2019/4/30, Tue.

 一一時三五分起床。いつもながらの怠惰な寝坊だが、就床したのが四時なので睡眠時間は七時間三五分と、意外と適正の範囲である。上階に行き、ソファに就いてテレビを見ている父親に挨拶。母親は確か「K」の仕事だと言っていたと思う。いや、違ったか? それは明日、五月一日のことだったかもしれない。ともかく不在である。昨日まで着ていたジャージを洗ってくれたらしく、居間の隅の物干し竿に吊るされてあった。それはまだ乾いていないだろうと思ってもう一つのジャージを取りに仏間に入って箪笥を開けたが、そこに目的のものがない。居間の隅や、洗面所も見て回ったけれど見つからないので、ジャージがないぞと父親に言うと、あれじゃないのかと吊るされているものを指す。それで近寄って触ってみると、温風を吐き出しているエアコンの真ん前に吊るされていただけあって既に乾いていたので、これを着ることにした。着替えて便所に行き、膀胱を軽くしてから洗面所で顔を洗い、それから台所に入って前日の天麩羅の残りを小皿にいくらか取り分け、電子レンジで一分二〇秒加熱した。加熱しているあいだに白米を椀によそり、卓に運んで新聞を瞥見すると、一面では今上帝が今日退位と大きく取り上げられていた。天麩羅も持ってきて食事を始める。テレビは爆笑問題の二人や、あの指原何とか言うAKB48の人(だと思うのだがよく知らない)が出演していて、平成時代を振り返るみたいな番組をやっていた。食事を終えると台所に行って水をごくごく飲み、さらに一杯汲んできて抗鬱剤ほかを服用すると、食器を洗って下階に下りた。ソファに就いた父親は祭りで履く草履を何やら加工しているようだった。
 Art Blakey Quintet "Split Kick"を流し、タングトリルで各人のソロの旋律を追って歌う。それからcero "Yellow Magus (Obscure)"を流して歌ったあと、音楽はFISHMANS『Oh! Mountain』を流し出して日記を書きはじめた。一二時一七分から一七分間で現在時に追いつかせることが出来た。髭がぼさぼさと伸びっぱなしなのが少々気になってきた。母親にも剃れ剃れとやかましく言われている。
 前日の記事を投稿し、Twitterを眺めたあと、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しっぱなしのまま、一時から読書を始めた。ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』である。「愛の彼方の変わることなき死」をすぐに読み終えて、いよいよ『族長の秋』に踏み入った。この小説を初めて読んだ頃はその威力に完全にやられてしまって、冒頭の数頁など完璧に覚えきって暗唱できるようにしようと日々口に出して読んでいたものだ――そして実際、三頁か四頁くらいは暗唱できるようになったのだったと思う。そのくらい入れ込んだ作品であるわけだが、今回で読むのは六回目か七回目かになるはずである。さすがに往時のように大きな衝撃を受けることはもうないが、それでもやはりガルシア=マルケス特有の骨太な密度を持った記述は魅力的で、また昔に比べてこちらの注意力や読みの精度も上がっているので、細かな箇所に新しく感応することができる。例えば、一四〇頁から一四一頁に掛けては、「奥のほうに、よく馴染んだ土や樹液や小雨ごと、巨大な温室付きの船に乗せて小アジアから運ばせた、シダレヤナギが見えていた」という一文があるのだが、「土」や「樹液」を運ぶのはまだ理解できるものの、「小雨」という自然現象を「船に乗せて」運ぶというのはどういうことなのか訳がわからない。ところが、それが可能なのがガルシア=マルケスの世界なのだ。このようなさりげない部分、たった一語のささやかな記述によって、このあとも様々な奇想が繰り広げられる壮大な超現実の世界が準備されているわけだろう。「雨」というものをどのように運ぶのかと、現実的な解釈を考えてみても仕方がない。そのように書かれているからには、現実離れした事柄であっても、この小説においてはそのようなことが確かに起こっているのであって、あることを書けばその世界のなかでは書いた通りに現象してしまうというこの性質が、小説言語のいかがわしい、いかにも破廉恥なところだ。
