2019/1/24, Thu.

 まだ暗いうちに一度目覚め、その後七時台にも覚めたと思うが、意識がはっきりしてきたのは八時台後半で、結局起床は九時一〇分。睡眠時間は六時間三〇分なのでまあ順当だろう。ダウンジャケットを羽織って上階へ。母親は何やら外に出ていたが、そのうちに誰かから貰ったらしい林檎と回覧板を持って入ってきた。こちらは洗面所に入り、冷たい水で顔を洗い、また髪を濡らして櫛付きのドライヤーで寝癖を直す。そうして食事は前日のおじやの残りと豆腐とゆで卵。品を電子レンジで温めているあいだに新聞記事をチェックする。一面の、日韓関係の記事、スイスはダボスで日韓の外相会談が行われたという記事を食事の合間に読んだ。母親は、インターネットのサイトを印刷したものらしいクラシックコンサートのチラシを差し出してくる。先日聞いた、父親が社長の代わりに行くとかいうやつだろう。色々なところで開催されているらしいが、東京会場はサントリー・ホールで、値段はJAF会員(JAFというのは何なのか知らない)の特典らしく、S席でも四〇〇〇円だから随分と安いなと口にした。Blue Note東京でも八〇〇〇円くらいはするのだが、クラシックのコンサートなど相場は知らないけれどおそらく一万円くらいはするものだろう。日付は二月二五日とかあったか? こちらは行くかどうするか迷っているのだが、まあまだ先の話だ。そうして食後、抗鬱剤ほかを飲み、皿を洗い、ジャージに着替えてから風呂も洗って自室へ。余計な時間を使わず、一〇時から早々と日記に取り掛かった。前日の分を二〇分ほどで仕上げ、それからこの日のことも書いて一〇時四五分。母親は腰が痛いので医者に行くとか言っていた。
 小沢健二 "今夜はブギー・バック"を流して歌った。それから日記の読み返し。一年前。窓外の晴れの美しさに感傷的な気分になり、無常感を覚えて浸っているが、今はこうしたことはもうなくなった。当時の日記にもそう書きつけているように、こうしたセンチメンタリズムもやはり自分の精神の不安定さを証すものだったのだろう。「道を行くあいだ、やはり少々不安があって、最後のほうではまた頭がぐるぐる回って離人感めいた症状が出てきていたようである。職場に着いてからもそれはしばらく続き、最初のうちは働きながら、自分の行動や言動が自分のものでないようだというか、本当に自動的に適したように動いてくれる感じで、しかしそれで特段の誤りもないのでこれはこれで、自分自身が勝手にやってくれるのだから楽ではないかというような分離の感覚があった」とも。このような離人感も、時折り何となく自分の動作が自動的であるような感じはしないでもないが、少なくとも気になる程度に甚だしいものは今はもうなくなったようだ。それから二〇一六年八月一四日の日記も読んでブログに投稿。そうして一一時半前から三宅誰男『囀りとつまずき』。読み返しとメモ。
 一二時を越えて食事へ。どのタイミングだったか、これ以前に上階に上がって米を三合磨ぎ、炊いておいた。それでさらに卵を二つ、四枚のハムと一緒に焼き、丼の白米の上に乗せる。卓に移り、黄身を崩して醤油を垂らしてぐちゃぐちゃに搔き混ぜたものを頬張る。食べ終えるとさらにカップヌードルを食べることにした。湯を注ぎ、三分待つあいだは目を閉ざして『囀りとつまずき』のことを考えた。そうして醤油味のラーメンも啜って平らげると、脂っぽいものばかりでなく野菜も食べるかということでふたたび品目を追加することにして、台所に立ち、キャベツを細切りにして皿に乗せたその上から大根をスライスした。シーザー・サラダ・ドレッシングを掛けてそれを食すと食器を洗い、鍵を取ってきて散歩に出た。道に出た途端に眩しさが視界の半ば以上を埋める。風は少々冷たく、右方の林の高みで薄緑色の竹の葉がさらさらと音を流している。市営住宅の前まで来るとカラーコーンがいくつも繋がれて仕切りが作られており、道の端のアスファルトが掘られて溝が設けられていた。その前に警備員が一人きりで突っ立っているのを過ぎながら、物凄く暇そうだな、音楽など聞いていてはいけないのだろうかと思った。工事中だが人足はおらず、あたりに車もなく、本当にただ一人で手持ち無沙汰そうに場を守っているだけだったのだ。風に揺らされる葉の音はからからに乾いており、光を受けて白く染まっているものの指で摘めば即座に崩れてしまいそうな質感である。坂を上って行き、裏路地を行くあいだ、眩しさが視界にずっと貼りついてくる。曲がり角に生えている椿だか山茶花だかの紅色の花をつけた低木が、葉のことごとくに光を反映しており、まるで艶めく純白の蝶が無数に宿り休んでいるかのようだった。