曲の枠内でなかなか上質であることは間違いない。歌を終えると一〇時過ぎからこの日の日記を書きはじめたが、一一時二分の電車で発たねばならないのであまり余裕もなく、指を素早く動かしていると今しがた上階が騒がしくなって、母親が今、テーブルを片付けていて、汚いけれど、などと言い訳がましく高い声で言っているのは、誰だか知らないが客が訪問してきたらしく、家のなかにあげたということは親戚だろうか。今日は掃除機も掛けてないのよ、ちょっとのんびりしちゃって、などと言っている。声を聞くに、どうもK田.Hさんではないか? 既に死んだ母方の祖母の弟だが、この人も最近いくらか惚けてきているようで、先日父親がKのおばさんの葬式で会った際には、話している最中に、ところでおたくはどちらでしたっけ? などと尋ねられたということだ。
 日記を終えると一〇時四二分で、電車まではあと二〇分、駅まで歩くのに一〇分は欲しいからもう一〇分経てば家を発たねばならず、記事を投稿している猶予はないなと便所に行って排便し、歯磨きをしている余裕もないと室に戻ると服を着替えた。グラフィティ的な絵柄の白いTシャツに、下はガンクラブチェックのパンツ、上はさらにグレンチェックのブルゾンを羽織って、チェック同士の組み合わせは柄に柄で、さらになかのTシャツもモザイク画めいた模様が入っているから、柄が三つ揃ってうるさいかとも思ったが、しかし着替え直している時間もない。ブルゾンとパンツのチェックの合わせは、立川LUMINEのFREAK'S STOREで試着した際に店員には、個人的には無しですかねと言われたのだったが、ロシアで最初にこの組み合わせを着てみた時以来、意外と悪くないとこちらは思っていて、グレンチェックとガンクラブチェックという同系統の柄でありながらまったく同じでなくて僅かな差異が入りこんでいるのも好印象で、さらにその下にTシャツを合わせることで、チェック柄同士が似非セットアップめいてフォーマルに整ったなかにカジュアルさも混ざって固くなりすぎず、これは結構我ながら、高度なファッションをこなしているのではないかと思われた。着替えると時間が少々余ったので、ブログに記事を投稿したが、引用部に引用用のタグを付したり名前を検閲したりしていてただ投稿するのにも数分は掛かるそのあいだ、上階ではもう客が帰るようで慌ただしい動きが生まれている。投稿を終えてコンピューターを落とし、荷物を持って部屋を出て、階段下の袋に入ったロシア土産のクッキーの最後の一つを、これはT谷にあげるものだが、忘れずに取って上がれば人がおらず、炬燵テーブルの上に茶の用意が成されていて、仏間では線香を上げたらしくその匂いが漂っている。靴下を履いてハンカチを持つと玄関を抜けて、まだそのあたりにいるかと思ったところが人影はなく、母親も客人も姿が見えず、下の方に行っているのかと家の横を下って行って角から顔を出してみてもやはりおらず、玄関の戸を開け放したままで一体どこへ行っているのかと家の前に戻ってあたりを見回したが見つからないのでもう行こうと歩き出したところに、自分の名前をどこからか呼ばれて、振り返れば東の道の先に母親の小さな姿があって、開けたままで良いと届いてくるので声を張って了承を返して西へ向かった。鵯が林の木々から声を降らしているなかを足早に行くと、路面には濡れ痕が残ってアスファルトの細かな凹凸が薄陽を受けて、白くじらじらと、音を立てるようにして光を蠢かせる。Kさんが家の前にいたので、ああどうも、こんにちはと通りすがりに挨拶し、坂に入ると時間がちょっと押していたから大股に上がっていくなかに、虫の音が林の奥で鳴っているのに耳が寄って、一瞬蟬かと聞き違ったのだが改めて聞いてみれば勿論違って、今年の蟬はさすがにもう絶滅したようだ。出口付近で息を強く吐き、出た横断歩道に東の方から老人がやって来るその姿の、どうやら先ほどまで我が家で茶を飲んでいたK田.Hさんとその奥さんらしかったが、待って挨拶するのも面倒だし、向こうがこちらをわかるとも思えないので先に渡り、駅に入ってホームの先に歩くと薄陽があって当然汗が湧くが、しかしその搔き方がもはや秋のものだった。ホーム上には声のやたらと大きなおばさんがあって、電話で誰かと話していて、ホテルだからジーンズは駄目って言われているんだけど、でも普段着で、もしあれだったら向こうに着替え室も取ってあるから……面倒って、丸めとけば良いじゃない、そんなの、とか何とか言っていた。
 電車に乗ると手帳は取らず、扉際で外を眺めれば、陽が出てきたから雲がいくらか割れたのかと思ったところが空は白さがところどころで蟠りながら埋められていて、雲間というほどのものもなく青さも見えず、ただ少々薄らいだ箇所があるようで太陽がそこから白さを、雲のものよりももっと純な白さを垂れている。青梅に着くと乗換え、発車まで間がなかったのですぐ前の口から入って、車両を渡って二号車まで行き、いつものように三人掛けに就くと手帳にメモを取る。揺らされて、字を乱されながら記述を続けて、現在時に追いついた頃には既に東中神に至っていたので、メモを取るというのもなかなか時間が掛かるものだ。そこから手帳を、今度は読みはじめた。立川に着く直前に、目の前をふと見やると立っている女性の、黒のレース模様のスカートを、襞のない、すっとまっすぐ落ちるタイプのものを着ており、しかし靴はスニーカーで、黒の側面に白いNの字が大きくはいっているこれはどうやらNikeNew Balanceらしく、あまりスカートと相応しないように思われた。手帳から読んだ内容を頭のなかで復唱しようと目を閉じるとしかし睡気が湧いてきて、思考が逸れてなかなか学習が進まない。御茶ノ水あたりでぱちぱちと窓を打つらしき音が聞こえて、雨かと見れば果たして外を歩く人は傘を差している。
 手帳とバッグをまとめて一手に掴んで神田で降り、階段を下りて山手線のホームへ上がった。西日暮里まで一〇分と言う。ホームドアに近づくと雨粒が、空気に乗って散ってくるが、大したことはなさそうだった。山手に乗ってからも扉際で立ったままメモを取り、西日暮里で降りるとしかし、ホームから見える外の、ビルの立ち並ぶ街並みを背景にした空気は結構濡れているようだった。首を傾けて白い空を見つめながら階段を下りていき、千代田線の改札を抜けて地下鉄へ、やって来た電車は確か北綾瀬行きで、乗るとまた多分扉際でメモを取っていたと思う。綾瀬に着く前から電車は地上に出て、深い緑色に染まった川やその傍の土手が過ぎていき、着くと降りて案内表示を見るが、目指すスタジオは北口だと思っていたところが東口と西口しかない。それでどちらに行けば良いのかわからないので、Tに電話を掛けた。出た彼女は今電車だと言って声を潜めるのでごめんと謝り、東口と西口のどちらに行けば良いのかわからなくてと、何だか意想外に甘えたようなと言うか、子供っぽいような声になってしまったようだったがそう伝えると、メールを送ると言うから切って、T田が駅構内の本屋にいると言っていたのでしかし本屋などあるのかと案内表示を見ていると、やって来た電車から降りた一人の女性の、長い黒髪で長めのコートを着ている姿が、どうもTらしい。それで見つめているとあちらもこちらの方を振り向いて気づき、ちょうど良かったと破顔してみせた。東口にT田がいると言う。それで一緒に並んで歩きながら駅内を抜け、改札の手前まで来るとTが、いる、と言うので見たが目が悪くて人々の姿が確かな形を結ばない。あの紺色のシャツの、と言うのでそれがT田とわかった。改札を抜けて近づき、挨拶をして立ち話をしながらほかの面子を待つ。T田は紺色一色の無地のシャツに、下はモスグリーンの、こちらも何も模様の入っていないズボンを履いていて、このズボンは以前にも見かけたような覚えがある。確か神代植物公園に行った日もこのズボンを履いていたのではなかったか。そう言うこちらもあの日は今日と同じブルゾンを羽織っていて、しかしその下の装いは今日と違って、シャツはバスのなかでMUさんに可愛いと言われた記憶があるから白の麻のボタンの色がそれぞれ違っているものだったはず、ズボンは真っ黒なさらりとしたやつだったのはKくんも同様の黒のを履いていたので覚えている。あの日は五月だったか六月だったか、初夏頃でしかし、ブルゾンを羽織っていると暑くて途中で脱いで園を回ったものだ。Tの服装は、先ほど長いコートと書いたがこのおそらく薄手の秋用らしいコートが、一体何色と形容すれば良いのか甚だ言いづらいもので、いずれ色としては淡いものだが、まあ桜色寄りと言うのだろうかしかしピンクと言っては強すぎて、薄紅と言うのも違い、茶色と言うか土のような色が僅か混ざっている気味もあって、灰色と茶色と桃色とがバランス良く配合されたような風味で、今検索してみたところ、梅鼠という名の色が多分近いのではないか。その下には黄色と言うか明るい黄土色のような色の、あれもワンピースと言うのか知れないがそんなような服を着ていて、羽織りとして深い青の、T田のシャツと似たような色のカーディガンがあった。
 駅のすぐ傍に飯屋がいくつかあって、バーガー・キング、ケンタッキー・フライド・チキン、日高屋とあるらしく、歌を歌いに来たTは喉には油が良いらしいと言って、ケンタッキーかなと傾くが、バーガーにせよラーメンにせよどれも油っこい品物ではあるからどれでも良いのではないか。Tはそのうちに店を見に行って、そのあいだT田とこちらは向かい合って立ち話をしていたが、どのようなことを話したのかは覚えていない。雨は止んでいるようだった。Tはすぐ戻ってきて、そのうちにT谷とKくんもやって来たので、改札を抜けてきたT谷にこちらは近づいて、クッキーをバッグから取り出して持ち、握手を誘うかのようにそれを差し出したがギターケースを背負ったT谷はほかに鞄の類を持っておらず、入らないと笑うのでひとまずまだこちらが保持しておくことにした。T谷の服装はいつもながらの、あれはTシャツと言って良いのだろうか灰色のチュニックみたいな感じの服に、下は何だったか良く覚えていないが多分黒いズボンだったのではないか。靴は明るめの褐色の、汚れも傷もついていないようで良さそうな品で、そのことをあとでスタジオに入った際に向けると、会社用のものだからなと言っていた。Kくんも下は黒のパンツだったのを覚えているが、上は定かな記憶がない。確かストライプのシャツだったか? 我々が立ったその傍には女性の数人の一団がやはり集まっており、年齢層は広いように見えたが皆一律に、髪を後ろで一つに結わえて丸く留めていたのは何だろうか、何か演劇とかの仲間なのだろうか。