 音楽はFISHMANSの次にBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 3)を繋げて、二時半前まで読書を進めた。それからcero "Yellow Magus (Obscure)"を流して口ずさみながらジャージを脱ぎ、臙脂色のシャツと、先日買ったばかりのガンクラブ・チェックのズボンを身に纏った。そうして上階に行き、母親に出かけることを告げると、浴室に入って風呂を洗った。風呂を洗いながら何となく、立川の叔父宅に遊びに行こうかなという考えが生じていた。それで浴室を出て居間に来ると母親に、立川の家に遊びに行こうと思うが良いかと伺いを立てると別にいいよとの答えが返ったので、自室に戻ってYさん(叔母)に突然ですまないが今日遊びに行っても良いかと尋ねるメールを出した。そのあとリュックサックにコンピューターと本を収め、BANANA REPUBLICのブルー・グレーのジャケットを羽織って上階に行った。羽織ったばかりのジャケットをソファの上に脱いでおき、洗面所に入ると後頭部を濡らして寝癖を整え、それから電動髭剃りで伸ばしっぱなしだった髭をあたった。剃刀を行き来させていくらかひりひりした肌に化粧水を染み込ませておくと、母親が、サブレを持っていったらと言う。そのほか、筍やほうれん草などもと言って、こちらは荷物が多くなるし野菜は良いだろうと思っていたのだが、母親は構わず準備を始めた。それで、銀色の保冷袋に収められた野菜類――筍に椎茸、ラディッシュか何かの葉っぱにほうれん草――と、東京牛乳サブレとかいう品をリュックサックに入れ、本やコンピューターと合わせて満杯になったそれを背負って出発した。雨が降っていた。傘をひらいて道に出てすぐ、年金の支払い書を忘れたことに気づいたので家に戻り、忘れ物と言って居間に入っていき、自室に戻って支払い書をリュックサックの小さなポケットに収めた。もともと今日出かけることにしたのは、年金の支払い期限がまさしく今日までだったためなので、これを忘れては元も子もない。そうしてふたたび出発し、傘を差して歩いていく。
 雨は細かいが鋭く素早く落ちて、加えて軽く風に乗っていくらか傾くので、街道に出た頃にはせっかくのジャケットが早くも湿っていた。今更の思いだが、青梅駅まで三〇分掛かる徒歩を取ったのは選択の誤りだったのであって、最寄り駅から電車に乗るべきだったかもしれない。斜めに掛かってくる雨を防ごうと傘を前方に傾けて、制限された視界のなか、足もとに視線を落としながら進んで行く。そんな調子だったので特段に興味深い事物は見ず、せいぜい鶯の音が湿った空気のなかを渡って響くのを聞いた程度である。
 青梅駅に着くと傘を閉じて改札を抜け、発車まで一、二分だったので歩速を少々速めて階段を下り、上りの方は一段飛ばしで大股に上がって行って電車に乗った。この日は席には就かず、扉際に立って、手帳を出して眺めることもせずに、茫漠と白い空の下、雨に濡れた町の様子にただ目をやった。そうして河辺に着くと降車する。ホームの真ん中に、中国人の女性ばりに大きな声で電話をしている年嵩の女性がいた。その横を過ぎてエスカレーターを上がり、改札を抜けると窓の外では遥かな山並みが白く煙った姿を背景に燕が飛んで宙を横切り、鳩が建物の屋上に止まっている。駅舎を出て傘をひらいて高架歩廊を渡り、図書館の入口に掛かると閉じた傘をばさばさやってからなかに入って細長いビニール袋を一枚取った。口を指で広げながらそれに傘を収めて入館し、CDの新着を確認すると、Bob Dylanのライブ音源が二つ入っていて、これは是非とも借りたいがその時は今日ではない。上階に上がって新着図書には特段に目新しい顔は見当たらなかった。書架のあいだを通り抜けて大窓際の座席を見ると、一つ空いているものを発見したのでそこに入り、リュックサックを足もとに下ろして寝かせないように――筍が水に浸かっているからだ――注意して席の柱に凭せ掛けて立て、濡れそぼったジャケットを脱いで椅子の背に掛ける。それからコンピューターを取り出すと起動させ、日記を書き出したのが四時前だった。そこから三〇分ほどでここまで綴ることができた。
 余計な時間を使わずに立川に向かうことにした。コンピューターをリュックサックのなかに仕舞って立ち上がり、大方乾いたジャケットを羽織ってリュックサックから財布と年金の支払い書を取り出した。財布はジャケットの右ポケットに入れ、腕時計をつけ、手帳を机上から取って胸の隠しに入れると、支払い書を片手に歩き出した。イギリス史や中東史、中国史の本が並んだ書架のあいだを通り抜け、階段を下りて退館した。傘の袋をそれ用に設けられたダスト・ボックスに捨て、自動扉をくぐって外へ出ると、傘を差して高架歩廊に踏み出て、階段へと折れた。階段を上ってきた男二人――まだ少年のような面影を残した威勢の良さそうな若者たち――とすれ違うと、香水か洗剤か、香るものがあった。