街道に出て横断歩道で止まると、西の空にただ一つ、菌糸のような小さな雲が擦りつけられている。通りを渡って緩い坂になった裏路地にふたたび入り、正面から吹きつける風のなかを行く。斜面に広がる墓場で卒塔婆がかたかたと揺れて音を立てている。空は澄み切って爽やかな青さに満ち満ちている。前には白く少々もこもことした毛の犬を連れた老人が散歩をしていた。その横を抜かし、保育園を過ぎ、裏道の隅までひらいた日向のなかを行きながらふたたび空を見上げて、目に染み通るような、水晶体の表面の汚れまで見えそうな澄明な水色だと思った。最寄り駅を過ぎて街道の、陽の当たっている北側を行き、遠回りをして道を渡ると裏に入って下りて行く。木の間の坂を下って行けば家はすぐそこである。帰宅すると一時半、自室に戻って、何だか疲れていたのでベッドに寝転がり、『囀りとつまずき』をちょっと読み進めた。二時からコンピューター前の椅子に移って、新たな頁を読み進めるのではなく以前の部分を読み返してノートにメモを取って行く。およそ一時間、それを行って三時に至ると、洗濯物を取り込みに上階に行った。タオルや肌着や足拭きマットを室内に入れ、畳むものを畳んで行く。それからシャツを二枚、エプロンを一枚、アイロンで処理したあと、自分のシャツを自室に持って行こうというところで母親が帰宅した。シャツを置いてきてからふたたび上がると、不二家レストランで食事を取ったのでケーキを買ってきたと言う。彼女が買ってきた品々を冷蔵庫にこちらが収めているあいだ母親は、レストランで食事を取っていると(確かパスタか何かだったか?)最後のほうに至ってビニールの小片が入っているのに気づいた、でももう平らげるところだったから気にせずに食べてしまったのだけれど、その旨店員に伝えると、本当に申し訳ございませんと大層恐縮された、今日はちょうど店長がいない日だったらしく、住所を伺って後日謝罪に向かわせますと言われたのだが、そこまでしてもらわなくて良いと断ったと、そんなようなことをつらつらと話していた。そうしてこちらは下階に下り、FISHMANSの曲を歌ってから(声があまりうまく出なかった)ここまで日記を書き足して、現在四時一五分である。
 三宅誰男『囀りとつまずき』は今のところ六一頁まで読み直してメモを取った。まず、この作品にはそれぞれの断章の冒頭あるいは結びにおいて、文末に「~である」「~がある」の形が使われることが多い。冒頭の「である」が今のところ六回、結びの「である」も六回、冒頭の「がある」が三回、結びの「がある」が四回、それぞれ出てきている。また、『亜人』でも多かった「まなざし」の語はこの作でも多く、今のところ二〇箇所。『亜人』と違うのは、話者が他人の「まなざし」にも自分の「まなざし」を差し向けているところだろう。しかし、あくまで現在のところではあるが、話者が誰かと正面から「まなざし」を交わし合うことはないようで、彼が他者の「まなざし」を見る時は、いつも横から追うような形になっていると思う。固有名詞は現在、「アジア」、「ガーナのファンティ族」、「英国」、「日本」の四つ。話者は日本人ではあるらしいが、日本のどこに住んでいる人間なのかは断定できない(どこであっても良いような記述になっている――と言うことはつまり、読者がこの作品の記述と自らの生活とを重ね合わせられるようにひらかれている?)。時系列は不明。断章群が総体としてどれくらいの時間の幅に収められているかもわからないが、三七頁に、「大震災二年後の夏」と書きつけられているから、少なくともここでは二〇一三年が明示されている。テーマとしては文化批評・社会批評のような側面があるのも特徴で、また、「自意識」に関する観察、考察も結構出てくると思う。文末はほとんど現在形で終わっており、体言止めも時折り使われるが、過去形で終わることは極端に少ない。今のところ目についたのは、二二頁の、「見出される顔に死者と生者のべつがない、すでに常世ともつかぬ地を踏む足どりだった」の一節。また、直接話法の括弧が今のところまったく見当たらないのも特徴である。鉤括弧自体は使われているのだが、それは一つの命題を提示するものだったり、展覧会の名前を示すものだったり、ある種の映像媒体のジャンルの分類だったりするのみで、「声」を括って際立たせるものではない。おそらくこの作品では、「声」は直接話法の括弧を伴わず、すべて地の文のなかに溶け込まされているのではないか。
 良かった箇所をいくつか引用し、紹介しておこう。最初のものは、鋭い社会批評。