 時刻は一時、昼食を取りながらスタジオ前に話をする段で、Tによれば、近くにイトーヨーカドーがあると言う。そこにフードコートがあるからそこでも良いし、先ほどTが見回ってきたすぐ傍の飲食店のどれかに入っても良いと選択肢が提示され、手近で良かろうと店の並ぶ通路に入ったが、ケンタッキー・フライド・チキンも日高屋も五人入れそうなほど席は空いておらず、そこに何と言ったか店名を忘れたがカフェのような店があって、その外に三人掛けの白いテーブルがいくつか並んで誰も座っていなかったので、ここを陣取れば良いのではないかということになった。それで皆々それぞれ荷物を置き、それではこちらは残ると宣言して椅子に就き、T田、と呼びかけて注文を頼もうとしたところが、呼びかけられたT田はお前も残れとの意図だと思ったらしく席に座ったので、注文は代わりにTがしてきてくれることになったが結局カレーをセットではなくて単品でと伝えに行くためにT田もあとから席を立っていた。Tがそのうちに、木目調の盆とスプーンを持ってきてくれ、まもなく三人分のカレーが届いた。四二〇円と言うのでこちらは五〇〇円玉を取り出してTに渡し、釣りは良いと言ったところがあると言って八〇円を出してくれたのでそれではと受け取った。それでこちらとTとT田の三人は早速カレーを食べはじめる。四二〇円と廉価のわりにはなかなか美味いもので、辛味もほとんどなかったが、Tはちょっと辛いと言っていた。KくんはカフェラテにBLTトースト、T谷はケーキにアボカドバーガーを頼んでいたが、トーストとバーガーが来るのがやたら遅く、特にT谷の品はかなり遅れて届いた。周囲にはジャズが流れており、耳を寄せてみるとモダンとかハードバップとか言うよりは、それよりもちょっと前の、スウィングとまで言うと違うような気もするがその風味も混ざっているような古風で洒脱なものだった。それで今日の朝にT田が上げた最新の"C"の音源のことを話したり、Tのボーカルのことを話したりしているうちに、表の通りから祭りのような太鼓の音が聞こえてきて、じきに強まって笛の音も重ねられて囃子になって、洒脱なジャズと土臭いような祭囃子が偶然にも同じ空間に居合わせて混ざり合うこの街というものの雑多さはなかなか面白いなと思った。
 それで一時四〇分頃になったところでそろそろ発とうという空気になり、こちらはカレーの皿を、この皿が深い青一色のものでTなど届くと即座に綺麗だと漏らしていて確かに鮮やかなものだったのだが、それを返却棚に返しに行ったついでにトイレに寄り、放尿する頭上からはやはりジャズが、外よりも当然明瞭に聞こえてきて、やはりちょっと古風な気味の混ざったものだなと聞き分けた。席に戻ると皆立っており、スタジオに向けて出発した。建物の外に出て横断歩道を渡り、先に行くTとKくんについてこちらとT田とT谷の三人が歩いていると、Tの持った紙袋からビニール袋が一つ落ち、書き忘れていたけれど彼女は油を摂取するためだと言ってカレーを食べたあとにケンタッキー・フライド・チキンも一本買ってきていて、ビニールは多分その袋だったと思うのだが目の前にすっと落ちたものだからこちらは反射的に脚をひらいてしゃがみ込み、拾ってしまったのに、回収要員になっているぞみたいなことを言ってT谷が笑った。ビニール袋をTに返して表の歩道を進んで行き、途中で裏に入り、何本か抜けながら行くあいだ、T田がT谷に、Fの日記は本当に長いみたいなことを言っていたのか否か、良くも覚えていないが、こちらは彼が言っていることを受けて、この世には書く対象にならない物事など一つとてないし書く対象にならない瞬間もたった一秒とて存在しないと例の「信仰」を頭のなかで繰り返していて、それを実践するためにあたりに目を走らせて何か自分の興味を惹く、何かしらの印象を与える事物がないかと探っていたが、色々目にしてはいるけれどそうは言ってもやはりそれらをすべて書くのは勿論不可能で、と言ってどんな事物でも適切な文脈のなかに入れば、適した偶然の導きが訪れれば言葉に成るのだと、上の「信仰」はそれくらいの意味に取ってもらいたい。T田はこちらの日記の冒頭に付されている引用を最近読んでいると、前よりも例えば詩に対する感覚が磨かれたようで、例えば谷川俊太郎など読んでいても以前はこいつ、何を言っているんだと訝っていたようなところが、それはそれとして受け止められるようになったというようなことを言った。あとは小説作品のなかに比喩が勿論色々と使われるが、大胆な比喩を目にするとT田は以前は気取りやがってなどと思っていたところが、自分で先日流星観測の日のことを文章に認めてみてわかったのは、そうした凝った比喩も、自分の受けた感覚や印象を何とか上手く、一般的な言葉でなく十全に表現しようという苦心の証なのだということだと話した。体験を元にしている場合はそうだな、ただいわゆるフィクション的な小説作品などの場合は、言語そのものに引っ張られるということもあるだろうとこちらが受けるとT田はそれはどういうことかと訝るので、体験的に考えて作者自身がそうは感じられないとしても、言語的に考えて意味の組み合わせとして斬新なものを選ぶというようなそういうことだと言い加えた。その頃には何か目の前に、巨大な体育館のような施設が現れていて、あれは何かと訊けばT田は、どこに書いてあったのか東京武道館、と言った。そんなものがこんなところにあるのだなと見て過ぎてまもなく、スタジオはどうやらこのあたりらしいぞと一向が立ち止まって周囲を見ていると、建物の側面階段、歩けばカンカン甲高い音が鳴りそうなその階段の蔭で煙草を吸っていた男性が出てきて、挨拶を交わせば彼がスタジオの職員だった。それでどうぞと言うので、数階はあったけれど何となく小屋のようなビルの入口の扉を開けると、なかにもう一つ引き戸があって、やや重たいそれを引くとそこがもうスタジオで、奥にドラムセットが鎮座し、それほど広くないなか壁際にアンプが置かれて配線がいくつも交錯し、入口を入ってすぐ左手にはコンピューターが乗ったデスクがある。それほど広くはなく、合わせて六人入れば結構いっぱいで、椅子を所狭しと置いてそれぞれの位置に就いた。秘密基地のようだなという印象を持った。入口の頭上の天井際には横に渡された一段棚の上に本が並べられていて、こちらは目が悪いので背表紙の文字が良くも見えないがそのなかに『海辺のカフカ』があったらしく、T田が知っているかと訊いてきたので勿論名前は知っているが読んだことはないと答えれば、ああ、そうか、前に書いていたなというような返答があって、それは二〇一五年だか一四年だかの末にHMさんと会った帰りの車のなかで、カフカが好きだと言ったところに村上春樹、と返された時のことを言っているのだった。先日HMさんと会った日の日記に、過去のその会見時の日記を引いておいたので読んだのだろう。
 録音を担当してくれるスタジオの男性はKMと名乗った。長髪を後ろでくくって垂れ下げていて、つば無しの、と言うか円周状に縁のついたああいう型の帽子を何と言うのかわからないのだが、録音の際にはその帽子を被った上からヘッドフォンをつけているのを物珍しく見たが、あとでTが、耳が痛くなるからかと訊いていたと思うけれど、そういうわけではないらしい、と言ってどのような答えを返していたかそこまでは聞かなかった。ベースとギターから録るということになり、KくんとT谷の二人がそれぞれに準備を進めるなかで、Tは歌唱に備えてコートを脱いで伸びをしたり開脚して身体をほぐしたりしている。あれは何をしていた時だったか、会話も楽器の音もなくなって無音が室内に満ちたそのなかで、T、とこちらは呼びかけ、もしかして、耳飾りしてる? と訊けば、Tはちょっと遅れて、ああ、と言って髪を分け、耳を見せた。実は先ほどカフェの外の席でカレーを食っている時から、Tが首を傾け頬杖を突いた時か何かに、耳元で微か光るものがあるのに目を留めていて、その後は長い黒髪に隠されて目に現れなかったのだが、大半の時間は見えないにもかかわらず、イヤリングか何かつけて飾っているのだなと好ましく思っており、良いじゃんとその旨告げると、こちらはあまりそうやって女性の服装や容姿を褒める人種でないから、妙な空気が流れたが、こちらも以前から、耳飾りというものをつけてみたいと思っているのだ、でもよくわからないから、と言って落とした。それを受けてTは、ギターやベースの演奏やT田がデータで持参した"C"のオケを聞けるヘッドフォンをつける際に、そのイヤリングが邪魔になったらしく、つけてみなと言ってこちらに渡してきたので、シリコン製だと言う留め具をひらいて不器用に苦戦しながら、一つ右耳につけてみたが、Tは似合うと言ってくれたもののどんな風になっているのか自分では見えず、感触も軽くてこんなものではすぐに落ちてしまいそうではないかと頼りなく思った。本当に耳を飾りたければ穴を開けてピアスを刺せば良いのだろうが、痛い思いをする気はないし、そこまでして洒落っ気を見せたいわけでもない。
 それでじきに楽器の準備が整うと、一度オケに合わせてベースとギターを一緒に録ってみようということになった。一応それぞれの配置をここで改めて書いておくと、室の、仮に左手の壁ということにしておくが、その中央にあるトイレに通じる扉の前に陣取ったこちらの視点から見て、すぐ右にT谷がギターを持って座り、正面の向かいにはKくんがベースを抱き、その傍らにはコンピューターのモニターが置かれていて、KMさんがデスクで施す操作がそこでも見られるようになっている。こちらの左隣にはT田が就き、そのさらに左方の向こうにはTがいて、こちらの脇、二人の背後には壁際にキーボードが置かれているという形だった。各楽器の近くにはヘッドフォンが設置されていて、それで演者が弾く音や、録音した音を合わせてコンピューターで流す音源を聞くことが出来るのだった。
 そうして一回、ギターとベースを録ってみたのだが、当然最初から完璧に行くわけはなく、歌がないとなかなかきついなとT谷が漏らすのを受けて、仮歌を入れて、その歌ありの音源に合わせてもう一度録ってみようかという提案がKMさんから成された。その案に賛同してTが、あまり力を出さずに緩い歌を録って、それを加えてオケ音源、オケ音源と言うのはつまり打ち込まれたキーボードとドラムのことだが、それに合わせて再度楽器が録音され、その後、ベースの細かいところを調整していくことになった。Kくんは、冒頭の高音部で和音を奏でる部分や、2Aの柔軟に動き回る部分などを改善点に挙げて、そこだけ何度か録り直していたと思う。それからT谷のギターを、曲の前からある程度の長さで区切りながら録音していったのだが、彼のギターはIbanezが作ったDragonforceのハーマン・リ・モデルで、比較的最近の新調したばかりのはずのところが、オクターブ・チューニングの調整の仕方がわからないと言って、調律がもう結構ずれてきているようで、高音部に上がるにつれて音程が狂ってくる代物と化しており、そのせいで単音フレーズなどいくらか指の力を強めて押弦したりチョーキング気味にしたりして音程を調節しなければならなかった。フレーズも固まりきっていないと言うか、覚えきっていないようで、T谷は結構ミスをして録り直していたが、何とか曲の最後まで録り終えたところで時刻は四時過ぎ、スタジオに入ったのが二時で六時まで四時間確保してあったから、楽器に二時間、余った二時間でボーカルと、ちょうど半々くらいになっていて順調である。それで一度、休憩を挟もうということになった。KMさんは外に煙草を吸いに行ったので、彼とちょっと話を交わしてみるかというわけでこちらも追って戸口をくぐり、ビル側面の階段下で一服していた彼に、お疲れさまです、ありがとうございますと声を掛けて、根気がないと出来ない仕事ですね、と笑った。近づいてきたKMさんに、どんな音楽が好きなんですかと尋ねると、ちょっと間があってから、まあ何でも聞きますね、という返答があったので、逃げたと言うか、多分色々と好きなものはあるのだと思うが、こちらの音楽的教養も知れていないし、まだ初対面の人間相手に立ち入った話をするのを避けたのだろうと思う。彼は普段はベースを弾いていて、バンドかと訊けば色々なところでサポートをしているとのことだった。返す刀でKMさんは、どういう集まりなのかと我々のことを訊いてきたので、Kくんは本当は違うけれど、高校の時から一緒にやっているような奴らで、バンドというかグループみたいな、と説明すると、こちらがドラムなのかと続けて尋ねるので違うと言えば、そうなんですか? と意外そうな返答があって、もう一人男がいたでしょう彼がドラムだったのだと受けて、僕はギターを昔はやっていましたけれど、今はもう弾きませんと言って、だからまあ、僕はただ曲を聞いて偉そうに適当なことを言うっていう、そういう一番楽な役目なんですと笑うと、一番大事なポジションじゃないですかとKMさんは受けた。そうこうしているうちにT田とKくんも外に出てきて、するとKMさんは、やっぱりあのギターは、調整に出さないと駄目ですね、と笑った。単音フレーズや高音部もそうだが、全体的に聞いていてもやはりばちっと嵌まる感じがしない、コードは間違っていないのだろうがぴったり来ないと感覚的な言を述べてみせた。それに我々一同同意しているうちに当のT谷も出てきて、またちょっと話してからなかに戻り、後半のボーカル録音と相成った。