 コンビニに入って真ん中のレジに寄り、お願いしますと言って男性店員に年金の支払い書を差し出した。ご確認をお願いしますと言われて画面に表示されたパネルを押し、二万円と小銭を払うと店員は実に素早い手付きでレジを打ち込んだ。釣りを貰って礼を言い、退店する前に店内の片隅でリュックサックを下ろして財布と年金支払い証書をなかに入れ、外に出ると傘をひらいて駅に向かった。エスカレーターを上がって駅舎に入り、改札を抜けてホームに向けてエスカレーターを下りるとちょうど立川行きが入線してきた。それで先頭車両に乗って、七人掛けの端に就き、リュックサックを立てて脚のあいだに置いた。
 電車内は空いていた。手帳を取り出して、メモしてある事柄を、時折り目を閉じて心中で唱えるようにしながら復習していく。こちらの位置から見て左斜め前の七人掛けの中央には、サラリーマンと同僚の女性二人が就いており、何やら仕事の話をしているようだった。左から男性、女性、女性の順番で座っており、スカートを履いている端の女性は背を曲げて身体を前に出し、大方男性の方を向いていてこちらには横顔をほとんど見せず、熱心に話を聞いているようだった。
 立川に到着すると急がず人々が降りていくのを待つ。手帳を見たまま少々時間を取り、そろそろ階段からも人が捌けただろうというところで降車して、たった一人で階段を上った。改札を抜けると、平成最後の日ということが関係しているのか否か、今日も立川は大層な人出で、壁画前には壁から盛り上がるようにして待ち合わせの人々が並び立っていた。LUMINEに入り、エスカレーターに乗って六階を目指す。A家に行く前に駅ビルに寄ったのは、先日ららぽーとFREAK'S STOREで試着してみたガンクラブ・チェックのブルゾンがこちらのFREAK'S STOREにもあるのではないかと確認しに来たのだった。それで六階で下り、FREAK'S STOREの店舗に入って回ってみると、チェック柄のブルゾンは見つかったのだが、こちらはグレーのグレン・チェックのもので、先日見たベージュのガンクラブ・チェックのものとは微妙に風合いが違う。どうしようかと考えながら他の品物を見て回った。ひとまずここでも試着するだけはしてみることにして、竿に掛けられたものを取って近くの男性店員に目配せをして、試着、よろしいですかと尋ねると、そのまま羽織りますか、試着室を使いますかとあったので後者を選択すると、ちょうど試着室は使われているところだったので、空いてからご案内しますとなった。それでさらに店内をうろついて、靴や靴下などのアイテムも見て時間を潰していると声が掛かったので先導に従って試着室に入った。ジャケットを脱いで代わりに羽織るだけなのでカーテンを閉める必要はないのだが、閉ざされたカーテンの後ろでグレン・チェックのブルゾンを身に着けた。ちょうど先日買ったガンクラブ・チェックの今履いていて、微妙に異なる柄同士を組み合わせた形になったのだが、そこまで変ではないように思われた。ちょっと経つと店員がカーテンの向こうから話しかけてきたので、幕をひらいて、こんな感じですと姿を披露した。似ているチェック同士なので違和感はないですねと彼は言う。店員はこちらのパンツに目をつけて、それはうちの品ですかと訊くので肯定し、先日ららぽーとに言ってきて買ったのだと答えた。その時に、同じ柄のブルゾンがあるじゃないですか、セットアップみたいにしてそれも試着したんですけれど、それがこちらにもあるかなと思って来たんですと話すと、店員は相貌を崩し完売しちゃいましたと言った。それでこちらも、そうですかあと、残念な情を籠めた、眉の下がった笑みを浮かべる。
 こちらがシャツをズボンのなかに入れて、ブルゾンのファスナーを閉めてきっちりと着込んでいたのに対して店員は、是非シャツの裾を出して、ひらいて着ていただいた方が、と勧めて来たのでそのようにしてみると、確かにその方が固くなりすぎずに良いようだった。セットアップでないのが残念だが、柄が違っていても微妙な差異なので変というほどではない。しかしどうしたものかなあと思いながら店員にふたたびカーテンを閉めてもらい、ブルゾンを脱いだ。そうして幕をひらいてシャツ姿のまま店内に踏み出し、店員にもう一着いいですかと声を掛け、真っ黒の固めの織りの、しっかりとした生地のジャケットを手に取ると、店員はあ、良いと思いますと言った。試着室に戻ってそれも着てみると、こちらも悪くない。Lサイズだったのだがゆったりと着れる。店員の話では、Aラインもさほど絞っていない品なので、また織りも固くなっているので腕をまくったりしてカジュアルに着れるとのこと。今日の格好だったら、こっちですねと彼は言った。