 いよいよ期日のさしせまった世界滅亡の日の到来をかれこれずっと首を長くして待ちのぞんでいたのだと語る不気味なほどにほがらかな微笑の、黒い冗談を口にするもの特有のおもねるような露悪とはことなり、凍てついた諦観をごまかすべくとりつくろわれたうわべだけのよそおいであるかのようなあらわれかたであるのにたまらずぞっとする。たとえば巨大隕石の衝突などによりいっしゅんにして灰燼に帰するならまだしも燃えさかる炎のなかで苦しみながら息絶えるのは本望ではないでしょうとたずねるこちらの誘導じみた問いかけにも、それでみんないちどきに死ぬのであればかまうまいと応じるその心理のいびつさがうらうちしてみせる、ほかと一緒なら死ねる論理がほかを道連れにして死んでやる論理と表裏一体をなしているさまを見るにつけ、四六時中の気弱な微笑でおおわれたその顔の薄皮いちまいめくった先でかたくこわばってあるいまさらほぐしようのないひとつの表情、全体主義の狂熱へとたちどころにうらがえりかねぬ危険な意欲にのみおそらくはその雪解けをまねきよせることができる国民的な絶望の表情があることを知る。
 (29~30)

 次は「老い」のテーマの一つ。

 大味の哀愁をただよわせながらわずかに湾曲した背中が一歩また一歩とくりだしていく歩み。ちいさくひきずるとまではいかずとも、高々ともちあげられることもやはりなく、靴裏が地上すれすれをあやうげに滑空するようにして運ばれていく足つきの、はじめの一歩ははやくとも続く一歩の出遅れるところにごまかしようのない老いがたしかにのぞいてみえる。動作から動作へとつらなるその余白で息をつくものの正体が老いであるならば、一歩から次の一歩へといたる継ぎ目で口をひらくものがしだいに拡張されていくにつれておのずとすくわれることになる足どりの、あるとき不意に呆然自失とその場にたちつくしてしまう姿こそ痴呆である。踏みだした一歩のそれからむかうべきところを、次の一歩の支度をようやく終えたころにはすでに忘れさってしまう見通しのたたなさ、惰性のきかなさ、そのつど意志の更新を必要とする記憶の機能不全の魔に、過去をかさねにかさねた老人ばかりが見初められてしまうのはいかにも皮肉な話である。蓄積されたものの膨大さから強要される辻褄合わせに耐えかねて、みずからそのはたらきを放棄してみせる晩年もなかにはあるかもしれない。まぎわにはさぞかし喜悦がつきまとうことだろう。
 (39~40)

 全体として、「歩み」の足もとへの着目と言い、「老い」や「痴呆」に向ける視線と言い、鋭く彫琢されて骨張った具体的な記述と言い、古井由吉を連想させる。

 女と雌犬がまぐわういかがわしい映像を好む得意客。その手の新作がリリースされたときにはかならず在庫を確保しておくようにというくだされてひさしい命令が、あるとき不意に撤回される。事情を問えば、近頃は出演している顔ぶれがおなじでつまらない、もうすっかり飽きてしまったという不機嫌な返答がある。売り場にならべずにおいたものを面前にさしだしてみせれば、こちらのまなざしを誘導するかのようにパッケージの一点を指さし、ほらまたいつもとおなじ黒のラブラドールレトリーバーではないかとしかめ面で指摘してみせる。
 (49~50)