 ボーカル録音のブースは室の奥、ドラムセットの横から繋がっており、こちらはそちらに行ってみなかったのでなかの様子は知れない。Tがそこに一人入って、彼女の声はマイクを通して我々のいる方にも響き、またヘッドフォンからも聞こえてくる。最初に一度、とりあえず通して歌ったのを録ってみようということで一度歌ってもらったのだが、まだやはり身体も喉もほぐれていないようで、音程にせよ声の響きにせよリズムにせよ窮屈な感じが隠せず、伸び伸びとしておらず、ほとんど萎縮しているようにも聞こえたのでもしかして緊張しているのか、ビビっているのかとこちらは疑ったのだが、帰りの電車のなかで訊いてみると別にビビっていたわけではないと、マイクは友達、マイク前はホームだから、とそういう返答があった。T田にもどうか、と訊いてみると、やっぱりこなれていないねという返答があったので同意した。この日、カフェの外で飯を待っているあいだに話した時に、T田に向けて使った言葉をここにも適用すれば、まさしく詰屈している、という感じだった。その言葉が出たのは、日記の推敲について話していた時で、推敲して言葉を固めることでかえって文章が詰屈してしまったようだとこちらが言ったところ、T田はその言葉は聞き慣れなかったようで聞き返してきたのだった。こちらも古井由吉が使っているのしか多分見たことがないと思う。
 そう言えば書き忘れていたが、スタジオに入ってまだまもない頃に、二人が楽器の準備をしているあいだにやることがないものだから手帳にメモ書きしていると、Tが囁き声でT田に対して何かを言い、何かと訊いてみれば、Fさん、書記みたい、とのことだった。T田はそれに対して、実際、議事録を書くからな、とこの日記のことを指して言った。あと、ボーカルを録っているあいだのことだが、こちらの右隣に就いたKくんが、目が合った際に何やら首を突き出して顔を寄せてくるので、こちらも顔を前に出して合わせながら、何だこれはと笑って、ちょうど歌が途切れている時だったので、Kくんが変なんだけどとブースのTに聞こえるように言うと、今日、体調が良くないから、と答えがあった。確かにKくんは時折り引っ掛かるような咳を漏らしていて、あとでファミリー・レストランで訊いたところでは風邪を引いているらしい。それでいて翌日は夜勤だとかいう話だから難儀なものだ。Tはその後、でも、いつもわりとおかしいから、と付け加えていた。さらに思い出したが、Kくんは、カフェで食事を取っているあいだも、右隣に就いたこちらの太腿を急に掴んで来たりして、夜のファミレスでも何度か同じ振舞いを取られてくすぐったかったのだが、それを指してこちらは手帳に、「攻撃」されたとメモしておいた。しかし、こうして書いてみると何だかこれは、同性愛者のカップルがいちゃついているみたいではないか?
 それでボーカル録音の話に戻ると、これもある程度の長さに区切って録って、皆で聞いては改善点を上げて、それを意識してまた歌ってもらう、という形で進めて行った。KMさんは基本的には我々の話し合いに口を出さず、自分はただ録音をするだけだという風に仕事に徹しており、それでいて我々の質問に答えたり、要望を聞いたりと甲斐甲斐しく、控えめで堅実なプロの業務を見せていた。それで言えば、T田やTがあとで言っていたことだが、KMさんは楽器の録音をしているあいだに、その時はまだ歌詞も貰っていなかったのに、1Aとか2Bとか大サビ前とか我々が言うのに対して即座に対応して、迷いもせずに正しい箇所から音源を流していた。おそらく最初に通しでギターとベースを録音した際に、曲の構成を把握したのだろうとT田は推測を述べ、あれはプロだなと思ったと評価していた。
 Tは歌を重ねるごとに、身体も温まって調子が出てきたようで、声の張りも良くなり音程もリズムも合ってきて、彼女自身が言うところではいつもそういう風に段々と持ち上がってくるらしい。こちらは珍しく、率先して色々と意見を口にしたようである。そんなに良い耳を持っているわけでもなし、大して鋭い助言も出来ないのだが、それでも自分が感じたことを、それがほかの者の印象と背反していても率直に口に出していたようで、そういう自由を許す気楽な雰囲気が醸成されていたということだろう。個々の論点はそんなに細かく覚えていないが、全体的にTは走り気味であること、しかし走っているなかにも一部後ろに傾いてもたついているようなところもあってリズムのずれが複雑なこと、歌の終わりの伸ばし方をきちんと個々の部分ごとに決めて意識していった方が良いこと、そのあたりは総意として合意されたと思う。あとこちらが特に気になったのは、「ん」の発音をする時に音程がいつも甘くなると言うか、妙な発音の仕方になって音程も応じてずれているような、その点と、低音部の不安定さくらいだろうか。「ん」に関してはその場で指摘し、低音に関してはあとでファミレスにいる時に、鍛えた方が良いぞとアドバイスをしておいた。
 それで五時半に至った頃、MUさんがスタジオ前の通りに到着したと言うのでT田が迎えに行った。入ってきたMUさんは、黒い服を着ており、その服の前のひらきの赤い留め具が、ダッフルコートに特有の留め具があると思うあれを何と言うのか知らないのだが、それとはちょっと違っていると思うけれど似たような感じのもので、何となくそのデザインが中国風に感じられるのだった。上着はベージュっぽい色の、コートと言うか羽織りと言うかそんな様子で、下半身に何を履いていたのかは良く覚えていない。靴はこれもクリームっぽい色のヒールで、ちなみにTの方は艶々と光を跳ね返す真っ黒の、ローファーと言って良いのだろうか多分違うと思うが、そんなような種類の靴を履いていた。
 それでMUさんも観客に加わって最後までボーカルと録り終えると時間は六時前で、ほとんど予定通りにぴったり終えられたことになる。それからKMさんが音源を書き出してくれるのをちょっと待って、それが収められたUSBをT田は返却されて受け取った。それから会計のために、この、今更ながら名前を記していなかったがCafe au LabelというこのスタジオのオーナーであるところのHRさんという人が今から来るとKMさんが言うので、彼が電話で連絡をしてHRさんが来るあいだ少々待った。それでHRさんが来るとTが代表して会計をするのだが、二二〇〇〇円ほどというのが我々にも筒抜けだった。金を払い終えると直後にHRさんの携帯に電話が掛かってきて、予約の電話らしく受けたHRさんはしばらくコンピューターに向かいながら話し合っていて、そのあいだ遠慮なく雑談をしながら一同待っていたあの時間は何だったのか良くわからないのだが、Tは元々、録音のあとに音源の一部だけ、音程やリズムを直してもらうとどうなるのか、試してもらいたいという心づもりでいたらしく、そのあたりのことを訊こうと思っていたのかもしれないが、HRさんも忙しそうだったのでそのチャンスはないなと判断したのかもしれない。あるいは単純に、まだお礼と挨拶が済んでいなかったので電話が終わるまで待つという空気だったのかもしれない。Tがトイレから戻ってきて、そろそろ行こうと口にして、帰りの準備を始めたとほとんど同時にHRさんの電話が終わったので、皆でありがとうございましたと礼を言い、挨拶を済ませてスタジオから出ると、また煙草を吸っていたKMさんにもTが声を掛けて、皆でありがとうございましたとこちらにも礼を言った。
 それで駅の方まで既に宵に入った道を戻っていく。見上げれば空は黒いが、雲が液体の広がりめいた不定形の染みを細かく付しているそのなかに、どちらを向いても月の姿も、その痕跡もなくて、数日前に三日月を見たのは、これから大きくなっていくものだと思っていたが、暦など見つけないから月の変化も知悉しておらず、反対に新月に向かっていくところだったかと訝ったものの、今調べてみるとやはり現在は望に向かって膨らんでいく途中であり、昨晩は午後六時一二分が南中と言うからスタジオを出たのはちょうどその頃なのにこの時月が見えなかったのは不思議だが、ビルの蔭に隠されていたのだろうか。Tはだいぶ疲労困憊といった様子だった。T谷も結構疲れているようだった。飯を食う段だが、特に目的地も定められないまま裏路地を抜けて行くあいだ、T谷がカラオケに行きたいと口にしたのでこちらはそれを前のKくんに伝えて、イトーヨーカドーにフードコートがあるらしいからそこで飯を食ってからカラオケに繰り出せば良いのではないかと思って、イトーヨーカドーの入口まで来たところで後ろの二人にそう言うと、カラオケは行かないよとTが笑った。だいぶ疲労してしまったのでカラオケに行って歌ったり、T谷のアドバイスを受け止めたりするほどの元気が今はないと言う。それで、じゃあ飯だなと受けて、イトーヨーカドーに入って婦人用の帽子などが売っている横を通り抜けながら、T谷とTも、一回目の録音が終わってお疲れさま会だねと言ってフードコートを目指したところが、フロアごとの店舗種類案内を見て、どうもこのイトーヨーカドーにはフードコートがないらしいぞと判明した。それなのでT谷がスマートフォンで近くの店を調べて、ガストがあるから、六人で大所帯でもあるしファミレスに行くかと相成って、イトーヨーカドーを抜ける際、Tは本当に疲れたようで早く座りたい様子だった。それで駅の、あれもコンコースと言うのかそれにしては短い気がするが、駅舎のなかを通って反対側に向かうあいだ、通路の入口に若い男が、柵か車止めか何かに腰掛けて、耳にはイヤフォンを差しながら誰かを待っているのか佇んでいたが、その顔が随分と気力のないようなものだったので過ぎてから振り向いて観察していると、Tがどうしたのと訊いてきたので、いや別に、何でもないと答えながらも続けて、あまりにも空虚な顔をしていたから、と笑った。