 持っているのがジャケットばかりなので、カジュアルな方面にもちょっと挑戦したいんですよと話した。すると店員は、もっとカジュアルにしたければ、やはりなかをTシャツにすることだと言って、白のシャツを持ってきた。お持ちですよねと問われたのには、いやそれがね、と置いて、Tシャツを一枚も持っていないんですよと笑う。襟付きのシャツばかり着ていて。それでしたらということでさらに彼が持ってきたのが、何と言っていたか忘れたが、何とかネックというタイプのもので、首周りが窄んでおり、襟付きのシャツに似た着心地が味わえるのだと言う。
 それから彼は、羽織りをお求めですかと訊いてきたので、そうですと肯定し、もう春だし薄手の羽織りが何かあればなと、と言った。何かお勧めはありますかと問うて店員が持ってきたのは二品で、一つは真っ黒の、シアサッカーという素材あるいは織り方の、ジャンパーめいた上着だった――コーチ・ジャケットと言っていたか? これも悪くなく、軽い着心地で、店員によるとややスポーティーに着こなせるとのことだった。
 もう一つはオリーブ色の薄手のシャツ・ジャケットのようなもので、オリーブは着たことのない色なので新鮮な感じがした。オリーブにも色々あって、と店員は語る。カーキ色に近いものとか、フォレストと言っていかにもな緑色のやつとかあって、それらはやはり秋っぽいのだけれど、この品は明るくで春でも着れるような色味のものだと言う。今日のなかだったら、僕としてはこれが一番お勧めですねと店員はこの品を推してきて、確かに実際なかなか良かったのだ。それでもやはりこちらとしてはチェック柄のブルゾンに未練が残っていた。それで最後にもう一度着てみても良いですかと問うて了承を取り、オリーブ色のジャケットを脱いで値段を見てみると、こちらは一六八〇〇円だかしたので、これはさすがに高すぎるなと判断された。
 そうしてもう一度グレン・チェックのブルゾンを羽織ってみると、やはり軽く爽やかな着心地でしっくり来る。しかしセットアップでないのがやはり残念だと同じことを思いつつ店員に、こうしたチェックとチェックの組み合わせはありなんですかねと尋ねると、そこはもう本当に個人の好みになってしまうから、自分で着れると思ったらどんどん着ていくのが良いと思うけれど、と留保が入った上で、でも僕としてはなしですかねと店員は笑って、ここで少々本音が出たような気がする。しかしそれは柄と柄の組み合わせが変だと言うよりは、彼の好みとしておそらくもっとカジュアル寄りなので、パンツにガンクラブ・チェックのトラッドでフォーマルなものを履いているのだったら、もっとワーキング風味な品などを上着には選んでやや外しを入れていくべきだとの考えだったのではないかと推測する。実際彼の格好も、ペイズリーのような柄のジャージ(と本人は言っていたのだが)に、上は軽めのジャケット、インナーはオレンジっぽいような色だった気がするのだが、そのように、カジュアルとややフォーマルな品を組み合わせた服装だったのだ。カジュアルな方面を試したいのだったら、やはりワーク・スタイルの品などが合わせやすいと言った。FREAK'S STOREと言うとアメリカン・カジュアルのイメージが強いかもしれないが、フランスなどヨーロッパの方からも品物を取り寄せており、そちらの方の服は結構綺麗目のスタイルにも合わせやすいのだということだった。
 彼は色々と丁寧に話してくれたのだったが、その内容を全然覚えきれず、上の程度の記述になってしまった。それで最終的に、セットアップでないのがやはり残念ではあるが、しかし別にガンクラブ・チェックのズボンと合わせて着なくたって、独立に着たって良いのだというわけで、グレン・チェックのブルゾンを購入してしまうことにした。カーテンを閉められたその裏で服を脱ぎ、ジャケットを元通り着込んで、ブルゾンを畳んで持って試着室を出ると、店員に、こちらを頂こうかと思いますと宣言した。そうして会計。FREAK'S STOREのアプリなどは登録されていますかと言うので、いやと否定し、僕、携帯がガラケーなんですよ、駄目ですよねと訊くと、カードを作ることは出来るが、アプリにログインできないのでポイントをつけられないかもしれないとのことだったので、笑って、仕方ないですと答えた。文明から遅れている人間なんでと言うと、店員は一体どんな根拠か、いや、大事なことですよと言い、僕もそういうこだわりがあるんですなどと話しながらそれについては詳しくは語らず、でも僕、携帯は全然iPhoneですけどねと笑うので、こちらも、何やねんそれと笑いを返した。そうして一二七〇〇円を支払い、雨除けのカバーをおつけしましょうかと訊かれたので、お願いしますと頼む。店員は服を畳んで透明なビニールに包み、緑色一色の袋にそれを入れると口を大きめのシールで封じ、それから雨除けのビニール袋を取り出すとばさばさと振ってその口をひらき、ショッパー・バッグに被せた。それでありがとうございますと言いながら品物を受け取ったあと、さらに続けて、色々とありがとうございましたと礼を繰り返し、右手を差し出して笑みとともに握手を求めた。差し出されてきた手を握ると相手は、Tと申しますと言うので、Tさんなんですね、と応じ、最後にもう一度ありがとうございましたと礼を言って店舗をあとにした。