 読む者の見通しを綺麗に裏切ってみせる、ほとんど模範的な形のユーモア。
 上記まで記すと五時過ぎ、食事の支度をするために上階に行った。明かりの点いておらず薄暗い居間で、母親は炬燵に入ってタブレットを弄っていた。こちらは台所に入り、牛肉を炒めることに。ほか、鯖を焼けば良いだろうということになった。それでまず最初にほうれん草を茹でるため、昼に卵を焼くのに使ったフライパンを綺麗にする。湯を沸騰させて汚れを落としやすくした上からキッチンペーパーで拭うのだ。そうしてからもう一度湯を沸かして、ほうれん草をさっと茹でた。母親は水に触るのがもう無条件で嫌らしいのでこちらが冷たさにも怖じずに素手で洗い桶のなかのほうれん草を洗って冷ました。それから玉ねぎとピーマンを切り分け、フライパンに油とチューブのニンニクを落として炒めはじめる。BGMはFISHMANS『ORANGE』を流していた。牛肉の小間切れも入れて赤味がなくなると、もう残り少なかった焼き肉のたれをすべて使ってしまい、味付けをして完成である。それから母親が鯖の一枚を三つに切り分け、ほか、舞茸や葱なども切ったのを、オリーブオイルを垂らして焼く。蓋を閉じながら熱していると、少々焦げついてしまったが、多少焦げるくらいのほうがちょうど良いだろうというわけで仕上げ、ほかには母親がサラダも拵えていたので、もうそれで良いだろうというわけで仕事は終いとなった。自室に戻ると時刻は五時五〇分、多分ここでMさんのブログを読んだのではないか。それからまた『囀りとつまずき』のメモを取って七時、この作品の話者は結構自意識過剰であるというか、他人の「まなざし」に敏感だということに気づいた(それは、自身に向けられる視線に過敏だということでもあるし、他者が何かに向けている「まなざし」に敏感だということでもある)。実際、「自意識」をテーマとした断章は結構多く、今のところこの語は四回、作中に現れてきている(そのうちの一つは、話者自身の「自意識」ではなく、他人のものである)。また、直接話法の括弧にくくられた「声」が見当たらないと上には書いたが、七一頁に至って、《ブレス・ユー[おだいじに]》という形で、二重山括弧を用いた「声」が現れた(話者が「声」の主を目の前にしているわけではなくて、蘇る記憶のなかのそれだが)。今のところ、ここが作中唯一の「声」の現れだと思う。
 食事へ。牛肉やら母親が昼に食ったメンチの残りやらをおかずに白米を貪る。テレビは何だったか――ニュースだったか。特に印象深く覚えていることはないようだ。即席の味噌汁も飲んで、食事を終えて薬を服用するとすぐに風呂に行った。湯のなかで静止し、目を閉じて休んでいるうちに、二〇分かそこら、結構な時間が経ったと思う。それで出てくるともう八時半も過ぎていたのではなかったか。自室に帰って――そう言えばそうだ、食事の最後に母親の買ってきたショート・ケーキを食べて、これが美味だった。何しろ一つ五五〇円もするというからそれは美味いに違いないのだが、上に記したような経緯があったのでケーキ二つは無料になったのだと言う。得をしたものだが、母親は、かえって悪かったと恐縮していた。それで自室に帰ると、書抜きの読み返しを行った。一月一三日、八日、五日の三日分。米国で二〇一二会計年の予算を策定する際に、議会は沖縄とグアムの双方に軍事拠点を設けるのは現実的に不可能だと主張して、普天間基地を沖縄に返還するとともに人員や装備などを嘉手納基地に統合する案を提案していたのだが、これは結局実現されなかったとかそういったことを頭に入れるよう試みる。それで九時半前、そこからErnest Hemingway, The Old Man and the Seaを読んだ。

  • ●61: It looked now as though he were moving into a great canyon of clouds and the wind had dropped.――drop: 風が凪ぐ
  • ●63: he tried to keep the cutting across the calloused parts and not let the line slip into the palm or cut the fingers.――calloused: 胼胝のできた
  • ●63: There was plenty of line still and now the fish had to pull the friction of all that new line through the water.――friction: 摩擦

 また、この作品では動物にwhoの関係代名詞が用いられたり、海がsheという代名詞で名指されたり、動物や事物が人と同じような扱いを受けているというのは前々から言っているところだが、この日読んだ箇所では、老人が自分の「手」をもheで指し示しているのが観察された。ほか、六四頁にまた一つ"strange"の語が出現している。この作品では"strange"な現象や事物がそこここに散りばめられている。
 その後、『囀りとつまずき』を読み進めようとしたのだが、ベッドに転がるとその最初から瞼が落ちているような有様で、いくらも読まないうちに力尽きて意識を失っていた。気づくと、一時二五分である。歯磨きもしないでそのまま眠ることにして消灯し、まもなく安穏とした眠りのなかに吸い込まれていった。


・作文
 10:01 - 10:45 = 44分
 15:49 - 16:38 = 49分
 16:51 - 17:11 = 20分
 計: 1時間53分

・読書
 11:03 - 11:22 = 19分
 11:27 - 12:17 = 50分
 13:29 - 13:50 = 21分
 14:03 - 15:00 = 57分
 17:51 - 18:17 = 26分
 18:18 - 18:53 = 35分
 20:50 - 21:22 = 32分
 21:23 - 22:10 = 47分
 22:11 - ?
 計: 4時間47分+α

  • 2018/1/24, Wed.
  • 2016/8/14, Sun.
  • 三宅誰男『囀りとつまずき』: 71 - 80
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-20「芍薬と化石と地図と積雲と灰と指輪と給水塔と」; 2019-01-21「未来から不意打ちされる昏倒は資本が見る夢病は気から」
  • 2019/1/13, Sun.
  • 2019/1/8, Tue.
  • 2019/1/5, Sat.
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 60 - 64

・睡眠
 2:40 - 9:10 = 6時間30分

・音楽