通路の途中には和菓子の店があって、フルーツ大福の広告が出ていて、それはちょっと食べてみたいなと思った。駅の反対側に出ると、こちらの方が居酒屋など並んでいるような雰囲気で、すぐ傍にはVeloceもあったがガストに行こうということでガード沿いを歩いていき、ファミリー・レストランに到着した。入口横の外に面したところに二人掛けのテーブル席が揃って三つ空いていたので、もうここで良いではないかと漏らしたが、店員は名前を書いてお待ち下さいと言う。Kくんが用紙に記入したのは「ミヤモリ」という名前で、これは確か『SHIROBAKO』と言って、多分アニメ制作会社の話だったと思うがその主人公だか主要人物だかに当たるキャラクターの名前で、彼は多分このアニメが好きなのだろう、LINEなどのアイコンにされているのもこのキャラクターだったと思う。Tは早速、待合席に座っていた。こちらもその隣に腰掛けようと入口の扉の傍に向かうと、自動ドアの縁の細長いゴムみたいな素材がちょっと剝がれていて、ドアの隙間から吹き込んでくる風を受けてそれがびよびよと細かく揺れ動いていたので、何だこれ面白いなと言って手に触れたりした。それからTの隣の椅子にゆっくりと腰を下ろしたところが、同時に自動ドアの向こうに高年の女性が現れたのが見えたので即座に立ち上がり、邪魔にならないように店のなかの方に入ると、Tも席を譲るつもりらしくこちらについてきた。目の前を、無愛想でやる気なさげな、ほとんど嫌々働いているような様子の中年の女性店員が通っていく。しかし、我々のテーブルの注文を取ってくれたのも彼女だったが、その際は、相変わらず無表情ではあったけれどそれほど嫌そうな雰囲気でもなかった。それでじきに、テーブルが片付けられたようでソファと椅子の席に通されて、椅子側にはT田、MUさん、T谷が就き、ソファ席にはT、こちら、Kくんが座った。こちらの位置から見ると右がT、左がKくん、正面がMUさんでその左がT田、右の窓際がT谷である。Kくんのベースは左方、我々の隣の席に、客が来るまで借りようということで立て掛けられ、T谷のエフェクターケースやMUさんの差し入れが入った袋は、ソファの背後、段の上に置かれた。メニューをひらきながら肉でも食うかと口にしたものの、そう言いながらも頁をめくってみると、一日分の野菜が入っているというタン麺に惹かれたのでそれに決定し、そのほかアボカドと海老の、コブサラダドレッシングの掛かったサラダを一人注文することにした。T田はプルコギピザ、MUさんはマルゲリータピザ、T谷はワイルド何とかみたいな名前の、ハンバーグなど数種の肉料理が載ったプレートを頼み、Kくんは風邪を引いているということで雑炊にして、Tはエネルギーを使ったから肉だと言ってチキングリルを注文した。
 T田が水を取ってくるように頼まれた。どうもファミレスなどでは彼がそうした役を引き受けることが多いらしい。しかし六人分では一人では持てなかろうとこちらも席を立ったが、あまりこういう役目をこなしたことがないし、手も大きくないのでグラス三つをきちんと持てるだろうかと不安を零しながらドリンクバーに行き、氷を入れてくれとT田が言うので銀色のシャベルのような器具で四角い氷を掬ってグラスに入れていき、それを受け取ったT田が水を注ぐ。それでまごまごしながら三つのコップを何とか手に持ち、指の力が保つか危うかったが席に戻って、ゆっくり置いて任務を成功させると、こちらが不安を漏らしていたのだとT田が明かし、それを受けて何とか落とさずに持って来られたと言えばTが頑張ったね、と褒めてくれた。
 それからT田か誰かが言い出して、スタジオの代金を精算しようということになったので、こちらは財布からありったけの万札を取り出して、あるぞ、あるぞとTに見せびらかして笑わせた。T田は二〇〇〇円を出すと言うので、こちらはそれでは三〇〇〇円を出そうとテーブル上に札を置いた。もっと出した方が良いとも思われたのだが、まあスタジオの機材を何も使っていないので、このくらいで許してほしい。T谷とKくんはさすが一人前の労働者、それぞれ一万円ずつを出すことになって、それに対してTは良いよと遠慮して自分で全額払うつもりだったと明かしたのだが、しかし我々の方は押して、Tが恐縮するのに、その代わりにここの代金を全額払ってもらえば良いではないか、会計を個別ではなくまとめてお願いしますとも言われていたものだから、とこちらが提案し、そのような案に落着いた。Tは、このお金はちゃんと取っておいて、活動資金にしますと言っていた。
 それで食事。こちらの品が最初に届いたのだったと思う。箸を取って、アボカドと海老のサラダから手を付けて、そればかり先に口に運んで丼のタン麺を放置していると隣のKくんが、伸びちゃうよと言ってくるので、笑って頷きながら、俺、一つずつ食っちゃうんだよね、良く言うじゃん、少しずつ食べなさいって、と受けると、でも野菜から食べるのは理に適っているけどね、とKくんは言う。食事の最初に野菜を腹に入れておくと、食物繊維か何かの関係なのだろうか、血糖値の上昇を抑えることになるという情報はこちらも知っていた。そういうわけで野菜を食い、それからタン麺に取り掛かって、これも一日分の野菜が入っているわけだからそれらに蓋をされて麺が埋もれているのを、ほじくり出すようにして引き出して啜ると、なかなか美味いものだった。
 それで何か雑談を交わしたりしていたと思うのだが、そのうちにT田が隣のMUさんに、彼は、と言うかこちら以外のメンバーは皆、MUさんの下の名前を取ってSと彼女を呼ぶのだが、Sはさ、じゃあpixivとかにたまに絵を上げていて、即売会とかはやったことがないの、と話を振りはじめた。MUさんは同人誌を売ったりとかはしたことがないらしく、今のところ、インターネット上で、Twitterなどで活動をしているのみのようだ。T田は次の三月にイベントがあって、そこで『Steins; Gate』の二次創作を、先日綴った流星観測の日の日記を基にする形で書いて出そうと、彼にとっても初めての試みだが計画しているということを明かしはじめたので、それを受けてこちらは隣のTに、そう、奴、小説を書くらしいんですよと知らせていると、T田はさらにMUさんに、絵は二次創作だよね、何だっけ、『ハイキュー!!』とか、みたいな感じで振り出して、T田の口から『ハイキュー!!』の語が漏れたのを聞きつけてこちらは、あ、こいつ、探りはじめやがったなと感知してTの方に意味深な視線を差し向けると、彼女も察したらしくちょっと笑いを漏らしていた。と言うのはつまり、一三日にMUさんの誕生日祝いを企画しているところ、サプライズで『ハイキュー!!』という作品のジャージをプレゼントしようかと皆で言っていたのだが、MUさんがどのキャラクターが、あるいはどの学校が好きなのかがわからないので、それを上手く聞き出すようにとの任務がT田に与えられていたのだ。それでしかし、すぐに直接訊くと怪しいから話は自然な流れに沿ってちょっと迂回も挟んで、『ハイキュー!!』のほかに『テニスの王子様』も話題に上がって、どうもMUさんは元々演劇が好きな人だから、『ハイキュー!!』にせよ『テニスの王子様』にせよ、舞台の方から興味を持って入ったようなことを言っていたと思う。こちらも、いわゆる「テニミュ」という催しがあることくらいは聞いたことがあるが、詳しいことは無論知らない。MUさんはしかし、熱狂的なファンということでもないらしく、ミュージカルなどを見るとボールが実際にはないところで効果音とともに腕を振ったりするわけだが、順当なファンだったら自分の好きなキャラクターが言わば実写で目の前で動いているのを格好良いと思うはずのところ、それがシュールで笑ってしまうと言っていた。『ハイキュー!!』の方もミュージカルではなく、つまりは歌は歌わないようだが、演劇になってもいるらしい。それでそのうちに、Tも話に加わって質問を始めて、いよいよいわゆる「推しキャラ」の話題の方に近づいていって、『テニスの王子様』ではMUさんは、確か立海と言っていたように思うが、真田何とかいうキャラクターのいる学校が強いて言えば好きだと言って、しかし全体的に彼女は「推し」というものがあまりないのだと、良く世のファンは「推し」を決められるものだと、そういうことを漏らしていて、これは多分Tにしても予想外だったのではないかと思うが、『ハイキュー!!』に関して言えば、わりと好きかなというキャラクターを並べてみると、それが大体二年生になるのだとMUさんは話していた。だから、このキャラクターとか、ほかにも「推し」と一口に言っても「学校推し」というものもあるらしくて、「推し」の世界もなかなか奥が深いものだが、それで言うとMUさんにはこの学校が「推し」だというものも、『テニスの王子様』では強いて言えば立海がそうだったわけだが、『ハイキュー!!』に関してはないらしく、だから我々の方としてはどの学校のジャージを贈れば良いのか結局わからないわけだったのだ。
 そういう話の途中でMUさんの口から「氷帝」の語が漏れたのをこちらは、それなら知っているぞと拾って、跡部様の学校だろうと口にして、そのあとにももう一度、ミュージカルの話をしている時に、跡部様はさ、ミュージカルでもきちんと、俺の美技に酔いな、って言うの、と訊いてみると、「俺様の美技に酔いな」、とMUさんは言ったので「様」が抜けていたかとこちらは受けたが、ミュージカルでもやはり当然その決め台詞は披露されると言い、さらには「俺様の美技に酔いなブギウギ」みたいなタイトルの持ち曲まであるのだということだった。こちらは何でか知らず、帝王キャラでそう呼ばれているということが薄い記憶で頭のなかに根付いていたのだろうか、「跡部様」という風に自ずと「様」を付けて彼の名を口にしていたのだが、MUさんによればそれも面白いエピソードがあるらしく、あまり仔細には覚えていないが、ミュージカルか何かの場でスタッフのカメラマンだかが観客の一人に、ここの席は跡部の近くになります、みたいなことを言ったところ、そのファンから「様を付けろよ!」と叱責されたというそういう出来事があったと言い、この挿話は、こちらは当該作をきちんと見たことはないけれど、大友克洋AKIRA』のなかの非常に有名な、「さんを付けろよデコ助野郎!」というあの台詞を思い起こさせる(https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=NakLHMLFme0)。ともかくそれで、ファンのあいだでは跡部の名を呼ぶ時に「跡部様」と様付けするのが暗黙のルールになっているらしく、こちらも知らずそれに従っていたわけだが、それを受けてTは、Fさんにも「様」を付けさせる跡部様凄いな、私は普通に「跡部」って呼んじゃいそうだった、と笑っていた。