 エスカレーターを下って一階へ。菓子類を売る店舗がひしめき合っているフロアである。立川の家を訪れるに当たってまた何か洋菓子の類を買っていくつもりだったのだ。ロールケーキが良いだろうと考えていた。過去にA家を訪れる際にはよくロールケーキを買っていったものだから、それを踏襲しようと思ったのだ。それでガラスケースのなかに視線を送りながら歩きはじめると、フロアに下りてすぐのところの、DOLCE FELICEという店舗に、フルーツ・プリン・ロールケーキがあるのを早速発見した。九〇〇円と値段もまあ手頃である。それに目を留めておいてからフロアをさらに回ってみると、ほかにもロールケーキは二、三発見されたが、一五〇〇円とか二二〇〇円とかでなかなか高い。それで先の品物に早々に心を決めたのだけれど、九〇〇円の品一つだけでは何となく物寂しい。どうしたものかとDOLCE FELICEの前に戻ってガラスケースのなかを眺めていると、「エクレール・~~」という名前の、横に長いシュークリームのような類の品が三種類あったので、これを一つずつ買っていってそれぞれ二つに分けてもらえば六人分になってちょうど良いではないかというわけで、これをロールケーキと合わせて購入することにした。それで、ガラスケースの向こうの女性店員に、よろしいですかと声を掛けて、フルーツ・プリン・ロールを一つ――元々一つしか残っていなかったのだが――と言い、それに、このエクレール・シリーズがありますね、この三種類をそれぞれ一つずつ、と注文した。エクレール・シリーズの品は、それぞれ、「エクレール・フレース」、「エクレール・フリュイ」、「エクレール・マロン」という名前だった。マロン以外は意味がわからない。エクレールというのはエクレアのことなのだろうか? ともかくそれで一七八二円を支払い、店員が品物を用意してくれるのを待つ。ここでも雨除けのカバーをお掛けしますかと訊かれたので、お願いしますと頼んだ。店員はまだ新人の方だったのか、箱二つを入れる袋のちょうど良いサイズを一度で見極めることが出来ず、何度か選び直していた。それから雨除けのカバーをつける際にも先輩らしき店員に手伝ってもらっていた。それで作業が終わると女性店員が、大変お待たせ致しましたと言いながらカウンターの裏から出てきて袋を渡してくれたので、ありがとうございますと礼を言ってその場をあとにした。
 のろのろとしたエスカレーターを上がって二階から駅舎のなかへ出た。コンコースには見渡す限り無数の人の頭の作り出す波がうねっている。そのなかを通って南口に行き、高架歩廊から下の道に下りた。いつもはマクドナルドの手前を西に折れて行くのだが、たまには違うルートを取るかというわけで、向かいのマクドナルドの方に横断歩道を渡って、高架歩廊の下で雨を避けながら南に向かった。そうして大きな通りに突き当たるとさらに南側の歩道に渡り、西に折れる。そうして交差点に至るとさらに左、南側に折れて、裏通りに入ってA家を目指した。左手に紙袋二つを持っていたが、荷物を持っているために手の位置が下がって、小さな傘では雨を避けこれずに袖のあたりが濡れそぼってしまった。
 A家に着くと傘をばさばさやって閉じ、インターフォンを鳴らした。しばらく待っても出てこなかったのでもう一度鳴らすと、ばたばたという足音がしてYさんが出てきた。あんた随分濡れてるじゃないと言って、タオルを持ってきてこちらの腕を拭いてくれた。これ、とケーキの袋を示すと、そんなのいいのに、と言ったが、立川の皆はいつも大袈裟に喜んでくれるのでこちらとしても買っていく甲斐がある。それで靴を脱いで上がり、廊下を通って居間の方に入った。YとYちゃん(叔父)がいた。どうもお邪魔しますと言いながら入っていくと開口一番、Yちゃんが、何お前、丸くなってんの、というようなことを言った。笑って、太ったんだと受けると、いいよ、実にいいよとYちゃんは言った。ジャケットを脱ぎ、Yの持ってきたハンガーに掛けてもらって、居間の入り口から見て向かい、炬燵テーブルの長い辺の位置に座って、掘り炬燵に足を入れた。
 調子は良いのかと尋ねられたので、お蔭様でと返す。昭和記念公園など、人が凄いとYちゃんは言った。どうやら右翼と左翼の人々がどちらも集まってそれぞれ街宣しているらしい。一方は天皇を崇め、もう一方は天皇制の廃絶を訴えているわけだろう。それで昨日立川の街に出たけれど、どこも渋滞していて一回りするのに二時間だとYちゃんは言った。彼はこのゴールデン・ウィークは特にどこにも出かける予定がないのだと言う。ずっとここにいて(と自分の席を示して)、酒を飲んでいると言う。晴れていればさっさと外に出てしまってサイクリングなり何なりするが、雨だと出かけられないので、ずっと家中にいてテレビを見ていると。しかしテレビだって大して面白くないでしょうと言うと、そうなんだよと彼は嫌な虫を見た時のような表情をした。あとになってDVDでも見ればいいじゃないとこちらが提案した時には、その言葉をYさんが即刻捕まえて聞いてよ、と言い、私もそう言ったのよと話す。Yさんは明日まで仕事があって、子供たちもそれぞれに予定があるから、そのあいだYちゃんは一人で時間を潰さなければならない。それでDVDでも借りておいて見れば良いじゃないとYさんも言ったらしいのだが、何故だかYちゃんは嫌だと固辞したらしい。
 食事はまず、微かに山葵の混ざった菜っ葉の和え物。山葵は大丈夫かと訊かれたのだが、こちらは唐辛子系統の辛さは比較的苦手でも、山葵はわりと好きである。今、駄目な食べ物はあるのかとYちゃんが訊くので、端的に、キムチ、と答えた。
 その次に鰹節の掛かった豆腐。そして茄子の煮浸し。茄子は大丈夫かとふたたび訊かれるので、大丈夫だ、むしろよく食べるし自分は茄子をよく買うと答えると、Yちゃんが、買うの? と。彼は野菜を自分で買ったことがない――三〇年も!――と言う。Yちゃん(というのはこちらの父親のことである)だって買ったことがないだろうと言うので、ないだろうねとこちらは同意する。しかし、茄子は豚肉と一緒に炒めれば楽に美味い一品が出来て簡単なのでこちらはよく買うのだと繰り返す。
 メインのおかずはレタスとマヨネーズを添えられた豚肉の炒め物だった。塩ダレかポン酢を掛けて食べてくれと言うので、半分ずつそれぞれを掛けて、豚肉とともに白米を貪る。そのほか、手作りのマカロニグラタンも出てきて大変満足する食事だった。食事に関して言えば、最近は筍の天麩羅をよくやっていると話す。するとYちゃんはここでも、お前がやるの? と意外そうな様子だった。そうだと、俺が揚げているのだと答える。
 テレビは最初のうちは改元関連の話題を取り上げていた。最後の言葉を述べる今上帝の様子が流れるのに対してYがこの人たちは五月一日から何をするのかなあなどと漏らしたのに、Yちゃんが、でも息子たちのことが気になって仕方がないと思うよ、あれだけ人々に受け入れられる存在になって、象徴天皇としての務めを次の代もきちんと受け継いでいけるか、というようなことを言った。テレビはその後、主に『開運! なんでも鑑定団』が映し出されていた。これも平成最後ということで、平成時代に取り上げられた高額の宝であったりとか、鑑定人たちの心に残っている一品だとかが紹介されていた。番組の最後の方で石坂浩二が出てきたのだが、この人は本当に若いなとこちらは口にした。Yが携帯で調べたところ、七八歳らしいのだが、髪だって豊富にあって綺麗に撫でつけられているし、グレーのスーツもきちんと整っていて非常に格好良い、紳士然とした佇まいで、姿勢の綺麗さや細かな身振り、動きの感じが、八〇を目前にした老人のそれとはとても思えなかった。
 番組の途中では渡辺崋山の絵などが取り上げられて、蛮社の獄だなとこちらは口にした。その流れだったと思うが、Yが意外と日本史の知識を持っていることが判明した。大学入学時に日本史で受験したからである。モリソン号事件とか安政の大獄とか知っていて、いや、勿論普通に勉強した人間であれば名前は知っているのだと思うが、Yは決して勉強が得意な方ではないからこれは結構意外だった。あとあとになっては、Yちゃんやこちらが秋篠宮殿下の話をしていた際に、部屋の反対側にいたYが、紫香楽宮は、などと言い出したので、紫香楽宮聖武天皇だとこちらは突っ込んだのだけれど、紫香楽宮なんて高校日本史のなかでも結構マイナーなワードではないだろうか。秋篠宮家について話していた話というのは、Kのやつが秋篠宮家が嫌いだと言うか、彼らはあまり頭が良くないと批判しているらしく、一体どんな根拠でそんなことを言っているのかわからないのだけれど、ともかくそんなことを言っているらしい(小室圭氏の件は特に関係がないらしい)。それで、あいつ、根性が捻じ曲がっちまったんじゃねえのなどとYちゃんは漏らしていた。そのKは今日は不在で、何でもまた彼女の家に入り浸っているという話である。