 そうした話はそのうちに落着したが、ほかにアニメ関連の話題としては、どういう文脈で繋がっていたのか覚えていないが、T谷が『涼宮ハルヒの憂鬱』の名を口にして、ハルヒ役の声優である平野綾の名も言い出した時があって、彼女は何かスキャンダルのようなことがあって確か一時期業界から離れていたようなので、それでアニメ声優としての仕事は最近もあまりやっておらず、今は舞台の方に主に取り組んでいるという話だったが、何故平野綾のことが語られたのだったか? 思い出せない。ともかくそれを受けてこちらは、『涼宮ハルヒの憂鬱』なら大学の時に見たなと明かした。パニック障害で休学中は暇だったので、アニメを多少見ていたと言い、全部見たのとTが訊くのには、いや、全部見たかどうかもう覚えていないが、覚えているのは、Youtubeニコニコ動画かに、『涼宮ハルヒ』の映像に合わせてthe pillowsの"Tiny Boat"という曲を載せた動画があって、それでその曲を初めて知ったのだがそれが好きだったのは覚えている、と話した。今検索して出てきたのはこれで、多分当時こちらが見ていたのもこれだと思う(https://www.nicovideo.jp/watch/sm69864)。
 音楽関連の話としてはまず、左隣のKくんに話を向けて、このあいだT田と、吉祥寺のジャズクラブみたいな店に行ったのだ、鈴木勲というベーシストがいて、御年八六歳で日本のジャズベース界の重鎮なのだがその人のバンドがやっていたので、当然良かった、とても八六歳のプレイとは思えなかった、と話した。それで次に、反対方向の隣に座っているTの、この時彼女は向かいのT谷と今日のスタジオの話などをしていたと思うのだがその方に指を差し向けて、Tも最近黒人音楽とかを勉強しているらしくてさ、ジャズを勉強したら観に行ってみたいって言っていたから、今度俺ら三人で行こうよ、と誘うと、Kくんは良いねと了承してくれて、続けてこちらは、テーブル上で手のひらを回して、本当は皆で行きたいところなんだけど、それほど広い店じゃないから、六人は多分入れないと思うんだよね、だからとりあえず三人で、と事情を説明し、ボーカルもあるってこと? とKくんが訊くのに、そうそう、それだから生のジャズ・ボーカルってものをTに聞いてもらって、何かの参考になれば良いなと思って、と言った。黒人のボーカルは凄いからね、とKくんが続けるのに、さすがに黒人はいないけどねとこちらは笑い、でも日本人の女性のボーカルが、結構一月に何回か出ているから、そのうち行こうと落とした。
 それから今度はKくんの方が、昨日実はT田くんとTと三人で会ってて、と明かす。何でも、東京佼成ウインドオーケストラというもののコンサートを観に行ったらしく、その演奏がなかなか前衛的と言うか、特殊な和音の使い方をしていたと彼は言い、曰く、左右で和音が分かれていて、片方が消えて片方が残り、またそのうちに片方が重なって消えて、とそのような構成を成していたところ、どうも一方はメジャーなのに対してもう一方はマイナーの響きを重ねたりしていたのではないかと分析を語る。それはすると、現代音楽みたいな、とこちらが言うと、ほかにも、全員でホールストーン・スケールだけを奏でたりするところがあったり、と言うので、結構前衛的なんだなとこちらは受けて、そう言えばとMUさんと話していたT田の方に手を差し向けて、T田が今、現代音楽の選集を作っているらしいじゃんとKくんに言うとそれを聞きつけて拾ったT田が、もうあれはほとんど出来ているんだけど、細かな調整みたいなところで止まっていると言う。続けてこちらは、で、書いたのか、と訊いたが、それに対してT田が言葉を詰まらせてちょっと戸惑うようにしていたのは、多分小説のことを訊かれたのかと思って、それを皆の前で説明しようかどうか迷ったのではないか。と言うことは、この話題はのちにT田が『Steins; Gate』の二次創作をやろうと思っているということを明かす前の話だったのだろう。それで、書いたのかとこちらが訊いたのは選集につける解説のことで、それも大方仕上がっているということだったと思う。
 そのほかこちらはT、と右隣に呼びかけて、低音のトレーニングってしてる、と問いかけた時間があった。特にそういったことはやっていないと言う。それで、低音部を鍛えると良いぞとこちらが勧めたのは、最近こちらも良く歌を歌っていて、しかも寺尾聰のような良く響くチェストボイスの歌手の歌を歌っているからわかるのだが、低音部の発声がほぐれると、声が全体的に安定して、波及的に高音の方も出しやすくなるのだ。おそらく声帯が柔らかくなって伸びやすくなるのだろう、だから低音部を安定的にふくよかに出せるようになると、声の土台みたいなものが出来て安定した歌い方になる、と述べるとT谷も同意して、吹奏楽などでもトーンを安定させたいという人はまず低音を練習する、と補足してくれた。そういうわけでウォーミングアップに低音の発声を取り入れてみると良いのではないかと提案して、Tは確かそれを携帯か紙か何かにメモしていたと思う。実際、今日録音した"C"においても、結構低い音が出てくるのだが、その付近の音程などはまだまだTは不安定なのだ。だから、響きと膨らみのある低音を出せるようになるとそのあたりも解決するかもしれないと言ったところ、低音と言ってどのくらいから低音と言うのかとTは訊くので、自分が出せる最低限の音が何かはわかるかと訊き返し、F#くらいだと確か彼女は言っていたか、まあそのあたりからちょっと上までの領域を磨くというような意識で良いのではないかとこちらは落とした。
 そのうちにこちらはまたTに対して、最近どう、と実にざっくりとした問いを投げかけ、音楽史の勉強しているって言ってたねと続けて思い出して訊くと、そうなのだとTはそのことについて短く話して、しかしそれだけで終わってしまったので苦笑していれば、これはT田の文業の話を受けてのことだったと思うが、そう言えばあと一つ、新しく始めたことがあって、T田くんの文章を読んで自分も文章を書きはじめた、と言った。日記では多分ない。小説でも当然ないので、言わば随筆と言うか、まあその時の気持ちなどを残しておくのが良いなと思って、印象に残ったことを書き留めているのだと言う。こちらを起点にしてのことだと思うが、段々と皆が文章というものを記すようになってきているようで、これは良い傾向である。
 そこから各々の近況を聞くような流れになって、次に話を向けられたのはT谷だったかそれともMUさんだったか。T谷に対してはTが積極的に、最近興味深かったことはと訊いていて、T谷が返答に困ると、じゃあ単純に、最近楽しかったことはと質問は変わったが、それに対してもT谷は、そもそも人生をあまり楽しいと思って生きていないなどとニヒリストを気取って、えー、とTは苦笑し、こちらは、まあそうだよなあと漏らすと隣のKくんから、同意しちゃって良いんですかと来たのでうーん、と笑いながら考えて、でも俺は、最近は楽しいとか楽しくないとかの区別がなくなってきたような気がするね、と言えばTは今度は、でも楽しくないわけじゃないでしょとT谷に向けていて、そのあとの流れは忘れたのだが、あとでTから聞いたところではT谷は、何でも楽しもうという風になってきてはいるかもしれないと言っていたらしく、その点はT谷の成長ぶりと言うか、丸くなったと言うかそういったところが垣間見えて、Tはそれに安心したようだった。
 それで多分その次に、T谷はターンエンドだと言って、MUさんに話者が移ったと思うのだが、何か質問を、とTがこちらに求めて来たので、うーん、と目を瞑ってちょっと考えて、じゃあ、MUさんの業務内容を説明してください、と何故かちょっと形式張って求めた。彼女は以前は学童保育の仕事に勤めていたのだが、多分同僚の人間が悪いか環境が悪いか何かで辞めて、就職活動をした結果として、最近からアート・スクールで働きはじめた。神保町の三省堂の裏にあるビルに入っている会社だと言うが、ビル全体では主に文房具を売っているところ、五階と七階で教室をひらいていて、その準備片付けを担当し、授業の合間には事務作業に精を出していると言う。講座のプログラムとしては、絵画のほかに銅版画や木版画があり、立体彫刻はあると言っていたか忘れたが、美術のほかに俳句の授業もあると言って、それに対してT田が、日記はないのと訊くが当然あるはずはなく、Fが講師になるよと彼は冗談を続けて、ならないならないとこちらは払ったが、神保町に通えるんだぜとT田は何故かあくまでこちらを雇わせたがるのに、いや、俺が神保町など通ったら、まずいだろう、本の自己増殖が大変なことになるだろうと落とした。アート・スクールのシステムはまださほど洗練されていないと言うか無駄が多いとMUさんは言い、つまりは例えば、一つの教室で朝に銅版画の授業を行ったあと、午後には別の授業が入り、その次の朝にはまた銅版画の授業が用意される、というようなスケジュールがあって、そのたびに教室の支度を変えて整えなければいけないところ、午後の別の授業を同じ教室でやらず別教室に回せば、あるいは省けば、銅版画の用意のまま翌日まで保っておいて手間を省けるではないかと、総務が入ってそういうことにようやく気づいて、そのあたり改善が図られている途中だという話だった。話の切れ目でこちらはまた面接官ぶって、それでは次の質問です、と慇懃な声を出し、あなたがこの仕事に感じているやり甲斐は何ですか? と尋ねてみたが、まだ始めたばかりだし、業務も準備片付け事務の類なので、やり甲斐などなかなか感じようもないとの返答があった。
 その次にT田だっただろうか、彼への質問は、俺は良く話しているから訊きたいことなどあまりないぞと言うと、TがMUさんに、T田くんに訊きたいことはあると尋ねて、MUさんが固まって黙っているその隙を突いてこちらが、ないって、T田のことは全然気にならないって、と冗談を放つと、一同笑ってくれた。それでT田は何を話したのだったか、あるいは何も話さなかったのだったか、ここでもしかすると二次創作小説を書くつもりだということが明かされたのだったかもしれない。そうしてKくんにはTが、レコーディング、どうでしたか、と訊いて、それに対してKくんは、良かったです、と一言だけ答えてあとを続けないのに、終わっちゃったよ、とこちらが笑えば、Kくんはいつも物事の感想に関してはこんな感じだ、アニメとかだと考察が長々と始まるから違うけれど、とTは言った。それから同じ質問がこちらにも来たのに、良かったです、と真似て受ければ、何なの、一緒にしたいの、とTは笑ったので、続けて付け足して、でもまあ、思ったよりも暇じゃなかったなとこちらは言った。もっと暇だと思ってた、とTが笑うのに、いや、特に考えてはなかったけれど、とこちらも笑い、何と言うかまあ……偉そうなことを色々と言えたかなと、と受けるとKくんが、役目を果たせた、と補足して訊いてくれたので頷いた。
 Kくんはいつからか、こちらの方に身体を寄せてぴったりと寄り添うような感じの振舞いを見せ、何だこれはとこちらは笑ったのだったが、確かに我々の席は冷房が随分と送られてきて肌寒い場所ではあった。しかしそれだけが理由だったわけではなく、こうした振舞いは彼が時折り見せるささやかな奇矯さの一つである。懐かれたね、とTが言うのにこちらは、可愛い女の子なら良かったんだけどなあと軽薄ぶると、可愛い子って、どんな子、とMUさんが何故か食いついたので、いや、そんなに深く考えてないけどとこちらは笑い、どんな子にくっつかれたいのと質問が変わったのに、いや、女性ならどんな人でも嬉しいですよとまた軽薄ぶれば、惜しかったね、Kくんが女だったら良かったのに、と皆言って、T谷も、一点だけ、性別の違いだけだったなと加えるのにKくんも乗って、ごめんね、俺が女に生まれていたら、とか冗談を重ねるので、いやいやそういうことではないとこちらは笑った。それからT田が、今、文学関連の付き合いのなかで、タイプの人はいないのかと訊いてくるのに、そもそもタイプというのがあまり良くわからんと受けると、皆もそうだと言って、Tはタイプなどないと言うし、MUさんもわからないと言い、T谷とKくんはどうだか知らないが、T谷はそういう話ならT田が一番説得力を持つと思うと評価を述べた。経験に基づいたタイプと言うならばこちらは、今までの人生で強い恋情を抱いた相手がほかならぬこの時すぐ右隣に座っていたT一人なわけで、だから彼女のような人がタイプということになるのかもしれないが、ここにいるメンバーは皆、こちらが過去にTに恋慕していたことを一応知っているものの、いや、T谷はもしかしたら知らないかもしれないが、ほかの四人は知っているけれど、よりにもよってまもなく籍を入れようという二人が揃っている前でそのようなことを言うのも憚られて黙っていると、T田が、タイプというのはそういう話で盛り上がりたい人が仮構するものだというようなことを言うのでこちらも、後付けですよ後付け、と乗っかった。そうすると次に、Tが、じゃあ、男の子のタイプは、と訊いてきて、同性愛を思わせる質問だったからだろう、KくんとT谷は微妙な笑いを漏らしていたのにTは、え、私あるよ、女の子のタイプ、と言って、男性のタイプというものもこちらには良くわからないが、その次にじゃあ逆に駄目なタイプは、という質問があったのだったか否か、そのあたりの流れを良くも覚えていないがこちらは、自分を疑うということを知らない人は合わないだろうな、男性でも女性でも、と言った。すると、じゃあFさんのタイプは自分を疑うことを知っていて、向こうから寄ってきてくれる女の子なら誰でも良いと、と誰だったか、T谷だったかが曲解して言うので、それは言い方が、と苦笑し、随分俺があれだな、軽薄みたいじゃないかと笑うと、MUさんもこちらを庇ってうーん、言い方、言い方、と漏らしていた。
 さて雑談について覚えているのはそんなところである。Tに電車の時間を調べてもらうと、九時二四分のものに乗れば良いということだった。その時間がそろそろ迫った頃、Tはトイレに行って、彼女が戻ってくるとそれでは発とうということになり、こちらはTに、これでまとめて会計をしてくれと、テーブルの上の伝票入れに収められていた二万いくらかを伝票とともにTに渡した。それで我々は先に店をあとにすると、午後九時にもなればなかなか涼しく、T谷などTシャツ、と言うかチュニックめいた服一枚なので肌寒そうだったが、風もなくなったし冷房の強かった店内よりましだとのことだった。Tが来ると歩き出し、ガード沿いの陰気な道を通って綾瀬駅へ、ホームに上がったところでMUさんが差し入れを皆に配ると言って、まず六個入りのマカロンが開けられた。色々種類があるようで、味が違うなとこちらは黄色のものを裏返して見ているとプリンとあって、ほかの面子が先んじてそれぞれ選んで取っていったものだから残ったのはそれくらいで、その黄色いのを貰うことにし、バッグに入れた。その次に、ジャンケンが成され、スムーズに三、三で上手く分かれて、勝ったこちらとMUさんとKくんは、包装入りのエッグタルトを手に入れて、負けた三人は包装のないエッグタルトを貰わねばならなかったのだが、しかしマカロンの空いた箱などがあったので、結局それらにタルトを入れて皆持ち帰れることになった。T谷は、こちらの土産のクッキーも含めて、食べ物を貰うたびに、明日の朝飯にするわ、朝飯が豪華になった、と言っていた。
 そうして綾瀬駅から電車に乗って、席が空いていたので三人三人で分かれて向かい合って座り、こちらは左右にKくんとT谷を控え、向かいは左からT田、T、MUさんという位置取りになって、こちらは意識せずに腕を組んで脚も組んで勿体ぶったような偉そうなポーズを取っていたところ、左右の二人もいつか、足のあいだにギターやベースを置いていたから脚の方は組まないが、やはり腕を組んでいて、それを見たTが、何で同じポーズしてるの、と笑った。両手に花だね、と言った。花と言って女性ではないので当て嵌まらないのだが、Kくんが、俺が誤って男に生まれてしまったばっかりに、と漏らすので、いやいや、誤っていない、とこちらは笑って否定して、それから向かいのTがまた、女の子が云々とか二人と話しているのに、今日は余計なことを言っちまったな、あいつしばらく忘れないぞ、多分次回会った時にもからかわれるなと漏らすと、失言だった、とKくんが訊いてきたので、失言だったな、とひそひそやり取りを交わしていると、Tが何? 聞こえないよ、と言ってきたが話の内容は明かさない。
 そのうちに左右のKくんとT谷は、Kくんは風邪を引いているしT谷もギターの録音でだいぶ疲労したようでうとうとと目を閉じて、T谷などはちょっと左右に揺れてもいた。西日暮里に着くと乗換え、千代田線の改札を抜け、山手のホームに移る前で、T谷とMUさんは違う方向に乗ると判明したので、ありがとうございましたと挨拶を交わして別れ、神田まで行って中央線に移るこちら、T、Kくん、T田の四人で階段だかエスカレーターだかを上がり、山手線に乗り込んだ。山手に乗っているあいだと、確か神田から中央線に揺られているあいだも同様だったと思うが、こちらは扉際に寄ってTと向かい合い、その横でKくんとT田が向かい合ってやはり二人で話をする、という位置関係になっていたはずだ。どの時点でどの内容を話したのか覚えていないのだが、Tとは今日のスタジオ録音のことや歌唱について話し、最初はやっぱり窮屈に歌っていた、それでもしかしてビビっているのかなと思ったと笑うと、ビビってはいなかった、マイクは友達でマイク前はホームだから、きちんとした環境で歌えることが嬉しくてしょうがなかった、という返答があり、マイク前に自分が立っている時のやるべきことをやっているという感覚は、多分Fさんが日記を書いている時のものに近いんじゃないかと言うので、そうかと受けた。それから、やはり伸び伸びと歌ってほしい、無理のない自然さが大事だと言って、こういう風に歌おうと意識することでかえって空回りして上手く行かない、ということがあるから、勿論最初のうちはそうして意識して取り組まなければならないわけだけれど、その段階を越えて自然さに至ってほしいね、というようなことを話すその傍ら、KくんとT田は何か作品というもののリアリティの話をしていたようで、T田が例の、「物語」と「小説」の対立図式を紹介していたようだ。
 その後、今日スタジオ環境で録音してみたわけだけれど、それで音がどのように変わるか楽しみだとTは言い、T谷くんはギターとベースはあまり変わらないんじゃないかと言っていたけれど、と彼の言を紹介すると、Kくんが、いや、変わると思う、と即座に否定して、と言うのは、ベースの配線システムのなかに「アマテラス」という、何だと言っていただろうか、とりあえずCafe au Labelが独自開発していると言う機材で、多分音質をなるべく減衰させずに持ち上げて整えるようなものなのではないかと思うが、それが繋がれていたので我々が使っているようなオーディオ・インターフェースとはレベルが違うだろうとの推測を述べてみせ、こちらはそれを受けて、「アマテラス」というエフェクターみたいなやつだったら確かにギターのアンプの上にもあったなと情報を提供した。
 中央線に入って、多分中野を過ぎた頃合いだったろうか、その頃には会話の組み合わせが、こちらとKくん、TとT田という風に変化していて、Kくんはある時、the pillowsの"Funny Bunny"のことを持ち出した。最近Twitterで話題になったらしいのだが、何かのCMにその曲が使われて、それはオリジナルではなくて女性のカバーだったと言うが、それが泣けると巷で好評を得たのだということだった。"Funny Bunny"と聞いて、タイトルは知っているし何度も聞いたことがあるはずなのだが、どういう曲だったか思い出せず、こちらの頭のなかに想起されたのは"ああ世界中の ダイナマイトが誘爆して"というフレーズだったのだがこれは"Funny Bunny"ではなくて"Tokyo Bambi"の方だとわかっていた。Kくんも思い出せないのは同様で、どんな曲だったっけと言いながらスマートフォンで検索を始めて、Youtubeにアクセスしたが当該の動画が動かず、歌詞を見ればわかるかもとこちらが言ったのに応じて歌詞も検索してくれて、それを見ると記憶が刺激される感覚はあったのだが思い出せそうで思い出せず、結局Kくんがもう一つの携帯を使って動画を流してくれて、それでようやくこの曲かと腑に落ちた。哀愁があるよねとKくんは言う。哀愁、と言うとちょっとニュアンスが異なって、自分はどちらかと言うとラテン風味の哀愁味の方を思い起こしてしまうのだが、the pillowsのこの曲のメロディは、切なげな感じではある。"Tiny Boat"も良いよとまたこの曲の名を出して勧めると、Kくんはそちらの音源にもアクセスして、知らなかったと言っていた。
 それでKくんの宅がある三鷹に着く前、我々はいつもの習慣で握手を交わしてじゃあなと言い合い、KくんとTが降りるとまた例によってT田が、盗撮をしなくてはと、全然隠れていないから盗撮ではないのだが、二人の方に携帯を向けているとK夫婦はそれぞれ顔を隠す。T田はこちらの方にもカメラを向けて、こちらも最初は隠していたがじきに手をピースの形にしたり、面倒になったので下ろしたりしているとそのあいだに撮られたらしくて、あとで見せてもらうとちょっとはにかんだような表情で、しかし髭がまた不精に伸びてきていて汚い口周りだった。
 その後、T田と立川まで帰路を共にするあいだ、彼は持ってきていた梶井基次郎檸檬』を取り出して、「冬の日」がやはり素晴らしかったと言っていくつか表現を呼んでくれ、その本の頁には付箋がたくさん貼られてあって、たくさん貼りすぎてほとんど全部分のような感じになっていた。それからこいちらは、最近の日記で面白いところはあったかと訊くと、T田は携帯でこちらのブログにアクセスしてしばらく浚ったあと、そう言えば前に引用されていた記述で、マゾヒズムについて書かれたところがあって、どういう意味か良くわからなかったと言うので、マゾヒズムについてなど読んだかなとこちらは記憶を回して、ドゥルーズのやつかと思い当たると、そう、ドゥルーズ、そうだったとT田は言い、その名前でブログを検索して当該部分を読んでみたところが、父の法と母の契約とか書かれていて、精神分析理論になど通じていないからこちらにも良くわからない。ひとまず、フロイトエディプス・コンプレックス理論が下敷きにはなっているのだと言わずもがなのことを述べたが、それ以上の意味の読み解きは出来ず、その頃には立川にも着いていてホームに降りて階段を上りながら、また読み返してみるよと受けるに留め、それで階段を上るとそれでは、ありがとう、と言い合って別れた。スマートな別れ方をしたなと思った。