 Kは予備校で働いているのだけれど、東大に行くような子供たちの相手をしていて、彼が話すには子を東大に行かせたいという家庭の親は、碌でもないと言うか、やはりどこか壊れているようなところがあるのだと言う。やはりモンスター・ペアレントみたいな人がいるのかもしれない。その対応に彼は日々追われているのだろう。しかし東大に行ったからって凄いとは限らないじゃないかと、そんな話をしている最中にこちらがYちゃんに向けると、まったくその通りと彼は深く頷く。そんなことは問題じゃねえんだ、東大に行ったって悪いことをするやつもいるし、性格がとんでもないやつだっているし、人とコミュニケーションを取れなかったりするやつもいるし、と。こちらとしては、やはり人間の人間たる能力というのは創造性にあるのではないかと何となく思っていて、だから頭が良いとか賢いとか言うのは勉強が出来る仕事が出来る云々よりも、発想力などの問題、自分に備わった創造性をいかに十全に発揮できるかに掛かっているのではないかというようなことを考えた。だから学歴などまったく問題ではないとその点はこちらも同意するのだが、しかしまあ東京大学に行くくらいに優秀な地頭を持っている人々だったら、やはり創造力の面でも優れている人が多いのかもしれない。
 Yは中学校の体育教師をしているのだけれど、先日も聞いた話だがやはり非常に忙しくて、このゴールデン・ウィークに入るまでに休みが一日だか二日くらいしかなかったという話だ。相当にブラックな職場環境らしい。親父が寄れって言ってたぜと言うと、そのうちに本当にお世話になる時が来ると思うと彼は答える。このゴールデン・ウィークで体力を回復させないといけないと言うが、しかし青梅大祭には遊びに来ると言う。是非そこで鋭気を養って五月病を回避して頑張ってもらいたいものだ。
 ケーキはどれも好評だった。K子もYさんもYちゃんもYも喜んでいた。Yちゃんが、でもS、うちに来るのにそんなに心配しなくていいんだぞ、と何度も言うので、別に心配などしていないとこちらは答える。心配しなくていいというのは気を遣わなくていいという意味なのだが、それに対しても、別に気を遣っているわけではなくて、たまのことなのでケーキでも買っていって皆が喜んでくれればそれでいいかなと思って、と答えた。ロールケーキもエクレールも美味であった。ロールケーキはなかにプリンが入っていて、このプリンがなかなか美味いものだった。こちらはロールケーキを二切れ頂き、エクレールはK子が余分に一つ食って、Kの分はなくなった。
 結構あとの方の時間になって、テレビCMで小沢健二 "ラブリー"のカバーが流れた時があったので、小沢健二ではないかと言うと、Yちゃんは、オザケン、何か有名なのあったよなと漏らす。それで、"今夜はブギー・バック"とかとこちらが言うと、Yがその場で携帯を操作してyoutubeの動画か何か流してくれたのだが、YちゃんにもYさんにも聞き覚えはないようだった。こちら一人、流れる音楽に乗って身体を揺らしていたのだが、じきにその音も会話に紛れていった。
 例によって、本当はもっとたくさんの会話があって、たくさんの差異が時間のなかに生まれていたのだけれど、それを十全に記憶して書き記すことはこちらの能力を越えている。ああしかしあと一つ書き忘れていたのは、新しく買った服のお披露目をしたことだ。今日さあ、LUMINEに言ってさあ、服、買っちゃったんだよと、ちょっと浮かないような表情で漏らすと、Yさんがいいじゃないと言う。金を使っちゃったんだよとこちらは続けて、居間の片隅に置いてあった紙袋を持ってきて、なかのものをお披露目した。皆の反応は大体好評で、お洒落じゃない、といった類のものだったが、Yちゃんなどは、でもそう言われたら悪いなんて言えないじゃんと漏らして、それは確かにその通りだ。Yがちょうど、似たようなチェック柄のジャンパーの類を着ていたので、似てるじゃん、お前(とYに)俺のと同じじゃんとか思っているんだろ、とYちゃんは冗談を言う。それでこちらが買ったブルゾンをYちゃんに着せてみたりしたのだが、Yさんの評価では、似合わないよとのことだった。また、Yにもこちらの着てきたBANANA REPUBLICのジャケットを着せてみたのだけれど、これが相当に似合っていて、サイズもぴったりで、皆格好良い格好良いと褒めそやした。じゃあ頂きますか、などとYやYちゃんは冗談を言うのだけれど、さすがにあげるわけには行かない。このジャケット、いくらだと思う、と皆に問いかけた。それぞれめいめいに答えたあと(Yちゃんは一人低めで、三五〇〇円などと言っていた)、もともと三万五〇〇〇円の品が、古着屋で八〇〇〇円、しかも未使用品だったと告げると、それは良い買い物をしたねえとの反応があった。