 それで一番線の、いつもは最も東京寄りの一号車に乗るが、今日は上がった通路がそちらから遠かったので反対側の、最も青梅寄りの一〇号車に乗り、扉際で手帳とペンを取り出してメモを認める。昭島に着くとこちらの背後の七人掛けに座っていた人々が、同じグループでもなかったと思うのだが何故か一斉に降りて場が空いたのでそこに座り、引き続きメモを取って青梅まで至ると奥多摩行きに乗り換えて、最寄りに着いて降りれば喉が渇いていたのでコーラを飲んでいくかと、SUICAを使って飲み物を買ってベンチに座った。コーラの小さなボトルを傍らに置き、秋虫の音だけが響く涼しい夜気のなか、時折り取り上げてちびちびと飲みながら手帳にペンを滑らせる。飲み終えるとボトルを捨てて駅を抜け、木の間の坂道を下って平ら道に出たところで耳を澄ませると、風の音は聞こえず身に触れてくるものもなく、頭上の大気に動きもなくて通りがかりに見上げた小公園の桜の枝葉も、少しも揺らがず静まっている。
 帰り着いて居間に入り、ただいまと口にしてもソファに就いた父親は眠っていて返答がない。バッグを椅子に置くとその音で起きて、おお、と漏らして困憊しているような様子でそれ以上何も言わなかった。酒を飲んでテレビを見ているうちに眠ってしまったようだったが、最近はどうもそういうことが多く、あまり燥がないのだろうかと訝った。自室に帰ると服を脱いでコンピューターを点け、前日の記事をnoteに投稿し、それから上がって風呂に向かうと、途中で入った台所の調理台の上に三品、皿が用意されてあって、炒めた豚肉と茄子の和え物と、あと一品は良くも見ず忘れたが、後者の二品はプラスチック・パックに入っていて、これは多分父親のために用意されたものだろうと見て食べないのとカウンター越しに訊くと、いいやと言うので冷蔵庫に仕舞っておいてから洗面所に入ったそのあとを、父親も歯を磨くらしくついてきて、歯ブラシを取ってため息をつきながら戻るその足取りが、何だか緩く覚束ないようで、やたら疲れているようだがそれだけ歳を取ったのだろうかと思った。
 湯のなかに入ると髪を濡らして搔き上げて、湯を掬って顔をぱちゃぱちゃ洗ってから、瞑目して静止していると、単調な時計の音が、それまでまったく聞こえていなかったのがにわかに迫ってきて耳につく。外からは秋虫の音が入りこんできて、物思いを回すその合間合間に、今日録音した"C"のメロディが断片的に闖入して流れて、回る思念はその音楽を差し挟みながらあちらこちらに遊動して、端的に見てぐちゃぐちゃの様相で、思考というものはまったく秩序立ってなどいない、このような混沌を人間は皆、自らの内に飼い馴らしているわけだ、世界は混沌から始まったなどと言うが、人間の頭の内にこそカオスが存在しているわけだと考えた。
 それから父親の様子を思い返して、随分と疲れた風だった、今日は払沢の滝に顧客を連れて行くとか母親が言っていたが、それでよほど疲れたのか、最近は酒を飲んでも以前のようにテレビを見ながら大声を出して燥ぎ回ることもなく、どうもいつかソファで眠ってしまっているようで、意気が薄れてきているのだろうか、それだけ老いたということか、歳を取るという時に人は、勿論段々と少しずつ、気づかれないほどにじりじりと変化していくはずなのだが、しかしある時を境に一気にがくりと取るということもあるものか、と考えて、するともしや、死期が近いのではなかろうななどと、縁起でもないことを考えてしまわないでもない。
 目を閉じて外界の情報を大方排して、自分の頭のなかの思考に観察を寄せていると、思念というものは本当に常にそこに存在していて、何も考えない言わば無思の時間というものはまずないなと、言葉が次々に生まれては過ぎ去っていくその様が良く見える。身体感覚を鋭敏化するというのでなくて、思考というものを見つめる時間を取るという目的で、また瞑想を再開してみても良いかもしれないなと思った。
 そろそろ腹が減ってきていて、カップラーメンか何か食いたいなと、そのような気持ちが湧いていて、古井由吉がどこだったか忘れたが『ゆらぐ玉の緒』のなかで語っていた酒呑みの性質というものを思い出した。書抜きをした箇所でないので正確な引用が出来ないが、酒呑みというものは酒を呑んで美味いものをたらふく食っても、深更に至って帰ってくればしかし、あれだけ飲み食いしたのに何だかまだ何か食いたいようになって、家人が寝静まったあとの台所で冷蔵庫を探ったりなどして、場所も弁えず立ったままものをがっついたりするその様が時に鬼気迫ってもいるようだ、などと概ねそんなようなことを書いていたはずで、酒呑みでなくともあることだなとこちらは独り言ち、こちらの場合はまあ都心に出れば家が遠いので、帰るあいだに時間が経ってそれで腹が空くという事情があるとは思うが、それでも遠出をして長く外にいてから遅くに帰ったあとの空腹には、何故かカップ麺のようなジャンクなものが食いたくなるようだと考えた。
 ほかには、最近だとこちらの日記は、引用を除いても一日に二万字くらいには達することがままあるようだが、二万字と言うと四〇〇字詰め原稿用紙で五〇枚か、と計算し、それでは次の目標は倍の四万字、原稿用紙で一〇〇枚だなと、別に量を書けば良いというものでもないのにそんなことを考えたが、今大体四時間で二万字くらい書いているとすれば、単純計算で八時間くらい掛かるとしても、まあ不可能なことではない。しかし、そこまで量が膨張するほどに細かく書くとしたら、やはり風景だとか行動だとかの外面的なことばかりでなくて、考察だとか心理だとかの思考を取り入れないとおそらくは達さないはずで、やはり要は日記を突き詰めていくと意識の流れに近くなっていくのかもしれない。
 そうこうしているうちに父親が歯磨きを終えたらしく洗面所に来て、口を濯いで去って行き際に扉が閉まる音が立ったのを機に浴槽を出て、髪と身体を洗って上がり、出てくれば居間に明かりは点いているが父親はもう下ったようで姿はなく、ポットに水を足して沸かしておいてから、パンツ一丁で部屋に戻ってメモを取った。時刻は零時半を過ぎた頃合いだったのではないか。一年前の日記を読みはいめると、例によって冒頭にはフローベールの書簡の引用が付されている。

 (……)ぼくがやってみたいのは、生きるためには呼吸をすればいいのと同じように、(こんな言い方ができるとすれば)ただ文章を書きさえすれば[﹅10]いい書物をつくることです。(……)
 (工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、252; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年六月二十五日〕土曜夜 一時)

 (……)今日の午後で、訂正はやめることにしました、もう何がなんだかわからなくなってしまったので。ひとつの仕事にあまり長くかかりきっていると、目がチカチカしてくる。いま間違いだと思ったものが、五分後にはそうでないように思われてくる。こうなると、訂正のつぎに訂正の再訂正とつづいて、もはや果てしがない。ついにはただとりとめのないことをくり返すことになる、これはもう止める潮時です。(……)
 (254; ルイーズ・コレ宛、クロワッセ〔一八五三年七月二日〕土曜 午前零時)

 一つ目の言は端的に言ってこちらが目指す境地であり、やはりこういうことは皆考えるのだな、と思った。ゲーテ御大も、正確な引用ではないが、「芸術家よ、語るのではなく、形成せよ。ふと漏らした吐息さえ、詩であるように」みたいなことを言っていた。二番目の引用も、推敲という業の困難さを的確に述べている。
 それからそろそろ湯も沸いただろうということで階を上がり、カップうどん「赤いきつね」を用意して持って戻ってくると、今度は二〇一四年一月五日の日記を読んだが、この頃はまだまだ記憶が細密でない。ここから五年と九か月で今のようになるのだから、我ながらなかなか大したものだ。この日は立川図書館に出向いており、クロード・シモンが五冊もあると報告している。何と素晴らしい蔵書環境なのか。ロブ=グリエも二冊あり、金井美恵子も一一冊もあると言うから凄まじい。
 日記の本文ではない欄外には、この頃読んでいた保坂和志『未明の闘争』の感想があって、別に大したものではないのだが、読み書きを始めて一年にしてはまあまあ書けているのではないかと思うので、一応ここに引いておく。

 保坂和志『未明の闘争』。
 元は連載だったが、かなり行き当たりばったりというか、思いつくままの流れを文章にした小説という印象を受けた。事前に構成を練るようなことはしていないだろう。だから脱線が多い。一応の流れとしては篠島が死んで葬式後、アキちゃんが家にやってきて話す(そこに小林ひかるも加わる)流れと、その各所で喚起される猫たちや村中鳴海の流れがあるのかと思うが、そんなことはどうだっていい。話題になっている例の「私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた」だったり、諸所に文法がやや破綻した文章が見られたり、全体に(一般的には)あまり読みやすいとはいえない文体になっているが、これはしゃべっているときの思考・言葉の流れをそのまま文章として出力したようなものだと感じた。個々の文章がそうであることに加えて、話題も次々に脱線していく。一応の流れがつながっているところもあるが、ほとんど断りなく転換する場面が多かったようにも思う。「意識の流れ」という手法として呼称されるにふさわしいのは例えばその代表とされるウルフよりむしろこの小説ではないか。
 書き方としては全体にかなり細かく書くが、その細かさは細部を緻密に描く細かさというよりは、説明的な感じのする細かさだ。そして書く対象には軽重がない。すべてが同列に置かれて書かれている。例えば一瞬の機微に向けて言葉を組み立てていくような、そんな書き方はしない。並列的に書いている、という印象を受ける。どこか一点に向かって単線的・直線的に進んでいく文章ではまったくない、並列の文章とでも言えるだろうか? 山下公園の風景描写などは特にそうだ、そもそもあれを風景というのかはわからない、風景というのはもう少し組み立てられた描写のことをいうのかもしれない、保坂自身も言っていたがあそこにあるのは見たものの羅列だ。
 話題が並列されている、そのあいだに物語的な因果関係はない、ただの連想や飛躍でもってつながっている。話題や思考をただ並べることで進んでいく小説だといえようか。エピソードというものは一応あるが、それもきちんと完成されたエピソードではない。アキちゃんと小林ひかるが星川の家に集まる場面は完結されないし、村中鳴海と山梨へ向かうエピソードはいつの間にか(たしか何の断りも解決もなく)山下公園の話に、そこからさらにいつの間にかホテルや中華街や白人がいる店のエピソードに移っていってやはり完結されない。猫たちあるいは犬たちのエピソードは一応完結しているといえるだろうか、だとしたらそれは死という終点が用意されているからか? 
 81~82頁を書き抜いたのは空の変化の描写が良かったからだが、ここが一番風景描写らしい風景描写だったのではないか。ただそれでも風景だけを書くのではなく、それとやはり並列して人物の動きも書く、しかしそのあいだにつながりはない。風景と人物がただ並べられているだけだ。
 いいと思ったのは小説についての思考が小説になっていることだ。ドストエフスキー『分身』(二重人格)についてのアキちゃんと星川の会話のことだ。ここでは小説「について」書くということを批評としてではなくて小説として(作品として?)やっている。「小説について書く」ことと「小説を書く」ことがイコールになっている。それはなぜか? 小説のなかで小説について書けば必ずそうなるのかというとおそらくそうではないだろう。小説について書かれた文章、例えば新聞の書評などを読んでもつまらないのは、それがその作品を読むことでもたらされる思考や感覚の運動をほとんど伝えることがないからだろう。無味乾燥な文章というか。おもしろい小説・作品・文章はきっと思考・感覚(特に後者か?)の運動をともなうものだ。そうだとすれば、ここで保坂がやっているのは小説について書きながらそれらを生み出していることということになる。保坂が言うとおり、小説はその小説を読んでいる時間のなかにしかないとして、小説について書くことでその小説を読んでいる感じを伝えることはほとんど不可能なのだから、小説について書かれた文章、小説でも批評でもいいが、それがおもしろくなるには、それ自体でもとの小説とは別の思考や感覚の運動をもたらさなければならないということになる。
 あとよかったのは後半の村中鳴海の台詞の断片だけが三頁くらい集まったところだ。全体として、ごった煮ごった煮言っていたころの自分の文章を洗練させレベルアップさせて推し進めるとこういうことになっていたのではないかという印象を受けた。方向としては近いものがあるはずだ。

 それでMUさんに貰ったマカロンとエッグタルトを食いながら、ブログに過去の日記を投稿した。今まで過去の日記の読み返しと投稿は、二〇一六年のものから遡る形でやっていたのだが、そうではなくて一番古い記事から順番に、時を追って読んで投稿していくことにして、今日は先ほど書いたように二〇一四年一月五日のものを読んだのだ。昔は過去の日記はあまりに拙すぎると思って、こんな糞みたいな文を書きやがってと過去の自分を憎んでいたのだが、今はもうどうとも思わない。勿論下手くそだとは思うが、その時点その時点でそれなりに頑張ってやっていたことであり、自分の成長を跡付けて明確に示すという意味でも、少しずつ読み返していってブログに全過去記事を集積していくつもりでいる。ひとまず今のところ二〇一四年初の記事をいくつか投稿してあるので、読者の皆さんにおかれては是非現在の日記と読み比べてみてほしい。人間は六年のあいだ毎日同じことを続ければ、このくらいには成長出来るということが明瞭に示されており、我ながらちょっと感動してしまうくらいだ。
 カップ麺を食い終わると、緑茶を用意しに上階に行った。階段を上がりながら、多分このまま書き続ければ、俺の日記は自ずと作品と呼ぶに値するようなものになるだろうなと思い、続けて、その営みを本当に死ぬまでずっと続けることが出来れば、多分俺の名前は歴史に残るだろうなと、そんな誇大妄想じみた大それたことを、しかしまったく興奮するでもなく、熱情に身と心を燃やすでもなく、冷静に判断してみての当然の見通しのようなものとして、腑に落とした。例えば三宅さんは、自分のことを文学的天才だと確信して疑わず、そう公言もしているし、彼の作品も今は不遇だがいずれは日の目を見て文学史に残るものだと思っていると思う。こちらは自分のことを天才だとは思わない。こちらより文章の上手い人、凄い文章を書く人はいくらでもいるだろうし、こちらより頭の良い人も、こちらより偉大な仕事を成す人もいくらでもいる。しかし、こちらほど一人の人間の生を記録するということに執着している人間は、多分ほかにはほとんどいないのではないかと思う。言わば虚仮の一念、というやつだ。おそらく自分は、虚仮の一念で歴史に名を残す。部谷さんが昔ブログかどこかに引いていたが、ウィリアム・ブレイクの言葉も思い出されるものだ――“The fool who persists in his folly will become wise."
 茶を持って自室に帰ると、fuzkueの読書日記を読みながら、Ryan Keberle & Catharsis『Azul Infinito』を聞きはじめた。そうして次に、坂中さんのブログ。八月二四日――「保坂和志の場合「それなら猫はどうなのか?」が必ず先に来る。この時点で狭い人間関係的な考察スコープが最初から範疇外になり、猫たちや犬たち、あるいは無人の海辺の波打ち際に寄せる波のようなものが世界を把握するベースになり、人間的な意味での死も大した意味を担わなくなる」、「とにかく何しろ今よりもずっと面白くないと、このまま行くともっともっとつまらなくなってしまう可能性がある。つまらなくなるとは死んでしまうというか死んでしまうことへの抵抗が無くなるということで、面白くなるというのは死に対して抵抗可能だということになる」。八月二五日には、「あーあ、何もかも、過ぎ去って行くんですねえ、かなしみが、刃物のように、吹きぬけますね」という比喩があって、これには梶井基次郎の、「匕首のような悲しみが触れた」、みたいな比喩を思い出したが、調べてみると「冬の日」のなかにある表現だった。「突然匕首のような悲しみが彼に触れた。次から次へ愛するものを失って行った母の、ときどきするとぼけたような表情を思い浮べると、彼は静かに泣きはじめた」(梶井基次郎檸檬新潮文庫、一九六七年、二〇〇三年改版、178; 「冬の日」)。「悲しみ」を鋭い「刃物」に喩える比喩はあるいはありふれているかもしれないが、そこで「匕首」という言葉選びをするのが梶井基次郎の流石なところで、より感じが出ると思う。
 八月二六日の記事は古井由吉のような雰囲気がちょっと匂って、全体として良いので全文を引用する。

電車の座席に座っている若い男性、でかいスーツケースを足の間に挟んで、がっくりと首を前に倒して眠っている。両手で取っ手を押さえているので、まるで何かに向かって祈りを捧げているような格好だ。Tシャツを着た上半身はせわしなく前後に移動して、体勢が崩れそうになるのをかろうじて抑えている。二の腕や背中の筋肉が、小刻みに動くのがわかる。電車が揺れるたびに、まるで振り子人形のように、ガックンガックンと上半身を前後に揺さぶり続ける。その様子は、緩めのヘッドバンギングと云いたいほどの勢いがあってかなりの迫力。そこまでして眠れるものかとおどろくほど。これほど躍動的な眠りがあるものか、いや若い人の眠りとは、むしろこういうものなのだと思う。眠りと死は、ぜんぜん違う。あの屈強な身体をねじふせてしまうほどの力が、死であるわけがない。眠りはそれ自体で力だ、力というよりも、欲望といった方が近いか。

何年か前に、会社で僕の隣の席にいた二十代の女性が、お昼休みに机に突っ伏して眠っていて、それが午後になっても目を覚まさずに眠り続けていたので、仕方なく肩を叩いて起こしてあげたことがあったのだが、目覚めの瞬間のその子の様子が・・・。どろりとして、のっそりと目を上げて・・・あれもまさに、若かった、若い生き物の目覚めだった。匂い立つような、むせかえるようなものがあった。そんなことを思い出した。
 (「at-oyr」; 「眠り」 https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/08/26/000000

 読んでいるうちに音楽は五曲目の"Quintessence (for Ivan Lins)"に達して、これが以前からこちらが好きな曲で、臙脂色といった風味の品の良さがある躍動的なフォー・ビート曲で、秋によく似合う。ベースソロもきっちりまとまってメロディとしてもよく歌っており、このグループのトランペットはMike Rodriguezという人だが、この人の吹きぶりは端正で、音出しが柔らかく綺麗であり、線が細いと言えばそうかもしれないがそうしたちょっと華奢そうな気味も合わせて何となくKenny Dorhamを連想させるところがある。
 Sさんのブログは八月二八日に至ると、橋本治からの引用として「恋愛というものは、「なんでも、一人でやれる」という人間の世界と対立して、その修正を迫るようなものだから、「自立」というような近代的な考えと衝突する運命にある」とあったその次に、Sさん自身の言葉で、「だから恋愛とは近代型システムでは解決できない問題なのだということ。出会って、付き合って、セックスして、結婚して、というのは、恋愛ではなくて制度で、ほとんどの近代人は恋愛を必要としないし一生恋愛せずに制度に従うだけなので、それで大体OKなのだが(……)」と続いていて、なるほどなあ、そういうことなのか、と思った。
 Sさんのブログに切りを付けるとお茶をおかわりしに行って、戻ってくると、今までパンツ一丁でいたのだが、熱い茶を飲んでもほとんど汗を搔かないくらいにはこの夜は涼しかったので、肌着とハーフパンツを身につけ、インターネット記事を読み出した。音楽は六曲目の"La Ley Primera"の、リーダーのRyan Keberleのトロンボーン・ソロがなかなか聞き物で、ロングトーン中心で緩やかな、香り高く芳醇な吹きぶりで、整然と繊細な音取りをしている。インターネットの記事は、籏智広太「歴史修正主義は「表現の自由」ではない。裁判所が”ホロコースト否定”に判決」(https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/npd-echr)、「柄谷行人氏ロングインタビュー <すべては坂口安吾から学んだ> 天皇制・憲法・古代政治・歴史…「無頼」ということ」(https://dokushojin.com/article.html?i=2253)、山口真一「大規模調査でわかった、ネットに「極論」ばかり出回る本当の理由」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58264)の三つを歯磨きしながら読み、その途中で音楽をもう一度最初から聞きはじめ、二時二〇分過ぎから辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』の書見に移った。「審判」における「訴訟」はその内実を完全に欠いており、まずもってKが何の罪を犯したのかまったく不明だし、彼の行状の細かな調査なども成されない。「訴訟」の発端となった突然の「逮捕」も同様で、Kはある朝、男たちに強引に押し入られて「逮捕」されたとは言うものの、特に拘束されはせず、行動をまったく制限されずに、今までと何も変わらず銀行に勤め続けることが出来ている。ここでは「訴訟」とか「逮捕」という言葉がその実質的な内容を伴わず、純粋に言葉の上だけのものとして現れており、意味=概念がその抽象性に還元されたほとんど剝き身の姿で設置されているのだが、それにもかかわらずそれらの言葉は内容空虚のままに亡霊のように独り歩きし、Kの生活に付き纏って彼を悩ませるのだ。
 二度目の"Quintessence"では、トロンボーン・ソロに耳が寄る。やはり音取りが綺麗で、ありきたりな評言だが歌心に満ちていて、明快でわかりやすい。『Azul Infinito』のなかでは、もしかしたらこの曲が一番好きかもしれない。その後、四時ぴったりまでカフカを読み続け、さすがに眠くなってきたので本を置き、明かりを落として寝床に潜り込んだ。


・作文
 10:08 - 10:40 = 32分

・読書
 24:42 - 25:05 = 23分
 25:09 - 25:44 = 35分
 25:49 - 26:20 = 31分
 26:23 - 28:00 = 1時間37分
 計: 3時間6分

・睡眠
 3:20 - 9:00 = 5時間40分

・音楽

  • Ryan Keberle & Catharsis『Azul Infinito』