 まあそんなところで良いだろう。一〇時を迎えると、もう一〇時なのでそろそろ帰りますと言い出した。ジャケットを羽織ってリュックサックを背負い、ありがとうございましたと皆に挨拶すると、またいつでも来いよ、うちはいつでもウェルカムとYちゃんが言ってくれて有り難いことだ。それで居間を抜け、廊下を通ってもと来た扉、あれは勝手口なのだろうか、わからないが、外に出ると雨はまだ少々細かく降っていた。門のところまでYさんが来てくれたので、ありがとうございましたと礼を言い、戸口で見送ってくれたほかの三人に向けてじゃあねと手を振って歩き出した。来た時とほとんど同じルートを辿って駅まで行き――いや、同じルートではなかった。途中、立川南駅のところででエスカレーターで高架歩廊に上がったのだった。それでアレアレアの横を通って駅舎まで行くと、駅舎に踏み入ったあたりから周囲に下水道のような臭いが立ち籠め始めたのだが、あれは雨で濡れた床に人々の靴についた汚れが混ざって生まれたものだったのだろうか。その傍証として、コンコースのなかの方に進んでいって床の乾いた地帯に差し掛かると臭いは消えた。
 改札をくぐり、一番線に下りて進行方向から見ると最後尾の車両に乗る。扉際を取り、手帳を取り出して眺めた。車内にはギャルじみたぱさぱさとしたような茶髪の女性二人とか、白に近い金色の髪の裾をピンクに染めたややロリータ・ファッションの女性などがいて、ゴールデン・ウィーク感があると言うか、都市の感があると言うか、色々な人がいるなあと思われた。手帳は拝島に着いたところで仕舞い、それから先は携帯電話をかちかちやって今日のことをメモしはじめた。あっという間に青梅に着き、降りると二番線で乗り換え電車を待ち、まもなくやって来たものに乗ると三人掛けにリュックサックを背負ったまま腰掛け、前屈みになって引き続き携帯電話をぽちぽちやった。最寄り駅に着いたあとには特段のことはないので省略する。
 帰宅。両親に挨拶して下階に下り、リュックサックの中身をすべて取り出し、服を脱ぐとシャツにパンツの姿で入浴に行った。出てくると母親が一人、眼鏡を掛けて居間に残っていたので、A家でのことをちょっと話して下階へ。小沢健二『LIFE』をヘッドフォンで聞きはじめ、零時二〇分から日記を書き出した。音楽をBob Dylan『Blood On The Tracks』に繋げて一時二〇分まで一時間綴ったあとは、今日の作文はそこで切り上げることにして、寝床に移って読書に入った。ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』。一五三頁では、「市中の見回りに出かけた」大統領が「眺めた」様々な事物が体言止めの形で「列挙」されているのだが、短篇で同じ技法が使われていた際よりも、修飾は長くなり、記述の密度はより凝縮されたものになっている。「正面の玄関で時間がいぎたなく眠りこけ、ヒマワリが海に顔を向けている、古い石造りの大邸宅。副王時代からの街の、ろうそくの臭いがただよう石畳みの通り。日射しの明るいバルコニーのカーネーションの鉢とパンジーの吊り鉢に囲まれながら、身についた上品な手つきでレース編みの棒を操っている、色白な令嬢たち。初めての彗星の通過を祝うのに使われたこともあるが、午後の三時になると決まってクラビコードの弾奏が始まる、ビスカヤ出身の尼僧らの住む修道院市松模様」といった調子だ。ここでは無時間的な描写によって物語の進行は一時停止し、記述はそこにおいて様々な事物を次々と並列的に映し出す純粋なカメラと化していると言うか、映画的になっているような気がする。この「列挙」の機能は物語を進めることでも、何かを緻密に描写したり分析したりすることでもなく、色とりどりの物々を即物的に、巨石のようにごろごろと転がすことで、この小説世界の豊穣さを示すことである。マルケスの壮大な世界の魅力は、いわゆる「マジック・リアリズム」としてよく語られる荒唐無稽な出来事の氾濫や、その内容面の過激さからすれば意外なほど几帳面に、ほとんど完璧に遂行される高速の時空の操作――ほとんど紳士的とも言うべく整った形式面における整然性――などがあるが、それを裏から密やかに支えているのが具体的で個性を持った事物たちの多彩さだと考える。ガルシア=マルケスの世界は、一面では確かに「物」の世界なのだ。
 二時四五分まで読書を続けて、パトリシオ・アラゴネスが瀕死になったところあたりまで読んで就床した。


・作文
 12:17 - 12:35 = 18分
 15:53 - 16:25 = 32分
 24:21 - 25:22 = 1時間1分
 計: 1時間51分

・読書
 13:00 - 14:24 = 1時間24分
 25:25 - 26:42 = 1時間17分
 計: 2時間41分

・睡眠
 4:00 - 11:35 = 7時間35分

・音楽